「e-文藝館=湖
(umi)」随筆
筆者は、九十歳すぎた女性。湖の本の読者。この生活、この意気の、粋なこと。小説の頁に寄稿された
同じ筆者の短編『温もり』は、この「e-文庫・湖umi」をインタビュー取材した毎日新聞記者の最大の驚嘆・称賛を得ていた。──
「新松柏」 平成十三年一月 第 7 号 所収 ──
重き存在
石久保 豊
東京に一人来ている孫娘がひょっこり遊びに来て、
「おばあちゃんの誕生日もうすぐよね、何あげようかな、何がいい」
と、嬉しいことを言ってくれる。
「いいの、いいの、何か食べに行けば」
「それはそれ、何がいいかな」
と、せまい部屋の中を見回している。応接兼書斎兼、居間兼食堂兼、兼兼兼の食卓の上、孫へのお茶とお菓子が出ていて、手
許の片隅に古い辞書が二冊とノートが積んであった。
六月に入ってのある日、
" ああ、やっぱり辞書買うとしよう。誕生日の自祝に"
と、ふっと思い、ゆきつけの本屋へ電話すると、ありますという。
「重いんでしょ、届けて下さる ?」
と頼む。凡その量は解っていた筈なのに、届いたのは前の辞書より大きく厚く重い
?
「うわあ…大きいのね」
「この上のもありますよ」
と、本屋さん、ともかく、広辞苑は食卓兼机の上に、鎮座ましますことになった。
重い!
辞書はもう老人の所持品でないなと思う。大きな専用の机があれば、目の前に逆さに立てておいて、入用の時前に倒せばよいのだが、わが食堂兼書斎にはそんな
余裕はないのである。いちいち移動させる、上げる、おろす、草臥れる、それでも少し馴れた誕生日の五、六日前、孫娘から、これから行くわよと電話、何か重
そうなお土産御持参で来てくれた。
「あれっ…おばあちゃん買っちゃったの」
と、顔に八の字、何と手に重い土産は岩波の広辞苑であった。
心づかいの礼は礼、ともかくありがたく頂戴して、さて新しい辞書をどうするか、なのであった。結局、返品させて貰うと
いうことになり、重いけれど、自動車なのでそれは困らない、夕食を一緒にして別れた。
二日ばかりして電話あり、
「返品は困るって。出来ないって、別の本となら取替えますって」
「う…む」
「何の本がいいか、考えておいて、おばあちゃんのこと、買いたい本あるでしょ。また電話するわ」
で、切ったけれど…困った。本屋とすれば買い戻しは困るにきまっている。戻したお金で他の店で買物などされたら…。当り
前の言い分である。私も考える…、ほしい本は、あるあるあるである
? 結局、反町茂雄さんの『一古書肆の思い出』にきめる。四冊と思っていたのが五冊だったので辞書よりも高く? なったのかな。誕生日過ぎてからであった
が無事取替えて貰うことが出来た。
孫にあらためて礼を言い、格別の思い出となった『一古書肆の思い出』は食卓兼机の上に並べられ、長い日かけて読み終え
た。いい本である。勉強させて頂いたし、一誠堂に長くいらっしゃった方なので、一誠堂のお話もよく出て来る。私達、時時お世話かけた番頭の八尾板さんの名
も出て来てなつかしかった。
私は戦災で若い時の本は全部焼いてしまったのである。預かっていた父の黄表紙、青表紙その他和綴じの本本、木版刷の絵
の束、弟の……、思い出すと涙が出る。でも、今、せまい部屋の中を見回す…。よくぞ買った、よくぞ読んだ…と思うが、果たして全部読んだであろうか? 正
直に言えば半分以下なのであろう。ま、参考にと思ったものもある。主人が買ったものもある。壁、襖の前まで本箱本棚、いらっしゃって下さった方、
「まあ、本、これだけお読みに…」
と、言う。けれど押入一つ奥へ棚作って積んであることまでは人様にはわからない。引越して来たまま開けもせぬ、ダンボー
ルの大きいのが三つそのまんま…中は本なのはわかっているが、今の私には一寸無理。主人、俺がやる、やるよ、で終に手つけず病んで死んで十年である。そこ
へ主人の父が埼玉の本家へ預けておいた本(洋書)がどっさり。お引き取りをと送られて来たのがベランダの物置に入れてある。これも手つかず…一つだけ開け
て息子に見て貰った。
「外国のものばかりだよ、俺だって解らないよ」
と、
「年号だけでもいいわ、見て」
と、私は頼む、
「おばあちゃん、これ、百年前だよ、百年前…だ…」
舅のウイスコンシン大学時代のものらしく、小説などはないのかも…、生粋の日本人である私には構文字は苦手、百年と聞
いただけで、その百年が重くのしかかって来て捨てることなど出来ないのである。
少し整理してと思うのに、本は次々増えてゆく、買ってしまう。足をわるくして図書館にゆかれなくなった…、文庫本なら
小さいし安いしで買う、が、文庫にはない本多々ある。これは保存しておく本だ、取っておきたい、文庫で読んでしまったのに、きちんと製本したものを買う。
これ等の本、身の回りに積まれてゆく、積んでおくのが嫌で去年小さい本棚を移動して大きいのを買った、友人の一人に本棚買ったと言うと、びっくりして、
「あなたが? 九十過ぎているのに本棚買ったの、本棚だって家具よ」
と? こっちがびっくりさせられてしまった。
大した本ある訳ではないが、もう整理などと考えずに本の中で死んでゆこうと思う。
今私はリウマチで少なからず困っている。足、膝、左手、左肩など動き回って、右手首になってからもう長い、右であり手
首なので困っている。少し快ければ使う、それがいけないらしい…が、使わない訳にゆかない。髪も梳くことが出来ず、誰も来ませんようにと祈りつつ、ざんば
ら髪で一日いることもある。
さて手許の広辞苑、大きくて重くて困るけれど辞書というこの本、これ程いい本はない。辞書は見るものでなく読むものだ
と誰人か書いていたのを読んだことがある。私も納得する。辞書はどんなに古くなっても捨てられない。捨てる本ではない。綴じの三つにも切れたのや表紙の取
れそうなのや、私の手許にも四、五冊ある。大きい辞書は昔もあったのか、私の父の持っていた二、三冊は、手の平へ乗る程の大きさであったが厚かった。薄
い、これ以上薄い紙はないのだろうと思う程の和紙を二つ折りにして、それに両面、細(こまか)く細く印刷されていた、厚さは七、八センチ、洋綴じの皮表紙
であった。昔でも厚いのはあったのである。が…何としても広辞苑重い、今の私には辛いのである。
とうとう、岩波書店へ電話する。
「こんな重いの老人には向かない困り物です。二冊に作り替えて売り出して頂きたいと思います」
と、
「そういうお電話、お手紙よく御座います。お気もちよくわかります」
と、嬉しくなって二冊にしてくれるのかと思ったが、
「まだそこまでは」
全然考えていないらしい…、考えて下さいと言って切った。
でも、私の他にも二冊にしてと言っている人が何人かはいたことがとても嬉しかった。仲間のあったことがありがたかっ
た。が、当分またこの重い辞書とのおつき合いとなったのである。
HOME |