招待席


こじま としろう 京都祇園会の鉾町、百足屋町に生まれた優れた建築家であったが、平静四年1992年に享年四十二で惜しく も夭折された。多くの調査研究、建築設計の他に執筆活動も豊かであった。この「善財童子さま」は京ことばでもともと書かれ、さらに標準語にもされている。 編輯者には京ことばの原作がおもしろいが、かなりの脚注がほどこされているのは、その必要があるわけで、ひろい読者のことを考慮し、まずは標準語版を此処 に戴いた。優れた文藻文才を惜しみ、詩人で叔父に当たる木島始氏らの尽力で遺作集『森の精ホテルで』が刊行されている。夫人、また木島氏のお許しがあり、 も う何編かをぜひ掲載し世界に発信したい。 01.07.17 祇園会に掲載   (秦 恒平)



  善 財童子(ぜんざいどうじ)さま  

          小島 敏郎
 
 

 サラの木が、サワサワと、風にそよいでいました。林の中は、ひんやりとして、いいき もちでした。 
 インドの、むかしむかしの、お話です。
 近くのガヤ村には、ぜんざい(四字に、傍点)という、こどもかいました。林 の中のことなら知らないことはないのですが、今日は、びっくりしました。いままで見たこともないほど、大ぜいの、お坊さんかおられたのです。やがて、村の 人びともやってきて、サラの林は、人でいっぱいになりました、おしゃかさまのお弟子の、文殊(もんじゅ)ぼさつさまが、お話をされるのです。ぜんざいも、 いっしょにすわって聞きました。
 やさしい声でした、ぜんざいには、むつかしすぎましたが、最後に、こんなこ とをおっしゃいました。
「たとえば、池に、ひっそりさいている、ハスの花をごらんなさい。その、ひと つひとつの花の上にも、ほとけ(三字に、傍点)さまか、すわっていらっしゃるのです。でも、それが見える人は、りっぱな人だけです。いろんな勉強をし、正 しい行ないをして、世の中の人のためになるように、なったとき、初めて見えてくるのですよ。」
 ぜんざいは、また、びっくりしました。林の中のことなら、なんだって知って いるつもりでした。
「でも、ハスの花の上に、そんな人がいたかしらん。」
 ぜんざいは、人がきをくぐりぬけ、林の小みちを走って、ぜんざいだけしか知 らない、小さな池にでました。その水面には、まっ白なハスの花が、たくさんさいていました。ぜんざいは、その、ひとつひとつの花を、よく見ました。やっぱ り、花の上に、ほとけさまなんか見つかりませんでした。ぜんざいは、池のほとりに、すわりこんでしまいました。
 池は、こわいほど静かでした。
「りっぱな人になったら見えるのかなあ。」
 ぜんざいが、そう思いながら林の中へもどっていくと、お話が終ったのか、大 ぜいのお坊さんが、こちらへやってきました。その中に、文殊さまも、いらっしゃいました。
「文殊さま。どうしたら、わたしもりっぱな人になれるでしょうか。」
 と、ぜんざいは、たずねました。
 すると、文殊さまは、
「よくたずねました。その、りっぱな人になりたいと思うことが、いちばん大切 なことですよ。あなたは、りっぱな人のところへ行って、どうしたらよいかを、ていねいにお聞きし、教えられたとおりに、いっしょうけんめい努力して、世の 中の人のためにならなければなりません。南の方に、カラクという国があります。そこの、クドクウンという、お坊さんにお聞きなさい。」
 と、教えてくださいました。
 ぜんざいは、大よろこびで、南の国への旅にでました。

   *

 それは初めての、つらい旅でした。ひと月も歩いて、やっとのことで、ぜんざいが、そ のお坊さんをさがしだすと、
「どうしたら、りっぱな人になれるでしょうか。」
 と、たずねました。すると、そのお坊さんは、
「よくたずねられた。わしも、りっぱな人になって人びとを救おうと、修行をし ておるが、やっと、どうしたら、良いことと悪いことの見わけがつくかがわかったぞ。どんなうそをついても、お見とおしじゃ。わしは、そのことを教えてしん ぜよう。じゃが、りっぱな人になるには、わしも、もっともっと修行せねばならん。南の方にジザイという国がある。そこのミガという先生なら、きっと、ほか のこともよく知っとるじゃろう。」
 と、教えてくださいました。
 ぜんざいは、いっしょうけんめい良いことと悪いことを見わける方法を学んで から、お礼をいって、また南への旅にでました。

   *

 三百里も歩いて、やっとのことで、その先生をさがしだすと、ぜんざいは、
「どうしたら、りっぱな人になれるでしょうか。」
 と、たずねました。すると、その先生は、
「よくたずねたね。先生も、りっぱな人になって、みんなに教えてあげようと、 いろんなことばを勉強してるんだが、やっと、どんな国のことばでも、どんなけものや虫、どんな草や木のことばでもわかるようになったよ。アリさんのお話 だって、タンポポの歌だってわかるんだよ。先生は、それを教えてあげよう。でも、ほかのことは先生もまだ勉強中だ。そうだ、南の方に、バラモンという行者 がいる。かれに教わってごらん。」
 と、おっしゃいました。
 ぜんざいは、いっしょうけんめいに、ことばということばを学ぶと、また旅に でました。

   *

 やっとのことでバラモンをさがしだしたとき、かれは苦しい行の最中でした。かたな、 などの、はものでできた高い山の上から、燃える火の海へ飛びこもうとしていたのです。
「どうしたら、りっぱな人になれるでしょうか。」
 と、たずねますと、バラモンはいいました。
「ちょうど良いところへきた。おまえさんも、この、はものの山に登って、火の 海に飛びこむがいい。」
 ぜんざいは、びっくりしてこう考えました。
「りっぱな人になることは、むつかしい。これは、きっと悪魔が、わたしのじゃ まをして、殺そうとしているんだ。」
 すると、大空から、たくさんの天女が、口をそろえていいました。
「悪魔なんかじゃありません。あなたはきっと、こわがっているんだわ。」
 ぜんざいは、はずかしくなって、バラモンにおわびをし、りっぱな人になりた い一心で、はものの山から、火の海へ飛びこみました。
 するとどうでしょう。ちっとも熱くはありません。なんだかいいきもちです。
 バラモンは、いいました。
「ぜんざいよ。おまえさんは勇気と、一心に思いをこめたときの強さを学んだ。 おれにはもう教えることなんかなくなった。南へ行って、ミタラという女の子に会いなさい。」
「女の子なんかに会って、なんになるのかな。」
 と、思いながら南へ行くと、大きな宮殿がありました。みると宮殿には宝石が ちりばめてあって、数えきれないほどたくさんの、むかしの、りっぱな人の絵がありました。ミタラはそこのお姫さまでした。
「どうしたら、りっぱな人になれるでしょうか。」
 と、たずねると、お姫さまはいいました。
「ねえ見て、この絵。わたしったら、なん回もなん回も、生まれかわって、この 人たちみんなに会ってきたのよ。そうして、いっしょうけんめい練習したわ。あなたにも教えてあげるわね。」
 ミタラ姫が教えてくれたのは、いろんなじゅもん(四字に、傍点)でした。頭 がよくなるじゅもん。だれの考えていることでも、わかってしまうじゅもん。病気をなおすじゅもん。おぼれている人を助けるじゅもん。とうめい人間になる じゅもん。どんな願いでもかなえるじゅもん。ただ、ムニャムニャムニャーというだけでいいのです。世界をほろぼすじゅもんなんて、こわ一いのも、あるんで すよ。
「でも、ほんとうに、りっぱな人になるまでは使っちゃだめよ。ずっと南に住ん でるジザっていうお姉さんにも会っていきなさいね。」
 って、最後にお姫さまは、いいました。

   *

 少し行くと、また宮殿がありました。ところが、こちらの宮殿は、ふつうの木ででき た、あっさりしたつくりで、たいそう大きいのに、中は、がらんどうでした。そうして、まん中に若い女の人が、ぽつんと、ただひとりすわっていました。
 着物は、つつましく、道具といったら、おわんがひとつ、前にあるだけでした が、その女の人は美しく、やさしい人でした。
「どうしたら、りっぱな人になれるでしょうか。」
 と、ぜんざいがたずねると、女の人は答えました。
「よく、たずねましたわね。わたしは、人に物をほどこすことができるの。着物 でも、かみかざりでも、家具でも、わたしの持っている物ならなんでも、人にあげました。最後にひとつ残った、このおわんからは、中から、いくらでも、ごは んが出てくるので、百人、千人は、おろか、世界中の人びとに、食べ物をさしあげることだって、できるのよ。わたしは、世界中のこどもたちが、おなかをすか せて死んじゃうことがないように、したいと思っているのよ。」
 ぜんざいは、こうして、よくばらないで、みんなに物をあげることを、いっ しょうけんめいに学びました。そうして、つぎに、マンゾク王に会うように、いわれました。

   *

 ぜんざいが、これまで会った人びとのことを思いだし、教えられたことを考え、感謝し て、南へ南へと歩いておりますと、大きな国に着きました。
 王さまは、ちょうど、お仕事中で、裁判をしておられました。
「おまえは、なにをしたのだね。」
「はい、王さま。わたしは人をなぐりました。でも、それは相手が先に、けった からです。」
「人をなぐってはいけないという、この国の法律を忘れたのか。なぐった方の手 を切ってやる。ついでに、先にけったやつの足も切れ。」
 と、目の前で、ひとりは手を、ひとりは足を切られました。
「つぎのものは、なにをした。」
「はい、王さま。わたしは、ただ、そのう、おじぎをするのを忘れただけで す。」
「よし、おまえは、おじぎをしなかった、その首を切ってやる。」
 と、目の前で、首を切られました。つぎのものは、いねむりをしたので、両目 をえぐられました。火をちゃんと消さなかったものは、熱い灰の中に投げこまれました。おねしょうをしたものは、そのふとんにくるまれて、油をそそぎ、火を つけられました。それはそれは恐ろしい裁判でした。
「これは、王さまのほうが、もっと悪ものにちがいない。こんな人が、どうし て、りっぱな人なものか。」
 ぜんざいが、こう思っていると、また天女たちか、口をそろえていいました。
「悪ものなんかじゃ、ありません。あなたは人の、ほんとうの心が、まだわから ないの。」
 そこで、ぜんざいは、王さまのところへ行って、たずねました。
「どうしたら、りっぱな人になれるでしょうか。」
 すると、王さまは答えられました。
「よくたずねた。わしは、正しい行ないと、人を、いましめることを学んだ。 さっきの、つみびとたちは、じつは、みんな、わしが作ったロボットじゃよ。人間そっくりのロボットに悪いことをさせ恐ろしい裁判をすれば、それを見た人間 は、みんな、もう悪いことは、しなくなるのじゃよ。わしは、アリ一びきだって殺しゃせんぞ。いきものの命は、みんな大切じゃぞ。」
 そこで、ぜんざいは、王さまから、正しい行ないと人をいましめることを学ん で、さらに南への旅をつづけました。

   *

 こんどは大きな海にでました。そして、王さまから教わった、船乗りを見つけだすと、
「どうしたら、りっぱな人になれるでしょうか。」
 と、たずねました。
「ようこそ、ここまでおいでなすった。まあ、おいらの船に乗んなせえ。海のこ となら、だれにも負けないよ。世界中の港を知ってるし、どこに宝島があって、どこに人を食う、ばけものが住んでいるか。どこの海の底に恐ろしい竜が住んで いて、どこに危ないうずが巻いているか。海の色、空の色で、あらしがくるか、たつまきがおこるか。太陽に月、星座を見れば、いま自分が、どこにいるかだっ てわかるさね。だから、長い船旅だって、こわくは、ないのさ。まあ、生れてから死ぬまでの人生の旅だって同じことさね。努力して知識を深め、しんちょうに 行動して、たえず自分がどっちに向いているか、わかったなら、かならず、りっぱな人になれるさね。さあ、着いたぜ、ぜんざいさん。」

   *

 海の上に、岩にかこまれて、そびえる山は、フダラカ山(さん)。あたりは美しい花に おおわれ、おいしそうな、果物のなる木がいっぱいです。森の中には泉がわき、すてきな香(かおり)のする草をわけて、小川が流れ、美しい沼にそそいでいま した。
 ぜんざいが山を登っていくと、涼しそうな岩かげに、たくさんの美しい着物を きた人たちが集まっています。みると、それぞれ、みごとな宝石の上にすわっています。まんなかでダイヤモンドより固い宝石の上に、足を組んですわり、お話 をしておられるのが観音さまでした。手には楊柳(ようりゅう)という、やなぎの小枝を持ち、近くに薬びんを置いておられました。
 ぜんざいは、ていねいに、おじぎをしてたずねました。
「どうしたらりっぱな人になれるでしょうか。」
 観音さまは、やさしくお答えになりました。
「よくたずねてくれました。わたしは、いつもわたしのことを信じてくれている 人なら、どんな悩みを持っていても、『かんのんさま!』と、わたしの名前をよべば助けてあげようと、ちかいをたてました。どこへでも、すぐに飛んでいっ て、なんにでも変身し、やさしい声をかけ、ときには強そうな姿をして、光の輪でつつんで、人びとを救います。危険なめにあったとき、熱病におかされたと き、しばられ殺されそうになったとき、貧乏、あらそい、死、悪もの、愛や憎しみなど、どんな悩みや恐ろしさからも救ってあげるのです。」
 ぜんざいは、よろこんで、人を救うということを、いっしょうけんめい学び、 また、旅にでたのでした。

   *

 ぜんざいは、まだまだ、たくさんの人に会いました。たくさんのことを学びました。そ うして、南へ南へと旅をつづけたのでした。
 あるときは、大きな川の川ぎしで、砂あそびをしている男の子に会いました。 その子は、川のぜんぶの砂つぶの数を数えることができたのです。ぜんざいは、その子から、ふしぎな算数を教えてもらいました。
 またあるときは、おばあさんに会いました。むかしのことは、ぜんぶおぼえて いて、けっして忘れない方法を教えてくださったのでした。
 たくさんの、お金持ちにも会いました。どんなほしいものでも、空から降らせ る方法を教えてくれた人。反対に、自分が少しのものしかなくても、いつもじゅうぶんに満足したきもちでいられる方法を教えてくれた人。どんな病気でもなお せる薬の作り方を教えてくれた人。どんな悩みを持ち、ゆううつな人でも、たちどころに、いいきもちに、幸せにしてしまう香水の作り方を教えてくれた人。
 ある王さまからは、ふしあわせな人、貧しい人をかわいそうに思い、心から愛 してあげる、いつくしみの心を学びました。
 たくさんの、夜空の女神さまにも会いました。人びとが夜空を見あげるとき、 その日、良いことをした人には、やすらかな心を、悪いことをした人には、いつくしみ悲しむ心をおこさせることを学びました。また、いっしょうけんめい、行 ないを正しくして、夜には、光あふれる美しい国ぐにや、人びとの夢を見ることを学びました。
 ぜんざいが、お会いした人は、とうとう、ぜんぶで五十人にもなりました。そ して、五十ばんめの女神さまは、南へ行って、弥勒ぼさつ(三字に、傍点)さまに会うようにいわれました。

   *

 弥勒(みろく)さまの宮殿は、暗い林の中に高くそびえていました。門のとびらは閉 まっていましたが、弥勒さまは、ちょうど外から帰ってこられました。そして、ぜんざいを見ると、こうおっしゃいました。
「よくここまで、たどりつきましたね、ぜんざい。あなたは五十人もの人に、い ろんなことを学んで、とうとうここまで、来ることができました。それは最初に、りっぱな人になって世の中のためになりたいと、固く、心に願ったからです。 その強い決意があなたを守り、ここまでつれてきてくれたのですよ。あなたは、たくさんのことを学んで、身につけました。さあ、これからわたしの宮殿に入れ てあげよう。」
 弥勒さまが、右の指をポンと、はじかれると、門は自然に開き、ぜんざいが中 へはいると、門は閉じました。
 ぜんざいは、思わず、まばたきをしました。宮殿の中は、外からは思いもつか ないほど、広く、明るく、キラキラ光っていました。ルビーや水晶、エメラルドなどの宝石でできた宮殿には、黄金の鈴の音(ね)が、たくさんの美しい鳥の声 といっしょになって、ひびきわたり、あたりいちめんに、香水のにおいがして、空からは、いろんな花びらが舞い散り、数知れない玉の光が、すみずみを照して いました。窓の外を見ると、空は晴れわたってかがやき、同じような宮殿が、なん万となく、つながっているのが見えました。ぜんざいは、うれしくなって、お どりあがり、やがて、心がやわらぐと、頭の中まですっきりしました。
「ぜんぶの宮殿へ行ってみたい。でも、どうしたら行けるのかしら。」
 と、ぜんざいが、ふと考えますと、たちまちぜんざいに、なん万もの分身がで きて、ぜんぶの宮殿に、ひとりずつの、ぜんざいがいました。
 その宮殿のひとつひとつが、ひとつの世界になっていて、弥勒さまや、おしゃ かさまのような、りっぱなかたが、それぞれお生まれになって、りっぱな人になりたいと思いたち、いろんな苦労をされて、りっぱな人になり、ふしぎな力で世 の中の人びとを助けられるようすを、ひとりずつのぜんざいが、ひとつひとつ見て学ぶことができたのでした。
「見ましたか、ぜんざい。りっぱな人たちのふしぎな力が見えましたか。」
 と、弥勒さまの声がしました。
「はい、見ました。」
 たくさんのぜんざいが、口をそろえて答えますと、また弥勒さまの、指をポン と、はじく音がして、いつのまにか、ぜんざいは、ひとつの体になって、宮殿の門の外にいました。
 まるで、夢のようなできごとでした。竜宮城の浦島太郎が、少しと思ったあい だに、百年をすごしたのと、ちょうど反対に、なん百年をすごしたつもりが、ほんの少しのあいだのできごとだったのです。
 弥勒さまが、最後におっしゃいました。
「ぜんざい。あなたに、宮殿の中のすばらしい世界が見えたのは、宮殿がすばら しいからではありません。あなたが、すばらしく見ることができるほど成長したのですよ。あなたは、もうすぐ、りっぱな人になれます。さあ、早く帰って、文 殊さまに、このことをお伝えなさい。」

   *

 文殊さまのお名前を聞いて、ぜんざいは、ふっと、ふるさとのことを思いだしました。
「南へ南へと旅をして、とうとう、こんな南の国まで来てしまった。ああ、早く 帰りたい。」
 と、そのとき、とたんに、目の前に、文殊さまが表われ、あたりは、見おぼえ のある、ふるさとのけしきになりました。
 そこは、ぜんざいが育ったガヤ村です。でも、いままで見たこともないほど空 は透きとおって青く、木は緑にかがやき、家も人びとも、きれいに見えました。まるで、まだ弥勒さまの宮殿の中のようです。
「ようこそおかえり、ぜんざい。あなたはりっぱに長い旅を終え、すべてのこと を学びました。あっというまに帰ってこれたのも、あなたの村が前より美しく見えるのも、あなたに力がついたからです。もうどこへ行こうと、なにをしよう と、思うままにできますよ。」
 文殊さまが、こうおっしゃると、ぜんざいは、ただもう、うれしくて、なみだ を流していいました。
「ありがとうございます、文殊さま。おかげさまで、さまざまなことを学び、さ まざまな力をつけることができました。このうえは、さらに努力して、りっぱな人になって、世の中のためになりたいと思います。」
「よくぞ、いいました。ぜんざい。その、りっぱな人になって、世の中のために なりたいという、強い心が、あなたをここまで成長させたのです。さあ、普賢ぼさつさまが、あなたをずっと、お待ちだったのですよ。」

   *

「普賢(ふげん)ぼさつさま。」
 と、ぜんざいがつぶやくと、とたんに明るくなって、そこは、おしゃかさまの おられる、ギオンショウジャというところ。光の輪につつまれた、おしゃかさまの、右には普賢さま、左には文殊さまがおられ、まわりには大ぜいのお弟子さま がおられました。
 普賢さまが、おっしゃいました。
「待っていたのですよ、ぜんざい。苦しいことに負けずに、長い旅を終えまし た。この大ぜいのお弟子の中でも、ほんの少ししか学んでいない人には、わたしの名前は教えてもらえない。まして、わたしの姿は見えないのだよ。あなたに は、もう見えますね、ぜんざい。あなたは、もう、りっぱな人です。今日からは、ぼさつ(三字に、傍点)という、おしゃかさまのお弟子になって、いっしょに 学びながら、世の中の人びとのために、はたらくのですよ。」
「ありがとうございます、普賢さま。」
 ぜんざいが深くおじぎをして、ふりかえりますと、前に池があって、ハスの花 が、いっぱいさいていました。ひとつひとつ、よ一く、見ました。が、花の上には、やっぱり、ほとけ(三字に、傍点)さまは、おられませんでした。でも、ハ スの花は、とってもきれいでした。池も林も空も、見れば見るほど、まえに見たこともないほど、きれいに見えました。そして、ぜんざいの心の中まで、すっき りしました。
「ほとけさまが見えるって、こんなことかもしれない。」
 と、ぜんざいは、にっこりほほえみました。
 こうして、善財童子さまの、長い長い旅は終りました。
 めでたし、めでたし。                          (1980年8月発行)
 
 

    あとがき
 

 恋人を連れ去られた善財(スダナ)王子が、いろんな人 に尋ねて南へ南へ追いかけていくという、恋物語がインドの古典民話にありますが(筑摩書房『原始仏典』中村元)、おそらくそれらを基に仏教説話が創作さ れ、インドにおいてある大乗仏典の中に編入されました。これが中国に伝わり漢訳されて華厳経(けごんきょう)と呼ばれました。華厳経は法華経(ほけきょ う)と同様に仏典の中でも古く、中国華厳宗の基となり、禅宗にも多大の影響を与えています。
  善財童子様の説話は、この華厳経の結文(けつぶん)として、〈入法界品(にゅうほっかいぼん)〉という最後の長い章にまとめられ、難解な教理を、善財童子 様を主人公とした物語に仕立て直したものです。ここでは、悩み多い世の中から救われるには、修行をして悟りを得、菩薩(ぼさつ)になると同時に、人びとの 救済をしなければならないと説きます。これが後の禅宗ですと、悩みぬいた上で一切を忘れること(無)によってのみ、一転、悟りの世界に入れると教え、悟り への道は言葉にできないと教えます。が、逆に華厳経では、悟りの世界を言葉を尽くして歌いあげ、どんなにすれば悟りに至るかを、こと細かに段階を追って説 きます。それは仏典の中でも極めて華麗かつ途方もなく広大で、路端の花から宇宙の塵の一つ一つまで仏が満ちみち、かつ全宇宙が巨大な仏そのものであると考 え、これを教えるために奈良の大仏もできたのです(東大寺は華厳宗)。本当の悪人はいない。なぜなら、すべての人の心の中には仏が眠っているから。だれも が勤勉に働き、努力することによって何かを教えうる師となれる。そして善財のような子供でも、堅く決意して師を訪ねれば、段階を追って悟りの世界に入り、 本来の美しい世界に目覚め、また人びとを救済することによって偉い人(菩薩)になれると説くのです。
 したがって、中国や日本において 華厳経が広まった時期には、善財童子様は民衆の人気者であったようで、東海道の〈五十三次(つぎ)〉や武芸の〈指南(しなん)〉という言葉の語源となり、 東大寺の絵巻物やジャワ・ボロブドール遺跡彫刻の主要テーマとなっています。
 観音様は、法華経によれば、法 (ダルマ)を求めて修行することを本願とし、同時に衆生(しゅじょう)の許(もと)へ赴き、そのすべての悩みを救うことを誓願された、諸願一切成就、現世 利益の菩薩です。その強い力を誇示するために、本来は同じ観音様であるものが、時として十一面観音、あるいは千手観音などとして表わされ、広く民衆の信仰 を集めてきました。華厳経の観音様は、この説話の中で五十三ケ所の善知識(聖者)の一人として出てくるだけですが、その居城の美しさが人びとを魅了し、こ れを基に補怛洛迦山浄土(ふたらかさんじょうど)の信仰も起こり(新潮文庫『楼蘭』〈補陀落渡海記〉井上靖)、あるいは、中国で道教や禅の風潮のもと、水 辺にくつろぐ悠然として優しい観音像として好んで画かれ、水月観音、白衣観音、そして楊柳を手に持つ楊柳観音が信仰されるに至ったものと思われます(本文 の観音様の一節の柳云々は筆者が挿入したものです)。『西遊記』(平凡社)の中でも、たびたび楊柳を手に持った観音様が登場して、三蔵法師の一行を救い導 くなど、民衆の人気のほどはわかります(余談ながら、善財童子も端役で登場します)。
  参考文献として、隆文館『仏教説話文学全集 4』が適確に要約されているのでお薦めします。

 
 
 



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