「e-文藝館=湖(umi)」 古典を楽しむ 投
稿
もり みさこ 愛知県名古屋市在住の主婦 昭和二十三年(一九四八)二月 鹿児島市に生まれる。同志社
大学に文学を学んで中退。 他の掲載作から知れるように香道に親炙、この掲載作も。書き下ろし。伊勢斎王のこ
とを書いた『光源氏になった皇子たち』を上梓している。 11.06.24掲載
五月香の楽し
み
森 未
砂子
第一章 聖別の香
参道の奥、若宮社の方から、神官が伶人(楽人)に呼びかける大音声が響いてきた。振りかえるといつの間にか、厳冬の深夜にもかかわらず、人々はわずかな
明かりを灯しながら、続々と集まっていた。
春日若宮おん祭り。
十二月半ばの、春日の森の闇。深々としたものに包まれ霊気はいっそう強く感じられる。
ただ黙って佇ったまま、遠くで三々五々参集する一般参詣者のざわめきを聞きながら、どのくらい待っただろうか。若宮社では、若宮さまの出御を前に、古代
から続く神秘の作法が繰り広げられているはずだった。
十一時半、懐中電灯を持った関係者から、静謐を守り、携帯の電源を切り、どんな小さな灯りも点けぬように、と最期の注意があった。
その一行が通り過ぎると一帯は漆黒の闇となり、春日の森に古代の夜が甦った。星がいっせいに瞬きを増した。深い木々の向こうの闇の奥には野生のものの息
づかいさえ感じる。此処は、今、太古の時。私は素直に、その時の流れに、身をゆだねていた。
若宮社を出立した行列がようやく闇の中から現れた。
先頭は提灯を提げた制服制帽で身を固めた長身の警邏たち。すぐその後を四人の神官が二本の大松明を曳きずって行く。その跡には松明から燃え落ちた無数の
火の粉が、二本の筋となり、目の前に神道が出現した。そのうしろに続く神官は香桶を提げていたのか、木の枝の焦げる強い匂いに混ざって、清冽な沈香の香り
が流れた。
若宮さまがお旅所へ渡られる神道は、松明の炎と沈香の清冽な香りで聖別されたと感じた私は、目の前の火の道から流れてくる香りと春日の森の霊気を胸一杯吸
い込んだ。
その時であった。闇の中から、砂利道を踏みしめる、ざっ、ざっ、ざっという沓音と、唸り声のような音と共に、真っ白な浄衣に身を包んだ神官の一行が近づ
いて来た。
お渡りである。
榊の枝で若宮さまのご神体を十重二十重に囲み、更にその周囲を白装束を纏った神官たちがぐるっと取り囲んでいる。ぶるぶるぶると森に響き渡る、低い唸り
声のような不思議な音。それは神官達全員が口々に間断なく発する、先払いの警蹕(みさき)の声だった。
神は榊の枝と、神官たちと、彼等の発する神代の声に十重二十重に囲まれてお遷りになっている。私は見えぬ神霊のお姿が今、自分の目の前を通り過ぎてい
らっしゃると、ひしと感じた。鳥肌が立ち、足下から震え、頭をいっそう深く垂れた。神とは自然にほかならない。荒ぶる御魂であり、絶対愛の御魂、豊饒の御
魂それこそ大自然なのだと信じた。
荘厳で神秘的な、あの夜、聖別として焚いた沈香の香りは、香席で聞くいかなる伽羅よりも遙かに深く長く私の中で香った。
第二章 五月香を味わう
古今集三 夏一三九 よみ人しらず
五月まつ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする
初夏、五月になると香席では五月香という組香(香りの相違を聞き分けるゲーム)で遊ぶ。
この組香は柑橘類の樹木の花を総称している花橘を詠んで、香りを見事に歌い上げ、人々に愛唱されてきた歌を主題にしている。
まず、四種類の香木を用意し、そのうち一、二、三と名付けた三種類はそれぞれ四包(香木は一粒ずつ紙に包んでおく)用意し、内一包は試として前もって香
りを覚えておく。他に一種は二包用意する。こちらは前もって記憶せず、客香とする。
始めに一、二、三の香を試に聞いて、それぞれの香りを覚えておく。
さて、問題は一二三を各々三包ずつ計九包を打交ぜ、これを四包と五包の、二つのグループに分ける。
四包の方に前もって香りを覚えていない客の香一包を加え、五包にして、これを再び打交ぜ、順次炷き出す。
後半は、残りの五包に客の香一包を加え、六包にしてこれを打交ぜ、中から二包取り出し、炷き出す。
こうして炷き出した前半五包、後半二包の香を聞き、これが一か二か三か、客か、答を出す。
答は前半に出た客を「花橘」、後半に客がでれば「袖の香」とする。他は一、二、三の数字で書く。
これが五月香の聞き方である。
五月(さつき)は陰暦五月のことで、前半に五包を聞当てるのは五月の意味もあるのかもしれない。客香を「花橘」として加えることで、五月になると夢うつ
つの中、花橘の香が漂ってくる情景が浮かべる。
後半は、残り五包に客香を加え、よく交ぜ、中より二包取り出して聞く。
必ずしも客香がでるかどうかわからない。もし出れば「袖の香」と書く。
この客香の「袖の香」を聞当てると、昔の恋人が袖に焚きこめていた香りを懐かしく思い出すという趣向である。
全部正解の人には点数の替わりに「五月」と書き、また客香を当てた人には褒美として「五月まつ」の歌を記す。
見ることも触ることも、形として表現することも出来ないのが、香り。なのに、陰暦五月のしっとりとした気配の中に低く漂う白い「花橘」の香りをかいだ瞬
間、現実はかき消え、ふいに昔の恋人の「袖の香」の記憶が鮮やかに蘇える。「袖の香」とは各種の香料を練り合わせて袖に染めた薫物(たきもの)のことで、
梅花香、菊花香などがあり、柑橘系の爽やかな花橘香も好まれたことだろう。
橘の花は陰暦五月という、聖なる田植え月、恋人達が逢うことを禁じられている忌み月を待って咲く。その薫りは切ない恋心を激しく喚起したに違いな愛。
「昔の人」は、今は別れてしまった妻や恋人、または死別した人か。いづれにせよ、なつかしい思い出の人。
平安朝の貴族社会では薫物が発達し、好みに従って種々の香料を調合し、これを衣裳や髪などに焚きこめて愛用していたので、薫物から人柄が偲ばれた。 こ
の歌の作者は、花橘の馥郁たる香気をかいで、今は遠い人となった、なつかしい恋人を思い浮かべ、ほろ苦くも切ない思いにひたっている。
こうして「五月まつ」の歌を主題に五月香が生まれたが、昔の香人はそれでも満足できなかったのか、『和漢朗詠集』の「橘花」の段にある、この歌と後中書
王こと具平親王(ともひらしんのう)の漢詩を主題に、「盧橘香」という組香も考案している。
和漢朗詠集 夏 橘花
後中書王
枝には金鈴を繋(か)けたり春の雨の後
花は紫麝(しじゃ)を薫ず凱風(かいふう)の程
(春雨の後、雨の雫に濡れてつややかに光る橘の実は、熟して枝に金の鈴をかけたようだ。その花は、初夏の南風に咲き匂い、まるで麝香を薫ずるようだ)
この詩の作者、具平親王(ともひらしんのう)は、村上天皇第七皇子。博学多才で詩文や書に秀でていた叔父の兼明親王を前中書王と呼ぶのに対し、
詩歌や音律に長じ、陰陽道・医術にも通じた具平親王は後中書王と呼ばれた。親王は一条天皇の時代の第一級の文化人であり、文壇の中心人物であった。
具平親王には「大顔」という雑仕女の愛人がおり、しかも親王に連れ出されて、外出先で頓死するという事件を起こしたこともあり、大顔は夕顔のモデルでは
ないか、そして親王は光源氏のモデルであり、紫式部の恋人であったともいわれている。
このように、組香の主題から、次々に連想が拡がって、古典の世界を遊ぶのも香道の楽しみである。
第三章 花橘
四月、五月になると爽やかな季節の色に染まった風が何かを伝えるごとくに吹き抜ける。
「風の伝(かぜのつて)」という言葉を使いたくなる季節でもある。
だが、青葉を抜ける美しい風の季節は短い。透き通った若葉は日一日、濃い緑に深まっていく。その深い緑の中に見え隠れする白い花たち。
吹き渡る薫風にさざめいていた卯の花は辺り一面雪のごとく覆うように散り、花茨は足下近くにひっそりと咲き、高い梢の先にいきなり人目を奪う白さで多く
の花を付けた夏椿は、呆気なくたった一日の命を苔むした地面に散らす。
初夏の風に吹かれて喜んでいる間に五月は過ぎ、しっとりと重い気配の梅雨の季節へと、緩やかに、行きつ戻りつしながらも、時は流れる。
木々の緑は深く深く色を極め、その生い繁った葉叢の中に、ひっそりと純白の花を咲かせる蜜柑や、柚子の木々。気づかずに通り過ぎようとして、その濃く甘
い薫りにふと立ち止まる。その柑橘系の花々を王朝人は花橘と呼び、陰暦五月を橘月とも呼ぶほどに橘を愛した。
五月まつ花たちばなの香をかげばむかしの人の袖の香ぞする
「五月待つ」といっても爽やかな初夏の風が似合う季節ではない。
陰暦の五月、いまでいえば六月の初旬、梅雨に入って、空気がしっとりと重くなった中に咲く花橘。その季節になると、その花の香りによく似た香(こう)を
薫きこめた着物をまとっていた恋人のことを頻りに思い出だす、と詠う。
目に見ることも触ることも出来ない香りを鮮やかに掬い上げ、昔の恋人への切ない追憶を情感深く、官能的に詠いあげて、印象深い。
この歌が本歌となって数多くの歌が生まれ、「花橘」といえば「昔の人(恋人)」「袖の香」と結びつけられるようになり、また多くの名歌を生む言泉となっ
た。
斎王として忍恋や夢の歌を多く残された式子内親王にこういう一首がある。
新古今和歌集 式子内親王
かへり来ぬ昔を今に思ひ寝の夢の枕に匂ふ橘
もう二度と戻ってくることはかなわない。昔に戻る術なんてありはしない。そんなことはわかっている。でも、だからこそ、尚更、かえり来ぬ昔と思えばこそ
懐かしさも恋しさもまさって、その人の夢を見る。夢の中で、昔は戻った。昔を、取り返せた。だが、目が覚めて、その夢に見たうつつの昔が消えた時、枕辺に
匂うのは、あの人が焚き込めていた袖の香に似た橘の香りだった。
橘の花のあのしっとりと甘い香りで目覚めたのか。それとも、目覚めの枕辺にまず匂ったのが橘の花の香りだったのか。
後白河院の皇女で、斎王として感受性豊かな十歳から二十歳までを賀茂の神に仕えた式子内親王は磨き抜かれた言葉で、夢うつつのあわいを、かくも美しく切
なく詠った。
新古今和歌集 俊成卿の女
橘の匂ふあたりのうたた寝は夢も昔の人の袖の香ぞする
昔、深く愛し合った人が懐かしく、せめて夢の中ででも逢いたいと、昔の人に逢えるという橘の花の香りが匂う辺りでうた転たね寝をしていた。すると夢の中
で、ほんとにあの人に逢えた。昔に戻った儚い逢瀬。その時、やはりあの人は、昔のままのあの花橘のお香を衣裳に焚き込めていた。夢の中で、あの人の着物か
らは昔のままの袖の香が薫っていた。
俊成卿女(俊成卿のむすめ)と彼女の歌を上手を愛でて、世間が称しているが、実は俊成の孫で、養女となったもの。母が八条院三条といい、俊成の娘であっ
た。俊成卿女は宮内卿と共に新古今の新世代を代表する女流歌人として名高い。
鴨長明は『無名抄』で、
「今の御代には、俊成卿女と聞こゆる人、宮内卿、この二人ぞ昔にも恥じぬ上手共成りける。歌の詠み様こそことの外変りて侍れ。人の語り侍りしは、俊成卿女
は晴の歌よまんとては、まづ日を兼ねてもろもろの集どもを繰り返しよくよく見て、思ふばかり見終りぬれば、皆とり置きて、火かすかにともし、人音なくして
ぞ案ぜられける」と評し、保田與重郎は『日本語録』の中で、
「幽玄にして唯美な作として、俊成女ほど象徴的な美の姿を、ことばで描き出した詩人はなかった。俊成女の創り上げた歌のあるものはただなんとなく美しいも
ののやうで、その美しさは限りない。かういう文字で描かれた美しさの相を見ると、普通の造形藝術といふものの低さが明白にわかるのである。音楽の美しさよ
りももつと淡いもので、形なく、意もなく、しかも濃かな美がそこに描かれてゐるのである。驚嘆すべき藝術を創った人の一人である。」と賛辞している。
第四章 伊勢物語
「五月まつ」の歌の歌以降、花橘は懐旧の情、それも特に、昔の恋人への心情へと結びつけられ、この歌を本歌に多くの派生歌が詠まれた。
そしてこの歌は、何よりも『伊勢物語』の作者の気持ちを揺すぶり、男と女の切ない恋物語の短編を書かせることになったのではないだろうか。
『伊勢物語』 六十段 「五月まつ」
むかし、おとこありけり。宮仕へいそがしく、心もまめならざりけるほどの家刀自、まめに思はむといふ人につきて、人の國へいひけり。このおとこ、宇佐
の使にていきけるに、ある國の祗承(しぞう)の官人の妻(め)にてなむあるとききて、「女あるじにかはらけとらせよ。さらずは飲まじ」といひければ、かは
らけとりて出したりけるに、肴なりける橘をとりて、
五月まつ花たちばなの香をかげばむかしの人の袖の香ぞする
といひけるにぞ思ひ出でて、尼になりて、山にぞ入りてぞありける。
(日本古典文学大系)
「男は仕事という戦場で戦い抜き、家族を守る。女は家で気楽なものだ」と男達は言う。
男は仕事を生き甲斐に、公務だ、やれ仕事上の付合いだ、はては街の女たちとの遊びさえ、「あれも、これも仕事の内。男の甲斐性」、と女との生活を顧みな
かった。
女は、美しく粧って几帳の陰で待った。何時訪れるかわからない男をただひたすら待っていた。
そんな女に若い男が「貴女を心から愛しています。私なら、貴女をほってなんかおきませんよ」と言い寄ってきた。
女は揺れた。
若い男について行こうか、否か。迷った。迷った末、男に言った。
「待つのはいつも私。待つのに疲れたわ。別れたいのです」と。
女は、男の気を引くために拗ねてみたかっただけかもしれない。女は、あの時、男に叩かれてもいいから引き留めて欲しかったのかもしれない。
しかし、男は怒って女を引き留めることをしなかった。まるで待ってましたとばかりに、
「そうか。そうしたいのか。それでお前が幸せになるのならば、好きにするが良い。俺は引き留めないよ」と、あっさりと別れてくれた。
結局、女は深い愛を示す若い男について地方へ下った。
慎ましくも穏やかな日々。
一方都では、朝廷から宇佐神宮へ勅使が派遣されることとなり、出世した男が勅使に選ばれた。
勅使は宇佐への旅の途中、道中各地で接待を受ける。自分の許を去ったかつての妻が言い寄った男と暮らしている土地にも立ち寄ることとなった。
しかもかつての妻を連れ去った若い男が、その地方の官として勅使一行の接待役となっていた。
昔の男は、接待役の今の男に、「そなたの女房を侍らせ、酒の酌をさせよ。他の者は下がれ。さもなくば接待は受けぬ」と命じた。
勅使の仰せである。接待役の男は、妻を侍らさぬわけにはいかない。
こうして今は下役の妻となった女は、事情もわからぬまま、召し出された。都からの勅使の接待という大役に、女は、なぜ、わたしが、と訝るよりも、久しぶ
りに味わう都からもたらされた薫りを感じ、晴れがましさに緊張した。
顔を隠すように扇を翳し、しずしずと伺候した。そして目を伏せ、淑やかに酒壺を取り上げ、勅使の差し出す盃に酒を注いだ。さっと風が吹いた。一瞬、都
の、昔の男の顔が眼前をかすめた。
勅使は、盃を差し出したその白い、小さな手が震えているのを見逃さなかった。
(「この女、この俺を誰だか判っているのか。それとも突然、都から来た高官の接待を命じられ緊張しているのか」)
男は懐かしさと切なさ、そして自分を捨てた女への軽い復讐心もあったのだろう。盃を飲み干すと、酒の肴に添えてあった橘の青い実を手にして、
「五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする、か。・・・良い歌だ。まさに私の心の内を詠った歌だ。・・・五月を待って咲く橘の花の芳しい匂いをかぐ
と、去っていったお前の着物に薫き込めていた、なつかしい香りが蘇ってくる。この季節になると花橘の香にあの頃のお前が重なって胸が締め付けられる・・・
今もあの頃と同じ、袖の香を薫きこめているんだね。・・・あの頃だって、俺は俺なりにお前を愛していたんだよ」などと、女の顔を正面に見据えて、残酷なこ
とを言った。
思わず扇を落とした女。目を合わしたふたり。
女はひどく動揺した。途惑いと懐かしさ。こみ上げてくる恋しさと怨み。
だが、もう昔に戻ることは出来ない。決してできない。だけど、久方ぶりに逢った男を見た瞬間、その不可能を、願う女。不可能と知りながら、どうしてこん
なに切ないのか。
「今更、そんな酷いことを」と、小さな叫び声をあげながら、潤んだ眸で男を見つめた女。女の眸は昔の男に積年の思いを告白していた。
「あぁ、わたしは、一日だって、貴男を忘れたことはなかった。出て行くと貴男に告げたあの時でさえ、わたしは、引き留められたいと願っていた。そして、新
しい男の妻となって都を去ってからも、いつもいつもこの時を、貴男が現れるのを渇望していた。胸の裡は迷いと悔いの葛藤だったのに・・・」
女は、自分の内に潜む抗いがたい魔性をはっきりと知った。
次の瞬間、女はすっと立ち上がると音もなく部屋を出て行った。後には、ねっとりとした重みさえ含んだ女の焚き物の残り香と、初夏の庭に咲く、あの濃厚な
花橘の香りとが漂っていた。
翌朝、男は宇佐へ旅発った。見送りの中に女の姿はなかった。
後に伝え聞いたところによると、堪えられなくなったのか、女は今の夫をも捨て、遂に髪を下ろし尼寺にはいってしまったという。
『伊勢物語』のこの「五月まつ」の段の主役は香り。
見ることも触れることも、形として表現することも出来ない香り。なのに、陰暦五月の湿り気を含んだ、しっとりとした気配の中に低く漂う橘の白い花の香り
をかいだ瞬間、現実はかき消え、その香りにつながる過去や追憶が鮮やかに蘇る。香りの持つ摩訶不思議なこの存在感をあますことなく語った段である。
この物語が生まれ、「五月まつ」の歌は一層深く、広く人々に愛唱されることになり、香道の「五月香」が作られるきっかけとなったのではないだろうか。