「e-文藝館=湖(umi)」論考
かど れいこ 江戸時代女流文学研究者。日本ペンクラブ会員。湖の本読者。克明な探求と清明な筆致で知られた民間のすぐれた研 究者で、ことに江馬細香の研究は高く評価され栄誉を受けられています。本稿は、自費出版・私家版の資料としてもまことに興味深いものです。江馬細香 は頼山陽の愛をうけた優れた詩人・文学者でした。
江馬細香『湘夢遺稿』の「刻資及諸入費控」について
門 玲子
『湘夢遺稿』上下二冊は美濃大垣の女流詩人江馬細香(一七八七--一八六七)の遺稿詩集である。細香は大垣藩の蘭
医江馬蘭斎の長女で、名前は多保または
?
(じょう。漢字「島」の「山」の位置へ「衣」が入る。)、字は細香、湘夢と号した。文久元年に七十五歳で没し、その後十年を経た明治四年に遺族の手によっ
て出版されたのが『湘夢遺稿』である。
同書の体裁は大本二冊(縦二十五.七糎、横十六糎)。原題簽、左肩「湘夢遺稿 上(下)」。見返しに
「明治四辛未新 /湘夢遺稿/春齢菴蔵版」とある。春齢は大垣藩医であった細香の祖父江馬元澄(父蘭斎の養父)以来、代々江馬家の当主が襲名した庵号で、
すなわち『湘夢遺稿』は江馬家の私家藏版本である。奥付には「明治四辛未歳秋八月上梓」とあり、発兌書肆として東京の和泉屋吉兵衛・和泉屋金右衛門・大垣
の平野利兵衛・岡安慶助夫・大坂の伊丹屋善兵衛.京都の勝村治右衛門と六軒の本屋が名を連ねている。
本文は序跋等を含め、上下巻あわせて六十五丁。半丁の行数は十行。全三百五十言の詩が収録されている。
巻頭には、天保元年主十二月に書かれた、細香の師頼山陽の書簡を模刻掲載している。ついで大垣藩老を勤
めた小原鉄心と細香の姪孫江馬信成の序がある。何れも明治三年に書かれている。巻末に大坂の儒者後藤松陰(美濃出身)が撰した細香の墓誌銘、大垣藩儒者野
村藤陰が明治三年に書いた跋、細香の甥江馬元齢の題詞がある。
頼山陽の書簡は大窪詩仏が出版した『随園女弟子詩選々』を細香に贈り、それに添えて細香に自作の詩集を
出版するよう勧めた内容で、「御生涯之思出ニ是迄之詩を選候て上木被成候ハゞ、可面白候」とある。しかし、結局細香はこの勧めには従わなかった。
野村藤陰の跋文の中に「其の属者姪孫輩、其の遺稿を抄録し、以て刊行せんことを謀り、余に校字を索む。
余の女史に於ける麗澤の恩浅少ならず。乃ち百忙を排し、黽勉以て業を卒う」(原漢文)とあるので、細香が残したおびただしい詩稿の中から三百五十首を選び
出す作業を、主として藤陰が行ったと思われる。そして当時江馬家の当主であった信成(五代目春齢)が出版に係わるすべての事務を行い、その従兄弟である江
馬春煕が校訂を行った。
江馬信成(一八二六?七四)は細香の甥元益の長男で、大垣藩医を勤めた。江馬春煕(一八五四?一九〇
一)は元益の弟元齢の長男で藩校の蘭学助教授となり、明治以後は東京神田で開業し、東京医会の発展に尽力した。ともに幼時から細香に愛されて育った人たち
である。
さて、江馬家には蘭学・語学・歴史・漢学・漢詩文・郷土史関係の厖大な文書と書簡が残されたが、現在そ
の大半は岐阜県歴史資料館に寄託され、細香関係のもののみが同家に残されている。それらは、『湘夢遺稿』の元となった詩稿、細香宛諸家書簡、書画類、細香
の手写したものなど蔵書の一部等である。
それらの文書の中に『湘夢遺稿』を刊行した際に要した諸費用や刊行後の配布先などを、江馬信成が記録し
た帳面がある。当時の書籍刊行の諸事情を窺う好資料と考えられるので、ここに紹介しようと思う。
半紙全二十一枚を折紙にし、右端をこよりで綴じて横長の帳面に仕立てたもので、料紙は江馬家に届けられ
た薬礼の包み紙を利用している。表紙に「湘夢遺稿/刻資及諸入費控/春齢菴」と題する。春齢菴、すなわち江馬信成の筆跡である。内容は、まず二丁分表裏に
『湘夢遺稿』を出版するに要した費用の出入りを克明に記し、次の四・五丁分にその配布先と受け取った金額を記している。その後十・五丁分の白紙があり、最
後に費用の総計が記されている。全内容は以下の通り。なお、( )内は門(=筆者)による注記である。
午(明治三年)二月十七日
一、刻費 金拾両 板木代
右、勝村(京の本屋、勝村治右衛門。本書の実質的版元)へ出
午五月中旬
一、刻費 金弐拾両 板木代
右、上京之節、勝村へ渡
午十二月廿四日
一、刻費 金三拾両 板木代
右、勝村へ差出
午十二月
一、刻費 金壱両壱分 小原参事(小原鉄心。当時大垣藩大参事)序文謝儀式
未(明治四年)三月廿七日
一、刻費 金三十両 彫刻諸入用
右、勝村へ出
未六月
一、刻費 壱分 山田訥斎(美濃笠松の南画家。篆刻の名手)礼
一、壱両壱分弐朱 諸雑費
一、刻費 弐朱 飛脚賃
六月
一、刻費 十両 遺稿板代
勝村へ差出 (」 1オ)
一、刻費 三朱 証印代
一、壱分弐朱 運賃
一、壱分ト六百八十文 運賃
十月廿七日
一、弐十両 書物代
権之介(京都の分家、江馬榴園)江向出
右惣書付
四十三両弐分壱朱
壱貫五百文代弐朱
右之内ヘ入ル。
一、拾両 勝村下店、板料入(「下店」はおろしだな、つまり勝村の書籍卸売りないし小売りの部門をいうの
ではあるまいか。すなわち出来上がった『遺稿』若干部を勝村が売品として引き取った代金を、板料に入れたというのであろう)
一、板木 諸入費残 九両三分一朱
差引残
弐十三両弐分(壱分弐朱を抹消し弐分を傍書)
十二月二日
一、壱分壱朱百文 運賃(」1ウ)
未六月
一、遺稿 弐部来
三朱宛
〆十部 摺主諸処へ上納本等
未八月六日
一、遺稿 十部来
代弐両弐朱
一、同 百部来
未十月十一日
一、同 九十部来
十二月二日
一、同 三十部来 (」2オ)
遺稿彫刻代
一、百十二両一分三朱(一両弐分弐朱を抹消し二両一分三朱を傍書)
内九両三分壱朱未済
一、百両 木金
一、十三両 手前出金
製本諸入費
一、四拾四両壱分弐朱
内弐十両 取替済
同十両 勝村板料ニ而済 (」2ウ)
遺稿配冊覚
百十弐部乃内
一、下 壱部 山田訥斎
一、壱分到来 七月
一、下壱部 藤江(江馬家は大垣藤江村にあり)
弐十匁来
十六匁来
八月六日
一、壱部 竹島(江馬元齢は大垣竹島町に別家開業していた)
同日
一、壱部 戸塚
弐分到来
八月七日
一、壱部 小原(小原鉄心)
同
一、壱部 野村(野村藤陰)
八月十日
一、壱部 本屋慶助(大垣の本屋、岡安慶助。本書の相版元の一)
同
一、壱部 野川杏平(蘭方医。江馬塾門人)
同
一、壱部 藤江
壱分入
八月
一、壱部 筒見初三
壱分壱朱来 (」3オ)
九月二日
一、壱部 本慶(本屋慶助)
一、同 上田酔夢(小原鉄心弟か)
一、弐拾部 藤江
一、五部 竹島
壱両壱分入
九月三日
一、六部 本慶
一、壱部 宇野達次郎
壱分到来
一、壱部 誓運寺(大垣船町、浄土真宗大谷派)
壱分弐朱到来
一、壱部 温井琢造(三代目江馬春齢、号松斎の実家)
壱分来
一、弐部 高田 柏渕(美濃多芸郡高田村の柏渕家)
千秋
壱分来、柏渕(」3ウ)
一、壱部 野村 伊島
一、壱部 後部安年
壱分到来
一、同 牛洞寺(牛洞にある寺か)
申(明治五年)正月壱分到来
六日
一、五部 藤江
同
一、壱部 春煕(江馬元齢の長男)
九日
一、壱部 小野崎
同
一、弐部 同人取次
同
一、弐部 野村謙蔵
弐分壱朱来
同
一、壱部 小野崎へ頼 春堂(二字難読)
十日
一、壱部 藤江 (」4オ)
九月十二日
一、壱部 池内立堆
九月十三日
一、壱部 上有知 秋水(美濃上有知村の画家、村瀬秋水。村瀬藤城の弟)
同
一、壱部 同 彦平
壱分入
同
一、壱部 立松龍伯(尾張の医師。江馬塾門人)
同
一、同 加藤顕吉(尾張の医師。江馬塾門人)
同
一、同 五反郷 片野南易
同
一、同 楡俣 口口高太郎
一、同 竹ヶ鼻 霞山(美濃竹鼻村江吉良安楽寺の住職。細香の詩友)
壱分来 (」4ウ)
一、東平へ渡 弐部 藤江
九月廿日
一、壱部 田口鳳介(美濃の医師。江馬塾門人)
壱分壱朱入
同
一、十部 平流軒(大垣の本屋、平野利兵衛。本書の相版元の一)
内七部笠松
一、五部 平流軒
一、三部 本慶
九月廿七日
一、壱部 北村純吾(美濃の医師。江馬塾門人)
一、壱部 安藤友三郎
弐分来
一、壱部 藤江
一、弐部 平流軒 (」5オ)
一、弐拾部 本慶
内壱部戻り
十月十一十二日
一、六十部 平流軒
壱部戻り又五部戻り
十一月金五両受取
十月十七日
一、壱部 金華穂
同
一、弐部 但州津崎 油筒屋 真宰
同
一、五部 武光
壱部帰り
十月廿日
一、七部 藤江
十月廿二日
一、壱部 曾根江 近□
十月廿三日
一、五部 勢州玉垣 杉野伊右衛門
申、壱両壱分十匁入
十月廿二日
一、弐部 海老本
弐分壱朱済 (」5ウ)
十月廿六日
一、壱部 船木巌郎
一、壱部 鳩居堂(京の文具屋)
十一月十六日
一、壱部 小野崎
一、壱部 海老本
壱分弐匁来
十一月十七日
一、五部 藤江
一、十部 平流軒
十二月六日
一、五両入 藤江行〆四十一部之内
十二月廿九日
一、七両弐分三朱ト二匁入 本慶二十九部代
一、〆八十一部 金弐十両壱分八十一匁 平流軒
内五両入
又十二月晦日 五両入
又五月廿七日 三両入
又申七月十三日 一両ト五百文 並□□□三文
請取
五十部分済、残十部貸
申七月十三日記 (」6オ)
十二月晦日
一、壱両壱分 小野崎より入
晦日
一、五両壱分 藤江より入
壬申(明治五年)正月八日
一、壱部 入(入金済みの印か) 春琢(江馬元益の次男)
正月十三日
一、壱部 大□ 石倉
正月十七日
一、壱部 入 春琢
廿日
一、五部 入 本慶
廿一日
一、壱部 入 春琢
一、壱部 大橋魁介
四月
一、壱部 笠原退助 (」6ウ)
一、五部 竹島
二部戻り三分入
七月二日
六部平流軒より戻り
五月
同家より戻り
申七月廿一日
一、五部 本慶
当春(明治六年か)残り
一、拾部 平流軒
右之代未済
内六部戻り (」7オ)
(以下十・五丁分白紙)
遺稿板木入費
惣計
一、百十二両壱分壱朱
内九両三分壱朱不足
弐両弐分 残金所持之分
七両壱分壱朱 足し
右之通ニ而皆済之事
同製本代運賃等
一、金四十三両弐分三朱 弐百弐部
印形代共
一、金弐分三朱 運賃
〆四十四両壱分弐朱
内二十両弐分三朱済
手前より出
(残二十三両弐分三朱不足とある一行抹消)
拾両 勝村下店 板料ニ而入
不足 十三両弐分三朱 (」18オ)
十二月二日来
一、六両(壱分弐朱を抹消) 三十部
運賃、壱分壱朱百文 板代ニ而払
惣〆
二十九両壱分弐朱 一貫五百文
右十二月廿二日出皆済
辛未(明治四年)冬改
一、六十三両 手前取替
同
一、三十五両三分三朱 本代入 (」18ウ)
(一丁分白紙)
一、百三十七匁三分弐厘 遺稿十部ニ付、仕立元価
一、三十弐匁三分弐厘 十部ニ付、板木代
一、弐匁四分(弐十四匁を抹消し傍書)
十部ニ付、運賃
〆百七十弐匁四厘(百八十匁を抹消し傍書)
壱部ニ付、諸入用入れ元償
十七匁弐分壱厘
本屋へ遣候分
十七匁一分六厘
一部ニ付、弐匁九分五厘之益 (」20オ)
以上が「湘夢遺稿刻資及諸入費控」(以下「控」と略称)の全貌である。これにより、どのようなことが明らかにな
るであろうか。まず、『湘夢遺稿』の奥付には六軒の書肆が名を連ねているが、この「控」によれば、一切の出版業務を行ったのは京都の勝村であった。いまだ
純然たる地方出版は難しかったものと思われる。江馬家は古くから京都に多くの知友があり、分家江馬榴園.天江も同地で活躍中であり、三都のうち最も近い京
都の書肆が選ばれたのであろう。
次に、明治三・四年ころに『湘夢遺稿』のような詩集を、いわゆる私家版で出版しようとした場合、おおよ
そ左のような費用を要したことがわかる。
板木代 百十二両一分一朱
製本代 四十三両二分三朱(二百二部)
運賃 二分三朱(京都・大垣問)
追加製本代 六両(三十部)
すなわち、ざっと計算して百六十二両二分三朱を支払い、本を二百三十二部受け取っているのである。これ
らの費用のうち十両は「勝村下店板料にて入」と記入がある(18オ)。「下店」とは「おろし店」つまり版元勝村の書物卸し売りないし小売営業の部門をいう
と思われ、『湘夢遺稿』を勝村が自店で売りさばく分の本代を、板木代ないし製本代に入れたものと考えられる。
江馬家では出来上がった本を諸方に呈したり、本屋を通して売り捌いている。本を贈呈された者の一部は、
金一分ないし一分二朱程度の返礼をしている。
本の一般への売り捌きは、相版元に名を連ねている大垣の本屋慶助こと岡安慶助、平流軒こと平野利兵衛を
通している。本の出来た明治四年の年内だけで、まず本屋慶助には二十九部を卸し、代金として七両二分三朱と二匁を受け取っており、平流軒には八十一部を卸
し、代金として二十両一分と八十一匁を四回に分けて受け取っている。この代金は、一両六十匁で換算すると、一部あたりほぼ銀十六匁に相当する。
一方、江馬家では本の原価計算を左のようにしておこなっている。
本十部につき、
?仕立て代 百三十七匁三分二厘
?板木代 三十二匁三分二厘
?運賃 二匁四分
合計 百七十二匁四厘
(本一部につき 十七匁二分一厘)
前にあげた総費用とこの原価計算との厳密な関係には不明な点も残るが、少なくとも板木代は二千部強で償
却を見込んでいたことが知られる。
ここでよくわからないのは、この原価に対し、本屋へは前記の通り十六匁と原価割れの値段で卸している点
である。あるいは相版元に名を連ねるに際し、あらかじめ本屋よりなにがしかの出資金を受け取っていたのであろうか。わからないといえぱ、その外の相版元で
ある東京や大阪の本屋へはどのように本を卸していたのかという点も、全く「控」からは読み取ることが出来ない。どうも当時の相合版の実態、すなわち相版元
の具体的な役割や意味については、まだまだ不明な点が多いようである。
もっとも、明治初年頃は物価が高騰しており、その事情をいくぶん反映しているかもしれないが、出版に係
わる諸々の事情は江戸期のそれとほぼ同様であったと思われる。
いずれにせよ、この「控」は、『湘夢遺稿』の出版が、細香の知友たち、藤江村の江馬本家、竹島町の分
家、さらに京都江馬家をも巻き込んでの大事業であったこと、言い換えればこれらの人々の細香への思慕の念がいかに大きなものであったかを、あらためて物
語っているように思われるのである。
〔江馬家所蔵資料および細香に関する参考文献〕
*『江馬文書目録』江馬文書研究会編・発行 昭51
*『大垣藩医江馬蘭斎』青木一郎著、江馬蘭斎顕彰会発行 昭51
*『大垣藩の洋医江馬元齢』青木一郎著、江馬文書研究会発行 昭52
*『江馬家来簡集』江馬文書研究会編、思文閣出版 昭59
*『江馬細香来簡集』江馬文書研究会編、思文閣出版 昭63
*『江馬細香-化政期の女流詩人』門 玲子著、BOC出版部 昭59
*『江馬細香詩集湘夢遺稿』上下 門 玲子訳注、汲古書院 平4
〔付記〕 貴重な資料の公開を快くお許し下さった大垣市の江馬寿美子様に厚くお礼申し上げます。
──『東海近世』第七号・平成七年十一月 刊(東海近世文学会) より──
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