秦恒平に「初恋」という中篇小説がある。卑賎芸能への差別を扱った題材といい、幻想を駆使した方法といい、刺激的な作品なのだが、「雲居寺跡」と題された初出が目立たない場所―「あるとき」昭53.10―であったことと、「初恋」と改題されて収められた単行本『初恋』―講談社、昭54.10.24―も絶版となっている現在、あまり注目されることのない不幸な作品となっている。作者の作品への思い入れの深さは単行本表題作として巻頭に据え
られていることでも明らかだが、その『初恋』の「あとがき」には次のように書かれていた。
そもそも「雲居寺跡」(うんごじあと)という歴史小説を書きかけ、
書き切れずに『清経入水』に転じたのが幸い陽の目をみて、今年
でちょうど十年になる。その「雲居寺跡」へまた意を決して踏みこ
み、そして此の際思い切った改題をさえ試みたのは、此処に私の、
文学への「初恋」も芽生えていたと、今つくづく自覚するからだ。
作品「初恋」に芽生えていたというく文学への「初恋」〉とはどういうことか、その作者の思い入れの所以(ゆえん)を探りつつ、秦文学における「初恋」の重要性を明らかにする方向で、以下に論を進めてみたい。
T 初恋の物語
しかしまず「初恋」がどんな物語かを知っておかねばなるまい。秦文学の他の多くの作品同様、「初恋」もまた過去と現在、幻想と現実とが複雑に錯綜した重層的な作品構造を持っており、その梗概を簡略にまとめることは難しい。そして後の論の展開のためにも、ここではむしろ紙数を惜しむことなくストーリーを忠実にたどってみたい。
「初恋」は全八章から成り、各章交互に過去と現在が語られる構成をとっており、奇数章では(それ以前の回想を含みつつ)高校一年から三年までの三年間における、語り手当尾(とおの)の木地雪子へのく初恋〉が語られ、それから二十年以上を経て小説家となっている当尾の現在に即して偶数章はおおむね進行する。ラジオの講座で梁塵秘抄について話してきたその最終回が放送された数日後から流れだす現在の時間では、その放送への反響を契機に繰り広げられる梁塵秘抄の世界、とりわけ源資時(すけとき)への思いが中心に語られている。各章は匂付(においづけ)とでもいうべき巧妙な接合をもって展開しており、奇数章の過去の体験が偶数章の現在の芸能観を培い、そしてその過去の回想にまた現在の芸能観が影をおとす、という相互に浸透しあう二つの世界から作品は成り立っているのだが、ここでは表題の〈初恋〉がとりあえず指し示している当尾の過去の部分を中心にたどってみよう。
(以下、〔 〕内の算用数字は湖の本版『初恋』の頁数を示している。)
「一」では当尾の高校一年の夏休み、地蔵盆の日の回想が中心に語られる。
毎年の地蔵盆の中日(なかび)に行なわれる余興には、決まって〈なんとか愛八〉というくへたな浪花節語り〉〔57〕が呼ばれていた。浪花節よりもその後の〈付(つけたり)の芸〉〔58〕が呼びもので、大人たちに尋ねれば〈のろんじ〉〈かったい〉〔59〕と答えられる、〈ごく初期の猿若〉〔58〕を想起させるものだった。高校に進学して古典の教科書等によって今様に触れることでくなんとなく愛八の芸にこれまでとちょっと違った興味らしいものを持ちはじめていた〉〔61〕当尾は、その日の曲師を勤めていたく娘、愛丸〉〔63〕と紹介された少女が、中学時代をともに過ごした木地雪子であることを知る。〈妙に気が動顛し〉〔64〕た当尾は人をかきわけ雪子のそばへ歩みよっていった。(以上「一」。以下「二」の現在時では、梁塵秘抄のラジオ放送の視聴者から源資時についての話が面白かったという電話をもらい、雪子が電話してくるはずはないと思いつつも逢いたさを募らせている現在の心境と、後白河院と資時のことについてが語られる。)
しかし呼びかけた当尾を無視したかったのか雪子は振向かない。その〈木地雪子を振向かせるのに、足かけ三年かかった〉〔73〕という、三年間の当尾の幼い、しかし執拗な雪子へのアプローチが「三」で語られる。
愛丸として寄席に出るときは、〈あつかましく楽屋へ忍び入〉〔74〕るまでに通いつめ、手紙を出し続け、跡をつけまわす、その当尾の雪子への執着は、〈近在の物嗤いに〉〔73〕なるほどのものだったが、〈四つ五つで人に、「貰い子風情」と唾をかけられて以来、つとめて鈍感になろうとし〉〔73〕ていた彼は意に介さず雪子につきまとい続ける。当尾は〈雪子の何に惚れこんだのかがさつぱり自分で〉〔76〕もわからず、そして雪子はいっこうに振向いてはくれない。〈「しまいに、あんたが困るのえ」〉〔79〕という雪子のことばどおり、周囲の反応は単に当尾の愚行への物嗤いのみならず、〈かったい〉〔59・79〕としての雪子一家の生業への差別に絡んだ痛罵をも含むものとなっていた。(以上「三」。
以下「四」では、「二」を承けた資時に関する記述が続き、資時の母壱岐が乙前の孫娘であることや、資時は〈己(おの)が生立ちの秘密〉を知らず、後白河院は乙前らとのく深い縁からも万事心得てひとしお資時を愛〉〔81〕しただろうことが、〈自分が貰い子の身にも比(よそ)えて〉〔81〕語られる。そして雪子を想い出してから日本古来の〈あそび〉〔81〕の歴史に思いを馳せるが、資時の墓の所在を雲居庵の傍と知らせる、写真を添えた、例の視聴者からかと思われる手紙を彼は受け取る。)
その雪子が漸くに振向いてくれた、高校卒業間近の日のことが「五」で語られる。初めて応じてくれた美術展へのデートのあと入ったうどん屋で、雪子の食べ残した丼を彼が浚えてしまったことが彼女の心を当尾に近づけたらしく、粟田山への山径を登った二人は、尊勝院の境内で抱きあう。雪子の突然の変わり身に愕き理由を尋ねる当尾に、彼女はさり
げなく〈一味(一字に、傍点)同心(一字に、傍点)〉〔93〕ということばで答える。〈何かが今、誓い合われていた〉〔93〕と
感じられる抱擁をしながらの二人の山行は、途中から菊渓の源流へと下る冒険となり、そして高台寺の奥〈まちがいのない雲居寺跡(うんごじあと)〉〔99〕へと出た二人は、金網の破れから忍びこみ〈早蕨(さわらび)のように頭をまるめて、ひっそり立っている一つの墓〉〔99〕を見つける。(以上「五」。「六」では「四」での来信を承けての雲居庵についての説明と、彼の娘が聞いてきた平曲演奏についてが語られたあと、〈短い夢を夕食前にむさぼるのが、このところ〉のく行儀のわるい癖〉〔102〕だとして、その夕べの夢が語られるが、それは「五」の続きとしての雲居庵での雪子との夜の夢であり、古代装束を身にまとった愛八ら一族に囲まれての《同火同食》の祝言だった。)
雲居庵の板敷に古畳を立て囲い抱きあって寝た二人は、翌早朝発見され、〈高台寺の奥を犯した〉〔107〕として警察に突きだされ新聞沙汰にもなる。親類が乗りだして二人は引き裂かれるが、そこには年齢の問題以上に愛八らの職業への蔑視があり、当尾はそれに怒りを覚えつつも論難の術(すべ)を知らず、ただ〈真の身内とは何〉〔109〕かと思いをめぐらすのみだった。雪子とも会おうとするがかなわず、訪れた雪子の家でも愛八の姉と老婆とから多くを訊きだすことはできなかった。そんなある日中学時代の国語の恩師に呼びだされてみれば、それは雪子も同席でのく別ればなし〉〔115〕の確認だった。〈大学出たらまた、逢〉〔115〕うことでそれを諾(うべな)った当尾は、恩師から〈思う所(とこ)は〉〈もっともっとしてから、文章に書〉〔115〕くことを勧められ、雪子と共にそこを辞す。(以上「七」。以下「八」では、その恩師の太平記研究には愛八と懇意だったことが繋がっているだろうことを語ったあと、「七」の続きとして、雪子との最後の日に行なわれた京都の街中を我武者羅に歩きまわるというく別れの儀式〉〔119〕が回想され、その後の現在時までの経緯が説明される。)
大学を出ても雪子とは逢うことなく当尾は現在の妻と結婚するが、雪子は既に死んでいたことを七年後に知らされ、雪子に詫びたく思うのと同時に、〈「資時」を書きたい〉〔121〕と思い立つ。その晩〈高台寺の墓地を上って行く女を追ってい〉〔121〕る夢を見、〈鉤蕨(かぎわらび)に似た、あれが雪子の墓かと、ふと想〉〔122〕う。夢そのままに『雲居寺跡』という小説を書きだしたが中絶した。まだ資時の小説を書きだせないでいる現在、〈しきりに木地雪子を夢見た〉〔122〕いという心境を述べて、当尾の語りは終わる。
U 下敷きにされた作品
ところで以上に見てきたところは単なる作品の梗概であって、その重層的な構造を頭に置きつつたどったにせよ、作品内部の、表層のレベルでの錯綜をほぐしたにすぎない。「初恋」という作品の真の重層性を考えるには、作品そのものがその上に重ね置かれた、もう一つの層の存在をも視野に入れる必要がある。つまり「初恋」という作品は、確かに
資時の梁塵秘抄を核とする芸能の歴史的世界を下敷きにして、その上に《現実》の世界を虚構することで成り立っていたのだが、その二つの世界を含めたさらにその下に実はもう一つ別の、意図的に踏まえられた世界があるのである。
しかしそれは当然のことながら「初恋」のみを読んでいる読者には見えるべくもない世界である。が逆にその世界の存在を知って、それを作品の下敷きに入れることで、あたかもその熱によって何も描かれてはいないかに見えた白地に判然とした図柄があぶりだされてくるように、かなり読み解きにくい「初恋」の世界が、その錯綜した諸要素の関係性が明らかになることで、クリアーなものになるといった世界である。しかし勿体ぶるのはよそう。その意図的に踏まえられたであろうもう一つの世界とは、秦恒平自身の旧作「清経入水」(「展望」昭44・8)の世界である。先に引いた「あとがき」で、単行本刊行年が「清経入水」からくちょうど十年に〉あたることがことさら思い入れある書き方をされていたのも実はこのためと言えるのである。
ところで「清経入水」を読んだことのある読者なら、この「あとがき」に触れたとき多少の違和感を覚えたはずである。「初恋」の原題が「雲居寺跡」なのは、そのクライマックスの舞台がまさしく雲居寺跡である以上納得できるものの、なぜ「清経入水」が「雲居寺跡」なのか、〈転じた〉と書かれている以上その原構想やそれに伴うタイトルは措いても、「清経入水」と「初恋」との間にそんなに深い関係があるのか、といった不審は拭えなかったはずだ。
したがってここで両作の関係性について問題にするにしても、例えば単に両作とも京都を舞台にし、歴史的なあるいは古典文学的な世界を背景にしてその作品世界が成り立っている、といった秦文学のほとんどすべてに共通するような特徴を挙げることではすむまい。そうした共通点といった次元を超えて、意図的に踏まえたであろうと言えるのは、作品の構造そのものまでがぴったりと重なりあうからなのだが、その前にまず「清経入水」がどんな物語なのかを見ておかねばなるまい。
山中の一軒家で襖のむこうの談笑の声音を懐かしんで襖をあけてもあけても、談笑の声は空ろな部屋のむこうから聞こえ続ける。そんな何度も見続けている〈夢〉が序詞的に語られたあと、丹波山中の狐塚は〈きよつね塚〉が正しく、平清経に関わりがある、という教え子の話を紹介した中学時代の恩師の手紙で物語は始まる。清経は〈鬼〉と深い交渉があり、平家物語が伝える入水は実は丹波山中への遁走だった、と考えていた宏は、広島行の仕事のついでに京都に立ち寄り、鬼山和子というその教え子の少女に会わせてもらう。奇異と怖れとを抱きつつ和子の話に惹きつけられて京都まで足を運んだのは、清経考証以外に宏に丹波と鬼山姓にまつわる苦い思い出があるからだった。戦時中丹波に疎開していた宏は同じ部落の鬼山紀子という年上の少女と幼な恋を体験したが、紀子一家はむきつけにく鬼〉と嘱し蔑まれる怪しい雰囲気を持っていた。その蔑みを宏も持ちつつしかし憧れもしていた紀子と、宏はある嵐の夜鬼山山中で偶然一夜を共にすることになる。京都に帰った宏の前に紀子が再び姿を現わすのは、大学入学が決まった冬だが、そこで宏は鬼山山中での肌の記憶に誘われて紀子の肉体に惑溺する。しかし紀子は急に姿を見せなくなるのだが、〈紀子を鬼と信じて、怖れ、また恋していた。どこかで差別や軽蔑さえも、していた〉宏は、その別離に安堵の気持ちが隠せなかった。
そうした紀子の妹が実は和子なのではないか、あるいは和子は紀子その人ではなかったか、という奇異な思いにとらわれつつ平家縁の宮島を訪れた宏は、漁(すなど)る若い男に沖の小島の名を聞き〈きつね塚〉)と教えられ、さらに山の上の〈蛇塚〉を指さされる。その瞬間宏は落下の感覚を味わい、その中で〈夢〉の談笑の声をしかと聞き分け、談笑の主は〈瀬戸の海に沈んで果てた平家〉一門であったことを悟り、そして〈この僕が清経なのだと知〉る。鬼山の岩穴の前に立った宏に「お父さん」と呼びかけた小蛇が和子に変じ、その和子から彼女が紀子との間の娘であり、既に亡い紀子の遺髪を埋めたこの塚が狐塚であることを知らされる。我に返った宏の前に、宮島の狐塚も蛇塚ももうない。沖に遠ざかる紀子たちの小舟を見送りつつ、宏は佇(た)ち竦(すく)み続ける……。
先にも触れたようにできあがった世界としては二つの作品はまったく別なものであり、一読したかぎりでは両者の相似性質肇されやすいのだが、このような形で梗概をたどったとき・両者の距離はかなり接近してこよう。すなわ単に歴史的世界を借景としたにとどまらぬ、その上に《現実》世界が重ねあわされる重層性がまず両作に共通しているが、その下敷きにされた世界がともに源平争乱の時代であり、そこに重ねられるのが語り手の幼な恋の体験だということまでがぴったり一致している。そしてそれ以上に、この二つの世界を重ねあわせたのは作者の意図であり趣向であったのだが、それが語り手の考証を交えた語りの進行に連れて、重ねあわされたという作為を感じさせないまでに融合していく展開を見せる、という構造の一致こそ見落とされてはなるまい。
こうした構造の一致の上に立てば、細部での様々な共通項はいくらでも拾いだすことができる。
「初恋」の当尾(とおの)、「清経入水」の宏という語り手の名前は、両作では姓名別々に分けられているが、他の多くの作品で主人公の名に採られた《当尾宏》そのものであろう(事実「清経入水」の私家版ではこのフルネームが出てきている)し、その名告(なの)りが実父母の籍に入(い)るをえず京都府相楽郡当尾(二字に、傍点)村の父方祖父宅に預けられて幼時を過ごし、その後現姓の秦家に引き取られてからもとりあえず宏一(ひろかず)と名を変えられていた、作者その人の影を落としたものであることが既に示すように、両作の当尾も宏も、ともにその時々の作者の現実を、例えば梁塵秘抄のラジオ放送をしたり(昭52・10・2-511・6)、医学関係出版社に勤務していたり(昭34・4-49・8)といった形で色濃く反映した存在なのである。
もっともこれは他作にも通底した秦文学における創作の秘儀に属する部分ではあり、これについては後にまた考えねばなるまいが、そして表面的には当尾は作家、宏は会社員という違いはあるものの、両者とも憑かれたように歴史上の人物である資時を、そして清経を追いかけ続けている点も「初恋」と「清経入水」では共通している。そしてその考証という形の熱心な追跡は、その対象の人物の母親を、それぞれ壱岐、丹波という(地名を名告りとし、それぞれの作品のヒロインとつながりを持たせた名であることも共通する)白拍子だとする(ともにそれ自体虚構の設定である)ところを大きな発条(ばね)として進められる。さらにその考証を含めた物語は、それぞれの追いかけている人物の墓を、資時のそれは雲居庵横の鉤蕨の形をした自然石の墓だとし、清経の墓は丹波鬼山にあるくきつね塚〉だとし、その所在を知らせる来信によって大きな展開を見せることまで一致しているのだ。
そしてその考証と並行して回想の形で語られる主人公の過去、すなわち下敷きにされた古典の世界の上に重ねられた《現実》の世界の中でも、両作品は多くの共通項をもっている。そもそもその《現実》の世界とは、ともに主人公の過去の幼な恋を中心とするものであった。その恋の相手との交渉の期間は、「清経入水」では小学五年から社会人となって
上京したあとまでと長く、「初恋」では高校一年(出会いまで遡っても中学一年)から高校三年までと短い、という差こそあれ、そしてその交渉のクライマックスでの深い交わりの程は「清経入水」ではかなり露骨に、「初恋」では微妙に書かれているという違いもあるものの、ともに高校三年の冬、京都東山の山径にてその恋のクライマックスを迎えるという、年立ても舞台も一致している。
そしてそのクライマックスの直後に彼らの幼な恋は破局を迎えることになる。そこに宏の父が関与したのではないかということが、「清経入水」では読者にはその事実関係の確認ができるべくもない宏の妄想の形で語られていたが、「初恋」でははっきりと父親をはじめとする親戚らの手によってその破局がもたらされていたことが語られている。さらにその幼な恋の相手である鬼山紀子も木地雪子も、ともに語りの現在時では既に此の世に亡い存在であること、そしてそのことが今まさに語りが終わろうとする時点ではじめて明かされるという構成(という以上の語りの構造)もまた一致している。
そしてそのヒロインは「清経入水」では〈鬼〉、「初恋」では〈かったい〉〔59・79〕と呼び蔑まれる、ともに卑賎の者として設定されている。そうした差別がヒロインに及ぶのは、勿論その家全体が差別の対象とされているにせよ、主に〈峠向うの杉戸の出だった〉鬼山藤次と、〈のろんじ〉〔59〕である愛八こと遊垣専一という、ともに父親の卑種性によっているのだ。このヒロインが卑種なる父の側に寄っていることに対応して、両作ともに語り手は追いかけている歴史上の人物の方に、やはり卑種なるこの場合は母の側を、貴種なる父を敢えて捨てる形で選びとらせている。すなわち清経は父なる平家一門を捨て母なるく鬼〉の側を選んで丹波に奔る、それがく清経入水〉ならぬ《清経遁走》という宏の考証の方向だったのであり、「初恋」でも資時が郢曲(えいきょく)の名門である父資賢の源家を離れて下賎な平曲語りを、つまりは白拍子なる母をも大きく括りとる世界の方を選びとっていく姿が、作品末尾の〈夢〉の中で当尾の幻想によって描かれるのだ。
さらに「清経入水」での清経の墓とされた〈きつね塚〉が実は遺髪が埋められた紀子の墓であったことと呼応して、「初恋」での当尾は、自身過去に雪子とともに見つけ、そして現在写真によって資時の墓と教えられた〈鉤蕨に似た、あれが雪子の墓かと、ふと想った〉〔122〕りしているのである>。この合理的な説明などを求めさせないリアリティをもったものではあるのだが、やはり「清経入水」の宏の覚醒を横に、あるいは下敷きに置いたとき、より明瞭にわかりやすくなるはずである。しかしこれらは幻想の中での発覚であり、あるいは幻想を承けての想像であり、その内容の意味するところは幻想の在り方自体を考えることなしには見えまいし、そもそもその幻想のメカニズこそが両作に共通する最たるものなのである。
V 原点としての夢
以上に見てきたように「初恋」と「清経入水」との間には様々な共通部分が拾いだせた。その他そのそれぞれの共通項の中でも、例えば大学進学は推薦によるものであったこと等、より細部での一致をいくらでも列挙することは出来ようし、さらには父の職業がラジオ商であったことや、主人公が蛇嫌いであることやといった細かな道具立てのいちいちまでが、ことごとく自身の旧作が踏まえられているのだ。しかしこうした例をこれ以上挙げ続けるのは煩わしく、最も本質的といえる一致をこそ見てみるべきだろう。
ところでここに挙げた三点はそれぞれ作者秦恒平の伝記的事実に照応しているのであり、そこから他の例えば幼な恋に関する共通項を作者の実体験に基くが故、と捉える視方もあるいは可能であろう。事実彼を私小説的作家として見てそうした下衆っぽい勘繰りがされがちな要素を秦文学はもっている。しかしそうした危険を敢えて冒し、と言うよりもむしろそのこと自体を遊ぶかに、作者の現実を作中に鏤(ちりば)めることによってある種の枠組みをとった上で幻想を恣(ほしいまま)にするといった、私小説の逆手とでも呼ぶべき方法をとる作家が秦恒平なのである。
原体験と呼ぶべき恋愛体験の有無やそれとの異同は知らず、少なくとも作品の構造上の一致は偶然とは言えまいし、両作の細部に亘る様々な重なりあいは、そうした一致する構造がまずあり、その枠組みの上にそれぞれの細部が配列された結果と考えるべきだろう。すなわちここでも各作品でとられた私小説の逆手といった方法同様に、偶然にではなく意図的に、「初恋」では「清経入水」が踏まえられていると言えよう。そう意図的だと言えることを明らかにするためにも、先に述べた最も作品にとって本質的な一致点を見るべきだし、そうすることで(たとえ両作における相似性というだけではことばの足りない様々な一致を偶然のものとするにしても、そうであれば尚さらに)単に作品にとってのみならず、秦文学にとっての本質的なものが見えてくるはずである。
ではその、「清経入水」との最たる一致を見せる、「初恋」における幻想とはいったいどんなものか。
先にも既に触れたように「初恋」は「一」から「八」までの各章で過去と現在とを交互に語り分けていく構成をとっている。しかもその各章間の展開は円滑の妙の極みを見せており、偶数章の現在時、語り手当尾が梁塵秘抄およびその周辺の芸能についての様々な思惟をめぐらせる、そのそれぞれに関連する形で(つまり語り手の連想の形で)過去が喚び起こされ、その幼な恋の体験が奇数章で回想され、語られていく。したがって語られた側(読者)としては、雪子との物語と資時の時代とが次第に重なりあってくるなかで、最後にその二つの世界が渾然と融合することになるのが、作品末尾に置かれた当尾の〈夢〉なのである。この融合を円滑に準備するために最終「八」では例外的に現在と過去とがとも
に語られていたのだ。まず当尾の見た〈夢〉を我々も見てみよう。
その晩、夢を見た。夢の中で私は高台寺の墓地を上って行く
女を追っていた。そして、急に姿を見喪った時、眼の前に金網
の破れがあった。とびこみながら性急に「雪子」「雪子」と呼んだ。
そう呼んだつもりだった。のに、まるで違う名前が山辺にこだま
して、するとわざと隠れているのか、ほどよい木陰から名を呼び
返された。知らぬ名だった。が、それはもう私の名前に相違なか
った。露坐の大仏の上を勢いよく鳩の群が舞っていた。
「なぜ、わしを置いて行く」
「ほっほ……ちゃんとわたくしのあとをつけておいでだったでは
ありませぬか。わるいお方が付きまとうと、さあ、父上の前で言
いつけましょうか」
私は苦笑した。雲居寺(うんごじ)の池の上を渡って熱心な師の
御房(ごぼう)の繰り返し繰り返し弾く琵琶の手が聴えていた――。
〔121〕
夢とは本来そういうものだろうが、ここでのく夢〉もまたかなり意味のつかみにくいものであろう。つまり〈雪子〉の名前はどうくまるで違う名前〉として発語されたのか、自分を呼び返した〈知らぬ名〉とはいったいどんな名なのか。しかし語り手はこの〈夢〉以前に周到に伏線(という言い方は後に見るように実は適当ではないが)を施してくれている。「四」で資時の〈母の名は「壱岐」と〉〔80〕したあと、語り手はその壱岐につき〈「つねに消えせぬゆき(二字に、傍点)の島」という今様があり、「壱岐」は当時「雪」と音通だったことだけ、いやこの女が「あそび」だったことも、判っている。〉〔81〕と述べていた。そして雪(傍点)子がその〈あそび〉の血脈を引く者として捉えられていることを考えれば、ここでの〈違う名前〉は〈壱岐〉以外には考えられない。となれば〈呼び返された〉〈知らぬ名〉は、それがく見も知らぬ産みの母親を、何度私は「あそび」の境涯の人と想ってみたことか。〉と述懐する〈私の名前に相違な〉い以上、〈資時〉としかなるまい。「初恋」の
世界で語り手が思いをめぐらす歴史上の人物の中で〈師〉と呼ばれうるのは乙前、慈鎮、そして後白河院の三人だが、
〈御房〉には乙前は当たらず、後二者と師弟関係にあるのは資時しかいない。さらに〈琵琶の手〉に〈熱心な〉師とは後白河院に特定されるはずだが、ともあれそこからも〈私の名前〉は〈資時〉となるはずなのである。そして「清経入水」にも通じる、秦恒平における母恋を考える好材料ともなろう、この〈夢〉において無意識のうちに母の〈あとをつけて〉いたこと、そしてそれを資賢という〈父上の前で言いつけ〉られるのに〈苦笑〉を禁じえないということが象徴的に意味するものこそ、先に述べた資時における母の側の選択、平曲への傾斜なのである。
ところでこの作品末尾に至って語り手が自身の追いかけていた歴史上の人物と一体化するという展開は、「清経入水」において作品の結ばれる直前に宏が〈平家に迎えられない今は異端の鬼の群に身を絡められた即ちこの僕が清経なのだ〉と自覚する語りの進行と軌を一にしているのである。そしてその「清経入水」では、その最後の宮島での幻想の中で現われる鬼山和子という紀子の娘が、そもそもの清経考証を促す〈まどわし〉を行なっていたのであり、すべてはその幻想を出発点に、つまり語りの進行とは逆に、幻想の現実への侵食作用が遡行的に作品前半にまで及んでいくといった作品構造をもっていたように、「初恋」もまた、この作品末尾の〈夢〉を原点として、そこから当尾の回想(過去)も考証(現在)も、すなわち作品世界のすべてが織り成されているのである。
先に見た偶数章の現在の《現実》に挟まれて語られる奇数章における過去の恋愛体験とは、あくまでも現在時での回想だったのであり、そこで語られている内容は、現在時の語り手の解釈・感想・解説を挿まれた、それによって潤色されたものだった。例えば愛八の芸について語る件(くだ)りでは〈今(傍線)なら私は躊躇なく物真似と言う。ごく初期の猿若を考える。〉〔58〕という現在時での注釈がつけ加えられており、藝人の絵解きについてもく今(傍線)なら音羽屋(しょうろく)が得意のうかれ坊主のチョボクレを想い出す語り口〉〔74〕だという形で解説し、〈異形と見える若い雪子の風体(ふうてい)〉についてもく今(傍線)だと能装束の摺箔の着付などをすぐ想いついただろう〉〔90〕と語っている。これらはすべて、愛八そして雪子の藝を、長い藝能の歴史の中でその正統な伝統の血脈を引くものとして位置づけうる認識をもった、現在時の視点によるものである。そして現在時からの回想とは、そうした視点に立つことでの過去の再度のたどり直しということになる以上、これは回想、そしてそれを語ることの本来の在り方にむしろ忠実なものと言えるのかもしれない。
だがいかに本来的な在り方とは言え、いや本来的であれば尚さらに地の文から消えてしかるべき〈今〉という視座がことさらに頻出している。そしてそれらは、〈今(傍線)にしてあの時、だれ一人、私にしても、結婚の二字をけっして口にしなかったのに、思い当る。〉〔112〕という箇所をむしろ例外に、先の例同様の〈今(傍線)なら〉〈「靱猿(うつぼざる)」ふうの小舞を連想しただろう。〉〔63〕、〈猿楽者(さるごうもの)の門附(かどづけ)か大道藝かと見ただろう。〉〔64〕と愛丸(雪子)の藝を捉えたり、大人の口にしたくかったい〉〔59・79〕ということばについて〈「かたゐおきな」という、ただ下賎の老人というにとどまらない〉〔79〕〈芸能者たちが古来いたことを今(傍線)の私はもう知っている。〉〔80〕とする形での、藝能への造詣を深めた現在時からの解釈なのである。そして当時の自分を〈今(傍線)に思えば「聖(ひじり)をたてじはや」という気だった。「年の若きおり戯(たは)れせん」と思っていた。〉〔73〕と振り返るところに最も顕著に表われているように、その藝能への関心の中心に資時がい、梁塵秘抄があったとき、〈今の私〉が最も深く関わるその今様歌謡をもって、彼は当時の自分の心情をも脚色し、過去のすべてをたどり返すことになるのだ。
しかしでは、そうした視点をもちうる〈今〉とはいったいいつ(二字に、傍点)なのか。その〈今〉資時への関心、梁塵秘抄への興味を持つに至らしめたのは何か。すなわち過去を振り返っていく視座であるく今〉を、そう在らしめたものはいったい何なのか。それを明らかにするためには、回想される過去を過去として対象化させ、現在と区別して各章交互に振り分けさせた、その現在時の原点を探すべきだろう。現在時はどこまで遡りうるのか、どこから過去と区別されるのか。
W 夢の呪力
「初恋」では偶数章に置かれた現在時の語りは、ほぼ直線的な時間軸に沿って進行する。
そして最後の「八」で、強制的に別れさせられたあとの、雪子と最後に出会って過ごした、
その過去の回想が現在時に混入したあと、時間軸はそのままそこから延ばされる形で、雪
子と別れ〈京都を捨て、東京で結婚した〉痂〕それ以降のことが駆け足で語られ、語り
の現在時〈今〉にたどりつく。したがってこの「八」末尾が時間軸の折り目になっている
わけだが、そこでは次のように語られている。
恋
エ3エ初
木地雪子が、まだ私が一年間大学院に籍を置いていた間に、それはちょうど、私が
妻の卒業を待っていたような間に病死したらしいことを、結婚後七年めの夏の休暇で
親の家へ帰って、聴いた。(-:-)雪子のことをもっと聴きたかった。が、聴される
エ32
ことでなかった。耐えて、傭いて、そうですが、と頷いた。将軍塚で、雪子が拾った
おはじきの黄色が蘇る。一瞬肩先へものが来たと感じた。「資時」を書きたいと、あ
の時、思い立った。そう思いながら、はじめて私は本当に青くなった。地に顔を擦り
つけて雪子に詫びたかった。愛八にも、曲師のおばさんや耳たぶを垂れていたお婆さ
んにも詫びたかった。〔伽5捌〕
先に引いた自分が資時になりかわる〈夢〉がこの直後に続くのだが、作家である当尾が
資時や梁塵秘抄に関心を抱き、そこを〈今の私〉として過去を回想していく「初恋」の、
その当尾の〈今〉を色濃く規定しているのが、この〈「資時」を書きたいと〉〈思い立〉ち、
〈その晩〉資時を生きる〈夢〉〔響を見る、今から〈十何年か〉〔轡前の〈結婚後七年
め〉一o一に当たる〈あの時〉一響なのであった。では〈あの時〉当尾が体験したものは
何か。
それを一語で名.つければ、秦恒平の他の多くの主人公たちが体験したのと同様の、《死
なれた》体験ということになろう。雪子が既に死んでいたことをはじめて聞かされ、その
《死なれた》悲しみと痛切な悔いの中から、偶数章に振り分けられた現在時の当尾の人生
は始まったのであり、その《死なれた》思いをもって奇数章の過去はたどり直されるので
恋
133初
ある。つまりは「初恋」という物語のすべてはこの《死なれた》地点から織り成されてい
たのだ。
ところでそこを、雪子に《死なれた》ところを出発点とする物語なら、当然その語りの
現在時では、語り手は雪子の既に此の世に亡いことを知っていたはずだ。にもかかわらず、
語り手はあたかも現在時も雪子が生きているかに(そう読者に思わせるように)語ってい
る。確かに「八」まで読んで当尾の語った体験を共有したあとで読み返せば、〈雪子が電
話してくるはずはなかった。逢いたかった。〉〔66〕という述懐は、その死を知っている者
の発言として不合理なところはなく、決して読者を証かしていたことにはなるまい。し
かしその〈一瞬木地雪子かと想ったあんな電話を受け〉〔81〕たその後日、電話が鳴った
ときにく一瞬胸が騒いだ〉〔皿〕と語る当尾の語りを聞いている読者は(しかも雪子と見
た高台寺奥の墓の写真を同封し、それを資時の墓だと知らせる来信まであっては、そして
そソ)が人の立ちいることのできない場所であってみれば)雪子の現在の存命を疑わず、電
話と手紙の主を雪子と信じざるをえないだろうし、この後の現在時における雪子の登場を
期待もするはずである。
しかしなにも語り手に抗議をしているわけではない。そもそもこれは作者レベルでの、
読者にもまた当尾同様の《死なれた》思いを同時体験させようという、巧妙に仕組まれた
Ill
エ34
趣向であり、「八」末尾まで読み進んではじめて雪子の死を知らされ驚く読者の驚きが、
雪子の死を聞かされた時点での当尾の驚きにみあい、その《死なれた》思いのリアリティ、
すなわち「初恋」という作品の原動力を保証する効果が狙われていたはずなのだから。そ
してさらに当尾が敢えて雪子が生きているかに語ったにしたところで、そこにも責めを負
わせることはできまい。なぜなら、読者が作品を読み進むにつれ、現在と過去、そして雪
子の世界と資時の世界が融合してきたように、その融合された折り目における《死なれ
た》ところを出発点として現在を生きている当尾は、その読者の経験を先取りして、現在
と過去を同時に生きていると言えるのであり、そして《死なれた》地点を折り目として始
められる現在の人生と、過去の生の回想とが等価であるような作品構造が如実に示すよう
に、当尾が過去の世界の雪子をそのまま現在の世界の実在として感じたとしても、(まさ
に『冬祭り』の語り手が今は亡き冬子を実在として信じ、ともに生きるように)なんら不
思議はないからである。
そしてそうした生を当尾に生かしめているのは、雪子に《死なれた》思いと、それによ
って見た〈夢〉だったのであり、もし当尾が雪子の実在を信じることを不思議とするにし
ても、そうした幻想的な生ならしめるのは、この〈夢〉の呪力のせいなのである。「清経
入水」における最後の宮島での幻想がそうであったように、「初恋」の末尾に置かれた
〈夢〉もまた、現実を侵食する作用をもっており、そこからすべての作品世界が紡ぎださ
れていると言えるのだ。そのことは、過去の物語の中で地蔵盆の夜当尾が雪子に惹かれる
ことになった、そもそもその場面が、年立てとしては当然《死なれた》あとのく夢〉に先
行するにもかかわらず、その〈夢〉によって脚色されて回想されている事実が、端的に示
していよう。
恋
135初
雪子は妙に白い着物を着ていた。背に、黒い変った柄が稲妻なりに走っていながら、
印象は真白かった。じっと見つめるうち、白地に、烈しく雨が降って見えた。無数の
鳥が遠く翔び去って行くのが見えた。しまいに雪子の背も着物も透きとおり、遙かち
いさな燈火の色が一つから二つ、五つ、十と上になり下になり揺れ動くのが見えて、
しいんと眼の底まで静かだった。愛八の「のろんじ」が佳境に入っていると分別しな
"】たにそここわ
カら、我身ひとつは山里らしい渓底の細道をあてどなく歩く心地がしていた。伯くな
ってまた、「木地」と呼んだ。木地という、かつて何の印象もなかったただの苗字が
ふと意味ありげに面白かった。面白い以上に軽く肌に粟を生じる響すらもってきた。
雪子は振向かなかった一。
木地雪子を振向かせるのに、足かけ三年かかった。どこにそんな執勘さが秘んでい
エ36
たか、時に自分がよその誰かのような気さえしながら、残る高校の二年半、
もなりに手段をつくして雪子につきまとった。父には罵倒された。一72573〕
私は子ど
「初恋」における過去の幼な恋とは、こうした〈雪子を振向かせる〉〔73〕ことに執心し、
雪子を追い続けたことに始まっていた。そしてその恋の発端というべきこの場面は、〈高
台寺の墓地を上って行く女を追っていた〉一町〕作品末尾の〈夢〉にそっくり照応してい
ると言える。そもそも〈夢〉でく露坐の大仏の上を勢いよく鳩の群が舞っていた〉ことが
回想に影を落とし、その導入部で雪子の着物の〈白地に〉〈無数の鳥が遠く翔び去って行
く〉幻を喚び起こしているのだ。そして〈夢〉において〈鳩の群〉を見ることが、それ以
前の〈それはもう私の名前に相違なかった〉と自覚している、そこではまだ現代人として
の意識をもっている〈私〉が、完全に資時になりきった〈わし〉一町として生きだす、
直接の契機になっていたように、回想の中でのく無数の烏〉の幻も、そこから回想の幻想
化を促進させる役割を果たしているのだ。
雪子を振向かせるために名前を呼ぼうとする、その〈心地〉がく渓底の細道をあてどな
く歩く心地〉と形容されるのは、まさに〈夢〉の舞台が踏まえられているからであり、
〈「雪子」と呼んだ〉〈のに、まるで違う名前〉〔響になったことに呼応して、〈「木地」と
恋
エ37初
呼んだ〉あとその名が〈ふと意味ありげに〉思えてくるのだ。そして雪子の名を呼んだ自
分が〈知らぬ名〉でく呼び返された〉ときの気持ちがく自分がよその誰かのような気〉
〔73〕持ちに反映されるのである。
この〈よその誰かのような気〉〔73一や〈あてどなく歩く心地〉〔72〕を、我を忘れた夢
中の状態の形容だと平板に解釈するのは(確かに読者レベルでは結果的にその効果をもた
らしているものの)あまりにリアリズムに即きすぎていよう。そして夢とは日常の延長に
あり、現実の過去がまずあってその上で夢が見られた以上、現実の体験が夢に流入するの
は当然だとして、ここでも逆に恋の発端の体験の方が〈夢〉に影を落としたのだとするあ
くまでも現実的な捉え方は、表面上の年立てに囚われすぎて作品における語りのメカニズ
ムを忘れていよう。なるほど原体験が夢に投影されるにせよ、その〈夢〉を見たあとで当
の過去が回想されているのであって、語られているところを読者が聞いている〈今〉の前
にまずく夢〉があったこと、したがって語られているのは原体験としての現実そのもので
はよもやなく、あくまでも〈今〉の時点での潤色を施されたものであることは既に見てお
いたとおりであり、これまでも厳密に《現実》という表記をとってきたはずである。
そして(論者においてもぞうした先への展開を予想した布石を置く、それ以上に細心で
あろうはずの)作者の側での意図を問題にするならば、勿論こうした二つ.の場面の照応は、
欝欝灘
エ38
伏線と呼ばれるべきものであろう。事実、伏線とは(それが意図の圏外で結果的にそうな
ったのではなく、あくまでも計算ずくで施された場合)まさにテクストの後ろ側から(す
なわち〈夢〉の側から)発想されるもののはずだ。作者の意図に基く伏線だと名.つけたと
ころで、それは語りのレベルで機能している〈夢〉が回想を統御する、幻想の侵食作用を
否定することにはなるまい。そもそも後に見るように、語り手が在るべき生をつかむべく
回想をし、それを語る形で幻想の生を生き直しているのと、まさにイコールの形で作家の
《書く》という行為は位置.つけられているのであり、いかに作者の側の《書く》という営
為に力点を置くにせよ、それは《語り》と関連する在り方として捉えられねばならないは
ずだ。
むしろ伏線だと考えることは(そう名.つけて事足れりとすることの無効性は勿論とし
て)ある種の危険を伴おう。つまり作者の側の意図を重視するあまり、そのことが語りの
機能を忘れさせ、夢の呪力を信じさせぬ現実主義を導き、そして秦作品を誤読させる可能
性をもつのである。それは後ろに位置する〈夢〉の描写がその前に置かれた出会いの場面
に入りこんだことを認めつつも、〈夢〉の呪力(という形の語りのメカニズム)を視野に
入れずにすべてを作者の意図の圏内に括り入れることで、描写された(実は語られた)場
面の非現実性や不合理性を衝き、あるいは明らさまな作者の作為の跡を論う、といった
恋
エ39初
批判的な読みを生じさせかねないのだ。文壇登場作である「清経入水」がその太宰治賞の
選評の中で〈現代怪奇小説〉一河上徹太郎「効果的な結びつけ」「展望」昭44・8一といった読ま
れ方をされていたのも、そうしたことと決して無縁ではなかろう。
「初恋」の中でも例えば、〈やっとやっと〉〈雪子が振向いた〉〔86〕恋のクライマックス
であるく高台寺の奥を犯した事件〉〔o〕において、〈まちがいのない雲居寺跡へ出てきた
のだ〉〔99〕と書かれるのは、雪子に《死なれた》あと『雲居寺跡』という小説を〈いき
なり書きはじめた〉時点においてすら〈あの一帯がもと雲居寺の旧地で〉あったことを
〈知らなかった〉繊585〕と書かれている以上、明らかな年立て上の矛盾であり、しかも
その小説で〈資時入道の終の栖を〉〈雲居寺畔に定めようとしたのも、根本に雪子との出
逢いを私が培っていた証拠かしれなかった〉〔85〕とする当尾の考えは、当時そこを〈雲
居寺跡〉と知らなかった以上牽強付会も甚だしく、二重の潮齢を生じている、といった批
判も出されかねまい。
しかし〈まちがいのない〉と言っているのは(それが「五」であり、その直前の「四」
で)そこが雲居寺跡であることを既に語っていた語り手なのであり、当時の当尾その人で
はないのだ。そうした語りのメカニズムを忘れ表面上の年立てに囚われることは、語られ
た世界をそのまま現実と思いこむことに通じ、したがって幻想的な場面への展開の折りに、
1一[一
エ40
その両者の落差をもって作品に怪奇性を感じてしまうのだ。このように回想された過去が
そのままの現実でないように、語られている現在もまた現実そのままでないことは既に見
ておいたはずだ。であれば(つまり死した雪子の実在を信じるような《現実》の中にあっ
ては)資時のことを考え、雪子のことを想い出しつつ語っている現在(しかもその両者が
重なりあった〈夢〉を見てしまったあとのく今〉)両者のつながりの中を語ることで生き
ている語り手が、たとえ年立て的には歪曲になろうと、そのつながりの確かさを〈証拠〉
という形で物語りたくなる心理に、なんら不自然なものはないはずだ。そして忘れてなら
ないのは、たとえ歪曲にせよ牽強付会にせよ、それは語り手当尾によるものであって、決
して作者のそれではない、ということである。
秦文学の諸作品は、こうした語りの、そしてその核にある幻想のメカニズムを見落とし
ては、決してその世界を捉えられないような作品なのである。では「初恋」において、こ
うして語っていくことの意味はいったいどこにあるのか。そもそもその核にあるとされる
〈夢〉とはいったい何を意味していたのだろうか。
V幻想の意味
「初恋」という作品における核とも言える
〈夢〉とは、
既に引いて見たように語り手当尾
恋
エ奴初
が資時になりかわる幻想であり、作品の末尾に位置していた。その〈夢〉を導く《死なれ
た》体験であるくあの時〉〔響についての語りもそのまま引いておいた。その二つの場
面のつながりの中で「初恋」における〈夢〉のもつ意味を考えることは、同時にその《死
なれた》体験ととりあえず一語で括ったことの意味をさらに肉.つけすることにもなるはず
だろう。そしてそのためにはここでも、同様の幻想を同じく作品末尾にもった「清経入
水」を下敷きに入れることが、理解を早めてくれよう。
では「清経入水」における作品末尾の幻想である主人公宏の宮島での体験にはどんな意
味があったのか。具体的な引用によってそれを詳細に見ていく煩を避け、図式化する形で
たどってみよう。宏はまず平清経の入水に興味を抱き、その入水が鬼のもとへの遁走であ
ったのではないかという考証を続けていたが、そこで見えてきたのがA〔清経H鬼〕と括
(
られる認識だった。それを裏打ちするのが丹波でのく鬼〉と蔑まれた鬼山紀子との体験で
あり、その回想を通してQ〔鬼"紀子〕という宏の実感が語られる。その考証と回想とが
重なりあわされたとき、最後の宮島幻想で、踏まえられたであろう謡曲「清経」さながら
に、死した紀子が宏の前に顕ち現われる。これは謂わばC・Gの融合によるJ〔清経"紀
子〕としての顕現であった。そしてこの紀子の顕ち現われは、その前に宏の〈即ちこの僕
が清経なのだ〉との、つまりC〔宏"清経〕という自覚をまってのものだった。γ)うして
(
.■
エ42
自身が共感を寄せ追いかけていた歴史上の人物になりかわるEという幻想を経て、その人
物(清経)とヒロイン(紀子)のつながりがJの形で明らかになる幻想が宮島幻想であり、
それはそのEとJがさらに結合されることで、J〔宏-紀子〕という(「初恋」のことば
で言えば)〈真の身内〉〔o一としての認識をえる方向に開かれていた幻想であった。(詳
しくは本書「清経入水」のw節以降を参照)
この「清経入水」における宮島幻想にそのまま当てはまる形の、謂わば雲居寺幻想と呼
べるのが「初恋」のく夢〉なのである。
当尾が〈夢〉の中で体験するのは、既に見たように、追いかけていた雪子が資時の母壱
岐と化り、そして自身が資時となることだった。そしてその〈夢〉が見られたくその晩〉
〔21〕とは、雪子の死を知らされたその晩であった。まずはそこから見ていこう。
1
当尾は〈結婚後七年〉〔噂すなわち雪子と別れてからは十二年もたったその日はじめ
て、彼女が八年前に死んでいたことを知らされる。その当尾の《死なれた》思いが、〈一
瞬肩先へものが来たと感じた〉〔皿〕という形で表現されているのだ。そこでの悔いと悲
しみとの中で(念のためこのときはく東京で勤めばじめて数年経って〉梁塵秘抄の〈本を
手にした〉〔69〕あととなり、年立てとしても、なんの矛盾はなく)資時を中心とした芸
能の謂わばく遊部〉〔82〕の歴史の流れに雪子を正当に位置.つけるべく、〈「資時」を書き
恋
エ43初
たいと、あの時、思い立った〉〔響のである。これを「清経入水」の場合に倣って図式
化すれば、K〔資時■雪子〕となろう雪子の芸を正統化する試みであり、その方向が見い
出されたとき、結局は自身も差別する側に踏みとどまることで雪子と別れ(そしてあるい
はそのために死なせ)てしまった謂われなき不当な差別への痛切な反省が生まれるのだ。
〈書きたいと〉〈そう思いながら、はじめて私は本当に青くなった。地に顔を擦りつけて雪
子に詫びたかった。〉〔捌〕と思うのはそのためである。しかしこの覚醒があってこそ当尾
にはものが見えてくる。それがこの直後に描かれる〈夢〉である。
その中で当尾は、「清経入水」の宏が自身を清経だと自覚したのと同じように、資時と
いう〈知らぬ名〉を自らのく名前に相違な〉価〕いという自覚をえる。そして単なる自
覚以上に(先にも見た〈鳩の群〉の舞う姿を眺めやるア)とを挿んで)〈わし〉〔響という
形で資時そのものを生き始める。これは完全に切〔当尾-資時〕と図式化できよう。つま
(
り彼が〈思い立った〉というく「資時」を書〉くことは、すなわちその対象を、対象とし
て生きることに他ならなかったのだ。
したがってこの〈夢〉を見たからこそ彼は〈夢そのままに『雲居寺跡』の出を書きだ〉
痂〕すア)とができるのだが、そのことで彼が目指しているのは《死なれた》悲しみを癒
されること以上に、《死なせた》とも言える悔いを拭うためにも、雪子に許され、浄めら
灘
144
れることだろう。それは、雪子との別れを余儀なくされたとき〈真の身内とは何だろう〉
檎〕と自問したことへ答える形で、雪子こそを〈真の身内〉とすべく一体化をえること
で果たされるはずだ。つまりはc〔当尾H雪子〕としての一体化である。そのことはまた、
(
その自問のさいに思われた〈あの一瞬、少くもあの一瞬雪子こそは、わが身内わが血肉だ
った。〉倫〕という、〈一瞬〉を永遠に延ばすア)とだと言ってもよい。
しかし¢が導かれるためには統括されるべきQと化が完全であることが必要で、だから
こそ〈『雲居寺跡』の出を書きだ〉痂一させる〈夢〉を見た晩、(汲全きイコールで結
ばれたものとすべく)当尾は資時の墓とされた〈鉤蕨に似た、あれが雪子の墓かと、ふ
と想った〉痂〕のである。そこで完全となったC〔資時H雪子〕、D〔当尾H資時〕の図
式が、「清経入水」同様に融合されることでE〔当尾H雪子〕というく真の身内〉〔o〕を
確認し、あるいはそこを生きるために、彼は『雲居寺跡』を書きだすのである。そうした
Kをはならしめる媒介であり、しかもωの体現を先取りしたのがく夢〉であった。したが
ってその〈「資時」を書〉価〕こうとする小説が、この〈夢〉の場面を〈そのままに〉
痂〕書きだされるのも当然だと言えるのだ。
ところで「あとがき」の言う〈『清経入水』に転〉ずる前に〈書きかけ〉られた、実際
の作者における原「雲居寺跡」と「清経入水」との異同は知るべくもないが、このく夢そ
恋
エ45初
のまま〉の冒頭をもって書きだされた作中作『雲居寺跡』は、作品冒頭に序詞としての
く夢〉を置かれた「清経入水」を想起させるはずだ。そして「清経入水」における作品末
尾の宮島幻想は、序詞として置かれた〈夢〉を解明するものであったのだが、そのように
冒頭と末尾に分離され(てもよかったものがそうされ)ていない「初恋」のく夢〉の場合
はどうか。
既に見てきたように、「初恋」の時間軸はこの〈夢〉の前後を折り目としていたのであ
り、《死なれた》ところで見た〈夢〉が当尾を〈今の私〉たらしめていたのだった。当尾
は〈夢〉を見たところがら語りだす。それは同じところがら『雲居寺跡』を書きだした、
その延長で今、この場での語りが為されているのだ、とも言えよう。そしてその語りの行
きつく先もまた、この〈夢〉であった。こうした語りの展開の意図するところは、先に触
れたような、読者に語り手の体験を追体験させるための、作者による計算のみではないの
だ。ここでも作者以上に語り手の切実な要求が作品を動かしている。雪子を追い続けた自
らが資時となりかわり、そして雪子との〈真の身内〉〔o〕の確認を為しえた〈夢〉を、
語り手自身が再度体験しようとする試みが、この「初恋」における語りなのだ。〈夢〉は
語りの出発点であったと同時にその到達点であったという意味で、「清経入水」の序詞の
〈夢〉と宮島幻想との呼応と同じことが「初恋」でも為されている。「初恋」では「清経入
エ46
水」の序詞の〈夢〉が作品最後の幻想の位置に重ねて置かれた恰好なのである。
そのこととも関係するが、「清経入水」では宮島幻想にいたってはじめて序詞の〈夢〉
の意味が解明されたのに対して、「初恋」での語り手は〈夢〉のもつ意味をすべて承知し
たところがら語りだしている。すべてを知った上で、今ではもう取り返しのつかないその
過去を、かく在るべきだったとの思いを混えた形で当尾は回想を始めているのだ。語られ
た過去が現実そのままではなく、〈今の私〉〔80〕からく今だと〉こうく想いついただろ
う〉〔90〕という潤色を施されたものであったことは既に見たとおりである。そしてそれ
は単に回想という以上に、回想し、それを語ることが、そのまま在るべき生をたどり直す
ような在り方のはずだ。
そもそも「清経入水」での宮島幻想とは、先にも触れたとおり〔宏H紀子〕というく真
の身内〉の確認をえる方向に開かれていたのだが、それはあくまでも開かれていたのみで、
宏はそのことの意味をしかと自覚していたわけではない。《死なれた》実感の中で伊ち嚥
んでいるだけで、彼はその後それを確認する機会を持たねばならなかった。それはく夢〉
と鬼山体験の意味を宮島幻想で知るまでの、過去の回想と語りが「清経入水」で為されて
いたと言えることを敷桁すれば、今度はその宮島幻想を出発点に過去がたどり直され、そ
して宮島幻想の意味を知るべきもう一つの幻想が夢見られることが、「清経入水」の先に
恋
エ47初
は要求されていたと言えよう。だとしたら「初恋」のく夢〉とはそうした幻想であり、そ
してそのように、つまり今度は《死なれた》ところがらたどり返されたのが「初恋」の語
りだと言ってもよいはずだ。
そうした「初恋」において《死なれた》ことの意味を真に自覚し、そしてあるべき生を
求めるためにたどり返された世界が雪子との物語だったのだが、それが同時に先に蕊さに
見たような「清経入水」の世界と相似以上の関係にあったことは、こうしたところにその
理由があったのだ。作品内部の構造を読み解くさいに作者の意図を意識しすぎることの避
けるべきは前に述べたとおりだが(作品外部での創作動機の部分に関してはその限りでな
いことは勿論であり)この「清経入水」をこそたどり直すべく「初恋」が書かれていると
いう点は、何度でも強調しなければならないことなのである。「初恋」においてたどり直
しが図られているのは、当尾にあっては雪子との物語であり、作者にあっては「清経入
水」なのだと。
しかもその「清経入水」が作者の原「雲居寺跡」からく転じた〉ものであり、その
〈夢〉を冒頭に書きだす構想が当尾の〈書きだした〉〔響作中作『雲居寺跡』に共通して
いたという事情を視野に入れれば、〈それからでも十何年かたち、1まだ資時の小説は
書きだせない。〉痂〕と結び近くで告白される「初恋」にあって、遂に〈資時の小説〉は
竈鰹
、軒
齪.
瑛耀
昇■
エ48
書かれずに終わりながら、そのことを語ってきた小説が当初「雲居寺跡」と題されたこと
のなかに、単に舞台が〈雲居寺跡〉だから、そして資時について思惟をめぐらしているか
ら、という以上の意味が自ずと浮かびあがってこよう。
雪子に《死なれ》、そのことによってはじめて得られた覚醒のなかで、悔いをもって雪
子との過去を生き返す決意が、〈「資時」を書きたい〉〔響という形で表明されたのだと
して、それを〈資時の小説〉〔轡である『雲居寺跡』として実際に書くことによって果
たすのと、そのことを語りながら生き直すことは、当尾にあっては本質的に同義のはずだ
からだ。そして作者にあっては今見てきたとおり、『雲居寺跡』として書かれてしかるべ
き生き直された世界が、自身の「雲居寺跡」の発展した「清経入水」とぴったり重なる世
界だったのだから。
この語り手と作者とにとりあえず二分して見たところは、《書く》ということをめぐる
問題として当然連関してくることではあるが、そのことについてはもう少しあとに見ると
して、「初恋」での当尾の語りは『雲居寺跡』を書けなかったことの代償だ、とあるいは
過少に読みとられることはあからじめ斥けられよう。「初恋」における語りが何を意味し、
その中で当尾が何を果たそうとしているのかは、次の箇所に明らかだろう。
「逢えるもンなら、それでもえやろ。お前も、そやな」
書きもの机の向うから覗きこむように先生は雪子の反応を促した。雪子はひたすら
静かなまま、もっと傭いたのか眼でものを言ったか、私にはわからなかった。雲居庵
の板敷に、古畳を黄泉国のように立て囲って抱きあって寝た夢うつつが、薄れて行く
絵空事の記憶のようで、掴めるのならぜひもう一度この手で掴みたかった。〔15〕
1
恋
μ9初
これは「七」の結び直前、親たちによる強制的な別れのあと、恩師から〈つまりは別れ
ばなし〉〔唖の確認をさせられている場面であり、回想内部での心情ではあるが一この
直後にその恩師から〈思う所はお前にかて有るはずや。が、それはもっともっとしてから一
文章に書きなさい。それもお前の、道、ちゅうもんやないのか一〉佗5o〕と諭される
場面が続き、既に《書くこと》に向けて方向。つけられている箇所である。ここで述べられ
ている、〈薄れて行く絵空事の記憶〉を〈夢うつつ〉のままに(というよりく夢うつつ〉
であるからこそかえってリアルに生きられるが故に)再度掴もうとすること、それこそが
当尾が語りの中で目論んでいることなのである。彼はそのために語り続け、そしてその語
りを促したことになった〈夢〉、その中で雪子との〈真の身内〉を生きる可能性を示され
た〈夢〉を(語りながら、いや語ることによって)再度見るところへ向けてその語りは進
エ50
められるのだ。
その語ることによって〈夢うつつ〉を生きる最も如実な例が(と言うよりそれは先に引
いた〈抱きあって寝た夢うつつ〉を〈もう一度この手で掴みたかった〉という願いが結実
された具体例であるが)「六」でく高台寺一件〉〔rが夢に見られる場面である。資時の
墓を見たあとの二人が雲居庵に忍び入ったことを語るこの場面は、直前「五」の結びを承
けたものであり、読者は回想の続きと思わされて読み進むのだが、庵内には愛八らがいて、
雪子との祝言の場となるという幻想的な進展を見せるに及んで夢と気.つかされる。しかも
その中で二人は、後に語られる〈夢〉を先取りして(実際はその〈夢〉がソ)の夢に入りこ
んで、なのだが)資時の時代のものであろう装束を身につけて、すなわち古代人として生
きているのだ。
「初恋」における当尾の初恋のクライマックスである高台寺すなわち雲居寺跡での体験は、
このように夢の中での幻想の形でしか読者には語られないのだ。そして読者には当尾がそ
の過去に実際に体験したのがどのようなことであったのか遂に判然としない、それと同じ
ように、語り手にもまた現実の過去はほとんど意味がなくなっているのである。現実が
〈薄れて行く絵空事の記憶〉になっている以上に、彼はその〈夢うつつ〉をこそ語りつつ
生きるために、むしろ記憶を薄れさせ、そして現実を変形させている。それはこのく高台
寺一件〉価〕の幻想の中に、単に《死なれた》晩の〈夢〉のみならず現在時の記憶もま
た侵入するといった形のものである。当尾が〈下腹巻に薄青の狩衣姿〉一o〕であったの
に対し、雪子は〈無垢の衣に緋の袴〉〔o〕をつけて庵の中の祝言は執り行なわれている
のだが、この雪子の服装は現在時の語り手当尾が娘から聞いた〈浄衣に緋の袴の切髪も椅
麗な四十ちかい〉価〕平曲語りの女の服装そのままなのだ。
そしてその女は〈右眼の真横にこんな1黒子があった〉〔o〕と教えられることによっ
て、〈眼の横にちいさな黒子のある〉血一雪子の妹を当尾に想い起こさせ、それがそうし
た雪子との夢を見させた、とむしろ現実的には解釈されるべきことなのだろう。しかし
「初恋」核心の場面が夢によってしか語られないものだったことの方が重要で、それは過
去の〈夢〉からも現在時の意識からも相互に織り成された〈夢うつつ〉であり、しかしそ
の中をこそ当尾は確実に生きているのである。ともあれその夢は娘から平曲語りの話を聞
いたそのあとに、次のような形で夢見られていたのだ。
恋
151初
銀杏はなく雲丹の残りも心細いが、まだ酒は美味い。そしてこのまま、春に向かう
日の思わぬ山遊びのあげく忍び入った高台寺の奥で、雪子に腕をひつばられて見たあ
の、資時墓とやらを一など、ちょっと寒いかと思い寝の短い夢を夕食前にむさぼる
152
のが、このところ行儀のわるい癖になっている。
〔02503一
11⊥
眼が醒めると酔いの方も醒めている。
このように酒後に最も大事な体験を生き直す夢を見ることで、〈夢うつつ〉を〈もう一
度この手で掴〉〔価〕もうとする語り手によって語られてきた「初恋」は、作品のすべて
がそのことに捧げられていると言えるのだ。「初恋」は次のように閉じられている。既に
引いた〈夢〉に続く語りである。
鉤蕨に似た、あれが雪子の墓かと、ふと想った。
東京へ帰るとすぐ、夢そのままに『雲居寺跡』の出を書きだしたが、二年かけて、
結局中絶した。若かった女優のKを、はじめてテレビで観たのがその時分だった、切
ないドラマを気迫で演じていた。右の眼に並んで、ちいさな黒子があった。
それからでも十何年かたち、iまだ資時の小説は書きだせない。
しきりに木地雪子を夢見たかった。将軍塚で雪子が拾ったガラスのおはじきを、鴨
の河原へ、今度埋めに行こう、ぜひ行こう。
そう思い思い、今夜も酒の量を過ごした。痂〕
恋
153初
〈このところ行儀のわるい癖になっている〉〔皿5o〕酒後の夢によって高台寺幻想が〈む
さぼ〉〔皿〕られていたことに呼応して、このように〈今夜も酒の量を過ごした〉という
語りをもって結ばれる「初恋」は、単に高台寺の幻想のみならず回想された過去も、それ
を語りつつある現在も、すべてが雪子に《死なれた》思いの中での、〈しきりに木地雪子
を夢見たかった〉という願いからく量を過ごした〉酒による、夢の中でこそたどり直され
た物語だと言えるのである。〈夢〉を出発点として〈夢〉で語り終える「初恋」の語りと
は、それ自体が〈今夜〉の酒後の夢の中のものだった。しかもそれはく今夜も〉見られた
夢であり、〈このところ〉のく行儀のわるい癖〉なのであって、一度夢見られて事足りる
ような一回性のものではない。まさに「清経入水」の序詞の〈夢〉がく同じこの夢をつ、つ
けて何度も見〉られているものであったように、何度も反倒し直されねばならぬものなの
だ。そしてそれは何度もたどり直し生き返されねばならぬほど、雪子との体験の意味が大
きいことを物語っているはずなのである。ではいったいその雪子との体験にはどんな意味
があったのか。なぜ雪子を〈真の身内〉一o〕と呼べるのか。
w差別への開眼
風脚蝋ooooooo鮎ooooo価榊楓o一珊.oo捌.-耀o一-山岨麟倒鰍ooo冊側帯o脚蝋oo
エ54
既に見たとおり、その雪子との物語を資時への思索と重ねあわせた形の「初恋」は、そ
の重層的な構造のさらに下に作者自らの旧作「清経入水」の世界が透けて見えるような作
品だった。そしてそれが偶然的な一致ではなく、意図的に踏まえられていたことも以上に
見てきたとおりである。
そもそも秦恒平という作家は、第一評論集『花と風』一筑摩書房、昭叩.9.25一の昔から
《繰り返す》ことの意義を言挙げしていたそのままに、同じ主題のもとにいくつもの創作
をものする作家ではあるが、主題が同じであるからこそそれを決して同一の手法によって
は描かない、という倫理性をもった作家である。(それは例えばこの「初恋」を収録した
短篇集自体が方法のバリエーションの陳列になっているが如き、その単行本の編み方のな
かにも歴然としているはずだ。)そして冒頭にも見たように秦恒平が甚しき自己言及をそ
の特徴とする文学世界を展開しているとき、「初恋」と「清経入水」の相似性を偶然によ
るものと考えることはあまりに的を外れていよう。
では意図的に旧作が踏まえられているとしたら、幻想によって語る、という方法におい
ては本質的な一致を見せる両作にあって、方法が同一であるからこそ今度は、異なってい
るのは内容一主題の方のはずだ。例えばその幻想の中で、「清経入水」では〔宏-清経〕
の自覚にとどまっていたところを、「初恋」では〈わし〉〔響として当尾が資時を生きる
恋
155初
ことになる、という発展を見ることができる。だがその最も本質的なところは次の点にあ
ろう。「清経入水」では宮島幻想によって紀子に《死なれた》ことを自覚する宏に、今後
その思いをもって《死なれた》ことの意味を考えつつ生をたどり返させるところで終わっ
ていたのに対し、まさに「初恋」は雪子に《死なれた》自覚のもとに過去が回想されてい
るのであって、その回想あるいは幻想の形で実際に在るべき生をたどり直す、という「清
経入水」からの延長、進展が見られるのである。このことあってこそ先の資時をそのまま
に生きる可能性という発展も生じうるのだ。
そしてこの語り手による生のたどり返しが、そのまま作者による旧作のたどり直しに他
ならなかったのだが、であればその、語り手あるいは主人公の成長にみあった形の作品の
進展とは、まさにそのたどり直されたときに見えてきたもの、ということになろう。そし
てそのことを明らかにすることがすなわち、雪子の意味を明かすことにつながるはずだ。
例えば「清経入水」がたどり返されたとき、「清経入水」の中だけでは判然としなかっ
た、恋人との別れに対する父の関与が「初恋」では明瞭にされてくるわけであり、また、
宏が遊女に関心を寄せ、清経の母が白拍子であることに殊さらの思い入れをするのはなぜ
なのか、「清経入水」にあっては暖昧であったところが、「初恋」では当尾が貰い子であっ
たという設定から、
.毒
エ56
私の育った家は鴨川東、名高い祇園花街でも乙部と呼ばれた区域に背を合わせてい
たし、子どもの頃の乙部には、いかにも遊女と呼びたい風情の女がいくらもいた。名
は知らなくとも顔は見憶えているそんな女たちを、子ども心に決して厭わしくは見な
かった。それどころか見も知らぬ産みの母親を、何度私は「あそび」の境涯の人と想
ってみたことか。〔83〕
と述べられることで判然としてくるのだ。このように「初恋」は作者自身の文壇処女作
「清経入水」の世界に立ち返り、そこをたどり直すことで自身の文学の出発したところ、
およびその核心にあるものを鮮明に照らしだそうとし、そして結果的には「清経入水」の
世界を補うような作品となっているのだ。
しかしそれはあくまでも結果であって「初恋」が当初から「清経入水」の焼き直しとし
て目論まれていたわけでは勿論ない。両作はそれぞれ別個の作品世界をもっている。その
違いの最たるもの、すなわち「初恋」が「清経入水」をたどり直したとき見えてくる最も
重要なことは、紀子とは異なる雪子の形象化の中にあるはずだ。そもそも両作は紀子との
物語であり雪子との物語であったのであり、語り手がその名告りからも明らかな同一主体
恋
エ57初
の成長として位置.つけられるとき、作品の発展、差異の大部分は、語られている(そして
語り手の成長を促したことになる)対象の側に負わされているはずなのだから。そして先
に見た「清経入水」を表層レベルで補っている二点が、ともに父と母とをめぐる語り手の
貰い子体験から生じた、謂わば《不定形の生》とも言うべき孤絶の場からの意識によるも
のだったのであり、そのときその意識に通底して〈真の身内とは何だろう〉〔岬と問わ
れる、〈真の身内〉として紀子や雪子が位置.つけられているのだから。では雪子はなに故
に〈真の身内〉となるのか。雪子は紀子とはどう異なっているのか。
「清経入水」の鬼山紀子は〈鬼〉と蔑まれ、彼女たちとく親しむ事が人の爪弾きに逢う〉
ような、差別を被っている家の女だった。幻想的な作品の中にあって蛇の化身とされ、鬼
の形相をもつかに(宏に想われる形で)紀子が描かれることの由来は、現実的にはあるい
は未解放部落の出身かと読め(そして私家版では実際そうであるかに書かれてい)るのだ
が、一篇すべてを幻想とも読める作品の中では判然としないままに終わっていた。と言う
よりむしろその紀子の鬼性は宏の心証のみに拠っていたのだった。宏は紀子に憧れつつ怖
れていた。その怖れが紀子との別れにむしろ安堵を覚えさせたのであり、その結局は紀子
から遁れてきたことが漢たる悔いを生み、そして幻想を育んでいたのだ、と言えよう。
「初恋」の雪子はそうした紀子の負性をそのまま荷い、紀子では差別の根拠が暖昧だった
灘纂
エ58
ところを今度は明瞭に、下級芸能の輩〈のろんじ〉〔59〕として(確たる根拠をもつとさ
れる)差別を身に負って生きており、そしてこの度の語り手当尾はそれを充分知った上で、
その根拠に謡う形で雪子を愛すのである。
これは作者自身が旧作の中で無意識のうちに行なってきた差別への加担を自覚したとこ
ろで、今度は怖れなく紀子を愛すべく、被差別の側に立っていることを承知の上で、いや
不当な差別を被っているからこそ、雪子を当尾に愛させているのだと言えよう。このヒロ
インが差別を被っていることを明瞭にさせた点、そこにこそ「清経入水」の焼き直しでは
決してない「初恋」を「初恋」たらしめている面目があるのだ。しかしではなぜそうした
たどり直しが為しえたのか。何が〈『清経入水』に転じた〉〈その「雲居寺跡」へまた意を
決して踏みこ〉一前掲初刊本「あとがき)ませたのか。
「初恋」の中でも当尾が出演しているラジオ放送の「梁塵秘抄」とは、作者秦恒平におい
ては昭和五十二年九月二十九日から放送されており、それがNHKブックスの一冊としてエ58
ところを今度は明瞭に、下級芸能の輩〈のろんじ〉〔59〕として(確たる根拠をもつとさ
れる)差別を身に負って生きており、そしてこの度の語り手当尾はそれを充分知った上で、
その根拠に謡う形で雪子を愛すのである。
これは作者自身が旧作の中で無意識のうちに行なってきた差別への加担を自覚したとこ
ろで、今度は怖れなく紀子を愛すべく、被差別の側に立っていることを承知の上で、いや
不当な差別を被っているからこそ、雪子を当尾に愛させているのだと言えよう。このヒロ
インが差別を被っていることを明瞭にさせた点、そこにこそ「清経入水」の焼き直しでは
決してない「初恋」を「初恋」たらしめている面目があるのだ。しかしではなぜそうした
たどり直しが為しえたのか。何が〈『清経入水』に転じた〉〈その「雲居寺跡」へまた意を
決して踏みこ〉一前掲初刊本「あとがき)ませたのか。
「初恋」の中でも当尾が出演しているラジオ放送の「梁塵秘抄」とは、作者秦恒平におい
ては昭和五十二年九月二十九日から放送されており、それがNHKブックスの一冊として
刊行されたのが翌五十三年三月二十日であった。「初恋」が原題「雲居寺跡」として発表
されたのがその十月であり、この梁塵秘抄をめぐる資時への関心が「初恋」に投影されて
いるであろうことは容易に察しがっく。しかしこの芸能への関心を差別の問題と絡めて雪
子との物語の中に盛りこませえた契機(あるいはその芸能への関心を謂わば《裏文化》へ
恋
Z59初
の開眼として意味.つけたもの)としてもう一書の存在を忘れてはなるまい。
その『梁塵秘抄-信仰と愛欲の歌謡1』でも称揚された後白河院と遊女乙前との
〈出会い〉をその一項として吸収することで成った『日本史との出会い』一ちくま少年図書館、
昭弘・8・25)がそれである。その刊行は「初恋」初版とは一年近くも前後するものの、著
者の詳細な「自筆年譜」一『四度の瀧』珠心書算、昭60・-・-所収一によれば、その書き下ろ
しの依頼は昭和五十二年九月二十二日、同月二日のNHKラジオ「梁塵秘抄」出演依頼と
ほぼ同じ頃に為されており、脱稿は翌年十一月二十四日であった。同じ「自筆年譜」は
「初恋」が昭和五十二年十二月、『梁塵秘抄』の浄書がすんだ三日後の二十八日に成ったこ
とを明かしている。したがってまだ定稿を得ていないもののその構想、執筆は「初恋」に
先行していたはずの『日本史との出会い』とは、乙前・世阿弥・千利休といった卑賎の側
に照明をあてて、彼らと、彼らとは対極にいる後白河院・足利義満・豊臣秀吉という尊貴
の側との〈出会い〉を以て〈日本史〉を語ることで中学生に〈日本史との出会い〉を果た
させようとした好著だった。
そこにさらに法然と親鷺の出会いを加えた四組の〈出会い〉を語る四章仕立ての『日本
史との出会い』の、どこまでが「初恋」の段階で執筆されていたかは(「自筆年譜」もそ
γ)までは筆が及んでいない以上)知りようもないが、少なくとも「梁塵秘抄」のラジオ放
麟
160
送への準備が同時に進められていたとき、双方が相互に影響しあったことは充分察せられ
ようし、その第一章「共感の歌声《後白河院と乙前》」しか形を成していなかったにせよ、
それが構想されていた以上詳細な章立てはともあれ、卑賎と尊貴との〈出会い〉という着
想は得られていたはずである。そこで謂わば裏の日本史、文化史への展望を掴みえたから
こそ生じた視座が同時に依頼のあった『梁塵秘抄』を支え、それらが相補って為さしめた
《裏文化》への開眼が、故なく卑賎の者として蔑まれてきた被差別者への共感を促す形で
「初恋」の世界を成立させたのである。
つまり『日本史との出会い』の着想によって得られた視座と、『梁塵秘抄』による資時
考証とを、ともに吸収する形で成ったのが「初恋」だったと言えるのだ。そしてそうした
視座をもちえだからこそそこに立つことで、自身の文学の中でそれまでに無意識に行なっ
てしまった差別(と先にもとりあえずそう呼んだがこれは、無自覚に主人公に行なわせて
しまった差別、という方が正確で、であればさらに進めていい直されるべき、作者にとっ
て無自覚であった反差別)を反省的にたどり直すことができたのである。「初恋」におい
て《死なれた》ことから悔いをもってたどり返される過去が、単に雪子との物語に終わら
ず、作者自身が成した旧作の世界をも対象とされたのはそのためなのだ。
しかしそれはあくまでもたどり直しにすぎない。たどり直して捉えられた被差別の側に
恋
エ6エ初
立つ人間を
〈真の身内〉
として確認して生きられる在るべき生が、
そこから、
《死なれ
た》ところがら開始されねばならなかったはずだ。「初恋」の場合でも当尾は差別する側
の圧力に負ける形で、結局は自らもこちら側に身を置いたままにその〈初恋〉は終わって
いたのだし、《死なれた》ことによって得たそのことへの覚醒のなかで決意されたく「資
時」を書〉〔響くことも遂に為しえずにいた。そしてしかしそのかわりに為されている
回想、語りの中でも(夢の変成作用を被りつつも)目論まれていたのは在るべきだった過
去のたどり直しにすぎず、今後を生きることではなかった。「清経入水」を、《裏文化》へ
の開眼を果たした視座からたどり直すことで深めた「初恋」も、結局は初恋がそのまま成
熟した愛ではありえないように、今後への発展の余地を残した世界にとどまっていると言
えよう。
「初恋」以降秦恒平の文学は、そこを発条として大きく旋回する。まず「初恋」および
『梁塵秘抄』を承けてであろう、資時を重要な人物として平家物語の成立をめぐる物語が、
嵐の奏で一一原題、平家難、「季刊歴史と文学一罵・6・q姦一春秋羅.3.m一とし
て書かれる。そこでは(「清経入水」の宏も「初恋」の当尾も実はそうであったはずの)
《死なれた》のみならず《死なせた》ことの意味追求が(死なれた悲しみに耽る建礼門院
右京大夫との対比も効果的に使われ、そしてここでも現実のヒロイン徳子との重ねあわせ
エ62
が図られつつ)建礼門院徳子と後白河院に焦点を当てて行なわれることになる。その試み
を「初恋」との間に挟んだ『冬祭り』一「東京新聞」他、昭55・5.9556.2.28。講談社、昭
56・5・25一の中では、差別によって死なせてしまった者との在るべき生の方向が、たど
り直しではなく、したがって必然的に幻想の形で、探られることになる。そしてそこでは
同時に(「初恋」では《裏文化》にとどまったところを押し広げた恰好で)被征服民が差
別される側に押しやられてきた《裏日本》の歴史が、自身が「清経入水」で紀子を〈蛇〉
の化身として形象したことの意味を追認する(すなわちまたもやたどり直す)かに、民俗
学的資料を渉猟して播いていかれることになるのだ。そこを承けた『北の時代』一原題
「最上徳内」、「世界」昭57・10559`2。筑摩書房、昭59・6・30一ではさらにアイヌや在日朝鮮
人の問題にまで広げた追求が続けられるのだが、両作ともその作品の中で(「初恋」では
明らさまにはそうされなかった)「清経入水」への言及が堂々と為されることになるのだ。
こうした「初恋」以降の秦文学における社会性の深まりが、先に旋回と呼んだことの内
実であったのだが、これは実は決して唐突なものではない。そもそも彼の処女作の一つで
ある「折胃翁の死」一執筆、昭37。「或る折腎翁」と改題され『鷹山』芸術生活社、昭47.6.12所
収一にせよその主題に絡まる兵役拒否の問題は、激化極まる当時の安保闘争の中での自ら
の主体的な在り方を問うために扱われていたはずだろう。彼の文学について美と倫理の問
恋
初
63
1
冊議
題がとやかくされる中で見失われがちな秦恒平における社会性は、その出発においてから
鮮明だったし、その後の例えば茶の湯に対して一『茶ノ道廃ルベシ』北洋社、昭52・10・20一で
あれ、京都について(『洛東巷談・京とあした』朝日新聞社、昭60・2・20一であれ、歌壇へ向け
て(「〈新春鼎談一これからの詩性と好情」「短歌」昭60・-)であれ、ある種戦闘的とも言える評
論活動の中にも歴然としているはずだ。しかしそうした社会性を(反差別の方向の主題を
もった「初恋」が、いかにその当時ジャーナリズムが特にこの問題に敏感だったとはいえ、
「文学界」からく差別の禁忌に触れ公表回避したいと〉されたという、「自筆年譜」が伝え
る事実が如実に物語るように)最も扱いにくい差別の問題の追究として体現し、そして評
論活動ではなく創作の形でその追究を行ないえたのは「初恋」以降なのであり、それと
《死なれた》悲しみから《死なせた》償いへという独自の死生観と重ねあわせた発展を可
能にしたのが、『日本史との出会い』と「初恋」による〈裏文化〉への、差別への開眼だ
ったのだ。〈「清経入水」以来の作風が『日本史との出会い』「初恋」『風の奏で』『冬祭
り』「最上徳内」等を経て〉「四度の瀧」にく結節した〉と、やはり「自筆年譜」に語られ
ているのは、以上に見てきたような展開をさしてのものなのである。そしてここに挙げら
れている「初恋」以降の諸作が、「初恋」が「清経入水」をたどり直しているように、「清
経入水」を再度踏まえる形で書かれることになる、その契機と言える最初のたどり直しを
エ64
行ない、(当尾のみならず)謂わば作者をも覚醒させることで以降の文学の発展を促した、
という意味で「初恋」は秦文学の中にあって注目され、そして評価されるべき作品なので
ある。
皿書くことへの意味問い
そうした秦文学におけるターニングポイントに「初恋」は位置するのだが、しかしその
ターンはある種の犠牲を伴わざるをえないものでもあった。
既に見てきた古典あるいは歴史的世界との重層的な作品構造、その重層性を自然なもの
たらしめるために必然的に要求された幻想的な作風、そして《死なれた》ことから《生ま
れた》ことを捉え直す独自の死生観、の他に秦文学の一大特徴をなしていたのが、その死
生観とも表裏する固有の身内観であった。
「初恋」でも当尾が雪子との別れにさいして〈真の身内とは何だろう〉〔o〕と自問する
ところに端的に表わされている、語り手のそして作者自身の貰い子体験から生じたであろ
う、孤絶の認識に立ったところでのく真の身内〉の追求がそれである。
「清経入水」から「初恋」に至る諸作、特に「畜生塚」一「新潮」昭妬・2一、「或る『雲隠』
考」一「新潮」昭45・6一、『慈子』一筑摩書房、昭47・4・27一などによって探られてきたこの大
きなテーマが、「初恋」では先の自問や〈親子よりまだ夫婦の方がずっとほんまの身内同
士になれるンと違うやろか〉〔97〕と語ることばに引き継がれてはいるものの、そこでの被
差別側への共感という新たな領域の開拓によって、かえってそのことのために後退させら
れている、と読まれなくもないのである。まず彼独特の身内観の何たるかを見てみよう。
『閑吟集-孤心と恋愛の歌謡1』一NHKブックス、昭57・11・20一の中では次のように語
られている。
恋
エ65初
私は、私自身は、子どもの頃から或る動機もあって、この人の世の人をさして、三
種類に分類する思い慣いをもってきました。
一等疎遠なところに「世間」を眺めます。その存在と尊厳とは承知も納得もしてい
るが、今直ちに日々の関わりのない、いわば世界中の人々をさします。
次に、その「世間」から、日々偶然に、余儀なく、また必要あって接して行く、知
り合って行く関わり合って行く「他人」という層が必然的に生じます。血族、親族、
家族すら、私は、とりあえず「他人」に部類します。師弟、同僚、友人、近隣等々の
すべてが、まずは「他人」に属します。そして、その「他人」の中から私は「身内」
を探し求めます。
エ66
人は、父母未生以前から本来「孤独」な存在です。世間という名の大海原に、我
一人が立てるだけの島に仔立している存在として、寄りそうことの不可能な他人の島
へ、「愛」を求めて呼びつ、つけている。それが「人」に定められた真の位相です。と
ころが、この不可能への渇望が、或る瞬間に可能となり、しょせん不可能なはずの我
一人の島に愛する人(人々)と一緒に立ちえていると信じられる時と場合とが生じま
す。その人(人々)が「身内」です。それは真に価値ある錯覚、つまり夢なのですが、
本来孤独の人間が、どうしてこの夢なくて孤独地獄に堪えられるものですか。だから
人は愛の名で真の「身内」を探し求める。偶然の親子より、必然の夫婦や恋人の方を
私は大事な人間関係と考える、これが理由です。
お互いに、不可能を可能にしあえる仲、運命を共有しあえる仲が「身内」同士です。
自分一人でしか立てない場所に、いっか一緒に立ってしまっている仲が「身内」です。
断絶した親子、協力のない形ばかりの夫婦、偶然の血縁にもたれかかっただけの、き
ょうだい、親族といったものは、「世間」でこそなけれ、私の定義では「他人」でし
かなくなります。血縁や法の保証が即ち「身内」を無条件に約束するなどという安易
なことは、まったく私は考えてもこなかった。真に「身内」でありつ.つけるには、ど
んな間柄であれ、「身内」の価値を支え合うふだんの努力が厳しく求められるからで
す。
爺1
.纈
恋
エ67初
秦恒平の身内観が最も叶檸に解説された文章を選んだために長い引用になってしまった
が、こうした身内観は〈本来の家〉でのく本来の家族〉一「畜生塚」一、〈未生以前のはから
い〉一『慈子』一と、ことばを換えつつ秦作品では何度も繰り返されてきていた。その『慈
子』でくあの"はからい"ということを、ご両親というものからこぼれ落ちていらしたお
父様は、他人である私や宏さんを通して確かめようとなさっていたのでしょうか〉と利根
から推測されている朱雀光之そのままに、作者秦恒平の場合の〈或る動機〉というのも、
両親から〈こぼれ落ち〉た貰い子という存在故の空白の生い立ちから生じた孤絶の認識の
はずだが、そこから培われた身内観の中で〈真の身内〉と呼ばれるのは、引用文中でも明
らかだろうがく友だち、恋人、愛人、夫婦、同胞などという凡ゆる約束ごとから放たれ
た〉一「畜生塚」一関係である。いやむしろ関係ということばを使うのを避けるべき、〈現在
での関係とはまるで違った遠い昔からの配慮というかはからいというか、血でも約束でも
ない結ばれ〉一『慈子』一によるのがく真の身内〉であった。
そうした身内観が「初恋」までの諸作で追究され展開されてきたのだが、「初恋」で当
尾が身内性を見い出しているであろう雪子は、それまでのく真の身内〉とはやや質を異に
168
している。三年間執勘に追いかけ続けた当尾に〈やっとやっとなぜ雪子が振向いたのか〉
〔86〕と言えば、結局は彼女の〈置きかねている丼鉢を手軽に奪いとり、自分の箸であっ
さりさらえてしまった〉〔89〕という一点によってだった。〈雪子の突然の変り身に樗い
て〉〔92〕理由を訊ねる当尾に、彼女は〈「一味同心ていうやろ」とさりげなく〉〔93一答え
ている。そしてそれを追認するかに酒後の夢の形で回想される高台寺幻想では、〈愛八は
同じ焔で次に折敷のするめを手に持って焼いた〉その〈愛八の手が細く裂いたするめを、
私と雪子は一緒に食べ〉〔o〕るという、《同火回食》の祝言が執り行なわれてもいる。そ
して確かにこの《同火回食》、〈一味同心〉によって、つまり差別という詮索を拒否するこ
とで、〈年齢も容儀も思想もどんなことも詮索することなしに信じて愛し疑わない身内だ
けの世界〉(「畜生塚」一が築かれたかには見えよう。しかしそこでは雪子にせよ当尾にせよ
その反発なり拒否なりが自覚的であればこそ尚さらに、そう反発し拒否すべき詮索(差
別)が歴然と前提されているわけであり、〈詮索することなしに〉という、関係に拘束さ
れない、詮索そのものをも視野に入れないところで成り立つはずのく真の身内〉が、逆に
〈一味〉なり〈同心〉なりという新たな関係の中に後退させられ、その関係を超えた純粋
性が逆に稀薄化されているとも言えるはずだ。つまり「初恋」における被差別の側への歩
みよりという作品系譜の中での進展とは、それまでに追究されてきた身内観を後退させる
瞬締
恋
エ69初
かもしれない危険を伴うものだったと言えよう。
しかしまさに後退であったにせよそれはあくまでも作品系譜の中でのものであり、「初
恋」一篇に限って言えば、〈一味同心〉ということばで括られる、同情、共感という形で
結ばれる被差別の側との関係性は、当尾が貰い子であるという設定からも、彼が雪子に惹
かれることや雪子が彼に振向くことの理由.つけとして、むしろ作品にリアリティを与える
ものとして有効に機能していると言えよう。作品系譜の中でも、確かにその後の展開は、
〈蛇〉に象徴される被差別者の側に身を添えていく方向に進み、〈身内〉の特定化がより深
みにおいて為されているかに見える。そしてそのことは『風の奏で』では平家物語、『北
の時代』では最上徳内、といった下敷きにされた世界、すなわち二重構造の下部の方が強
くせり出すに伴って、その上に重ねられた《現実》世界としての虚構部分における身内観
の追究の比重が小さくなる、と言うこともできよう。しかしそのとき同時にそれに反比例
して現実の語り手の《書く》という意味が問題化されていくことにもなっているのだ。す
なわち『風の奏で』における作中での主人公の創作の進行と同時に進められる語りや、
『北の時代』における〈自画像〉の試みとしての創作の意味.つけや、『四度の瀧』における
ヒロイン探しとしての創作の意味解明や、といった形で《書く》ということが問題にされ
ていくのである。勿論「誘惑」一「すばる」昭51・12一において現実と非現実とを画定する行
o
エ70
為の無効性が問題化され、『みごもりの湖』一新潮社、昭r・9・20)において作中作と同時
進行の形で物語が展開されたり、といった具合に、「初恋」以前でも常に秦恒平の文学は
陰に陽に《書く》という営為への意味問いを含んだ形で展開されてきていたのだが、「初
恋」においては、作品がそもそも原題そのままの『雲居寺跡』という小説を書こうとし、
そして書けなかった、と表明する体のものであり、中学時代の恩師から為すべき〈道〉
〔o〕として《書く》ことを勧められ、そして《死なれた》ことから《書く》ことを決意
し、〈夢うつつ〉〔価〕をなろうことなら再度掴もうとして回想・幻想される形の一篇の作
品は、謂わば《書く》という行為に向けて開かれた、《書く》までの心的なメカニズムが
探られた作品と言えよう。このことと先に「清経入水」と対比したときの《たどり直し》
とは同列のことであり、この「初恋」で開かれた方向に向かって、謂わばこの時点では
くまだ〉〈書きだせない〉とされた〈資時の小説〉痂〕が、単なる《たどり直し》ではな
く在るべき生を真に生きる形で書かれることになるのが、(原「雲居寺跡」との異同は知
らず、少なくとも象徴的には)『風の奏で』なのである。
そうした《書く》という行為への意識が根強くあったからこそ「初恋」では自身の旧作
「清経入水」が意図的に踏まえられたのであり、その「清経入水」の前身である原「雲居
寺跡」が対象化されることで、そこでの作家活動を開始した時点での、新鮮であったはず
簾恋
エ7エ初
の《書く》ことの意味、生成のメカニズムが探られることになるのである。そこにこそ初
刊本「あとがき」のいうく初恋〉の意味はあり、「雲居寺跡」と初出では題しながら、〈ま
だ資時の小説は書きだせない〉〔轡と結んだこと、そしてそこを自身の文学へのく初
恋〉として改題したところがら、その後の彼の文学の発展が可能となったのである。
ところでこうした《書く》という営為への自覚とは、これまでの自身が創作した世界の
対象化を必然的に促すことになり、そのとき当然、自身の《不定形の生》ともいうべき孤
絶の認識から追究されたく真の身内〉〔o〕の意味が、(そもそもそれがイデアルな世界で
しか果たせないものであることは先の『閑吟集-孤心と恋愛の歌謡1』からの引用で
も明らかだろうが、そうであれば)それを《真》ならしめた虚構(イデアルな世界の創
出)の質、すなわち《書く》という営為のメカニズムの解明として問われることになるの
は、《書く》こと自体が既に表現主体の不定形の生の意識の定形化である以上、必然なの
である。
ともあれそうした問題化の、以降のさらなる発展を保証したのが「初恋」であり、「初
恋」はその〈裏文化〉への開眼と表裏したところでの、《書く》在りようへの追究といっ
た点でも、秦文学における大きなステップボードの役割を果たした作品と言えるのである。
しかしでは《書く》ということは一体何なのか。それをさらに対象化する文学研究とい
■o
エ72
つた営為の意味することも含め、その問題の答を出すには、『風の奏で』から『四度の
瀧』までを、謂わば初恋ならぬ成熟した愛の諸相を分析する機会を待ってからにすべきだ
ろう。(昭61.4.27)
加賀少納言
唐突だが村上春樹に「ス。ハゲティー工場の秘密」一新潮文庫『象工場のハッピーエンド』所
収一という面白い小品がある。短いものなので、全文を引いてみよう。
エ73加賀少納言
彼らは私の書斎をス。ハゲティー工場と呼ぶ。「彼ら」とは羊男と双子の美少女のこ
とである。ス。ハゲティー工場ということばにはたいした意味はない。湯の温度を調節
したり、塩をふったり、タイマーをセットしたり、という程度のことである。
私が原稿を書いていると、羊男が耳をひらひらさせながらやってくる。
「ねえ、おいらどうもその文章気に入らないな」
「そうかな?」と私は言う。
「なんとなく生意気だし、ためがないよ」
「ふうん」と私は言う。私だってわりと苦労して書いたのだ。
(筆者は、上武大学教授 近代国文学研究者 日―本ペンクラブ会員。湖の本の読者で、東大教授竹内整一氏とともに秦恒平文学研究会を十数年に及んで継続開催されている。川端康成研究の指導的な一人として活躍。著書に『秦恒平の文学』右文書院その他がある。)
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