京都の寺々や博物館を観て歩くと、ときどき、「虎渓三笑図」と画題のついた繪に出逢う。たいがい水墨で、図柄も
殆ど違わず、一人の僧と二人の隠士が石橋の上で大いに笑っている。衣笠の妙心寺にも、狩野山楽が描いた立派な虎渓山笑があり、風が吹くとみえ、竹、或いは
槇と見られるものが画面の左上で力づよくしなっている。橋は――、橋は腹に響く容赦のない一枚岩で、鏘々と渓流が鳴っているが、水も、流れにひたる草木も
見えない。虎渓は繪にむかう者の胸の底を流れるらしい。
画中の坊さんが東晋の末に名高かった恵遠(えおん)法師で、他の二人は陶淵明と陸修静。陶も陸も廬山の
近くに住み、よく恵遠の東林寺を訪れていた。恵遠もまた欣び迎えた。「虎渓三笑」とは、そのような恵遠法師或る日の粗忽を伝えたものである。
廬阜に居ること三十余年、恵遠は客を送って足跡嘗て虎渓を過ぎるということがなかった。
ところがその日に限って談笑殊に愉快で、思わず橋を踏み越えた。ああはっはっはと、先ず二三歩遅れて歩
いた陶潜が石橋の真中で笑い出した。気がついて恵遠も陸修静も渡り切った所で顔を見合わせた。陸の表情がおやおやという顔になって恵遠の方を面白そうに見
る。恵遠は巨躯を傾げ、坊主頭を思わず手でぽんと叩いてしまった。はっはっは、はあっはっは、あはあはと、暫くの間三人は、今まで話していたこともみな忘
れて笑い、やがて一揖して恵遠一人虎渓を奥へ還ったのである。妙心寺蔵の繪を見ているとごく自然に笑いの生じた瞬間が描けていて気もちが佳い。
ところで恵遠法師といっても今では知る人も限られ、墨絵にしか見られぬいかにも仙人なみの、よそびとの
ようだけれど、実はそうとも言い切れないのではないか。
恵遠の死んだのは東晋の義熈十二年。晋書に、義熈九年倭が方物を献じたとあり、当時安帝の頃の倭王は賛
であったというから、ほぼ仁徳ないし履中天皇の治世に当っている。享年は八十を過ぎ、その死後四年で東晋は滅び、六朝第三の宋が立っている。
また恵遠が生まれたのは魏志倭人伝というあの魏のあと西晋王朝が内乱に潰え、江南下流の建康に逃れて辛
うじて東晋が帝業を繋いだ時期に当っている。この後揚子江の北にはいわゆる五胡十六國の興亡相次ぎ、絶えず江南を脅かした。東晋の縉紳貴族らは乱世流離の
憂いを抱きながら、却って琴棋書画の美しい幻を追っていた。彼らは幻想を現実に生きたい焦燥にかられていたが、すぐれた諦めに遠かった。その息づかいは逃
避と遊惰に濁っていた。
恵遠法師の生涯はこのような時に洞庭湖北の郢というちいさな村ではじまったのである。
恵遠の父は、西晋時代名君といわれた武帝の子楚王の麾下の地味な武将であった。伯麟といい、武帝没後の王朝を攪
乱したいわゆる八王の乱に生き残り、晋室南遷ののちも仕えて鎮軍建武参軍と呼ばれた。武人としては平凡な、しかしむずかしい時代に半生を生きた人といえ
る。人となりは敦厚、ごまかしのきかぬ気象であった。
麟は、崩折れるように西晋が潰えた最期の戦場に、十四になる太郎の亮と、倶に盛んに漢王の将軍石勒の兵
を追い馬を馳せた。伯麟の棒は百の剣より聴こえていた。
しかし亮が傷つくと麟は馬首をめぐらせ、使い馴れた棒を棄てて太郎を励ましながら南へ、一先ず郢へ、と
遁れたのである。
この時麟は我が子にこのように言った。
お前は長男ではありまた世に出て武将となるべき人間であるから意ってくが、自分は今日まで数知れぬほど
の戦に加わり殺傷を余儀なくされた。宿運で、どう免れるすべもないことであったが、中でも昔、楚王に随いて准河の西に虞淵という者を攻めた時、武勇にまか
せて自分は無辜の土民を沢山殺した。剣を握っている拳がとうに血で硬張っていたが、それでも鞘におさめなかった。
もう引揚げる頃に、自分は僚友の敦という男と轡を並べたがその時、逃げ遅れた一人の若い女が家の中から
走り出て木叢へ隠れるのを見つけた。慌てたうしろ姿は腹立たしいほど滑稽な感じだった。自分は敦の顔を見た。敦は索然とした面持で追う様子もない。すかさ
ず馬の腹を蹴った。蹴りながら、だが、余計なことだという気がした。難なく追い着くと自分は血塗れの剣を、しなうほど女の背に突き刺した。お前はきっと
分って呉れるだろうがその瞬間、実に愉快であった。愉快に遊んだというような気もちだった。しかし一方でやっぱり、余計なことという嘔きけのようないやな
気もちがぐっと来た。
馬を返して寄ってみると、女は袖で隠して乳呑児を抱いているのが分った。剣は真直ぐ幼い者の顔から頭の
鉢を刺し砕いていた。敦が来た。彼は顔を背け、吐きすてるように言った、要らぬことを――、と。
以来、自分は剣が握れなくなった。自分で自分に惑うようになった。しかし棒に持ち替えてみても余計なこ
とに大概変りはない。むろん敦に言われて参ったのではないし、そんな心惑いは女々しい感傷かもしれないのだが、だが、こと殺生と限った訳でなくこのまま死
ねば自分の一生は余計なことの朽ち腐れた堆高い山のようなものでしかない、というのが、自分の今のなさけない実感だ、覚えておくがいい。
父がそう息子に語り聴かせながら馬を急がせていた同じ頃、郢の家では伯麟の一人娘が父の全くあずかり知
らぬ孫を産み落としていたのである。
娘の名は玉蘭、そして麟夫婦には最初の孫であった。
麟は縋りつく妻を振り放つと、路上に追いつめて娘の相手の若者を斬った。若者は一言も喋らなかった。弁
疏もしなかった。地を這い、土塀に血を垂れながらやっと半身を起こすと、両掌を合わせ南無、阿弥陀仏と一声呼んでずずと頭から崩れ落ちた。麟は男の最期の
声を解さなかった。
太郎と顔を見合わせても、面伏せにしている妻や、産褥にやつれた娘の玉蘭を見ても麟はこの時余計なこと
をしたと思わなかった。声をたてて笑いさえもした。まだ眼をあけて母の顔を見ようともせぬ子を傍に寝かせ、僅かの隙に西壁に達筆で南無阿弥陀仏と墨書して
その前で玉蘭が自殺した時、はじめて麟は我に帰ったのである。麟も妻も、若者らの遺して行った奇妙の一句に心屈した。
麟は家族と郢を去った。劉と名づけられ、祖父の四郎とされた玉蘭の遺児はいつも老母の膝もとに眠ってい
て、時々勇ましく泣き声をあげた。
舟が洞庭湖を過ぎる夜、麟はひとり艫に出て星空を見上げていた。むかし弄玉と呼ばれた王女は、笛の上手
な賤しい男に想いを寄せ、男は鳳と化して弄玉を天涯に連れ去ったというが、娘を奪ったあの男は――。麟は漂う夜の暗に身を沈めながら拳を固めて、むなしく
舟ばたを低く物哀しく、いつまでも叩いていた。
舟は揚子江を東へ、ゆっくり下って行った。そして、洞庭と並ぶ番陽の大湖に近い潯陽に泊りした日も、麟
は思い屈して艫に出てみた。劉を抱いた妻を傍へ呼び、真南に、紫雲に捲かれて突兀と聳える廬山を見上げた。頂を染めた夕陽の色が麟将軍の眼に切なく眩し
かった。仏の教えを聴こうと思う、と老いて行く夫は静かな口調で妻に打ち明けた。
伯麟は再び仕えて鎮軍建武参軍となった。やがて致仕の表を白(たてまつ)ったが聴(ゆる)されなかっ
た。建康城内に居宅を構え、別に自分は郊外の江寧にちいさな家を持って、麟はそこから江寧寺の宝応和尚のもとへしばしば教えを乞いに出向いた。江寧寺はの
ち天台山とも拮抗した当時の大伽藍で教学と浄行と共に秀れた学匠を擁していたが、宝応はその中で法華経を護持しながらまた専ら無量寿経に拠って阿弥陀の本
願と浄土の観想に就き魅惑的な講説をつづけていた。しかし、廬山の東、星子という湖辺の寒村に、宝応も遙かに及ばぬ恵覚法師という高邁な僧侶のあることを
麟に教えたのも、この宝応であった。
宝応によって麟は後世ということを知った。麟はかつて過ぎこしを顧て無為を嘆くことはあっても、死後を
思い煩うことはなかったのである。今でも麟は死後よりも遙かに六十余年の現世に生きた意味を思っていた。意味はあるのかないのか。ないとすれば何のために
自分は生きてきたか。
しかし麟の心にえたいの知れぬ不安も芽ばえていた。日々に加わるこの心細さはただ老いゆえであるか
――。麟には、所詮不審を自力で解くことは出来ぬと思えた。それならば、我が子に学問をさせ、我が子にそれを聴こう。
麟は妻にそう告げ、妻も頷いた。恵覚法師のもとへ遣りたいと夫は言った。九江の南に聳えていた廬山のあ
の夕陽を覚えているかと麟は妻に尋ねた。朱い日翳を纏うて紫金に輝く山の姿が、潯陽一円のあの静かな泊りの夜、身にしみて思いを離れなかったとも麟は言っ
た。星子は舟を泊めた九江の港からみてちょうど廬山を東へ回った向う側であった。宝応和尚の言葉から推しても番陽の大湖を見わたす松風涼しい漁村ででもあ
ろうか、と恵覚法師が住む星子の名は麟と妻との互いの胸の奥に、不思議な悦びを湧き立たせたのである。
太郎の亮はすでに朝廷に志を寄せる武人であり、一児の父となっていた。沈着で人に信頼され、名族王家や
謝家の子弟とも親しかった。彼の、江上の舟となる莫れ、江上の月となる莫れ、舟載すれば人別離し、月照せば人離別すという四句は、蒼茫の哀韻ゆえに当時朝
廷に普く愛誦されていた。亮の出家はあるべくもなかった。
父と母は望みを次郎の綸に託した。綸は亡き姉に幼時もっとも愛されていた。父の言葉を聴き終ると綸は一
言、参りますと答え、遙かな恵覚法師の室に入ることを承知した。
いつからか麟はちいさな四郎、娘が遺した劉少年を眼で追っていた。呼んで抱いてやると劉は声をあげて悦
ぶ。しかし、ひとり音もさせず庭へ、家の外へ出て行くうしろ姿は何かを耐えていないか。"生まれたもの"の寂しさ、というようなことを麟は自身の心にも想
うようになった。死んだ玉蘭が想い出され、今また旅立って行った綸のことが想われた。綸が、いとおしかった。
およそ百日あまりして東林寺より建康の伯家へ思いがけぬ便が届いた。このほど当寺へ寄越された若者の身
の上に就き申し上げます。かの者、一向学問に心を入れず、とかく申しても改めませんので厳しく戒めおきましたところ、今暁俄かにはかなくなりました。致し
ようもなく、決してお嘆きにならぬよう、とだけで余のことは分らなかった。麟も妻もただ呆れた。十日たっても食がのどを通らなかったが、さすがに思い直し
て恵覚のもとへは粗忽ならぬ供物を多く届けさせた。あたら次郎を死なせた哀しみに加え、麟の胸に死後を煩う思いは急に重苦しく根を展げた。麟はついに妻を
語らい、今一度三郎の琅を星子へ遣ることにした。
琅は十六の少年であった。老父母は名残の涙にくれ、抱き寄せ、髪をかきなでて学問こころに入れよ、から
だいたわれよと訓え誡すと、次郎に懲りず、供一人つけて強いて笑おうとする少年を長江を遡り行く船頭に托したのである。
ところがまたも百日を経た頃、恵覚法師の使いが建康に着いた。此の度はさもなくてと望みを懸けていたの
ですが、法縁むなしく、所詮得度は叶いませぬばかりか山中で怪我をして死に失せました。これも果報とおあきらめ下さい、とあれば親はただごとと思えず、我
が身を打ち苛んで嘆きつづけた。成行きのと浅間しさに麟は家に籠り切って出なかった。
麟参軍は病床の妻の透けた白い頬を見た。この賢い妻は三郎の死にも、愚痴めいたことを言わなかった。た
だ夫が近づいて来る時、床の中から真直ぐ相手の眼を見つめて頭を動かすだけであった。病んで却って若い頃の面差しにかえっていると麟は思い、妻が死んだ玉
蘭の顔に見え、しかし何十年か前面白ずくに殺した乳呑児の若い母にも見えた。ゆるして呉れと、麟は妻の頬に手を添えて低声で言った。妻は夫の掌を涙で濡ら
したが、ゆるすともゆるさぬとも言わなかった。
年を越えて、春になった。漸く官を辞し、麟と妻は孫の劉ひとりを連れて江寧に移って行った。
江寧は背を安山というなだらかな山と、山裾をとり巻きながら南へ数里もつづく灌木林とに包まれ、前を犀
川が流れていた。北行して揚子江へ注ぐ清流であった。草萌えの長い堤に柳が揺れ、江寧の家々には花やいで桃が咲いた。
麟は床を離れた妻と、今年八つの劉と、劉の所へ遊びに来る秀蓮という少女を連れて、陽の暖かな犀川の堤
で安山を眺めて時を過ごした。懐の深い安山の中腹に一ところ色鮮かな竹林が見え、見え隠れに奥に江寧寺一山の堂塔がある。――麟はあれ以来、寺とも仏とも
口にしなかった。額に刻んだ皺から老いの影は深まり、麟は口にすれば自分でも何を言い出すか知れないと思うほど焦ら立っていた。
「あなた。ほら、ごらんなさいな」
麟は堤を下りて行く劉と秀蓮の方を妻に言われて振り返った。さっきから妻は安山に背を向けて二人を見て
いたらしい。幼い者は幼い足どりでしかし身軽に、川原の石を跳び跳び水際へ寄って行った。劉が先になり、また少女が追い着いて、先に立った方が手をさしの
べては笑い合っていた。麟老父は、孫とも呼ばずに育てて来た劉少年の頑是なく少女に呼びかける澄んだ高い声音を、和む日の下で黙って聴いていた。
劉と秀蓮は水際の大きな岩に腹這って川を覗いていた、それから言い合わせたように起った。少女の方が心
もち背が高い。それさえ微笑ましく、しかし幼い二つのうしろ姿は、黙然と岩上に寄り添ってなぜか動かなかった。
麟も妻も動かなかった。遠いうしろ姿をただ見つめていた。なびく柳は両堤に二筋に居流れ、水に溶け空に
溶けてただ春の光となった。向う堤も、その向うに展がる野も、桃の花も、花の色も、みな一つのまじり合うかげとなり、光って虚空に漂い、漂いながらも世界
はひたむきに音を立てて流れた。流れる世界の真中に、劉と秀蓮とはいつのまにか片手を片手と結んだちいさな影絵になって、動かなかった。と、麟は、麟だけ
でなく妻も、漂い流れる霞の向うから煌めく一団の影がみるみる赫奕たる火の玉となって子どもたちへ近寄ると見た。幻――、たしに一瞬の幻と見えたものの群
集は五彩の燃え熾る光を虚空に放って、沸騰する湯玉のように暫く躍動していたが、人とも物とも見分けつかずに消え入るようにやがて消えた。
劉と秀連は、川へ向いて跪いていた。二人とも両掌を合わせていた。麟も妻も声が出なかった。さっきから
堤の若草に足を伸ばしたまま身動ぎもしていない。今顔を見合わせ、麟は妻の頬に涙を見た。子どもたちの何事もなかったような朗かな声と笑顔が、ぴょんぴょ
んと石から石をはずんで近寄ってきた。
その夜、麟は妻を傍へ呼んだ。妻は呼ばれるのを待っていたように部屋へ入ってきた。手をひいて、妻はち
いさな劉と一緒であった。
「四郎は、まだ寝ないでいたのか」
少年を膝に抱きあげて麟は自分の声がすこし顫えたと思った。
「あなた。この子は――」と、妻はあとが言えなかった。劉はすでに麟の意向を承知していたのである。
祖父母が話す間ちいさな劉は麟の膝の上に膝を重ね、顔を麟の武張った肩に伏せていた。が、やがて祖母を
顧み、また祖父の眼を覗くようにまぢかに見つめた。抱きしめて、麟はそのまま子どものように、おいおいと泣いた。妻もうしろから背に顔を添えて四郎、四郎
と呼ぶだけで声を啜っていた――。
――次郎兄が廬山へ発ち、建康の家に残った誰もが淋しい思いをしていた頃、劉は或る日も老母の眼をかす
めてひとりですこし離れた西の丘まで行った。背に余る草に隠されて昔この辺に住んだ人の崩れならされた墓がある。劉は墓から墓を伝い歩きに丘の西側へ出
た。老いた大きな松が西向きに十も十五も幹を並べ、物言う人のように銘々に違った姿で立っていた。劉は草の上二尺とない所から太い幹を二つに分けた気の股
にはさまり、秋水一色の長江をながめた。
劉はこの途方もなく大きな河をながめながらいつも訳の分らない感動を覚えた。胸の中にちいさなこぶのよ
うな物が出来て、河をながめているとそれがぐりぐり動いて硬く膨れて行くのである。と、劉の眼の前へぽとっと毛虫が一つ落ちた。良い気味のものではないが
劉は黙って見ていた。毛虫はからだ半分を喰いちぎられて死んでいた。松から松へ、そして青空へ飛び立って行く小鳥の影が劉の眼をかすめた。
河をながめ虫をながめ、そのうち劉は焦ら立って来た。強いて謂えば怒りにちかい気もちが胸の硬い物を揺
するようにし、劉は叫びそうになった。召使いの楊と姜が台所の外で自分の若い父、母のことを囁き合っているのを聴いたあの時、あっと言ったまま真暗な眼の
前の闇へかけ込んでいきなり壁に叩きつけられたのを、何も知らない優しい祖母はわらって粗忽を咎めた――。劉は木の股から脱けて喰い欠かれた虫を土に埋め
た。ただそれだけのことを仕終わってから劉は風に鳴る松の緑を見上げた。今人に知られず泣くのは、毛虫のためだろうか、自分のためだろうか。劉は怒りに震
えたように立ちん棒のまま泣きじゃくった。
眼の前に人が立った。見たことのない男であった。男は泣いている劉の眼を覗くように腰をかがめて、さ
あ、と促した。男は劉より先に、今毛虫を埋めた場所にしゃがみこんだ。劉も向かい合ってしゃがむと、男を真似てちいさな掌を合わせた。劉は見たこともない
父と母とを想い描きながら祈った。男の姿はもう、なかった――。父母を弔うのは、誰でもない自分だ。
劉は、麟とその妻を等分に見くらべていたが、やがて、自分の手で先ず祖母の両手をとって合掌させ、また
麟にも同じようにさせた。
――劉はやがて江寧から舟に乗った。麟と妻とは建康まで同船して四郎の旅立ちを見送った。もう一人、麟
の妻は秀蓮を親のゆるしを貰って連れていた。舟の艫に老人が坐り、舳に八つの少年と九つの少女は竝んでいた。あざやかに水際をかすめて飛ぶ燕を見ると劉が
無邪気な声をあげる。思わず少女も劉に呼びかけ、ちらと艫の方を顧てそんな大声を出して恥ずかしいという顔になった。麟も妻も笑ってしまった。舟の胴には
厳めしい荷に造られた衣類や長旅の用意のものが、舟の上らしい竿や濡れた太い綱などと一緒に場を占めていた。
建康では亮の家族が幼い人の舟出を送ろうと待っていた。
劉は大きな兄に挨拶した。祖父に、祖母に、それから幼いいとこたちにも会釈し、最後に秀蓮を呼び寄せ
た。
「見送って呉れてありがとう。おじさんたちによろしく」
秀蓮は頷き、片手を伸ばしてそっと劉のあごに触った。劉ははにかみ、たったっとひとり舟へ戻って行っ
た。そして、もう誰が呼んでも舳に向うむきに坐ったまま顧なかった。岸に佇み伯麟は思わず掌を合わせた。小柄な妻が横で和した。秀蓮も、亮も、みなが静か
に仏の名を呼んだ。霧が晴れて、もう遙かな一点の影となった少年劉の舟は揚子江の涯しない波の色に溶け入るように遠ざかっていた。
この日から麟は落ち着かなかった。妻もことば少なに沈んで見えた。表むき四男の四郎でも、劉は二人の
孫であった。二人は孫の亡き親たちに重い負いめを感じていた。負いめはすこしも軽められたと思えなかった。二度の前例を追っていつまた凶報が届くかしれな
い。宵に、暁に、門打つ音を聴けば、それが他所の物音でもとうとう来たかと肝を消す日がつづいた。
麟は間遠になっていた江寧寺を訪れ安心の方策を問うた。宝応和尚はこれという説法もしなかった。却っ
て、二人の息子の死を麟が今どう思っているかと訊き返した。麟は、「こう申せば、次郎三郎に会わす顔もないのですが、あれたちを恵覚様のもとへやりました
のは、何とかあれらの行業専一の深い智慧に縋ってでも私は私の心の内にある大きな虚ろを埋める有難い押し絵が聴きたかったのです。現在の我が子から、もし
自分の生涯がそうも頼りないものでなかったぞと教えられれば、どんなに心強いかしれないとそればかりを願う気もちに執着して、綸の死にました時も琅が死ん
だと聴かされました時にも、泣き狂い哀しむ一方、一点腹に据えかねるような、こんなことでは自分は結局何一つこの六十年の証しを得られずにうろうろと死ん
で行かねばならぬという苦々しい焦ら立ちと怖さとで、頼り甲斐のない奴という思いが、失せませんでした」と告白した。宝応は絶句したまま暫く相手の顔を見
つめていたが、
「失礼だが麟さん。仰言る通りあなたの眼にも胸の内にも実に言い難い執着がある。その執着が二人の息子さ
んを死なせた。死なせねばすまぬようなはからいが、あったのでしょう。だが、あのちいさな末のお子さんを遣られたのも、同じお気もちでしたか」
「それは――」と言ったなり苦しそうに太い眉を顫わせて麟は瞑黙していたが、犀川の堤で見た不思議などを
詳しく話し終った。和尚はその話には特に何も答えなかった。そしてこんなことを麟に説いて聴かせたのである。
「仏は、言葉で真理を告げ語られることもある。だが言葉は所詮何もかもを言い尽せるものでない。まして耳
に聴き眼に読む我々凡夫は、言葉が難しければ分らぬことになり、易しく説かれて却って惑うこともある。仏の本当の説法とは、仏が言葉というものを喪い深い
瞑想に入られると、その瞑想の不可思議無量無際涯のかたちが燦然と人の眼に見え耳に聴こえる。仏の瞑想の一切の中身があたかも眼前に感じとれる。そのよう
にして過去現在未来の世界が、灼光が眼に跳び込むような具合に分るのである。かくいう自分も人を前に瞑想三昧に入り、仏国土の有難さ美しさを眼の前へ繪の
ようにお見せできればそれが何よりなので、そうできなくて実はまことにお恥ずかしい。あの恵覚奉仕はそれのできるお方だが、四郎殿もきっと秀れた菩薩にな
られよう――」
和尚は麟の顔を見てそう言い終るとあたかも仏を拝するように黙って掌を合わせた。
麟は、感動と、よく理解の届かぬ惑いのまますこしどぎまぎして和尚に倣った。
劉の小舟はおよそ百里の舟路を十九日かけてゆっくり揚子江を溯った。それは湖北から蘇州へ以前に麟の一家が傷心
の旅をした水路を、ちょうど逆に行くのであった。
彭沢まで来るとついに西の空に薄澄んで青い廬山が見え、次の日、潯陽に着いた。劉は、今、西日に秀を照
されて聳えた容赦なげな廬山を見上げていた。船頭二人は、明朝早く舟を暫く下流へ戻し、細い水脈から番陽湖へ入れば午過ぎに星子へ着くと話し合っていた。
その夜劉は眠らなかった。町の灯も消え船頭も寝入ってしまうと、天心に満月を浮かべた夜の青さが舟ばた
を鳴らす長江の水の色と照り合って、ちいさな劉を包んだ。涯ない波から波へ寄る淋しさは心細い息づかいとなって劉の肩さきを硬張らせた。遠く来た実感より
も、劉はいまこの舟の上に、すぐ傍に、自分の影と重なるように祖父の影を感じた。
あの祖父はいつも自分に物を言いたげであった。それは分っていた。しかし自分から抱かれに寄って行けなかった。祖父の悲しみと辛さを劉は感じていた。あの
祖父が父を斬った。母は父のあとを追った。そんなことは知らずにいたかった――。犀川の堤に祖父とならんで安山に鳴る竹の風を聴いた或る日、劉は自分が祖
父と同じ寂しさ、人と生まれまた人に死なれた寂しさに身をちぢめていることにはじめて気づいた。
――身動ぎして、劉は河に背をむけ廬山の大いさに眼を凝らした。江寧の安山とはまるで違う。天地に蟠る
真黒な巨大な闇の塊。だが山の端は月光に濡れ、樹々の一本一本が花やかな影絵に見えて青白い空に霞んでいた。自分は今あの空へ放たれる小鳥のようなものだ
ろうか。祖父の思いや願いがそのまま脱け出て来たような、弦をはなれた矢のような自分は、この先、祖父に代って何ほど空高く飛んで行けるであろうか。
劉は両腕を展げてみた。天に挙げてみた。細い双つの腕が山を抱き、夜空を抱くに足りた。しかし劉はすぐ
頭を低れた。
日が昇りはじめ、すこしの酒で早寝していた船頭はむっくり頭をあげて驚いた。舟で星子へ入るのをやめ、
山裾を伝い歩きにひとりで廬山の東へ出たいと、この少年は事もなげに言うのである。
劉と大人たちの間で暫く押し問答があった。難しい道とも思えなかったし、幾分ためらいがちに、結局船頭
も思いの外の金品を手にして劉ひとりを岸へ上げた。少年は微笑って手を振った。濛々と舞う朝霧の底から碧一傾の揚子江が展がり、水鳥の群はしぶきをあげて
蘆辺を飛び立って行った。一陣の黄金の炎となって、朝日が変える舟と行く劉とを朱く照した。
九江の町を、岸から真直ぐ山ふもとまで突き抜けて行くがよいと劉は教えられていた。
ゆるい坂の町を言われた通りに歩いて行くと汚なげな家から正体もなく着崩れた女がふらふらと現われ、劉
を呼びとめた。女は酔い、髪も梳ってはいなかった。いきなり劉の衿がみを掴み、若い男に言うように自分は夜通し眠れなかったのだと喚きながら、窓のある軒
の下までずるずる劉を引っ張った。
「どこへ行くのさ、お前」
辟易しながら劉は素直に答えた。
「へえ。坊やのくせしてもう坊さんになるのかい。そんならお前。手はじめに何でもいいからさ、一つお説教
してお行きよ。ね、何でもいいからさ」
懶げな顔のまま女は急に劉を抱き緊めて、「何てかわいい坊さんだろ」と力まかせに頬ずりした。劉はもが
いた。女は地面に坐りこみ、手首を捉えて放さなかった。
「さ、ちっちゃな坊さん。何とかお言い」
掴まれた手首が痛かった。仕方なく劉は女の膝の横に立ってこんなことを喋った。
「わたしの舟は蘇州の江寧という所からこの潯陽へ着くまで、ちょうど十九日かかって来ました」
「へえ。――おかしくもないお説教じゃいか」
「でも、わたしは、どうして十九日ちょうどで、十八日でも二十日ででもないのだろうと考えたんです。どう
して十九日か、って」
「ばかだねお前。そりゃ十九日でちょうどよかったからさ。そんなこと何も考えこむことはないし、考えたっ
てそれ以上のことは分りゃしないさ」
「そうですね」
「そうさ。舟が変り船頭が違や、今度は十八日で着くかもしれないし、二十日かかることもあるよ。そういう
もんさ何でも」「はい」
「あれ。どっちが説法しているのか分らないよこの子――」
「おばさん。もう、行かせて下さい」
劉の顔つきに気押されて女は慌てて手を離した。女を見て劉は微笑んだ。酒の香に浮かんでいた女の眼が瞠
かれ、忽ちに頬にのどもとに美しい血の色が湧き立った。劉は歩み去った。幼い顔は妙に恥ずかしそうであった。
廬山の西を流れて来た川が八つ手に分れて揚子江へ注ぐ町。橋から橋へ渡って劉は九江の坂を登って行っ
た。男も女も、用ありげな人はみな小走りに、魚の匂いのする町を舟付き場の方へ下りて行き劉ひとりが廬山を向いていた。だれも、あの寝そびれた女のように
劉に声をかけなかった。
山のふもとへ来て一体の石仏を見た。劉の背の三倍もあり、雨露にさらされ腋をつぼめていた。傍に、楝の
木が銀白の花房を柄だいっぱいに垂れ、仏はからだ半分を青い苔に絡まれていた。石像のうしろに梅林があり、林を抜けて奥野ちいさな崖を這い上がると東へ岨
道がつづいている。子どもの足でも半日頑張れば間違いなく大きな湖が見え、星子の家々も見える。そう船頭は言って、木沓の代りに、古びていたがやわらか
な、しかし劉には大きすぎる革沓を履かせて呉れた。
葉を繁らせた梅の林で劉は青い実を二つ拾い懐に入れた。懐には肌身に触れて、恵覚に宛て宝応和尚と伯麟
の手紙が藏われ、別にちいさな紙袋を手に持っていた。麻の素服に黒い帯を捲き、劉はすこし心細かった。
山に入ってしまうと山の大きさが見えなかった。樹木と草の匂いに塗れて水の底を泳ぐようなのが劉には物
足りなく、気味もわるかった。そのうち、山路にまかせ登っては下り、折れては曲りして行く一人きりの心地が気安く面白くなってきた。物珍らしかった。松林
の奥の日だまりに、真白に花を咲かせた大きな辛夷の木を見た。実をつけかけた緋木瓜の株にも遮られた。道は細まり広がり、うねる波になって、劉の足を誘っ
た。いつか跣足になっていたが、それさえ面白かった。
木隠れに、長江は春風を陽炎わせ悠々と天際を流れ去っていた。それもやがて見えなくなった。
劉は先を急いだ。
次に眼をあげると連翹の花やかな黄色に透けて、湖が見えた。銀の板に似た水面が、ぎらぎらと歩一歩展が
り展がり眼の内いっぱいに浮かび上がっていた。水のほかに何も見えないような所まで劉はやって来た。番陽湖――。世界中が海になりこの廬山だけが海の真中
に浮かんでいると劉は想像した。建康や江寧の祖父だの祖母だの秀蓮や大きな兄やその子らの顔が別世界のものに遙かに想い出せた。もうあの人たちと自分とを
繋ぐどんな陸地も橋もない所へ入りこんでしまった自分を、思わず辺りを見まわすようにして劉は納得した。湖の遠くに緑に静まり返ったまるい島が二つ見え
た。島に寄せる波が花の輪に見えた。何かなつかしい想い出につながって島も波も劉の瞼を熱くさせた。
湖に向かいずっと伸びて行った山道が、真直ぐな登り坂から空へなげ出されるように行きどまりになった。
雲を眺め湖を見下ろし、それから頭をめぐらして劉は廬山の全容を仰いだ。廬山は劉の足もとから向いの断崖へ唸るように彎曲し、あたかも勇者が天地を支える
巨大な柱を抱く如くそそり立っていた。劉は崖のはなに這い寄って谷底を覗き、また眼をあげて、南の、目くるめく太虚を抱えて突出した絶壁を窺った。土肌に
岩を噛んだ三四の松の根かたを黒い鳥がかすめて谷へ舞い下りて行った。
劉は疲れて、思わずため息をついた。
多目に貰ってきた粟の餅も一度に食べ切った。日は頭の上を通り過ぎていた。湖は凪ぎ、薄雲が漂う。貝が
蓋を閉じたように空と水が地平を限り、雲も鳥も舟も青い室の中をいたずらに彷徨う迷い子のようであった。劉は湖水の漫々を見るに飽いた。山に抱き竦められ
た眼に見えぬ太い柱の如きものを天から地へ、見上げ見下ろしながら、この奥ぐらい山の何処かに自分を待ち受ける師と法と仏との世界の秘蔵されてあること
を、劉は一瞬畏いと思った。
劉は勇者の胸をめがけてまた歩きはじめた。今度はわきめもふらずに歩いた。道はちいさな劉を誘って空の
明るい岨から山の奥の奥へとつづき、やがてそれも跡切れた。木の根を掴んできわどく崖っぷちをすり伸したに抜けたこともあった。岩にせかれ、右へまわり左
をうかがい統べる足を僅かな岩かどに踏み当ててやっと乗り越えたさきが、溺れそうな深い笹むらのこともあった。それでも劉の眼はまだ笹の下に草花を見つけ
た。
どこかで木蓮が満開だった。槇の林に鳴る流れの音もたしかに聴いた。汗にぬれて手紙は懐をはみ出てい
た。何よりも先刻見上げたあの谷の向い側の絶壁へ辿りつくものと劉は思って急いだのである。あそこから湖南を一望すれば、めざす星子か、或は東林寺のたた
ずまいさえ見えるかしれぬと想っていた。番陽湖は南北四十里、形は菊の花に似たとも、星が光るようだとも劉は聴かされていた。それもあの黒い牛が首をもた
げたような巨きな絶壁の上に立てば見える。劉はそう想って喘いでいた。
しかし、山は胸をあらけて劉を無慈悲に抱きこんでしまった。踏む土も冷たかった。太い根が道に蟠り、樹
々は枝から枝へ暗い風を漂わせていた。寒さが足もとでゆるく渦を巻き、やがて道は登る一方になって、梢を洩れる光が時々脅すように劉の眼を射た。
劉はまた革沓を履いたが、満足に足が出なかった。袋に藏っていた木沓に替えてもすぐ踏み割ってしまっ
た。餅を包んであった竹の皮と革沓と、それから割れた木沓も同じ袋に入れて、劉はこの袋が生きた道連れのように思えた。
もう休まなかった。じっとしていると暗い山に呑みこまれそうであった。ただ前を見て歩いた。道らしい道
もなかった。竹やぶがあると迂回した。蛇が走るのである。急な斜面に真直ぐ伸びた杉の林。劉はためらわず這って登った。強い下草の匂いが陽の光に泡立つよ
うであった。登っても登っても上があった。下れば嶮しい崖に行き当った。劉はさるすべりの紅い花の木にもたれて顔を伏せた。自分の息づかいだけが荒く、風
絶え、鳥も鳴かなかった。水が欲しい。足は血が垂れて脹れていた。ふくらはぎを裂かれているのも知っていた。汗が煮え、それも僅かな身動ぎで忽ち冷えた。
顫えながら劉の眼は涙をためて高い崖を見上げた。
劉は後悔していた。素直な舟の旅をしていたらとうに星子に着いていたであろう――。しかし愚痴にはなじまなかっ
た。山を畏れながら、まだまだ水の底に似たこの山の青さが憎み切れなかった。ちょうどよかったのさと言っていた九江の朝の着崩れた女の言葉を劉は思い出し
た。
山は、まったく山は、さまざまな形から造りあげられていた。それに一面の木の葉、草の葉の不思議な色と
姿。揺れても静まっても、どの葉さきの細かさにも山の生命が息づき生きている。自分は死ぬまい、死ぬわけがない。劉はそう呟いた。途端に劉のからだは空を
舞った。
三、四尺の浅い穴に、吹き溜りの朽ち葉を埋めて山の水が底籠っていた。水は腐って、頭から落ちこんだ劉
の首も胸も腹の下へも青黝い雫になって伝った。が、が、がと鋭い声をあげ飛び去る鳥の羽音が二つ三つつづいて、山は急に暗くなった。
汚れてしまった手紙の皺を伸ばし、畳んで木の根に置いた。着物を乾かすすべもなく、絞って着こみ、帯も
しめた。手紙はまた胸に藏った。袖が裂れ、二の腕が痛んだ。掌でごしごし拭って劉は一つ残っていた梅の実を噛んだ。思い切り酸っぱく、なみだが呆れるほど
溢れた。
素手になって劉はまた歩きはじめ、十歩も行くと棒立ちになった。
――建康の西の丘で一緒に毛虫の墓に手を合わせたあの人は、慰めるように自分にこう言った。人間のちか
らではどうにもならんことがあるさ。だからと言って泣くことはない。吾れひとりのはからいで何が出来る、それよりは祈ることだ。その上で何とでも頑張って
やって行くさ。劉が我に返ると男はもういなかった。立って西の方を見た。流れ寄る長江の水の上を光るかげが黄金の糸を引くように消えて行った。あの河上に
次郎兄や三郎兄がめざした廬山がある。廬山のもっと向うには父と母がいた郢という村がある。こぶしを握りしめてちいさな劉は風の中にまだ暫く佇んでいた。
風にまじって唄でもうたうような遠い人の声が聴こえた、と想った。
あれと似た声を秀蓮と一緒に犀川の水辺でも聴いた――。
あの時の気もちを劉は忘れていなかった。しかし何ごとがあったとも殆ど想い出せなかった。秀蓮の掌が柔かく、温かであったことだけを覚えていた。劉は今自
分の空っぽの掌をまじまじとながめた。血で汚れた掌に梅の実の匂いが残っていた。眼を凝らし、かすかな光の流れ寄る所を仰ぎ見て劉は顫える声で阿弥陀仏の
名を何度も呼んだ。そして、やっと納得したように、またゆるゆると滑る苔に手をつきながら大きな松林を登って行った。
登っているつもりでも、嶮しさに負けて横へ横へ伝い歩いていることが多かった。綺麗な花をつけた小枝が
意地わるく肌に突き立った。流れる血の上を木蔦がはじき、袖に絡んで笹は眼を打った。うっとうずくまったまま、忽ち灰色に変る眼の前で風が渦を巻いた。劉
の吐く息はとうに泣声に近かった。大声で泣いている方が気もらくであり賑やかであった。眼をかばい、片手は青葉と枝とをかき分けながら劉は脆くも行きどま
りの岩肌に胸を突き返された。水が欲しかった。眼がまい、よろめきよろめき殆ど這うだけであった。岫へ帰る雲が夕日に映えて見え隠れしても、廬山の頂は全
然見えなかった。
そして、またしても急な崖を滑った。つぶてになって小石は谷へ飛んだ。辛うじて途中の松に抱き竦めら
れ、劉は失神した。山を鳴らす暗い通り雨に息吹きかえしたが、頬も、両の掌も真朱にそげ、胸の内がぎしぎし鳴った。指さきは血垢でがさがさしていた。雨を
飲み、唾で傷を洗い、劉は震えていた。
雨がやむと急に暗くなった。遠くで鳥が騒いだ。何としても崖をよじ登らねばならない。劉は寒さに負けて
松の根に顔を伏せ、僅かな胃の腑の残りものを吐いた。
劉は泣いていなかった。泣くと疲れた。脹れた脚は骨まで痺れた。同じ場所をぐるぐる這い回っていたこと
もあった。出口のない青黝い暗やみに迷いこみ、行きどまり行きどまりに茨のとげや足を刺す浅茅や岩や、吸いこまれそうな真黒な谷があった。どろっと粘っこ
く揺れる木の暗が四方からじりじり劉を蔽い籠めた。ぐっりし、また思い直して劉は手を振りまわしまわし暗の渦にもぐりこんで行った。そんな劉の、からだも
力も余りにちいさかった。突き倒し、頭の上から脚の下から山風が見えぬ拳で劉を打った。
殆ど両眼をとじて劉は必死に這えるだけ這った。四つ這いの掌も膝も痺れていたが、這って、這って、ぶつ
かり、はじかれ、時には力なえてただごろごろと山の中を転げ落ちていた。からだ中が血でぬるぬるし、耳は空ろな筒を吹くようにぼうぼうと鳴った。そしても
う諦め切ったように、二度三度宙を舞いながら劉のからだは血まみれで真暗な谷へ落ちこんで行った。何も見えず何も聴こえなかった。悲鳴もあげなかった。全
く劉は夢の中にいた。夢の中で、劉はちいさな枕に頬をのせて寝ていた。寝て、そして夢を見ていた。夢のまた夢で劉は、山に登っていた。山の頂にたどり着く
と、一人の少女が向うむきに料紙を伸べ、髪をなびかせて一心に繪を描いていた。
少女の描く繪はほかでもなかった。細く長く、どこまでも一筋にのびている白い道の繪であった。道のわき
は濛々と青く塗ってあった。黄の色もまじり、ところどころの黒い彩りも鮮かであった。だが、何としてもそれは一筋につづく真直ぐの遠い遠い、遙かな、ただ
道の繪であった。
劉は黙って見ていた。少女も黙って描きつづけた。道は幾千里となく白光をただよわせて延びて行った。劉
の眼に涙の玉がつむつむとふくれては、消えた。風が鳴った。
少女はやがて、どう、と言った。秀蓮であった。何だか寂しい、と劉は呟いた。
秀蓮は別の絵筆の先に眼もまばゆい紅色を染めて、道の遠い涯の所に芥子粒よりちいさな人の影を描いた。
すると、万里もの道のりをかすかに或る輝きが吹雪のように奔った。
秀蓮は劉を顧て、あれはわたくし、と言って微笑った。秀蓮の声は山はらを流れるこだまよりも美しかっ
た。だが、遙かな楽の音のようにも哀しかった。
わたしのことも描いてほしい、と劉は頼んだ。秀蓮は返事をしなかった。だが、別の筆先に濃い藍の色をひ
たして、この道のこなたの端に、ちいさくくっきりと劉のうしろ姿を描いてやった。と劉は、見知らぬ山なかの道に寒げに佇っていた。山中と見たのは道ばたが
青々と奥深ううるんでいたからであったが、山ではなかった。野でもなかった。秀蓮の繪に紛れ入ったことを、劉は知った。道が白銀のように光っていた。
劉は歩きはじめた。この道の向うの涯から美しい少女がやって来る――。だが、本当に秀蓮は来るのだろう
か、と劉はふと惑った。頬をまたしても涙が流れた。あの秀蓮はこの道をさらに歩み去って逝く人なのかもしれない――。
暫くのあいだ劉は両掌で顔を蔽っていた。それから、歩きはじめた。あの少女の美しくなつかしいことだけ
を考え、考え、歩いた。ただもう歩いて行った。
――劉は我に返った。月が影という影を青い銀色に濡らしていた。劉は秀蓮を眼で探した。しかし、繪を描
いていた秀蓮も夢なら、夢のまた夢も幻であった。劉は殆どはだかで、血だるまになって、何かしら広々とした風通しのいい場所を這いまわっていた。
起とうとして何度も転んだ。胸板を突き上げて腹の中から荒い息が口へ出た。吐きたかった。劉は仰むけに伸びてしまった。はあはあ口をあけた。月が大きかっ
た。まんまるに光っていた。朦朧とした頭でここは廬山の頂上なのだと分った。すると劉は何が何でも遠い所が見たくなった。そのためにこそここまで来た気が
した。脹れあがった脚を踏んばり腰でいざりながら、劉は家ほどある真黒な岩につかまり立ちしてよじ登って行った。血で乾いたからだへ捲きつけるように風が
来た。
劉は見た。満月に照され大地の底にきらめく菊の花、星の光と咲いたような湖をとうとう見た。
精いっぱい来たという訳の知れぬ満足があった。このまま死ぬであろう――、劉は気だるくやっと思い当っ
た。次郎兄も三郎兄も、同じ道に踏み迷うて死なれたのではないのか。
風が募り、また凪いだ。
劉は眼をとじ、とじた瞼のうらの淡い月光に心を洗われた。心の奥の世界は優しい明るさににじみ合って遙
かな深みにまで拡がり拡がって行った。劉は傷ついたものを洗い流され、自分がどことも知れぬ広大な宇宙の一点、一箇の大きな瞳の如きものと化して世界を眺
めていると想った。濛々と輝く雲が四方八方に湧き立ち湧き返り、もつれ、ちぎれ、飛んで輪を結び、一団となり、薄れ、霞み、しかも雲間を透けて涯もない紺
青の色が澄んでいた。劉は、宇宙の真中で息を凝らしてその宇宙というものを見つめていた。すると湧きあがる白雲の彼方にちいさな光が一点鋭く青空をかすめ
て動いた。光はゆっくり、悠々と、弧を描いて雲に隠れ、雲を出てはすこしずつ大きくなり近づいて来た。劉はそれが千仭の深みを舞い上がって来る一羽の鶴で
あることに気づいた。鶴は純白だった。頭と羽根のさきに立派な黒と赤の色を点じながら大きな鶴は白光に射られて黄金色に照り映え、右へめぐり左へ流れなが
ら、静かに雲の底から姿を見せた。
劉は呼んだ。大声で呼んだ。呼びながら劉はあらためて自分が手も脚もからだも喪ったたった一つの瞳の如
きもので、あの鶴と同じにこの広大無辺際の宇宙の真中に漂う存在だと気がついた。「連れて行って」と劉は叫んだ。鶴は旋回しながら劉に近づいて来た。劉は
烈しく瞬いた。瞬きながら劉は巨きな鶴の背に女の人がひとり乗っているのを見た。あ、ああ、ああ。言葉にならない声で劉は呼んだ。鶴はゆるやかに羽搏き劉
の上から下へ、右へ左へ幾度も幾度もめぐり、輝く円光を空中になびかせた。劉は鶴の背の女人が微笑っているのを見た。また、合掌しているのを見た。
「お母さま」劉ははっきりそう呼び、もう一度鶴が近寄って来た時「お父さま」と叫んだ。
「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」
世界中が、雲も空も光も、黄金を鳴らすような澄み切った称名唱和で覆われた。劉も一心に念仏した。鶴が
そのまま沈むように雲間に消え、見えては隠れてとうとう舞い去って行った。劉ははっと眼をあけた。廬山頂上の大巌頭に坐して劉はじっと合掌したままであっ
た。月は皓々と湖上に照り、静かな風が傷つき汚されたいたいけなからだを包んでいた。
劉はうるんだ眼で月を見上げた。月は大きかった。そして、まんまるなその月輪の奥の芥子の種のように消
えて行く黒い影を劉は鶴と化した父と、父に抱かれた母だと想った。月は、満月は――。そうだったのか阿弥陀如来はあの輝く月であられるのかと少年は合点し
た。口を衝いて劉は澄んだ清らかな声で仏の御名を十度二十度、五十度、百度と高らかに呼んだ。呼びつづけた。すると呼ぶ声の一声一声が虚空に化して十五羽
三十羽、百羽そして五百羽千羽の白い鶴となり、漫々たる湖上の月明を楽しげに、或は高く或は低く、流れるように揚るように悠々と光る翼を銀の色に、また黄
金の色に、また漆のように、波のように燦めかせた。羽搏く音も優しく、かそけく、そよ風のように、歌声のように舞い遊びながら夥しい鶴の群は、やがて天上
へ天上へ糸に惹かれる美しい鞠のように一団となって満月の青い光の彼方に消えて行った――。「お祖父さま」と劉は心の内で呼んでいた。「これでよいのです
ね。何もみな、ちょうどよかったのですね」
劉は死ななかった。死ぬよりも苦しい山中の難行はそれからまだ何時間もつづいた。爪は一つ残らず剥げ、歩いても
這っても血を滴らせた。少年の顔は泥と血と傷に黝ずみ膨れていた。眼だけがそれでも燃えて何ものかを待っていた。劉自身何を自分が待っているのか知らな
かった。失神と幻覚との繰り返しの中で草を噛み木の葉を噛み、絶えず渇きと嘔きけとに喘いでいた。しかし、劉は自分が死ぬのを待つのでなく、もはや死なぬ
ために、生き抜いて、ただ生き抜いてみるために何かを待って、いた。坐して待つのでなく、この深い底知れない、魔性の腸の中ように暗くて青くさくてどろど
ろした起伏と容赦のない危険とで翻弄するような山の中を、精魂の尽きるまでよろめき這いずりまわりながら、待っていた。劉は
葉つきの枝折れをさながら降魔の剣の如くに、半ば盲いた眼を瞠き、ふりしぼる気力でただもうぐるぐると振
りまわしながら杉と苔としだの斜面をものの百丈も二百丈も転げ落ちて行った。
劉はうめいていた。うめく声が自分のものと納得出来なかった。声は頭上から降るようであった。薄眼をあ
けるとどうやらまだ星明りが厚い木の間を洩れていた。暗闇の中で、その時劉は枝が擦れ葉がさやぐのとは違う音、を聴いた。水の音、渓水がものに当って奔る
音、であった。
劉は夢中で水音の方へ肘と腹とを使って、それでも足りぬと分れば割れてささくれたはだかの膝を地面に引
きずって進んだ。木隠れにさわさわと明るんで月がまだ姿を見せていた。劉は息を呑んだ。渓川はあった。思いの外に近々と清らかな水の音は耳に届き眼に光っ
た。が、紛れもない真黒な精悍な姿で一匹の虎が流れに口をつけて水を飲んでいた。その息づく姿のたくましいかたちに劉は思わず顔を伏せ、からだを地に沈め
た。劉は満身に傷つき血を垂れたまま叩き伏せられて脅えている自分の姿を想った。みじめであった。劉は手近の巨きな柏の樹の根に慕い寄り、とにかくからだ
を起こして坐りこんだ。
虎は水を飲んでいた。何という美しい、大きなからだであろう。怖さや、死ぬ悲しさを忘れかけていた。美
しかったり、大きかったりするのは立派だと劉は満足した。もうあの虎に喰い裂かれても開くまい。心を決めて劉は眼を閉じた。僅かなそれまでの間、今死ぬる
ことより自分が生きていた間のことを考えようか。しかし瞬間に思い惑いは払いのけて、劉は父や母のいる國、仏の国のことを想った。想像した。ひたすら瞑想
した。瞑想しつづけた。聴こえていた水の音がやみ、しかしすぐまたものの音は聴こえてきた。蕩かすような励ますような愛撫するような、優しい音楽のような
劉の瞑想をいつまでも、静かに、静かに彩なすように。
この時、暁の闇に乏しい火をかりて廬山を登って来る二人の影があった。一人は劉少年がめざす東林寺の恵
覚法師で、もう一人は恵元と呼ばれる奇骨の青年僧であった。
恵覚は夜前より頻りに眼が冴えた。眼醒めてしまうと老人の常で睡りにくい。起って手水を使ったり低声で
経をくちずさんだりするその何度めかに恵覚は湖の方に耳馴れぬもの音を聴いたのである。もの音というような音ではなかった。人や鳥の声でも、物が触れ合っ
て鳴るのでも、また雨風が通るのでもなかった。敷いて謂えば恵覚その人の頭の中に、胸の内に、雪が降るとも花が匂うとも精妙な何ものかが通り抜けて行くと
形容してみるよりない或る動き、耀き、清らかな静かな賑わいのようなものが感じられたのである。恵覚は眼を凝らして遠くを覩ながら実に瞑黙の内に我と我が
心の深い湖を覗いていた。するとその暗く波うつ蒼い湖の上を無数に舞い遊びながら天心の月に一団と翔り去る鳥の群がありあり見えた。見えただけでなく、恍
惚と鳴る不思議な楽の音を、たなびく雲の紫の色に聴きとめたのである。
恵覚は阿弥陀経一巻を目読し、時々低声で誦していた。恵元が来て、彼も師僧と似た幻覚に驚いていた。二
人は寝静まった庭に出て白蓮花の睡る池のほとりから廬山の頂をながめた。睡れぬ夜には珍らしくない慣わしであったが、此の夜の山の色はどこか平常と違って
いた。二人は山に誘われているという気がした。山が、空が、雫する深夜の空気の一滴一滴が、恵覚恵元に呼びかけるという気がした。二人はその催しにふしぎ
な悦びを感じた。悦びには、安らかな、心を洗うような鼓舞するような大いさがあった。二人は新鮮な感動を抱いて山へ入って行った。
東林寺を出て南まわりに廬山の麓を行くと康という村がある。その村から恵覚に入門している者があり、そ
れが恵元であった。そちらへ向かう山道なら踏み馴れていた。しかし木の暗は深く、二人は手を引かれるように見知らぬ山中へ紛れ入ったまま恵元が、「お師匠
さま、様子が妙でございますから戻りましょうか」と言い出すところまで来てしまった。
乏しい火で辺りは却って真の闇であった。二人がこもごも手をあげてさながらかき分ける仕種をすると、微
塵の粉を撒いたほどのかすかな明るみが乱された水の輪のように頼りなく揺れ、巨きな人影に挑まれるように、突然ぬっと立木に眼の前を塞がれたりした。とこ
ろが恵元が様子が妙と言い出した頃から、まだ薄明の時刻でもないのに森々と鳴る山の音の奥から不思議に霧が斜面を流れ下りるような具合に明るみはじめ、足
もとから膝へ、腰から胸もとへと二人は美しい光に五体を包まれる心地がした。そればかりではない畏いほどの山の音がいつか静かは静かなまま心神を蕩かす和
んだ賑わいに聴こえ、身のまわりに、木むら草むらに、岩に枝葉に、木の間を分けたその蔭からも奥からも満ちて来る眼に見えぬ湖のように、やがて恵覚も恵元
も馥郁とした黄金の波立ちにひたひたと押し包まれていたのである。
恵覚は(きゅうそう)と鳴る音を聴いた。一瞬それは渓の水の潺々と聴こえ、しかし微妙に触れあう琳琅秘
玉の一つが二つに鳴り、四つ七つ十に響いて虚空を埋め尽すように想えた。恵覚は音のさなかに徐かに歩を進めながら習い覚えた夥しい経のことばを打ち忘れ
て、ひたすらただ一人の仏の御名をもう先ほどより声高に唱えつづけていた。恵元も師に倣っていた。樹木と見られていた影が、忽ち三十二の妙好相を備えた和
顔愛語の諸菩薩のすがたと現じて輝く笛や鼓、笙、琵琶や扇をもち笑みさんざめいていた。恵覚は思わず跪いて前方をうかがい覩た。二手を胸前に挙げ掌を外に
向け、大小の二指を相捻じて上品上生の印相に安坐しながら法輪を転ずる阿弥陀如来威神光々の御姿がさながら見えた。
仏の周囲は、行業の果報不可思議に、講堂、精舎、宮殿、楼観、池流、華樹に満ち溢れた百千殊妙、光赫焜
耀の極楽浄土と化し、実に恵覚恵元らの神を開き体を悦ばしめ心垢を蕩除して余すことがなかった。殊にも如来が坐し観音勢至以下の諸菩薩が首を稽べ礼を作し
て法音を聴いている傍には天を摩する一本の栴檀樹が立ち、幹は紫金で出来、茎は白銀で出来、枝は瑠璃、小枝は水晶で出来、珊瑚の葉をつけ瑪瑙の華を咲かせ
(しゃこ)の実を稔らせ、清風至れば七宝は自然の妙声を発し、その時四維十方上下の百千億無量無数の仏国土より飛来した仏菩薩たちは挙って如来の頭上を欣
喜し遊歩してその威徳を讃えたのである。
恵覚は随喜して歩を進め、眼に映じた一つの岩によじ登って如来を拝し、かかる奇瑞に逢いえた喜びのまま
声高に南無阿弥陀仏と念じて危うく岩上より身を投げようとした時であった、「お師匠さま」と恵元がうしろから腰にしがみついた。我に帰った恵覚は、眼の前
の、とある樹の根にやっと倚りかかって今にも絶え入りそうなかよわい少年の、しかしいかにも清らかな瞑黙の姿を見出したのである。
――劉は、人の声を聴いた。力づよい手で肩を抱かれていた。眼をあけると、虎の背に仏が立ち、劉を見つ
めていた。仏の背に、光が鮮かに紅く照っていた。あ、と叫ぶと劉は夢中で合掌した。すると仏も劉を拝し清い声で和しながら虎の背を走り下り、渓を渡ってか
け寄って来た。若い僧が、倒れそうな自分を抱きかかえて呉れているのに、はじめて劉は気づいた。
「東林寺の恵覚だよ」と、仏と見えた人が声をかけた。少年は血まみれの顔に笑みを浮かべてなつかしそうに
「お待ちして居りました」と言い、懐中の手紙を差し出し「さきの鎮軍建武参軍伯麟の四郎、劉です」と名告った。
「虎は」
劉はあどけない声に戻って師僧に訊いた。三人が見返った渓川に水を飲んで見える虎とは、一箇の、実に漆
黒の奇岩であった。ああはっはと真先に恵覚が笑った。
「佳い哉、廬山の龍虎――」
そう言って笑った。八歳の少年も笑い、恵元も老師の諧謔に声をあげてはっははと笑った。すでに朝日は山
はらをほのぼのと深く斜めに射込んで、木々の肌はぬれ、空は青みそめていた。
劉は恵覚法師の膝下に侍すること二年、十の歳に得度して恵遠(えおん)と呼ばれた。恵遠の瞑想の深妙にして清白
顕明なことは、しばしば倶に浄土の行に勤める他の弟子衆の諸見を消滅し塵労を散じ欲塹を壊たせて、無量寿無量光、大慈悲西方仏国土を覩見させえたのであ
る。
廬山は恵遠の父母であり師であり友であった。その著す廬山略記に、――
其の山の大いなる嶺は、凡そ七重あり。円き基(ふもと)の周囲(めぐり)は、五百里に垂(ちか)し。風と雲の(もとお)る所、江(かわ)と湖の帯(めぐ)
る所なり。高き崖、反れる宇(みね)、峭しき壁は万尋にして、深き岫(たに)、窮まれる巌(やま)に、人も獣も両に絶えたり――と恵遠は書き、殊に満月に
帰り逝く鶴を幻に見た最も高き峰を後に香爐峯と呼んで、――遊(ただよ)える気、其の上を籠め、氤(いん)(うん)として香煙の若(ごと)し――と謂って
いる。かの虎渓の泉源を極めていた恵遠は廬山南西の山中に曠蕩の霊地を見出し、またそこから遠くない場所に、――流れを掛くること三百丈、(たに)に噴
(むせ)ぶこと数十里、(たちま)ち飛んで電の来(いた)る如く、隠(しづ)かに白き虹の起つに若(に)たり――、と李白が絶唱したような豊かな瀑布を控
えて、大湖を望み、ならびに全く西天を視野におさめた実に普等三昧を逮得するにふさわしい寂静の一奇台をも得ていた。
しかしながら廬山の清風をよそに、当時揚子江上流の一帯は東晋の閨族桓温、桓玄父子の睥睨にまかせてい
た。國都建康では漸く官爵も公然と売買された。顕官は門閥とともに風姿の美、機智の弁を競い、大臣王恭の如きは春月下の柳に似た物腰や、神仙のような装い
を人に羨まれて特異であった。民政は悉く廃れ、公卿は徒らに清談に耽った。ひとり桓温は兵馬の権を養い秘かに皇位の簒奪を策していたが、果さずに死に、子
の桓玄が父の野望をついだ。光孝武帝は夙に酒毒に屈し、ついに寵妾のためにその床の中で殺害されて帝業を唖で白癡の太子にゆだねた。
世は危く、國は乱れ、しかも書に絶世の王羲之あり画に冠絶の顧ト之がいた。文華は賑わい世道は爛れてい
た。念々に廬山と倶に日を送りながら恵遠は遙かに叔父伯亮の痛ましいような宮仕えの噂を聴くことがあった。彼もまた好爵に(つな)がれて寵辱の道に喘ぐ人
であった。恵遠は叔父の為にも秘かに祈った。
十八の秋に恵遠は恵覚法師の死に遭い、遺命に従って一時東林寺を離れ、漸く十年ぶりに江寧なる老父母の
もとへと旅立った。途中、潯陽九江に泊りした時一人の尼が舟に恵恩訪ねて来た。恵遠八歳の入山に際して最初の説法を強いた女であった。酒色に荒んでいた女
はあの時卒然と因縁の大事に思い至り、比丘尼と身をなし漂泊の生涯を風塵にさらしていたのであるが、たまたま恵遠の九江に来(いた)ると聴くと再度の結縁
を懇望したのである。
恵遠法師、即ちかつての劉少年はこの女を忘れていなかった。請われるままに法華経の薬王菩薩本事品を説
いて阿弥陀経が陰密法華に他ならぬことを証し、倶に往生浄土のことを約した。それから、女と恵遠は互いに沈黙した。廬山を照す秋月は、折しも紫雲に捲かれ
て二人の姿を優しい影に変えた。
江寧に帰ると恵遠は伯麟とその妻の縋るような瞳に逢った。死期を待つ老いた二人は恵遠と互いに拝し終る
と今生の意味を問いかけた。恵遠は涙して暫くさしうつむいたまま言葉もなかったが、漸く顔をあげるとその昔そうしたように祖父と祖母の傍へ寄り、自分の手
でしなびた黄色い年寄りの掌を一つに合わしてやり、自分も熱誠を顔に表わして合掌するや「南無阿弥陀仏」と十声し、息を調えて訓すようにただ一言、「此の
世のことはみな、夢まぼろしと思せよ」と告げたのである。
あ、と麟は絶句した。つぶさに嘗めた哀別離苦、今生の徒労感が沸つように今どっと心に甦った。そんな
――。だが一瞬の抗いも崩れる枝の雪が水に流されるように麟は恵遠の清い瞳にからだごと吸いとられて行った。思わず恵遠の若い手を手さぐりに引き寄せ、
「この十年が間、わしも……」と言ったなり麟は眼を泣き脹らした妻を顧て訳もなく頷き頷きした。妻はすっかりちいさく老いていた。手をとられたまま恵遠は
跪いて祖父の胸に顔を寄せ、麟と妻とは抱きあげるように恵遠を立たせた。暫く三人は一つに抱き合っていたが、やがて誰からと泣く来世を願う念仏の声を起こ
し、部屋に満ちていた人々もこの時もろともに心より西方往生の一念を生じたのであった。
恵遠はかの少女秀蓮がすでに数年前に病死していたことを知った。ひとり犀川の堤に出た恵遠は逝くものの
静かな歩みの音を聴いた。廬山をさまよい断崖を転げ落ちながら夢に夢見たあの遠い遠い白光の道を、今、秀蓮はどちらを向いて歩みつづけているのであろう
か。若き青年僧の両眼に涙は溢れ流れた。涙を払い恵遠は頭をめぐらして西天を仰ぎ見た。帰り来迎の寂しくも花やかな幻が一瞬恵遠の瞳をよぎって、うすれ
た。
恵遠はやがて一枚の画絹を麟老父とその妻の手に遺し、遙か広州常安寺の道安という学匠を尋ねて去って
行った。その繪は、紅葉に燃える廬山と漣波に燦めく大湖とを見下ろしていた。画中の落日は山を染め、紫金の乱雲は西天に漲り、一団の迅雲となって阿弥陀如
来と菩薩天人の大群集がまっしぐらに湖上を山壁へと急いでいた。
恵遠は、恵覚法師の臨終に描いた幻覚を、自らの手で倏忽の間に写していたのである。
――完――
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