京に一夜、旅寝の記
眞岡 哲夫
揺れ続けたジャンボジェットが伊丹空港に着陸した。ターミナルを出ると、外は薄曇り。寒くはない。少し待って乗り込んだ高速バスの中で文庫本を読みふけっているうちに、銀レンガのような京都駅が見えてきた。午後4時。これから明日の朝までぽっかり予定が空いている。さて、どこに行こうか・・・とりあえず、インターネットで前日に予約した宿へ向かう。
ほどなく高倉御池の小さなビジネスホテルに到着。25年前に繊維商社が開業したという。荷物を運んでくれたホテルマンに、前から気になっていた名前の由来を尋ねると、創業者の名「吟右衛門」と、「アッパークラス」と言う意味のフランス語を組み合わせたものだと教えてくれた。なーるほど。
最近、ホテルの部屋に入るとまずチェックするのが、電話線。ノートパソコンにつないで、うまくインターネットに接続できるとほっとする。つながっている安心感がある。メールを読んだりしているうちにお腹がすいてきたので、早速検索サイトから情報を入手。そういえば今日は朝から頭の中を黄色いものがちらちらしている。親子丼だ。でもせっかく京都へ来て親子丼はないだろう!
という理性の声に押され、手桶の器に彩りよく品々を盛った弁当を食べに行くことに決めた。
外は、霧雨だった。御池通り北側でタクシーを拾って東へ。だが、せっかく名指しで乗り付けたのに、岡崎の弁当屋さんは定休日で、店のあたりは灯もなく真っ暗だった。気分も真っ暗。気を取り直して丸太町で車を降り、京阪で四条へ行き繁華街で食事することに決める。券売機で切符を買っていると、改札前のポスターが目に入った。そのうち気をひいたのが二枚。一方は高台寺、もう一枚は清水寺、いずれも夜間特別拝観である。高台寺蒔絵の本歌と傘亭の公開にだいぶ心惹かれたが、結局清水寺の「三十三年に一度の本尊公開」に軍配を上げた。行き先を四条から五条へ変更、今日はなかなか予定通りに進まない。
京阪を五条で降りて、国道沿いをぶらぶらと東へ歩く。雨は止んだが、日も落ちた。ほとんどの店はシャッターを下ろし、たまに開けている陶器屋にも客は一人も入っていない。少し寂しい。どうせならさんざめく四条から行けば良かったかな。
ゆるい上り坂にさしかかり、東大路の交差点が見えてきたころ、間口一間の古い食堂を発見。普段ならやり過ごすのだが、品書きの最後に「親子丼」をみつけた途端、手が自然に麻の暖簾を振り分けた。今朝来の本能の声に負けたのだ。
親子丼を待つ間、色の疲れたテレビをぼんやりと見ていると、お店の人がスポーツ新聞を持ってきてくれた。ニュースを聞きながらスポーツ新聞。ああ、みやびな雰囲気からどんどん遠のいて行く。程なく親子丼が来た。
店の造作から何の期待もせずに箸をつけた親子丼が、期待を裏切ってとてもとても美味しかった。小さいながらみずみずしい味の鶏肉(関西ではかしわというのかな?)に、これも普段はお目にかかれない青ネギ、この両者がふかふかの卵に混ざっている。米の飯も、コシヒカリではないが良いものを使っている。関東人に真似できないのは一振りの粉山椒。山椒といえば箱根の関の東側では鰻にしか使わないが、不思議と親子丼にも合うのだ。香りが味を締めてくれて、さて品代は、さっきのタクシー代より遙かに安い。名もなき食堂にしてこれだけのものを出す。これだから京都は侮れない。
食後、東大路を越えて両側にびっしりと店の並ぶ五条坂にさしかかる。こちらは昼間と見まごうばかりに明るい。どの店にも人があふれ、参道も上る人下る人で混み合っている。道いっぱいに観光バスが通り過ぎ、幟を持った添乗員があちこちで声をからしている。京扇屋、唐辛子屋があり、ソフトクリームの売店、ハンバーガーショップがある。ごちゃごちゃの色や香りを楽しみながらゆっくりと坂を上る。
赤い仁王門の前で特別拝観料四百円を払い、清水寺境内へ。
石段を登っていくとさらに人混みがして、ようやく長い行列の最後尾に達した。看板には「随求堂胎内めぐり・暗闇の中で一点の光明を」とある。背中に「清」一文字の入った白半纏の若い衆が、そこここで人員整理をしていて、行列は遅々として進まない。時刻は午後7時半。閉山まであと2時間はある。どんなに待っても急ぐ必要はないわけだ。
行列待ちをしていると自然に前の人が目にはいる。年若いカップルで、さっきから女の子がスナック菓子を彼氏に食べさせている。彼氏、口に入れてもらった菓子をおとなしく食べている。彼女、ときたま顔を近づけて彼の唇から菓子を奪って食べている。彼女が誤って菓子を落とすと、彼氏が暗い石畳に蹲って落ちた菓子を拾い、黙って自分のポケットに入れた。そのあと二人は、ただ見つめ合って笑っている。仏前の恋愛に合掌。
後ろの人は、姿は見えないが声だけは良く聞こえてくる。妙齢の女性二人連れ。関西弁である。三十三年に一度が四百円に値するかを論じている。
「四百円は高い」
「そやかて三十三年ぶりにご本尊もお掃除せな・・」
議論伯仲のうちに列が進み、随求堂の入り口にさしかかった。そこには「胎内めぐり拝観料百円」の看板が・・・。追加料金に憤慨する後ろの声に私も黙って賛同する。
随求菩薩さんの胎内は本当に真っ暗で怖かった。前のカップルも後ろのご婦人も、そして私も神妙な顔で外に出た。
本堂に行く前に、経堂の写真展をのぞく。京都出身の百人のポートレート展だ。百人の顔を、目を、見た。僧侶・学者・会長よりも、牛蒡作りの名人の方がいい目をしていた。岡部伊都子という人の目が優しかった。
本堂は押すな押すなの大盛況で、デパートの特設会場なみ。三十三年ごとにすし詰めの衆生を見せられるご本尊、千手観音はどんなお気持ちだろう?
音羽の滝を回って再び仁王門へ戻り、北総門からだらだら坂を下って成就院へ向かう。霧雨に水を打たれた石畳の両側に献灯が燈り、右手の池には紅葉がライトアップされて水面に映っている。坂下から微風に乗って甘い練香(ねりこう)の薫りが駆け上ってくる。俗から聖へ、見事に薫りが導いてくれた。
残念ながら感動もここまで。成就院の庭には、観光ガイドよろしく白半纏が出張っていて、あそこは何で、意味はこれこれと、けっこう過ぎたご案内。これぞ「長舌技巧」なるか。お香の功徳も霧消した。惜しい。
山を下り、四条大橋を超えて街に戻る。木屋町のクラシックが流れる喫茶店で、高瀬川のせせらぎをぼんやりと見ながら濃い紅茶を飲み、車を拾って宿へ帰った。
翌朝は思い切り朝寝坊。高倉通りを下り、三条堺町の喫茶店「イノダ」で朝食。京都に来たら必ず一度は寄るところ。昨年火事で全焼し、今年再建された。外構えは以前と何の変わりもない。店内は少し広くなった。ミルクたっぷりの珈琲を飲み、ハムサンドを食べ、新聞に目を通して、また珈琲をお代わりした。京都の旅も終わりに近い。
朝の堺町筋をぶらぶらと歩く。小さな問屋があり、商店があり、マンションがある。錦のアーケードをくぐって老舗の湯葉屋を過ぎると、四条通り。地下鉄で京都駅まではほんの数分。午前9時46分発の「はるか」で関西空港に向かう。都合17時間。料亭なし。土産なし。京に一夜、旅寝の夢の記である。
(筆者は、国際的な若き植物病理学者。北海道在住。湖の本の読者。茶の湯にも音楽にも造詣あり、巧まざるユーモアに豊かな精神の自由を表現できる人である。たぶん独身か。)
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