空海の茶臼    真岡 哲夫



 五月の連休を前に、久しぶりに東京に出てきた私は、装いを新たにした品川で、京都の家元玄関の宗匠にお目にかかった。
 寿司をつまみながら、話題はいろいろ。
「生命体同様、非生命体である人間の文化情報(ミーム:meme)も、〈変化を伴う由来〉という意味で、進化をし、跡に系統を残す」という話は、文系の先生方にいつも受ける。利休以来四百年、茶の湯の点前は間違いなく進化している。点前する人は???、そもさん。
 翌朝地下鉄が動き出すのを待って早朝の羽田から伊丹へ。「大和茶発祥の地」に惹かれた旅。
 近畿圏の鉄道網に知識無く、丹波橋から近鉄を京都線、天理線、大阪線と乗り継いでゆくのも珍しい。
 室生口大野から臨時バスで室生寺へ。シャクナゲは少し過ぎたが、古さびた金堂が杉の古木に映えて良い。石段上の五重塔は、計算され尽くされた完璧美。先の台風被害は杉の精の嫉妬がなせる技と思われるほど。奥の院裏手に、親切に床机が据えられていて、絶景を愛でつつ弁当を広げる。汗もみるみる引き、「高い山から谷底見れば」の気分。
 山を下り室生寺門前の賑わいを抜け、今度は反対側の村の上道へ向かう。このあたりから既に路傍の植木が茶になっている。家屋敷に続いて、なだらかな斜面に自家用茶園が散在。五月の日射しに茶摘み前の若芽が萌えている。「地産地消」は昔は当たり前だったと改めて思う。
 道標に導かれ、西光寺、腰折地蔵と、過たず室生古道を進む。木漏れ日に山気涼やかにして道穏やか。だが、行程4キロは、なかなかの長歩きになった。
 眼前に突如現れたカトラ新池は碧深く引き込まれそうな色。
 ようよう辿り着いたカトラ峠役行者の石像脇に、寄進の東屋があって格好の足休め。室生寺参道で求めた草餅がするすると胃の腑へ入る。冷えた特産大和茶も美味い。
 見上げると、化粧気の無い屋根裏の棟に、墨で尺寸を刻んだ木尺が残されていた。修理に備えての事か。簡素な東屋に職人さんの手のぬくもりを感じる。
 峠を過ぎると道は急な下りとなり、足が勝手に動いて止まらない。音を上げそうになった頃、ふっつりと古道が途切れ、アスファルトの広い道に出た。眼下に水車小屋が優雅に回っている。右手の参道を上がると、目指す仏隆寺に着く。天然記念物樹齢900年の古桜が咲く時季には気づかないかもしれないが、ここも石段脇の植え込みはお茶の木。
 簡素な門を入って五色の幡鮮やかな本堂に参詣する。さて、本堂脇「大和茶発祥伝承地」の石碑を見るに、弘法大使が唐から持ち帰ったお茶の種子を高弟・堅恵(けんね)が仏隆寺境内で栽培したことから、ここを「大和茶発祥の地」としている。今から1150年前の話である。ちなみに、奈良県農業技術センターの調べでは、現在の大和茶の栽培面積は全国第10位、荒茶生産量は全国第6位とのこと。茶農の老齢化に伴う生産量の減少を食い止めるべく、行政が努力した結果が数字に現れている。ただし品種は「やぶきた」なので唐渡りの茶樹ではない。
 堅恵大徳の廟とされる平安時代の「石窟」を拝見後、庫裏で案内を請い、本堂に上げてもらう。
 鍵善良房の商標そのまま、L字型をした鉄鍵を持って現れた「お寺の奥様」は、これも是非見ていきなさいと、私を人気のない本堂の片隅に導き、古い漆塗りの木箱を開けた。そこには手擦れて鈍い光沢を放つ寺宝の茶臼があった。
 弘法大師が唐から持ち帰ったという茶臼は、ちょうど釣り釜ほどの色形をしていて、側面に向き合う格好で、引き手側に牡丹、対面に唐獅子の浮き彫りがある。引き手の材も良く細工も細やかである。ところが、上臼の一部に、欠けて金漆で繕った跡があった。寺宝として仏隆寺に伝えられていたが、その由緒に色気を使った人も多かったようだ。色白の寺の奥様は、この茶臼に纏わる土地の古い言い伝えを教えてくれた。
 この茶臼に目を付けた、山向こうの大和松山藩の藩主織田長頼は、ある時茶会で臼を借り、そのままいくら催促しても返さなかったという。すると城内で夜な夜な獣のような声がし、物が壊れる事件が起こった。いつしか、茶臼の獅子が怒って、寺に帰りたいと暴れているのだという噂になり、遂に茶臼は寺に返された。金の繕いは、茶臼が城内で暴れた時、物に当たって出来た欠けの跡だという。
 殿は本当に茶臼に執心だったのか、それとも粗相に気が引けて茶臼を返しにくくなったのか、今となってはわからない。茶臼の獅子が暴れた話は、当時の寺院と領主の関係も垣間見え、面白い伝承だが、うがった見方をすれば茶人の姑息な浅知恵とも見える。実際390年経った今でも、貸した道具を傷物にしたのなんのと、茶人の悶着は尽きないのである。やはり、点前する人の方は全く進化していないらしい。
 その後茶臼は一時寺を離れ、国博(奈良)へ納まっていたが、また戻って現在は本堂の片隅で静かに眠っている。奥様の代になっても、京の茶舗から高額で買い取りたいとの引き合いが来たり、大流派の家元が訪れたりするという。
 上臼と下臼の咬合部分には板が嵌め込まれ、臼を回しても溝は摩耗しないようになっていた。奥様は「回してみますか?」とおっしゃった。引き手を握り、反時計回りに軽く回すと、暗い本堂の隅で唐獅子がゆっくりと踊り出した。漆黒の臼の割れ目から、鮮やかな緑の抹茶がこぼれ落ちる様が目に浮かび、しばし陶然とした心持ちになった。「私がここに嫁いで来てから、まだ一度も実際にお茶を挽いたことはないんですよ」と、奥様は白い歯を見せて微笑んだ。本堂を出、大和茶のお薄を一服頂戴して、ようやく夢から覚めたような気になり、正気に戻った。何のことはない、私もすっかり茶臼に魅入られていたのだ。
 最前から庫裏の軒先に燕が来ては矢のように飛んでいく。軒には去年の営巣の跡も見えている。奥様に「軒に燕が来てますよ」と告げると、「あぁもうそんな季節ですか、燕もかなわんのですわぁ」と顔を曇らせた。糞害かとのんびり考えていると、「巣立ちの頃に、軒先に蛇がぎょうさん来てねえ、雛を頭から・・・」となんともいえない顔で目を細めた。奥様の細い目の奧が無感情に光り、私は茶碗を持ったまま、射竦められたように身動きが出来なくなって、蛇に飲まれる雛となった。