ある私信         高田 欣一
 

 丸山健二氏が自伝風の長い文章『生者へ』の中で、小説とエッセイの違いをこう書いています。「かつても、そして今も、エッセイなのか小説なのか区別できないような作品が氾濫している。エッセイと小説の境界線が試行錯誤の結果としてぼやけ、滲んできたというのではなく、易きに流れた付けが回ってきただけなのであろう。別な言い方をすれば、これは書き手がその程度の才能しか持ち合わせていなかったという何よりの証拠でもある」
 「エッセイは長いブランクがあっても、復帰するのにそう苦労することはない。だが、小説となるとそうはゆかない。しばらくのあいだ小説を書かないでいると、かつてのような調子では書き進められない。歯を食いしばって書いても、覚悟以上の気合を入れて書かないと、それまでの実力を回復する作品を完成させるのは困難である。書かなかったあいだに本人の想像よりはるかに実力が下回っているのである」 「ところが、眼力というのは一度養われると滅多なことでは衰えない。高い眼力が失われていないというその自信が創作者にとんでもない勘違いを引き起こさせてしまう。小説を書く腕も依然として眼力と同じレベルを保っているという錯覚にとらわれる。いざ、これまでのような小説を書こうとしてペンを握っても、真剣に小説と取り組んでいた頃のようにはとても書けないことを思い知らされ、愕然とするばかりである」
 これは本当のことだと思います。長いこと、私はエッセイは書けるが、小説を書く才能はないな、と思っていました。しかし、それは間違いなので、気の利いたエッセイは努力しなくても書けるが、小説は努力しなければ書けない。ということは、やはり本当のエッセイを書こうとすれば、小説を書くような努力をしなければいけないということだと思います。
 小説がつまらない、読まれないと言われています。じじつ日本の小説はつまらなくなった。それは、丸山健二のいうように、小説を努力して書かなくなったせいなのでしょう。別の言い方をすれば、集中力を持った優秀な才能が小説を書かなくなったのでしょう。ずっと大きな眼で文学史を振り返れば、小説などというものが文学の主人公だった時代は、たかだかここ百年ぐらいで、それ以前の文学とは和歌であった。この和歌というものは、『古今集』や『新古今集』という勅撰集ひとつを例にとっても、夥しいエネルギーがここに集積されている。選者は単に歌を集めるだけでなく、ものすごい数の「読み人知らず」を、自分で作ってその中にはさみこむ。そして、春夏秋冬、旅、哀傷などの歌を絵巻物のように繰り広げてゆく。この中には、実に多くの約束事が用いられて、ひとつひとつの歌の背後に隠れている。たとえば丸谷才一の『新々百人一首』という本を読んでいると、それをまざまざと実感させられるのですが、紀貫之とか藤原俊成、定家といったこうした勅撰集の選者は、「ああ歌詠みか」といって、簡単には済ますわけにはいかない存在なのです。繰り返しますが、小説はまだありませんでした。もっとも物語という形式はありました。絵空事のうちに自分を閉じ込める、自分が書いているものは絵空事だという徹底的な自覚の上で、仕事をした人の作品として、それは残っています。しかし絵空事を書ける才能は特殊なものです。能の『源氏供養』は、そういう才能に恵まれた紫式部は地獄に堕ちたにちがいないという観念の上に立っています。こういう人間は、罰されて当然という健全な考えが一方にあったのでしょう。
 小説は自我の表現であるという。しかし、表現されるべき自我とは何物であるか。
 まえにあなたも一緒に居られた席で、いかに書くかでなく、いかに書かないかに偉大な作家は腐心している、そこに気づくべきだといったら、みんなが一斉に、余りに評論家的発言と言ってきました。しかしそうではないのです。私は漱石が好きで、最近は漱石よりあとの日本の小説は、そのうち全て無くなるのではないかと思っているくらいですが、彼がもっともエネルギーを用いたのは、いかに書くかでなく、いかに書かないかです。
 あなたが小説を書き出したことを聞いて、また余計なことを始めたなと思う人がいるだろうな、と思いました。「まあ、あれは病気だから仕方がない」と思っている人もいるでしょう。小説というものは、縁のない人にはその程度のものだという徹底的な自覚があれば、作品はもっと変わるでしょう。小説とは、小説や小説家を心のうちで馬鹿にしている人間の心も動かさなければならないのです。また、それだけの覚悟がなければ書いてはいけないもののように思います。
 前にあなたに送った手紙を、小説を読んでいないほかの人にもわかるように、ちょっと細工をして書き直しています。   多分「由希子」という名の女主人公は、「喬」という名の夫とヨーロッパ旅行を楽しんでいます。小説はドイツからチェコにゆくバスの中で、「夫」が道端に並ぶ娼婦たちを、熱心に見ているところから始まります。「私」はそれをいやだなと思ってみています。それは「私」が十数年前に「娼婦」まがいの行動をして、家を飛び出したという過去があるからです。「夫」が、そのことを忘れていないのは事実ですが、気にしていないという態度を示す、そして「気にしていない」ことが、無神経な言動を生み、それが「私」を傷つけるという、二人の関係はよく書けています。ただ欲を言うと、作者が状況証拠、傍証として持ち出している「夫」が不倫のドラマを見てしゃべる発言などはいらないかもしれません。この窓の外の娼婦たちと「夫」と「妻」と、この三つの描写だけで押し切っていけたら、もっとよかったと思います。しかしそうなると、文章がいかにも軽薄に思えます。あなたの文章を引用しようとしましたが、引用できないのに愕然としました。描写すべきところを説明しているのです。
 こういう小説の困ったところは、「なぜ、旅行から始まるの?なぜ、夫が不倫のドラマを見ていて、なにか口走るところから始めないの?」と言われるところです。ヨーロッパ旅行は小説の中でアクセサリーになってしまいます。同行する関口さんというよくしゃべる男の行動、チェコ人と結婚してガイドをしている年齢不詳の女もスナップとしてはよく書けていますが、それ以上ではありません。しかし、作者がどうしてもこの旅行が書きたいのは、「夫」が初めて重たい腰を上げた旅行だったからでしょう。だからどうしても、ここから始めたかったのでしょう。ならば、そこで書ききらなければいけません。説明する必要はありません。
 「私」の過去に何があったか、暗示するだけで書く必要はありません。「私」が「娼婦」の存在に、「夫」が無邪気にそれを見て、好奇心を満足させる姿に傷つくにしては、自分を「娼婦」と同一視する過去の重たさは書かれていません。説明すればするだけ嘘っぽくなります。男が女に惹かれる、あるいは女が男に惹かれるには、どうしようもない細部の重さがある。この「夫」にはそれがない。そのなさが、彼のよいところなのですが、それを存在として際立たせるには、彼を捨てた十何年か前の、男といた生活の細部がひとつあればいい。ソフィア・ローレンの映画というのもいいが、『ひまわり』を見ていない人にどう説明するか。
 あるいは、話は一挙に飛んで、男といる生活の中で、「私」を探し当てた「夫」が、「男」のくわえたタバコにライターで火をつけるところにゆくか。ここは、すごいところです。この部分があるために、冒頭の「夫」がバスの中で「娼婦」を面白がって見るところは、「私」の言うように「夫」の減点対象ではなく、加点対象になります。
 時間の処理に苦労されている、どう書いていいかわからないといわれていますが、これは「同時性」という問題で、どんなにうまく書いても、その過去の時間が現在、単に「いま」ではなく、小説の描写が行われている「現在」の時制のなかに生きてこないと、うまくいきません。逆にいうと、それが生きていれば、どんな風に書いてもうまく行くということになります。
 これは、裏返せば、この作品の中で過去というファクターはあるのかどうかということになります。作者は意識していないかもしれませんが、ここにいる「喬」という人物は、とてもよく書けています。後半、特に花になんかまるで興味のない、鈍感な男が、まさにそういう男であるゆえに、ということがわかってくるところで存在感が増してきます。
 だから、なおのこと前半のあっちへいったり、こっちへいったりのうろうろ歩きが惜しまれます。ずばり言えば、「私」を娼婦まがいの行動に走らせた男とのエピソード、これは今回は全部要らなくないですか?
 これは、「亮太」というその男を書く意味について、根本的なことだと思います。あなたの人生の中で、そのことがどういう意味を持つのか、明らかにしたいのなら、「私」は何年の何月にこういう事をしてこうなって、こういう理由でふたたび家に帰ったと、淡々と書けば、いちばんいいでしょう。しかしこれを書けば、「喬」にあたる人物は傷つくだろうし、その眼を意識しないでは書けないでしょう。「あなたはそのことを書かなければいけませんよ」というのは、悪魔の囁きで、そんなものは書く必要はないのです。最初に言ったように、いかに書くかでなく、いかに書かないか、です。
 もうひとつ、小説は男と女のあいだのことを書くことになっている。まあ『源氏物語』以来、それはあたりまえのことになっている。坪内逍遥は『小説神髄』で、「小説の主脳は人情なり。世態風俗これに次ぐ。人情とはいかなるものをいふや。曰く、人情とは人間の情欲にて、所謂百八煩悩是れなり」と言って済ましていますが、小説家でなかった逍遥先生は、それ以上深く考えた形跡はない。
 その点は、二葉亭四迷のほうがすごかった。「恋する男の苦しみ」を書いた。これが小説だと言った。漱石もそうです。「よござんすか。恋愛は神聖です。しかし罪悪です」。だれかが「虚飾に満ちた性」と言ったら、聞いた人が、「虚飾」でない「性」がどこにあるか、と文句を言った。よく聞いたら「虚飾に満ちた生」の間違いであったという話をどこかで読んで笑ってしまいました。男と女の関係というのは、その人間の中身に関係のないところで成り立ってしまうので、この危うさが即人情である。そこのところを見極めないといけないのです。『こころ』の「先生」は、「お嬢さん」のどんな中身を認めて、「妻」に欲しいといったのか、「奥さん」と「お嬢さん」は、「先生」のどんなところを認めて、「お嬢さん」を「先生」の「妻」にしていいといったのか。人間の中身ということを突き詰めていったのが、Kの生き方だとすると、「先生」と「お嬢さん(のちの奥さん)」の関係は、その逆です。
 誰かが、「先生」と「奥さん」のあいだに性生活がなかった。「先生」はKのことを考えると、「奥さん」と交われなくなり、「奥さん」は処女のままだったというけったいな論を発表していましたが、まあ、そんなこともないだろうが、そういう風にも見えるところもある。あなたの「亮太」ものにもそういうところがある。
 「性」に関する部分があまりに少ない。そういうところは書きたくない、ということかもしれないが、明かそうとすれば隠れる、隠そうとすれば顕われる、そういうことではないのですか。正面切って書く必要はないのです。人間の一番奥深い部分は説明できない、それを別の形で説明しようとするのが小説で、それには言語表現のもっとも玄妙な使い方があります。
 要は、気を抜かないできっちり書くこと。書き込むことだと思います。
 主人公を三人称でなく「私」にしたことは正解です。また、ここは書けないなと思ったら、遠慮なく省くことです。いつか書けるようになります。いつまでも書けなかったら、そこは書く必要のないことです。
 若いとき、正確に言えば、二十一歳のとき高校の同級生だった古屋健三というひとに連れられて、日仏会館に慶応大学教授佐藤朔氏の話を聞きに行ったことがあります。佐藤教授は小説を書いたことのないボオドレエルがヴィリエ・ド・リラダンに小説の書き方を教える話をしていました。travaillez,travaillez,(努力しろ、努力しろ)といいつづけた。そして、自分が詩を書きつづけて、どれだけ原稿料を稼いだか告げたそうです。何フラン何十サンチーム、驚くべき少ない金額だったと言っていました。もう大分昔のことですので、記憶は定かではありません。話していたのが佐藤教授なのか、それとも東大の杉捷夫教授なのかさえわからなくなっています。しかし、話の内容だけはよく覚えています。ボオドレエルが専門でない佐藤教授が、なぜボオドレエルの話をしたか、たぶんそれはサルトルがボオドレエルのことを書いていて、そのエピソードを書いていたからかもしれません。しかし、話している人が、その話にうたれて話していることはよくわかりました。手紙を書いていてそのことを思い出しました。
 せっかく、あなたの小説について書いているのだから、引用できるところはないかと捜していたら、最後のほうに見つかりました。「私は名前を思い出そうとした。押し花にするときに、植物図鑑も調べたはずだ。もちろんその時花の名前は書いている。私はあの蔓草を見てから、頭の隅で何度か花の名前を思い出そうとして、焦れったくなり諦めようとした。するとふいに思い浮かんだ。花の名前をはっきりと思い出した。私は泡のように膨らんだ喜びを誰かに伝えたかった。この薄い壊れやすい小さな喜びを誰かに伝えたい。『やっと思い出したの』と言おうとして私は喬を振り返った。私は胸に鋭い刃物を突き立てられたようなショックをうけた。喬は深く暗い苦しみの真っ只中で泣き疲れた人のように眠っていた」そのあとあなたは寝入っている男の顔は悲惨だった、と書いていますが、それは書く必要はありません。言わなくてもわかるのです。
 私なら、小説の題は「鐘を撞く男」ではなくて「花の名前」にしますね。これも私の学校の一年先輩だった高名な直木賞作家におなじものがありますが、あったっていいじゃないですか。
 毎月、遊びをかねて、その月の花で絵入り歳時記を作って楽しんでいます。九月はコスモスでしたが、このメキシコ原産の花は意外に日本の家庭に入り込んで、完全に家庭の花になっているせいか、いい句が見つかりません。たったひとつありました。その名も水原秋桜子です。

  コスモスを離れし蝶に谿深し

 ひらひらとコスモスを離れてゆく蝶の姿が目に浮かぶようです。谿の深さはだれも測れないのです。
 勝手なことを書きました。ご健勝を祈ります。  (平成十二年十月七日)
 
 

*筆者註 「オーリガの忍耐」のチェーホフ『三人姉妹』は「新潮文庫」神西清訳によりました。「ある私信」。二葉亭四迷の小説を「恋する男の苦しみ」と言ったのは、小谷野敦氏です。(岩波文庫「近代日本文学のすすめ」所収の文章)。したがってここでの漱石の『こころ』の読み方は、なかば、小谷野氏の卓抜な論に刺激されて、できあがったものともいえます。感謝します。
 

(筆者は、エッセイスト 湖の本の読者。0.11.12寄稿。 犀利な「エッセイ通信」を書きつづけておられる。)


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