自選五十首 白きダリヤ 北澤
郁子
きりぎりす、つづれさせこほろぎありのままに鳴き出でよ古き家の窖(あなぐら)
『一管の風』昭和五五
より
木臘を採る寺山の櫨(はぜ)の木の夕光に燃ゆる全山の燭(しょく)
海の崖に嵌め込まれたる銅版のはかなき歌は乾くことなし
老いたるピエロ身にまとふ服の赤きいろおびただしき房実をつづる椅(いいぎり)
わが片手つね片手より熱ばめる病める子など抱きしならず
親鳥の嘴(はし)より魚を奪ひたる子の鳥の罪永久(とこしなへ)にして 『塵沙』昭和五九 より
刈小田の斑雪(はだれ)の上を舞ふ鳶の生まれつきなる笛は一本
沈欝にくもれる森の奥にして氷れる飛沫のごとき白梅
老いふかく坐れる人は何思ふ円空仏のごと瞼伏せたり
唐招提寺の月夜に逢はむと約したりただ夢とこそわれは思へば
老い母と昼の市場の路上にてその名も美しき泥葱を買ふ
舞ひ込みし襁褓(むつき)の白さ一心に子を守る人の心ばへ知る
十(とを)の指爪(しさう)合はせて祈れと静かなる一行 遠き月光菩薩
引き立たぬ文様なれど巧緻なるかの蝶は誰かわが窓にゐる
合はせたる二枚の翅のいと薄くかき消えし蝶の影残りをり
「三人姉妹」の明日の別れを待ちてゐる舞台のごとく霧沈む庭
母が切りてくれたる菊に細氷のごとくきらめく霜も消えたり
首筋にまつはり肩に沁みてくる寒さは厭世のごとくひろがる
雪まじり雨降る朝の街に見るふくらなるパンは善のごとし
職退きて頬に血の気のさして来ぬ雪は卍と降るものにして
撫でられし子にしもあらず撫づる子もなくて撫子(なでしこ)の花を愛しむ
プランターのあらせいとうに昨日(きぞ)降りし雪夢ならず玉水ひかる
黒釉の壺に釣り合ふ一輪の椿は風の山岨育ち
蛇行する河の中洲に雨期までのいのちをいそぎ生ふる夏草
八歳の龍女(りゅうにょ)のごとく浮き出づる濃きくれなみの睡蓮の花
新しき縁(えにし)求めぬわれの上に名残の雪は淡く降りつむ
他家にきてひそかに堪へてゐし母の絹より細き白髪(しらかみ)のこる
寂やかにかくれ住むなる善女人大島桜にけふの雨降る
渓川の淵瀬(はやせ)の水を掬ぶとき飽かずやとわれに問ひ給へかし
悉達太子(しったたいし)のおん生れ日なよびなる白象を描く散華とり出す
『菜の花抄』昭和六三
より
空想はかくふくらかに髪のびて五劫思惟像は童形のまま
生くる日の濁り洗はばかくあらむ白きダリヤに雨降りそそぐ
涅槃会に奉らばや夜の雪にたかぶる猫の青き眼二つ
エスカレーター乗り継ぎ上りし館の奥光琳屏風は古り寂びてゐつ
『鳩羽むらさき』平成三
より
佐竹本歌仙絵切のしのぶ恋兼盛さびしくうつむきてゐる
蔵書など売りてひそかに暮しゐしと聞くだに懐(ゆか)し跡も絶えたり
「白旗をかかぐる少女」のかぼそき手足沖縄戦のすべてを語る
牙なせる芽を油断なく現して偸盗のごとき冬の馬鈴薯
ここに来て何おもひゐし人ならむ海のテラスにティーカップ残る
くくるくくる鳩の鳴き声人の咽(のど)にうたふは苦しき感情移入
鐘形花エンゼルランプにかがむとき人の面(おもて)にほほゑみ灯る
本棚にかくるる猫を掴み出すポーの黒猫ならねば安し
のぞき見る森の中なる青落葉ライムライトのごとき陽が射す
迷ひ来て河原にひとり無精卵を抱く家鴨の胸毛ふくらむ
切り開く林檎の中に黒き実二つ寄り目の猫のひそみてゐたり
暁の窓に小鳥の打ち鳴らす舌の潤ふ五月となりぬ
暁に起き出で暗き窓に倚るわれの一生は何処に位置する
母逝きし日より一行も書けぬ日記事実の重みは筆を圧しぬ
しろじろと花散る桜の木の下に人影もなし人生のごと
冥(くら)きより出でて冥きに入(い)る山の一丁平(いっちょうだいら)に咲くさくらばな
(作者は、経歴久しい歌人。白きダリヤのような孤心を抱き、実存のふかみに一隅を照らして短歌を紡いでいるような。湖の本の読者。1.4.19寄稿)
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