昭和五十二年不識書院版『少年』パンフレットより

 

   初原に触れる 『少年』十五首

            上田三四二
 

 このナイーヴで清潔な作品集にむかうのに、無駄口を惜しんで直ちに作品に就いて見たいと思う。私は十五首を選んでみた。

  朝地震(あさなゐ)のかろき怖れに窓に咲く海棠の紅ほのかにゆらぐ  (菊ある道)
  山なみのちかくみゆると朝寒き石段をわれは上りつめたり

 十五、六歳の作にしてはおどろくほど巧みだが、巧みというだけでは説明のつかない微妙なものがある。初々しいのである。
「菊ある道」の一連は、「窓によりて書(ふみ)よむ君がまなざしのふとわれに来てうるみがちなる」という一首をもってはじまっている。恋の思いが歌のことばの初めであることほど、短歌にとって自然なことはない。秦氏の短歌が、少年初心の恋の歌からはじまっているのを私は大変羨ましいと思い、相聞そのものではないが、それを背景とするこころの顫えと憧れをつたえるような引用歌の、すでにこういう出来上った形を成しているのに注目する。

  笹はらに露散りはてず朝日子のななめにとどく渓に来にけり  (拝跪聖陵)
  渓ぞひは麦あをみっつ鳥居橋の日だまりに春のせせらぎを聴く

この「拝跪聖陵」は秦氏の小説のもつ或る妖しい気分をいちはやく伝えている点で興味をひく。作品としてはむしろ、「ひえびえと石みちは弥陀にかよひたりここに来て吾は生(しやう)をおもはず」「水ふたつ寄りあふところあかあかと脳心をよぎる何ものもなし」などの方が作者をよく出していると言うべきであるが、好みによって写実的なものを採ってみた。
 一連はこの世の外へさまよい出ようとする作者の憧れを歌にしている。写実的といっても、うたわれている場所はすでに日常性を超えていて、その気分の反映はやはりこの二首にも感じられるのである。

  黄の色に陽はかたむきて電車道の果て山なみは暝れてゆくかも  (光かげ)
  ほろびゆく日のひかりかもあかあかと人の子は街をゆきかひにけり
  閉(た)てし部屋に朝寝(あさい)してをり針のごと日はするどくて枕にとどく

 はかなさと亡びを言う声はこの歌集のなかから幾つも響いてくるが、一巻を読み終えて思うのは、これはいのちの歌の集だということだ。十七歳の少年が一方では性に目覚め、一方では世の無常の自覚にみちびかれながら、動揺のうちに、生きるとは何かを問うようになっている。そして生きようとしている。

  わぎもこが髪に綰(た)くるとうばたまの黒きリボンを手にまけるかも  (夕雲)
  窓によればもの恋ほしきにむらさきの帛紗のきみが茶を點てにけり
  柿の葉の秀(ほ)の上(へ)にあけの夕雲の愛(うつく)しきかもきみとわかれては
  草づたひ吾がゆくみちは真日(まひ)あかく蜻蛉(あきつ)のかげの消えてゆくところ

 この「夕雲」は秀歌ぞろいで、十七歳という年齢を考え合わせると驚ろかされる。いままでの歌も大体においてそうであるが、この四首などはことに、まだ十代にある作者の年齢を考慮することなしに味わうことが出来る。
 四首とも言葉が順直で、苦渋なく言葉をやって、口疾(くちど)にも浮華にもなっていない。語から語、句から句への移りゆきが次の発語をうながすように滑らかでありながら、一語一語がきれいに粒立っているのである。
 作歌に際しての歌の功徳ともいうべきものは、万葉集でも斎藤茂吉でも、そのほか誰であってもいいが、これら先行者たちの拓いた語法や語感を比較的容易に学ぶことが出来るという点にある。けれども、技法上の学びはそれにこころを与えることをしなければ、形骸に終ってしまう。この年、昭和二十八年、作者の作歌への熱意は最高の亢まりを見せつつ、この「夕雲」のあたりに一つの頂点を形造っている感があり、「わぎもこ」と呼ぶような女性を対象に、歌は押えようとしても押え切れない感情を充分な抑制をもって歌い、瑞々しさに格調を与え得ているのである。
 三首目の「きみとわかれては」は夕べの別れであって別れてしまうのではもちろんない。「柿の葉」というのも親しみがある。「ひそり葉の下記の下かげよのつねのこころもしぬに人恋へるかも」「目に触るるなべてはあかしあかあかとこころのうちに揺れてうごくもの」、この二首もよい歌である。

  落葉はく音さきてよりしづかなるおもひとなりて甃(いし)ふみゆけり    (弥勒)
  歩みきて耐へられなくに霜の朝の木がくれの実はぬれてゐにけり

 心情と外景とが危うい均衡を保ちながら互いに浸透し合っている。この一連のはじめに挽歌が七首あって、それとの関係は直接にはないようであるが、沈潜した気分の一首目も、悲哀と思われる強い感情を湛えた二首目も、どこかいのちを見つめているような咏嘆の語気が感じられる。根本は主情的なのを、甃を踏むとか、木がくれの実の濡れている嘱目とか、そういった事物性によせて歌っている。短歌の咏嘆の典型的な方法といえよう。これも十七歳のときの作である。

  山ごしに散らふさくらをいしの上に踏めばさびしき常寂光寺  (あらくさ)
  道の上の青葉かへるでさみどりに天(あま)そそぐ光(ひ)を恋ひやまずけり

 前者は「常寂光寺」というさびしく美しい寺の名がぴたりと納まっている。実際の寺もここに詠まれているとおりの雅趣のある寺である。後者は軽快にたたみ込んで、景も語の運びも爽快である。ともに明るさと浄福感が出ている。
 以上で十五首であるが、この一連の中からもう一首、

  すずかけのもみづるまでに秋くれて衣笠ちかき金閣寺みち

 を挙げておきたい。しっとりとした、風格のある歌で、この一連が十八歳の少年の作であることはやはり驚ろくべきことだと言わねばならない。
 二十歳以後の作にも注意したものが三首ばかりあるが、『少年』の主力の、いままで見て来た未青年時代のもののうちにあることは動かない。
 周知のとおり、秦氏はその後歌をはなれて小説の道に進んだ。私はそれを短歌のために惜しむ気持があるが、またこうも思う。短歌は氏の創作の中でより広い表現の場を見出したのだ、と。秦氏の小説に見られる豊かな抒情性と親密な文体は、この『少年』における作歌歴と無関係ではあり得ない。すくなくとも、年少にして短歌におもむいてこれだけの作品を成した心の向きと無関係ではあり得ない。『少年』をよむたのしみは、一つにはこの作家秦恒平の初原に触れるたのしみでもある。

 (文藝評論家・歌人 昭和五十二年不識書院版『少年』パンフレット)
 


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