「e-文藝館=湖(umi)」 詞 華集

あべ きょう  筆名 明治二十八年(一八九五)七月八日 滋賀県神崎郡能登川町に阿部周吉・なをの三女「ふく」として生まれる。隣家深田家に嫁し一女三 男を生すも夫と死別、不運不幸に遭い同県彦根市に転じ、下宿させていた彦根高商の学生吉岡恒との間に二男、(北澤)恒彦を昭和九年四月に彦根で、(秦)恒 平を翌十年十二月に京都市内で生んで後、余儀なく吉岡と別れ子ら全てと離れて単身大阪市内で日本初の保健婦養成「大阪府立厚生学院」を有資格卒業、主とし て奈良県内で地を這うほどに活動し、参政権を得た戦後初の地方選挙で候補者に推されようともしたが、転変活動を経るうち奇禍大怪我により闘病、昭和三十六 年(一九六一)二月二十二日、京都市内の病院で死去。歌人前川佐美雄に私淑したか、奈良市内で単身孤独の生活をはじめたらしい昭和十一年ころから短歌や散 文を書き残していたが、昭和三十四年(一九五九)「霜月」ごろ滋賀県大津日赤内科病室で編み終えた歌文集『わが旅 大和路のうた』を
、友人に托して、死の前年昭和三十五年(一九六○)六月十日、奈良市橋本町駸々堂書店より刊行、「価参百円」とある。丹羽文雄、平林たい子、 佐多稲子らの激励の返書がのこっている。 掲載作は、同書より、短歌のみを引いたもの、明らかな誤植・誤記・語法の誤り等は、抄者・秦 恒平が最小限改めている。「散文抄」もいずれ編輯する。なお、阿部鏡はこの歌文集を「日記」と自覚している。伝統の「日記文藝」の末裔と編輯者は記録して おく。 (秦 恒平) 

 


  わが 旅 大和路のうた
     
         阿部 鏡




序歌 ひとり来て住む大和路や窓の戸を叩きに来るは夜半(よは)の木 枯(こがら)し

母衣車(ほろぐるま)に揺れて泪のわが頬により添ひにじむ茶畑の月

ひとりして旅ゆけば羨(と)もしあたたかくもの煮るにほひ伝ふ軒のは

玩具店のかど足ばやに行き過ぎぬ愛(うつく)しむ者のわれに失(な)ければ

おほ空をただよふくもやわが旅のとどめもならず鎮めもかたく

終列車の汽笛五臓を掻きまわし断れぎれに消ゆ西の山の端

ひとり来て住む大和路や窓近く汽車の笛さへ背きてぞ行く   昭和 十一年霜月の頃を回想か

佐保川の葦間の蟲のしのび音になけば生駒の灯も瞬(またゝ)きぬ

わが寝(ゐ)ぬる窓のましたの毛すじほどの草に来て啼く蟲の稚なさ

きみ乞食と呼ばれたまひそわれ狂女と囃されて来し道ひとすじに (良弁の母に)

大き手に抱(いだ)かれまほしこれやこの砂漠の旅路行き暮れし身を

鬼子母神の絵馬なつかしと振る鈴の音にぞなごむ参籠(さんろう)終へて

しつかりと菩薩の肩によりかゝり嬰児(みどりご)笑めりわれをみつめて

人去りし研究室のドアのかげにのこり火恋ひてこほろぎの啼く

待つものの無き此の身なりインク壺をさげて佇む終バス待ちて

原稿を書く心意気やうやうに湧くがうれしさ今宵はペン持つ

苦労知らぬ人のごとくにふるまへり草稿終へて受話器とる朝

子に語るごとく子猫にものをいふ老尼の面(おも)に痘痕(とうこん)のあり

煉獄の火にも鞭にもひるまざる痴(し)れもの棲むかわが胸の此処に

一歩だに譲らぬわれの道あればなにかは裸身焼かれ果つまじ

くろがねも巌も溶けて流れなむ涙は火より熱きものぞも

四時間は正気失ふ嬉しいなあ一滴のモルヒネが私の救世主(メシア)だ

狂人の真似してをればいまにもやまことに狂ひ救はれなまし

いゝえやつぱり此の私は お前達よりも遥かに憂愁である

手かざせば炭火は絶えて呑みさしの湯呑みに蟲のひとつ死にたる

庭の隅に人の呉れたる大根の青の葉中ゆ蟋蟀は啼く

よもすがら啼く蟋蟀のわれよりも憂はしげなるさてもあはれよ

ことなげにひと言褒めてみる癖の身につきかぬる女にぞある

腹立たぬ人の如くによそほひぬ苦行の果てかあらず諦め

真顔もて君は世渡りへたなりと宣(の)りし上司の眉顫ひゐし

崩ほれし心やゆうやくとり直し屈磨くなり街頭の蔭で

ドアの外にその足音よ 枕べの痰壺をそつと縁側に出す

押し花の枯葉かわれは九十日をい寝ていま見る手鏡の顔

生死越えて九十日経ぬ桐の葉の落ちつくしたる庭の静かさ

ある人は夜叉と謗りしある人は菩薩とも宣ら空蝉の身を

ほそぼそと煙りくゆりて柿畑の枯葉にひとつ蝉のぬけがら

燃ゆるものみな燃して心定まれとわがひとり居の窓を雨打つ

給食のほかは食はざる青年と聞くがあはれさ病牀(ベッド)に近寄る

今宵瀕死の患者しあれば寒さ堪え詰所の倚子に暫しまどろむ

ただ何も思ふ遑(いとま)なし回診衣(かいしんぎ)を鴨居にかけて眠らんと我は

歌詠むは恋ににてわれに愛(かな)しともかなはじけふは昏々と寝むよ

母なしに父と兄とがたちかはり看護(みとり)しゐたり膿胸の青年(きみ)を

スタンドを窃(そ)と引き寄せて痰壺に見入れる患者(ひとか)つつがあらせな

今朝はしも手附かず並ぶ牛乳(ちち)の瓶をつかみて投げつ泣きて詮無く

トラックに蹴られ足跛(あな)えし黒白の子犬はしやげり療棟の庭に

哭き悶え子犬は脚に針金をからませて我を呼ぶが切なさ

長哭きつ足跛(あな)えの犬の率てゆかれ金皿にあはれ残飯乾く

撲殺の刻せまる小舎をかつがつに逃げてきし小犬の腹に針金

山の灯の明滅寒きバス降りて重態の刀自を生きせき見舞ふ

垂乳根のいのちももとせ賜へよと寒月の下に清水こる人よ

脈ひとつ呼吸(いき)のひとつにひたむきにわれ立ち向かふ刀自の手掴みつ

脱ぎし白衣の皺伸(の)し掛けて寮の窓に力なき我よ除夜の鐘鳴る

手の数珠をしづかにおきて箸紙を揃へ雑煮を盛りて呉るゝ人

沢市の夫婦(めをと)にさわれ似かよふと振り返りみる壺坂の山

われに何のリクリエートよ山鳥の母恋ひ子恋ひものぞかなしき

きみの爪あまり白しと手をとりつ悉(つぶさ)かに聴く人の恙(つつが)を

穂がけ路を提灯三つ縺れ来ぬ明けぬを待てぬ病者あるらし

前うしろに駕籠担(か)く人の息はやき峠はしばし降りて歩かん

村びとの待ち設け来し駕籠にのるわが命だにおろそかならず

棒立ちの髪長きわが影がのぞきこむ月光しろき寒井戸の底

水垢離に滴りたぎる水煙この垂乳根は子らを見棄てつ

水行をおえてみ像に縋れども見えぬわが子の幻くらし

笛ふきて木霊の行方たどり来ぬ良弁僧正のみ母の如くに

いのちあるものの如くに頬よせて空し緋袱紗の子にもの説くわれは

満願のお札掌にありまぼろしとしりてぞ登る参籠の道

髪白み瞳はにごり脚なえて目映(まぶ)しき暁(あけ)の雲の遠さよ

八つとせは吹雪の道に明けて暮れ晴るるを知らず踏み越えて来し

一筋に生きてくるしき今朝ながら光にあまるわれのいとしさ

還日庵君還る日もかくあれと枝折戸あけて月を待つなり

帰りませ疾くかえりませ月ですら夜ごとに輝らす垂乳根の宿

かえります日を待ち草の枝折戸に心あるごと風鈴の鳴る

飯炊ぐ厨の窓の夕月を一つめぐりて雁がねのゆく

柴の戸を押せばなつかし母の家の三坪の庭にさく桜花

赤と黄に色染めわけしかき餅を函にならべて封する母あり

蟲籠の蟲殻朽ちて風鈴の短冊舞わすあけの夕陽は

けふもまたかぼそき腕に看板をかかげつ独りたつき立てをり

人形店の人形なれどつぶらなる瞳に遇へばわれ往きかねし

フランネルに寝巻着せ更へ手枕に抱きとって知る人形の体温

雪の夜は炬燵抱きよせ夜着きせて傍へに小さきセーターを編む

子守唄三口うたひてわが声におののきせまる人形と寝て

一瞬白く輝らし出されて草むらにブチ毛の仔犬ら抱きあひてゐし

よべの雪にぬれしぶち毛を抱きとればわが掌の底に脈うつ体温

母犬も狂はしからむ泣きほそる赤仔掌にのせ夜路急ぐわれ

吾子に語るごとくもの言ふ此の頃の楽しきわれは犬の飯盛る

心あらばこぞの鶯訪ねこよ匂ひそめにしわが宿の梅

一枝は折りて仏に手向けなむ軒洩る庵に咲くさくら花

人は去りわれは老いしに福寿草は在りし日のごとより添ひて咲く

儚きはこの世の旅の常なりとわが燻(く)べる香の衿にしむ朝

柿の葉はまだ双葉なり山畑のわが踏む畔にげんげ咲くなり

小鳥さへい啼かずあはれ吾が踏めるフエルトの音かそかなる道

いざさらばふるさとさらば繪日傘を下ろして摘みし紫雲英蒲公英

繪日傘をきりりと舞わし人呼べど答ふるはただ山の山彦

此の作者激務に塗みる白衣との選者の賛を凝つと見つめる

ハンカチで眼を押さへ居り入選の報受けとりし回診の直前

ルカ傳十一章と独語しつペン忙しく赤線を引く

口紅は匂はねさあれ十字架の灯かり捧ぐる眉の涼しさ

淡雪は肩につもれど身じろがで神説く人の声いよよ澄む

手鏡の中に映りしわが影にもの説き聴かせ旅にゆく朝

泣けば泣き笑めばまた笑む手鏡の影のみわれに離れじと言ふ

手鏡の晴れたる朝はよき事の有りやと思ひほほ笑みてみる

旅路長しかの日あの夜や此の今もひたに添ふなり手鏡の影

なんとなく乳の香すこしうつるかと文箱の蓋に添へし此の指

かすかにもわななく指にもちあげし古き文箱の命あるかと

ふみ箱の底に朽ちたる蟲殻をたなそこに載せてわれは泣くなり

かりそめの台詞なりとはよも知らず膝を正して頷きし夜や

    苦しいよ 口惜しいよ
    だが、此の道は
    偉い……と言われる人間が
    一度は越えた道なんだ

まころびつ越えむか今宵恩讐の岡のかなたに白き道あり

恩讐の岡ふみ越えむ瞬間のわれを抱きて泣かむ人あれ

光明は彼の岸にありわれを焼きし業火はすでに消えにしあるを

けさ見れば小さき花弁にべに染めて薔薇の挿芽に初花ひらく

わが挿しし挿木ゆ青き双つ葉のうら若々し命ゆたかに

初花のうら優しさよ紅つけて小首かしげてたれ待つ汝れぞ

このあした愛し初花ほころびてわが膝のへに露でかたむく

夢か否ゆめにはあらで玄関になげて置かれし封筒の文字

翔んできた青い小鳥よ夢ならば覚むなとねがふわが現し身に

いとけなき子の文字抱きていぬる夜の乳房に伝ふこの体温は

かかるとき独り居なればふみ抱いてま転びころび哭き放つなり

三足往きて返す瞳に綺麗だなあと大きく言ひて消えし枝折戸

振り返り褒めてゆきける二坪の庭のま垣の白き山茶花

永年を侘びしく揺れし枝折戸の風鈴もけさは唄へる如し

大和奈良東城戸の母の家の籬の花をきみな忘れそ

ペン執ればペンの乱るるペン投げれば瞼の裏を人の横切る

冷静なれと教ふる性あり焔斬る利剣なれよと説く性もあり

たはやすく怒りは解けじ眼の前のかまきりさへも仇敵と見し

雨避けしキャンデー店の軒鏡に横切りて見しわが必死の相

乾盃だっーと言う声色に夢醒めれば瞼掠める山の狐火

消え失せよこの狐火ぞと縺れたるわが舌噛みてまどろみの醒む

何ごとかざわめく声に慄(おのの)きて夢醒めし炉に蟲一つあり

性も死もさだめにありと悟りたる如くに説きしわれにしあるを

大和路の連峰まさに夕映えば瞼に熱き涙溢るる

嵐吠え吹雪にぬれし旅の身にしばし仰ぐかまぶし夕映え

灯を消して山焼きを見る君とわれと心の中はなに見てあらむ

果てしばし焔と燃ゆる山の火を儚なとぞ泣く乙女はありつ

かの日聴きしギターの糸よ永き旅終えて此の朝爪弾きてみむ

君がためうら枯れ果てむ悔いぞ無きギターとり上げ爪弾くあした

十六年吹雪にぬれし笠脱ぎて草鞋を捨てしけさのしづけさ

北の山に雪消えうせて飛火野の緑に映ゆるけさの目映しも

父母無くて預けられ来し一人寝の乳児院の児がミルク吸う音

人工の乳房放してようように眠りつきたりそつと夜具掛く

寄り添ひて保母が唄へる子守唄に昨夜来し児は安く眠(い)ぬめり

ララ物資積み重ねたるトラックが養老院の玄関に着く

保護所より送られて来し此の老婆がララのオーバーに皺ほころばし居り

内所ごと私語く如く寄り添いて山羊の親子が草喰みて居り

北満の曠野の墓碑に照る月を養老院に仰ぐその父

養老院に杵の音響く窓々に背伸びする顔みな綻べり

除夜の鐘に閨匍ひいでて合掌す老婆の頬に涙伝へり

拍子木は遠くに消えて長廊下の障子を洩るる老生の寝息

荒き浪くぐり越え来ぬ三百の夢路守らせ園に輝る月  (京都市醍醐 同和園にて)

逝く春の一夜を寝ねし僧坊の枕にひびく暁の鐘

壁朽ちし房も居並ぶ知恩院の小路に散れる花桜かな

祇園小路タオル手にとり湯暖簾を潜る一夜われ京ひとの如し

靴鳴りのさやけさ吾も墓詣で終えて香華の匂ふ坂道

御手洗の清水香れるひと筋のおもひいとしみ帯に手を置く

義肢支へ呼びかくる白衣避けてゆく四条大橋霜とけぬ午後

白川のせせらぎに倚ればちぎれ雲と吉田の月と波にいざよふ

二人だけでゆく道ああらば何処までもつづけと願ふ星を仰ぎて

遇ふはまた別るるが世の常なりと心に説きつ墨を擦る朝

汽笛の声京にのこして逢坂の隧道を貫きつまひろき湖よ

待つ人の在るがごとくに故郷の小さき駅にいそいそと降りぬ

人の視線集(よ)るかとわれは気ぜはしく構外に出でしも暫し呆然

なつかしも嬉しも乙女十七の想ひ出の橋想ひ出の路

此の路やかの道なりし草笛を吹きて小犬と戯れしみち

故る里の鎮守の森の椎の木にしたに佇み亡父呼びてみる

亡き父の手植えの松の葉隠れに燈火みえず月翳るなり

昔見し愛とし垣根の白薔薇に問ひてもみたや亡父の在りかを

嵐狂ふ船路もなどか白紙のべて文に綴ればなつかしの経

ぬば玉の闇の彼方に鐘鳴れとねがひを懸けし長き経文

花びらのごとく浮かべるみづうみのヨットに戯れて白鳥は舞ふ

銅鑼の音に浜はなれゆくデッキよりテープ乱れて波に沈めり

浜大津の船場に見たる学生の面わの肖るとわれは佇む

湖秋よぎる白鳥は羽根乱しつつ島の日没(いりひ)を七めぐりゆく

近江路と京の境を追分けて古(い)にしも今もあかあかや月

別れつげて帰り路いそぐ頸すぢにつれなく光る追分の月

踏む靴も暫しやすらふ谿みづの音かすかなる追分の路

谷蔭にあゆみ重たき牛の眼の潤むがかなし屠場近ければ

二すじの乱れし髪をそのままにメモする人の眼鏡の光り

遅れ走せてドアを閉めたる君が手の鞄に食める答案の束

わが稿せしペンを若しとジャーナリストの話題と成りぬ紅茶の席に

ふるさとの湖に集へば何ごとも無き人の如くペンを愛しむ

初なつの一夜を島に仮寝して渺茫の香を手枕にする

眼尻あげて集ひ来し昨日の島人とけさの出船に手をふりて別る

沖の島月よき濱に輪をつくり島の児どもと名を名乗り合ふ

包み斜(はす)に背負ひ訪ひ来し顔見れば島で名乗りし少年である

幽(かそ)かにもわが踏む靴の音のみが心にしみる山内の途

僧坊の広き書院の燭うすれ弁財天女の壁画観てねむる

消えて鳴り鳴りては消えぬ三井寺の夕鐘の音は湖に沈めり

園城寺の山門に立ちいま暫し足らひし人のごとく湖見る

もの干すと狭庭にたてば裏山の藪ほととぎす啼くがしづかさ

散る桜浮かべてはやき疏水路のやみを潜りて京へ行く水

もの言へば大和大和と宣らすぞと人の頬笑みわれに集まる

ものの怪の憑くきたるごちとく裏山の藪を仰ぎて幻に泣く

ひと筋の涙に濡れてけさ覚めし夢を辿れば大和大和路

まぼろしはかくも儚きものなるか母なる湖へまた背きゆく

警報に耳うそぶきていそいそとデッキに立ちてテープ受く我

しろし召せ父なる山よ母湖よ巡礼の子が鈴の行方を

油阪役所の階段のぼりつめてドアを開くればなつかしの顔

われに向かう眼は静かなれど受話器とり書類みるまみえ少し厳しき

母さんとなぐり書きして眠り入りし少年の頬が笑つてゐるやう

盲人に献ぐる点字打ちてゐる少年の眼は星に成つてる

ブラスバンドの蛍の光流れ来て瞼に熱き涙溢るる

振り返り振り返りつつ鉄門の中なつかしみ我は佇む

母の影抱きて寝ねける八百の夢路の守らせ奈良阪の星

二十二の瞳集まるわが里の眞上(まがみ)に晴るる青き大空

右左わが肩に寄る二十二の瞳に見たる神のまたたき  昭和三二、十 二 

テレビジョン歌舞伎の夜はみな出でてわれ一人なり書見器の下

テレビジョン祇園祭の鉾の音や瞼閉づれど心乱るる

飴ん棒舐める患者あり小泉の森ゆ洩れ来る祭火淡く

われ病みて別れ来し二十二の瞳よいとしやとなく遠き里の灯

蛙啼くを聞きつ穂殻の火と燃ゆる手すりによりて人恋ふわれは

慈光院の茶席に一夜宴酣けてわれ詩を吟ぜし日もありけるを

血を吐きつ人には告げず綴り来し秘めし日記の完えし安けさ

鈴降りてまた辿り来し大和路の山の初雪佇みて見る

茜雲一瞬映えて沈みゆくひとときの視野われ瞑想す

ひんがしと西に隔たる玉の緒を一つに繋ぐ冲天の月

在りと見て在らざる影へ燈もし来し此の業火消す原始粒無きや

大脳に黒潮津波此の意識去らば天翔けゆかむ君の辺

またたかず追へども儚なつひに見えず大和の国の薬師寺の塔

吉野路も信貴路も訪はず別れゆく三笠の山へ翳げるうす雲  昭和三 四、三

二十二の瞳まもりぬ孤児抱きぬわれは母像の灯に生きむとす

奥山は暮れて子鹿の啼くならむ大和の国へ雲流れゆく


    『わが旅 大和路のうた』 昭和三十五年六月十日発行 阿部 鏡