招待席
とみなが たろう 詩人 1901 - 1925
東京に生まれる。「山繭」創刊に参加しフランス象徴詩風の散文詩で小林秀雄、中原中也に影響を与えたが夭折、没後昭和二年(1927)家蔵版『富永太郎詩
集』が刊行された。大正十三年(1924)七月から十一月までの京都滞在は、中原や小林との深い交渉で満たされ、掲載の優れた散文詩はそこで生まれた。
(秦 恒平)
秋の悲歎 富永 太郎
私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる。戦慄は去つた。道路
のあらゆる直線が甦る。あれらのこんもりとした貪婪な樹々
さへも闇を招いてはゐない。
私はたゞ微かに煙を挙げる私のパイプによつてのみ生きる。
あの、ほつそりとした白陶土製のかの女の頸に、私は千の静
かな接吻をも惜しみはしない。今はあの銅(あかゞね)色の空
を蓋ふ公孫樹の葉の、光沢のない非道な存在をも赦さう。オ
ールドローズのおかつぱさんは埃も立てずに土塀に沿つて行
くのだが、もうそんな後姿も要りはしない。風よ、街上に光るあ
の白痰を掻き乱してくれるな。
私は炊煙の立ち騰る都会を夢みはしない──土瀝青(チヤン)
色の疲れた空に炊煙の立ち騰る都会などを。今年はみんな松
茸を食つたかしら、私は知らない。多分柿ぐらゐは食へたのだ
らうか、それも知らない。黒猫と共に坐る残虐が常に私の習ひ
であつた……
夕暮、私は立ち去つたかの女の残像と友である。天の方に
立ち騰るかの女の胸の襞(ひだ)を、夢のやうに萎れたかの女
の肩の襞を私は昔のやうにいとほしむ。だが、かの女の髪の
中に挿し入つた私の指は、昔私の心の支へであつた、あの全
能の暗黒の粘状体に触れることがない。私たちは煙になつて
しまつたのだらうか ? 私はあまりに硬い、あまりに透明な秋の
空気を憎まうか ?
繁みの中に坐らう。枝々の鋭角の黒みから生れ出る、かの
「虚無」の性相(フィジオグノミー)をさへ点検しないで済む怖ろ
しい怠惰が、今私には許されてある。今は降り行くべき時だ
──金属や蜘蛛の巣や瞳孔の栄える、あらゆる悲惨の市(い
ち)にまで。私には舵は要らない。街燈に薄光るあの枯芝生の
斜面に身を委せよう。それといつも変らぬ角度を保つ、錫箔の
やうな池の水面を愛しよう……私は私自身を救助しよう。