電子版 秦恒平・湖の本 エッセイ23
 
 
 
 

湖の本エッセイ 23  スキャン原稿 未校正
 



  

   
 

 詩歌の体験(一)  青春短歌大学
 
 

             『青春短歌大学』平凡社 一九九五年三月一五日刊
 


 
 

   贈る言葉  序にかえて

(急いで一言申し上げたい。この本はいま「青春」を生きる世代より以上に、むしろ今なお「青春」を胸に大事に忘れていない大人へ、著者が心から贈る一冊である。お急ぎの方は「目次」からご覧下さい。)

 お別れを言うにはすこし早く、任期は一年残っているけれど、適当な場ももう無いだろうし、そういう場に臨むのも苦手なので、「青春短歌大学」を閉じる日を念頭に、「まえがき」を添えたい。そこで、まず、次の一首をぜひ挙げておきたい。

 生きているだから逃げては卑怯とぞ( )( )を追わぬも卑怯のひとつ   大島 史洋

 この歌の二字の熟語に、二年生の教室から次のような解釈例が出た。どれが多かったかは問題にせず、列挙してみよう。いろんな熟語の入り得るのを見越していた。おのずと二〇歳前後の「卑怯」感覚とともに「人生」に寄せる「覚悟」も焙り出されてくるのではないかと期待した。ともあれ、挙げてみる。
 理想・希望・大志・真理・真実・目標・先達・好機・運命(さだめ)・生命(いのち)・寿命・理念・幸福・人生・良心・信念・本気・弱気・弱者・自殺・未練・二兎・苦心・.道程・時間(とき)・欲望・俗欲・卑怯・敵兵・逃避・退路・平和・安全・青春・夢幻・時代・義理・明日・未来・未知・今日・現在(いま)・現実・昨日・過去・自分・自己.・恋愛(こい)・異性・恋人・片恋(あなた)・子供・去人(さるひと)・死後・死者・死出・死神(他に、行く・去る・逃げ・ゆめ等あったが熟語でなく、反則)
  だいたいは分かる。明日・未来あり、昨日・過去あり、理想あり俗欲もある。まるで反対のものが混じっている。原作の表現もこのなかに混じっている。「安全」はある。が、「危険」や「冒険」を「追わぬも卑怯のひとつ」と考えた学生は一人もなかった。「利益」やまた「不利」「利害」「犠牲」さらには「貴方」といった文字も登場しなかった。
  試みに一学年上の学生たちに見せて、なかから自分の解釈を選んでもらった。順不同に次のようなものが選び出された。
  明日・運命(さだめ)……各二人
  真理・理想・理念・時間・幸福・苦心・俗欲・卑怯・自分・自心(こころ)・現在(いま)・現実・過去・寿命・恋愛(こい)・片恋(あなた)……各一人
 このなかにも歌人大島史洋の表現・主張、ちゃんと混じっている。つまりこれ以外のものは原作とかけ離れるわけだが、そうはいえ、いくらかずつは当てはまって歌に成っている。「二兎を追わぬも卑怯のひとつ」など、何を考えているのかと思わせつつ、妙にくすりと来る味わいがある。東京工業大学の学生諸君には、自然科学の学徒としての熱い意欲はもとよりとして、もう一把のべつの兎を愛している者が大勢いる。ピアノなどの音楽をやる、絵画を描く、芝居をする、詩を書く、マンガを描く、ボランティア、スポーツ、あるいは文系の他の学問等。容易にはなげうちたくない、むしろそれ有って、より大きく豊かに自己形成できると信じられるものをもっている。「およしよ」とはとても言えない。
 むろんこの際のこの歌の「追う」「追わぬ」は追求や鍛練といった積極的な意味合いのもので、「追い払う」「見放す」意味ではないだろう。そのうえで「卑怯を追わぬも卑怯のひとつ」というのも、これは注目できる考え方である。その学生の、たとえ二〇年とはいえ人生の葛藤が透けて見えてくる。
「明日」「現在」「過去」のどれを「追う」か「追わぬ」かも、当人のどういう面を暴露しているのか、人さまざまで、一概に論評してはなるまい。
「過去」と選んで「この詩は現在の日本に対するメッセージではないか」と書いている学生もいた。「戦争責任」だ。「過去の死んだ人にはもう追えない、生きているからこそ追える歴史に対する責任を追う・負うべきだと。日本の過去から目を背けず・逃げずに生きたい」と。「現在(いま)」と選んだ学生は「過去はもうどうにもならず未来はどうなるか分からない。現在から目を背けるのがいちばん卑怯だ」と言い、「明日」と挙げた学生は、「この歌のうたっていることは当たり前ではあるが、それだけに大切なことであり、常に心にとめておくべきことだと思います。逃げたり追わぬでは何かを生み出すこともできず、あまりに人生がつまらない。今を見つめ明日を追うことで自分自身を創造したい」と書いている。
「自分」と書いてきた学生もいる。「言ってみればもう一人の自分、僕のなかの理想的な自分を追わないのはやはり卑怯だ。僕は追っているつもりだが、しばしば怠慢になる。それに理想的な自分の足取りは早く、とかく僕の追いつけないほど成長して遠くへ行ってしまう。それでもその差を縮めたいと思い、僕は彼を追っている。抽象的な理想も追わない。逃れられない運命も追わない。僕は自分を追う、可能性という名の自分を追って行く」と。
 謙虚で感性にも恵まれ、合気道で全国のチャンピオンでもある青年のこの言葉が、ただの作文でなく本心から迸り出ていることをわたしは知っている。そして励まされる。
「これは恋の歌ではないかと思いました。卑怯という響きに、なんだかとても、異性を想う気持ちの辛さと自分自身のなかでの葛藤がリアルにするどく表れている気がします」と女子学生は見抜いている。「つらい気持ちから逃げてしまおうとする自分に、この卑怯の二字は、やたらと、痛い言葉です」とも。そして「片恋(あなた)」と選んでいる。恋には独りだけでの葛藤もあり、他者とのむごい闘争の場面もある。だからといって身をひくばかりが道でもない。歌人大島がどんな本音でこの歌を作ったのか、実情は学生もわたしも何も知らない。ひょっとしてこの女子学生の読み取ったような事情なのかも知れない。そして、原作での二字は、実は「幸福を追わぬも」となっている。

  生きているだから逃げては卑怯とぞ幸福を追わぬも卑怯のひとつ

 * 時々僕も考えたものだが、生きるからには何事にも逃げまいと。しかしそのために敢えて幸福に背を向け困難な道を行くというのも、へんな自己満足になる。幸福であろうとして困難に立ち向かっていく気概を忘れた、弱い心の自己満足ではなかろうか。僕の今のモットーはDo one's best (最善を尽くせ)だ。できれば自身幸せになりたいし、幸せのなかでも逃げずに生きる心を忘れないでいたい。
「幸福」と、原作どおりの二字で虫くいを埋めた、ただ一人の男子学生の言葉である。
「幸福は人生の目的になるか」と提示し、考えてもらったことがある。「ならない」「しない」という声が数百人の半数以上に及んだ。幸福は最善を尽くすこと、尽くした結果としてついて来るもの、幸福にはなりたいけれども、人生の目的になどすればその瞬間から幸福の像と中身とは痩せていくと東工大の多くの学生たちが言うのだ。
 わたしは、同感する。最善を尽くしてきた自信はないが、幸福を生きる目的とは、わたしも、して来なかった。それでいて、「幸福を追わぬも卑怯のひとつ」という歌にも、この歌をこう読みこんだ学生の言葉にも共感する。つよく共感する。「幸福になる」ことを軽くみてはならず、目を放しても手放してもならないのである。これを我が心からの「贈る言葉」にしたいと思う。

 さて、ここで、おことわりをしておくことが、二、三ある。
 この本では、学生の歌を「読む」なまの声を主軸に編集する道が有りえた。それだと、だが、一〇倍の頁数を要することも分かっていた。やむをえず避けたのである。
 また原作の作者のみなさんに、あらかじめご了解をいただくことをしなかった。「教材」の名にかりて、どうか、お許しを得たい。作者の意を損じて扱っている例もさぞ多かろうと思われるが、他意も悪意もなく、これにもお許しを得たい。
 作品の選びに余儀ない偏りができている。ご不快のむきもあろうかと案じられるが、一つには授業内容と関連させたく、「虫くい」もうまく設けねばならなかった。毎週、時間に追われて選んでいたので、まんべんなくとはいかなかった。叙景の歌や花鳥諷詠は含まなかった。割愛したのも含め、他にいい作品・作者のいっぱいあるのは無論のことで、ご容赦いただきたい。二〇歳の青春にモノを感じまた考えさせたかった。それを引き出す教材としてつかわせていただいた。感謝して、重ねてお許しを得たい。
 この本の内容がメインの授業内容だと思われても、それは困る。違う。九〇分授業中の一〇分間ほどの枕の部分をとり纏めたにすぎない。詩歌を読み、表現し、そして自問自答したことを簡潔に手早く書く。そういうことは時折り一度二度やっても、何の足しにもならない。毎時間に繰り返してきたから、逆に学生諸君のほうでもいつか楽しみにし、なにが訊かれるかと期待しはじめたのである。そうでなければ短期間に原稿用紙にして三万枚ちかい気の遠くなる分量の多彩なメッセージは、提出されなかったろう。
 学生が何を考えているのか、サッパリ分からない、彼らは言わない書かない、という嘆きと諦めの声を何度も聞いてきた。わたしの体験では、ウソである。学生の一人一人は、言いたくて、書けるものなら書いて表したい気持ちを、溢れるほどもっている。吐きだす術と機会とそして適切な誘いかけ・問いかけが無いだけである。学生と向き合って「教える」だけでなく、学生とならんで視線を同じ方向へ向けて見たり感じたりできる「ことば」「おもい」の交流が、その姿勢が、むしろ大学や教師の側にあまりに乏しい。専門の学問を学習するのとは違う場面、ほんとうの人間に成っていく場面も大学にはある。そちらの場面を軽視し割愛の方向へ方向へといわば教師側本位に「重点化」問題を操作しているからこそ、哲学の無さに学生たちは危機を感じて、「こころ」とふりがなするなら「頭脳」か「心臓」かと問われると、敢えて「心臓」のほうを選ぶ者が、東京工業大学ですら ! 一〇人に七人も出てくるのである。
  もっと「挨拶」が必要なのである。「挨」も「拶」も強く「押す」意味である。わたしが「挨」し学生が「拶」し返す。逆もある。そういう対話を教室と教授室と学外とでいろいろに重ねることが、つまり「工学部(文学)教授」たるわたしの「無免許運転」であり、強いて言えば「作家」としての「取材」であり「道草」であった。楽しませてもらって、ほんとうに感謝しています。
     平成七年正月 成人の日に     秦 恒平

 

    目次 ちょっと待って!!

                 各短歌・俳句・詩の空欄に漢字一字が入ります。
                    まず、試みて下さい。いくつ入りますか。
☆ 青春短歌大学を開設!

☆ 愛
 ほのぼのと(  )もつときに驚きて別れきつ何も絆となるな        富小路禎子
 (  )人でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う     俵 万智
 ただ一人の束(  )を待つと書きしより雲の分布の日々に美し             三国 玲子
  (  )の最もむごき部分はたれもたれもこのうつし世に言ひ遺さざり         東 淳子 
  (  )よよと啜れる男をさなくて奪ひしやうに父たらしめぬ               今野 寿美
 かへすがへすその夜のわれを羞ぢらひて白(  )つつめる薄紙をとく       今野 寿美
☆ 結婚・親子・夫婦
 襟カバー替えて布団を敷き終る佗しいのも(  )が来る迄の二月      加藤 光一
  木に花咲き(  )わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな        前田 夕暮
 いまよりは( )といふべし手を執れば眉引ふせてすがるかなしさ        長谷川通彦
 枕辺の春の灯は(  )が消しぬ                                         日野 草城
 しまひ( )をながくたのしみゐし妻が(  )槽に蓋を置く音がする     前田 米造
  (  )上りの匂ひさせつつ売り残りの饅頭を持ちて妻が寝に来る           荒竹 直文
 安んじて父われを責める子を見詰む何故に(  )みしとやはり言ふのか     前田 芳彦
 (  )にて生まざることも罪の如し秘かにものの種乾く季                富小路禎子
 誤りて添ひたまひたる父母とまた思ふ( )を吾はもつまじ              富小路禎子
 急ぎ嫁くなと臨終に吾に言ひましき如何にかなしき( )なりしかも      富小路禎子
 春の夜のともしび消してねむるときひとりの( )をば母に告げたり       土岐 善麿
 海みゆる窓べを吾にゆづりつつ旅の日も言葉すくなし( )は            岩上とわ子
 いつの時もこの( )ありて耐へて来つ優しき言葉いはれしことなく      松本ふじ子
 もの言はず抗ふさまに居りし子が部屋に竹( )を振り始めたり       大島 静子
  自閉症の子にやりたきをやらせをり( )をとぎ一粒の(  )も零さず      真行寺四郎
 ぢいちやんかといふ声幼く聞え来て(  )話( )の中をのぞきたくなる   神田 朴勝
  さからはず家業の大工となりし子に( )儀作( )を強ひるな妻よ        前田 米造
☆ 父母
  死ぬまへに(  )雀を食はむと言ひ出でし大雪の夜の父を怖るる      小池 光
 起き出でて夜の便器を洗ふなり 水冷えて人の( )を流せよ              齋藤 史
 病む母の( )きの証ときさらぎの夜半をかそかに尿し給ふ       綴 敏子
 父の髪母の髪みな白み来ぬ子はまた遠く(  )をおもへる                  若山 牧水
 草まくら(  )にしあれば母の日を火鉢ながらに香たきて居り              土田 耕平
 いくそたび( )をかなしみ雪の夜雛の座敷に灯をつけにゆく              飯田 明子
 (  )をわがつまづきとしていくそたびのろひしならむ今ぞうしなふ          岡井 隆
 夜半を揺る烈しき地震に(  )を抱くやせし胸乳に触るるさびしさ          野地 千鶴
 女子の身になし難きことありて悲しき時は( )を思ふも                 松村あさ子
. 平凡に長生きせよと亡き母が我に願ひしを(  )もまた言ふ                池田 勝亮
 独楽は今軸傾けてまはりをり逆らひてこそ(  )であること                  岡井 隆
 父として幼き者は見上げ居りねがはくは金色の(  )子とうつれよ         佐佐木幸綱
 <(  )島>と云ふ島ありて遠ざかることも近づくこともなかりき              中山 明
 思ふさま生きしと思ふ父の遺書に( )き苦しみといふ語ありにき          清水 房雄
 亡き父をこの夜はおも(  )すほどのことなけれど酒など共にのみたし      井上 正一
 子を連れて来し夜店にて愕然とわれを( )せし父と思えり                甲山 幸雄
☆ 命
 おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくやうにゆかぬなり( )は     斎藤 史
 死の側より照明せばことにかがやきてひたくれなゐの(  )ならずやも        斎藤 史
 幾度か口ごもりゐしが一息に受( )を告げて窓に立ちゆく               吉田よしほ
 吾妻かの三日月ほどの吾子(  )すか                                   中村草田男
 胎児つつむ嚢となりきり眠るとき雨夜のめぐり(  )のごとしも            河野 裕子
 産みしより一時間ののち対面せるわが子はもすでに一人の(  )人          篠塚 純子
 人間は( )ぬべきものと知りし子の「わざと( )ぬな」とこのごろ言へる  篠塚 純子
 我よりも長く生きなむこの樹よと(  )に触れつつたのしみて居り            斎藤 史
☆ 先生
 先生と二人歩みし野の道に咲きゐしもこの( )ふぐりの花                畔上 知時
 先生は含み笑ひをふとされて(  )のふぐりと教へたまひき                畔上 知時
 よく叱る師ありき/ 髯の似たるより(  )羊と名づけて/ 口真似もしき       石川 啄木
☆ 日本語
 読むときは自然に読めど書くときは考へさせられる水(  )・木耳          吉野 昌夫
☆ かなづかひ
 ふといでしをさなのおならちひさくて(  )へと言へば(  )ふ真似する      吉井 千秋
☆ 恋・逢ひ
 陽にすかし葉( )くらきを見つめをり二人のひとを愛してしまへり        河野 裕子
 動こうとしないおまえのずぶ濡れの髪ずぶ濡れの(  )  いじっぱり!        永田 和宏
 雲は夏あつけらかんとして空に浮いて(  )いなく君を愛してしまへり        柏木 茂
 手を垂れてキスを待ち居し(  )情の幼きを恋ひ別れ来たりぬ              近藤 芳美
 あの夏の数かぎりなくそしてまたたつた一つの(  )情をせよ              小野 茂樹
 抱くとき髪に湿りののこりいて(  )しかりし野の雨を言う                  岡井 隆
 いつまでも(  )しくあれといはれけり日を経て思へばむごき言葉ぞ        篠塚 純子
 (  )はばなほ(  )はねばつらき春の夜の桃の花散る道きはまれり            秦 恒平
 ましぐらな矢に真二つ裂かれたるリンゴの( )の散るやうな逢ひ            東 淳子
 逢ふことが「栄養」となり夏こえてうつすらと(  )をおびゆくからだ      松平 盟子
☆ 口紅
 初めてのわが口紅に気づきしか口あけしまま見入る(  )                  中島 輝子
☆ とらわれ
 しづかなる悲哀のごときものあれどわれをかかるものの(  )食となさず   石川不二子
☆ 痛み
 たふとむもあはれむも皆人として( )思ひすることにあらずやも          窪田 空穂
 今にして知りて悲しむ父母がわれにしまししその( )おもひ              窪田 空穂
☆ 境涯
 ある(  )らず無きまた(  )らずなまなかにすこしあるのがことことと(  )る      狂歌
 ひきよせてむすべば柴の庵にてとくればもとの(  )はら成けり                  慈圓
 難波江に( )からんとは思へどもいづこの浦もかりぞつくせる            谷崎潤一郎
 長き夜を( )は釘を打つてゐる                                         佐藤 春夫
☆ 安住
 ほそぼそと心恃みに願ふもの地(  )などありて時にあはれに               畔上 知時
 妻の手は軽く握りて門を出づ(  )の日一日加はらむとす                   畔上 知時
☆ 不思議
 大きなる(  )があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも               北原 白秋
 三輪山の背後より不可思議の(  )立てりはじめに(  )と呼びし人はや      山中智恵子
 通用門出でて岡井隆( )がおもむろにわれにもどる身ぶるい                 岡井 隆
 わが合図待ちて(  )ひ来し魔女と落ちあふくらき遮断機の前               大西 民子
☆ 平和
 鶴を折る ひさびさに鶴を折るゆびの指の記憶の根もとに(  )火          佐佐木幸綱
 地球よりベルリンの壁が消ゆるとう(  )でしょう夢のような秋の日         冬道 麻子
 鰤の刺身の皿に波立つ冬の海越の(  )梅越の(  )鰤                      佐佐木幸綱
 若きらが親に先立ち去ぬる(  )を幾(  )し積まば国は栄えむ               半田 良平
 二十万人の一人といへど忘れめや被( )者わが友新延誉一                 友広 保一
                                                                  ─以下・下巻─


 
 

青春短歌大学
 
 


 
 

☆ 青春短歌大学を開設!

  六〇歳定年まで、あと、一年などと言うと大昔から勤務しているようだが、降って湧いて、いきなり「工学部(文学)教授」という頓狂な道草を、食う気で食いはじめたのが、三年半前のこと。出不精で、世間さまとのお付き合いのごく乏しいわたしに、なんでまたと面喰らったが、方角違いの東京工業大学というのが気に入り、お誘いに乗った。職業的教師の経験、まったく無し。素浪人なみの平作家でやってきた身に、ちょっくらちょっとは覗けそうもなく付き合えそうもない大学であり、学生たちであった。貪欲な取材根性は持ちあわせていないが、「お国」のご指名で、知らぬ他国の理工系世界とふれあえるのは、これは儲けものに違いない。四年や四年半ならすぐ経っちゃうさと、程の良さにも気をひかれた。六年も七年も宮仕えはごめんであった。
 学校というと「試験」「レポート」に悩まされたものだ。文学部ならいざ知らず、理工科の学生に「文学概論」なんて、見当違いも甚だしい。知識を授けてもしようがない。むしろ文学・藝術を満喫できるようになる、その良き道案内をどう有効に組み立てるか、それだけを工夫してきた。さりとて「成績」もつけ「単位」とやらをあげねばならない。ま、ややこしい途中の思案は端折るとして、一、二、三年生どの科目にも均しく一授業の前置きに、ずばり、「青春短歌大学」を開設した。詩や俳句もたまに取り込んだが、おおむね現代組歌を取りあげた。どう、取りあげたか。「試験」をする代わりに取りあげた。
 相手は東工大の学生である。生涯に、詩集・歌集・句集の一冊にもふれぬまま「日本の未来」や「科学の未来」を背負って立つおそれは、十分にある。真実、それは一まずい。かといって詩歌を講義すると言えば教室はからっぽになってしまう。そこで出席票の代わりに毎週毎時間、一つは、ご当人に頂戴していた『井上靖全詩集』の散文詩から一必ず一つか二つを、解説も鑑賞も抜き、授業の初めにわたしがただ音読することにした。井上さんの詩は若い魂にとどき易く、ものも思わせ易く、それで十分だし教室も静かになる。
 そして詩のあとへ、短歌一、二首を選んでおき、学生に、「表現を完成」してもらうのである。

 ほそぼそと心恃みに願ふもの地( )などありて時にあはれに     畔上 知時

  思ふさま生きしと思ふ父の遺書に(  )き苦しみといふ語ありにき    清水 房雄

 虫くいの箇所へ、必ず漢字を一字、埋めさせる。クイズのようであるが、それだけではない。その時学生諸君は歌人となり詩人となり、詩歌の世界を想像し理解し解釈して、まさに創作しなければならない。たったの一字一語が、どんなに詩歌の表現を左右するものか、しうるものか。学生は講義を聴くかたわら時間いっぱいをかけて「その一字」を工夫し、提出していくのである。もう三年間も、続けざまこの試みに応えている学生が、大勢いる。翌週には、正解と名解と迷解とを披露し、鑑賞し、それを当日の授業内容へ繋いでいく。
 息をのむほど多彩に漢字が出てくる。例に挙げた畔上の歌も清水の歌も容易ならぬ秀歌であるが、珍解・誤解に溢れるなかで、作者の意を深く汲んで正解してくる学生も何人もいる。東工大生の文学的感性、なかなか豊かであった。日本中の結社の皆さん、歌よみの皆さん、上の二首が「完成」できないようでは、わが「短歌大学」の単位、あげません。

 
 

☆ 愛
 

ほのぼのと(  )もつときに驚きて別れきつ何も絆となるな      富小路禎子

(  )人でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う    俵万智

  こう並べて「同じ一字」だと指示したので、五七六人中の三四五人が順当に「愛」へ落ち着いた。「友」「恋」が次いだ、が、むしろ「情」と埋めてきた六人に、一種の名解を認めて加点した。「友人でいいの」は、ま、成り立つ、が、「友もつとき」が成り立たない。「恋もつ」も必ずしもしっくりしない。「恋人でいいの」では、「愛人」や「情人」にくらべて愬える力がない。したがって「言ってくれるじゃないの」の捨てぜりふへ呼応するだけの力もない。
 俵万智の歌が好きだというメッセージと、嫌いだ、彼女の歌は二度と出題しないでくれという声とがあり、考えさせられた。この俵の歌では、「うたう歌手」と、「愛人でもいいの」と歌詞のなかで男に縋っている女とは別人であるはずだが、「言ってくれるじゃないの」とはねのける作者の意識には、同一人視がある。いわば把握と表現の混濁がある。混濁させて溶け合わす効果が自然に意図されている。しかし「愛人でもいいの」と言わねば済まない「女」への俵万智の突き放し方に、同じ女として物足りない、掘り下げもない、つい下目にものを見てしまう既成道徳・現状維持型歌人のしたり顔を、辛辣にみてとる敏感さも、二〇歳の学生たち、ちゃんと、もっている。「言ってくれるじゃないの」と作者のほうへ突っ返す批評をもっている。
 富小路禎子の表現は、はるかに、深い。「愛」を求める気持ちはだれも同じと言えるが、その「愛」が解き難い「絆」と化して生を拘束し緊縛してくるおそれも、知っている者はよく知っている。愛は、しかも、さまざまな顔つきで近づいてくる。うかと懇意になってしまって後戻りの利かなくなるのも愛であり、恋へも欲へも憎しみや悲しみへも容易に変貌してゆく。
「驚く」という和語には「めざめる」意味が古来隠れている。「はっと気づい」て、甘美な、厳粛な、予感に満ちた「愛」の「ほのぼの」を、さも振り切るようにして「別れきつ」、別れてきた、のである。今の自分には「愛」すらも「絆」であってほしくないという、この意志の背後を読むには想像を働かすしかないが、「愛」の微妙を歌いえて、かつ確かな自己把握があり、美しいまで自己表現がよく成っている。読者は、多くをこの歌に代弁してもらうことができる。
 学生たちと漱石の『こころ』とか潤一郎の『蘆刈』『春琴抄』とかを読みながらの、こういった歌との出会いであるから、意外にも思うほど、わたしの鑑賞や解説の言葉をよく学生は吸い取ってくれる。なんと言っても「愛」は二十歳の青春の大課題なのであり、日日に出会ったり別れたり戸惑ったりしながら、互いに「愛」を手まさぐっている。その生まの声や愬えをわたしは役目のようにじっと聴いている。聴いているだけ、だが。
 

ただ一人の束(  )を待つと書きしより雲の分布の日々に美し   三国玲子

「愛」が「絆」であり拘束でもありうることを知れば、よく生きたい意志をもつ人ほど、「別れ」のごときある断念などの選択・決断を迫られる。だらだらと愛に、恋に、愛憎に流されながらよく生きることは容易ではない。
 しかし、だからこそ決意をもって「愛」に身を挺していく日もある。三国玲子のこの歌は、そういう女性の初々しくも毅い、「愛」への、「愛の束縛」への、賛歌となっている。「ただ一人の束縛を待つ」とは求婚に応じます、あなたと結婚しますという承諾なのである。承諾の返事を「書き」終え、投函したのである。一日一日と日を経つつあるのである。「雲の分布」は例えば天気予報図や気象予報図で見られる。心の天気、世界の天気。「雲の分布」により、晴れも曇りもし、雨にも嵐にもなるけれど、その一切の比喩や象徴を受け容れて、その日を「待つ」感動。希望もまた去来する不安なども、そのままに「美し」いと歌う精神の弾み。すばらしい表現である。
 ところが男と女とで、かなり露骨に付きあう体験こそ日々に重ねていても、「束縛」という「愛」の実感にまだ乏しい二十歳は、歌の前で呆然とする。「速達」とねじ曲げて答えてくる。「束髪」「束帯」「束脩」などと入れる妙な物知りもいる。歌のおかれている事情がほとんど察しられていないから、「雲の分布の日々に美し」がまるで読めない。ただ熟語を手探りして「束縛」へ辿り着いた者もいるが、それでも一首の鑑賞は大方できていない。「よく分からない」と書き添えている。
 翌週に解説し鑑賞すると、これが優れた歌の一つであることに、およそ納得してくれたようである。「結婚」という大事と関わっているところが魅力とも愬及力ともなるらしい。
 

(  )の最もむごき部分はたれもたれもこのうつし世に言ひ遺さざり      東 淳子

  これも容易ならぬ歌の一つであり、かなりな物思いを読者は強いられる。目の前の好いた惚れただけで類推できない、どこか人生の帳尻を遂げたところから言い切っているような歌である。「生の」「死の」と言ってみたくなるが、それらの「最もむごき部分」はむしろ古来表現の主要な題材である。そうなれば「恋」も「金」ももろもろの「欲」でも同様である。
 ここへ「愛」をもってくるのは、簡単なようで深い思いである。しかし二十歳の学生諸君は大方が「恋」「生」「死」を選んで、「愛」に感じた者はじつに数少なかった。「愛」では一般論にすぎると感じたらしく、しかしわたしから電話をかけて真意を問うてみた東淳子さんは、躊躇なく、「愛」でこそ一首が確立しますと言い切ってくれた。わたしも同感であり、この同感をうまく説明するのは、だが、難しかった。説明の次元にあることではなかった。
「愛」ときけば、甘く優しく温和な価値のようであるが、必ずしもそうとは限らない。無残な、過酷な、皮肉な、不当な、猛烈な、悪辣な、偽善に満ちた「愛」も、余儀なく人をとらえて放さない。そしてそれも「愛」の表現であることに、人は目をそむけがちに、認めたがらない。『こころ』の愛も愛なら、『春琴抄』の愛も愛、これほどいろんな顔をして現れるものは少なく、概して人はその美しい一面にのみ視線をそそぐ。「神の愛」すら、ただの言葉と化して過酷な殺戮の美しい理由にされてしまうこともあるのだ。
 

(  )よよと啜れる男をさなくて奪ひしやうに父たらしめぬ

かへすがへすその夜のわれを羞ぢらひて白(  )つつめる薄紙をとく     今野 寿美

  一つの教室では何の注釈もつけずに出題し、もう一つの大勢の教室では、虫くいの文字は両方同じ漢字ですよとヒントを添えた。しかし、これこそは、どっちの教室でもたったの一人として歌人の表現を探り当てた学生はいなかった。まったく意味が取れない、分からない。なんとなく感じは分かるのですがと、一人だけが書いていたけれど、その解答は「乳」であり、少なくも第二首には無理が出る。
  いちばん多い文字は「髪」で、しかし「白髪つつめる薄紙」も分からないし、なんで「その夜のわれを羞ぢら」うのかも分からない。「乳よよと啜れる男をさなくて」は成り立たぬでもない、が、「父たらしめぬ」と、同じ「チチ」の酒落でもあるまいし、いくら「乳」を「啜」っても「父」には成れっこないのである。「白乳」という表現もへんなものである。「粉」も多かった。「白粉」は分かるが「粉よよと啜れる男」とは分からない。「衣」も「帯」も、なんとなく第二首では部分的に熟語っぽいが、前の歌にはまったく意味を成さない。
 むしろ「肌」だとやや感じがつかめる。「肌よよと啜れる男」「白肌つつめる薄紙をとく」ともに、きっかりと当たってはいないけれど、やや、ちかづいた印象はもてる。
 それならいっそ「珠・玉」はどうか。「肌」にはつきまとうやや平たい印象が、少し丸く盛り上がるところに「珠」「玉」の語感のエロスは感じられる。
 第二首を出しておけば、容易にある種の肌やわらかな果物、「薄紙」に「つつ」まれた果物を連想するだろうと予期したのに、果物なのか野菜なのか「瓜」と入れた学生がたったの二人だけいた。「瓜」には女の性器を直接指さす意味がある。「破瓜」といえば「処女喪失」の意味にもなる。その点ではこの短歌にはぴったりと実は合っているので、作者どおりの正解ではないけれど、正解点をそのまま与えていいぐらいだが、そういう意味でならこれは「桃」の美しい語感に敵わない。「よよと啜」るのなら「瓜」より「桃」が甘く潤っているし、また「薄紙」に「つつ」むにも「白桃」は「白瓜」より色気があろう。だがしかし、一人として「桃」に想い至った学生はいなかった。女子にもいなかった。正直のところ意外だった。六、七〇ものおよそ無理で不適切な漢字ばかりが続出したのは、つまり「分からない」のだった。一字も入れられずじまいの学生が何十人もいた。

桃よよと畷れる男をさなくて奪ひしゃうに父たらしめぬ
かへすがへすその夜のわれを毒ぢらひて白桃つつめる薄紙をとく

 たしかに、かりに「桃」と入れても何をどう歌った歌かと読み解くのは、簡単ではない。「乳」「肌」の文字を入れた人数が三分の一程度いたのだから、セクシイにこれらの歌を読んでいたらしいとは分かる、が、思ったとおり性的な連想力は幼く未熟なものだった。二首の歌の、なんというか奇妙に複雑でエッチな屈折表現も、こんな程度では読み取れまいなと思った。そして実はいささかほっとした。安心したと言い換えてもいい。
 必ずしも、そう好きになれる歌ではなかった。今どきの女の人の歌だなあと「脱帽」の思いだった。それでいてこれを選んだのは、日ごろ学生諸君の性的体験を豪語! するそのエッチ度の正味のホドを測量してみたかったのである。好奇心もあった。授業では、ちょうど谷崎潤一郎の『刺青』『少年』『秘密』などが取り上げられていたさいで、「性」の神秘と恐怖感は言うまでもなく初期谷崎文学の特色を成しているのだから、関連して学生諸君をグイと押してみる意味はあったのだ。それと同時に、「童貞・処女」なる「難儀かつ微妙な観念の重み」についても、突きつけて自問自答を別に強いていた。短歌の虫くいを埋めるかたわら、やはり毎時間この種のキツい問いに書いて答えてもらうのだが、拒絶されることもなく、この問いかけにも八割以上の男女が、童貞も処女も、なんら難儀でも微妙でもない、重いものでもない、いわば自動車の通れない細道につくった赤青信号のようなもの、保っていようが喪おうがあんまり意味のない、とくに守るに値いしないいずれ一つの「状態」にすぎないと応えてきた。結婚までは断乎として守る重い価値との声も、むろんあった。しかしたったの二、三人にすぎなかった。男性から処女への敬意のごときものはそれでもまだかなり留保されていた、が、「まだ」童貞である現状を「恥ずかしい」とする相当数の声でそれを裏打ちすると、男社会の発想はまだまだ根強いように思われる。女性の側から、処女への執着をナンセンスとする声の高いのも、裏向きにみれば似た批評であろう。興味津々のたくさんな述懐や告白がわたしの手元に溜まった、が、ここでは措く。いずれにしてもこの今野さんの歌ほど、具体的に猛烈ではなかった。
「猛烈」といっては今野さんにすれば見当違いかもしれない。「桃よよと啜れる男」は事実果物の「桃」に今しも無邪気にしゃぶりついているにすぎないのだろうし、そんな男の様子に女の目は心ひかれているだけとも、言えば言える何でもない状況のようでもある。
 とはいえ、まさか、その食べかけの「桃」を「奪」い取って自分が食ったという歌とは読めない。女が目前の男をして「父たらしめ」たとある。「桃よよと啜」る行為が一気に性行為に転じているのであり、一種のレイプが女からの誘いと力とで為されているのと同じい表現へ歌そのものが乗りかかっている。事実か事実ではないかは超え、女側の想像の次元で、女は、男を、「桃よよと啜」らせておきながら征服し支配したのである。無我夢中、男は「よよ」と歓び「啜」っている。しかも笑止なことに男はそれで女を歓ばせている、あたかも征服し支配してでもいるかのように思っているらしい。そこのところが、女には男が根本から「をさなく」見えるのである。笑止なのである。この短歌に生きて在る女はさようにも猛烈に、さながら女王の権利然として、男を、いずれは子の「父」として側近に在らしめることにした・決めたのである。「奪」ったのは「男」ではなかったのだ。これは痛烈な、いややはり猛烈な、男をレイプする女の凱歌だと読むしかあるまい。「桃」は女の女自体を謂うているのは自明である。「桃」こそは、古来「産む果物」それも億「兆」も豊かに生る「木」であり果実なのである。「桃色」といえばまさに「女色」であり、前に後ろに「桃」を抱いた性として女は男に太古以来アピールしてきた。
 こう読めば、第二首の「白桃」の意味も歌の意味も、にやりと解けよう。

桃よよと啜れる男をさなくて奪ひしやうに父たらしめぬ
かへすがへすその夜のわれを羞ぢらひて白桃つつめる薄紙をとく

 よほど、やはり、猛烈であったのだ。「白桃つつめる薄紙」など、なにやらなまめかしくて顔赤らむ表現効果がある。学生諸君も、唖然と声もなかった。
 
 

☆ 結婚・親子・夫婦
 

襟カバ─替えて布団を敷き終る佗しいのも(  )が来る迄の二月   加藤 光一

木に花咲き(  )わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな   前田 夕暮

  夕暮の歌は代表作の一つで、いかにも好もしいが、加藤光一の歌も好きである。加藤の歌の「二月」が、まだ二箇月の間がある意味か、歌の現在時が暦の「二月」なのか、「二月」には「来る」意味か、一瞬のまぎれが無くもない。それに必ずしもこのままでは結婚前の歌とは限らぬという読みも不可能ではない。例えば久しい友人が遠くから来るのを待望していると取って取れない歌ではない。だから「友」や「母」「父」「兄」「弟」「妹」「姉」などが虫くいに入る可能性は、この歌だけを出題すれば、ある。あるいは虫くいの字は加藤の歌と夕暮の歌とで別々と指定すれば、ありうる。だが指定は、同じ一字となっていた。
 それでも「友」を両方に妥当とみた解釈が多かった。現実に女友達から「妻」へという進み方は多かろう。だが、そうは言え「友わが妻とならむ日」では、なんだかしんきくさいではないか。
「女」という答も出てきた。「おんな」と読むのではさも荒けなく、「ひと」と読んでも間がぬける。「嫁」でも、へんである。
 一九七人中の一〇三人が「春」というのは、とくに加藤の歌なら、分かる。ただ夕暮の歌で「花咲き」「四月」とあるのへさらに「春」は、重複の感じを免れない。
 ここは、六〇人の学生が声をそろえた、「君」がいい。加藤の「君」はまさに「君・僕」のくちだし、夕暮の「君」はもう少し伝統的な感触の、ややふり仰いだ「君」であろう。
 

いまよりは(  )といふべし手を執れば眉引ふせてすがるかなしさ   長谷川通彦

枕辺の春の灯は(  )が消しぬ    日野 草城

 同じ漢字一字と指定し、「眉引」は熟語で、そのまま眉と思ってよしと説明しておいた。
 四八五人が出席していたが、「妻」と正解した者は、六五人しかなかった。初夜またはそれにちかい閨房の秘事なのであるから、二十歳にもならぬ学生の想い及ばないことかも知れない。
「涙」「風」「夢」「闇」「母」などで三〇〇人を超えたが、いずれも草城の句についていて、短歌の方には合致しない。
 短歌と俳句との行き方の違いのようなものを分かってもらおうとも考えた。短歌の実情にたいして、俳句には、かすかにおかしみとも取れる余裕が感じられる。しかも艶な風情の濃やかなのも、このさいは俳句の側にある。ともに愛ではあるが、エロスは俳句のほうにある。おそらく、長谷川の短歌はまさに初夜の感動なのであり、草城の夫婦は、もう親密の夜を幾夜もかさねているのだ。
 

しまひ(  )をながくたのしみゐし妻が( )槽に蓋を置く音がする      前田 米造

(  )上りの匂ひさせつつ売り残りの饅頭を持ちて妻が寝に来る       荒竹 直文

  同じ漢字が入ると示唆してあったので、こういうのはらくらくと答えてくれる。「しまひ湯」「湯槽」「湯上り」のどれかへ察しがつけばいいわけだ。作者がどういう人であるか、説明の必要もないほど歌は歌でじつに自立して揺るぎなく、こういう生活くさい、技巧もなにもないような歌を、玄人じみた歌人たちは軽く見がちであろうが、表現は渋滞なくなかなかいい場面をいい瞬間で切り取っていて、そうはだれにも歌えない歌なのである。
 夫はともに先に床に入っているとみていい。後のはもちろん前のもそう読んで気が和む。そしてどっちの夫も「妻」を感じ「妻」を待っているのが分かる。まだ来ないのかなあ、女の湯は長いなあ。しかし平和である。「たのし」んでいるのは「しまひ湯」に「ながく」浸かっている「妻」だけでなくて、夫も「妻」の来るのを待っていろんな想像や期待を「たのし」んでいる。「湯槽に蓋を置く音がする……」あ、来るな……。なんという具体的な把握であり表現であることか、「妻」の湯に匂う姿態も「蓋を置く音」も見えまた聞こえてくる。別々の歌人の別々の歌ではあるけれど、こう並べてみると、なんだか場面のつづきでも見るような後の歌の面白さ。「売り残りの饅頭を持ちて妻が寝に来る」とは、うなってしまうほどのうまさである。幸せである。むろん、やかましいことを言えば「饅頭」は「売り残」したくはなかっただろう。しかしこんな歌を読んでいると、こんな場面を目に映じていると、それすらも夫婦の愛をあたたかくおいしく彩ってくれる。
 わたしは、藝術的な高等そうな歌だけれどもそれがどうしたというような気取った歌は好きになれない。舌を噛みそうな判じもののような歌を前衛呼ばわりしてみても、どこかに誤解がある。高度の表現に判じものめく措辞の加わる必然は、承知していながらも。
 

安んじて父われを責める子を見詰む何故に( )みしとやはり言ふのか  前田 芳彦

  わたしの引用に覚え違いがなければ、「責むる」でない「責める」が口語の感じで、この感じが、かえって歌に味わいを生んでいる。調べの妙に乱れた歌なのが、この父親の内心の葛藤にも似て、それも味わいになっている。もう大昔のことだが、わたしが高校の二年生ごろ、京都の東福寺境内をさすらいながら、連作の最後をこんな歌で結んで国語の先生に見せた。

青竹のもつれる音の耳をさらぬこの甃道をひたに歩める   秦 恒平
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 上島史朗先生は、文法としては「もつるる」が正しいが、「もつれる」に味わいがあり、強いて直すことはないだろうとおっしゃった。とてもいいことを教わった気がした。私家版の歌集『少年』ではそのままにした。湯川書房版の豪華本ではどうであったか、不識書院版の『少年』では「もつるる音」と直した。それでも上島先生の言葉はわたしのなかで生きている。先生は「ポトナム」に長く歌を出しつづけておられご健在だが、ありがたいことに、ただの一度も結社に入らないかとは口にされなかった。
 前田氏の歌は混みいってはいるが、さてこの虫くいに「生」みし以外の文字を入れるほうが難儀であろうから、出題としてはやさしかった。「何故に生みし」と事実父の前に放言してきた学生も、教室のなかに何人もいる。口にしなくても胸に同じ言葉を抱いたまま反抗した者なら、たくさんいる。むろん、そんなふうに父親に対して思ったことはただの一度もないという学生もいっぱいいる。一概なことは言ってはいけないのである。それでも、この歌の状況はだれもが分かる。
 だが、歌の表現からていねいに分かろうとすると、必ずしもやさしくない。「安んじて」は「子」が「父」を「責める」のにかかるのか、そういう「子」を「父われ」が「見詰む」るのにかかるのか、特定しにくい歌にできている。こういうさいは、自然当然に両方にかけて読むことにわたしはする。すると、父と子の双方に、「責める」も「見詰」めるも、どこか「安んじて」しているさすがに親子の暗黙の凭れ合いまで感じ取れて、さほど切羽詰まった状況ではない安心すら生まれるのである。そして、こういう状況には、このように双方でどこか心安んじて言い合い見合いする内心の態度ができている。それが普通だと思われる。「やはり」にも、絶望とまではいかないゆとりが見える。言われる「父われ」にしてから、かつては同じことを自分の父親に向かって、「やはり」言ってきたのかも知れぬではないか。
 わたしは、できるだけ、ことあるつど学生諸君にこういう父や母らと己れとの在りようについて思い出させ思い出させしながら、自己確認や追認をしてもらう、そんな自問自答の機会をつくろうとした。父母にかれらを縛りつけるためではない。たとえ「十七で」が無理でも二十歳にして「親を許し」て真に自由に自立できるようになってほしいからだ。
 

(  )にて生まざることも罪の如し秘かにものの種乾く季

誤りて添ひたまひたる父母とまた思ふ(  )を吾はもつまじ

急ぎ嫁くなと臨終に吾に言ひましき如何にかなしき(  )なりしかも     富小路禎子

 ある連関・連想をもちまたもたせる歌であり、またそのつもりで選んでみた。学生たちに、一つの歌だけでなく、連作ふうの感覚で読み取ってみることもしてもらおうと思った。人には境遇というものがあり、それとの触れ合いに人それぞれの態度も感情も批評もある。作者の私生活を詮索するまでもなく歌の表現に決定されてある人生は、それなりに受け取る感性があれば十分受け取れる。作者の名前はもちろん添えて紹介するものの、むしろ、それは忘れてもよろしく、一人の女性の「うた」声をひたすらに聴きとめてほしかった。「両親」「結婚」「女の性」「出産」「親子」「母娘」「年齢」そして「人生」も「死」をも、切ないほどの思いで歌っている。
  第一首の虫くいは、「女」と埋められる。生む性として生まれ、生まぬまま年齢を加え乾いてゆく葛藤を表現している。「罪」の語は、世間からも放たれ、おのが心のうちにも密かに抱き込まれている。既婚か未婚か、この歌一つで察しるのは難しいし、必ずしもそれが必要でもない。
  第二首では、「また思ふ」が動詞の終止形で一息切れると読むのと、「思ふ」は動詞の連体形で、次に何らか体言がつづくと読むのとで、歌が変わる。「また思ふ」で切れるなら、次に「夫を吾はもつまじ」という結婚拒絶の歌が可能になる。この場合の「また」は再々思う意味になる。親の夫婦仲のよろしくないのをいつも日常の光景・情景として見ている娘からの、「添うたのが間違いなのよ」という批評になる。しかし原作では、「また思ふ子」として、あとの語へ繋がるかたちで、作者は表現している。自分が結婚して、自分が「父母」に思ったのと同じことを「また思ふ(やうな)子を吾はもつまじ」つまり自分が結婚すれば、親の二の舞いを演じてしまうのではないかという悲しいおそれを作者は深々と胸に抱き込んでしまっているのだ、そういう「父母」を身に負うてきたのだ。「子」をもたない・生まないことに重点がおかれるより以前に「結婚」もすまいとするあわれが読める。一首の重さがそこにある。
 第三首の虫くいは、「母」として表現されている。女の性を抱き合った「母」と「娘」との「如何にかなしき」というしかない過酷なほどの「臨終」「最期の言葉」が呻き出ている。

女にて生まざることも罪の如し秘かにものの種乾く季
誤りて添ひたまひたる父母とまた思ふ子を吾はもつまじ
急ぎ嫁くなと臨終に吾に言ひましき如何にかなしき母なりしかも

 なんという悲しいおそろしいことだろう、しかし、こういう現実もあることを、歌の表現に学んでおいてほしいとわたしは思った。男子が女子の十何倍もいる大学なればこそ、そう思って選んでみた。
 三年生以上の教室で、この一連の三首に三つの原作どおりの漢字を選んでみせたのは、男子がただ一人だった。比較的女子の受講者の多いわたしの教室であるが、女子はそれぞれ第二か三首めを間違えてきた。順に「命」「朝」「言」と入れてきた女子もいた。なるほど考えてはいるが、決定的な佳い表現にはなっていない。必ずしも難しい出題ではないのになと、ちょっと意外だった。「健」「夫」「嫁」とした男子もいた。一首めが読みにくいが、意味だけなら分からない理解ではない。「如何にかなしき嫁なりしかも」でも娘からの思いになっていると言えば言えるだろう。無考えには誤解していない、そこが青春短歌大学の功徳なのである。表現体験はたしかに成されている。
 二年生中心の大勢の教室では、「やや私小説ふうに一連のものと読んでみると分かりいいでしょう」と前もって示した。そのためか、三首ともに.正解した学生は二割を超え、二首を正解し、もう一つは準正解と言える解を示した人数は随分の率にのぼっていた。
 この出題で、わたしが暗に期待したのは、胸に届いて佳い歌には違いないけれども、おのずと別の思いでこれを批評的にみなす学生もいてほしいということであった。つまり、これらの歌がたとえぬきさしならぬ真情を表現しえているにせよ、「誤りて添ひたまひたる父母」であったればこそなおさら、自分自身は、幸福な結婚を望んで積極的に伴侶をもとめ子供も生むという人生がありえないわけではなかろうにということ。むしろ一般には、そういうものではなかろうかということ。そして、現に、そういう不審を表明した学生は男にも女にも何人もいたのである。もっとも、そういう声にさらに反論する女子学生もいた。やはりこの歌人のぎりぎりの表現にはリアリティーのもたらすなにかしら不動の重みがあり、安易な批判を拒絶しきっていると。そうかも知れない。
 別のある歌集で、嫁いでも子は生すなと娘に訓えて夫のもとへ送り出す母親の歌を読んだことがあり、その母にも、この富小路さんの母にも、やはり、そこまでを言わせている重みは、容易ならぬものに相違ない。

嫁ぐとも子は産さずよしといひし母に書きてやるなり身籠りたりと   篠塚 純子

 でも、わたしは、「こういう心情」を身内に飼って、かえって己が心身を蚕食されてしまうことの無いようにと、あえて二十歳の学生たちに言い添えたかった。
 

春の夜のともしび消してねむるときひとりの(  )をば母に告げたり    土岐 善麿

  これは難しかったようだ。四六九人のなかで、作者の表現に行き着いた者、五九人。一年生では一割に満たないのに、二年生になると倍ほどの率で正解している。頭の出来が違うのでは、ない。明らかにここに、高校を卒業したての一八、九歳と、大学での一年余を、もうかなり手荒く揉まれてきた二十歳前後との、差が見えているのである。微妙にこのへんに人生が顔を出す。大学「学部での一般教育」が、いちばん関心していなければならない要所である。大きな差ではないのだ、が、人生や運命に気のつきはじめた世代と、まだそこまで行ってない者との紙一重の差なのであり、ちょっと手を添えれば、大事な己れの根にあるもの・あるべきものに、一年生でも気がつく。
 よく要路の人たちは、大学当局の人でもそうだが、「人間教育」と簡単に口にする。しかしそんな「人間」の機微を、学生の年齢や成長に即して噛み分けている大人とは、あまり、学内でも、出会わない。「人間教育=一般」「知識・技術教育=専門」とに分けて考えるのに東工大など最も適した大学だろうが、「人間教育」をすべきだと言いつつ、その「一般教育」でもとかく知識を、それも半端に専門めく知識の授与を「アカデミック」の名において過大に重んじたがる。知識体系の根と背後とに生かさねばならぬ「人間」または「二十歳の青春」の理解には、そう熱心でない。大昔から「一般教育」を学生が軽んじ、担当教師がコンプレックスをもちつづけてきたのは、ある意味で当然だなあとわたしは就任してすぐに気づいた。お互いに不如意な時間を、学生は退屈して、教師は中途半端に分かちもっているのである。よく.言う「人間」とはこのさいは自分自身であり、自分と関わってくる他人であり、他人の背後に実在する世間の人なのである。それらの関係、学生に言わせれば「位置関係」なのである。それを念頭に彼らは自問自答を、意識して、また無意識に繰り返している。教養も教育も知識も、そうした繰り返しをたすけ支えてやれる方向へ向かうべきなのが、つまり大学生のための一般教育=人間教育だと思う。わたしは思う。
  それはさておき、土岐善麿のことは、石川啄木のよき理解者の一人として、言語学の金田一京助博士とともに忘れがたい人だとだけ説明した。そして短歌一首を仕上げてもらう。
  圧倒的に多かった解釈は、「身」であった。まだ「独り身」で、いい伴侶に出会えないのを息子は母に愚痴っている、かこっている、というわけだ。「ともしび消してねむるとき」なのは、気恥ずかしく、顔を母に見られたくなかったからだ。
  どうかナと、わたしは賛成しない。「春の夜」という限定にどんな詩的効果を読むか。また「告げ」るという踏み込んだ語感と、独身を侘びしく感じているのとでは、ズレがあるのではないか。しかし一〇〇人ほどが「身」と答えた。「苦」というのもあった。「寒」「悲」「寂」もあった。いずれも、同じような難点がある。ただ、故郷から上京しての独り暮らしの不如意や孤独を、大学生の多くがすでに知っていることだけは、分かる。
 予想もしなかったのは、「死」の文字を入れた者が、五〇人ちかくもいたことだ。友人の、または恋人の、死。つらかった、重すぎた、死。それを「告げ」ているのだと。母のかねて知っていた人でも、まだ知らなかった人でも、これは当てはまる。作者の意図のままではないが、わるくなさそうな歌にはなる。ただ、ここでも「春の夜の」夢をひくやわらかい感じ、暖かい感じとは食い違っている。それに「ともしび消してねむるとき」まで「告げ」るのをためらうような話題だろうか。また「ひとりの死」という表現が、ちょっと的確にいっていないのではないか。それなら、いっそ友人や恋人のことをずばりと出したほうが率直ではないのか。「死」の一字、適切とはやはり言いにくい。
 それでも、この思いがけぬ「死」の文字との遭遇には教えられた。想像以上に学生の若い心身に死の影が落ちている。肉親だけでなく、また自然死だけでも、ない。若い盛りの青春と死とは縁遠いなどと一人合点していたわけでなく、だから漱石の『こころ』を主に文学の授業をわたしは組み立てていた。それにしても、ここへ「死」の現れるのは、意外だった。軽いショックをうけた。
 さて「夢」を「告げたり」でも一首は成り立っている。どんな内容へも、歌の思いをもっていける。だがそこが表現の難儀さでもあり、何にでももっていけるところに弱み・ゆるみも出てしまう。少なくも把握にゆとりのあるぶん、表現にも強さ・的確さが欠けてくるのである。
「人」の一字も多く、それでは曖昧なので、「男」「女」に「ひと」とふりがなの答も多かった。恋人なり結婚したい相手なりを言う気だろう。が、何としても一般的すぎて「ひとりの」という限定との間にスキを生じている。「子」や「娘」を「こ」と読んで答えているのは、的に近づいている。「友」では味わいがうすい。「恋」の一字で恋人の意味にするのはちょっと苦しい。
 およそ他に七〇種もの漢字一字が繰り出されていた。いかに歌の表現に、表現の完成に苦労したかが窺われた。土岐善麿の原作では、「名」となっている。

春の夜のともしび消してねむるときひとりの名をば母に告げたり

 意中の人の「名」を告げたのだ、「春の夜のともしび消してねむるとき」に。「母」にそっと呼びかけて……。やっと……。子はひさびさに故郷の母のもとへ帰っていたのかも知れない。母ひとり子ひとり。父はもう亡き人なのだろうか。
 ここで土岐善麿の年譜に即して読み込むこともできるだろう、が、自立した一首の歌では、わたしは、その方法を重視しない。父親はこの世にない人とかりに想像して、それが作者の伝記的事実と反することがあっても、せまい歌壇や結社内での短歌の読まれ方とは逆になるのかも知れないが、そういう「事実」に過度に拘泥しないようにしている。作者を忘れていいとは言わない。が、作者の名前やその実像は「作品」ではないからだ。与えられた「作品」としての短歌一首は、あくまで短歌一首として読んでいい優先権が読者には認められている。「作者」は大事であるが「作品」ではない。短歌を読むにあたってまず作者について知るべしという規則はないのである。そういうことを強いたり当然のことと思ったりしているから、どうしても第二芸術の域を出ないのだ。
 原作者の言う「名」は、ここでは物の名ではない。特定の「ひとりの名」であり、名は実を体して大事に口にされている。子から「母」へ、その母にもかわり得る一人の女の「名」が、今しも「告げ」られたのだ。なんという微妙な一瞬であろうか、「春の夜のともしび消してねむるとき」とは。美しい、あまい、底知れずやわらかくて厳粛な歌である。
学生諸君も、しみじみと、どうやら詩心の在り処に異存はなかったようだ。
 だが、わたしの想像しきれなかった視点も、学生から提出されてくる。
 一つは、母は故郷に、子は都会に、離れ離れのなかで子は母へ呼びかけて、好きな人、愛している人の「名」を、そっと、そうっと……遠くへ「告げ」ているのだと。故郷を離れて東京で独り暮らしの学生のなかには、この「読み」に切実に同化できた者が数少なくはなかったろう。
 もう一つは「母」は亡くなっていて、子は天上の母へ「ひとりの名」を「告げ」ているのだと。現に母に死なれているような学生ならば、この読みに共感を惜しまなかっただろう。
 二つとも優に成り立つ「読み」である。そのように読んでこの短歌一首を満喫できる人がいるなら、遮る真似はだれにも許されていない。どっちに読んでも歌の値を損なうようでもない。この幅、この懐の深さこそ、含蓄語にして曖昧語なる「日本語による詩の表現」の特徴であり、また特長だと言える。特長を殺してはならないだろう。だから言うのである、もし作者の年譜的事実に拘泥してぜひ読まねばならぬことになれば、短歌の内蔵する豊かさは、たちまち、現実的なただ一つの状況へ固定され縛りつけられてしまうことになると。日本の詩歌を日本人むけに現代語訳する作業に、わたしが終始否定的なのはそのためである。それはその訳者の「一つ」の解釈なのである。別の読みを封じることは許されていないのである。むろん、恣意のこじつけ読みは論外である。
 

海みゆる窓べを吾にゆづりつつ旅の日も言葉すくなし(  )は     岩上とわ子

いつの時もこの( )ありて耐へて来つ優しき言葉いはれしことなく     松本ふじ子

  同じ漢字一字でと、やさしい出題のつもりだった。だが、五四九人の七八人しか正解してこない。いちばん多いのは「君」の、一一八人。正解に次いで多いのが「父」の、七七
人。そして「人」の四二人。娘を連れた旅の「父」なら、岩上さんの歌はこれで十分だろう。十分配点していい正解なみの仕上げである。だが、松本さんの歌にはどうか。「耐へて来つ」がなんだか過剰な物言いに響く。父と娘の特殊な状況を想像するのはたやすいけれど、想像がいかにもいかにも私的な限定をうけすぎる。
「君」「人」では、把握が弱くて歌のいい味がこんな文字を穴にして漏れ出ていってしまう。まだ「友」のほうが少し具体的になる。これはわるくない。「彼」となると、「この彼ありて」の「この」は近く「かれ」は離れ、距離のスキが出てしまう。響きもキンキンする。この歌の場合は「この人ありて」のほうがおさまりがいい。
「妻」「母」と答えたのも、合わせると七〇人いた。妙なもので、「妻」は、前の歌にはまあ馴染んでも、後の歌ではへんなものになる。夫からの感想にしてはしまらないのである。前の歌にしても、「旅の日も言葉すくなし妻は」は、どことなし寂しく感じられる。夫が愚痴っているとも聞ける。「母」のほうも、前のにはまあ当てはまっても、後の下句には添ってこない。
「男」が一三人いた。「おとこ」では、なんだか身の定まらない女の歌のようで、ちょっとした流れ流れの男女関係のように想像できる。ただし両方に成り立っている。「ひと」と読めばなおさらで、原作者はぎょっとするだろうが、これはこれで物語になる。准正解なみに配点できる。
「愛」の二六人は考えすぎなのか考えが足りないのか、歌の意に迫ってはいるけれど、適切な表現ではない。
 ここは「夫」が正解で、読みは「おっと」でも「つま」でもいい。前のを「つま」に、後のを「おっと」に読みたいと、わたしなら思う。
 わたしのような夫婦者だと、こんなに平易な出題はないと思うのだが、学生という身分は自己本位でしかも未婚が普通であるから、どうしても自分を起点にして発想してしまうのだ。他人の作品でなく、自分の作品としてまず考えはじめるのだ。作者が女の人であることにも拘泥しない。例えば自分の父と母とのことへ置き換えてみるより早く、自分と父親、自分と母親、ないしは自分と恋人・友人などの状況を想像していく。それはそれで自然とも言えるが、詩や小説を味わうのに、少しせっかちすぎるとも言えよう。
 余談だが、英語でも「You and I」と言う。逆にはしない。日本人でも普通は「あなたと私」とか「父と私」とか「中村君と私は」などと言いかつ書く。ところが東工大で若い人の書くものを夥しい量読んでいて気がついた。しばしば「私と彼とは」「俺とおやじは」「僕と先生とでは」というふうに出てくる。一特徴とすら言える。
 さて、では学生は「夫婦」に関心がうすいのかというと、そんなことはない。むしろ結婚できるだろうかと過度に案じている男子が多い。女性と出逢える機会が、東工大の忙しい日常とあまりに開いた男女比とで、じつに乏しい。ところが「結婚」を「学問」分野に譬えて謂わせてみると、九〇種類もの学問として譬えてくるぐらい、めいめいのヴィジョンはもっている。結婚や夫婦に悲観的な者もいて、同棲がいいとはや体験中のものも幾組もいるし、不倫を肯定・願望の声もちらほらある。が、概して男子学生の多くは、いい妻に出逢い、いい家庭を得たいと切望の気味である。この歌のような寡黙で頼れる「夫」になるのかどうかは分からない。もう一つ付け加えれば、男も女も、一人の相手だけを永久に愛するのは無理で不自然だという考えの学生が、ドキッとするほど数多いのである。
 

もの言はず抗ふさまに居りし子が部屋に竹(  )を振り始めたり    大島 静子

  父がいて母がいて「子」がいて。「子」はなにか父に言われたのであろう。承服しかねる気分で言われていたのである、それが「居りし」という物言いに出ている。「居」るとは、いささか服従または随順の態度である。「十七にして親を許し」ている「子」であるのか、性質がいいのか、「もの言はず」に、しかし母の目には「抗ふさま」に映る程度に不服の気味で、そこに「居」た。そして自分の「部屋」へ立ち去ったと思っていると、掛け声こそ聞こえないけれど足踏みと家鳴りとで「振り始めた」のが分かる。夫と思わず目を見合わせ苦笑する。ああやって、とにかくも気をまぎらわせるほどに「子」は成長していた。ちょっと前ならドアは叩きつける、壁を蹴るくらいなことはしたのに……と。
「竹竿」とか「竹棒」とかはいただけない。これは「竹刀」と言ってもらいたい。
 ちなみに正解には「八」点、漢字一字で答えてあれば間違っていても「二」点、名解や珍解には「三 - 七」点を配点する申し合わせになっている。
  半期の授業が一二 - 一四回だからかなりの点数は稼げそうでいて、そうはいかない。多くて七回ぐらい正解できる学生が各期三 - 四人はいるが、まったく一回も正解できぬ者も何人もいる。
 さて詩歌の虫くいを埋めて「表現」を完成するだけでなく、他にもう一つ実は「文学」的な平常点のための工夫がしてあり、さまざまに題を出して文章を書いてもらう。それと合算の配点をするよと学期の最初に約束ができている。総合して、ある者は半期で一四〇点ほどに達し、ただの三〇点にも達しない者も何人もできる。一点刻みで、こまかに人それぞれの点数がつく。むろん出席して授業に参加していないと、まるで点数にならない仕組みになっている。
  この「竹刀を振」る「子」の歌などは、ただいい歌を紹介したいだけでなく、すこしは点数を稼がせたくてやさしいものを探しあててきたのである。
  だが、いい歌である。そしてほとんどが正解してくれた。
 

自閉症の子にやりたきをやらせをり(  )をとぎ一粒の(  )も零さず   真行寺四郎

 この歌からは、声なき「憤り」と「嘆き」の声の聞こえることに注意したい。「子」に憤りまた嘆いているのではない。「自閉症の子」に対する世の視線や態度に、きッと眼を向けている。それが分かれば、感じ取れれば、足りている。さらっとした、ぶっきらぼうとすら読まれかねない措辞だけれど、なかなか、こうは「うた」えない「うった」えられないものである。率直だが露わではない。歌が痩せていない。硬くもない。
 これも学年諸君へはおまけの出題ながら、作品はしっかり重い。「米をとぎ一粒の米も零さず」という下句には鞭を鳴らすほどの毅い気合いが満ちている。
 

ぢいちやんかといふ声幼く聞え来て(  )話(  )の中をのぞきたくなる    神田 朴勝

  これまた、おまけの出題のつもりだったが、「受話器」が半数にはるかに達しないのには、わたしのほうがびっくりした。コロンブスの卵で、正解を聞いてしまうとなんだだが、ぴょこんと二字分を虫くいにしただけで閉口してしまう。「か」「声」「聞え来て」とあれば、あれだけ電話人間の若い学生がなんで想像力を刺激されないのか、理解に苦しんだ。
  これは新聞の投稿歌である。絵に描いたような素人の歌である。直接話法あり文語と口語との混じりもあり、ほとんど散文そのままを並べ替えもせずにチョッと鋏を入れた程度だ。が、だから詩ではないか歌ではないかというと、凄い詩だいい歌だとはよう言わないが、「ぢいちやん」の耳と目に、その反応や動きに、共感を惜しむ気はしない。いっしょに耳を澄まし、いっしょに「受話器の中をのぞきたくなる」。事柄に共感するのと、詩歌の表現効果に共感するのとは違うと異を唱える人があってもわたしは反対するものではないが、さて、この歌の場合はどうなのか。六・五・四・五音で組み立てた上句に意外にいわば鼓動する律がある。「受話器の中」という、いわば意味を詰め込んだ音の塊から「のぞきたくなる」という率直簡明な和語が流れ出てくるのにも、巧まぬ誘いがある。芸能のほうの言葉に「ヘタウマ」というのがあるそうだが、無意識に出た巧みがこの作品にはある。「ぢいちやん」の心の旋律と「孫」の心の旋律とが相乗効果を素直に生んだのなら、これはやはり詩のよろこびに相違あるまい。
 わたしたち夫婦にも娘が生んだ孫娘がいる。二人いる。上の子はわたしを「ぢいやん」、妻を「マミ─」と呼んでいつもいつもとびついてきた。わけあって、今、逢うこともできない。下の子はまだ十分に抱いてやったこともない。顔も覚えない。なさけない。
 

さからはず家業の大工となりし子に(  )儀作(  )を強ひるな妻よ    前田 米造

「礼儀作法」が圧倒的に多かった。しかし作者は「行儀作法」と言っている。その微妙な差、語感の差を引き出してみたくて出題した。案の定、たとえ空疎にはなっていても「礼儀」は言葉として生き延びているらしいが、「行儀」のほうは地を払ったようなアンバイであった。一割にも達しない。まったく届かない。
 それでいてこの歌の趣旨はこれでもいいのだろうか、ちょっと気になるという声があがっていた。「強ひ」るというのがどんな状況か掴みにくいにしても、この夫=父? の遠慮はかえって「子」のためにならないのではないか、と。「大工」仕事の根幹に、強いられてでもからだで覚えた「礼儀作法」(と、その学生は答えていた)を守る律義さがものを言うはずで、それを「父=棟梁・親方・大工」が率先して緩める手はなかろう、と。
  東工大には、建築科があり人気の学科である。東工大のなかでは最も人文系の学問や感性とも入り交じる学科である。ただしこの意見は社会工学の学生から出ていた。
 
 

☆ 父母
 

死ぬまへに(  )雀を食はむと言ひ出でし大雪の夜の父を怖るる    小池 光

  凄い歌である。「死ぬまへに」は「死ぬまでに」ではないのだから、これは冗談や思い付きの直接話法ではない。文字どおりに「死ぬまへ」という厳しい時点を指摘している。それを確認のうえで「死ぬまへに( )雀を食」いたいという「父」の言葉であると読んでいい。
「父」はただただ朦朧としているのでなく、「死ぬまへ」という自身の状況にも無意識ではない。しかし尋常普通の意識にもない。そこに凄みがある。加えて「大雪の夜」も普通でない状況。現実を現実のままにおかぬ異化の力を、魔の力を、雪はもっている。まして大雪である。うわごととも聞きにくい「父」の「言ひ出で」たことの凄さに子は一瞬耳を疑う。こわくなる。しかし「父」の声音は乱れても騒いでもいない。ただ「(  )雀を食はむ」食いたいと言う。繰り返して言う。子は、声も無い。
  どんな「雀」がとびだすだろう。難しいかなと心配したが、案じることはなく、二三四人のなかから、一一五人、ちょうど半数ほどが「孔雀」と正解した。すこし、驚いた。
「大雪」の白地に華麗に羽をうちひろげた「孔雀」の姿。そして「死ぬまへ」という生死の剣ヶ峰。瀬戸際。そこには「食はむ」という人間らしい意欲・欲望がまだ働こうとしているようであり、しかし子の思いにはまがまがしい餓鬼の悪食かともおそれ悲しむ気持ちもある。

死ぬまへに孔雀を食はむと言ひ出でし大雪の夜の父を怖るる
 
 三五人いた「雲雀」では「大雪の夜」との底知れない通い路が見えてこない。ひばりは晴れて光る空に似合う鳥、小鳥である。「小雀」「子雀」「焼雀」への食欲では「怖れ」は湧かない。「麻雀」はおふざけ。ほかにも「海雀」「膨雀」「京雀」「紅雀」「寒雀」「生雀」「朱雀」「岩雀」などがあったが、どれもこの歌の深みを覆いとるものではありえない。決定的な「孔雀」の幻影に「大雪」の目のくらむ白が凄い。「父」の死に行く怖さに、子の悲しみは限りない。
 

起き出でて夜の便器を洗ふなり 水冷えて人の(  )を流せよ    斎藤 史

 これは、とびきり難しい出題の一つとなった。正解者は、二三九人中ただ一人だった。
 この歌での人間関係は、必ずしもこのままでは特定できない。親が子の便器でも、子が親のでも、家族が家族の一人のでも、成り立っている。病院の看護婦や付き添いの人の歌でもいい。夫が妻のでも、妻が夫のでも、いいのだ。普遍性をもって人間の生きの悲しさに迫っているというふうに見てもいい。
 この歌人の場合では、これは夫のとも、老母のとも、言えば言えるだろう。なにも斎藤史その人の事実に拘泥することもないのだが、ここでは娘が母の「便器を洗ふ」ものとして読んでおく。人は人それぞれにこの人間関係を組み替えて鑑賞することがゆるされる。この歌では自在にそれが可能である。歌柄の大きさとも、把握の揺れの無さとも言える。
 学生諸君のなかには、自分で自分の「便器を洗ふ」と取っていたり、これを水洗便所の水を流す程度に取っていたりする者が何人もいたが、それは無いだろう。また眠れぬままに、夜中に起きて便所掃除をしているのだという解釈もあった。それも、どうか。
 この歌は病人の、ないしは衰弱した老人の、介護の歌と少なくもわたしは読み切ってみたい。「起き出でて」は介護される側のことという以上に、はっきり介護者の側の行為であろう。病人にせよ老人にせよ必ずしも「起き」て便所へ通えないわけではない。だから「便器」も必ずしも差し込みのものでなく、便所の「便器」であってかまわない。便所の「便器」を不如意に病・老人が汚したのを「洗ふ」のであると読んでも差し支えない。決して自分の汚した「便器」ないし排泄物による汚れを自分で流し「洗ふ」のではない。それは「人の」とある措辞で分かる。
「他人事」はもともと「ひとごと」と読むのが正しく、「たにんごと」などというへんな訓みは昨今の誤用にすぎぬように、日本語では「人=ひと」は、ほぼ例外なく他人のことであり、自分のことは「我」「僕」「私」または「身」である。「人のものを勝手に使って」と怒る例でも、意味は「他人のものを」であり、意識においても「私のものを」ではない。「人は人、我は我」とも言うではないか。ないしは「人」は「人間」「人類」の意味である。
  この歌の場合も直接には「便器を洗ふ」人ではない別の人を「人の」と言っており、さらにはより深く厳しく人間の意味にも歌い込めている。「他人の( )」「人間の( )」の意味で歌われている。
 二三九人中の五二人が「罪」の文字で虫くいを埋めた。一二人は「悪」で埋めた。「非」もあった。「洗」わねば済まぬほどに「便器」を汚したことが「罪」なのか、「悪」なのか、「非」なのか。もうすこし深い意味付けがあるのか。前者なら「罪」「悪」「非」は言いすぎだろうし、後者では坊さんの修行みたいに聞こえる。九人が答えている「業」もそれに類する。三人の「醜」や二人の「辱」も、また「闇」も、そんな感じだ。これらを納得するのには、かなり観念的な心内操作が必要なようである。ちょっと無理不自然を覚える。
 二四人が挙げた「涙」は、なかなか嵌まっている。わたしの老母なども、まだ元気な頃の話だがもし人に下の始末をしてもらわねばならなくなったら、いっそ死んでしまいたいと、よく言っていた。そう言いつつ老いに老いて死にもならずに今は人の世話を受けている。流す流さぬは別にしても「涙」という意味は、よく分かる。ただ「水冷えて」「流せよ」との関連で「涙」は繋がりにくい。即物的だが二一人の「汚」のほうが、また「糞」のほうが適当だろう、だが、詩化の妙は無い。二一人の「汗」も、ピンとはこない。
 ほかにも、ずいぶん多種類の文字があがってきた。それだけ思案を強いたのであろう。「欲」「夢」「心」「手」「温」「血」「迷」「影」「怨」「情」「我」「邪」「気」「熱」「嘘」「行」「垢」「怒」「難」「眠」「煩」「労」「命」「陰」「悔」「世」「念」「暖」「霊」「泥」「芥」など。
 これらよりは「悩」「憂」「哀」「苦」や先の「醜」「辱」「闇」などのほうにいささかの詩を感じる。
 原作では「恥」である。意外なようで、これに勝る決定的な表現をわたしは知らない。

起き出でて夜の便器を洗ふなり 水冷えて人の恥を流せよ

「洗ふなり」「流せよ」という毅い意志的な表示にこめられた祈りに等しい思いの深さ。それが「水冷えて」という命令的な祈りに呼応して、全身全霊で「人」を愛する気持ちを表白している。「水冷えて」の「冷えて」には、水に対し「清くあれ」という願い、人の身も心も「清まわれ」と祈る心が迸っている。この把握と表現とに詩人の力量が全的に表れている。母であっても夫であっても子であってもいいのだ、この作者はただただ無心に「洗ふなり」なのだ、ただ祈り込めて。愛する者に「恥」の思いなど無くあれ、無かれと。
たんに「恥」を否定しているのではない。「恥」などという思いをもたなくていいと祈っているのだ、そこを間違えてはならない。
 

病む母の(  )きの証ときさらぎの夜半をかそかに尿し給ふ     綴 敏子

「カ」行の音のキンとした響きを「病む母」「夜半」「尿」とやわらかい「ヤ」行の音に織り混ぜて、いい「うた」にしている。歌は音楽である。音を示す言葉はどこにも無いのに、「ゆまり」する細い暖かいかそけき感じが、老母のまさに「生きの証」になり娘の胸を満たしている。「尿」の詩では芭蕉の枕べで「馬のしとする」宿りの句が思い出されるが、人の放尿がこんなに厳しくも優しい詩となった例は珍しい。しかもその音が耳に聞こえてきて「うた」になっている。川端康成の十七歳の日記だったかに祖父の小便の溲瓶に鳴るのを描写した、いい文章があったのも思い出す。
「きさらぎ」は二月、その「夜半」といえば一年中のいちばん冷え込む真冬である。「病む母」にはいちばんきつい季節のいちばんきつい刻限である。それでも尿意は待ってくれない。起きて手をひいて便所へ連れていってあげたか、床のなかでの差し込みか、ここは前者で、娘は便所のそばで待ちながら「かそか」な母の「尿し給ふ」のを聴いているのだと読みたい。「母」への愛や久しい感謝や心配が思わず「し給ふ」と敬語になっている表現に感動がある。「きさらぎ」の冷たさに「尿」のほの温かさ。間然するところが無い。親が、母が、ああ生きていてくださる……。娘の思いが、愛しい。
 一音で「き」に繋がらねばならぬ語は、そう多くはあるまい。気の走る学生は、あいうえお以下の音を全部あて嵌めていくらしい。「あき」「いき」「うき」「おき」「かき」「きき」「こき」「さき」「しき」「すき」「せき」と、数え立てればけっこう多い。迷ったあげく当然ながら短歌一首の意味するところをやっと斟酌しはじめる。
「死にざま」という言葉は昔からつかったが、「生きざま」は当節の流行り言葉。昔なら単に「生き方」だったろう。「生き」という名詞にはその「生き方」ないしは「生きざま」の意味がこもっていた。「生きている事実」も指し示した。この歌では「生き」以外に密着した物言いは考えにくいようである。

病む母の生きの証ときさらぎの夜半をかそかに尿し給ふ

「憂き」ぐらいしか他には入れにくい。二音になれば「嘆き」くらいか。「生き」には及ばない。結局は学生諸君も「生き」へおおかた落ち着いた。この歌ほどにはまだまだ親の介護をしている者は、幸い、いない。遠いよそごとに思う気持ちと、しかし、そうなった時の寂しさとが、いくらか二十歳の心中を行き交っていたようである。
 

父の髪母の髪みな白み来ぬ子はまた遠く(  )をおもへる    若山 牧水

草まくら(  )にしあれば母の日を火鉢ながらに香たきて居り    土田 耕平

 受験勉強のなごりでもあるまいが「草まくら旅」という慣用句はさすがに大多数が知っていて、もし牧水の歌だけだったら答はあれこれ揺れたろうが、対にして同じ一字だと指定したから、歌の意味がかりに掴めていなくても、四八一人中の三七七人は、「旅」と、.正解していた。
 牧水の「旅」は、必ずしも旅行とばかり取ることもない。志を立てる・もつ意味でもよし、欲望に迷う意味でも浮き身をやつしたがる意味でも、もっと無頼な意味でもかまうまい。要するに若気の至りであれ意欲であれ、そういう風に吹かれて世間へ彷徨い出ようとするのこそ、子の親にはもう失せた・失せ果てた傾向・志向というものだ。親子の運命である。親は止めだてしたくてもできないから、ただ案じて子の無事を祈るが、子はそれにすら気がつかないことも多い。「また」とあるところに、作者の自覚があり、しかしやめられないのである。親世代と子世代との運命であり、繰り返す運命である。
 土田の歌は分かっているようで、あまり学生諸君は分かっていない。「母の日」をあの「母の日」といわれる記念日と同じに考えている。「母の命日」とは考えられない者がほとんどである。だから「香」の真意が受け取れない。「火鉢ながらに」もよく分かっていない。「草まくら旅にしあれば」「香」を焚く道具なども身のそばに無い。だから手ぢかな「火鉢」のまま宿ででも頒けてもらったか、「香」または「線香」を焚いて「居」るのである。ここに「居り」と漢字を用いたのは、字義に即して「母」へ謙遜の敬意を膝を折って姿勢に表しているのである。あぐらではないのだ。
 

いくそたび(  )をかなしみ雪の夜雛の座敷に灯をつけにゆく   飯田 明子

  幾十度と数えるわけではないが、何度も何度も、重ね重ね母を想い「雛の座敷に灯をつけにゆく」という。三月初めの雪の夜である。冷え込みはするが、どこか春を告げる雪。座敷には雛かざりができている。「かなしみ」には愛しみと哀しみとの両面がにじむ。
  残念なことに三八七人中の、七三人しか「母」という文字に想い至らなかった。ま、無理もないか、大方は「雛」と縁のない男子だし「母」たちは健在なのだ。歌の作者の母は、
はやこの世に亡き人であり、作者その人も亡き母の年齢にちかくなり、もう娘をもつ母なのであろうか。「雛」かざりには母と娘とにしかない思い出がいくらもあろう。娘のために一緒にかざった「雛の座敷」だが、娘はもう床に入った。雪つむ夜のふかまるにつれ、「母をかなし」む気持ちがしきりに去来すると、さっき灯を消してきたのが心さびしくて、
わざわざ「灯をつけにゆく」のだ。「雛の座敷」で「母」と二人の声なき対話がしたいのだ。「母」はこの歌では揺るぎない一文字である。しっとりと流れる調べの、いい歌である。
 

(  )をわがつまづきとしていくそたびのろひしならむ今ぞうしなふ    岡井 隆

「父」ほど、ある意味で邪魔な存在はない、息子には。くそっと思わせることで、「父」ほど「いくそたび」も憎らしかったものは、ない。その「父」を今しも死なしめるのがじつは自分自身ではないのかと、子は「今ぞ」思い当たる。その時には確実に「父」は「うしな」われていて、それどころか、自分自身がその「のろひ」の的の「父」にすら成り変わっている。「父」は厚い壁であったり、あまりに薄い壁でしがなかったり、した。しかし「父」に違いなかった。存在することに重い意味を見せつづけた。励まされていてさえ、どこかで「つまづき」であるとの思いに苛まれた。父と子とは、ことに父と息子とは、難儀な仲であった、ま、一般には。
 東工大の学生のなかでは、だが、「父」への全面的な心服と調和とを強調して、この歌のような父と子とを意外とする人数が、けっこう多い。一般にも、じつはそうなのだろうかと、わたしのような不束な息子は忸怩たるものがある。
 したがって、この歌の虫くい一字に「父」を入れた学生は少なかった。そもそも歌の意味が分からないという声も少なくなかった。わたしは退散した。
 

夜半を揺る烈しき地震に(  )を抱くやせし胸乳に触るるさびしさ    野地 千鶴

「妻」や「娘」や、なかには「姉」「妹」もあって、気分がわるかった。それでも「母」は圧倒的に数多い正解であった。歌はやや説明的な印象もあり、腰折れの気味もなくはないが、それでも下句の「さびしさ」は、作者が同じ女性であるだけに、娘であるだけに、しみじみとして分かる。「さびしさ」といった直截な物言いを、やはり、ここは、ぜひしたかった、そうとしか感じられなかったろう。劇的な瞬間をみごとに切り取って、感慨を籠めているのだから巧みな歌であるとも言える。

今死にし母を揺すりて春の地震   岸田 稚魚

  同じ「地震」でもこっちのそれには「大地震動」といった響きがあり、「今死にし母」の「死」じたいを大きく暖かく迎えとっている超越者の大慈悲心のようなもの、それを祈り願うような作者の哀しみがよく出ている。地震は奇跡を現じるさいに起こると仏の書物などにはよく出ている。華が降ったりする。やはり短歌の実情迫る表現とくらべて、余裕がある。みごとである。
 

女子の身になし難きことありて悲しき時は(  )を思ふも    松村あさ子

  胸にせまる力がある。
「友」という答もかなりあったが、一般に「友」だけでは、「女子の身になし難きことありて」との繋がりが的確でない、同性の友とするならば分かるが。「夫」は、では、どうか。
 たしかにこの世には「女子の身」なればこそ、なんとしても越え難く為し難い、ないし成し難い「こと」が多すぎる。男の身にしてそれはそう思う。男女それぞれにお互いさまだとは、わたしは、言わない。そしてそんな時はさぞ「悲し」かろうなと思う。身を揉んで泣きたいほどの「時」が「女子の身」にはあるだろう。男に無いわけでないが、為して成し難いほどの決定的な障害はやはり女の人よりは少ない。だれより身近な「夫」こそが、その「なし難きこと」の張本人の障害であることも、女の生涯にはしばしばあったりする。それに「夫」は現実のパートナーでもある。ただ「思ふ」ぐらいの間柄ではなく、力を合わせなくては済まぬ事情もあるはずだ。
 ここの「思ふ」は、どうも手の届かないところへ手を伸ばしているような、はかない感じに纏わられている。
「金」「刀」「死」「毒」などともっともな、また物騒な発想も学生は出してくる。しかし大概はそんなどれ一つにも結局頼りようもないから「悲し」いのである。
「父」が、原作者の思いであった。そして半数をだいぶ超えて学生諸君の理解も、この歌では「父を思ふも」であった。「父」は、たぶん、もう亡き人であるのだろう。それが察しられるので、切ないほど作者の嘆息に身につまされる。「母」ではなく「父」と挙げて言わずにおれない娘の人生に平安あれと、この歌へ、学生諸君の共感には思った以上に深いものがあった。なんとなく、ほっとした。
 

平凡に長生きせよと亡き母が我に願ひしを( )もまた言ふ   池田 勝亮

  思わずくすんと笑い、すぐ、くすっと鼻をならした。こういう、どこにも大袈裟な物言いのない「平凡」そうで思いの深い歌が、わたしは好きである。
「父もまた言ふ」では、へんだとは思わないか。「父」という存在はなかなかそんな台詞は吐いてはくれぬ。「長生き」は願うが、自分の子供に「平凡に」とは、わたしも、口に出してまでは勧めない。しかし「亡き母」の「願ひ」はどうやらこれは口癖ではなかったか。そういう口癖を遺伝! しやすいのは、さよう、「妻」である。遺伝のしかたも、かなり「亡き母」のからは屈折しているかも知れない。反語化している場合もあろう。本音の場合もあろう。こころからの「願ひ」であることも。
 しかし「言」われるほうでは「また」なのである。いやなのではない、ありがたくないのでもない。しかし、「また」「言ふ」なのである。歴史はどこかで繰り返している。そして頭は下げながら、俺は子供たちにそんなことは言わないぞと思っていたりする。
「母」がいつか「妻」に交替していく、身の幸。それはそれで、いい。「平凡に長生きせよ」などは「願」ってもない愛情ある言葉なのである、あだおろそかには聞くまい。
 

独楽は今軸傾けてまはりをり逆らひてこそ(  )であること     岡井 隆

 四八三人のうち、「親」とした者が五人いた。「兄」が二人だった。「母」も二人いたが、「母」にはふさわしくない歌ではないか。「母」一人が家の柱ならばまた話は違うけれど。
「逆らひてこそ子」という答が多いのにはやや落胆した。字足らずよりも何よりも、中学高校生じゃあるまいし。「十七(歳)にして親を許せ」と教えた先生があったそうだが、「逆らひてこそ子」のような高校生ばかりなのにウンザりしておられたのだろうか。
  この歌は、こう虫くいで出されては、大方の学生諸君には判じもののようであったというのが本当らしい。正解の「父」を挙げたのは、一割にも遠く及ばない、たった三二人であった。分かっている学生は、これは臨終まぢかい「父」をまもりながら、父と自分との歴史、またすでにして父である自分と子との過去未来の歴史を走馬燈のように内心の目で追っているのだ、想っているのだ、そして哀しみながら目前の父に、なにかに「逆ら」って生きて、耐えて、頑張ってと祈っているのだというような解釈を提出している。感傷的なようだが、実際にそうなのであろうと、付け加える言葉もない。
 
独楽は今軸傾けてまはりをり逆らひてこそ父であること
父をわがつまづきとしていくそたびのろひしならむ今ぞうしなふ

 同じ作者にあっては、こう並んで歌われたものとみたい。
 独楽というのは、独楽同士のまわる勢いで弾き合って競う遊びもしたものだ。「軸傾けてまは」るのは、勢い猛に「まは」る時にも見られるけれど、ここは逆に勢い衰えつつ必死で「まは」っているのだ。
「お父さん(の独楽)どうしたの。ぼく(の独楽)はこんなに元気なのに。そら、以前のようにぼく(の独楽)なんかを弾きとばしてみせてよ」
 まさかそんな幼い物言いではないにしても、そんなことを祈るように思っている。そして、それもいつか空しく「今ぞうしなふ」に至る。厳しい……。
 

父として幼き者は見上げ居りねがはくは金色の(  )子とうつれよ    佐佐木幸綱

  二四一人の教室で、原作どおりに答え得たのは、二〇人。
「見上げ居り」という表現をそのまま素直に畏敬の念として取れるか、どうか。「うつれよ」は、「幼き者」の目にそのように見えてほしい、また見えるようでありたい、意味である。そこに「幼き者」に「父として」「見上げ」られる者の反省や忸怩たる思いや、また気概や自覚がある。「金色」は「きんいろ」とも「こんじき」とも読めるが、音の澄んで光った「きんいろ」も捨て難い。やはり「こんじき」であろうが。
「天子」「赤子」「玉子」「童子」「親子」「王子」「皇子」「吾子」「君子」「御子」「稚子」などがあった。ちょっと笑ってしまうのもあるが、みな、よくない。「天子」ではいかにも大袈裟だし「金色の玉子」ではおかしい。
 二〇人が正解したのは、「獅子」である。金色のたてがみもふさふさと百獣の王のように威厳もあり強くもある「父として」「幼き者」に「見上げ」られるほどでありたい、わが虚栄のためにではなく、つよく健やかに生きていってほしい我が子のためにも、と。
 小さい時から父親といっしょに山登りをつづけてきたという学生は、幼い目に焼きついていたかつての「父」のたくましく頼もしい後ろ姿を覚えていたので、「獅子」しかないとすぐ分かったと書き添えていた。また最近の「父」のやや衰えてきたのを案じている学生も、この虫くいは「獅子」だと心持ち願う気持ちで察しましたと書き添えていた。
 

〈( )島〉と云ふ島ありて遠ざかることも近づくこともなかりき    中山 明

  ほとんど箴というにちかい、か。
 だが、学生諸君の答は「孤島」「夢島」「宝島」「生島」「浮島」その他、もろもろ。愬及力というものが、全然ない。ほかにも何十という漢字が登場した。「生島」も、「せいノ島」の意味ならまだしも、「いくしま」になってしまうと面白くもない。
 四八三人のなかで、これも三二人と少ない。正解はむろん、「父島」である。太平洋に浮かぶ実名の島と取りつつ、それを超えて、比喩として世界という「海」に浮かぶ「父」という「島」と想定してみるといい。「父島」は最も安らかな寄る辺である。拠点である。頼みの港である。だが、子はいつもいつもそこへ船を寄せているわけにいかない。また正直のところ寄せていたくない。「近づく」よりは「遠」のいていたい。離れていたい。しかしまた「遠ざか」ったままでもいられない。いつもどこかで視野にはおさめているのだが「遠ざかることも近づくこともな」いのが「父島」という寄る辺だ。
 しかし歌人の歌では「なかりき」と過去形で結ばれてある。「父島」は遠のくにも近寄るにも、もう、この世の海からは姿を没しているのかも知れない。痛恨とも哀切とも聞こえる調べがこの「うた」にあることをよく聴くべきであろう。
 

思ふさま生きしと思ふ父の遺書に( )き苦しみといふ語ありにき   清水 房雄

亡き父をこの夜はおもふ(  )すほどのことなけれど酒など共にのみたし   井上 正一

  この二つの歌は同時に出題したが、虫くいの漢字は、同じではない。別の二つの文字をそれぞれ補うように指示した。
 清水さんの歌は何度読んでも、上手な歌には思われないが、何度読んでも胸に食い込んでくるいい歌である。「思ふ」がいきなり重なって出てくるなどは、へんはへんなりに調子を出しているが、やはりキイになる「語」が、詩化されえているかいないか、簡潔といえば簡潔で端的だが、寸足らずに感じる人もあろう。ただ、前後をひらかなに囲まれての漢字一字がきっかりと印象的という意味では効果も愬及力もある。上手そうには思わせないが、練達の人の措辞なのである。
しかしこれはうまいへたの歌ではない。重い歌である。「重き苦しみ」と答えた一年生が、一九一人中に九人。このほうが「生き苦しみといふ語ありにき」の四八人よりは穏当かも知れない。「生き苦しみ」という一語の熟語があるなら、含蓄に富んで面白い表現になるが、学生諸君は、要するに二音、例えば「重き」のような、では字余りになると勘定して一音の「生き」を選択していたようだ。じっくりと一首の虫くいを埋めて読んでいるとこれはこれで「生きしと思ふ」「生き苦しみ」が重複感よりも韻律感を誘っているようでもあり、内容も悪くない気がしてくる。ただ、遺書を書いたお父さんが果たしてわざわざ「生き苦しみ」といった耳慣れない書き慣れない言葉を選んだかどうかが、やや疑われるのである。歌のうえの措辞でなくてここは遺書に現に記された直接話法的な父その人の言葉でなければならないからである。
「嘆き苦しみ」が二〇人、「憂き苦しみ」が六人、「深き苦しみ」が八人、「苦き苦しみ」が二人。みな、どこか同じことを言い重ねてしまっていて、かえって尋常ないし平凡な表現になっている。つまり「苦しみ」の形容としてはただ意味を重ねてしまっている。それならば「多き苦しみ」とした六人のほうが説明している感じである、良いとは言えないが。
 面白いかどうか知れないが、「無き苦しみ」が七人、「快き苦しみ」が五人、「甘き苦しみ」が二人いて、これだと亡父の生涯、苦しみは苦しみとしても、それが是認されている。肯定されている。なるほどそういう遺書でもありえてかまわないわけである。遺書を読む側は慰められるだろう。
 他にどんな字が選ばれたか、挙げてみる。「若」「貴・尊」「亡」「熱」「泣」「難」「弱」
「浅」「短」「細」「然」「死」「親」「歩」「聞」「僅」「浮」「軽」「遠」「憎」、そして、漢字は書けなかったが「もがき」が一人あった。「もが(?)き苦しみ」には実感が乗って切ない。それにしてもこう並べて、一所懸命に考えてくれていることは、よく分かる。短歌を一首創作せよなどといったら無理な苦しみを強いてかえって集中できないだろうが、一首の歌の一字の虫くいを埋めながらでも、この時学生たちは自身で歌人になっているのであり、その体験のなかで詩歌ないし文藝・文学の表現に参加してもらえる。東工大という理工系専攻の大学でのわたしの「文学」教授は、なるべく無理なく楽しく面白く参加させてみようというに尽きて、そこでの自問自答を最も重んじてきた。一枝の師ではないが、わが青春短歌大学では、ただ一字の重みを分かってほしかった。
 では正解は。正解とはいえ、原作者の表現は、という意味にすぎないけれども、それは「長き苦しみ」であった。三〇人が「長き」と入れてきた。多いのだろうか、少ないのだろうか。多い少ないというよりも、このさいはこれが決定的に重い表現になっていることの受容が大事なのだと思う。

思ふさま生きしと思ふ父の遺書に長き苦しみといふ語ありにき

 二十歳にもならない若い学生諸君には、この「長き」の莫大な重みは容易に察することができまい。六〇年ちかくも生きてきてやっとわたしには分かっている。それでも八○、九〇の老人のようには分かっていないとも分かっている。「長き」といったじつに尋常な分かり切ったような言葉なのに、この「遺書」の歌ではかけがえない重みをもって光っている。「語」の詩化が徹している。
 歌の作者は、「ありにき」と過去形をとっている。ここが肝心なのかも知れない。作者が父の遺書にふれたのはもっと若い時であったかも知れない。その時は「長き苦しみとい、ふ語」の苦渋にみちた嘆息をよく聞きとめることすらできなかったのではないか。「思ふさま」好きなことを好き勝手に「生き」ていたくせにとぐらいは思っていたのかも知れない。しかし時を経て、作者その人にも生きることの「長き苦しみ」の実感がひしひしと湧くにつれて、「父の遺書」にあった「語」の重みに思わず呻いたということではないのか。
 父親というのは息子などの目には、とかく「思ふさま生き」ているように映りやすいものだ。憎たらしくも羨ましくもあり癩にさわることもある。しかし「苦しみ」の部分に目の届くことは意外に少なくて、恨んだり不満に思ったりして父を見ていることもある。つまりは「父」は強いと見ているのであり、強さが憎たらしくもあるのだが、そのじつ父はいつか「亡き父」となって、「遺書」にだけ、「長き苦しみ」を思わず吐き出していたりする。この歌人はこの一首をつくることで、やっと「亡き父」の「長き苦しみ」に理解を示しえた。父と子とに感応するものが生まれた。子は寂しく、「亡き父」はしかし嬉しかろう。わたしには育ての父と実の父とがあったが、そのそれぞれの「長き苦しみ」を本当にやっと最近になって感じ取れるようになってきた。二人の父の域に近づいてきたのだろうか。
わたしも何も今は言わない。いつかわが息子がこの歌を知った時に、同じように「亡き父」わたしの「長き苦しみ」を感じてくれたなら、それだけで嬉しく往生できそうな気がする。
 さて次の井上さんの歌は、一九一人中の八九人が正解していた。これはもうこれに極ま
ると思われ、その割に正解者が少ないのにちょっと意外な気がした。

亡き父をこの夜はおもふ話すほどのことなけれど酒など共にのみたし

 これも、うまいへたの歌ではない。ぬきさしならない実感・実情の「うったえ」「うた」そのものになっている。破れ調子だが、そこに息づく呻きがある。うち口説いている。体験を共有していなくても作者の実感を読者は追体験できる。優に追体験させられる。それが「うた」である。技巧を凝らすのもかまわないけれども、感動のちっとも伝わらないのは「うた」としては死んでいる。
「泣きました」というメッセージがただちに返ってきた。二十歳まえの青春にも無残な父との死別はある。残念にも一人二人でなく、ある。
 短歌一首としては「この夜はおもふ」の「おもふ」の含蓄が薄いのが惜しい。ここはもっともっと切実な心の嘆き寂しさが的確に表現されてほしい。なぜなら、こういうことを作者が「おもふ」のは、よくよく生き苦しく、辛く、寂しい何かが「この日」にあったのだ。その重みを「おもふ」一語に負担させているのがすこし酷なのだ。男の世界ではなどというと叱られそうだが、そういう辛さ苦しさ寂しさをそうはだれにも訴えられない場合が多い。あんなに時には邪魔に思い煙たくうるさく感じていたおやじの顔が、そんな「夜」はふっと目の底をはしる。「酒がのみたいなあ、いっしょに」。「父」なればこそ何をことさら話しあう必要もなく、ただそれで励まされも慰められもするだろう……と。しかし「亡き父」なのである。やっとやっとこの作者も父をいま全身で感じている。苦しい男坂を日々に生きているということだと想いたい。
 自分の父親は生きていた頃の祖父と、これが親子かと思うほどろくに口も利いていなかった。それなのにその祖父が亡くなった時、びっくりするくらい父が嘆き悲しみ、見ていられないほどだった。驚き、感動しましたという男子学生のメッセージがあった。読んでいてわたしは泣いた。
「涙」が四〇人、「愛」が七人、「許す」が五人、「記す」が八人、「欲す」が三人、いた。「許すことなけれど酒など共にのみたし」には驚いたが、よく顧みれば、まだ存命の実の父と、生まれて二度めに初めて自分の意思で会った日のこのわたしの気持ちが、まさにこうであったのをアリアリ思い出した。恥ずかしながらわたしは四〇代の半ばであった。三度めに父の顔を見たのは死に顔だった。井上さんの歌、好きである。
「死」「伏」「為」「流」「哭」「失」「満」「交」「謝」「泣」「筆」「敬」「出」「隠」「哀」「懐」「発」「酔」「試」「潤」「服」「施」「返」「残」「申」など。
「謝すほどのことなけれど」は感謝か謝るのか、まだ突っ張っているなと微笑ましい。こういう一年生がついこの間まで高校生であった。なにかが変わってきているのか、まだ高校生をひきずっているか。「十七(歳)にして親を許せ」と「先生」に訓えられてきた子もこれらのなかに混じっている。四〇、五〇歳にして容易に親を許さなかったわたしは、学生たちに訓えられている。
 清水房雄、井上正一の二つの歌の二つの虫くいを両方とも正解していた学生は、ちなみに、一九一人中、わずか一六人だった。ただしこれをわずかと言うのは酷であろう。
 

子を連れて来し夜店にて愕然とわれを(  )せし父と思えり     甲山 幸雄

  これは文句なく分かる。「愛せし」であり、「愕然と」というゴツい言葉がじつに厳しく深く胸に響いて息をのむ。あぁそうか……。もはやこれは悟りの域にあるかと思うくらい、こういう悟りは「愕然と」して突如くる。分かる。父、我、我が子。ずんと貫く命のいとおしさに震える。手をひいていたであろう「子」の手を掴む「父」の手にどんなに力と愛とが籠もったか、これは学生諸君のほとんどが確信して答えていた。いい歌である。
 
 

☆ 命
 

おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくやうにゆかぬなり(  )は
 
死の側より照明せばことにかがやきてひたくれなゐの(  )ならずやも     斎藤 史

  二つとも同じ一字である。斎藤史が、近代現代の歌人、真の詩人として、男女を問わず
第一流の人であることだけは説明した。女性だけで言えば、やはり与謝野晶子いらいの人であり、そして斎藤史に次ぐ女流はまだ一人も現れていない。
 面白い読みが出てきた。男からも女の学生からも、無視できない人数で「妻」「娘」というのが出てきた。これは、しかし、あとの歌にはずいぶん無理がある。しかし前の歌では分かる。原作とは別趣のお安い歌になってしまうけれど、ちょっと皮肉な歌にもなりえているのは確かである。「ひたくれなゐの妻ならずやも」も妙にそそらぬではないが、「娘」はここではやや役不足だろう。それにしても一字の違いで、とんでもなく一首の歌の行方がかわり表情もかわる。そこが肝心である。
 断然多かったのは「命」で、「めい」とも読んでいる。これは、どうだろう。「めい」でも「いのち」でも、なんとなし間がすこしノビはせぬか。成り立たぬとも思わぬが、どことなし、「命」一語が、この歌に嵌まると即物的に感じられる。胃だの目だの脳だのと、ふと同レベルの言葉として用いられたような気がする。そのぶん歌のもついい意味での理念が小さく硬く縮まるように思われる。「死命を制する」という言葉があるが、その「命」に似ている。
「死」との対比と音声の凛としたつよさを希望すれば、ここはやはり「生」とある原作の表現に学びたい。四六四人中で、わずか二六人が「生」と答えていた。
 簡単にこの「生」から「出てゆ」けぬことをグチっている歌ではない。「ゆかぬなり」というつよい確認には、だから最後の最期まで「ひたくれなゐ」と燃えて「生」きる覚悟が突出している。老境すでに日常的にも思索的にも「死」にまぢかに生きて、しかも、この「ひたくれなゐ」に毅然と美しい詩人の生きのよさには、感動を覚える。
 

幾度か口ごもりゐしが一息に受(  )を告げて窓に立ちゆく     吉田よしほ

 四七三人中、四三〇人が、正解し、いかにもありそうな「受験」が一人しかいなかったのにはわけがある。次の句と対にして同じ漢字だと指定してあった。
 

吾妻かの三日月ほどの吾子( )すか   中村草田男

 これなら正解の多いのも自然だろう。それでもこんな漢字が出てきている。「宿」「託」「命」「産」「諾」「病」「精」「妊」「許」「懐」「殆」「脂」「情」「愛」「任」「意」「死」「理」「難」など。「受胎」の「胎」を後の歌では「やど」すと読まなければならぬところが惑わしになっているけれど、この程度なら、両方を総合して分かってほしいし、大方はきちんと思案を行き届かせてくれた。
 吉田さんの歌。うぶに心熱い喜びが爆けた、そして母となる日へのもうひそかな決意も秘めた「窓に立ち行く」だろう。世に無くもないある種のねじれた男女間の葛藤までは読むまいと思う。感激のあまりの反射的な振舞いに女らしさも美しく見え、だれしもが素直に共有しやすい歌であると思う。もっとも、こんな男子学生の独り言のあったことは付け加えておこう、即ち、「今、これを言われたら『こわい』のう……と。また女子学生にも、「今、お月さんがおくれています。クッソー」というのがあった。つつしんでご同情申し上げた。
 中村草田男の句は何度か出題しているが、この句もいい。「結婚したいナ」という女子学生のつぶやきが聞こえてきた。「かの三日月」には、互いに愛をこめた思い出、熱い記憶の一夜が生きていようし、「三日月」の皓さ細さに、胎児のみごもるすがた・かたちまでが写し取られているように想像できる。「吾子」を待つ愛が、目の前の「吾妻」へのいとおしみを何倍にもうながしている。「吾」という所有形が、こんなにみごとに生かされている例は、稀だろう。
 

胎児つつむ嚢となりきり眠るとき雨夜のめぐり(  )のごとしも    河野 裕子

 これは難しくてなかなか正解してもらえなかった。
 大雨にちかい雨と聴きたい。しかし、しとしと、しとしと降る雨でも分かる。家の外は雨、しかしやすらかに眠ることを雨に妨げられているのではない。むしろ太古このかたの雨の恵み、慈雨のようなものも歌人は感受していると受け取れる。そして妻である身も今は措いて、ひたすら母なる肉身を「胎児つつむ嚢となりき」って深く穏やかにいささか神秘的にすら「眠」ろうとしている。いつか「雨」に包まれて「眠る」我が身が、「胎児」もろとも豊かな「海」のうしおのただなかに漂うているかにも想われてくる。ひろいひろい海。ふかいふかい海。みごもりの、海。それは河野さんの愛している近江の湖でもあるだろう。歌人はわたしの『みごもりの湖』のありがたい愛読者であった。

たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江といへり   河野 裕子
胎児つつむ嚢となりきり眠るとき雨夜のめぐり海のごとしも

  この「器」と「嚢」とに通い合うものを感じない人は少ないだろう。
 

産みしより一時間ののち対面せるわが子はもすでに一人の(  )人     篠塚 純子

 これを「大人」「成人」とは、いくらなんでも無いだろう。「小人」も詩歌の魅力に欠ける。「別人」のほうが分かりいいが奇妙な説明を聞いているようである。「個人」にしても、
すこしマシだけれど同様の物足りなさがある。「死人」「各人」「旅人」「詩人」なども全然見当はずれである。歌にもならない。
 比較的いいのがまだしも「隣人」だろうが、確信をもって宛てているようでもない。
 しかし二〇六人の一年生のうち、七六人は「他人」と正解している。母と子とが「他人」は無いだろうと思われるが、よく考えればこの歌、なかなか鋭い批評をもっている。頷かせるものをもっていて、忘れ難い。
「他人」とは何で、「他人」でないなら、では、その相手は自身にとって真実何なのか、それを問う思考の体系と、「親子」を不動の軸にして人間関係を組み立てる思考の体系とは、この日本でも、鋭く一度衝突していい時機に、今、在る。そう、わたしは思っている。親子を、この歌のように、「他人」同士からの愛の出発と考える歌はかつて無かったかも知れない。
 学生に、自己の発想の型をこれから後、より「親子型」へ誘うか「夫婦型」へ誘うかと聞いてみると、ほぼ二対一の割合で「夫婦型」と答える。タテよりヨコヘの思想や発想の転換の芽が出ているようだ。しかし、他のいろんな質問にも答えてもらっていると、本音は、ないし無意識には、まだまだ「親子」の縦軸を強烈に感じている者のほうが、東工大では多い。わたしはどうかと聞かれれば、若い時から意識して「夫婦型」にほぼ徹してきた。しかし学生諸君に強いたいとは思っていない。私の生い立ちはやや特殊にすぎる。学生諸君にはつとめて自然な発想をみずからていねいに培ってほしい。
 

人間は( )ぬべきものと知りし子の「わざと(  )ぬな」とこのごろ言へる  篠塚 純子

「他人」として出発した母と子とが、そのような愛を育てつつ子は成人して、ある日、母に「わざと死ぬな」と、さりげなく、きまじめに、言いかけている。人の命の不思議な軌跡が描かれる。母の思いのある危うさに子は気づいているのだ。高校生くらいか。こう歌うことで母もまた自身の命や日々を思い返し、ある種の危機を乗り切っている。母はこう独り言して立ち直る。さりげないが、胸に残る、ある意味でとても知的な歌である。
 むろん学生諸君もほぼ全員が「死ぬべき」「死ぬな」と正解する。学生も、「わざと死ぬ」不幸と衝撃とを知っていて、事実以上につよく感じていて、自殺を人間としての自由の範囲内に認めていながらも、「弱さ」と規定して、人の自殺を阻止することはできないかも知れないが、自分は自殺しないと考えている者がほとんどである。自殺への関心は、死刑や脳死と並んでじつにつよい。
 

我よりも長く生きなむこの樹よと(  )に触れつつたのしみて居り   斎藤 史

  二四〇人の半数が「幹に触れつつ」と正解していた。学年の最後の授業であった。もうそのまま二度と教室で会わない学生が多かろう。それを思ってわたし自身の「たのしみ」をも出題に籠めた。「肌に触れつつ」でも「伎に触れつつ」でも「生に触れつつ」でもそれぞれにいいとは思うが、原作の「幹」はいかにも具体的でいて含蓄があり、毅然として語感が深い。
 原作の歌人は事実としては本当に樹木の幹に手をふれているのだろうが、詩の力が、それを超えた想像を、遠慮なく言えば根源の生でもあるが性的でもある把握にまで到達している。不思議にセクシイな妙味も歌のひびきに籠めている。そして願望の切なるものを感じさせる。
 学生諸君といて、話して、いつもこの歌を思い出す。まさに「たのしみて居」る。万一にも「わざと死ぬな」と言いたい。日々に心よわくなっている自身を思うにつれ、それを願うのである。
 
 

☆ 先生
 

先生と二人歩みし野の道に咲きゐしもこの(  )ふぐりの花

先生は含み笑ひをふとされて(  )のふぐりと教へたまひき     畔上 知時

  同じ漢字を一字と指定した。すこしは点数を稼いでほしいと思い、やさしい出題を工夫した。ずばり、六四一人のほとんど全員がと言っていいほど、「犬ふぐりの花」を正解してきた。花の絵を描いてくれた者もいた。
 意外なことだが、じつは出題にあたり予備的に感触をつかみたい目的から、人文社会群の事務室にいる女性二人に、いつも、あらかじめ「勉強」してもらっていた。ところが若い人も年かさの人も、二人とも「犬ふぐり」を知らなかった。聞いたことも見たこともないと言うのだが、緑濃き東工大の構内でなら、ざらに見られる種類の花なのである。これは困ったぞ、点数を稼がせたいのにと心配した、が、学生たちはびっくりするほど「犬ふぐり」を知っていた。さすがに理系、などとつまらないことを感心した。
 ただしこういうことはついてまわる。超満員の教室である、一人が「犬」と声に出せば、
さざなみが流れるように同調していく。それはそれでかまわない。それで納得したというのなら、それも一つの態度なのである。幸い「犬ふぐり」の場合は正解でも、時には発声者の間違いをそのまま右にならえで総倒れになるような例もあるからだ。提出されたカードを見ていると同じ解答が群をなして珍解・迷解・誤解を提出してくることは多い。答を教えあうグループができていてもちっとも不思議はなく、そんなのを正・不正の問題視する気はさらさら無い。それよりも短歌をよく味わってもらうほうがいい。
 作者は師の谷鼎の没後歌集『水天』を編んだ弟子たちの一人である。昭和五八年の『われ山にむかひて』に収められてある、微笑ましい、しかも巧みな、いい歌である。
 学生に、大学へ入る以前の「先生」から受けた忘れ難い「一言」を聞かせてくれないかと頼んだ。山ほど出てきた。尋常な、平凡なものが多かったが、誤解してはいけないだろう。それらの言葉は、それを発した先生と生徒と二人だけの密時空で交わされていたのであり、決定的瞬間での決定的表現だから「忘れ難い」のである。他人が批評的にくちばしをはさめる性質のものではないのだ。ただ「がんばれ」の一言にも、その時でなければ発しえない魔力・魅力を帯びて生徒の心に食いこんだ。「がんばれ」の平凡を笑うことはだれにもできない。
 そんななかで、わたしを驚かせ、教室をどよめかせたのは、一つは、「十七にして親を許せ」であり、もう一つは、「男は風邪をひくな」であった。感服した。
 こんな質問を大学の教室でするなと言う人もいるだろう。たしかに中学でも高校ででも質問されていそうなことである。だが、学生はもう生徒ではなく、むしろ学生としての判断から自分の心に生きていて、しかしとかく消え失せそうにもなっていそうなそれらを手まさぐり掴み出すには、相応の自問自答を要するのであり、東工大のような専門教育ということに教師も学生も頭でっかちになりかねない大学でほど、強いてでもいつも自身の根に視線をもどさせる意義は深いのである。そういう視線無しに「文学」「藝術」にふれるのでは、やはり、足りないのである。
 先生と弟子。最も願わしい人間関係の一つである。この畔上の歌はどこといって無理無く自然に今は亡い師をしのんで、まこと、心優しい。大声にものを言っていないのも佳い。
「犬ふぐり」の名だけを師は弟子に教えたのではあるまい。歩一歩の野の歩みのなかにも、目配りがあり、心入れがあり、感動も美もその発見もあることを弟子は師のなにげない言葉づかいや、笑顔や、身振りからも習ったのだ。だから懐かしく慕われるのだ。「犬ふぐり」は一例にすぎない。とても佳い一例なので、弟子も年齢を今は重ねて微笑ましく思い出せるのだ。
 師に学び得るものはいくらもある。学び方もいくらもある。体系化された鬱然たる学問も学ぶだろうが、「犬ふぐり」の花も教えられる。いい先生に出逢った者は幸せだ。
 

よく叱る師ありき
髯の似たるより(  )羊と名づけて
口真似もしき                 石川 啄木

  あまり知られた名前の歌人はとりあげない方針できたけれど、ちょっと点数も稼いでもらわないといけないし……となると石川啄木は親しみやすく、いつ知れず出逢っていることも多い。なにも啄木の歌なら学生諸君もよくご存じというようなことではないけれど、妙に安心させる。そしてこの歌なら、よほど調子はずれの学生でないかぎり、「山羊」とちゃんと答えてくれる。ほかには「子羊」「牡羊」「牝羊」「綿羊」ぐらいしか出てこない。「牧羊」などは考えすぎである。
 こういう時は歌の鑑賞へ話はもっていかない。「先生」の話題へ動いていく。授業の芯は漱石先生の『こころ』であるから、「先生」の話題は必然である。
 いい先生との出会いとして挙げたい学生の側からの特徴は、多くて先生の人数を二人ほどしか挙げてこないこと、それも塾または予備校の先生の多いこと、か。そうでなければ小学校の先生の思い出を懐かしそうに書いて出してくる。

この頃は逢ひたい友の多けれどわけて逢ひたい新島先生   徳富 蘇峰

  ところでこの啄木の歌の「山羊」先生は、歌人の思い出のなかで「いい」先走なのだろうか、「いや」な先生だったのか。調べていないので、分からない。あだなの付け方として「山羊」はわるいほうでなく「口真似」も毒々しいものとは思われないという感想もあった。「山羊」に似た「髯」だから、物言いも「山羊」に似ていると思うのは思い込みだという感想もあった。「叱る」「口真似」をしたにすぎないので、さほど深刻ではないが、いい思い出には繋がっていないかも知れない。感想が分かれてくるところに歌の難しい味わいがある。『こころ』の「先生」もそうで、学生は、エゴイストの極で好かないという者も少なくない反面、真摯で理想的な人間として高く仰ぎ見るふうにものを言う学年もいる。作中の若い「私」には正直のところどうだったのだろう。「読み」はそこからも、もういろいろに分かれはじめる。小説を読むのもまた難しい。面白い。それが分かってもらえれば、ま、ありがたい。
 言うまでもないが蘇峰の「新島先生」は、同志社を創始の新島襄先生のことである。みなそれぞれの「**」先生を胸に大切に抱いているようでありたい。
 
 

☆ 日本語
 

読むときは自然に読めど書くときは考へさせられる水(  )・木耳    吉野 昌夫

  学生諸君、なにを問われているのかも分からない者が多かった。老練の吉野さんが「木耳」を「自然に読め」るのは当然だろうが、名門東工大の学生といえども「木耳」を「きくらげ」とすぐ読めたのは、寥々たるものであった。まして書けといえば、ほとんど書けなかっただろう。わたしでもちょっと「考へさせられ」ただろう。
 この歌、しかし「木耳」が「きくらげ」と読めて初めて「水(  )」の見当がつく。読めなければ無理である。
 そこで短歌の五句、三十一音というきまりを思い出してみる。第四句は「考へさせられる」と字余りなので、結句のほうは型どおり七音だろうと察しをつけるのはどうか。ナカ.グロは音に数えないから、「きくらげ」と組み合わせの言葉は三音となる。ただし「水」を「みず」または「すい」と読んだうえで虫くいを埋めるのか、「木耳」が「きくらげ」であるのと同様、とんでもない読み方を考えるのか、だ。しかも短歌である。つまり歌である。音楽の要素を帯びているから「うた」なのである。ぜひ音調も考慮したい。
 まわりくどい話はよして、正解は、「水(母)
・木耳」である。どう読むのという人もあろう。「くらげ・きくらげ」である。音の洒落である。
「くらげ」と察しをつけて「水(月)」とした答が、いくらか混じっていた。だがこれは「くらげ」とは訓まない。「月」なら「海」つまり「海月」で「くらげ」である。もっとほかにもあるかも知れないが、「くらげ」を漢字にするときは「水母」と「海月」が普通である。いずれにせよ「きくらげ」が読めて「くらげ」が導かれる。読めなければこの出題には、まず答えられない。
  短歌作品としては、べつだん優作でもなんでもないと見える。それでも選んで出題したのは、日本語の「読み」「書き」の特異性を、学生諸君の頭に入れておきたかったからだ。「木耳」を「きくらげ」と、「水母」を「くらげ」と読め、またその逆を書けと、あたりまえの顔で強いるほうが、もともと無理なのである。ただ習慣とその知識とによって、やむをえず「読み」も「書き」も了解しているにすぎない。了解のない者がそう読めなくて書けなくてもいっそ当然、咎めるほうがおかしいようなものである。読めなくて不便し、書けなくてまごつく程度の面倒が生じるだけのはなしである。
 珍答はいっぱいあった。たいがいはやケクソである。なかに、「水(無)・木耳」と答えた学生が一人いた。「耳」という字を、限定の意味で「のみ」と漢文で訓んだ記憶がある。「水無し・木のみ」が正解ではないかと。努力賞ものである。考えようでは「水母・木耳」よりよほど文字に則している。しかし「読むときは自然に読」んだとは、言いにくい。
 話はかわって、姓名をもたぬ者は、ま、いない社会である。が、初対面で正しく姓名を読んでもらえたことの無い、ないしそれに近い嘆きをしてきた人は、大勢いる。「阿」さんを「ほとり」さんと「正しく」呼べとは、ご本人には気の毒だが、無理な相談だ。なにが正しいのやら理屈が通らない。わたしの名の「恒平」にしても、「こうへい」「つねへい」「つねひら」といろいろに呼ばれる。他人さまからすれば、どれが正しいも無いのである。親は「こうへい」のつもりで命名したにせよ、知らぬ者は、ただ迷う。迷ったあげく勝手に「つねへい」にも「つねひら」にもしてくれる。間違いですと訂正しつつ、本へにも自信がなくなってくる。正しいとか間違っているとか、どうもそういう問題以前の問題があるのだ。
 つまり目で読んで「正しい読み」「正読法」というものが、日本人の漢字には、無い。「角田」さんと書いて「かどた」「すみた」「つのだ」「かくた」さんを、四人とも知っている。どれが正しいわけでもなく、そのご当人にのみ主張のできる「読み」がある。
 同じように、耳に聞いて「正しい書き」「正書法」をと言うのなら、かなで書くしかない。漢字では書けない。確定できない。「きょうこ」さんと呼んでいるけれど、「京子」「郷子」「恭子」「香子」さんを、四人とも知っている。しかし音だけ聞いてよく知らぬ人の名乗りをすぐ漢字に置きかえるのは容易でない。一種の賭けになる。山勘である。
 問題には、まだ奥がある。なんで「きくらげ」のまま、「くらげ」のまま、かな書きのままにしておかないのか。なんで「木耳」にし「水母」にしたいのか。そこに漢字とかなとを使い分け、また大和言葉と漢語とを使い混ぜてきた日本語の歴史が顔を出す。日本語の表現の歴史も顔を出す。そういう顔とていねいに付き合って、やっと、表現の、また発想の、判断や認識の特徴が、また限界や長所が、日本人らしく理解されてくる。
 そういう話はわたしの教室、文学の教室では、ちょっと抜きにできない。文学を少なくもよく読む、詩歌をよく読む、その時に日本語についてあまりに考えが無い・足りないのでは、やはり困る。言葉は、文系も理系もない、だれしもの生きの現場をはしる血潮のようなものだ。それも大方は日本語「で」考えたり書いたり伝えたりせざるをえないのだから、なおさらの話である。

読むときは自然に読めど書くときは考へさせられる水母・木耳

 示唆に富んで面白い歌の一つとして、ぜひ見直してほしい。
 
 

☆ かなづかひ
 

ふといでしをさなのおならちひさくて(  )へと言へば(  )ふ真似する    吉井 千秋

「をさな」つまり幼児、それも赤ちゃんにちかいと感じるかどうかが、読みのヒントになる。「おなら」の「ちひさ」いのに、その「をさな」の「ちひさ」さも重ねて感じとれれば、いつもいつも立って走れる年齢の幼児には達していない、つまり赤ちゃんにちかい、這うとすわるとがまだ同居している程度の、しかも大人の片言をもう聞きわける程度の幼児らしいと分かる。「ちひさくて」が、表現の眼目としてよく利いている。虫くいの二箇所はむろん同じ漢字一字である。
 一九一人出席の一年生の教室で出題してみた。きっちり一割の一九人が正解し、「笑へと言へば笑ふ真似する」が七六人、断然多かった。ちょっと分かる。可愛い「おなら」が自然な「笑ひ」を誘うのは分かる。けれど、「おなら」したわね、あぁおかしい。笑っちゃお。**ちゃんも、さ、お笑いと勧めたり強いたりは、よくよく想えばそう適当ではない。それなら「臭へ」の十人のほうが、理に合うというよりも、「おなら」という生理と状況にふさわしい。ただし、幼子だからへんなくさみ・いやみは無いにせよ、詩的ではない。「吸へ」「食へ」も、字足らずであるうえに、「臭へ」よりもっときたない。たしかに「笑へと言へば笑ふ真似する」のほうが幼子のそれなりに照れた可愛さが出る。
「歌へ」は、ちょっぴり可愛い。「おなら」へのペナルティーとしても「臭へ」「吸へ」「食へ」より、よほど、いい。ただ、それなら「歌ふ真似する」がへんで、ほんとに歌声を聴かせてこそ可愛い。
 これが難しい出題に部類されるのは学生諸君の答を列挙してみても分かる。「憂」「嫌」「聞」「言」「捕」「酔」「恥」「集」「違」「押」「乞」「問」「直」「習」「競」「舞」「思」「放」など、ハ行の送りがなにどう繋いで読むのかも判じかねるものも混じる。このなかでなら「捕」ぐらいがやや意味のうえで作者の表現にちかづいている。それでも「捕へと言へば捕ふ真似する」は命令形のほうに欠損があり、総じてぎょうぎょうしい。
 女子の一人が、直接この歌にはふれていないが、こんな感想を書いていた。

* 最近、日本の言葉の美しさを考える。言葉による美は音楽による美や視覚による美以上に心を打つ。わたしは英語を中・高 6年間ならってきたが、結局わたしは英語を理解してはいない。美しい英語が分からない。Beatlesの曲を美しいと思う。しかし歌詞の(意義をこえた)美しさを理解できない。わたしの知る歌詞はむりに日本語に訳されたものだから。それだけに美しい日本語にははっとおどろき、誇りに感じる。例えば上田敏の『海潮音』や、秦さんが毎時聞くばって下さる井上靖の詩には、いつもわたしははっとする。いったいこの美しい言葉はどこから生まれてくるのか。すべてわたしの知っている単語からできていて、いったん読んでしまえば、なぜ今までこの表現を思いつかなかったのか不思議なくらい自然なのに、けっしてわたしには書けないのである。わたしはただ美におどろき、感動と敗北感のようなものを感じるのである。

  こういうことを自発的に自問自答してくれれば、それ以上に多くを望むまい。ここには用いられている言葉の平易であることと、その用いる場面や前後の繋ぎ結び流れ、つまりは表現の確かさ美しさとの、必然の効果に対する感性ができつつある。すぐれた詩や文章は書けなくても、書かれた詩や文章の美と真実へふれていける道は少なくもさぐり当てかけている。けっこうな良い自覚だと.言える。
 井上靖は「薄暮」「黄昏」といった言葉よりも「夕方」「夕暮」といった言葉のほうが好きだと書き残している詩人・小説家だが、だからといって「薄暮」「黄昏」ふうの表現はとらなかったかというと、必ずしもそうではなく、むしろ詩のなかでも小説でも多用していた。大事なのは用い方、用いるにあたっての必然的・決定的な効果であろう。と同時に、やはりこの詩人の文字や言葉への根深い姿勢は右の表明には色濃く露出していると知っていい。たしかに井上さんの思いは、かりにいかに「薄暮」「黄昏」ふうのものをより多用していたにしても、根本の姿勢は「夕方」「夕暮」のほうへ向いていた。そういうこともこの女子学生は察しかけているのだと思う。ちなみにこの学生の答は「笑」であった。「子供と親との何かあたたかいふれあいが感じられました」と書いている者もいた。やはり「笑」と答えていた。
 では作者はどう表現していたか。

ふといでしをさなのおならちひさくて拾へと言へば拾ふ真似する

「拾へ」「拾ふ」である。これが「真似」という身振りの、おかしさ・可愛さにじつにふさわしい。幼児の幼児らしさをからだの全部で表現できている。「ちひさくて」が絶妙に利いてくる。「をさな」も「ちひさ」く、「おなら」も「ちひさ」く、「拾ふ真似」さえ「ちひさ」くて可愛い。くさみが無い。「ちひさ」きものはみな可愛らしいとは枕草子以来の伝統の感覚であり、その例にも「をさな」が這い這いしながらふと落ちたごみなどを拾いあげるしぐさが挙げてある。この歌人はそういうことも記憶していたのだろうか。
 それだけではない。「をさなのおなら」の「お(を)」と「な」の音の音楽に耳をとめたい。また「ちひさくて」の「ひ」の表記の効果が「拾へと言へば拾ふ」の柔らかい「ハ」行の音の音楽にうまく関わって、すべて「をさな」ごのやわらかな感触的表現に利している。「小さくて」「拾えと言えば拾う」と表記されていれば、この「うた」の音楽はだいぶ効果を落としていただろう。歴史的かなづかひの、これは大事な恩恵である。
 わたしは、恥ずかしいことだが大勢の便宜に負けて新仮名遣いにしたがっているが、日本語を真に愛するのなら、歴史的にも日本語学的にもぜったいに価値高い真実を体した旧かなづかひの復活が、どんなに大切か知れないと信じている。亡き福田恆存先生畢生の名著『私の國語教室』を、ただ名著としてあたかも記念碑として棚上げしておくだけでは、ほんとに恥ずかしいことである。日本語の美しい表現を磨くにはなおさらである。
 
 

☆ 恋・逢ひ
 

陽にすかし葉(  )くらきを見つめをり二人のひとを愛してしまへり     河野 裕子

「二人のひとを愛してしま」うのも二人の人から愛されてしまうのも、すこし意地わるく言えば「二人のうちの一人」にされてしまうことも、古来、珍しいことではない。東工大のなかでも無いことでなく、はや原稿用紙にして三万枚にちかい莫大な量の挨拶=メッセージをていねいに読んでいると、そのへんの出入りが具体的に透けて読めることもあるし、直接そのような打ち明け話を聞く機会もある。「二人のうちの一人」になるのはつらいけれど、二人を愛してしまったり二人に愛されたりすることは、悩ましいは悩ましいなりに「生ける甲斐あり」げに、まず、だれでも心の奥底では思っている。胸をときめかせてしまうものがあるのだ。
  この歌では、上三句と下二句との割れめが大きく、その大きさが、いわば変化の魅力のようにも出来ている。上の句が下の句に「化けて出た」ように感じられる。「へえ……。こんなふうに(後半・下句は)成ってくるわけですか……」と、「虚をつかれた」と思わず書いていた学生がいた。河野の短歌が、俵万智の他愛なげな口遊み歌よりも、ある面で学生の一部に深く愛され感銘を与える理由も、こういうところにある。腰折れ歌の折れめ・割れめのところが、意外に詩的な大柄な蝶番になっていて、そこで乗せられ説得される。ふうん……ということになり、それはもう詩歌の力になっている。
 わたしは初めてこの歌に出会ったとき、この虫くいの部分の文字に小癪な新鮮さを感じた。わたしの苦手な理科ふうの言葉をつかってきたな、面白いじゃないか、と。
 ところが東工大の学生たちは、かすったほどにも「葉脈」なんぞ異色の文字だとは思っていない。むしろ尋常すぎ普通すぎ表現が固いかなと思って、分かっていながらわざわざ別の文字を模索した者も大勢いた。河野裕子の表現どおりに埋めてきたのは、一七八人の半数にごくちかい八四人もいた。
 むろん「葉書」「葉桜」などもあった。けしからんことに、なんとでも説明がつくのである。「葉裏」でも「葉先」でも説明できなくもないのである。しかし詩歌は説明だけのものではない。たしかに「字余り」になるので「葉脈」は避けたという、分かっている者もいるのだが、この歌では、上句の「葉脈くらきを」八音と、下句の「愛してしまへり」の八音字余りとが呼応することで、腰折れの割れのところが蝶番状の不思議な楽器たりえているのを読み落とせない。葉書とか葉先とかの軽い音ではとても下句の重みに釣り合ってくれない。
 しかも「葉脈」の「くらき」二岐れのさまを「陽にすかし」見つつある意味は明瞭である。明瞭だから説明してはいけないので、そのものずばりの「二人のひとを愛してしまへり」がいきなり化けて出た。そこが歌を面白く読ませている。意味以上に歌のつくりにおいて面白くできている。「へえ……。こう成るわけか」である。
「太陽という真実の光にさらされた葉脈は、彼女の心だろう。責められようとも心の中に存在するその自らの真実を認め、向き合う姿がみえて、いい歌」だと女子の一人が読んでいた。
 もっと克明な感想が男子からも出ていた。
「葉脈は不思議です。一枚の葉といって、それだけで一つのものと見なされていますが、太陽に透かしてみて分かるように、みごとなまで複雑な枝分かれをもち、一種の寄せ集めなのです。寄せ集めも完全に一つにまとまっているわけでなく、葉脈に沿ってとても裂けやすくつくられています。葉全体に養分を運ぶという生死を分ける役目を果たしている葉脈が、葉を裂けやすいものにしているのですから、當に双刃の剣といった感じです。
 今日の虫くいを、葉(脈)、とみて歌を読んでみますと、愛なくて人間は生きていけず、しかし無くてはならない愛も同時に二人に向かうとなると破滅的です、愛が双刃の剣になってしまいます。それにしても、どうして二人の人を愛してはいけないのだろうか。中途半端に二人を愛するのはよくないが、真剣に愛してしまうことはあるし、それはそれで、いいと思う。そうは思うけれども、相手が真剣に自分だけを愛してくれているとすれば、二人に愛を分かつのは裏切りだと思われる。自分はやはり二人を愛することはできない、しない。相手にも自分だけを愛して欲しいから」。
 こういう感想を、二十歳のエリート大学生のものとしては可愛い感じに読む人もいようが、表現こそ変われ、いつの世の男も女も、二十歳ごろには、こんなふうにものを思い悩み迷って生きてきたと思う。愛にはいつもむごいジレンマがつきまとう。そのことに直面してものを思い悩み考える姿勢があれば、良いとしたい。河野裕子の歌をこう読み解いている功徳はこの学生にしっかり根づくだろうと思う。
 さて他に「影」「陰」「蔭」「筋」「節」「緑」「光」「端」「枝」「面」「元」「虫」「根」など、多数の文字が提供されていた。「二人のひとを愛してしまへり」には、しかし、「葉脈」を「すかし」見るのがいい。やはり「葉脈」といった理科っぽい言葉が「愛」をしめっぽいものにしなかった、そこもいいと思うよと、言い添えておいた。
 

動こうとしないおまえのずぶ濡れの髪ずぶ濡れの(  )  いじっぱり!      永田 和宏

たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか     河野 裕子

  知られた夫婦歌人であり、永田氏は自然科学の学究でもある。歌はべつべつの時期の制作で、対に考えなくてよい。
  河野さんのは、わたしの好きな作品でもあり、参考に並べてみた。「ガサッと」の歌は評判がよろしく、わざわざ河野さんの歌集を読みたいと申し出てきて貸してあげた女子学生もあった。ついでに言えば、同じ女子学生のなかにも、この河野の歌を、男性に対して受け身に誘い掛けていてイヤだという少数意見のあったことも付け加えておくが、わたし自身は逆に、これはじつに強い歌だと読んできた。受け身どころか、叩き付けるように男の尻を叩いている。

君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る     河野 裕子

 これも板書して読んでもらった。共感の声があがっていた。
 さて永田の歌は難しかったらしい。二四一人の教室で、たったの一九人しか作者の表現を共有しなかった。

動こうとしないおまえのずぶ濡れの髪ずぶ濡れの肩 いじっぱり!

 大方は「瞳」と出て、次に「心」が、さらに「服」が出た。これで八割。「背」も「靴」もあった。「顔」も「額」もあった。どうも尋常にすぎる。「いじっぱり!」と、思わず叫ばせるような何かを考えてほしかった。こういう状況には、お互い経験がありそうなものだが、心理的・行為的に自然に細部を見る、または想像するということができていない。こういうさいにこの二人は向き合っているのだろうか、相手はこっちへ背を向けて意地を張っているのだろうか。そんなことも想像したい。
 この人間関係を親子、父と娘、のように見て解釈している者もいた。そんなことだって想像できなくもない。娘を育てた父親から見れば分からなくもない、が、この歌の声音はやはり同世代の愛し合う、恋し合う、若い人らのものだろう。
 人間のからだで意地を張って見えるのは、「肩肘張る」「肩をそびやかす」「肩で風切る」ないしは「臍を曲げる」「鼻で笑う」「口をとがらす」などいくらもあるなかでも、ここは「ずぶ濡れの髪」から自然に視線が動いたとして、相手がこっち向きでも向こう向きでも目に見えるのは「肩」である。「肩を硬くする」「肩を怒らす」みな「いじっぱり」の姿勢である。
 どっちかといえば、こういう表現を、わたしは、大歓迎しているわけではないのだが、でも、面白くて採った。そして学生諸君はこういうのを歓迎する。
 

雲は夏あつけらかんとして空に浮いて(  )いなく君を愛してしまへり    柏木 茂

 抜けるような真夏の空、白く高い雲。目を射るまぶしさも肌を灼く熱さも「あつけらかん」としてなにも感じないほどの爽快な気分に覚えがある。「空に浮いて」が舞い上がるようなほとんど無感覚と化したかのような気分をうまく言い当てている。カミュの『異邦人』の殺人の暑さを、まばゆさを、思い出す。
 三分の一が「迷いなく」と答えてきた。かな遣いが、ちがう。音調のぬるいのもよくない。「惑いなく」も同じく、「疑いなく」ではもっと調子がわるい。「憂いなく」ではこのかっと乾いた暑さまぶしさに似合わず、「違いなく」では意味は寸足らずに舌がながい。「想いなく・思いなく」というのはどういう意味か。思いがけず愛してしまったというのか。ちょっと分かるが舌ったるい。「願いなく」「恋いなく」「問いなく」もへんである。まして「人」「妻」「友」「鳥」「月」「君」「我」「日」など、なにを考えているのか分からない。しかし、この手の意味不明ものがまだ二〇字足らず書き出されてきた。

雲は夏あつけらかんとして空に浮いて悔いなく君を愛してしまへり

 若い人には実感があろうかと想像しつつ出題したが、一八九人のなかで、ただの三一人しか「悔いなく」の端的な、簡潔な、「あつけらかんとし」た答が出せなかったのは意外だった。若い若い、しかし、なかなかのいい歌で、わたしでさえすこし痺れる。「今日の短歌、好きです」という声が届いていた。好きとは、分かる、憧れるの意味だろう。まだ体験はできていないように感じた。
 

手を垂れてキスを待ち居し(  )情の幼きを恋ひ別れ来たりぬ     近藤 芳美

あの夏の数かぎりなくそしてまたたつた一つの(  )情をせよ     小野 茂樹

  二つとも同じ漢字の一字を補ってもらう。二三九人のなかで、正解した者は、六七人。いろんな「*情」を辞典的にさぐった結果のようである。
 近藤芳美は現歌壇の重鎮。この歌はしかし、初々しい。実の年齢とは別の、女の或る初々しさ、幼さの発見。ないし再発見。男はそのことに深く打たれもし満足もして、別れがたい気持ちで別れてきた。ただし別離ではなかろう。「待ち居し」の「居」の字には相手への随順の気持ちや敬意がある。女性は男性に深い愛と信頼としたがう気持ちを隠していない。「手を垂れてキスを」「待ち居」るのである。ほとんど無防備の姿勢になっている。そして「幼き」までの真情を隠さなかった。男は嬉しかった。恋はもっと深まった。ただし「真情」といった観念的な表現はしていない。学生諸君も「真情」とは一人も書いていなかった。
 学生の答で四人に一人が「愛情」を挙げた。ただ、それで、小野茂樹の歌にも当てはまるか。無理だ。
 小野の歌では恋する二人は夏のあいだにさまざまの「逢ひ」を重ね、そのときどきに女は、恋する女は「数かぎりなく」しかも約めて言えば「それもまた」「たつた一つ」と言えるなにかで応えてくれていた。ああその「たつた一つの」それを今見せよと男は祈るほどに願っている。微妙に二人の現在に裂けめがあるのだろうか。
「*情をせよ」という命令形の表現だから、もともと「*情をする」ことの可能な言葉であると気がつけば、「純」も「欲」も「友」も「心」も「慕」も違う。「熱」も「恋」も「激」も「感」も「無」も違う。「薄」も「旅」も「強」も「剛」も「悲」も、みな違う。
 これだけ「*情」を並べて、他に可能性のあるのは「同情」がその一つであろう。しかし二つの歌にまったくそぐわない。

手を垂れてキスを待ち居し表情の幼きを恋ひ別れ来たりぬ
あの夏の数かぎりなくそしてまたたつた一つの表情をせよ

 やさしそうで、そうも簡単でないのが「表情」をよむことである。恋が本当に静かに優しく深まり互いの信頼がよほど定着してこないと、とくに男は女の「表情」をよんでいるまえに身動きをしてしまうか、自分の心を騒がせてしまう。他のどの文字よりも「表情」と挙げた人数の多かったのは事実であるが、見当はずれも多かった。もう少し成熟しているかなと思ったのは、だが、こっちの勘違いだった。なにしろ二十歳でしかない。場数は経た者もいようけれど、場数だけで恋はできない。
 

抱くとき髪に湿りののこりいて(  )しかりし野の雨を言う     岡井 隆
いつまでも(  )しくあれといはれけり日を経て思へばむごき言葉ぞ     篠塚 純子

 前衛歌人の一人として名の高い岡井隆の、これまた初々しい歌。待っていた女を思わず抱きしめ、髪の湿りに気づいた。女は野の雨のさまを言葉少なく印象ふかくそっと告げた。
どこか戸外のものかげの逢引きのようですらある。ひろい野中の一本の大木の木蔭のようにも想われたりする。美しい歌である。「いだくとき」と読みたい。「のの」「のの」の音楽も効果をあげていると、わたしは、感じている。
 これに対して篠塚の歌はいっそ成熟した、ないし年齢を重ねた女のなげきの歌と取れる。恋情と無縁とも思われない内容だが、危うい男女間の気のねじれも想像させる。こんなことは、たぶん普通の夫は妻には言わないだろう。いっそ端的にそう認定してほめるか、触れもしないだろう。なかなかの実情で、「日を経て思へば」の八音字余りが、たゆたい悩む女心をよく写している。大人の男女のあやしい恋の屈折を、深刻がらずにすこし苦笑いの気味で読めばいい。二つ並べた歌に共通の一字を思案させたくて選んだ二首であった。
 ここは三音に読む漢字を選ぶべきところであるから、「優し」「恋し」「厳し」「激し」「愛し」「寂し」「久し」「親し」はみなよろしくない。片方に合ってももう片方には合わない。「懐し」だと音の数は合っているけれど両方の歌にそぐわない。しかしこういう文字も出てきていた。ただ、正解の人数ははるかに多くて、二一九人のなかで、一八二人にのぼった。そうは難しくなく、形容詞の「しく」活用の言葉では代表的な「美し」が自然に入った。

抱くとき髪に湿りののこりいて美しかりし野の雨を言う
いつまでも美しくあれといはれけり日を経て思へばむごき言葉ぞ

 ちょっと方面の違う歌ではあるが、「美し」が一首の芯の言葉として生きている。前のは印象的に、後のは断定的に。
 

(  )はばなほ(  )はねばつらき春の夜の桃の花散る道きはまれり    秦 恒平

  小説を書くよりずっと早くからわたしは短歌を作っていた。国民学校四年生での歌がのこっている。六年生の時のものこっている。中学ではずいぶん作り、高校時代はまことに熱心だった。大学へ入ってからは熱がさめた。高校のころの歌を中心に『少年』という歌集を編んだのが、事実上の文学的出発だった。歌集は、四度もかたちをかえて出版された。この歌がいつごろの作かは、読者に想像してもらおう。
 びっくりしたことが、二度ある。娘のだったか息子のだったか忘れたが、ある年の国語教科書の別冊のようなもののうしろに年表がついていて、子供に言われて、見るとわたしの歌集『少年』の出たことがその年度のところにまるで代表の歌集然として記載されていた。さすが自信家のわたしもぶったまげた。もう一度は、ここに挙げた短歌が、短歌雑誌のグラビアのような巻頭のほうで、たしか岡井隆撰の『昭和百人一首』という企画のなかに採られていたのにびっくりした。これは嬉しかった。わけてこの歌を選んであったのが妙に気はずかしく嬉しくもあった。
 四一一人の教室で、九二人がわたしと同じ文字を選んでいた。虫くいの二箇所とも同じ字である。それも最初に指定した。
「会はば」「会はねば」とした者が、一〇九人でいちばん多く、正解の「逢はば」「逢はねば」九二人と合わせると半数を超えた。「逢ふ」という文字がやはりいちばん似合う気持ちだった。告白すると、わたしは自作の短歌を自作の曲というのもナンだが、節をつけて口ずさみながらよく東福寺や泉涌寺の境内や山のなかをさすらい歩いた、高校時分には。この歌、高校の時の作だと、言明はしないが、よく口ずさみ歩いた。そして秋になると下句を、「秋の夜の萩の花咲く」などと替えて歌った。そんな安直な歌はほんとはよくないのですとも教室では注意した。

逢はばなほ逢はねばつらき春の夜の桃の花散る道きはまれり

 幸いこの歌を感じがいいとお愛想を言ってくれた学生は何人もいたが、「読み」にもバラエティーが出た。
「言はば」「言はねば」と「酔はば」「酔はねば」と「追はば」「追はねば」とがかなりの人数いた。「問はば」「問はねば」も「恋はば」「恋はねば」も「添はば」「添はねば」もあった。酔ふ、追ふ、恋ふ、添ふなどは、それぞれに、よく考えている。しかしここは、「春の夜の桃の花散る道」だという季節感・情感にも必然的にひびき合ってもらいたい。「恋」「添」「酔」「追」などはいいが、「言」「問」ではもう一つ「春」とも「桃」とも繋がらない。
 作者としては、春情濃やかな恋の場面を想定していた。だが、父親と娘とが家路をともに辿りながら、娘はなにかを「言いたくない」けれど「言わなくちゃならない」ああ「家
がもう近い」といった歌でしょうかと解釈していた女子学生もいた。なるほど。それでも、やはり「春の夜の桃の花散る道」である必要はないだろう。
 総じてよく感じを読み取って追体験してもらえたのはありがたかった。四〇年の年齢の差をさあっと埋めてもらった気がした。
 

ましぐらな矢に真二つ裂かれたるリンゴの( )の散るやうな逢ひ  東 淳子

逢ふことが「栄養」となり夏こえてうつすらと(  )をおびゆくからだ    松平 盟子

  これも難しかった。五四三人中で正解した者はたったの五人。ちょうど半数の者が口を揃えて「紅」と表現してきた。二つの歌はまったく関わりないべつべつの歌である。しかし虫くいの文字は、同じ漢字が一字である。二つともに適切な一字という指定がヒントになる場合も障害になる場合もある。ここでは選択を惑わせるほうに働いたかも知れない。健康な体が血色を帯びて「紅」の感じになるのは分かる。しかし、紅いリンゴも「真二つ」に裂かれようものなら、実の中身はまっ白いのである。しかし二七八人は「紅」を、七五人は「朱」を、五九人は「赤」を埋めてきた。人数の約八割ちかい。「朱」は「あけ」と読んでもいいだろう。が、どれも、あちら立てればこちらが立たずの歯がゆいところで、ま、「あけ」の散る、「あけ」をおびゆくなら、なんとか……という程度。「実」も三一人いたが、これは「み」としか読みにくく、「実をおび」はまだしも、「リンゴの実の」の字足らずは声調をいたく損なう。
 それならばいっそ「蜜」はどうか。四人がこう答えてきた。これは、おみごと。原作に負けない秀歌ができた。甘く肥えて色っぽいではないか。「リンゴの蜜の散るやうな逢ひ」も艶に濃やかで激しいし、「うつすらと蜜をおびゆくからだ」というのもセクシイで素晴らしい。青春短歌大学の最高傑作の一つである。これが「皮」では、とくに後の歌は別の歌になってしまう。「からだ」の魅力が薄れる。
「愛」も面白いと思う。表現の魅力をちゃんともっている。抽象的なようで官能的でもあり妙に具体的な感じすらする。
 エロチックなものを大胆に秘めた東さんの歌には「蜜」もいいが「愛」も似合う。「矢」は古来男の性を暗示しているのだから、ここの「リンゴ」は、女の性的な秘処そのものを表現していると取っても、取られても、いいのだろう。「真二つに裂かれ」るのは破局ではない。それどころか「矢」の「愛」の激しさに真二つに裂けて「リンゴの愛」も愛のしぶきを散らすのだ。「愛」と「逢ひ」との共鳴もいいと思いますと、ある学生。わたしも、いいと思う。
 松平さんの表現もいい感じである。「逢ふことが『栄養』にな」るなんて、ニクい。
「夏こえて」に越えてと肥えてとがかさなり、夏痩せの印象を図太いほど健康に乗り切ってしまう。「うつすらと愛をおびゆくからだ」は、許される限界の効果ある官能の表現である。「愛」も、十分に、いただける。
 しかしながら、二人の作者による表現は、ともに「肉」である。「リンゴの肉」つまり果肉。そして「こえて」「うつすらと肉をおびゆくからだ」「栄養」に足りた「からだ」の肉。分かる。

ましぐらな矢に真二つ裂かれたるリンゴの肉の散るやうな逢ひ
ましぐらな矢に真二つ裂かれたるリンゴの蜜の散るやうな逢ひ
ましぐらな矢に真二つ裂かれたるリンゴの愛の散るやうな逢ひ

逢ふことが「栄養」となり夏こえてうつすらと肉をおびゆくからだ
逢ふことが「栄養」となり夏こえてうつすらと蜜をおびゆくからだ
逢ふことが「栄養」となり夏こえてうつすらと愛をおびゆくからだ

 さ、この歌合わせの勝負は勝負なし、「持」としておこう。夏休みすぎの教室で、こういう歌を考え味わってもらうのは、楽しい。学生諸君もけっこうこの手の歌が好きなのである。
 
 

☆ 口紅
 

初めてのわが口紅に気づきしか口あけしまま見入る(  )     中島 輝子

  女の人が口紅をつけるのは、ありふれたことである。意識するともなく男の目も、女の目も、気づいている。口紅が濃すぎたりすると、かるく眉をひそめていたりする。
  この歌では、だが、「初めてのわが口紅」とある。女の人が「初めて」口紅をつけるというのは、かなり重い意義を帯びているのかも知れない。初潮のようなものとまで言っては言いすぎかもしれないが、いずれにしても青春期・思春期といった時期にかぶさってくる、思い出にのこるような行為なのかも知れない。「女」になっていく一つの通過点として、男のわたしなどが想像しても、もうすぐそこにドラマのはじまりそうな予感がもたれる。この「吾」は、少女と女との境の辺にいて、子供と大人との境の辺にいて、若い。それかあらぬか、けっして、上手な歌にはなっていない。「か」行の音が断続して硬く、三四句の息のとぎれに拙い間延びも感じられる。それでいて、この歌、なにかしらいいところを見ていて、平明でありながら劇的なのである。作者の中島輝子について知識はない。『ぬはり』昭和二六年八月号から採った。
 ところで、学生諸君のかなり数多くが、「気づきし」者と歌の主体の「吾」とを同一人とみて、したがって「口あけしまま見入る」のも「吾」で、あげく、虫くいの一字に四音の「唇」はまだしも、字足らずの「鏡」や「瞳」をもってきているのには、ちょっと首をかしげた。「私」だと音は調うが、一首のなかで「吾」「私」の同居もおかしい。「顔貌」を「かんばせ」も苦心の訓みだが、二字は反則だし、歌柄にも適していない。
 ほかにも、いろんな文字が揃っていた。「君」「父」「目」「彼」「男」「兄」「顔」「面」「顔向」「口」「鼻」「姿」「母」「妻」「夫」「衆」「女」「汝」「童」「猫」「空」「月」あたりまではふざけた返答とも思われないが、いずれも字足らずか、二字になっている。「紅」は考えた答だが、だれが「気づ」いたのかが判然としない。「背」として「せのきみ」と訓み、「輩」として「ともがら」と訓んでいる知恵者もいたけれど、よくよく想像すればどっちの図も、間が抜けている。
 ここは、素直に読んでいいだろう。自分で「口紅」をしていながら自分が「気づ」くというのは理に合わない。「吾」に対する、もう一人が、歌に登場している。虫くいには、そのもう一人を当てはめることになる。それで、おさまりがつくはずである。
「恋人」という答が、あった。しかし、これは約束に反している。虫くいに入れるのは漢字が一字と決めてある。その決まりが無いなら、「口あけしまま見入る恋人」は、少なくもそうひどい歌ではない。しかし「恋人」という以上は恋がはじまっている。しかも片思いとは思えず、現に恋人として面と向き合っている。「初めてのわが口紅」の以前から恋は進行していたことになる。相手が少年とは限らない、が、まだ少女らしい恋ではある。そして相手がそこそこの年齢の男だとすると、「口あけしまま」というウブな驚き方はちょっと似合わない。少年と少女との恋のある日に、忽然として少女が「初めて」口紅をつけて現れた。少年はその変貌に驚いた。ありうる情景では、ある。ただ「気づきしか」が気になる。恋人同士なら「気づ」く前に、一切を見るだろう。観じるだろう。それが恋というものだ。「気づ」くというような、ぬるい間合いは似合わない。結果としてここは「恋人」では、いい歌にならない。漢字一字でもない。ただ「こひびと」と四音をさぐったのはいい見当なのである。
 同じ意味で「父親」としたのも、四音はいいが、一字でなく、当てはまらない。しかし、「初めてのわが口紅に気づきしか口あけしまま見入る父親」は、情景としては「恋人」以上によく分かる。「気づきしか」「口あけしまま」といった間延びのした感じは、「父親」だとよく似合う。次に口をついて出てくる父親の声や、言葉までが聞こえてきそうである。その点「母親」という答もあったけれど、「父親」には遠く及ばない。母親は娘が成熟しつつあることも、口紅やお洒落に心をひかれているらしいことにも、父親よりはるかに早くから気づいている。女同士はちかくもあり親しくもある、が、また、微妙に微妙な、敵意とまでは言わないが対抗心のようなものも持ち合っている。やっと「気づ」くのでなく、まして「口あけしまま見入る」ようなドンな真似を女同士はしない。
 これまた同じ意味で、だから「妹」も当たらない。まして年のちかい姉妹ででもあるなら、互いに手の内も胸の内も察している。姉の初めての「口紅」を賛嘆し、憧れ、またはひやかしこそすれ、なかなか「口あけしまま」ではいてくれない。見るより早くに.言葉が発射されるだろう。同じことは「(女)友達」にも言える。ただ「妹」は漢字の一字で、約束には適っている。
「鏡」「鏡台」そして「恋人」「父親」「母親」「妹」「友達」というところへ、学生諸君の理解は集中した。しかし、一字で四音の「弟」を選んだ者が合計四七一人中八四人、二割ちかい。なかなかのものである。むろん選んだなかには「詩歌」として鑑賞して答えたというよりも、論証的に推理しつつ的確に理由を挙げた者もいた。それも、けっこう。例えばこんな具合にである。
 女の子が「初めて」の「口紅」を、戸外やよその家でつけたりしないだろう、やはり自分の家でだろう。すると「気づ」くのはまずは家族だろう。祖父母はこのさい馴染まない。やはり両親か、きょうだいが「気づ」くことになる。「父」「母」では音が足りない、しかし「吾」から親を「父親」「母親」とよそめく物言いはしないのではないか。まして二字になってしまう。次に、きょうだいのうち「兄」と「姉」は音が足りないだけでなく、「口あけしまま見入」ったりしない。怒鳴るかひやかすか、どちらかである。考えられるのは「妹」か「弟」のどちらかしか無いが、「妹」は「気づ」いたらたちまち黙っていない気がする。その点、「弟」にだけは、「姉」の「初めての」「口紅」を美しいとみる感情がありうるだろう、と。「弟」以外に適切な四音の文字は見当たらない、と。

初めてのわが口紅に気づきしか口あけしままま見入る弟

 姉の「口紅」に、弟の「口あけしまま」が、稚拙に見えていい趣向を成している。「弟」を見る「吾=姉」の視線に、温かいものも、優しいものも、また丈高く誇らかなものも、感じられる。姉弟として一つに転げ回っていたような幼い睦みの時をすぎて、姉はもう「口紅」に身をよそおい、どこかしら遠くへ旅立とうとしているのだ。弟はそんな姉の背後に、自分ではない別の男の影をもうかすかに感じながら、姉を美しいとも遠くへ行く人とも、おぼろに感じている。「口あけしまま」には、少年の幼さと同時に血の別離に無意識に耐える我慢も見えている。そういう一首の歌になっていて、そういう歌であるためには、おそらくはもうこの時機をおいてはありえない決定的な時機がえらばれている。もし「弟」がもっと年幼くあれば、姉の「口紅」に「気づき」もしなかったろうし、もう少し年がいっていれば、ませていれば、逆に、姉に向かってどんなキワどいことを口走らないでもないからだ。
 微妙な人生のドラマをはらんだ、いい歌の一つである。言葉の斡旋の巧拙だけでは決まりかねる表現の秘密の味を、この歌は「姉と弟」という古くして新しいドラマから端的に汲み上げている……と、そのようにわたしの理解も合わせて語ってみると、二十歳の学生は分かってくれる。東工大では教室のほとんどが男子学生なのである。姉の「弟」たちも、いっぱいいる。それでいて「弟」の一字に思い当たらない者が八割以上もいた。短歌的表現に幻惑されたというより、日々の成長のなかで、男と女、あるいは家族間の人間関係へ、濃やかな視線が配られてこなかったからか、見聞や経験の肉化が十分でなかったからか。
 手を出せば届く、幸田文の『おとうと』や室生犀星の『あにいもうと』も、機会をえて読んでほしいと言い添えておいた。
 
 

☆ とらわれ
 

しづかなる悲哀のごときものあれどわれをかかるものの(  )食となさず    石川不二子

 こういう歌を(読むのでなく)見るといきなり学生諸君、「*食」という熟語さがしに奔走する。今どきは逆引きの辞典すらあり、持参の者もいないではあるまい。しかし落とし穴にもはまってくれる。「食」を「しょく」と読むものだから「美食」「過食」「小食」「朝食」「夜食」「昼食」「大食」「暴食」「飲食」「立食」「座食」「試食」「軽食」「欠食」などと、いくらでも出てくる。残念ながらどれも虫くいを埋めるのに適当とは思えない。そこで「しょく」ではないのかもと気づいた者から、「(餌)食」が出てくる。「えじき」である。
 でも、何のこと? かくて、やっと歌そのものに関わる気持ちになる。難しい。「分かりません」という声が湧くように届いてくる。
「しづかなる悲哀のごときもの」に、ひたひたと心を占められているのに気づく時がある。「悲哀」を不安とも不満とも不平とも憂慮とも嫉妬とも断念とも失望とも落胆とも渇望とも疑念とも慚愧とも、その他もろもろに言い換えてもかまうまい。それが「しづか」なことほとんどいつ知れず胸のうちに兆しては居座っているもので、不思議とつい付き合ってしまっている。なれっこになって、そんなものでも胸のうちにあるのが普通のような気になり、なんだか欠かせない相手=コンビかのように思い込んでいく。そんなことが、ありうる。ある。曲者である。
 すべて愚痴の胤、育ちやすいジレンマである。ノイローゼである。軒を貸したつもりが、いつか大きく膨れ上がって母屋を占領されている。怪物なのである。
 この怪物、「しづかなる悲哀のごときもの」といったしおらしさで忍び寄ってくる。用心の要る相手にあまり思われない。だが、いつの間にか自分自身はそいつの「餌食」にされ、主客が逆転してしまう。「しづかなる悲哀のごときもの」に支配されて暮らす日々がきていて、それに気がつかなくなってしまう。
 心の病にかかっているらしい学生に、残念だが、いつの年のどの教室ででも気づく。病に至らぬまでも悩み苦しみ問題を抱えていて、メッセージを通じて訴えてくる学生は少なくない。わたしに打ち明けるだけで気をかるくしていてくれる程度ならいいが、「病」や「死」の影と付き合いを深めつつあるのでは心配だ。失恋の話、好きな相手と別れた話、失礼だが掃いてすてるほどある。声をかけてこない限り、気にしない。わたしの大教室では、やむをえず学生の名前と顔とは分断されている。名前を通してはかなりな個人の秘密も聞いて、いや読んで知っているが、あまりに多人数のため顔とはまったく結び付かない。わたしも意図して結び付けないようにしている。そのほうが学生はわたしに挨拶を、メッセージを寄せやすい。しかし「妊娠して子供をおろしてしまった。もう生きていけない」と訴えられていれば、放っておけない。何科のだれと他の者には分からないように気をつけながら、その学年にだけは分かるように教壇から話しかけねばならない、「死ぬなよ」と。
 へんなことだが、人は、さきに挙げたような負の感情を、ただ嫌って遠ざけるとは限らない。自虐に似た気持ちで、不安や悲哀やノイローゼにのめり込むように身を任せ、すすんでその「餌食」になって、抜け出せない人もけっこういる。そんな人が増えていないかが案じられる。

しづかなる悲哀のごときものあれどわれをかかるものの餌食となさず

 つよい歌である。『こころ』の「K」も「先生」も、ちょっとこの「餌食」の気味があるなどと、わたしが言わなくても、そう指摘してくる学生が何人もいた。あの「奥さん」「お嬢さん」はタフだ、「女の人はつよいんです」という男子学生の感想もあった。じつは女子からもあった。
 
 

☆ 痛み
 

たふとむもあはれむも皆人として(  )思ひすることにあらずやも

今にして知りて悲しむ父母がわれにしまししその(  )おもひ     窪田 空穂

  虫くいには、同じ一つの漢字を補うように出題した。さて作者は……。いやいや作者の説明などはじめると、とたんに学生は退屈する。東工大の学生は概して人名、ことに文系の大物の名前に無関心であり、また、知らない。太宰治は通用しても小林秀雄は通じない。ときめく梅原猛などでもテンで通じない。まして突然の短歌の作者を、有名であれ無名であれ、それらしく納得したりさせたりするにはずいぶんな言葉数と時間とを要する。それは困るから、歌人についての解説は原則として省く。窪田空穂ぐらいな人でも、近代の短歌の歴史でベストテンに入る立派な人としか言わなかった。学生は当面問われている作品にしか意識がない。短歌史の時間ではないのだから、それでもいいとしている。
 四七四人中で、「片」思ひ、と入れた学生、一二七人。四人に一人は超えた。好成績であるが、こう答を知ってみれば、こんな簡単で通常の物言いが、なんでもっと多くないのかと呆れる人もあるだろう。
 一年生は五分の一しか正解していない。二年生になると、三分の一近くが正しく答えている。一九歳と二〇歳とのたった一年の差だが、ここに一つの意義がある。そんな気がいつもする。
 試みに解答を羅列してみよう。「物」思い、「親」思いが多い。前者は手ぬるいなりに当たっていなくもない。ただ把握は弱い。表現も、だから弱い。後者だと後の歌に適当しない。意外に多く、「恩」という字を拾っている。なんとなく歌の意へは近づこうとしているのだ。しかし詩歌たる表現にはなっていない。「心」「子」「我」「恋」「愛」「人」「罪」「内」「昔」「熱」「温」「夢」「情」「苦」「深」「相」「今」「憂」「長」や「先」「女」「常」など、ほかにまだ二、三〇字も登場している。
「片思ひ」では、なんだかあたりまえすぎてという弁明が、次の週に出ていた。「片思ひ」といえば恋愛用語であり、この歌に恋の気配は感じられなかったので採らなかったという言い訳は、もっと多かった。空穂のこの短歌は、いわば二十歳の青春のそんな思い込みへ、食い入る鋭さ・深さをもっている。
 人の世を人は生きている。世渡りとは人付き合いなのである、好むと好まざるとにかかわらず。無数の人間関係がこみあい、理性でだけの交通整理が利きにくい。人の心情や感情はとかくもつれあう。言葉というものが重要に介在すればするほど、必ずしも言葉が問題を整理ばかりはしてくれずに、むしろ足る・足らぬともに過度に言葉は働いて、不満や憤懣を積み残していくことになる。こと繁きそれが人の世である。
「たふとむ=尊む」も「あはれむ=愍れむ」も、このさいは人間関係に生じてくる一切の感情や言葉を代表して言うかのように、読んでよい。むろん親と子とのそれかと、第二首に重ねて察するもよく、もっと広げた人間関係にも言えることと読んでも、少しもかまわないだろう。要するにどんな心情・感情も、どこかで足りすぎたり足らなさすぎたりして、そこにお互い「片思ひ」のあわれや悲しみや辛さが生じてくる。それもこれも「皆、人として」避け難い人情の難所なのであり、だからこそ自分が他人に「片思ひ」する悲しさ・辛さ以上に、知らず知らずにも他人に自分がさせてしまっている「片思ひ」に、はやく気がつかねばならない……と、この歌人は、痛切に歌っているのだ。
 残念なことに、自分のした「片思ひ」ばかりに気がいって、自分が人にさせてきた「片思ひ」にはけろりとしているのが「人、皆」の常であり、自分も例外ではなかった。そう窪田空穂は歌っているのである。しかも例外でなかったなかでも最大の悔い・嘆きとして、亡き「父・母」が、子たる私に対してなさっていた「しましし片思ひ」を挙げている。「今にして知りて悲しむ」と指さし示して歌人は我が身を恨むのである。父も母ももうこの世にない。この世におられた頃には、いつもいつも自分は、父母へ「片思ひ」の不満不足を並べたてていた。なんで分かってくれないか、なんで助けてくれないか、なんで好きにさせてくれないか。しかも同じその時に、「父母がわれに(向って)しましし」物思いや嘆息や不安の深さにはまるで気づかないでいた……。
「片思ひ」も、このように読めば、恋愛用語とは限らない。それどころか人間関係を成り立たせるまことに不如意にして本質的に大事な、一つの辛い鍵言葉であることに気がつく。ここへ気がついた時、初めて他人のしている痛みに気がつく。愛は、自分が他人にさせているかも知れぬ「片思ひ」に気づくところから生まれる。差別という人の業も、これに気がつかずに助長されているのではないだろうか……。
 二年生が、一年生よりもうんと数多く「片思ひ」を正解してくれていたことに、「成長」の跡を見ていいと、わたしは、つよく思う。
 そんなふうにわたしの理解を語った当日の学生のメッセージのなかに、「秦さんに教わっている多くのことは、いつかは忘れてしまうでしょう。でも、今日の『片思ひ』という一語だけは、忘れません。ありがとうございました」と書いたのが、あった。

たふとむもあはれむも皆人として片思ひすることにあらずやも
今にして知りて悲しむ父母がわれにしまししその片おもひ

 巧みであるとかそうでないとか、そんなことだけで「うた」の値打ちを決めてはいけない。どれだけ自身の「うったえ」たいものを「うたえ」ているか、金無垢の真情が詩を育む。巧緻のみを誇るものに、恥あれ。ただし概念的にのみ翻訳されて愬えている詩歌も困る。窪田空穂のこの歌などは、真情のより優ったかつは微妙な境涯にある歌だと言うべきか。
 
 

☆ 境涯
 

ある(  )らず無きまた(  )らずなまなかにすこしあるのがことことと(  )る   道歌

 西山松之助さんの絵入りの美しい本で見つけた。「瓢箪の繪」に「狂歌」とあり、だれの作ともよく知れず、西山先生自作と拝見しておくことにした。作者はこの際そう問題ではない。やさしい出題ではなかった。三箇所ぜんぶ同じ一字で埋めるように強調してあったのに、別の漢字を押し込んできたのが数人いる。「問題をよく読め」と受験技術としていやほど強いられた反動か、のんきに気ままにしたいのだろう。
 瓢箪から駒といっても、もう通用しない。まして瓢箪に酒など入ったさまを想像できる学生は少ない。いないかも知れない。だから、振れば「ことこと」でも「ちゃぷちゃぷ」でも「鳴る」さまに想い至るのは難儀である。
 まして一種の道歌とも読める諷喩の歌、意味を取って読まねばならない。狂歌を面白く正しく読むのは、そうやさしい作業ではないのである。
 瓢箪のなかに酒が、実でもいいが、いっぱい詰まっていたなら、振っても鳴らない。まるで詰まっていなかったら鳴りようがない。「なまなかに少し有る」のが鳴るのだ。「ことことと」を、気ぜわしく小うるさい感じに読めば、そこに人柄も見えてくる。中途半端にしたり顔のやつほど、なにかにつけ小うるさい、と、まことに耳に痛い狂歌である。白嘲と自戒の意味で学生諸君にあたまをさげておく気分もある。東工大にも合格、とかく自信満々の高校生あがりにちょっと先手に出て冷や水をかけてやり、わが田に引き入れようとの作戦でもあった。
「ある有らず無きまた有らずなまなかにすこしあるのがことことと有る」と入れてきた学生がいちばん多かった。禅問答めいて面白いが、「ことこと」で落ち着かないのが惜しい。
 

ひきよせてむすべば柴の庵にてとくればもとの(  )はら成けり   慈圓

 これは大勢の学生が「野」を正解した。「草」としたものが五四九人中の四〇人、出てきた漢字は約四〇種類もあったとはいえ、四一七人がやや説経じみる歌の意味も境涯もほぼ理解していた。つまり、どこか歌一首に理屈の気味があり、そういうところは数式を読むように東工大の諸君には「解」けてしまうのであるらしい。
 

難波江に(  )からんとは思へどもいづこの浦もかりぞつくせる   谷崎潤一郎

 谷崎とは親友の作家佐藤春夫のもとで、母千代と暮らしている娘鮎子から、「送金の催促のありけるに」、返して詠んだ谷崎の和歌である。授業では『蘆刈』を読んでいる最中だった。うたの背景や由来は事前に説明し、しかも例外で、ここの一字虫くいはもともと平仮名の「あし」になっているけれど、意味を取って漢字を入れるように。それも「蘆」や「葦」は、あまりに「蘆刈」過ぎてこのさいは採らないよと念を入れた。
「あしからん」には、むろん「蘆刈らん」が下敷きになっている。掛け言葉や縁語のことはよく知っている秀才たちであり、だから「悪からんとは思へども」と五四三人の三一七人が答えたのは、いい線だと思った。しかし下句の「かりぞつくせる」の「刈り」ならぬ金はもう至る所で「借りぞ尽くせる」の意味まで取っての「悪」かどうかは、メッセージを読むかぎり覚束ない感じであった。ただ「あし」を「悪し」とうち重ねやすかったようだ。理屈を言えば「悪」一字は「あく」で「あし」ではないのだから。
 わたしの期待した字は「銭」つまり「おあし」「お金」であった。すると「かり」も、「刈り」含みの「借り」にうまく引っ掛かる。「浦」も「裏ぐち」めき、借金してまわる感じが出る。「銭」はしかし一人も入れなかった。お金「お足」の意味ですと断って「足」とした学生が二人、借金を頼む意味の「助」を「あし」と無理訓みしたのが一人あった。
 谷崎の歌は本人も断っているが昔ながらの「国風」つまり和歌づくりになっている。そして和歌の読みは俳句の読み以上に若い人には苦手とされている。掛け言葉や縁語を幾重にも読み解く語感や生活体験が乏しいのだから仕方がないなとも思う。
 

長き夜を(  )は釘を打つてゐる   佐藤 春夫

 ついでに谷崎とは因縁深い親友の佐藤春夫の句を読んでもらった。なかなかの秀句で不気味な気がするとか、来週の正解が楽しみだとか言ってくる。みな、この独特とも、どこかで聴いたような感じだとも言える調子にひかれている。そうなのである、あの、芭蕉の「秋深し隣はなにをする人ぞ」にこの佐藤の句はまるで返事でもしたような句なのである。
「長き夜」で「秋」という季節を読みうれば、「隣」は早速出てきそうなものだが、五五六人中のたった六人が正解しただけ。圧倒的に多いのが字はいろいろでも「しづく」では情けない。次に「女」「私」「男」と続き、「心」「雨」「時」「娘」「狐」「夫」「父」「君」「妻」「汝」「敵」「頭」「妾」など約七〇種もの文字が舞いあがった。なかには「怨」「嫁」「奴」「命」といった興味ある深読みもあった。みな必死で詩人になってみたが、「隣」の出にくい事情もよく分かる。壁一重の長屋住いが地を払ったわけではないが、そんな物音に詩を覚える環境では今はないのだ。「隣」でない文字のいくつかにわたしは評価の点を惜しまなかった。
 
 

☆ 安住
 

ほそぼそと心恃みに願ふもの地( )などありて時にあはれに     畔上 知時

「心恃み」には「こころだのみ」とふりがなした。平易な歌と見えて学生諸君には分かりにくいところがあると見えた。例の熟語さがしがはじまり、それにもかかわらず、「地蔵」がどっと出たものだ。心頼みにお地蔵さまを担ぎ出したわけだ。しかし「心頼み」と「心恃み」とは意味が違う。頼むは願うの筋だが、恃むはむしろ自負する、よりどころにする意味である。心のうちで、ひそかな誇りにも自負自尊心の拠点にもしているもの、矜持。ただ、この歌ではそれへ「願ふもの」という物言いがくっついている。微妙なところである。屈折も見える。
 笑ってはいけない、「地所」「地価」というのがあった。何人もいた。これはこれで一首として成り立っている。侘びしいけれど成り立っている。広くはないが地所持ちなのである。地価もそこそこである。それがその人の日々を支えている。立たせている。安心させてくれる。でも、そんなことに安心立命を求めているのかと思うと、われながら「時にあはれに」思われもする、と。「地面」よりもいい。「地球」となると気が疎くなる。「地道」では歌にならない。「地裁」という裁判所の登場には笑った。しかしこれも分からぬではない。なにか裁判沙汰があるものと読んで読めないことはなかった。
 原作では「地位」である。なるほどと思う。この作者はまださほどの「地位」に達していないのだろう。あるいはもう一段も二段も上の「地位」を「願」っていて、その地位に安心・安住の確かさを求めているのかも知れない。ともあれ「地位」は小さくも大きくも力である。立つ瀬として、無いより有って欲しいと人の望むものである。しかし望めば叶うものでもなく、望む気持ちがつよいとへんに浅ましく、だいいちそんなものへ自負心の根拠を感じること自体、自分で自分が「あはれに」なる。

ほそぼそと心恃みに願ふもの地位などありて時にあはれに

 サラリーマンであった、この作者は。中間管理職としてながい経歴の人であった。わたしが入社したときに課長補佐であった。直属の上司だった。わたしが二足草鞋を一足とびに退社したとき、別の部の部長だった。わたしが作家活動をはじめたあとで、歌集をいただいた。そのなかにこの歌も入っていた。いい歌だなと感心した。ちょっと涙ぐんだ。
 東工大の学生に、「地位」「名誉」「自由」の三つから最も関心あるものについて書いてほしいと頼むと、まず「地位」だった。「名誉」と「地位」とは繋がっていて、どっちも大切な無視できない人生の目標だと言う。「自由」はさきの二つを手に入れたとき自ずから自分のものになっていると言う。ホントかな。そして相当数の学生が、「東京工業大学」の学生であることをはっきり「地位」であると言い切っている。
 おそらく東工大の学生の想い描いている「地位」と、この畔上さんの歌にいう「地位」とでは、色合いすらも違うようである。上どころの医学書専門の出版社だった。約三〇〇人。そんななかに役職はいっぱいあった。ひどい時は五、六人に一人が管理職だった。組合へのスト対策だった。そこでの「地位」などおよそなにものでもなく、しかも「ほそぼそと心恃み」にそれを「願ふもの」とするしか励みのない日々の安住。だが、それが小市民社会の「常」なのである。そういうことも東工大の自負心つよき学生諸君には話しておきたい。そうわたしは思った。歌を「地位」と読んできた学生は少なかった。「地蔵」よりもよっぽど少なかった。「地位」観があまりに違っていたということか。
 

妻の手は軽く握りて門を出づ(  )の日一日加はらむとす     畔上 知時

 奥さんは存じあげない。お宅の様子もまったく知らない。かりに作者のお人を知らなくても、ま、これは出勤の情景だろうと思う。それ以外は考えないだろう。ところが学生諸君には、逆にだかなんだか、そのへんが見えてこないらしい。仰天するような読みが四〇種以上も出たものだ。
「晴の日」「雨の日」「雪の日」「風の日」などは、つまり歌の意が読みとれなくて、なげているのだ。「春・夏・秋・冬」また、しかり。「旅の日」がバカに多くて、五四六人中の一四八人もいたが、要するに意味不明。「母の日」でもよく考えれば見当を逸れている。
「幸の日」を「さちのひ」と読ませて、これも考えたほうだが、新婚さんをイメージしたにしても他愛ない。ま、愛妻家ではあるのだろう、わるい情景ではないが普通の情景でもない。ただ「妻の手は軽く握り」に、熱愛の不足をみる若い人のいたのには驚いた。むしろこの歌人にとっては「手は軽く」という表現にこうした儀式の普通の感じ、日常に繰り返してごく普通の感じが歌われているのだろう。つまり「祭の日」「晴の日」などでなく「常の日」が正解なのである。正解者、わずか一二人。
 こういう文字も、だが、味わいがある、いわく「並の日」いわく「老の日」である。しかし「常の日」の決定的な感銘には及ばない。悟りにちかい諦念の静かさ。また温かみ。微温的といえばそのとおりでも、「妻の手」を強くも熱くもなく「軽く握」って出勤していくことを「常」となしえて動揺のない日々である。これまた東工大生の誇り高い未来図とは違うであろうだけに、こういう「常の日」の実在する人の世だとは、お節介もいいところだが、ちょっと知らせておきたいではないか。

妻の手は軽く握りて門を出づ常の日一日加はらむとす

 だが、付け加えておこう。なんとこの虫くいに、「罪の日」と入れた学生が、五人。これは深読みが利いて、なかなかおそろしい。また「嘘の日」と入れてきたのが、一人。思わず捻った。たった一字が、天と地ほどの別の歌に変貌してしまう。表現の怖さである。
 
 

☆ 不思議
 

大きなる(  )があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも     北原 白秋

  やさしい歌ではない。リアリズムかどうかは別としても、シュールな印象である。それでも「上から卵をつか」んだと言うのだから、「手」でどうかという答が四二三人中の、一四八人から提出された。他のどんな漢字よりも多数であった。
「陽」「日」と答えたのが、五一人いた。「雲」が三九人いた。上句にはともかく、これで下句を解釈するのはよほど太陽や雲を擬人化しないと無理っぽい。「影」も五〇人いて、まだしも「つかみ」やすい。「鳥」が三〇人で、さらに「鷹」「鳥」「鷲」などとも具体化されているが、「昼深し」との関連がつかみ切れない。「卵」は、どういう形態でどこにあるのか、その読みが不明である。木の上の巣に置かれた卵なのか。やはり「昼深し」が読み切れない。
「蛇」の九人。これは、こわい。ぬうっと垂れてきた感じが「昼深し」とどこかで馴染んでいる。しかし「蛇」は「卵をつか」むか。手は無いのである。
「顔」が面白い。昼下がりの食卓。背後から「大きなる顔があらはれ」て、いただくよと食卓の上の茹で卵をつかんだ……。なんとなく物憂い午後の印象になる。「鬼」「魔」となるといっそユーモラスの気味もただよい、おもしろい。
 ほかにもいっぱい漢字が出た、が、正解はやはり「手」でいいと思う。端的でかつ妙に不思議である。しかもなに不思議もないのである。「昼深し」と感じている歌人の心が、不思議でないものに不思議を見ているのである。そういう刻限なのであり、「手」も「卵」も、なに不思議ないものなのに、不思議をはらんだものなのだ。「大きなる手」に人類は超越者つまり神や仏の威力を感じてきた。詩人リルケはものみななべて無限に落ちていく存在であるが、それらをみな受け止める「大きなる手」があると歌っている。孫悟空は卓越した神通力をもってして仏の手のひらから脱出できなかった。そして「卵」は、これほど奇妙な物思いをそそるものもない。まさに命をとじこめた殻であり生きた殻である。

大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも

 科学のよく説明しきれない不思議な美が、この歌にはある。
 

三輪山の背後より不可思議の(  )立てりはじめに(  )と呼びし人はや    山中智恵子

 同じ漢字を一字と指定した。
「三輪山の背後より、不可思議というよりない(  )が立ちました。あれをまぁ……( )と最初に呼んだ人は……まぁ……」
 こんなふうに読み取れば、もうこれは「雲」でも「霞」でも「霧」でも、また「神」ですらなくて、神にも似た「月」をあてるしかない。
 こういう歌は理屈で受け取ることができない。歌われているその場へ、その光景へ、じかに身を置いて感じるしかない。「名」は「体」を表すと言うけれど、「名」は名に秘められた神秘と真実とを体しているのだと、「真言」信仰は生まれた。「はじめに月と呼びし人」は、あの「月」の一切を真如かつ明々白々、悟了していたのだろうか……という嘆息と賛嘆。
 学生諸君から「月」は出てきたけれど、山中智恵子の短歌は理解しにくいものであるらしかった。
 

通用門出でて岡井隆(  )がおもむろにわれにもどる身ぶるい     岡井 隆

わが合図待ちて(  )ひ来し魔女と落ちあふくらき遮断機の前     大西 民子

 これは、べつべつの二つの漢字で答えてもらった。
 岡井隆「様」「君」「師」「殿」「卿」などが多かったが、それならば、もうすこし無機的な、岡井隆「氏」が、べたつかず、歌の意図に適っていよう。二〇五人の教室で、四八人が「氏」を選んで虫くいを埋めた。
  だが、それだから歌の意図するものも読み取っていたかというと、これは、かなり、あやしい。同じことは大西の歌にも言える。大西の歌のほうが岡井のよりもっと難しく、不思議な歌だと思われたろう。「向ひ」「葬ひ」「襲ひ」「言ひ」「誘ひ」「惑ひ」「集ひ」「笑ひ」などと、なんだか苦労した感じの漢字ばかりだが、それで一首の歌が読めたというようでもない。一人だけ、「よりそひ」と漢字一字にはならない答が出ていたが、ややちかい、か。正解の「従ひ来し」とした学生は、数えるのも気のひけるようなごく少数だった。
  岡井の歌、大西の歌。いったい、なにを歌っているのだろう。

通用門出でて岡井隆氏がおもむろにわれにもどる身ぶるい
わが合図待ちて従ひ来し魔女と落ちあふくらき遮断機の前

「岡井隆」が「岡井隆氏」であったが、「氏」がとれて、また「岡井隆」である「われ」へ、「おもむろに」「身ぶるい」して「もど」ったというのである。その場所ないし時点は「通用門」を出た時・所だというのである。「通用門」とは勤務者が内輪に出入りする門であり、これは「出で」る時、つまり退け時、である。岡井隆という人間は、「通用門」を入れば余儀ない別の表情や意見や態度の「岡井隆氏」にならざるをえない。そのことが不満だと歌は示していない。しかし「通用門」を「出」てしまえば、待ちかねたとも言ってはいないけれど、「おもむろに」「身ぶるい」してもとの「われ=岡井隆」に「もどる」のである。そういう日々の繰り返しを意識して続けている岡井隆であり「岡井隆氏」なのである。むろんこの歌はまださきが読める。もっと観念的なところまで読める。
 だれしもが変身の劇を秘めもっている。一つの世界から、機あって、別の世界へ。その境の「門」をこの歌では「通用門」と言っている。事実どおりの次元を超えてこんなふうに読めば、この「通用門」とは、普通名詞としての岡井隆=人が、「いつも通る門」「繰り返し往来する門」「表向きでない我独りの門」とも読める。そういう「門」を、だれもが心のうちにもっている。「だれしもが秘めもつ門」である。「われ」が「われでない」世界があり、「われでないわれ」が「もとのわれにもどる」時も場所もある。
 面白いのはこの歌では、「通用門」の内では「われ」でなくて、外へ「出で」て、のがれ「出で」て、「われにもどる」のだと、「岡井隆」が「岡井隆氏」に向かって言っている。ただし価値判断をつよくは示していない。
「おもむろに」「身ぶるい」も面白い。魔法でもつかうようである。大喜びで「身ぶるい」したとも、やれやれというおぞましき「身ぶるい」とも、どっちとも断っていないが、やはり「氏」の一字に、批評がある。
 さて大西民子の歌では、「通用門」よりもっと毅い「遮断機」という表現をとる。ここでの「われ」と「魔女」とは、異世界を踏みこえて変身の間際の、まさに「同じ二つの顔」に相違ない。合体するのである、「遮断機の前」で。「われ」の中にいつも「魔女」はひそみ、「魔女」として生きるという自覚が、「遮断機」の向こうでの「われ」の真実の暮らしなのである。「遮断機」のこっち、つまりは世俗の仲間たちとの勤めっぽい世界では、しばらく「魔女」は顔を隠していたのだろう、しかし、時機がくれば「合図」し合わせて「魔女」は「われ」に、「われ」は「魔女」に成り合って生きる。「魔女」とは「われ」にとって生きの尊厳なのであろう。「遮断機の前」はそのことを確認し合う秘処なのだ。
 勤めの退け時、通勤途上の踏切などに打ち重ねて想像してみるのは、さきの岡井隆の歌と同じだが、ただ、そこで読み止まったのでは面白くない。
 岡井の歌も大西の歌も、これは「自身」及び「生きる」ことへの紛れない「愛」「自愛」の表現のように、わたしには、想像される。
 このような歌から、学生諸君のなかに、「仮面をかぶる」また「もう一人の自分」「ほんとうの自分」などへの自問自答がはじまり、たくさんな実り多い議論がはじまっていった。
 
 

☆ 平和
 

鶴を折る ひさびさに鶴を折るゆびの指の記憶の根もとに(  )火     佐佐木幸綱

  少し意地悪な出題を意図していた。学生たちは作者について何も知らない。俵万智の先生だよとでも言えば、何人かはうなずいたかも知れないが、佐佐木信綱の孫だと言っても、
その信綱についてなんにも知らない。幸綱がどれほどの年輩かも見当もつかない。ある意味で、だから、なんらかの解説もかえって必要がない。純然、歌だけを読んで、虫くいの一字を思案してもらえばよい。
 だれかに聴いていたが、本当に東工大の学生は、「人」の知識に弱い。定家でも光悦でもなかなか通じない。現存の人なのに例えば大岡信も加山又造も意識にない。俳優でも、かつて好感度ナンバーワンを誇り、いまだにテレビドラマ「大岡越前」を演じているような加藤剛が、全然通じない。中村吉右衛門の熱い贔屓にたしかに出会いはした、が、同じ名前に一滴の記憶もない学生のほうが圧倒的に多い。これでは「工学部(文学)教授」も、好きな話題で学生を煙にまくことが、なかなかできない。私事にわたって恐縮ながら、太宰治の名はさすがに知れ渡っていても、わたしに太宰治賞を与えてくれた選者たちの、幸い井伏鱒二は何人かが知ってくれていても、石川淳、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫といった先生方の名前は、まったく、小気味がいいほど通用しない。自慢のしようもない。
  詩歌を語っても、だから詩人・歌人・俳人の固有名詞はほとんど意味がない。石川啄木とか与謝野晶子とか正岡子規とかであればまだしも、現代の人では、まず名前自体が無意味な記号にすぎない。だからこそいちいち知識としても紹介し解説すべきか、だから、そんなことはいっそ無用にして表現の完成にだけ集中してもらうのがいいか、兼ね合いは難しい。どっちみち忘れられてしまうだけの名前なら、拘泥しないで作品にだけ意識をあつめるのが、結句得策なような気が、つい、してしまう。わが短歌大学の行き方である。
 出題したこの歌では、「ひさびさに」蘇った「記憶」の「根もと」にポイントがある。ところが学生は、この作者の歌う意味での「記憶の根もと」を、まず、年齢的にも共有していない。その意味で出題自体が意地悪なのである。
 一字を埋めるヒントは「鶴を折る」にしか無い。しかし「鶴を折る」記憶をただ日常の遊びとしていくらもっていても、作者のここに謂う「記憶」とは重ならない。たとえ病気見舞いに千羽鶴ぐらいを想定してみても、まだ遠く届かない。
「燈(灯)」火という答が、断然多かった。半数をほぼ占めていた。温和に懐かしい故郷での、自宅での、親兄弟友人たちとの少年少女時代の思い出歌がそこに出来上がってくる。しかし一首の表現として「指の記憶の根もとに燈火」は、弱い、というよりも妙にチグハグである。「ともしび」では、もっと弱くなる。突き放して言えば、意味を成していない。
 ほかにもある。引火、放火、着火、花火、種火、炭火など、みな苦しまぎれのデタラメでしかない。それでも「残火」となると、正解を知ってから遠回しに読めば、いくらかジンジンと疼く感じはする。「送火」「埋火」にもいくらかの趣味は覚える。だが、一首の歌のなかに先入主なく一字一字を置いて読む限り、やはり体を成していない。
 正解は、とはいえ作者の原作ではの意味だが──、「戦」火である。「鶴」を、平和への祈りと重ねて読めば、やがて「戦火」という作者の思いへ突き当たる。戦火に遭遇したことのない学生たちでも、突き当たる。まさしくそのような語感と六感から、原作者と同じ一字の「戦」を正解していた学生が、二五〇人ほどのクラスで一〇人を優に超えていた。すこし感動した。あぁよかったと、意地悪をしかけたのも忘れて、嬉しかった。でももうちょっと大勢いてくれてもいいのにな……。
 平凡な歌ではない。「指の記憶の根もとに戦火」などは凝った表現であり、「鶴を折る」で一字分のアキを置き、「ひさびさに鶴を折るゆびの」と追いかけ、さらに「指の記憶の」と畳み込む流れには勢いがある。練達の人の玄人ッぽい歌いくちであり、余裕がある。遊びもある。そのためか逼迫感はよくもあしくも減殺されている。そこが一首の長でも短でもあろうか。
 学生諸君は、だが、歌一首の意図に察しをつける前から、「(  )火」と続く熟語さがしに、ともあれ奔走してしまうのだ。せっかく「戦火」としながら「せんか」でなく、ぜひここは「いくさび」と読みたいと注した間延びな解答もあった。納得しにくかったが、そんなふうにも思いめぐらしてくれるのはありがたい。なにも作者の原作どおりでなければならぬとわたしは思っていない。詩として成り立つ別の文字を「創出」してくれれば、そのほうがと言わぬまでも、それも「文学」教授にはありがたいのである。
 戦争の体験・経験・見聞に疎い二十歳の学生に、これはやさしい出題ではなかった、が、もう二十歳の知性たちであれば、思い至るのに無理な「戦火」だともわたしは考えない。正解できた学生は素直によろこび、当たらなかった者も、解説と鑑賞とにそう抵抗なく耳をかしていた。共感の余地はたっぷりあるのだ。ついでに歌集『リラの風』からこんなのも黒板に書いておいたら、これは大方が正解していた。
 

地球よりベルリンの壁が消ゆるとう( )でしょう夢のような秋の日  冬道 麻子

「幻」とか「春」とか、しょせん短歌の何であるかなど念頭にない当てずっぽーの飛び出すのも毎度のことだが、九割以上がこの歌の、「嘘」一字を読み当てて外さないのは、いろんな意味で歌が若いことに理由があるだろう。歌は若くはないが、読み手の若さがいわば「知識」として正解を得やすいもう一つの例も挙げておこうか。やはり佐佐木幸綱の歌集から抜いて、点数の足りそうにない学生ヘオマケで読ませてみた。
 

鰤の刺身の皿に波立つ冬の海越の(  )梅越の(  )鰤   佐佐木幸綱

 鑑賞もへちまもない。端的にこれは有名な銘酒「越乃寒梅」を「知って」いて、九割がたが正解した。だが知らなければ「白」「紅」「金」「銀」などと答えてくる。「寒」の詩情を一首の短歌からさぐるよりも、どうしても局所の熟語だけを求めるからだ。そういう理系の二十歳に少しずつ詩歌の詩心と表現とを味わい知ってもらいたいと思い、願い、出題用の短歌を何十何百万ものなかから選び続けるのも容易なことではない。だが、楽しい。
 

若きらが親に先立ち去ぬる(  )を幾(  )し積まば国は栄えむ

人は縦しいかにいふとも世間は吾には空し子らに後れて     半田 良平

 前の一首の二つの虫くいが、同じ漢字ともべつべつの漢字とも指定はしなかった。第二首は参考までにただ添えた。
 半田良平はじつに気の毒な子別れをしてきた人で、三人の愛する息子に上から相次いで死なれ、三男は兵としてサイパン島にあった。半田は病床にあった。やがて守備隊玉砕の報は、日本中を動揺させた。国民学校の生徒であったわたしも、その報道のあった日の新聞を沈痛にながめた記憶がある。
 だがそういう説明すら必要としないほど、歌は訴えている。戦争の戦の字も出ていなくても、これは察してくれると思った。
「たぶん戦死の若者を歌い、戦争の無意味さ、かなしさを歌ったものと思います。」「戦争の道を進む日本への批判がじんときました。」「戦争で子を失った親の無力感があらわれている。そういった人にとって国の繁栄などは意味をなさないだろう。」「戦争で我が子を失い、国の軍事政権に対する批判の歌と思える。若者の親に先立つのが一の親不孝。こんなことを繰り返してどうして良い国家ができようか。そのような鋭い良平の気持ちが胸にぐさっときました。」「戦時には死を勲章の対象扱い。身内にとっては何になる。『お国のため』なんて言葉は無意味になり、なにも残らない」。
 こういう感想が続出していた。どこか幼くも感じられるが、また無視も軽視もしてはならない感想である。
 さて両方に同じ「世」と入れて正解したのは、一年生二一〇人中、一四人。「日」が多かった。ちょっと「日」では寸も幅も欠ける。また「年」でもいい意味の抽象化が足らず、
また読みもなだらかでない。
 半田は「玉砕」を知って、他にこんな歌も残している。

報道を聴きたる後はわが息を整へむとぞしばし目つむる
生きてあらば彩帆島にこの月を眺めてかゐむ戦のひまに
つはものの数は知らねど相つぎて声を絶えたる洋中の島
独して堪へてはをれどつはものの親は悲しといはざらめやも

若きらが親に先立ち去ぬる世を幾世し積まば国は栄えむ
人は縦しいかにいふとも世間は吾には空し子らに後れて

 これらの歌を病弱の歌人のただの気の弱りなどと言える人はいまい。涙なしにこれらの歌を黒板に書くことも、読み上げることも、わたしにはできなかった。激情と悲痛とをここまでよく押さえながら、そのためにいっそう痛切な「うた」になっている。しかも、である。「国は栄えむ」と、なお、日本の国への愛を、肯定を、この歌人は喪失していない。つよい人である。精神の健康を感じる。
 

二十万人の一人といへど忘れめや被(  )者わが友新延誉一     友広 保一

「被害者」「被疑者」「被災者」などもあった。しかし「二十万人」が何かを被ったといえば原爆を考えるのは日本人としても人間としても戦争をおそれ憎む者としても、当然である。「被爆者」ないし「被曝者」が正しく、原作は「被爆」を採っていた。
  言うまでもないが、「二十万人」に重きをおくのでなく、「一人といへど」に重きがある。その意味で、われわれにはどこのどういう「新延誉一」さんだか分からないままに、この固有名詞、その人そのものの命の重さがじつに明瞭に把握できる。「にいのべ」と苗字は読むのだろうか、固有名詞の使い方がなんとも言えず巧みで表現効果をあげている。
 南京での日本軍による中国軍民への虐殺が問題になるといつも、その人数を問題にしてデッチアゲ呼ばわりする代議士らがいるけれど、「何十万人」がかりに「何人」なら許されるというのかという根本の問いには、けっしてかれらは答え得ない。
 この歌にも言う、「一人といへど忘れめや」なのである、死なれた者には。
 もとより日本軍だけが虐殺したのではない。そんなことはすこし物の見えた目には知れた話である。だから、日本人なのに日本人の犯した悪事を言うな、追及するなというのは、だが、知性ある正気の言動だろうか。無差別に原爆で市民を殺した者らへの抗議も怒りもわれわれは言ってこなかったのではない。ただ、それをもって例えば南京虐殺等の非道を帳消しにしよう、日本人同士では、言わないでおこう、口にする者は国に利益しない敵同然だなどというバカげたことは、断じて言わないのである。
 けじめけじめでは、わたしは、むしろ努めてこういう話題で学生諸君に物申すことを己が義務と心得てきた。教科書検定にも反対し、自由教科書がいいとも断言した。「君が代」にも反対した。その歌詞と音楽性の低劣のゆえにも反対した。「日の丸」は受け容れるとも言った。また教育を官僚が私物化してはならぬとも言った。大学の自治は学生の自治と不可分であるとも声を大きくして、自治会を再建するように勧めた。みな、あたりまえのことを言ってきたと思っている。  ──以下・下巻──