e-magazine湖(umi)=秦恒平編輯 14
 
 

この頁は、「詩歌=詞華集」第二輯として、第七頁の第一輯につづき、満了しました。ご愛読下さい。
 
 

*掲載──詩集・恋をするとは = 高木富子   短歌・漂泊小町 = 日吉那緒   川柳・微苦笑 = 速川美竹   短歌・果物のように = 和泉鮎子  作詞・細雪 松の段 = 秦 恒平   詩・シニョリア広場にて =  高木富子   詩集・時を環せ = 高木富子    自撰・明治期短歌抄 = 与謝野晶子   歌集・収穫(上巻) = 前田夕暮        詩集・今は = 高木富子    詩・智慧の相者は我を見て 回想 = 蒲原有明    詩・荒城の月 回想 = 土井晩翠    俳句・炎声 = 佐怒賀正美    詩・特別な朝 = 村山精二
 



 
 

 詩集・恋をするとは    高木富子
 
 

ひょっこり
むくむくと
脊索動物の、脊索のように動くもの・・
わたしは脊髄ではない、脊索を持っている・・
命を脊索に集中させ
空を見上げる
ああ、空が高いなあと日溜まりの中の
脊索動物もまた想っているか
 

眼差しは
陥穽
二人が抱きあう、その二人の空間
それこそ宇宙、確実な今、ここにある宇宙
その二人の空間さえ反転して
うつろな深い暗さの落とし穴・・
陥穽ではないかと、おお、囁く声よ

でも、あなたしっかりと抱いてください
この宇宙なくして
どう生きられるの?
宇宙という住処
私たちという生きるしるし・・印、験、徴、標

胸が疼く

胸底で共鳴して盛り上がってくる情動
悲しく行き場ないその情動が
錐を揉むように内に潜り込む

長い年月
奔放に生きてみたかった
年月はうねって押し寄せ
おやおや
去っていこうとしている
 

夢がたり、何か言って、語って・・騙ってもいい
薄明るい光
その真ん中で強い光が跳ねている
眠りの中に、夢の中に
悲しみを溶かそう
あなたの騙りも溶かそう

眠りは慰籍
光と同化したい
帰還
回復期

夢にはおまけがついていて
豊かに記憶が蘇った
記憶に残った
美しい聖母像・・含羞の聖母、
ああ、あれは誰の手になる像?
 
 

不器用なわたしの手が何を手渡せるだろう?
手渡すという一方的な、そんな思考こそ恥ずかしい

失った四肢を ある時 なお感じるという
あなたの失われた四肢は 何を感じているの
理不尽な 不条理な 悲しみには
微笑みかえすこと?
あなたの生きた「証言」が欲しい
心底の、人間ギリギリの叫びが欲しい
はにかんで、寧ろ後ろへ引いていくあなた
あなたは微笑むだけね 言葉にならぬ言葉で
涙ももう枯れ果てたのと、せめてそんなことは言わないで
東洋の我々の仏教は・・ひたすら赦しの教え・・なのでしょうか
私もまたそのような赦しのなかに互いを見つめなければならないのでしょうか
吹き飛んだあなたの手足は
なにより雄弁に、既に、十分に・・そう、言葉をなのですね

痕跡
心の、執着にとらわれた心の痕跡
それを忘れれば、脱却すれば
「輪廻」から免れるのですか?
わたし、執着の、煩悩のただなかで
それでも笑いながら、優しく
「輪廻」の輪を廻して生きるよ
ずっとずっと廻していくよ

暖かな、いえあなたには夏と思えるこの暑さ
わたしには暖かさ
それがこんなに荒涼と感じられるのは
あなた自身の不安の反映ではないでしょうか
あなたの感受性、ましてや価値観
とんとわたしに分かるはずもありません
見たとおり、なにもありませんし
不安や寂しさを携えてわたしもまた生きておりますが
ささやかな不安に今日のささやかな幸せを譲るなど
なさらぬように、決して

わたしは黙って船を漕ぐ

この黒い濁ったと見える水の優しいのを
あなたはご存知ない
この腐臭が私たちの生計を支え・・
そう、私たちはこれに耐えとうに慣れっこになっている・・
この腐臭に身を添わせる
水は命を育む さかなも わたしの子供も育まれる
暗い水の動き、雨季乾季の水の移動
船着き場も家も容易に移動
浮き草暮らし

トンレサップは微妙な自然体系に辛うじて守られている
が、この湖畔と呼ぶには広すぎて大きな湖のほとりで
やはりわたしは地獄も見たのだ、確かに

あなたが驚いたこの現実に
わたしは小さなため息したら、あとはしっかり生きていく
体の先端の至る所から流れ出し水に戻っていくものがある
わたしはこの泥や土から生まれ、流れ出し、同時に
侵食され戻っていく
埋もれていく

真昼に曳航されていく船
船に続くぬらぬらした波のゆらめき
熱に喘ぐ夏・・船
ああ子供たち
無心にじっと見つめながら世界を切り取ろうとする子供たち
 
 

神域の最も高い領域に
危ない急な階段を登ってたどり着いた
遺跡の至高のこの領域を見廻す
まじかに聳え立つ塔の量塊を見上げる
量塊とはあまりに即物的だが
確かに実感をもって迫ってきた
ここは願い求めた約束の場所、聖なる祈りの場
しゅみせん世界のフェイク、聖なる展示場、
この世の昔日の・・現在の「遺跡」に
夕暮れの影が生長している
人の賛嘆や好奇心を養分にして
ああ、なにに変貌していく? この世の叶わぬしゅみせん、極楽浄土

ここを守る数人が、そっと柱の脇にいる
頭陀袋や傘や食べ物を僅かに携えて・・
今日一日、十分に満たされているのですよと・・

影は優しさ
仏たちの菩薩たちの微笑みは優しさ
塔は光り輝く

わたしは足場の悪い回廊を何周も何周も歩き回った
そうしないと何故かいけないせっぱ詰まった気がして

塔は夕暮れ
あやめもわかぬ最上層
真っ暗闇の空即是色

深い森の記憶
濠の底に生い茂る藻のまだ真新しい記憶から
再び夜がたちのぼってくる

そして今しも降り注ぐ弱まった太陽の囁きを
暮れようとする空の静かな輝きを
夜はすべて受け止めようとする

樹木の形が一瞬鮮やかになり
あっというまに混沌のなかへゆらゆらと沈んでい
 
 
 

包み込まれたい
何に?
わが限りなき情動に

私自身に視線を注ぐ
 
わたしが濾過されていく日もあるだろう
さやさやときらきらと
汚れない
道徳律そのものにはなりたくないが
振り落としていったら
「おのれの欲するところに従いて矩を越えない」人に
なれるかな

喚ぶ喚ぶ

恋ではない

こいをするとは
いやな ださんや このよの じょうしきや どうとくから
はなれて
じゅんすいなかんじょうとたましいをなげだすこと

熱い感情

汚れない

消えていくわたしの時間
朝のまだ明けない薄闇
あるいは消え残る夕闇に
ぼおっと浮かんでいたわたしの時間
 
 
 
 
 



 
 
 

   漂泊(さすらひ)小町       日吉 那緒
 
 
 

救急車のサイレン近づき 遠ざかる 桜咲き満てる街の朝あけ  春昼

白昼を救急車走り去りしのち煽られて舞ふ桜はなびら

歩道橋の上なるひとよそこよりは桜花を透きて神が見ゆるか

石榴木の紅き芽吹きの遅きかな遅るることも楽しみのうち

花粉症の山猫が今日は庭にゐて大きくしやみせり梅の花ちる

麦笛の佳き句を詠みし友ありき遠く訣れて聴くすべもなき

五月の街陽を吸ひ喪服の群が過ぐマロニエの咲くよもつひらさか

この路地に君在りしことはつなつの樹々の緑にまぎれて咽(むせ)ぶ

猫の喧嘩分けつつおもふ引き分くることさへ難(かた)しまして勝つこと

木犀の緑(あを)掃く五月捨てられしかねずみのやうな仔猫啼き来る
                            
わがために青菜茹でをり天上天下ひとりなること愉しみながら   ほたるぶくろ

日もすがら道路工事の音ひびくを梔子(くちなし)は聴く蕾育てて

豪雨きて川渡りゆくわが電車ひととき白き闇に鎖(さ)されつ

傾きつつほたるぶくろは咲き群れていつまでも来ぬ蛍を待てり

蜘蛛の巣を払いつつ庭を来し君が笑ひて言ふ「虫の多い家だな」

佐太郎のあぢさゐ咲きてぬばたまの夜の闇濃き六月は来ぬ

生と死の危ふき渕に咲きてゐてあぢさゐの藍は色深めゆく

雨にぬれ藍深めゆくあぢさゐの大き毬にひとら手を触れてゆく

蛍袋のほそき花茎起しやりて病みあがりわれの六月は過ぐ

盆棚をつくりて霊と人を迎ふ夏の行事といふなつかしさ    

曼珠沙華の夏のあらはな球根に土かけてやる眠れ秋まで

観音像ひとつ在(いま)して夏果ての夜の雨おといよいよ深し

老い呆けしかの日の母に夢違(ゆめたがへ)観音像を賜ひしひとよ

夢違観音こよひ夢に抱き青き海境(うなさか)越えてゆくべし

今日もまた酷暑の陽ざしよろこびて椿の反(そ)り葉輝きゐるも

オリンピックの競技みてをり運不運つねつきまとふ「ひと」の競技を

墜ちて来し蝉の臨終(いまは)を掌に載するいかに翔びいかに啼きて来たりし

秋天に曼珠沙華立ちかがやけり風中におもふ坪野哲久

曼珠沙華咲けば恋しむつよき憤(いか)りしづかに言ひし人なりしかな

リフォームせしわが家のなか残したる家具分身のやうになつかし

われひとともに憂ひなくあれ木犀薫り十三夜月冴ゆるこよひは   十二夜

髪そそけ頬も尖りてゐたりきとかなしみのとききみをおもへり

病みてより体力衰へたる自覚木犀散りて涼しき昼に

秋霧に煙る芦ノ湖客乗らぬ遊覧船がひとり出てゆく

影絵のごと樹海は浮かぶ この海に死にゆきし人、生くる獣ら

深みゆく秋の鈴虫終るかと思ふいのちの際(きは)をよく啼く

昨夜(ゆふべ)まで啼きゐし籠の鈴虫の声絶えてずんと秋が深まる

雲の流れ今日は迅くて駝鳥の首も羽毛の雲に埋もれてしまふ

あなたは私の何なんだらうこんなにも秋空にわたしの歩幅をひろふ

ひさかたの雨降ればいのちよろこびて椿大樹はさりさり声す   漂泊小町
                       
冬の日のわれは<漂泊(さすらひ)小町>にて庭の落葉も積もるに任す

凍み徹る夜の屋根あゆむ猫のおと<孤独>の歩むおとかと思ふ

疲れたら休み夜には眠らねば 穏やかな君がわれを訓(さと)せる

父も母も霜の朝(あした)に逝きにしを 霜はかなしみの大地の棘

児が描ける父の顔やさし団子鼻、かなつぼまなこ、濃き眉なども

<あつたかいおいしいおでんの極意>とふテレビ見をればひととき平和

眼疾(めや)みわれ寒の庭に出づ木蓮のびらうどの蕾に触れてみたくて

段ボール箱の蜜柑は一ケ所より腐りそめたり暗きなかにて

シンビジューム疲れてすこしうつむきて咲きをり二月も終る曇りに

道路わきに雪堆(うづたか)く積みあげてとりあへず人は今日を始むる
 
 
 
 

(作者は、歌人。練達清淡の歌境に感心した。)



 
 

  微苦笑   速川 美竹
              
 

基地の中から歯をむいた赤ずきん

君が代の他は聞こえてこぬ音痴

おかしいぞ女房明日から家にいる

シュレッダーに首を差し出す民主主義

三党が同居危ない雑居ビル

ふところは無限テレサの長い道

永田町迷彩服がよく似合う

コンドーム持参で歌う海征かば

プリクラでヌードを写す人はない

グリムより恐ろしい政界の童話

懇親会見飽きた顔とまた出会い

漱石に下駄を預けて風は死ぬ

閻魔さまの話首相は信じない

下手な字が相田みつをと間違われ

チャップリンが主演しそうな全自動

リストラになって足向く泉岳寺

ぼけてると言ってもうなずいてはならぬ

古墳から発掘されたポリグラフ

卒業式に配る予定の猿ぐつわ

試供品だけで治った軽い風邪

馬鹿でない証拠の風邪を自慢する

大鳥居くぐると歩調とっている

口数が少なくなって抱く殺意

アメリカの首輪を嫌う自爆テロ

リストラの鞄で眠る『幸福論』

レンジさえあれば女房など要らぬ

真珠湾の形状記憶ニュ?ヨーク

単身赴任妻よアコムをしてますか

ケイタイが歩くと私語も落ちている

ネコを抱く要領で孫を抱き

日替わりの上司の機嫌皿に盛る

アメリカへ餅つきに行く軽い乗り

五線譜に乗らぬ痛みを歌わせる

ライバルの花輪に喪章つけておく

報復も匍匐もごめん戦中派

割り箸を割ったとたんにもう忘れ

長生きをするため猫を飼い始め

難民に指定されそうぼけ進み

形状記憶彼の愛撫は型通り

お祭りへ恋の予感の女下駄

若ぶった顔で目やにを拭いている

九州より安いハワイの旅へ飛び

米百俵盗む気でいる反主流

削除キーまだ見つからぬ雇用危機

マニュアルをはずれたママの迷子札

流しソーメンついでに入れ歯洗っとく

急ぐから特急にして乗り過ごし

切取線のあたりを歩く民主党

妻の留守ネコと枕を共にする

ど忘れの妻を叱るのを忘れ

悲しくて嬉しい古書の値が下がり

八月の記憶に残る生返事

散歩する時は頭を置いて出る

戒名に使う金なら飲んでおく

虫けらのように殺され祀られる

沢庵だけ褒めて女房に睨まれる

白昼に闇を干してる永田町

気の毒な婿どの外務省勤務

赤ん坊のヌードは微笑誘うだけ

司会者に頭の中を覗かれる

死ぬために病院に行くーいいのかな

ハニホヘトだった戦時中の戯画

九条を真ん中に置くアリと象

著者自身忘れています著書多数

ハンセン病ぼくも共犯者の一人

ご無沙汰はしないメールの二十五時

生前葬してから生気取り戻す

リカちゃんの離婚も視野に入れておく

健康のために入れ歯と遊ぶ胡麻

大江戸線どこで降りても排気ガス

組合も消えアジビラも壁に褪せ

首都美化のポスターちぎれ街に舞い

ハローワークに落ちていたコロンボのコート

喜んで糾弾される非国民

ポイ捨ての中に夫も入ってた

常識の寝首を非常識が掻く

ひょっとして今は戦前かもしれぬ

婦人科はもしや男女の差別では

留学の土産は青い目のベビー

一本の藁踏み砕く装甲車

パソコンの裏切りに逢う締め切り日

喧嘩するために夫婦は対話する

マラソンゲート足は大地と対話する

日に三度食える自分だけの平和

他人から余生と言ってほしくない

通じないんだな説教の四文字語

外人が来ると無口な英文科

捨てる技術妻に応用できまいか

遺言を風の余白に書いておく

蹴飛ばしてから沖縄の頭なぜ

敗戦の日のときめきはなんだろう

ラーメンで勝負メニューは置いてない

無駄にするために掛けてる癌保険

料亭で並ぶ目刺しは羽織着る

復讐のように床蹴るフラメンコ

あてつけで閉めた障子で手をはさみ

回転寿司胃酸の皿もついてくる

タイタニック映画で見れば面白い

政権の授受家政婦も見ていない

公害のリストにクサヤ見つからず
 
 
 
 
 

(作者は、川柳家。 1928.813  兵庫県神戸市に生まれる。日本ペンクラブ会員で、大学教員でもある。湖の本の読者。)



 
 
 
 

  果物のやうに   和泉 鮎子
 
 

鬼もゐむ忠信狐もひそみゐむ吉野は峯も尾上も櫻

花に埋る谷の底ひに蹲へば身すがら冷えてわれは鬼(もの)の裔

銀箔のふるへるやうにひかるはな黒髪を籠めし塚に降り来て
 
亡きひとの歩みて来るや地(つち)の上の櫻落花がほろほろ転(まろ)ぶ

はなびらを一枚二枚と食べてゐる必ず鬼になるとなけれど

心中の場面に散りゐし紙の花 奥千本の峯より降るは

はや死臭のごときを放つ石組みの裾に溜まれるはなびら掬へば

水面に映れるわれを過(よ)ぎりゆくはなびら・鯉の太き胴体

くつたりと床に置かれしデイ・パックのふくらみほどのわれのたましひ

この山の向うの闇に千本の櫻はしじに吹雪きをらむか

菩提樹の葉を調じたるハーブティー飲めば和ぎゆくほどにてありし

イヤリング探すと覗く文机の下はこの世のほかのくらがり

細胞のひとつひとつがゆるびゐる感じうたたねより目醒むれば

命懸けなんてわたしの柄(がら)ぢやない雨に濡れし足袋 足より剥がす

揺り椅子をゆりつつ透谷を読んでゐる身をもちくづすなど易からむ

現身(うつそみ)を夜々(よひよひ)浄むる白き箱 窓の一つもないバスルーム

花の蜜吸ひゐし子らのかき消えて椿の森に椿落つる音

廟を囲む森を自在にゆきかひて鳥らは異界よりの言触れ

朽ち初めし落花のにほふ椿の森 人間(ひと)なりし樹も混じりてゐるや

椿一花落せば水面のまばたきて古井の底にもう誰もゐず

坂の下に溜れる靄のほどけゆき睡たげな水一片(いつぺん)を見しむ

「身体髪膚これ父母(ぶも)に受く」ピアスの孔あけたることはしばらく内緒

萍(うきくさ)を片寄せて風の過ぎゆけばさびしかりしか前(さき)の世もわれは

茅花(つばな)の穂ひかりてゐるは何のため間(ま)なくゆふべのいたらむとして

夜一夜メイ・ストームに揉まれぬき窶れてにほふ樹も少年も

春蝉がシャワシャワシャワと啼いてゐる午後の寺町ふいに既視感(デジャ・ヴュー)

絨毯にヒール沈ませ待ちゐたり身にハット・ピンとふ寸鉄帯びて

いくつもある背広のポケット手裏剣のひとつぐらゐは秘められてゐさう

ちやうどよい軽さ冷たさ死者の口に含ませしとふ碧玉の蝉

憤怒の相映ししこともありつらむ海獣葡萄鏡 緑青塗(ろくしやうまみれ)

今生(こんじやう)ではけりのつかないこともある冷えきつてゐる耳環をはづす

ホームレスになりてよろぼひ歩(あり)くなどわが晩年にあり得るひとつ

うすうすと岸辺のビルの灯り初め人間を呑みたさうな川の面

知らぬ間にすみれの種もこぼれ果て十万億土にはいかなる秋風

前(さき)の世の記憶に似て来つ亡き父に果物のやうに抱かれしことも

ちよつとした思ひ違ひと医者は言ひき父の有るべきいのちを断ちて

たまきはるいのち断たれし父のため何なし得しや なし得ざりき何も

花を散らす力くらゐは保(も)ちてゐよ非業に果てて久しかれども

咲き終へし桔梗の花首切つて捨つ仇討つだけの性根もなくて

憎しみを糧となしたるためしありや草を払へばいよよひりつく

のうのうと百年も生き勲章ももらひしとぞ父を殺しし名医

間歇泉のやうにをりをり噴きあぐる恨みの情(おもひ)に身を咬ませ来つ

てのひらの汗ばみゐたり匕首(あひくち)の鞘を払ひしところで醒めて

一人(いちにん)の悲苦のほどなど知れてゐる浴槽(バスタブ)に薔薇のポプリを散らす

朴落葉の溜めてゐる雨 蹠(あなうら)を濡らして遁がれし遊女(あそび)もゐにけむ

今すぐに死ねないわけは種々ありて流氷の海もいまだ見てゐず

嘘にもあれ美(は)しきことばが聴きたくて今日はバロック真珠の耳環

バッハを聴くだけのパワーが今日は無いサフランのつぼみなどかぞへゐる

砂時計の砂落つる間(ま)にわれは老いアールグレイはちやうど飲みごろ

顔にすうと貼りつきたるは後ジテのかけゐし泥眼(でいがん)まだ醒めてゐず

瞑りてもいいかげんの闇 弱法師(よろぼし)の見たりし闇も青山(せいざん)も見えず

天に翔(か)けたか地に潜つたかと探し物ばかりしてゐる 今は指ぬき

何になる 雨水のつくる小流れに運ばれてゆく木の葉見てゐて

君の死を知らせゐしなり一夜(ひとよ)さに娑羅はことごとく花落しゐつ

いい子いい子と額に口づけくれたるを覚えてゐるや柩の君も

戦災に失ひて今に惜しきものシャリアピンのレコード・恋人(リーベ)と言ひにき

草笛の吹き方教はりたることも覚えてゐるよ忘れはせずよ

廃寺址に拾ひし瓦の小片を文鎮とす亡きひとのせしごと

著莪(しやが)咲けりなどと書きをり幽明をメールは自在にゆき通ひなむ

人体の七十パーセントは水分とぞその水分かかなしみゐるは

文楽の蕩児の如くとほんとして歩きゐるなりもう逢へぬなり

口中の涼しきゆふべ金蓮花の咲き衰へしをちぎつて食べて

人形とともに遣ひ手もうつむきてあはれこの世のこと思ひきつた

水浅葱のしごきを剃刀に裂きてゐるあとは死ぬだけ浄瑠璃のふたり

松明を掲げて暗き川の面を視てゐる 人形も人形遣ひも

ヒロインが不首尾の合図に流したる生血(いきち) 河面を彩ふネオンは

死を演じし人形はどのやうにねむりゐむ睡れぬわれはワヰン飲みゐる

てんがうを云はしやんすなと人形のやうに袂で撲(ぶ)つてもみたし

萼(がく)あをき大島櫻をともに見き雨の夜なりきそれより逢はず

ばらばらになりゐし五体・神経をあつめきれぬに醒めてしまひぬ

妄想のふくらむやうにふくらみて青鬼灯(あをほほづき)はいまだ葉の陰

つくづくと見ればいかにも不格好 鰭にも翼にもなれざりし腕

胸鰭をはなびらのやうにそよがせて水に棲みゐしはいつの世なりけむ

枇杷の木の濃闇に吸はれゆきたるはオオミズアオ 弟のたましひ

被衣(きぬかづき)して行幸(みゆき)の列見てゐたり繪巻の群集(くんじゆ)にいつかまぎれて

ぺきぺきとカッターナイフの刃を折りて加速させゆく昂ぶらせゆく

小塚原(こづかつぱら)刑場跡をつつきるも束の間 列車に運ばれてゆく

暗号であつたかも知れぬすれちがひざま囁かれたることばの断片

砂嵐に暗む天地(あめつち)敗れたる者はいづくに潜みてゐるや

長き長き難民の列につきてゆくながきながき戦死者の列

あうあうと啼く明け鴉 気づかずに買ひし恨みもあるだらうきつと

鴉では在り得ざるべし羽一枚落したくらゐでうろたへゐては

湯あがりの肌(はだへ)に薄く浮き出でて導火線のごとき静脈いくすぢ

はや鬼になりかかりゐる鬘帯(かづらおび)はねあげ振りむく女面ひとつ

笹原を鳴らしゐし風のふいに止む何せむ臨終(いまは)によし逢うたとて

とろとろととろ火に煮込むといふも苦行 今日のわたしは気が立つてゐる

ストレスを知らで過ぎしや捩ぢ伏せしやこの世をわが世と詠みし関白

不整脈のふいにをさまる 頸すぢに落ちたる雪のじんわり溶けて

止み方をゆるゆる落ちてくる雪片(せつぺん)久しく君の笙を聴かざる

思ひなほしし如くにはかに直立す寒風(かんぷう)にたわみてゐたる噴水

食べをへてまだ温かき皿二枚洗ひてひとりの飲食(おんじき)終る

てのひらに溶けゆく薄氷(うすらひ)前(さき)の世はいかなる男とあひ語らひし

どのやうな快楽(けらく)ありしや樹の下の緋(あけ)おびただし今朝の椿は

体温の通ふまで手を重ねをれどお互ひ心はブラック・ボックス

腕づくといふことのあり一夜さにことごとく葉を捩がれてゐたり

抗はむ気持ちも失せて目つむれば樹々の繁みに降る雨の音

土を踏む音の次第に遠ざかり亡きおとうとか遅れてゆくは

かき消すごと一人二人とゐなくなり辛夷が咲かす今年の白華(びやくげ)

白き炎(ひ)となりしも束の間しんしんと二十三夜の月に散りゐる

死ののちも残る恨みとや暗がりを白足袋ふたつ近づきてくる

アルフォンス・サドよりやさしく口を拭く罌粟のはなびら食べたる口を

残り布接(は)ぎて紐など縫ひてをり所詮相容れぬひとにてありし

パラソルをさす影とともに歩きゐるもとより化生(けしやう)のものならざれば

睡り初めしねむの木もわれも影失せてはぐれさうなりいま逢魔が刻

ベランダを洗ふふりして気がつかぬふりして蟻を流してしまふ

ねこにもどる呪文を忘れてしまつたのでそのまま人間いまも人間

木の暗(このくれ)に何を匿(かくま)ふにもあらず落花し尽くしし槐(ゑんじゆ)一本

虹色のとかげは自在に出入(いでい)りす古りて石組みゆるむ墓の辺

銭苔におほはれてゐるぼろぼろの石碑がわたしの祖(おや)なるさうな

われの何に当るや幼児を抱き起すやうに起しし小さき墓石

墓の辺のあを美(は)しき楓・花筏 幾代の死者に培はれしや

祖父恋し逢ひしことなき祖父恋し気随を徹して家を潰しし

出奔せし子思想犯なりし子先立ちし子 子に泣かされし男わが祖父

武藝文藝遊藝をたしなみ働かず一生(ひとよ)を終へし男わが祖父

一族の愛別離苦も見尽くしてアルカイック・スマイルの石仏も崩(く)ゆ

亡き父のくちびるに似て石仏の口やはらかく結ばれゐたる

夏草に埋る礎 亡き父はここに生れきここを捨てにき

物狂ひ・鬼となりしもあるならむ裾にわが名のあるこの系図

眼前にふいに濃い闇 井戸神を遷して閉ぢしとふ古井覗けば

屋敷神祀れる祠もただ朽ちてゆくだけしづかに朽ちてゆくだけ

首すつくと立てて白鷺は野の賢者 穂草とともに吹かれゐるなり

風ぐるみふうはり父は抱へくれき煙草のにほふマントの中に

地下二階のコーヒーショップに籠りゐし間(ま)に降り出でて止みゐたる雨

つくづくと見てゐるうち掌(て)がかゆくなる勘亭流の「觴」といふ文字

蛇(じや)と化(な)るを助(す)けゐる起居(たちゐ)のかひがひし肩衣(かたぎぬ)片方脱ぎし後見

殺(あや)めしは誰とも覚えゐず灯芯をかきたて刃こぼれを検(あらた)めてゐき

魔がさすといふことのあり暗き水叩きて櫂(オール)の音近づけば

ソクラテスの嚥みしはいかなる毒なりし毒草図鑑に今宵もあそぶ

さあ殺せ殺せと地べたに寝転がる破落戸(ごろつき)なんども羨しきものを

くたびれてゐる神経をいたぶりてガラスのみみづくの眼(まなこ)虹色

湖の底よりのメールもありぬべし足もとに月の光(かげ)及び来て

茅原はいつもの風がわたりゐていつものさやぎ聞ゆるばかり

打ちこまれし五寸釘をも包み込み太りゆくらし呪ひの杜(もり)の樹

呪ひの人形片づけるも仕事の一つにてさらさら浄衣の袖がうごけり

われはシャワー浴びゐきこの樹に人形が打ちつけられし昨夜(ゆふべ)丑の刻

祓へして焚かるる呪ひの藁人形のしばらくあげゐる花びらめく炎(ひ)

緋の袴の裾汚れゐてうさんくさし老いたる巫女(みこ)の仕(つかまつ)る占(うら)

刺す如く痛き乳(ち)の下ちやうちやうと人形に釘がいま打たれゐる

降三世明王に踏みしだかれて呻ける女男(めを)にいくばく異なる

耳鳴りのいつか五月雨 沙の音 呪文 睡りの際をふはふは

うつくしき白骨(しらほね)となりてカラハリの沙漠に散らばるまでの歳月

径五ミリほどの錠剤にあやつられすとんと睡りに落ちてしまへり

汗のにほひあはくなりしと書き寄越す逢はざるままに幾年経しか

七階のわが窓にまつすぐひびき来て揚雲雀のこゑいとどせつなげ

しつかりと閉ぢておきしに抜け出でて繪双紙の鬼はしばらくあそぶ

何に生れかはつても同じことならむかうして水を見てゐるならむ

聖蹟の如き石切場 稲妻のはしるたまゆら闇に浮かびて

ゆふがほも凋(しぼ)み初むる午前二時この世のわれに逢ひたくなきや

妻問ふと時雨の海を渡りゆきし偶蹄目シカ科夢野(いめの)の小牡鹿

人間(ひと)として在るは束の間(ま)拾ひたる櫻紅葉を散らしなどして
 

                              以上百五十首         
 
 
 

(作者は、歌人。1935年 京都市に生まれる。 日本ペンクラブ会員。掲載の百五十首は、全作歌より自在に再編されたもの。典雅な措辞の奥に底昏い嘆声が聞こえる。湖の本の読者で、「e−文庫・湖」第三頁の古典エッセイは最も速い寄稿の作であった。)



 
 

 

    荻江「細雪 松の段  秦 恒平
 
 

あはれ 春来とも 春来とも あやなく咲きそ 糸桜 あはれ 糸桜かや 夢の跡かや 見し世の人に めぐり逢ふまでは ただ立ちつくす 春の日の 雨か なみだか 紅に しをれて 菅の根のながき えにしの糸の 色ぞ 身にはしむ

さあれ 我こそは王城の 盛りの春に 咲き匂ふ 花とよ 人も いかばかり 愛でし昔の 偲ばるれ

きみは いつしか 春たけて うつろふ 色の 紅枝垂 雪かとばかり 散りにしを 見ずや 糸ざくら ゆたにしだれて みやしろや いく春ごとに 咲きて 散る 人の想ひの かなしとも 優しとも 今は 面影に 恋ひまさりゆく ささめゆき ふりにし きみは 妹(いもと)にて 忍ぶは 姉の 嘆きなり

あはれ なげくまじ いつまでぞ 大極殿の 廻廊に 袖ふり映えて 幻の きみと 我との 花の宴 とはに絶えせぬ 細雪 いつか常盤(ときわ)に あひ逢ひの 重なる縁(えに)を 松 と言ひて しげれる宿の 幸(さち)多き 夢にも ひとの 顕(た)つやらむ ゆめにも人の まつぞうれしき 

          ──昭和五十八年三月七日作 五十九年一月六日 藤間由子初演 国立小劇場──
 
 
 
 

(作詞中に「我」とは「松」子夫人、「きみ」とは妹「重」子さん、「人」とはおおかた谷崎潤一郎に宛ててある。)



 
 

 
     シニョリア広場にて
 

       高木 富子
 

ペルセウスと彼に首級を上げられたメドウーサ
あれはマニエリスモのチエリーニの彫刻
忌むべき怪物、忌むべき女メドウーサは
正義の男ペルセウスに打たれなければならぬ、その必然・・
だが、私の中で感情うごめくよ、否定的に

サビーナは常に略奪されなければならない
なんと惨いこと
女は略奪などされたくない 決して
運命には男も女も等しく翻弄されるだろうが
略奪されたくはない、誇り高く生きたい
・・
そして騎馬に乗った男丈夫のコシモが睥睨する広場
この都市の共和制が終わり彼の治世以後
ある種の「支配」や「価値観」が大きく変化したことを
明確に 如実に彼は広場に意図し配置した
共和制など戯言よ、この高貴な血こそ、存在の意義

顔向かいあうことなく真昼の広場に男と女がいる
顔は向かい合っているのに互いを見ていない男と女がいる
向かい合い見詰め合う男と女もいる
 
サヴォナローラは まさにこの地点で火炙りの刑に処された
現実的、享楽的なフィレンツエの人々は
サヴォナローラの「厳格、禁欲」を我慢できなかった
周囲から強制された禁欲の中では長い時間を生きられなかった、決して
寧ろ高貴とともに、豪奢とともに
狡猾さ、猥雑さを強くしたたかに生きたかったのだ
それを自然というか、人間の愚かさというか、微妙な判定だ
今、私たちもまたそのように生きようとしている、生きている

敷石からたち登ってくる熱
過去からたち登ってくる記憶
感じて、思い起こして、誰かが囁いている
哀しみも歓びも畏敬をもって受け取ります
不意の、予期されなかった感触
静かにそっと受け取ります

私は風に吹かれながら 広場の人混みから少し離れて坐っている
嘆きと怒り、そして慰めと喜び、さまざま感じながら
 
 
 
 

(送られてきた幾つかの詩篇から、長篇のなお雑然とした一作を、作者に断らずに選んだ。雑然は、この詩人であることをいやがる人の本領の魅力であるかも知れないから。2.1.29)



 
 
 

     時を環せ   高木富子
 
 
 

環我未生時・・我いまだ生まれざりし時を環せ

この世の原始の源初の荒海に散りじりになった
所在不明の我が生と所在不明のあなたの生が
いつ、何処で逢い合えるのか、重なり合うか
遠い海鳴りはあなたの耳に届いているか
それともはるか彼方の未だ感知できないものなのか
じっと目を凝らしても闇を見るだけ
じっと耳を凝らしても無音のざわめきを聴くだけ

大地に落ちる無数の命
育む力、捻じ曲げ、折り、踏み潰す力
澄み切った空気の中で微かに呼吸している

文字を書く、意味ある言葉を紡ぐ、内部から零れ滴るように しかしそれ自体で 完了しているのではなく それは他者に向けられてもいる それを否定しては言葉本来の意味はないと 私は考える しかし人は 意識的な叫びとして誰かに向けられるのではなく ただ私自身の中からおのずから湧き出でるとき その時だけ 言葉が 生きられるのだと言う 
 

眩い天使がやって来た
ああ、眩しいなあと混乱した頭を抱えて・・考えた
夕べの、私には不適切な過度な酒がききすぎたのかしらん
酒は毒だよと、酒は
でも毒は時には効きすぎていいの、毒が私には必要なの
いったい何を研ぎ澄ます毒なのか・・分かっていないとしても
或いは更に困惑を深めるだけの毒でも
眩しい天使は私を包み、私はうっとり見ほれていた
 

桜井です、桜井でーす
アナウンスは告げているのに・・およそ見慣れぬ街の風景
小高い丘の上に街が広がり、いく筋かの坂道が見えた
古びて壊れそうな無骨な市外電車が丘を登って走っていた
井柳さんが隣の席で早く降りましょう、早く降りましょうと言っている
こんなはずはない、こんなはずはない。呆然として立ち尽くしていたら
夢が終わった、夢の醒め際、私はあれは桜井ではなく、確かに以前訪ねた街だと思った
が・・やはり名前は出てこなかった、
名前というある種の記号、本質に迫る名前という記号が
それだけのこと
 

夕べの夢は発熱してる、静かな陶酔を私は夢見た、陶酔が発熱して至って当然

悲劇的な匂いがしません?

葉を落とした裸木のその枝にはしっかり次への準備がなされている
冬のさなかに今にも息ぶき、芽吹き、空に向おうとする確かな意志
確かな意志を私も持つ

根を根ざさぬ私、それもまた一つの意志
いつからだろう、もうずっと昔から、私の内部から
故郷を否定し、「家族」の或部分を否定し・・
そのように私は生きようと・・そして生きるだろうと・・
 
 
 
 
 

(作者は、自分を詩人と考えていない。詩を書くように感じたり考えたりしていると言う。詩誌に発表するわけでもグループに属しているわけでもない。強いて詩人にしてしまう必要は何もない。一人の感性人として、時に表現が乱反射で魅せる。それでいいのかも知れぬ。)



 
 
 

   自撰・明治の与謝野晶子短歌抄
 

            与謝野晶子
  
 

『乱れ髪』

その子二十(はたち)櫛(くし)に流るる黒髪のおごりの春の美しきかな

清水(きよみづ)へ祇園(ぎをん)をよぎる花月夜こよひ逢ふ人みな美しき

経(きやう)は苦(にが)し春のゆふべを奥の院の二十五菩薩(ぼさつ)歌受けたまへ

汀(みぎは)来る牛かひ男歌あれな秋の湖(みづうみ)あまりさびしき

やは肌のあつき血潮に触れも見でさびしからずや道を説く君

たまくらに鬢(びん)の一すぢ切れし音(ね)を小琴(をごと)とききし春の夜の夢

ほととぎす嵯峨(さが)へは一里京へ三里水の清滝(きよたき)夜の明けやすき

何(なに)となく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな

ゆあみして泉を出でし我が肌に触るるは苦るし人の世の衣(きぬ)

春三月(みつき)柱(ぢ)おかぬ琴に音立てぬ触れしそぞろの我が乱れ髪

かたみぞと風なつかしむ小扇(こあふぎ)の要(かなめ)あやふくなりにけるかな

四条橋(しでうばし)おしろい厚き舞姫の額(ぬか)ささやかに打つあられかな

いとせめてもゆるがままに燃えしめよかくぞ覚ゆる暮れて行く春

昨日(きのふ)をば千とせの前の世と思ひ御手なほ肩にありとも思ふ
 

 
『小扇』
 

おもだかは少女(をとめ)の櫂(かい)に乗りこえぬ君の歌へる七尺の舟

めしひなれば道と教へで往かしめよ荊棘(おどろ)変じて百合となる道

君さらばさらば二十(はたち)を石に寝て春のひかりを悲しみたまへ

人恨みわれと泣かるる日の多き里居(さとゐ)しぬれば衰へぬれば

春の夜に小雨そぼ降る大原や花に狐(きつね)の出でてなく寺

ひとすぢにあやなく君が指おちて乱れなんとす夜のくろ髪

ゆきずりの丁子(ちやうじ)ゆかしや明方の夢に見に来ん山下小家(やましたこいへ)

日の限り春の雲湧(わ)く殿(との)の灯(ひ)におよそ百人牡丹(ぼたん)に似たり

をとめなれば姿は羞(は)ぢて君に倚(よ)るこころ天(あめ)行く日もありぬべし

あめつちの恋は御歌にかたどられ全(まつ)たかるべく桜花咲く
 

『毒草』

友染(いうぜん)の袖(そで)十あまり円(まる)くより千鳥きく夜を雪降りいでぬ

我が春の笑みを讃ぜよ麗人(れいじん)の泣くを見ずやとひまなきものか

この君を思ひやしつる身や愛(め)でし恋は驕(おご)りに添ひて燃えし火

相見んと待つ間も早く今日の来て我れのみ物は思ふおとろへ

君に似る白と真紅(しんく)と重なりて牡丹散りたる悲しきかたち
 

『恋ごろも』

春曙抄(しゆんじよせう)に伊勢をかさねてかさ足らぬ枕はやがてくづれけるかな

ほととぎす聴(き)きたまひしか聴かざりき水のおとするよき寐覚(ねざめ)かな

海恋し潮(しほ)の遠鳴りかぞへてはをとめとなりし父母(ちちはは)の家

鎌倉や御仏(みほとけ)なれど釈迦牟尼(しやかむに)は美男(びなん)におはす夏木立かな

ほととぎす治承寿永(ぢしようじゆえい)のおん国母(こくも)三十にして入りませる寺

頬(ほ)よすれば香る息(いき)はく石の獅子(しし)ふたつ栖(す)むなる夏木立かな

髪に挿(さ)せばかくやくと射る夏の日や王者(わうしや)の花のこがねひぐるま

黒ずみの春さめふれば傘さして君とわが植う海棠(かいだう)の苗

ほととぎす過ぎぬたまたま王孫(わうそん)の金(きん)の鎧(よろひ)を矢すべるものか

蓮(はす)を斫(き)り菱(ひし)の実とりし盥舟(たらひぶね)その水いかに秋の長雨(ながあめ)

才なさけ似ざるあまたの少女見んわれをためしに引くと聞くゆゑ

花に見ませ王(わう)のごとくもただなかに男(を)は女(め)をつつむうるはしき蕊(しべ)

ややひろく廂(ひさし)出したる母屋(もや)づくり木の香にまじるたちばなの花

祭の日葵橋(あふひばし)ゆく花がさのなかにも似たる人を見ざりし

精好(せいがう)の紅(あけ)と白茶の金襴(きんらん)のはりまぜ箱に住みし小鼓(こつづみ)

たなばたをやりつるあとの天の川しろくも見えて風する夜かな

われを問ふやみづからおごる名を誇る二十四時(とき)を人をし恋ふる

ここすぎてゆふだち走る川むかひ柳千株(せんじしゆ)に夏雲のぼる

誰が子かわれにをしへし橋納涼(はしすずみ)十九の夏の浪華風流(なにはふうりう)

七(なな)たりの美なる人あり簾(すだれ)して船は御料(ごれう)の蓮きりに行く

水にさく花のやうなるうすものに白き帯する浪華の子かな

まる山のをとめも比叡の大徳(だいとこ)も柳のいろにあさみどりする

金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏(いてふ)ちるなり岡の夕日に

手(た)ぢからのよわや十歩(とあし)に鐘やみて桜ちるなり山の夜の寺

兼好を語るあたひに伽羅(きやら)たかん京の法師の麻の御(み)ころも
 

『舞姫』

うたたねの夢路に人の逢(あ)ひにこし蓮歩(れんぽ)のあとを思ふ雨かな

家七室(いへななま)霧にみな貸す初秋(はつあき)を山の素湯(さゆ)めでこしやまろうど

思ふとやすまじきものの物懲(ものごり)にみだれはててし髪にやはあらぬ

白百合(しろゆり)のしろき畑のうへわたる青鷺(あをさぎ)づれのをかしき夕(ゆふべ)

わかき日のやむごとなさは王城(わうじやう)のごとしと知りぬ流離(りうり)の国に

日輪(にちりん)に礼拝(らいはい)したる獅子王の威(ゐ)とぞたたへんうらわかき君

かざしたる牡丹(ぼたん)火(ひ)となり海燃えぬ思ひみだるる人の子の夢

われと燃え情火(じやうくわ)環(たまき)に身を捲(ま)きぬ心はいづら行方(ゆくへ)知らずも

山山に赤丹(あかに)ぬるなるあけぼのの童(わらは)が撫(な)でし頬(ほ)と染まりける

花草の満地(まんち)に白とむらさきの陣立ててこし秋の風かな

木蓮(もくれん)の落花(らくくわ)ひろひてみほとけの指とおもひぬ十二の智円

春雨(はるさめ)やわがおち髪を巣に編みてそだちし雛(ひな)の鶯(うぐひす)の鳴く

軒ちかき御座(みざ)よ灯(ほ)の気(け)と月光のなかにいざよふ夜(よる)の黒髪

廻廊(くわいらう)を西へならびぬ騎者たちの三十人は赤丹(あかに)の頬(ほ)して

きぬぎぬや雪の傘(かさ)する舞ごろもうしろで見よと橋こえてきぬ

高き家(や)に君とのぼれば春の国河とほじろし朝の鐘鳴る

保津川(ほづがは)の水に沿ふなる女松山(めまつやま)幹(みき)むらさきに東明(しののめ)するも

萌野(もえの)ゆきむらさき野ゆく行人(かうじん)に霰(あられ)ふるなりきさらぎの春

わが宿の春はあけぼの紫の糸のやうなるをちかたの川

ゆるしたまへ二人を恋ふと君泣くや聖母にあらぬおのれのまへに

春いにて夏きにけりと手ふるれば玉はしるなり三十五の絃(いと)

すぐれて恋ひすぐれて君をうとまんともとより人の云ひしならねど

ふるさとの潮(しほ)の遠音(とほね)のわが胸にひびくをおぼゆ初夏の雲

梅雨晴(つゆばれ)の日はわか枝(え)こえきらきらとおん髪にこそ青う照りたれ

紫と黄いろと白と土橋(つちばし)を小蝶(こてふ)ならびてわたりこしかな

円山(まるやま)の南のすその竹原(たかはら)にうぐひす住めり御寺(みてら)に聞けば

遠(をち)かたに星のながれし道と見し川のみぎはに出でにけるかな

物思へばものみな慵(もの)ううたた寐に玉の螺鈿(らでん)の枕をするも

おとうとはをかしおどけしあかき頬(ほ)に涙ながして笛ならふさま

沙羅双樹(さらさうじゆ)しろき花ちる夕風に人の子おもふ凡下(ぼんげ)のこころ

五月雨(さつきあめ)春が堕(お)ちたる幽暗(いうあん)の世界のさまに降りつづきけり

君にをしふなわすれ草の種まきに来(こ)よと云ひなばおどろきて来ん

京の衆(しゆ)に初音(はつね)まゐろと家ごとにうぐひす飼ひぬ愛宕(をたぎ)の郡(こほり)

あやまちは君が牡丹とのみ云はで花に似し子をかぞへけるかな

鳴滝(なるたき)や庭なめらかに椿(つばき)ちる伯母(をば)の御寺(みてら)のうぐひすのこゑ

六月(みなづき)のおなじゆふべに簾(すだれ)しぬ娘かしづく絹屋と木屋と

大堰川(おほゐがは)山は雄松(おまつ)の紺青(こんじやう)とうすきかへでのありあけ月夜

夏のかぜ山よりきたり三百の牧(まき)のわか馬耳吹かれけり

香盤(かうばん)に白檀(びやくだん)そへて五月雨(さみだれ)の晴間を告げぬさもらひびとは

君まさぬ端居(はしゐ)やあまり数おほき星に夜寒(よさむ)をおぼえけるかな

朝ぼらけ羽ごろも白(じろ)の天(あめ)の子が乱舞するなり八重桜ちる

春の海いま遠(をち)かたの波かげにむつがたりする鰐鮫(わにざめ)おもふ

梅の花たき火によばれしら髪をかきたれ来(く)なる隣の君よ

ほととぎす水ゆく欄(らん)にわれすゑてものの涼しき色めづる君

うらさびしわが家(や)のあとに家(や)つくると青埴(あをはに)盛るを見たるここちに

夏まつりよき帯むすび舞姫に似しやを思ふ日のうれしさよ

うすいろを著よと申すや物焚(ものた)きしかをるころものうれしき夕(ゆふべ)

相人(さうにん)よ愛慾せちに面痩(おもや)せて美しき子に善(よ)きことを云へ

公孫樹(こうそんじゆ)黄にして立つにふためきて野の霧くだる秋の夕暮

ほととぎす安房(あは)下総(しもふさ)の海上に七人(ななたり)ききぬ少女子(をとめご)まじり

大赤城(おほあかぎ)北上(きたかみ)つ毛の中空にそびやぐ肩をあきの風吹く

うつら病む春くれがたやわが母は薬に琴を弾(ひ)けよと云へど

やはらかにぬる夜ねぬ夜を雨知らず鶯(うぐひす)まぜてそぼふる三日(みつか)

牡丹(ぼたん)うゑ君まつ家と金字(きんじ)して門(かど)に書きたる昼の夢かな

冬の日の疾風(はやち)するにも似て赤きさみだれ晴の海の夕雲

春の水船に十(と)たりのさくらびと鼓うつなり月のぼる時

水引の赤(あけ)三尺の花ひきてやらじと云ひし朝つゆのみち

春の雨高野(かうや)の山におん児(ちご)の得度(とくど)の日かや鐘おほくなる

しら樺(かば)の折木(おれき)を秋の雨うてば山どよみしてかささぎの鳴く

御胸(みむね)にと心はおきぬ運命の何すと更におそれぬきはに

舞ごろも五(いつ)たり紅(あけ)の草履(ざうり)して河原に出でぬ千鳥のなかに

君とわれ葵(あふひ)に似たる水くさの花のうへなる橋に涼みぬ

いとかすけく曳(ひ)くは誰(た)が子の羅(ら)の裾(すそ)ぞ杜鵑(とけん)待つなるうすくらがりに

春のかぜ加茂川こえてうたたねの簾(すだれ)のなかに山吹き入れよ

いそ松の幹のあひだに大うみのいさり船見ゆ下総(しもふさ)の浦

十余人縁にならびぬ春の月八坂(やさか)の塔のひさしはなると

さくら貝遠つ島べの花ひとつ得つと夕(ゆふべ)の磯ゆくわれは

かきつばた扇つかへる手のしろき人に夕の歌書かせまし

富士の山浜名の湖(うみ)の葦原(あしはら)の夜明の水はむらさきにして

傘ふかうさして君ゆくをちかたはうすむらさきにつつじ花さく

いつの世かまたは相見ん知らねどもただごと云ひて別るる君よ

橋のもと尺をあまさぬひたひたの出水(でみず)をわたり上(かみ)つ毛(け)に入る

石まろぶ音にまじりて深山鳥(みやまどり)大雨(たいう)のなかを啼(な)くがわびしき

みづうみに濁流おつる夜(よ)の音をおそれて寐(い)ねぬ山の雨かな

秋雨(あきさめ)は別れに倚(よ)りしそのかみの柱のごとくなつかしきかな

画師(ゑし)の君わが歌よみし京洛の山は黄金(こがね)の泥(でい)して描(か)けな

やはらかき少女(をとめ)が胸の春草に飼はるるわかき駒(こま)とこそ思へ

わが哀慕(あいぼ)雨とふる日にいとど死ぬ蝉死ぬとしも暦をつくれ
                                 ※「いとど」は原点は漢字。虫へんに車

天人(てんにん)の飛行(ひぎやう)自在にしたまふとひとしきほどのものたのむなり

頬(ほ)にさむき涙つたふに言葉のみ華(はな)やぐ人を忘れたまふな

半身にうすくれなゐの羅(うすもの)のころもまとひて月見るといへ
 

『夢之華』

おそろしき恋ざめごころ何を見るわれをとらへん牢舎(ひとや)は無きや

今日も猶(なほ)うらわか草の牧を恋ひ駒は野ごころ忘れかねつも

水の隈(くま)うすくれなゐは河郎(かはらう)の夜床(よどこ)にすらんなでしこの花

山をちこち遊行(ゆぎやう)の僧の御袈裟(みけさ)とも見えてはだらに雪ときにけり

君めでたしこれは破船(はせん)のかたはれの終りを待ちぬただよひながら

物おもへばなかにみじかき額髪しばしば濡れてくせづきしかな

三月は柳いとよし舞姫の玉のすがたをかくすといへど

まろうどは野田の稲生(いなふ)をまろびこし風あまたゐる室(ま)におはしませ

雲のぼる西の方かな雨(あま)あがり赤城平(あかぎだひら)は百合(ゆり)しろうして

春の磯こひしき人の網もれし小鯛(こだひ)かくれて潮けぶりしぬ

いくよろづ天(あめ)の御厩(みまや)のおん馬は白毛のみなり春の夜の星

たちばなの香(かぐ)の木蔭(こかげ)を行かねども皐月(さつき)は恋し遠居(とほゐ)る人よ

柱云ひぬ誰(た)れ待ちたまふ春の夜を君はなよらに身じろぎがちに

地はひとつ大白蓮(だいびやくれん)の花と見ぬ雪のなかより日ののぼる時

三吉野(みよしの)のさくら咲きけり帝王の上(かみ)なきに似る春の花かな

あるゆふべ燭(しよく)とり童(わらは)雨雲のかなたにかくれ皐月となりぬ

恋人は現身(げんしん)後生(ごしやう)よしあしも分(わか)たず知らず君をこそたのめ

夕にはゆきあふ子なき山なかに人の気(け)すなりむらさきの藤

遠き目に比叡(ひえ)とも見たるいただきや大文字(だいもんじ)あるおぼろ夜の山
          
わが鏡たわつくらせし手枕(たまくら)を夢見るらしき髪うつるかな

水仙を華鬘(けまん)にしたるなな少女(をとめ)氷まもりぬ山のみづうみ

わが肩に春の世界のもの一つくづれ来(こ)しやと御手(みて)をおもひし

ほととぎす赤城の山のすそにして野高き草の夕月夜かな

君乗せし黄(き)の大馬(おほうま)とわが驢馬(ろば)とならべて春の水見る夕

黒けぶり青きけぶりとまろび出ぬ大船(たいせん)くると島の蔭(かげ)より

八月の湯槽(ゆぶね)に聞きしうぐひすの山をおもひぬ朝霧のまち

思はるるわれとは無しに故(ゆえ)もなくむつまじかりし日もありしかな

天地(あめつち)のいみじき大事一人(いちにん)のわたくしごととかけて思はず

あらし山名所の橋のはつ雪に七人(ななたり)わたる舞ごろもかな

遠き火事見るとしもなきのろのろの人声すなり亥(ゐ)の刻の街(まち)

ほととぎす東明(しののめ)どきの乱声(らんじやう)に湖水は白き波立つらしも

かたはらに自(みづか)ら知らぬひろき野のありて隠るるまぼろしの人

何鳥か羽音(はおと)してきぬあかつきの茜(あかね)のなかを使(つかひ)のやうに

まじものも夢も寄りこぬ白日(はくじつ)に涙ながれぬ血のぼせければ

誰れ留めて春の名残(なごり)の歌かかんこきくれなゐの七人の帯

ませばこそ生きたるものは幸ひと心めでたく今日もありけれ

われに似て玉の夜床(よどこ)にぬるものと鶯をこそ思ひやりけれ

女(をなご)をかし近衛(このゑ)づかさは纓(えい)巻きて供奉(ぐぶ)にぞまゐる伊勢物語

羽(はね)じろの桜の童子ねぶりたり春の御国(みくに)のあけぼののさま

こき梅をよしと思はぬ人の子をとらへてまゐれ紅衣(こうい)の童(わらは)

かへり見て母にならひし痩(や)せ病(やまひ)すなとも云はず木太刀(きだち)佩(は)く児(こ)よ

戸をくれば厨(くりや)の水にありあけのうす月さしぬ山ざくら花

夏の花原の黄菅(きすげ)はあけぼのの山頂よりもやや明くして

名なし草蚕子(かふこ)の繭(まゆ)に似る花を春雨ぬらし暮れにけるかな
 

『常夏』

つややかに春の灯(ひ)ならぶ円山へ法(のり)の灯ともる音羽(おとは)の山へ

河がらす水食(は)む赤き大牛をうつくしむごと飛びかふ夕

わが心さびしき色に染むと見き火のごとしてふことのはじめに

ものほしききたな心の附きそめし瞳(ひとみ)と早も知りたまひけん

ふと思ふ十(と)とせの昔海見れば足のよろめく少女(をとめ)なりし日

むらさきの蝶夜(てふよ)の夢に飛びかひぬふるさとにちる藤の見えけん

薄(すすき)の穂矢にひく神か川くまのされ木を濡らす秋の日の雨

十五(じふご)来ぬをしの雄鳥(をとり)の羽のごとき髪にむすばれわれは袖ふる

来(き)啼(な)かぬを小雨ふる日はうぐひすも玉手さしかへ寐(ぬ)るやと思ふ

これ天馬うち見るところ鈍(のろ)の馬埴馬(はにま)のごときをかしさなれど

一瞬に天(あめ)に帰らん気色(けそく)すと云へども波は消えゆくものを

少女子(をとめご)は御胸(みむね)に入りて一天下治むるごときこと執り申す

上卿(じやうけい)はけうらのをとこひげ黒に藤傘するは山しろづかひ

生れける新しき日にあらずして忘れて得たる新しき時

朝の雲いざよふ下(もと)にしきしまの天子の花の山ざくら咲く

臘月(らふげつ)の来ると野寺のうしろ藪(やぶ)穂すすきばかり雪かづくかな

君来(こ)ずてさびし三四の灯をうつす柱のもとの円(まろ)かがみかな

いつしかとえせ幸ひになづさひてあらん心とわれ思はねど

花ぐさの原のいづくに金の家銀の家すや月夜こほろぎ

風吹けば馬に乗れるも乗らざるもまばらに走(わし)る秋の日の原

梅雨(つゆ)さりぬ先づはなだ草初夏の瞳を上げてよろこびを云ふ

天竺(てんぢく)の流沙(りうしや)に行くや春のみづ浪華(なには)の街(まち)を西すみなみす

ふるさとを恋ふるそれよりややあつき涙ながれきその初めの日

二三騎は木(こ)の下(した)かげにはたはたと扇つかへり下賀茂の宮

あぢきなく古き戸口に倚(よ)り臥(ふ)しぬ香(かを)る衣(ころも)はかづくと云へど

しらしらと涙のつたふ頬(ほ)をうつし鏡はありぬ春の夕に

粉黛(ふんたい)の仮(かり)といのちのある人と二あるがごとき生涯に入る

思ふ人ある身はかなし雲わきて尽くる色なき大ぞらのもと

いづくにか酸(す)き酒もとめ食らへるにあらずや怪(け)しきわが心ども

高き屋にのぼる月夜のはださむみ髪の上より羅(ら)をさらに著ぬ

朝がほの紅(あけ)むらさきを一(ひと)いろに染めぬわりなき秋の雨かな

若き日の火中(ほなか)に立ちて相問ひしその極熱(ごくねつ)のさかひにあらず

起きよと云ふいづれの王ぞこたふらく鶯飼へる御内(みうち)の少女(をとめ)

白き菊ややおとろへぬ夕には明眸(めいぼう)うるむ人のごとくに

仁和寺(にんなじ)のついぢのもとの青よもぎ生(お)ふやと君の問ひたまふかな

紫の藤ばな散りぬ青の羽よきつばくらの出(い)づさ入るさに

火の中のきはめて熱き火の一つ枕にするがごとく頬(ほ)もえぬ

加茂川の石みな濡るるむつかしと人を呼ぶなり夏の日の雨

いのち死なぬ神のむすめは知らねどもこの世にながくちぎりこしかな

わが産屋(うぶや)野馬(やば)のあそびに来ぬやうに柵(さく)つくらせぬしら菊の花

ももいろの靄(もや)のなかより春二日竜王の女(ぢよ)の涙ふるかな

あかつきの天(あめ)の藤原ほの見えてわか紫のたな雲立つも

押しへされ野ばらの花はありきとよあづけし人にたまふことづて

蘆(あし)の湖(うみ)いく杉むらの紺青(こんじやう)の下にはつかにわが見てし時

みづうみの底より生{)おふる杉むらにひぐらし鳴きぬ箱根路くれば
 

『佐保姫』

撥(ばち)に似るもの胸に来てかきたたきかきみだすこそくるしかりけれ

男にて鉢(はち)叩(たた)きにもならましを憂(う)しともかこちうらめしと云ふ

ものがたり二(に)なき上手(じやうず)の話よりもののあはれを思ひ知りにき

見るかぎり絵などに書きておきたまへ一(ひと)いろならぬ心の人を

あさましく雨のやうにも花おちぬわがつまづきし一もと椿(つばき)

わが前に紅(あか)き旗もつ禁衛(きんゑい)の一人と君をゆるしそめにし

朝顔の蔓(つる)きて髪に花咲かば寐てありなまし秋暮るるまで

三尺(さんじやく)のたななし小舟(をぶね)大洋(おほわだ)におのれ浮沈す人あづからず

恋をしていたづらになる命より髪の落つるは惜しくこそあれ

やごとなき君王(くんわう)の妻(め)にひとしきは我がごと一人思はるること

夕風や煤(すす)のやうなる生きもののかはほり飛べる東大寺かな

むらさきの水したたりぬ手を重ね我がある岩の前の岩より

かなしさに枕も呼ばずわが寐(ぬ)れば畳の濡(ぬ)れつ初秋の昼

あざやかに漣(さざなみ)うごくしののめの水のやうなるうすものを著ぬ

白蘭(びやくらん)の園に麒麟(きりん)を放つ日ももののはかなき歎(なげ)きをぞする

秋の雨わたり二間(にけん)のわたどのの洞(ほら)の中より灯を執りてきぬ

冬の夜を半夜(はんや)いねざる暁(あかつき)のこころは君にしたしくなりぬ

人捨つるわれと思はずこの人に今重き罪申しおこなふ

美しき大阪人(おほさかびと)とただ二人(ふたり)乗りたる汽車の二駅(ふたえき)のほど

見えぬもの来てわれ教ふ朝夕に閻浮(えんぶ)檀金(だごん)の戸のすきまより

ゆきかへり八幡筋(はちまんすぢ)のかがみやの鏡に帯をうつす子なりし

秋立つや鶏頭(けいとう)のはな二三本まじる草生(くさふ)に蛇打つおきな

ちかひごとわが守る日は神に似ぬすこし忘れてあれば魔に似る

さきに恋ひさきにおとろへ先に死ぬ女(をみな)の道にたがはじとする

大寺の石の御廊(みらう)にひざまづく瞽女(ごぜ)のやうにも指組む夕(ゆふべ)

水無月(みなづき)のあつき日中(ひなか)の大寺の屋根より落ちぬ土のかたまり

月見草(つきみぐさ)花のしをれし原行けば日のなきがらを踏むここちする

水へだて鼠(ねずみ)つばなの花投ぐることばかりして飽かざりしかな

元朝(ぐわんてう)や馬に乗りたるここちしてわれは都(みやこ)の日本橋ゆく

いただきの松の雪ふるあらし山春の初めに君を見るかな

焼鉛(やきなまり)背にそそがれしいにしへの刑にもまさるこらしめを受く

左にて小刀つかひ木(こ)の実(み)など彫りける兄とはやく別れき

いつやらんわがため悪(あ)しき人生みし天地(あめつち)おもひ涙ながるる

牡蠣(かき)くだく人の十人(とたり)も並べるは夢想(むさう)兵衛(びやうゑ)のものがたりめく

むつかしき謎をもてこし憎さより君と遊ばずなりにけるかな

うまごやしこれらの低き草も吹く秋風なれば身に沁(し)みにけり

さうび散る君恋ふる人やまひしてひそかに知りぬ死の趣を

静かなる相模(さがみ)の海の底にさへ鱶(ふか)棲(す)むと云ふなほよりがたし

子らの衣(きぬ)皆あたらしく美しき皐月(さつき)一日(ついたち)花あやめ咲く

おどけたる一寸法師舞ひいでよ秋の夕(ゆふべ)のてのひらの上

わがひぢに血ぬるは小(ちさ)き蚊の族(ぞう)もすると仇(かたき)をさそひけるかな

花かをる園に覚めたる少女子(をとめご)は君が心におくれてむくゆ

輦(てぐるま)の宣旨(せんじ)これらの世の人のうらやむものをわれもうらやむ

白麻(しらあさ)に千鳥染めたる夜のものをあさましからず被(かづ)ける少女(をとめ)

ある時のありのすさびもあはれなるもの思ひとはなりにけるかな

雨がへる手まりの花のかたまりの下に啼(な)くなるすずしき夕

男きて狎(な)れがほに寄る日を思ひ恋することはものうくなりぬ

うき指にうす墨(ずみ)ちりぬ思ふこと恨むことなど書きやめて寐ん

たをやめは面(おも)がはりせず死ぬ毒と云ふ薬見て心まよひぬ

わが心ひと時あまり青めりと聞かんばかりにそむきしや彼れ

長椅子に膝(ひざ)をならべて何するや恋しき人と物おもひする

君に文(ふみ)書かんと借りしみよし野の竹林院(ちくりんゐん)の大硯(おほすずり)かな

夏の日もありのすさびと云ふことを知らぬやからは毛ごろもを著る

一しずく髪に落つれば全身の濡れとほるらん水にたへたり

踏むところ沙阪(すなさか)にして松はみな黒きかげおく有明(ありあけ)月夜(づくよ)

はかなごと七つばかりも重なればはなれがたかり朝の小床(をどこ)も

朝顔の枯葉を引けば山茶花(さざんくわ)のつぼみぞ見ゆる秋のくれがた

いもうとと七夕(たなばた)の笹二つ三つながるる川の橋を行くかな

島の家(いへ)人(ひと)も木草(きくさ)もくろからんかく思ひけり黒き島見て

神ありて結ぶと云ふは二人居て心のかよふことを云ふらん

ことばもてそしりありきぬ反(そむ)くとはすこしはげしく思ふことかな

いとあつき火の伽具(かぐ)土(つち)のことばとも知らずほのかに心染めてき

人の世にまた無しと云ふそこばくの時の中なる君とおのれと

たとへなばさしひきも無きみち潮の上にのどかに君はある船

いにしへの和泉式部(いづみしきぶ)にもの云ひし加茂の祝(はふり)はわれを見知らず

頂(いただき)にありあけ月の残りたるいとほのかなるあらし山かな

手にちかくたやすきは皆人とりぬ千(ち)ひろの底の玉は誰(た)がこと

うす紅(べに)の楕円の貝を七つ八(や)つてのひらに載せものを思へる

君きぬと五(いつ)つの指にたくはへしとんぼはなちぬ秋の夕ぐれ

ほのかにもかねて心にありし絵のもの云ひにこし夜とおもひぬ

わが髪の裾(すそ)にさやさや風かよふ八畳の間の秋の夕ぐれ

文のから君の心をいと多くたくはへつると涙こぼれぬ
 

『春泥集』

一人(いちにん)はなほよしものを思へるが二人(ふたり)あるより悲しきは無し

楽しみはつねに変ると云ふ如く桃いろの衣(きぬ)上(うは)じろみつつ

遠方(をちかた)のものの声よりおぼつかなみどりの中のひるがほの花

さてもなほ余所(よそ)にならじと頼むこと古きならひとなりにけるかな

秋くれば腹立つことも苦しきも少ししづまるうつし世ながら

あかつきの竹の色こそめでたけれ水の中なる髪に似たれば

雨雲のややとぎれたる日に見出づ草の中なる白菊の花

男をも灰の中より拾ひつる釘(くぎ)のたぐひに思ひなすこと

朝顔の小さき花はうらがなし恋しき人の三十路(みそぢ)するより

赤蜻蛉(あかあきつ)風に吹かれて十(とを)あまりまがきの中に渦巻を描く

ひんがしに月の出づれば一人(いちにん)の秋の男は帆ばしらを攀(よ)づ

たでの花簾(すだれ)にさすと寐ておもふ日のくれ方の夏の虹(にじ)かな

よそごとに涙こぼれぬある時のありのすさびにひき合せつつ

戸あくればニコライの壁わが閨(ねや)にしろく入りくる朝ぼらけかな

起き臥(ふ)しに悩むはかなき心より萩などのいとつよげなるかな

山の上氷(こほ)れる池をかこみたる常磐木(ときはぎ)を吹く初春のかぜ

はかなかるうつし世びとの一人をば何にも我れは換へじと思へる

大鏡ひとつある間に初秋のあかつきの風しのびきたりぬ

残りなく皆ことごとく忘れんと苦しきことを思ひ立ちにき

獅子王に君はほまれをひとしくすよろこぶ時も悲しむ時も

わがよはひ盛りになれどいまだかの源氏の君の問ひまさぬかな

夏の夜は馬車して君に逢(あ)ひにきぬ無官の人のむすめなれども

十月は思ふ男の定まれるあとの如くにのどかなるかな

たえず来て石の槌(つち)もて胸を打つ強きこころの君におもはる

むらさきと白と菖蒲(あやめ)は池に居ぬこころ解けたるまじらひもせで

なほ人に逢はんと待つやわが心夕(ゆふべ)となれば黄なる灯(ひ)ともる

ほととぎす白き袷(あはせ)の裾ならべ五人(いつたり)います法華寺(ほっけじ)の衆

朝顔は一つなれども多く咲く明星(みやうじやう)いろの金盞花(きんせんくわ)かな

蜂蜜(はちみつ)の青める玻璃(はり)のうつはより初秋きたりきりぎりす鳴く

わが机袖(そで)にはらへどほろろ散る女郎花(をみなへし)こそうらさびしけれ

相よりてものの哀れを語りつとほのかに覚ゆそのかみのこと

あなさびし灯(ひ)ともし頃(ごろ)のくりいろの廊(わたどの)を吹くなり初秋のかぜ

あらかじめ思はぬことに共に泣くかるはずみこそうれしかりけれ

わが頼む男の心うごくより寂しきはなし目には見えねど

山中のはりがね橋も露に濡れはつ夏の夜の明けにけるかな

夏の花みな水晶にならんとすかはたれ時の夕立のなか

火のありと障子を川に投げ入るる人のはしこき秋の夕ぐれ

うすぐらき鉄格子(てつがうし)より熊の子が桃いろの足いだす雪の日

いつしかと紫の藤ちるごとくおとろふること今にいたりぬ

水仙は白妙(しろたへ)ごろもきよそへど恋人持たず香(かう)のみを焚(た)く

春の日となりて暮れまし緑金(りよくこん)の孔雀(くじやく)の羽となりて散らまし
 

『青海波(せいがいは)』

菊の助きくの模様のふり袖の肩脱(ぬ)がぬまに幕となれかし

うとましや紛(まぎ)るることの日に多く恋も妬(ねた)みも姿さだめず

この年の春より夏へかはる時病(やまひ)ののちのおち髪ぞする

梢(こずゑ)より音して落つる朴(ほほ)の花白く夜明くるここちこそすれ

水いろの麻のしとねにあけがたのいたづら臥(ぶし)の手も指も冷(ひ)ゆ

やはらかに心の濡るる三月の雪解(ゆきげ)の日よりむらさきを著る

椿(つばき)踏む思へるところある如く大き音たて落つる憎さに

初秋は王の画廊に立つごとし木にも花にも金粉(きんぷん)を塗る

水色に塗りたる如きおほぞらと白き野菊のつづく路(みち)かな

ことごとく因縁(いんえん)和合(わがふ)なしつると思へる家もときに寂しき

見て足らず取れども足らず我が恋は失ひて後(のち)思ひ知るらん

七八(ななや)とせ京大阪を見ずなりぬ遠き島にも住まなくにわれ

花引きて一たび嗅(か)げばおとろへぬ少女心(をとめごころ)の月見草かな

東京に雪雲くれば遠(をち)かたをふたがるるごと急ぎ文かく

木(こ)の下(もと)に落ちて青める白椿われの湯浴(ゆあみ)に耳をかたぶく

三尺のやなぎを折れば大馬に春は女(おなご)ものらまほしけれ

やうやくに思ひあたれる事ありや斯(か)くものをとふ秋の夕風

雲流るおほくの人に覗(のぞ)かれてはや書(がき)をする文の如くに

あながちに忍びて書きしあと見ればわが文ながら涙こぼるる

寛弘(くわんこう)の女房達に値(あたひ)すとしばしば聞けばそれもうとまし

めでたきもいみじきことも知りながら君とあらむと思ふ欲勝つ

あけくれの鶯(うぐひす)の声きさらぎの春の面(おもて)にうきぼりをする

何ごとに思ひ入りたる白露(しらつゆ)ぞ高き枝よりわななきてちる

吉原の火事のあかりを人あまた見る夜のまちの青柳(あをやぎ)の枝

蝶(てふ)ひとつ土ぼこりより現れて前に舞ふ時君をおもひぬ

水草に風の吹く時緋目高(ひめだか)は焼けたる釘のここちして散る

枝などを髪の如くにうち乱し流るる木あり大河のあめ

人並(ひとなみ)に父母を持つ身のやうにわがふるさとをとひ給ふかな

幾とせも仰(あふ)がでありし心地しぬ翡翠(ひすい)の色の初秋のそら

錫(すず)となり銀(しろがね)となりうす赤きあかぎの原を水の流るる

秋の夜の灯(ほ)かげに一人もの縫(ぬ)へば小き虫のここちこそすれ

大世界あをき空より来るごとつぼみをつけぬ春の木蓮(もくれん)

天王寺田舎の人の一つ撞(つ)く鐘の下より涼(すず)かぜの吹く

渚(なぎさ)なる廃(すた)れし船に水みちてしろくうつれる初秋のそら

煤(すす)びたる太き柱に吊(つ)りわたす蚊帳(かや)に入りくる水の音かな

見つつなほもの哀れなる日もありぬ逢はで気あがる日もありぬわれ

芝居よりかへれば君が文つきぬわが世もたのしかくの如くば

藤の花わが手にひけばこぼれたりたよりなき身の二人ある如(ごと)

うき草の中より魚(うを)のいづるごと夏木立(なつこだち)をば上(のぼ)りくる月

せはしげに金(きん)のとんぼのとびかへる空ひややかに日のくれて行く

しろき月木立にありぬうらわかき男の顔のぬれし心地(ここち)に

飽くをもて恋の終と思ひしに此(この)さびしさも恋のつづきぞ

相(あひ)あるを天変さとし人騒ぎ君は泣く泣く海わたりけん

いと重き病するなりわが心君ありし日に思ひくらべて

ねがはくば君かへるまで石としてわれ眠らしめメヅサの神よ

おのれこそ旅ごこちすれ一人ゐる昼のはかなさ夜(よ)のあぢきなさ

おなじ世のこととは何のはしにさへ思はれがたき日をも見るかな
 
 
 
 

(『乱れ髪』明治34年7月 14首/『小扇』明治37年1月 10首/『毒草』明治37年5月 5首/『恋ごろも』明治37年7月 25首/『舞姫』明治39年1月 81首/『夢之華』明治39年9月 44首/『常夏』明治41年7月 45首/『佐保姫』明治42年5月 72首/『春泥集』明治44年1月 41首/『青海波』明治45年1月 47首)
 

 
 

(よさのあきこ。歌人。1878?1942。大阪府堺市生まれ。作歌は『乱れ髪』(明治34年刊行)以降5万首をこえる。この『与謝野晶子歌集』は昭和9年までの全歌集から自撰した約3千首からなり、昭和13年に刊行された。明治期の自撰短歌を抄録する。)



 
 
 
 
 

        収穫       前田 夕暮
 
 
 
 

   自序

 我が第一歌集を「収穫」と名づく。
 一体去年の秋出すつもりで、略(ほぼ)原稿を纏めた時、いろいろ名づくべき標題を考へた末、「歌はわが若き日の収穫なり」といふことに思ひ及び、そのまゝ収穫を標題とすることにした。それから四五日して島崎藤村氏の処に行くと、氏も短篇集の名を収穫としようと思つてゐたといふ話があつた。私はその話をきいて悪いことをしたやうな気がした。そこで早速私の歌集の名は更(あらた)めて、新らしく氏に名づけていたゞくことにした。氏は自分の詩の中からでもよい標題をみつけてあげようといふ大変親切なお言葉だった。それから原稿をすつかり纏めて、一応みていたゞいた上、序を書いて貰ふ筈になつてゐた。
 すると数日後、.氏から一葉の端書が来て、「.私の短編集は外の標題にしたから、君のはもとのままの収穫で出すことにしてくれ」といふやうた意味の文面であった。
 其儘になつてそれから半歳すぎた。
 今度いよいよ出すことになつて標題を考へたがなかなか思ふやうな名が思ひつかぬ。矢張り「歌はわが若き日の収穫なり」といふ一句が頭に残っている。其処で、藤村氏からあゝいふ端書も来てゐることであり、氏の短編集は「藤村集」として此一月出てゐるので、却てもとのまゝがよからうと、人も言つてくれるし、自分もさう思つたので矢張「収穫」と名づけて出すことにした。
「収穫」は便宜上、上下の二巻に分けた。上巻には比較的新らしき歌を、下巻には割合に古い歌を収めた。古い歌と言つても四十年の後半期の歌が一番古いので、大体は四十一年及び四十二年、二年間の作の中より、比較的拙くとも正直に歌つてあるやうなものゝみを輯(あつ)めることにした。尤も、本年になつて作つたのも少しは入つてゐる。
 四十年の作は兎に角、四十一、二年間の作はすべてゞ二千首に上つてゐた。此二千首以上の中から六百首以内の歌を撰抜した。撰抜する時、私は矢鱈と旧稿へ墨を引いた。二三百首を剰して悉く抹殺した。然し二度目に見かへした時、そのうちの二三百首を活かさゞるを得なかつた。最初は拙い歌を多く抹殺した。二度目は拙くとも正直な歌を活かした。
 自分は技巧が拙い、修飾することを知らぬ。藝がない。であるから、思つたこと感じたことは、思つたこと感じたこと以上に歌ふことを知らぬ。唯正直に歌へたらよいと思つてゐる。自分は無論藝術を尊重する。愛する。然し自分は何時も通例人であらんことを願ふ。唯一箇の人間であつたらそれでよいと思ふ。通例人の思つたこと、感じたことを修飾せず、誇張せず、正直に歌ひたいと思ふ。
 吾等は藝園の私生児たることを厭はぬ。唯真実でありたい。
 終りに、本書の出版につき、種々尽力していたゞいた水野葉舟君の厚意を謝す。
   明治四十三年
      三月九日夜
                          著 者
 
 
 
 

               収 穫 上巻
 
 
 

魂(たましひ)よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて

荒みゆく心をしづにおししづめ「吾」をみまもり涙ぐまれぬ

あはれみが二人をつなぐ悲しさをいかなる時に君は知りしや

別れ来て晩夏(おそなつ)の野に草を藉(し)き少女(をとめ)のごとくひとりかな.しむ

われ等また馴るるに早き世の常のさびしき恋に終らむとする

襟垢(えりあか)のつきし袷(あはせ)と古帽子宿をいで行くさびしき男

泣くひまに裁縫(しごと)などする君ならずおしろいの香を悲しがるかな

秋の朝卓(たく)の上なる食器(うつは)らにうすら冷たき悲しみぞ這ふ

何物か胃に停滞(ていたい)しあるがごと思はるる日の果敢(はか)なき心地

信じられぬ男のもてるなげきなどなき人とのみ君おもふらむ

わすれ行きし女の貝の襟止(えりとめ)のしろう光れる初秋の朝

すてなむと思ひきはめし男の眼しづかにすむを君いかにみる

やや古き畳の上にちらばれる十月の日のなかに横臥(わうぐわ)す

白き額にのこし來にけるわが熱き唇おもひ夜の街ゆく

今朝もまた頭なやみて心倦(う)むわづかにわれといふ意識あり

垢(あか)づける蒲団の上におほひなる蟲の如くもまろびねにけり

空虚なるちからなき胃とつかれたる頭をはこび日の街をゆく

君まどひおそれわななぎすすりなく葉ずれの音の水の如き夜

をりをりは別ればなしもまじる夜の気まぐれ心こほろぎをきく

秋の昼名しらぬ花をみてありぬ唇うすき子の恋ひしさに

わが前に甘き愁を眼にみせし誘惑ぞあるあはれ女よ

君ねむるあはれ女の魂のなげいだされしうつくしさかな

いはれなく君を捨てなむ別れなむ旅役者にもまじりていなむ

マチすりて淋しき心なぐさめぬ慰めかねし秋のたそがれ

いづくにか捨てむとすれど甲斐ぞなき誇らひに似し我が悲しみを

荒(すさ)みゆく我れのこころをいかむともなしえで秋に行きあひにけり

うら若き日の悲しみに別れ来て塵(ちり)とおなじき身となりにけり

さいはひに思はるる身は倦みはてぬ小鳥よ來啼け日光の中

低能児あかただれたる夕空の下にうたへるその黄なる顔

幅ひろき醜きそびら何物のそびらとしらずうす暗にみゆ

暖きあかるき底へ沈みゆくくちづけられし若きたましひ

なにとなくそらさむとする冷たき眼なにごとぞふと行きあひにけり

めさむれば秋雨のふる朝なりきうすあたたかき悲しみのこる

物につとつきあたりたる思ひしつ「二人をつなぐ悲しき力」

なにごとぞわかき女の魂の彼方に退(の)きてわれをみまもる

かへりゆく人の脊をみて我れひとり君を久しく停車場にまつ

あたたかき血潮のなかにながれたる命恋しき身となりにけり

夕されば風吹けば木の葉散りくればうす唇のなつかしき子よ

秋の夜のつめたき床にめざめけり孤独は水の如くしたしむ

かへり行く女よ汝(なれ)が肩あげのさびしきあとにほこりうくみゆ

つつましう彼(か)の若き日の歓楽にいとおとなしう別れきにけり

菊のにほひむさぼり吸ひぬ晩秋(ばんしう)の日光のなかのさびしき男

わかれ來て飢ゑし悲しき野の獣けものの如く秋草にぬる

崖上(がけうへ)の秋の梢をみてありぬ別れしあとの午後のひととき

悲しみに別れ涙に別れ來し心のくまを木枯のふく

冬の朝まづしき宿の味噌汁のにほひとともにおきいでにけり

受話器とるあまりにとほき海の音の君が言葉にまじるここちし

吸殻の白くたふれし秋の夜の火鉢にもたれ風の音きく

秋の宵机の上の白菊のにほひをやかぐわかれしをんな

うつりゆく女の心しづやかにながめて秋をひとりあるかな

つかれたる皮膚にしづかにこほろぎのねのひびくなり独りねの夜

女ゆゑねたむは常といひながら君あまりにもはしたなきかな

こなたみつつそのまま街のくらやみに没しゆきける黒き牛の顔

やすらかに汝が夫を愛せよといひやりしより二秋をへぬ

黄ばみたる桑畑の上に昼の富士ながめてひとり口笛を吹く

またしてもわがままゆゑの嫉みごとほとんど君に困(こう)じはてける

なまぬるき君が情のなかに生き幸なりしひとときもあり

うらかなし帰りて君が父の前いふいひわけのおぼつかなさも

屋根上を風さわぎ行く崖下のつめたき家に石の如くぬ(寝)る

野木ひともと梢あかるう暮れのこるあひびきの子の唇(くち)を吹く風

曇天をとほくくまどる町あかり冬近き夜の窓にひとリみる

あくびをばこらへてわれをつつましうまもれる君といかで思はむ

赤茶けし帽子ひとつに悲しみをあつめしごときさびしき男

黄に枯れしものの蔓などからみたる断層面をあふぐ冬の朝

おもふままなすべきことをなし果てし後の心のさびしくありけり

煤烟の低うながるる街を行く眠(ねむり)不足のつかれし瞳

うす暗き校正室の北窓にもたれて夜をまつ男あり

何物にか踏みにじられしあとに似て自棄の心のやるよしもなし

あやまちて切りし小指を冬の夜の灯のもとにみるさむさかな

うら枯れし一面の野に降りそそぐ日光をみるひとびとのかほ

ほこり浮く校正室の大机ものうき顔の三つ四つならぶ

傷きし小指のさきに冬の夜のつめたさ感じふとめざめけり

停車場をいづればほこり額(ぬか)をうつつかれし心わびしかりけり

あわただしく悔いし男の悔いて後心さびしき空虚の一日

冬の午後磯山にねて砂をかむ犬をあはれむ別れしこころ

うすにごる初冬の海にふりそそぐ日光をみて物をおもへり

うたたねよりさむれば太く汽笛鳴く脊(せな)をながるる暁(あけ)のさむさかな

油つきしランプの下にうづくまりけものの如くいぎたなくぬる

昨宵(よべ)のままとりちらされしあかつきの座敷の隅に物をおもへり

あがなひし命の愛のおぼつかなあたひ乏しくなり行かむとす

くちづけを忘れし人はさびしげに一人裁縫(しごと)の針はこぶかな

木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな

君かへりし後のつめたき崖下の家に落葉の音ふけにけり

あやまちし來しかた君を傷けし來しかたをして葬らしめよ

あたたかきかかる思ひを君來たる午後までいかに守りてあらむ

わがままはすまじと昨日ちかひしを忘れし人の憎からぬかな

いくたびか君をあやまち傷けしそのはてにして別れむとする

君かへる夜の電車のあかるさを心さびしくおもひうかべつ

わがふるさと相模(さがみ)に君とかへる日の春近うして水仙の咲く

君つれて君も知るなる人妻の初恋人の郷里(くに)へかへらむ

わがままの心おさへて二人ありみじかき冬の日もくれにけり

すこやけき汝(な)がうらわかき眼の色につつまれてあるわれなつかしむ

いかならむものを二人にもち来たす四月の空のうらなつかしさ

君をつつむあかるき光幸に妻となる日をいかにまつらむ

感触になれし手ながらとらざればさびしかくしにわが手冷えたり

君泣かばとおもふときに君泣かず言葉すくなに物縫ひてあり

心やすくなりけり遠く活字刷る機械の音にわかれかへりて

うすら冷たく軟かなりし感触の胸のあたりにのこる心地す

投げいだせし手につたひくる冬の夜の冷たきにふと君おもひいづ

冬の夜の街路(がいろ)をいそぐ旅人の俥のあとをわれも走らむ

ひとりねむる君が肌(はだへ)の香に久にわかれし白き敷布のうへに

悲しみにわかれて行かむ怱忙(そうばう)の生活ぞわれをまてるに似たる

いつしかに頬杖つきて眼を伏せぬ水仙ぞにほふたそがるる室(へや)

嵐なす頭のなかにあはれなる女の顔の小さくただよふ

水の上を遙(はるか)あかるき悲しみに電車ぞ走る木がらしの夜

君によりをしへられける悲しみに別れてさらに悲しみをえぬ

蜻蛉(せいれい)をおさへむとする女の手わかき女の手のなつかしさ

わが世界君にはみえず魂のふたつまどへる悲しさに生く

ありなしの水仙の香のただよへる暗き座敷に君おもひぬる

なにものもわが煩ひとならむ日の日光をみるうらなつかしさ

白菊の青きつぼみをにぎり居し君がをさなき皃(かほ)のなつかしさ

いま一度うなづきてわれにみせよかし言葉すくなきさびしき女

弱かりしふみにじられしそのままにあればありうるわれなりしかな

恋人を待つおもひしてひかへ刷まてばこの日も暮の鐘鳴る

われは唯黙してあらむしづやかに「吾」のゆくへをひとりながめむ

風暗き都會の冬は来りけり帰りて牛乳(ちち)のつめたきを飲む

火の気なき宿に帰りてくらやみにマチをたづぬる指のつめたさ

みづからをいたはることのおろかさにおちなむとするあはれ女よ

新らしき心となりし喜びに思はぬことを口ばしりする

乳色のさびしき花をみいでけり君が愁をまぎらすによし

遠く來て遠く消え行く葉ずれの音つめたき床にこほろぎをきく

つかれたる脳に沁みくる白粉のにほひの中に瓦斯(ガス)こもりゐる

やはらかき女の唇(くち)の印象のさりがたき日の心わづらひ

別れ来て外套の襟に顔うづめ橋上に立ち冬の川みる

わがままをかたみにつくしつくしたるあとの二人の興ざめし顔

古マント茶色の帽子かくてわが悲しみは足る人に別れぬる

別れけり彼(か)の値(あたひ)なき陶器(すゑもの)のかけらに似たる男となりけり

かの別れ久しくなりぬかがやきて遠方(ゑんぱう)にあり昔の人は

磯山の沙(すな)のぬくみを忘れえずねながらつみし名知らぬ草も

ておひたる獣の如く夜深くさまよひいづる男ありけり

自棄の涙君がまぶたをながるるや悲しき愛にさめはてし頃

別れむとする悲しみにつながれてあへばかはゆしすてもかねたる

おごそかに障子の外にせまりたる冬の夜深しゑひざめにけり

あかつきの柱つめたく脊を支ふなかばはねむり物をおもへる

濠端(ほりばた)の電柱(はしら)にもたれ春の夜の空のしたなる人となりけり

あかつきの空をながるる霜あかりねむらぬ人の眼にいたく沁む

君思ひ窓によりつつ牛乳(ちち)を飲むうすあたたかき日光を吸ふ

停車場の赤き灯かげに別れ來て濠端に立ち人をおもへる

君にわかれ町の小坂をのぼるときやや胸ぐるし疲れをおぼゆ

みづからをあはれみそめし甲斐なさよ酒にしたしむことをおもへど

かはきたる空気ぞ部屋にながれたるひとりねむれば瞼つめたし

かへり來てつめたき衣をかふるとき君うらめしく思はれてきぬ

をしむなく愛せしゆゑにわがままとなりし子なりと君が眼のいふ

たのしまぬ心いだきてかへりけり机の上にかしらうづめぬ

うたたねよりさむれば障子ほのしらみ水仙の香の悲しくまよふ

おもひやる亢奮したる悲しみを胸にかかへてかへりし女

わが窓の下をうなだれかへり行く男をみなれゆふべをぞまつ

あたたかき汝(な)がだきしめに馴れやすきわれの心をのがさしむるな

こころしてわれを愛せよまもれよとこのわがままの男のいひける

去年(こぞ)よりはおしろひなれし君が顔こなたによせよくちづけをせむ

日にむかひすぐに立つなる如月(きさらぎ)の木立のもとに物おもひする

濠端の貨物おきばの材木に腰かけて空をみる男あり

みづからに愛想(あいそ)づかしのせらるる日君を負担に思ひわづらふ

なにごとぞ驚くことのまれになり物忘れせしさびしさまさる

君よ許せ此一巻(ひとまき)の中にみつ汝(な)がかなしみのおもひでをさへ

われをして多くの歌をよましめし汝が清く尊き涙 (以上二首、人へ)

      以上、明治四十二年(1909)初秋以後の作

     ○

しばらくは妻となしても許すべき君をあはれみ溺れそめける

あはれみか愛かなさけか君みれば捨てもかねたる歎きのみして

こころみに眼とぢみたまへ春の日は四方に落つる心地せられむ

少女等はわらひてあればこと足れるさまなりあはれ春の一日を

今日もまた夜ふけて帰りよごれたるさびしき顔を鏡によする

いつしかに日は中空にかゝりありいでて寐(ね)たらぬ顔てらさせぬ

やうやうに才なき吾をみいでしや一人ある日の心もとなさ

かくまでになりし女の心さへ男は悲し容るる能(あた)はず

眼を口を耳をおほへる人三人脊なかあはせに木枯をきく

雪ふれば彷彿として眼にみゆる空のはてなる灰色の壁

血を見るにあらずば心飽足らず思はれもしつ刺激なき日を

君をえて勝ちし心のわかやかに燃えぬとみしはつかの間なりき

海ひろに濁りて死魚ぞただよへるそが中にみゆ君が亡骸(なきがら)

許されて行かばや海のつめたさに強ふる女のつよき恋より

あやまちて君にまことを語りける偽りをのみ喜ぶ人に

こはいかに冷たき床ぞ昨日よりひかれしままのうすき蒲団よ

わが胸にその前髪をあてしまま妻となる子は泣きねいりする

去年(こぞ)よりは顔もかたちもわが思ふ姿にちかく君なりにけり

いかならむ夢をみしやと逢へばまづとひし癖などいまなつかしき

楊子くはへ障子いづれば午(ひる)近き日ぞまばゆけれつかれし瞳

あるときの喜びをもてつぐのはむすべもなきかやこの悲しみを

いつはりの涙なりともにじみ來よ命死ぬべく君の泣けるに

二人をばいかに小さき其胸にはかりてあらむ汝(な)が妹は

眼をとぢていつも思ひぬ悲しみに終るが如き二人の恋を

おきいづればいたく心のつかれをばことわりもなくおぼえぬる朝

君一人えたる重荷にたへぬやう心ぞふるふ信あらぬ日を

海あかり渚のかたに砂山をくだりぬこころ鉛のごとし

涙くだる冬の夜ふけの火もあらぬ冷たき部屋にわかれかへれば

みおくりぬ街のほこりにつつまれて遠ざかり行く君が小(ち)さき影

あはれなるこの空想児をば死なしめもえざりし夢の恋なりしかな

夏のゆふべ隻脚(せききゃく)のをとこ橋上に仆(たを)れて空の赤ただれたる

今日もまた夜となり夜(よる)もふけにけり冷たき唇(くち)にわかれてかへる

あまりにもつきまとはるるが煩はしときにはわれを忘れゐよかし

いかにしてかくはぐれたる心とはなりにけるかと君をながめぬ

君は病む死ぬばかりなる悲しみをわれにも強ひて味へといふ

瓦斯(ガス)ひとつともれる下に君もありわれもありけりふと驚きつ

別れ來て電車に乗れば君が家の障子に夜の霧ふるがみゆ

心鋭(と)き君が弟にまもられてままならぬ日の腹立たしさよ

ならはしとなりて君みぬ一日の不快にまさることあらぬかな

おとなしうわがなすままになれよわが愛するものよ柔順の子よ

君をはなれ窓にもたれてたそがれの街をみてあり帰らばやと思ふ

なつかしき恋ひしさ去りて残れるはままならぬ日の口惜しさのみ

ほこり浮く編輯室の古机頬杖つきて君を思ひぬ

あまんじて君一人(いちにん)をまもりし日まことすくなきわが歎きかな

あぶら浮きし手と手握りてわが友と別れぬほこり風吹く町に

思ふこといはで終りしそのかみの幼き恋に似て胸苦し

わが思ふままならぬとき憎しみのわりなくつのるわかき女よ

ほこりあびし疲れし足にゆるびたる下駄の鼻緒の心もとなさ

日曜の君来ぬゆふべ何事も望みなきごとおもはれもしつ

うつくしき喜びといひ悲しみといひつるひまに陥りにける

飽足らぬ女なるかな熱するといふこと知らずただにやさしき

わが電車今宵も君をおきざりに風吹く街をよく走るかな

わかれ来てほと息つきぬおのれただひとりとなりし心安さに

あはざるに如(し)かじみざるに及ぶなし別れてあらむうみそめし子よ

よそめにはいと幸とみえもせむ心はぐれしかなしき二人

心足らひともなひ来たる倦怠(けんたい)のあまり長きにたへられもせず

わが妻となすに値(あたひ)の乏しきをふと思はれついかにかしけむ

窓によりて夕となれば苗を吹く妻の弟をさびしがりける

わが愛に心足らひて倦(う)みそめしこの我がままの子を如何にせむ

戦ひに似たる思ひのひまもなく心ぞそそる君おもふとき

心足りてありし昨日にかへらむとあがく二人のあはれさ思へ

われ愛すとかくは誓ふにおとなしうしたがふことの出来ぬ女よ

おごそかに隔つるもののあるをおぼゆ愛すといへど恋ひすといへど

足ずりて泣けど甲斐なしままならぬひろき世界にすむこの二人

すてらるるかすつるかいづれ別れての後の思ひを今知らまほし

敵(かたき)さへときにはなにかなつかしき思ひすなるを君いとふ日よ

時として飽足れるやう思はれしその一日の忘られかねつ

かへり行く裾短なる弟のうしろ姿を君とながむる

煤煙のうづまくをみてふと女恋しうなりぬ夕やけの空

なすままになりし昨日の君おもふこの春雨の朝ここちかな

このままに死なむといひし人はいま言葉すくなに帰り行きけり

うすけはひ昨宵(よべ)のままにてかへりゆくうしろ姿のことに眼をひく

なにとなく唯何となく忘れえぬ人のひとりとなりし君かな

みなほせど溺れし故にあらじかと思へど君は美くしかりき

あなどりつさげすみつして捨てもえず捨てえぬままに可愛ゆくなりぬ

とある夜のめさめしときにかたはらに添伏す君のなかれと思ふ

この日より悔いあらためむ君ゆゑになかばは生きしわれなりしもの

かへりみて淡く悲しき心地する戦ひてえし君と思へば

さはれ猶可愛ゆきところかぞふればあへて別れもなしがたきかな

つかれたる白粉の香と肌の香と髪の匂ひにたへもせられず

ややしばしさかりてゐよと願へども甲斐なき人はわれを忘れず

これのみは悲しきかずに入(い)らざるや別れまほしき子に思はるる

何事も信ずる人をあはれとも飽足らずとも思はれて来ぬ

追憶(おもひで)ぞあはれ悲しく残るなりやや黒みたる人の乳(ち)のいろ

やや痛きここちをおぼゆつかれたる額(ぬか)にさしくる夏の日のかげ

かはゆさに余りてなるや故(ゆゑ)もなく君を憎むに心つかれぬ

いさかひの後にのこれる哀愁(かなしみ)にしたしみやすきゆふべにもあるかな

しばし前憎しと口も利(き)かざりしおなじき人のいとほしさかな

世の常の女と君はなりしかや來しかたをのみよく責むるなり

歓楽のはてにまつなる寂しさに今日ひとりしてゆきあひにけり

捨てらるるそのうら安さ願へどもまてども君はうみあきもせず

わが女われより外に恋ひし人なかれと祈る信なき日なり

あたらしき心の刺激もとめつつうごめく蟲に似て今日もあり

眼をとぢつみだれし心しづめえずわが生活の路のはておもふ

うすぐもり光れる空の一面にゆきわたりたる淡き悲しみ

感覚の鈍うなりしを切に知り心さびしく市(いち)をさまよふ

弟の家を走りて来りしをつれかへりゆく父のうしろかげ

いかにして男の誇きづつけずあらむ悲しき意識の恋よ

恋をすて世の常人(つねびと)の生活に入る日近しと知りそめしかな

女多きうからの中に生ひたちしわが軟弱をわれと罵る

わかき日を葬れ膜をへだてみし世界のさまのやや変りきぬ

へだたりのいくばくなるを知らねども父おもふときさびしうなりぬ

君は泣くしづかに夏のたそがれの青葉の色のしづみゆくとき

にくしとは思へず君が泣くみては心はなはだ静なれども

海の日の赤ただれたる懸崖に立ちし心を君に教へむ

雲光るとあるゆふべの別れなど窓によるたびおもひいでぬる

ただわれを信ぜよといへど君は泣くわれまた涙さそはれて來ぬ

悲しみにうすく濁りし君が眼のしばしまともにわれをみるかな

名も知らぬ花にむかひてしばしありこのみづからをあはれむ心

死ぬばかり思ひつかれし君が皮膚灰白みしが悲しかりけり

そちむきに手枕なしてすすりなきぬる子よわれを憎しと思ふや

誰が罪ぞわが言葉みな信じえぬ悲しき君となし終りしは

悲しみを忘れむとして鎌倉の海にのがれし君かへり來ず

秋来たり九月となればこの心ゆるすといひし人はるかなり

わが胸のこの悲しみをわかつべき君は海よりいつ帰り來む

海の日に色づきし君が頬のあたりわづかに昨(きそ)の悲しみみゆる

   以上、明治四十二年初春より新秋までの作

     ○

つかれはてつめたき夜の灯のもとに横はる時君おもひいづ

夫(つま)捨てゝ來しと戸をうつ君をのみ危み風の夜をいねずあり

うれひつつ小坂のぼりぬつぐみたる唇(くち)につめたき血をおぼえつつ

をさなかりし日の驚きに海をみし心を君よ失はずあれ

あゝ君は逃げし鳥なり嘴(はし)赤き海の鳥より賢なりしかな

此二人つなげるものの涙にはあらじと知りし心さもしさ

さびしさに追はるる如く戸をいでて明るき街の灯にてらされし

偽れるわれをみいでしさびしさやまことなりきと思へるなかに

俥くだり冷たき秋の街をゆく心いささか飢ゑをおぼえて

來しかたも來しかたも亦美くしき偽りなりきうら若き日の

つまづきし心のいたで幾日してわづかに君をえていえにける

君をのみ思はぬ罪かわれのみの君にあらじと知りし此頃

耳にふとあつれば石も聲たててなげくに似たり悲しきゆふべ

君が唇(くち)闇のなかにもみゆるほどあかかりし夜の強きくちづけ

わが前にひとすぢ匂ふ秋の灯よ遠灘の音よわれをあはれめ

低き岡にひとり野ばらの香をかぎて君をまつこと十日となりぬ

冷えし夜の沙に仆(たを)れしそのままにひとときありぬ海よとらずや

汚れたるこの美くしさ幾日してかくなりしかや君知りしより

あはれなる君が匂へる眼の色よややすさみたる心のみゆる

このわれをあはれめ夜の空わたる雁よ灯(ともし)はきえなむとする

水をみてながるる水をみてありぬ一日はかくてありもえしかな

ああ醒めてひとりかくありたらはざる此一日もゆふべとなりぬ

夜の海恋ざめし子をいたはりて暗きかたへに夜もすがら鳴れ

日の樹立あはれや顔を白き手におほひて泣ける君をみしかな

今日も亦親をわすれに来たりしとあはれや君はいたく泣くかな

遂にゆくところなき身のうしろより夕(ゆふべ)ぞせまる街のどよめき

ひたと噤む夜の時計をみあげたる瞳さびしきひとりの父よ

何故(なにゆゑ)に生きてあるやも思はずに唯生きてありその日その日を

渇(かわ)きたる心の上になづくべき悲しみもなき秋の一日

わが友よ迭(かた)みに今日も投げやりの心をいだき街さまよはむ

偽れる吾をまもりて辛うじてこの不安なる一日おくりぬ

同じ道ともに手とりて来し友をおとしいれぬと誇る人あり

夜の街つめたき眼して電車(くるま)待つあまたの人の脊に立ちしかな

林檎かみぬ十月の朝庭の木の風鳴るをきき柱によりて

灯ともさぬ瞳つかれし夕間暮このかなしみを誰にうつさむ

今日も亦わづかに生きてありけりとつかれたる身を夜の床におく

暮秋(くれあき)の竹の林にわれたちぬ脊をながれたる冷たき夕日

ふとしたる出来心もて何事もなし来たりける昨(きそ)を咀(のろ)はむ

唯さびし妻ほしきにはあらじかしかくわが心いひときすれど

われ一人となりぬわが友父となり或は母となりける後に

なりはひをいそしむ人の足軽るさああわれひとり今日もさまよふ

赤き灯をあかるき聲をあとにしてけがされぬ身ののがれ来しかな

わが知れる人のかぎりの名をかぞへ忘れでありしよろこばしさよ

今も猶君と祈りし秋の夜の卓の冷たさえわすれずあり

冬来たるほしひままなる心さへややいたみをばおぼえぬるかな

妹とすべきか妻となすべきか若き一人をえてまどひけり

若き子よ妻とよばれむ願ひの日まてるがよくも眼にみゆるかな

ひともとの木立夕日にかがやきてさびしきほどに瞳あかるし

木枯よ空にただよふ白き日よ目とぢてわれは俥にありぬ

いかにして家鴨(あひる)は啼くや暗き町この冬の夜をくくみごゑして

月曜のつめたき朝となりにけりほしひままなる二日はすぎて

遠灘の悲しき音よねむらむととぢたる眼より涙ながれぬ

冬深き夜(よる)の街よりかへり來て小さき火鉢の火をひとりふく

    以上、明治四十一年初秋より歳晩までの作

     収穫 下巻  (略)
 
 
 

(まえだ ゆうぐれ  歌人  1883.7.27 - 1951.4.20  神奈川県大住郡(現・秦野市)に生まれる。一時期歌壇に夕暮・牧水(若山)時代を画す。歌集「収穫」は明治四十三年(1910)刊。その上巻を収録。明治四十二年初秋以後、四十二年初春より新秋まで、四十一年初秋より歳晩までの順に三部に編成されている。)



 
 
 

  今は   高木 富子
 
 
 
 
 

   12月の薔薇

記憶の指先が フッと息を吐く。   
季節をたがえた12月の薔薇は
咲こうとして悶え, そのまま萎れていった。
寒風の中で毅然として動かなかった
逝き遅れた12月の薔薇よ。
わたしは薔薇を毎日撫でた
残された記憶を撫でた
急ぎ萎れたくはなかったのですと
薔薇とわたし、互いの指先の記憶は
息を吐く、ため息色の息を吐く。
 

雪のひとひら、ひとひら
掌の上で羽のように透けて
やがてコロッと形が崩れ
生まれ出る 水。
 

二月、きさらぎ、野晒しの廃材たちが 
さらさらと 朝日に照り映え 
寒さに翻っている洗濯物が 目にしみる
金属の明確な切断面が 偽りを告発している
語ろうとして 口ごもる。
 

春の雪が 吹きまわされ 追われ, 激しく地面に叩き付けられた。
風の合間に雪はフッと力を失い、地に降り立った。
降り積み、降り積み
思いがけず深く白い夜になった。
 

春のこのよき頃
花咲き、花散る
悠々、光の中を憂い忘れて、ただ ふんわりと漂う。
昨日はその花を愛でながら、古い友と歩いた、
夢見がちな青春とは程遠かった。
ニザンのように「青春が美しいなどと言わせない」と 本当に思っていた、
遠い昔の「我々の精神の極北」や「危うい均衡」、あれは何だったのかなどと語ったが
それが廻りの明るさと妙に交錯しあって、ずっと心に尾を引いている。
痛むこと多かった戻らない日々、などと気取ってみても、はや大半の時間を後ろに流し込んできた。
いつの間にか、明るさをそのまま受け止め、ぬくぬくと暖かな春が好きになった。
実に、実に、年年歳歳花相似て、歳歳年年人は同じからずと思うのも、春である。
 
 

   ポンペイ

ポンペイ、六月の火山灰の底から姿を現して    
そこにある不思議、そのままの不思議
家々の扉の開く音、秘かに迎え入れる手
汗・・汗と交歓するものと の幻惑に
私の心が鋭くなっていく
懼れを知らぬ愚かさもあった
野の薊の刺の熱さ
静かな陶酔と錯覚
やがて夕暮れの耗弱と倦怠を覚えて
私は沈黙の長い長い道筋を歩いて行った
憔悴の翳が従った
 
 

   クレルモンフェランにて

ノートルダム・デユ・ポルの円柱の彫刻は語る

生涯の書は開かれた、と天使はマリアに告げた
時が至ったこと、天に召されることを

そのように生涯の書が私たちにも開かれるのでしょうか?
ええ、そうです、そのように・・開かれるのです
マリーは答えた キリストを信じるものに

東洋のブッデイストにもそのような書があるのです
倶生神にともなわれ閻魔様の前で閻魔帳が開かれ、読み上げられるのです・・

・・閻魔帳が人生の書と同じようなものと言えるかどうか、私は知らないが・・
無垢から遥かに離れて・・その書の厚さ、重さがずっしりと今から思いやられる

最後の審判? マリーはため息した、私たちは逃れられません。
でも、愛に満たされ、受け止め、静かに私は神を信じます、
私はマリアを慕います、讃仰の聖母、歌い讃える至福千年,golden rose。
マリア様、マリア様、 清らかな声がいつまでも耳に残った、
マリアの像の前に佇み、熱心に祈る多くの女たち、マリーもその女の一人だった。
雨がしきりに重く重く降って
冷たさが肌に痛い。
クレルモンフェランのカテドラルは火山岩の黒さに沈みながら
空に向って身をよじり唸っているようにみえた。

階段に立つ白い衣裳の若い人たちは、堅信礼を受けるのだろうか?
雨風を気にしながらも、無邪気に華やいでいる、
親たちが熱心に写真を撮っている。

カテドラルを廻って雨風はさらに吹きまわった
内部では彼らのざわめきや祈り、祝福、合唱・・雨風も呼応した

街の石畳を歩き続けた、冷たい雨は深い喜びをもたらした

伝統や精神が容・・かたち・・を与える
が、同時に構造に支えられた容も、また新しい伝統を生み出していく

11世紀、12世紀のロマネスク建築は、以後、ゴシック様式に変わった。
人々は構造上の重力の問題から解放され、光の空間を確保した。
内部の闇と、壁の厚みにこもっていた人々は、外界へ、高みへ、おのが目を向けた。

光を迎えるその窓にステンドグラスを散りばめた
赤や青の眩いばかりのステンドグラスの絵解きに人々は目を見張った
私たちはあの窓を通して、あの世を夢見ながら、流されて在るこの世を生きる
あの眩さの向こうに, 空の御座に 神様はいらっしゃると・・

ロダンは言う
大聖堂の廻りには不思議な風が吹くと。
「いつも大きな大聖堂のまわりにはこんな風が吹く。あの偉大さに苦しめられた
大荒れの風に吹きまくられているのだ。控え壁に沿って空気・・かぜ・・が落ちてく
る。あの高いところから落ちてきて、風は聖堂のまわりをさまようのだ。」

思えば、ひとたび知恵の木の実を食し追放されて
以来、知を頼りに高みに近付こうと、営々と行為してきた
神がバベルの塔を壊し、人を罰したにもかかわらず
人は仰ぎ、高みに目を向け、不遜な動機で人を追い落とし 生きようと・・

人は絶え間なく、神に警告されなければならない
常に、絶えずおのが行為を振り返り、懺悔し、内省しなければならない
一神教の神を抱かない私とて、おのが行為を恥じ省みなければならない。

雨の中、私はただ歩き続けた
滴るしずくを流れるに任せ、質素な町並みを過ぎて行った

ゴシックの大聖堂を廻って 風が今も吹いている。
   

    
真昼の只中に傾いでいくもの
山塊の深き処、黒々と茂る森の道を行く
疲れれば立ち止まり、座る
どうしようもなく土に潜り込みたくなる
鳥の囀りを聴きながら、空を見上げる
視線が空に向う時、錯覚にとらわれる
なんだか私の背中の翼が成長し始めたような・・
空は魂と深く係わり、一瞬魂を奪い、そして慰める
手繰り寄せる回復期、足元の野の草に限りない共感を覚えて
 

内部の掣肘、とまどい
ネガとポジ いとも容易に反転し続ける
夕暮れの中で
押し倒されたような私の影だけが 動いている
 

寄り来る影の気配
重さを増していく夜の気配
沈黙に、闇に 濃度がある、湿度がある、温度がある
愛する心に溢れながら
いっそう・・動けず
危うい均衡に自分を委ねている
闇に響き合うものは・・おそら<、虚しい。
夜明けの橋を 誰と渡ろう?
 

むらぎもの心痛み
消耗の果て、肉痛み、骨痛む
心に
ひとしきり降りくるものよ。
崩れんとして・・とどまる

存在論の範疇から
抜け落ちてしまったら、抜け出してしまったら
「融通無碍」になれるだろうか?
空虚の中で、「融通無碍」に

この世の「在る」全ての者、もの。
終わりのないものはないのだから
わたしの「存在」自体、儚くて、「もの」ですらない
ましてや、わたしの「個性」・・など
存在論の範疇から最初に外しておけばいい。
外せますかと、問うてみる

   

薔薇窓の下
あのひとの、内陣に、菊が香る
頭を垂れる
朝日を受けて
夕日を受けて
輝く赤の印象
私の心に香りたつものはあるのだろうか、あの菊ほどに
 

花を包む闇、その巨きな闇に
一筋の明かりをたよりに花浴みする
やがて月が出れば、そう、月光浴
私の額の瑕痕が艶を放つ
 
 
 

   ヴァイオリン

 ヴァイオリンはいつ生まれた楽器なのか、詳しいことは何も知らない。中世を通じて、いやもっと後々まで、名にし負うストラデイヴァリやガルネリウスなどの名器が作り出された後はいざ知らず、ギイギイと時に耳障りで騒々しい、或いは軽い軽い弾き方で流れるような、そのくせ妙に寂しい音を出す小癪で小粋な楽器だったのではないか。
 一節の笛のように、軽くすっと小脇に抱えられて、ヴァイオリンは酒場から酒場へ旅芸人たちのお供をしていった、あるいはトウルバドールの歌につれて弾かれ、宮廷の御婦人たちの涙を絞らせたりもしただろう。ジプシーの肌身離さぬこれまた生計の必需品、魂の必需品でもあっただろう。殊に、始めのヴァイオリンの多くは漂泊の世界の表現手段だったように思われる。
 たき火の焔のようにゆらゆらと揺れたり、彼らが雨風に吹かれながら辿った、泥にぬかった道のようにくねくねと続いていく・・そういう音がヴァイオリンには備わっている。似合っている。
 漂泊といえば「かっこいい」かも知れないが、そんなに甘いものでは決してない。それどころか、いかがわしい行為である。共同体から外れてしまった行為である。脱落者、逃亡者、巡礼者、無法者・・その人達に近いところに、ヴァイオリンはあったとさえ思う。
 わたしはヴァイオリンが大好きだ。弾けないからひたすら聴く。漂泊の音楽も、サロンの優雅なコンツエルトも、オーケストラの演奏のなかでの独奏も・・。人の感情のどうしようにもどうにもならない、そんな感情の部分にヴァイオリンはグイグイと迫ってきて引き回す。その魅力に抵抗できない。
 あまりヴァイオリン演奏が素晴らしかったために、悪魔に魂を売りわたしたからだと噂されたパガニーニ、あまりに技巧的と言われようが、それはそれ、完結されている。パガニーニ自身、悪魔に魂を売り渡したのだろうと言われても、恐らく動じることなどなかっただろう、どのように噂され、その結果どんな顛末を迎えることになるか、知ったものか。そんな不遜さをわたしは感じる。
 

 フェルメールの絵が美術館から盗まれたのは・・1990年3月・・もう10年以上になる。そのボストンのイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館では月末の日曜日の午後、室内音楽会が開かれていた。今も音楽会は開かれているのだろうか?

 その日の曲目はヤナーチエクだった。ヤナーチエクのストウリングカルテット1番。次はブラームスだった。

 クリスタ、おまえの指先、腕、いやおまえの全身から創り出される音の塊が、僕を支えているよ。おまえが震えると僕も震える。おまえの眉間に皺が浮かぶと、僕の眉間にその皺が浮かぶ。おまえの存在に僕がそのまま寄り添っている。
 ヴァイオリンを弾いている、その時間は二人が完全に一致している。僕はおまえから発されたものを写し取る、そのことだけで自分の存在が在る。僕は月のような存在だ。影だ。ヴァイオリンの音が強く響く、弱まり、微かな微かな喘ぎになって、また高まり、高揚し尽くし、突然ひきちぎられ、落下していく・・繰り返されるそのすべてが、そのままおまえなのだ。
 弱々しそうなおまえが、実はもっとも強い者なのだったとは。影がない人間などいないのに、影がない人間は死者なのに、おまえは僕という影を殺そうとしている。おまえの人生を横切っていく一瞬の他者の影?ではないのだよ、僕は共に在る者なのだよ。
 けれどおまえから別れたい、一人になりたいと言われてから僕は絶えず風の音を聴いている。おまえが別れたいと言い出したから、では男が?と口ばしった僕を、おまえは軽蔑を顔いっぱいに表して、ただし無言のままだった。僕は愚かな笑いをそれに更に付け加えてしまった。僕は影であることさえ、いや存在そのものが拒否されてしまった。
 おまえは「半分が空白であること」をもう恐れていないのだ。
 あれから何日が過ぎたろう。僕は風の音を聞き、そして寒い真夜中凍り付いていく。

 影は演奏の間に私のところにやってきて、空いている後ろの席に坐った。。私は影を感じながら、舞台の上で今しも額に汗を浮かばせながらヴァイオリンと格闘している女性を見続けた。
 影よ、一度試しにかなり離れてごらん。どちらかが倒れるかもしれないけれど、あるいは互いに新境地を見出せるなんてことだってあるんだから。無責任かもしれないが、いい助言ではないかしら?・・・・私は挑発していたのだろうか。
 
 背後で突然盛り上がってくる音の塊があった。深く浸し尽くす音。高らかに重く、重い。もう沈黙することは出来ない、待ち続けることは出来ない、叫びたい、砕けたいと音は狂暴に震えたが、、私の耳には深く荘厳そのものだった。影が渾身の勇気を奮って、光の縞が大きくうねり、私のからだを包んだ。
 
 
 

   ボローニャ

 アペニンの山は深い霧だった。霧を越えると、山の南のトスカーナとは気候がはっきり違う。
 ボローニャの街に降り立った。冷たいのに妙に暖かそうなミルク色の霧の中を、おおまかな方向の見当をつけて私は歩き出した。ドウオモがある街の中心からやや方向が違い、離れているので行き交う人はあまりいなかった。
 捜しあぐねてたどり着いた美術館、国立絵画館では頭の芯から痛くなるほどボローニャ派の絵画を堪能した。二時間ほどが過ぎていた。その後はもう何かしようという気力は残っていなかった。
 ボローニャからラヴェンナまでの切符も買ってある・・が、そこまで行って慌ただしく歩き回っても、私の心はもう対象に添っていかないだろう。行くのはやめようと決めて、ただふらふらと街を歩き始めた。ラヴェンナはまだまだ私に近付いてくれないな、などと勝手な言い訳を感じていた。先にラヴェンナに行けば簡単に解決できることなのに。
 ボローニャはヨーロッパ最古の大学が創られた街だ。学生たちの安い下宿を確保するために、家々の通りに面してアーケードが作られた。そのアーケードが街に独特な都市景観をもたらした。同じようなアーケードの町並みがパドバの大学周辺にもあるが、ボローニャは町全体の表通りにアーケードがはりめぐらされているようだった。
 小雨の中、アーケードを伝いながら街の中心に向って歩きながら、何故かわからなかったが、意識的に中心から逸れるように歩いていた。
 そして行きあったったのが、ロマネスク様式の四つの寺院が集まっているサン・ステファノ寺院群だった。広場の先の、さまざまな様式を寄せ集めたような、奇妙な、しかし引き付けて止まない教会がだった。呼ばれている、と感じる時があるとすれば、まさにその時だったという、そんな感じである。
 赤がかった煉瓦のモザイク模様が印象的だった。柔らかなアーチなどの曲線が多用されて、モザイクの花模様は壁に可愛らしく咲いていた。マテオの壁画の聖母子や、十三世紀の線の太いフレスコ画なども見た。内部の、ことに死者を祭る暗い感じも、振り向いて中庭に目を転じればホーッとさせられた。僅かなぬくもりを求めて中庭や寺院を繋ぐ通路に佇めば、自分が生きて今、ここに在ることが堪らなくいとおしく感じられた。
 ボローニャまで、イタリアまで、いやどこでもいいが、誰も知らない人にしか逢わない街まで、私を追い立てる「必然」は、やはり在った。
 何年も長い間、私の意識の中で払拭できないことがあった。それが、予測できていたとはいえ、或る結末を迎えた。私は、再び人生の岐路に立たされていた。すぐに答えを出す必要はなかったが、・・答えは、おそらく「ノー」だ、と心に決めるまでは苦しかった。
 私は新しい可能性を求める自分をあまりに身勝手だと考えてしまう。そして古来からの諺にも言う、「新しい皮袋には新しい酒」と。私は選択する、新しい酒になれない私は、従来の古い皮袋でおのが生を全うするしかないのだと。自戒をこめて自分に言い聞かせていた。決意だった。
 日本を離れること、無意味を生きること、「根」を下ろさないこと。もちろん旅は日常ではなく、こうして旅先で過ごした後は、現実として日本に帰って行くのだが・・。
 とりとめなく考えを紡いでいた。
 古い皮袋のようなロマネスクの建物の中にうずくまり、胎内の暗さ、温かさから外に出て、サン・ステファノ前の広場に座っていた。疲れきっていた。長い時間が過ぎたような気がする。午後も、もう遅い時刻になりそうだった。
 立ち上がろうとした時だった。広場の茶色がかった石畳に白っぽい石で作られた幾条かの放射状の線、その一本の線の上を買い物のカートをひいて歩いてきた女の人がいた。眼鏡をかけていない私にはその人がどんな人か分からなかった。人影が丁寧な深いお辞儀をした。えっ、日本人なの? 一瞬途惑ったが反射的にお辞儀を返していた。彼女が近付いてきた。
 その人は70歳近い、白髪の人だった。
 「ごめんなさい、日本の方と御見かけして、つい・・。ツアーでいらっしゃる方もいらっしゃいますが・・お一人の方と、ご挨拶して、こうして言葉を交わせるのが嬉しく、懐かしくて。日本語で話したくなりますの、無性に。カートをひいていますから、私がここに住んでいるのは、すぐに御分かりになりますね。ええ、イタリアに来て・・三十年以上になります。」
 薄明るい陽射しが彼女に注いでいた。彼女の物言い、優雅な身のこなしに私は圧倒された。決して豪華でも派手でもなく、むしろカートを引いた日常の質素な感じだが、その背後には贅沢とは何か、豊かさとは何か、豪華も絢爛も味わったことがあるといった雰囲気が彼女をしっかり支えていた。ボローニャの片隅で、こんな日本女性に出会えるるなど、今し方まで思いもしなかった。急ぐ旅ではなし、彼女がいとまを告げるまでこのまま時を過ごそう、と時計をちらと見ながら思った。
 「私が参りました頃のイタリアは、「面白い」時代でした。誤解なさっては困りますが、「面白い」と言いたいですね。・・そう、戦後のイタリア映画はご覧になったことあります?鉄道員や自転車泥棒などは、まだまだ戦後を引きずったイタリアですね、それから少し華やいだローマの休日、甘い生活など。そしてモニカ・ヴィッテイなどが出演したヌーヴェルバーグ。ああ、ご覧になりましたか、フェラーラの映画記念館を。それでは良くお分かりでしょう。
 あの頃も、そしてかなり後までイタリア社会は揺れておりました。イタリア共産党が強い力を持っていたのも、一方でテロの爆弾事件が続いたのも、首相が暗殺されたりもしましたね、つい昨日のことのような気がいたしますが。いえそれは今日だってあまり変わりはないでしょう。戦後が付きまとうという意味だけではありません。イタリアの根底にあるものは、簡単には変わるはずなどありません。都市国家の意識は今も生きてます。
 イタリアというと古代ローマ、そしてルネッサンスとなってしまいますけれど、古代ローマの滅亡からルネサンスまで千年もあるでしょ、その中世を見落とすわけにはいきませんし、プレ・ロマネスク、ロマネスク、そしてやや東方から見れば、ビザンチンの栄華のおすそ分けを、じつはとても多く受け取っていますね、まあその事はよくご存知のことでしょう。ヴェネチア、ラヴェンナなどご覧になったら、本当によく分かりますね。。
 まあ、三十年も見ておりますと、異郷への好奇心だけで見ているわけではありません、私自身生きてきた時間の半分はここイタリアで流れたのですから。
 どんなキッカケでイタリアに?、というご質問ですが、これとて大袈裟なものではありません。東京で、イタリア人の男と出会い、「大恋愛」をしたからですわ。」

 彼女の物言いに含まれる一種の挑むような感じに違和感もあったが・・黙っていた。告白調より挑戦的な物言いの方が時には心地よい。

 「いくらか遅い結婚でした。焦りなどはしていませんが、周りはそれなりに気を使って・・でもその方が負担になりましたね。かと言ってお見合いなどしたことはないんです。不思議とお見合いの話はどなたももってきませんでした。私が耳を貸すなんて誰も思ってなかったんですって。そのくせお付き合いした男性とのことは、反対されてばかり。親は早く行って欲しいといいながら、娘に結婚して欲しくないのでしょうね。さすがに三十も半ば、私がイタリア人と婚約しましたと告げた時、みなは諦めもこめて結婚を認めました・・彼は片言の可愛らしい日本語でみなを魅了するほどでした!
 幸せでしたかって?ええ、もちろん幸せでした。十分に。私はことばを覚える能力には恵まれたようで、あまり苦しい思いもしないで、彼と彼の国イタリアに教えられながら、自然にことばを吸収していきました。三十半ば、ちょうど人生の真ん中で、きちんと紙を半分に折り返すように潔いターニングポイントでした。
 彼は政府に勤める人でした。貴族の末裔、それなりの生活がありました。ローマで始まった生活は私には「私のローマの休日」を作って、それを上映しているような、そんな感じがしました。甘い、三十半ばにしてはいささか恥ずかしい、それも思い出です。
 が、それも過ぎたこと。過ぎてみれば懐かしいものの、いろいろな出来事がありました。
 夫は今もローマです。私はボローニャ。もう長いこと別居しておりますから、夫婦といえるかどうか、夫と呼べませんが・・確かに夫と妻なんですね、法律の上では。私たちが別れようといってた頃は、まだ離婚が簡単には成立しない仕組みのままだったのです。私もズルかったのでしょう、収入を得る仕事はしておりますが、やはり女一人が心細く、もう一緒にこそ暮らせませんが、別居という形のまま生きていこうと・・。
 日本に帰るつもりは全くありません。父母もとうにいませんし、兄弟に頼ることも、何かを言われることも、嫌ですから。日本と私を繋ぐものといえば、私自身の自覚、覚悟だけです。イタリア、仕事、あまりに簡潔ですが、それで十分なのですね、私には。
 ええ、紛れもなく自分を生きています。」
 
 私とは僅か十歳ほどの年しか違わないのに、老いを見据えながら一人でイタリアに最期まで生きようとしている・・その人は、さわやかに笑った。
 「どうしてこんなことをお話してしまったのか、あら、それは私の独り言めいたものを、あなたが聞いて下さるって分かったから。それにあなたは思い屈しているって、顔に書いてありますよ、ごめんなさい、でも分かってしまうんです、私。ボローニャ絵画を見疲れたのも本当でしょうが、思い屈した憂鬱が、あなたを駆り立てるものが、私には見えています。
 あなたは私の染めないままの白髪を綺麗と誉めて下さる。それも羨ましそうに。十年前の私を見るようですよ。まだ吹っ切れてはいませんでした、たくさんのことから。夫への説明し難い思いも残っていました。一般的な意味で男への未練のような感情もありました。
 白髪が嫌で、嫌で、老いを素直に認めて受け止めることはできませんでした。あなたが髪をいつも気になさるように、私もこまめに髪を染めました。染めても染めても、白髪が出てくるのが悲しかったわ。
 そう、そしてその果てに、あるがままの肯定、でした。白髪のあるがままの、私は老いを迎えた女、ですよと。その境にあるのはいったい何だったのか、分かりませんけれど・・つらい時間でした。女そのものでしか有り得ないのに、ある部分で女を否定しなければ生きていけないのですから。確かに、五十代はつらいけれど、十分豊かになり得る、そういう年代だとも、今の私は言いたいのです。そして意外なことに六十代だって十分華やかでありうるのですから!
 あなたにあなた自身の生きている実感をしっかり感じて欲しい、これは少しだけ先輩としてのお願いです。今は輝いて!
 さようなら、名刺をお渡しします、又お会いできる日もあるでしょう。さようなら。」

 名刺を大切にかばんにしまった。
 彼女は暮れ始めた街をドウオモや市場のある方に向って去って行った。

 彼女の白髪は、潔さ、そして飛躍させると「善」の象徴。私の染め髪が、惑い、そして「悪」と「煩悩」の象徴。そんなふうに思えてならなかった。あまりに単純な比較で苦笑してしまうが、簡単明瞭。私も近い将来、彼女のように潔く人生を真っ直ぐ歩いていけたらと、深く思った。さて、できるかどうか。

 ステファノ寺院の広場は一つの出会いを私にプレゼントしてくれた。旅の感傷ではない、これが私のボローニャみやげ。
 
 

   ヴェネチア

 まだ春の気配は感じられないような、アルプス下ろし・・こんな言い方があるかどうか知らないが・・の寒風と強い雨、そして思いがけず、願っていた水浸しのヴェネチアだった。
 アクアアルタ、高い水は高潮と訳されているが、私は理由はないが、やや言葉のずれを感じてしまう。敵の攻撃から逃れるために、潟に堅牢な木材の杭を何万本と打ち込んで、その上に築かれたのがヴェネチアという街だ。地盤沈下が進み、ここでは特に冬になると街の地盤の低い地域は水に浸される。道路を歩くのも長靴を履いて、或いは並べられた板の台の上を歩いていく。水に浸かる建物の一階部分は安定した居心地よい居住空間にはとうていなり得ない。
 水に浸かった街の風景は、凋落のヴェネチア、「死都」ヴェネチア幻想をいっそう駆り立てる。ましてやその日が雨や霧に閉ざされた日なら、幻想は尚のこと街を覆う・・身勝手な旅人は想像していて、そしてそんなヴェネチアにめぐり合った。
 ヴェネチアに来たのは今回で四度目になる、もちろん街を歩き回りたいといういつもの期待感に支えられていたが、それ以上の目的があった。人に再会するためだった。どうして私の所在が分かり、どんな経緯があって、ヴェネチアに・・ということは、も面倒なので述べない。が、紛れもなく私は、何十年前の過去にぐっと引き寄せられていた。
 けれどその思い出は、あまりに希薄だった。その人とは手紙の交換だけがあった、それだけの人に会う。一枚写真をもらったこともあるが、モノカラーのややぼけた写真それもとうになくしてしまっている。どんな顔立ちの人だったのか、それも思い出せない。三十年以上も前のこと、四十年に近い・・。
 その頃のベルリンという都市の中で特殊な状況にあったらしいその人の突然の消息不明が、当時、まだ世間も分からない、ましてや世界や政治の裏などまったく分からない、地方の高校生だった私には理解の限度を超えていたし、不自然さは感じられたが、手紙の交換が突然終わるなどということも日本人同士のペンパルの場合でもごく普通のことだったのだから・・。
 会いませんかという話に得体のしれない寒気のようなものを感じなかったわけではないが、青春の一つの残骸の結末を見届けようと、好奇心の波がぴくぴくと小波をたてた。行きましょう、と答えていた。

 メモを頼りにサンタルチア駅からいくつか橋を渡って、観光客で賑わっている通りから外れ、雨風に曝されたベンチがある小さな広場、さらに家と家が触れ合うように建っている小路をジグザグと何回か辿って・・こんな処に・・?と半ば心細くなった時、メモにある住所がこの先にあると分かった。
 汚れた深緑のドアーの脇の柱のベルを押すと、ベルがけたたましい強い音を放ったので、思わず私は飛びのいてしまい、そのまま引き返したくなった。わずかに時間が過ぎた。階段を降りてくる足音がして、ドアーの向こうでそれは止まり、一瞬ゆっくり息を呑み込むほどの間があって、それから静かにドアーが開いた。
 「ペーテル、ですね?」
 「ハイ、そうです、ペーテルです。あなたは、ヨーコ?」
 また一瞬間があった。次の言葉をどう始めたらいいのか、どちらも分からなかったのだ。会う必要などない、会いたいと思いません、と言い切って再会を断ってしまったらよかったのだ。私は後悔し始めていた。が、私は好奇心旺盛な自分をよくよく分かっている。私には再会を断ることなどは、ない可能性なのだ、分かっている・・。
 手紙が途絶えた時の不自然さとは、近所の派出所から警官がわざわざ私の家に問い合わせがあったということだった。ぺーテル・kという外国の学生に手紙を書いたことがありますか?というその簡単な質問が、警察など縁がないとしかいいようのない高校生の私をひどく吃驚させた。ひどく傷ついた。家族も不安を隠さなかった。そのまま手紙は途絶え、私も書くことはなかった。警官が来たと手紙にどうしても書けなかった。そのことに何も触れないで元気ですかと手紙を書くことはできなかった。だから書かなかった。後味の悪い、そしてなんだか気味が悪い違和感が暫く尾を引いていたが、それも時間が忘れさせて行った。私は大学受験の勉強に呑み込まれていった。
 あれは何故だったろう・・今、目の前にいるぺーテルにまず何よりも先に聞き、そして今回の突然の連絡もどうしてと問いたかった。が、聞いても虚しい・・?聞かなくても自然に分かることもあるだろう。詮索はしたくない。

 想像したよりずっと広い三階の部屋がペーテルの部屋だった。窓の外に水の気配も感じられた。
 「ここヴェネチアに来て、やがてこの部屋に住むようになりました。十年ほどになり
ます。そう長い時間が過ぎました。あなたと手紙を交換したのは三十年以上も前ですから・・信じられないような月日ですね。
 僕がベルリンの研究室で生物学をしていたことは覚えてられるでしょう?医薬や生物実験・・それが僕を追うことになりました・・。機密にかかわること・・でした。あなたは全く知らなかったでしょうが、あなたのペンパルだった杏子さん、彼女を僕は知っていたのです・・。
 ベルリンから、ドイツから逃げて、今でも僕の口から話せないような、耐え難い思いに屈折した日々でしたが、僕は死ななかった。殺されなかった、命長らえた。大袈裟かもしれませんが、本当です。
 ベルリンの壁が壊された日のことは、決して忘れません。ああ、やっと僕も生きられる、とさえ思ったのです。現実の恐れがなくても、自分分自身が作り出す懼れにさえも、絶え間無くおびやかされていたのです。「根」を本当に失うことが、あなたには理解出来ないでしょうが・・。いえ、それは当然のことです。そして「根」を引き抜かれることなどあってはいけないのです。」

 杏子さんという思いがけない名前が彼の唇から出た時、私は謎を解く鍵を見つけていた、それどころか殆どジグソーパズルの最後の数片だけが残っているだけだとさえ感じた。もっともそれは薄ぼんやりとして、パズルはじっとり濡れて色も形を失おうとしていたが。
 杏子さんは製薬会社社長の大事な娘さんだった。彼女も不可解な、不思議な消えかたで私の交際範囲から消えて行った・・。そして当時父は私に言わなかったが、警察から杏子さんのことでも問い合わせがあったと、ずっと後になって耳にしたことがあるが、私はペーテルのことと関連させて考えることはできなかった・・。迂闊だった。
 そして今、そのパズルの最初の数片さえ、私は手にしたくなかった。ましてやパズルを完成させて見たい気はは起こらなかった。杏子さんは会社の書類を持ち出した?それはペーテルの指示によるものだった?その程度を私がいくら推理しても仕方がない。私自身がその作業を自分に禁止していた。ぐしゃぐしゃになったパルプのようなパズルは嫌だ。
 何があったか、そしてペーテルはベルリンから何故脱出しなければならなかったか、を考えれば、介在した私の意味など何程のことか、ましてや「利用された、裏切られた」かもしれないが、三十年以上経って事実を知ってどんなに憤ったとて、風化してしまっている。しかも私は利用価値の殆どない、パズルの一片にさえ入っていない。ペンパルを日本に求めたことが、「機密」より先に始めたことかどうか、それだってどちらでもいい。私は目の前のペーテルが気の毒になった。可哀相なペーテル、いいんですよ、もう。

 「許して下さい。もっと単純に、純粋にあなたと便りを交わしたかった、ずっと、ずっとあれから今まで、ずっと。本当に他愛ないことを書いて友達でいたかった。
 ベルリンといっても僕が住んでいたのは西でしたから、僕は「亡命」したのではないんですね。合法的に、巧妙にベルリンから離れました。でも僕は東ドイツからも西ドイツからも、つまり僕を生んだドイツ全体から「亡命」してしまったようなものです。
 研究からも離れました。僕は自分を罰しないではいられませんでした。杏子さんには一番済まないことをしてしまった。静かに音立てないで生きること、それが僕に課した生き方でした。逃げるためだけではない、僕が選び取った生き方でした。あなたにも許して欲しかった。」

 ペーテル、私にはあなたの複雑な事情は恐らく理解の範囲を超えているでしょう。でもこうして会えたことは奇跡ですよ、そうでしょう?許して下さいとあなたは言うけれど、許しましょうと言える何を私はもっているでしょう。只お互いが生きていたと再確認できた、それでいいじゃありませんか、人間の生きてきた道が簡単に説明でき、また理解してもらえる類のことではないのですから。
 改めてペーテルの部屋を見回すと、律義な人らしく部屋は見事に整理されていた。話すのを止めたペーテルは、今度はさらに恥ずかしそうにはにかんでいた。
 「あなたがいらっしゃるので、勿論いつもよりキレイになっていますよ、幾分ね。もうたくさんのものに囲まれるのは疲れますから、ごく少しでいいんです。もともと根無し草でいつでもどこへも移動、ですから物にはとりわけ執着しませんでした。習い性となるで、このほうが風通しがよくて気持ちがいいんです。心の風通しも、ね。」
 ふわっとこの瞬間ペーテルがヴェネチアの霧になって消えていってもおかしくないような気がした。が、目の前のペーテルは儚げに茫洋と見えながら、強靭なしなやかな感じさえする初老の人だった。
 ああ、失礼しましたねと思い出したように言って、コーヒーを入れにペーテルはキッチンに行った。暫くして花模様のついたイタリア製のお盆に載ってきたのは、香りの強いイタリアのコーヒーだった。私も何回かイタリアに来て以来濃いエスプレッソが好きになっていた。頭の芯が疲れる時間には、濃く、冴えわたらせてくれるコーヒーは嬉しかった。この小さなカップのなんて可愛いこと、濃いコーヒーには砂糖が欠かせない、砂糖なしのブラックコーヒーがいいとは限らないなどと思いながら・・ありがとうと私がカップから目を上げた時、ぺーターの顔もホッと少し安心したようだった。

 「長い間、あなたのことを忘れませんでしたよ。が、済まなさが一番大きかったです。あなたに何か災いが及んだのではないかと。そう思うと連絡などどうしてできましょう。同時にどう説明したらいいのでしょうか・・強いて言えば、懐かしさと形容しましょうか。逢って何も言うことはないんです、、それでも逢いたかったです。
 どうしてヴェネチアに暮らしているかとお尋ねですが、ヴェネチアは死んだ妻の故郷です。妻とはロンドンで知り合いました。二十年以上も前のことです。彼女は英語を覚えるために短期間イギリスに来ていたんですが、僕と一緒になって十年あまり僕の「放浪」によく付き合ってくれました。転々とした生活に心安らぐ時はなかったでしょう。ため息をつきながら。けれど彼女は僕よりずっと若かったし、終いには彼女自身そんな生活を、おそらく僕以上に楽しんでいたんじゃないかと思います。
 そしてベルリンの壁が崩壊したあの年、僕たちはヴェネチアにやって来ました。私は、自分の「根」を下ろせる最後のチャンスではないかと思いました。ベルリンの壁がなくなっても、やはりドイツは僕の帰る処ではないと感じていました。僕はわざわざそれを確認するために、ベルリンにも行きました。ボロボロの僕の記憶を携えて。
 「根」に拘るように思われますか?いいえ、逆なのですよ。「根」は下ろしても下ろさなくても、かわりないことなのです。極端に言えば、私たちは動物、動くものなんです!故郷、母なる国を喪った、いえ自ら葬った「動くもの」にとって、それほどの意味はないとさえ言っておくことにします。強がりかな?
 けれど彼女にとってヴェネチアは故郷です、彼女の「根」はヴェネチアに張らせてあげなければと思ったのです。それどころか、もう「根」を張る時間は多くは残されていなかった。ヴェネチアは彼女が終焉を迎えたい街だったのです。僕は何も知らなかった、彼女が病を得ていたなんて。彼女は教えてくれなかった。
 ヴェネチアに来て彼女に遺されたこの住まいに落ち着いて、自分たちの場所だよ、僕たちの再生の時間を生きようよと僕は必死になっていたのです。最期に近くなって彼女はやっと打ち明けました、もう隠しようがないからと。僕は愕然としました。つらい時間が流れましたが、互いに受け止めました。・・その経緯は語らなくていいですね。
 彼女が死んで、この部屋とささやかなオフィスとを行き来して僕の月日が過ぎてきました。夕方、オフィスから帰る運河沿いの石畳の道、そっと開けると漂ってくる部屋のにおい、そこに僕の現在の殆ど全てがあります。生きながら、自分を葬るように生きる者にとって、ヴェネチアほどふさわしいところが他にあるでしょうか?退廃の、死の、凋落の街といわれる、ここヴェネチアほどに。
 私は多くの街に住みましたが、海に面した街が好きです。深い海の底から陸が立ち上がってくる、その海のかたわらで人間が日々の営みをしている、また人間もいつも海に向って、世界に向って自分が開かれていると感じる・・。もっともヴェネチアは島や突き出た半島に囲まれた、海の揺りかご、避難所ではありますが。それが大した揺りかご、避難所であることをあなたはご存知ですね。海と婚姻した街だと人は言いますね・・そして、そう、人も海と婚姻するのですよ。
 リドからトルチエロあたりを船が行く時、殊に、霧の時はまるで海と地が境なく、私はそのまま海に潜って自分の住みかに帰っていきそうな想いに駆り立てられます。潜るほどの深ささえ感じられなくて、ただ横たわっていればいい、そんな感想を持ったりもします。対岸の灯りは私にはあの世の灯りに見えますが、じっと眺めているとどちらがこの世か、あの世か、それも定かでなくなります。暗い夜の運河をじっと見つめていると、時間の感覚を失います。運河の先の全く灯が尽きた暗闇は、私には暖かく感じられます。私を抱き取ってくれます。
 昔、妻に東洋のペンパル、あなたのことを話したことがあります。彼女は純粋に喜んでくれましたが、事件の一部を想像して眉根を少し曇らせながら、ジパングの末裔のお嬢さんはいつかヴェネチアに来れるかしら?来てほしいな、逢ってみたいわ、とフッと言いました。もうジパングのお嬢さんはシニョリーナの年齢ではないよ、君より年上なんだから、と返事したのを覚えています。あなたが来て下さって、彼女の願いも叶ったことになります。
 今、思えば「機密」も、僕を殺そうとしたさまざまな力も、現実の妖怪だったけれど、架空の張りぼてに過ぎなかったかもしれない。私には分かりません。翻弄されてここまで来てしまいましたが、紛れもないこれが自分の歳月でした。
 自分のことばかり話していますが、許して下さい。あなたを見ていると、あなたがもう十分に私を理解して下さっているのが直感的に分かります。本当に嬉しい。
 あなたが平穏に暮らしておられることは何より嬉しい。
 ヴェネチアに初めていらしたのではないとは、少々残念ですが、どうぞ改めて私に最初からヴェネチア案内をさせて下さい。 三十年あまり消息さえ知らないできた、その時間を僅かでも繋げれば・・。幸いなことにあなたは十分な時間をヴェネチアで過ごせるとか、宿の心配はなさらずに、知り合いのホテルに予約を入れてあります。どうぞ滞在して下さい。心配などなさらないで、心行くまで楽しんで下さい。」
 
 
 

   女であること?
    
あなたはあなたの「内なる女」、「外なる女」について語りませんね、
その人は言った
そう言われるほどに、わたしは「女」を語ったことがなかったろうか・・?
が、女であることを絶えず意識し、それ以外有り得ないとしても
「内なる男」、「外なる男」を必ずしもその人が多く語らないように
ましてや「愛」を口にしないように
わたしが語らなかったとしても・・・それは大いに有り得る・・

女であることは、時にあまりに重い,そして
女であることは、時にあまりに軽薄に流れていく
わたしは軽く、薄く、ふらふら、ひらひら、面白おかしく生きたかった
さらに、蛇足ながら、美しく華やかにも、楽しくも生きてみたかった
恋愛遊戯もしたかった、遊戯を。でも遊戯はできなかった

心だよ、内面だよと言いながら、人の目にまず映るものは外面なのだ
人は内面は外面に反映されるものと実は思っている
外面が内面より先んじていると・・醜いとは恥じなのだと
わたしは「美人」だったらよかったよ・・無いものねだりと笑われようが
すべらかな「女」の肢体、うなじや髪の毛、程よく豊かな乳房やお尻
エロス、エロス、エロチック・・男と女、それが世の中だから?

そしてレースや刺繍が施されたり、柔らかくつややかな、しなやかな優雅な衣裳
男が青白くなるほどの高価な宝石、これは例が極端だろうが
ひょっとしたらそんなものが純粋に好き、欲しくないと言ったら嘘になろう
男の強さより・・弱さ、優しさ、安らぎが、「女性的」と言われるものが・・好き
逆説として、だから女は嫌いなのと、私の心の半分が叫んでいるよ

以上は偏った「女」論のひとかけら、いつも堂々めぐりして混乱する
男の目を惹かず、後ろに隠れ、恥じるように、ストイックに・・
わたしは若さをもてあました
エロスは面倒で避けて通りたかった、が、何と人生を左右してきたことだろう
それどころか、エロスは人生の中心課題だった!
生まれ、成長し、産み、死ぬのは・・愛、エロス・・

婚姻の婚は女がくらくなってしまうことだと・・或る女流歌人が言っている
婚姻とは何か、狭量な私にもやはり否定的要素を感じた・・

そしてなにより複雑怪奇、人生の首根っこを捉まれるのは母になること・・
母性の呪縛?
今になって振り返ればそこには生きる実感があった、格闘があった、生の真昼を感じた、
母性の陶酔?もあった、苦く愉しかりし年月であった
初めて乳房を吸われた時、命が受け継がれていくことを理解した、分かった
産むことは、おのが「死」を受け入れることだった

原初の愉悦をわたしは信じる、わたしは味わう、
母とは「性」の真中に在ること、「生殖」の真中に在ること
花を美しいと言うように、そのように人の肉体と快楽は美しい・・
「快楽の虚しさ」と道徳律は戒めるが、「虚しい快楽」をわたしは否定しない

優しいエロチシズム、けれどその優しさが時に残酷でないと、どうして言えよう
凶凶しい愛欲に溺れ、そして流れていけばよかったろうか?
「誘う水」に流れていけばよかったのだろうか?
凶凶しく運命的な必然、それさえわたしは夢見ていたのだ
劫初の深い夜の記憶を共有すると、それさえわたしは夢見ていたのだ、

高らかな自己肯定はわたしにはなかった
人は何によって大きく規定されるか
時、処そして、ジェンダーによって・・・・そう、ジェンダー、ね
男であること、女であることによって避け難く規定されてくるものがある・・
性のダブルスタンダードをわたしは意識し続けてきた
わたしの胸にある硬質な核を抱き続けて離さなかった、唇を緊張させ強ばらせながら
可能なら・・女であることを拒否したかった

わたしの硬さを揶揄するのは簡単だが、決して揶揄しないでほしい
身を捩じらせながら、涙しながら、口惜しさを感じながら
さらっと身をかわしながら、優柔不断に「擬態」を曝しながら、
わたしをスポイルしながら、生き方のぬるさ加減に辟易しながら
同時に強靭な意志を通しながら・・生きてきた・・小さな声だが、そう言わせて

今、わたしは女であることを肯定している、変えようのない事実として
そして女であることを生きたいと思う

「天命反転地」では時空の約束事も無くなるという、勿論ジェンダーも、ね?
願っているけど「消化」以前の事柄で、やっぱり頭ばかりがぎこちなく大きい、か?

語っても語っても、何も語っていないに等しい、何も答えていないに等しい
男と女が本当に会い逢えるのは、真に互いをコンソラシオンで包み合えるかどうかに
懸っている、それだけは言える
 
 
 
 

   アフガニスタンを思う
 

僕の心の中にある涙のコップはすぐいっぱいになって溢れそうになる
僕はこぼして捨てるが、またすぐにいっぱいになってしまう
こぼしてもこぼしても涙のコップはいっぱいになって際限がない
涙の現実の大地を潤せるなら、この土地が緑になるほどなのに
涙のせいで僕は盲になるかとも思ったが
尚、僕の目はものを見る、視る
この世にあることを僕は見たい、視たい
 

わたし、学校いきたい、勉強したい、そして、ね、先生になるの
ぼろくずみたいな服
でも、わたしはこの花もようが大好き
赤、ピンク、だいだい、それから緑と青と・・
いつかこの土の上に色がいっぱいに生まれだしたら
わたしたちしあわせになると思うの
 

わたしの心は痛み、萎えていく
射すくめられて
なによりも屈辱なのは熾烈な飢餓に追いかけられ
いつもいつも餓えが感覚、思考の中心に居座っていること
餓えの感覚に思考が、誇りが消えていくこと
立ちあがり、流れ、舞い狂う砂塵、暑さ、寒さ
恐怖が乱反射する、至る処に、頭蓋内に
まだ夜は明けないのか
息することが恐怖に連なるこの夜は
 

迷いの荒野、地上の悲しみ
裏切りは一つの手段、大義への一つの階段
復讐は聖戦、聖戦は正義
そう語るあなたは赴いていくが
ジハードファームに繋がれる
わたしもまたムスリム、・・神アラーよ・・
侵略者であってはならぬとあなたは、コーランは説く
今、侵略者は誰なのか
 

乾いた土に生まれ、乾いた風景を身にすっぽり纏って歩いていく
そして還っていく
 

ローガン空港の朝、テロ実行犯の目に映ったものは何だったのか
あの朝、空は晴れていたなら、その朝日は彼の目を刺さなかったのか、
おのれの内部の堅固な均衡が、朝日と対峙したのか
いや、曇り空だったか、それとも雨が降っていたか?
おのれの内部の堅固な均衡は、かげり、涙しなかったのか
飛び立って1時間、ニューヨークに炸裂したものは、悲しみ以外のなにものでもなかった、
silver phenix will attack two brothers・・?
 

湾岸戦争勃発直前、私はローガン空港から飛び立った日の朝焼けを今も忘れない
あの朝は美しかった、
10年経とうが、20年が過ぎようが、30年流れ去っても、どの朝も美しいのに・・
彼の目に朝日が射す、彼の目にそれは何の意味もなかったのか
ひきちぎられてしまった、明確に、残酷に・・止める術はなかったのか
百年、千年の憎しみが私たちの頭上に影を投げかける
 

狂気よ、拡散するな
そしてテロを生み出す不公平を地ならしせよ
 

凍てつく夜に子供が死んだ、老人が死んだ
高地はもう、とうに雪
冬だ
 
 

   生きる

明るさから明るさへ
暗さから暗さへ
夥しい薔薇が咲き出でる
不徳不遜の薔薇が暗黙を共有する
私たちの白昼夢を越えて、遥かに越えて
ため息し、怖れ、愉楽を求め
危険を予知しながら、この地帯を越える
 

私たちは愛撫を重ねる、束の間を生きよと
束の間を生き、そして溶けていく
それぞれの記憶を重ねながら
溶けていくのには晩秋の日がいい
エロスは「死」とともにあるのだから
 

戯れだったのに
指先に「死」が止まろうとする
未来から過去へと時間を流し込んでいたと思っていたのに
その「死」は先にあると思っていたのに
私は感じた
戯れだったのに、指先から色づき侵食し、私の背に這いつこうとしているものこそ
「死」だったのだ
 

さようならとは「左様ならなくてはならぬ運命である故、お別れいたします」という挨
拶のことばだと・・
本でそれを読んだ時、私は恐れおののいた 
惜別から遠いところでさりげなく私たちはさようならを言う
そんなにも深い意味をこめて私たちは日常の別れを告げてはいないが
確かにそのような覚悟をもつ別れが、日常の中に多く潜んでいること
私は今更にこのことばを胸に刻んだ
心して使いたい、このことばを
 

私の背にある発育不全の翼、
それはいつしか片翼になって、それも傷だらけ、飛ぶ力なく、もがき
さらには飛べたことなど忘れ果て、
手探りしながら、躊躇に逃げて・・地上を辿る
私の脚は靭い線と力をもつが、やがてそれも失われるだろう
夢見る力、考える力、かく力、つくる力
大脳の海馬、いや脳細胞、体の神経細胞すべての破壊と回復の駆け引きを
内部に感じる
秋の気配を感じる
 

秋は収穫の時、実りの喜ばしさ、と人は言うが・・
私にとって・・?私の秋の庭は、収穫物のあまりのささやかさ、貧困さに胸衝かれる
貧しさとは言うまい。多くを望んだことはなかったのだから
貧しさこそ豊かさとも納得しているのだから
手にする果実の重さを感謝しよう、風雨に曝され、錆び色をした道具のいくつか、通り
過ぎて行ったものたちの輪郭が朧に残された窪み、そこに在る湿気とぬくもり、きのこ
の匂い、ローズマリーの少し強すぎる匂い、ささやかに黙して語らない、数え切れない
ものたち、そして透明な空気の中で反芻される多くの語らい、静かな食卓、音楽、書
物、語っても語り尽くせないこの世の喜びや悲しみ、
そしてあなたの存在、私はあなたの奇跡でありたかったのだと思う
私たちは記憶しなければならない、奇跡ではなくとも、確かに逢えたことを、それぞれ
の収穫が何であれ、今しばらくの同時代を共に生きているのだということを
私は明るく深く感じている、感謝する
 
 
 

   
     
 魂の大きな海
 慕わしい大波
 喜びの新しい領域
 紛れもないあなたの
 

 その日、私は美術館に出かけようとして、郵便受けに手紙を見つけた
あなたからの手紙が届いていた。用心深さ、慎み、途惑いが感じられたが、ひとつの決
意も私は読み取った。まだ見ぬ恋?これは恋?

 外ではしきりと雪が降り続いていた。館内では暖房が効いて十二分に暖かい。いつも
窓には水滴がびっしり付いて、窓ガラスの向こうの風景はぼやけて泣いていた。
 エトルリア美術の部屋は奥まって人はいつも稀だ。石棺が部屋の中央に二つ。それぞ
れの蓋に寄り添い横たわった夫婦の姿が彫られている。そのリアルさに胸突かれないこ
とはなかった。彼らは死して二千年、三千年を、あのようにじっと見詰め合って過ごし
てきた。これからも頑固に横たわり、見つめ続けていく。
 完結された、完結させられた・・愛?エゴイズム?
 それとも生前、憎みあいながら生きた二人だったのなら、死後も尚このように在るこ
とは、逆接的な皮肉、呪いたいような仕打ち、罰でも有り得ると、そんな斜に構えたも
のの見方もした。
 「対幻想」は私自身の中でも奇妙に揺らぎ続けながら存続している。そして恐らくそれ
は幻想なのだと思うに至っている。が、否定しきれる強さは私にない。エトルリアの石
棺のもつ不思議な吸引力は、私をまだまだ引き止めている。
 この部屋は私自身のなかにある愛や途惑いと直接向き合える場所だった。いつもここ
にやって来た。
 エトルリアの人々は紀元前、イタリアのローマとフィレンツエ間の地域を中心に、イタ
リア半島のかなり広範囲にわたって居住していた。エトルリアの要塞都市は「高い山の背
の都市」と言われて、今も列車や自動車でイタリアを移動するとしばしば目にするが、山
や丘の上に街が作られている。あるものは廃虚となっているが、現在も人が暮らしている
街も多くあり、エトルリアに起源をもつものも多いとか。。が、彼らがどんな人種だった
かさえ、正確には分かっていない。ローマに国は滅ぼされたが、ローマ帝国は彼らエト
ルリアの社会から大きな遺産を受け継ぎ、発展を遂げていった。エトルリアは忘れ去ら
れていった。そのエトルリアの独特の墳墓が発掘され、出土品は今私たちの目の前に在
る。
 私にとってのエトルリアは、あの棺だ。石は静まりかえり黙したまま、大きく妖しい
力で私と対峙し続けている。生きること、愛することは大きく妖しく・・しかし、でき
ることなら静かであって欲しい・・予感に震えながら私は棺の横に立ち尽くしていた。
 

考えても、考えても、なにひとつ分からなかった
今が、これから先が
私は階段の途中で、歩道の真ん中で、立ちすくんだ
どうしようもなく、そのうちに泣きだしていた
自分の恋に泣くしかなかったのだ
あれから・・何年が過ぎたことだろう
昔だった
 

やさしいあなた
去っていく後ろ姿ばかりが思い起こされる
 

むなしいあこがれだった
かわいたかなしみだった
けれど、それらすべてつきぬけて、ひきよせられて
なつかしい、なつかしい
 
 
 

    歩く    

空が微妙に彩られて
空と大地の間がわからない
雲間から白金色の光の矢が放たれる
光の環の内部が照り映え出てくる
フロミスタの緩やかに起伏している平原
ああ、これを歩き続けなければならないのかと
思わず立ちすくんでしまった
明るさの方へ一歩を踏み出す
俯いてしまったが・・やがて私の気分は引き締まり
蒼褪めながらも、いっそう高揚していくのだった
光の閉じられない環を心に抱いていた

たといウルセルの言うように「無責任な一介のツーリストの目にはついに隠れて見えぬ
道」かもしれないが、巡礼という歩く行為自体のなかから、何かが生まれないとも限ら
ない
なにものも生まれないとしても、それもまたいい
一人で、歩くこと・・私自身にも説明できない或る力が働いて、突き動かされるように

雲が動く
雲が踊る
切れ切れの雲が流れた

小ぬか雨が降り続く

ひとむらの焔が野に湧き立つ
初冬の暮れかねる空に
大地の暗い力を吸いながら
燃えまさる焔
やがて語り得ないものたちが
焔の光の領域に形をもって現出する
やがて月と星の燦爛が呼応する
底冷えがして、芯から心が惑わされそうだ
 

花びらの宇宙
賛嘆する、その広大な宇宙のその花びら
窺い知れない魔物を花びらは差し出してくる
生命の極みのさなかに
花びらの宇宙に巣くうもの
華やかに広がった花びらがちろっと回転する
反転させる花宇宙、そして残像
その先端に辛うじて立ち尽くしているのは?

透けるはねの向こう側
透ける花びらの向こう側
ほら、見えるでしょ

花を包む多くの、堆積された闇
荒廃を予感させる、香のかおりにみちた地下の空間
消えがての、死者の足音、それらすべてが
テントの帆布をサッと広げたように
敷き詰められ、覆い尽くされた
マヨール広場の静寂
広場のオレンジ色の灯り
人の姿が見える店、屋台を畳もうとしている行商人
みな暖かく生者の領域、
屋台のレモンが石畳に転がった
誰も気づいているようにみえなかったが・・
歴史の堆積する街では生者、死者それほどの違いはないらしい

 
 
 

   再び
  
私たちを隔てる距離
それはほとんど敵意である、敵意以外であり得ない
だから
狂暴な思いに時として私が襲われたとしても
そういう私自身がなんと可愛かったことだろう
私自身にだけ向って自傷行為をしたのだもの

忘れ得ない声の響き
あなたの懐かしい声
それはわたしの愛着だった、執着だった
ただひたすら待ちわびた
ためらいの多くをどこかで放り投げた
迷妄も、修羅も、愛しく受け取った
震える手で

折々の知らせ、抱き締める
目をつぶって
あなたも目をつぶって
 
 

今は昔、祭りの帰りに 幼い私の手から離れて夜空に飛んだ風船は
どこまで飛んで行ったのか
時折、思い起こす
今も風に吹かれて漂っている夜の風船があると
私は信じて疑わない

今は
知の海に溺れることなく
疑いの海に溺れることなく
歩いていく
 
 
 
 
 

(作者は、詩人。これは、折々の詩的な「ノート」を含んだ一巻の詩集として読んだ。おそらく推敲も吟味もなおなお可能な、あるいは必要な詩篇であるが、優れて実意に富み、このままであらあらしいほど生きて言葉が呼吸している魅力を受け取ったので、今後のことは作者に委ねたまま、このまま掲載させてもらう。機械の環境により改行などが作者の最初の思いを裏切りかねない。いっそ、改行の不明な箇所は、機械の自然改行にまかせて整理しておこうとも編輯者は考えている。湖の本の読者。 1.11.17寄稿)



 
 
 

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    智慧の相者は我を見て
 

                       蒲原 有明
 
 
 

智慧の相者(さうじや)は我を見て今日(けふ)し語らく、
汝(な)が眉目(まみ)ぞこは兆(さが)悪しく日曇(ひなぐも)る、
心弱くも人を恋ふおもひの空の
雲、疾風(はやち)、襲(おそ)はぬさきに遁(のが)れよと。

噫(ああ)遁れよと、嫋(たを)やげる君がほとりを、
緑牧(みどりまき)、草野(くさの)の原のうねりより
なほ柔かき黒髪の綰(わがね)の波を、──
こを如何(いか)に君は聞き判(わ)きたまふらむ。

眼をし閉(とづ)れば打続く沙(いさご)のはてを
黄昏(たそがれ)に頸垂(うなだ)れてゆくもののかげ、
飢えてさまよふ獣(けもの)かととがめたまはめ、

その影ぞ君を遁れてゆける身の
乾ける旗に一色(ひといろ)の物憂き姿、──
よしさらば、香(にほひ)の渦輪(うづわ)、彩(あや)の嵐に。
 

        ──有明集』巻頭より──
 
 

         「有明集」の前後   蒲原有明
 

 明治三十八年(=1905)に「春鳥集」を出したときには、多少の自信もあり自負もあつた。わたくしのやうな気弱なものも詩作上思ひきつて因襲に反撥を試みたのである。あの稚拙な自序を巻頭に置いたのもその為で、少しきおつたところが見えて落ちつかぬが、それも致しかたない。
 さて象徴詩がどういふ筋道を通つてわが詩壇に導かれたかは、今こゝに述べにくい。それは別に研究を要すべきことである。然し思つたよりも早い時代に始まり、ヴェルレエヌの.死(一八九六年一月)がその機縁を作つたと云へば、さもこそと肯(うけ)がはれる道理がある。即ち同年(明治二十九年=1896)三月発行の「文學界」は上田柳村氏の草した、この落魄の詩人を紹介する記文を載せてゐる。この事はすでに「有明詩集」自註の中に誌しておいた。それから後になつて森鴎外氏は「めざまし草」の数号に互つて「審美新説」を訳出した。これが一冊の本になつたのは明治三十三年であるから、無論その前のことである。この「審美新説」には自然主義と象徴主義との関連推移を説くこと詳(つまびらか)で且つ斬新であつた。わたくし共はこのめづらしい藝術の部面のあることを知つて啓蒙された。それからまた少し程経て、今度はあの有名なシモンズの「象徴派運動」(一八九九年初版)に注意が向けられる順序となるのであるが、この本は長谷川天渓氏が最初に取寄せたもので、(田山)花袋、(島崎)藤村、(岩野)泡鳴の諸氏も、それにまたわたくしも、その本を借りて廻し読みにした。藤村氏がわざわざ小諸からイプセンの「ボルクマン」を小包にして、これを見よと云つて送り越したと殆ど同時であつたらう。わたくしからはシモンズの本を廻送したかとおぼえてゐる。ヴェルレエヌの死からシモンズの著書までの間には、イプセンも、ハウプトマンも、ユイスマンも、マアテルリンクも、一応は読まれ且つ紹介されもしたがたとへばマアテルリンクにして見ても、あの「温室」の詩篇の方は、これも柳村氏が「海潮音」(明治三十八年)刊行の後訳出して、それが「明星」誌上に掲げられるまでは一般によく知られてゐなかつた。われわれ多数はもともと英語訳にたよつてゐたので、かういふ不便は免れ難かつた。
 それに就て挿話がある。岩野泡鳴氏はあの負け嫌ひであるが、それも随分とやかましいマラルメを択(えら)んで、佛蘭西語の原本から直接に翻訳するといふ意気込みであつた。「白鳥」もさうであるが、「泡」と題する詩が手始めで、をりからわたくしは同氏を訪問してゐたので、少しは字引の方の手伝をした。詩は短いが、一字一字洩れなく引くのであるから大変である。まづさういふ熱心さはそのころ誰しも抱いてゐたところである。佛蘭西語を全く知らないでゐて、マラルメを原詩から訳さうとするのは無謀である。笑はれてよいにはちがひないが、そこには眞剣味もあり強味もあつた。とても才人ぶつてはゆけなかつた時代である。
 わたくしは與謝野寛の紹介で、内海月城氏に伴はれて、上田柳村氏を本郷西片町にはじめて訪づれた日はいつであつたか確(たしか)にはおぼえてゐないが、新詩社が麹町番町にあつた頃のことである。それから幾回目かの訪問のをりに、柳村氏はルコント・ド・リイルを頻りに推奨して特にあの「眞昼」の一篇を讃嘆して、原詩を誦して、その作風に就てわたくしに親しく語るところがあつた。わたくしはその時の柳村氏の言葉を忘れずに魂に刻んでゐる。パルナッシャンの套語「無痛感」はどこか「非人情」の禅語に類するものがあり、マアテルリンクの神秘感と共に極めて東洋的である。これ等の詩人の思想がわたくしの触れ易き心の養ひとなつたこと幾許(いくばく)なりやは量り難い。わたくしの詩にパルナッシャンの影響がありとすれば、それは全く柳村氏の鼓吹によるものである。
 自然主義より象徴主義への推移といふことは、評論家によつてあまり唱へられないやうであるが、わたくしは前に述べたとほり、「審美新説」を読んで感化されたことが先入主となつてゐる故か、この両主義の関係をさういふ風に密接に考へてよいものと思つてゐる。ロマンチシズムから直ちにシンボリズムには移れぬわけである。この両主義の推移といふことは例を挙げて見れば、ユイスマンスの一生の経路がこれをよく語つてゐる。この作者には鰊(にしん)の有名な描写がある。これなど自然主義的描写に即する一面の帰結と見て然るべきものである。自然主義はつとめて感傷風の表現の混入を退けた。この事はかの高踏派の非人情とおのづから相通ずるところがある。考察の熱意と描写の精緻とはこゝに起らざるを得ない。その熱意が幻想に入り、その精緻が滲透して暗示となるとき、そこに感覚の交徹による象徴主義が生れるのである。然しながらわたくしの言はうとしてゐる所は、象徴主義に就てその解説を試ることではなかつたはずである。端的にわたくしの本意を明すならば、わたくしの詩は「春鳥集」より「有明集」に至るまで、上に挙げた諸種の思想の影響を蒙つてゐたといふことを述べて置きたかつたまでゞある。わたくしの作詩の動機に就いては「有明詩集」自註に大略書いておいたのを見てもらひたい。概して抒情的動機は幾許(いくら)も無く、そこには却て「非人情」が附き纏つてゐる。純情をきおふこの頃の若い方方にはかゝることも飽き足らぬ一つであらう。
 わたくしの詩のごときは説明せよと要求せられても説明の仕様のないものである。あらゆる思想の混乱であるとも云はれよう。然しその混乱にしても中心を得ればおのづから形をなすのである。その形をわたくしはいつも渦巻に喩へてゐる。卍字であり巴宇である。
生動の態がそこに備つてゐる。わたくしはさう信じて、これを純情風の直線式のものと対蹠的に観てゐるのである。わたくしはこゝで純情的の詩風を貶(けな)すつもりは毛頭ない。ただどちらからも妥協の道はあるまいといふことを云つておけばよいのである。この渦巻式の流儀は今は全く詩壇に跡を絶つてゐる。尤(もつ)ともわたくし以外に誰がこんな面倒な詩を書いてたであらうか。それさへも確かなことは判らない。かやうなわけで、「有明集」は思想的にも表現的にも渦巻の中心をなすものであるが、その思想情念の傾向はいつでも東邦的であつた。わたくしの中に若しエキゾオチシズムが潜んでゐるとすれば、それは単に西欧への憧憬ではなくて、西欧でいみじくも採択された新藝術主義を通じて、わたくしの生れ故郷なる東邦の文化に対する反省より以外のものではなかつたのである。
「有明集」は明治四十一年(=1908)歳首に刊行したものである。わたくしはこゝで集の巻頭に添へた著者の小照について断つておきたいことがある。著者は生れつき痩身で、未だ曾つて肉づいたといふことを知らない。然るにその写真に撮られたところを見れば、似ても似つかぬ肥満さである。わたくしは必ずしも痩躯を庇ふものではないが、あれを見てゐると忽ち胸が悪くなる。実を言ふと、あれはその前年の師走の初めに発行所の易風肚から写真師をよこされたので、寒い日の庭の隅で撮らしたものである。ひどい病気の前提としてあれ程まで水気が來てゐたものを、不注意にも医療を嫌つて、そのまゝにしておいたのであるが、その応報として月の中頃から床に就て了つた。「有明集」の初校を検べ了つたかどうかといふ時分であつた。わたくしが身體を悪くしたのは、その年の夏、木曾御嶽に登山を試みて少からず無理をしたことも一の誘因であつたらう。秋から絶えず寒冒(かぜ)をひいてゐて、挙句の果は扁桃腺を腫らしたりなどした。それまではまだ好かつたのであるが引つづいての本患ひである。急にひどい眩暈を起して仆(たお)れてしまつたのである。病氣は腎臓炎で、三月ばかり寝てゐて、漸く離床したが、その後もずつと健康を害してゐた。わたくしが藝術よりも宗教的の気分に傾いて行つたのは、さういふ理由からでもあつた。兎に角「有明集」出版後は、わたくしの詩風に対する非難が甚しく起りつゝあつた。要するに新時代がまた別働隊を組んでこゝもとに迫つて來たのである。わたくし如きものが苦しんで一の詩風を建てゝから未だ幾年も過ぎてはゐない。さう思つて、その當時の詩壇の狭量さに驚くよりも、全くいはれなき屈辱を蒙らされたものと推測したのである。口語體自由詩に対しても強(あなが)ちにこれを排撃してはゐなかつた。わたくしにしても素より因習に反撥して起つたものである。然るにわたくしは図らずも邪魔扱ひにされたのである。謂はば秀才達の面白半分の血祭に挙げられたといつてよい。意外な目に遇つて、後に事がよく判つて見ても、わたくしは詩に対して再び笑顔は作れなくなつた。殊に詩人が嫌になつたのである。
 わたくしはいづれの盟社にも属せず、終始孤立して來たといつてよいであらう。一時は藝術上新主義の母胎とまで噂さされた龍土會の一員として、幾分の陶冶(とうや)を経て來たにはちがひないが、その龍土會自体の様子は今眼前に離合しつゝある詩人の団体とは余程の懸隔があつた。その龍土會すら影を薄くした。時勢の変は止む事を得ぬものである。

            ──昭和四年(1929)十月──
 
 
 
 

(かんばら ありあけ 詩人 1876.3.15 - 1952.2.3  東京麹町に生まれる。 日本藝術院会員。、日本近代詩創始期の大きな存在。象徴詩の代表作「智慧の相者は我を見て」は第四詩集『有明集』(明治四十一年一月 1908 )の巻頭を飾った。回想「『有明集』の前後」は昭和四年(1929)に書かれている。)



 
 
 
 

   荒城の月 

   土井 晩翠
 
 

春高樓の花の宴
めぐる盃影さして
千代の松が枝わけいでし
昔の光いまいづこ。
 

秋陣營の霜の色
鳴き行く雁の數見せて
植うるつるぎに照りそひし
むかしの光今いづこ。
 

いま荒城のよはの月
變らぬ光たがためぞ
垣に殘るはただかつら
松に歌ふはただあらし。
 

天上影は變らねど
榮枯は移る世の姿
寫さんとてか今もなほ
ああ荒城のよはの月。
 
 
 

明治三十一年頃東京音楽学校の依頼によりて作れるもの、
作曲者は今も追悼さるる斯道の秀才瀧廉太郎氏
 

             
 
 

         「荒城の月」のころ          土井 晩翠
 

 左の一文は六月二十九日大分県竹田町郊外岡の城趾において「荒城の月」の作曲者瀧廉太郎君の四十五年祭挙行の折、同場より全九州に放送したのを根柢したものである。
「荒城の月」──この名曲の作者は大分県速見郡の瀧吉弘の子息である。父が直入郡長に任官され竹田町に居住した時、彼は同町の高等小学に入校した。同校の教員五藤由男さんは彼の恩師の一人で目下竹田町に健在であり、六月三十日竹田荘で開かれた十五六人の座談会に列席した。列席者の中には廉太郎君の妹十一歳ちがひの安倍トミさんがあつた。瀧君が独乙留学着匆々ライプチヒ市のファルヂナンド・ローデ街七番地エツシゲ夫人の許に下宿して一九○一(明治三十四年)六月十二日日附の画ハガキ(ビスマルク銅像)を後藤さんに出した。これが三十日座談会の席上に提出されて我々の感慨を深くした。
 高等小学を卒業した瀧君は上京して芝区の私立音楽会に入り勉強して翌年十六歳で上野の東京音楽学校に入った。十六で同校入学などは未曾有である。在学中に数種の作曲をなし、二十歳で卒業すると同校助教授に任ぜられた。「荒城の月」は多分二十一歳の作であらう。東京音楽学校が中等唱歌集の編集を企て、当時の文士にそれぞれ出題して先づ作詞を求めた。私にあてられたのは他の二篇と共に「荒城の月」であった。この題を与へられて先づ第一に思ひ出したのは会津若松の鶴ケ城であった。といふ理由は蜂じるし白二筋の帽をつけた学生時代ここに遊びて多大の印象を受けたからである。
 鶴ケ城は約五百五六十年前葦名直盛の創築である。その後蒲生氏郷及び加藤嘉明によって増築され、寛永二十年徳川将軍家光の異母弟一代の名君と称せられた保科正之が会津移封以來累代松平家の居城となって明治維新迄つづいた。親藩たる威望に加へて累代名君多く二十三萬石の雄藩会津は仙台六十四萬石と共に東北の雄鎮であった。
 明治維新史上の劈頭を飾る会津落城の悲劇と殉難苦節とはあまりにも著名である。西南諸侯と意見を異にして賊軍の汚名を受け、奥羽諸藩連盟の主動者として三道より進み來た天下の大軍を引き受け、三旬の籠城に耐へたが、城外の友軍悉く掃蕩され・悪戦苦闘の城兵も糧食尽きて補充の道がない。その時征討軍参謀板垣退助が賊名を負ひて空しく斃るるを惜み、先に帰順せる米沢藩を介して会津藩主松平容保に帰順勧告書を送つた。これを読み沈思黙考の末将士を集めてこの問題を議せしめたが議論容易に決せず。その時容保は一身の刑死を覚悟し、部下を助命せんと決心し諸将士を慰諭して遂に開城に決した。かくて明治元年戊辰九月二十四日鶴ケ城頭高く錦旗が飜つた。
 九月二十二日の夜秋天碧水の如く明月城頭に懸つた頃、奥御殿奉仕の山本八重子(後に京都同志社大学総長新島襄の妻)が箭を以て白壁に題した。
 明日よりはいづくの誰か眺むらん、馴れし大城に残る月影
 またある侍女は降伏を悲み憤り、指を噛み、滴る鮮血を以て唐末の花蕋夫人の詩(全唐詩にあり)──その中の句
 君王城上建降旗、妾在後宮何得知
 と記して遂に城中に自殺した。
 これより先き敵軍の來襲いよいよ迫る報に接し、八月二十二日藩公自ら馬を陣頭に進めた。その時その前後を護った中堅は史上著名の「少年團結白虎隊」である。彼らは転戦の末会津城外一里の飯盛山に集り、郭内の邸宅民家数千所々兵火にかかり、紅焔天を焦す間に鶴ケ城の五重の櫓の隠見するを見て「君公は城と運命を共にされたであらう」と哭し、跪きて城を遥拝し終りて十九少年皆自刃した。中の一人十六歳の石田和助は文天祥の零丁洋の句「人生古より誰か死なからん、丹心を留守して汗青を照さん」と吟じ終り「手疵苦しければお先に御免」と両肌をぬぎ刃を腹に突き立て見事に引き廻して壮烈の最期を遂げた。また十六歳の飯沼貞吉は此世の名残にと母の餞とせる色紙を取り上げ、声高らかに「梓弓向ふ矢先はしげくとも引きな返しそ武士の道」と詠じ脇差を抜き、喉に突き立てたが切先が頸椎に当り貫けず、臂の力が足らぬためかとて柄頭を傍の石に託し、身を伏してのしかかつたが、その儘人事不省に陥つた。たまたま、是もまた自分の子も壮烈の自刃をなしただらうと思つた藩士印出八郎の母が馳せて現場に馳せつけ、飯沼の未だ死なないのを見付けて担いで山を下った。この飯沼によつて白虎隊殉難の眞相が明にされた。貞吉は後に名を貞雄と改め、逓信省に出仕して技師となり、勤務幾十年、昭和二年頃七十四歳の高齢で、仙台長刀町に住んでゐた。(今は故人)
 歴代名君の治めた会津藩の流風余韻は以上の通である。前にも曰つた通り蜂じるし白二筋の帽を着けた私が鶴ケ城及び飯盛山を訪ひて多大の印象を脳裏に残したことは何も怪むに足らぬ。それで音楽学校から「荒城の月」の歌詞を命ぜられた時、第一に念頭に鶴ケ城が浮んだのである。
 私の故郷の仙台の青葉城、三百余年前文武兼備の名君伊達政宗卿──「出づるより入る山の端はいづくぞと月に問はまし武蔵野の原」の名吟により、.近衛公はじめ都の歌人を驚嘆せしめた──名君の建設の青葉城(今その荒廃の趾を前にして私がこの筆を執りつつある)──この名城も作詞の材料を供したことはいふ迄もない。
「垣に残るは唯かづら、松に歌ふは唯嵐」はその実況である。この作詞を音楽学校が採用して、作曲を瀧君に依頼したものと見ゆる。君は二十一歳の頃大分に帰省の際、竹田町郊外の岡の城趾でこの曲を完成した。佐野周二君が主役を勤めた映画に見る通である。但し此映画は事実を枉げて、洋行前に瀧君が病死したことにしてある。この岡の城趾で作曲された事を私は当時全く知らなかつた。
 作曲の後三ケ年の留学を命ぜられ、ライプチヒで研究したが不幸にも中途発病してやむなく帰朝、独乙のハムブルグ港出発の日本郵船会社で帰朝、その船がロンドン先きのテームス河口テルベリイドックに一日碇泊の時、私は当時英国留学中の姉崎正治博士に陪して彼を見舞つた。これが彼と私との最初最終の対面である。
 帰朝の翌年二十五歳で瀧君は一生を封じ去つた。二十五歳の短生涯において「荒城の月」及び他の若干の傑作を残したことは同じく二士五歳で早逝した明治時代(恐らく最大の閨秀作家)樋口一葉を連想せしめる。
 竹田町郊外の岡の城は今を去ること四百余年、朝倉土佐守親光の創築といはれてゐる。爾來城主は種々変つたが、戦国時代の城主十八歳の志賀親次の防禦に対して豊後攻略を企てた島津軍も施す術なく空しく退却した。稻葉川と白瀧川との合流する断崖上の岡の城は、さすが当時天下三堅城の一と称せられた程あつて、守るに易く、攻むるに難い金城湯池であつた。
 今を去ること五年前、瀧君の四十年祭挙行の時も私は招かれて参加した。その折当時の竹田町長波多野君の祭詞奉読に次いで私は左の一篇を霊前に捧げた。

  歴史にしるき岡の城、
  廢墟の上を高照らす
  光浴びつつ、荒城の
  月の名曲生み得しか。

 「すぐれしものは皆靈助」
  偉大のゲーテ曰ふところ、
  世界にひびく韻律は、
  月照る限り朽ちざらむ。

  ドイツを去りて東海の
  故山に疾みて歸る君、
  テームス埠頭送りしは
  四十餘年のその昔。

  ああうらわかき天才の
  音容今も髣髴と
  浮ぶ、皓々明月の
  光の下の岡の城。

 この詩をたむけた当時と五年後の今日とを対照して感慨無量である。國破れて山河あり、全国が荒城そのものである。私の詩は四十余年の昔に今日あるを豫言したやうな感があるではないか。

  天上影は變らねど
  榮枯は移る世の姿

 しかしこれを他の一面から考へると春夏秋冬の推し移る通り、全く弱り切つてる冬枯の日本も、いつかは春が來るであらう。この希望を抱き、在来のミリタリズムを振り棄てて祖国愛と人類愛とを兼ねる新天新智の理想を抱き、邁進すべきである。前途は遠いだらうが日本の復興は必ず来ることは私の第六感である。 (昭和二十二年)
 
 
 

(つちい ばんすい 本名・林吉 詩人 1871.10.23 - 1952.10.19  現・宮城県仙台市北鍛冶町に生まれる。文化勲章。日本藝術院会員。歌詞「荒城の月」は明治三十四年(1901)に成り、瀧廉太郎の名曲を産む。瀧の四十五年祭(昭和二十二年)に列しての感慨の一文を添える。)



 
 
 

         自撰五十句 炎 声         佐怒賀 正美
 
 
 
 

火の色の独楽が虚空に堕ちゆけり  第一句集『意中の湖』一九九八年より

鼻母音や地下教室に雪眼にて

にんじんに似し教師去り春の虹

日傘して眠り深まる子を移す

白地着てダミアの暗き声を聴く

うすらひや幽鬼の館朽ちて映る

喇叭吹く春の道化と片手組む

赤き帆はルオーの墓標柳絮飛ぶ

はまなすや天の扉にダリの刻

母がゐて蜩山は紗をながす

喉にまで赤く刺さりて海市立つ

達治忌のさし汐かげりの母子草

まくなぎや打つて返せば首に憑く

蝶は身の微塵のとげを払ひ飛ぶ

デルヴォーの夜の祝祭の百日紅

隠岐枯れて大赤断崖(なぎ)の吹かれけり   第二句集「光塵」一九九六年より

隠岐古海(うるみ)三人の子のひとつ凧

鬱にひそむ炎声(ほごえ)が活路水澄めり

荒海や佐渡の風垣(がつちよ)に灯の洩るる

つくしんぼ遠(をち)の淡海にかざし摘む

躬都良(みつら)の恋隠岐水仙は崖(なぎ)なせり

渦潮や真上に滲むルドンの目

鬱塊の遊び出でたる海市かな

信長に焼かれし谷のつくしんぼ

ほととぎす一の砦は雲じめり

衿あしに涙を溜めてかたつむり

裸子の眠れば消ゆる日日の創(きず)

佐渡晴れて法難の日の穴まどひ

産土神(うぶすな)は破瓜期の皇女草紅葉

尖るとき湖光ひらけり雁渡る

黙(もだ)を光に天地均しの紙漉女   第三句集『青こだま』二○○○年より

たけのこのほこほこ前世日和かな

肉感を削ぎたる野火の走りけり

白南風(しらはえ)や蛇ぐるぐると壺になる

涼しさやこけしの木屑遊びだす

ビッグバン大向日葵が首振れば

天抜けて散乱したるたうがらし

冷(すさ)まじや月あれば月の抜けあと

荒縄の結び目ほどの自我冷ゆる

枯蓮や皮下走る血の圧されつつ

深雪晴宙にダンスの輪の若き

遊びたくなつて水母でゐるたましひ

かたつむり居眠り二号活字の乃

片虹や首の根ふかくしめりをり

九世(くせ)の戸や師の世の声の雪かもめ

鳥風に打たれて甘き地霊の目

根尾谷やさくらの精のつぶら翔(だ)ち

ひかる虚(きよ)の上に虚のある瀧ざくら

仮幻忌や蓮(はちす)あらしの青こだま
    「仮幻忌」は石原八束忌。故人の最後の句集「仮幻」にちなむ。

天柱に四方(よも)のくちなは吸はれ秋
 
 

(作者は、俳人。亡き石原八束の主宰した「秋」所属の有力な一人であった。身にひそむ鬱塊や微塵のとげを静かに見つめながら、重厚な表現力と微妙の幻視力で、おおきな世界をはげしく切り取ってくる句法には独特の個性が光り、一読して印象深く記憶に刻まれる。「湖の本」の読者。1.10.30掲載)



 
 
 
 

      特別な朝    村山 精二
 
 
 

   かつを

赤道からオホーツク海までただひたすらに泳ぎ回る魚
体長90センチにも及ぶ巨体をただひたすらに動かし続ける
速度を上げて 速度を上げて ただひたすらに

今でも一本釣りが正統なんです
イワシを撒いて ポンプで水を撒いて海面を泡立たせる
最初は餌のついた針で釣り上げるけど 釣れ始めたら偽物で
まあ なんて悲しい習性の魚であることか

不況の底は脱した
と経済企画庁の発表があった
ああそうですか
思わずニュースキャスターに返事をしてしまう
世間はそんなふうに動いているんだろうな
大樹の陰で暮らしていると見えるものも見えない
ただひたすらに速度を上げるだけである
研究を急いで 商品開発を急いで
シェアを1%でも速く

かつをが速く泳ぐことには理由があった
浮き袋が無いのである
浮力をつける条件は浮き袋があること
無ければひたすら速く泳ぐしかない
 

 地球の雲

風に吹かれて歩いていると
泡になって立ち昇っていくものが見える
空気を集め
等高線からくり出す風に押されて
天空をめざしている
あたたかく湿った泡は
やがて天の底に達し
うっすらと群になる

雲は物集めの天才である
風を集め
光を集め
音を集め
鳥を巻き上げ
水を吸い上げ
工場の煙を集め
自動車の生あたたかいガスを集め

雲は硫酸でできている
 

 特別な朝

新入生になる日のいそいそとしたきぶん
期待に胸ふくらませた社長の訓示
結婚式当日のどこか恥ずかしいはじまり
父親になる日
初孫を連れて行く実家への道
おじいさんの聞こえなくなった寝息
みんな朝だった

  もう金輪際酒なんか呑まねえ
  仮病つかって仕事サボるのもナシ
  うちに帰ったらテレビしか見ない
  なんて生活もついでに反省だ

なんど誓ったことか
でもみんな三日もたてば忘れてしまう
これから先もきっと
同じことを何十年もくりかえして
少しはまあるくなって

そんな普通に生きることを
前触れもなく断ち切られた人たち
利己主義な大人と傍若無人な若者だけの国
と思っていたのを考えなおした朝
五時四十六分
三年前も日の出はおだやかだった

       *三年前…一月十七日午前五時四十六分・阪神淡路大震災
 

 バカヤロー

面と向かって言われたのは
30年ぶりである

中学校の帰り道に隣のクラスの不良ども
5?6人に取り囲まれた
開口一番 バカヤロー
ふるえがくる怖さだったな

ふるえがくると言えば5年前
ヤクザに怒鳴られたことがあったな
海水浴の席取りでもめているところへ
ついつい口を挟む立場になって
バカヤロー てめえなんか引っ込んでろ
胸元の刺青をちらつかせて凄んだ時は
生きた心地もしなかった

ヤクザと言えば
強盗にバカヤローと言われた時は
情けなかったな
無銭飲食の男がナイフを振りかざして
行きつけのスナックにたてこもって
ママさんの手前
毅然としたつもりで店に入って行ったけど
内心は冷汗ものだったんだ
バカヤロー てめえ何しに来た
そう言われて
俺も何しに来たんだろうと思ったよ
そいつの身の上話を聞いているうちに
俺は東京から来たんだ
この台詞は情けなかったな
俺の親父と一緒の東北の出なんだ
7年前の話だ

思いだしてみれば確かに
バカヤローと言われたことは何度かある
しかし5歳の君に言われるとはな
かくれんぼはもう嫌だと言ったばっかりに
 

 いやな男

同僚とふたりでカウンターに座っている
雨のひどい夜である
薄い水割りが3杯目になって
4杯目はすこし濃くしてもらった

 バカヤロー フザケンジャァネエ
男が静かにつぶやいた
 オレヲ ナンダト オモッテルンダ
声がちょっと大きくなった
 アンナ カチョー ナンザ

いつもの調子になってきたな
だからこいつと呑むのはいやなんだ
いやなら一緒に来なければいいのに
なぜかいつも最後はふたりだ
 ウチノ ニョーボ モ ニョーボダ
眼がつりあがって呂律も怪しくなった
そろそろ引き揚げ時だが腰があげられない
こいつひとりで残すのもかわいそうだし
俺にグチを聞いてもらいたくて付いて来るのだから
放る訳にもいくまい
 ダカラ オマエハ ドウナンダヨ
ああ とうとう俺にお鉢が回ってきたな

雨はまだ降り続いている
濡れたズボンの裾は重たいままである
そろそろ終電が行ってしまう
おい 帰るぞ
グチはそのくらいにしておけ
本当におまえはいやな奴だな

ん? 隣にいたはずのあいつがいない
俺は最初からひとりだったのか
 

 牡 丹

危ないことは せんでくれ
久しぶりに帰省した息子へ父親がつぶやく
10年も前の話 と気付くのに時間がかかった

  日曜日の午後で街はにぎわっていた
  行き着けのスナックの前を通りかかると
  ママが勢いよく飛び出してきた
  手に牛刀を持って息を切らせている
  店に居直り強盗がいると言う
  牛刀を受け取り 店に入ってみた
  酔った男がナイフを手にわめいている
  男を座らせ話を聞いてやった
  やがて警官がやってきて男を連れ去った

  警察から何か言ってくるかもしれない
  と父親に伝えておいた
  背中に刺青をしている父親は正義漢である
  さすがは息子
  と期待したが  それは無かった

夫婦二人で広いだけの家に暮らし
テレビでボクシングを見るのを楽しみにしている
たまに訪れる孫に眼を細めているが
昔のことを唐突に話し出す
近所と争うことも絶え
弟分が足を運ぶことも無く
宙に眼を据えて話すようになった父親の
背中の牡丹は自分では見られない
 

 俗名松枝

死んじゃうかもしれない
と言って 本当に死んでしまったおふくろよ
もう三途の川は渡ったか

渡し守に渡した小銭で ついでに
プラスチックの人工弁を
あたたかい肉色の本物に代えてもらったか
小さな身体で ちょこまかちょこまか
働くだけ働いて生きてきたんだから
そのくらいは無理を言ってもいい
俺が許す

化粧はきちんとしているか
死ぬ間際はあんなに真っ黒になっちまったんだから
そのくらいはまともにやらんと
鬼にまで笑われちまうぜ

出来の悪い息子たちと
それに輪をかけて出来の悪い親父のところへ
後妻にきたのが運のつきだったな
よくもまあ四十年も我慢をしていたものだ
お人好しってのは
あんたのような人を言うんだろうな

死んじまった後の親孝行なんて
今さらきまりが悪いけど
墓石だけは人並みにしたからな
今度こそゆっくりしていってくれ
ところで
松操妙温尼上座
っていう新しい名前の着心地はどうだ
同級生の住職を脅して値切った戒名だ
俗名のほうが好きだけどね 俺は

俺たちを産んでくれたおふくろとも
うまくいっているか
あのおふくろもいい人だったから
ふたりで親父の悪口でも言いながら
仲良くやってくれ

あと何年かな
またみんなでがやがや暮らすのは
それまで 元気でな
 

 信 心

ある日玄関に見知らぬ女の人が立っていて
  これから私があなたたちのおかあさん
そう言われたときのときめき

小学生の俺が
小二の弟と三つにもならない妹をかかえて
メシの心配  くつ下のつぎあて
みんな無くなる!
学校が終わっても遊びに行けず
夜遅く帰る親父を待ちながら
米を研いで味噌汁をつくって
明日の弁当のおかずを考える
なんて生活はおしまいなのだ
廊下の雑巾がけだっておしまい!
(…かもしれない)

いるのがあたりまえ
と思っていたおふくろがいなくなって
たったの二年しかたっていないのに
ずいぶん長い時間が過ぎたようだ

おまえの新しいおふくろ  美人だね
と言われるのは気持ちがいい
おまえのうちは古いけどきれいになってるね
と家庭訪問の先生に言われるのは
もっと気持ちがいい

それからまたまた長い時間が過ぎて
いつの間にかあなたはずいぶん小さくなって
  うちの息子の言うことは正しい
誰にでも言い放つ癖がついてしまい
障子の向こうをうかがいながら
親父の悪口を小声でささやき
俺はそれを肴に酒を呑む

親父とふたりだけの生活が始まり
ハンカチもタオルも
四隅をきちんとそろえて畳む癖は直らず
女々しい小言を聞き流すことも
どうやら覚える歳になって
さあ  これからは余生
そう思っていた俺の手を握って
  あんたのおかあさんに逢ってくるね

新しい半坪の家の住みごこちはどうだ
たまには  柄にもなく
花でも飾ってやろうかと思っている
神も仏も信じない俺だが
今度ばかりは
信じてもいいような気がしている
 

 

まっとうな生きかたをしているのは妹だけである
ピアノを愛し四人の子を育て
日曜日にはキチンと教会に通う
旅先でも変わることはない

なんでも取っておく癖がついたのは
いつからだろう
旅行会社のパンフレット
数百枚の包装紙
おれはそうやってどうでもいいものばかりを大事にし
人生わずか五十年
をそろそろ越えようとしている

小学校のプールで
泣きわめくおまえを置き去りにし
自転車の後に乗せることを拒んだ
亭主にしたいと連れてきた男を
信仰をもつ男は軟弱だと言い棄てた

母親が死んで
二度目のおふくろまで亡くしたおれたちは
親父の世話で途方に暮れているが
おまえの信仰者としての義務感がなければ
この家族はもたない
家族なんて虚構だと
言い放つおれがいても

里子に出された下の妹を
十六年たって連れ戻してきたのもおまえだ
一晩中泣き明かして話し合っていたと
亭主がこっそり教えてくれた
おれがやるべきことを
業を煮やしてやってしまったおまえを
おれはただ
腕を組んで見ていた

大事なものと捨てるもの
見分けもつかずに
兄貴風だけは吹かし
長男の責任  なんてごめんだ
と家を出て
三十年が経ってしまったが
おれはまだ  おまえの手の中にいる
 

詩集『特別な朝』1999.5.20 山脈文庫刊 より
 
 

(作者は、詩人。日本ペンクラブ会員。電子メディア研究委員会で副委員長をお願いしている。詩誌「山脈」編集。)