分け隔てない戦没者霊苑
 

        木島 始
 

 赦(ゆる)しはするが、忘れはしない。
 半世紀以上前の敗戦直後から、くりかえしそう言われ、ずっと言われつづけてきた。とくに中国の人々から。
 日本が前世紀に行使した軍事行動で、アジアの人々に与えた衝撃・損害ーその点でわたしたちが決して陥ってはならない誤りは、忘却であろう。
 近年、日本の抱える不良債権総額が○○○兆といった計量をされるのは、ほとんど毎日みているが、かつてのあの長期にわたった戦争で、いったいどれほどの損害を近隣諸国民に与えてしまったのか、精神面はとうていむりとしても、日本側で誠意をもって計量し、それを国民に提示されたことがあったろうか。肝に銘じてその(推定)補償額の積み立てをしつづけなければならないところなのに、いちはやく中国政府から賠償放棄を告げられたために、こちら側でたえずしなければならない計量試算はおろか、甚大な損害を与えたこと、そのこと自体をも忘却してしまいかねないのが、昨今の現状だ。
 二十世紀の大戦争終結後のニュルンベルク裁判や東京裁判の審決とは別に、わたしは、新中国建設後の戦犯裁判や、マンデラ大統領就任後の南アフリカでの人種差別裁判での「真実の告白と赦し」という対応に、ほんとに瞠目(どうもく)の思いを抱くものだ。
 真実の告白あっての赦し…忘却にいかに陥らないか。
 アジアの戦争被害者の無念の声を、深く心に刻みこんで、決して忘却することのないようにと、わたしは、同じ思いを抱いた蝋山道雄・上智大学名誉教授、力石定一・法政大学名誉教授と三人の連名で、「国立千鳥ケ淵戦没者墓苑」に、新しく「戦没者鎮魂祈念堂」を建立するよう願う提案書を作成し、超党派の議員立法を行うように、働きかけている。
 わたしたちの提案には、戦没者を真に慰霊しようとするのであれば、単に自国の軍人たちだけではなく、民間人をも含めた敵味方を問わない戦没者・戦争犠牲者を大きく包み込まなければ、本来の意味の慰霊にはならないという発想がある。
 中国大陸・朝鮮半島の人々、ベトナム、ビルマ(現ミャンマー)、モルジブ、ニュージーランド、インドネシア、フィリピン、シンガポール、インド…真珠湾から沖縄戦にいたるアメリカ人戦没兵士と民間人…これらの広大なアジア太平洋地域での戦没者の霊を慰め、追悼する目的で、銅版浮き彫りの地図の上に、それぞれの戦没者数を刻み込み、これを「戦没者鎮魂祈念堂」の中に安置する。
 こうして、無名戦士の納骨室を持つ現在ある六角堂と並んで、鎮魂祈念堂の建立がなされるならば、未来に開かれた霊苑になりうると、思うのである。
 たましいと、たましいとが、出会いうる、そのような霊苑に。

        一 東京新聞 夕刊 2001年 8月 15日 ー
 

(筆者は、詩人。英文学者。元法政大学教授。さまざまな詩形で創作されてきた他に、このような社会的な発言もされてきた。編輯者も童謡の考えを持っていたところから、三氏に協力して日本ペンクラブ理事会に働きかけ、「戦争を考える会」を開いて三氏を招いた。1.9.3掲載)


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