竹ノ幻想 竹取翁茶会跡見
真岡哲夫
深い眠りから、ことりと音がするように目が覚めた。枕元の時計がジジジと低く唸り、文字盤のかぼそい光がシーツと枕を青く染めていた。深閑とした辺りの空気は、夜明けまでまだ時間があることを告げていた。
しばらくベッドの中でじっとしていると、帰国便が昨夜堺の空港に着き、夜中過ぎに京都のホテルへ入って、荷も解かずに寝入ってしまったことをようやく思い出した。
私は真白な羽毛枕を抱き、目を閉じて、再び眠りの闇に戻ろうとした。しかし、海外で長く過ごした私の体は一昨日までの時間を憶えていて、どのようにしても眠ってはくれなかった。寝るのを諦めた私は、窓辺に寄ってカーテンの隙間に身を滑り込ませ、外を眺めた。未明と払暁の境か、鴨川を臨む窓の向こうになだらかな東山の連なりが黒く横たわり、窓の上半分にはやがて明けようとする空が少し明るんで見えた。
思わず、ため息が出た。私が渇望していたのは、この東山のようなやさしい曲線、潤んだ空気だった。乾いた空気、冷涼な空、荒々しい自然の造形の中で三年の海外生活を終え、帰国の手続きをする段になると、これまで思い出しもしなかった、日本の柔らかな山の稜線、瑞々しい緑の匂いがにわかに懐かしくなった。妹が好きだったあの景色を見たいと思ったら矢も楯もたまらず、帰国便を東京から関西に変更して、京都へ向かう事にしたのである。
妹は私の海外赴任中に不慮の事故で亡くなった。三年前私が海外へ、妹が嫁に出ることが決まり、家族で最後の記念旅行をした。その時妹は「枕草子に出てくる春は曙の風景が見たい」と言い出し、親子三人、母と私と妹は三月の京都を訪れた。その年は桜が早く、平安神宮の枝垂れ桜はもう満開に咲いていた。妹は、二条のホテルの東向きの窓にいたく満足し、母や私が寝てしまっても、ソファーを窓際に寄せて、膝を抱えたまま外の闇を眺めていた。
嫁に行った妹は、私が海外に赴任して一年後に、泥酔した男の車にはねられてあっけなく死んでしまった。私が職場を一週間ほど留守にして仲間とナイアガラの滝を見に出掛けている間に、妹はもう骨になって多摩丘陵の墓に入れられた。葬式にも間に合わず、結局私は日本に戻らなかった。赴任先の大学で深夜に一人実験机に座っていると、突然京都のホテルで膝を抱えた格好のまま外の闇を見ていた妹を鮮やかに想い出すことがあった。一人で疲れて実験をしている時に、決まって妹のことを想いだした。想い出されるのは妹の後ろ姿だった。窓に向かった姿からは、妹が悲しんでいるのか心穏やかなのか知ることができなかった。
長旅の疲れのためか、久しぶりに見る日本の風景が新鮮だったのか、私は惚けたように窓辺に佇んで物想いに耽っていた。そうしているうちに山の稜線が刻一刻と形を顕わにし、空はうすらんで漆黒から紺へと明るみを増した。
心なしか眼下の町家から物音が聞こえて来るような気がした。山の麓に、うっすらと永観堂の塔のシルエットが浮かび上がった。私は夜明けを待たずに、身支度をし部屋を抜け出した。
部屋からエレベーターに乗りホテルのエントランスを出るまで、誰にも会わなかった。ホテルの外には、ひんやりとした空気と、夜が明ける前の静けさが待っていた。目の前の鴨川を越え、人っ子一人いない通りを東へ歩いた。岡崎公園へさしかかったあたりで、ようやく新聞を配達する乾いたバイクの音が遠くに聞こえるようになった。半時間ほど歩き、疎水にぶつかって細い道を永観堂前まで進み、東山の裾に辿り着くと、夜はすっかり明けていた。家々が目覚め、軒を並べた小さな建物に人の動く音が聞こえてきた。私はそれを避けて人気のない小径へ進み、疎水沿いの道からいつしか若王子神社へと出た。
犬の散歩が交錯する疎水の小径を横切って人気無い神殿に手を合わせた後、所在なく疎水の小径を歩いていると、流れに架かる小さな橋が目に留まった。人一人がようやく通れるような土橋で、その先は細い山道が東山の山懐へ続いている。向こう岸の橋の袂には、黒い玉石が、少し脇の方に置いてある。石は麻紐で結ばれ、黒い麻紐の結び目に白い露が留まって今昇ったばかりの朝日を受けてきらきらしていた。私は小さな土橋の風情と、黒い玉石に惹かれ、何となしに橋を渡り、東山の奥へと続く山道へ踏み入った。
道は雑木林の中を登ったり下ったりして、奥へ奥へと続いていた。ところどころ視界が開けて、眼下に町並みが見晴らせる場所があったが、やがてそれもなくなると、街の音は急速に遠ざかり、うっそうとした山には鳥や風の音だけが聞こえるようになった。
やがて道は稜線に出て二つに分かれた。左も右も下り坂で、分かれ目に小さな石塔がある。文字が刻んであったが、磨り減って、ようやく「左 □□、右 □□」とだけ読めた。分かれ目に佇んでいると、右の方から冷たい風が吹き上がってきた。右をうかがうと、微かに水音が聞こえて来る。私は迷わず右の道を選んだ。
険しい道は下るに従って水気を帯び、岩や木の根に足が滑った。右回りの道が引き返すような急角度で左に曲がると、水音がにわかに大きくなり、正面に屏風のように立ちふさがる岩壁と白い一条の滝が見えてきた。滝壺からは水煙が果てしなく立ち上って辺りに霧の幕を張っていた。
滝は麓にある神社か寺の霊場とみえる。滝壺の右脇に小さな御堂があり、古びた幟が幾流かはためいていた。道は滝壺の左脇を進み、岩壁に阻まれて止まっていた。黒い岩は、長年水に磨かれてなめらかに光沢を放っていた。私は水を含んだ岩壁に触れてみたくなって、水煙の中を手探りで前に進んだ。手に触れた岩壁はしっとりと冷たく、鏡のようにすべすべとしていた。私は目を閉じ岩壁に顔を近づけると、歩き続けて火照った頬を岩肌にそっと近づけた。そうして誰もいない霧の中で、目を閉じていた。
どれほどの時が経ったころだろう、岩に触れたまま目を開くと、すぐそこに大きな洞があった。岩壁に穿たれた穴は、腰をかがめればなんとか人一人が通れるほどのもので、滝の真裏へ向かって続いていた。そこからは乾いた風が吹き上がっていた。私はこの聖域を侵すことを畏れたが、穴の向こう側を見てみたい気もして、しばらく迷った末とうとう滝裏への口に這い入った。
真っ暗な洞門は緩いカーブを描いて滝の裏を抜け、反対側に達していた。岩穴を抜けると、そこは確かに滝の反対側だったが、私には最前反対側から見た景色とどこか様子が違って見えた。しばらくして、滝の脇にあった御堂が、実は黒木の柱を二本立てただけの簡素な門と、バス停の待合室のような腰掛けだったことに気づいた。門には、畳一畳ほどの竹で編んだ蔀戸が朽ち果ててぶら下がっていた。脇の、屋根と壁がついた腰掛けの足下には丸い石板が敷いてあった。
私は、疲れのせいで幻覚を見た様な気がして、顔を両手でごしごしとしごき、空を見上げてからもう一度回りの景色を見回した。門と腰掛けがある以外に怪しいものは見あたらなかった。念のために腕時計を見ると、針は七時少し前を指していた。
気を落ち着けてみれば、この門も遠目には御堂に見えないこともない。夜中飛行機に乗って睡眠不足な上、今朝も早く目覚め、妹を想い出してつい山に分け入って来たのである。霊場の雰囲気に誘われて目が錯覚を起こしても不思議ではない。
納得すると欲が出て、私はもう少し先へ行ってみたくなった。竹の蔀を除け黒木の門をすり抜けると、木立に覆われた道の奥は暗く心なしか風の音も大きく聞こえた。私は少し気味悪くなったが、それでも時々後ろを振り返りながら坂道を上って行った。道はうっそうとして真っ直ぐに続き、やがてあっけなく尾根に達すると、そこで行き止まりになった。
道の終わりからの景色は、からんとして明るかった。尾根の向こう側は、日当たりの加減か木が生えておらず、隅々まで見渡すことができた。草の生えた斜面はゆるやかに下って盆地になり、その先には雑木林の代わりに竹林が続いていた。明るい景色に安堵した私は故郷に帰るような足どりで草地を下りた。
手つかずとみえた竹林の中には、幾筋も道が通っていた。道の先々に藁を積んだ納屋や豆を植えた畑が見え、どこからか微かに焚火の匂いがしてきた。私は、入ってはいけない山里に踏み入ってしまった気がしてもう戻った方が良いと想ったが、同時に、このような山居に住まう人を一目見てみたい気にもなった。なおも進むと、竹林の一番奥まった辺りに、藁葺きの家が見えてきた。屋根は厚く葺かれ、切妻の一方に庇を下ろしその下には玄関が開け放たれていた。中から今にも人が出てきそうな感じがしたが、私が入り口まで歩み寄っても咎める者は誰もいなかった。玄関前から屋敷裏を覗くと、叩き締められた庭に薪がうず高く積まれ、脇には大きな丸太の切り株に薪割り用の鉈が打ち込まれていた。庭の中央に橘の木が一本立ち、時季遅れの揚羽蝶がゆらゆらと枝にまつわるように飛んでいた。
この家の玄関は農家には不似合に立派で、式台が付いていた。式台には艶の出た煤竹が張ってある。玄関の戸は大きく開け放たれ、中は暗かった。私は式台に膝をつき、一段高い畳に手を付いて、奥をそっとうかがった。家の中はしんと静まりかえって物音一つ聞こえなかった。
式台の奥は三畳ほどの畳敷きの小部屋で、中央に臙脂の古いペルシャ絨毯が敷いてあった。壁に、細身の軸が掛かっていた。掛け軸の中回しの裂地には、金糸で菊の紋が打たれて、暗い中にそこだけが光って見えた。本地には細い短冊が一双表装されていて、白い紙地のみがぼおっと目に映った。絨毯の角には、長方形の箱がぽつんと置いてある。小さな箱には、香炉ほどの大きさの火入れと、竹の灰吹きと、刻み煙草を入れたたとう紙が置かれ、雁首に筋目の付いた煙管が箱の上に添えてあった。
わたしはそれが何であるのかを思い出した。幼い頃、あれは小学校に上がってすぐのことだったが、父が病に倒れ母が付き添って街の病院に入院した。父が亡くなるまでの半年間、私と妹は親戚の家を転々とした。母は父の親戚を嫌い、私を隣村の叔母の家に預けた。叔母の家は食堂を営んでいて、夜には得体の知れない男達が集まり夜中まで酒を飲んで麻雀をした。私は夜な夜な聞こえる酔客の怒鳴り声が恐ろしくて眠れず、ついにある夜、すやすやと寝息をたてる妹を置き去りにして、枕を抱いて近所の伯父の家に逃げ込んだ。しかし伯父の家も客商売をしており、住まいは民宿を兼ねていた。家の中にはいつも見ず知らずの客がいた。ここでも酔った男達が酒が遅い風呂がぬるいと罵声をあげていた。私は二階の一部屋をあてがわれたが、階下から客の怒鳴り声が聞こえるたびに、布団の中で体を震わせ、廊下を通る客の足音を聞くと布団の中に潜り込んで息を潜めた。
臆病な私が安息できるただ一つの場所は、町の外れにあった祖父の隠居所だった。日曜になると、私は村の若い衆に頼んで車に乗せてもらい、彼らが町のパチンコ屋や映画館で遊んでいる間を、山の端の竹林の前に建つ静かな隠居所で過ごした。父方の祖父は町の中心で役場の隣に代々薬局を営む家の主だったが、家業を早く弟夫婦に譲り、どういう事情か一人この山端に暮らしていた。代を譲った弟も亡くなり、薬局には弟の嫁と息子夫婦がいた。祖父の身の回りの世話は、その薬局から人が来てしていた。隠居所でまれに、白い割烹着を着た小母さんが煮豆や桃缶をお膳に載せて出してくれた記憶がある。祖父の家はいつも人気がなく、祖父自身も病院と隠居所を行ったり来たりの生活をしていた。それでも私が来ると祖父は喜んで、布団の中から枯枝のような手を出して私の頭を撫でてくれた。
祖父の隠居所には雨戸を閉ざした一室があり、今思えばそこが茶室であった。ある日私が訪ねると、茶室の雨戸が取り払われ、遠くから腰高障子が白くまぶしく目に映った。普段人気のない茶室にみっちりと人の気配がし、障子の合間から難しい香の薫りが聞こえてきた。私がいつも一人で遊ぶ小部屋には絨毯が敷かれ、そこに煙管の載った小箱と、壁に細い掛軸があった。この日私は一日竹林で遊び、遊び疲れて隠居所に戻ると、ちょうど一座の客が帰るところだった。手に手に風呂敷を抱えた女達が町に向かって帰って行く姿が、夕日に照らされて美しかった。去って行く後ろ姿の、白足袋の動く様が、夕闇の中にまだはっきりと見えていた。その足袋が見えなくなるまで、私は夕陽を背にして竹林の前に突っ立っていた。
隠居所にはちょうど母ぐらいの年格好の着物を着た女の人がいて、びっくりした私に菓子をくれお茶を点ててくれた。その人から、祖父が谷を挟んで町の反対側にある山の女学校で教鞭をとっていたことをはじめて聞いた。祖父は理科を教え、どこで修めたものか女学生に仏の教えと茶の稽古をつけていたという。この日は教え子が開いた最後の茶会であった。今では女の人の顔も声も忘れてしまったが、卵の入ったおぼろ饅頭の黄味と、大振りの土の茶碗に入った茶の緑が、それは鮮やかにまた美味しかったことを忘れていない。私が迷い込んだ竹林の家の佇まいは、あの隠居所の茶会の日に似ていた。
人里離れたこの家では、風流なことに茶会が行われているのだ。この家の主は、よほどの数寄者なのであろう。大昔は、通りすがりの不時の客に釜を掛けていた家があったと聞くが、今ではそんな事をする人はない。
私は式台で靴を脱いで寄付に上がると、煙草盆を手に取ってみた。四寸足らずの火入に据えられた炭は既に真っ白に燃え尽きていたが、灰はまだ微かに暖かかった。この様子では茶会は既に果てたのであろう、私は少し残念な気がした。
煙草盆を見入っていると、襖を隔てた隣の部屋で衣擦れの音がした。人が、さわさわと奥から歩いてきて、襖のすぐ向こうに座る気配がした。私は体を固くして、閉じられた襖の向こうをじっと窺った。しかし、襖は開かれず、着物が畳を滑る音がすると、足音は奥の方へ遠のいて行った。茶会の片づけをしている様子であった。
客ももはやいないようだし、見つかったところで同好の者と言えば許されるのではないか。私は自分勝手に解釈すると、目の前の襖を開き一礼をしてそっと座敷に滑り込んだ。
座敷の中は薄暗く、目が慣れるまでしばらく時間がかかった。部屋の中は伽羅の香りが微かにただよう暖かい空気に満ちていた。やがて床の間に、やや向こうに寄せて竹籠が据えられ、秋草が豊かに盛り込まれているのが見えてきた。力強く無造作に編み込まれた籠は黒光りし、咲き乱れる花々の盛りを受け止めて動じなかった。そこには、ささくれ立った手で赤子を抱きかかえるような靱さと優しさがあった。
床の間に寄って、見事に編まれた竹の手仕事を見ようと花入に屈み込んだ時、傾いだ耳の端に、遠く物音が聞こえたような気がした。ぎょっとして顔を上げるとその音は消えた。しばらくして花籠をのぞき込むと、また音が聞こえてきた。さっきはくぐもったような音だったが、今ははっきりと聞こえる。奥の部屋の方で、若い女が澄んだ声で何かを問いかけ、年老いた女が笑いながらそれに答えていた。時折低い老人の声が女達の笑い声に和していた。籠一杯に盛られた秋草を、若い女と媼が籠に活け、翁がそれを見守っている、そんな情景に聞こえた。若い女の声は、死んだ妹に似ているような気がする時もあり、全く別人のように思える時もあった。ただその笑い声は、滅多に笑わない妹が時折ころころと無邪気に笑った時の声音にとても良く似ていた。笑ってしまった後に恥ずかしそうにうつむく妹の顔が、つい昨日見たように鮮明に思い出せた。
いつしか声もしなくなった。我に返って顔を上げると、暗さに慣れた目が床の掛軸を捉えた。「天地」。無邪気ともいえるような手跡で、天は天らしく、地は地そのものを直裁に顕して他に思うところがない。天から地へ、地から天へ、墨の流れとともに人の想いが通っている。地の肩に打たれた点が、極北に輝く北極星のように天地の要を押さえている。
季は秋。賑やかに盛られた花籠の脇、黒地四方盆に黄肌色の香炉が載っている。蹲る獅子の蓋が脇に侍し、微かな余薫がゆらゆらと天に届かんばかり。花のにぎわいに比して来る秋冬の枯れを思わせ、黒盆に浮かぶ肌の暖かさに救われる。
また襖を隔てて人の気配が来た。襖の前に来て止まり、座った。引手に手がかかれば、こちらに出てこられるのだろう。しかし、襖は開かず衣擦れは再び立ち上がると遠ざかって行った。
目が暗さに慣れて点前座の道具が浮かび上がってきた。風炉釜は大侘びである。板風炉に筒型の古びた釜がかかり、秋冷えの客に火を近づけ手前に風炉釜、赤土色の水指は奥へと遠ざけてある。
風炉釜の前に、深い青磁の茶碗が碧き湖のごとくある。飴色の細身の茶杓が釣り合って載る。その右には、真塗黒棗。黒漆の塗りが透くほど幾世紀を重ねて、青磁の茶碗に出逢った不思議さ。深い秘色と細い線が気高い均衡を保っている。
金銅筋目の建水を下げ、上に茶碗が並んでいる。楽の白茶碗が雪を頂いて聳えている。刷毛目茶碗は高台小さく薄く開いてたっぷりと白泥が掃かれて奥に控えている。白楽の隣には赤絵鉢子。富士の峰向こうに昇る朝日かな。ここにも取り合わせの妙がある。
襖の向こうではまたしても若い女の話し声。茶室の中はただ釜の音。外では竹の葉擦れそよそよと。松か竹か風音にいつしか引き込まれ、私は重くなった瞼を静かに閉じていた。
頭上で鳥が鋭く鳴き冷たい風が首筋を通り抜けた。ハッとして我に返ると、私は滝壺の壁面に顔を押しつけて眠っていた。聞こえていなかった水音が、にわかに大きくなって耳に飛び込んできた。いましがたまで水煙に包まれていた滝壺は、霧が晴れ、滝水は透明なまま放物線を描いて滝壺に落ちていた。明るい日射しに岩壁も乾いている。頭の両脇の壁面を拳固で叩くように当てていた手を放すと、岩の突起に当たった手の平が赤くなっていた。私の顔だけが濡れ、涙とも水煙ともつかない流れがあごに雫をつくっていた。
滝壺の壁面から離れ、念のため滝口の裏をうかがってみたが、そこには穴もなく風もなく、向こう岸へと渡る洞門の入り口は二度と目の前には現れなかった。
その後、関西へ行くたびに東山の辺りを歩いたが、若王子の疎水を何度探しても、黒玉石の置かれた橋掛にも、山奥の滝にも、再び出会うことはできなかった。竹林の藁屋を見たのは、あの時唯一度のことである。
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