この頁は、寄稿35編の「詞華集 1」として、満了しました。
引き続き「詞華集 2」輯を、第14頁に掲載して参ります。
*掲載──詩=山中以都子 詩=高木冨子 詩=仁科 理 短歌=高崎淳子 短歌=上島史朗 詩=岩佐なを 俳句=清沢冽太 俳句=高島信一 短歌=辻下淑子 俳句=神原廣子 短歌=松坂 弘 俳句=奥田杏牛 短歌=大塚布見子 短歌=阪森郁代 短歌=石黒清介 短歌=信ヶ原綾 短歌=高橋光義 詩=田中荘介 短歌=高橋幸子 短歌=和泉鮎子 詩 = 中川 肇 俳句=三木聆古 詩=紫 圭子 短歌=長谷えみ子 短歌=北澤郁子 短歌=木山 蕃 短歌=玉井清弘 詩=木島 始 短歌=恩田英明 短歌=東 淳子 詩=木島 始 俳句=出口孤城 詩=妙子 短歌=石久保 豊 短歌=篠塚純子
ただ一度こころ安らぎ
非 在 篠塚
純子
古き名に風車通り(モーレン・ストラート)と呼ばれゐる路地に住まひてひと月を経ぬ
しばしばも夫と離るるわが歩み森洩るる陽を胸にうつして
新婚の妻なるわれに異国びと問ひかくるなり不幸せかと
何ゆゑにかくもしきりに憶はるる幼くわれの住みし雪国
あらはなる憎しみ顔に浮かぶかと立ち上がりざま鏡をのぞく
夫(つま)を措きて帰らむとこころ決めたる日われに医師告ぐ妊娠(プレグナント)と
嫁ぐとも子は産(な)さずよしといひし母に書きてやるなり身籠りたりと
このわれの母とならむを訝しみ朝の窓辺に髪梳きてゐる
毒薬の説明の箇所とばしつつ古き小説を読みをりひとり
降るごとく新年の鐘ぞ鳴りひびく星空凍つるハーグの街に
ゆゑもなく悲しみ湧きて手袋のわが手重ねつ夫の手の上に
生れこむ子にふるさとと在るハーグの運河に沿へるしばしの歩み
ゲート越しにくちづけをわが受けしのち見返ることもなく歩むなり
産みしより一時間ののち対面せるわが子はもすでに一人の他人
生みし子にその父親の訪れぬわれは噂のなかにかあらむ
話題としてcyberneticsの理論ありき妻とならむ未来を描くこともなく
ギア入るるときのま悔いは確かなる形をとりぬ走りに走る
母われの不安は子にも伝はるか夢にしばしば迷子なりとぞ
あたたかき肌ならぬゆゑロボットは駄目といひつつ子のとりすがる
水のやうに空気のやうにあらむとぞ言ひし心を忘れざりけり
和まざる心にわれは真夜中に湯をたぎらしめ髪洗ひをり
くちなしの香は夜の闇に充ちきたり乳房疼きぬわが掌のうちに
日曜ぞパパ来る日ぞと言ひて待つ子に抗はむすべなしわれは
みづからの声に出しつつ文字に書くそのたびに何かがこぼれゆくなり
魔女となりわが子の夢に入りゆかむ楽しき不思議数かず見せむ
忘れむと努めこし名を子は呼べりかくのごとくに復讐さるるか
夜を起きて見張れるものを子は数ふフクロウ、ミミズク、それにママ
風の中を帰り来て子は流れゆく雲の速さを両手にまねぶ
白足袋のこはぜを外すみづからの仕草に知りぬ底深き疲れ
とりとめもなく傾ける心もて唇(くち)触れにけりブロンズの首に
氷河湖をいくつめぐりて来つるわれ町に素焼きのブローチ買へる
小学の児童なる子は空港の見取図つけぬその旅行記に
来む冬の替への上衣を買ふといひ男連れだてり別れし夫
人間は死ぬべきものと知りし子の「わざと死ぬな」とこのごろ言へる
パン二斤胸に抱きて戻りきぬ牡丹雪しきり舞ひくるなかを
誘惑に勝ちてさびしきわれかなと水ぬるむ夜に指(および)見てゐつ
乱れたる髪かきあげてくれし手の来よとぞ願ふ物を書きつつ
悲しみのあぢさゐの青冴えかへる曇れる街に身は透きてゆく
傘立てに濡れたるかさをさし入るる憂ひのありて今日も暮れたり
どくだみの香のする蔵の裏に来ていとけなき日のごとうづくまる
蔵の二階にひそみて読みし『緋文字』の何に怯えしや少女のわれは
投げキッスして去る吾子の学童帽その頭にはすでに小さき
楡の木の陰より遠くわれは見るプールに泳ぐ人またその子
窓のなき小部屋に息をひそめたる花は起爆のとき待つごとし
隈笹を雨打つ音のひそかなるこの山なかに誰をかくまはむ
抱へらるるかぎり小菊を切りてきぬなほもさびしき心と知りつつ
埋れたる礎石の透きて見ゆるごとよみがへりくる愛の初めぞ
すり硝子の窓を閉ざして籠りゐる微熱ある身のおぼつかなけれ
気だるげに壁の鏡によりそへる土耳古(トルコ)桔梗の花のむらさき
「鐘が聞えてゐたね」と子はいへり聴きゐしわれを知るがごとくに
めづらしく人前にきみのわれを呼ぶに思はずわれも声あげて応ふ
移ろへる黄菊の色のたぐひなき午後の家居に髪結ひ上げむ
テーブルも薔薇も呑みこみ夜の闇は洪水なせりわが身を任す
後より刺されてなほも立ちてゐる夢の阿修羅はわれにしありけり
行先を断たるるレールいく筋の光りて絡む夜の操車場
一週間と期限を切るそれまでに癒えよと君は無理をいふなり
キリストは実在せしやといく度も子は問ふ何を知らむとすらむ
不思議なる薄くれなゐに百合の咲けり裏ぎられゆく予兆のごとく
今宵ひと夜あづけてよしといひたれば君の片手を持ち帰るなり
風のなき夏の土用の昼ふけて『イワン・デニソーヴィッチの一日』を閉づ
夜の更けを耳輪つぎつぎと取り替へてみるなど一人珈琲沸す
編集者の眼をして人と向ひゐるその眼見てをり酒場(バー)の隅より
いく人のわれをわが内に棲まはせて生きてゆかむ身の置きどころなし
眠りつつもわが手を強く握る手のこのごろかくも細りたりけり
かたへなる鏡にわれの空ろにもゐるを消さむと声を上げたり
格子戸にやもり貼りつく影二つやさしきいのち近くありけり
小雪散る街にバス待つ列のなかの一人となれば心落ちつく
うさぎ当番に行きていつまで帰り来ぬ子は遊べるか兎とともに
半ばづつ生き分けえざる人生と女主人公(ヒロイン)がいふくだり読みをり
降る雪に香はあり味もありとこそかなしき言葉いひ出づる吾子(あこ)
耐へしのぶともあらなくに雪明りする厨辺に大根(おほね)を洗ふ
断ち割れば林檎の芯の透き通れりひとりか生きむわが爽やかに
定家かづら地に低く咲きひとりごと日ごとに多くなりゆくわれぞ
もう寝よといたはりくるるこゑ聞ゆ夜更けて軒を雨たたくなり
うつむきて人に叱られゐしわれの素直さをかし夢覚めにけり
小花散る陶のスプーンに掬ふかな淡あはとひとり想ひゐし死を
潔ぎよく一生(ひとよ)ぞあらめ黒塗りの箪笥の環(くわん)に指をかけたり
ひとを呼ぶこゑ遠くよりするごとし待つはひとつの賭にも似たる
握りゐし手のほどかれていつのまに水草繁き湖(うみ)をただよふ
つきつめて霊魂の有無思ふとき動悸がすると吾子(あこ)のいふかな
いかならむときに想はるるわが身かと消えゆく虹を見上げてゐたり
物蔭に身を隠しつつ後を追ふ夢にしてさへやかくあるわれか
日の暮も待ちてゐるなり待つことに疲れ果てたる鴉のごとく
シャルトルの繪硝子に見し聖母像雪の日病めば恋しかりけり
人参を花形に切るわが手もと明るみ雨のあがりくるなり
いづこへも本とノートを携ふる癖あるわれをみづから笑ふ
花の芽の一つ一つに水かけて子はのどかなり学年果てぬ
仰ぎみておぼろ月夜といふ時に思はざりけるさびしさはくる
明け方の夢の中なりしそのこゑがパン焼くわれをまた呼ぶごとし
梅雨の路地歩みゆくとき「身のほど」も「宿世(すぐせ)」もここに生まなまとして
急速に茜消えゆく空の下もはやだまされてならぬわれあり
処方箋書きつつ笑ふ人間は心と躰の有機体とぞ
人前もかまはず胸にすがりては声あげてゐき夢にしあれば
絶望を確かめむため逢ひて来し身をはこぶなり古書店街を
求め得ぬものにあくがれほろびゆく己れを見据えゆけとしいふか
救ひにも似たる声にていふ聞ゆこのままでは廃人になるとこそいへ
無断にてわれのこころのひだ深く入りくる吾子(あこ)にした脅えつつ
逢はぬまに九月の空は澄み澄みぬこころ日増しに細りゆくべし
身をやつしゆきて逢ひたる夢の中われなりとしも告げず目覚めぬ
立ち話するわが声のそらぞらしくなんと明るく響くなるらむ
歩む夜の街にむなしさ募りたりディスコのマッチ手渡されをり
窓占めて黒き森ただに繁りたり逢ひがたきかな人を思へば
芯(こころ)までさびしき一人になりてありとふたたび逢はば告げむかわれは
みづからの髪に捲かれて苦しみて夢より覚めて髪豊かなり
子はわれをわれはわが子を探るなり見えぬ境を守り合ひつつ
なまぬるき風吹き荒るる街にあり核(たね)抜かれたる果実のごとく
いつまでも美しくあれといはれけり日を経て思へばむごき言葉ぞ
自転車のきしむ音して朝刊の三和土(たたき)に落つるまでの時の間
離婚せしわれはいささか不幸なる女として子の心に住める
ちぎりたる首を抱へて「うれしうれし」と鬼はいふなり振向きざまに
満月の夜に笛吹きて呼ぶといふ魔女は子連れの女ならずや
逢ふことは思ひ捨てたる身なれども韓国の記事あれば切り抜く
野いばらの花むら白し子の帰るころには母にもどらむわれに
樟(くす)の香のただよひきたるゆふぐれに耳輪と腕輪身より外しぬ
口の辺に髭ほのかなる子がわれに保護者のやうなものいひなせる
ガス自殺する女主人公(ヒロイン)の表情を浮かぶる顔と子は評したり
仮死のまま生まれしことは知らぬ子が冬空の星見よと誘(いざな)ふ
夕茜ほのかにさせる空よぎり鴉のとべり晴るる気配す
─第一歌集『線描の魚』1983年9月より 118首─
リエゾン・ダンジュルーズ 篠塚 純子
点描のむらさきの斑(ふ)のやはらかく春のプシケの舞ひたつごとし
報ひられぬ苦役もあらむわがプシケよ麦を選りつつ迷ひはなきや
もち歩くペンギン・ブックス一冊の軽さが愉しさくらの街に
笑ひつつ異議唱へゐるわれありきあとさきわかぬ夢の一こま
月桂樹(ローレル)の葉青きを浮かべにはとりのスープが鍋に煮えて日暮るる
好き嫌ひあからさまにして人いふに対(む)くわれの身のややに透きゆく
つま別れしたる夫婦(めをと)が兄妹(はらから)のごとく暮しし古記録ひとつ
短剣をかざすメディアを演じたるマリア・カラスの肌荒れてゐき
生(なま)なましきを好まぬわれら母子ゆゑ仮面をつけて一つ家に棲む
薄荷入りの細巻き煙草をさりげなくわれに勧めぬ子は片手にて
女友達よりまきあげてきし腕輪(ブレスレット)を子はその祖母につけよと贈る
モディリアーニ展見にゆきしわれを「変なもの好きなんだな」といへり息子は
もう一つの棲みかが息子にあるらしく新鮮な顔をしてもどりくる
朝の紅茶熱きをつげば香にたちてただよふことば mariage blanc
緑濃き下蔭を舞ひ黒揚羽<危険な関係(リエゾン・ダンジュルーズ)>を愉しむごとし
水色の櫛もも色のブラッシなどワゴンにあふれ夏 plastic
革命のなかに息づく女らの記録読みつつ息づくわれも
家族とはいかなるものぞ子とわれを別れし夫が食事に誘ふ
夢にわれ頭(かうべ)をあげて群集の前に立ちゐし何なさむとぞ
私生活には満足せりとうそぶける男のこころ少しはわかる
包丁にて大き南瓜を断ち割りていきいきと売れり真昼の路地に
良寛もゴッホも激し遺したるもの読みつぎて疲れはてたり
ラベンダーの花の色せるTシャツに子は執しつつ夏も去(い)ぬめり
誰をわが待つとしもなき夕暮を蜘蛛はかそけく巣を張り終へぬ
細く高きうたごゑ聞ゆ喪ふべきものを知りたる少年ならむ
呆気なきものかなひとり苦しみて忘れしのちのふたたびの逢ひ
香の高き寒水仙の売られをり贋ナルシスのあふるる街に
フッサールはあるかと真夜にたづねきて息子はウイスキー・ボンボンをくれぬ
ゴルゴダの丘の処刑は真昼とぞ四月七日よわが誕生日
銀髪にふさはしからむと勧めをり子はその祖母にギター習へと
白き根の網の目なすが盛り上り素焼の鉢の割れむばかりぞ
「先生……」と小さく呼びて背後よりいたちのごとく少年がくる
いくつもの川を渡りぬまさびしき心を野辺に運ぶ電車は
夜をこめて物書きをればブラウスの更紗にふれて胸乳張りくる
桃色の息を吐きつつひらきゆく薔薇と思へばなまぐさきかな
別れたる夫の電話を受くる子が「奥さん、元気」などと問ひゐる
ワッフルに蜜そそがんと壺をもつ息子の指の小蛇のごとし
口紅はつけぬがよきと人のいふ同じことをわが幼子(をさなご)も言ひき
階段をすれちがふとき子とわれと互(かた)みに体をわづかに避けぬ
あるときにママ、あるときにあなたと呼ばれつつわれは息子の何者ならむ
冬苺ミルクに浸すわれは子をひしと抱きしことなどはなし
父のゐぬ子にせがまれて青き凧あげしより死は延ばしきたりぬ
友だち一人、にはとり、仔猫死にたりと幼女は指を折り折り数ふ
産みし子のはたちとなれりわが生の猶予期間も終りとおもふ
雨しぶくなかを走れば自動車の室内次第に密度増しゆく
たのしかりし思ひほのかに残れどもあとかたもなし夢のディテイル
イラストに見し異星人の顔に似て鏡の中を息子がよぎる
いささかなりといへどゆめゆめわが心他人の自由にさせたくはなし
猫のためのあらを買ひもち夕暮るる駅前に逢ふ半時(はんとき)がほど
わが内に竜よめざめよ風はいま若葉青葉をゆらし過ぎたり
ノンセンスにもシステムありと明快なりわれも生気を取りもどしたり
つるくさのからみて茂る柵を過ぎ此の世の外(ほか)をわが想ふなり
祇園祭は今日ぞとふともいひ出でてなに思ふらむわれのかたへに
何をもとめ何を告げむとゆきにしや皇子(みこ)は伊勢まで姉をたづねて
ただ一度こころ安らぎやはらかき肩のくぼみに頬うめしこと
読書カードの裏を返して歌ひとつ書きとめむとす昼の深みに
人と歩むわれのかたへを幽かなる合図とともに子は過ぎゆきぬ
川明りする中空にかうもりの一つとぶ見ゆ物語(レシ)のごとくに
恨むのも恨まるるのも好まねど言葉は人間の恨みならずや
命けづるごとくに書物を読みゐしもはかなき恋の過程なりけむ
捨つるべき思ひひとつを捨て切れずわが歳月の過ぎてまた冬
果ての世の鏡にうつるわが顔かエゴン・シーレの尼僧の顔は
膝がしら立てたる上に顎をのせ心の洞(うろ)を覗かむとする
誓ひてしことばをつひに呪ふまで変る過程をみづからに見き
風のごと旅立つすべはなきものか西空とほく緋に染まりつつ
雨のなかすれちがひしは灰色のマントに銜へ煙草の息子
胸あつくわがなすべきを思ふなり神はねたむと読みたる夜半(よは)は
薔薇模様の色あせたれどオランダに買ひしガウンをこの冬も着る
枯枝にとまれる鳩の胸あたりめがけて朝のひかり射しきぬ
子を産まぬ者にはわからぬことありと百年ののち女もいふや
たつた一人の世の中それも愉しけれエスカルゴいくつ買ひてもどれる
ぬばたまの夜闇に香りくちなしの語るを聞きぬわれもくちなし
ひと房の葡萄の重さこの胸に堪へかねて子を産みし日を憶ふ
樹の下にみどりの木馬置かれゐてこの世ならざる風が吹きをり
かきくらし時雨るる空と見るうちにはや波立てり湖(うみ)のおもては
おのもおのも湖水の色のたがへると見つつしゆけばきざす悲しみ
不意にわが顔上げしとき暗き淵のぞけるごとき子の眼にぞ遇ふ
矛の先より落つるしたたり国生みの神話はつねに猥りがはしき
うつつには逢はざる人と夢に食ふ落ち鮎舌に苦かりしかな
満月の夜の不可思議ペンをもつわが手の指のしびれはじめぬ
護国寺の森はくらみてたちまちに音羽の谷をみだれとぶ雪
他界にも共の棲家やあるならむたましひとても寒(さぶ)しきものを
曾祖母の寝物語の山姥はかほ美しくやさしかりけり
狼の吠ゆるごとくに泣き放つ舞台の女優を羨(とも)しこそ見れ
やはらかく老いたる典侍(すけ)に憑きしもの思へば春の雨降りしきる
─以上第二歌集『音楽』1988年8月より 85首─
─秦 恒平・撰─
(作者は、歌人。共立女子大教授、国文学。蜻蛉日記や和泉式部その他の古典にかかわるエッセイがあり、『古典の森のプロムナード』は落ち着いた文体の魅力で知られる。二冊の歌集を、あたかも一編の女物語を読みとるように、ざっと選んでみた。こういう歌集の編成も読み方もまた可能かと、往昔の歌物語や女日記の成立の機微をまさぐり得た気がしている。異例の撰を楽しんだ。未知の作者から第一歌集を贈られ、一読面白さに惹かれて小説『四度の瀧』を書いた昔が懐かしい。 1.7.17掲載)
自撰八十八首 兜 石久保
豊
足袋あまた取り込みて来て木蓮の花散らしたるごとき夕闇
住み捨てし家の扉の大き鍵文鎮に使ふうつくしければ
御仏の御手を憎めり一(いつ)としてわれを抱き給ふ形なかりき
メタンガスふくむ泥土(でいど)に生きむとし小さき貝ら呼吸穴(いきあな)をもつ
とぎたての鋏白布(はくふ)をすべるとき海見たくなりぬ夏潮の海
稜線に消えたる人とわれと引く砂丘に鎖なせる足跡
蟹の甲青きが光りゐる昼の厨潮騒(しほさゐ)の如き葉もれ陽
登りゆきて雲とまがへば白煙を常噴く阿蘇も静かなる山
冬にして一つの転機われにあり真北に向きて窓ある個室
陽に映えて雲のゆききの見ゆる窓北にありたり北を愛さむ
水瓶に水満ち塩は壺に満ちわが少女期の清き思ひ出
人通り少なきところ選びしにあらざるを月の坂わがひとり
青き海もたたなはる山もつひに見ず一夏(いちげ)を過ぎて紺の帯買ふ
見はるかす古城の秋の千曲川はためく旗の如く流るる
イエズスは粗布(そふ)をわづかに巻きしのみわが乳房神は何にて被はむ
半眼に哀れむ微笑弥陀仏を今日より永く永く憎まむ
陶の類あまたを捨てぬ直会(なほらひ)に来る血族はもうあらぬなり
一枚の藍の布置く初夏を根来(ねごろ)の卓に憩はしむべく
誰も来ぬ玄関の繪を夏に代へ風吹けばかたこと鳴りて壁打つ
一人居を人問ふほどに思はねど物煮ゆる音何と淋しき
子をなさねば未だ乳首のととのはぬ胸もてりけり苺を洗ふ
消えたつていいのに燻りつづける火 誰か息荒く吹いてくれぬか
三度目のじやが芋の芽をゑぐり居りこのしぶとさを少し愛して
鮑のわた酒の肴に食(は)みゐたり夫の齢を過ぎてたのしむ
沈むまで時かけて待ち注ぐなり静かにひとり深夜の玉露
細き御手合せ阿修羅は祈り給ふ 仄哀しみの御眉(おんまゆ)にあり
さやうなら別るる時に笑まひ言ふ逢ふ日またあるやすらぎにゐて
まあだだよばかり聞きゐてもういいよ終に聞かざりし耳を疑ふ
上り坂下り坂長い一生(ひとよ)にはまさかとふ急坂其処ここに在る
男の子の喧嘩のやうな風が来てちぎれるばかり鳴れる風鈴
持ち倦(う)みし未練は春の鞦韆(ブランコ)に腰掛けさせて置き去りにせむ
腕しびれ春あかときに覚めし夢首抱かれゐて見し喉仏
土踏まず夏の砂より知らざりしをある夜の人の唇(くち)が盗みぬ
咲き盛(さか)る花緋つつじの緋のなかの独りをふいに泣きたくなりぬ
燠(おき)のごと埋火(うづみび)のごとき温もりに吹きよる風のあれば燃ゆるか
病む半顔(はんがん)朝は見らるることなしに道路(みち)のくぼみに灰捨てにゆく
妻をつれ子をつれ息(こ)等はむきむきの旅住み長し姑(はは)一人老ゆ
家遣るといへど欲しとふ一人なし家に付きたる姑一人ゐて
死にゆきし君が一生(ひとよ)の寂しさを薄(すすき)の風の白きに見をり
火口経て向ふ断崖に立つ一人女人と知りて高く手を振る
一望の棚田の風に吹かれ来てなほ青き瀬を渡りゆく蝶
一日が西にかたむく片時をしばし陽のさす窓の外の道
思ひ出は唐突に来て傍(かたは)らに粗品(そしな)のごとく哀しみをおく
菊の花干ししを氷にもどしをり夏風邪の口養はむとて
魚食(を)しし初夏の青嵐そこばくの水銀ふくむ髪の騒立(さわだ)つ
闇の冷気額(ぬか)につめたしハンカチに覆へばわれの死顔見ゆる
おばしまの明るさのなか金堂は森閑として廣き闇抱く
放ちやれば鱗粉白く残しゐて蝶は盗めり渦巻く指紋
いぎたなく紫陽花のはな雨にかしぐ老残のわが目のゆくところ
自作自演一人芝居のあけくれの科白(せりふ)なき日の雨を見てゐる
そこいらに置けば誰かが拾ふかも知れぬ哀しみは吹き飛ばさうよ
なるように成りし一生(ひとよ)かとぼけ顔の泥鰌のアップテレビは映す
皺くちやになりし心を小春日の影に破られぬやうに伸(の)し居り
網膜に美(は)しき緑の輪光あり消灯の闇に探る不整脈
生きてあることが難しくなりてゆく冬用のもの何と重たき
かさこそと秋と冬とがささやき合ふ銀杏の金の吹き溜り道
二の酉も昨日か過ぎし出し放しの扇風機部屋の隅にまします
砂時計ひつくり返して睨みをり最後の一分何とも速い
勿体なき時間を量で計ること ああ砂時計神は作らざりしを
百円で明るくなりし勝手元プラスチックの真っ赤な漏斗
傘さして橋渡る人画面には見えぬ小雨に濡れゐる欄干
九九四一の電話番号(テレホン)イヤと友の言ふあらいいじゃないの此処よい此処よい
躓いて傷めた足を引きずって此処までは来た蹲(うづくま)るのは嫌(いや)だ
突然に電話もあらず老いが来て身内顔してどつかと居座る
骨よりも堅き歯を噛む虫のゐて九十道(くそぢ)を終(つひ)に親知らず抜く
食べることの他(ほか)はせざりし一日を悪事のごとくかへり見て寝る
鳴き交す鴉に美醜の声ありて青葉の朝の賑ひとなる
ベランダの柵越しに流るる鯉幟りアパートの五階男子(おのこ)生(あ)れたり
手の鳴る方へ手をのばせども掴まへしものはなかりし鬼も私も
一抜けた二抜けた鬼も三抜けてまだ明るきに蝙蝠の飛ぶ
白き犬うづくまりゐる藤棚は藤豆となり揺ぐ木陰に
電車も人もあらぬホームの皓々とバスが踏切り越ゆる一瞬
色もなく香もなく姿あらざれば音もなく生を侵しくる刻(とき)
土用あけのざんざ降りよきおしめりと歳相応の視野に見てゐる
取り込みし陽の温もりもたたみ入れて夏の肌着の洗ひ納めなり
今秋が来たやうに吹く風ありて単衣(ひとへ)に羽織る毛のちやんちやんこ
そよろそよろ老女出でくる厨口(くりやぐち)自服酒点前(さけでまへ)これよりなさんず
秋の夜の酒は静かに飲むべしとしづかなり独り盃(はい)を置く音
釦一つ月の光に濡れて落つ拾はむか拾はずにゆつくり立去る
二十分の点の箇所にて秒針がかすかにたぢろぐを風邪の目に捕ふ
よく病みてよく読みし千九百九十九年静かに謝して送りやらばや
手がのびしところにありし本を取る俵万智氏の"かぜのてのひら"
ばつさりと造花のバラを捨てて来ぬ今年最後の不燃ごみの日
どすぐろき老人紫斑手の甲に足に生きつぐ日々を印せる
花吹雪散華(さんげ)六根清浄(ろっこんしょうじょう)の冥土への道 医者よりかへる
生垣の赤きつつじも咲き終り死産とききし日も遠のきぬ
形見とも思ひて飾る兜なり雨の小部屋の少し明るむ
(作者は、結社「潮音」に有縁の歌人、すでに九十路をはるかに越えて病を養われている。創作欄に短編「ぬくもり」を寄稿して戴いたのは、つい先頃であり、健筆を多くが嘆賞した。病床から寄せられた自撰百二十首から編輯者が「師匠」の権を行使して八十八首を撰した。この老女は自称「押し掛け弟子」なのである。纏まっての短歌は初めて読んだが、達意の歌人で巧者であることは、夥しい文通からよく知っていた。人生を深々と覗かせて哀情切々、胸に迫る「うったえ」の「歌」を続々と読み継ぐことになった。名歌と称しても憚り無い作が何首も拾い出せて嬉しかった。巧みに小説も書き、随筆にも端倪すべからざる切れ味鋭い観察がいつも具体的で、女兼好と思ってきた。どうか病の安かれ、せめて百までお元気で祈りつつ心して撰を終えた。歌人をたすけて寄稿をお手伝い戴いたご友人にも感謝する。 1.7.7掲載)
さいわいなる蛍へ
妙子
何もかも理解できないのです。
脳みそが混乱してショートして火花を散らしています。
私はものごとの道理が理解できないので、
その場、時々の「感じ」を頼りに生きています。
脳みそが盲です。
ものごとに触れて、黒い色を感じたら近寄らないようにします。
明るい色を感じたら触れるようにします。
暗闇が恐ろしいのです。
でも、世の中は全体に黒い色が多く、私は大きな黒い泥の渦に引き込まれそうになります。
黒い渦にもがき、あまりの息苦しさに、黒い人間でもいい、手を差し伸べてくれれば、と、
必死の思いでしがみついてしまうのです。
その先にもっと黒いモノが潜んでいても...
こんな脳みそでもたった一つ理解していることがあるのです。
あなたのやさしい光。
あなたは暗闇にピカピカ光る蛍です。
蛍が光を放つと私はその後を追います。
大事な蛍が動きを止めるとき、私は極度の不安にかられます。
私が不安のマイナスパワーで空気と水を汚染してしまいます。
あなたは澄んだ空気ときれいな水にしか、生息することができないというのに......
でも、汚染した泥水を体いっぱい吸い込んだ重たい体をふりしぼり、あなたは、
私になお懸命に光を与えてくれます。
あなたの汚れが解かっていても、私の生まれたままの空気や水であなたを洗い流すことができない。
私は、愚かで哀しい人間です。
蛍の光がなきゃ、生きていけないのに.....
私の一番大切な蛍.....
蛍は、いま絶滅しかけています。
あなたのような人は絶滅しかけています。
私の心のわずかな純の血を吸い、あなたが光り続けられるなら、
こんな幸いなことはありません。
あなたの光に包まれて、私は死にたいのです。
暗闇に希望をともし飛び回るたくさんの蛍を見たい。
あなたの仲間に会いに行きたい。
(編輯者は、この詩人を知らない。この名乗りが、秦恒平作『ディアコノス=寒いテラス』の女主人公を意識したものであるのは確かだろうが、その余のことは、これが、メールで届いたことしか言い得ない。なにか、気になるので、ここに敢えて掲載しておく。 1.7.3)
自撰五十句 月の襟足
出口 孤城
艫綱を集めし杭の飾りあり 昭和十六-三十九年
落椿のせし水去り水到り
マストの燈 花の梢を移りゆく
火の島の蝶は淡しや葱坊主
渡舟とは別に牡丹の舟支度
巫女吹いてみせし仏法僧の笛
女房をつれし男の夜振りかな
飯盒の火を直しやり海女ゆきし
飲む牛乳(ちち)のしづく走りし海女の胸
霧ながれ船の歩板に置くランプ
霧ふかき牧は校庭よりつづき
露流れキャンプに焦げし石ならむ
乳ふくませながら聖樹に雪をおく
寒鴉曳きずるものに波寄する
蓮掘りの顔たそがれて火へ歩く
伐りたての踏竹置かれてある初湯 昭和四十-平成五年
福笹の小判に蒼し響灘
鵯の矢を放ちて森は冴え返る
流し雛見る顔の出し操舵室
雛流し済みし海峡その夜雨
床下の暗きが上の御開帳
とび石の一つ臼石あたたかし
病葉(わくらば)や鸚鵡はときに詫びをいふ
炭田線窓釘づけの駅の蝉
干す網を駈けり船虫躓かず
夏惜む倒るる濤の裏また濤
裸婦像の短かき鼻に秋晴るる
版木の字ぎつしり乾び秋の風
秋風の皿繪の柳にもおよぶ
伐る竹の音が木霊となりてとぶ
木守柿日と戦つて破れけり
フレームに透けり薄着となるらしき
忌払ひや下戸の弟鰤提げ来
女来て鰤の血を踏み鰤値切る
鮟鱇の競値(せりね)の思案眼鏡拭く
空を押しあげて満潮船起し 平成六年以降
白にしか咲かぬなづなの行者みち
車の燈朧に船を走り出づ
花御堂机にのせて階下ろす
瀬の石に病葉の乗りあげて燃ゆ
磯洗ふ波のひかりに咲く蘇鉄
戴きて干す討死の城の梅
吽形にふくみし梅酒飲みおろす
呆然と繪に夏帽を鷲掴み
風の盆おし照る月に八つの尾根
おはら踊る月の襟足繪にまさる
飛行機雲つくし恋しと泣く空に
枯山の崖の岩屋は耶蘇隠し
発掘す糸の枡目に散る銀杏
大手門討つて出るかに銀杏散る
(作者は、下関市在住の俳人。田村木国、上村占魚に師事し、占魚没後は独行の間に飄逸の境涯を深めつつ、宇佐、国東等の風土記探索にも余念ないと聞く。湖の本の読者。 1.6.20掲載)
詩 二編 木島
始
回風歌 (高橋悠治 作曲)
1
モーノ・モンドン・レーガス
モーノ・モンドン・レーガス
くりかえされる声をつきぬけよう
ときめく支配者よ
ひとの上に立ち
うそぶくな
おごりたかぶるな
きみより高い空のはてに
きみがいなくても日は昇る
空に青さをひびきわたらせる
つむじ風を巻きおこそう
同じつぶやきに閉じこもれば
虻にさえ さげすまれる
モーノ・モンドン・レーガス
モーノ・モンドン・レーガス
くりかえされる声をつきぬけよう
2
埋もれる声を堀りおこそう
けっして口を開かない人々の胸
砂利にまじる火打石
ともしびの外を闇がつつむ
閉ざした扉のむこうがわに
ふさいだ瞼の 奥底に
闇はそだてる 開きかけのバラを
闇がなければ 何ひとつ芽ばえない
闇はぼくら 身を寄せるところ
秘密かくすところ
病いやすところ
闇はまたたき輝かせるうしろだて
闇を恐れてぼくらの仕事は始まらない
埋もれる声を堀りおこそう
3
とびちる声をあつめよう
嵐の空にぬいつけよう
仕事みうしない 危なさ きざす
土地をうばわれ 歯ぎしり 呑みこむ
生きがい掴めず 空しさ きわまる
かれらのかわりに 風が舞う
かれらのかわりに 砂がちる
身をかがめよう
うつろな内部に 点々と
痛みが きりもみし
渦巻く闇が はじけとび
幻の馬が 走りだす
その馬を いまぼくらの声で鞭うち
その声の鞭が ぼくら自身の姿を
嵐の空にうきたたすのだ
消せない声と根づかせるのだ
あつめよう とびちる声を
ぬいつけよう まなざし高く
ぼくらの声を
青さ鳴りひびかせる嵐の空に
きみらの指図うけないところ
わたしは未来の詩を 宇宙の器(うつわ)を
ちっぽけに 見てもらいたくない、
もったいぶった
言葉の飾りつけくらいで
予想をこえる
本の売れゆきくらいで
これみよがしに
古典の鑑賞ができるくらいで
いい気になっている文壇のひとびとなどに、
くちごもりながら
異人と話してきたくらいで
しかつめらしい
象徴の大猟くらいで
賞の審査員を
巧みにたぶらかせたくらいで
目的を達したと御満悦のひとびとなどに。
木島 始詩集『回風歌・脱出』土曜美術社刊 一九八一年一月 より
(作者は、1928年生まれの詩人。多くの詩集があり、多彩な詩の実験や訳詩もある。元法政大学教授。こういう
時代を生きてきた、いまなお生きているなという感慨に駆られ、深く励まされながら選ばせて戴いた。 1.6.14掲載)
自撰五十首 晩 夏 抄 東 淳子
蓖麻(ひま)の花とほき戦(いくさ)の抽象の花型にして火のにほひする
戦争といふ処刑ありはりつけの億のイエスの中のわが父
父に来し召集令状五十年経れど鬼火のごとくに赤し
〈落とす〉〈拾ふ〉もの金銭にあらずしてかの戦場の兵士の〈いのち〉
戦ひに勝たざりしこと父たちをおもへるときの救ひにぞする
戦争の遺児なるわれら蟻のごと〈戦後〉曳きゆく捨てどころなく
闘ひに死ぬるは獣も雄ならむ父へのあこがれといふほどのもの
視るといふもっとも寂しき行為にてこの世に会はぬ父を視てをり
銀漢やたとふれば父 八月の天に無言のことば雫す
戦場の地雷はねむりつづけをり天の雷(いかづち)とどろく夏を
閉ざすなき戦野の死者の両の耳地のこゑ天のこゑをききゐむ
たましひの化石のごとく父の骨戦野にいまも光る夜あらむ
父をしるものら地上に絶ゆるときわが父の死も完結をせむ
死者たちの最後の嘘ゆゑうつくしき〈この世におもひのこすことなし〉
戦争の悲の種(たね)なども発芽せむ地球いよいよ温暖化して
ひとつ世をすれちがひたる父にして声なきものは意味深きかな
わが父の使ひ遺せしことばもてうたひいださなわが生(よ)の挽歌
父よあなたを泣くことのなきかなしみにわが一行詩たちあがるなり
混沌のわが宇宙より汲みあげて悲母とは燦たる惨たることば
愚に肖(に)たる聖(ひじり)ありけりしんじつに愚のいちにんをわが母とよぶ
これの世の涯に立つ母逆光に面(おもて)みえねどわれを視てをり
闇ふかき夜(よ)のふるさとにみづからの声を点(とも)して母独り居る
胸倉に五十余年を蔵(しま)ふまま子にみせぬ〈母の戦争〉がある
問はざれば語るものなきふるさとに母よあなたの戦(いくさ)をかたれ
つばくらが巣に塗りこめし髪の毛は泥田を這へる母たちのもの
泥田這ふ母の足跡おごそかに染めあげてゆく夏の夕映
食ふことに精いつぱいと言ひたりしとほき昭和の貧のぬくもり
回顧などされずに戦争未亡人昭和を越えて生ききたるなり
父たちの戦(いくさ)もともに負ひゆかむこの世を母の身まかるときに
まぼろしのわが橋として記憶せむ母の産道・よもつひら坂
かなしみのゆくへを日光月光(がつくわう)のてらす大和へわが還りこし
かなしみの坩堝(るつぼ)をまはす仏ゐて大和は血より濃き紅葉する
払暁のわがみじかうたたてまつる大和にねむる万の仏に
剥落をいよいよ美(は)しく遂げにつつ女身仏在りわれのひと生(よ)に
仏より仏の母をおもふ夜のかなたはろばろと逝く水の音
奈良山をかき消し驟雨こむとする待つとはすでに濡れゐるこころ
五指の先みな雫する野ぼとけに時雨のあとの夕かげぞ添ふ
額(ぬか)といふさむしきところ日月(じつげつ)に照らされて佇つ仏もわれも
神々も死者も影なくねむりゐて大和は月の光がにあふ
百鳥(ももどり)のかへるゆふべの空の道われにみえねど邃(ふか)し大和よ
ましぐらな矢に真二つ裂かれたるリンゴの肉の散るやうな逢ひ
ねむりめざめ君にあはせて夏深くゆきし揚羽蝶(あげは)の羽根型の島
天上に辛夷(こぶし)ましろきかげこぼす春のなげきのいただきに咲き
絶望はつねいただきに在り経つつとほくかがやく山の冠雪
独占のほかになき愛雪原(せつげん)の雪蒼む夜のこだまにも似る
目を伏せてしらじらと逝くものの中君のみは青き水のごと来よ
愛の最もむごき部分はたれもたれもこのうつし世に言ひ遺さざり
人はみな窓あけて棲む 柩にもつひの小窓がしつらへてあり
ちちははの生年月日をしらぬままわれの昭和の端かすむかな
青年の父の死老いし母の生われの左右に置けばつりあふ
【『生への挽歌』(昭和53年刊)、『玄鏡』(昭和57年刊)、『化野行』(昭和58年刊)、『雪闇』(昭和59年刊)、
『あかとき』(昭和60年刊)、『悲母』(平成11年刊)、それ以後の作品を若干加えて構成した。】
(作者は歌人、現代のもっとも力有る歌人のお一人である。この歌人の五十首をはやく欲しいと待ちわびていたが、自撰歌の、どの一つ一つも鳴り響いて、胸に熱い。すばらしい。作者自らの「晩夏抄」という題には八月十五日が沈透いて在ると想っている。湖の本の、読者。)
自撰五十首 しばらく酔はむ
恩田 英明
緑金(りよくこん)の胸夕風にたちむかひ孔雀は冬の園を歩める
『白銀乞食』(しろがねかたい) 一九八一より
渚辺をわが去り来つつ松原に波をきくなりひとときなれど
すきとほる鯛の刺身のいくひらぞくれなゐさして酒に酒を呼ぶ
針先は蟻酸したたり濡れながらくまん蜂ひとつ空よりくだる
灯の下(もと)にいたくはなやぐ鍋島の色絵花鳥文共蓋大深鉢(いろゑくわてうもんともぶたおほふかばち)
海の辺は遠くに人語(じんご) 鯵刺(あぢさし)の一羽浮けたる空ふかきかな
青年のとき過ぎにつつ春昼を落花限りなししばらく酔はむ
喉(のど)渇くわれは泉にはらばひてさびしき空の底を覗くも
ふつふつともの沸く泥にあたらしき蓮の葉浮かぶ露の珠置きて
厚らけき堆朱花瓶のことごとしき花鳥彫(ゑ)りしは唐国(からくに)のひと
コーヒーに落とすミルクの渦を巻き混ざりゆくさへ心楽しき
夜の庭に李の核を吐(ほ)き捨てつ人恋ほしみて暑に倦(う)みながら
牡丹雪大きなるひとつ玻璃窓に触れむとぞしてしばし浮びつ
爽快に茴香(ういきやう)の種子噛みながら暑を凌ぐときインドは親(ちか)し
夜くだちの湯つぼのめぐり芽吹きたる木々は小高し立ちて揺れつつ
山椒を噛みて辛(から)しと言ひたれば一粒を取り噛みて笑へり
金色(こんじき)の弥陀立像の立てりけり入り日に金のひびき放ちて
障子戸に色は紛れて白き花萎みゆくなり静かに暑し
アジャンタの涅槃釈迦像にまみえむと明日は発ちゆく夜の眠りかな
はるかなる風をきくべし廃(すた)れたる伽藍を出でて沙羅の樹の下
産土(うぶすな)の黄なるダリアの黒き影土に落ちゐて昼のしづけさ
山深く桜咲きをりその下を信濃へゆくと乞食通りき
いたどりの大きいたどりの葉のうへに黄粉(きなこ)まぶせる飯(いひ)盛られたり
くさはらに蛇の抜け殻またぎきて明るき朝に宿るかなしみ
ひと椀の飯(いひ)乞ひにくる乞食(こつじき)を待つごとくをり雪のゆふべは
向岸(むかぎし)の木々は芽ぶけり色淡く桜うつろふも共にけぶりて
『神馬藻』(じんばそ) 一九九五より
もう少し街を歩かむ夜更けゆくいまごろ桜の花のさかりにて
蜜白く凝る寒さに起き出でつこの日常を掻きたてゆかむ
よみさしをおきて出でくるヴェランダに夜のトマトは匂ひ流るる
地の神の座を侵したる海の辺の原子炉神に神酒たてまつる
針槐(はりゑんじゆ)幹傾けて花の咲くその裏側に原子炉ともる
ぶ厚き壁の奥の奥プロメテの火の裔にあらず巨大発熱体
扉ひらき管理区域に入りゆくに防護面(マスク)を腰にさげたり
一枚の金属Pu(プル)のおごそかにあるをつまめば核崩壊の熱
ひれふして礼拝に入る諸人に原子炉の群遠くはたらく
若狭の山の峰々を平定(ことむ)けて雨の送電線くろぐろとゆく
をんどりに追ひかけらるる幼ごに神は在(おは)しき夏のまひるま
傍らの椅子の上に置く蓮(はちす)の実少女の香して夜ふけにける
ヴェランダの夜風のなかに入りくれば空にかすかに星座白鳥
運命によりて離りしをおもふかな谷川の空を風は鳴り渡る
きれぎれの夢の中なるそのひとつに象の吼ゆれば天地(あめつち)ふるふ
人生の秘密はなべて酒の中にそれ故に飲まむ語らむこの夜
わが生れし村は老人(おいびと)と山祇(やまつみ)と語り交はして蓬(おどろ)は深し
科学者の一群がまた誘ひにのりて従ふ戦略防衛構想(S・D・I)に
ライオンが鬱なる顔に起きいでて草の秀(ほ)噛めり猫のごとくに
風呂の湯に午前三時の身をあづけ眠りむさぼる男なりけり
通勤の鞄持て余し苑ゆくは花盗人の裔のまたすゑ
ゴムの球が影弾みつつ坂道をくだりゆくなり役所ひけどき
柿若葉の下に山椒(さんしよ)の花が咲くこんな風景がいつも邪魔をする
菱形の布をぶらさげ歩みゆくあれは男のああ首の群
(作者は、歌人。玉城徹氏の歌誌「うた」で作品に接してきた。堅固な「男」の独りをいつも感じ取っていた。観念とことばとが硬質の渦を巻いている。湖の本の読者。 1.6.5
寄稿)
三つの山を想起しつつ ─加藤幾惠さんを弔う─
木島 始
世紀が変って賄賂報道がこの国を蔽いつくすころ、
彼女は、逝った。「思われたとおり、造ってください」。
最初のアンソロジー 『列島詩人集』の構想が膨れあがって、
本の基盤そのものを広げたくなったとき、資金の工面にうぶな編者に
あっけらかんと事も無げに 「思いどおりに」造る快を、放りなげてくれたのだった。
戦後日本の変転を照明する詩の紙碑を、記念する大きな集会が
終りに臨もうとするとき、裏方さんを舞台に引き上げなかったことを、わたしは悔やむ。
だが、知らない人はいなかったのだ、彼女の膂力で、部厚い大冊が出航したのを。
「国際的な評価に耐えられるものにしたかったんですよ」というわたしの述懐から、
彼女は、風呂敷を、この日本的な包みかたの枠を、世界に広げるよう唆しさえした。
こうして第二のアンソロジー 『楽しい稲妻─日英対訳現代詩集』の難離陸が成就した。
「こんどのは前例がない本ですよ、いいですか」 「そういうのこそ、やりたいんです、
やりがいがありますからね」で、十人の詩人による三十五巻の四行連詩集、
『近づく湧泉』が、第三のアンソロジーとなった。「山田太一さんのおっしゃるように、
わたしも三部作アンソロジーと考えています」。気っ風のいい出版人の言葉だった。
<言葉の空中回転ブランコが、宇宙の未知を引き受け、ジャンプしていく>
世界初の連詩集版元となって、
世を去る月の「詩と思想」の扉に彼女が選んだ刻字は、「離情正苦」。──嗚呼、合掌。
─「詩と思想2001年5月号 より─
(作者は、著名な詩人、もと法政大学教授、英文学者。じつに多彩に詩の表現と形とを横溢の気力で実験・実践・達成してこられ、編集方面の活躍でも知られている。いまも病床にありながら気概の活動を続けられている。心より御平安を祈りつつ。湖の本の読者。 1.5.30寄稿)
自撰五十首 ようやくとどく
玉井 清弘
こぼれたる鼻血ひらきて花となるわが青年期終りゆくかな 『久露』抄
指きかぬ父のかがみて鋏つかうひきちぎるごときその使いざま
まもりいる視線の底の檜原(ひばら)にてやや口ひらきあえぎいる父
息ひきし父の半眼の目を閉ずる母の指花にふれいるごとし
棺にうつ釘のひびきの掌にあふる死者なる父の重さつたえて
父の身の近くにありしがらくたを寄せて炎をうつさんとする
陶工もかたらずわれも語らざりろくろに壺はたちあがりゆく
蹴(け)ろくろのまわりて秋陽のうずのなか壺の鶴首ふいに細るも
縄とびの縄にあふるる波あまたおおなみこなみゆうやみふかし
鶴の化身ならざる妻を娶れるに身の何ぬぎて日々細りゆく
つる草はほろびのはてにあかあかと虚空に一つ実を育てたり
『風筝』抄
夜の海をこえゆく船にうつりいるテレビ静かに火事うつしおり
ゆうぐれに澄む茄子畑かなしみのしずくとなりて茄子たれており
摘みし芹さかだて水に振りたればつよき韻律のさざなみあふる
ねりつきてぐにゃぐにゃの子を抱きうつす青葉の風のとおる畳に
開け放つ虫かごよりぞ十方にいきもののがれしたたるみどり
乳母車押しつつ時にぼうぜんと奈落へ押すに子はかえりみず
高層のビルの電話に呼びいだす家族といえるやさしきものを
ねむたさに堪えずねむりし昼すぎの勤務の机にあわれ夢みつ
あかときを迷い発ちゆく熊蝉の樹にぶつかりてじゆうと鳴きたり
花喰いの鳥のごとくに飢うる身にうそうそとひとり梅園をゆく
『麹塵』抄
金属バット子はひきずりてもどりくるおさまりがたき悔しみを知れ
くぐりゆく蟻の快楽(けらく)を目守りおり牡丹の花弁照りあえるなか
万丈のはての四国三郎身の力ゆるめて紀伊の水道におつ
破魔矢よりはずせる二つ鈴振れば金と銀とがともどもに鳴る
おのがじし傾くままに傾けり仏らは手を石に封じて
袈裟がけの風雪の罅さらしつつ石ならず土ならず仏の形
かがまりて向かえばかなし父に似るつめたき仏のまなじりぬぐう
戦いに逝きたる兄を持つ戦後親のかなしみにようやくとどく
耳とおき母を一人に住まわせて伊予路もしろがねの霜降る夜半か
宇宙塵いくたび折れて届きたる春のひかりのなかの紫雲英田(げんげだ)
『清漣』抄
緋寒桜の濃きくれないによりゆけば身をそぎ散れるさかりの花は
ひこばえの稲の葉尖のかかげもつ地上三寸のかがよえる露
われよりも背のたかき生徒にぶつかればむにゅとつぶやき顔あげずゆく
厠なるスリッパうるわしく整えり明治の男いでたる後に
ぬぐいやればかすかなるくれない帯ぶる頬死への階(きざはし)を急ぎいる母
ずずずずとわけもなき語をつぶやきて身はかぎりなき淵を落ちゆく
ぞろぞろと異形の鬼をひきつれて節分の夜の酔いふかめゆく
下枝(しずえ)より咲きはじめたる桜の樹幼きものはくれないふかし
非常口青きあかりに招きおりここいでてまたいずこの非常
旗ふりて征かせしもののもどらねば地蔵のつむり声のみて触る
わが子をぞ鬼子母(きしぼ)にとられ泣く母の五十年なり除夜の鐘鳴る
白紙(しらかみ)を二つにぞ折るよごれざる白線ひとつ真中をはしる
よろぼえる犬に願える安楽死いつの日に子がわれに願わん
大きなるしぐさのセーフ人生にとどろくセーフ一つも持たず
くぐり来し戦(いくさ)語れと雛(ひいな)の目真綿に包み闇にもどしぬ
戦後五十年のフェアもすぎぬ大戦は歴史のなかにゆらぐ蛍火
抱きもどる遺骨の箱を開く母 白木の位牌ちんまり坐る
遺骨箱のきよき空白子の骨を呑みてしまいし母にあらずや
戦いのなき世に負える背嚢かランドセル重く小学生行く
(作者は、高松市在住の著名な歌人。詩性の切実清明なことで、編輯者は久しく敬愛し称揚してきた。沈透く思いの美しい五十首をご寄稿下さった。湖の本の読者。1.4.27寄稿)
自撰五十首 鬼 役 木山 蕃
藤蔓の粗皮(あらかわ)の帯に斧をさし鬼立ちにけり風花の庭 『鬼会の旅』より
太郎鬼餅の割れずと腕組めばほがらほがらに村人笑ふ
酒そそぎ鬼の面を清むれば眼(まなこ)は黒く艶めきにけり
冬の田を紙垂担(かた)げまかりゆく子鬼の背(せな)に夕茜さす
躍りつつ屈み構へし鬼の背に火影にうつる木槌の古き
囃す童(こ)に斧振りいどむ赤鬼や国人風(ぶり)はなつかしきかな
吉日と覚え候福太郎福次郎どの田遊(たあそび)やせむ
村人がとしのいのりと荒鬼をそやせるほどに夜は更けにけり
山峡(やまかひ)の星空澄めり罷(まか)るさを息づけば白きわがいのちかも
山里の工(たくみ)の祖(おや)か彫(ゑ)りにける彫上(ほりあげ)勁き阿形(あぎやう)の鬼面
庭燎辺(にはびへ)に鬼役の籤引かれをり断る人も笑声して
堂床を鬼踏み鳴らし手火振れば青き面輪(おもわ)の影深く見ゆ
かりそめに松明消えてくらやみは仏をめぐる鬼が鈴の音
はげましの声かけあひてみそぎなす氷雨の海に鬼役七人
知りびとの一人も居らぬ雑踏にまつりたのしむわが性(さが)あはれ
浄(きよめ)をどりはじまりにけり赤鬼が煙なづさふ床ひくく匍(は)ふ
ふるさとゆみ冬の山へ帰りゆく鬼さびしけれ鈴鳴らしつつ
今は昔朝けの堂に栗鼠は来て籠(こもり)の鬼と遊びけらしな
はろばろし籠の鬼に冬の夜の山のけものの声鳴きしとふ
装束の古きかたちをはぢらひて子鬼はひそと堂裏にをり
五色(いついろ)の鬼の揃ひて跳びにつつまゆひ衣(そ)ゆかし遠目にも見ゆ
法螺響(とよ)み闇を猛り出づる松明(たいまつ)に鬼の衣の鱗紋光るよ
灯に映ゆる供華の造花の彩(いろどり)のゆめゆめしさよ今はまからむ
ひるがへす緋の大袖やまぶしけれ花をしづめむ鬼のをどりは
わが裡(うち)にはぐくむ鬼は山里のたつきに生きて呆けたる鬼
参道の女男(めを)の尻をばはたはたと簓もて打ち翁走り来 『夢幻門』より
猿田彦手綱操り黒牛が床ことことと鋤きめぐりゆく
暮れ残る水煙に来し鳥影のいつしか見えず法会を待てば
南無薬師瑠璃光如来太々と練行衆の音声(おんじやう)揃ふ
「散る故に咲く頃あれば珍らしき」花に呪(まじな)ひ鬼に祷(いの)りき
金色はさびしき色よ薪能かがりに映えて袖かへすとき
桃山の祭礼遊楽図引句には一期(いちご)は夢よただ狂へ
神門に彩(いろどり)ほろぶ狛犬の口腔深く昼の闇呑む
蛸壷のろくろ挽きつつしやうもなき技と翁のいふを聞き止む
灯台の下(くだり)の径に色差してつりがねにんじんの紫の花
くれなゐの花片の白く褪するころ宿根に生の満ちてゆくべし
わだつみのいろこの宮に対ひたる洞に鳴るなり巫女が笛の音
夏されば鯉川筋の合歓の咲きそめにけりひとに逢はめやも
風止みし春の夜更を厨べに妻の立てゐる音の親しさ
「妙々」とおとぎばなしを結びたるある夜の母や部屋暗かりき
生活を賭して闘はざりし者運動の挫折を軽々にいふ
あと十年職場に在らず五十年この世には在らず不思議ならねども
宿直を卒へしけだるさ権現の杜(もり)に遊べば鳩くくみ啼く
心放ち笑ひしことの無かりきと残り少なき日記帳閉づ
われを待つ鬼のあるべし正月の播磨国原昼靄の籠む
吾を呼ぶ妻の寝言に寝覚して来世のごとき月光を浴ぶ
いだ
跳ね起くる地震か地震布団被り妻と抱きあふ地震ぞ地震 『大震一年』より
予想外を予想なしうる人物がこの時に在らず民主主義日本
波止端(はとはた)に釣人見えて昼しづかかの日の震源はその竿の先
行政の曖昧を妻の憤る反骨われと共に老い来て
(作者は、神戸市在住、多年郵便局に勤務の歌人。鬼会を探訪探索の歌は比類ない業績だと思う。また大震災を短歌で記録されたことも永くきおくされるだろう。冴え冴えとみごとな篆刻の技藝ももたれている。湖の本の読者。1.4.23寄稿)
自選五十首 白きダリヤ 北澤
郁子
きりぎりす、つづれさせこほろぎありのままに鳴き出でよ古き家の窖(あなぐら)
『一管の風』昭和五五
より
木臘を採る寺山の櫨(はぜ)の木の夕光に燃ゆる全山の燭(しょく)
海の崖に嵌め込まれたる銅版のはかなき歌は乾くことなし
老いたるピエロ身にまとふ服の赤きいろおびただしき房実をつづる椅(いいぎり)
わが片手つね片手より熱ばめる病める子など抱きしならず
親鳥の嘴(はし)より魚を奪ひたる子の鳥の罪永久(とこしなへ)にして 『塵沙』昭和五九 より
刈小田の斑雪(はだれ)の上を舞ふ鳶の生まれつきなる笛は一本
沈欝にくもれる森の奥にして氷れる飛沫のごとき白梅
老いふかく坐れる人は何思ふ円空仏のごと瞼伏せたり
唐招提寺の月夜に逢はむと約したりただ夢とこそわれは思へば
老い母と昼の市場の路上にてその名も美しき泥葱を買ふ
舞ひ込みし襁褓(むつき)の白さ一心に子を守る人の心ばへ知る
十(とを)の指爪(しさう)合はせて祈れと静かなる一行 遠き月光菩薩
引き立たぬ文様なれど巧緻なるかの蝶は誰かわが窓にゐる
合はせたる二枚の翅のいと薄くかき消えし蝶の影残りをり
「三人姉妹」の明日の別れを待ちてゐる舞台のごとく霧沈む庭
母が切りてくれたる菊に細氷のごとくきらめく霜も消えたり
首筋にまつはり肩に沁みてくる寒さは厭世のごとくひろがる
雪まじり雨降る朝の街に見るふくらなるパンは善のごとし
職退きて頬に血の気のさして来ぬ雪は卍と降るものにして
撫でられし子にしもあらず撫づる子もなくて撫子(なでしこ)の花を愛しむ
プランターのあらせいとうに昨日(きぞ)降りし雪夢ならず玉水ひかる
黒釉の壺に釣り合ふ一輪の椿は風の山岨育ち
蛇行する河の中洲に雨期までのいのちをいそぎ生ふる夏草
八歳の龍女(りゅうにょ)のごとく浮き出づる濃きくれなみの睡蓮の花
新しき縁(えにし)求めぬわれの上に名残の雪は淡く降りつむ
他家にきてひそかに堪へてゐし母の絹より細き白髪(しらかみ)のこる
寂やかにかくれ住むなる善女人大島桜にけふの雨降る
渓川の淵瀬(はやせ)の水を掬ぶとき飽かずやとわれに問ひ給へかし
悉達太子(しったたいし)のおん生れ日なよびなる白象を描く散華とり出す
『菜の花抄』昭和六三
より
空想はかくふくらかに髪のびて五劫思惟像は童形のまま
生くる日の濁り洗はばかくあらむ白きダリヤに雨降りそそぐ
涅槃会に奉らばや夜の雪にたかぶる猫の青き眼二つ
エスカレーター乗り継ぎ上りし館の奥光琳屏風は古り寂びてゐつ
『鳩羽むらさき』平成三
より
佐竹本歌仙絵切のしのぶ恋兼盛さびしくうつむきてゐる
蔵書など売りてひそかに暮しゐしと聞くだに懐(ゆか)し跡も絶えたり
「白旗をかかぐる少女」のかぼそき手足沖縄戦のすべてを語る
牙なせる芽を油断なく現して偸盗のごとき冬の馬鈴薯
ここに来て何おもひゐし人ならむ海のテラスにティーカップ残る
くくるくくる鳩の鳴き声人の咽(のど)にうたふは苦しき感情移入
鐘形花エンゼルランプにかがむとき人の面(おもて)にほほゑみ灯る
本棚にかくるる猫を掴み出すポーの黒猫ならねば安し
のぞき見る森の中なる青落葉ライムライトのごとき陽が射す
迷ひ来て河原にひとり無精卵を抱く家鴨の胸毛ふくらむ
切り開く林檎の中に黒き実二つ寄り目の猫のひそみてゐたり
暁の窓に小鳥の打ち鳴らす舌の潤ふ五月となりぬ
暁に起き出で暗き窓に倚るわれの一生は何処に位置する
母逝きし日より一行も書けぬ日記事実の重みは筆を圧しぬ
しろじろと花散る桜の木の下に人影もなし人生のごと
冥(くら)きより出でて冥きに入(い)る山の一丁平(いっちょうだいら)に咲くさくらばな
(作者は、経歴久しい歌人。白きダリヤのような孤心を抱き、実存のふかみに一隅を照らして短歌を紡いでいるような。湖の本の読者。1.4.19寄稿)
晩 晴 長谷
えみ子
罪深き日々なりしかも春の花みな集めきて風に伝へむ 『風に伝へむ』より
思ひ切り生きてみよとぞ聴く哀し春の墓辺のきみは風にて
残生の如しときみがふと告げし冬枯れの池蓮も折れゐつ
想ひ出は凌霄花(のうぜんかづら)の彼方よりときに優しくわれを戦(そよ)がす
冴返る日ぞ身を緊めよ不器用に生きしひとりの死の憶ひ出に
春しぐれやみて無韻のこの夜半をあはれ寂かにさくら開かむ
目鼻なき道祖神(くなど)六臂の自在さよわが黒髪のむずと攫(つか)まる
短か夜を風のなごりに訪ひ来しか翅息(やす)らへよ燈心蜻蛉(とうすみとんぼ)
急(せ)くごとく蜩(ひぐらし)鳴ける夕つ方如何に生くるもわがひとつ道
落蝉の脚こはばらせ転がれり拒否の象(かたち)のひとつ身に沁む
くさぐさの花芽の眠り呼びさまし春あかときを淡雪ぞ降る 『風に伝へむ』以後に
十三屋、蓮玉、道明、池之端、母の上野の細ぼそ遺る
公園に盗まれさうな子がひとり立ち去りかねし春の暮れ方
自らに課して重たき春疲れわれのフーガ(遁走曲)を誰か奏でよ
をみならのこころに棲める鬼の貌(かほ)秘めて古面の小面(こおもて)ほのか
まう知らぬまう知らぬとぞ呟きて遣り処(やりど)なければ身辺整理す
夜の海淋しと言ひつつ母と見る燈台の灯の秋の明滅
ぐんぐんと朝日子海境(うなさか)昇りゆく息呑みし吾を置き去りしまま
夕暮は薄墨いろとなるさくらさびしき彩(いろ)は遠く眺めむ
超モダン地主屋敷を出で入るは働き者の媼(おうな)のみにて
マンションは出産ブーム華やぐを誰にも言へぬわが人嫌ひ
無心なる嬰(こ)に統べられて囲みたるひとおのづから善人のかほ
冷房の二十七度に夏を生き一日五分健康体操
午後九時半宅急便と不機嫌を男が届けくる熱帯夜
髪染めし少年を率(ゐ)て黙々と草引く初老の植木職人
卵割ればとろりと黄身の沈みをり 胸の底ひに理不盡とふ語
十二分に騒ぎて座席に居眠りの女子高生のルーズソックス
ハケの道共に歩みし日は杳(とほ)く<武蔵野夫人>のみ書架にある
人生は闘ひなりときみ言ひき折にかみしむその言の葉を
つぎつぎとひと訪ねきて去りゆけり昔話の魔法をかけて
待ちかねてわれのもとむるポーチュラカ恋ごころなどとうに忘れて
斜面には柑橘の黄が溢れをりたつぷりたつぷり朝陽を浴びて
ケ・セラ・セラわたしはわたしゆつたりと目線の先をとんびが舞へり
淡彩のモネの睡蓮やはらかし病癒ゆとの春便り来る
はんなりとさくらさくらのあきつしまこころうるめり存(ながら)へあれば
古稀近き女性の白きヘルメット箱根路指して遠去かりゆく
二度三度途切れし電話たれかいまわれに何をかこだはりてゐる
この深き黙(もだ)何ならむ秋の夜の焦点あらぬくらき母の眸(め)
丹沢の稜線目守り東上す何かが足らぬ初冬のこころ
遠く近く輪を描きつつ鳶の二羽<晩晴>とふは成り難きかな
楽しみつつ歩めば見ゆる風のいろ豊かになさむ残り生(よ)こそは
騙すより騙されむとふひとことの忘れ難しも春の墓原
雲迅し薄墨いろの騎馬の武者追はれてゆきぬ消えのこりつつ
丘陵にケーキのやうな家並ぶ幸せゲームなされてをらむ
丘陵の蜜柑も色づきそめたりと書きて続かぬはがき一葉
夕顔のふた花咲きし名残りありわが在らざりしひと夜さのこと
目を閉ぢてきくに笙の音もの哀しなべてのことを夢と思へと
受話器とればすでに切れをり 初島へ向かひ出でゆく白き船みゆ
われと娘(こ)のつかず離れぬ冬の日々宅配便の今朝届きたり
わが裡(うち)の小鬼もさびし海を背に黒塚鬼女の白頭揺らぐ
(作者は、歌人で、人形作家。湖の本の読者。文学の深いご縁にむすばれ、三十年、心親しくいつも健勝と平安を祈ってきた。五十首、しみじみと読んだ。無名鬼の声もしみじみ聴いた。1.4.18寄稿)
白いマスタング(野生の馬)
紫 圭子
野に光るたてがみ
わたしをつらぬいてつっぱしる
白いマスタング(野生の馬)
わたしは大地だ
エウローぺ一の横たわる緑の草の果てを
果てから果てへと
くりかえし
千の血萬の血をくぐりぬけ
いま
わたしはエーオース(曙の女神)の薔薇のゆびからしたたりおちた一滴のいのち
朝露にぬれてサフランいろに光るあなたの
たてがみの細い毛が透きとおる
あなたも
一瞬をめぐる
風景のその環のなかから
風を分けてうまれでたのだ
四月の朝
若草の野を疾走する
わたしの
白いマスタング(野生の馬)
しなやかな首に両手をまわすと
サフランいろのたてがみが逆巻いて
わたしは
まぶしい背に射られてうつぶしたまま
風景を通過する
だれも行ったことのないところへ
たとえば
草深い野の果ての闇奥に涼しくゆれている湖のその水のかたち
たとえば
火の山の上をゆく二羽の鳥の炎に巻かれて焦げた風切羽(つばさ)
(墜落すれば炎にのまれる)
わたしたちは
一瞬を生きる風と薔薇だ
一瞬ごとにあたらしい
サフランいろの風が
薔薇のらせんにそって渦巻きながら
宇宙の万物の息吹く境界へとさかのぼっていく
らせんの渦からあふれる薔薇水
無限のひろがりのなかで
水浴するあなた
野をわたる風にゆらゆらと肢体を輪郭だけにして光らせているわたし
のなかで
あなたの影がどんどんのびて拡大する
もう 光も影も識別できない
もう なにもみえない
(あなたはどこかアジアとヨーロッパの境の湖で泳いでいるのね
(アジアでもヨーロッパでもない無限大のみえない湖だよ ここは宇宙のはじまるところさ
どんどん
あなたがせりあがってくる
じ一んと熱くなってびくびくしているいのち
くるしいくらいあなたがすきだ
突然
幾重もの光の層が明滅するひろがりの中心に放りだされたわたしは
サフランいろの雷光に撃たれて
まっさかさまにおちていく
つまさきまでピリピリと打ち寄せる波にゆらいでいる
拡大していく意識の果て
そこではいのちだけが翼をもっている
翼の羽博くところへ
風と薔薇の朝は
もどっていかなければならない
疾走する
あなたやわたしたち
あなたたちやわたし
の
いのちたち
大地を疾走する
わたしの
白いマスタング !
─詞華集「EUROPE」1995銅林社の「白い野生の馬(マスタング」より─
(作者は、三重県生まれの詩人。詩誌「孔雀船」同人。日本詩人クラブ、日本現代詩人会会員。華麗な象徴世界に、なまなましい情感の沈んだ畏怖の表現が読みとれる。日本ペンクラブ会員に推した。久しく、湖の本の読者である。1.4.14
掲載)
自撰五十句 寒鯉
三木 聆古
噴水の保つ高さにあきたらず
竹伐りて秘仏の天を明るうす
竹伐りて増やすは水輪かもしれず
時雨忌や暮れて鋼となる湖
月雫して鹿の瞳(め)にたまるなり
蕗煮つめおかめ型にて暮しけり
散らかして椿の蕊のやうに居る
羽せんまい脱ぎ尽さむと合歓月夜
雨粒やせつなきものに袋角
口笛のはなひひらぎと聞こえけり
黒竹の節に日あたる葛湯かな
蟹食へりやがて眇のわらひけり
初火事やかんざし仄とうごきたる
くちびるの荒れたる梨の花盛り
葉月汐月の百戸を打ち鳴らし
蛾の泛かぶ硯情死も佳かりけり
はららごや闇の渚を歩まんと
人参を煮る晴れた日のかなしみに
孔雀の羽拾ひぬ月蝕はきのふ
餅切るや山のかたちのきらきらす
ゆふすげの芯はみろくのゆびならむ
軍港のうすももいろの水母かな
恩人は烟の如し春の瀧
ゆつくりと貨車過ぐ旱野の端を
セロリ噛み馬ほどに透きとほりたし
寒鯉の如くに抱かれゐたりけり
早口の韓国少女梅雨の蝶
風船は空の匂ひに逢ひにゆく
夏鶯弓たてかけてありけり
かみさまの筋書に添ひ日向ぼこ
好きなひと死にさつぱりと秋に入る
大根干す相模風土記のおほでらに
くらがりに甲冑立てる御慶かな
婆ひとり匿す障子を貼りにけり
雪あとからあとから海鼠桶のなか
紫雲英田(げんげだ)を行きて己れにまだ会はず
わが雛(ひいな)いまも火中を流れたり
腰高に芍薬園を押し渡り
虚子の忌の風の椿となりにけり
いなだ一本提げし腕より冷のぼり
遺影いつも満開の桜の下
風知草木乃伊の如く書を読めり
吾亦紅時間を握りしめてをり
ひらがなのやうに坐りぬ暑気中り
地の裂けに鎮めの白の霜柱
千年の憂ひを春のくわんぜおん
散るものを散らしめ花のいのち濃し
風呂敷のやうに働き冬なかば
六道のどの辻曲る鴨の味
闇の一つ火焼かるるは胸か畦か
(作者は、俳人。俳誌「実生」主宰。寄稿句を拝見し、異能の透徹に、何度となく深くおどろき、
感心した。早くに句集を識り、心を動かされていた。湖の本の読者。1.4.13掲載)
阿 吽 中川 肇
阿吽
あ きみはだれ
ん ぼくはきみだよ
ああ そうかあ
うん きみはぼくさ
米
父がシベリアで捕虜になり
残された一家は
母の生まれ育った村で
命をつないだ
村の精米所で
空の米俵を叩かせてもらい
わずかにこぼれ落ちる米で
命をつないだ
私には
お米は神のように尊い
或る時
てんとう虫が飛んできて
麦の穂にとまった
それをふたりで見ながら
ひとりが思った
わたしだって
このはるかな距離を飛んで
あなたにとまりたい と
邪鬼
びしゃもんてんだか
たもんてんだか しらないが
したりがおで
なんぜんねんも
おれを ふみつけにして
いいかげんにしろよ
そのうちに・・・・
ゆめのはな
かってなときをかさね
さよならするときはちかい
ところが ごうがふかく
することがおおすぎて
こよいも あたまのなかで
かなしいゆめのはながひらく
物置小屋
あまり外に出すことはない
でも簡単には捨てられない
思い出の品でいっぱいです
解体はおまかせするとして
のほほんとくつろいでいる
今日このごろのわたしです
椿の花に
もしかしたら
あなたたちは
場所を選んで
落ちるのですか
木にあるときと
ちがう美しさを
見せるために
吾亦紅
われも こう
さいていますと
ゆれている
なんだか すこし
さびしいな
われも また
あかいはなだと
さいている
なんだか とても
うしいな
なんじゃもんじゃの花
くるくると
舞いながら落ちてくる
なんじゃもんじゃの花を
てのひらで受けてみる
こんなふうに
人を受けとめられたら
人に受けとめられたら
いいなと思いながら
無患子(むくろじ)
思い患うことの無い子
その飴色の皮をむくと
黒いつぶが出てきます
羽子板でつく あの羽根の
打てばひびく あなた
けっして悩まないでください
わたしに心を開くことで
たとえば
すごい夕やけを見たら
生きているかぎり
感動できますように
そして私が居なくなってからも
少しでも永く
残っていますように
夕やけに感動する人たちが
地球のいたるところに
ひめこぶし
ヒトのからだは
10の28乗もの原子から成り
息をするたびに
一部が
万物の原子と入れかわる
だから 今
きみは ぼくの一部を吸って
ぼくは きみの一部を奪って
きみとぼく そのうちに
中身が全部入れかわるかも
父の部屋
父は 変な物をいっぱい残して
とつぜん逝ってしまった
その最たるものが
このぼくだ
一年近く経つというのに
今だに
父が居ないことになじめない
地蔵
小さなお地蔵さまに
レインコートを
着ていただいたら
楽しそうに
何かを思案するご様子で
雪の道を歩いていかれた
抱きしめて
蝗かなと思いながら
逃げられないように
近づいたが
死んでいた
竹似草の茎を
抱きしめて
わたしは
何を抱きしめて
死ぬのだろう
泣く
この地球で 初めて
大事なヒトに死なれたヒトは
泣いただろうか (母のように)
大事なヒトは 眠っているようで
しかし 冷たくなっていって
骨だけになって (父のように)
あのやさしい声や心は
どこへ行ってしまったのかと
泣いただろうか (私のように)
道
どこまでも続いている
と思ってはいない
あそこを曲がったら
もうないかもしれない
と思いながら歩いている
きょうは雨に打たれて
(作者は、詩人。写真家。「或るギャラリー」刊の写真詩集『かけがえのない』から、中川さんのお聴しを得て編輯者の胸にしみた17作を特に選んだ。この詩集では、写真家中川肇氏のじつに美しい詩的な写真に一つずつ詩が添えられてある。残念ながら現状では写真が入れられず、写真と一緒でないと分からない作品ははぶいた。湖の本の、読者。日本ペンクラブ会員に推薦した。)
自撰五十首 十 六 和泉
鮎子
綿虫の舞ふあたたかきゆふまぐれ耳環の留(とめ)を少しゆるます
黐(もち)の樹の木の下暗しおとうとは臨終(いまは)を誰にも目守(まも)られざりき
夜の間に沙(すな)が埋めてあとかたなし回教寺院(モスク)のドームもわれの骸(むくろ)も
いつはりかも知れぬことばに聞き入りて濡れゆくごとし耳もうなじも
潮騒が聞ゆバッハの旋律も聞ゆ背(そびら)に寄り添ひつむれば
ヨカナーンの首が乗る筈わたくしの首も乗るはず銀の盆みがきゐる
柄(え)の折れし陶のスプーンにすくふ塩なに食べてゐむ手ばなしし子は
他界よりみつめられゐむ肉塊に塩をなすりゐるこの手もとなども
まつすぐに落下し得るとはかぎらない見おろす地上薄らかに闇
十(とを)の指ことごとく蛇となる芝居観てゐてわれの十指もうごく
帽子のつば深く下ぐればみづうみも手ばなしし子も何も見えない
森の裾にまつはりて白き夜の霧ワーグナーはいかなるこゑしてゐしや
雪女の如くに息を吹きかけてやさしくやさしくころしてしまはう
人ひとり不幸せにする力あらばこの甕くつがへす力のあらば
うすうすと灯して車の行き交へる呼塚(よばつか)交叉点 われの夕占
口寄せに吾を呼ぶは誰 梓弓の弦(つる)掻き鳴らすやうな耳鳴り
聴きてゐて咽喉渇きくる夜の更けをひそひそ池の水飲むは何
三面鏡の閉ぢ目より蒼き光(かげ)洩れて死にしおとうとは今も十六
とほき祖(おや)に遊女(あそびめ)などのゐざりしや湯あがりにほふ足の爪剪る
特高より遁ると馬に雪の原野を駆けしとぞわれの父となる前
幽明の境ふはふは熱湯にポーチド・エッグの白く凝りゆく
鬼の出る刻限には少し間のありて橋の裏側の溜めてゐる闇
椿の樹が咲かせて落とす花の緋(あけ)とても鬼にはなれさうもない
安心(あんじん)得ざりしゆゑに遺されし『後鳥羽院御口伝』『遠島御百首』
右左そろへて干しし足袋ゆれて見えて来たるは誰の足首
殺すには惜しき色悪 血刀を杖に苦しき息つきてゐる
血のにほひの口にひろがる 短刀に残る血糊を舐むるを観てゐて
アッシリアのガラスの壺は紫苑色 毒の仕込まれしこともありけむ
二、三年棒にふつたとて何ならむ少しのびたるうどん食べゐる
どのやうな快楽(けらく)ありしや樹の下に緋(あけ)おびただし今朝の椿は
鳥肌の立つ感覚もわるくない『百鬼夜行繪巻』をひろぐ
天界より降りくるやうな笙の音を聴きゐつふたたび逢ふことなからむ
面明(つらあか)りに浮かび出でたる顔ひとつたつぷり悪をはたらきし顔
天袋のあの位置にある 鬱金染めの袋にをさめし刀一振
落したる耳環さがすと屈(くぐ)まれば草叢は刺客をひそめゐる闇
夜鴉が啼いたとて何怖からう母に死なれてぶらんこにゐる
瘡蓋(かさぶた)をむしりし痕を舐めてゐつ 悪左府頼長が敗れなかつたら
マリオネットの舞台めく街降り出でし雪をよろこぶをさなごのゐて
母を背負ひゐしにあらずや姨捨の道にしばらく蹲(つくば)ひゐたり
地球照を抱く三日月 空は闇 われは曖昧な濁りのかたまり
笛方は総身(そうじん)の息あつめ吹くたましひひとつ呼び出(いだ)すべく
かなしみのかたまりがふはり橋懸(はしがかり)にあらはる笛の音におびかれて
死の後も残る感情うつたふと爪先凛(さむ)く橋懸を来る
闇にひかる芒の原が見えてゐむシテはしづかに向きをかへたる
夜の天(そら)より姨捨岩にまつすぐに降り来て散華のごとき雁が音
いかにしても慰められぬたましひがわたしの肩のあたりにもゐる
山毛欅(ぶな)の花不見櫻(うはみずざくら)など知りて何せむ頭上に風のおとする
すれちがふ列車に視界遮られ逢へず花ざかりのはずの一本
おもひ出したやうにひるがへる土手の葛(くず)持続し難し恨みも恋も
頼政と名づけて共にあふぎたる樹ありき今もつむれば見ゆる
(作者は、歌人。古典・和歌・芸能にもくわしく、優艶の歌風、自撰されたこの五十首も美しい。「e-文庫・湖umi」第一番の寄稿者でもあった。湖の本の読者。)
自撰五十首 ひともと芒
高橋 幸子
ロールシャハの絵図あきらかに試されてゐるとも春の小鳥を愛す
「砂時計」一九六五 より
多数決に踏み躙られし一票が五月汗ばむてのひらにある
わたくしに海の展がりがあるばかり掌(て)に半身貝鳴るばかり
四本の画筆挟みもつ左手にもうなにも掴めない冬の陽ざし
だからといつて不幸でもない土曜日の午後わが弾くはF?R.ELISE
染抜きの背紋かつきり縫ひ合はす母の気性の違い鷹の羽
「うらむらさき」一九七○ より
対の雛ひとつの箱に仕舞ひをりかすめて淫らのことも思へり
夏へ秋へ読みつぎて来し物語りのけふのところにて源氏は死にき
乙女の日の講義に覚えドイツ語のふたりの孤独といふ言ひ方も
草子繪の老婆のあばら骨透くを母よと呼べばしんじつ地獄
面ひとつその裏側の凹凸のかなしき彫(ゑ)りを指にて撫づる
杉の葉を燃せばぱちぱちおもしろくみほとけの香もしてなつかしく
この道のゆきつくところ夕ぐれにゆきつくところ釈迦のおん寺
清涼寺
「五色」一九七六 より
歌の塚髪の塚あれば寄りてゆく旅のあそびは淋しけれども 清涼寺
五菩薩の五色のいろをさだかには見分けがたけれどお姿五つ 神護寺
捨てられしのち祀られてゐたる墓もう間に合はぬかたちと思ふ 大津皇子墓
いにしへの都の跡に立ちて思へ平城(なら)のみかどのみささぎの位置 平城天皇陵
六波羅や昔地獄の入口のあたりは夏の日盛り暑し 六波羅珍皇寺
なもあみだ仏出で入る上人の口の開きをかなしまざらめ 六波羅蜜寺空也像
小面(こおもて)のおとがひのした現し世のおとがひ覗き哀しみゐたり
ちちははの骨を並べし塚穴にわが入る余地も確めておく
ひがんばな一つ摘みしがまたひらく花は残して陽のあかるさや
負修羅の扇たたみてかへりゆく死にたるひとの背の諦めよ
若からぬ女となりて夜々食(た)うぶ雀ほどとも鬼のほどとも
眼(まなこ)おさへ骨の窩(うろ)なすを確めるまこと芒の一本がほどよ
冬雲は空にも地にも届かざるかなしみの浮上(うき)わづか移らふ
「紅塵」一九八○ より
闇のなかに瞠くときの眦(まなじり)の力に思ふ土中(どちう)のことも
わがうしろ肩に手を置くひとたれと月の光と知らねば払ふ
秋やあはれ丹波の山の鬼の目もころろに積みて売る今年栗
人間のかたちに思ふ神のこともあはれにけふは祇園の宵宮(よみや)
銀行のソファに待てる数分を無瑕な穴のやうなる時間 「花月」一九八三 より
気付かれぬやうに舌(べろ)出し青刷りの伐折羅神将像切手を貼りて
正月を遊ばむ小倉百人首 坊主めくりはをみなを愛す
翻へす扇といへどしたたかな要あるなりそこしも掴む
水仙の香を踏みわたり来し感に舞ひ納めたるけふを自愛す
この桜しろがねの壺に挿さうかな夜寒むなにかは月も入れむよ
葉がくれにある日杏の実の固きつぶらありけり悪意のごとし
どこまでもどこまでも蓮の穴でした母の刀(たう)より切りこぼれたり
男(を)と共に謡へるわれの低音はをとこをみなの埒はづしゆく
とある朝かまきりの子が草にゐて秋はさやかに目に見ゆるかな
「薬草喩品」一九九一 より
吹く風にしばしは耐へね蟷螂は子ながらすでに佳き姿態もつ
すべりたる皿の破れを拾ひゆく生(しやう)のおほよそは雑用にして
歌・訴へ・譫言(うはごと)・憂き世・恨み節・唄ひ無傷にゐると思ふか
ねむの花若かりし母が鏡台の紅刷ひとつ秘事の匂ひに
この鬼の念仏すればひとたびは仮想の敵となしし手怯む
雪積んで跡形もなき散紅葉 女筆(をんなふで)なる平家聞かせよ
産み了へし母の十寸髪(ますかみ)その日より母と呼びたるひとの記憶は
五智・瞋怒(しんど)・慈悲・牙出(きばだし)と目を移しつひに背面哄笑に逢ふ
終らねば見えぬことども抱へ持ち歯痛を耐へてゐる弥勒像
さめざめと泣くとは今日の紫の花のあやめに降る雨の色
左右左(さいうさ)に踏む舞足のふと狂ひたるとき鬼は人間に堕つ
春は霞、匂ふ桜の花がすみ、読み疲れせる眼(まなこ)の向う
「無可有」二○○一(仕掛かり中) より
素戔嗚尊(すさのを)を人の世のひとと理(ことはり)せし『古今和歌集序』を愛読す
(作者は、歌人。能の舞・謡に嗜み深く久しく、悠々とした歌境に批評の味わいがひそみ、飄逸の措辞と斡旋に「うた」の妙趣がかろがろと、しっとりと表れる。趣向の連句も好まれている。湖の本の読者。)
継(つぎ)の水門(みなと)
田中 荘介
見守られて
花が
薄明の中
さき始めている
冷気が露となる 時刻
開いた花は 白のゆり
蘇生した 幻の花
< 命継ぎき >
見守る人の 声
千年の昔 女が
閉じていた目を 開いた
(作者は、詩人。大学で教鞭をとられている。湖の本の読者。播磨・吉備等の風土記の詩的時空にも遠くふかく遊ぶことのある批評の人でも。『ひょうご現代詩集2000』兵庫県現代詩協会編に掲載の新作を寄稿して下さった。播磨国風土記、飾磨の郡の「継の潮」の地名起源譚を素材に、漱石作『夢十夜』の第一夜を重ね合わせ発想されていると。この国のひとりの死んだ女が、遠く筑紫からきた男のまえで蘇る。)
自撰五十首 茜さす 高橋
光義
極まれる君のしぐさの愛(かな)しければ葦のひと葉の揺れに揺れにき
夜(よる)更けし峡の紅葉を吹く嵐止むときも無しわが抱擁も
おのづから吾子の瞳の閉ぢゆけば時雨は止みて月照りわたる
産み終へてまどろむならし深々と清き平安を女は占むる
背に負へる子は癒え来しか唄うたひ白くたたなる山夕焼けつ
貧しきはいささかの金に諍ふを父母に見たりき今日われと妻
手に唾して乏しき銭を数へゐる倹しき妻の指も荒れきぬ
手指荒れ冬水に衣を洗ふ妻いたはり薄くあり経し我か
どくだみを採りて洗ひて吊り干せし臭ひ手にあり妻抱くとき
酒に酔ふわれをいたはるごとく言ふこの少年もいま反抗期
いのち充つるものの静けさ雨のなか泰山木の花咲かむとす
氷(ひ)のごとき心に酒を飲む夜半の空に響かふこほろぎのこゑ
大晦日の夕暗む道来る妻は幸買ひしごと花の鉢持つ
自滅型の性(さが)を寂しみ言ふときに疲れし顔を汝は向けたり
生き過ぎて顧みられぬ寂しさを漏らす日多き母となりたり
呷るごと酒飲むこともなくなりて寂しき時はひたすら寂し
幸せを忘れしごとき顔映りルゴールを咽喉にわれ塗りてをり
目も耳もいたく老いにしわが母よ現し世にゐて現し世を超ゆ
百までも生きむ母かと言ふ兄の辟易したるごときその声
母の遺影いくたびも見て一日過ぐ母より父よりわが享けしもの
亡き夫のもとへ飛天となりて翔ぶ母をまぼろしに蒼天見つむ
茜さす空削ぎ聳る吾妻山日を継ぎ雪は降りにけるかも
昏れ長き茜衰ふ雲の下に吾妻嶺白く幽かになりつ
蒼穹を鋭く黒く抉る山雪を止めず今日ぞ窮めむ
雨含む雲おもむろに皺みゆくカール由々しく午後荒るるらし
行者のごと心つつましく歩み入る樹氷のひまに月山も見ゆ
空の藍窮まりて黒し幾千と樹氷群れゐて心充ちゆく
夕づきていたく幽かなる茜染む樹氷群のなかにわれひとり居り
樹氷の影長く延びきて山に降る雪片ひとつ無き夕まぐれ
疲れきり峰に仰向きに臥すしばし触るるばかりに銀河迫り来
山群にものの響きの絶え果てて雲海のうへ星月夜冴ゆ
雲海を見下す尾根に星垂れてつなぎとめ得し命かなしむ
山塊のうへに夕づく光澄み?の緑の沸きたつごとし
雪渓をスキーに下りくる一人をり翔ぶがごとくに遊ぶごとくに
月山は天の極みに時雨るるか虹ふたつ顕つ奥にくもれり
灯りひとつ無きパグディンの夜更けて全天銀河なだるるごとし
夜更けし僧院の上に月照れりそがひに白くアマダブラム聳ゆ
夕映えは高きエベレストにローツェに残りて渓の冷えくる早し
ヒマラヤの音無き夜を月照りて天の高処(たかど)にアマダブラム白し
壮大に夕焼けの色の動きゐてアンナプルナ聳ゆマチャプチャレ聳ゆ
咲き残るサフランモドキと一日居り人間もどきが来りては去る
スト回避に論落ち着くか懐炉出し火をつけて吹く教師老いたり
座禅草の花に高原の日は差せり糞食らへショウコウ・ゲダツ・ポア
「サイタイホ」も日常茶飯の語と化して今日は教祖と銀行理事長
人の性を悪かと思ふ悲しみの次々起きし一年なりき
誉むるより貶しむる声多く伝へ首相辞任のニュース短し
土下座が流行る欺瞞に満ちし禿げ頭揃ひコロリと下がる
人混み合ふ地下鉄にサリン撒きたるを恥ぢ言ふ男うそぶく教祖
人滅ぶる予言の本は昨日読みき?青く群るる山に今日あり
さりげなき君のことばに刺ありてなほさりげなく話しかけくる
(作者は、歌人。斎藤茂吉研究で知られ、受賞されている。この文庫にエッセイも戴いている。ことに前半の冴え冴えとした境涯歌に感銘を受けている。「茜さす」は歌人自ら題されたもの。湖の本の読者であり、日本ペンクラブ会員に推薦した。)
自撰五十首 彼岸此岸
信ヶ原 綾
そぞろきて春告魚(にしん)そば喰ふ大歳の街に夫(つま)はも惚(ほう)けゐたるや
いやはての鬱金桜(うこんざくら)にゆく春を夫惚くると人には告げず
聴きすます黒南風(くろはへ)の闇腐(くた)さるる熟れ実はつかに毒もてあらむ
またも来て遠くは飛ばず黒南風の喬木(たかき)を揺するハシフトカラス
凌霄(のうぜん)の花咲かしめて朱夏はあれ夫の恍惚われの蹌踉
凌霄の夏畢るやとたづねこし息子(こ)にしたたむるわれの息災
賜ひたる愉楽ならむやゆく夏を夫はほがらに口あけて寝る
行く雲に水の流るる秋の日を極楽とんぼと夫のなりゐる
戯画一巻山のけもののたはぶれて狐のかみそり咲きてゐたるや
─栂尾高山寺─
鳥獣の戯画さぶしめば背戸山に女狐の出てしぐれふりくる
北山は冷えくる早し青杉のなだりあかるく陽の照りながら
老杉の根方こごしく辿りつつ谿のさ霧の這ひのぼりくる
鶏頭花(けいとう)の鶏冠(とさか)崩るる秋深し身すぎ世すぎのなにほどのなく
老耄をかたみに嘆きてこともなく濡るる落葉のやすけさにあり
日常の凹凸少なくなりゆけり峰打ちのごとく崩るる夕陽
眼に見えて感情の起伏失へる日々にやさしもコスモスの花
ふたたびをわらしとはなる夫なれや飛行雲たかく空に伸びるぞ
この夫をその父母にかへさむか欅の大樹日あたりてをり
これの世とかかはりのなき小宇宙いつより夫は天帝となる
息長くたゆらたゆらに惚けゐつ言霊(ことだま)の国さきはふよはひ
われに慰藉夫には至福惚けたる夫婦棲めると来啼く鶯
いつの世かみちのくふかき山びとの天狗のカゲマとなりて惚くる
─『山の人生』柳田国男─
わらしとも天狗のカゲマともなりて夫は冬日を咳(しはぶ)きゐつる
特許許可 特許許可局 法法華経 山の囀り 風の軽口
くさぐさの花咲きゐたり山上の植物園に来て老ふかくゐつ
つれそひてつくづくながし山の花なんの予祝ぞほむらだちたる
六月の少女期くらし山桑に口汚したる森の実熟れて
遠しともまた近きともアラビアのモカの珈琲夫の恍惚
紛失の日常茶飯となる日々を猜疑の鬼の太りゆくらし
失せもののいでざるままに今日昨日元三大師に卦でも立つるか
─元三大師 おみくじの祖─
秋雨に昏るるひと日の花ひらきさびさびとして子規と夕顔 ─子規忌─
日照雨(そばえ)きて海市のごとく立ちあがる愛憐おもしわれに老い夫
崖(きりぎし)に記憶は捨てつ曼珠沙華彼岸此岸のうつつにぞ咲く
めりはりのなき一日を山鳩のしみみに啼きて惚けゆかむか
息子(こ)を攫ひ夫を奪ひて疾風(はやて)すぐおそき秋陽に昏れてゆく町
恩寵はかくもやさしく背にうけて秋陽に拾ふさくらもみぢ葉
茜より縹(はなだ)に移る秋の雲 痴呆の孤独ふかく思へり
人前に見せない顔の出る夕べ 絹雲西へ怒りて走る
とめどなくもの忘れゆく夫とゐて手触るる?(ぶな)の樹肌のしめり
?の木に生ふるきのこを?茸とよびて遊ぶも?の林に
無碍光(むげこう)の野辺にあまねしすでにして枯色に入る秋草の花
全天の雲灼けゐたり惚くるは夫かわれかも見さかひつかず
より添ひてみじかきひまを生きよとや石榴(ざくろ)の熟れ実くれなゐ深し
この町をゆつくり時間(とき)のまはりをり月暈かぶる後の明月
ねもごろに後月(つき)をまつらむ栗御膳 ののさまおとしいくつめされし
寒雷のとよみて告ぐる起承転結夫は至福の寝顔を見する
もろともに語るあはれに月照れり至福を夫のもののみとせじ
感情は失禁のごと溢れたり一生(ひとよ)寡黙に過ぎこし夫に
羽化登仙ま青き空をつき抜けよ蓑虫冬木の花と咲きたり
主婦業を糊口となせり冬に入る石蕗(つはぶき)の黄の熾盛のひかり
(作者は、歌人。こういう境地の優れた歌人がひそと世にひそんで在る頼もしさ、よさを嬉しく思わずにおれない。「鬱金」などのみごとな歌集がある。湖の本の読者。編輯者が新制中学時代の恩師であるが、そのようなご縁にのみひかれてお願いしたのではない。))
編輯五十三首 桃の木 石黒
清介
八十一になりたるわれは正月の雑煮の餅(もちひ)をたのしみて食ふ 平成九年
鯛焼の熱きひとつを公園の夜のくらきに入りて食ひけり
佐渡の海の春のわかめのにほひよき味噌汁を食ふ椀を重ねて
対岸の松の梢にとまりゐしからす羽ばたきてとびたちにけり
罅入りし岩垂直に立ち並ぶ向ひの岸に昼の日の射す
やはらかき越後の茄子の一夜漬なみだいづるごとわが食ひにけり
吹きとほす風をすずしみ新しき家の二階にひる寝すわれは
人身事故のためにとどまりゐし電車のろのろとして動きはじめぬ
尾を赤く曳きて夜空にのぼりたる最初の花火は静かに開く
ベッドのうへに体おこして聞きてをり雨のしづくは草にふるらし
廊をゆくひとのあゆみがカーテンの裾よりみゆるに我のたのしむ
音もなくしづかに朝の明けゆくをまなこ見ひらきみつめつつゐぬ
中庭に梅の古木と葉を垂れてしづまる桃の木と並びたり
昼寝よりさめたるときに葉を垂れて仏のごとく桃の木のたつ
ベッドの上にからだ起して温かき飯をぞくらふ熱のさがれば
夜の庭に鳴く虫の声病室の窓にあゆみより聞かむとしたり
夜ふかくわが起きいでて鳴く虫の声をあはれむ耳かたむけて
病院の食事の味の薄ければあるいは塩を振りかけて食ふ
散歩より戻りきたりてしばらくをベッドのへりに腰かくるなり
手の爪を切りたるついでに足のべて足の爪を切るベッドの上に
雨ふれば朝より寒き病室のベッドの上に足袋はくわれは
散歩よりかへりてくればあなうれしあたたかき栗飯が配れてゐき
寒き風吹けば散歩を取りやめてベッドの上に昼寝をぞする
蟷螂が硝子戸にきてとまりたり青きからだを逆さまにして
いのち死なず生きてかへりしわが家の二階の部屋より外を眺むる
菊の花の黄ににほへるをひと袋もとめぬひでて今宵食はむと
わが家の裏をたまたまとほるときもひるがへる物干台見ゆ
スタンドの電球の線の切れしかばあたらしき電球とかへてもらひぬ
駅前のポストまでゆく道のべに檀(まゆみ)は赤き花をつけたり
看護婦の見習の少女休日にあそびに来たり昼寝してゆけり
虫籠のなかの飛蝗(ばった)を幼子は我に見よといひ目の前におく
蚊屋吊草と狗尾草を道のべに引きぬきて来てコップに活けぬ
百日振りにいで来し会社にわが友の二人死にたる報せとどけり
明治生れの歌人の二人日をつぎて死にたることをわれのあはれむ
髪をうしろに靡けながらに口かたく噛みて走りくる上岡正枝は 国際千葉駅伝 女子一区
ルーマニアのルハイヌスをば追ひ抜きて一位の中国に迫りつつあり 二区田中めぐみ
中国の楊のうしろに迫りつつやうやくにして追ひ抜きにけり 三区高橋千恵美
うしろより追ひかけてくる中国をふりきり遠く引き離したり 四区大南敬美
一位にて襷を受けし松岡は最後ののぼりに今さしかかる 五区松岡理恵
独走態勢に入りて走れるランナーのうなじの汗がしたたりにけり 六区高橋尚子
ちから尽して走れるものの顔みればみなうつくしくがやくごとし
席を立ちてゆづりたまへばありがたく遠慮をせずに腰かくるなり
白百合の白き花弁(はなびら)汚しつつ黄の蕊(しべ)ながくのびいでにけり
肩寒く目ざめし夜半に肩までを布団ひきあげてふたたびねむる
すこしずつからだよくなりし健康をよろこびあへり朝の電話に
肩痛くなる前に止め朝々の五日がほどを年賀状書く
汚れたる眼鏡の玉に熱き息吹きかけてぬぐふ歳のをはりに
前を歩きてをりたるひとが立ちどまり不意に後を振りかへりたり
幸福に暮してゐんと思(も)ふのみにその人の名を思ひ出だせず
追風に背(せな)を押されてあゆむときたのしかりけりをさなごのごと
朝々に摘みて食(を)すといふ青き菜の二畝(ふたうね)ばかり風にそよげり
すこやかにからだ癒ゆればうれしけれ口つけて吸ふ葡萄一房
撞木にて撞かれし鐘はその胴をゆるく揺りつつ鳴りひびきけり 平成九年歳晩
(一冊一年の歌集『桃の木』六七二首から、恣に書き抜いてみた。石黒清介第二十四歌集である。ここまで読んできて、こういうふうには、ものごとはなかなか見えるものでなく、まして、こういうふうにはなみの歌人には表現できないのである。だから力のない人ほど語彙を玩弄して賢しらに陥る。石黒さんのこれは名人藝で、真似よとは言わない。石黒さんは大正五年生まれ、現役の会社社長である。幾首有るか数えていないが、書き抜いた歌を自然と読み進めば、その日々と境涯とは悠々として見えてこよう。これ、禅と謂うべきか。
)
自撰五十首 バロック嫌ひ
阪森 郁代
透明の振り子をしまふ野生馬の体内時計鳴り出づれ朝
『ランボオ連れて風の中』
野ざらしの立枯杉の異形こそ荒野にふさふ燭と思へり
咽喉(のみど)にはやはらかき夢ふふむゆゑつぐみもひよもわれに親しき
いづへよりくるしく空の垂れ来しや麒麟ひつそり立ちあがりたり
枯野来てたつたひとつの記憶かな背(そびら)のみづのやさしく湧ける
下北の寒立馬(かんだちめ)こそすがしけれきさらぎ星を眼(まなこ)に据ゑて
馬もわれも髪なびかせて佇(たたず)めり天動説をうべなふごとく
射るごときまなざし向けて空動く空もランボオ連れてゐるのか
星雲を抱(いだ)けるままに佇(た)つわれら野にしなやかな橋脚となる
さかしまに地平線見ゆひるがへる風の背(そびら)に真裸の月
銀輪に銀の籠つけ遠びかる冬山ことば撃ちに出でゆけ
うす青き空の硝子に透かすときもつとも近しリルケの肖像
往き来する星も蝸牛も大いなる時間の中ですれちがひをり
「酩酊船(バトー・イーヴル)」たれかくちずさめるころか
梢(うれ)に月光が引つ掛けてある 『靡けたてがみ』
四、五日の後を出でゆく帆船と聞くだにうれし春の岬に
手際よく他人の人生脚色し語りくるるは若き記者なり
カフェ・オ・レ泡もろともに飲みほしていまだにわれのバロック嫌ひ
またしても論理の枝に覆はれて直情といふ樹幹が見えぬ
さしのぞく空こそよけれ半身は青に染まりて野の中にをり
変哲なき論と思へどかたはらに聴きつつたのし月うるむころ
暮るるまで茶店(さてん)の顧客花鳥の壁にもたれてきのふのわれは
画廊にてすれちがひたる美丈夫はまさしくテオの末裔ならむ
名告り出よテオの末裔冬空の奥の奥には陽が灼けてゐる
大いなるかなしみに日がゴッホには一萬三千五百日ありき
われを撃つ言葉はすでにあらずしてふたたび戦(そよ)ぐ夏のたてがみ
人生のどのひとこまも押しピンで止めておくなら空といふ壁
『夕映伝説』
今日と明日の縫目に添つて眠るなら朝にはどこかへ亡命できる
薄暮薄明(はくぼはくめい)このうつろさは一箱に封じて異国へペリカン便
あからひくある日(こころの上澄みの)アップルティーを少しずつ飲む
不可思議の最たるものはわたくしと思ふ(思はぬ)思へばたの愉し
わたくしの過去へ返信そしてまた配達不能便(デッドレター)となるのもうれしい
水中花みづにひらきぬ私の中に世界を咲かせてみよう
ヴォルテージぐーんと下げて十年の周期でジェームズディーンを語らう
太極拳まねてゆつくり両腕に世界の朝を巻き込んで来る
自転車のサドル三角先回りしたくて四角四面の街へ
水に水温、室(へや)に室温、なぐさめの鏡の中に体温がある
イグアナを飼ふ人がゐてひんやりと聖化してゆく都市の部室(アーバンルーム)
『夕映伝説』以後
七曜の七つのかがやきおぼろなりあと五、六日眠らすメロン
「マキアヴェッリ」後部座席に積み込んできみはいつより猟書家(ブックハンター)
インターホーンひびく窓より海が見ゆ やがて朽ちなむ櫂と恋あれ
いまさらの更紗和物(さらさあへもの)〈花鳥風月〉の小皿にテリーヌを盛る
木曜日、その黙曜日わたくしのすべてを否定的にとらへて
何ひとつはかどらぬ日に虹立てり 虹はうつすらと向日性
時刻表持たぬわが旅ことあらばゲーテの詩句をつぶてとなさむ
バイエルンの赤き屋根屋根眺望す 故国に火宅といふ言葉ある
目裏(まなうら)は螢の季節 ひんやりとピアスのかけら口にふふめば
たましひの戦ぎやまざる真昼間をふつとわたしの影につまづく
二十世紀と二十一世紀のはざま擦過は激し コンコルド燃ゆ
識(し)ることも識らざることも曖昧にボージョレ・ヌーボー明日は解禁
落葉踏みしめてゆく道いびつなる昼の月読(つくよみ)ゆさぶつてみむ
(作者は、歌人。歌誌「玲瓏」などに拠る。)
自撰五十首 雪 大塚 布見子
降る雪の雨に変りてゆく音か聞きとめ歩むわが傘のうち
さらさらとささらのごとき音のして春の粉雪(こゆき)の竹群(たかむら)に降る
降り初めて薄らに積める雪の道はやも書きあるへのへのもへじ
小暗(をぐら)きに降りくる雪は天(あめ)よりの白き假名文字とめどもあらず
流らふる雪の速さよ天(あめ)と地をつなぎたちまち白き幽界(かくりよ)
こんこんと雪降る雪は垂直に降るゆゑ白き炎とも見え
大いなる牡丹雪降り舞ひ舞へり神の遊びのごときひと日や
牡丹雪しきり降りつつ明るめりこの世の外の明るさに似て
宙こめて降りくる雪は遙かなる富士もさ庭の梅も閉ざしぬ
雪のなか立ちゐる緑はいちはつの剣(つるぎ)のやうなる葉の五六本
降りしきる雪の最中(もなか)にもの言へばわが声さへやはるかなりゆく
亡き母が送りくれたりし国(くに)の小豆(あづき)煮えやすきかもはかなきまでに
雪の降る日はことことと小豆煮てひと日籠るが習ひとなりぬ
淡雪の降れる日に煮て煮えやすき小豆はかなむいのちのごとも
雪降れりかたへに眠る猫のゐて音せぬものをわれはやさしむ
飲食(おんじき)にまつはるあはれか雪の降る夕べ寒けく米洗ふ音
雪の日の夕べ茹でゐる冬青菜(あをな)いろ鮮明になりゆく見つつ
夜の雪を踏みて歩めば劫初(ごふしよ)より蹤(つ)きくるごとしわが足音は
日の暮れて入りゆく峡(かひ)は雪となるフロントグラスに絮(わた)うつごとく
くろぐろと暮れゆく山のおもむろに闇ひと色に溶けて夜くだつ
わが生(あ)れし霜月尽(しもつきじん)を信濃なる峡の温泉(いでゆ)に雪ききてをり
峡の夜の闇に降り積む雪の音わが過ぎゆきの音としも聞く
真夜覚めて雪の音きくわがめぐり柩(ひつぎ)のなかの闇のやうなる
雪の夜の闇に目覚めてほむらだつ思ひありけりいまだ口惜しく
降る雪の音なき音をききにつつ眠りに入らむ峡の夜ふけて
雪ききて深く眠らば安けしや未生(みしやう)のわれに還りゆかなも
しんしんと雪は降り積む夜の眠りわれはみしかも身籠りし夢
雪しろく積みたる朝を目覚めつつ処女懐胎をうべなはんとす
よべの雪晴れあがりたる峡の朝きららぎわたる傾(なだり)の樹樹は
わが愛の散りしがごとしくれなゐの紅葉ひと葉ははだれの上に
はだれ雪踏みつつ歩む峡の小田(をだ)さへづりの声いづこにかする
雪止みし峡の朝空啼きめぐる鴉は人の声にかも似て
人ゆかぬ雪の山路をゆかんとしその真白きに踏むをためらふ
山ふかく杉の葉におく純白の雪をふふめば杉の香のする
葉の散りて清(すが)しと思ふ雑木さへ雪をかづきて浄(きよ)まらんとす
いささかの雪にたやすく地を這ひて蟇にかも似る小笹(をざさ)を憎む
たとへ身のくたびれ果つとも蟇のごと地を這ふことなど我はせざらむ
雪消えていともやすやす立ちあがる小笹のみどり目にあざらけし
雪霽(は)れて忽ち蒼き山の空わがたましひの還る奥処(おくが)か
雪落ちし櫟裸木(くぬぎらぼく)の梢にはのこる一葉(ひとは)の風に吹かるる
野をこめて雪は降りつつ枝(え)に残る林檎(りんご)の朱の色顕(た)たしむる
雪しまき降りこむる野の中天に白くおぼろの日の有り処(ど)かも
雪霏霏(ひひ)と降る高原(たかはら)を降(くだ)り来つ黒衣まとへる尼僧のごとく
目覚むれば夢のつづきの如くにも雪降りゐたり音もあらなく
雪みぢん舞ひて小暗きこの宙(ちう)に見えぬ小人(こびと)の棲むやと思ふ
雪はげしく降り積む見ればわが記憶のもつとも古き日の甦る
清らけきもののおとなひ朝覚めて庭に降りおく白き斑雪(はだれ)は
はだらなし消えゆかんとする庭の雪をりをり光れば懐かしきごと
芝の上にはつか消(け)残るはだれ雪悲しみのごと透(す)きて蒼める
ふり仰ぐ雪後(せつご)の天の蒼く蒼く深きわだつみ覗くと眩(くら)む
(作者は、歌人。歌誌「サキクサ」主宰。大塚布見子選集十二巻を短歌新聞社より刊行中。その第七巻「短歌雑感」の巻頭数章をこの「e-文庫・湖」に戴いている。湖の本の読者。当代歌壇切っての論客として知られている。その短歌観に如実に拠る作者若き日の雪の詠草五十首をご寄稿戴いた。)
自撰五十句 芋の露
奥田 杏牛
暖房車海潮の縞うつうつと 「初心」
寒月光末広がりに濤散華
青麦や女こめかみまであをし
ビイ玉を透かし見る子へ夕焼ける
冬鷺の倒ると見しは羽搏つなり
楮さはす茣蓙一枚の女の座
死に至る病に病める松の花
芦刈や巴波川波ささくれて
桜ほのと真夜の白河すぎにけり
老師ひそと在す障子や鳥影す
蒟蒻の刺身が寒し遍路宿 「応鼓」
枝打のあなどりがたし頬打たる
臍の緒のけむりのごとし梅の花
山祇に命放たれ雪迎へ
雪ずりのづしんと寺をうかせけり
新婚を訪ふや門松こぶりにて 「安良多麻」
初雛赤子ながしめしてゐたり
さくら貝ひとの夫人と拾ひけり
鳩吹くや愛染筑波真正面
三千大千世界(みちおほち)雪は降りけり雁木空
押さないでポケットの土筆潰れます
桃の花濡れた脚立はそのままに
生身魂南瓜の受粉したまへり
大年の庭の隅掘る男にて
きのふよりけふやはらかし春の土
金閣寺雪大胆につもりけり
落鮎のしわしわ流れゆく日かな
水馬水の笑窪を踏まへをり
心太むせて老婆を嚆はせり
神留守の鳥居はぬれてゐたりけり
川底に日当る午後の紅葉かな
降る雪の降りこむ川の昏みけり
誘蛾灯命の爆ぜる音のして
赤トンボ石の温みを盗みをり
笠の緒の紅絹のほめきや風の盆
深爪をしてしくしくと十二月
畳の目横目びかりに三日かな
濁り鮒水をにごして走りけり
くちなはの躬を櫂となし泳ぎ切る
耳たぶをかるく剃られて薄暑かな
芋の露ころりとあの世この世かな
いちにちのをはろふとする冬の庭
おめあてをふっとわすれし冬日向 「暦々」
小鳥来て鳥語降らせる師の墓に
抜けてゆく命のしろき薄かな
われに遺書かけとや妻の薄雪草
犬ふぐり見てゐる前で踏まれけり
鳥雲に入るや女身はおぼろにて
妻病んで茗荷の花を咲かせをり
かたつむり五尺のぼれば知友めく
(作者は、俳人。「安良多麻」主宰。石田波郷また瀧井孝作を生涯の師とし、謹直かつ自在の俳味に死生直視のきびしさを光らせた、つよい人である。湖の本の読者。日本ペンクラブ会員に推薦した。)
自撰五十首 神の爪 松坂 弘
暗澹と菜の花の黄に降りそそぎ音なき昼の時はすぎゆく 『輝く時は』より
干網は白く芝生にうたれつつ輝く時のいまは過ぎゆく
青春はなおそれぞれに痛ましくいま抱きおこす一束の薔薇
芽ぶきどき木立の中は午後の風荒れつつ鱗(うろこ)のごとき光が 『石の鳥』より
枇杷熟るる宵々なりき降りつぎてほのくらがりは母をつつめる
死のきわの手の冷たさを思い出で夜更すこしの水を零せり
折りこんでゆく秋の陽のくれないや少女の夢の鶴のかたちや
卓上にひろげし白紙かげりつつ遠ざかり行く春の雷鳴 『春の雷鳴』より
黙示録よみ進めをりつきつめて思へば常におのれかばひきぬ
一子のみわれら賜はり夜の卓にむきゐる秋の果肉よ白き
まぎれ来しこの世の事とうべなひて千手観世音に向ひ立ちをり
一枚のガラスが支ふる夕茜手に脆きもの賜はり立てり
行きて逢ふ人はなけれど安曇野の菜の花畑ひとり恋ふなる
雪の夜を別れ来ぬれば紀の国の黄金(きん)のみかんを恋ひわたるべし
弟に譲りし信濃の家古りて建てかふるとぞ伝へて来たる
口濡らし果実食べつつ今日の午後すれちがひたる神を思ふも
箸先に生きて身をそる白魚(しらうを)をのみこみし夜半ひとりするどし
外国に留学したき娘(こ)の願ひ抑へおさへてわがふがいなし
またたびに百獣の王酔へるさま秋の日なかに思ひ出でたり 『聲韻集』より
降り継ぎて午(ひる)に近づくころほひを障子の匂ひわづかたちそむ
録音機に再生されゐる自(し)が聲を聞きつつ言葉の自画像を思ふ
演技との際(きは)あいまいとなる時に役者といふはいかにかすらむ
あをき実の熟す日頃を言葉よりことばをえらぶ苦役たのしむ
小綬鶏は若葉の闇にかくれゐて火を点じあふごとくに叫ぶ
みづからの意思つたへむと形もて色もて花はこの世に開く
次々に舞ひくだりくる丹頂鶴ながき脚先まづわれは見き
紺色の半ズボン穿く疎開児を寒からむとて何時もおもへり
国語の本の朗読うまき疎開児を妬みすぐすを日常とせり
今日ひと日花を支へて立つ茎へ朝ひえびえと水注ぎをり 『蒼昏』より
緊迫をそこにあつめて指揮棒を振りつづけゐる孤独あるべし
高層に住みてたちまち十余年せつぱつまるといふ事忘るる
口中にひらひら間なくひるがへる舌赤きゆゑわれは信ぜず
通り来し硝子戸いくつきれぎれの今日の肉体をゆふべ集むる
しきりにも物音のする安息は日曜の長き午後におよべり
雨のち晴れ、蛍袋のほの明り言葉を包みのびあがりをり
黙々とゆふべの飲食するわれが硝子戸の奥に似るしぐさせり 『今なら間に合ふ』より
ただよへる飛行船の影見えねども街の凹凸を移動してゐむ
うす蒼き陶器の底に小寒の卵黄はすこしふるへてとどまる
卯月の空花ひらきたる花水木、花の横に花、風の横に花
高々と曇天に桐の花ともる、今なら間に合ふと歩きはじむる
飛びたてる鳥の行方を追ひし後水はゆふべの闇を宿せり
石段をわれに先立ちくだりゆく影とふひらたき分身ひとつ
自動ドア過ぐるいくたび仄かなる痛みにも似る感覚おそふ
白き花さはにそよげる昼を来て心処(こころど)くらし妻をいだかな
翔つ鳥の臓器を思ふをりをりに発光すらむと空あふぎをり
八重咲きの華やぐなれば曇天こそ欝金(うこん)の桜に似合ふと思ふ 『今なら間に合ふ』以後
むきむきに花笑ふ欝金桜の下何かにキレて聲をあげさう
高官の恋や不倫はプライベートの範疇やいなや、新聞をたたむ
カナカナは繁みに灯ともし池の面に灯ともし、我には故郷あらず
風のたびゆさゆさ上下に揺れあそぶ木蓮の花は神の爪として
注 第二歌集まで新仮名遣い
(作者は、歌人。歌誌「炸」主宰。湖の本の読者。硬玉のように冴えた抒情に都会人の孤心の光るのを読みとりたい。日本ペンクラブ会員に推薦した。0.12.27寄稿)
自撰五十句 鉾を追ふ
神原 廣子
探梅や瀬音のほかへ耳澄ます
残雪の襞あつめたり余呉の湖
春陽を東へ落とすミラービル
何摘んではりますのんえ土筆どす
流さるる雛に今はの閉じ目なし
古雛を飾りゆつくり日が暮れぬ
舟屋より舟屋見えゐて水ぬるむ
風の野に羽化の心地の春着かな
日付なきジャガタラ文や鳥雲に
啓蟄や寝てゐる人の耳の穴
竹の皮落ちひとふしの青さ増す
藤房をつたひて夕日落ちにけり
五月闇さきの先まで青信号
鉾にゐて目の高さなり東山
裏辻を抜けて贔屓の鉾を追ふ
子の声に夜も落ち着きのない金魚
坂くだるとき大文字せり上る
大文字に近づきたくて橋渡る
子の産着ひまわりよりも高く干す
麦畑遊んでもあそんでも暮れず
内緒簗水音だけは隠し得ず
一枚がかしぐ角屋のすだれかな
瀧あふぎ誰も無口になりてゐし
子鴉のとり残されし余呉の濱
山小屋に覚めて気落ちの雨の音
ファーブルの虫整然と冷房裡
ゆるされて膝くづしをり酔芙蓉
磯桶を伏せて良夜の海女の家
夜濯や両手で月もかきまぜて
逃水の消えてここより忍者村
虫干や絵巻終章巻きしまま
灯りそむ八尾七坂風の盆
落穂拾ひ見るやミレーの眼となりて
悪童の顔して夫の落葉焚
風呂洗ふ底の余熱や一葉忌
あたたかや海の匂ひの昆布店
顔見世や端の役者と眼のあひし
咳一つして誰も来ず勅使の間
白朮火の輪のゆく闇に人のこゑ
顔見世の向う桟敷へ遠会釈
除夜の鐘聞きに出てみる勝手口
初音せり千家ふたつを過ぐるとき
初空や松より松へ雲ながれ
寒夕焼わが身ほとりはすでに闇
日輪をよぎりし鶴の嗄るるこゑ
雪すでに四足門へと踏まれゐし
ミスターレディ嚔まさしく男なり
ワイパーの扇状世界雪降れり
松迎へ 妻には榊伐らせをり
ものの音なべて遠しや座禅草
(作者は、俳人。くわしい身の上は何も存じ上げない。面識はないが高校の後輩に当たるお人であったかと。湖の本の読者。佳い句集を出されていて感じ入った記憶がある。0.12.20)
自撰五十首 ベツレヘムの星
辻下 淑子
水槽のガラスに寄れば藻のかげに魚(さかな)となりし目に見つめらる 『失楽のうた』 56
挿木せし薔薇やはらかく芽吹きそめ消えがての夢つながむとする
書き換へし月給袋をさりげなく受くあざむくはさびしからむを
君に逢ひ得む唯それだけの希(ねが)ひ抱き縁うすき人の葬送にゆく
セザンヌの描(か)きし遠景に別れたる人を立たせて夜ごと逢ひにゆく
ふくろふ時計くるくる目玉うごきゐて瞬きの間もやすらかならず
ほこりかに妻の自由の限界を言ふ人となほ暮しゆくなり
あざなへる縄のごとくに愛憎の交錯せる日を紫陽花の咲く
左右(さう)の手に子らを抱(いだ)きてねむる夜のゆめ果てしなき砂漠をゆきぬ
童話いくつ語り終りて子もわれも蒼き人魚となりて眠らむ
異民族われの心をゆさぶりぬロシア民謡の低き男声 『銅婚』 71
息つめてウエストを締むスカーレットもわれも女の弱味を持ちて
子らの待つ家路いそげば騒音の街に手錠のごと腕輪鳴る
たんぽぽの絮毛まひ込む昼下り運ばれゆきたき心を持てり
ヨーデルの余韻ひびけば遠くよりわれを呼びゐるごと落着かぬ
帰らざる犬をかたみに悼みつつ聖家族めく錯覚たのし
娶りしと風の便りに聞きしよりわが還るべき原野は失せぬ
君の記憶すべてを焼きし合歓(ねむ)のした雪降りつみて地を均(なら)しゆく
遠き母の祈りを感じポケットの中に冷えゐる手を握りしむ
帰りくる夫に出会ひて渡す鍵ひと混みの中にわがさりげなく
天よりの福音のごと大いなる落葉樹いつせいに葉を散らすなり
豹斑のスカーフ巻けば禁猟区ならぬ舗道に風が追ひくる
通院の度に持ちくる毛糸玉編み上がる日に癒ゆる心地す
高度俄かに下げし機を見て動悸せりもはや戦後にあらぬといへど
夕映の薄れゆくころ仮面とるごとくに胸のカメオを外(はづ)す
バザーにて買ひしロザリオ神ならぬ地上のひとりを恋ふる手に持つ
無重力の世界を泳ぐ感じにて追へざりしひとを醒めて想へり
母の手に裂かれし封書いまもなほ夢の中にて拾ひ集むる
バッキンガムの衛兵人形いつかしく飾れど守られゐるわれならず
いまもなほ上司の妻といふ位置に物言ふひとの受話器置く音
青空にルーレットのごと定まらぬ風向計あれば期待を捨てず
イエスのごと許せといふやありふれし生身の女にすぎざるわれに
こぼれゆく時間を拾ひ集めては編むセーターのとりどりの彩(いろ)
パンタロンスーツの裾をひるがへし闘魚のごとく街をゆくべし
われを呼ぶ合図ならねど耳澄ます軽(かろ)やかに過ぎゆく夜の口笛
わが推理及ばぬ世界へ出(い)でてゆく夫(つま)の後姿(うしろで)あさもやに消ゆ
一葉だに残さぬ公孫樹の並木みち荘厳に続きわれの小さし
風騒ぐヒマラヤ杉の間(あはひ)より折れむばかりの十字架が見ゆ 『射手座の章』 78
帰り路に逝きたる夫のポケットにありし合鍵 子が持ちて行く
絨毯の薔薇に紛れしコンタクトレンズ雫のごとくに光れ
指のみが記憶してゐて鍵盤を走れりわれを呼び醒ますごと
仰ぎみるプラネタリウムの星空に射手座の半人半馬かがやく
雑踏を縫ひてひたすら急ぐとき待つひとのゐる女と見えむ
トルコ青のドレスを縫ひし夕つ方潮の充ちくるごとも昏れ初(そ)む
ポケットをあらたむるなく預けたるコートよりわが秘密こぼれむ
落したるローンのハンカチ熄(や)む間なき野分にいまも飛ばされゐむか
娘(こ)のこころ推(はか)りがたき日ベツレヘムの星とふ花の咲きはじめたり
飢ゑの記憶持たぬ強さに子は育ち藍のあせたるジーンズ穿けり
ドゴールの胡桃割り人形を使ふいま買ひ来し夫も将軍も亡き
睡蓮を描き続けしモネをおもふ家族の減りてさみしきゆふべ
(作者は、歌人。「形成」「女人短歌」を経て現在「波濤」選者。現代歌人協会会員、日本ペンクラブ会員。歌集は『蝶の道』『紋章』など七冊、エッセイ集は『風のゆくえ』他。湖の本の読者。この自撰五十首は、さすがにと思わせる悠揚として実感せまる華やぎと寂びしみに成熟感が充ちている。字余りの名手で、韻律に生彩を呼び込んでいる。押して手間をかけさせ五十首をお願いして、よかったなと喜んでいる。)
自撰五十句 まさかの母
高島 信一
寒釣のうしろに邪魔な目がありぬ
凍瀧の内なる水のひびきかな
開けたての猫に手をかす十二月
木のひかり雲の光も二月かな
寒禽のしばらくは梢離れざり
狐いくども真上に跳ねて冬田かな
スケートの腕大きく振り始む
雪晴や赤子に指を握らせて
雪割ってをれば鴉の騒ぎけり
青き鷹いざなふ山河ありにけり
冬の瀧対峙の海をまぶしめり
暮れ際の鴉ふたこゑ憂国忌
霜夜聴く狼となる犬のこゑ
何くはへふりむきゐたる夜の鼬
良寛忌日向にありし馬の貌
飲めるうちのむ酒落花しきりなる
蛤の鳴くにほどよき暗さかな
水温む樋に雀のはづめるよ
葉桜の風をまともに古机
忽ちの雨に日の射す花辛夷
花筵ひとりにされてゐたりけり
日脚伸ぶ処どころに忘れ潮
うるはしき瀬音鷹化し鳩となる
いくたびを母狂れにけり韮の花
易々と子がひきづりし流れ昆布
渓流の暗さをいでず花さびた
真後ろに狐きてをり月見草
颯々とゆたかなる胸麦の秋
ややありて踊り太鼓の滅多打ち
虎杖の花が隠せる鉄路かな
かんかん帽吹きとばされて襟裳岬
郭公の木立はるかに海の紺
おほつぶの雨に泳げり金魚草
一粒の砂も動かぬ蟻地獄
蝉時雨敵は幾万ありとても
短夜の明けゆく川を人わたる
何鳥かうしろに目あり蓼の花
錦秋のひろびろと湖ありにけり
湯を注ぐだけの飲食十三夜
納沙布の潮目を見せし秋没日
十一月まさかの母をうしなへり
馬鈴薯に笑窪ありけり転がれり
鰯雲地球のまろさありにけり
秋耕や日の円かなるぼんのくぼ
天高しひとの眼鏡に雲流る
月代に女のうなじ海動く
濡れゐたる蛤どれも雀の斑
末枯のおよぶ水底明らかに
寺までの道濡れてをり渡り鳥
鳥どももゐて秋色のまぎれなし
(筆者は、北海道在住の俳人。じつは昭和九年生まれの方と初めてお手紙で知った。多年の、湖の本の読者。)
自撰五十句 浄土やさしきか
清沢 冽太
影のやうに仙蓼がゐて邪鬼がゐる
身も世もあらぬ生駒颪で何散らす
どの冬芽より動けば吹雪く夜となるか
仁王にことば涼しく洩れて寒の入り
笹子消ゆそのしじまこそ雪ならむ
花枇杷の青の室生寺うかりける
雪の日の木屋町 蕪の転び出づ
枯木への十歩の余寒見たりける
田螺和(あえ)あなや多喜二の食ひたるや
雲雀野の虚の時々や見のがさず
むかし少女のほとのかをりによもぎ摘む
わがものとして死ありみひらのさくらあり
しじまとは念珠の音かさくら散る
俺と弥陀と童児とをれば 桜濃し
残花とは行方に見ゆる意思なるや
ぎぎ鳴かせ来む世もたしかぎぎ鳴かす
山ざくら揺れてこのごろ南無阿弥陀
槻の芽の日差し探せば野にをりし
文殊へと鳴きし栄螺を聞き得しや
いぶかしき花あんずとはたれのすがた
生きるとふ事のうら側蝶わたる
山茱萸を消すさびしさは 誰でも持つ
こぶし咲きそのあと生か死か忘ず
余花の散る 雪に韻きのあるやうに
槻わかばの青き光陰なり見たる
たはやすく咲く牡丹あり 墨のやうに
木の芽あめあるべきやうは寒し寒し
人の世の香の涼しさか空木咲く
倒れ伏し菖蒲しづしづ霧となる
べらと棲み流れのままのべら涼し
牡丹しべいつも揺れ愚といふことば
わが生れたる日の素馨なり思ひ出す
覚めてゐて栗を咲かしむたれかゐるか
夜の香かいさき食ふとき見ゆる香か
人間の眼に棲みはんざきさみしいか
咲く思案のはくうんぼくか昼をふかめ
梅雨入りとは身にほうたるを秘むること
余花に聞く史実や橋をわたりけり
人知れず逢ふほたるには月痩する
くちなし咲く死をさながらと呼ぶゆゑに
瓢の実に飽きたる余白何処へ仕舞ふ
鯒買ふか壺買ふか思案かるからず
夕顔にわたくしの安居終りたる
梅雨かみなり光とふもの抱きにけり
憂き秋と鐘が言ひしか橦木(き)が言ひしか
えごの実へちぶさ育ちて光り出す
芙蓉ほどの涼しき白の僧義玄
草もみぢ千里行きなば燃ゆるかと
むかごてふ言葉無きもの抱かんとす
浄土やさしきかくわりんの香と似てをるか
鴨の眼でこの世を見たらどうなるかと沼の端にうつぶせになったことがあります
あたりまえのことながら 水面は目の前に あたりの木々が 大層 大きく見え
ました 俳句ヤ は何をやり出すかと われながら苦笑した次第です
糸とんぼ 神は さびしき もの つくる
(筆者は、俳人。その余のことはとくに存じ上げていないが、久しい湖の本の読者と作者として、昵懇の実感を分かち合ってきた。句の気合いに、禅機を感じているが、如何。)
霊 岸
岩佐
なを
よばれている。
伝わってくるものは音でも光でも振動でもない、では匂い、うーん
(考)、やはりちがう。 じゃあ、どうして呼ばれていると判るのか、
わからない、が、聘ばれている。「気がする」ってそんなに貶まれ
る判断理由ではないよ、ね。
よんでいる。
先方の居所は霊岸であろう。どなた様かがわからない。水に沈ん
で金属や骨の堅さを有つ冷たい御方らしい。そうだ (前世記憶残
存片 壱)。 あおいがよおく焼けて、その骨を町屋葬祭場で拾って
やったとき、艶のあるずっしりした他者の御骨が混じっていた、正
体は添わせて棺に納めた一体の人形の骨格の一部で陶づくりの
ものだった、異物に、恥かしさを感じ、でも あわてないふりの手つ
きで、あおいのすかすかの骨骨に紛らわせて 自家製の壺に異骨
を隠した。いっそ「撒骨がいいと思いませんか」
よばれた。のなら応えるのが挨拶というもので。
住み処を出る。 この大川永代附近川底番外地横穴をいでて、鰭
で脇腹の鱗を撫でつけ 自慢の髭で淡水を嗅ぐ、 水の流れは、月
齢は、花は、散華は、こころばえは・・・ 風を語ろうにも鳥を詠もう
にも無学なために果たせない、 なっさけない愚魚さ。 ただ魚の目
に泪はないね。水底からの階段がある、ここで前世の形体を授か
る、しゃなりしゃなり、 化けながら昇ってゆく、川から上がるといい
按配に小糠雨降り、 ひとっこひとりいない河岸の浪漫。石の街。
歩きはじめは 靴からがっぷがっぷと水が零れ歩道をさらに濡らし
てしまう。ひとに出くわしたとしても彼らに正体を発かれるわけがな
いから怖くない、ひょいと避けてやればよいだけだ。名犬は困るが
この街にはいない、賢猫も。水から上がると足が濡れていることが
気色悪いのだから、げんきんなものだ、 化ける前には脚はなかっ
たのに。 そうだ(前世記憶残存片弐)。 まだヒトだったころ、「赤丸
病院」むりやり退院の帰り路、淋しい霙にサンダルをつっかけた素
足が濡れて凍えた。鼻緒が甲にくい込み街あかりすべてが尾をひ
いて斜交いに流れていた。くたびれた紙袋にわずかな生活道具を
ねじこんで提げつんのめりながら途中迷いに迷って(薬のせいだ)
小一時間歩いた、安アパートへ辿り着き玄関先でぼそっと死んだ
っけ。━━
よんでいたのは。あなたですね。
霊岸橋の欄干に凭れて運河をのぞくと苔色の水はとろみ、その底
にくるまのなきがらが沈んでいた。うらめしげにひしゃげたリヤカー
の残骸。くるまの黒護謨はただれふやけぼろぼろ襤褸襤褸の海藻
を想わせるつぶやくような泡。道具もひとりじゃ淋しいね。現世の姿
を得、水に入って尾鰭をこすりつければなぐさめくらいにはなるかな、
黒い鉄骨の間からきこえるおも念いの強いものがたりを聞くよ。呼
ばれて駈けつけても、なにも助けにならないことは多い。首肯くだけ
でいいのなら橋上でしばらくは聞いているよ。リヤカーにも一生涯が
あり忘れられない光景を秘めて水底で迷っているのだろう。━━三
丈(みたけ)さんが、あたしにダンボールを載せて引いていたころ、自
動車は夥しく増え続ける時代であり、 坂では幾度も背後からいらだ
ちの警笛を浴びせられた。(シロよ、おびえなくてもいい)素朴な代々
混じり気ばかりの複雑な血をめぐらせた老犬は 側で眼をきょときょ
とさせ、無念、何も手伝えなかったが。<三丈さん、坂はのぼりもく
だりもつらいね>シロは仕方なしに尾を振り続けていた、むなしいが
応援のようでもあった。一歩一歩あたしを引く三丈さんの足には垢が
すごいし、体調の悪いあたしは軸が軋んで苦し気な声をもらし、先ゆ
くシロは 哀しいけれど澄んだ眼差しを前方へなげかけていた。上手
に負けを呑みこんで 老練な強かさを身につけたシロ、と、三丈さん
のしなる痩?、その影。ぐっすり眠るのは死んでからだ━━三丈さん
と離別して四年目の春、くるまは霊岸橋の脇から突き落とされた。
柳の新芽あおく、桜の蕾はふくらむ季節だった。 それから、
浅く眠
っては淡く覚め、水門の開閉をながめながら朽ちた。
よばれたからには。
つるんと 零れるように橋から身を投げた。どっぷん、通りがかりの
人間には空耳にきこえるべし。現世の姿に変化し、水中でやわらか
く一回円を描き、南無、くるまの骨のすきまをゆっくり縫って泳いだ。
(きっと成仏できるよ)水門を抜け右に折れ日本橋川を流れにのって
奔れば大川に出る。その大川の底にも 鎮まった器物や道具がやす
らかにぐっすり眠っている。
(作者は、詩人。H氏賞受賞詩集『霊岸』の表題作を戴いた。みごとな書票作家でもある。日本ペンクラブ会員に推薦した。湖の本の読者。0.12.8寄稿)
自撰五十首 折りにふれて
上島 史朗
動員のさなかにありて学問を恋いしがありき忘らえなくに
薄明になきたる蝉のはたとやみ夜の明けまでの静寂におり
生返事している吾につづけざまに子が語りかく何わびしむや
山ふかきいでゆの宿に夕まけて部屋ごもりおれば落葉焚く音
海の見える明かるき街を下り来て電車線路を幾つかよぎる
エスカレーターに刻々売場は沈み行きわが目(ま)なかいに美しき脚
玄鳥(つばくろ)は軒かすめたりひえびえと山かげり来ておぐらきひるま
山寺の白砂に日のさし添えば斑猫(はんみょう)とべる幻覚のあり
暗き谷の空ひらけたるところにて声なき鳥の幾つかが舞う
九体佛ならびいたまう中にしてくち朱き佛もまじりいたまう
東京に来て親しみしものの一つどぶどろ河の橋わたること
おのがじし釈迦の説法きく羅漢かしぎて行儀あしきもありぬ
街並の上に五十の塔が見ゆ道狭くしてたちまち見えず
体格のよき女子選手たちまちに通し矢の的したたかに射つ
工場裏に積み捨てられしプラカード「反対」の文字を目にとめてすぐ
荷風誌す遊女の墓域とわんとし驟雨あがるを地下道にまつ
「生まれては苦界 死しては浄閑寺」と刻み遊女慰霊碑は雨にぬれいつ
レイテ島に潰滅したる部隊記録も戦績として石碑に刻む
買物籠をさげたる女灯台に入り行きて冬の海荒れに荒る
秋の日はしみらに照らすいしぶみの元暦(げんりゃく)校本万葉歌二首
百七十余名のダム工事殉職者銅板にえりて同姓多し
平群(へぐり)にて行き交う電車すきており童女が窓に鼻押しつけて
ビルの空を飛翔する鳩思わざる広告塔のあいを出入りす
知り人の親しき家を訪い行くにどの家もまず孫が出てくる
楼門の朱きが前に立つ賢木(さかき)連理とあれば人は羨(とも)しむ
恐山の冷えの湯小屋に乳房垂りしバサマが二人湯に浸りいる
秋の日のしみらに照れば木下かげ師のいしぶみの歌に手触るる
上州に移りて育つ女(め)の童(わらわ)ときにやさしき京言葉で(い)ず
食用カンナ・フトモモ・パンの木・タマゴの木温室の名札見るさえ楽し
この沖に遭難せりとクルーらの碑は湖岸より引き入りて立つ
文庫本の「朝の蛍」を持ち歩き持ち歩き読みしは五十年前
父子二代学びし師範学校今はなしあわれ教職に一生(ひとよ)すごして
応法の声長くひきて托鉢の僧は雲吐くごとくすぎゆく
店ぬちを黒揚羽ひらひらさ迷いてあな素晴らしと言わしめて出(い)ず
待避線にわが乗れる車両ゆれており特急通過の風圧にたえて
何びとか我に私語すと覚えしはうしろより風にのり来つる声
碧海の泡より生れしビーナスに蒙古斑などあるべくもなし
焼夷弾にて文字面剥がれし墓石ののっぺらぼうがわが目に残る
安騎野駈くる蹄の音は空耳か落葉あかるき林の丘に
一九〇〇年パリー上演の貞奴ポスターは残りぬ命より長く
ファーブルの黒き帽子も胴乱も見学の子らの肩越しに見つ
大杉栄訳せし「ファーブル昆虫記」少年われの愛読書なりき
うすぐらき杉の林を透かし見ゆる隠(こも)り沼(ぬ)のありて光を返す
湯殿山は素足で参ると諭されておみならパンティーストッキングを脱ぐ
山の葡萄を採りつつ下る老夫婦に声かけて湯殿の山を下りゆく
翁堂の茅屋根に春日ふりそそぎ池の添水(そうず)の音もものうし
芭蕉翁絵詞伝のはがきなど求めて境内をいでてきにけり
盛装のおみなら丹塗りの矢を受けて糺の森の参道を来る
わが前に停りしはテレビ車両にて大阪までのど自慢きかされている
天界に行くにも行列をなすものかロープウエーに順番を待つ
(歌人は、「ポトナム」同人。編輯者秦の高校時代の恩師で、歌集「少年」の多くの歌を見ていただいていた。今も、湖の本を欠かさず読んで下さり励ましを戴いている。ご高齢の病後のなかで、このe-magazine湖umiのために、いちはやく自撰歌をお送り下さった。簡素にして飄逸かつ温和な先生の、寛大なご境地がうかがわれ、羨ましいほどに感銘を受けている。心よりご健勝を祈りたい。「順番」は永く永くお「待」ち下さい。)
自撰五十首 千年の終はり
高崎 淳子
きらきらと語りつづくる人のあり星の溢るる稲村ヶ崎 『寒昴』86
掲げねばならぬ旗などないけれどつまりは自己愛少し強くて
家計簿もつけますだから今すこし影も曳きます青春すこし
渡るも愛渡らぬも愛天と地に愛を糺して北十字(ノウザンクロス)
なにもかも私の籠に摘みたくてナズナ・スズシロ・修羅・ホトケノザ
パンドラの箱にひとまずひそませて消えないように燃えないように
飲みくだすワインも嘘も愛のうち トルコ桔梗と都合で呼んで
始祖鳥もタブー・モラルもわたくしもつかのま活きて時代を生きて
父の弾く「菩提樹(リンデンバウム)」一条の木漏れ日のごとわが森を射す
漆黒の髪よピアノよアルゲリッチよ 技巧とは詩情なりき
冬薔薇点して雪降る妻の庭かくもやさしき無念もあるを
風鈴の音にひねもすくらすなり西瓜売り来て吾を殺めよ
まつたうに愛しあひたるいちにんをそもそも夫となしたる不覚 『夜想曲』91
妻は座に執するものとなにとなく思ひしならむロマンチックね
ひさかたの寧楽の三条ひんやりと古墨を選りてやりすごす雨
悩んではみせぬ生き癖わたくしを見せてやさしき男友達
口ごたへせねど言はねどまつろはぬ吾を゙爆弾゛と名づけしは母
茂兵衛とふそば屋のわきを通りぬけ離れられぬと帰りきたりき
逢はばまた天の川など流れゐてそれぞれのこと語る夜ならむ
十勝川かつもまけるも恋なりき人にかよひし心と思ふ 『一の坂川』94
たどりつく駅に待つ人あらなくにわたくしさがしの旅はつづけり
逢ひたいと言はせぬ人の逢ひたさを思ひ旅よりとどけしはがき
しなやかに空をたづねて立葵もはやかくせぬわが思ひ人
もうなにも言はぬと決めし肩ならむ母の紬の花は撫子
瀬をはやみジャズの夜の淵吾が恋の一の坂川空へつづける
馬嵬坡に遭はねばならぬいちにんのこころがひたに声となるまで
万里なす北京青(ベイジンブルー)はなやかにそしてひとりの秋にもにたる
君に逢ふたびにもとめし汕頭のハンカチーフの花を咲かせむ
めぐり逢ひし時こそ素敵陝西に君ありて吾を生かしめよ冬 『バニユエ』98
函谷関越えてとどきて朋よりのこころがともすはつはるの歌
かの日日よならびて画きし静物画父の工学吾が感傷賦
たそがれの文物天地あゆませる吾が影ほどの恋もあれかし
あきらめし冬の幾夜のはてに咲くさくら思へよ興慶公園(シンチンゴンユエン)
魑魅なるか螢なるかと思はする君にひかれて仙游寺まで
潮の香のすこしはとどきここに在る在るは楽しく半月(バンユエ)が在る
つつぬけのつつぬけきらぬ青水無月思ひに闌くる言葉死ぬべく
きくみみをもたぬすずしさアクアリウム外つ国人に手紙をかかむ
ノイシュヴァンよばれしままにさすらひのこころをすつる八月の谷
アレグロに奏してゆけりアマデウスわが夜は染めむシャンパンいろに
逢ひたくて会はずに春の淺水湾レトロに君を恋ふひとときは
相愛より和平を選び三つ撞く君と鐘撞く青龍寺なる
天帝の涙もふりぬ莫高窟ほほゑみひとつ探しに来たり
暁粧のあかきくちびる羅をまとふ菩薩に逢ひて泣く鳴沙山
空は疎にあらず密にもあらずかし秘色の瓷器に立ちつくす夏
支配者も従者もいらぬひとり居を近所の朝顔愛でつつくらす
瑞雲が夢幻時空を飛行する静止に似たり「飛青磁」見つ ∧以降∨99より
しんしんと雪積む音のリヒテルの音もかそけく世紀は尽くる
亡き父が愛妻主義を守りしも合理と思ふ思ひて合掌す
いちまいの小皿の赤絵目に染みぬ陶器装飾(チヤイナモザイク) 暁の寺
恋はず会ふあひて藹藹 千年の終はりの冬の不思議のひとつ
(筆者は、歌人。横浜市立中学教諭。湖の本読者。日本ペンクラブ会員に推薦した。チャイナモザイクのような歌境は、編輯者の感性をかなりはみ出ているが、「いづれも私の大切な歌です。50首でひとつの世界をみせるとすると今、これです」と添えられた自負に敬意を表しておく。)
発つか ・ 起つか
仁科 理
浦上村山里の儀は、往古、切支丹宗執行候由
之風に付、其砌、前後七 ヶ 年の間、同村のも
の共、多人数奉行所へ被召捕。
発つか。使者。
安政五月十一月。伺書提出。
万延元年十二月。伺書提出。
慶応二年十二月。伺書提出。
慶応三年四月。再度請訓。
死後死骸に頭剃刀を与え戒名を授る事 是ハ宗門寺
之住持死相を見届て邪宗にて無之段 慥に受合之上
にて可致引導也、能々可遂吟味事。
起つか。百姓。
慶応三年三月二十五日。
本原郷字山中の富蔵母てる、病死。七十三歳。旦那
寺聖徳寺之引導を不受、自葬。
同年三月二十九日。
日里郷の熊吉、孫松五郎、病死。八歳。西勝寺之引
導を不受、自葬。同、家野郷の卯三郎娘つる、病死。
十三歳。庄屋の示諭に従はず、自葬。
同年四月十八日。
中野郷の後家ます、家裏に怪しき小屋建つ。出入す
る者、馬場の忠右衛門、稲尾の作太郎、川上の和三
郎、上ふくの善次郎等多人数。布教の為、島原 ・
大
村 ・ 唐津等の諸藩領に赴くと云ふ噂たつ。
発つか。
起つか。
慶応三年六月。浦上村山里、五月よりの雨未だやま
ず。田畑に百姓の姿一人も見えず。 死霊ただよう如
く静かなり。
六月四日。起つか。
庄屋高谷官十郎、浦上村の戸主及び婦女子召換。転
宗を諭す。誓約を申立てる者、数名。
発つか。六月五日。
前々切支丹宗門のもの共、改宗いたし候をころびと唱
へ、於奉行所 姓名其外所業等廉書仕 類族一同別帳
取調置候。
六月六日。起つか。
平野宿の久五郎、中野郷の喜三郎、清三郎、種助、
源助、栄佐久等四拾五名、寄合に来ず。集りし者二
百余名。策なく、早暁、困憊し別れる。
発つか。六月七日。
以来改心仕、旦那寺浄土宗聖徳寺相守候に付、格別
之御慈悲を以、此節迄之処、御助け被而付被成下候
ハ ゝ、永代心得違不仕、正宗相守、農業専相稼申候。
六月八日。起つか。
竹の久保郷の百姓久蔵、女房しも及び娘はなに転宗
を諭す。聞かず。妻子離縁。 同郷組頭勝平、同じく女
房よね 及び其子四名に 転宗を申諭すや、其日より、
よね、子と共に重病の勝平に食菜を与へず。遂に妻
子を追出す。
発つか。六月九日。
浦上村之模様探索為致候処、一時は心得違之者有
之、騒立候模様も有之候得共、其後は徒党を結、村
役人方江押参り候者も無之、穏ニ取鎮リ居候。
六月十日。起つか。
島原生、異名、リヨヲーツ来る、の廻状、浦上村に
急ぎ廻さる。その夜、穏かなり。
起つか。
浦上村山里の百姓、農事に専念す日続く。
夜陰、声ならぬ音す。
けれんどの祈念経。
ひですの祈念経。
切支丹おんおしゑのりやく。
六月十三日。夜半、大風雨。
奉行所百七拾名を動員す。風雨のなか砲声しきり。
男七拾三名、女拾二名を捕へて、投獄。竹槍等を携
へた教徒約二百名来襲、捕吏、鉄砲を以て撃退。捕
吏二名負傷、教徒四拾名死す。
六月十四日。早朝。
残党五百余名、庄屋高谷官十郎の家を焼打、官十郎
を殺害。続いて、奉行所を襲撃。リヨヲーツ、弁舌爽か
に、前夜に捕縛されし者と同罪か、然ざれば助命され
んことを申立。幕吏、取調べて処分を決定する旨を答
ふ。教徒、隠かに退散。其夜、事なく明く。仏門、神道
の徒、火罪を申出。
七月。八月。九月。十月。…………。その後、奉行所
から沙汰なく、冬を迎ふ。浦上村山里、冬仕度に忙
しく、:…………。
起つか。百姓。
発つか。使者。
元来、辺鄙愚昧の百姓共、文字等書覚候もの
少く、多分は無事の儀、無思慮異宗とのみ申
伝、何宗旨と申弁別も無之、唯だ田畑作物出
来宜、諸願故就、来世快楽等の説に迷、信仰
いたし候迄の儀と相聞。
起つか。再び。
─詩集『異話』昭和六十二年四月刊行 より─
(筆者は、詩人。大学教授、近代文学。日本ペンクラブ会員に推薦した。湖の本読者。簡潔に鳴り響く詩語を駆使して独自の境涯を表現されています。)
西 域
高木 冨子
上海、薄明の刻
街は重層した願いの
その一枚だけを そっとはがして
朝を迎える
ふり落ちてゆく私のまなざしに
人々の姿が浮かびあがる
上海 薄明の刻
久しい憧れだった西への旅が
始まる
乾燥の地へ 砂漠へ
上海のこの蒸気が兆すものを
すり抜けて、心震えて
西への旅が
今、始まる
*
絹の緯(よこいと)を
織り込んでいく女の
やさしく歌う声がする
淋しく
しかし明るい
優しい声だった
疲れ、もの憂げなこの夕暮れ
やがて仕事も終る
女は歌いながら
心から、心の奥深くから
憧れを そっととり出す
そして清澄にむかい
無限に透明になっていく (蘭州の絨緞工場で)
*
コスモスが揺らぎ
ひまわりがそり返り
ダリアはうなだれる
カンナ、汗ばみ
サルビアは哄笑
一瞬の畏怖
真昼の天の座が
消え
色彩が失われる
冥い
*
闇に
予め閉ざされたもの
既に、予めとざされたもの
夜の向う側に 隠された多くのもの
それらの中を列車が走っていく
夜の中を烏鞘峠を越えて
人々が烈しい日々の失意の夜を重ねた
荒野へ、オアシスへ
河西回廊を西に向かう
全ての気配を私は呼吸する
無言という饒舌
無為という煩雑
耐えながら
眠られぬ夜を追っていく
*
寒さが身に沁みたが、それがありがたいと思った
寒さは、私を世界から切り離していく
夜行列車で 傍に人を意識しながら
完璧に 徹底的に エゴイスティックになれること
闇の中で親愛なる声に向かって 手さぐりする
*
この世に私が在ることの意味
この世に満ちている光の返照
生まれてくる不思議な親和力
ひとあし ひとあし 私が
親和力に、近づけますように
*
今はそれほどおわかりになりませんでしょうが
ここは世界一風が強く吹く処
悲鳴をあげて日夜日夜風が吹く
木々は変形され
土くれと僅かの草が 絡まり合い
あとは引きちぎられ
骸は砂の下に
風蝕の年月が堆積していきます
風が凱歌をあげ、狂いたつ、その時
吹かれ吹かれて 追いやられ
ひっそりと身を潜める以外
私に何ができましょう ?
*
揺曳する大気
乾燥の大地では
目にする全てが くっきりしている
岩と土 青い空 遠い山脈
そして
あれは確かに 蜃気楼
どこの水が、どこの樹々が
翼を広げて飛来し
幻影を休らわせているのか
揺らぎ揺らぎ 光の遊戯
あの蜃気楼の先に
私の過去も、未来も――そして現在さえも
あるような…
私の意識は ゆらめく海市となっていく
*
海市の海辺で
掌に水を掬い、あなたに差し出す
空には残(のこん)の月
あなたは遠い
あなたという二人称の限りない遠さ
嘆くが、私は恐れない
いつか
心をこめて 私は捉えられる
読みさしになったままの本
ほのかな象徴形式を越えてゆく
その時
私はあなたに包摂されてゆく
*
蜃気楼の水辺に
あなたは
遙かな未来にやってくるだろうか
光芒の僅かな一閃に
私たちを囲繞する
多くのものから 放たれて
海市蜃楼、そして
私たちの
あやかし
海市蜃楼
會するところ
私たちの
歓喜 浄土
到ることのない
達することのない
その海市へ 海市へ
風のかなたへ
*
海市のにぎわいの中で
私はあなたに會う
過去であり、現在であり、未来である あなたに會う
その魂だけが浮かび上がる
形を成さないもの あなたに會う
沈黙するあなたに會う
*
私は予感していた
旅の前から 既に身内(しんない)をかけめぐっていた促し
さし入る月光にきざし
膨大な心のエネルギーによってのみ支えられる
邂逅というべきものに
涙が あふれる
深みに届くものに涙があふれる
一夜 閉ざした瞼のスクリーンに
輝き ゆらめき 幻は限りがなかった
そして 朝、暁の明星がきらめいて
祝祭は終わった
これは
訣別のはなやかな方法だったのか
否、これは かりそめの別れ
*
遙か遠いものに 私はなり得ず
月の光の中で 白楊になり サヤサヤと葉音をたてる
星の光の中で タマリスクになり かすかな紅色の光を放つ
幽けき夕べ
悲しみは たゆたい
唯 愛という不思議さが 静かに光を浴びている
私は ひとときの生を生き そして渇いている
地の囁きと共に 私は祈っている
*
砂丘にのぼって 風に吹かれながら
私は何かを、ここに落としていたような気がした、
遙か昔、確かにここに
決してみつかるはずのないその遺失物が
物だったのか
心だったのか
明かるい孤独が笑っている
あの人の遺言も聞かず
遺書も届かず
祭祀の形象も知らされず
もう向きあうこともなく私が砂になればいい
官能を失ない 時だけが深まればいい
*
ゆるゆると、 ゆるゆると 落下し続け
鳥瞰図は細密に至るまで精しくなっていく
もはや決して飛翔することのない
翼を失なった者、 私
夕暮れには 心引き裂かれ
言わなかったことばのすべてが這っていくのが
目にみえる
遠い声 遠い記憶
狂った鳥瞰図は ポロポロと砕け始め
やがて夜が たちのぼってくる
ゆるゆると ゆるゆると 深く堕ちていく
*
流砂の中で
一枚一枚はぎとられていった希望
しかし、その残片を身につけ ひたすら微笑む
虚無のおずおずとした腕が
朝の空気を震わしながら 伸びてくる
はがれてもいくのだ、戯れの花と出会ったら
一枚一枚丹念にはぎとられていった希望
疑いを懐にしながら、静かな諦念
はぎとられた希望の後
尚 強く望むこと 微笑みながら
流砂は サラサラと感応している (敦煌、仏たちと対す)
*
川床というべき
膨大な ひびわれ
私が行くべき約束の橋もない
さらに自在に膨張する ひびわれた川床
彼らの遺書を
読みとくことは、私にはできない
約束の、目に見えない橋には
どうすれば行き着くのか
・・・・・
しかし、許されるならば
恣意のままに
今暫く 生きてみたい
*
廃墟は、ここに在る
これが廃墟
もうあばかれることなく
喪われることもない
近しきものから、時間の呪縛から
私は離れてしまった
無数の日と夜が過ぎた
暗夜は過去から一直線に展がり――
私が地上に戻ることも
もはや叶わぬ、というが
よみがえりはいらぬ
自由だ
この地の千年は 私の十日
千年の愉楽を私は生きる
*
繰り返された戦
渇水の恐れ、渇水との闘い
そして信仰ゆえの殺戮
ゆるやかな没落が舞い降りて
傷ついた城市を 人々はふり返りふり返り、そして去った
放棄された時間がふりつもっていく
深い配慮と、風蝕による促し
今、城市は崩れ埋もれていく荘厳の中にある
軽やかでさえある
生えているのは ラクダ草だけ
紅色の小さな花をつけ
黙すのではなく、震えている
あなたたちの深い息づかいがする
ただ旬日の不在と思ったものを――
時のひそやかな回路を通って
私はもどっていく
*
私に親しいものだった廃墟
ここに生きた数え切れない人々の
欲望や、生涯の意味が―― とうに失われている
彼らの行方を私は知りたい
こわれはてた廃墟の
この前途(さき)に 何があるのか
昨日が去り 明日は消え
今日は ?
いくたびも既に夢で出会っている、あの
親しい形象に會する
*
悲しみが燃え上がる
あなた、という二人称、他者へ
悲しみが燃え上がる
限りない遠さのあなたという二人称、不在
心の只中で生きている臨在
私の掌の中で
悲しみは凍りつき… やがて燃え上がる
さらされ続けた
砂粒の一つ一つ、石礫の一つ一つが
慰めとなる
ひそかな恐れの山襞は連なり連なり
その山襞に
悲しみが燃え上がる (火焔山で)
*
紺青の空の下、土と石
いきなずんでいる
きしきしと心が痛んでいる
立ちつくす
*
こまやかに
染めあげられていく
陰惨な暮色
残紅
愁夢 胡笳
語られぬまま
デジャ ヴュ の増殖
*
崩れ崩れ 土になっていく
灼き尽くされ 吹きとばされ 打ち砕かれ
さながら砂漠の咆吼
もう保てない
無という至高のものに向かう
*
美しく彩られたマニの経巻の見い出された処、
めくばせの彼方
白い薄絹に
錯雑とした私の心の絵巻物が展げられている
目をそむけ 私は待ち望む
示されぬ書物、予言の書
心よみとく地図
恐らくは解読不能の書と地図を
*
夜
戸外(そと)のベットは大好きさ
闇
ちょっと恐いけれど
でもじっと聴いてみて
一晩に一つ お話をしてくれる
星
囁くよ、歌も歌う 古い歌なんだって
僕
ベッドといっしょに
空におちてしまいそう
*
バザールのざわめきの傍(かたわら)で
盲の乞食に出会った
あの眼蓋の下に何があるのか
そして空に向けられ差しのべられた指先の彼方には… ?
おののきながら
屈辱ばかりが系譜となった
細い、豪奢な掌
奇跡を待ち望む
しかし乞食は私の日々の営みの業(わざ)
事物は既に私によそよそしく遠い
ああ、あまりに温和な末裔、私。
*
昏い時間の中を
もう長いこと歩いてきたのです
片目はつぶれ、老い、貧しく
しかし愚者私は誇り高い
心に於いて流刑者
しかし誇り他界流刑者
富まぬ故に 私にはもて余す程の
時間が与えられる
日がな一日ここに坐して、物思い
魅惑のかたわらへ
心はふうわ彷徨いいでる
ものたちはひっそりと互の距離を保ち
無言のまま互の重さをはかっている
行き過ぎるものたちに
引き裂かれることなく
待つ
予め、定(き)められたその刻(とき)まで
ここに坐す
偶然(二字に、傍点)の定められた その刻まで
*
そっと見開かれたかに思われた目が
力なく光を失ない 閉じた
瞬時にうつろっていったその顔容も、体熱も
もう、あなたの所有(もの)ではなくなった
一つの生は円環の輪を閉じ
一足ごとに闇が深さを増していく
吹きわたる風の気配と、屍者の渇水
ただ静けさへの転調
喪の哀しみも もはやここにはない
私は ものいわぬミイラ
尚、尊厳をもつ
触れてはならぬ形態
*
不器用なままに生きてきてしまった
他人の心を傷つけまいとすることは――
それはいつわりではなかった
が、いたわりでもなかった
持つべき勇気を持たず
卑小に生きてきてしまった
勇気とは何だろうと、今も思う、
私は祈るが
その祈りの貧しさに打ち砕かれる
繰り返される風の記憶に
一生、恐らく 恢復期以前
*
惑溺ではありません
まなざしの衝撃を
私は嘆きます
深い、うながしによるのてす
全ては
自らの節度をもち
さしのべられた腕の長さは
気品をたたえて
変容していきます
沈黙が支配しています
*
砂漠や オアシスを通りぬけ
西安の黄昏に辿り着く
この多くの人の中
さらに多くの男や女の傍(かたわら)を過ぎ
私は
あなたに帰っていく
― 了 ―
(湖の本 読者。 初出・寄稿。ここに一人の旅人、ひたむきな魂が深い光を放っている。全てをそのまま採った。)
詩 五編 山中以都子
歌
ゆるやかな勾配をたどる。
両側の家家がはじめ頭上に、ついで目の高さに、 そして
膝すれすれの位置からついには脚の下に隠れ沈んでやが
て尽きると、そこが一面の墓地であった。
にわかに風が奔り、潮の匂いがなだれてくる。
短い生涯を、 おのれをたのむ心あつく、 容れられぬ嘆き
はそれゆえなお深く、 わずか四ヶ月をこの町にとどまった
ばかりで、さらに北へとさすらって行ったうたびとの墓標は、
岬の斜面を埋めつくした広大な共同墓地の最奥、海峡をみ
おろす高みに、 わたしの想いを欺いてはるかに大きく聳え
て在った。
墓石の中央に刻まれた歌の、ちいさくて丸い、なにがなし
幼さの残る筆跡をみつめていると、 片時も彼の歌集を手放
さなかった十代の頃が、 こぼれそうなこころを持て余してい
つも前のめりに歩いていたあの頃のわたしが、ふいに現わ
れてしきりに手招きをしたが、 流れるものは時ではないと、
流れるものはただわたしなのだと首をふって、 痛みとよぶ
には遠すぎる思い出のかなた、 脱ぎ捨ててきた道筋に、い
まもかすかにやさしい残響を奏でている歌を、つかのま、さ
びしく聴いていた。
秋おそく
ひくい垣根ごしに
落葉を掃く尼僧の
細いうなじが目にしみた
ときおり
竹群をしなわせて
斜めにしぐれが走った
話すことばもみつからず
ひっそりと径をひろって
ただ歩きつづけた
いくつめかの曲がり角にさしかかったとき
思い切ってたちどまり
背中にまわってしつけ糸を抜いた
かすかに指先がふるえたのは
しつけ糸をつけたままのコートと
歩き廻っていたのが恥ずかしかったからだと
あのときは
思っていた……
風
堅い座席に凍りついたこころを座らせて、視線をじっと
裡側に据えているだけで、まちがいなく遠ざかってゆく。
あれほど必死に押し留めようとしたものは沈んでゆく夕
陽だったのか、それとも……。それにしても遅い電車だ。
いや、速すぎるのだ。もう駅を七つ数えた、いや、六つだ
ったか。
残照 砂浜 オニガサキムラ
松林に点在する白い家家。ゆれている漁火。ゆれてい
る窓。向かいの少女の黒い鞄。肩をおおって胸へあふれ
た髪。ひろげた髪を波に梳かせながら、崩れてゆく砂のト
ンネルをみつめていたのはわたし。ついさっき。はるかな
はるかな、ほんのさっき。おき忘れられた赤いシャベル。
おき捨てられてゆく駅たち。つぎつぎと現われては飛ばさ
れてゆく線路沿いの町町。ひきずってきた冥い海。
潮騒 風紋 ハマボウフウ
たぐりよせる時の重さと刺し違えながら、聴いていたの
は風の音。風に曝される骸のわたし。
晩夏
庭を通って門口へ出てくる柩を、道端に
ならんで見守った。
位牌を手に柩によりそっていたひとが、立
ちどまると、静かにこちらへ頭をさげた。
正面を向いて一度、向きを変えて右、そし
て左と三たびくりかえしてふかぶかと。
途中一度思わずハンカチを唇に押し当て
たが、声は洩らさなかった。
オカッパにした白髪が、そのたびに喪服の
肩でちいさく揺れた。
霊柩車が角を曲がって見えなくなると、わた
したちは合掌の指をほどき、ひっそりとその
家をあとにした。病臥の夫を十年間看取っ
た妻が、明日からは独りで暮らすその家を。
木槿の葉陰から蜩の声がきこえ、湿った風
がゆっくりと吹いていた。
唇の話
〈 唇 〉という字には〈 おどろく 〉という読み方もあると知って
ほんとうにおどろいてしま ったが そういえば おどろいた
ときのごく自然な形は 思わずはっと唇を開 けたあの表情
で これが昂じるとぽかんと唇を開けっ放しということになり
まして空也上人のように そのお唇から仏さまを繰り出した
りなぞされれば それこそ開いた唇のふさがらず ついつい
一緒に念仏唱え 雀のように踊りながら あの辻 この角と
巡り巡 って いつし か我を忘れ 闇を忘れ 怨みを忘れ
罪を忘れて 夢の醒め際のおぼろな指に たしかに捉えた
つもりの手応えひとつ もとより醒めれば跡さえとどめず 朝
はやっぱりいつもの朝で 焦げたトーストの上でバタがねっと
りと四肢を匍わせ コーヒーの匂いはいらいらと前頭葉を駆
け回り 目玉焼は潰れてしきりに涙をしたたらせ それら総
てを おどろいたときの形した唇がたちまち呑み込み 嚥
みくだすのを フリージャの蕾が横一列に ( 南無阿弥陀仏 )
とみていらっしゃる。
(詩人 日本ペンクラブ会員。いちはやく作品が戴けた。湖の本がご縁の、もう久しい
心親しい岐阜県の人である。沈透くように清潔な詩の表現を敬愛してきた。)