根の哀しみ 竹西寛子
こういう文章がある。
「すべての物には、手近な手もとで、手が届き、手で取れ、手に足り、手で使え、手で持てるものと、逆に、手が届かず、ま
た、手に余るものとの違いしかない」「人は、努力してすこしでも遠くに手を伸ばし、すこしでも広く手をまわして、少しでも多く大きく重く、自分の世界を
『手中』におさめつづけながら生涯を終るのだ。」
人間や世界についての解釈は、それこそ人さまざまであるが、私は、右のような解釈に惹かれる性質の人間である。このよ
うな解釈とは、この場合、このような微視と巨視の統合、または、具体と抽象についての認識と言い換えてもよい。
女学校に入って間もない頃、波多野精一の「西洋哲学史要」を知り、満足に読めたはずもないその本でいちばん感動したの
は、今の自分でいうと、哲学の歴史は世界解釈の歴史だということ、つまり、ある解釈がある解釈に超えられてゆく歴史だということであった。
今となってみれば、改まってこう書くのも気がひける、当り前のことなのに、手近なところで不動の解釈らしきものを大真
面目に求めて青くなっていた頃の私には、事件にもあたいすることだった。一つの解釈はつねに相対的なものでしかない。だからこそと新たな解釈を試みる叡智
の健気さに見出す意味の変化は、それ以後の私自身の変化でもある。
この世界解釈の素材については、文学は、たとえどのように些細な素材であろうと拒否してならないのはいうまでもない
が、同時に、特定の解釈を直接に訴えてはならないのも前提のうちだと私は思っている。
たまたまこうして文学に関わり乍ら生きるようになったが、そうなって解釈のほうと縁が切れたかというとそうではなく、
性急な解釈を恐れるようになって、いっそう解釈に惹かれる羽目になった。小説と評論の往還からのがれられないのも多分そのためであろう。読者としても、人
様のそうした仕事にいきおい関心をもつことになる。観念的な思考があって、しかもそれが厚くつつまれ、深く埋められている作品をいいと思う。
ところで、冒頭に引用した文章は、さらに次のようにつづいている。
「そういう努力を空しい卑しい恥ずかしいとする考え方があるのを私は知っている。しかしその咎は、『手』に帰せられるも
のではなく、むしろ心が負うべきものであることも知っている。それどころかこの『手』の努力こそ人間の歴史が最も価値高い一つとして追求しつづけてきた
『自由』を創っていることに感謝しなければなるまい。自分の『手』を思うままに使えることが『自由』の意味だということは、人の自由を奪う時、真先に
『手』から縛ることで納得が行く。」
さきほどからの引用文は、ここに及んでより強い喚起力を伴いながらその主旨を開いてゆく。はじめてこの文に接した時、
その咎は、手ではなく「むしろ心が負うべきもの」というくだりまできて、私はいい文章を知ったと思ったが、今もその覚えに変りはない。
この文章の書き手である秦恒平氏が、稀に見る博識の作家であり、精力的な活動の中にも、ことに、日本古来の諸藝術、諸
藝道についての造詣を生かしてユニークな作家であるのはつとに知られる通り、今更言葉を添えるまでもないことだ。一読者としての私は、氏の作品世界の多彩
と奥行きの深さに幾度か感嘆を誘われている。
作品の多彩は言うまでもなく感受性の反映である。奥行きは、それに加えて、人間及び世界解釈への、氏の貪欲な意志とも
無縁ではあるまい。その意志を、作品の奥行きの深さとしては感じても、少なくとも、観念的には感じないのは、その意志の根にあるのが氏の哀しみとでもよぶ
べきものであって、氏が依然として解釈以上にその哀しみを重用しているためであろうと思う。その証しの一つを、私はさきの、咎は手に帰せられるものではな
く、心が負うべきものの一節にみる。
日本人が、日本人の歴史とともに歩むというのは、ある意味では選択の余地のない事実のようにも思われる。さき頃、「閑
吟集」を読み返していた時にも、そんなことをあれこれ思った。
たとえば性についての室町庶民の表現は、王朝貴族のそれとは明らかに異る開放的なものだ。けれども、ひとたび王朝を通
り過ぎた時代の表現は、二度と万葉の解放にかえることができない。どうしても違う。となると、否応なしに歴史とともに歩まされている人間の現実を認めざる
を得ない。
しかし又、こうも考える。
否応なしにとは言いながら、やはり限られた目を持つ者だけに、耳を持つ者だけに生きる過去もあるのではないか。秦氏の
作品の中に生きている日本人は、よくそのことを考えさせてくれる。私などの、よう見なかった、あるいは、そこまではとても付き合えなかった故人の心を、聞
くことのできなかったそれを氏は過去のものとしてではなく、抽出し、蘇生させてくれる。
その生彩は、現代に望みを絶たれた目と耳ではなく、今の世に、いかに充実して生きるかに情熱的な目であり耳であるから
こそ可能なのだという事情をも、併せて納得させるものである。すすんで故旧を食べながら生産しつづけるのは決して易しくはないが、秦氏はそういう人のひと
りだとも私は思っている。
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