「e-文藝館=湖(umi)」詞華集

かみしま しろう  歌人は、「ポトナム」同人。編輯者の高校時代恩師で、歌集「少年」の多くの歌を見ていただいていた。 今も、湖の本を欠かさず読んで下さり励ましを戴いている。ご高齢の病後のなかで、この「e-文藝館=湖(umi)」のために、いちはやく自撰歌をお送り下 さった。簡素にして飄逸か温和な先生の、寛大なご境地がうかがわれ、羨ましいほどに感銘を受けている。心よりご健勝を祈りたい。あの世への「順番」は永く 永くお 「待」ち下
さい。 (秦 恒平)



   自撰五十首 折りにふれて 
 

         上島 史朗
 
 

動員のさなかにありて学問を恋いしがありき忘らえなくに

薄明になきたる蝉のはたとやみ夜の明けまでの静寂におり

生返事している吾につづけざまに子が語りかく何わびしむや

山ふかきいでゆの宿に夕まけて部屋ごもりおれば落葉焚く音

海の見える明かるき街を下り来て電車線路を幾つかよぎる

エスカレーターに刻々売場は沈み行きわが目(ま)なかいに美しき脚

玄鳥(つばくろ)は軒かすめたりひえびえと山かげり来ておぐらきひるま

山寺の白砂に日のさし添えば斑猫(はんみょう)とべる幻覚のあり

暗き谷の空ひらけたるところにて声なき鳥の幾つかが舞う

九体佛ならびいたまう中にしてくち朱き佛もまじりいたまう

東京に来て親しみしものの一つどぶどろ河の橋わたること

おのがじし釈迦の説法きく羅漢かしぎて行儀あしきもありぬ

街並の上に五十の塔が見ゆ道狭くしてたちまち見えず

体格のよき女子選手たちまちに通し矢の的したたかに射つ

工場裏に積み捨てられしプラカード「反対」の文字を目にとめてすぐ

荷風誌す遊女の墓域とわんとし驟雨あがるを地下道にまつ

「生まれては苦界 死しては浄閑寺」と刻み遊女慰霊碑は雨にぬれいつ

レイテ島に潰滅したる部隊記録も戦績として石碑に刻む

買物籠をさげたる女灯台に入り行きて冬の海荒れに荒る

秋の日はしみらに照らすいしぶみの元暦(げんりゃく)校本万葉歌二首

百七十余名のダム工事殉職者銅板にえりて同姓多し

平群(へぐり)にて行き交う電車すきており童女が窓に鼻押しつけて

ビルの空を飛翔する鳩思わざる広告塔のあいを出入りす

知り人の親しき家を訪い行くにどの家もまず孫が出てくる

楼門の朱きが前に立つ賢木(さかき)連理とあれば人は羨(とも)しむ

恐山の冷えの湯小屋に乳房垂りしバサマが二人湯に浸りいる

秋の日のしみらに照れば木下かげ師のいしぶみの歌に手触るる

上州に移りて育つ女(め)の童(わらわ)ときにやさしき京言葉で(い)ず

食用カンナ・フトモモ・パンの木・タマゴの木温室の名札見るさえ楽し

この沖に遭難せりとクルーらの碑は湖岸より引き入りて立つ

文庫本の「朝の蛍」を持ち歩き持ち歩き読みしは五十年前

父子二代学びし師範学校今はなしあわれ教職に一生(ひとよ)すごして

応法の声長くひきて托鉢の僧は雲吐くごとくすぎゆく

店ぬちを黒揚羽ひらひらさ迷いてあな素晴らしと言わしめて出(い)ず

待避線にわが乗れる車両ゆれており特急通過の風圧にたえて

何びとか我に私語すと覚えしはうしろより風にのり来つる声

碧海の泡より生れしビーナスに蒙古斑などあるべくもなし

焼夷弾にて文字面剥がれし墓石ののっぺらぼうがわが目に残る

安騎野駈くる蹄の音は空耳か落葉あかるき林の丘に

一九〇〇年パリー上演の貞奴ポスターは残りぬ命より長く

ファーブルの黒き帽子も胴乱も見学の子らの肩越しに見つ

大杉栄訳せし「ファーブル昆虫記」少年われの愛読書なりき

うすぐらき杉の林を透かし見ゆる隠(こも)り沼(ぬ)のありて光を返す

湯殿山は素足で参ると諭されておみならパンティーストッキングを脱ぐ

山の葡萄を採りつつ下る老夫婦に声かけて湯殿の山を下りゆく

翁堂の茅屋根に春日ふりそそぎ池の添水(そうず)の音もものうし

芭蕉翁絵詞伝のはがきなど求めて境内をいでてきにけり

盛装のおみなら丹塗りの矢を受けて糺の森の参道を来る

わが前に停りしはテレビ車両にて大阪までのど自慢きかされている

天界に行くにも行列をなすものかロープウエーに順番を待つ
 
 

 


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