自撰五十首 茜さす     高橋 光義
 
 

極まれる君のしぐさの愛(かな)しければ葦のひと葉の揺れに揺れにき

夜(よる)更けし峡の紅葉を吹く嵐止むときも無しわが抱擁も

おのづから吾子の瞳の閉ぢゆけば時雨は止みて月照りわたる

産み終へてまどろむならし深々と清き平安を女は占むる

背に負へる子は癒え来しか唄うたひ白くたたなる山夕焼けつ

貧しきはいささかの金に諍ふを父母に見たりき今日われと妻

手に唾して乏しき銭を数へゐる倹しき妻の指も荒れきぬ

手指荒れ冬水に衣を洗ふ妻いたはり薄くあり経し我か

どくだみを採りて洗ひて吊り干せし臭ひ手にあり妻抱くとき

酒に酔ふわれをいたはるごとく言ふこの少年もいま反抗期

いのち充つるものの静けさ雨のなか泰山木の花咲かむとす

氷(ひ)のごとき心に酒を飲む夜半の空に響かふこほろぎのこゑ

大晦日の夕暗む道来る妻は幸買ひしごと花の鉢持つ

自滅型の性(さが)を寂しみ言ふときに疲れし顔を汝は向けたり

生き過ぎて顧みられぬ寂しさを漏らす日多き母となりたり

呷るごと酒飲むこともなくなりて寂しき時はひたすら寂し

幸せを忘れしごとき顔映りルゴールを咽喉にわれ塗りてをり

目も耳もいたく老いにしわが母よ現し世にゐて現し世を超ゆ

百までも生きむ母かと言ふ兄の辟易したるごときその声

母の遺影いくたびも見て一日過ぐ母より父よりわが享けしもの

亡き夫のもとへ飛天となりて翔ぶ母をまぼろしに蒼天見つむ

茜さす空削ぎ聳る吾妻山日を継ぎ雪は降りにけるかも

昏れ長き茜衰ふ雲の下に吾妻嶺白く幽かになりつ

蒼穹を鋭く黒く抉る山雪を止めず今日ぞ窮めむ

雨含む雲おもむろに皺みゆくカール由々しく午後荒るるらし

行者のごと心つつましく歩み入る樹氷のひまに月山も見ゆ

空の藍窮まりて黒し幾千と樹氷群れゐて心充ちゆく

夕づきていたく幽かなる茜染む樹氷群のなかにわれひとり居り

樹氷の影長く延びきて山に降る雪片ひとつ無き夕まぐれ

疲れきり峰に仰向きに臥すしばし触るるばかりに銀河迫り来

山群にものの響きの絶え果てて雲海のうへ星月夜冴ゆ

雲海を見下す尾根に星垂れてつなぎとめ得し命かなしむ

山塊のうへに夕づく光澄み?の緑の沸きたつごとし

雪渓をスキーに下りくる一人をり翔ぶがごとくに遊ぶごとくに

月山は天の極みに時雨るるか虹ふたつ顕つ奥にくもれり

灯りひとつ無きパグディンの夜更けて全天銀河なだるるごとし

夜更けし僧院の上に月照れりそがひに白くアマダブラム聳ゆ

夕映えは高きエベレストにローツェに残りて渓の冷えくる早し

ヒマラヤの音無き夜を月照りて天の高処(たかど)にアマダブラム白し

壮大に夕焼けの色の動きゐてアンナプルナ聳ゆマチャプチャレ聳ゆ

咲き残るサフランモドキと一日居り人間もどきが来りては去る

スト回避に論落ち着くか懐炉出し火をつけて吹く教師老いたり

座禅草の花に高原の日は差せり糞食らへショウコウ・ゲダツ・ポア

「サイタイホ」も日常茶飯の語と化して今日は教祖と銀行理事長

人の性を悪かと思ふ悲しみの次々起きし一年なりき

誉むるより貶しむる声多く伝へ首相辞任のニュース短し

土下座が流行る欺瞞に満ちし禿げ頭揃ひコロリと下がる

人混み合ふ地下鉄にサリン撒きたるを恥ぢ言ふ男うそぶく教祖

人滅ぶる予言の本は昨日読みき?青く群るる山に今日あり

さりげなき君のことばに刺ありてなほさりげなく話しかけくる
 

(作者は、歌人。斎藤茂吉研究で知られ、受賞されている。この文庫にエッセイも戴いている。ことに前半の冴え冴えとした境涯歌に感銘を受けている。「茜さす」は歌人自ら題されたもの。湖の本の読者であり、日本ペンクラブ会員に推薦した。)


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