「e-文藝館=湖 (umi)」 詞華集 寄稿

いづみ あゆこ  歌人  1935年  京都市に生まれる。 日本ペンクラブ会員。
古 典・和歌・芸能にもくわしく、優艶の歌風、自撰されたこの五十首も美しい。掲 載作は、全作歌より再編。典雅な措辞の奥に底昏い嘆声が聞こえる。
湖 の本の最初からの読者で、「e-文藝館=湖(umi)」の古典エッセイ「源氏物語の常陸」は最も速い寄稿作であった。




       自撰五十首 十 六   和泉 鮎子
 
 

綿虫の舞ふあたたかきゆふまぐれ耳環の留(とめ)を少しゆるます

黐(もち)の樹の木の下暗しおとうとは臨終(いまは)を誰にも目守(まも)られざりき

夜の間に沙(すな)が埋めてあとかたなし回教寺院(モスク)のドームもわれの骸(むくろ)も

いつはりかも知れぬことばに聞き入りて濡れゆくごとし耳もうなじも

潮騒が聞ゆバッハの旋律も聞ゆ背(そびら)に寄り添ひつむれば

ヨカナーンの首が乗る筈わたくしの首も乗るはず銀の盆みがきゐる

柄(え)の折れし陶のスプーンにすくふ塩なに食べてゐむ手ばなしし子は

他界よりみつめられゐむ肉塊に塩をなすりゐるこの手もとなども

まつすぐに落下し得るとはかぎらない見おろす地上薄らかに闇

十(とを)の指ことごとく蛇となる芝居観てゐてわれの十指もうごく

帽子のつば深く下ぐればみづうみも手ばなしし子も何も見えない

森の裾にまつはりて白き夜の霧ワーグナーはいかなるこゑしてゐしや

雪女の如くに息を吹きかけてやさしくやさしくころしてしまはう

人ひとり不幸せにする力あらばこの甕くつがへす力のあらば

うすうすと灯して車の行き交へる呼塚(よばつか)交叉点 われの夕占

口寄せに吾を呼ぶは誰 梓弓の弦(つる)掻き鳴らすやうな耳鳴り

聴きてゐて咽喉渇きくる夜の更けをひそひそ池の水飲むは何

三面鏡の閉ぢ目より蒼き光(かげ)洩れて死にしおとうとは今も十六

とほき祖(おや)に遊女(あそびめ)などのゐざりしや湯あがりにほふ足の爪剪る

特高より遁ると馬に雪の原野を駆けしとぞわれの父となる前

幽明の境ふはふは熱湯にポーチド・エッグの白く凝りゆく

鬼の出る刻限には少し間のありて橋の裏側の溜めてゐる闇

椿の樹が咲かせて落とす花の緋(あけ)とても鬼にはなれさうもない

安心(あんじん)得ざりしゆゑに遺されし『後鳥羽院御口伝』『遠島御百首』

右左そろへて干しし足袋ゆれて見えて来たるは誰の足首

殺すには惜しき色悪 血刀を杖に苦しき息つきてゐる

血のにほひの口にひろがる 短刀に残る血糊を舐むるを観てゐて

アッシリアのガラスの壺は紫苑色 毒の仕込まれしこともありけむ

二、三年棒にふつたとて何ならむ少しのびたるうどん食べゐる

どのやうな快楽(けらく)ありしや樹の下に緋(あけ)おびただし今朝の椿は

鳥肌の立つ感覚もわるくない『百鬼夜行繪巻』をひろぐ

天界より降りくるやうな笙の音を聴きゐつふたたび逢ふことなからむ

面明(つらあか)りに浮かび出でたる顔ひとつたつぷり悪をはたらきし顔

天袋のあの位置にある 鬱金染めの袋にをさめし刀一振

落したる耳環さがすと屈(くぐ)まれば草叢は刺客をひそめゐる闇

夜鴉が啼いたとて何怖からう母に死なれてぶらんこにゐる

瘡蓋(かさぶた)をむしりし痕を舐めてゐつ 悪左府頼長が敗れなかつたら

マリオネットの舞台めく街降り出でし雪をよろこぶをさなごのゐて

母を背負ひゐしにあらずや姨捨の道にしばらく蹲(つくば)ひゐたり

地球照を抱く三日月 空は闇 われは曖昧な濁りのかたまり

笛方は総身(そうじん)の息あつめ吹くたましひひとつ呼び出(いだ)すべく

かなしみのかたまりがふはり橋懸(はしがかり)にあらはる笛の音におびかれて

死の後も残る感情うつたふと爪先凛(さむ)く橋懸を来る

闇にひかる芒の原が見えてゐむシテはしづかに向きをかへたる

夜の天(そら)より姨捨岩にまつすぐに降り来て散華のごとき雁が音

いかにしても慰められぬたましひがわたしの肩のあたりにもゐる

山毛欅(ぶな)の花不見櫻(うはみずざくら)など知りて何せむ頭上に風のおとする

すれちがふ列車に視界遮られ逢へず花ざかりのはずの一本

おもひ出したやうにひるがへる土手の葛(くず)持続し難し恨みも恋も

頼政と名づけて共にあふぎたる樹ありき今もつむれば見ゆる
 


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