電子書簡往来 2000 - 2001年
 
 
 

  千華萬趣 雁 信 1 2000年10月17日以降 2001年11月26日

      
      この頁には、折々の電子メールや、消息往来を(おゆるしを得て
      掲載します。不徳ナレドモ孤デハナシ。日付の新しいものを上へ
      上へ積んで行きます。署名は、概ね、省きます。

      事務・実務におわらぬメールの「表現」が可能なのでは、と。

      作業の円滑のため最近の分は「電子書簡往来 1」で 編輯し、
      2001年歳末分まで、「雁信1」に、2002年以降は「雁信2」へ、
      纏めて掲載しています。 
   



 

* 

* 祝「日本ペンクラブ電子文藝館開館」など。   心よりお慶び申し上げます。お知らせを戴き、 早速、島崎藤村の『嵐』をコピーしてみました。ご苦労を拝察し、本当にありがたい事と感謝しております。タイヘンダッタロウナアなんて、待ってただけのく せに先ずはほっとして、嬉しいかぎりです。
 「親指のマリア」上中下 ディスク送ります。
 「勘解由。身をいたわり、相変りなく勤めてくれよ」と家継に言われた時には・・涙が出ました。
 ひとのことは言えませんが、転倒は骨折につながり困ります。くれぐれもお気をつけください。


* 
お月さん  1.11.19
  すっかり日が落ちるのが早くなりました。空気が乾燥して澄んでいるのでしょうね。見惚れる程の三日月ですわ。
新聞に子供の発した一言の投書欄ってありますでしょ(今時の子供の名前ってスゴイのがありますわねぇ!)。
 花火大会で月の近くに上がっているのを見て、「見とってみィ。お月さんそのうち壊れンでェ!」というのが気に入っています。

* 願いを 1.11.19
  こんばんわ。流れ星たくさん見えています。犬が一頭吠え続けています。吉の兆しと思いたい。平和へ。きっとみなが星に願いをかけていることでしょう。


*  月が壊れる   1.11.19
 すっかり日が落ちるのが早くなりました。空気が乾燥し澄んでいるのでしょうね。見惚れる程の三日月ですわ。
 新聞に子供の発した一言投書欄ってありますでしょ(今時の子供の名前ってスゴイのがありますわねぇ!)。
 花火大会で月の近くに上がっているのを見て、「見とってみィ。お月さんそのうち壊れンでェ!」というのが、気に入ってます。
 

* エヤーバス墜落    1.11.13
 今回はテロと関連はないらしいと発表がありましたが、事故の墜落であっても多くの人の命を奪ったことに違いなく、ニューヨークの災難、二度ある事は三度 あるなんてジンクスを、こんな時には思わずにはいられません。わざと軽く躓いたりして、三度目の難を逃れようと、この歳でも子供っぽくすることを思い出し ました。もう当分、度肝を抜くようなニュースには出会いたくない心境です。
 グレーゾーンですか。インシュリンを使っていてその状態ですから、くれぐれもお大事に。
 

*  殺人  1.11.11
 狂牛病による不況も、たぶん原因の重きをなしていたのではないかと察せられて、胸が塞いでいます。
 食肉卸業者同士の殺人事件はお聞き及びのことと思いますが、殺した当事者(その場で自殺)が、勤務先の縁者なのです。その方を知っている先輩の同僚は、 いまでも信じられないことだと申しています。温厚で、いつも笑顔の腰の低い方だったと。殺された方は今日、そしてその方は明日のお葬式です。
 あらゆる方面に影響が出てくることを覚悟しなければ。流れのままに、とは思いますが、暗く、深いこの激流はいつ変化を見せてくれるのでしょう。
 

* 時雨のつくば     1.11.9
 公園に散り敷いた櫻紅葉をひそひそ時雨がわたっています。
 お目が、おくすりでよろしいという程度とうかがって、ほっとしております。わたくしも目医者さんからのおくすりで何とかしのいでいますが、無茶はいけま せんと言われております。
 鏡のお話、月輪観をおもいました。が、鏡になりきられるとおもうと、少し、こわく、少し、さびしい。
 観劇のごようすをうかがって、わたくしも国立劇場にゆきたくなりました。秀太郎の「小せん」、よいでしょうね。わたくしがはじめて見た小せんは、門之助 でした。花道を縄を打たれて曳かれてゆくときの、素足のさむさに涙したことを思い出します。
  朴落葉の溜めてゐる雨 足裏を濡らしてのがれし遊女もゐにけむ
  とほき祖(おや)にあそび女などのゐざりしや湯あがりのにほふ足の爪剪る
                                  香 魚
 

* 少し安心     1.11.7
  眼科の結果が、お薬で、ということですこし安心いたしました。じつは、私ももう三年ほど前からドライアイで眼科にかかっております。先日 も、私の前の ひとが、緑内障で手術と医師からいわれたのを控えの席できいたばかりでしたので、案じておりました。今日から冬と暦は告げております。どうぞ御自愛くださ いませ。
 

* サラマンカより   1.11.7
  予定通りスペインに何事もなく到着しました。
 今は、毎日スペイン語の語学学校に通っています。授業は全てスペイン語ですが、きちんと理解するまで教えてくれるので、私も一所懸命にやっています。
 食事もビールもワインも皆おいしいです。歴史のある教会や大学などの建造物がとても美しいです。もう少し語学の勉強が落ち着いてきたら、市内を色々回っ てみるつもりです。
 昨日の朝、マドリードで、バスク祖国と自由というテロ集団による爆弾テロがあり、警官が一名亡くなったようです。また、南の方では、洪水の被害があるよ うです。でも、私のいるサラマンカは今の所安全なようです。
 先生もお身体にくれぐれも気をつけて下さい。またメールします。
 

* 冬のはじまり      1.11.5
 日曜日、ゆっくり目覚めました。窓を開けると、大きな雪粒がたくさん降っていて、地面は真っ白。初雪。七ヶ月ぶりの雪景色です。あわててスノータイヤを 引っ張りだし、車も冬仕様に衣替え。その雪も午後にはすっかり融けてしまいましたが、半年近く続く冬のはじまりを、少し嬉しく、ちょっぴりおっくうに感じ ました。
 ご不調の様子、どうぞお大切に。講演がスムーズに進みますことをお祈りしています。maokat
 

* 弦楽四重奏のコンサートに行ってきました。     1.11.3
 22年前の”Rosamunde”にはかなわなかったけれど、弦楽四重奏の、”Rosamunde”のコンサートに行けたことで、充分でした。
 ミュンヘン時代に録音したカセットを見つけたら、そこから昔話になり、その後すぐ、夫が、弦楽四重奏のコンサートを探してくれたのでした。
 あの当時、私はまだ7歳、千葉もまた田舎の市原市に住んでいました。国鉄に乗るにはその1時間前に家を出て、千葉駅までさらに1時間電車に揺られるとい う、寂れた工業団地でした。
 そんな曇り空の団地生活で、ある日、母が私と兄二人を、クラシック音楽のコンサートへ連れて行ってくれることになったのです。昂揚と緊張で躍る胸を、父 の手前抑えても、まだ、ドキドキしていました。
 学校が引けてすぐ出発した私たちは、3時間の旅といえども、コンサート会場である日経ホールに、かなり早く着きました。そこで突然、母が「夕ごはんを食 べましょう」と言い出したのです。生まれて母と一度もレストランで食事をしたことのなかった私は耳を疑い、嬉しいよりも申し訳ない気持ちでいっぱいになり ました。メニューを前に何をどう見てよいのかわからず、それでも目だけは数字にいってしまう。結局、だれが言うでもなしに、私たちは一番安いビーフシ チューを食べていました。生まれて初めてのビーフシチュー!そのおいしかったこと!肉が入っていたかなんて、ぜんぜん問題ではありませんでした。
 食事の後ホールに入ると、なにやら母は、「演奏者への質問」を書き始めました。演奏の合間に、演奏者への質問コーナーを設けるというのです。司会者が、 集めた質問用紙の中から4、5枚選んで質問し、演奏者に答えてもらう、というものなのですが、選ばれた質問を書いた人はその場で舞台にあがって、演奏者の サイン入りのカセット(パンフレット?)をもらえるという、すてきなおまけがあるのです。一人一枚ということで、母は、私たち3人と、誘いに応えてやって きた東京の妹の分4枚を、せっせと書いていました。
 この幸運な二人目に選ばれたのは、なんと私の兄でした。内気な兄はなかなか立ち上がらず、私たちをはらはらさせましたが、舞台で演奏者の大男たちと握手 をしたときの兄は、うらやましいより誇らしい兄でした。そして、なんという運でしょう、最後の5人目に当たったのは、母の妹でした。慣れた足取りで舞台に あがり、堂々と握手をするバイオリン奏者の叔母を、どんなに誇らしく思ったか!
 生まれて始めてのコンサート、そうこれは、忘れもしないライプチッヒのゲバントハウス弦楽四重奏団でした。ひげもじゃのゲルマン大男たち(私の映像で は、なぜか彼らはひげもじゃなのです)が奏でる音色は、重厚でもの悲しく、いまだにあの深い響きは忘れられません。
 あのコンサートに、母はどんな思いで私たちを連れて行ったのでしょう。不機嫌極まりない夫を後に、往復6時間もかかるコンサートに、翌日学校のある小さ な子供二人を連れて行く、狂気!!。あの時の母は、必死以外の何ものでもなかったのだと思います。
 文化から断ち切られてしまいそうな自分たちの生活に、切迫していた。必死で自分たちの行けそうな、でも質の良いコンサートを探し、必死で子供たちを連 れ、必死で質問を絞りだして書いた母は、恐らく、楽しむ余裕もなく、必死で演奏を聞いていたに違いありません。
 18年間、幾度となくあのとき聴いた曲を思い出しました。メロディーは口ずさめるのに、曲名がわからない。どうにかして知りたい、そんな気持ちを抱き続 け、4年前ドイツ、ミュンヘンにやってきました。図書館に通い、懲りもせず弦楽四重奏のCDを4枚ずつ借りてゆく。そんなことを続けて、とうとう再会した のは、シューベルトの弦楽四重奏a-moll D804,op.29 Nr.1の”Rosamunde”でした。22年前、母と一緒に聴いた、ゲバントハウス弦楽四重奏団が奏でた曲でした。
 今年、バルセロナで最も素晴らしい演奏が聴ける演奏会の、会員になりました。
 好きな演奏会に自分で行けるようになったことの意味は、とてもとても大きく、母がここにいたなら、一緒に連れて行きたかった。手紙にそんなことをぽろり と書いたら、「かわいそうに。あの頃、もっと連れて行ってあげたらよかったね。」と返されたけど、あのひとつの演奏会にあれだけの意味を与えることのでき た母に、私は感謝の想いしかない。
 1年が10年がそして20年が過ぎて、何とはなしに思い出した事柄が、自分にこんなに意味のあるものだったと、ある日突然気づくときの驚きと感慨。一生 懸命すぎて、よく人を疲れさせた母だけど、それでも今は、素直に感謝できます。
 久しぶりに、思い出に耽りました。
 思い出に耽る理由は、ほかにもあります。

<この人は大学二年生で文学概論に出てきた頃は、毎日のように大学をやめてし まおう
<かと思い詰めていた。

 大学を何度もやめようと思ったことは忘れもしないのに、この文章を読んだとき、何 だかとてもドキッとし、ああそ うだったんだ、ああいう時があったんだ、苦しくて妙に懐かしい気持ちに襲われました。毎日が苦しくてたまらなかったけれど、ほんとうに大切な時代だった気 がします。
 * * * * *君は、あの苦しくて大切な時代のすべてでした。おかげさまで、彼のホームページを見ることができ、長年のしこりを少しほぐすことができました。元気で、 自分の好きなことをやっているのが、何より嬉しかった。彼と共にしたものはあまりに大きく、美しく、悲しく、深く、あの闇から抜け出せたのは、アルフレッ トに逢ってからだった気がします。
  今の私の生活は、動揺させられないほど満たされ幸せだから、* * *君に連絡をとってもいい気がするけれど、彼の幸せな生活を動揺させることにならないか、との思いもあり、まだ連絡していません。なんて思うのは、私の思 い上がりですね。* * *君、どのような感じでしたか?
  東工大の想い出に寄せて。
 東工大でできた友達、いえ作った友達と言ったほうが適切でしょうか、私にもふたりいました。“唯二の友だち”、一人は私の高校の親友と結婚し、一人は京 大の院へ進みました。* * * * *と* *、二人とも秦さんの「虫食い」詩歌を熱心に埋めていた学生です。そういえば、恒平さんも覚えていらっしゃるのではないでしょうか?次の話を。
 雨模様の朝、人気のない、あれは神護寺だか西明寺だったか、階段を昇っていくと、一人の青年が膝をついてカメラを覗いている。目線を上に追うと、そこに は母親らしき人が静かにたたずんでいた。なんて母親想いの青年、なんて優しい風景、そっと足を止め息をとめたら、立ち上がった彼がこちらを振り返った。そ の青年は、なんと* * *ちゃんだった。
  その彼が、今年7月14日、京都で亡くなりました。祇園祭の宵山が、ちょうど彼の告別式の日になりました。サイエンスに携わる者にとって一番の成果であり 誇りである、雑誌natureに論文が載った矢先のことだったそうです。肝臓癌とわかり、手術から肝機能不全に至るまで、あっという間だったらしい。
 なぜ、あの彼が。と、同時に思い出されるのが、あの風景なのです。息子のまなざしにやさしく応えていたあの母親。一人っ子で両親にすごく可愛がられて る、と自分でヌカしていたくらいだった。* * *ちゃんの孤独な闘い、死なれた両親の悲しみを思うと、胸が苦しくて、痛い。
 前回も、今回も、恒平さんへの言葉もないまま、ひたすら書いてきた気がします。伝えたいことがありすぎて、と言うのはよい言い訳で、ひとは結局、誰かに 聞いてもらいたい、知っておいてもらいたいのですね。井上靖の「猟銃」にもあるように。
 秦さんが、東工大の元学生たちと、いまだに膝をつき合わせているのが、とても嬉しいです。
 スペインへ行くのが夢だった少年、今ごろスペインに向かっているでしょう。驚嘆、落胆しながらも、満足のいく1年をすごして欲しいです。どこからそうい う力が湧いてくるのか、こういう話を聞くと、素直にすごいなあ、と思います。* *子
 

* Trick or treat    1.11.1
  ベランダから川面は見えませんが、川霧かと思う朝の景色。蛇口から出る水がすっかり冷たくなりました。穏やかに晴れた昼下がり、雀は日向ぼっこの誘惑にか られましたわ。ふさふさの尻尾があったら、くるりんと丸まって、あの日溜まりで日がな一日うっとり過ごしてみたい。
 昨夜のような晴れた月夜に黒猫になって歩き回ったら、魔法のひとつも使えそうでしょう? ハロウィーンの夜をいかがお過ごしでらっしゃいましたか。キッ チンに、食べられることのないままカボチャが転がっていますの。一陽来復を祈って、冬至にふかして食べることにしましょう。
 

* アルジャジーラ   1.10.30
 TVの「素晴らしかったですねぇ」という声に画面を見ると、名古屋からの生中継。慌てて窓に駆け寄ると、夕焼けが燃えるように赤く、つかの間で消えまし たわ。
 さて、CS放送のBBC,CNN契約数が急増しているそうです。NHKニュースはひどい出来だし、一応、民放も少しは見ますが、雀はこのテロ以来、 CNN,BBCを中心に見てましたの。ですが、事件当日からの数日間はともかく、ブッシュ、ブレアのように、仲良し報道になっていては意味がないでしょ う。アルジャジーラは無理だとしても、中国、ロシアなどのニュース番組を見てみたいわ。呟雀
 

*  戦争体験の有無   1.10.30
 うまくいえないのですが、戦争と死という極限の状態を経験した人と、平和と衣食住足りた生活にひたっている人は、ものの感じかた、考え方の深さ 厳しさ が、自ずとちがってくるでしょうね。
 満ち足りた半世紀に 今、しっぺがえしが来ようとしている気がします。「唖の娘」のつくりあげた「人間魚雷」にまた載せられるときが迫っているよう な・・・。
 

*  葛城の風の森  1.10.30
 寒中にここに一人で立っていたら、あっという間にフリーズドライになりそうな、葛城の「風の森」。
 一人、高天彦神社の美しいご神体山を背にして、重なりあう大和の山々を見下ろして、(本当に誰もいない葛城の道でしたわ !) 「全部俺のものだァ !」なンて、豪族って、こんな気分でいたのかしらと雀は想像しましたの。ですが、同時に、山岳地帯の戦いを熟知したアフガン兵の前、にソ連が撤退し、今 回、米英の「精鋭」部隊も苦戦しているニュースが「土蜘蛛」と重なり、苦い思いがしましたの。囀雀
 

* 葛城や   1.10.27
 御所(ごせ)駅から葛城の径を三時間歩いてきました。なかなかキツくて顎が上がりましたわ。途中で見つけた菓子屋のお饅頭が、餡たっぷりで形は、大和三 山のようにかわいらしく、道道食べながら雀はゴキゲンでした。人のいない道で、明るい秋の日差しなのに、どこか悲しげでした。
 高天彦神社は諦め、土蜘蛛の塚や九品寺、京の上下の賀茂のお宮の総本宮、高鴨神社を訪ねました。日陰にあったお地蔵さんのところにきた瞬間、ひんやりと 別世界に紛れ込みました。藪のなかにひとつ実っていた烏瓜の赤が、目にしみました。囀雀
 

*  ファイアウォール  1.10.27
 McAfeeは使ったことがないので、確かなことは言えませんが(また警告が出たのは)やはりかなり危険な状態だと思います。
 ファイアーウォールというのは都市を囲む城壁のようなものです。城壁が破られていないかどうか、守備隊が定期的に点検し、ソフトによっては修復してくれ るものもあるようですが、その定期点検で抜穴が見つかったということでしょう。
 潜伏期間ということではなく、穴が開いているという警告ですから、抜穴をふさがない限り、定期点検のたびに警告が出ると思います。
 問題は穴がどうしてあいたかです。原因は行儀の悪いソフトが間違って穴を開けた、外からの攻撃、内側からの攻撃という三つのケースがあるでしょう。
 外からの攻撃にファイアーウォールが易々と破られるというのは考えにくく、内側からあけられた可能性の方が高いと思います。
 内側からというのは、城壁を築く前に、山賊のアジトが都市内部に作られていたか、メールなどでウィルスが忍びこんだかして、出撃のための抜穴を作られた ケースです。この種の内側からの攻撃手段をトロイの木馬といいます。
 山賊が活動する際は、一台のコンピュータを秦さんとネットの向こうの犯罪者が同時に使うことになるわけで、動作が通常よりも重くなることもあるようで す。
 いずれにせよ、なりすましを防ぐために、パスワードを変えるぐらいはやっておいた方がいいです(トロイの木馬なら、変えてもまた盗まれますが)。
 御心配なら、テキストだけをバックアップして、ネットワークに繋がったコンピュータ全部を真っ白にし、インストールし直した方がいいでしょう。
 不安をあおるだけの結果になってしまったかもしれませんが、あの警告は無視しない方がいいでしょう。
 

*  今の世   1.10.26
 (今)の世を蔑(なみ)するほかにすべ知らぬ、戦後の民のひとりか。われも
 蔑(なみ)するべき世は、今の世だ、という判断です。
 確かに、今の米国とも違う雰囲気で、過去に戦争へ突き進んだそういう「世」もあり、それこそが、蔑まれてしかるべきかも知れません。しかし、戦後の民で ある私は、今の世よりも本当に、悪い世だったのか自信を持って言えないのです。戦後とあるので、戦争に絡めてその前をひくのが正論だったのかも、とも思い ますが。
 もう少し言うなら、おそらく私は、戦後の民、ではなく、高度成長期以降の民、あるいはバブルの後のオトナ、かと自覚しています。ここで歌われている戦後 の民、とは、同じ気持ちは持てていないと思います。
 

*  湖とネットと文学  1.11.25
 「私語の刻」を読みますと、秦さんお疲れのごようす、心配です。
 秦さんの電子版湖の本や、「e-文庫・湖」は、さらにまた今度の電子文藝館も、優れた文藝に触れるよい機会です。
「ばかなことをしている」だなんて、とんでもない。秦さんの「湖」は拡がっています、わたしのひと雫の加わるのがゆるされるならば。
 ネットで小説を読めるようになることは、市場のニーズにかなっていると、わたしは思います。読みたい本を書店に注文すると「品切れです」という回答ばか り返ってくる昨今ですし、図書館でも、全集の類いは奥に整理されてしまう始末です。本が売れないという現状において(売れないのは本だけではありません が)、まず人の目に触れることが大事だと思います。それが手許に置きたいという購買欲につながってゆくと思うのです。優れた文藝は消耗品ではありません。 折にふれて味わいたいものですからね。
 音楽CDだって、聴いたことのないものは買いません。ラジオでかかっていたり、映画の挿入歌になっていたり、テレビで見たりしたものを、いいな、と思え ば買います。これって、極めて一般的な消費者の意見だと思うのですが、どうでしょうか。
 高史明さんの「いのちの声がきこえますか」は、大きな問題を明晰に明解に論じてあって、わたしにはとても興味深いものでした。わたしがいいと思っても、 人はまた違うということはわかっていますが、あんまり示唆に富んだ論だったので、近しい人に紹介しました。ひとりにはテキストデータで、もうひとりにはプ リントアウトをして。夏前のことです。未だ何のレスポンスもありませんけれど、彼らが読みたいと言ったわけではなく、わたしが勝手に渡したので、仕方あり ません。いつかふと思い出して読んだときに、何か感じてくれれば、それでいいかな、と思っています。
 それと、こちらは「何か読みたい」と言った友人あてに、秦さんの「蝶の皿」と三原誠さんの「たたかい」、「白い鯉」を送りました。「面白かった」とひと こと返事がありました。釣り好きのその友人は、「白い鯉」を読んでふつふつと釣り熱がわき、次に開高健を読んだそうです。ま、いいかな、と思っています。
 文藝館の岡本かの子は、やはり「老妓抄」でしたか。代表作ならそうでしょうね。わたしは「鮨」という小さな作品が好きです。これを映画にするなら配役は 誰で、フラッシュバックはこんな風にして、などと考えてしまいます。
 きのうは「陰陽師」という映画を観ました。原作も漫画もテレビドラマも未見で、予備知識なく観ました。久しぶりに映画館へ行きましたが、さしたることも なし、野村萬斎さんのいい声と姿勢のよさだけが見どころでした。萬斎さんがジャパンアクションクラブ出身の真田広之さん相手に、機敏な立ち回りを演じたと ころはなかなかで、萬斎さんを観に行っただけのわたしは満足でした。
 平安のお話でしたが、現代劇を観ているようでした。”そこはそういう抑揚で言うんじゃなくって”などと心の中で役者に注文をつけながら、観ていました。 しまいには”顔が平安時代じゃない”とまで(これは無茶かな。でも「L.A.コンフィデンシャル」というアメリカ映画で、キム・ベイシンガーが、1950 年代の顔をしていたという例もありますから)。
 鬼やもののけに妖しく怪しい感じはありませんでした。「清経入水」を読んだ者としては、蛇や鬼を描くならば、という気持ちは禁じ得ません。あからさまに CGを多用して、サイコキネシスエンタテイメントにしたかったのかも知れませんが、過剰なのは、かえって希薄な印象を与えますね。
 安倍清明や陰陽道はたいそう人気があり、いろいろなところでとりあげられていますが、あやかしあやかしと、しつこく言われると全然あやしくないですね。 過剰な表現は禁物、と自戒を込めて。
 前回のメールで気弱なことを申しましたが、わたしは元気です。できることがあったら、いつでもお手伝いします。デジタルプリプレスの仕事に携わる者のは しくれとして、校正の難しさは身にしみているので、絶対間違えないとはなかなか申し上げられませんが、こんなわたしでよければ、遠慮なくおっしゃってくだ さいね。またぽつぽつ書いている文章を見ていただくための余裕を、秦さんにとっておいていただきたい、ということもありますので……。
 わたしは秋の花粉にやられていますが、秦さんは大丈夫ですか?
 

* からすの行水    1.10.24
 ご覧になったこと、おありでしょうか。
 わたくし、今日はじめて見ました。
 近くの公園の端のほう、松やくぬぎなどが、ちょっと森めいた感じに植わっていて小暗いところがあります。そこにできた水溜りで、からすが二羽、水を浴び ていました。
 何度も、浅い水に身体を浸して身体をふるわせては、立ちあがり、羽ばたきをして、ひかるしぶきをあたりに散らしていました。木洩れ日に、濡れたからすの 漆黒が、折々、つやつや玉虫色を帯びてひかり、「髪はからすの濡れ羽色」、それは
それはうつくしい見ものでございました。
 そばでいっしょに眺めていたお掃除の老人に、よく見られることかと聞いてみましたところ、「からすの行水っていうけれど、見たのは初めてだ」と言ってい ましたから、めずらしいことなのかも知れません。諺とはちがって、ていねいなものでございました。
 からすの飛び去ったあと、櫻落ち葉の浮いている水溜りのふちを、きじばとやそのほかの小鳥たちが何かをついばんだり、水を飲んだりしていました。
 たいへん、お忙しくしていらっしゃる先生に、のんきなおしゃべりをしてしまいました。
 やっと、目の調子が少しよくなり、「ぎしねらみ」を読みました。ふたりの少年の心のふるえに、心ふるえました。
 ただならぬお仕事の量、ただならぬお疲れのごようす、ただただ、お案じ申しあげるばかりでございます。
 

*  テクニカルの向こうに   1.10.22
 秦先生 こんばんは。昨日は鷺宮まで足を運んでいただき、どうもありがとうございました。初めての担当作品で、目の行き届いていない部分もたくさんあ り、お見せするにはためらわれたのですが、見ていただかなければ助言も得られず、それによる成長もありえないと思い、見ていただくことにしました。
 会社の人からの批評はテクニカルなものが多く、「そのテクニカルなものが何を表現するためにあるのか」といった話題には至りません。つまり、ものそのも のの納まりは評価できても、コンセプトの実体としての建築への納まりの話題にはならない事が多いのです。
 私としては「うまく納まっている」ということの向こう側に見える「何か」に、興味を持ちたいし、持ってもらいたいと思っているので、これからも、その 「何か」がもっと見えてくるような努力を続けていきたいと思います。
 先生の、色に対する批評が、自分の意図したとおりの指摘であったことは、自分の自信となりました。
 今回の色の選択は、素地色を使うというものとしていました。金属であれば素地の銀、塗装済みのものは色あわせをし統一する、建物全体は好き嫌いの出る強 い色を使わず白とする、といったように素地色を選ぶことによって、建物全体が生活の素地となっていくことを意図したのです。また、これらのことが、中庭の ウッドデッキの木質とゴシキナンテンの緑をより一層ひきたてることになったと思います。
 「自然」というものをどう扱うかは難しいですが、今回は、抑制された色が自然との対比を作り出し、より大きな全体の構成を成功に導いたと感じています。
 次回の作品においては、より大きな環境にも目をやり、かつ小さなところにも優しさを持ったデザインのできるよう努力していきたいと思っています。
 夜の食事もたいへん楽しくいただけました。 本当に、どうもありがとうございました。 柳
 
 

*  関心  1.10.22
 昨日から雨が降り続いています。午後、友達から電話があって長い時間彼女の人生相談に乗って・・人を元気付けたら、何だか自分がとても疲れてしまいまし た。テレビの画面はテロ以後のアフガンやパキスタンのことを放映しています。常に関心を持ちながら暮らしています。
 お忙しそう、睡眠時間を確保して無理なさいませんように。大切に。
 

*  老境  1.10.22
 今朝は初めてストーブをつけました。
 目覚めても、いつもならぬくぬくとお布団から思いきりよく抜け出せない、毎日が日曜日の我が家も、早立ちの人に合わせて六時にとび起きました。
 今日は一日私の時間です。
 永く永く何人分かの食事の用意が頭から離れる事がなく、まだ食材をやや買いすぎで、嫁いだ子が冷凍室を覗いてびっくりしていますが、それが楽になってく ると、皮肉なもので体調が比例して退化しています。老化症状(というのは妹が同じ症状で、私は放っていましたが、彼女は医者に看せています。老化で内臓が 痙攣をしているそうです。)に悩ませられます。ホンの十分位ですが、蛇が胃裏でくねくねとのさばっている様で痛みを伴い、呼吸器が押されるのか息苦しく、 あの足の攣れを少し軽くしたような痛さで、なんとも異様な症状です。
 忘れた頃に現われていたのが、この処続きました。昨夜中はソレが現れ、落ち込みが重なりました。悲しいかな「老化」と「ナニ」につける薬はないのです ね。覚悟で付き合います。ドンマイ。馴らされて、苔むしてきました。何時綺麗になるかなと思っています。
 夜中の訪問者のおかげで、珍しく朝ご飯はまだなの、お腹が空いてきました。
 今晩十一時から「夢伝説」マレーネ・デイートリッヒがあります。
 自然に逆らわず、穏やかに流れたく想うこの頃です。あれこれ強がりを言っても、何が起こるか分からない歳と、切実に想うのです。元気にしています。
 

* 退職  1.10.21
 とても涼しくなりました。お変わりありませんか。
 わざわざ、メールいただきましてありがとうございました。演奏会は、また是非機会がありましたらご連絡させてください!
 仕事は、12月中旬で退職することにしています。
 ****は、研究所がたくさんある地域ですが、そこで、実験の助手などのアルバイトをたくさん募集しているようです。しばらく主婦を満喫して、4月くら いから定時で帰れるような仕事を探そうかと思っています。
 彼は11月から仕事が始まりますので、引越しや各種手続きに追われていますが、元気にやっています。 
 ****は緑が多くてとてもよいところです。散歩やサイクリングを楽しもうと、今からわくわくしています。
 先生も、相変わらずのご活躍のようですね。急にがくんと寒くなるときもありますので、くれぐれもお大切になさってくださ
い。 それでは。   
 

* 秋たけなわ     1.10.21
 短い尾を曳いた飛行機雲の消えたあとには、爪のような月。薄い枇杷色からブルーグレーへと暈し染めにした、シルクシフォンのような夕暮れでしたわ。
 朝夕の冷え込みがキツくなりましたね。晴れた朝、窓を開けて見る山の景色はそれはもううっとりする程ですけれども。
 鼻や喉を痛めないよう、お風邪など召しませんよう、どうかお大切に。
 

* 越乃寒梅   1.10.20
 そんなによろこんで戴いてうれしいかぎりです。新潟出の女房が手に入れてくれました。
 月を眺めてひとりで飲む、なんてぇのは、ほんとに羨ましいです。飲める人、尊敬します。
 只今「あやつり春風馬堤曲」で、蕪村を尊敬しています。辞書見て地図見て遊んじゃってます。「浦島朋子」さんのようにはいきませんが、おじさんも宿題? やってみました。座興に提出してみます。酒、まずくなったらごめんなさい。

 ウマレタ村ヘ一日ガカリ/ 川ヲ渡ッテ堤ヲ行ッタ/
 クニニ帰ルトイフ女/ 後ニナリ先ニナリ/ ハナシモシタ/
 姿モイイシ/ ナントモカワユイ/
 ソレデナ/ 女ノ気持デ歌ヲツクツタ/
 ココハ摂津ノ毛馬村辺リ/ 名付テ春風馬堤曲/

 寒くなって、炬燵を入れています。お大事にしてください。
> ---。湖 
 いいサインですね。
 

* 雨のち秋日和  1.10.19
 きのう、冷たい雨とつよい風の中を、「信濃の一茶」を観てきました。あるグループの企画で、半分おつきあいで行ったのですが、どうということない芝居で した。
 役者ではとぼけた味の島田正吾、新派の女形の藝を見せる英太郎に、心がひかれました。老いても枯れるどころか、俗臭ふんぷんたる一茶を、コミカルな味つ けで見せようというもののようでしたが、観終えたあと、先生のおことばを借りれば、「ほっこり」した気分には、なれませんでした。
 芝居のあと、グループの人たちには失礼して、ひとりで銀座に出、旭屋で『元気に老い・自然に死ぬ』と、『斎藤史歌文集』を求め、プランタンでハーブ ティーを買って帰ってきました。せめて「先代萩」だけでも観にゆきたいと、先生の歌舞伎座の観劇記をおもいだしながら。
 先日、京都にゆきました折り、月輪観の行のときのものらしい、掛物を見つけました。
 随心院の、あれは境内の外なのか、はずれなのか、百夜通いの伝説の榧の樹のほとりに、大ぶりの箪笥ほどの、お堂めいたものがありました。中に、神鏡とも 見えるものがくらい光を放っている――。こわごわ、さし覗いてみましたら、壁に、掛けものがかけられていました。縦四十五センチくらい、幅三十センチくら いで、漆黒といいたい黒い地に、銀箔をおいたのでしょうか、大きな銀の円がにぶくひかっていました。小さなお堂も掛けものも、ごく近年のもののようでし た。ここで、そうした修行をなさる方が、今もいらっしゃるのでしょうか。
 その銀の月をみているうちにふらふらしてしまい、そーっと離れてきました。
 「炭疽菌」のこと、恐ろしうございます、飛行機激突テロどころでなく。
 足音を殺した忍者のような刺客が、世界中にちらばっている気がいたします。さっきすれ違った、顔も気配も記憶に残らぬ一人の手から炭疽菌が撒かれている かもしれない――。滅びへの速度がにわかに加速したような。
 きのうの雨があがっておだやかな秋日和になりました。プランターに、数珠玉がどっさり稔りました。二年前、廣澤池、遍照寺へまいりましたときに、拾った 幾粒かが増えたものです。
 たいへん、お忙しくて、お躯にも無理を重ねていらっしゃるごようす、どうぞ、おたいせつに。
 同人の冊子を送らせていただきます。目の調子がよくないのと、つまらぬ雑事にふりまわされ、あげく、何もする気が起こらなくなって、くにゃんとなってい たりして、だいぶ、遅くなってしまいました。 
 

* スペインから挨拶を   1.10.17
 秦恒平さん。 この夏にコンピューターを買い、再びメールが使えるようになりました。
 恒平さんが湖の本を送ってくださったこと、母から聞きました。本自体まだ私の手元に届いていませんが、ありがたく読ませていただきます。湖の本をようや く自分で購入できる身になって初の本、私にとって特別です。郵便が、無事届いてくれますように。
 アメリカで起こったこと、想像を絶する出来事でした。にもかかわらず、この地で私たちと周辺がまず思ったのは、
 「今起こったことより、これからブッシュがやろうとすることの方が恐ろしい。」
 残念ながら、懸念が現実のものになりつつあります。
 恐ろしいのは、アメリカの国民の90%以上が、アフガニスタンへの攻撃に賛成し、それを正義のためと考えていること。
正義のために闘っていると信じきっている人間ほど恐ろしいものはない。(アメリカの死刑制度も、もしかしたら、これらの正義に支持されているのかもしれな い、そう思い到ったら、背筋が寒くなった。)テロリストを正当化する気持ちはさらさらないけれど、恐らく彼らの大半も、彼らの正義のために闘っている、と 信じきっていたのではないだろうか。
 世界はいつも、アメリカの都合でまわっている。
 武力行使を憲法で禁じている日本に向かって、アメリカのために戦わないと公然と非難する。一昔前、かのビンラディンを軍事支援し、タリバンの勢力増大を 助けたのはアメリカだった。ソ連占拠後のアフガニスタンが、タリバンに政権略奪された結果、アフガニスタンの人々の生活から、自由が、教育が、音楽が、文 化が、極端に奪われ、途方もなく苦しい生活が強いられてきたことを、アメリカという国はどんな正義で言いつくろえるのか。アメリカの国民はタリバンを育て たのがアメリカだと、まさか知らないわけではないでしょうに。
 アメリカはいい。自分たちの大統領を、政府を、自分たちで選べるのだから。アフガニスタンの人たちは、それすらできない。押し付けられた独裁政権の下で 苦しみ、挙句の果ては、「ビンラディンが、タリバンが、いる国」と言う理由で、攻撃される。苦しむのは、いつも弱い市民。理不尽ではないか。
 アメリカがこれまでイスラム社会に落としてきた、例えば1ヶ月あたりの爆弾数、それによって失われた無垢な命の数、悲惨な生活にあえぐ人々の姿を、アメ リカの人々は知らされているのだろうか。それがどんな正当そうな理由のもとに行われても、罪のない人間にとっては、それは理由もなく殺されたことにしかな らない。マンハッタンで亡くなった人々のように。
 ニューヨークのマンハッタンで働いていた人間の命が奪われることは許されず、貧しさで生きていくのが精一杯な人間の命の奪われていることは、知らず知ら されず、しかも国民としてそれを許してしまうのか。罪なきイスラム教徒の命の奪われるのは、非難しないのか。アメリカは、あまりにもinnocentだ。 自分たちがしていることを、わかっているのだろうか。
 世界がテロリストの思惑に落ちている。アメリカの報復は、アメリカへの憎しみを掻き立て、今までそうでなかった人間すらをも過激な思想に導いている。失 うものもないほど貧しい彼らの国が、地が、生活が、(彼らにしては)理由もなく、さらに破壊されてゆくのを前にして、どうして、アメリカに憎しみや反発を 感じ得ないでいられるだろう。
 彼らは恐怖におびえ、アメリカをテロリストの国と信じ、復讐を誓う。
 アメリカは新たなるテロを警戒し、アメリカ国民はその恐怖に脅かされる。
 どこまで走れば、気がすむのだろうか。核兵器を持つパキスタンにクーデターが起き、反アメリカ政権が誕生するのも、時間の問題かもしれない。
 この事件では、メディアから受ける影響の恐ろしさを、つくづく感じた。日本、アメリカ、ドイツ、スペイン、フランス、イギリス間ですら、ニュースや新聞 での取り上げ方は異なった。自国の都合の悪いことは触れないにしても、その国その国で、見る角度、注目すること、取り上げ方、知らされる内容が違う。だか ら、それを受ける国民間にも差が生じるのは、当たり前なのかもしれないけれど、私たちはみな、ほんの「一握り」知らされてきたことを「すべて」と信じ、善 悪を判断してしまうかと思うと、やけに恐ろしかった。
 それにしても、アメリカにこんなに気に入られようとしている日本のザマは、嘲笑を誘うほどで、見ていて情けない。
 この事件で、あれほど騒がれていた外務省のスキャンダルは、陰に隠れてしまった。会計に携わる現地職員の話からすると、此処は、それ程ひどくないらしい (つまり、ある)。彼らが時折催す配偶者も含めた食事会は、最近そのレストランの格をワンランク落とし、一人当たりの奨励額7000pts(感覚的に 12000円ほど)ぴったりで済んだ、と感心していた。
 彼らの、地に足をつけられず中途半端で退屈な生活を見ていると、外交官にならなくてよかった、こう虚しい生活では、せめて高い給料でももらって贅沢な生 活でもできないとやってられないだろうと、そう思っていたから、給料、待遇の差も大して気にならなかった。でも、こう金銭スキャンダルの内情ばかり聞く と、満足していた自分がほんとうに馬鹿に見えて、意味のないことと分かっていながらも、自分の給料を円に換算せずにはおれない。
 私の年収は130万円に満たない。スペインでの事務職の平均に達するか、ぐらいだ。現地職員の給料の1.2?3倍の住宅手当をもらいながら、文句言い言 い、私たちに家探しをさせる人、何かにつけ「安い!日本じゃ、、、なのに」の話をする人。比較的人間関係がうまくいっているから、「無神経な人たち」ぐら いで済んできたけれど、それも最近、神経に障りだした。皮肉にも、外務省非難の風に当たるのは、窓口に出る現地職員。外務省改新(改心)アピールのため、 窓口受付時間延長の指令が出れば、そのために働くのは現地職員。仕事は楽しいけれど、ずっと続けていけるものではないな、と思う。
 いずれ日本に住むことも、二人でよく話すけれど、目下自分は何をしたくて何ができるか、いつも念頭におきながら、自分に磨きをかけています。
 とにかく、よい日々を送っています。恒平さんはいかがですか?インターネットも使えるようになったので、また秦さんのホームページを訪れたいと思ってい ます。それでは、またすぐ。
 

* 周りの目   1.10.17
 秦先生 秋真っ盛りという感じのお天気ですね。一年で一番好きな季節です。空が高くて、空気がひんやりとしていて、息を吸い込むと鼻の中が冷たさでつー んとする感じがとても好きです。つい一週間くらい前までは、金木犀の匂いもしましたね。トイレの匂いといって嫌いな人も多いですが、ぼくは大好きです。懐 かしい気持ちになります。
 さて、昨日一級建築士の実技の試験がありました。今年で終わりにしようと、かなり頑張りました。模擬試験等も合格圏内にはいっていました。まだ、最終的 な結果はでていませんが。
 周りを気にせずゆっくりやろうと思います。ただ、周りを気にせずというのはけっこう難しく、考えてみれば自分は小さいころから、人との比較の中で生きて きたように思います。自分で決めて、自分の考えで動いているように見えたことも、実はけっこう人との比較の中で決めてたように思います。
 組織の中で、周りの目を気にしないでこつこつやっていくことは僕にとってけっこう難しいことに思います。ただ、そういうスタンスも持たないと、このまま じゃダメになりそうな気がします。周りとの比較でしか物をみれなかったら、とうぜん仕事だって中身のあるものにはならないですよね。
 考えてみれば、学生の頃専攻の教授からいわれたこと、以前先生にメールでしかられたことも、結局同じことだったように思います。30に手が届くころに なっても、結局変わってないんだなあ、と思うと、寂しいです。今はほんとうに考え方を変えて行かないと、自分が苦しいだけだな、と思います。変えていく過 程も苦しいとおもいますが。
 とりあえず試験が終わったので、発表まではゆっくりします。
 先生から送っていただいた本もちょっとしか目を通していないので、ゆっくり読みたいと思ってます。
 

* Sold Out    1.10.16
 身の回りからだんだんなくなる、「売り切れ」。蕎麦屋、寿司屋、菓子屋などの売り切れ御免、米、味噌など一年に一度しか作れないもの。名残の茶もそうで しょう?
 「在庫にせず品切れにせず」がビジネスでしょうが、いつも消費と供給が一致するはずなく、余った物は? 足りないときは? と考えると、いつでも同じ物が有って「売り切れのない日々」の不自然さも感じます。自然の産物も、人の手で作るものも、機械で作るものにも、限度というも ののあるのを忘れて過ごしていますわね。囀雀
 

* 霜降まぢか   1.10.16
 ご機嫌はいかがでしょうか。
 今日、名張で「恋重荷」(九郎右衛門、宝生閑)「千鳥」(万作、萬斎)が上演されます。すぐ近くのホールですが、切符があっと思う間に売り切れましたの よ。見ることができませんの。観阿弥ゆかりの地という事で「移動芸術祭」の会場に選ばれたそうです。
 師走、木挽町の「源氏」は、末摘花:勘九郎に、光の君:玉三郎。「妹背山ー道行・御殿ー」は、お三輪:玉三郎、橘姫:福助、求女:勘九郎、入鹿:段四 郎、鱶七:團十郎、豆腐買おむら:猿之助との事。
 早いもので霜降も間近。くれぐれもお大切になさって充実のお仕事お続けくださいますよう。囀雀
 

* 処女作  1.10.15
 おはようございます。ホントご無沙汰しております。
 まず、湖の本ありがとうございました。もとの本もいただいた覚えがありますが、今回のをまた読み返しております。学生時代に感じなかったことを発見して います。
 もう前になりますが、先生に、「先生と呼ぶことはない」と言われましたが、未だ「先生」と呼んでしまいます。私も既に社会人となり、先生も先生をおやめ になって長くなりましたので、そろそろと思うのですが、なかなかその気になれません。これは甘え以外の何ものでもないように感じられますが、お許しくださ い。
 ゼネコンでは設計事務所の設計者及び建築家の人々を「先生」と揶揄して呼ぶこともあり、最近の私にとって良いイメージがないのですが、私は彼らにそのよ うな呼び方はしておりませんし、先生と呼べる人も少なくなってきている私の周辺の状況も含めて、当分の間、先生と呼ばせてください。
 さて、私が担当しておりました集合住宅(=マンション)が、9月末に竣工し、建築主の方へ引渡されました。私の初めての竣工した実作となります。法規や 近隣問題、現場とのやり取り、コストなど、学生時代では関係ないようなこと、コンセプトと、現実に立ち上がる空間との差異など、いろいろ学びながら竣工さ せた思い出深いものとなりました。
 つきましては、是非、先生に見ていただいて、感想などをいただきたく思います。私が案内いたしますので、お時間の都合をつけていただければ幸いです。私 の方の都合は、極論をすれば平日でもかまわないのですが、週末のほうがありがたいです。今週末でも来週末でもいつでもかまいません。もっと、わがままを言 えば今週末がいいです。お考えください。
 また、先生に話を聞いてもらいたいこともあります。
 自分の心がとても騒ぐことがありました。正直に言いまして、恋の悩みです。自分で先生に「相談に乗って欲しい」と書こうとして、「そうではない、話を聞 いてもらいたいだけじゃないか。先生にこの状態の論理的説明をしてもらいたいだけではないか」と感じました。しかし、それでも、聞いて頂きたいのです。い や、このようなことを書いておきながら、お会いしてそのことを一切お話できないかもしれません。勝手な私をお許しください。
 上記二点の件で、是非先生にお会いしたく思っております。よろしくお願いします。
 

* ハッカーの裏口づくり   1.10.14
  >>私の機械にハツカーが 入って「裏口」を作ったらしい恐れありと
 ADSL等の常時接続ではよく伺う話です ねえ。
 裏口というのはおそらく、ルータの FireWall設定が壊されちゃったってコトだろうと思います。でもひょっとしたら、FireWall(あるいはウイルス感知ソフト)に「謎のファイ ル」が引っ掛かっただけかも……。
 まずはルータのFireWall設定を見 直して、何か異常があったら直すか、もう一度イチから設定し直すのがよろしいかと。(今いろいろ調べてみたんですが、これ!という解消法が捜せなかったの で、抽象的なことしか書けなくてごめんなさい……)
 >>いっそパソコンなんてや めちゃいますかね。
 んもぅ先生〜〜!(笑) 
 こんなのに負けてやめちゃうなんて悔しい ですよ。続けましょうよ。私なんか「もしハッキングされたら逆ハックしてやる!」ぐらいの勢いでネットしてますよ。私だけでなく、教え子さんや機械に詳し い人たちもきっと応援しますから、できることから少しずつ……ね。
 

*  菊原初子のことども   1.10.13
 お元気そうでなによりですわ。お褒めにあ ずかり囀り雀、恭悦に存じます。甘いものの分、お酒がお預けになってしまいましたかしら。
  三輪明神へ行ったときに「ご神水」へも行ってみましたの。長い道筋はきれいに整えられ、新しい灯籠がずらりと両側に並んでいましたわ。見れば大阪の製薬会 社各社からの奉納。水と薬。切っても切れない大事なものですものね。道修町の「しんのうさん」は「神農さん」、ここが元と初めて知りました。菊原初子さん が亡くなったことで、「春琴抄」の時代がまた遠のいてしまったかしら。囀雀
 

* 虚仮の現実とのつき合い   1.10.12
   つい先日、「いま、表現が危ない」というシンポジウムを、われわれの言論表現委員会主催で開きました。これは「いま、報道が危ない」の意味でつけた題でし た。報道されていることと、その背後からの別の報道や情報を、幸いにわれわれの委員会や仲間達は、さすがにその筋のプロたちで、かなりえぐり出すようにし て所有していますし、わたしのような何も知らない仲間にも分かち合ってくれます。いままさに「報道・情報」は、真実という点で「危なく」偏して流布されて います。程度の差はあれ、いつの時代いつの時点・事件でも、実はそうでしたが。君が、そういう方角から、なにかを考え始めたのを喜んでいます。
  その上で、わたしなど、「報道・情報」というものが、如何に表向き、如何に裏側にわたろうとも、所詮は「正しい正しくない」と謂った議論に耐えられるもの でなく、相対化の視線や姿勢でクリティックしなければお話にならぬもの、割り切って謂えば、信じてしまってはならぬもの、と、久しい「歴史」にも教えら れ、冷淡に距離を置くようにしています。所詮は人間のマインド(利害の分別)が作りだしている「幻影に近い事実」に即した情報であり報道であり、正しいも 正しくないも、堆積する時間や時代の中で結局はルーズに「意味を変えてしまうもの」であるのは、当たり前の話です。少なくも「同時代情報」のもつ頼りなさ の例は、歴史的に枚挙にいとまない。その辺を、よく心得てかからないと、結局は、自分を見失って、「情報(に操作された)ロボット」になってしまう。
  本質的には、情報も報道も「まぼろし」です。正しいも正しくないも、本当も嘘も、つまりは無いこと、まぼろしであったことに、どんなに多く気づかされてき たことか。深く生きる意義に照らして謂うなら、まさに「虚仮」に向き合っているのです、われわれは、日々に。しかも、そうと承知の上で付き合っている、そ ういう「虚仮の情報」と。便宜的に。
 それが、わたしの思いです。
 村上龍は現実の人です。現実は、真実をな にほども保証しないと識っているわたしは、聞いて面白いものは聴きながら、とらわれないでいます。
  何が大事か、わたしにとって。やがて人生を幕引きする身にとって、大事なのは、現実の「我」をきれいに見捨てる、かき消す、ということです。地獄も望まな いが天国も望まない。テロも戦争も、芸術も哲学も、虚仮であると思っています。そのうえで、日々を虚仮に楽しもうと。長く時間をかけた山折哲雄(宗教学) との対談『元気に老い、自然に死ぬ』春秋社が刊行になりました。大いに語っていますが、それとても虚仮であると分かっています。真実は言葉にすれば途端に 真実でなくなる。それこそが、すべて偉大な人の知っていた真実なのですからね。 秦恒平
 

* 一面的な情報   1.10.12
 先日は『青春短歌大学』を送っていただ き、ありがとうございました。リストラに毎日怯える、そんな中、しばし、我に返るタイミングを頂きました。
 ところで、早速本題に入りますが、ぼくは 昨日・今日と非常に興味深い記事を読みました。それをご紹介したいのです。
 それは、国連難民高等弁務官事務所カブー ル事務所所長 山本芳幸さんという方と、作家の村上龍の対談です。
 これは10月1日に行われた対談で、アフ ガニスタンで長いこと(多分5年以上)仕事をしてきた人の、今の報道に対する様々なコメント、事実関係の指摘があります。
 内容的に、意外なものと言うわけではあり ません。が、今の日本でこの記事に匹敵する情報は、得ようにも得られず、
そ んな中、テレビで「アフガニスタン国内からレポート」という類の番組の「現地の人々の声」というものを見聞きしているだけでは、自分で気をつけていても、 どうしても一面的な情報ばかり入ってしまいます。記事を読んで、今まで自分が北部同盟とタリバンを同格に扱っていたことに気づかされました。
 さて、記事ですが、無断転載禁止だとのこ となので、JMM(村上龍のメールマガジン)のバックナンバーページで、読んでみて下さい。ほかにも見ていただきたいところもありますが、キリがありませ んので、上記だけご紹介します。
 風邪が流行っています。ぼくもやられまし た。先生も気をつけてください。
 

* 牛の忠信   1.10.12

 体調のほうはその後いかがでしょうか。血糖値をコン トロールするのが快感になってきていらっしゃるのではと、雀は勝手な想像をしてますの。お健やかな毎日でありますようお祈りしております。
  さて、飛騨高山に日本一の太鼓がお目見えというニュースを見て、常々、ああいう大太鼓の胴や革はどういう材料なのかしらんと不思議に思っていましたが、カ メルーンから樹齢1300年の木を切って運び、このためだけに特別に大きく育てた和牛の一枚革を張ったと聞きましたわ。
 観光のためだけで? ひッど〜い! 囀雀
 

* 恐怖   1.10.12

  「これをやりたかったんだよ」「ペンタゴンを壊し 損ねたのは惜しいよなぁ」と言 いながら、オウムは、ニュースを見ているのでしょうか。ニューヨークやワシントンで、どんな報復テロが行われるかという恐れから、交通機関や人の集まる場 所に行くことのできない人々がいるのは、あの頃の東京と同じ。
 個人情報を投げ出してでも、危険な人々の 潜伏場所が露わになるなら、そうしてほしいという方向に国民の意識は進むでしょうか。
 ところで米大リーグに、新庄とイチローと いう、ともに阪神大震災の経験者が、二人。野球での活躍と「がんばろうN.Y」が、若い彼らの今後に、いい影響をもたらすと信じています。 呟雀
 

* 緑内障なら不幸中の幸い   1.10.11
 年末に予定しているイタリア旅行も、この 世界情勢では難しいかなと、溜め息まじりに毎日重苦しいニュースを見ております。相変わらず激しいお仕事ぶりのご様子でいらっしゃいますが、どうかご無理 なさいませんように。片隅の読者の切なる願いです。
  先日は「私語の刻」のなかで、緑内障の可能性がおありのことと拝見しまして、心を痛めますとともに、少し安心もいたしました。緑内障と伺い、厄介でも、闘 いようのあるご病気で、ほんとうによかったとほっと胸を撫で下ろしています。 昨年六十枚ほどの短編を書きましたときに、眼の病気の人物を書く必要があっ て、いろいろな医学書を読みました。そこには遺伝子で決められたものや救いようのない眼病があまりにたくさんあって、思わず身震いしたことを憶えておりま す。緑内障は完治する病気ではありませんが、進行を抑えることのできる、将来に希望のある病気ですので、病名がわかりましたことは何よりの幸運でいらした と思います。
  先生のほうが私より遥かにお詳しいことと存じますが、緑内障は四十代以上の三十人に一人が患う、よくある病気でございます。私のごく親しい関係のなかで、 ざっと数えただけでも五、六人はいるでしょうか。私の大学時代からの友人は二十代から発病していましたし、親から受け継いだという遺伝性の緑内障の秀才の 友人もいます。歴史学者の叔父は発見が遅かったので、かなり進行していましたが、それでも昨年、長年の研究の集大成の本を仕上げて満足していました。それ ぞれの病人が投薬と眼圧の検査を受けながら、元気で普通に生活を続けています。
  そして私の夫なのですが、今年の会社の健康診断の眼底カメラでひっかかってしまいました。緑内障の疑いがあるということで、視野検査までしました。軽微の 所見で近視のせいか、検査に不慣れなのか、病気によるものかは、半年後の視野検査をしてみないとわからないということでした。今はとりあえず灰色の状態で す。
 夫の三十分ほどの視野検査を病院の廊下で 待っておりましたら、ふらふらになったご婦人が検査室から出てきました。視野検査は疲れるもののようですね。
 健康に絶対の自信をもっていた夫は、少し 落ちこんでいましたが、緑内障を早期発見できたとしたら、勿怪の幸いと慰めているところです。
 先生の「私語の刻」のなかの、こんな文章 にとても心うたれました。
 「学生たちのことを思ってこう時間を過ご している間、微塵も緑内障なんてことは思いもしなかった。ま、そういう風に生きて行こうと思う、これからも。」
  私は先生の自由な心のありかたが羨ましくなりました。ささいなことに心も生活も乱れて悩みまくる私の精神は、自由とはほど遠いところにあります。病気から 無縁でいられる人間はいませんが、そういう重苦しさや失望に縛りつけられることなく、先生のように心静かな、陽のあたる枯野の境地にいたいものだと、つく づくそう思います。
  今日インターネットのあるページのなかで、不謹慎ながら、笑える一文を見つけました。 内容は、ブッシュ大統領はテレビ映りではものすごくウサマ・ビンラ ディンに負けているから、アフガニスタンの制空権をとることよりも、そっち(見栄え)に気合をいれたらどうか、というものです。先の見えない戦争に突入し たブッシュ大統領に対するやけくそのようなコメントで、思わず笑ってしまいました。テロリストと大国それぞれの「正義」の武力戦争など、不毛でしかありま せんが、批判のしかたにもいろいろあるものです。
 お見舞いのメールが長くなってしまいまし たが、文学史に残るお仕事である「電子文藝館」の立ち上げでお疲れになりませんように、くれぐれもご自愛くださいませ。
 

*  転任・転居   1.10.11

 突然のメールにて失礼いたします。松山に居りました  ***子でございます。 「湖の本」 いつも ありがとうございます。
 8月に転勤になり 13年振りの引越しと なりました。早くご連絡をしなければならなかったのですが、遅くなりすみません。
 引き続き 下記の住所まで「湖の本」を 送っていただきますよう、よろしくお願いいたします。もし8月〜の間に「湖の本」の発刊がありましたら、お手数をおかけしますが お送りいただけません か? 重ねて よろしくお願いいたします。
 私事ですが、関東に住むのは始めてです。 四国から出るなんて、思ってもみなかったのですが、不況だリストラだというご時世、私の勤める会社も雇用確保のため組織の見直しを始めており、その流れの 中での転勤となりました。
 中学3年生の息子と二人、日本語の通じる 所ならどこでも暮らせるさ!!と、上京した次第です。 (この子は「湖の本」刊行の年昭和61年9月に生まれました。)
 何年住むことになるか(もしかしたら定年 まで・・・)。でも −住めば都− と楽しみたく思っています。
 
 
 

* 市民サイドの電子メディア   1.10.10
 アメリカの爆撃は、続いています。心配し たとおり、一般市民に犠牲者が出始めています。国連関係の施設も「誤爆」
され、NGOの4人が亡くなりました。
  アメリカの攻撃開始を前に、アメリカの治安当局は、「報復をすれば、100%報復テロがある」という状況認識を上に上げていて、ブッシュ大統領らは、それ を承知で、攻撃に踏み切ったわけです。「暴力の連鎖」は、承知の上という権力者たちの判断です。そして、「誤爆」をふくめて、一般市民の死者です。
 政治や戦争を質す(正す)のは、「表現 者」の役割でしょう。
  ブッシュ大統領は、アメリカのCNNなどのテレビを利用し、一方ビンラディン氏も、「中東のCNN」と言われるテレビ局「アルジャジーラ」を利用して、世 界にメッセージを届けるという「メディア合戦」を繰り広げています。今回の事態は、インターネットもテレビも操っての「メディア合戦」の様相を濃くしてい ます。
 世界各国の「表現者」の集まりである、世 界ペン、あるいは、日本を含む各国のペンは、こうした権力者たちの「メディア」合戦が、今後の表現に及ぼす点までふくめて、幅広い人権擁護のために、発言 すべきでしょう。
  秦さんのメールには、下記のようにありました。「メディアウオッチャー」のことなど、そのまま電子文藝館の「意見」欄に入れたいぐらいです。ああいう発言 が次々に連鎖しながら、「ペンクラブ」の意向を反映して力になって行く、しかも、また別方角へ自然に話題転移してゆく、そういう付け合わせ「連歌」のよう な展開に期待したい、と。
 権力者のメディア利用ばかりでなく、市民 サイドのメディア利用が、秦さんの言うような方向に展開して、冷静で、落ち着いた世論形成ができるように人類の英知が働かないものかと痛感しています。
 

* 山辺の道   1.10.10
 お忙しくお過ごしのことと存じます。
 12月は三宅坂文楽と木挽町で「妹背山」 競演との事で、「杉酒屋」「道行」を思い、大和へ、雀一羽。三輪明神から長岳寺まで歩いて参りました。
 季節もよく、昨今のウォーキングブーム で、山の辺の道は賑やかです。
 誰も居ない玄賓庵の庭で、「三輪」の僧気 分で、カミサマを想いながら新米のおにぎりを食べました。想像の世界に浸る雀のお気に入りのひととき。
 午前は国会中継のラジオを聞きながらの 人、午後は競馬中継を聞きながらの人に出会いました。「俗塵を持ち込まないでよぉ」なぁンて、逃げてきた雀が言えたこッちゃないか。
 

* メディア・ウォッチャー  1.10.9
  アメリカの報復戦争が始まりました。この一連の日米関連報道に対する、アメリカと日本の「メディア・ウオッチャー」の記事が、新聞に載っていました。とり あえず、私のサイトの「双方向曲輪日記」に書き込みましたが、捜査当局による電話盗聴、インターネット監視の強化に関連する内容もありますので、そのまお 伝えします。/倉持光雄

* 以下の内容の記事が、10・6付け東京新聞朝刊に 掲載されている。アメリカの報 復攻撃について、アメリカのメディア・ウオッチャー「FAIR」によると、「アメリカの報道では、リポーターが、『兵士』になっている、番組では、戦争を 支持している」という。反テロ法案で、電話の盗聴やインターネット監視に対する捜査当局の権限強化の報道も、アメリカのマスコミでは、殆ど取り上げられて いないそうだ。
 こういう事態をきっかけに、将来に禍根を 残す「普遍的な」人権の侵害が行われるのは、権力の歴史の示すところだが、そういう指摘をしないマスメディアなど、己の存在原理の放棄でしかない。これで は、アメリカも、まるで、日本の戦前の大政翼賛、大本営発表と変わりがない。
  記事によれば、日本のメディア・ウオッチャー「メディアの危機を訴える市民ネットワーク(略称「メキキ・ネット」)」は、近く「9・11報道に関する ジャーナリスト・シンポジウム」を開くという。「メキキ・ネット」の事務局では、日本のマスコミの報道姿勢について、大局的な視点が欠けていて、権力への チェックがおざなりで、充分な確認や検討を経ないまま、情報を垂れ流している。その結果、実質的な改憲の流れを後押ししている。こういう状況を生んだ歴史 的な背景や市民として、いまできることをシンポジウムで考えたいという。
 「日本ペンクラブ」をふくめて、各国のペ ンクラブは、今回の事態について、どういう対応をしているのでしょうか。「表現」が、政治や歴史を質すことは、どんな時代にも必要だと思います。
 

* バーバラ・リー議員の演説       1.10.9
 倉持さんの情報を興味深く読みました。本 当に傍観してだけではいられないことですね。
 私は「メディアの危機を訴える市民ネット ワーク(略称「メキキ・ネット」)」のメンバーです。ちょっと長いのですが、あまり報道されないものを入手しましたので、ご参考までに。高橋茅香子

 アメリカ連邦議会は9月14日にブッシュ大統領に報 復戦争の軍事力を行使する権限 を与える決議を採択しました。上院は全会一致、下院は420対1でした。唯一の反対票を投じたのがバーバラ・リー議員だったことは報道された通りです。彼 女の格調高く真摯な下院での演説は感銘深いもので、その全文を「日本カトリック正義と平和協議会」が訳しました。「転送は歓迎」とのことです。

バーバラ・リー議員の報復戦争反対の議会演説 (和訳文付き 長文)

  Statement of Rep. Barbara Lee on the floor of the House of Representatives

  Sept. 14, 2001.

  Mr. Speaker, I rise today with a heavy heart, one that is filled with sorrow  for the families and loved ones who were killed and injured in New York,  Virginia, and Pennsylvania. Only the most foolish or the most callous would  not understand the grief that has gripped the American people and millions  across the world. This unspeakable attack on the United States has forced me to rely on my moral compass, my conscience, and my God for direction.

  September 11 changed the world. Our deepest fears now haunt us. Yet I am  convinced that military action will not prevent further acts of  international terrorism against the United States. I know that this  use-of-force resolution will pass although we all know that the President can wage a war even without this resolution. However difficult this vote
may be, some of us must urge the use of restraint.

  There must be some of us who say, let's step back for a moment and think through the implications of our actions today--let us more fully understand  its consequences. We are not dealing with a conventional war. We cannot  respond in a conventional manner. I do not want to see this spiral out of  control. This crisis involves issues of national security, foreign policy, public safety, intelligence gathering, economics, and murder. Our response  must be equally ulti-faceted.
  We must not rush to judgment. Far too many innocent people have already  died. Our country is in mourning. If we rush to launch a counter-attack, we  run too great a risk that women, children, and other non- combatants will be
caught in the crossfire. Nor can we let our justified anger over these  outrageous acts by vicious murderers inflame prejudice against all Arab  Americans, Muslims, Southeast Asians, or any other people because of their  race, religion, or ethnicity.

  Finally, we must be careful not to embark on an open- ended war with neither  an exit strategy nor a focused target. We cannot repeat past mistakes. In 1964, Congress gave President Lyndon Johnson the power to ``take all necessary measures'' to repel attacks and prevent further aggression. In so doing, this House abandoned its own constitutional responsibilities and launched our country into years of undeclared war in Vietnam.

  At that time, Senator Wayne Morse, one of two lonely votes against the Tonkin Gulf Resolution, declared, ``I believe that history will record that we have made a grave mistake in subverting and circumventing the Constitution of the United States.........I believe that within the next century, future generations will look with dismay and great appointment upon a Congress which is now about to make such a historic mistake.''

  Senator Morse was correct, and I fear we make the same mistake today. And I fear the consequences. I have agonized over this vote. But I came to grips with it in the very painful yet beautiful memorial service today at the National Cathedral. As a member of the clergy so eloquently said, ``As we act, let us not become the evil that we deplore.''
 

  アメリカ下院議会におけるバーバラ・リー下院議員の発言
  2001年9月14日

 議長、私は今日、ニューヨーク、バージニア、ペンシ ルベニアで殺され傷つけられた家族と愛する人々への悲しみでいっぱいになりながら、耐えがたい気持ちで演説に立っています。
 アメリカ国民と全世界の何百万もの人々を とらえた悲しみを理解しないのは、最も愚かな者か最も無神経な者だけでしょう。
 アメリカ合衆国に対するこの筆舌に尽くし がたい攻撃のために、私は向かうべき方向を求めて、自らの道徳指針と良心 と神に頼らざるをえませんでした。

  9月11日は世界を変えました。最も深い恐怖が今や私たちの心に付きまとっています。しかしながら、私は、軍事行動はアメリカ合衆国に対する国際的なテロ リズムの、これ以上の行動を防がないと確信しています。
 私は、大統領はこの決議がなくても戦争を 行なうことのできることを、私たち全員が分かっているにもかかわらず、この武力行使決議が通過するのだということを知っています。
 この[反対]投票がどんなに困難なもので あろうとも、私たちの何人かが自制を行使するように説得しければなりません。

 しばらく距離を置いてみて今日の私たちの行動のもつ 意味を通して考えよう、その結果をもっと十分に理解しよう、と言う何人かが、私たちの中にいなければなりません。
 私たちは従来型の戦争を扱っているのでは ありません。私たちには従来型のやり方の対応はできないのです。
 私はこの悪循環が制御不能になるのを見た くありません。今回の危機には、国家の安全や外交政策や社会安全や情報収集や経済や殺人といった諸問題が入っているのです。
 私たちの対応はそれと同様に多面的でなけ ればなりませ ん。
 私たちはあわてて判定を下してはなりませ ん。
 あまりにも多すぎる罪のない人たちが、既 に亡くなりました。
 
 アメリカ合衆国は喪に服しています。もし も私たちがあわてて反撃を開始すれば、女性や子どもやその他の非戦闘員が十字砲火を浴びるという大きすぎる危険な目に遭う恐れがあるのです。
 同様に私たちは、残忍な殺人者によるこの 狂暴な行為に対する正当な怒りがあるからと、あらゆるアラブ系のアメリカ人やイスラム教徒や東南アジア出身者や他のどの人々に対しても、人種や宗教や民族 を理由として偏見をあおることはできません。

 最後に、私たちは、退場の戦略も焦点を合わせた標的 もなしに、無制限の戦争を開始しないように、注意を払わなければなりません。
 私たちは過去の過ちを繰り返すことはでき ません。
  1964年に連邦議会は、リンドン・ジョンソン大統領に、攻撃を撃退しさらなる侵略行為を防ぐために、「あらゆる必要な手段をとる」権力を与えました。そ の決定をした時に、本議会は憲法上の責任を放棄し、長年にわたるベトナムでの宣戦布告なき戦争へと、アメリカ合衆国を送り出したのです。
 当時、トンキン湾決議に、ただ二人、反対 票を投じたうちの一人であるワイン・モース上院議員は、言明しました。
 「歴史は、我々がアメリカ合衆国憲法をく つがえし台無しにするという重大な過ちを犯したのだということを記録するであろうと、私は信じ る。……次の世紀のうちに、将来の世代の人々はこのような歴史的な過ちを現に犯そうとしている連邦議会を、落胆と大いなる失望をもって見ることになるだろ うと、私は信じる。」
   モース上院議員は正しかったのです。私は今日、同じ過ちを私たちが犯しているの ではないかと恐れています。
 そして私はその結果を恐れています。私は この投票をするのに思い悩んできました。
 しかし私は今日、ナショナル・カテドラル での、とてもつらいが美しい追悼会の中で、この投票に正面から取り組むことにしたのです。
 牧師の一人が、とても感銘深く、「私たち は行動する際には、自らが深く悔いる害悪にならないようにしましょう。」と語ったのです。
 

* 逢ってきました。華岳と薫に。      1.10.8
 目がよくないのに、京都へゆく用があり、 何必館の予定を見ましたら、華岳と薫、それに魯山人。
 朝、シャッターの開くのを待ってとびこみ ました。
 なんと、しあわせで贅沢な時間――。だー れもいない。
 じーんと何かが染みこんでくるような、わ たくしというものが透明になって失せてゆくような。
 目をつむっても感じられる気がしました、 繪の放っているものが。こまかな震えに襲われました。
 五階の楓は、ほんのわずか、朱の色を帯び 初めている枝がありました。
 楓に目をあずけているうち、震えはしずか にひいてゆきました。
 お目の具合がおもわしくないご様子、どう ぞおたいせつに。
 目がよくなったら、一番に、「墨牡丹」と 「美の回廊」を、読み直してみたいとおもっております。
 

*  静かに   1.10.8

 もう 静かに見ているしかありませんね。世界情勢の ますます緊迫する中、家の小さ な庭には細い雨が降っています。旅行会社の娘は、仕事が皆キャンセルになってしまったと、少し寂しそうに言っています。今年の賞与は出ないかもしれないわ よと言うとうなずいていました。あと数日でイタリアから帰る娘の飛行機が無事につくようにと祈る気持ちです。今まで心配したこともなかったのに。ささやか な庶民の家庭にもテロの影響が少しずつ現れてきています・・・・。
 徳田秋声の「或売笑婦の話」を読みまし た。題名から予想されるものとは異なり、飾らぬ美しい文章をたんたんと、澄んだ気持ちで読みすすめることができ、最後のシーンが悲しく、哀れに心に響きま した。
「電子文藝舘」の校正をする人が必要とのこ と。ぜひお役にたちたいと心ははやるのですが・・・ おそらく生涯で心に残る仕事になると思うのですが・・・ どの程度の分量で、どの程度の速度ですすめ られるものなのか、私には、やはり無理なことなのかと迷っています。
 あしたからまた忙しい日々が始まります。 そろそろ休みます。おやすみなさい。
 

* サンライズ サンセット。   1.10.7
  望月は欠けるものですが、英国の威厳の無さはどうしたことでしょう。政党交代のせいかしら。アメリカよりずっと以前から深刻なテロを抱えていたはずなの に、喜々として「アメリカに味方しようよ」と欧州を説得して回ってるブレア首相は、「ボクが米国の一の子分なんだから、忘れないでね」といった、おみごと パシリの顔つき。悔しさも無く。
日本も「忠実な子分だよ」と売り込んでいる ようですし、それを要求されてもいますが、政府間だけのこと。国民同志がそう思っているわけではないわ。
 

*   日本の裏側から      1.10.6
 私も同感です。それも、光の速さ(!?) でメールが届きます。※理論上ですが。私も、旧人の部類です。はっきり言って、ブラジルに来るまで、本当に日本のホームページを読めるとは思いませんでし た。驚異を感じます。
 それはそうと、閑吟集の秦先生だったら、 聞いてくれると思って、書きます。
 今晩、筆卸なるものを体験しました。
 肌を重ねるという行為が、実にいいものだ とは感じましたが、別にまぐわうことが、いいとは感じませんでした。そういう意味では、半分しか楽しくなかった。
 やはり、思いやりのないまぐわいは、意味 がない。何と言うか、恋愛小説みたいなものを期待していたのに。
 今度、恋人ができたら、もっと思いやりの あるものをやってみたいです。やっぱり「恋」がないと(気持ちがこもってないと)、どんなものでも、愛着は湧きません。※仕事も然り。
 馬鹿なことを書きました。それでは、失礼 します。
 

* ブラジルの裏側から   1.10.5 
 A君。なんだかこのメールがブラジルに通 じるということが、信じられな い思いで、君を思い出してもついメールには手が出なかった。きみのこのメールがほんとにブ ラジルから届いているのだとすると、驚異を覚えます。 ま、それぐらい旧人であるわけ、私は。すると、その気なら、わたしのホームページで、「私語の刻」や「e− 文庫・湖」も読めるのかなあ。不思議でならない。 秦
 

* 「北」の時代=最上徳内。   1.10.5

 ……いい日本人を、ありがとうございます。これから も、いい日本人を、書いてください。
朝顔が小さく涼しくなりました。お大事に。 勝田貞夫
 

* ウシの苦しみ       1.10.5
  中秋の名月は見事な姿を見せてくれましたけれど、(牛肉)業界はいよいよ厳しさを増しています。肉骨粉流通禁止、焼却処分のめどが立たない肉骨粉業者は、 残さ(牛の解体でできる)の引き取りができなくなり、そうなると食肉処理場の機能も停止せざるをえないと。「県内処理場・牛肉流通ほぼ停止」の大見出し で、今朝の新聞は伝えています。買物客の減少に追い討ちをかける、商品不足の状態に陥りそうです。
 先日、経営者がふともらした「もう、店閉 めようか」の言葉が、冗談でなくなりそうです。それほど深刻さを増しているのです。流れに身を任すしかないのですけれど…。
 それにしても、国と行政の不手際が次々と 露見する様といえば !! 苦々しくも、はがゆい、不安な思いがつのります。
 朝からバッドニュースでごめんなさい。御 身体どうぞお大事に。
 

* 戦争の体験の有無   1.10.5

 嫁いだ娘が、一泊で沖縄へダイビングに出かけたそう です。基地のあるかの地、観光客も修学旅行も控え気味の昨今ですが、海はグランブルーに夢のように美しかったと携帯メールが来ていました。
 昨日娘に会って、話の続きを、戦争を知ら ない世代のショックを、聴きました。半日タクシーで観光をして、ひめゆりの塔の傍にある「ひめゆり平和祈念資料館」に入ったそうです。
  当時国民学校一、二年生だった私の世代あたり以上は、まともに戦争の被害がしっかり記憶にあります。もっと大きく影響を受けた世代は既に他界した人の方が 多いでしょう。生涯に二度とあのいやな思いをしたくなく、敗戦後、戦争放棄をした時点で子供なりにホットしたものです。そして、あの朝鮮戦争。あの内乱を 私は非常に悲しく同情していました。
 現在アフガンでは二十年続く内戦があり、 思い出したくもない日本の戦中、戦後を思い出させます。近くには、多発テロ報復か戦争の勃発かとはらはら案じられるこの日頃です。どんな時代でも女、子 供、動員される庶民が被害者です。
 娘は、その「資料館」で、ジックリと戦争 のリアルな悲惨場面に接して、これほどまでにと喫驚したそうです。この世代はそうなんです。この類のものを眼にしたのはおそらく初めてでしょう。映画で沢 山の戦争映画を観ても、それはあくまでも絵空事で、実感ではないのです。
 今国会で政治家達が討論の武力行使の件、 なんとか回避して欲しいものです。
 

* 子どもたちの悲鳴   1.10.4

  『青春短歌大学』を、ありがとうございました。 今、嫁いだ娘が持ち帰り しっかりと楽しんでいる様子です。

 自閉症の子にやりたきをやらせをり(  )をとぎ一粒の( )も零さず  真行寺 四郎

 この虫食いは、理解できました。
 教室の、おなじ子供の正直な悲鳴を聞いて ください。
 小学1年生、重度の自閉症と診断されてい る男の子です。
 指先に触る感触が好きで、教室に入ってく るなりパソコンのキーを叩きます。これは故障すると困るから、触らないでねと言いますと納得してやめることができます。まだ言葉が出てこないので、自分か ら話すことはなく、嫌なことがあると、大声で拒絶します。
  3週間前頃より非常に気持ちが不安定になり、片時も母親より離れることができなくなりました。少しでも姿が見えないと、パニックになり、大騒ぎをしてひっ くり返ってしまいます。先週頃はひどくなり、ご飯もおやつも何も食べなくなってしまって、お母様にしがみついていたそうです。
 不安が、長く続くので心配でした、が、そ の原因が分かりました。NewYorkのテロ事件のTVの放映です。ひっきりなしに繰り返される、爆破の画面です。戦争へ動いていくための「正義への証 明」でしょうか。納得いくまで繰り返し見せるので
しょうか。その子供の目にどんな恐怖を植え つけたかと思うと、腹立たしいものがあリます。
  字は読めませんが、アナウンサーの口調で、関連事項だと分かるのです。関係のニュースが流れると泣き出して大騒ぎになるそうです。言葉で恐怖を語れない子 供には、パニックを起こして訴えることしかできないのです。好きなパソコンのキーでも、説明してとめれば触るのを我慢できます。けれど、その子供に「報 復」はどう説明できるのでしょう。
 子供たちのために平和的解決を望みます。 大国の面子も捨ててください。大国へのへつらいはもっと捨ててください。
命令を出す人たちの安全はプライドは保障さ れるでしょう。一番弱い子供たちのところに、途方もないひずみが、しわよせが、行くのです。
 「私語」を読ませていただいて、同感した り、溜飲を下げたりはしていますが、余りにも痛ましい子供を見て、もっと大きな声を出したい気持ちです。
 

* わたしの博士論文   1.10.2
  秦さんはお変わりありませんか?先日は湖の本エッセイ23『青春短歌大学』をお送りいただいて、ありがとうございました。というより、以前より湖の本をお 送りいただき、本当にありがとうございます。電車に乗る時間が短くなって、読む時間が細切れになってしまっていますが、わたしの通学の友になっています。 特に今回お送りいただいたのは、あのときの授業を思い出して、「挨拶」に答えてみたり虫食いを埋めてみたりして、つい、電車を乗り過ごしてしまいそうな勢 いです。
  久しぶりに、あの授業で覚えた自分に向き合う時間を、取り戻した気がします。教室で毎時間の返答はつらかったけど、充実した時間でした。あの時とは自分の 周りの環境、人間関係などなど今は異なっているので、まったく違った答えや読み方、挨拶への返事が出てきます。もう、6年経ってしまいましたから・・・。
  ずいぶん前のメールに、「近況を」伝えるようおっしゃっていたのに、ちょうど研究室の引越しのごたごたが年明けからあり、メールのマシンの変更で、新しい パソコンに前のアドレス帳を移行せずにいたため、かなりの方と連絡が疎かになってしまいました。(言い訳ですよね。すみません。)
 わたしは、ただいま、博士課程3年。来春 の学位取得をめざしています。データがそろわないため、まだまだ実験をせざるを得ない状況ですが、そろそろ博士論文に本腰を入れようとしているところで す。
  わたしは「腐食疲労」という現象について研究しています。金属に一度加えられても壊れない程度の弱い力を、何度も繰返し加えると壊れてしまう現象が、「疲 労」といわれています。飛行機の事故や原子力発電所の冷却水漏れの事故の原因として、名前の出てくる現象です。その「疲労」現象が、水中で、「さび」の発 生するような「腐食」と共時に共存すると、とても厄介なことになります。
  これまでも、数々の研究がされていますが、 わたしの注目点は、雨が降ったりやんだりする場所に置かれている場合や、結露して薄い水の膜に覆われたり、温度があがって乾燥してしまったりする環境で、 この「腐食疲労現象」がどんなメカニズムで起こるのか、ということです。降雨、結露、乾湿繰返しというのは腐食界(?)では現在注目されている環境のひと つ「大気腐食環境」として、いろんな研究が盛んに行われています。(そもそもわたしの所属している研究室が、腐食(さび)の研究をしている研究室です。)
  金属がさびる(腐食する)とき、溶液にどっぷり浸かっているよりも、表面に乗っている水溶液の厚さが薄くなるほど、すなわち乾燥していくほど、さびる速さ が速くなることが知られています。どんどん早くなって水の厚さがもっと薄くなると、今度は、さびる速度ががくっと遅くなり、完全に乾ききってしまうと、さ びはストップする。これが「疲労」と一緒に起こるとどうなるか?これを調べているのですが、まだまだ、課題山積みです。
 学生生活がやっと終わりそうです、が、先 のことはまだ決まっていません。春頃に大慌てしているかもしれませんが、今は何か無理して行き先を決めようという気がしません。取りあえず、今は、学位取 得のみに目標を定めています。
 こんなところです。秦さん、お体にお気を つけて。また、メールします。
 

* 「青春短歌大学」      1.10.2
  有難うございます。始めのほうを読み進めていくと、ありあり学生時代を思い起こし、
あの頃の良かったことや、自分の愚かさを、 今の自分と比較して感慨にふけってしまいます。そのため、なかなか頁が進みません。

> いよいよですね。着々と、歩一歩を歩んでゆく君なので、実行するであろうと想っていました。

 実行するというと聞こえは良いですが、現実ないし日 本からの、逃避かもしれません。今は、そうなってしまう怖さに日々おびえて暮らしている気がしてなりません。
  そう考えると、会社勤めを続けるとは、自分が社会の一員であることの証明と安心感とを求めることでもあるんだと思います。つまり、日本における会社勤め は、欧米社会(だけではないですが、)における、あたかも「教会」のような、宗教的な要素を含んでいるということなのでしょうか…。日本という島国特有の 宗教観や社会構造の上でビジネスをしていくには、大きな課題です。
 

* 緑内障をおそれよと医師の無表情にわれも無表情に 眼をあげて「はい」  遠
   緑内障は眼の癌のようなものと遠き日に『緑内障』を本に 編集者われは
                                                                                    1.10.2

* いのちの深い願い 高 史明      1.10.2
 私たちは、いま何処にいるのでしょう。
  二〇〇一年の九月十一日、世界中の人々は、テレビの前にくぎ付けになりました。飛行中の旅客機が、ニューヨークの世界貿易センタービルの陰に現れたかと思 うと、不意に旋回して、音もなく滑らかな壁面に吸い込まれていったのです。黒煙が吹き上がりました。まるで、新しいテレビ・ドラマを見るようでした。実 際、旅客機が、アメリカ経済の象徴でもあるビルに激突する情景を、誰が現実のことと信じましょう。
  だが、この情景は現実だったのでした。この日、アメリカで同時多発テロが発生したのです。ハイジャックされた旅客機が、二機同時に世界貿易センタービルに 突っ込み、ニューヨーク最高のビルは数千人の人々を呑みこんで崩壊しました。また、ほとんど同時刻に世界最強を誇るアメリカの国防省にも、真っ黒い猛火が 吹き上がりました。
 この瞬間から、世界中の時計が、かつて誰 も聞いたことのない不安な時を刻み始めています。世界のいたる所に報復の大合唱が起きたのです。
  ブッシュ大統領は、このテロを自由と民主主義に対する戦争行為であると規定したのでした。それとともに十一世紀末、西ヨーロッパに起こった十字軍という言 葉が、悪夢のようにマスコミに登場しています。報復のための軍事行動が、世界的に発動されたのです。いまアフガニスタンのタリバン支配地域は、一触触発の 危機にあります。アメリカは、かの地にテロの元凶犯が匿われていると見なしているのでした。日本も、後方支援という名目でもって、アメリカの報復作戦に参 加するために、重火器携帯の自衛隊を出動させようとしています。
  現代戦争の特徴は、総力戦だと言われていました。あらゆる場所が戦場になり、あらゆる人が戦場に駆り立てられるのです。報復の大合唱とともに重苦しい不安 が、世界中に浸透しています。世界中の母親が、思わず愛児の顔を見つめたことでありましょう。報復の大合唱は、この合唱に加わらない者もまた、テロリスト と見なされかねない勢いなのです。保育の現場でも、無邪気な子どもたちを前にして、深いため息がもれ出ているのではないでしょうか。
 だが、いまこそ、まっすぐに子どもたちを 見つめていいのです。怨みに怨みをもって応えるなら、ついに怨みが止むことはないのです。それがお釈迦さまの教えでした。
  そもそも自爆テロに走った若者たちの胸中に渦巻いていたものからして、近代文明の登場とともに、繰り返し、かの地の人々に強いられてきた積年の血と涙に対 する怨みと、恐ろしい貧困下の屈辱と絶望ではなかったでしょうか。報復は、さらなる報復を生み、世界中に何百万という新しい犠牲者を作りだすことでしょ う。
 お 釈迦さまの教えが、深く思い返されます。「すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはなら ぬ。殺さしめてはならぬ」テロ根絶のためにも、いのちの原点が見直されていいのです。赤ちゃんが果して報復を考えるでしょうか。最近の新聞にはアメリカで も、怨みに怨みを持って応えるな、という声が起きていると報じていました。
  長い間イギリスの支配下で苦しんだインドには、世界的な詩人タゴールが生まれていますが、その詩人のいのちを見る眼差しが思い起こされます。彼は、赤ちゃ んから、わたしはどこからきたの、と尋ねられた母親のこころを通して答えるのです。「あさのひかりと いっしょにうまれた/天からの はじめての いとし 子よ/せかいの いのちの 川にうかんで ながれて とうとう わたしの/こころの きしべに のりあげたのよ!」(はじめ)
 母と子の出会いは、いのちといのちの出会 いです。この出会いこそが平和の原点です。また、原点こそが、永遠に変わらない子育ての原点だと言えましょう。
 阿弥陀さまは、いま不安の深い私たちを まっすぐに見つめておられます。   二〇〇一年十月二日 
 

* 『青春短歌大学 』を、   1.10.1
 ありがとうございました。
  タイトルの「青春短歌大学」という文字に、実はとまどっていました。秦さんの小説は好きですが、今回だけはちょっと憂鬱でした。「青春」という言葉に、二 度と繰り返したくない青臭い自分を思い出し、さらに苦手な「短歌」までくっ付いているタイトルですからね。しかし、読んでみて驚きました。短歌は、やはり 詩であり、しかも相当に深い心境まで表現できることを教わりました。
  「青春短歌大学」というタイトルにも理由があることが判りました。東京工業大学で、以前「文学」教授をなさっていたことは存じ上げていましたが、その時の 講義をまとめたものだったんですね。19歳や20歳の学生に一般教養として短歌を取り上げていたわけですから、「青春」であり「短歌」である必要があった ことを理解しました。「虫食い短歌」に私も挑戦してみました。これはハマリましたね。正解率は50%ほど、短歌になじみがないとは言いながら、詩らしきも のを書いている身としては不本意な結果でした。まだまだ詩が判っていないのだな、と改めて感じた次第です。ありがとうございました。
 

*  お年のせいと   1.9.30
 知り合い曰く「六十五歳を過ぎると、人間がくっと体力が落ちる」ということですので、失礼ながら御不調もあるいは、お年のせいもあるのかと存じます。 (ごめんなさい)サラリーマンでしたら、定年を過ぎてのんびり暮らしているところですのに、宿命で、とても激しい働きかたをなさっているようにお見受けい たします。どうかご無理をなさらず、やさしい毎日をお過ごしくださいませ。
 新しくお送りいただきました『青春短歌大学』に、数日、夢中になっておりました。私の親族はほとんどが短歌か俳句を趣味にしてよく作っておりますが、私 はどちらもただの鑑賞者ですので、苦心惨憺いたしました。うまく言葉がはまるまでの謎解きは、時の経つのを忘れるほどで、挑戦しがいがありました。お選び になった短歌のなかで、私が昔から好きだった歌、「死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも 斎藤史」を見つけたときは嬉 しくて、得意な気がいたしました。ほんとうに素敵なご本をありがとうございました。
 十月の新刊『元気に老い、自然に死ぬ』も書店に注文したいと思っております。
 新しいもの、いくつか書いております。そのうちの一つは、七月に亡くなりました父への供養のために書きたいと思っています。絶世の美女と謳われ、その不 吉なまでの美しさゆえに、波乱にみちた人生を送らざるを得なかった私の祖母にあたる人のことを、今、色々調べているところです。
 少しまえに、お送りいただきました湖の本はまだ何冊もございますが、惜しみ惜しみ読んでいくつもりでございます。秋が深まるにつれて、読書の喜びも一入 です。今晩も雨の音を聴きながら、赤ワインを少々味わいつつ、『青春短歌大学』の劣等生を挽回とばかりに、『歌って、何!』を読むのは、私には至福のひと ときです。
 

*  日曜日    1.9.30
 どうしていらっしゃいますか?どんよりとした日曜日。
 むしょうに「黒いピン」を抜きたくて、庭に出ました。キンモクセイの香りが一面に漂っていて、胸の奥まですいこむと、ピンが少し抜けていく気持ちがしま した。雑草を抜いたり、お隣の家にあいさつしている木の枝を刈り込んだりしていますと、もう正午。
 今、天使の歌声 といわれるシャルロット チャーチという十代の若い歌手の、オペラのアリア集をきいています。透き通った声は、うるおいや情感にはかけ るのかもしれませんが、気持ちの底に淀んでいるどろどろしたものを、清冽な流れに変えてくれます。ちょうど能の笛の音のように。
 

* 坂道    1.9.30
   一昨日、親しい人と少し話もしたく、時間を合わせて都内を歩きました。麻布十番は初めてでしたが、一度行けばもういいかな。
 乃木坂の地上は初めてで、廃業すると書かれていたレストランは何処かしらとキョロキョロして。六本木まで芋洗い坂を歩き、饂飩坂の案内柱を見て大笑い。 国文出のその人はむろんサラリと読めました。そそのかされて青山一丁目まで歩いていました。
 東京に移り住んだ時、坂の多さに驚きましたが、最初に覚えたのは通勤途中の渋谷道玄坂、宮益坂。菊坂は一葉、団子坂は鴎外、無縁坂はお玉さん、暗闇坂、 根津権現坂、谷中のさんさき坂、粋な神楽坂、馬場には漱石縁の夏目坂。二人で、まだまだ沢山の坂を踏破していますが、いつも目指して行くのではなく、ふら りと出逢ってきます。ちょっと都心の地図を覗いてみても、多くの単純な名の坂が眼に入り面白い。
 今、黒柳徹子さんの「アフガン訪問」を観ています。以前は一面のすいか畑だったと謂います。砂漠化した大地、犠牲を強いられる女、子供たちが悲惨です。
 

*  「同時代」に名付けたら    1.9.30
 SF小説の話でごめんなさい。病、老、死のない楽園が地上に実現した話。
 地球が養える人数が計算され、「生まれる」人はいないの。地上の世界だから自殺はできて、そういう人がいたら「生む」許可が出るのよ。
 やっぱり「生まれる」根本にあるのは、悲しみなんですわ。
 「生まれた」時代のネーミングがいろいろあるでしょう。サンパチ組の雀は、自称「化学物質人体実験世代」。
 

* 一人で唐傘、彦根へ    1.9.30
 いかがお過ごしですか。「爪切りもいけません」と旅行会社の人に言われてシンガポールへ発った主人からは、何も言ってきません、一安心。
 で、出かけることにしましたの。月夜が続きましたが、潤んだ月になった夜、夢うつつに雨音を聞きました。明け方まで降ったようで、アスファルトがたっぷ りと濡れたままでしたわ。

 ♪雨降りお月さん 雲のかげ お嫁に行くときゃ誰とゆく 一人で唐傘さしてゆく

 お馬ではなく電車に揺られて。冬に旅した湖東ふたたび。秋もなお、趣き豊か。
 彦根で、A席最後の一枚を手に入れ「彦根城能」を堪能しました。「黒塚」(昭世)、先に「鐘の音」(万作)。ご贔屓の亀井広忠さんも出てらっしゃいまし たわ。
 彦根城でつく鐘の時刻に「鐘の音」が始まり、万作さんの声より先に本物の音。昼に城を見に行った時に聞こえてきて、歩いていくと鐘がありました。昔は係 の武士詰め所だったという聴鐘庵でお薄を頂き、眼下に広がる町並みと湖水輝く琵琶湖、向こう岸までの景色を楽しみました。風は微かで見事な晴天。観光地と は思えない程、どの店もおっとりとした人々がいて、どこを訪ねても秋草がさまざまに活けてありました。
  博物館へは昼間見学に行ったのですが、見学順路は能舞台楽屋の前を通っていました。スタッフがシテ方の部屋へ入るところだったので、ドキドキしました。舞 台に向かうドアも開けたままでしたので、幕の内側も見えました。200年前の能舞台を博物館の庭に移築復元したもので、松羽目も雰囲気があります。風も入 り蚊も飛んできます。席は正面中央最後列、といっても、とちりの「り」で一段高くなっていました。
 夜の公演なのでカラスが鳴き虫がすだくのが、「黒塚」に合っていました。闇も、といいたいところですが、ビデオ収録のためライトを煌々と点けていたのが 残念です。
 能は19:45に終わり、少し歩いて隣の大名庭園へ行きました。「虫の音+観月+庭園と城のライトアップ+箏曲演奏+野点」のイベントが21:00まで あると聞いて…。池には舟も出て、月が照ったり雲に隠れたり、照明効果抜群でした。
 お恥ずかしい事ですが、ちゃかぽんを知らずに彦根へ行きました。直弼公が柳が好きだったという事も知らずに。夜、庭園から埋木舎を通ってひとり歩く松並 木。お堀の水は静まり、空には月。玉男さんの遣う城明け渡しの由良之助のイメージ。歴史好きな父に話してみましょう。
 むっとして戻れば庭に柳かな  でしたかしら。 
 帰りは各駅停車の旅。彦根を出て、草津、柘植、亀山、津。ここで近鉄に乗り換えて、伊勢中川から名張へ。乗り換え5回。景色を見たり、考え事したり、 眠ったり、本を読んだり、吊り広告眺めたり、乗降客を観察したり。駅弁にお茶お菓子の電車の旅が大好きですの。今回は居眠りできませんわ。本数の少ない ローカル線。乗り越したら大変ですもの!
 甲賀辺りで雨になりました。少し肌寒い山懐の、いま、柘植駅ホームにいます。
 

*   目を病みて   1.9.30 
  『青春短歌大学』をありがとうございます。このご本が出版されたとき、わたくしも秦教授から出された問題に、一所懸命になってとりくんだものでございまし た。ことばに対する感覚を問われ、語彙の貧しさを問われたご本でございました。
 けれど、せっかくの「湖の本」ですのに、目を傷めてしまって、まだ、拝見できません。
 目が痛いのでお医者さんにゆきましたら、左の目に傷があるとかで、読書もパソコンも控えるようにと、わたくしにとっては、無理難題でしかないことを言わ れてしまいました。「e文庫・湖」の三原誠作「ぎしねらみ」も、縦書きにしてプリントさせていただいてありますのに、これもおあずけです。『青春短歌大 学』も、以前、拝見したときを思い出しているだけで、もどかしくて。
 目を休めるために、冷たい水を含ませたコットンを目に乗せて横になったりしています。グレン・グールドのゴールドベルグを聴きながら。
 目を閉じていても、薄い墨流しのような、けむりのようなものが目先にちらついています。子供のときからそうでしたけれど、もしかしたら、わたくしには、 ものがちゃんと見えていないのかもしれない――。近視に乱視、それも左右の視力がたいそうちがうそうで、人間関係でも、自分の感情でも、バランスをとるの がへたなのは、この目のせいかもしれません。
 こんな状態ですのに、金沢に行く用があり、時間をつくって、鏡花記念館に行ってきました。
 うつくしい装幀のご本、紅葉の朱が入っている原稿、それから、鏡花自身の推敲のあとが、こまかに残っている原稿……。目の状態のよいときに見たうござい ました。
 記念館のすぐそば、「照葉狂言」の舞台になったお宮さんにお参りし、浅野川に出ました。先生もこの川面に目を放たれた――。街中の川ですのにきれいな川 を、しばらくながめていました。
 近代文学館にもゆきたかったのですが、時間がなくて。
 一閑張の箱を買いました。おいしいお菓子も買いました。
 帰ってきましたら、ベランダのすすきが、はらり、穂をほどいていました。そのうち、目もよくなりましょう。
 

* 久闊    1.9.30
 秦 先生 大変ご無沙汰しております。東工大の卒業生の* *です。大変ご無沙汰しております。このたびは,私のWebの掲示板に書き込みしてくださいまして、ありがとうございます。驚き、懐かしく思い、また、イ ンターネットの威力というものを切に感じました。先生におかれましても、ますます、ご健勝のご様子、嬉しく思います。
 実は、先生には文学的なものもさることながら、仕事面においても教えをいただいております。といいますのは、今年の春に駒場の東京大学の大学院を出たの ですが、はて仕事がない、研究職はない、という状況でした。そのとき、理工系の出版ならば、これまでの研究経験を活かせるのではないかと思い就職いたしま した。経験を活かせるから、というのは実は表向きの理由で、秦先生も、また私の尊敬している現代詩人の方々の多くも若い頃は編集者をしながら本を書かれて いた、というのがこの職業を選んだ第一の理由だったのです。狙いどおり、編集者の先輩方は思想的にユニークな方が多く、楽しく仕事させていただきました。 もっとも私の場合、小説や詩を書きたいというよりも、ものを考えたい、できれば自然科学の研究をやりながら考えたい、という思いが強く、結局、今年の九月 から* * * *研究所という基礎研究所で、物性理論を展開した摩擦の研究をはじめました。それでも、短い間でしたが出版社では、二冊の専門書を企画することができまし た。一時でも本作りの現場を知ることができたのは、先生のお陰と思っております。また、先生ご指摘の、出版業界の問題点についても、肌身に染みてわかりま した。この点につきましては、また機会がありますれば..。
 話が前後しますが、学部時代の私にとって、秦先生の講義を受けること、そして先生の研究室にお邪魔することは、特殊な、大変に貴重な体験でした。漱石の こと、谷崎のことをどれだけ理解できたかについては自信はないのですが、友人を交えていろいろなお話ができたのは、まさに一期一会、得がたい時間でありま した。先生が東工大にいらっしゃってはじめて、私にとって (多分、他の多くの学生にとってもでしょう、) 東工大が単なる専門学校ではなく、大学として存在したといっても過言ではないでしょう。朝に下宿で読んだ小説の著者と昼に対面し、茶道の話や「家畜人ヤ プー」の話をすることは、科学者になるために必須のことではないかもしれませんが、私が今の私になるためには必須でした。今ごろになって感謝の気持ちをお 伝えすることになり、申し訳なく思っております。
 私は三年半前に結婚しました。ときどき、研究室に一緒に伺っていたあの頃の友人たちは、どうしているのだろうと思います。
 ところで、今回のテロ問題、先生のご主張の一つ一つに頷いております。
 六年ほど前、半年間ほどイスラミックの施設でアラビア語を週二回、習っていたことがあります。サウジアラビアはお金持ちであり、かつ、お金の使い方を 知っているようで、なんと教科書代三千円以外は無料で教えてくれるのです。当時は代々木のモスクが改装中だったためか、その建物には東京中の様々な国籍の ムスリムの人たちが集まっておりました。どうして、イスラーム的なものに心ひかれたのかわかりません。基本的には、ラテン系の極まったような人たちである アラブ系の「ノリ」に魅了されたのでありますが、一方、政治、文化、すべてにおいてキリスト教的な考え方に支配されている (とくにクラシック音楽と自然科学をやっている関係から) 西洋文明を相対化したかったのだと思います。
 それはさておき、東京のムスリムの皆さんは、とても親切にしてくれました。別に新新宗教ではないし、宗教の専門家ではなく普通に暮らしている人たちです ので、冗談も通じるし下品な話にも応じてくれるのですが、その根底にこの私には希薄な、敬虔という態度がありました。私は幼稚園は北米のユダヤ教の幼稚園 に通っていまして、生まれて最初に祈るということを知ったのはヤハウェが相手なのですが、そのときの神聖な感覚を思い出しました。
 敬虔という言葉を軸に考えると、イスラームもユダヤもキリストも、とても似たもの同士だと思います。何が言いたいかと申しますと、今回のテロの問題は、 宗教の問題、ましてや「文明の衝突」などという妄想の世界に引きずりこんでは、東京のムスリムの皆さんのように普通に暮らしている人たちが大変迷惑するの ではいか、ということです。現に、アメリカのムスリムの皆さんには被害が出ているそうです。
 タリバーンの語源である「ターリブ」とは「学生」のことである、という知識は今ではすっかり有名になってしまいましたが、私の通っていたアラビア語学校 では、「アナ ターリブ (私は学生です)」などというように、習いはじめに出てくる基本用語です。タリバーンがアメリカにやられる、ということになったら、クルアーンを一度でも 読んだ人なら、 (アジアのムスリムはクルアーンを通して正統アラビア語を知る。) 「イスラームの同胞がやられる」という想いになることと思われます。そのささやかな気持ちを増幅して、宗教間の対立にしてしまっては、騒乱を望む人たちの 思う壺でしょう。
 それから、パキスタンなどの周辺イスラーム国における対米感情についてですが、湾岸戦争と同じことを繰り返すことになるでしょう。
 私は、アラビア語を習ったあと、エジプトを一ヶ月ほど旅行しました。在東京エジプト大使館勤務の友達が本国に帰ったので、遊びにいっただけなのですが、 湾岸戦争について、あるいはアラブ諸国の対米感情について、痛いほど知ることになりました。
 まず、エジプトは親米とされているのですが、エジプトの外交官たちは日本のようにアメリカに全てを依存するかのような感情は持っていません。イスラエル という西洋主導の人工国家がすぐ隣にあって、一時はシナイ半島を奪われたことからも容易に想像できます。彼らはね日本に対しては、明治維新をやりとげた立 派な国だという認識を示してくれました。エジプトでも同様の近代革命を起こそうとしたのですが、当時の宗主国イギリスに潰されたという経験があるからで しょうか。アメリカに対しては、日本は米で、農業国エジプトは麦で、市場開放を迫られている同様の立場であるという認識のようです。スーパー 301 条についてどう思うかと問われ、答えに窮しました。
 このような難しい話は外交官だからするのでしょうが、一般の人たちは、湾岸戦争で大きなダメージを受けているようでした。旅をしていて、一番親しくなっ たルクソールの青年は、湾岸戦争に従軍させられたそうです。エジプトは一万人出兵して、千人亡くなったそうです。これは凄い割合だと思います。同じ村の友 達が戦死したことを、その母親に伝えにいかねばならなかった、という話を聞いたときは、私も涙しました。彼らにとってみると、アメリカのせいで同じアラブ の同胞と闘う羽目になった、という認識です。同じことが今回も起こらなければ良いのですが。
 一方、日本に対しては上流階級とは別の意味で非常に良い印象を持っているようです。彼らの知っている日本語といえば、トヨタでありソニーであり、つまり 工業製品です。子供の頃に見たアニメーションに、「未来少年コナン」というのがありましたが、日本とは、そこに出てくる「インダストリア (工業国!)」というイメージでしょうか。政治に口を出してこないで、ひたすら壊れない機械をもたらす国、日本。
 もう一つ、今度、また西洋に対して戦争をはじめるなら、俺たちも加担してやるぞと激励されました。それではなんだか寂しい気がして、彼らに、名古屋特産 の味噌煮込みうどんを作ってあげました。気味悪そうに食べていましたが、感想を聞くと、「うまい」と言ってくれました。
 それはさておき、ある意味、日本は従来のままの工業国という役割以上の役割は、果たしてはいけないのではないかと思います。パキスタンやアフガニスタン の人たちの、現在の日本に対する感情は、以上に述べたエジプトの人たちの感情と大きく異なるようには思われません。
 逆にいうならば、現状では日本は仕方なくアメリカの弟分になっていると認識されている筈ですから、日本がイスラーム過激派のテロの標的になるとは考えに くいです。日本の国益を考えるなら、今回も、何もしないのが良いと思います。ベトナム戦争のときと同様、日本はアメリカ軍に基地を提供しているのですか ら、それ以上の何かをする必要はないはずです。当然、いかなる国の人に対してであれ、テロや戦争の犠牲になった人に対しては、最大の哀悼を示すのが人の道 でありますが。
 Web に転載されてある先生へのお手紙で、「強い国にならなくても良い」という意見がありましたが、まさにそのとおりだと思います。願わくば、湯豆腐などという 淡白な食べ物を愛する人びとが東の果てにいる、ということが、もう少し世界に知れても良いのではないかと思いますが。そういえば、「おしん」はアジア・ア ラブ各国で大人気だったそうですね。そういう国で良い、そういう国が良いと、思います。
 大好きなイスラームに係わることだからでしょうか、気がつけば秋の夜長に長々と書いてしまいました。
 先生も最近はとくに激務のようでありますが、お体には十分お気をつけください。
 

* ニューヨーク市長       1.9.29
  同時多発テロ事件より以前に、最近のニューヨークの治安が現市長の働きで、大変よくなり地下鉄にも安心して乗れる様になったらしいと、娘から聴いてい ました。ニューヨークは一度は覗いてみたい所でしたが、非常に犯罪の多い都市であるだけに怖れをなして敬遠していたのです。今回のテロ事件で画面に頻繁に 出る惨事もさることながら、あのごった煮のような都市を風通しよくした市長はと、ことあるごとに注目していました。
 昨日(28日)の夕刊の記事でほぼ明らかになり、そう多くもない活字から、グット胸に迫るものがありました。
 川村二郎の世間話 (週一のシリーズより抜粋しながら。)
 二十三日に東京で開かれた「米国テロ被害者追悼・お見舞いの会」をテレビで見て、楠本定平ニューヨーク日系人会会長の挨拶が心に残った。楠本さんはアメ リカ ミノルタ社名誉会長、大学の大先輩で、東京に見えるとよくご一緒する、と。
 いつもと変わらない穏やかさで、メモなしで淡々とした口調も、いつもと同じだった。しかし、ひとことひとことに、ニューヨークの惨事を体験した人だから こその重さと、そして暖かさがあった。
 昼夜兼行で捜索を続ける警察官と消防士、病をおして陣頭指揮にあたるニューヨークのジュリアーニ市長。楠本さんの言葉から情景が目に浮かび、何度も目頭 が熱くなった。楠本さんからその夜、市長の人となりを改めて聞いた。
 検事から市長になるとき、犯罪都市として悪名高かったニューヨークを安全な街にすると公約してその通りにしたこと。
警察官が殉職すると、残された家族と半日を過ごすこと。勇み足をした警察官が訴えられると、敢然と弁護すること。「彼は部下を信用してとことん守る男で す。警察官も消防士もそれを知っていますから、この人のためならと必死になるんです。意気に感じて働くのはアメリカ人も同じです。市長は間もなく任期が終 わり、待っているのは前立腺癌との闘いです。ニューヨークと市民のために一身をささげること以外、彼は考えていないでしょう。上に立つ者はどうあるべき か、教えられるところが多いですね。」
 楠本さんの言葉を聞きながら、「坂本龍馬の魅力をひとことでいうたら、私心のないことやろな」といった、司馬遼太郎さんの言葉を思い出していた。
 そう、結んでありました。今再び読みながらも、又、胸があつくなり、同じ地球にこんな人がいるんだと感動で目頭がうるみます。
 

*  二度と会えないもの       1.9.29
 秦先生 「湖の本」お送りいただきまして、ありがとうございました。お礼が遅くなってしまいましたが、本の方は到着直後の夜に、お気に入りのスプマンテ をちびちびやりながら、最後まで飲み干して・・・ではなく、読み干してしまいました。ハードでも買わせて頂いたのですけれど、やはりあの手軽なしなやかさ が、アルコールと相性抜群だったようです。
 授業では、見えなかったことが今さらながら見えてくる面白さをしみじみと味わわせて頂きました。あれから、もう9年も経つんですね。早いものです。
 実は今日、自分の誕生日で、いよいよ三十路を目前とすることになります。今まで淡々と年齢の階段を上がってきましたが、29というこの年で初めて年齢と いうものに感慨を覚えました。年を取ることが嫌だとも思いませんけれど、ただ、自分に責任を持たなければ、という年ではありますね。もう無闇に「知らな い」「できない」を叫べないな、と。歯を食いしばってでも知っているふり、できるふりをしなければならない場面も出てくるだろうな、と。

 雲は夏あつけらかんとして空に浮いて悔いなく君を愛してしまへり   柏木 茂

 こういう瑞々しく若い歌を、昔は鮮やかに目に浮かぶ情景と共に好んでいました。そ れは、その時にはこういう情景を自分のものとして手に入れることが可能であったからだ、と、いま再びこの歌に出会って思うのです。
 夫がいて、娘が生まれて、猫がいて。一生打ち込める仕事もある。今の自分は十分豊かな人生を与えられて、そして何よりあの頃よりも、人生を、自分でハン ドリングできるような感触も掴み始めている。いよいよ生きることの醍醐味を味わえる予感がしています。
 でも、この歌と再会して、確実にもう二度と手に入らないものを目の前におかれてしまった、という思いにとらわれました。「あつけらかん」とした「悔いの ない」愛は、二度と私の目の前には現れないでしょう。私の手持ちの愛は、もっと密度の高い、ときに持ち重りすらする、けれど大事な大事なものです。
 そして、もし万が一、今の愛が崩壊してしまって、もう一度夏の雲の下で恋愛することがあっても、それは「あつけらかん」とはしていないでしょう。今の手 持ちの愛の記憶がある限り。
 二度と出会えないものがある、という認識は、やはり29という自分の年を痛感するに十分でした。でも、そういうものがある、と認識することが、嫌なわけ では決してないのです。二度と会えないもの、二度と得られないものが存在する、という思いは人生を慎ましく、より豊かにするようにも感じるものですから。
 金木犀が香りはじめましたね。
 ロンドンにいる主人に、会社から緊急帰国命令が下りました。世の中は、日本にいて季節を楽しんでいられる私たちが感じているよりもずっと緊迫してきてい るようです。
 長い間かかってこんなに繊細な言葉や文化が築かれた日本の行き先が迷走しないよう、願わずにはいられません。
 先生も、お忙しいとは存じますが、どうぞおからだをおいたわり下さいませ。
 

* なにが自立支援か   1.9.29
   政府の有識者会議が、「高齢期を迎える団塊の世代が、社会への貢献を続けられるよう、自立支援を行うように」と報告したらしいです。
 政府への貢献って、「医療費使わず、介護・施設の世話にならず、長々年金受け取らず、行政に迷惑かけず、消費はばんばん」って、事かしら? 肩たたきや リストラ停年がこんなに早く来ると、政府は思ってもなかったでしょ? 当事者はもっとそうよ。年金給付までがこう長くては、景気浮揚に協力したくてもできないの。団塊の世代に生まれた夫は、「人件費が安くて、素直で、体力が あった20?30代にもてはやされたほかは、たいてい迷惑がられてるよ」ですって。
 

* 靖国、靖国   1.9.28 
 小泉さんがアメリカへ呼び出され、見させられた現場と、被害者の家族。あれは、アメリカが見世物として利用してるの。原爆ドームとは全然違うのよ。
「許せないッ!自衛隊は危険を伴ってでも」。
 思う壺よ。うそくさい熱血をうまく利用されちゃって。はっきり言って、あの瞬間、日米双方の政権政党、「待ってました!」。テロテロテロで、戦争ができ る、死の商人に儲けさせてやれる。おこぼれ頂戴。小泉総理の構造改革って、軍需景気期待の下心なですよ、大化けものです。で、留守宅では、高祖議員を辞め させ、オベッカ法案準備が一気に進んで。アメリカと日本で、「10年前にできなかったことがやれる!」って、嬉々として表舞台へ出てくるヤツらが大勢いる わ。靖国、靖国、靖国。
 

* アメリカ独り舞台   1.9.28
 おはようございます。昨日のNHK総合の「テントでセッション ゲスト:澤村藤十郎」が、国会中継で放送されませんでした。紀伊国屋の贔屓まで「敵」にまわしたアメリカは、「多国籍軍で」って言わなくなったの、何で。 単独でやれば、他国の上空通過や基地使用で機密を盗んでおいて、アメリカの機密は漏らさずに、作戦実行も早いわ。11月末迄に勝つつもりじゃないかしら。 テロ後の大量の失業者も個人消費の落ち込みも、クリスマスとアメリカの劇的勝利でお化け景気になるだろ、なんてね。そして「兵糧責め」に凍結してるタリバ ン資金をみーんな没収すれば、軍事費用を他国や国民に頼らなくて済むのよね。うまい!!。
 

* 『青春短歌大学』    1.9.27
 ありがとうございました。ちょうど虫食い短歌の本が欲しいなあと思っていたところに届いた湖の本でした。秦さんの虫食い短歌のお蔭で、歌が身近なものに なってきました。慌だしい毎日のさ中、立ち止まり、歌の空欄に入る語を思いめぐらして、切なかったり、悲しかったり、涙したり。
 今日が終わると、また明日。時の経つのは早く、わたしは相変わらずです。進歩のない自分から目をそらすことはできず、ちょっとずつでも前へ進もうと、沈 みがちな気持ちをなんとか奮い立たせています。歌が身にしみます。ゆっくり読んでいこうと思います。一語一語に向き合って。
 どうか、おからだを大切に。
 

* 琴光喜のパレード自粛?     1.9.27
 辞める辞めない辞められない=星野、野村、長嶋。
 おはようございます。昨夜は近鉄戦と中日戦をTV観戦。3点負けてる9回裏。ランナー2人、代打逆転サヨナラ満塁ホームラン、見ました! 近鉄ファンではないけれど、それまで中継を見ていたから、なおのこと感激。諦めない、前向きで元気で、最後は笑顔が弾ける、こういう生中継こそ見たいの よ。
 琴光喜の、優勝パレードの自粛。武蔵丸なら分かるけど、かわいそうだわ。車の上で撮影だけしたと聞いて、もっとかわいそう。愛知県出身力士の優勝は玉の 海以来、もし大関になれば、東海では双羽黒以来と報道され、なンか、前途暗そうで余計かわいそう。囀雀
 

* USA      1.9.27 
 「僕の味方しない奴はみんなテロだ」とか、無茶苦茶言って。でもそれが星条旗の波と「USA」の大合唱と、90%の支持率になったンですものね。
 だいたい大統領選から胡散臭かったじゃない。支持されたくって「強いアメリカ」ってばかり言って、国際会議でわがまま勝手して。強くなければオトコじゃ ないなンて、今時ふッる?。お坊ちゃんの見栄とファザコンで戦争すンのよ。大統領の才能も器もないわ。
 「味方してくれたらお金をやる。いやだって言ったら苛めるからな」の、小学生並み。ワシントンへ駆け付けた順番と、何をしたかを細かく閻魔帳に書いとい て、後々、ねちッこォく苛めンのよぉ。呟雀
 

*  不況と風評被害と   1.9.27
 秋らしくなったかと思いましたのに、ここ二・三日は、汗ばむほどです。そのせいかどうか、風邪が流行っているようです。
 ご本ありがとうございました。虫食い短歌は愉しいけれど、難しくて、頭を悩ませては、う?ん…。
 狂牛病のニュースが毎日報道されて、お客様が激減し、状況は最悪に。不況に追い討ちをかけるような、現状がこのまま続けばどうなるのかと不安になります が、流れに身をまかせるしかないと。農水省などの確たる報道がなされて欲しいものです。いいかげんな調査、翻る事実に、人々の不安は増すばかり。きちんと 説明するとお客様は安心してくださるのですから。
 テロ関係にも、心配は膨らんでいます。二男はいま**の部隊で、調理関係の教育実習中です。修了すれば乗船勤務の可能性もあり、母としてはやはりね。希 望すれば、元の勤務先に復帰もできるらしいとのことで、「帰っておいで!」とコールしています。
  小泉発言に対する米国の思惑。日本の考えの甘さは今に始まったことではないけれど、巻き込まれれる渦の大きさを見落としているような気がしてなりません。
 機械の調子が悪いとのこと。大事にいたらねばよろしいのですが、そのことでお体に負担が増大するのではと、そのことが心配です。どうぞ、くれぐれもご無 理はなさいませぬように。
 

*  スペインへ    1.9.27
 秦先生お元気でお過ごしでしょうか。私の方は、とうとうスペインへの修行を決意しました。
 8月末にやっと会社をやめ、現在は留学の手続きとスペイン語、スペイン文化、起業の知識などの勉強中です。
 渡西予定としては、11月3日成田発となっております。11月5日からスペイン語学校の授業が始まるので、まずはゆるゆると起業のネタを探してきます。
 計画は1年間で、最初の4ヶ月間はマドリードの西200kmほどにある地方都市サラマンカにて滞在、その後は南のアンダルシア地方のどこかの都市(おそ らくグラナダ、セビーリャ、マラガのどこか)に残りの期間滞在することになるでしょう。
 帰ってきてからは、見つかった起業のネタにもよりますが、共同経営者になる人間と、私の資産、知識、ノウハウなどにより、しばらくは関係企業に就職する 可能性が高いと思います。ま、人生どうなるか分かりません。だから楽しいわけですが。
 もし、秦先生がスペインに来る機会があれば、ご連絡ください。ホテルの予約と観光案内程度ならできるようになっていると思います。
 お身体にはくれぐれもお気を付け下さい。
 

* from札幌・hatakさん       1.9.26
 先週は、前年より17日早く大雪山系に初冠雪、週末は峠にも雪が降りました。今日の札幌は快晴。空気の透明度が高く、スーッと陽が射しこんできます。モ ントリオール、エジンバラ、高緯度地域に位置する街は、ときおりこういう光景を見せてくれます。
 三連休も、実験植物の世話で遠出もままならず、札幌で過ごしていましたが、小さなお茶の会によばれ、一〇三歳立花大亀翁のほのぼのとした横ものに見入っ たり、峠越えのドライブで高原に半日を遊び、童心に還ったりしておりました。
 『青春短歌大学』を玄関先で開封し、ぱらぱら立ち読みしていたら、そのまま小一時間経ってしまいました。時を忘れる本ですね。あぶないあぶない・・・。
 湖の本、東工大の講義、このホームページ、そして電子文藝館。次から次へと湧きいずるアイディアと、それを実現される力にただ感嘆するばかり。オリジナ リティー・ プライオリティーが命の研究者としては、何を食べたらこういう発想が出るのかな?と羨んでしまいます(美味しそうなメニューが闇に言い置かれていることも ありますが)。
 「大規模経営(農・酪・漁)の中で行われている、病気が出ないようにする方法を聞くほうが、よほど食べる気が失せます。アメリカで農薬散布に待ったがか けられていますが、これで病気や害虫が発生して不作になれば、遺伝子操作が正当化されそう。薬品で燻蒸してても農薬漬けでもいい、大豆やとうもろこしを輸 出してほしいと日本は言うことになるでしょうね。」との、ご意見。植物病理学研究者として傾聴しました。
 一番安全な食品はやはり国産ですが、一億人の胃袋を養う農家のほとんどが、高齢者。この足腰の弱さでは、ヨーロッパなどで制度化されている有機栽培など できません。農業も一番大切なのは人づくりなのですがねぇ・・・。
 お礼かたがた、近況お知らせしました。心臓に優しくしてあげてください。 maokat
 

* すき焼きの季節に慨嘆   1.9.26 
  松茸が採れ始め、すき焼きの季節になりました。名張のギフトに「松茸&伊賀牛」がありますが、今年は狂牛病と聞いただけで牛肉を食べる気がしなく なるンですって。
 一頭の病気の牛よりも、大規模経営(農・酪・漁)の中で行われている、病気が出ないようにする方法を聞くほうが、よほど食べる気が失せます。
 アメリカで農薬散布に待ったがかけられていますが、これで病気や害虫が発生して不作になれば、遺伝子操作が正当化されそう。薬品で燻蒸してても農薬漬け でもいい、大豆やとうもろこしを輸出してほしいと日本は言うことになるでしょうね。
 

* 双方同じ   1.9.26
  アメリカ映画は、原住民、軍事独裁者、共産主義、金儲けアジアと次々に敵を拵え、ヒーローを生んできました。
 「狂信者」相手にアメリカの完全勝利を描く今回のシナリオのラストシーンは、きっと大統領演説。10年前の失敗から、今回の敵は誰も反論できないテロに 設定し、種を蒔き攻撃させる。生中継の衝撃映像が世界の同情と感情の一致を簡単に短時間で得させ、国民の団結と大統領支持も一気に得ます。
 「悪い事は全てあいつがやったんだ。俺が退治したんだぞ!」と称賛を浴びたいアメリカは、「泣いた赤鬼」。
 アメリカこそが正義であり、力と言う。神の代理という気でいるのは、双方同じ。
 

* 『青春短歌大学』拝読しております。      1.9.25
 谷崎の娘の無心に応える歌が自作の「芦刈」よりも謡曲の「芦刈」をふまえているようで、その妙味に感心したり、毎日いろいろなところを開いては、クイズ を楽しむように考えております。
 人生の経験の中で、作者の心情をたどってゆけば、自然に解ける歌もあれば、それだけでは絶対に解けない歌もところどころにあり、そのたびに巖にぶち当っ たような気がします。
 (例) 起き出でて夜の便器を洗ふなり水冷えて人の( )を流せよ  斎藤 史
 どうしても解けず、答を見てそうかと思い、再び「作者」の名を見て、この人ならば、と思いました。
 ゆっくりたのしませていただきます。
 

* 『青春短歌大学』を   1.9.25
 読みふけりました。こういう素晴らしいものを読ませていただけることを嬉しく思います。ありがとうございました。
 それにしても私はとても「短歌大学」の単位はいただけそうになく、ときに悔しくて、あーっと声をあげたりしました。井上靖さんの詩の音読といい、「表現 の完成」といい、なんという優れた授業をなさったのでしょう。また秦さんの解説がよくて、最後まで一気に(ではなく、実は穴が埋められなくてつっかえつっ かえ)読みました。
 面白い、ということのほかに、これしかない、という激しい一字が表れたときの肅然とした思い、これこそ詩人の魂だと感じる瞬間を幾度も経験できたのは本 当に望外の幸せでした。
 たとえば土岐善麿の「ひとりの(名)」。この強さ。(春の夜のともしび消してねむるときひとりの名をば母に告げたり)
 面白くて笑ってしまったのは、たとえば柏木茂の、「悔いなく(君)を愛してしまへり」。「人」や「妻」「友」で、秦さんが、「なにを考えているのか」と おっしゃるのがおかしくて。(雲は夏あつけらかんとして空に浮いて悔いなく君を愛してしまへり)
 日本語の奥の深さを改めて思うと同時に、言葉はたくさんあるようで、ときに、どうしてもこれでなくてはならないという場や状況があり、文学は、それを追 求するものでもあろうか、と感じました。
 

* 口にする・しない言葉   1.9.25
 ありがとうございました。ハードカバーでも持っていますが、湖の本で手にすると、また違った思いがします。封を切り、「青春短歌大学」の文字を見たとき に、ああ、もうそんな昔のことなのか、と、思いました。
 本日の私語の刻に、
 言うて詮無いことは言わない方がいい。だが、それも、ものにより、ことにより、ひとによる。三猿で済まされぬこともある。言わずに済むことは言わない。 潔い。ぜひ言いたいのなら黙らぬ方がいい。
 とあるのを読みました。
 最近、同じことを考えていました。ビジネスの現場はわかりませんが、いまだ、多くのシーンでは沈黙は金であろうと思います。でも、伝えたいことは言葉に しなくてはならない。土曜に見た芝居のテーマは、「語られなくなった言葉」でした。それもあって、口に「する/しない」言葉について、少し考えていまし た。
 

* 誰を先ず   1.9.25
  松坂市で、給食に牛肉を使うのをやめたそうです。肉で有名な松坂がと驚きました。雪印騒ぎから変わらないパニック。怖い、買わない、食べない、ではなく、 そういう考え方で口に入るものを作っている人こそ、怖い。草食動物を肉食にして、共食いさせる。それも市場に出せない病気の肉や骨を食べさせて…。ペット に、そんな食事させますか。動物ではなくモノとしか思っていない。こんな事を考えついた人、賛同した人、作った人、売った人、使った人を救う方が先決らし い。
 

* 青春短歌大学   1.9.25
 さて、今回の湖の本はあの懐かしい「虫食い短歌」ではありませんか!嬉しくて、懐かしくて、主人にも読ませています。「自分が学生の時にこの授業があっ たら、きっと選択していたなぁ」などと申しておりました。(主人は私より6期先輩なのです。)
 現在は、二人で楽しく「補習」を受けているところです。講義料、近々納入いたします。一人分で恐縮ですが…。
 そういえば、この3月には* *さんも結婚して* *さんになりました。来年の1月には* *さんが結婚します。みな、名前が変わっても元気にしています。
 夏はあんなに暑かったのに、ちゃんと季節は巡って秋がやってくるのだなぁ、と感心しながら風邪を引きかけています。先生は、どうぞお気を付けくださいま せ。
 

* 秋日和     1.9.23
 なんて素晴らしいの。この穏やかな透明の蒼空。この天空をのんびりと仰ぎながらも、今世界を巻き込み、始まろうとしている諸々が現実かと胸が痛くなりま す。
 友人からのお便り、海外でご主人の会議中に同時多発テロの報があり、その場にいたジャーナリストから、咄嗟に「日本人のしわざではないのか」と問いかけ られて、ビクリとしたとの事です。どこの国の、専門が何のジャーナリストかは分かりませんが、多分日本のパールハーバー奇襲攻撃が念頭にあったのではない かと、私は勝手に想像します、が、これは非常に頭に引っ掛かる言葉です。今、日本の立場を混沌と討論するテレビ放映を観ながらも、目的であるテロリストへ の攻撃がどんな風に変貌・変質していくのか、先知れずの感があります。
 

* 『青春短歌大学』拝受。   1.9.23
 すこぶる知的刺激のご本をありがとうございます。数編、クイズにチャレンジしましたが、はずれもあって、それよりも「答え」を先に見る、見たい心の急 (せ)きように、いまの自分の魂のふらつきがある気がしております。
 テロが起きて、すぐ「報復やむなしと言っていたのに、いまはアフガンの子らが可哀そう、戦争はいけない、ってなあに」と、だいぶ年下の妻に一喝されまし た。妻は、はなから、暴力否定、戦争否定。ぐうの音もなし。反省しきり。乳飲み子としてかすかに体験した戦火の断片を、それも語り継がれただけのものを後 生大事にひきずってきたのは、何だったのか?
 それにしても、やりきれないのは、侵攻作戦のシミュレーションを得意げに熱っぽく語る評論家の多いこと。実戦経験のない、痛みを知らない彼らの発言に、 とてつもなく怖さを憶える。
 口先では何とでも言える。団体が出す声明もしかり。腹を据えて考え、何かをしなくてはならない。自戒を込めて。
 

* 仕方がないハズが無い  1.9.22 
 ひとつ、とても嬉しいメールがありました ので、お気持ち休めに読んでいただきたく、お送りいたします。

 いつも貴重な情報をありがとうございます。みなさん の熱い思いが伝わり、とても勇気づけられます。
  今日、友人が戦争反対のビラをまくと言っていたのでついていきました。四条通の京都外国語大学のあたりでジョンレノン「イマジン」をバックミュー ジックに、ハンドマイクで「暴力では解決できない。このままでは日本もまきこまれてしまう。世界全面戦争をさけるためには平和憲法を守って、話し合いで解 決を」という内容で、2人でかわりばんこに話しました。「ビラには小泉首相とブッシュ大統領の住所・電話・ファックス番号がかいてあります。そこにあてて 自宅や職場から平和の発信を」と呼びかけると、ほとんどの通行人が話をきいてくれている様子でした。ビラも積極的に受け取ってくれ、車の中から「くださー い」と要求してくださった人もいました。警備員が近づいてきたので「やばいのかな」と思いきや、なんと丁寧におじぎしてくださいました。
  家に帰り夕刊を見ると艦隊がインド洋にむけて出発したとかかれていて、緊張しました。こんなんではだめです。マスコミがひどいから、街角の人は「なんで戦 争しんなんねん。えらいこっちゃ。でも仕方ないのかな」と思っている人が多いという感触です。「仕方がない」はずがないということをわかってもらい、みん なの声なき声を集めましょう!

 本人の了解を得ていないので名前はとりましたが、京 都に住む若い女性です。友達とたった二人で街頭にたつのが、たいしたものだと嬉しくなりました。  高橋茅香子
 

*  寒いですね。  1.9.22
 季節の移ろい。長袖、お布団と、秋は毎年 突如入り用となります。朝寝坊をしてしまいます。
 今朝観たメール「アフガンの子ら」そのま ま私の気持ちです。
  昨日、国連大使黒柳徹子の生出演での映像を観ていました。アフガンには三年雨が降らないと言っていました。あの荒涼とした土地も以前は緑豊かであったらし いです。やせ細り、眼だけが大きく飢餓の特徴を持つ乳児を見るにつけ、産児制限のすべ、知識もなく子供を産まねばならない女の人、産まれた乳児、歳端のい かない子供たちの軍事訓練と、眼をそむけてはいけないのに、そむけたくなります。近くは湾岸戦争、ベトナム戦争そしてあの第二次大戦とエゴの巻き添えを食 うのは、女、子供です。
 このたび、テロ人種とアメリカとの「確 執」の知識は苦々しく世界中に伝わったことでしょう。根の処の解決がなければ、あくの強い人間のする事、エンドレスです。以前、南米の独裁者の二代に及ぶ 復讐劇の映画を観た時、人の恐ろしさ、こだわりをひしひしと感じました。
 

* ピープルズプランの呼びかけ    1.9.22
  9月11日、米国の経済・軍事中枢にたいして、何者かが、ハイジャックした旅客機を武器とする「道連れ自爆攻撃」を行い、大量の死と破壊をもたらした光景 を目の当たりにし、私たちは強い衝撃を受けました。数千にのぼる罪のない人びとが生命を奪われ、夥しい数の人びとが肉体と精神に深い傷を負いました。暴力 のない世界を求める私たちは、実行者の目的が何であれ、この行為を許すことはできません。私たちは、犠牲者とその遺族、縁者の方々に深い哀悼の意を表し、 傷ついた方々の回復を心から願うものです。
  だが私たちはいま、この事件 への「報復」として米国が開始した対応にいっそう大きい衝撃を受け、深刻な危機感にとらわれています。
  ブッシュ大統領とその政府は、この攻撃をアメリカ合州国への「戦争行為」であると宣言し、報復のために「テロリスト」にたいして世界中を巻き込んだ「二一 世紀最初の戦争」を発動すると決定したのです。今回の「アメリカへの攻撃」の実行主体をオサマ・ビン・ラディンの率いる「イスラム過激派」と特定した上 で、全世界にちらばった 「テロリスト・システム」を殲滅する本格的戦争を開始しつつあるのです。世界最大国家が、国家でない敵に宣戦を布告したのです。
 ウオルフォウイッツ国防副長官は、テロリ ストとそれを庇護する国家にたいして軍事作戦を行い、「テロ支援国家を終結」させる(〔終結〕はNHKの訳語)ことがこの戦争の目的であると説明しまし た。
 大統領は「戦争は大規模かつ継続的なも の」になると言明し、フライシャー報道官は、「あらゆる選択肢を排除しない」と発表しました。
 アメ リカの上下両院は、大統領に対して「必要なすべての武力行使の権限」を与える決議を採択し、400億ドルの戦費支出を決めました。
 NATOは、同盟国が攻撃されたケースと して集団安保条項を適用し、この戦争に参戦を決めました。
 ブッシュ大統領は、このアメリカの戦争に 同盟国ばかりでなく、「国際社会」全体を巻き込もうと懸命に努力を続けています。
   戦争をもってテロに報復する、というのは異常な対応です。一般市民に対するこのような大量殺戮は、国際犯罪として、人道への罪を構成します。米国国内法 とは別に、国連など国際社会が国際刑事法廷を設置して、その実行者や共犯者を国際法に基づいて公正に訴追し、処罰すべきです。その手続きもなく、アメリカ はすでに戦争状態に入りました。当面タリバン支配下のアフガニスタンへの軍事侵攻が差し迫っていますが、テロリスト壊滅という戦争目的からして戦場は特定 されないのです。
  私たちは次のような理由から この戦争に力を込めて反対し、ブッシュ政権がこの戦争計画を即時廃棄するよう要求します。
   第一に、この戦争が問題の解決をもたらすどころか、世界を暴力と憎しみの果てしない応酬の連鎖に引き入れることが確実だからです。なにより、国家の正規 の軍事行動で、不定形のネットワークを根絶やしにすることなどは、事柄の性質上、不可能なことです。テロを生み出す社会的土壌があるかぎり、一つの組織を 壊滅させても次の組織が生まれるでしょう。そして9月11日の事件そのものが、今日の「先進国」社会の傷つきやすさを、そしてそれをこの種の攻撃から完全 に防衛することなど不可能であることを衝撃的に例示したのです。米国の報復戦争は、テロと無差別な報復攻撃、そしてさらに規模を拡大したテロと報復攻撃と いう、いたずらに市民の犠牲のみを伴う出口の見えぬ泥沼の中に世界を引き入れることが予見されます。それを防ぐためには世界社会の隅々まで、個人の自由と プライヴァシーを奪い民主主義を根底から破壊する完璧な監視システムを導入するしかないでしょう。この方向への不吉な動きはいま急速に推進されています。
   第二に、報復を叫ぶ米国政府と世論のなかに私たちは恐るべき傲慢と憎悪の響きを聞き取るからです。「文明と野蛮」という植民地時代の露骨な図式が大手を 振って復活しています。テロリストから「文明を守る」戦争(パウエル国務長官)、「悪にたいする善の戦い」(ブッシュ大統領)が公言されています。アメリ カからの報道はアラブ人への憎悪が掻き立てられている状況を伝えています。ヨーロッパの世論もこの図式に当然のように同調しているかに見えます。文明をア メリカ・ヨーロッパと等値するこの傲慢さこそが、イスラム世界を傷つけ、のけものにし、ついにその中から敵対者を作り出すにいたったことの自覚は、そこに は一片もないのです。
   「ショック、怒り、悲しみはいたるところに満ちている。だが、なぜ、人びとが、これほどの残虐行為を、自分の生命を犠牲にして行うところまで追い詰めら れたか、あるいは、なぜ米国が、アラブやイスラム諸国だけでなく、途上国のいたるところで、これほどひどく憎まれているのか、という認識はかけらほども存 在しない」(シューマン・ミルン『ガーディアン』9月13日)。
   まさにこの認識の欠如にこそ、テロという絶望的な反抗形態が生み出される根源があります。米国がこれまで、ベトナム戦争や湾岸戦争で、南米やアジアの独 裁政権援助で、スーダンや旧ユーゴ爆撃で、そして、何よりパレスチナを不法占領し続けるイスラエルを支援することで、直接、間接に今回の犠牲の何百倍、何 千倍の数の非戦闘員の人命を奪ってきたことを世界の人びとは記憶しています。そして、現在アメリカの権力的一極支配は、未曾有のものに達しています。米国 は、途方もない貧富の格差や環境破壊を引き起こすグローバル化を世界の圧倒的多数の人びとに強権的におしつける世界的な権力として振舞っています。とくに ブッシュ政権は、「単独行動主義」(ユニラテラリズム)を公言して、地球温暖化や核拡散や国際刑事裁判所や人種差別反対国際会議などさまざまな国際的取り 決めを、「米国の国益」を振りかざして、つぎつぎと一方的に破壊してきました。
  このような米国に対して、世界中の民衆の中に怒りと批判が渦巻いています。米国自身が作り出したこのような世界状況こそが、今回の事件の歴史的な背景に なっているのです。この意味で、今回のテロで犠牲になった人びとは、米国政府の世界的な権力支配の犠牲者であると私たちは考えます。
  小泉首相はいち早く、「日本はアメリカの報復を全面的に支持する」と米国への無条件の忠誠を宣言して私たちを驚かせました。これを受けて、日本政府は、ア メリカの「報復戦争」にどのように自衛隊を参加させるかを脱法行為から法改正を含めて汲々として探し求めています。
 さらにこれを好機とみて、危機管理体制の 強化、社会の軍事化を全面的に進めようとしています。政府与党は、米軍基地を守るための自衛隊法改悪を決定し、有事体制や治安出動を公言しています。
 国家主義的な勢力は、米国の報復戦争を、 日米ガイドライン体制を発動して、米国の軍事行動に協力する好機到来と、戦争のできる国家への試運転を狙っています。
   私たちは、米国の報復戦争開始の前夜にあたって、日本のなすべきことはまったく逆の方向にあると考えます。国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争 と、武力による威嚇または武力の行使を国際紛争を解決する手段として永久に放 棄した日本ならば、日本政府がなすべきことは、アメリカに武力行使を思いとどまらせ、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して問題解決の方策をさぐるよ う堂々と、自信をもって、説得することでなければならないはずです。そして、今回の事態は、そのような方向のみが悲劇の再発を防ぐ道を切り開くことができ ることを強く示唆しているのです。
  私たちは、日本政府に、日本 国憲法の平和主義にしたがって、報復世界戦争というブッシュの計画への支持を取り消し、参加・協力を拒み、ブッシュ政権に、報復戦争を思いとどまるよう申 し入れるよう要求します。
  私たちは、日本政府が、この 戦争に便乗して、「戦争のできる一人前の国家」として伸し上ろうなどという企てをはっきり棄てることを要求します。すなわち有事法制、米軍基地の防衛のた めの自衛隊法改定、ガイドライン関連法規の脱法的適用などを行わないよう要求します。
   私たちは、日本政府が、全世界で社会的緊張と軋轢を耐えがたいところまで高めているグローバル化政策を根本から再検討し、WTOその他グローバル化推進 のための国際機関で地球的規模の社会的緊張、底辺の人びとの排除、自然の破壊などを和らげるための方向転換を提案するよう要求します。
  民衆の安全が問題なら、この 方向に歩むことが、アメリカの市民たち、日本列島に住む人びとも含めて、世界の民衆の安全を高める唯一の道なのです。
   いまこそ暴力と憎悪の悪循環を断ち切らなければなりません。9月11日の悲劇が、そのための出発点になるのか、それとも悪循環の全世界的な拡大の引き金 になるのか、それは、アメリカ合州国の目覚めた人びとも含めて、この戦争の勃発と拡大を阻止する国境を越えたしっかりした結びつきを作り出し、それを力に 変えていけるかどうかにかかっています。
   私たちは、悲しみに打ちのめされたニューヨークを始め米国の人びとの間から、 「復讐でなく平和を!」という声が次第に湧き上がっている知らせに励まされています。マンハッタンの惨禍を味わった多くの人びとは、衝撃と悲しみの中か ら、戦争とは何か、爆撃とは何か、を身に引き付けて感じ取るなかで、圧倒的軍事力で復讐し、アメリカの怖さを見せつけるという姿勢が、悲しみをつぐなうに そぐわないと感じ始めたようです。米国の平和運動や知識人の間から「報復戦争」に反対する声は次第に高まりつつあります。この声は世界のいたるところで高 まりつつあります。
  私たちもこの声に加わり、報 復戦争を止めさせ、テロを生まない世界をつくるため、ともに行動しましょう。
 

* 危ない雰囲気   1.9.22
 秦さんこんばんは!急に肌寒くなってきま したね。お元気にお過ごしでしょうか。
 湖の本、届きました。ありがとうございま す!
 しかし何とも、危ない雰囲気になってきま した。
 我が家でも、テロ当日、父親がワシントン のホワイトハウス近くに出張しており、やはり直後は連絡の取りようもなく、随分と心配しました。幸い先日、ようやく予約の取れた飛行機で帰ってきました が。
  今晩(21日)のニュースステーションに、内閣官房副長官の安倍晋三氏が出ていました。アメリカとの信頼関係の下で、事実関係を確認する努力さえせず、法 改正までして支援するという。しかも、犯罪者の証拠の提示をもとめて検討すべきではとの意見に対して、G8声明や国連安保理決議に名を連ね、他の国は武力 支援さえもしようとしている中で、もはやそのような議論はナンセンスといわんばかりの、既成事実を盾にして言論を封じるかのような姿勢です。しかも、武力 支援さえするという「他の国」も、アメリカに対して何らの証拠の提示も求めていないとか。
 一種の集団ヒステリーともいえそうな、一 気に坂を転がり落ちてゆくかのような展開に、本能的にも理性的にも、非常に危険なものを感じてしまいます。
 もちろん、あのようなテロ行為は許される ものではありませんし、加担したものは断固として裁かれるべきと思います。
 しかし、ブッシュ大統領の振りかざす「限 りなき正義」とやらには、どうしようもなく胡散臭さを感じてしまいますし、小泉首相の、アメリカ無条件支援の積極的姿勢にも、深い理念を感じるかわりに、 国際社会でのプレゼンス向上のような意図が見え隠れします。
  それに、集結しつつあるらしい途方もない戦力は、一体どこへ向けられるのでしょう。当の「容疑者」が、のうのうとアフガニスタンに居るとは、私などからみ ても考えにくい中で。アフガニスタンをスケープゴートにしてしまうのでしょうか。多くの平和と幸せを望む人たちを巻き添えにして。
 もしそんなことを、日本が「支援」するの であれば、それは絶対に許されるべきではないでしょう。
 テロ撲滅の金科玉条に目くらましされて、 それに向けての多少の犠牲はやむを得ないなどどなってしまっては、伝え聞く戦争中の社会状況に、ひどく類似しているのではと心配されます。
 こんな中で、何が、出来るのでしょうね。
 事態の根本的解決には、つまりテロの根絶 には、そもそもアメリカを中心とした市場主義経済の生み出す勝者と敗者、世界的に拡大する一方の貧富の格差、互いの文化に対する無理解などなど、いろんな 歪みを無くすことが不可欠です。
  現実からは遠すぎて、めまいがしてきそうですけれど。でも、そうしたことを目指す「闘い」(無論武力公使の意ではありません。)であれば、長い時間がか かっても、どんなにか実り多いものになるでしょうに。多くの頭脳とお金と熱意を、武器や戦術や作戦などではなく、そうした方向へ向けさせることは出来ない ものなのでしょうか。
 まずは、歪みなく現実と本質を見極めよう と努めることだけは、と考えています。それだけではダメなのだ、とも思うのですが。
 まだまだ、「(枯野から)帰って」来て下 さいね!
 そういった姿勢にこそ、何より心励まされ ます。
 それではまた。お元気でお過ごし下さい。
 

*  青春短歌大学  1.9.21
 湖の本エッセイ23 『詩歌の体験 青春短歌大学』届きました。わくわくするほど楽しい本ですし、胸にじんとくるほど深い本ですね。ひとつひとつ味わっていきたいと思います。
 

* アフガンの子ら   1.9.21
 映像で見て、泣いてしまった。空爆や地上作戦が始まれば、やられるのはこういう子どもたちで、かんじんの敵にはなかなか遭遇しないであろうと思うと、 唸ってしまう。ほとほとイヤになります。テロリストは撲滅したい。しかし巻き添えは無くしたい。そんなことの不可能であるのを思うにつけ、無力感に打ちの めされます。幸いいろんな声をわたしは聴くことが出来、その声の多くが自分と同じであることに励まされたり慰められたりするが、問題はそれだけでは解決し ない。構造改革の進まないことに小泉総理はいい口実をえたと、脱線に脱線を続けると思います。ブッシュも困りもの、小泉も輪をかけた困りものになってきま した。
 

* ペンクラブの存在意義は   1.9.21
  ありがとうございました。お手をわずらわせました。小中専務理事の「賛同した」という意味がよくわかりませんが、私のもとへも20ほどの団体の声明文など が届いています。私は「戦争と女性への暴力」に反対するネットワークのメーリングリストにはいっているため、自ずからいろいろなメールが流れてくるようで す。いまは10月16日頃にブッシュ大統領が来日(20日から上海で開かれるAPECに出席する途中)するのを機に、さらに声が高まりつつあります。
 今朝のブッシュの議会演説を聞いていて気分がわるくなりました。正義と善をふりかざす顔は見たくないものですね。
 でも受け止めていただいて、ありがとうございました。ペンクラブが知性あふれる鋭い声明文を出してくれたら本当に嬉しいと思いますが。運動団体などとは ひと味違う、精神のこもった指針を読みたいと願いつつ。
 

* 日本ペンクラブ理事 秦 恒平様       1.9.20
 アメリカの報復宣言と日本政府の対応について、日本ペンクラブもなんらかの意思表示をするでしょうか。どうか武器よりペンをとることを強硬に主張してほ しいと思います。
 このテロ活動をブッシュ大統領は「戦争」だと言いましたが、これは「犯罪」以外のなにものでもないと思います。旧ユーゴやルワンダの国際刑事法廷が国連 によって設置されたように、中立国に国際刑事法廷を設置してテロの実行者や共犯者を裁くべきであり、報復攻撃は国際法違反です。アフガニスタンはアメリカ に対して宣戦布告していません。
 戦争になれば、それはアメリカが引き起こした戦争になり、それに日本が加担すれば、日本政府も国際法に違反することになります。友好国であれば米国政府 に対して良識ある行動を採るよう求めるべきです。
 「米国は善、正義、文明、民主主義と自由を代表しており、テロリストとそれをかくまう国家の悪、不正義、野蛮と闘って勝つ」というブッシュ大統領の宣言 は傲慢としか言えないと思います。
 日本は米国の戦争に白紙委任で協力するのではなく、まさに、平和憲法を国際的に適用する独自の姿勢を示してこそ、「国際社会で名誉ある地位を占める」こ とができるのではないでしょうか。
 ペンを持つ手に武器を握ることは決してできません。日本の若い世代に暴力には暴力をもって返せ、とは決して伝えたくありません。       日本ペン クラブ会員 高橋茅香子
 

* 老いの花  1.9.20
 二本の酔芙蓉が今を盛りと花数多く、この曇り空、この時間でまだ純白のまま、酔えずに素面です。それも上品に、姿美しく、見飽きず、和ませてくれます。 昨日の名残のしぼみかけた花々が赤く色を添えています。はなやかな赤で終わる命がいいですね。人間もこうありたい。
 ところが花に見とれていたせいですか、朝から年寄りっぽい「忘れ」をして、落ち込んでいます。具体的には余りにも単純な事で、恥ずかしくて言えません が。年寄りだと自覚したくないですが、自覚させられました。ある一瞬、ある一刻が記憶の中から消えて真っ白になる自分が恐くなりました。
 

* 皆様 Dear Friends,  1.9.19
 次のような要請が来ました。賛同いただけるかたは、ご協力ください。署名欄は最後にあります。  土井桂子
The following petition came via [Abolition-Japan] mailing list.  I'dappreciate your cooperation.  Keiko Doi

 生命のために団結?非暴力的制裁にYES!

 2001年9月11日にニューヨークとワシントンで起こったテロ行為はひどいもの です。
 さらなる生命が奪われること、そして同じような悲劇が再び起こることを避けるために、私たちは関係する主要な指導者たちが非暴力的な制裁を選択すること を要求します。
 暴力は、暴力と恐怖をさらに増大させるだけです。恐怖はテロを引き起こします。私たちは、暴力を使って、現在世界を破壊している紛争を解決することはで きません。アメリカが爆弾を使って報復したら、私たちはどのようにしてさらなるテロ行為が起こるのを避けることができるでしょうか、結束しましょう! 私 たちの運命をその手に握っている指導者たちが、これ以上罪のない命を危険にさらすことにならないような解決法を見つけるように圧力をかけましょう。
 人間、そして私たち一人ひとりの中にある人間性は、この平和的な行動を通して地球的な結束を呼びかけます。私たちはそれを私たち自身のために、私たちの 家族のために、そして未来の世代のためにしなければいけません。
 この署名を広めましょう。国々が団結して非暴力的な解決法を選び、テロに打ち勝つために、行動しましょう。それは、私たち一人ひとりが生き残れるかどう かの問題なのです。
 

* アフガニスタンを嘆く   1.9.19
 米国が勝手に始めようとしている戦争の、前線基地となる沖縄米海兵隊基地では、「18日午後、倉庫から水陸両用戦車や軍用トレーラーなどが次々と出され て整備され、長期遠征に備える兵士の姿が確認 」「キャンプ・ハンセン内の都市型戦闘訓練施設では、数十人の海兵隊員が建物の影に潜む敵との遭遇を想定し、実戦さながらの訓練を実施 」「米本国以外では唯一の第三海兵遠征軍司令部が置かれる具志川市のキャンプ・コートニーでは、長期遠征に備えた装備袋を携えた兵士の姿が多数見られた。 通常は許されている基地従業員らの基地内売店への出入りが禁じられるなど、基地内は緊迫感が漂っている。」 と、地元新聞は伝えています。緊急時に自衛隊が米軍施設を守る法案が出されるとも。
 米軍が戦争を始め、日本は米軍施設の警備をする。じゃあ、基地の回りの日本人(沖縄県民)を守ってくれるのは誰?政府は、まず、米軍基地にテロ攻撃が発 生した場合、どのようにして自国民を守るかについてこそ協議を始めるべきなのに、首相は真っ先に米国に可能な限り協力すると言いました。この瞬間、沖縄県 民は、テロの標的になりました。しかし、首相は基地周辺の日本人のことなど全く考えていなかったでしょう。56年前に地上戦が行われた際、日本軍は沖縄県 民を全く守ってくれませんでした。今回もその状況は全く変わっていませんね。浮ついていないで、足下を見てほしいものです。
 タリバンの本拠地、アフガニスタンのカンダハールから脱出中に、国連難民高等弁務官カンダハール事務所の千田悦子さんという方が書いた手記に、こんな指 摘が。
 「何の捜査もしないうちから、一体何を根拠にこんなにも簡単に、パレスチナやオサマ・ビンラ゛ィンの名前を大々的に報道できるのだろうか。そしてこの軽 率な報道がアフガンの国内に生活をを営む大多数のアフガンの普通市民、人道援助に来ているNGO(非政治組織)NPOや国連職員の生命を脅かしていること を全く考慮していない。」「それでも、逃げる場所があり、明日避難の見通しの立っている我々外国人は良い。ところがアフガンの人々は一体どこに逃げられる というのだろうか?」「世界が喪に服している今、思いだしてほしい。世界貿易センターやハイジャック機、ペンタゴンの中で亡くなった人々の家族が心から死 を悼み無念の想いをやり場の無い怒りと共に抱いているように、アフガニスタンにも、たくさんの一般市民が今回の事件に心を砕きながら住んでいる。アフガン の人々にも嘆き悲しむ家族の人々がいる。」「不運続きのアフガンの人々のことを考えると、心が本当に痛む。どうかこれ以上災難が続かないように、今はただ 祈っている。そしてこうして募る不満をただ紙にぶつけている。」
 結局被害を被るのは、人の死に心を痛めている、どこにも逃げられない市民です。これは戦争を仕掛ける側も、仕掛けられる側も、同じです。これから起こる であろう空爆で、メディアは麗々としたミサイルの軌跡を映し続けることでしょうが、その向こうで確実に人が死んでいることを忘れないつもりです。
 なんともやりきれない気分。長々と書いてしまいました。午後は、近左さんの襲名展を覗き、美しい蒔絵で心を洗ってくることにします。
 次台風が来ています。お大事に。
 

*  電子メディアこそ危ない   1.9.18 
 言論・表現・人権をこのように話題にする際、従来の活字型表現からだけでなく、それ以上に差し迫った危険性も帯びているインフラとして、イン ターネットにおけるデジタルな表現にも、身を寄せた注意と問題意識を持ってもらいたい。
 二十一世紀は、サイバーテロによる破壊戦争、及び、サイバーポリスによる、個人情報占拠・収奪の時代へ傾いています。もはや漢字が足りないとか、風俗が 乱れるとか以上に、大がかりに、国家間的な情報収奪、自国ないし自国の警察権力による、セキュリティーの侵犯傾向が、途方もなく強化されて行きます。
 すでに、米国の軍事的な必要に発した、地球規模もの根こそぎ大盗聴機構である「エシュロン」の情報収集が、日本の、三沢基地ですら、非公式の秘密裏に、 大々的に進められている事実は、誰にも否定できない。加えて、此の国の警察は、あの盗聴法に基づくデジタル通信情報の傍受と集積を、警察行為として実施す る姿勢と方法とを、もう、具体的にウムを言わさず、準備していると報じられています。
 実施された際の個人生活や企業活動、また思想的信条や調査活動に及ぼす制約、ないし抑圧・弾圧の危険は、計り知れない。
 今、ある人の書いた文章の中に適切に引用されています、元自治大臣・国家公安委員長の白川勝彦氏の発言に、傾聴すべきものがあると思うのです。少なくと もこの白川発言を、この場で、心新たに聴いておきたいと私は思います。白川氏はこう言っている。
「この法案の本当の狙いは、国中のコンピュータを管理下におくこと、なんです。パソコンを持つ人は、みんな個人情報取扱事業者になるから、『あなたのパソ コンから、個人情報が漏れているかも』と嫌疑をかけるだけで、警察はそのパソコンを持っていくことができる。 役人たちは、自分たちと無関係なところで、 インターネットが急膨張していくのが、怖いんです。彼らは、自分たちの手の届かないものごとが存在するのが、一番嫌いな人種です。そういう彼らが、なんと かインターネットを自分たちの手で管理し、取り締まる方法はないかと考え出したのが、この法律なんです」と。
 私は、日本ペンクラブの言論表現委員会で、この法律への反対姿勢を打ち出したその瞬間から、これは、個人情報「保護」どころか、コワモテの個人情報「支 配・収奪」法に化けて行く陰険な布石であると、何度か発言してきました。ある人の適切な指摘にありますように、「インターネット空間には、無数の個人情報 が飛び交い、瞬時に検索され、蓄積される。この法案が通れば、政府は、それを一元的に管理し、支配できることになる。政府に批判的な民間団体や個人も、容 易に取り締まることができる」と、まさしく、これが、ここが、大きな問題点であり、闘いを挑むなら、ここだというのが、日々に更新して、18MBというほ ど巨大なインターネットの文字サイトを展開しつづけている私の、ずうっとずうっと考え続けてきた要点です。   シンポジウム「今、表現が危ない」で、フロアから。秦
 

* 世界の不安   1.9.18
 話はかわりますが、アメリカの行方がますます不安になってきました。戦争に対するエネルギーがマグマのようにたまっていて、今や爆発しそうな予感。
 大戦はささいなことから始まった歴史があります。長期戦がいかに地球を破壊していくか、経済も 文化も 人の心も ぼろぼろにして、いくつかの映画に あったように、放射能に汚染されて廃墟と化した地球にならない保証がどこにありましょう。
 アメリカは戦争といえば自国外で行われるという錯覚を持っているのではないでしょうか。
 報復という言葉はきらいです。怨念 をもって仕返しをする という感じがして。
 株価が下がり、本当のパニックはこれから始まります。アメリカがくしゃみをしても風邪をひいた日本。食料の大部分を頼り、すでにいちごがないとか。タマ ネギも 大豆も ピーマンも・・・・みなアメリカから来ています。
 共に死ぬのは嫌です。大恐慌が起きる予感がします。
 今 何をしたらよいのか、きたるべき大パニックに向けて何を準備したらよいのか、大変なことが起きている恐ろしさを感じるのですが・・・
 仕事は順調です。今の所。少し自分のお金も蓄えさせてもらおうと思っています。今のうちに。それでしばらく食べられる 生活できる 蓄えをしておきま しょうか・・・・と。
 おいしいワインでも飲みたいですね。
 少し悲観的だったかもしれません このメール。
 

* こほろぎ  1.9.17
 かかわりの深いハワイ現地法人旅行社が扱うツーリストの、帰国便の始末がやっと済んだ。11日の事件から1週間。先の予約キャンセルの痛手は相当に大き いし、見通しも暗い。
 昨夜は夜中の3時に目が覚め、何とはなしにFENを聴いた。ふだん、夜更けは音楽番組がほとんどだが、いまは語気の強いニュース、レポートと解説が、延 々と続く。何故かふだんより格別に聴き取りができている分、やや重たくなって、日本の民放DJに切り替えると、平和ボケの他愛無い話ばかりだった。
 ラジオを切って耳を済ますと、こほろぎが一心に鳴いていた。日曜の夜、奥多摩の温泉からの帰りしな、電車に一匹のこほろぎが無賃乗車していて、戻りは大 丈夫なのかと見ていたら、向かいの乗客の登山靴で片脚を踏まれ、足をひきずっていた。もう鳴きはしないだろう。
  一心に啼くこほろぎと一つ風呂   真下喜太郎
 胸がしめつけられたが、仕方ない。秦さんが紹介した虚子の「遠山に日の當りたる枯野かな」も哀しいけど、彼岸がある。
  もの置けばそこに生まれぬ秋の陰(かげ)   虚子
 予言のような惹起の陰影がただよう。
 帰宅後、米国の知人から回ってきた、朝10時にみんなして行う平和祈念のメッセージの代わりに、マタイ福音書の祈りの節句を心して三度繰り返した。今宵 はテレビも見ない、ラジオも聴かない。おねむになったら、お休み、グンナイ、グンナイ。
 

*  アラブやイスラム       1.9.17
 アラブやイスラムについて「論じる」ことは、到底出来ません。イスラムの宗教が何かも、私たちには、単に知識としてさえ何も分かっていないに等しい。無 知は罪悪といわれても、それさえ責められようがない状況です。
 イスラムは解らないと私が決定的に感じたのは、イスラムの寺院に訪れた時でした。偶像を許さない、ある意味では潔い、潔ぎよすぎる神への垂直的な志向 だったと思います。それは垂直的志向いうより、隔絶された遥かな高さからの絶望的な拒否でもありました。少なくとも私にとっては。
 それは十分に予測出来たことでした。神の家・・教会、寺院はその宗教の象徴でもありますから、そこに足を踏み入れた時に感じられるものは、直感的なが ら、直感だからこそ、確信に近いものでした。良い悪いではなく、ただ平均的な一日本人、私の感想に過ぎないですが。
 あらゆるものに仏性、霊が宿ると、曖昧ながら私たちは自分の根を浸しています。私たち日本人は「唯一の神」を求めない民、それどころか、厳密な意味で は、ほぼ「無神論」の民。逆に、そこに柔軟性を獲得したと、おそらく「錯覚して」もいます。
 イスラムにもさまざまな宗派があり、イスラムの国といっても、その社会の在りようは異なりますが、現在問題になっているイスラム原理派の目指すものは、 明らかに反動的だと思います。・・に帰れ、・・に戻れ、と常に現れる動きは、その動機の純粋さは見過ごせないにもかかわらず、反動の種を内部深く抱え込ん でいます。イスラム原理派の説く社会の中で、女である私は生きたくありません。教育や仕事から遠ざけられることは、閉ざされた屈従の生を意味します。閉じ 込められ窒息して死にます。自由、リヴァテイもフリーダムも全て含めての「自由」を、出来る限り「広範な自由」が欲しいです。
 もちろん責任も伴います。許容性のない世界は、前進できません。
 今回の同時多発テロ以後、多くが語られ、論じられてきました。更に私が付け加えることなど、あるでしょうか?
 今も次々と新たなことが報道されています。
 追われたユダヤの民へ、イギリス帝国主義から「贈られた国家」イスラエル、そして「父祖の土地」を追われたパレスチナ・・・中東の憎しみの連鎖を破るこ と、それが不可能に近いのを痛感します。
 収奪され続けてきたさまざまな国の「文明国家」への憎悪、南北問題の深刻さ、「文明国家」内部の矛盾・・・こう書き連ねながら、今回の事態を暗澹たる気 持ちで受け止めます。
 テロ、野蛮な行為、いやこれは戦争だ、これに対しては戦う以外有り得ないのだという動き。国家とは、その領土、資源、人、財産を「守る」のが最大の任務 だということも十分に知りながら、アメリカの人たちの多くが、今、ブッシュ政権を支持し、数年にわたる戦争を支持していることに、危惧を感じます。彼らが 支持することの「必然」は半分は理解しながらも。
 テロを決して認めたくない。そして戦争も。憎しみの連鎖はさらにその連鎖を増殖していくだけです。悲しみの連鎖も忠実に影を添わせていくのです・・。
 私自身は高校生の時、アフガニスタンの人との交流から、アフガニスタンに特別な親近感を持ってきました。ハッダやバーミアンに行きたいと思い続けて、未 だ果たされない夢は夢のまま・・バーミアンの仏さまとはもう会えなくなってしまいました。カブール博物館の多くの仏像も既に破壊されたり、闇のルートから 売られてしまったと聞いています。ソ連軍撤退のあと、平和な国家建設が、ああやっとスタートするのだと感じた、あれも一瞬の夢でした。
 暗殺されたマスードを撮り続けてきた日本の写真家長倉弘海氏は今、何を感じておられるでしょうか。アフガニスタンの人と結婚してカブールに暮らした遙子 さん、個人的には全く面識こそありませんが、お会いしたい方の一人です。シリアやヨルダンの地方で、鉛筆やボールペンを欲しいと近寄ってきた少年少女のひ たすらな眼差し、都会で靴磨きさせてとやってくる少年たち、土産物を売る子供たちを思い起こしながら、怠惰な「お気楽主婦・・片業主婦」はいったい何を語 ればいいのでしょうか?
 アメリカの知人は、「ブッシュは狂ってる!」と言っていますが、彼は、自分がアメリカ社会の中で少数者であることを痛いほど分かっています。先の大統領 選挙の微妙な「天の定め」から、いったいアメリカは、世界は、何処に向かうのでしょうか。
 先の湾岸戦争直前、アメリカでは多くのホームレスの人を見掛けました。あの後、九十年代、IT産業に支えられて好況
を享受したアメリカがこれから直面する危機は、どのような道を辿るのでしょうか。
 アメリカの人たちの多様さ、柔軟さ。唯一の「世界の警察国家」である側面を非常に嫌悪しながら、同時に人々への親しみを込めて、私はあの不思議な国アメ リカを見続けたいと思っています。無力感の方が大きいですが、せめて目だけはしっかり見開いてものを見なければ!
 これは「論」ではありません。きわめて個人的な、とりあえずの、感想です。
 

* 軍隊でどうなる   1.9.17 
 日曜の「生活と意見」、この事件を契機に、日本が軍隊を持つべきだなんて言う人がいるんですか。まだ、パニックの渦中なんだと思います。
 最近、NHK教育で、再放送ですが、ロシアの、徴兵にゆれる若者たちのドキュメンタリーをやっていました。多くの青年が、徴兵され、チェチェンに送ら れ、文字通り無駄死にします。徴兵を拒んだ青年は、周囲から、「お前は国を守ろうとしないのか?」と糾弾されます。この言葉は、非常に恐ろしい。そして、 徴兵を拒んだ青年の、「敵は誰?」という疑問は圧殺されます。
 仮にラディン一味が今回の主犯だとして、彼らが殺されたとして、そしたら、もう二度と今回のような事件が起きないと思うのでしょうか? 「敵はラディン」で片づけられるのか。
 今回のような、数年がかりで自爆しようとする人々のテロは、先生もおっしゃってるように、軍隊でどうこうする筋合いの話ではないと思います。
 アフガニスタンの人々が、ソ連、タリバーンに続き、アメリカにも攻撃されることになるのは、あまりにも哀しすぎます。
 

* テロルと報復   1.9.17
 数日前、ニューヨークの事件をお話しになったあと、「こういう時、とびきり美しいものに触れたくなる」とおっしゃって、「初咲きの櫻をみた醍醐の三宝 院」をはじめ、いくつもの佳きものをあげておいででした。
 その、ひとつひとつをたどりながら、なぜかそれら佳きものがなつかしくおもわれてきました。わたくしも訪うたことのあるところがあったからではありませ ん。それらが、はや、失われたもののように感じられたからです。なみだぐんでしまいました。
 第三次(「だいさんじ」と打ちましたら「大惨事」と出ました)世界大戦ははじまろうとしているのでしょうか。現在は、すでに、地球の滅ぶ前夜なのでしょ うか。
 テロルは絶対によくない。わるい。ゆるされることではない。そう、わたくしもおもいます。
 けれど、テロルでない殺戮はよいのか、「正義」という名のもとに、おそらく地球上最大の富と武力をもつ国が、ベトナムで、中近東でおこなってきた度重な る大量殺戮は悪ではないのか、とも、おもいます。
 たまたま見ましたテレビで、どなたか、「これだけ追いつめられた人たちがいるのだということを改めておもった」というようなことをおっしゃっていまし た。力づくでねじ伏せられ、肉親や大切なひとたちを殺され、生活もたちゆかぬまでに蹂躙され尽くしたひとたちの怨嗟をおもいました。自分の命すら惜しくな いというところまで尖鋭化していった「追いつめられた人々」をおもいました。窮鼠猫を噛む挙に出ざるを得なかった心情をおもいました。
 繰り返しになりますが、テロルは悪、絶対にゆるされることではありません。
 けれど、為政者たちが、何のためらいもなく、そして威丈高に「報復」ということばを口にするのを聞いていて、さむくなりました。彼らからは、知性や理 性、叡智といったものが、かけらほども感じられません。まるで、中世の血に飢えた暴君のお化けがあらわれたよう――。そして、どこかで、死の商人がにんま り笑っている――。
 こんなことをかんがえていますと、小侍従の世界にもなかなか入ってゆけません。彼女も戦乱を体験しています。けれど、彼女はそれらをついに和歌として詠 まなかった。頼政の敗死も、忠度の討死も。
 

* 日本の道   1.9.16
 >私は彼(アメリカの友人)にいいました。 今回のこと(同時多発テロ)で、日本国もしっかりとした軍隊をもたなければいけないのではないか と・・・、主婦の私ですら痛切に思いました。>
 この考え方に、直ちには、わたしは、従いません。
 しかも現実に日本は、世界でも有数の軍隊を非合法に保有しています。非合法であるというところに、じつは救われているのです。
 ブッシュは力んでいますが、見えない相手に挑む「戦争」はなかなか成功しないで、不幸な犠牲者だけが増えるでしょう。軍隊でなく、世界の「警察力」を ネットで駆使して、地道にテロリストを追いつめる方法を、地球規模で緻密に拡大すべきなのです。軍隊による軍事行動は、果てしない百年二百年それ以上の世 界戦争へわれわれの暮らしを投げ込むことになる。「痛切」の方角が、ちがうように私には想われる。
 「軍隊」に守られて描く「繪」書く「文学」を、わたしたちは望んでいるのですか、それは自己矛盾です。ピカソは、その思いを「ゲルニカ」で示しました。
 とは言え、対岸の火事ではなく、日本にも「有事」は予想できます。だから、暗黙に非合法軍隊の存置を容認しているのですが、事態を冷静に見ながら、国 は、国民は、平和的に聡明にいつもこのことを考えていなければ。平和ボケに浮かれていないで。
 国と国との友情には、根本では多くは頼れないだろうと思っています。  秦
 

* 日米  1.9.15
 聴いてください。この度(訪米訪問を)予定しているラスベガスの友人から、今回のテロに対するアメリカの「報復」に関して、日本の協力が何も得られない のはどういうことか。いつの時もそうだ・・・と、すごい剣幕で怒って来ています。日本国は憲法が許していない以上武力の提供こそ出来ないけれど、これまで も、相当な資金援助をしてきたし、今回も出来るだけのことはすると小泉総理は言っていますと申しても、だめです。他の国は武力をだすのに・・・と。アメリ カの人は日本のことをこんな風に思っているのかと・・驚きました。
 

* 日暮れの山   1.9.15
 秋の長雨といいますが、残暑と雨が続きます。どうかお健やかに。
 先日、夕方過ぎて、ずいぶん蒸し暑くなったかと思うと、夜半バラバラと大きな雨音がし、たっぷり降りました。地震のおまけつきで、睡眠不足。
 翌日も、一時でしたが白いカーテンを天から一気に下ろしたような雨が降り、午後になってようやく止み間になりました。何気なく窓の外を見ますと、いつも と違う遠い山なみに霧が這っています。ひといろと見えていた景色は、いくつもの山が交互に重なってできたシルエットでした。日没を迎える時刻。まさか夕霧 ともいわないでしょう、けれど。
 

* マイカルの倒産。  1.9.15
 何年か前、横浜本牧に時代の先端を行くようなマイカルタウンが出来た時、前身があのニチイとは、夢にも思いませんでした。
 京の三条通古川町入り口のあたり、誰だったか忘れましたが、東映の剣豪俳優のお屋敷か別宅跡に、衣料スーパーニチイが出来て、母などは四条まで出る程で もない買い物に重宝していました。古川町へ食料の買い出しの行き帰りに気軽に入れて、気軽に買えるお値段のお店だったのです。
 ごめんやすと、ガラス戸を開けて、一対一で応対されない気安さが、非常気に入ったらしいのです。お布団やシーツががこんなに安いと沢山買い込んだりして いていましたね。懐かしく思い出しながらも複雑な気持ちです。
 この倒産が、バブル景気のツケであるのはたしかで、やはり日本経済の行く先がどうなるのか、好転するのか、停滞するのか、もっと落ち込むのか目先さえも 見えず不安です。専門家の先生方でも、予測が当たらないらしいから。
 

* トゥ マッチな繁栄  1.9.14
 アメリカは何やら報復という名のもとに、世界中を巻き込む正義のための第三次世界大戦も辞さないような気がしますね。恐ろしいことです。
 救出活動に軍隊が出動するわけでもなく、本当に全力を挙げているのかしらと、生き埋めになっている多くの人のことを思うと、はがゆい、つらい思いです。 原因究明や報復より、まず命の救出かと思うのですが・・・。
 混乱を防ぐためでしょう、アメリカは楽観的な表明をしていますが繁栄のシンボル 世界の経済の心臓部の破壊が、大恐慌の予兆でないことを祈っています。 実際に受けた損害とその保険金は天文学的な数字でしょうし、何日間も金融がまひ状態にあることが、はかり知れぬ影響を与えること必至なのではないでしょう か。
 日本は軍隊派遣に関してはアメリカの作った憲法のおかげでノーと言えるのでしょうが、大戦になれば沖縄を含めいろいろな意味で巻き込まれぬ筈はありませ ん。不気味な相手を最低限の犠牲で攻撃できればまだよいのですが、テロの影はアメリカ全土に、いやアメリカを支援するすべての国に襲ってくるのでは等と、 言い知れぬ不安を感じています。
 トゥ マッチだったのです。アメリカの繁栄は。
 不安 恐れは・・・でも突き詰めてみれば、平和な日々にもあり、戦火の中にもあり、世界の情勢がいかなる状況であっても所詮 私の気持ちの中にしかない ものかもしれないなどと思ったり・・・。こんな日はバグワンが心を鎮めてくれそうです。いま どうしていらっしゃいますか?
 

* 心配   1.9.14
 今週、トルコから帰ってきました。
 帰ってから2日後に、イスタンブールで観光してきたその場所でテロがありました。死者も出ており、危ないところでした。各地でテロが続き物騒な世の中で す。
 小泉首相は威勢のいい事を言っていますが、どうなることかと心配しています。
 

*  水泳  1.9.14
 秋雨前線に、今朝、初めてブルッと冷気を感じました。
 シニアクラスは六十歳以上なので、最高齢は何歳の方なんでしょうか。二ヶ月の夏休みが終わり、その間一度もプールへも海へも行かなかった程度の私のこ と、面倒で、面倒で、中止か続行か迷った末、マアもう少しヤッテミッカと気を取り直し、電車に乗って水泳教室に行きました。顔見知りの人達は、揃って元気 に顔を見せていました。お互い再会のご挨拶はオーバーに、
 「あなたも、無事に生きてたのネ」
 その間ワンポイントレッスンに通い、自称「腕を上げた」人もいました。差がつくヨ。全くの初歩から初めて、一年半、今は、型はともあれ二十五米をクロー ルで泳げるランクのコースにいます。何年も通ってそのコースの古顔らしい、高齢のご婦人の姿を見かけないのが、ふと気になりました。七十まぢかの手習い、 さて、私はいつまで続くやら。
 

*  湖北の旅   1.9.13
 湖北に行ってまいりました。
 HPを必ず読む毎日、とても身近に感じて嬉しいのですが、どうぞお身体おいといくださいませ。そして夜更かしも余りなさいません様に。時にドキドキした り案じたりしております。
 この三日に、先生もご存じのお友達と電話でお話ししていますうちに、二人で、近江に行きたくなりまして、急に、八日九日と、たとえ一泊でもと、行くこと に決めました。
 『みごもりの湖』で知りました湖北菅浦の、隠れ里。今も裸足になって参拝するという須賀神社へ。その奥には淳仁天皇を祭るという船形古墳があるともいい ます。不便な所ですし、選んで、そこにだけ行くことにいたしました。
 湖面にへばりつくような小さな集落には、今も四足門が東西にあって、古さが残り、「惣の掟」が現代になお残っているかのようでした。一回り歩いても直ぐ に済んでしまうほどの小集落には、まるで時が止まったかのような静かなゆったりとしたものが流れて、お年寄りばかりが、縁台に座って楽しげにお話しをされ ていました。ぷかりぷかりとタイヤかゴムたらいの一人乗り船を湖面に浮かばせ、のんびりと糸をたらす人も。そぞろ歩いていましても、やはり何となくよそ者 という感じは拭えません。
 この夜は、二人して、神社隣の民宿泊まりでした。カランコロンと久々の下駄を履き、ひたひた打ち寄せる湖面のふちを歩いて、四足門外を十分ほどはなれた お風呂までの道行です。仙人草の花も咲き乱れ、不便さは忘れてゆったりした時の流れに、身も心も解き放たれていました。
 翌日は一日に四本というバスに乗って、木之本へ着きましたのが、午前十一時近く。お電話での連絡を入れておいて、菅山寺に入りました。道真公ゆかりのい ろいろの中に、お顔だけの古い十一面観音様が痛々しく、村の方々に大事に守られていました。胸にしみました。湖北にはこうして信心深い人達に守られておわ す観音様が多く、思いがけない出会いに恵まれます。
 もう一箇所気になっていました、小谷寺へ参りました。ここでも上品なお年を召したご婦人が二人客を待っていてくださいました。お前立ちの仏様を動かされ て、小さなお厨子を開いてくださると、十五から二十センチほどの、弥勒様、いいえこちらのお寺では如意輪観音様とのこと。渡来仏だそうで、ちょうど広隆寺 や中宮寺の半跏思惟像にも、そっくり。金銅製のそれは素晴らしく美しいお姿で、もう何も言えず、ただただ手を合わせて暫くは離れがたく心奪われておりまし た。ここには、他にも、あの茶々が父浅井長政を模して納めたと伝えます優しいお顔の小さな木像や、お市の方の念持佛という小さい愛染明王像が安置されてい て、とても佳いお寺さんでした。
 タクシーをここで返してしまっていまして、仕方なく河毛駅まで二十分というのを頼りに、途中道を間違えたりして四十分も歩いてしまいました。所々に気温 は32℃とかいう表示も目に付き、すこし恨めしく、風もない草むす道を黙々と歩いたのでした。
 近江でのひととき、いまは、別世界の中の事のように思い出されます。帰りまして翌日から大きな台風、そしてあのニューヨークのテロ騒ぎがつづいて、近江 湖北の旅が遠い夢に漂っている様です。
 長くなりました。どうぞお大事にお過ごし下さいませ。
 

* 湖   1.9.13
 本日、お願いしておりました湖の本九冊を頂戴いたしました。お忙しいなか、一冊ずつにご署名までいただきましてほんとうにありがとうございました。友人 にプレゼントする本が惜しくなりそうです。
 また、私語の刻でお励ましの短歌をいただきましたこと、大変心慰められました。アメリカのテロで突然父親との別れを強いられた多くの方々のことを思いま しても、しずかに病床の父を看取ることのできましたことは大変幸せなことであったと思います。
 これからしばらくは先生のご本に埋没して、美しい時間を過ごしたいと思っております。
 

* 野分   1.9.13
 午後になって、雨が横にしぶき、篁が身を揉むように揺れに揺れているのを見ているうちに、かきたてられてしまって、外に出ました。膝丈のジーンズにス ニーカー、骨が十六本ある頑丈な男物の傘という身拵えです。
 近くに公園通りといって、いくつかの公園をむすぶ遊歩道があります。公園はわりと木深く、遊歩道も森のなかのような雰囲気のする小径です。
 そこを、傘を風にもってゆかれぬように握りしめ、びしょぬれになってあるきました。風に揉みしだかれ、枝や葉をもぎとられている樹々のにほひ、ざわめ き。うらみ葛の葉が蒼ざめた白をひらめかせ、落ち散らばっている枝が道を走ってゆき、草むらは白いひかりを放って風に乱され――。
 桜が一本、根もとが折れたというか、根こぎにされたというか。生木のにほひを著く放っていましたから、倒れてからいくらもしていなかったでしょう。根も とはごつごつしていましたけれど、太幹はつやつやとしていて、おもわず撫でてしまいました。あはれでした。
 もう一本、松。三メートルかそこらのところから折れていました。折れ口がささくれだっていて、いかにも強い力にねじ伏せられたといった感じでした。
 人っ子一人通らない嵐の道をあるきながら、今、心臓発作か何かで、ここでふいに、命終るのもわるくないとおもいました。はげしい雨風に洗われて、なまぐ ささも失せましょう。あるじの手を離れた傘は、樹々にぶっつかったりしながら、森の奥へ、虚空へ飛び去る……。
 ところどころ、樹々のいたわりのないところに来ますと、立っていられないくらい。よろめいたり、傘もろとも風にさらわれそうになったりしました。
 小一時間、嵐の森をあるいて、ぐっしょり濡れとおりましたが、ふしぎな心地よさにひたされました。
 帰ってきて、紅茶を飲みながら、湖のお部屋をお訪ねしました。「野分」というおことばに、あ、「野分」だったと気づきました。
 野分のあとの夕日。藍色濃い富士山がながめられました。
 罹災した方をおもえば、こんなのんきなこと、申すべきではないとおもいましたが、樹々とともに嵐に巻かれ、濡れとおった感覚、昂りのおもむくまま、お話 し申しあげてしまいました。
 

* 沖縄の戦争状態   1.9.12
 東京を過ぎた台風が、北にも訪れ、あとには深い秋を残していきました。
 心身とも消耗戦のような毎日。案じております。ご無理をなさいません様。
 南の友人から届いたメールには、「(沖縄の米軍拠点)嘉手納基地では、五段階ある警戒態勢のうち、湾岸戦争中にもなかった最高レベルの警備態勢「デルタ (D)」になっている」とありました。戦争状態です。「基地従業員といえども、日本人は嘉手納基地に入れない」とのこと。「有事」の際に沖縄県民は基地外 に置き去りにされるということが、はっきりした瞬間でした。
 先の台風に追われ、瀬戸内を旅しました。いつか文章をお送りいたします。どうかお元気で。
 

* えーッ!   1.912
 秦先生、こんばんは。
>で、疲れます。お大事に。わたしのホームページは、当分はこのままにしてお
>き、むしろ、どこかでそっと幕をひくことも、すこし頭にあります。 秦
 そうですか。
 ぼくは先生のHP…正確には、「生活と意見」をよく見ます。「見る」のはほぼ毎日。「読む」のは二日に一度くらい。
 読んで、そのまま頭の中で話をします。
 いまの生活の中で、例えば、丸谷才一の『笹まくら』を読んだ、ということは誰にも言えません。例の教科書について、意見を持っても、口にすることはあり ません。意見があるなんて誰にも言えません。ジャンルは違いますが、泉鏡花の名も口にすることはまずありません。
 何度思い返しても、誰かに「口を閉ざせ」と言われたわけでもないのに。
 でも、これは単に口を閉ざしているだけなんだと思っています。
 それでも、先生のHPを読んでいるときだけは、自分が気になっていることについて、会話ができます。
 幕をひかれたら残念です。
 

* 父のこと   1.9.11
 この夏、とくに六月と七月は大変な暑さが続きました。その息苦しいような熱と光のなかで、七月の終わりに私の父の命も燃え尽きてしまいました。昨年暮れ に入院して以来七ヶ月あまりの闘病でしたが、最期はほんとうにあっけないものでした。
 父が亡くなりましてからは雑用に追われる毎日ですが、ふとした瞬間に父との思い出が甦り、自分でも予期していなかったほど大きな喪失感にうちのめされて います。父は何冊かの本を書いた人ですが、文学にはまるで無縁な人でした。そんな、ほとんど意識のない父の病床で、私は先生の『華厳』をよく読んでいまし た。心の通い合うことの少なかった父と娘ですが、それでも先生のご本のなかから父に一冊選ぶとしたら、この作品だと思っておりました。
 本日は湖の本の申し込みをお願いいたしたく。暑さのなかで先生に郵便局までご足労をおかけするのは恐縮でございましたが、少し涼しくなりましてお願いし やすくなりました。注文のなかの何冊かは友人へのプレゼントです。
創作シリーズ  1.清経入水  3.秘色・三輪山  12.閨秀・絵巻  21.四度の瀧・鷺  36.修羅.七曜  そして37.38.39.親指の マリア 
エッセイ  11.歌って、何! 
 以上の九冊です。おついでの折りによろしくお願い申し上げます。
 

* 洋裁   1.9.11
 台風十五号は、大雨を降らして去りましたね。どうやら、雨漏りもなく無事でした。
 あちこち友人達からのメールは、「元気にいられる時間を大切にしたい」意味の一言が、どこかに入ります。身近に病人や怪我のある人がいると、身に沁み て。元気にしています。あなたも。
 台風通過の間、洋裁をしながらビデオに録った映画を二本みました。二度目でもやっぱり佳くて、感動の涙がまたジワーときました。映画ならではの物語の不 自然さはありますが、これは、これ。機会があったら是非、トム ロビンスとモーガン フリーマンの「ショーシャンクの空に」を。
 気がついたら台風が去って、ブラウスが一枚出来上がり。
 

* 秋の花たち   1.9.10 
 台風もまだその影響をみせずに、静かな秋の夜です。
 帰りに駅の売店で、小さな萩 紫式部 ふじばかまの苗を、ついつい求めてしまいました。帰りを急ぐ人でこみ合う電車の中で、ふじばかまの素朴な花を見つ めていると懐かしく 涙が出るほど優しい気持ちになれ心和みました。田園の思い出が心の底に眠っているのかも知れません。
 

* ピンの話   1.9.10
 何やら台風待ちの昨日今日、何があろうと自然には逆らえないと、ぼんやり空を仰いでいます。
 それでも、気候の落ち着いた頃には、恒例のミニ同期会を開くべく、電話やメールで連絡し合って、「元気に老い」の元気印といきたいもにです。何はともあ れ、旅行は気の置けない学友達とが、何より楽し。幸いメンバーにまだ脱落者はなく、この頃は一年一年を大事にと想うようになりました。
 十日ほど前の「天声人語」ですが、あまり似ているので、長いですが、そのまま送ります。

 以前、たまたま手に取った雑誌に、こんな母親の告白が出ていて驚いたことがある。 彼女は、自分の子どもが可愛くないという。好きになれないという、それどころか憎らしいとさえ思う、と。
 事件をめぐる談話というのではなく、日常生活でのことで、母親はそのことを悩んで、相談を持ちかけていた。虐待をはじめ、子供の受難が続いている。背後 には、先きの母親のような悩みが広くあるのだろうか。
 泣きやまない幼い子どもの話から始まるアランの『幸福論』を思い浮かべた。乳母は子どもの性格や好き嫌いなどいろいろ考えるが、そのうちピンを見つけて すべての原因はそこにあったことがわかる。
 名馬ブケフアロスを献上されたアレクサンドロス大王の話が続く。暴れ馬でだれも乗りこなすことができなかったが、大王はピンを見つけた。名馬は自分の影 におびえていた。大王は馬を太陽の方に向け、落ち着かせた。
 アランはこういう。「苛立ちだの、不機嫌だのは、往々にして、あまり長いあいだ立ちどうしでいたことから生ずる。そういう時には・・・・・・道理を説い たりせずに、椅子をさし出してやることだ。」
 そして、「人間の性格はこうだなどと言ってはならぬ。ピンをさがすことだ」
 このフランスの哲学者のように、できれば、実際的に考えたい。母親達に椅子をさし出してやるべきか、あるいは、どこかに刺さっているかもしれないピンを さがすのがいいか。 しかし、目に見えないピンがこの社会に刺さっていると、事態は容易ではない。
 

* テレビで対面   1.9.10
 8日の『日本語にっぽん事情』(湖の本エッセイ21)ブックレビュウを観ました。
 元気そうな顔で写っていましたけれども、少し前の写真ですね。
 本は好評で良かったですね。
 10月に、また行きます。その時にお会いしましょう。
 飲みすぎないように。
 迪子さんによろしく。
 

* ハタワン     1.9.10
 「罪はわが前に」「ある折臂翁」「秦恒平における美の原質 笠原伸夫」「事実と小説 対談林富士夫」「『罪はわが前に』をめぐって 対談笠原伸夫」「作 品の後に」(のスキャン分)です。ぼんやり暮らしてきたおじさんは、いっしょ懸命読みました。口はばったいですが、よく書かれました。書かれぬところを、 ほんとによく書かれました。近江八幡へ貞子を送って行き、タクシーの中から見せて貰えた「姉さん」の姿は、おじさんにも見えました、ありがとうございまし た。
 「ある折臂翁」は、西澤書店版『雲隠れの巻』に好きな「廬山」や「少女」達と載っているのを持ってます。も一度「少女」を読みました。
 バグワンを読んでるハタワンも読んでます。長くなるのでこれでおやすみなさい。いろいろご多忙のご様子、くれぐれもお大事にして下さい。
 

* ポンペイ   1.9.9
 勉強したことも、ガイドの本を読んだ事もない、さして関心もなかったのです。興味を持つものが沢山有りすぎて、別世界でした。メールの文章がわりになる かと書いた内で、一句でもお目に留まるものがあったなんて、感激です。
 娼館の壁面を飾っているわりには、汚く醜い画ではなく、むしろ共感を呼ぶ、明るくおおらかな壁画です。絵は小さいです。その手の絵は好まない女の私に も、そんな場面をきらりと想像させました。ポンペイ当地でのそんな館の入り口に面して、道路に、文盲にも一目で分かるそれむき出しのモザイク画の看板があ り、照れ臭くて凝視は出来ないまでも、ホウと、ローマ時代のおおらかさを思い、印象深いものでした。
 当時の壁画はフレスコ画ではなかったのに、泥土に深くうもれて、酸化をまぬかれ、運よくタイムカプセルを抜け出て、当時の色そのままに観る事ができたの よと、友人に教わりました。
 

* 秋咲きのばらに隠れよ 睦みの絵    愛子
  夢うつつ あひを重ねて虫時雨    1.9.8
 

* 回顧的に甲府から   1.9.6
 9日の日曜日は、地元の人たちと御坂山地(富士五湖地方と甲府盆地を区切る山塊)にある「節刀(せっとう)ヶ岳」という1700メートルほどの山に登っ てきます。甲府盆地から見ると綺麗な三角錐の山頂が見える山で、天気が良ければ、登山途中で富士山が見えるはずです。10日の月曜日は、会議が、いくつか ある曜日で、身動きできません。
 さて、秦さんが、上司小剣の名前の読み方を知らなかったと知って、なにか微笑ましくなりました。「弘法も筆の誤り」という感じです。
 私は、高校生から大学生になる時期、60年代には、「大阪」をテーマにした小説を読みあさっていました。織田作之助、上司小剣、水上滝太郎など。ほかに も読みましたが、いまは、思い出せません。
 織田と上司は、新聞記者出身ではなかったでしょうか。織田の作品のうち、「青春の逆説」でしたか、あれは、新聞社の採用試験の場面があったような気がし ます。いま、手元に作品がないので、確認できませんが・・・・。新聞記者の印象は、作品の上だけだったでしょうか。水上滝太郎は、サラリーマン重役でした か。東京生まれで、出張だか、赴任だかの生活をテーマに「大阪」「大阪の宿」などという作品を書いています。
 藤本義一、田辺聖子、野坂昭如、和辻哲郎なども「関西」という括りで読んでいました。秦さんの作品も、そういう関係で読み出したのではないでしょうか。
 ですから、上司小剣は、若い頃から親しみがありました。それを、電子文藝館に入れて下さると聞いて、嬉しくなりました。
 NHKに入り、記者として、地方に赴任する際にも、「第一希望」を、大阪としたのも、そういう縁でした。そして、本当に大阪赴任となりました。大阪の4 年間の最初は、休日には、「織田作」の作品の舞台を訪れました。新世界、じゃんじゃん横丁、夕陽が丘など。やがて、京都、奈良、神戸など、大阪以外にも関 西の魅力に浸り、関西生活を楽しみました(その割には、大阪勤務は、4年間で終わり、東京の報道局社会部勤務となってしまいました。そして、警視庁の所轄 署廻り=いわゆる、「察廻り」時代に、ロッキード事件の発覚です。最若手の社会部記者たちは、田中角栄、小佐野賢治、児玉誉士夫宅などの張り番でした。大 阪時代の最後は、金大中事件関連、朴大統領狙撃事件関連などでした)。
 上司小剣の名前から、余計なことを想い出してしまいました。では、またの拝眉を愉しみに。
 

* 長生きのボーナス   1.9.6
 秋が厭きの掛詞なんて、私の辞書にはありません。あの酷暑から解放されて、朝夕人並みの心地がして、夜は虫の音と合奏する両のキーン、キーンの耳鳴りに も挫けず深い眠りに誘われます。ゴクラク ゴクラク。
 数年前、お歳を忘れての過労から耳の病に罹り、後遺症として激しい耳鳴りに襲われました。暫くは不眠症、心身症に罹り奈落の底でした。処方は入眠剤の服 用以外にないのですから。
 ある日ある時、耳鼻科の女医先生のアドバイスを受けて、自分の気持ちを180度転換出来ました。耳鳴りは老化現象、その歳まで生きられたのは、ボーナ ス、神からのプレゼントと思いなさいと。
 発想の転換を身をもって経験しました。途切れず響く耳鳴りとは、今ではとても仲良しです。
 と、余談が長くなりましたが、余談つづきに、四季の中では一番いいな、秋。暑からず寒からず、収穫多く、新米、秋刀魚もよし、ずあい蟹のとれとれも美味 しく。空は高く、月見もいい。ススキもいい。紫の花がいい。氏神様の秋祭り、冬への梯、冬祭りが懐かしく、佳かった。
 夢の旅にも出たい。食欲も満たしたい。生きている証に。長生きのボーナスを戴きに。
 

* 長野から   1.9.5
 こんばんは。今、長野にいます。出張中(&仕事中)です。ここはずいぶんと寒いです。
 一月程前に、先生にメールを送った直後に、会社の事業改革の一貫で、ぼくの所属する課が潰れました。製品を10年間造り続けて行きましたが、最期はあっ という間。
 それから一月あまり、感慨にふけるわけでもなく、仕事があるようなないような、ぼんやりとした日々が過ぎて行きました。
 最近ようやく他課の支援が始まったと思ったら、またも連日深夜までの仕事の日々です。失笑。
 半月程まえ、通りすがりの本屋の店頭にあった、丸谷才一の「笹まくら」が目にとまり、読みました。徴兵忌避者、という、意外にも想像したことのなかった 言葉に興味を持ったからです。(タイトルにもひかれました。)
 作品が書かれたのは70年代、戦争が終って30年ちかく過ぎなのに、徴兵忌避者である主人公は、おびえ続け(というよりおびえ始め)ていきます。そのこ とに驚きました。
 というよりも、、、戦争は、一人の人間の中で終ることがあるのだろうか?という疑問が沸きました。戦時中の体験(=殺人)を決して語ろうとしない元兵士 がいると聞きます。終らないのでしょう。
 昨今の騒動の背後にも、終らないからこそ、が有るのでしょうか。
 けれど、ぼくらの世代は傍観者以外にはなりえないのではないか、と、時々感じます。その無力感のようなものに不安を感じます。明日自分が火事で焼け死ぬ と決して想像せず不安にならない火事場の野次馬。
 ADSLですか。ネットワークの高速化・拡大化が目指すものは、「全体との一体化」なので、恐くて使う気にはなれません。(それこそコードレッドなどの ワームやエシュロン機関の格好の餌食です。)
 それから、先生のホームページは、確かに、巷のHPと比べたら不便ですが、先生が作られているのは、新聞記事のような単なるデータベースではないのです から、無理に変えることはないと思います。親切=コンビニ、ですよ。世の中がコンビニだらけになるとは思わないし、思いたくもありません。(新婚旅行で ヨーロッパ各国を周りましたが、本当に日本はコンビニが多すぎると思います。)
 ただ、先生が不便ならば、あるいは、先生がHPについて、展望を持っていれば、言ってもらえればアドバイスくらいはすぐにできます。
 HPは、基本的に会社に依らない言語(HTML)を使って書かれているので、実質的にはネットスケープのシェアのことなど心配は無用です。いつ何が起き てもいように、全ページを、ご自分のMOに保管することだけは、常にお忘れなく。そうすればいつ何時たとえniftyが潰れても、すぐに移管できます。 (保管用のMOは保管時以外は器械から外しておきましょう!最近の悪いウイルスは、器械に繋がっているディスク等も潰すことがあるので。)
(器械の話ならこれだけ熱弁振るえるんですが、それだけでは、情けない。)
 またメールします。それでは。
 

* なにごとも「馬耳東風」と言う人に、   1.9.5
   秋風や不称念仏馬の耳   遠
 

* 修羅   1.9.4
  昨日、新宿のデパートを経由のついでに、たいした寄り道ではないので、あの惨事の場所に立ち寄りました。野次馬と想わないでください。歓楽街の事故とはい え、四十四人の犠牲者には、自然と頭を下げ冥福を祈ってきました。それに、仕事とはいえ救助作業に携わった救急隊の方々の気持ち察するに余りあります。テ レビの映像にあるように、外観はあの入り口のビニールシートを取れば、三日前に多くの命を奪ったビルとは思えないほど異常なく、それだけ煙がビル内を充満 していた様子を想像させます。昔、赤坂のホテル ニュー ジャパンの火災の後、永らく放置されていて幾度も眼にしているあの大きな敷地の残骸、それよりも 犠牲者が多いなんて、修羅場の様子を想像するだけでも、肌に粟が立ちます。若い人達だけに、さぞかし無念だったでしょう。
 

* 甲府より   1.9.3
 電子文藝館、良い形になりそうですね。加藤さんのご苦労を多とします。
 メーリングリストでも書きましたが、「秦・加藤論争」は、とても大事な ことだと思います。
 文藝館のお手伝いも、ままならず、電メ研の会合にも、なかなか出られ ず、すみません。
  8月は、20日の夜に東京に帰り、21日は、歌舞伎座で納涼歌舞伎の第1部、第2部(第2部は、妻と一緒)を拝見したところで、「台風11号が、甲府方面 にも近づいている、終夜放送をしたい」という放送部長の連絡を受け、急遽、21日の内に歌舞伎座から甲府に直行。局長が不在でしたので、そのまま、泊まり 込みで対応。雨に弱い甲府盆地(大小の河川と扇状地でできている)であり、台風11号が、速度の遅い、長時間雨を降らせるタイプの台風でしたので、テレ ビ・ラジオの放送のほかに、インターネット版災害報道も、甲府局としては、初めて実施しました。
 (大兄も、台風と京都で遭遇され、大変でしたね。でも、金沢廻りで帰郷 などという優雅な旅も実現できて羨ましいです)
 さて、溜まっていた大兄のホームページの「私語の刻」を、失礼ながら駆 け足で拝見していて気が付いたことを書きます。
 1)マウスの調子が悪い、動かないとのこと。なかのボールにゴミが付い ていませんか。アルコールを含ませた脱脂綿でボールを綺麗にふき取ると、機嫌良く回転してくれますよ。
 2)「私語の刻」の「8/8(つづき)」のところで、「散り花」につい ての、私のメールが引用されていましたが、「新口村」は、「梅川忠兵衛」で、「お染久松」ではありません。「お染久松」は「野崎村」です。
  私も、息子も甲府の教習所を8月中に無事卒業(息子は、30日卒 業)、私は、24日に免許証まで戴きました(夏休みの教習所は、息子のような年頃の男女ばかりで、おじさんは、私一人でした)。
  老人夫婦が、過疎地に住む場合、買い物、診療所などに通うのに車は必要ですし、車がないと田舎では自立した生活ができないと言うことで、長年、車公害反対 の報道をしてきた立場上、免許証を取らないと言ってきたのに、節を曲げて免許証を取得しました。但し、車の使用は、地域限定で、生活に必要な最小限度にし ようと思っています。
 では、拝眉の機会を楽しみにしております。  倉持光雄
 

* 美術と火災   1.9.1
 日曜美術館のビデオテープを久しぶりに観ました。
  何年前でしょうか。我が家では最初のビデオデッキ β だけの頃です。「洛中洛外図の時代」のタイトルで、真野響子さんの司会です。ホウと声が出ます。 ほっぺからおとがいにかけて、ふくよかに揺れています。相当雑音が入りますが、これは永久保存版としましょう。冒頭祇園祭の場面から、なんとも郷愁を誘い ます。
 早朝、涼しくていい気持ちの処へ、テレビのニュースは今朝未明の歌舞伎 町雑居ビル 爆発火災を告げています。二十一人の死亡者が出る大事故です。西武新宿線の新宿駅の傍、半年程前にも、その近辺のなんとか横町が全焼の大きな火災に出くわ していますが、何時ふりかかる事故とも言えず、新宿族としては、何やら不気味です。
 

* オンデマンド出版について、  1.8.30
 秦さんのご意見はうなずけるものです。
 大雑把に書きますけれど、大きな(あるいは必然の)流れがあります。
 オンデマンドは、もとは、印刷世界で言われていたPOD(プリント・オ ンデマンド)から出た言葉で、元は、ITすべてに先行してきた米国の語。オンデマンド印刷、オンデマンド出版は、訳語ということです。
 大きな(あるいは必然の)流れというのは、21世紀を迎える数年前から 始まったIT時代の幕開けに、すでに、生き残りをかけた印刷市場の戦いが始まっていた、ということです。出版社主導で、下請けと共同作業をする出版印刷も 例外ではありません。
  いま、全国多くの中小印刷会社は(ぶらさがっている家内生産的な製本会社も)、必死に、生き残りをかけ、自前で、自宅で、街で、会社で、役所で、必要なと きに必要な量だけプリント、コピー(簡易製本を含む)できる=オンデマンド・プリント形態になれてきた顧客(ユーザー)にたいする、営業・販売戦略に取り 組んでいます。出版はやや別物ですが、印刷を中心にとらえれば、同床にあるといえましょう。
 オンデマンド印刷の市場は、「縫合市場」といわれるように、カウンター ビジネス (米国資本のキンコーズなど)、複写業、印刷業、インハウス(企業が自前で行うオンデマンド印刷・製本)、官公庁、学校群、と大きな棲みわけがありました が、ここに、新たに、出版社、書店、取次ぎ店、人材派遣業などなどが、参入してきております。
 大型コピー機メーカーの雄は、米国のゼロックス社(日本では、富士ゼッ ロクス社) で、一台、1千万〜2千万円台のオンデマンド処理(印刷・簡易製本。データ処理)可能な大型コピー機を、すさまじい勢いで販売しております。日本のメー カーも手を変え、品を変え、競争に大変です。新製品開発・販売の連続で、2〜3年で古くなるといわれる中古のオンデマンド用大型コピー機がだぶつきはじめ ております。
 いま、全国の中小印刷業は、数千万〜億単位で資本投下したオフセット印 刷機のロー ンに苦しみ、その中から、少部数、短納期の「オンデマンド」の要求にこたえられる、新しい(大型オフセット機より安い)大型コピー機の導入検討を迫られて おります。たとえば、いままで入っていた会社や役所などから、「必要な部数だけ、早く安く納品してほしい。あとは、追加で、データを少し直して、いつでも 印刷・製本できるようにしてほしい」と求められます。コストの高い大中オフセット印刷機で印刷、そして製本を外注していては、間尺に合わないものの、泣き 泣きコスト割れで受けているのです。
 従来のまとまった部数の受注でかろうじて単価をおさえてきた中小印刷業 は、少部 数、短納期に対応できない大中オフセット印刷機処理のコストパフォーマンスに悩んでいます。手間がかかりコストも高い大中オフセット印刷の需要が落ち込 み、オンデマンドのニーズが増える一方。それに加え、自前でオンデマンド処理できるユーザーが増えつつあるならば、どうしたらいいのか?といったところで す。
 印刷業の泣き言を代弁するように聞こえるかも知れませんが、やはり、大 きな流れとしては、オンデマンドでしょう。
  出版についても、大量に印刷・出版して単価を抑えてきたものの、無駄もかぎりなく多く、これからは、何らかの「オンデマンド」あるいは「電子出版」に漸次 移行せざるを得なくなると考えます。最大手印刷会社ならば、戦略的に、いかなるケースにも対応できる、つまり顧客を拾いまくる手立てがあります。むろん、 オンデマンドも電子出版も、あるいはその先も読んで、対応を十分に進めております。
 オンデマンド出版については、大手の出版社といえども、大きなくくりで は、IT革 命先行の大手印刷業、大手コピー機メーカーの戦略の中から脱して、単独でことを進める体力はまだまだ持たないでしょう。その中で、出版社がコンテンツ業を 死守するか、紙の出版にこだわり続けるか、先述した「縫合市場」あるいは「電子競争」に取り込まれるかは見えてきません。
 キーワードとして付け加えるなら、やはり「アウトソーシング」だと思い ます。リストラで失業者がちまたにあふれていく。企業はさらにスリム化を迫られ、何らかの部分で低コストの外注をせざるを得ない、と考えます。その中にオ ンデマンドが含まれるかどうか?
 いまは、オンデマンドは「紙」への出力を対象にした「軽印刷・製本」の 域を脱しておりませんが、その先に何があるか、来るか、なかなか読めないのが実状でしょうか。
 

* 「闇」が好きです。   1.8.29
  闇の中に 深く深く漂うときに  私は すべてを取り去った私になり  闇の中でしか 聞こえないもの 見えないものを 感じます。
 ときどき 闇の世界に戻らないと 何かを失ってしまうような 不安にか られます。
 人は闇から 生まれ 闇に戻っていくものだからでしょうか。
 ADSL はまだよくわかりませんが、インターネットで囲碁の対局も楽 しめるのでしょうか? 電話代がかからないで インターネット サーフィンが楽しめるようなものなのかと・・・想像しています。
 今、三島の「禁色」をはじめて読んでいます。ちょっと露骨で汚い感じで す・・・。
 

* 崇福寺   1.8.29
  お忙しいなかを 私のために 署名までしていただきまして感激です。昨日着きまして 私の時間に、『秘色』からと、御本を開きました。書き出しの4月5日 と読んだときの、私のひとりよがりなのですが、驚きというか、不思議さにまたまた舞いあがっています。私の誕生日なのです。
 崇福寺跡には 7年ぐらい前に どうしても行きたくて一人で行きまし た。そのあと古典の旅でもたずねました。思い出しながら読ませて頂きます。手元に電子辞書をおきながらです。
 

* オンデマンド   1.8.29
 「私語の刻」にある「オンデマンド出版」を拝見しました。「三方得な し」について一言。
 以前、オンデマンド印刷(オンデマンド出版も含まれる)の勉強会に少し かかわった経緯から、しいて「得」や「利」が奈辺にありやと考えれば、コピー機メーカーだとは言えましょうか。
  彼らの側からすると、オンデマンド印刷・出版は、(時代の趨勢はあるものの)、少部数、短納期を旗印にした中小軽印刷会社、一般企業、出版社、プロダク ション向けの大型コピー機の大セールス戦略であります。オンデマンドの特徴は、旧来の大型印刷・製本機にかけなくても、ほどほどの見栄えで出来上がる軽印 刷であるということです。コピー機で本ができる、というキャッチなのです。重厚長大型の、足腰の重い印刷・出版が時代についていけなくなってきた、という ことでもありましょうか。
 でも、最近、この流行語(あえて流行語と言わせていただきますが)は少 し色あせて きた感がありますね。オンデマンド出版の現況はよくわかりませんが、軽便なオンデマンド印刷はかなりサービス網が増えてはいるものの、飽きっぽくて新しも の好きの消費者向けの、新しい合言葉(流行語)は、ADSLなどを含めた「ブロードバンド」にとって替わられたようです。
 オンデマンドが業者誘導の発想であるのに対して、ブロードバンドはユー ザーの利便 が最優先されていましす、出入力のコンセプトの違いもあります。ブロードバンドというのはつかみどころのない言葉ですが、自分のPC,ITシステムを超速 で構築する、わかり易くいうと、各種端末でインターネットや情報入手をできるだけ早く広く便利に使えるようにする、ということです(通信料に反映する基本 的な通信インフラの整備はままだまですが)。
 オンデマンド、ブロードバンドにしろ、米国からの輸入語、そして、仕掛 けはいつ も、ハード、OS、ソフトのメーカー、通信会社ですね。まず、モノを大量に売る。仏に魂を入れる、遣い勝手をよくするかどうかは、かかって利用者にありま しょう。書斎や茶の間でかなりのことが出来る時代がやってきました。これは実にありがたいことです。
 でも、足るを知らぬココロの行く末、いつも便利で新しいモノに追いかけ られる、急かされる、という怖れはありますね。置いてけぼりもかなわないなあ、というのが正直なところです。
 

* 蝶の舌  1.8.27
 屋 根の上の・・・は、森繁久弥がまだ溌剌としていた初演の舞台で観ています。「サンライズ、サンセット」のテーマ曲がすてきによかった。当時はユダヤ人のこ と、独特の風習、習慣を分かっていなくて、今いま観ればもう少しは理解できるかなと、テレビの放映はビデオに撮ってあります。すぐにも観たいし、楽しみで す。
 今日は日本橋から銀座へ出て、ひとり、都内で一館封切りの「蝶の舌」を 観てきました。気になって上映館へ行ってみると、運よく入れ替えの時間でした。吸い込まれるように、シニア料金で観てきました。
 観たかった映画が観られて、今日は満足。映画館で一人で観るのは初体験 かも。七十にして自立のハシリでしょうか。平日なのに、いい映画は大入りです。
  映画は、1936年のスペイン内乱が始まった時点で「END」マークになります。七、八歳位の男の子の精神的な成長を描いてゆくのですが、子供が主人公な のに、しっかり成人向きの映画です。この世の儚いこと、人間のしょせんは孤独なこと、それに「蝶の舌」など自然の不思議。初めて教わる数々に導かれ、心の 繋がったかと思える老教師との微妙な交流。光美しい風景、情緒豊かなお話。ホノボノと、ほっこりと、穏やかに、時には、眼が潤み、共鳴しながら観ていまし たのに、最後に母親から仕掛けられて発する少年のショッキングな言葉。その少年の顔のアップで終わります。
 その言葉は・・・
 スペイン内乱は重いテーマとしてたくさんな映画になっていますが、ピカ ソのゲルニカを識っている程度ではとてもとても不足ですね。
 

* もう秋   1.8.27
  めまぐるしく動き廻り、騒がしくじゃれ合うチビッコ ギャング達。ソフアーの部屋は遊びの陣地になってムチャクチャ様代わりしています。健康に育ってい て、友達扱いのオババとしては何より嬉しい。少々疲れましたが、一晩ぐっすり休んで回復しました。こんなのを三人育てていた頃を懐かしく、想い出します。
 息子は多忙で昨日の内に帰阪、台風は今日、葛飾区の嫁の実家へと去りま す。
 今朝は、暖かい緑茶が懐かしく。
 もう秋。
 

*  宇治十帖のことなど   1.8.27
 ひさびさに、夜更かしです。  めずらしく、涼しい一日でした。
 台風の影響か、週のはじめにけっこう雨が降りました。金・土は例によっ てかんかん照りでしたが、夏は少しずつ過ぎていくようです。
 今年は桃が美味しい。猛暑のおかげなんだそうで。あたりはずれのある果 物ですが、今のところ裏切られていません。この暑さもちょっとは許してやれそうです。
 勉強半分でもありますが、古典が面白くなってきました。「源氏物語」、 今日「総角」に入ったところです。少しずつしか読めないので、「匂宮」から始めました。とりあえず「夢の浮橋」まで、秋のうちに渡っておきたくて。
  音読で進めています。時間も負担もかかりますが、原文で読むことに馴れていないので、眼で字面を追うだけでは、どうも身が入らない。それでも岩波文庫版は 丁寧に主格目的格が示されているから、なんとか大意を汲み取れています。細かい部分はどうしてもわからなくて、そのまま読みきってしまいます。
 与謝野晶子訳で読んでいたのとは、やはり違いますね。なぜか情景が現代 語訳よりも鮮明に浮かんでくるんです。それから、言葉の響き、文体の流れが本当に美しい。秦さんの文章に近いものを感じます。
 古典に「親しむ」というにはまだまだですが、受験勉強だからといって身 構える癖はなくなりました。少しシンドイ思いをしながら、楽しんでいます。
 晩年のエジソンは「発明は1%の才能と99%の努力である」と語ったそ うです…このことについて、或る人がこんなことを言っていました。
 … 自分は中学生の頃に英語の授業でその言葉を先生から教わった。その先生は、要するに努力が一番大切なんだというようなことを話していた。しかし、本当に努 力が何よりも大切なら、エジソンは「発明は100%の努力である」と言ったのではないか。なぜ「1%の才能」と敢えて言ったのか。…
 英語では、「1%の"inspiration"」と表現されていたそう です。それを、日本の人たちは「才能」あるいは「ひらめき」と訳してきた。
 … しかし、そもそも"inspire"という動詞は、「鼓舞する」という意味を持っている。つまり、この"inspiration"は、自分をかきたてるも の、動機、のことを言っているのではないか。確固たるモチベーションこそが、99%の努力にあと1%欠かせない、最も大切なものなんだと、エジソンは言い たかったのではないか。…
 その人の話を聞きながら、これは秦さんのことだ、と僕は思っていまし た。
 少しずつですが、自分の触れたもの感じたこと、誰かの言葉、作品…いろ いろな物事が繋がって、僕の中に何かを残していってくれます。その残ってくれた「何か」を糧にして、僕も何かを残していきたい。
 またちょっと長くなってしまいましたね。
 本当はもっと書きたいし、もっとたくさん送りたいのだけれど…それは来 年の話ですね。でも、去年よりは時間の使い方が上手くなったのかなと思います。
  僕も秦建日子さんの「救命病棟24時」見ましたよ。ドラマそのものを初回から見ているんですが、設定に自信があるのか、毎回脚本家を替えているようです。 (最近のテレビの中では)それなりのキャストが揃っているだけに、脚本によって出来に差のあるドラマです。建日子さんの回は、キャストを使い切れていな かった印象を受けました。秦さんの戯曲「こころ」のような脚本を書ける人になってほしいなと思います。
 迪子さんともどもお元気でいてください。僕も頑張ります。
 

*  風雨     1.8.24
 二十一日、「天神さまの美術」を見にゆきました。駅から平成館までのわ ずかな距離でしたのに、ジーンズの裾がじっとり濡れてしまいました。しかし、不快な気分を忘れさせてくれるものが、ひしめいていました。地獄めぐりのおび ただしいのに、だいぶ、消耗しましたけれど。
 こうした大勢のひとのあつまるところに出かけたのは、ほんとうに久しぶ り、そう、歌右衛門の亡くなった雪月花の照りあった日以来でございます。少し、人に酔うたようでした。
 帰り、なまあたたかい強い風と横降りの雨に、奇妙なかきたてられようを しました。
 元気を出して、もう少し、小侍従さんとのおつきあいを続けたい、深めた い。そうした気持ちになっていました。香魚
 

* 恐風  1.8.24
  台風より怖く、秋風より寒い風、リストラ風が主人の首筋に吹きました。49才で出向したまま退職です、53才で。よい声で囀れない雀のメールが続くかもし れませんが、聞いていて頂けますか。
 

* 北澤さんのこと   1.8.23
 秦様、台風をかいくぐっての京都への往き来、お疲れさまでした。奥様と の京都歩きに、後ろから私も付き従うような感じで「私語の刻」を読ませていただき、楽しんでいたのですが、途中であらまあ……と。北澤式文さんの名前がで てきて驚きました。
「薬 剤の北澤さん」としておぼえている先輩です。北澤さんとは研究室が異なったので、先の富士谷あつ子さんの夫・憲徳(元京都薬大教授)さんとのようにいつも お喋りしていたというようなことはないのですが、存じています。北澤さんは京大ではなく慶応の医学部の薬剤部が長く、そちらの教授でしたから、ずっと、今 も、東京(ご自宅は船橋市)です。きっとお盆にわざわざ墓参をなさったのでしょう。
 夫の兄が同じ薬学で、北澤さんの一年上で、いっとき慶応の薬剤にもいた ことがあるので、恐らく親しいと思います。いろいろ不思議な縁で繋がっているものですね。
 数年前、大正製薬で結構偉くなっていた私達の同級生が肝臓癌で急死し、 その葬儀が田無の護国寺であり、そのとき北澤さんをお久しぶりにお見かけいたしました。まあ、そんなくらいのことで、どうということもないのですが。
  私はこのところずっと京都にご無沙汰して、お墓も参らず、申し訳ないと、西の方向いてあやまっています。7月12日の父の命日も、8月のお盆も、私の怪し げなお経を家であげて勘弁して貰いました。でも正因寺の万年ご住職は「そうやっておうちの方がお参り下さるのが一番でございます」と言って下さるので有り 難いことです。
 大文字も過ぎ、高校野球も終わり、もう秋が近いと感じます。残暑の候、 お身お大切にお過ごし下さいませ。お陰様で私達夫婦は元気にやっております。2001/8/23
 

* 熱暑   1.8.20 
  西風が運ぶ浪速の37度。秋まで、彼岸へ避難して、仮死で、夏期を過ごしたい。西の暑さに耐えかねて、雪国育ちの雀が飛んだ、先は西方、バケ雀。ビル火災 で、救援がそこまで見えているのに、熱さに堪えきれず窓から飛び降りる。その気持ちがわかります。ヒートアイランド大阪の熱を連れてくる西風が原因らしい のですが、25度ー35度の日が殆ど休みなく、しかも今年は長丁場。熱中症にもなりかけましたし、西日本の暑さに降参、疲れた、眠い…。台風の風になって きました。備えをしておかなければ。雀
 

* 地蔵盆   1.8.18
  もう、全快で元気モリモリですか。
  痛みの状態がどうなのかは、分かりませんが、一般的には、男性はお産の経験がないので、痛みに弱いと聴きます。経験のある私でも、脹ら脛が長時間(と言っ ても数分らしい)攣れたときは、あまりの痛さに脂汗を出します。わりと頻繁にやってきます。マア、だましだまし付き合っています。
 昨日、桜木町の商店街をお買い物の自転車でサーと通り抜ける私を、大声 で呼び止めてくれた人は、二十年も前にアルバイト先で一緒に働いていた十歳は若い奥さん。その後二度ばかりスーパーなどで、彼女から見つけてくれて立ち話 をしていますが、今回は五、六年ぶりの再会。
 自画自賛になりそうですが、私にとっては、とても嬉しい事なので、「ジ コチュウ」の汚名返上の為にと・・・
 「あなた、よく分かったわね」から始まり、殆ど忘れかけている私に嬉々 として話すので、聴いてみると、少し後輩だった彼女達にとても親切だったから、逢えたのが嬉しくて、と、言ってくれるのです。寝耳に水とはこの事です。
 (余談ですが、昨日の夕刊に、「寝耳に水が入る」か、「寝耳に鉄砲水な どの大きな音が聞こえる」か、語源の選択は難しいと結んだコラムがありました。)
  主婦向けに何時でも休めるメリットがあり、私は数年勤めましたが、半日でキャンセルする人もいた程に人使いの荒い、厳しい職場だったので、目立たない、何 気なくの心づかいがきっと好印象を与えて、親しんでくれたのでしょうね。横一列の女性ばかりが八割の仕事場では、良くも悪しくも多くを体験しました。
 ネ、見直してくださいネ。かわいいでしょう。
 このまま秋が来るかしら。まだ、無理ね。京都はそろそろ地蔵盆だから、 涼風がたってると、身体が楽ですね。天然クーラーに勝るものなし。
 

* 送り火   1.8.17
  庭の隅に 小さな野草園を作ろうとしています。小田急の各駅停車の乗り場の入り口に「野草」を取り扱っているお店があります。今日は「ほととぎす」を二種 類、「おみなえし」それから赤いききょうなど五種類ほど求めましたら、「あしたば」をおまけにそえてくれました。水をたっぷりとあげないと、この季節、な かなか根づいてくれないかもしれません。朝の仕事が増えました。田舎で育ったせいか、野の草や花に手を触れていると心和みます。もうひとつの小さな花壇は 紫サルビアと黄色い花、玄関の鉢植えも洋花なのですが・・・。
 昨日京都は五山の送り火。幼かった三人の娘達と昔 出町柳のあたりの賀 茂川べりで眺めました。ただただ美しいもの・・・ と。今は、亡くなった人にとらわれ過ぎないように、魂をそっとあの世に送り返す火なのかと・・・思いま す。
 

* 黒いピン   1.8.17
 お躯の変調、お案じ申しています。ご無理が積もり、夏の疲れも積もって のことでしょうか。どうぞ、おたいせつに。
 わたくしの黒いピン、気づかせていただいて、抜いた、抜けたつもりでし たが、抜けていません。
 どうしてこんなに騒がしいのか、そう、おもっていました。どうして、い つも心落ち着かず、充足感がないのか、さびしいのか。そう、おもっていました。黒いピンの存在に気づきもせず。
 子供のころ、乳歯がなかなか抜けなくて、歯医者さんに抜いてもらいまし た。麻酔注射をされ、それでも痛くて痛くて。
 黒いピンは独りで抜かねばなりません。耐えられますかどうか。
 今日、ひぐらしを聞きました。七階のわが部屋に、昨夜は、翅の先が茶色 のとんぼが泊まってくれました。
 わが心の騒がしいのはわが心から。
 ヒットラーもどきの総理大臣や都知事の言動は、騒がしいでは済まされぬ こと。隣り街にある私立学校は、例の歴史教科書の採用をきめました。
 

*  黒いピン  1.8.16
  私は黒いピンをはずすと 物足りないどころか 不安になります。落ち込みさえします。ゆったりとしたありのままの世界に身を置くことができないのです。黒 いピンを刺して 約束事 を果たし、課題 をこなし、役割 を演じる ゆっさゆっさとしたせわしない時間にいるときのほうが、気持ちが安定するのです。ま さに マインド のかたまりですね。
 黒いピンを抜いて 静かにたゆとう世界に身を置いたときに 気持ちが楽 になれるようになりたいのです。
 いつとはわかりませんが幼い頃 黒いピンをそっとつけられた思いがしま す。ああ、私の周りに何人も、黒いピンを、そうとはしらずにつけている人たちがいます・・・。あなたのお話でそれに気づきました。黒いピンを 意識して時 々はずしてみることにします。

* 思うままには取り外しできない、その存在に自覚的に気づきもしていない、のが 「黒いピン」のようです。ある時 期まで、抜こうにも抜けないのが「黒いピン」のようです。まして抜けたらかえって不安になる人には。しかし、あなたはとにかく一つの視点を持ったのではな いでしょうか。ドンマイ(don't mind !)を呪文のようにとなえてでも、マインドまみれの多忙な日々を少しでも軽く明るくしたいもの。深い楽しみをもてることも大切かと。秦
 

* カナダから  1.8.14
  元気でおります、恒平さん、 久しくメールが途絶えて心配をおかけしたようです。年齢相応の故障はありますが、ま、贅沢は言いますまい。いよいよペンショナーと呼ばれるようになりまし たが、身も口も達者な方だと思っています。 5月から10月までの観光シーズンは、その口を生かして終日観光バスのマイクを握っています。ガイドは一種のエンタテイナーとでもいいますか、、、笑いを とりながら客をケムに巻くおしゃべりも楽しいもので、、、。その間を縫ってカナダの新聞と日本の雑誌への定期的な寄稿といった、気楽なセミリタイヤメント なのです。
  ホームページは拝見していますから、恒平さんの近況はよく伝わっています。一方通行になってしまい、これも”片便り”というのでしょうか。 湖の本も読ませてもらっています。そのわりに読後感といった個人的な反応を書き送らないのは失礼な気もするのですが、それは32年の昔、太宰賞受賞の ニュースを聞いたあの時の感懐につながるのかもしれません。友人がいよいよ世に出て、文学のプロ、アマを問わず不特定多数の読者に恵まれた執筆生活に入 る、、、失敬をかえりみずに言えば作家としての”巣立ち”だと思ったのです。もう自分などが見当はずれの批評を書き送らなくても、、、という気持ち。期待 通りその才能が世に認められ、旧友のひとりとして我が意を得た思いであったあの時のことが記憶に甦ります。 現在はユニークな出版形態の中で”特定多数”のすばらしい読者の支持を受ける数少ない幸せな作家だという認識です。
  2年前に初めてHPを開いてビックリ仰天の思いだったことが、一つあります。私の知る恒平さんは、常に時の流れに超然として”我が道をゆく”おもむきがあ り、そんな世離れしたところに秦作品の特徴があるのだと解釈していたものですから、「生活と意見」のようにドロドロした時流に棹さす時評には「へえー」と いう気がしたものです。いや、それがどうこうというのではありません。「フムフム」と頷きながら呼んでますからね。
 ところで、新首相の小泉さんとやらにも困ったものです(海外居住者にも 選挙権がありますので、すこしは悪態をつく権利はあるでしょう)。靖国13日参拝などと、足して2で割ったようなのはお笑い種です。強行か、止めるか2つ に1つであるべきでしょうに、、、。
  わたしの岳父は57年経った今も南海トラック島沖の、みな底に眠ったままです。かりに遺骨が収容されても靖国の社とやらへは帰らないでしょう。実のとこ ろ、そんな神社が東京のどこにあるのかさえ私どもは知らないのです(知りたくもなし)。初めての子を宿した新妻を残して散った人の無念が晴れることはない でしょう。そのお社を肉親の霊の鎮まる所と信じる人達を誹謗する気はありませんが、遺族などという言葉でひとくくりにしないでほしいものです。
 

* 電子文藝館 只今は足元を  1.8.14  
  電子文藝館が、ペンの財源になるかどうかは、考えること自体が時期尚早で、今は、悲観的に予測不能とむしろ考えていていいことです。今から皮算用に走る必 要はありません。目下は、ひたすら、無事に美しく「開館」することです。喜ばしきサイトを、豊かなコンテンツを、これは電メ研全員の仕事であり、それも無 償の仕事だということです。電子文藝館という発想も運営も、電メ研の非営利の仕事。将来財源になるならそれは結構なことぐらいに、事務局長の胸に今は預け て置くつもりです。事務局の能力も労力も、あまり今はアテにしない方が秋尾さんたちに親切です。「新館建設」という難事を事務局は抱えていますから。
 ペン会員から電子文藝館へ何らかの寄付を募るようなことは一切致しませ ん。
  電子文藝館が理事会で承認された一つのメリットは、他の事業に比して経済的に、つまり金があまりかからずに実現しそうだという点に有りました。電子メディ アの工夫のしどころとして、金より頭を使えるだけ使おう、簡素・簡略な便法も生かそう、最初から金をかけて贅沢な完璧主義になど走らず、のちのち手間をか けても、ゆるやかな時間的経過の中で、より良いリニューアルを重ねようというわけです。
 発案者の秦には、白状しますと、私の「e-文庫・湖」の立ち上げの際 に、この「日本ペン電子文藝館」があったのです。自分のサイトで実験してみたいと。少なくもコンテンツという面からは、行けると確信したので提案しまし た。基本的には、
だから「e-文庫・湖」の「日本ペン版」が出来る、結局はそうなる、それ しかあり得ないだろうと予想しています。サイトの構造や使い勝手の工夫は別にしてですがね。
 秦の頭に、無事の「開館」には、基本が、二つ。
 万人がアクセスして、「差別も支障もなく適切に読めるサイト」、日本ペ ンが謙虚に、しかも誇りをもって世に送り出せる「優れた文藝・文章」の収集。
 余のことは、その先に自然に起きてくる問題で、その時の対処で足りると 思っています。
  サイトの方で、倉持さんから、「化ける」という報告、これを気にしています。「化けない」ことを不動の原則に。また、ディスク等で原稿を受け取るとき、そ の原稿に手を加えることは、よくよくでないと出来ません。一度校正を出すにしても。そのためにも、寄稿者全員に簡単に理解可能な「手順・方法」の提示が前 もって必要。ルビなど、うしろに括弧して入れるなど、簡単明瞭な指示がやはり統一可能で、有効ではないかと、今も思います。誰もが正確に、首をひねらずに すぐ出来ることですから。届いたディスクをすべて点検し、こちらで書き換えるなど、事実問題として不可能ですから。オドリも、「いろいろ」「たまたま」で いいですよと事前に告げておく方が、やはり遙かに簡明です。寄稿者は、みな「機械の初心者」であるという認識をあえて「根」に置いておきたい。
 コンテンツの方ですが、著作権の切れた方の作品選びをしますので、ス キャンと校正の出来る方、スキャンは出来ないが校正の出来る方、図書館等でコピーの頼める方、ここ暫くの期間、幾つか担任していただくことになります。動 き始めたいと思います。    座長 秦
 

* 光る秋    1.8.12
 今朝の札幌は晴天。目が覚めて窓を開けたら、無数の光るものが飛んでい ました。朝日を受け、南から北へ、輝いていたものは、とんぼ。すいすいではなく、流星のように、まっしぐらに、次から次へと、飛び去っていきました。
 夕刻。友人を送った帰りに、北の空を見ると、手稲山の稜線が金色に輝い て、刷いたような雲が茜色に。澄んだ景色に運転の手をとめてしばし見入りました。
 秋はきた、と感じました。
 立秋を過ぎ、関東はしのぎやすくなりましたか?お大事に。  maokat
 

* 小中専務理事 秋尾事務局長 殿     1.8.12 午前
 小泉首相の「熟慮」中の今こそ、「靖国」問題で日本ペンは、「首相の靖 国参拝」は、いかなる形ででも実施すべきでないと「緊急声明」し、態度を鮮明にすべきだと思います。執行部で緊急に善処して欲しいと正式に一理事として提 案要
請します。
  組織を割りたくないと、梅原会長は石原都知事の名をあげて躊躇の弁を先日の集会でも述べられたが、可笑しいのではないか。二千人近い会員の一致した意見な ど、核でも環境でも人権でもあり得ようわけがなく、そこはその時点での役員・理事の多数意見でよいはず。「戦争を考える会」では、出席役員・理事の一人と して会長の靖国参拝反対意見に不同調の人はいなかった、その強固な事実を現時点では考慮すべきだと思います。十日の菊、六日のあやめにならぬようにと。     理事 秦 恒平
 

* とらわれ   1.8.12
  どうして過ぎてきた過去にいつまでもとらわれているのか。
  両親の結婚の失敗はあなたに無関係です。あなたの結婚の蹉跌は、あなたの親にも子にも無関係です。子の結婚にもし何かがあろうと、あなたの失敗ではない。
  あなたは無用に親や子に手を出し過ぎ・抱え過ぎなのでは。それは愛ではなく、一種の思い上がりです。落としてしまうべきです。
  あなたはこれからも自分一人で生きて死んでゆく。あなただけでなく、誰もがそうです。そのなかで、なにが自分か、自分は誰なのか。孤独に自身と直面して、 毅然と生きなくては。献身しているようで、じつは甚だ自己中心的に自分をいい子にしているかも知れない。
  きついことを言うようですが、だれも言っては呉れないでしょう
 

* 秦先生、お久しぶりです。   1.8.10
  ホントにお久しぶりです。
  今日は上司の歓送迎会で一旦外に出てお酒を飲んで職場に帰ってきました。4月以降様々な、本当に様々な案件が転がり込んで来て、心の余裕無く過ごして参り ました。今日はお酒が入っているせいか、この様にホントに久し振りにメールを書く気分になっております。今日は、多少は早く家に帰れるでしょうかね。
 先生からは色々と期待されている事を知りつつ、また友人知人達からも色 々と期待を受けている事は知りつつ、日々の生活に埋没してしまっています。“期待されている”と思う事で自分を奮い立たせる日が何日も続きました。これが 良いこととは決して思いませんが。
 『ディアコノス』読みました。靖国問題や教科書問題にも大きな関心を寄 せています。小泉首相は、大丈夫でしょうか。やはり、私は田中大臣より扇大臣の方が、信頼出来ると思います。
  世の中には様々な関心事があります。それら対して妻とは意見を闘わせますが、外に対して発せられません。妻も教育問題に大きな関心を持っています。日本は 大丈夫でしょうか。無性にこの仕事を放り出したい気分に捕らわれる時があります。何を偉そうに、と言わないで下さい。自分が居なくては、とでも思わないと まわりの人間と戦う事も出来ませ
ん。戦わなければ何も変わりません。でも、本当に戦わなければいけないこ との1%も戦っていない自分がここに居ます。
  愚痴になってしまいました。書きたい事の少しも書けていませんが、そろそろ終わりにします。こうやって時間が経って結局、何も言葉を発せずに引き出しにし まわれてしまう事柄がありますが、24時間という限られた時間の中で、社会生活を送るには仕方の無いこと、と割り切らざるを得ません。最後に“仕事で”某 業界紙に寄稿するべく書いた原稿を送らせて下さい。年末年始に新婚旅行に行ったイタリアの事を書いています。思いを風化させないうちに、と振り絞って書い た一つです。
 以上です。酔っぱらいの文章で申し訳ありません。

  「まちづくりの視点」
 だいぶ前になるが、機会に恵まれ、ローマの街を訪れた。学生時代に何度 か、といっても二,三度、好んで足を運んだ都市である。就職後初めての今回の訪問でも、ローマは相変わらずローマであり、二千年の時を経てなお、生活に溶 け込んで生き生きとした市街は健在であった。
  デコボコの道やまがりくねった道、(あれッ美空ひばりみたい。)見通しの悪い交差点に加え、段差だらけの歩道。それなりに贅沢したつもりの四つ星ホテルに 泊まったのに、今にも止まりそうなエレベーター、そして重たい窓とドア。その一方で、寒空のもと、街には花が溢れ、行き交う人々の元気な声、街角の広場に 開かれたお祭りさわぎの市場に並ぶ色鮮やかな野菜の数々、どのどこの店先もの目をみはる美しい色使いなど、ローマを彩る色彩・空気・もの音の織りなす景観 のなにもかもが楽しくて、あっと言う間に(白状します、新婚の旅の)滞在期間は過ぎてしまっていた。
 もちろん日本にも、長い歴史の街や住人の旺盛な声溢れる街など、心惹か れる都市・ 市街は沢山ある。身近な日本の内だからこそ、興味も持ち理解も得たくてそれらの街々を見てきたつもりだ。人の暮らしに添い寄りながらじっくりと熟成された ような街、四季に応じて景観も階調も静かに変えてゆく繊細な表情の街など。
 どちらが良いというわけでなく、だが、ローマの街と日本の街には根のと ころで大きな何かの違いがある。
 ローマ人(という概念があるのかどうかは別として・・)は、街に存在す るむろん植物も、 人工の建物でさえも“自然のもの”と見ているのではないだろうか。これが、私の辿り着いた結論である。ある土地や、そこに植生し生息する植物動物は、私た ち日本人も“自然”として見ている。だが建物やそれに付属するもの、つまり人間の手が作り出したものは“自然”とは見ていない。
 ローマ人は家具や壁紙などのインテリアを替えることで、古い建物も自分 のものに機 能させている。単に壊れにくい建物だから、あるいは古い物を大切にしている文化だから、と言えばそれまでかもしれないが、山さえ切り崩し、土地を意のまま に造成することも厭わない日本人の私たちにしてみると、彼らとのこの違いを、根本的な思想の違いと考えた方が、私には理解しやすい。
 日本では“親に貰った体を自分で傷つけるなんて”と批判する。ローマの 人々には、 土地も植生も、そして建物ですら全て神様から授かったもので、軽々しく変更し変容することは、×では無いが、何でも○というわけでは無い。“神様に戴いた ものを人間が傷つけるなんて”というわけだ。むろん手続き(どの様な手続きかは分からないが)を踏んで、本当に必要なものだけを神から賜った土地の上に作 らせて貰うという、厳かな、もしくは敬虔な思いがあれば話は別なのだろう。木々や緑が特段多いとも思わないが、イタリアの街を歩いていると、様々なモノに 対するイタリア人のそんな思いが満ち溢れているようにしか思えない。
 省みて、我々にもこの思いがあるかと考えると、答えに窮してしまう。実 際には、ただ政策的な意義や経済効率などを一生懸命説明しつつ、色々なものを作りまた壊していはしないか。
  先日、以前に行って気に入ったレストランを久しぶりに訪れてみたら、更地になっていた。久しぶりとは言え三ヶ月ほどのことであった。レストランの潰れるの は経営の問題でもあろうから仕方無いとしても、建物まで壊さなくてもねぇ、と思う。この世に永遠に存在しうる何一つ無いのは百も承知の上だが、二千年の時 を経て未だ生き生きした街が世の中にはあると考えると、心強くあるのとともに、余りに早い街の変貌や改造には、どこか人の思いの軽さも感じざるを得ない。 地に足をつけた謙虚な「まちづくり」をこそ、この(爛熟気味の)成熟社会は心がけて行くべきではないのか、という思いを強くした。
 

* たましいを研ぐ  1.8.9
 秦先生。8月に入り、暑さも少し休んでいるようで、しのぎやすい日が続 いておりますが、いかがお過ごしですか。私もやや夏バテ気味でしたので、この涼しさで生き返る心持ちです。もっとも、立秋とは名ばかりのようで、週末には また暑さがぶり返すそうですけれど。
  一昨日、わが家のポストにちらしが入り、流しの砥ぎ屋さんが近所に来る、と言うことでしたので、かつお節削りの刃を持って出かけました。他の刃物について は、お世話になっている砥ぎ屋さんがあるのですが、そこは預ける日数が少し必要で、毎日使うかつお節削りはなかなか出せずにいたものですから、その場で砥 いでくれる流しの砥ぎ屋さんなら有り難い、と出かけたわけです。幼い頃は、こうした砥ぎ屋さんが時折来て、その場で砥石を使って鮮やかに砥いでくれたもの ですが、最近は全く来てくれることはなくなっており、久しぶりだな、と思いつつ出かけたのです。
 しかし結果は惨澹たるものでした。世間知らずな私は、電動の砥ぎ機とい うものがあることなど知る由もなく、預けたとたんに発電機をまわしはじめた砥ぎ屋さんを訝しく思いつつ見ていたところ、なんと物凄い勢いで回転する円形の 砥石様のもの(?) 刃を当てているではありませんか。今さらやめてくれ、とは言えず、仕上がったかつおぶしの鉋と2本の包丁は、持ち主にとっては胃がきりきりするような状態 になっていました。
  言うまでもないことですが、包丁が爽やかな切れ味を保つには、刃の端が鋭くなっているだけではなく、面が平滑になっている必要があります。電動の砥ぎ機 で、旋盤のように砥がれてしまった包丁は、刃こそ鋭いものの、刃の横面はムラになっているのが反射の加減でよくわかります。手で触って感じる程度ではない のですけれども。
 包丁というのはそもそも何層かの鋼で構成されていますが、この各層は反 射率が異な り、故に平滑に砥ぎ上がった包丁は刃の際に内側の層が一直線にあらわれて、すうっと一筋の縁がついたように仕上がるものなのです。ところが、今回砥ぎ上 がった包丁は、これらの層がわらわらといった感じに現れており、見ただけでも感覚的に、これは切れまい、と思わせるものになっているのです。
 この包丁で試しに胡瓜を切ったところ、案の定、刃はきれいに入るもの の、滑りがどことなく悪く、するっと下までおとせない。もちろん、切れはするのですが、切りおろす際になんとなく軽い摩擦を感じるのです。気にする私が神 経質すぎるのかもしれないのですけれど。
  胸の中をなんとも重く湿っぽいものが漂います。この砥ぎ屋さんが意図を持って、つまり、手軽に稼ごうとして刃物には悪いとわかっていながら、こういうこと をしているのならまだ救われる気もするのです。ところが、この砥ぎ屋さんは親切な方で、かつお節削りの刃を乗せる台が、少し緩んでいるから、紙か何かを噛 ませた方がいい、とか、きれいにかくためには、かつお節を濡れぶきんで包むといい、とか、いろいろと教えてくれるのです。そこまで知っている人が、なぜこ んな砥ぎ方をするのか・・・最も、プロであるべき人が、そのプロフェッショナルをどぶに捨てるような方法で商売をしていて、本人は哀しくないのでしょう か。
 話はまだ続きがあるのです。家に帰ってきて、削り台からの刃の出方を調 整しよう と、木槌でこんこんやっていたところ、砥ぎ屋さんのいう通り、台の空き方と刃の大きさが微妙にずれている。原因は、刃をおさめるべき場所の切り口が荒れて いるからでした。切り口は、恐らく3回にわけて台から引いたと思われ、その息継ぎ部分がそのまま荒れているのです。ほんの少しやすりをかければ、あるいは やすりをかけて減る分を計算して木を引けばよいだけですのに。このかつお節削りを買った時は、結婚したばかり。一番お金がない時期で、お店の中から一番安 いものを買ってきたのですが、値段の違いはこういう部分にあらわれるのでしょう。安かろう悪かろう、は納得できるような気もしますが、やはり気鬱になるの は、こういう品を作った職人さんの心です。木材を扱うプロでありながら、木の切り口の始末もしない・・・これは、料理人が鍋を洗わずにそのまま次の料理を 仕込むようなものではないでしょうか。こんな作業は大した手間でもなく、そしてプロならば「そうしないと気がすまない」というこだわりがあるはず。このよ うな心の荒れ方は、私には全く理解できないものです。
 吉川英治の「宮本武蔵」に、「御たましい研ぎどころ」と看板を出す研屋 が出てきま すね。なまくら武士となまくら刀ばかりが増えている昨今の世があまりにもひどいので、自分は「刀」ではなく「御たましい」を研いでいるのだ、と敢えて看板 を出している。職人さんというものは自分の領分にそのくらいプライドを持っているのではないでしょうか。だからこそ、私は職人さんというものに昔からとて も敬意を払い、払い過ぎるが故にそれが高じてかつて「東京職工学校」であった大学に入り、今も職人さんと直接関わる仕事をする次第とまでなったのですけれ ども。
 職人さんだけでなく、プロというものは普く自分の持ち場に関して、譲れ ない自らの 基準を持っているものだと思うのです。常に「たましいを研いで」いるとでも言いましょうか。けれども、最近はそういう心の持ちようをしてくれるプロが少な くなっているのかもしれません。それがあまりにも哀しく、私の心を重くするので思わず、これこそが今の日本の病み方を表しているなどとまで感じてしまいま す。
 お忙しい中、長いメールで失礼いたしました。天候がなかなか安定せず、 夏風邪も流行っております。どうぞお身体をおいたわり下さいませ。
 

* 腰痛  1.8.9
  八、九年も前ですか、介護中の決して体重の軽くはなかった母を中腰で抱き上げようとして、初めて腰を痛め、整形外科で検査を受けましたが、診断は老化に依 る椎間板のクッションの摩滅でした。骨密度の方は素晴らしいとお墨付きを戴きましたが。右腰は過労になると痛みます、が、ヘルニアではないので、手当とし ては熱をとる冷シップ以外になく、まあその程度のものなんでしょう。痛みの度合いにも依りますが、怖れて安静にしているよりも、筋肉を作る為によく動く方 がいいようです。これは膝痛にも言えます。
 姉妹三人+一人で参加の、北アルプス白馬方面の短いツアー旅行でした が、それぞれ の体力に合わせてトレッキングをして、楽しみました。まだまだ、多くの高山植物が咲き乱れて、歓声を挙げました。腰痛で医者通いの老人の行動ではないです よね。分かっています。山の魅力はその比ではないのです。
 リフト、ロープウエイを乗り継ぎ、降りた処が標高千八百*米。午後の事 もあり、蒼 空には程遠かったけれど、ほぼ三千メートル級の幾つものピークを眼前に望み、もう腰の痛みを忘れて、妹とガレ場の急坂をカモシカの如く、四十分ばかり登り つめて、神秘の八方池に辿り着きました。永年恋いこがれた池との出逢いです。感激で、このまま天空に吸い込まれてもいい、と、大仰な事を想いました。ウソ ではないのです。ちまちました雑念はすべて空に霧散しました。
 自然に帰す。
 人間すべて原点に戻れば、世の中の些細ないざこざは皆無でしょう。大自 然はそう想わせます。
 主婦仲間と、紅葉の頃に再度訪れるプランもあります。
 

*  陽気なリズム   1.8.9
 暑中お見舞い申し上げます。猛暑の毎日ですがいかがお過ごしでしょう か。私はカビ臭いレコードをパソコンでせっせとCDに化かして暑さを凌いでおります。
 月に何度かは河原町界隈に出掛けますが毎月2日曜日の1時からは四条木 屋町上るニュー・トレッカビル2Fのメキシコ料理店「マリアッチ」での月例レコード・コンサートに出て二次会でテキーラを飲んでおります。
 7月に創立50年を迎える「京都中南米音楽研究会」のメンバーになって 40年、よくもまぁ飽きずにと我ながら呆れております。
 アルゼンチンタンゴ狂徒ですが、きょうは手持ちの音源の中からラテン、 フォルクーレ、フラメンコなど取り混ぜて一枚作ってみましたのでどうかご試聴ください。市販の復刻盤CDと違い無修正のため針音やノイズが耳障りな曲が殆 どですが録音年代に免じてお許しのほど。
 暑中見舞いのつもりが独断と偏見の選曲CDで却って酷暑に輪を掛けるの ではといささか案じております。何はともあれ時節柄くれぐれもご自愛ください。不一   2001年盛夏
 

*  散り花   1.8.8
 お申し越しの件ですが、歌舞伎座に確認したところ、「散り花」と言うそ うです。
 かっては、三角形、いまは、四角形の紙で作られた雪は、例えばお染久松 の「新口村」などでは、舞台天井の「葡萄棚」に仕掛けられた数個の「雪籠」から落ちてきます。
 これが、「金閣寺」になると、雪の替わりに、花弁形に造られた紙が落ち てきますが、その場合も、花弁を散らすのは、やはり、「雪籠」です。
 しかし、ときどき、舞台と関係なく雪や花弁が落ちてくることもありま す。それは、前の演目で使用したものが、なにかの弾みで落ちてくるという場合もあります。
 

*  立秋    1.8.8
  暦のうえでは秋。「暑中見舞い」は変かしらと思いつつ、この暑さですもの、まだ夏本番としか言いようがないですね。阿波踊りが終われば、吹く風にも少し秋 を感じられる気がしてきます。さほど変わらない気温なのでしょうが、不思議とそう思ってしまうのですから、人の感覚っていいかげんなものかもしれません。 でも、この「いいかげん」な感覚こそ、季節の移ろいを身近に感じるには大切なもののように、私は思っていますの。東京は少し気温が下がったようですけれ ど、まだまだ暑さには油断なさいませぬよう、御身お大切に。お肉を少しばかりですが、暑気払いにどうぞ。   花籠
 

*  アルジャーノンに花束を   1.8.5
 やっと娘のイベント(結婚式)から開放されました。安堵と共に良いお芝 居を見たい「アルジャーノンに花束を」を見ようと。盛大な拍手をされてきたと「私語の刻」 で読ませていただいてから、ずいぶん日が経っているようで心配しましたが、取り敢えず、三百人劇場へ問い合わせました。嬉しい事にまだ公演していました。 開場前に並び、補助席で見ることができました。楽日二日前でしたのに好評らしく、階段に座布団席も出ていました。
  チャーリイを演じた平田さんは静かに、超高知能を手に入れた青年の寂しさを訴えてくれました。「いろんな事を話せるようになったら友達ができるようになる と思っていた」との言葉は、辛すぎるものがありました。母さんの悲しみを通して、チャーリイの置かれた立場が理解できます。生徒のお母様の悲しみや辛さが ダブって見えてきます。
 原作が立派ですが、脚本演出がが良くて、スピディな舞台運びで、一つ一 つ自然体に心に響いて伝わってきました。
良い舞台を紹介していただきありがとうございました。
 原作は昨年キイス文庫で読んで以来、心にひっかるものが有り、時折思い 出して考えていました。そしてこの間の湖の本45『ディアコノス=寒いテラス』を読んだときには、二つの作品が重なリ迫ってくるように感じて読んでいまし た。
 映画「レナードの朝も、このアルジャーノンによく似たテーマでしたが、 科学の発達にやりきれない思いがしたことを覚えています。
  もう一作、4.5年前でしょうか ジョディ・フォスター主演の映画「ネル」を見ました。記憶のあいまいなところも有りますが、周知の「アベロンの野生児」 をリメイクした作品だとの事でした。少年を社会復帰させる努力をしたイタール博士を映画では、医師が、野生に育った少女の言葉を理解し心を通じ合わせてい くのです。我々の言葉を教え込むのでなく、文明社会に連れ戻すのでなく、彼女の純粋さに医師の方が心を開いていく。もとの美しい森や湖の自然に帰って生活 をする事ができるようにする。その人、その人そのものを大切にしていくことができる社会が本当の文明社会なのだろうと思わせられた映画でした。
「人並みでない」その事への強い拘りを持つことが、違う人に対しての差別 を生み出し、我々と同化させる事が親切のように思い込んでしまいがちになるのです。
「ア ルジャーノンに花束を」も40年も前に発表された作品ですし、「レナードの朝」も「ネル」もずいぶん以前の作品です。アメリカでは前からこのようなこと を、ともあれ論じあう事ができたのですね。日本でも、もっと多く「自然に」考え話し合っていかなければならないことだと思います。
『ディアコノス』を仲間の先生たちに読んでもらい感想を聞きたいと思いな がらも、人選で躊躇したりして、ぐずぐずしています。「自然に」が難しいのです。
  石原都知事は特集学級を減らし、先生の配置を少なくするとの策を取りだしたとの事。障害児も普通学級で一緒に勉強できる事は良い事で、期待したいところで すが、そのための何の思索=施策もなく、人員の増加も無いのでは、子どもたちがどうなるかは目に見えます。経済効率だけが先行していいのでしょうか。人を 大切にする事の次元が余りに違いすぎると、貧困さに悲しくなります。
 まとまらない文ですが、舞台の余韻が消えないうちにメールさせていただ きます。「私語の刻」を読ませていただき、世界を広く見、考える事もでき感謝しています。
 

* アルジャーノンに花束を    1.8.3
 7月の暑さは無茶苦茶でしたが、ここへ来てたまに涼しい日もあって一息 ついております。ご様子はHPより拝察させていただき、お元気でなによりです。
 遅ればせながら「アルジャーノンに花束を」を観て参りました。
  7/17の「私語の刻」に批評のあったときから気になっていたのですが、その数日後、劇団の関係者から是非観てくださいとの連絡が私達ミュージカルの仲間 にありました。その方は私達(* *大養護学校の卒業生を中心としたミュージカル公演活動)の舞台監督をして下さっていて、仲間なのです。お願いするようになったあとから分かったことなの ですが、この方にも知的障害のあるご家族が居られるそうで、それもあって「アルジャーノンに花束を」へは格別の思い入れがあり、とても大切にしている作 品、と言ってられます。
 私は読書家ではないので「アルジャーノンに花束を」の原作は読んだこと がなく、話のあらすじも知らなかったのです。
観ていろいろの感想を持ち、いろいろと考えさせられました。
 原作はかなり以前に書かれているにもかかわらず、むしろ当時以上に科学 のあり方や、知的能力と情緒との関係などに現代的な問題提起をしていて、作者の慧眼に感心しました。
 観劇後にアンケート記入を始めたら、唐突に私は息子がなつかしく、いと おしく、早く家に帰って会いたくなりました。
「ああ、彼は大丈夫、”彼のまま”で居てくれてる」ほっとしました。
 知的な能力を改善しようとする試みは絶えません。それは今やSFの世界 を抜け出して、現実味を帯びています。
 医学(薬)や訓練である程度改善され知能が高くなったとしても、それは 人為的なもの。普通の人はなにもしなくても初めからそのレベル。どこかで無理した分ひずみが出るのをどうするか---これに近い問題(弊害)は現実に私の 近くで起こっています。
 そこまでして知的能力にこだわる意味は何なのだろう? 知的障害のある 子どもの親にいつも突きつけられている問題なのです。(私は最初からあまりこだわっていない少数派でしたけれども。)
 毎日知的障害のある息子と暮らしていると(私はIQ嫌いなので、彼の IQ値を正確には知らないのですが、50以下であるのは確か。)テストで計れるような能力以外の大切なものを沢山教えられます。だからといって一般論とし ての知的能力の重要性を否定はしませんけれども。
 今原作を読んでいます。みなさんが読みにくいと言われる最初の文章も私 は息子の文章や会話で慣れているのでお茶の子さいさいです。
 京都の夏を思い出しつつ---   2001/8/3
 

* ドラマ   1.7.31
  今年は花火も見ることなく過ぎてしまいました。例年になく暑い夏は、人員削減で、暑さも倍増です。体力負けしないようにと思っていますけれど。
 久しぶりにテレビドラマ「救急病棟24時」を見ていました。
 「…しか、ない」ではなく、「…も、ある」という、可能性を含んだ言葉 は好きです。このドラマでは手術に要する時間のことを言っていましたけれど。とても気持ちが和みました。
 それがなんと、建日子さんの脚本だったのですから、驚いてしまいまし た。ご活躍なさっていらっしゃることを、なんだかわがことのように嬉しく思い、またそのような気持ちになれる不思議をも、喜んでいるわたしです。
 

* もどろき   1.7.30
  今朝、黒川さんの「もどろき」を読み終えたところです。読みやすい文章だったので短時間で読み終えたのですが、お父様、お母様、お兄様に関することだけ に、とても複雑な気持ちでした。あなたがこれまで書かれていないこと、お兄様との交渉、黒川さんの目を通して見たさまざまなこと、などなど。そして同時に 創作としての「読み方」をも頭の片隅に置きながら・・。
 p74の父の文章・・「だが、同時に生まれることはなべて不用意ではな いのか・・ 私の社会主義も革命もこの決着のつかぬものの悲哀を排除しない。私たちはいかなるプログラム、いかなる歓喜の中にあっても無限に悲しい。」、それに続く父 の活動と逮捕、p79のお母様の短歌、p80「私は幽霊となる道を選んだ」・・活動を続けた人がなおそう書かずにはおれなかった、その意味の重さ、切実 さ!・・、最後のp159のバシュラールからの焔の話、などが心に残りました。
 

* 寂しいといえば寂しい   1.7.30
 私の夏は大体怠け者の夏、というパターンです。
 昨年ここに越してきて、油絵の教室もないし、あれもなしこれもなしと、 どこにも参加しませんでした。今年は少しだけ積極的?に、自転車で出かけられる範囲で可能なことをと、中国語と日本画の教室に行き始めました。それなりに 楽しんでいます。毎週あるといいのですが。
  中国語は30年以上前、学生の頃を思い出しながら、ただし漢文ばかり読んでいただけに、とにかく耳で聴くこと、正しい発音が習得できるかどうかの二つが、 課題です。参加することにしたのは、講師が中国人の同じくらいの女性だったから。そして最近の中国の急激な変化に関心をもっているからです。
 日本画は、結局は絵を描くという行為自体油絵とも同じという、単純な言 い訳をしながら、でも楽しんで出かけています。なんと薔薇を描いているのですが・・。
 それ以外は相変わらずの「読書」と、辞書と首引きのフランス語、イタリ ア語。
  外出する以外、ここではほとんど毎日人と顔を合わせることもありません。選挙期間中も選挙の車に行き合ったこともなく、夕方買い物に出かけても途中で人に 会うことも殆どありません。家の前に新しく家が建てられていて工事していますが、作業する数人の姿を見掛けるばかり。寂しいといえば寂しい・・。
 

* 「えらい暑おすな」    1.7.26
  「ほんまに暑おすな」「ほな、おきばりやして」「へえ、おおきに」と、こんな挨拶、まだ町中で聴けるのでしょうね。母のよく言っていたこの手の挨拶、記憶 にあります。「おきばりやす」が単に「頑張ってください」かと思っていながら、この暑い時に、ナンで気張るのかと、何か違和感がありました。先だって読ん だ京都のお年寄り(あなたではありません)の言葉で納得。「お気を張って」の意味だったのですね。
 大体祇園祭の頃から旧暦お盆の頃までは高温多湿で、食中毒など、身体に 気を張って暮らしていたのですね。
 そして又、母が毎年同じ事を言っていました。大文字のあたりからボチボ チ涼風がたって、夜は楽になり始め、地蔵盆になったら、もう暑さも和らぐから、一ケ月の辛抱や、と。
 京都の夏は暑いと私も含めて皆さん敬遠しますが、今や、日本列島の大半 に有り難くないお株のお裾分けとなる昨今です。
 

* 繰り返し  1.7.26
 過去の負の体験や状況を、あなたは、繰り返し繰り返し復唱= おさらえでもするように繰り返しますが、そういう甘い蜜への自己のすり込みを繰り返すことで、自分を「不幸・薄幸の見本」のように仕立てて、まるで自分を 慰めるか持ち上げるかでもしているようです。
     しづかなる悲哀のごときものあれどわれをかかるものの餌食となさず    石川不二子
  こういう、あたかも自分自身を悲哀の前へ「餌食」として差し出している人は、多い、少なくない、のを知っています。一種の逃避型です。正の要素や、恵まれ ていたのかも知れない部分から目を背けてそれをこそげ落とし、不幸色だけで塗り上げてしまう。
  子は子の責任で生きて行けばよいのです。そういう年齢です。もっと、さめた眼でただ見ていればいい。それ以上の何が出来るというのか。
  あなたは、今の自分自身と、これからの自分自身を、きちっと自律・自立させて悔いなく生きればそれでいい。過去の、言葉はわるいが、亡霊にいつまで殉じる のですか、揺すられているのですか。捨ててしまいなさい。落としてしまいなさい。過去を恨んで生きるなんて、なさけない負け犬の姿勢です。なにも始まらな い。なにも生まれない。あなたに自伝を薦めるのは、「直視して落せ」という勧めです。
  幸い社会的な使命感の持てる仕事をしている、その幸運を自分の「子として創作として」幸福感に満たされて育てればいい。子は子の努力と責任で幸せを自分の 手でつかめばよく、掴めなくても、親は見ててやればいいのです。親の愛としてそれで、それだけでいいのです。時には、あんたダメねぇと冷やかしてやるぐら いでいいのです。
  あなたの繰り返し型は、悪い方へ間違っていると思います。過去の囚人になっている。いやだった過去は、もう無いと思うことです。自分を鍛えた育てたと思え る過去だけを財産にすべきです。
 

* 少々、頓珍漢な感想ですが、一言。  森 秀樹      1.7.25
 本と紙と自然保護について。あまり、こういう議論がありませんので。
  本日(三年以前のハナシです。)某大学の「先住民と環境保護」についてのセッションに参加しましたが、そこでは、ペルーほか南米の熱帯雨林の環境破壊の報 告がありました。毎年、(これは主に焼畑農業、伐採の結果 ですが)、四国に相当する面積の密林が消滅しているというのです。今から10年以上前に、世界の「熱帯雨林保護」の国際NGOに参加していましたが、問題 のターゲットは、日本が圧倒的に伐採、輸入しているアジアの熱帯雨林の保護でした。今も状況はほとんど改善されていないでしょう。
 そのころ、同会の一般説明会では毎回、こういう話が披露されました。 「新聞の紙を 少なくするだけで」、毎日数万本の木を切らずに済むと。紙などの資源として、無尽蔵に木が切られ、そして、かなり再生されずに遺棄されている現実がありま す。リサイクルの実効はまだまだ十分ではありません。結果 、地球の温暖化が進んでいることもありましょう。
 返本率6割などとうわさされる 出版の実情について、地球の「生きとし生けるものすべて」の大切な共有財産である「紙の資源」、「本と紙」(新聞や広告チラシなどの紙の媒体についても) を一考すべきではないでしょうか。紙に代わる本の情報媒体が発展するのであれば、百年大計の「地球規模の環境保護」を前向きに検討すべきです。紙の消費を 少なくする道も一考すべきでしょう。これは、「本が大きく変わる」「ゆくへ定めぬ 本の道かな」とかいう、一種のセンチメンタリズムとは、一線を画す論議であると思います。情報の伝達は、文字を持たなかった時代から、常に「目に見えぬも の」が動いていたような気がしています。
 たまたま「紙」が伝達の使命を大きく担うようになった。それが今は「電 子」にとってかわられるようになってきた、ということではないでしょうか。
  話がそれますが、著作者(ここではライター)の「著作権」についても今は、「紙に写 された字」だけではなく、瞬時に地球をかけめぐる、目に見えない、不眠不休の、多分枯渇しない資源による、極めて経済的で生産的な無体の存在が対象になり つつあると、認識すべきではないでしょうか。
 

* 「暑い暑いも聞き飽きて」と    1.7.25
  思っていたら、hatakさんから、タイミングよく「暑い暑いも言い飽きて」とメールありました。
 一昨夜の暑気払いの集いで、'You might on my head,today's hot fish' (言ふまいと思へど今日の暑さかな)の語呂合わせを披露したら、同年輩の誰も知りませんでした。昔からの駄洒落でしょうか。「煩悩」を何やら言いえて妙で すが。
 新宿御苑の森が、深夜、周囲90Mの範囲に2-3度の冷却気を放散して いるという記事がありました。都会の木々や森もたいへんにご苦労なことですが、森や植樹、街路樹群がもっともっと都会にあれば、とつくづく思います。
  むかし、山奥の雑木林を一山もらって、毎夏の緑陰生活を楽しんでおりました。やがて、養鶏場用地に売られ、そして、見返りに、東京郊外に、庭木もわずかな 小さな家が一軒建ちました。元の山がその後どうなったか、雑木林が一つ無くなったことは確かです。そんなことが日本のいたるところで続いてきました。元に は戻りません。山には、手入れの行きとどかない、杉・檜の殖林の痕跡ばかりが目だちます。殖産、興産、開発の名のもとに、つい10年ぐらいまで日本の山々 から、川辺から、雑木林が消え続けていきました。世界では今でも伐採が進んでいます。その付けの一端の一端が、四十度の酷暑としたら? 
 木々や森との共生・共存は人間だけのものではありません。生きとし生け るもの、みな、今の日本(地球)は熱い、と感じているはずです。三年ぶりに来日したインド人も、昨夜、電話口で、’Japan, very hot!’ と言っていました(インディアン嘘つかない)。
 ひとつだけ、確実に涼しくなる方法を。出かけるときに、麦わら帽子をか ぶり、濡れタオルを首に巻くか、ランニングを濡らす。少しは持ちます。ただ、みんなががそうすると回りに熱が放散され、かえって暑くなるでしょう。
  みてくれも なりふりもなき 暑さかな
 子供の頃、都電にのると、ステテコ、団扇姿のオジサンも珍しくはなかっ た、ような。
 どなたか、納涼のメール、それも、懐かしい、縁台での夕涼みといった、 日本の夏の涼味をお届けいただけないでしょうか。
 

* 『ディアコノス=寒いテラス』    1.7.24
  なんという重いテーマの作品を柔らかくお書きになったことか、という嘆息とともに、即座には出せなかった読後感をしたためさせていただきます。
  読んでいる間にふつふつと心に湧くのは、登場する誰彼に似た自分の知り合いであり、ああ同じだと思い当たる自分の体験です。読者の多くはそのように作品に 接することでしょう。その感覚が読後感をもっとも強く占めますが、この作品は、そのように読者に自己と重ね合わさせるものを非常に多く投げかけます。投げ かけられた読者は、自分の体験をもう一度体験し、さて、どうしよう、どう考えたらいいのだろう、と悩みます。その深さと広さを満々とたたえた、この作品 が、未発表であったということに肅然とした思いをもつのです。内容が時機にかなうかどうかということは、論じる必要はないでしょう。作者がお出しにならな かった、理由がなんであれ、その事実が、もうひとつの深さをこの作品に与えている気がします。
 社会における弱者とはだれで、強者とはだれなのか。弱者といわれる身体 的、精神的に「欠陥」がある人にも「強さ」はあるのか。さまざまな問いを投げかけられていますね。すごい作品だと思います。見事な人間設定がなされている と思います。もっとも印象深く残っているのは、

 「どうか妙子ちゃんを叱ってあげないで下さいましね」と何度も申しました。

という部分です。この部分で、淡路夫人と淡路一家と妙子ちゃんと妙子ちゃんの両親の ありようがくっきりとわかります。作者はなんという言葉を書くのだろうと思いました。
 さて日本の社会は、いまどこまで成熟したでしょうか。たとえば身障者に 石を投げるような残酷さはなくなったでしょう。でも身障者はお気の毒と考える段階からは逸していず、一方で、身障者に十分な保護を与えてもいない、といっ たところでしょうか。
 知的あるいは身体的に障害のある人にはもっともっと保護を、そのうえ で、身障者をかわいそうと思わず、まったく同等に、つまり身障者に危害を加えられたら何の遠慮もなく反駁する社会をつくりたいと思うばかりです。
 どうかそういう論議をわかすうえでも、この作品が多くの人に読まれます ように願っています。その意味では、いま世に問う御作品であると信じます。
  ここから先はお笑いぐさのこぼれ話です。私がたまに参加する人権を問う集会には、よく右翼の人たちが妨害にきます。このごろは手がこんでいて、一般人と同 じそぶりで一人また一人と会場にはいり、ある段階でひどい野次をとばして妨害します。そのなかに、車椅子の人がいることが最近、有名になりました。知らな い主催者だと、車椅子ということで親切に押して会場にいれ、ゆったりとした場所をとってあげます。ところがその人が一番汚い言葉を投げ付けるのです。つい 親切にしてしまう、その度合いが試されている段階かもしれませんね、日本は。
 すごい御作品を読ませてくださってありがとうございました。これから娘 にも廻すつもりです。
 

* どの時代が  1.7.24
  週末あたりから、ほんの少しだけ気温が下がると予報官の話ですが、如何なものでしょう。草木は微動だにしません。
  景気低迷で、デフレの傾向。百円均一の店、ユニクロ(あなたは行った事がないでしょう。それが、バカにした物じゃないのです)の繁盛する昨今ですが、程々 のお値段で、実用的でない、お洒落で、楽しい品物が、全く姿を消していました。生活に関係ないお店はどんどん姿を消していると我が家の情報通は言っていま す。
 痛みの伴う改革が打ち出され、混沌として、先行き不安を抱えた昨日は株 価が大きく 下がり、地球上で現実に高揚しているのは、気温だけ。これまで生きてきて、どの時代が住みよかったかと問われれば、これまた返事に窮しますが、老いも若き も良かったと言える二十一世紀になるのでしょうか。
 

* 札幌も大暑で    1.7.23
  確かに暑いのですが、それでも東京の大暑に較べれば、涼やかなものです。
 論文も、実験も、何もかもが止まり、胸の中で、黒い糸を絡ませたりほぐ したりしながら日を過ごしていました。
  まだ心は上の空ですが、手は動き、文書を作ったり、ルーティンな仕事をこなしています。恩師の思い出を、先日文章にしました。この方は、先に亡くなられた 上司の指導教官でもあり、仲人でもあった人で、葬儀には札幌まで来られ、私と一緒に骨を拾ってきました。こういう巡り合わせは予想だにしませんでした。
 そちらは異常なほど暑く、南の方では潮位が高まっているそうです。例年 の異常気象ですが、何事も無くと祈るばかりです。お大事に。お元気で。メールありがとうございました。
 「聴松」という名の「泪の茶杓」
  一九八八年三月、茨城県つくば市の研究所の暗室で、私は上司のT室長と電子顕微鏡を使って植物ウイルスの観察をしていました。翌月に、私は沖縄県にある日 本最南端の研究所に一人で赴任、T室長は研究所を退いて大学へ移られることが決まっていて、仕事の始末や引っ越しの準備に慌ただしい毎日でしたが、真っ暗 な広い部屋で蛍光色の画像を見入っているときだけは、静寂な心地で研究に集中することができました。
 「君はお茶を習っているんだよね。お茶の道具は何が好きかね?」
  暗い部屋に突然、室長の声が響きました。私は口数の少ない室長がめずらしいと思いつつ、前年の冬、十日間ほど家元を訪れ、それまで魅力を覚えなかった茶杓 に、多彩な個性を発見し、深く魅せられたことを話しました。ひとしきり家元での稽古や、雪の京都の話をしましたが、観察が終わって暗室を出るなり、私はそ んな話をしたことなどすっかり忘れて、また忙しく実験に取りかかりました。
 私が沖縄に、T室長が大学に赴く日が近づきました。春雨の降る土曜の午 後、人気のない研究室で実験をしていた私に、荷物の整理をしていた室長が、「餞別をあげよう」と、書棚の奥から小さな包みを出してきました。
  「君はこれから沖縄で、おそらく何度も壁に突き当たるだろう。それを一人で解決するのは、決して楽ではないが、そんな時には、まあこれでも見てがんばりな さい。」という言葉を聞きながら、包みを開けると、桐の小箱から先代家元の茶杓が現れました。中の詰筒には、太さの揃った特徴的な手で、「聴松」と、銘 が。
 T室長の母上は、岐阜で千家流をなさり家元の稽古にも通われていた方 で、茶杓は、母上のお形見の品であったとい
うことを知ったのは、ずっと後のことです。お茶杓一本を胸に沖縄へ赴任し た私は、十二年を過ごして札幌へ転勤しまし
た。T室長は東京大学を定年退官され、現在は茨城県で後進の指導に当たっ ておられます。お茶というものは、お茶席
の中にだけあるのではなくて、時として思わぬところから、忘れ得ぬ体験を させてくれるものです。私は、一本のお茶杓あったがゆえに、仕事も稽古も続いてきたのかもしれないと、時々思っています。 maokat
 

* ドイツ  .1.7.22
 明朝でも良かったもですが。すぐに書きたくて。
  NHKを聴きながら、山瀬ひとみさんの「ドイツエレジー」を読みついでいましたが、また時間切れになり、さーと最後までどんな題材かと眼を通していると、 なんと私が思った様に、この方もイタリアで、心を癒されているではないですか。私はゲーテがイタリア紀行で「君しるや南の国」と賛美したフレーズが頭に あって今朝のメールを書いたのですが、矢張りそうだったのですね。
 ドイツ人然り、イギリス人も然り、「眺めのいい部屋」なんていう、フィ レンツエへ長期のバカンス出発から始まるいいイギリス映画もあります。
 異常なお掃除好きも、台所を使いたがらないのも、流言ではない、と。
 

*  夏バテしないで   1.7.22
 ご訂正有り難う。(コペンハーゲンの海と日本の海とを比較してはいけな い。)正確にはそうです。比較するときの基本でしょうね。対象を同程度にしないと比較にはなりませんから。感情の感覚での比較かしら?
  日本も他はしらないし、デンマークも広くて、それほど他に行っているわけではないし、正確にはコペンハーゲン近郊の海岸でいいのかな? それとロシアの黒 海やアゾフ海の水も海岸もきれいでした。ロシアには5度ほど行って滞在しているけれど、ドン川は澄んでなくて濁っていたので、泳がなかったわ。
 黒海やアゾフ海も静かできれいでした。一晩バスに乗って、山を越えてい きました ね。途中は、空から見ると一本の線にしか見えない、巨大な街路樹で、延々とその中を通っていきました。夜中、星だけが見える幻想的な広野をドライブしてい きます。遠くに一点の明かりが見え出すと、それがだんだん近く大きくなり、やがて猛スピードですれ違っていきます。戦争の時はここを軍隊や戦車が行軍した のかと、変な想像をしていました。
 水がきれいと言うよりは海岸がきれいというのか、人が少ないというの か?日本にもマナーのきちんとした閑かな海水浴場はたくさんあるでしょう。でも、この近くにはないのです。
 国外でしらないうちに写っている、広い海岸でぼーっと海を見ている後ろ 姿は、自分ではなく、何かの写真集のような感じに見えます。
  ホームページは見ております。いつもお仲間とたのしくお忙しそうで、と、拝見しております。私も今年の夏は元気です。仕事の間を縫ってぼんやりとしに、ふ らりとドライブしてきます。遠距離を考えているけれど人を誘うのはうるさいから一人で行きます。これで何かあるとみんなにびっくりされるでしょうが、私は それでいつでもいいのです。
 夏ばてしないで、お元気で、おいしいもの召し上がって!
 

* 高校時代の世界史は、  1.7.22
  何を習ったのか記憶になく、殆ど映画から、彼方の欧米を美化して憧れていました。その後は何十年間の子育て、貧しい生活に追われ、そんな事は頭の片隅にも なく、子供を午後三時に昼寝をするようにし向けて、テレビの「ヒッチコック劇場」を観る、至福の時空間でした。内容は忘れてしまいましたが、オープニング の音楽は、今もウキウキと思い出せます。
 子育てしながら、学ぶ人はいますが、私には目先しかなかったようです。 今になって悔やんでも後の祭。
 聖書にある「バベルの塔」 全能の神が、神の領分を侵そうとした人間へ の報いとして、国 々の言語を統一しなかったとか。宗教、人種、言語、侵略、風習、芸術、土地が繋がっている為のヨーロッパの複雑な歴史、こんなものに目覚めて注目したの は、そう遠くではありません。今、関心のある一つであるのは、確かです。
 脈絡なく、読みやすい物をボチボチと本を読んでいます。すぐに、眠くな りますが。
 

* 小泉総理のマガジンなんて    1.7.21
  読む筈がありません。読むのはあなたの「マガジン」です。
 山瀬さんの「ドイツエレジー」は途中までよんで、時間切れになりまだ 残っています。読むのに時間がかかるので、改めてゆっくりと。興味があります。私がドイツを、行きたい国の高位にあげないワケが、潜んでいそうです。
  ドイツ系の薬品会社にお勤めのご主人に同行して、当地のお宅に招かれた友人の話に依りますと、台所が汚れるので、自宅でのお食事接待はなく、レストランへ 行き、お宅では帰ってからお茶を戴くとか。隣家の台所にまで、汚れていますよと口をはさむとか。よく聴く話ですが、本当らしいです。イギリスと並んで、美 味しくないお料理は周知の事です。
 清潔、綺麗な町並みは悪くはないけれど、私には、旅行者としても、興味 が湧かない国です。単なる偏見かもしれませんが。ドイツ人がイタリアに憧れるのが分かる気がします。
 

* 電子文藝館     1.7.21
 画期的なお仕事ですね。楽しみにしています。
 面接した20代に、「最近読んだ本は何ですか?」と聞いたら、「イン ターネットで何でも調べるので・・・最近は読んでいません」と。図書館はもちろん、本屋にも足を運ばない本離れをした「e-young」たちが、文学の世 界に入る一つの「門」にもなるかもしれませんね。
 「湖」文庫もますます充実していますね。最近の目精二さんの「花連 歌」、すごみのある作品で、ひきこまれるように読みました。
 さるすべり むくげ のうぜんかずら が家に咲いていますが、今年は花 が少ないようです。はなみずきが枯れそうになってきたので、あわてて朝晩水やりをしています。にっこうきすげとほととぎすを買ってきて、植えました。「花 連歌」とはかけ離れた世界ですが・・・。
 

*  大洗  1.7.20
 海 開きで明日から海は賑やかになりそうなので(夏休みになるでしょうし)、今日は友人と大洗に行ってみました。人も少なくて、曇っていて、日焼けの心配もな くて好都合でした。駐車場もまだ無料でした。海の家も閑散としていました。明日からはこうは行かないだろうと思います。
 海水はかなり冷たくて、磯遊びして、「しったか」という貝を捕っていま した。おいしい貝です。こんなところが女の所帯臭さでしょうか?波をかぶったのをきっかけに海に浸かってきました
 

* 「寒いテラス」で   1.7.19
  あなたが一番言いたかったことは、明確なようでもあり・・でも読者として断言しきれないところもあります。ぐんぐん読めて、登場人物の設定など虚と現実を ダブらせて、作者の掌中の手法。ホームページで既に多くの人が述べている感想はよくわかります。ストーカー行為こそ受けたことはありませんが、知恵遅 れ・・そう言って適切かどうか・・の子に頼られたこともあります、身近でダウン症や自閉症の子を抱えている人も知っています。妹は大阪で養護学級や、精薄 の学校で長年仕事してきました。昨年は高校生に突き倒されて怪我をしてかなりの期間仕事を休みました。が,今も頑張っています。
 誰もが引っかかるものを意識の中に持っている問題だと思います。あなた がそれを小説に書くキッカケは何だったのでしょうか?
  山瀬ひとみさんの「ドイツエレジー」の文章は、文学に入るのでしょうが、微妙?ただし言いたいことは良く分かります。私自身似た体験もあります。が、理解 の底がまだこれから、といった感もあります。ナチの問題はつらいし簡単に近付けない感じさえします。ドイツ人の潔癖さと一般的に言われますが、そんなに単 純に言い切れませんし・・。ドイツ語を学びながら、本当に今は遠ざかりました。ドイツ的なものが自分には合わないのかもしれません。
 説明が長すぎるとの編輯者の指摘も分かります。
  最後のIch liebe Dichの解釈、理解は、キリスト教徒でない私には保留せざるを得ません。キリストの言う「愛」はそれだけでもう理解に余りますし・・。信ずるにはある種 の飛躍を必要として、私には出来ません。宗教、信仰に対する姿勢はこれはあなたと同じです。バグワンにさえ一定の距離を置いている私です。中途半端な感想 ですが許して下さい。書きたいことを書ききれません。
 

* 熱暑  1.7.17
 草花が涼風に揺れて、これからまだ本物の夏が来るの?
 信じられない程に、どんどん気温が上昇して、冷房の放熱が拍車をかける 悪循環。人が作った地球環境に人が慌てふためいている。私は「バベルの塔」を想い浮かべます。大半の人間は浅はかです。戦争もいやだけれど、これは文明と 引き替えの恐ろしい危機です。
 

*  祇園祭に   1.7.16
 ディアコノス、そして山瀬さんの作品、読みました。感想は改めて書きま す。
 今日は祇園祭りに出かけます。まだ時差のせいか睡眠が不規則でつらく、 眠れぬ夜が明けました。が、気力は充実しています。毎年、済ませないと落着かないことがいくつかありますが、祇園祭りに行くこともその一つ。
 

* 蛍  1.7.16
 おだやかな休日を過ごせました。
 五日市のログハウスは、秋川渓流を眼下にのぞみ、真下のとなりやの斜面 の敷地に、月見草が群生している。ぜいたくな借景。いえ、誰のものでもない自然。人の手が加わらない山里の景観はいい。
  「月見草 はらりと地球 うらがえる」(鷹女)
 夕闇よせて、山の方の養沢に、蛍を見に行った。禅寺の境内から、川筋を おりて、蛍の二つ三つほのかに見える。待つこと楽し。
 寺では、静かな読経が続く。
  「すっときて ついと流るる ほたるかな」(舎羅)
 むかし、父親が蚊帳のなかに入れてくれた蛍が懐かしい。冷光が幽玄の涼 味を運ぶ。
 でも、雨がほしい。夕立が恋しい。慈雨を待つ、干天の唐黍、トマト。実 りも小ぶり。トンボが群れるまで、まだまだ。
「向日葵の 背を向くほどの いまの夏」(拙句)
 帰りしなの、粗びき蕎麦がうまかった。蕎麦麦酒の薬味のような刺激も喉 にここちよい。
 帰宅すると、香港から帰化して商いをする友人から、「むかしは、7月に コートを着ていたよ」と電話があった。そんなこともあったかなあ。冷夏の記憶も薄い。
 

* いろいろなこと  1.7.15
  若い時はいろいろなことに関心をもちました 邦楽にはあまりご縁がありませんでしたが 子供の頃から音楽は好きでした 20代には労音に入会し毎月有名人 の演奏を聴いたり バレーを見たりしました 歌舞伎は兄によく連れてもらいました 松竹新喜劇も、文楽も好きでした お能もそのうちにはいりますが回数は 少なかったと思います スポーツは小学生時代は運動会が大好きでしたが、他は努力して出来るものと出来ないものがあり 最も出来ないのが登り棒でした 水泳も好きでしたが、卓球は高校時代チーム戦の補欠で東京まで行きました
 お相撲は祖父の代からのフアンで 今も応援する力士がいます 野球は昔 中日フアンでしたが今は高校野球です
  しかしこれらの記述とはうらはらに 実は持久力のない虚弱児でした それなのに人並に頑張ろうとし続けたので、いまでは全く虚弱おばあちゃんになりました  そして5年ほど前に大たい骨骨折、人工関節(左)の状態になってから大方は夫の車で、一時間ほどの所だけ出かけます 京都へは気候のよい時の法事だけい きます でも昔も今もいつも良い友に恵まれ 楽しめるものが沢山あり、心豊かに過ごせるのは幸です
 5月はじめからの風邪がこの頃やっと少し良くなってきたかの状態で失礼 いたしました 涼風一日千秋の思い切なるこの頃どうぞお大切になさってくださいませ
 

*  おじさんはつらい  1.7.15
  ホームページについての『親切懇切』な解説のメールを貰えて、本当にありがたい事ですね。試しに、「ページのソース」(表示→ページのソース)を見てみた ら、確かに『ご指摘』の通りになっていますね。HTML を知らないおじさんには、よくわかりませんが、秦さん『なんとかスルゾー』で直せましたか?わかってる人には何でもないことなのでしょうが、おじさんは辛 いですね。『東工大の方々』もお忙しいでしょうし、秦さんもお忙しそうですし。少し夏休みだあーってぇのがあるといいですね。ご健闘ご成就をお祈りしてお ります。猛暑にもくれぐれもお大事にしてください。
 

* 秦さんのホームページ   1.7.15
  毎日、秦さんのHPを楽しみにしておりますが、専門文芸誌から全国紙?ジャーナルへ、個人商店からスーパーへ、タイトル、テーマ、品数増えつづけ、千客万 来、インタラクティヴ傾向益々顕著、これを独力・一手引き受けでは、うれしい悲鳴を通り越して、と、いささか気がかりです。
 いかな、博覧強記、思想堅固、闊達自在、人間アーカイヴ秦恒平でも、お のがじし、身を処しうるかどうか。オープンな「場」について、「私語の刻」だけではもう難しいかも知れませんね。ここはもともと「闇に言い置く」ひとりご との頁だったはずかも知れませんし。
 秦さんのHPが繁盛する理由:
 1)動きがある(変化に富んだ話題が、早いテンポで展開する、つまり、 回答の書き込みが早い)
 2)新しい(人はとかく「野次馬根性」が強く、新鮮な話題に飛びつく)
 3)身近に感じるものが並ぶ(自分(読者)に関係あるものが増えれば、 当然、反応も増えていく)。ただし、落ち着いた感じの「e-文藝」への反応は少なく、もっぱら、ジャーナルな「私語の刻」に集中している。
 4)親近感を感じればこそ(もとより、秦氏独断の投げかけではあるが、 共通性、普遍性が多いというか、掘り起こしているというか)
 5)具体的な内容(抽象的なモノより、日々のカレント・トピック、それ も具体的な各論、総論が増えてきた)
 6)気がかりなもの(各人が抱えている問題や悩みが掘り起こされれば、 当然、リアクションも増えていく)
 7)対立するもの(人は、結果のはっきりしているものより、拮抗してい るものに興味を示す。寝た子を起こすこともよくあ
る)
 8)ユーモアのあるもの(楽しいもの、うれしいものには、ひとりでに興 味がわく。硬軟とりまぜて)
 9)欲求に訴えている(話を聞いてくれる(聞き上手)、返事がある、と いうのは、相手の欲求を満たす度合いが強い)
 これ、「お客の心を開かせるセールス・トークの秘訣」なり(坂上肇『ひ とをひきつけるセールス・トーク』より)。
  身近な「現代(作家)のスター不在」があるやも知れませんね。微風・順風をよしとせず?「風穴をあけつづける」作家・思想家は、「風通しをよくしたい」と 願う筋からあまたの支持を得、期待をになうことになりましょう。ひっきょう、結果のいかんにかかわらず、衆愚(そして、お客、弱者、善男善女)の代言者と なる。そしてスターともなりうる。「衆愚」とは片腹いたきことはなはだしくも、逆説的には、アテナイの民主主義を愚弄した暴言と思えばスッキリしましょう か。
 好みで言うと、「古典」「文藝」「美学」の兄貴分たる秦さんには、その 方面をきっ ちり確保し、続けてほしい。新芽を育む責任もありましょう。カレント・トピックのインタラクティブな「場」については、二つ三つテーマ分けしてはいかがで しょうか。間口が広がっても、少し整理されましょう。そして、「闇に言い置く」の「闇」が「あらゆるものをとりまき、呑みこむ闇」なら、これからも、「ぐ つぐつ煮えたぎる大釜」の底を覗いてまいります。あとは、御身大事にと願うばかりです。
 

* 暑いより熱い日。  1.7.14
 階下のクーラーは来客のない限り、身体の為にと、午後四時頃から就寝ま でつける事にしています。
  昨日のあの熱気に負けまいと、まるで暑さの我慢大会の如く、変な処で頑張り、ほとぼり出る汗をシャワーで流し、扇風機の暑い風を受けながら、さすがに ショートキュロットでソファーに座り、久しぶりに読書とビデオ三昧の一日でした。夏場の家事は、早い時間に済ませておかないと、老年には堪えます。
 処で、夢は睡眠に浅くなった明け方に観るのでしょうか。この四、五日  はっきり覚えている佳い夢を観ます。醒めないでと想いたいほど。
 今日も暑くなります。フウーーー
 

* 草も揺るがず。 1.7.14
  暑中お見舞い申し上げます。
 秦さんのストレス性胃痛?の原因が、自分以外にあるというのも気になり ますが、何という、国の、地球の喘ぎざまでしょうか。警鐘は鳴り続ける。どこへ漂着するというのだろうか。ガイア号は。
 いまはただ暑さと鬱陶しさを避けて、沈思黙考したい、いや、心と頭を 空っぽにしたい。緑陰で。
 秦さんの<バグワン>もずーっと先から気にかかっておりま す。
 いま、ヘッセの『シッタルダ』の世界にいざなわれ、久方ぶりに深くゆっ くり読んでおりますが、樹の下陰での瞑想に心を馳せる。 やはり、覚者(ブッダ)に触れ、近づくしかないのだろうか。暑さと鬱陶しさを払底、自覚・体得し うるのは。
  昨日は、朝から、金まみれの話、不景気な話ばかりで、うんざり気味。ランチは新宿角筈の中村屋で、熱くてちょっぴり辛いインドカリーを、夕餉は、近くの冷 房のきかない中華ソバヤで、熱いネギ中華に三斗の汗を流した。これ、ただ、先亡の夏バテ防止の智慧なり。インドカレーは、ことのほか夏の胃にやさしいとい う。夜は松田優作『それから』を鑑た。優作演じる代作(代助)の眼に、シッタルダの懊悩をほぼ完全にとらえることができた。
 明日は、五日市のログハウス・アシュラムで第三回目のヨガ・瞑想の伝授 を受ける。 アメリカで「和尚」に会ったこともある義弟のヨガは、呼吸法、瞑想をまぶし、<抱っこしあって揺れている、双子の枇杷のように>やさしい、ど こまでも無理がない。声は静謐、眼に濁りはない。
 いま、バグワンの目を見つめる。深い、深い、どこまでも深く(哀しく) 大きい。バグワンの双眸は一点を見つめるかのようで、さにあらず。収斂にあらず。収縮にあらず。青山を茫洋ととらえ離さない、達人の放散。
 壁にかけ、あかず朝の目礼を交す、ラマナ・マハリシの温容(写真)は、 微笑みを絶やぬ。眼はどこまでも奥が深い。足裏は仏足のやわらかさを保つ。ホンモノの裸足のヨギやサドゥーの足裏は柔らかいという。
 クリシュナムルティの声はあくまでも静かで低く深い。
 タゴールの眸にも何かを感じる。ミラレパにも。
 2年前に教えを受けた、シュリシュリ・ラヴィシャンカルの眼にも吸い込 まれそうになった。
 そろそろ、四十五年におよぶ、似非精神生活に答えを見出す時期かも知れ ない。子供のころから、断続的に真似事名を繰り返してきた、ヨガや瞑想や呼吸法に、「形」を捨て、「中味」をとりださなくては。
 心底から、もの静かな「男たち」の語り口に耳を傾けたい。
 一つ年上の義弟は、「2時間のヨガや瞑想より、半時間のハンモックのま どろみの方が、ずっと心地いいでしょう」と静かに微笑んだ。明日もまた、ハンモックに揺られたい。かつて若き日の父が蓬莱島で揺られ揺られたように。
 シッダルタ・秦恒平は、57の夏に何を想い何を書いたのだろうか。い ま、覚者へ近づいているのだろうか。孤独の行者として。
 私も何か書かなくては、そろそろ。
 御身大切に。また、どこかでお目にかかりましょう。一期一会もさらによ し。
 平成13年、太陽暦・文月のある朝。57歳の一読者より。
 追伸:出版関連の人と話していたら、「街の本屋が、ブックオフで、見た 目完璧な新本を半額以下で買ってきて、在庫扱いで返本しているのも、大いに問題(つまり、出版・流通経路より、ブックオフ仕入の方が儲かる)。伝票も何も あったものではない」と嘆いておりました。
 

* 神戸も暑いです。  1.7.14
  学期末で忙しくしておりました。
 さて、日本ペンクラブが「著作者の権利への理解を求める声明」を出した ようですが、少し感想を。
 新古本のブックオフと図書館を同一視するのが、まずもって理解し難いで す。
 私など最近本を出した者は、経験不足であるのかも知れませんし、また文 芸作品とハウツウ本では差があることを考慮しても、図書館は著者の権利を侵害するというより、図書館問題研究会が指摘しているように、むしろショーウイン ドウ的役割を果たしていると思ってきました。
  読者はまず図書館で本に触れ、手元においておきたいとなれば多少の不便は承知で新規に購入してくれることに繋がると、そう思ってきました。だから、実際 WOPACで図書館の蔵書を検索して、北海道やその他の地方の図書館に備えてくれていることを発見した時には、正直嬉しかったです。また地元の兵庫県立図 書館から寄贈の要請があったときに
も、快く応じてきました。
 でも、執筆を生業とし、またその経験が長くなると「著作者の権利への理 解を求める声明」のようになるのかなあと、そう感じております。
 図書館問題研究会の以下の提言には耳を傾けるべきと思います。
  「図書館は著作権者の敵ではない。共に、豊かな出版文化を創造していくパートナーであると、われわれは認識している。今後は、著作権者の権利と図書館利用 者の権利の双方を保障していくことをめざして、当研究会としても積極的に取り組んでいきたい。全自治体のおよそ半分におよぶ図書館未設置自治体の存在な ど、多くの問題を抱える図書館への理解を求めるとともに、共に、図書館設置促進と図書館資料費の増額に取り組みたい。」
 以上、執筆経験の浅い私の感想です。何かの参考になれば幸いです。この 猛暑、ご自愛ください。
 

* 帰国。 日本に戻ってきました。  1.7.11
  10日、朝7時フィレンツ発、ボローニャに立ち寄りウイーンへ。ここで5時間近く待ち日本へ、いつもながら長い道中で、帰ってくるまで前の日からほぼ2日 間、あまり眠っていません。家に辿り着いてさて、洗面所やそのほか、とにかくこれから掃除しないと・・眠いのですが。早速、ホームページの最近の文を読み ました。お元気そうで安心しました。
 

* 図書館問題  1.7.12
 昨晩、図書館問題研究会の全国大会(高松市)から帰りました。
  大会の全体会でも分科会でも、ペンクラブ声明のことは重要討議事項の一つで、急遽、それに対する図書館問題研究会からの声明を出すことになりました。近日 中に日本図書館協会を通じてペンクラブの事務局に提出すると思います。
  図書館問題研究会の事務局には、文藝家協会に対しても何らかのお願いをしておいたほうがよいと伝えました。そして、これを好機に、作家や編集者の方々と懇 談の機会をもったり、意見交換が出来るメーリングリストを立ち上げることも提案しておきました。私のほうでは、関西で著述家・編集者・書店・読者の方々と 図書館員とがつながりをもてる方策を模索したいと思っています。
 作家や出版社の方々だって、ただ自分たちの本が売れてお金が入りさえす ればよいと 考えている人ばかりではないはず。金銭のことよりもまず自分の表現活動の場を守り、一人でも多くの読者にその機会を提供することに腐心していらっしゃる方 もたくさんあるはずだと思います。そういう方々には、公共図書館が果たす役割の大切さや、公共図書館が「無料」であることの持つ意味も理解してもらえるは ずだと信じています。
 取り急ぎ、大会で検討した素案を郵便でお送りします。(すみません、ス キャナーを持ってないものですから。)事務局から成案が届いたら、またメール添付で送ります。鳥取市民図書館司書 西尾肇

 何といっても、お互いに話し合うことなく、いきなり声明で抗議と いうのは、国家権力など、または重大な人権侵害などでならとにかく、粗忽に過ぎると感じていました。声明でお応えになることは、この際適切な措置と思いま す。 秦生
 

* 社会的弱者という武器     1.7.11
 例年より随分と早く、梅雨明けとか。ついこのまえに黒南風を見たばかり のような気がしますけれど。でも、これほどお天気つづきですと、改めて梅雨明けを実感するにはあまりにも拍子抜けですね。
  「ディアコノス=寒いテラス」を、読ませて頂きました。最近、まとまった時間がなく、ようやく手にとることができ一気に読み上げてしまいました。もう山ほ どの御感想をお受けしていらっしゃると思いますが、最近私の身に起こったことも考えあわせて、余分かもしれませんが少し感想を送らせて頂きます。
 (中略)
 先生、人間、何が卑怯と言って「死ぬ」あるいは「殺す」というほど卑怯 なことはないと思いませんか?「死ぬ」と言われて何もしなければ、「ひどい人」「残酷な人」です。「死ぬ」とさえ言えば周りは言うことを聞いてくれます。 こんな便利な台詞は他にないですよね。
 (中略)
  「妙子ちゃん」に甘く記事を書くマスコミに、私は現代のパラドックスを見ます。今、この時代、弱者であることは「武器」です。「弱者だから、何してもい い」が許される。この論理は、最近の痴漢ぬれぎぬでも現れていますね。社会的弱者であるはずの「女性」が訴えているのだからキミは犯人だ、と。これを逆手 にとって、サラリーマンを弄ぶ少女が増えているそうですが。
「妙子ちゃん」を最後にならなければつきはなせなかった「淡路」一家も 「弱者の武 器」による被害者なのでしょう。「妙子ちゃん」という社会的弱者、加えて「死ぬ」「死のう」という脅し。これほどの脅威はありません。「強者」であること はそんなに罪ですか?私が「淡路」家の人間だったら、そうやって居直るでしょう。「強者」は「強者」であるために必死で戦って来た。少なくとも、私はそう でした。父も母も出戻りの姉も最近自殺しかけた姪も、みな鬱の我が家の中で、唯一逃げ出さずに、そして病まずに残った唯一人でした。言うのも口幅ったいこ とですが、そうなるまでに、たくさん悩んだし、たくさん考えたし、たくさん泣いた。それのどこが悪い、と、今会ったら、私は姪に言い返してしまうかもしれ ません。
 もちろん、努力してもそうできない人もいます。「妙子ちゃん」も自分で 望んで障害者に生まれたわけではないですから。姪も、豊かな感受性を持ちながらその制御の能力がない、という点で気の毒ではあるのです。
 だからと言って、無条件に「弱者」を受け入れていいものでしょうか。
  「社会的弱者」だから「言うことを聞いてあげねば」という論理がこのまま増長していけば、この国は、その論理によって自己崩壊を来たすでしょう。20年も 前に、福祉拡充がようやく言われはじめたばかりの頃に、このパラドックスに気づいていらした先生のご慧眼に心服しております。
 「弱者」がそれだけで力を持ち過ぎた現在、その規制を本気で考える時期 なのではな いでしょうか。それは、行政や法制度だけではなく、一人一人が、「弱者」への距離を考えなければできないことのように思えます。「『強者』であることはそ んなに悪か?」という口惜しさを持って生きて来ている人たちは少なくないはず。現に、私の周りにもたくさんいますから。
 個人的には、まず最初に、マスコミ(某新聞や某テレビ局を中心に)にね 「弱者」であるというだけで持ち上げる姿勢を改めてほしいですけど。この姿勢が改まる、いえ、弱まるだけでも「淡路」家はあれほど悩み、苦しまなくてもよ かったのではないでしょうか。
 長い長いメールとなってしまいました。暑さの上にお忙しくていらっしゃ るところへ、さらに暑苦しいメールで失礼いたしました。前半の私の家の話は、読み終わられましたら、単なる前ふりとしてどうぞお忘れ下さいませ。
 少しお疲れのご様子。どうぞ、お身体をおいとい下さいませ。
 

* ディアコノス   1.7.8
  秦さん、こんばんは!暑い日が続きますが、お元気ですか?でも今日は夜になって、ぐっと涼しくなりましたね。
 こちらは元気に過ごしています。楽しく、それなりに充実した毎日です。 (職場全体では、かなり厳しい状況なのですが。)ただ、社会人生活にも慣れてきたせいか、ともすると日々がちょっと惰性になりがちかもしれません。
  送って頂きました「ディアコノス=寒いテラス」、興味深く拝読しました。人と人との出逢いは、一歩間違うと、やはり怖いものだな、という考えが頭に浮かび ました。時には人を大きく変え、良い方へ導くことも有れば、時には人を破滅へ導いてしまうこともある。インターネットで出会った末の殺人事件などをみて も、いつもその裏腹な怖さを思っています。どんな人でも、その渦中に巻き込まれる可能性があるのだと、それも、被害者としてとは限らず、加害者としても。
 節子や彼女の家族の対応には、はがゆさを感じてしまいました。障害者と 健常者との関係ゆえの難しさ、拒絶への罪悪感、後ろめたさは、確かにあるのでしょう。
 ですがそれでも、やはり人間と人間とのことですし、相手が誰であれ、自 分に照らしてどうしても許容できないことは、断固拒絶する正当な権利がある、のではないでしょうか。その上でも、やりきれなさ、後ろめたさは付きまとうの でしょうけれども。
 きっと当時だと、合法的に妙子ちゃんの訪問を禁ずる手だてがなかったの でしょうね。今ならきっと、ストーカー防止法の適用がされそうです。
 読後かなしく、考えさせられる作品でした。
 またお時間のある時にぜひお会いしたいです!それではどうぞお体を大切 に下さい。 
 

*  玉三郎の鷺娘   1.7.8
 お元気ですか。毎日暑いですね。わたしの職場は冷房の効きが悪いので、 冷房病の心配のない夏です。
 今日は玉三郎さんの舞踊公演に行ってきました。地唄の「雪」と長唄の 「羽衣」、「鷺娘」でした。300人くらい入る劇場でした。地唄を踊るにはぎりぎりの規模だったのではないかと思います。わたしは後ろから二列目でしたか ら、地唄のときは遠めがねを使いました。
  何といっても「鷺娘」に期待していました。ビデオで幾度も見たはずなのに、泣けました。生の力はすごいですね。踊りとしては、しっとりした地唄や、長唄と いっても能がかりの「羽衣」に比べ、歌舞伎舞踊ならではの見るものを飽きさせない趣向に富んだ「鷺娘」は、うわべの派手さゆえに底の浅い感があるのではな いかと思っていたのですが、どうして、からっと飛躍する世界が、見る側の解釈を自由にしてくれます。玉三郎さんも、雰囲気を大事に踊ってくれています。
 踊りを見ていて、わたしの「さぎむすめ」、最後のところをもうちょっと 直したいなと思いました。話の中で路子が「鷺娘」を踊りますが、ほんとうは引き抜きやぶっかえりのある演目を踊れるはずないし、そうとわかって書くなら ば、もっともっ
と幻想のリアリティーを突き詰めなければならないと思っています。でも、 それを書いて伝えるには精進が足りません。いやはや、そうそう思うようにはならないものです。
 清潔な文章のことをいつも考えています。今はまだ実体がつかめません。 いつか腑に落ちるときが来るのでしょうか。
川端康成は通俗な内容を美しく書いているなと思っていましたが、改めて読 んでみると、その文章はあまりお手本にならない気がしてきました。ガラス細工をつなぎあわせたような文章は、安易にこちらへ持って来ようとすると、ばりん と割れてしまいそうです。
「書くことは泥を吐くこと」、身にしみる言葉です。わたしはまだまだ泥を 吐ききれていない。
 日本の少女がヘッセのもとに、いつもあなたがわたしを見てくれていると 信じています、という手紙を送ったそうですが、わたしは秦さんに同じことを申し上げます。1.7.8
 

* 『死なれて・死なせて』    1.7.8
 小さな宝物箱に、また一冊本が増えてしまい、苦しそうだ。
 何かもう少し大きな箱はないかな?と思い家の中をうろうろしている。
 その一冊の本が秦恒平さんの『死なれて・死なせて』のエッセイである。
 物を整理整頓出来ない私は大切なものも、すぐに無くしてしまう。情けな い事に、毎日無くした物探しを、している。
 見るに見かねて、「本当に大切のものは、この箱の中にしまいなさい。」 と、夫が黒い箱を私にくれた。私はそれを宝物箱と名づけ、力量のある作家が魂を削って書いた、生きている本をしまっている。
 箱の中には聖書、太宰治単行本すべて、太宰治の写真集、ヘルマンヘッセ 『車輪の下』、有島武郎『一房の葡萄』、夏目漱石『坊っちゃん』、『こころ』、秦恒平『死なれて・死なせて』である。
 魂の宿っている本は、本を開いた瞬間に語り掛けてくる。本を読むと言う より、作者と読者の魂のキャッチボールをしている気分になる。
 おだやかな魂のふれあい…私は、生きている本を心から愛している。『死 なれて・死なせて』も、私にとって生きている本である。
  このエッセイは私に、生きるものの生涯が、死なせてしまう側にもなるし、死なれる側にもなると優しく教えてくれた。そして二十歳で死んだ、従兄(お兄ちゃ ん)のことを鮮明に想い出した。幼い時から白痴と呼ばれ、いじめられていじめられたあげく、二十歳の時に、シャボン玉のように、パチッと消え、この世を 去った。若くして死んだ事を、みな悲しみ「これからが人生だと言うのに、早すぎる。」と、言い涙していたことを覚えている。
 でも私は違った。死んだ従兄に手を合わせ、心の中で「お兄ちゃん、よ かったね、やっと死ねたね…」「神様、どうかお兄ちゃんを安らかに眠らせてあげてください…」と呪文のように何度も唱えた。
 私には解っていた。お兄ちゃんがこの世で「生きにくい草」だと…、影が 薄すぎた。人間は動物。強者と弱者がいる。純真無垢な子供の世界でも、強者が自然に嗅ぎ付けて、弱者をいじめる。いじめを見るたびに、残酷な動物の本能を 感じる。
  小学生の頃、金魚が好きだった私は、大きな水槽に、たくさんの金魚を飼っていた。一匹だけ、どうも弱そうで影が薄いなーと感じていたら、やはり強者の金魚 にいつも突付かれ、どの金魚よりも早く死んでしまった。死んだ金魚の体には、無数に突付かれた跡があり、哀れな姿だった。その時初めて、幼いながら弱肉強 食に、うっすらと触れた。
 従兄は、二十年の人生は哀れに写ったかもしれないが、きっとそれだけで はない…、 友達が出来ずいじめられ続け、深すぎるほどの悲しみを知り、その悲しみが在るからこそ、普通の人は感じないような些細な事にきっと喜び涙したこともあった のだろう…、あの時私は「早すぎる」と語った人たちは、この世を生きぬく強い草で、きっと弱者の気持が理解できないのだと思った。無学で白痴と呼ばれ、人 間関係では、必ずいじめに合ってしまう従兄が、これから先、どう生きていけようか?遺書さえ、残すことも出来なかったのに…、二十年の人生で80年分くら いの心の傷を負ったに違いない。
 従兄と二度とあえなくなる悲しみはあったけど、この死は従兄にくれた神 様の思いやりだと私は思った。これが私の中で一番心に残る、「死なれて死なせ」てである。
  生きるものの生涯において、必ず、加害者にもなり被害者にもなり、「死なれて死なせて」があると思います。この純で、弱者の従兄でさえ加害者になりうる。 勉強が出来ないため親を悩ませ、悪い子にお金をせびられ、親の金をこそこそ盗んでいた。どれだけ親を心配させたことか…そのあげくあっさり死んでしまっ た。
 親や親族はもちろん「悲哀の仕事」をした。
 しかし、芸術には、「死なれて死なせて」がない…作家が死んでも、魂の 宿った芸術は生き続けているからです。
 太宰治を読んだ時、本が魂を揺さぶることを肌で感じた。私の中で太宰は 生きている。だって本が話しかけてくるんだから…
  太宰をもっと知りたくなり、野原一夫『回想、太宰治』を読んだ時、最後に太宰の死にざまがリアルに書かれてあった。私は、わんわん声を立てて泣き、そして 泣きじゃくった。今でも文章が生きているからこそ、太宰の死を完全に認めたくない…二度と、この本を読むまいと思い、ごみ箱に投げ捨てた。もう太宰に関し て調べるのはよそう。きっと書簡集や作家の研究書は絶対に死に着いて触れているだろう…二度と触れまい…私の中でこの作品たちが生きているのだからそれで いい…。
 心底愛せる作品しか、私の宝物箱に、けっして入れない。
 秦さんの『死なれて・死なせて』は生きている本として宝物箱に入ってい ます。これから何10回も何10回もこのエッセイを開くだろう…この本がぼろぼろになっても…。
 生きている本との出会いをうれしく思っています。この作品との出会いの 心の喜びを上手に伝えたいのですが、文章を余り書けない私はうまく伝えることが出来ません。もどかしい思いです。
秦さん本当にありがとう。
 

* 美しい東京弁を   1.7.8
  話ことばは難しいです。私の場合、関西では関西の子どものことばで話し、東京に来て東京の子どもの少し乱暴なことばに合わせることで早くなじみました。 「ことばは、相手に合わせて話すもの」という幼児体験が作られてしまったようです。北関東の県できちんとしつけられて育った夫には、語感の違いでずいぶん 怒られました。東京の友人と「おはよ
う」といいかわしていたのを「おはようございます」でなければ失礼だ(確 かにそうで すね)、タクシーの運転手さんに「ご苦労様でした」を不遜だ(それから「お疲れさまでした」と直しました)。一方、夫の家で「お母さま、めしあがります か?」「私もいただいてよろしいですか?」「そうさせていただきます」は、みな、丁寧過ぎて、へん。「お母さま、お食べになりますか?」「わたしも食べて いいですか?」「そうします」でよい。夫の母からも「いただかせていただきますわ」と、からかわれました。20歳ころのことです。
 その後地方生活が長く、東京弁は「お高い」と言われて、少しずつ鳥取の 「どうしん さっただか?」という敬語や、岐阜の土地ことば、北海道のまったく敬語のないことば(しかも、「こんにちはァ」というと、もうリビングに、社宅のおむかい の奥さんが入り込んできているのです)、そして京都・・・(ここでは東京弁を崩さなくてすみました。) 地方勤務の長い転勤族の妻は、東京弁を崩さなけれ ばとうてい近所づきあいがスムーズにできなかったのです。
 朝のテレビドラマが東京のときはほっとして、なまりのある(関西以外 の)ときは、きくのも嫌でした。美しい東京弁を思い切り話したい・・・ という思いにかられて。
 相手によってことばをかえる ことが、自然になってしまったような気が します。
 ただし、仕事の縁の人で、岡山出の人が「よう げんきかあ?」といった とき、「うん、元気だよお」という東京の女性は「おう、のりが ええなあ」といわれます、が、私は「ええ、元気ですよ」ときちんと話します。これが私の、 その人との距離です。
 

*  歯がゆい   1.7.8
  暑い日が続きますが、お元気ですか?でもゆうべは、夜になって、ぐっと涼しくなりましたね。こちらは元気に過ごしています。楽しく、それなりに充実した毎 日です。(職場全体では、かなり厳しい状況なのですが。。)ただ、社会人生活にも慣れてきたせいか、ともすると、日々がちょっと惰性になりがちかもしれま せん。
 送って頂きました「ディアコノス=寒いテラス」、興味深く拝読しまし た。人と人と の出逢いは、一歩間違うと、やはり怖いものだな、という考えが頭に浮かびました。時には人を大きく変え、良い方へ導くことも有れば、時には人を破滅へ導い てしまうこともある。インターネットで出会った末の殺人事件などをみても、いつもその裏腹な怖さを思っています。どんな人でも、その渦中に巻き込まれる可 能性があるのだと、それも、被害者としてとは限らず、加害者としても。
 節子や彼女の家族の対応には、はがゆさを感じてしまいました。障害者と 健常者との 関係ゆえの難しさ、拒絶への罪悪感、後ろめたさは、確かにあるのでしょう。ですが、それでも、やはり人間と人間とのことですし、相手が誰であれ、自分に照 らしてどうしても許容できないことは、断固拒絶する正当な権利がある、のではないでしょうか。その上でも、やりきれなさ、後ろめたさは付きまとうのでしょ うけれども。
 きっと当時だと、合法的に妙子ちゃんの訪問を禁ずる手だてがなかったの でしょうね。今ならきっと、ストーカー防止法の適用がされそうです。
 読後かなしく、考えさせられる作品でした。
 またお時間のある時にぜひお会いしたいです!
 

* 組織  1.7.7
 亡父 は、終始、目立たない宗教的・政治的世直し活動のなかで、「無銘道」を提唱し、個の修行者としてネームレスをつらぬき、まわりのすすめにもかわらず、宗教 集団が金儲けに堕することをおそれ、群れを好まず、「宗団」を立ち上げませんでした。これは、私の父への評価の一つであります。
小生のいわば親爺のような存在の、元外交官のHさんは、今年85歳。退官 されたあ と、一切の天下りを断り、唯一、私がかかわっていた、非法人格・非営利の文化団体の会長役をお引受けいただき、私財も投じられました。Hさんの現役当時か らのあだ名は「頑鉄」(頑固一徹な無私の直言居士。鉄は名前の頭文字)だったそうです。こういう生き方も大好きです。
  これは、「組織の経営戦略」「もとより力をたのみとすることで、何らかの力を行使することにつながるか、つなげる群れの習性」といったこととは別の、「望 ましい組織のありようと、個々の組織とのスタンス」にもつながる個の好み(思想)の問題でありましょうが、組織は、まず「全体経営あっての組織」が現実の 命題。ただし、人事・組織の刷新なく、偏りがあり、政治力学に終始すれば、やがて力劣え、改変・解体されていくのは世の常でもありま
す。総意を反映することの難しさを克服する有効な手立ては、ひとりひとり の組織への積極的・実質的参加と、権利と義務の行使・履行しかありませんが、その前に、「まずミッションありき」、かつ参加への均等な機会が与えれるよう にするのが肝要です。
 

* 日本ペンクラブによる図書館への抗議声明     1.7.7
は本当に残念でした。
  確かに、大都市圏の図書館の複本購入には、私たちから見ても、ちょっと度が過ぎるのではないかと思うようなところもあります。でもそれは、それぞれの図書 館が、それぞれの図書館の資料費や利用者からのリクエストを勘案しながら主体的に判断されておられることなのだから、他の自治体の図書館員が口をはさむこ とではないと思っています。住民代表である図書館協議会の方々(あるいは教育委員の皆さん)がもっと関心を持って論議されるべき問題だと思います。ご自分 たちの税金で、ご自分たちの「知る権利」の保障を図書館に付託されているのですから。
 ちなみに私の勤務する図書館の図書購入費は約2000万円ですが、複本 については 予約者の方を3カ月お待たせしない(1人の方が2週間借りられるとして)というのを基準に、しかし最大7冊までと決めています。これが多いか少ないかは、 それぞれの図書館の地域事情や図書購入費との兼ね合いによると思います。(私の勤める図書館では、移動図書館が市内37ヵ所のポイントを2週間おきに巡回 し、50ヵ所以上の公民館や老人ホームなどに団体貸出の本を届けていますので、本来ならばベストセラーの本は80冊でも買って、すべてのサービスポイント の人に公平に読書の機会を提供して差し上げたいところなのですが・・・。本県の方々はたいへん奥ゆかしくて、リクエストの本がすぐに読めなくても、文句も おっしゃらず、自分の順番が来るのを待ってくださって・・・本当に申し訳なく思うことが多々あります。
 日本ペンクラブの方々をはじめ、著作権者の方々に対しては、私個人とし ては保証金 を払っていくことにやぶさかでありません。コピーの問題同様、財産権としての著作権に関わることに対しては、図書館における資料の貸与には何らかの金銭的 保障措置が講じられてもよいだろうと思っています。ビデオ映画については、すでに保証金を支払っているのですから。
 ただ、ペンクラブの方々に申し上げたいのは、公共図書館は無料で、しか もリクエス トに積極的に応えようという姿勢があって複本も購入しているからこそ、これだけ利用が伸びているのであって、じゃあ図書館が複本を購入しなかったらこの利 用者の方々がすべて書店に走って行ってその本を買われたかといえば、私は疑問だと思います。むしろ、図書館
は(特に書店のないような地域では)宣伝効果を高めるうえで大きな効果を あげていると思うのですが・・・。
  特に林望さんの本なんて、全国の図書館員が書誌学者としての林さんに親近感を覚えて、出る本、出る本、買い続けていったおかげであんなに知名度が上がった のに(と、私は推測しているのですが)、「文藝春秋」であんなこと書かれるものだから、今や総スカン。売上げも落ちているんじゃないでしょうか。(笑)
 それはともかく、図書館員の専門性を否定するような人事異動や民間委 託、非常勤職員 に依存した職員体制等によって、図書館員の選書能力が落ちていることは確かです。複本問題をあげつらうなら、同じように図書館司書の専門性や資料費の確保 についても問題提起していただきたかったと思います。米百俵じゃないですが、目先のことにとらわれて、もっと大切な「知る権利」や「表現の自由」、さらに 言えば民主主義と地方自治の土台たる公共図書館の生命線ともいうべき職員問題を見落としてしまわれたら、日本の文化そのものの危機を招くことになると思い ます。
 著作権料の問題だけでなく、もっともっと現実的な運営や政策の問題につ いても、作家の方々に、一緒に図書館の問題に取り組んでいただきたいと思います。秦さんのような方がいてくださるのは、まことに心強いです。
  全国ネットで、意見交換や情報伝達の出来る図書館員のサイトというのは、個人レベルでは色々あるようですが、それぞれ個性が強すぎて私にはついて行きづら いところがあります。明日から、高松で開かれる図書館問題研究会の全国大会に参加してきますので、面白いサイトがないか、各地の図書館員に聞いてみます。
 

* 日常会話には  1.7.7
 私は人との距離によって言葉を使い分けています。ざっくばらんな、ぞん ざいなことばは一番親しい身内にだけ使うことば。家族だけです。おさななじみでも、この年になれば少しよそ行きのことばで話します。
  会社の中では「です」「ます」を崩したことはなく、社員にものをたのむときも「・・・してくれる?」とか「・・・してくれない?」とは決して言わずに 「・・・していただけますか?」といいます。これが女ばかりの職場の規律になっています。「丁寧語」「尊敬語」「謙譲語」を正しく話すように、自ら率先し ています。これがうちの会社のスタッフやお客様への姿勢の表れと思っています。
 女ことばは余り得意ではありませんが、身内以外の親しい方とお話するこ とばは人並みに使えると思っています。
 

* 東京の女ことば  1.7.7
 現代の(東京の)女性言葉についての問題提起、とても興味があります。 わたしのまわりには、とくに、年配のご婦人で美しい言葉を十分に残しておられる方もいらっしゃいます。四五十代でも人によっては。
 いわゆる日常丁寧語の境界・枠組みが不明瞭になったことが、「乱れてき た」「なくなってきた」原因の一つかも知れませんね。
 口語はもとより双方向ですから、一人で美しい言葉を守るのも至難です が、(若いひとと同じように)けっこうTPOで遣い分けしているのでは、と思います。ただ、身近なお手本がないと、うまくいかないかもしれません。行儀作 法と似て非なる、とも考えます。
 記憶にあった「話のネタ」を繰ってみました。ひとつのヒントとして。
  「「いいわ」「だめよ」の「わ」や「よ」は、文末の語に続けて、軽い詠嘆や念押しを表しますが、江戸時代以前では、一種の甘えの幼児語で、とくに、庶民階 級の子供に限られた。武士の子供には無縁であった。明治に入って、だいぶ変わってきたが、『吾輩は猫である』で、クシャミ先生の姪の雪江に「よくッてよ知 らないわ」と言わせたのは、女学生らしい感じを出そうと工夫したといわれる。」(毎日新聞社『話のネタ』PHP文庫。「「いいわ」の「わ」はどこからきた か)
 

*  東京の女ことば   1.7.7 
  おそらく私たちの(五十歳)世代では、女ことばはほとんど使われなくなった気がします。子供たちの世代、それよりもっと若い世代はさらにちがうことばを 使っています。発音も発声も「それ、どうぇー」というようになまっています。そういえば「そうだよ」「したよ」というもの言いを、子どものころ祖母にたし なめられたことをふと思い出しました。友だちとの間で「そうなのよ」「したのよ」という会話は不自然なものとなり、大人になっても友人同士「そうですの よ」「しましたの」という会話は不自然なものとなっています。どちらかといえば上流階級 と思われる美智子妃殿下ご学友や外交官夫人との会話も「どうして いらっしゃいます?」「忙しくて大変です」といった調子で、「どうしていらっしゃいますの?」「忙しくてたいへんですのよ」とはなりません。どんな方が、 どんな時に美しい東京の女ことばを話していらっしゃるのでしょうか。
 戦後、ぞんざいに話すことで戦前にあった階級をあえてなくしていったよ うな気もい たします。京ことばは今でも、話す人の立場、話す状況によって余りにもデリケートに使い分けがされていて、よそ者には到底使えないむずかしいことばです が、東京弁は地方ことばに凌駕されて、本当に美しいものが消えていくような気もいたします。東京の中流家庭の女ことば は、母の世代でほとんど終わってし まったのかも知れません。今の私には、たとえばお隣の奥様と「暑くて嫌ですわねえ。」「これから庭の草取りでもしようかと思っていますのよ」などと、口に 出すのも面はゆく、何か外国語を話す気がいたします。せめて「暑くて嫌ですね」「これから庭の草取りでもしようかと思っています」とはきはきとお話できる ようにしたいと・・・。ことばを美しく話すためには、発音、語彙、表情などを大切にしていかなければいけないのですね。さらに、何を伝えたいかと言うこと に意識をきっぱり置くことも必要なのですね。はなしべたにとっては大きな課題です。
 

* 「通盛」  1.7.7
 月様   昨夜の月食、ご覧になられましたか?欠け始めはきれいに見え ていたのですが、食が最大の時間帯には、雨が降っていました。連日の猛暑も、これで少し和らぐといいのだけれど。
  平家物語に出てくる阿波の国の能は、「通盛」が唯一とか。河村晴道さん(「晴嵐会」主宰・同志社女子大学嘱託講師)の解説は、ユーモアもまじえられてとて もわかりやすく、仕舞のみということも、初めてのわたしにとっては幸せだったのかもしれませんわね。装束を着けて、というのはこの勉強会にはなさそうで す。ほんとうに小さな会でしたもの。
 「十六」には逢えなかったけれど、お供はお役目をしっかり果たしてくれ て、有意義な時間となりました。
 この鑑賞会も今回の講演会が三十回目とか。十月には通盛の装束を鑑賞。 来年の三月は能「通盛」の舞囃子が開催されるようです。
 出演者は、「河村晴道・味方團・味方玄・田茂井廣道」さんたちでした。   花籠
 

* 夢と現の世界「平家物語と能」  1.7.5
  月様   「暑いですね」 が、挨拶言葉になってしまいましたね。昨年の夏のことを思い出すと、ため息が出ます。苦手ではないのですが、辛抱のいる
暑さです。
 「通盛」「敦盛」ら平家の武将が登場しそれぞれの立場や境遇を語り舞 う。
  新聞の見出しに、こんなふうに書かれていたのに惹かれて、徳島能楽鑑賞会に参加を申しこみました。小さな会のようですが、仕事を終えてから、今宵は暑さを 忘れてのひとときを楽しめそうです。初めてふれる能の世界ですが、なんだか身近に感じられるのも、秦恒平の「能の平家物語」(湖の本と朝日ソノラマ版)が 下地にあってのこと。もちろん力強いこの子たちをお供に、ですわ。
 雲ひとつない青空。今日も暑くなりそうですよ。お体お大切に、ご自愛な されてくださりませ。 花籠 
 

* 権利とエゴ   1.7.3
  マンガ喫茶や図書館の多部数購入問題は、学生など若い人にききますと、関係著作者たちの認識はずれているそうです。これらの方法で利用する人は、これらの 方法がなくなれば自分でマンガや本を買うかといえば、全くそうではなく、買わない、読まない、となるだけだそうです。著作者は文化を云々するなら、普及す るだけでも効果を認めるべし、そうでないと、印税ばかり問題にするエゴだと思われるよ──と。
 話は変わりますが、マスコミないし言論だけを守ろうとしてもだめで、人 権機構構想全体を国民の視点で批判しなければと思っています。
 

* 楽しみに   1.7.3
 毎日HPを読むのが楽しみで。先生を身近に感じられます事が、又とても 張り合いになっております。球体の客室にそうっと私もお尋ね出来そうに思います。
  思えば思うほど、読者の声を聞いてくださる作者はそうはいらっしゃらず、又読者の方も聞いて下さるとは思ってもおりませんでした。昭和も60年、初めてお 返事を頂きました時の飛びあがるほどの興奮を思い出します。独自に大変な「湖の本」出版を続けられている強い意志に、並々ならぬおもいを改めて噛み締めて おります。どうぞどうぞ末永くありますように!楽しみにしております。
「デアコノス=寒いテラス」の巻を友人にプレゼントしたいのですが。近江 生れ、京都育ち、横浜在住。感性の豊かな方でございます。一昨年は祇園会につれていっていただきました。
暑さのなか、どうぞ御からだおいといくださいませ。
 

* こんばんは。   1.7.2
 けぇろけろ、遠くで蛙が鳴いています。少し淋しそう。
 6月は雨がよく降りました。ですが、意外と梅雨時の蒸し暑さには悩まさ れず。
 僕はちょっと異常なくらいの痩せ型で、半袖の服がやや苦手なので、この 時期もけっこう長袖でねばります。今年の初夏は思ったより涼しく、気持ちよく過ごせました。そろそろ暑さは本腰を据えてきそうです。上着を買う時は、おと なしく半袖の服を選ぶことにします。
 今夜はちょっと蒸しますが、夏らしい夜気も静かにやってきています。
 夜気は、昔から好きです。夏休みになると、夜でもふらっと外に出ること がよくあります。幼い頃に住んでいた田舎町の夏祭りを、懐かしく思い出します。
 家族で祭りに遊んだ記憶はありません。よく可愛がってもらっていた近所 の女の人に手を引かれて、ただもう歩き回ってばかりいたのを、よく憶えています。
 その田舎町に、家の墓があります。父と母はお盆にお参りに行くようです が、僕はちょっと都合が合わなそうです。残暑の頃に軽い一人旅で行ってこようかなと母に話しました。母も頷いていました。

 片づけるものを早めに片づけて、「情熱大陸」を見ました。諏訪内晶子さん。僕はク ラシック音楽をとんと理解できないので、彼女を「好き」とは言えませんが、心から「尊敬」しています。素晴らしい演奏で、世界中の人々を魅了してほしい。
 僕は「音楽好き」ではありません。ただ、或るロックバンドを、心底「愛 して」いるだけです。文学でも美術でもない、はたから見ればただの俗なる「ジャパニーズ・ポップス」ですが、僕にとっては何にも替えがたい真の「藝術」で す。

 ひさびさに秦さんの小説を読み返していました。
 秦さんの小説は、とにかく疲れます。よくよく腰を据えてとりかからない と、文脈をあっというまに見失ってしまう。30分も経つと、僕の集中力はいっぱいいっぱいになります。
  ですが、のめりこみすぎないので、かえってけじめはつくとも言える。たとえば石川淳の長編などを読み始めると、まさしく虜になってしまい、これはこれで大 変な思いをします。20分と時間を決めて本を読み、風呂に入り、そして眠りに就く。読書は僕の生活には大切なものですが、「今」は最優先すべきことではな いので、よくよく気をつけながら付き合っています。

 「絵巻」から始めて、短編をいくつか読み継ぎ、「ディアコノス」で息を呑みまし た。ちょっと間を置いて、この半月ほどは「慈子」「罪はわが前に」「みごもりの湖」の黄金コース(と勝手に名づけています)を辿り、昨夜読み切りました。
 自分でも呆れるくらい、何度も何度も同じ場面で涙がぽろぽろこぼれまし た。「みごもりの湖」の最後を読み終えて、思わず「ありがとうございました」と呟きました。素晴らしい作品を読む悦び、幸せに、感謝しました。
 特に「みごもりの湖」は、前にもメールで書いたと思いますが、文句なく 秦さんの最高傑作、日本現代文学の名作です。難解さも群を抜いており、そこがまたかえってそそられますね。秦さんの思うツボでしょうか。

 短編・中編では「初恋」と「或る雲隠れ考」を「清経入水」なみによく読んでいたの ですが、今回あらためて感じ入ったのは、「青井戸」「隠沼」、それから「祗園の子」の「義子」、そして「華厳」と「絵巻」。
  「華厳」は、冒頭のシーンからもう眼が霞んで、読み終えるのに一苦労でした。「絵巻」の方は、ヒロインがとても素敵で、こちらは涙よりも鱗が落ちる思いで す。珠玉の短編群の中で、「華厳」と「絵巻」は、秦さんの<美しい小説>の間違いない双璧です。華岳も松園も好きですが、楊徳領と藤原璋子の 名前も、忘れずにいたい。

 黄金コースの三作では、いつもヒロインよりも迪子さんに肩を持ってしまいます。い や、ヒロインはもちろん魅力的なのですが…負けず劣らず、迪子さんも素敵だなと。ヒロインの前に立ちはだかる迪子さんを、時に怕いとすら思います。
 すぐ傍にいる女性(ひと)の情念は、すごいものがありました。年上の人 だったのですが…お酒が入ると、文字通り「豹変」しました。
 秦さんの小説に描かれる迪子さんを読むつど、この「情念」のことを考え ます。
 慈子に向かって振り向こうとする…芳江さんからの電話を「お受けしたく ないわ」とうったえる…槇子に「余呉の旅は、ありえなかった」と手紙を書く…ふっと、怕くなります。
 そして、この<怕さ>を心底畏れる慈子や槇子に、胸をうた れます。たまらなく愛しくなります。頼りなく当尾の姿を探し求める慈子に、また、幸田に「姉は、赤ちゃんを」と言葉を呑む槇子に。
 迪子さんの存在が、秦さんの小説にしびれるほどの魅力を添えていると思 います。

 他にも書きたいことはいっぱいあるのですが、ちょっと多すぎて、まとまりません。 ほどほどにしておかないと、とんでもない夜更かしをしてしまいそうなので…。
 「生活と意見」、毎日読んでいます。ときどき「朝日子」の文字を眼にす ると、ぐっと胸がつかえます。朝日子さん、どうしているのだろう…秦さんのもとへ戻ってほしい、と余計なことを考えてしまいます。ごめんなさい。
 東京はものすごく暑かったと聞きます。季節の変わり目、体調など崩さぬ よう、迪子さんともどもお元気でいてください。
 

* お能とお謡    1.7.1
  いつのまにかお祭になりました お能を題名にするほどなにも知りませんのに お能を見ながら、舞っている人が恒平さんなのか、隣で眠っている人が舞人の仮 りの姿なのか、眠っている恒平さんの夢の中に本当の舞人がいるのだろうか などと思ってみたりしていました  河村先生に仕舞を習っていた友人はとてもじ ようずで何度も見せてもらいました 薪能にも何度か行きました お謡は元日に本家で鶴亀を聞くのが恒例でした 母からほんの少し、学校でもほんの少し習い ましたが長続きしませんでした そんな私でもラジオ屋さんのおじさんのお謡が聞こえてくると じょうずやなあ 舞台にいる人みたいやなあ といつも思いま した 
 

*  賀茂川の夕涼み     1.7.1
  なんて、お好みではないですか。こう暑いと、三条や四条の橋の上の夕涼み、どちらかと言えば、通りすがりの四条大橋での涼風が、とてもとても懐かしく。あ のあたりから、白川沿いに歩いて家に帰るのが、程よい散歩道だったなあと。祇園祭の神事が始まったとのニュースを観たので、ふと京の夢へさそいました。だ からと言って今は、夏の京都は用事のない限り、行く気がないけれど。
 

* 政治  1.7.1
   昨夜、どうして政治討論を面白く聴けたのか、あなたの「自分の仕事として発言している」で、そうなんだと、納得しました。体験上での旧体制の与党への批 判、又は展望に実感が籠もっていて、聴かせてくれたのでしょう。
 最近は、内部から暴かれて具体的に知る悪習慣、悪体質に、国民はただた だ呆れて、批判の眼を向けていますが、少し若返って、剪定された、風通しのよい政治をと、期待を持って見守るしかないのですね。
 若者達、政治家をミーハー的に見ないで、政治にもっと関心を持って欲し いですね。
 

* 「無明」    1.7.1
は、そのままを全て掲載なさいましたの?あとがきを読まなくても、かなり 参ってらした様子が窺えて胸が潰れましたわ。モヤモヤ、イライラ、ヘトヘト、ドロドロを、多分、正直にお書きになってらっしゃる。
  ですが、迸った、馬を思わせる荒々しい力任せの官能が、若々しくて、魅力的でしたの。coolに洗練され、美的に抑制された、力強い陽のエロスと、深いと ころに沈んでいる、野性的な、整理しきれない陰の情熱とが相まっての、秦さんのセクシィさに、改めて惹かれ、「だからこそ」と目指してらっしゃる世界も、 強く迫りましたの。
 

* ジャック・レモン     1.6.28
  七時のニュースで、ジャック レモンの訃報を。
 昨日の「私語」メールによると、お腹をユサユサと揺らして大笑いしたと か。観ていない映画で、ビデオに撮り忘れて、残念に想っていたところでした。
 面白くて、ペーソスのある映画で、楽しませてくれた、好きな俳優さん、 寂しいですね。「お暑いのが、お好き」「アパートの鍵貸します」なんて、名作でしたね。
 

* ogenkidesuka?    1.6.27
France no tabikara modottekimashita. France deha ju-suukasho no kyoukai wo otozure subarashii tokiwo sugoshimashita.
Europe ha vacance season ga hajimatte umiya yamano resort chi ha dokomo ippaidesu. atsuinode ie de yukkurishite karadawo yasumerunoga ichiban no zeitakudesu.
taisetsuni
 

* 群れない鴉  1.6.27
 毎日、ポレミックなご発言を読ませていただいております。先端情報とし ても、とても有難いものです。(国際討議の)
英訳文も拝見しました。タイトル(Publishing without Publisher)はうまい訳だと思いました。秦さんのように、本丸がしっかりしていて、なお、攻めにも転じられるような若い力があれば、と思います。
 昨日の私語で、「群れを好まず」というご発言は、同感です。私もそうい う生き方をしてきたつもりです。
 ふと、群雀のこと、ひばりのこと、カラスのことが頭をよぎりました。
  いま、朝6時ころ。ハシブト鴉の胴間声に、今朝の異変は感じておりません。チュンチュン雀の百羽、千羽。高く高くひとり天まで上る「ひばり」。東京の鴉 (ハシブト、ハシボソ合わせ)は、15年前は数千、いまは、二万羽弱ほどとか。衆寡を敵せず、一千万のニンゲンどもに臆せず、堂々と戦う鴉は「アッパレ」 ではないでしょうか。何らかの数のサポートは欠かせないものの、徒党を組まない「独立自尊」の強い生き方でこそ真のリーダーシップが発揮されるでしょう。 都会の鴉がそうであるかどうかはともかく、私は、数種の声音の使い分けで、ときおり、きらわれ鴉と交信しておりますが、あの胴間声だけで、東都ネットワー クを仕切れるのですから、インターネット網どころの話ではないと思います。「一声、数里」やがて万里となりましょう。鴉は海を渡りませんが、渡り専門の鳥 仲間は多くおります。”Free as a bird".
 

*  言葉のこと  1.6.27
  秦さま。先日の「私語の刻」にあった、某出版社からの依頼の「京都学企画」に「京言葉」への視点が欠けていた、うんぬんは、同感です。少なくとも、秦さま のこしかたの大半と大方の創作(推察)が、「京ことば」へのこだわりの延長線上にあるからだと思います。こだわりは、うらやましくもあります。
 私は、幼児時の疎開体験、トータル2年間ほどの外国旅行・移動時間をの ぞけば、ほぼ東京的な言葉のみ。あげく、ものたらず、ポリリングイスティックな、ごちゃまぜのコトタマとなりました。元は、関西風と名古屋弁あたりがルー ツらしいのですが。
  あらえびす、にも、「みやび」とは違う鄙びの趣があります。そういったことを含めて、ごちゃまぜの言語生活(=ニンゲン生活)に、つい三十年前には、日本 のいたるところで生き生きとしていた伝統的な「方言」文化(書きことばにも通じる)が、いつのまにか、迷子になったことが、大問題かも知れませんね。みん なが、横並びの「標準語=普通語(プートンホア)」「TVことば」「ネットことば」「グローバル・アメリカ英語化ことば」になっていくのは、空恐ろしくも あります。いかに、いまの「ことば」こそが、いまの「言語文化」であると受容しても。
 「ことば」はまず、「話しことば」が元。文藝の世界でも、しかり。好み の問題もありますが、言文一致にこそ、楽しみを
見出せるというものです。昨夜は、久しぶりに、対訳「ロミオとジュリエッ ト」をめくりました。何と、話ことばが、時代の方言が息づいていることか。
 こだわりを持ちつづけてください。秦さんしか書けない「はなしことば」 のような「はんなりe-文藝」を期待しております。一ファンより。
 

* 百号  1.6.26
 お元気ですか?お忙しくお過しのことと存じます。
 毎日暑くてむして・・つらいシーズンとなりました。
 私は今F100号をまえに悪戦苦闘を続けております。まだ構成の段階で すが・・・いかにモチーフをしっかりと描ききれるかを課題に、頑張っています。
 昨年の今ごろはスペインにいたなー・・・とか、つまらないことなど も・・ときおり想いながら・・・また湖の本のことなども想いながら・・・。
 では澄んだ目で頑張ります。
 いつの日かお逢いできますように・・
 

 『ディアコノス=寒いテラス』   1.6.26
 感想が出尽くしたとは、決して思わないでください。百人百様の想いがあ りましょう。ご返事申し上げずにはおれないたかぶりとあわせ、言葉を綴れないもどかしさがございます。言葉にしたとて詮無い、という気持ちもございます。
  一気に読んだあと、読後感をお寄せするとしたら、作者の万倍の言葉をもって批評・評論をモノすか、太田道灌の故事を真似。。。。腰折れ一首を添えて、懸崖 に咲く野の白百合一輪を手折り、「妙子」に差し出すしかないと思いました。されど、かの凛とした野の白百合を誰が手折ることができましょう。それは、妙子 こそが「野の白百合」にほかならないからです。あとは、妙子自身か、うちに「妙子」を寄生される人か、あるいはディアコニッセとしての妙子を実感・体験し うる人が、ご返事申し上げるのが、一番いいと思いました。私には、この三条件をほぼ共有・所有している非公開のプライヴァシーがあることだけを、こっそり お伝えしておきます。「マタイ伝6:5」にある、「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくど述べてはならない」という一句が心境に近いともいえま しょうか。
 「私語の刻」に紹介されたうちでは、文学としてとらえた感想にやや共感 を覚えまし たが、『親指のマリア』登場の不確定な前触れ・予言であろうとも、それは、いわゆる「事後予言」であるやも知れず、20年の刻を待って顕らかにした作者の 秘密メッセージを、作者の「文学思潮」として批評し、「作者の漂泊の旅路」を追跡しないのでは、片手落ちのような印象を持ちました。作者の万倍の言葉を もってしても、叶うかどうかは定かではありませんが。
 揚言すれば、誰もが、程度の差、自覚の差こそあれ、ひとしく、うちなる ディアコノ スとディアコニッセで在るということではありましょうが、健常者対知的障害者、あるいは「差別問題」といった、ステロタイプ観念にはまりやすい、一方向の 「奉仕」「被奉仕」ではなく、さわりがあっても、奉仕し奉仕される「あるがまま」にこそ、「人間」の業がある。いな、(とどのつまり)、妙子こそが「ディ アコニッセ」、つまり「親指のマリア」であろうか、という大疑問符付きの、私自身の、これまた、ステロタイプの自問自答ではあります。
 二十歳過ぎまで、自閉だの、足りないだの、変わり者だの、小学生の学 力・国語力し かないと言われ続けてきた「うちの妙子」。どうしてか、過去、ただの一冊読破した?ヘッセの「車輪の下」がいいとだけ繰り返し、映画「べティブルー」「ポ ンヌフの恋人」やランボーの映画のことしか興味なかった「うちの妙子」。二十歳を過ぎて、ここ最近、小三国語ドリルから復習はじめ、英語を習いはじめ、猛 烈に、太宰や、安吾、ドストエフスキー、漱石、トリイ・へイデン、聖書や、なにやらかにやら、濫読しはじめ、あげく毎日、毎夜、私に、レゾンデテール、ア イデンテティ、死と生の対峙について、また、藝術とは何ぞや、という論戦をしかけてきてひるむことがない。「私の妙子」を受け止められれば、楽しき哉(セ ラヴィ)、また、教えられることが多い毎日でもあります。
 「文学」に何かを気づかされた、というのでしょうか。「文学」「創作」 のもとより 秘めたる力に、われ知らず目覚めたのでしょうか。読むだけでなく、詩やらエッセイ、コラージュの絵日記やら、あかずモノしております。枕もとに詰まれた 『湖の本』のことが気になるようで、秦恒平に触れるいい機会と思い『ディアコノス=寒いテラス』をすすめると、機嫌よく一晩で読んだようで、感想を尋ねる と「流れるような文体で、すらすら読めた。面白かった」と言っておりました。
 「うちの妙子」は自称・隠れ切支丹でもあるようで、夜な夜な、前述の 「マタイ伝 6:5」の次の言葉を、祈りの日課としております。なかば強制的に合掌につきあわされ、イエスの真実の言葉に最も近いとされるマタイ伝のロゴスが、何とな く分るような気がしてまいりました。。。
「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国が来ますよ うに。みこ ころが天に行われるとおり、地にも行われますように。私たちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、 わたしたちの負債をもお許しください。わたしたちを試みにあわせないで、悪しき者からお救いください。」(日本聖書協会・口語訳聖書)。
 「うちの妙子」が作中の「その後の妙子」であるような気もいたしており ます。H.13.6.26 一読者より。
 

* 京ことば  1.6.25
 蒸し暑くってしんどいしんどいと 言いつつ、どたどたと歩いている今日この頃の私で御座います。
 寒いテラスの感想以来、なんとな く気になってちょいちょいと私語の刻を拝見しているのですが、思いがけず富士谷あつ子さんの名前が出てきたので、秦さんにメールを送る気になりました。た いした事ではありませんが。
 富士谷さんの旦那様は私の薬学の同じ研究室 の先輩で、私が大学院の頃はドクターコースに居られ、いろいろお世話になりました。
  あつ子さんとお目にかかったのは、京大の女子学生の追跡調査をして居られた25年ほど前が初めてでしたが、それ以前からお名前は良く知っていました。いつ のまにか”評論家”になって居られてびっくりし、そう申しましたら、「評論家になるのに資格は何も要らないのよ」と、”評論家になる方法”を伝授してくだ さいました。
 薬学の富士谷先輩は徳島の出身ですが、あつ 子さんはれっきとした京都の方。府一の最後の卒業生だっかと思います。
 秦さんがおっしゃるように”言葉”を抜きに して京都は語れません。秦さんの忠告にきっと”痛いところをつかれた”と思ってられるでしょう。
  ちょっとしたきっかけで、最近チェスタートンの推理小説にこっています。その中に、主人公の”もってまわった言い回し”を3人の女性が自分に関心のあると ころだけ記憶していて、3様の証言をして(いずれも正しいが)混乱を招く---と言うところがあり、そこに”正しい英国紳士は単純な物言いはしないもの だ”との意が誇らしげに書いてあって、面白かったです。
 イギリス人と京都人には似たところがあるよ うに思います。どちらも長く都だからでしょうね。
 お身体お大切に。
 

* 秋尾事務局長殿   1.6.25
 暑くなってきました、お大事に。
 さて先日理事会で討議されました「蝋山・力石・木島」三氏から要望の件 ですが、討議の結末に関して、案の定、三氏宛てに何の挨拶ないし返事もなさっていないと、漏れ聞きました。
 かりにも社会的な立場と肩書きを明記して、きちんと会長宛に要望され理 事会でも検討したことに、採否はともあれ、団体として、社会人として、返事一つしないままというのは、非常識な、恥ずかしいことではないでしょうか。こう いう押
えを秋尾さんには折り目正しくして戴きたい。意見の相違とは別の次元の、 礼儀の問題ですから。専務理事ともご相談の上、よしなに。秦理事
 

* 作品『ディアコノス』のお母様に  1.6.25
 創刊15年記念の輝かしい作品が、「ディアコノス」。感動でもあり、辛 くも読ませていただきました。一気に。と言うより途中では恐ろしくて、読み止めることができませんでした。
  作者のお気持ちしっかりと受け止めなければと思いますが、「ディアコノス」が、「妙子ちゃん」の昔の担任の「薫先生」宛てになっていて戸惑っています。 テーマーが大きくなっていったこと、一「淡路家」の問題でない事、問いかけが世間へとなっていったこと、知的障害児の大勢の方と現に関わっている私自身の 不遜さ、気付かない傲慢さが、どれだけの人を傷つけていったのかと、考えさせられます。自分自身の気持ちも、こと確かなものとはならない日を過ごしていま す。
 息苦しいまま、作中語り手の「淡路家の奥様=節子さんのお母様」宛て、 私が日々仕事から感じていることなどお話しし、聞いていただこうと、お手紙させていただきます。
 「妙子ちゃん」の不意の出没からの数年間、どれほど心を痛められなが ら、日々をお過ごしでいらっしゃったたかとお察し致します。遅ればせながらお見舞いいたします。
 一番に、貴女のご家庭の愛が、薫先生の愛より薄かったとは、決して思い ません。
 皆様が妙子ちゃんに良かれとどれだけのことを尽くされたか、それでも世 間は承知できないのでしょうか。いえ、知らなさ過ぎるのではないでしょうか。
  私は、(申せば塾経営の中で)知的障害を持っている子どもたちに、他の子どもたちと同じように学習して欲しい、する権利があると思い、個人別の学習をして います。世間では、彼らには知的学習は必要が無いとされる事も多々あります。その人なりのできるものを見つけ、根気よく続けることで、できるものが増えて いきます。できる喜びを見出して、自分に自信をつけていき、生涯をより、豊かなものにできればと思っています。フランチャイズ式学習塾での1教室の限度は ありますが。
 その子どもたちに関わりだして20年余り。子どもたちの個性は強く、な まじの好意 や指導者同士の体験からの事例交換だけで理解できないことが多くありました。確かな知識も欲しいと、放送大学で発達心理学など周辺事項を学び、卒論には、 『母子分離不安が及ぼす言語障害』をテーマーにしました。話がそれますが、乳児の発達に母子相互作用が及ぼす影響の大きさを知っていく事は、私自身の出 生、育ちを見つめ直す自己探求にも深く関わって、避けて通れないものでした。
 子どもたちの生来の1次的障害に加えて、2次的障害が、障害を重くして いく事があ ります。それを多少なりとも防止したり、軽減できる事の一つに、母子関係を援助する事があると思います。子どもが何かできていく体験を、母親も遠慮するこ となく喜び合える事は、子どもの意欲を育て、心を安らかなものにしてくれると思いました。母親が安心して子どもと学習できる専門教室を希望しました。
 商業ベースの塾のことですから、会社の良心にあたる部分をくすぐり『障 害児指導は 教育の原点である』などと実しやかなことを言い、又、私自身も信じて許可してもらいました。10年を経て、地域の父兄にも、公的な福祉関係者からも預かっ て欲しいと委託されるようになり、今、50人近い生徒と学習をしています。
 誰でもが知りたい、勉強をしたい、大きくなりたい欲求は持っていると思 います。そ れを叶えるためには、一人だけの大きな力が必要なのでなく、周りからの少しの支えと理解があれば、子供たちは伸びていく事ができます。そのために、少しづ つ力を出し合って欲しいと願ってしまいます。少しでも子どもたちのことを知る人が周りに増えていけば、学習しやすくなり、認めてくれる人が増えれば、子ど もたちの意欲を増す事ができると思っています。つい多くの人たちに協力を得る事で、知って欲しいと願ってしまいます。「薫先生」も同じだったと思うので す。
 子どもたちの思春期のエネルギーは、爆発的です。「妙子ちゃん」とて例 外でなく、真っ直ぐなだけ、エネルギーは大きかったことでしょう。観念的な言葉を操れるだけに、周りは翻弄された事でしょう。
  我田引水的に持っていけば、それまでに、エネルギーの配分ができるように、ストレスが発散できる術を持てるように、社会の人たちと共有できる趣味を持たせ てやりたかった。絵本であり、スポーツであってよいのです。学習を継続させる事は辛抱を養い、コントロールする力をつけます。
 「淡路家」がマスコミに叩かれますが、1部でも多く売らんがための商業 誌の『世論 の正義』は、容易に暴力に変わるのですね。「節子」さんのように理不尽な事で、世間から石礫を投げつけられることが起こらないためにも、多くの人が少しず つでよいのです、「妙子ちゃん」のことを知り、社会が、ご家庭を支えるすべを持つことができれば、と。障害を持った人たちが、成人して、自分の事を発表さ れるようになり、「妙子ちゃん」のような高次機能障害者の事も、ずいぶん分かってきました。
 傷ついた「節子」さんを癒してくれるのは、支えてくれるのは、誰であり 何であるの でしょう。世間が、障害を持った子どもたちを少しでも知っていること、が、「節子」さんの気持ちをも理解してくれる事になる、のではないでしょうか。まだ 甘い淡い希望をもち続けていることは、私自身が被害者になっていないから言えることだとは思いますが。
 そう。もう一つ。子どもたちが成長していくために、社会とは、「人々の 幸せのため の社会であるべき」では、ということが言いたいのです。反対に、社会のための人づくり、社会の枠の中に当てはめるための教育、はまずいと。特に弱者にとっ ては。自分の子育てだけでは気付けなかった、社会の、行政の、あり方や仕組み。教育の組織作りや、方向性。大人はなんと身勝手な状況を子供たちに押し付け ているかと思います。
 大変な状況に置かれたご家庭の苦しさを、何分の一も分からないで申し上 げるのは辛 いのですが。子どもたちが何か成し遂げたときの眼の輝きに、体全体で喜んでいる姿に、私は勇気付けられ励まされる事が多くあって、その喜びを多くの皆さん に知ってもらいたいと望んでしまうのです。
 「節子」さんも、ご家族の皆様も、今までの事を決して後悔なさらないよ うに。きっと「妙子ちゃん」の気持ちを満足させる事は多く有ったのでしょうから。
 くどくどと、自分の事ばかり話してしまいゴメンなさい。「淡路家」ご家 族の皆様のご健康を心よりお祈り致します。
 

* 怕い小説   1.6.23
 いま生のままもたらされる情報のなかで、おそろしさも麻痺し、白けてゆ く日常です。
  『ディアコノス=寒いテラス』は、怕い小説ですけれど、力みとか断じたりする嫌みがなくて、読者に性急な答を促さず、迷路の彼方をあけてあり、考えさせて くれます。たとえば、湖の底から人知れず湧き上がる清冽な湧水のような、読者のこころの泥を洗ってくれるような──。十五年、六十七冊、ほんとうにありが とうございます。
 

* 「ディアコノス」などと   1.6.23
難しい題が付いて、どんな内容だろうと思っていました。すぐ読んでしまっ たのですが、感想なんてとても言えないと思いました。
  多動で精神発達遅滞というのでしょうか、そんな人に関わって、何かを得たのか失ったのか、主人公はいったい誰なのか等、精神障害児に対する考え方や扱いの まずさがよく描かれているなと感じました。語り手の、話の宛先が少女たちの「担任教師」であるところに、問題を隠してあるのでしょうか?
 

* ディアコノス感想   1.6.22
 お元気ですか。湖の本十五周年おめでとうございます。
 「ディアコノス」について、私語の刻にたくさんの感想が紹介されていま すので、今さら申し上げることなどないのですが、普段、障害者と接することのほとんど無い者の考えとして、ひとつお聞きいただければと存じます。
 まず、よくお書きになったなあ、ということです。発表を躊躇われたのも 頷けます。それほどデリケートな問題です。日本人のほとんどが、差別はいけないと言いながら、いざ自分が関わらざるをえなくなると差別をしてしまうそうで す。偽善の姿、と思います。
 わたしは偽善に陥りたくありません。かといって偽善から解き放たれてい るという自信はありません、情けなくも。うわべだけの”ディアコニッセ”になりたくなく、福祉などとは距離を置いてしまっています。
 差別は、未解放部落、女性、在日外国人、など悔しいほど多々存在しま す。それぞれの歴史があり、事情も異なるので一口にどうと言えない複雑な、やりきれない問題です。
 「ディアコノス」に描かれているのは、やはり特有の問題をはらむ障害者 差別についてですが、作品は、障害者差別に限らず、差別の根っこのところにある闇を、真正面から捉えているなと思いました。偽善、同情、憐れみは、もっと も排すべきと思っています。
  学生のとき、差別問題を考える演習の授業を履修したことがありました。そこで、自分の無知と、「自分ならどうする」などという次元で差別問題を考えている だけでは、先へ進まないことを知りました。授業中、ある女生徒の言った、「自分が何者であるのかわからないと、生きて行くのが難しい」という言葉を、今で も忘れられません。彼女は、日本人でも、韓国人でもない、在日韓国人でした。
 差別問題と向かい合うとき、偽善の仮面をかぶっていないか、いつも自分 自身に問いかけています。答えはなかなか出せません。やりきれない、まとまらないわたしの思いに似たものを、よくぞ書いてくださった、という思いでいっぱ いです。
 また、「無明」は、むむ、なるほど、と唸りながらたのしく読みました。
 

* 『湖(うみ)の本』45を拝見  1.6.20
し て、満ち足りた気分でいます。正確には、文学的には満ち足りているが生活者としては考え込んでいる、というところでしょうか。6/10にいただきました が、今日まで読めないでいました。ある予感があって、じっくり読める日を待っていました。大変なことが書かれているに違いないという予感は、当っていまし た。
 「無明」の、書けないときでもご自分に義務付けてお書きなったとの件り は、プロの 作家としては当然かもしれませんが、原稿用紙4枚にきっちり収めて書くことなど、なかなかできないことだと思います。それはそれで魅力ある作品が多いので すが、やはり私は「ディアコノス=寒いテラス」に胸を打たれました。
 おだやかな、敬語をきちんと使える女性という設定も、書簡という形式 も、この作品 では成功していると思います。そして、教育とは何か、奉仕とは何か、正義とは何か、心障者をどう受けとめて行動するのがよいのか、非常に問題の多い小説だ とも思います。秦さんは20年前にこの作品を書き上げ、上梓を勧められてもいたようですが、結局、今になって湖(うみ)の本で発表したとのことですね。 20年前に発表してもよかったのではないかと今だにお迷いのようですけど、私はこの時代でよかったと思っています。ようやく総合的なモノの見方が出来つつ ある今でなければ、この作品の価値は埋もれてしまったかもしれません。
 私にもこの作品に近い経験があります。小・中学校を同じにした軽度の知 恵遅れの同 級生がいて、いじめに遭った時に庇ったのを機に近づいてきました。私がバスケット部の主将をやった時に、一緒に試合に出たいと入部してきました。運動神経 はよかった方です。中卒で大工になって、私の家を建てたいと言っていました。私が家を離れて就職したあとも、私の実家には出入りしていたようでした。20 年ぶりぐらいで同窓会で会った時、もう一度昔の仲間とバスケットをやりたい、と言っていました。おお、やるか!と応えましたが、その1年後に屋根から落ち て死んだと知らされました。もちろん御作とは似て非なることですが、彼に接した私の態度は、今だに信用できないものがあると思っています。御作を拝見し て、その思いをさらに強くしているところです。
 心障者とは何か、と私には明確に答えられる知識も感性もありません。こ の作品を人 文学的・医学的にも応えられる術も持ちません。それでもなおかつ、人間とはなんだろうと考え込んでしまいます。文学的には誰も書いていない分野を書いてい るという羨望はあります。しかし、そんな羨望は自分の小ささを曝け出しているだけだと思います。作家の本来の力を感じるだけで、人間の理不尽・不可解さを 考えて小さくなっています。
 

* 桜桃忌は記念日   1.6.19
 桜桃忌の今日が湖の本記念日でした。おめでとうございます。
   メールを送らせていただいて、又、HPをいろいろに読ませていただきました。15年前とは格段の違いで読者とのつながりがありまして、 これはお手紙を書くのとは又違う、身近なものを感じます。
   先生とのご縁が復活できましてより、私はずうっと興奮状態で御座います。丁度1年前からパソコンをやり始めましたが、今回ほどやっておいて良かったと思っ たことはございません。世界が大きく開けた気分で御座います。
   湖の本45の50ページに創刊の時の事が書かれて居りました。途中お休み致しましたのが、とても心苦しく、辛い思いを致しました。以後私がどうにかなりま すまでは、どうぞ末永くお付き合いくださいます様にとお願い申し上げます。
  開かれております文学サロン、平安の頃のサロンを思い浮かべましてロマンチックな気分で居りました。こうしたサロンがありますことは、素人でも書いてみよ うかなと嬉しく夢が持てます。初めてのことですが、私も投稿してみようと思っております。
   又、創作シリーズ44「早春」を頂きたく、よろしくお願い致します。
    明日からは又しとしと雨のようで御座います、どうぞ御身お大切になさってくださいませ。
 

* 『ディアコノス=寒いテラス』を読んで  1.6.18
 「私語の刻」へむけて、多くの方々が、『ディアコノス』へのずしりと重 たい感想が寄せられております。大変共感する部分もあり、新しい発見もございました。今さら僣越ではございますが、こんな読み方をした読者もいるというこ とで、感想を書かせていただきたいと存じます。
 『ディアコノス』はこれまでの秦先生の世界とは少し異なる題材を扱って いますが、素晴らしい完成度をもった作品で、取り憑かれたように一気に読んでしまいました。
  実を申しますと、私はこの作品に登場する「妙子ちゃん」の知的障害にさほど重きをおかずに読んでおりました。知的障害を世の中に存在する多くの「異常性」 の一例と捉えたのです。知的障害を精神障害や痴呆や他の身体的障害におき変えても、この作品の根幹は充分に成り立つと考えました。『ディアコノス』は、何 かが大きく欠落した人間との関わりを余儀なくされて、破綻に向かう一家の物語と読めるのです。
 『ディアコノス』は侵入者への、しだいに増殖していく恐怖を描いた物語 として、類 稀な名品だと思いました。母親の一人称で、書簡体形式という限定された視点で描かれることによって、崖っぷちに追いつめられていく淡路一家の状況が息もつ けないように迫ってきました。読み進むにつれて、正直私は震えあがってしまいました。
 この作品を読んで、私が感じたと同じような恐怖や嫌悪を追体験する読者 は多いと確 信します。簡単に言うと「妙子ちゃん」は知的障害の衣をまとったストーカーでしょうか。人は誰でも程度の差こそあれストーカーに出会います。作家にはス トーカーがつきやすいという話を聞いたことがございますが、先生がこの作品を書かれたきっかけも、先生なり身近なかたの経験が反映しているようにも感じら れます。それほど『ディアコノス』の恐怖は生々しいものでした。
 小説を自分の個人的体験と引き比べて読むのは邪道だとは思うのですが、 『ディアコ ノス』に限ってはそういう読み方をせずにはいられませんでした。ある意味で私はこの作品に対する偏った読者と言えます。どうしても「妙子ちゃん」やその家 族の立場には立てませんでした。私には『ディアコノス』は他人ごとの物語ではないのです。個人的なことを申し上げるのは恐縮ですが、私自身もこの設定にど こか似通う異常性との関わり、二回のストーカー体験がございました。
 最初は小学校の四年生のときで、相手は五年生の男の子でした。当時はも ちろんス トーカーという言葉すら存在していませんでしたが、彼がしていたことは今振り返っても立派なストーカーでした。仲良しの女の子の近所に住んでいた男の子か ら、突然好きだと言われたその日から悪夢が始まりました。
 学校の休み時間のたびに、五年生の教室から四年生の私のクラスに現れ る。トイレの 前で待ち伏せる。帰り道についてくるなどさんざんつきまとわれました。いじめられたというのならば、教師や親に訴えるという方法もあったのでしょうが、好 きだと迫るだけで指一本触れてこない相手を排除する方法が、十歳の少女にはわかりませんでした。拒絶しても無視してもつきまとう男の子を前にして、ただ途 方にくれていました。
 リカちゃん人形でおままごとをしていた平凡な少女は、一学年しかちがわ ないとはい えずっと大柄な男の子に「好きだ」と言われるたびに、得体のしれない恐怖感に胸がしめつけられるようでした。「好きだ」という言葉の見返りに彼が求めてい るものが何かはわかりませんでしたが、それが忌まわしいものであることは子供であっても本能的に知っていました。節子が妙子ちゃんに「一緒に寝たい」と言 われて感じたであろう鳥肌の立つような怯えに近いものに苛まれたのだと思います。
 幸いなことに、次の学期に私の一家は引っ越しをして転校することがで き、私はようやく彼から解放されました。その後私は私立の女子校に進学しましたが、男の子につきまとわれる心配のない環境がどんなに嬉しいものだったかは 言うまでもありません。
 今ではその男の子の顔すら思い出すことはできません。ただ『ディアコノ ス』を読んでいるうちに、ふと彼の口元、もっと正確に言うと好きだと言ったときの唇だけが映像として甦ってきて、背筋が寒くなりました。
  二度めのストーカーは、まだ記憶に新しい最近のことです。相手は女性なのですが、これは処置なしのストーカーでした。異性のストーカーより同性のストー カーの方がずっと不気味だということを骨身にしみて悟りました。男のストーカーが女に求めるものは相手の肉体とか命といったもので、これはこれで当然怖い のですが、行動を予測できないこともありません。しかし、女のストーカーが対象の女に望むものは、ひと言で言えば相手の「不幸」とか「不幸への苦しみの過 程」でしょうか。
 彼女はある難病を患っていまして、いつ死ぬかわからないと訴えながら 迫ってきまし た。自分は病気なのだから、自分の言うことをすべてきいて欲しい。愛してほしい。私の幸福を投げ出して、自分と同じように不幸になってほしい。誠に身勝手 な要求なのですが、彼女は執拗でした。毎日のように投函される支離滅裂の長い手紙。そのうちの何通かは消印がなく、明らかに自分の手でわが家のポストに入 れたものでした。彼女がすぐ近くまで来ているというのは、耐えがたい恐怖を呼び起こしました。
 それでも、彼女の異常さにたいしてなかなかとどめのひと言が言えなかっ たのは、難 病を楯にされたからだと思います。妙子ちゃんの知的障害ゆえに、厳しい対応がとれなかった淡路家と同様に、私は気の毒な病人に反撃することが困難でした。 男のストーカーであれば警察沙汰にもできるのでしょうが、女で病人のストーカーを取り締まるすべはありません。彼女が私に与えているのは心理的圧迫だけな のです。ですから私が彼女を拒絶すれば、世間は私が弱いものいじめをしたとしか思わないでしょう。
 なまじ変な想像力があるために、手紙に毒が塗られていないかとか、盗聴 器の心配を したり、小包を警戒したり、一歩玄関を出るたびに周囲を見回したりする日々が半年ほど続きました。疲れはてたときに、見かねて間に入ってくれた方がいまし て相当烈しい怒り方をしてくださいました。そのおかげで、今のところ私はストーカーから解放されて安らかな日常生活にもどることができています。多分この まま落ち着くだろうとは思います。それでも頭の片隅に彼女の影がちらついて眠れぬ夜を過ごすこともあるのです。
 長々とつまらぬことを書いてしまいましたが、『ディアコノス』は私にと りまして現 在進行形の恐怖の物語であることを、先生に知っていただきたく思いました。先生の意図とはかけ離れた読み方なのかもしれませんが、『ディアコノス』は私の ような経験のある読者には、非常に恐ろしい作品なのです。
 『ディアコノス』は長い間公表を差し控えられた作品とのことですが、と ても今日的な社会の病理をえぐり出しているとも言えるのではないでしょうか。私はこの作品から、理不尽な存在に向き合わされた淡路一家の悲鳴を聞くので す。
 『ディアコノス』には知的障害者が登場する作品につきものの偽善があり ません。障害などの異常性の問題を突きつめていけば、必ず立ちはだかる容赦のない真実が、大変衝撃的なかたちで描かれています。解決のつかない問題が読者 の喉元に突きつけられます。
  しかしその冷徹な展開に耐えられず、なまぬるい解決を求めるのが現在の日本の公式見解のように思います。未だに出版社が『五体不満足』のようなかたちでし か障害を扱うことができないとしたら、障害と差別の問題は改善される見込みはなく、空虚な正論だけが一人歩きすることになります。 私の読み方は特殊とし ても、先生が『ディアコノス』に込められた覚悟と誠意ある問題提起は重く受けとめなくてはなりません。
 大きく欠落した人間の受容が可能なのは、先生が作品のなかで語られる奉 仕女ディアコニッセの愛だけでしょうが、そのような愛はほとんどの人間には不可能なものです。
   薫先生、今こそあなたにこう申します。節子に愛がなく私どもに
   愛が無かった。あなたにはそれが有る、と仰有いますかと。
 この小説の最後の一文は痛烈な一撃です。私を含めた「愛のない」人間、 「愛のない」ことさえ気づかなかった鈍感な人間は反論の余地もなく、深い溜め息とともにこの本を閉じるしかないでしょう。
 掌説『無明』は先生の独壇場で、詩を読むように魅惑の時間を味わうもの でした。前の手紙に、先生のご本のなかには、この世の美しいものすべてがあると書きましたが、外国のある詩人の言葉を少し変えてこう言ったほうが正しいか もしれません。
 秦恒平のような真の作家が選んだもの、書きしるしたものだけが、美しい ものとしていつまでも生き続ける。
 片隅の読者ではございますが、湖の本の世界がさらに清らかに澄んでいか れますことを心よりお祈り申し上げます。
 先生が桜桃忌の定期検診を無事終えられ、お好きなものを充分召し上がる ことができますことも、切にお祈りいたしております。
 

* 秦恒平様  小説「デイアコノス=寒いテラス」を読みました。   1.6.18
 簡単に感想を書きます。私には、どうしても秦さんの小説に、迪っちゃん の家族が重なってしまって、普通には読めないのです。これは以前からそうなんですが、今回も勝手に感情移入があって、かなり辛い小説でした。
 でもこの小説は、(語り手に迪っちゃん的な立場の主婦が出てくる、そう いう家族の状況をのぞけば、)非常に引き込まれる力のある小説でした。
  どこにも悪意というものがないのに、身障者というほんの少しの非日常がごく普通の少女を、その家庭を巻き込んでいく様子が、見事に描かれていると思いまし た。語り手を通して、インテリ家庭らしい用心深さや、正義感や、本来の優しさが、その率直なリアリティを通して伝わってきます。
 世の中には様々な恐怖というものがあると思うのですが、この場合も理不 尽と思える 底のない恐怖が、読者にも伝わってきました。(何故か夢にも恐怖感が出てきました。) 「愛」というオールマイティのはずの言葉が、観念の上をすべってい く感覚、「愛とは何か」をひとりひとりの心に問いかけてくる小説でもあると思いました。「妙子ちゃん」は、とにかく無垢に「愛」しているわけですよね。
 また一体「普通とは何か」という問題も提供しています。語り手と同一線 上に立つ私は自分を健常者ととらえていることそのものが、ひとつの差別なのかも知れないと思ったりしました。
  一方、もし私が身障者側の家族だったら、この小説を読んでどのように感じるのだろうかとも考えさせられました。私にも身障者の友人がいるのですが、私はい つも彼女に何故か「申し訳ない」という気持ちを持っていて、その気持ちが重くのしかかるのです。つまりは、相手が私に何もしていないのに、その存在だけ で、私は勝手に「被害者」になってしまうのです。つまり大袈裟に言えば、「お前は、ディアコニツセにならねばならぬ」という圧迫を無言のうちに感じてしま うのですね。
 身障者とは、それほどまでに力を持つ存在なのだと、いつも思います。 (それがこちらの勝手な思い込みだとしても……)
 私にとっては、そういう様々な諸々を感じさせてくれる小説でした。
 余り上手に感想を述べられなかったように思いますが、非常にインパクト の強い小説であることは確かだと思います。簡単ですが、お許し下さい。どうぞお身体を大切に、これからもいい作品を書いていかれますように。 * * 子
 

* 「無明・ディアコノス=寒いテラス」拝読しました。  1.6.16
  これは、つらい、です。仰有るように、答えは、出ない、と思います。たとえ、上手に論考しても、取り返しはつきません。もしも、「淡路一家」の人たちが目 の前に現れて、相談されたら、これからの事を考えることにする、と思います。この国のどこかで、世界中でおきていると思います。つらい、です。
 梅雨冷えで、炬燵をつけたりしています。益々ご多忙のご様子、くれぐれ もご自愛ください。
 

*  ディアコニッセ   1.6.15
 メールに。  レストランの洗い場で働かれている息子さん。指導される パートのAさん。状況が目にみえます。まだこの息子さんは途中で帰宅することはないようですね。
  受け持っていた(夫婦二組、二軒のグループホーム)、Kさんは突然帰宅することがありました。聞けば、「もう、帰り(なさい)」と言われた、とか。会社に 連絡を入れると、奥さんが、「いわれたように仕事をせずに、納品の時間に間が会わないと、段取りをしているBさんが怒ったようで、怒られたことに腹立てて 帰ったようです。」
 Kさんは「わしが仕事しよんのに、邪魔ばっかりするんじゃ」と。
 話を聞き、文句を言う彼に、「仕事を教えてくれているのだからBさんは 先生なんよ。先生のゆうことはちゃんと聞かないかんよ。」と言い聞かせ、翌日は付き添ってあやまりに。
  体格もあり、力の強い彼は、仏壇製作所で梱包の荷解きと、簡単な初期の組み立てをしていました。そのときは、荷を解き、本体と台座を組み合わせていく仕事 だったようです。ところが彼は、荷解きばかりしていたようで、Bさんが何度言っても聞かないので、叱ったらしいのです。それを彼は、自分が仕事をしている のに邪魔をした、というのです。
 ここも、息子さんの勤務先と同じで、社長や奥さんは理解してくれていま したが、従 業員の方々には不満があったようです。差別を言うわけではないのですが、「あの子は普通と違うのだから」と、奥さんはよく従業員のかたに言っていたようで す。そうしないと錯覚してしまうほど、彼は、わたしたちとかわらないのでした、理解と判断ができない以外は。
 彼女や彼らが起こす出来事や不始末には、事件がらみもあります。夜中ま で走り回り、警察に引き取りに行った世話人さんもいました。ただ、他人に殺傷などの危害を加えての事件ではないのが救いでしたけれど。
 母体である援助支援センターとの連携も重要なことでした。全国大会など への参加や、グループホームへホームステイに来られる方々との交流は、色んな苦労や事情を分かち合えて、「自分たちだけ」の枠を取り払ってくれました。
 退職後(私)は一切の連絡は絶っています。支援センターとか、元同僚た ちとは交流はありますが。
  或る前任者が、「(自分は仕事を)辞めて(から)も、なんでも相談にのるから」と、お別れ会のときに言っていたようで、それを眞に受けた本人たちは、頻繁 に電話したり、(退職者の)家に(訪ねて)行ったようです。迷惑を感じた前任者から突然私の宅へ電話が入り、「もう電話せんように言ってください。迷惑し ていますので」と。その方とは面識もありませんでした。迷惑ならば、自分が本人たちに直接言えばいいものをと思いました。そんな経過がありましたので、冷 たいようですが、(私の退職するときはいろんな経緯も)ズバッと切り離しました。それでもときおり訪ねてきたときがありましたが、玄関外での応対で家に入 れることはありませんでした。冷たいようでも、厳しく線を引くことがお互いにベストなのではと思っています。
 

* 障害児の親  1.6.15
  私のような母親を悲しませたくなくて----とのお気持ちが発表をためらわせたとありますが、そんなご心配は要りません。親と言っても我が子が迷惑至極に 思われるときもあり、そんなに立派に生きているわけではありません。障害者にとって親はすでに社会の一端、差別も偏見も、生まれてすぐに親から始まってい ます。
 親は確かに心の奥に悲しみの固まりを沈めているようなところはあります けれど、普段はあっけらかんと普通にくらしていることが多いので、周囲から腫れ物にさわられるようにいたわられるのも、ひねくれているようですが、気持ち 悪いものです。
  それに”障害児の親”といっても、千差万別。大概は、その子を持つまでは”普通の人”だったのですから。社会の中である日突然別のグループに席替えさせら れたようなもの、当事者にしてみれば「殆どの部分で昨日までの私と何も変わっていないのに、どうして障害児の親らしく変わることを求められるの?」という 居心地の悪さがあります。
 同じく障害児を持って、もともと障害者に偏見のあった人ほど「自分は差 別される」と心配し、逆に障害者に違和感がなかった人は「どうにかなるさ」と楽観的なのは、興味深いところです。
 だから、社会全体の障害者観の底上げが大切ですし、そのためにはきれい ごと、美談の世界から、当事者も一般の人も共に、真実自分の心の底まで見つめる必要があるのです。それ故このような辛口の物語は必要なのだ、と私は思いま す。
 もっと面白い話をいたしましょう。
 秦さんが女性の慇懃な語り口を用いられたのは大成功だと思います。
 知的障害のあるひとにとって、持って回った丁寧な物言いほど、わかりに くく、混乱するものはありません。この女性の対応は、きっと「妙子ちゃん」を混乱させ、事態がちっとも解決しなかった原因になったと言えます。何故かとい うと---
 夕べ、はたと! 思い出しました。
 私の母は京都で「ええおひと」「ええとこのおくさん」と言われ、またそ うあることこそ正しい自分のあり方と思っていた人なので、京都式の、まず自分を安全な場所に置いて婉曲に意見・希望を述べるという会話の達人でした。も う、そのような物言いしか出来ない人。
 私も夫も京都育ちだから、そんなもんやと思ってええかげんに聞いて、 エッセンスをくみ取る術を持っているのですが、孫達はそうはいきません。なかでも、知恵遅れの息子には”理解しがたい言いよう”なのです。
  例えば、何々をしては困る、というのに、母は「私はかまへんけど、したらあかん」と言うわけです。子どもにしてみれば、かまうのか、かまわないのか、して よいのか、悪いのか----結局この注意は何の効果も発揮しません。そこで母は私に「いうてもきかへんから、あんたからおこって」と、こう来る。
 でも”お巡りさんにおこられるから駄目”式のしかり方は私はやりたくな いし、第一、知恵遅れの子どもは現行犯でその場で言われた事・人でないと理解が出来ません。よく母子で言い争いました。それこそ、私は切なかったです。
 京都式の持って回ったいい方は、さすがは千年の都のいいまわし、高度な 文化、かなり知的水準が高くないと理解するのは無理です。
  そんな京都のややこしさがきらいで、きらいで東京に住み着いた私ですが、やっぱり京都が好き。もう一度住もうとは思わないけれど恋しい。死んだらお墓は絶 対京都や!と夫と言っています。幸い私の引き継いだ墓が円山公園の横、絶妙の地にあるのでそこにしようと。でも、正面に”* *家代々の墓”と書いてあるのを何としよう!! お寺さん(例の弥栄中の* *先生です)は南無阿弥陀仏にすればよい、と教えてくださいましたけれど。
  お陰様で夫は元気に相変わらず* * *の仕事をしています。
 「私語の刻」に何か反響がでるか、これからも楽しみにしなが らのぞかせていただきます。いつも脱線を重ねるメールですみません。
 

* 寒いテラス・読後に     1.6.14
 秦恒平様、湖の本お送りいただき有難うございます。
 早速に「寒いテラス」を読みました。批判するどころではなく、身につま され、考えさせられてしまいました。
 ご承知頂いて居ますように私にとっては決して珍しくないテーマであるが 故に、主人公「淡路」家の方達のやるせなさも、「妙子ちゃん」の両親の立場も良くわかり、そう言う意味でとても冷静な読者ではあり得ません。
 異常な体験をした家族の物語として読めば、とても良く描かれていて人の 心の不気味さが迫って参ります。また障害者の受容という”正義”の前に、人々が言いにくくなってしまっているものを、よくぞ書いてくださった、という感想 もあります。
また”統合教育こそ理想の姿”と言われる中にひそむ問題点、これも言いに くい事を言って下さったと。
 ある人が統合教育における学級の障害児は「教室の金魚」状態になりやす いと言ったのを思い出しました。「節子」さんの役目は「金魚係」。一見スムーズに運営されているクラス。薫先生。美しいノーマライゼーションの眺め。
 その他、自閉症と思われる「妙子ちゃん」への対応は適切だったのか、と か、小説というよりも、障害児への受容や対応を学ぶ症例、としての読み方もあると思いました。
 しかし、私にとってショックだったのは、私自身が、自分の知らぬところ で”淡路さん一家”を作っているのではないか?
という恐怖感に襲われたことです。

 私の物語---を聞いて下さいませ。

 私方の息子はあるファミリーレストランの洗い場で、もう8年以上働かせて頂いてお ります。法定雇用率・納付金制 度に後押しされ、レストラン本社の障害者雇用への熱心な取り組みのお陰です。店長は本社人事から教育を受けて積極的に知的障害者の理解に努め、それは店長 自身の人事評価にも繋がっています。
 けれども実際に洗い場で毎日息子と顔を合わし仕事を教えてくれたのは、 パートのおばさんなのです。このおばさん達にしてみれば、どうして自分がその役を振られたか納得出来ているとは言い難く、不満があり、それももっともな事 と、私だって思います。
 息子に仕事を教えてくれたAさんは、とても仕事の出来る”職人肌”の パートさんで、このおばさんの”しごき”のお陰で、息子は何とか使い物になるレベルまで仕事をおぼえられたのだと、私達は感謝しています。
  けれども、Aさんにとっては、いつまでたっても息子を好きにはなれない、いくら言っても覚えが悪いくせにいっぱしの口答えをする、ボロクソにしかっても、 さしてこたえた様子でもなく、「僕はこの仕事が大好きです」と言って、しかられても、しかられても翌日は元気に仕事場に現れる。
 仕事場へ行けばいやな相手と働かねばならず、かといっておばさんには生 活がかかっているから、そんな理由でやめるわけには勿論行かない。店長は(障害者雇用の推進側だから)言っても取り合ってくれない。
 そこでおばさんは、1年に一度位(何故か冬の寒い時期に)”大爆発!” 苦情電話を我が家へかけてくる。そこで延々と電話で私がしかられる。「お母さんはわかって居るんですか!」って。
   Aさんの苦情にもいちいちもっともなところもあるのですが、理不尽な部分もあります。いずれにしても、そこが知的障害の障害たるところでもあり「申し訳あ りません。お世話かけます。」と謝るしか言いようがありません。そこで親が遠慮して店を辞めさせでもしてしまったら、本人の働きたい気持ちはどうなる。こ れまでの努力はどうなる。あやまったり、主張したり、本社に、店長に、言ってくれと逃げたり。
 ぐったりくたびれ、がっくり落ち込んで-----でも、毎日もっとボロ クソにいわれても、私達に訴えることもしないでいる
息子の事を思うと、「なんのこれしき」って元気が出てくる。はたの人から 見れば、開き直りに見えるかもしれません。
 障害者と一般社会の接点では、いろいろな難しさがあります。
  私達障害者の親サイドには、このくらいは大目に見て貰って当然、の甘えが生じやすく、また健常者といわれる人達は、傍観者でいられる間は、正義の味方、弱 者にやさしくといえても、実際毎日のように接するとなれば、生理的にいや、嫌いという感情を持つこともあり、それを無理に抑えることも難しいでしょう。障 害者とでなくとも、そういうのってありますもの。
 障害者の親同士だって、他家の障害児を好きになれないことはあります。
 障害児はみんな”かわいい”なんてことはありません。”かわいげのない 奴”もいます。いろんな性格があって当然だのに、障害者なら、かわいいはず、正直なはず、素直なはず、それは健常者といわれる人達のまちがった思い込みで す。
 息子と「妙子ちゃん」が違うところは、息子もAさんが苦手で、今日はA さんが休みだという日は、いつにもまして機嫌良く出勤して行くので、苦笑してしまいます。職場に自分と合う人合わぬ人がいるのは普通のことだし、店長や他 の人とは
うまくいっているようなので、こうして長く続いているのだとは思います。
 でも、Aさんにとってはどうなんだろう? それは私達一家の責任かなの か? 「寒いテラス」を読んで、急に気になってしまった、という次第です。
  息子が一方的に、お店で働いている女性に好意を持った事もありました。既婚で子供さんもあることを知っても「デートしたい」と言うところは、やっぱり-- -という感じ。「行く場所も知らない貴男には、無理でしょう」くらいの忠告で諦められる淡さで、ほっとしました。テレビの長嶋美奈さんとか、ゴルフの不動 有理さんを「可愛い----」って言っている分にはご愛敬で。
 でも知的障害の人が一方的に誰かを好きになり妄想の世界に入る事はそう 珍しくなく、火事と一緒で、初期消火を誤ると面倒になるようです。
  次に、秦さんがこの作品の発表を20年もためらわれたことについて考えました。その結果がどうのこうのでなく、その間の、知的障害者を取り囲む環境の変化 を思い起こしました。丁度日本の障害者施策や障害者観の転換ポイントと言われている「国際障害者年からの20年」と重なっています。20年前に発表される よりも、今の方が、作品のテーマを正しく理解できる人が増えていると思います。統合教育も、あの当時よりかなり定着し成熟しています。
 むしろそれ故、各地に”薫先生”や”節子さん”は沢山出現しています し、”淡路 家”も存在していると思います。当時よりは、そのような困った事態への対処の知恵も蓄積されているやもしれません、が、おそらく今もって新しい問題点で しょう。入所施設近辺では、開所当初は入所者も落ち着かず、施設を出て近隣の家に上がり込む例が多いそうです、よりにもよって施設建設に最後まで反対だっ た家に上がり込む、と話して下さった施設長は、笑っていました。地域の人も不慣れで、この珍客に困惑しながらもねお菓子をだしたり----そのうちに地域 の人も対処方法に慣れて、良い形で地域との共存が出来てくるようになってくるのですが。
 栃木県に在るある有名な施設の初期の頃、近隣の農家に上がり込み勝手に 飲食するの はざら、あげく納屋に火をつけ燃やしてしまったこともあったそうです。この挿話を、創設者(この世界ではビッグな人です)が、”にこやかに”話されると、 私などでも、やはり釈然としません。近くに住んでいる人にとってはすごい恐怖だったろうと思います。
 障害者をありのまま受容するために、周囲はどこまでのリスクを受容しな ければならないのか----。折しも池田の附属小での殺傷事件が起こり、今、社会全体で同じような問題が関心を集めています。
 本質的ではないことなのですが、用語についてね秦さんの意図をお訊ねし ます。
  現在「精神薄弱・精薄」は法律用語を除いては使わない風潮にあり、「白痴」も余程のことがないと使わなくなっています。20年前お書きになった時には、ま だ、それ程用語は批判の対象になっていなかったと思いますが。意図して(薫先生や節子さんの母親の障害者観を現すものとして)お使いなのか、単に当時の用 語そのままになっているのか-----、僭越ですが、ふと気になりました。
 思いがこみ上げるままに書き連ね、一体何が言いたいのか、感想にも批判 にもまとまりが着いていませんが、お許し下さい。もっと、もっと、いろいろあるのですが----今日はこのくらいに致します。 2001/6/14    雨の日に
 

* 橋本博英氏  1.6.14
 回顧展が青山で開かれてますね。秦さんのホームページも拝見し、講演録 も読みました。
 個人的なことを話せば、私の祖父も画家で、中学の美術教師をしながら絵 を描いていました。
 橋本氏の絵は以前に画集で見て、知っていましたが、初めて観たとき、本 当にびっくりしました。祖父の絵にそっくりでした。題材も橋本氏は丹沢、祖父は八ヶ岳にアトリエをかまえ、画布を外に持ち出して制作する姿勢も、タッチも 本当によく似ているのです。
 祖父は私が高校の頃になくなりました。私が美術部に入って、油絵を描き はじめたのを知ってとても喜んでくれました。
もっといろいろ話したいと思っていた矢先に死んでしまったような気がしま す。
 橋本氏の絵は正直、それほど上手いとは思いません。(生意気ながら)上 手いだけの人ならもっとたくさんいると思います。まず、素人が風景画を描こうとすると、あのような画風に近いものができると思います。
  しかし、私はそこが肝要なところで、橋本氏は絵を描きはじめた人の素朴で、純粋に対象を視る目をずっと変わることなく持ち続けた人なんだと思います。印象 派とよばれた画家達から時代が下るにつれ、自然のなかで光のうつろいや空気の質感を表現しようという本来の目的が、点描のような分析的手法にすりかわって いったという絵画の歴史もありますが、絵を生業とすればその世界での評価を得るため、意識しないうちに絵のための絵を描いてしまうことが多々あるのではな いかと思います。
 私がいちばん感動したのは、橋本氏のスタイルがぶれない、筋の通ったと ころです。失礼ながら不器用にもおもえるほど...。
  後半、丹沢にアトリエをかまえてからの、山の小道を描いた作品などは対象物との間にしっとりした空気、水蒸気のようなもの、空気の質感ともいえるものが感 じられてきます。風景を描く人であれば誰でもみな、この境地を一つの目標にしているような気がします。見えない空気が描けたら...。
 画集にみるところ春や新緑といった、新しいはじまりが感じられるような 季節を好んで描いたようですが、個人的には秋や落ち葉の積もった林道も見てみたかった....。
 講演録も読みました。カンテラの例え話が好きです。
 絵そのままの、静かで、誠実な人柄が伝わってきます。
 

* 仕事のことなど   1.6.14
 すみませんご心配おかけして。暗い話ばかりでもありません。だいじょう ぶです。
 仕事が辛いのには明らかな理由が幾つかあるんです。去年異動して以来、 上司に恵まれないこともその一つ。いつもどこか重苦しい雰囲気が漂っていて。理不尽なことを言われたり、感情的に高圧的に。
 プライベートでは、中学以来の友人が複数の病気を抱え、その医療費支援 のために貯金が底をついてしまいました。
どうしようもなく制度のはざまで。他に頼る先がなくて。毎日大変な状況へ 耳を傾けることが心労となっています。辛い思いをして働いても、蓄えが残らないことも悔しくて。(もちろん彼女の孤独と辛さとは比較にならないのです が)。
 仕事のつてで、医療ソーシャルワーカーに相談したり、公的な窓口に相談 したりしてもらちが明かず、つい先頃、トップクラスのソーシャルワーカーさんにつなぐことができ、今少しホッとしているところです。
 一番気にかかっていることを、ちょっと吐き出しました。
 すごくお目にかかりたいです。でもお忙しいことでしょう??ご都合のよ い場所、日にちに合わせます。
 

* 湖の十五年  1.6.14
    懐かしい御本を有難う御座いました。
   お懐かしい秦先生の字をポストに見つけまして、えっ!湖の本だわ!と大変驚きました。
    15周年記念本当におめでとう御座います。「湖の本」の出版についてお話をお聞きしましたのも、15年前の事でしたのね。
    途中長い事中断しておりました。これからはまた購読申込みさせていただきます。
    この間は本当にいろんなことが御座いました。私自身入院や苦しい抗癌剤との闘い、死をも覚悟した時期も御座いました。
    明るく前向きに考える事によって、其の時は其の時に考えようビクビクしない事に決めました。
    何気ない日常の景色がこれほどもありがたく、いとおしく新鮮な思いで見られたことはございませんでした。
    桜の花に迎えられる様な時に退院致しましたので直ぐに、「細雪」の桜の場面を思い出しまして、初めてその大切さ、  くりかえしの素晴らしい事を教えて下さいました秦先生の言葉を思い出しておりました。それからは”一期一会”の言葉が実感できる様になりました。
    又24年間も尊敬し、我が師と崇め慕って教えを受けておりました* *先生との永遠の別れが2年前にありました。お子様のいらしゃらなかった先生を最後まで看取らせて頂いて、この時ほど”死なれて”しまったと哀しい、かな しい心持でむなしく空をながめたことはございませんでした。秦先生の素晴らしさを心をこめて教えてくださったのも* *先生でした。隠れた秦先生のファンでした。古事記、日本書紀、万葉集、源氏物語、和泉式部日記、紫式部日記、平家物語、伊勢物語、徒然草、奥の細道、と 随分教えていただき導いてくださいました。
    その先生を失いまして、路頭に迷っております。
    唯一つ読書会だけは今も自分たちだけで続けております.
    こんな私事を永く書いてしまいまして先生にメールいたしますことお許しくださいませ。
    長雨の”ながむこころのロマン”を思いつつこの季節を過ごしていきます。どうぞお大切にお過ごし下さいませ。

  お話が出来まして感激でございます。早速のご返信ありがとうございました。
    お便りをしておりました時も、即お返事くださいましたので、いつもお仕事のお邪魔をしているのではと、心にかかっておりました。とても筆まめでいらしゃい ましたのに・・・
    本当にメールですとお手紙よりも気楽にお便りできてしまいますので、度々気軽に先生にお便りさせていただきそうで、よりご迷惑をお掛けするかもしれませ ん。
    「ディアコノス=寒いテラス」を頂いて直ぐに読みました。どう言う意味かしら?と思いまして、引きずり込まれる様に一気に読みました。ずうっと心に引っか かってしまって、どの様に対したら良いのでしょう、と、重い宿題のように感じております。又感想はゆっくりと書いてみたいと思います。多くの人と話し合っ ても見るつもりで御座います。私の中でも抱えてまいります。
 

*  降りますね。    1.6.14
  「十五年」も昔、近くの小学校の生け垣から、「ごめんね」と無断で頂戴して挿し木した二種類の紫陽花が、今では狭い庭を占領して、この雨に満足そうです。 梅雨時は、この花が咲いてこそ鬱陶しさも緩和されます。毎年梅雨が明けると一度は…と思い、でもやっぱり根こそぎにするのは踏み留まっています。
 物識りの友人から、水揚げの悪い切り花は、すっぽりと水に一日浸けると いいのよ、と聴き、今は部屋の中でも、活き活きと咲いています。紫陽花の花言葉は戴けませんが、好きな花の一つです。明日も雨です。
  そう、「湖の本」を発行するおはなしを聴いたのは、「こころ」上演の頃でしたでしょうか。「十五年」と一口に言っても、赤ちゃんが十五歳の少年にまで成長 するのと置き換えますと、それはそれは永い年月です。立派な事業です。ご苦労様でした。今後も元気で、持ち前の意欲、満々と、次の節目を目出度く迎えられ ますように。
 昨日の井戸端ならぬ、喫茶会議でのお仲間の話。
 友人は小泉総理のホームページマガジンに登録すると言い、今日のニュー スでは、八十七万人が登録したとか。登録しましたか。明るい話題だけれども、私はそれ程入り込めません。
 鬱なんて本当は大嫌い。昔から、鬱状態の人は嫌いだった。陽気で明るい のが好き。
 

* 奇遇  1.6.13
 句を置いて、助けてもらうつもりだったのに、逆効果とは残念です。
  昨日は、館山へ出かけました。窓から海の見える夕日海岸ホテルに、二百余名の人たちが集まりました。
 実はそこで、蜂須賀和子さんとお知り合いになったのです。
 一泊して、今日は午前中、里見城址や高田敏子詩碑などの見学会でした が、私はまっすぐ帰るつもりで、皆さんの出発したあとから一人ぽつんと朝食の席についておりました。そこへ入っていらしたのが蜂須賀さんでした。
  初対面の御挨拶から話が進んでどういう拍子にか秦先生を知っている、湖の本も読んでいる、とおっしゃったのには大変驚き、いっぺんに親しみを覚えました。 館山駅から千葉駅でお別れするまで二時間近くの車中も、たのしい会話の途切れることはありませんでした。それにしてもこういう偶然ってあるのですね。
 蜂須賀さんは詩のほかに小説も書いていらっしゃるとのこと。後日作品を 送ると約束してくださいましたので、楽しみに待っているところです。前夜は、和服姿で、嵯峨信之の詩を朗読なさったのが彼女でした。
 私の指は、まだ完治しておりませんが、気長にリハビリに励んでゆこうと 思っております。お心遣いほんとうに嬉しゅうございます。ありがとうございます。蜂須賀さんからもどうぞよろしくとのことでございました。取り急ぎ御報告 まで。お元気で。
 

* ディアコニッセ   1.6.13
  元勤務先は、先生がたのいらっしゃる大きな「施設」ではなく、(世話を受ける)人たちが外部で仕事を得て、その収入と年金で暮らす「通勤寮」と、そこから 地域に居を構え、数人が一緒に暮らす「グループホーム」でした。障害は重複している人もいましたが、軽度のうちにはいると思います。ただここに入寮できる 人の人数は限られていて、養護学校や施設からの希望で、体験学習を経てからになります。スポーツや旅行などの行事を通じて交流するときには、仕事に支障を きたさない限り、全員が集います。百人近くにもなるでしょうか。障害(の種類や程度も)もそれだけ異なっていたということです。ダウン症も、自閉症も、言 語障害、身体に障害ある人も、障害者同士で結婚した人もいますし、子供を持った人もいます。親も障害者で庇護を受けられなかったり、捨てられた人もいま す。
  熱心に子供たちの将来を心配している親たちの団体もあります。本当に、本人を取り巻く環境も千差万別なのです。
  ノーマライゼーションがいいだされてから、全国的な「世話人会議」も開催されました。そこで、「世話人」の待遇の悪さも問題にされました。交替要員がいな くて休みが取れないとか、世話人が同居で、家族全員で丸抱えの状態にあるとか。社会保険の完備されていないところもあり、行政からの援助、補助も、その県 により、大差がありました。障害者の高齢化と、世話人の高齢化も大きな問題でした。本人の高齢化にともなって、働けなくなったときの収入も心配されます。 不景気は、一番に弱者を切り捨てていきます。そのために小規模作業所や、パン製造販売や、それに類する仕事場を作り、将来にそなえているようです。
 

* ディアコノス  1.6.12
 あじさいが美しい色を楽しませてくれます。玄関にいけた花も、元気。
 ディアコノス いろいろな意見が寄せられて興味深く拝見しています。
  ある方の「精神障害」「知的障害」の定義は、ちょっとちがうかと・・・。この方の「知的障害」はダウン症のことをおっしゃっているようですが、染色体異常 もほんとうにいろいろあってダウン症ばかりでなく、知的に遅滞のないものもあるのです。ここで、「妙子ちゃん」をどんな障害かと断定する必要はないでしょ うし、私は、知的障害と思春期に始まった精神障害の混じったものでは、と、思っていました。「結婚したい」という情動が異常に高ぶったことや「死」への願 望のあったことが、「節子」とその家族を特に困惑させたので、そのことが問題だったのですから。
 それから、セロテープ 排水溝の方は、「心の病」と思われます。(全く 同じことを見聞きしたことがあります、「お茶」のけいこにだけは、最後までかよっていたところまで・・・。)難しいですね。早期治療でよくなる可能性もあ るものを、家族がすべて背負っているのですね。
 

* 「ディアコノス」読みました。  1.6.12
  満15年、おめでとうございます!
  ディアコノス…正直、キツかったです。「淡路」家がマスコミに叩かれるラストが、あまりにも生々しくて。小説としての面白さに惹き込まれたものの、「面白 かった」ではすまされない重さが、まず残りました。「生活と意見」に載っていた読者の方々の意見を読み、ますます重さが募りました。どうすればいいのか… 考えることはできても、言葉にすると安直な物言いに成り下がってしまいそうで…。今は、ただ読み、深く息をついています。
 個人的に印象に残ったのが、「節子」でした。ちょっとごてごてした理 屈っぽさと、 まるで相反するような不安定さ。自身に跳ね返ってくるところが多くあり、身近に感じました。身近といってもあまりいい意味でなく、むしろ「痛いところを突 かれたな」という感覚です。それこそ自分をかこつのはやけに達者なのに、いざとなると周りがまるで見えなくなり、自分独りの不幸不安と思い込んでしまう。 ここからして顧るところがありました。
 作中にあった通り、第三者からの批判とは、あくまで第三者のものに過ぎ ず、当事者 にしてみれば時に腹立たしくさえあるものだと思います。「誰かを批判するのであれば、自分も血を流さなければならない」と言っていた人がいました。「絶対 に無害で安全な場所からの発言」…一番したくない行為の一つです。しかし、今までやってこなかったと言えるかどうか。僕自身、血を流さずには許されないこ とを、重ねてきたような気がします。
 「精神障害者を差別しない」と言い切ることは、僕にはできません。実際 に触れ合っ たことがないというのもありますが、例えば罪を犯し報道された人物を見て、単純に「ああいう人でなくてよかった」と思うからです。(ただ、精神障害者も同 じように罰するべきだという意味では、けっして差別しない考えです)。五体満足で精神も健康である自分の幸せを改めて実感することはあっても、そうではな い人たちの幸せについて考えることは、確かにあまりしてきませんでした。
 もし実際に関わることになった時、「あるがままに、自然体で」接するこ となどでき るのだろうか…。まず自分自身、あるがままに自然体に生きているとは言いがたく、甘えも媚びも下心も絶えてなくなるということがありません。いやだなあと 思う一方、我が身可愛さも背中合わせに潜んでいます。だから、僕は表立ってボランティアだとか平等だとか、怖くて言えないです。そんなことを言う前に自分 はどうなんだと。そして、例えば今日「ディアコノス」を読み、読者の意見を読み、ますます自分の恥ずかしさを感じるばかりです。
 …少し長くなってしまいました。今回の「ディアコノス」では、いろいろ と考えました。実は、秦さんの短編作品について、ちょっと書こうと思っていたのです。だけど今日は「ディアコノス」に完全に寄り切られてしまったようで す。秦さんのおっ
しゃっていた「時代と切り結ぶ批評」、ひしひしと伝わりました。小説を書 きたいという願望はあっても、何を書こうという動機はそもそも根づいているのか。時間をかけて自分に問いかけたいと思います。
  予想していたよりもずっと気分よく、じっくりと毎日を過ごしています。余計に増える知人関係との付き合いが減ったかわり、秦さんの言葉や文章に前よりもわ りと近く接しているような気がします。また大好きな「慈子」「罪はわが前に」「みごもりの湖」にも逢いたくなってきました。ゆっくりのんびり読み返してみ ようかな。迪子さんともどもお元気なようで、僕もなんとなく嬉しいです。それではまた。
 

* 少し、鬱状態かなと。  1.6.12
 気候も相まって、一つ二つ胸の内を占める不安なものがあり。私はこんな に神経質だったかなと思ったり。
 まあ、明日は明日の風が吹くでしょう。
 昨日、友人とおしゃべりをして聴いた話、以前から少しは耳にしてはいま したが、私もよく知っている彼女の仲良しが、ここ五、六年の間にじょじょに神経を病み、今は脅迫観念に捕らわれて、異常な行動だというのです。
  日中から耳栓をし、セロテープで押さえ、シンクの排水溝から誰かに侵入されるとその都度塞ぎ、ある時は水栓を閉め忘れて、団地の階下に大量に漏水して、私 の友人も含めて大迷惑をかけたり、痩せているからと無理に食事をするので、食べたものは通過するだけか骸骨の様にやせ細り、それでも家族は神経内科には診 せたくなく、友人もそこまで立ち入るのは憚れて、やきもきしていると言います。
 勿論買い物にも殆ど出ないようで、良かれと思い無理にも毎週のお稽古に 声を掛けると、やっと出てきて、作法通りにお手前は出来るのですが、それでも窓際には襲われるからと怖がって座れない。気の毒と思いながらも、手を差し伸 べるすべもないのよと。
 身近かにあるこの話は、ご本人にはお気の毒ですが、立派な反面教師で す。
 その後べつの友人の家にも立ち寄り、そこでは孫の話で盛り上がり、明る くなって帰りました。
 

* 混同されがちな、精神障害と知的障害。  1.6.11
  前者は投薬・治療で病状はよくなることもありますが、後者は、教育・訓練で、知能の発達や運動機能が身についたとしても、生まれながらの染色体の数を増や すことは出来ないのです。ただ、この言葉は好きではないのですが、「普通」といわれるひとにも出来ないことってありますよね。金銭感覚がないとか、通常の 道理が通らない、常識がないこと、仕事を怠けるなど。傍目でみるかぎり、そう差はないようなことをしていても「障害者」のレッテル(このいいかたも嫌いで すが)を貼られたばかりに差別を受けています。好きなこと、興味のあること
には一途で、スポーツや文芸・絵画・職能に才能を花開かせる人もいます。 「妙子ちゃ ん」が一途に思いさだめたのが「節子」だったのでしょう。時間の経過は、十分後、1時間後、一日後、1週間、…と比較して理解しますよね。積み重ねること ができなければ、比較もできない。十日後も、一年後も昨日となんら、変わることはないのです。痴呆症であった母(亡)の世界がそうであったように。そのこ とを納得したうえで、付き合わなければ振り回されてしまいます。常識では計り知れない行動をすることを念頭に置かねばなりませんでした。
 職場から、(世話をしていた当人が)遅刻をするとの連絡がはいり、職員 のかたと相 談して、自転車の彼に付き添うてバイクを走らせ、数週間通ったことも。慣れたと思って安心して気をぬくと、もとに戻ってしまいます。腕時計をして時間をみ ているからわかっている・いるかといえば、そうじゃない。わかる人もいます。遅れないようにきちんと行ける人もいます。個々の人格がそうであるように、障 害も十人十色なのです。世間では一様にとらまえて批判をしますが、それは大きな誤りだということを知って欲しいと。
 「ゆうても、ゆうても、きかんのよ。出来んのよ」と、愚痴る世話人さん もいましたが、履き違えていませんか?
 「それが出来るんだったら世話人や、いらんでぇ、出来んからいるんとち がうん?」。
 そうですよね。
 

* ホスゲン  1.6.11
  昨日、ニュースを聞くともなく聞き流していましたら、ポリウレタン工場でホスゲンが漏れて何人かが中毒症状、という言葉が耳に入り、「うわ、恐いね」と言 いかけ、相手を探して口の中で言葉が空転しました。主人は同じ東工大ですが、情報系専攻のため、化学物質の名前を出してもさほどはわからないのです。職場 に行っても、説明抜きでこの話を「やれやれ」と話せる相手は同じ専門の上司、一人だけです。普段は、異分野ばかりの中で働くことを楽しんでいても、突然
惻々と寂しさがわき上がるのはこういうときです。山歩きの景色を楽しんで いて、ふと足元を見たら、あまりの高度にひるんでしまった感じと言いましょうか。
  ホスゲンは、化学兵器にも使われる毒ガスですが、シンプルな化学構造とその反応性の高さのため、プラントの中ではしばしば使われるものです。解毒剤もある ので、早めに処置すればほぼ問題はないので、今回の工場でもそのような処置が行われたと思いますが、以前に、某大学で卒研の学生が死んだことがある程度に は、毒性のあるものです。
 そこまで説明すると、一応は理系の主人は「ああ、第一次大戦でドイツが 使ったやつね」と理解してくれましたが。
  もちろん、今はメールという文明の利器がありますから、この件について話したければ、学生時代の仲間にメールを出せばいいのですけれど、同じ空気の中で、 さらっと流す程度の話を同じ土台で話せる相手がいないのは、やはりちょっぴりさみしいものですね。いつもは気にならない、むしろ、わかりあえない程の発想 の違いが楽しいものなのですが。心が弱っている時には、少しばかり心もとなくなるようです。
 先生には叱られてしまいそうな気の弱いメールですが、異分野との交流を 楽しんで下さっていた先生だからこそ、こういう小さな心のささくれにもご興味をお持ちいただけるかも、と思い書いております。
 相変わらず、ご多忙とのこと。どうぞご自愛下さいますよう。
 

* レブンアツモリソウ  1.6.11
 お土産は要らないと言っても、差し上げます。さてナンでしょう。
 利尻富士とレブンアツモリソウを含めた高山植物群を観るのが、今回旅行 の目的でしたし、ツアーのタイトルもそうでした。いつもの事ながら、詳細にお勉強もしないで無造作に出かける私、大半はものぐさから、少しは初対面の感動 を大切に、との思いがあります。
 利尻富士はどっしりとと言うより、可愛く、さながら富士山のお孫さん。 残雪が幾筋かの山襞にあり、蒼空に終日全容を見せてくれました。前日までは雨風の強い寒い悪天候だったとか。
 里はボタン桜が満開の最北の晩春でした。
 夜には、点描画の様な満月が水平線上に。こんな月を観るのは初めてで す。
 さて、お土産ですよ。
 旅行前には、そんなワケで、「レブンアツモリソウ」の写真も観ていませ んでした。レブンの付かない「アツモリソウ」は正式には分かりませんが、多分包皮と呼ばれる部分は赤紫で、「レブン・・・」よりは小振りの親戚同士の感 じ。これは他の土地でも観られるのでしょう。
  「レブンアツモリソウ」 もうお気付きでしょう。あの平敦盛が兜を付けた姿(顔)になぞらえた命名なのです。記憶にある「清経入水」を持ち出し、「能の平 家物語」のその部分を読み返しました。熊谷次郎直実に組み敷かれて、見上げた、あなたのペンになる少年敦盛の顔のイメージそのままの花です。よくぞ名付け たと言いたい。微かにクリームがかった色白の平家の公達、「レブンアツモリソウ」兜に隠し持った「小枝」と言われる笛らしき物は、残念ながらそう都合よく 見あたりません。世界で、この礼文のこの一角にしか群生しない花らしく、大事に大事に保護され、盗掘にも気配っています。
 このまま学名だそうです。風や雨に弱く、すぐに赤茶けてしまい、花を付 けるのに四年はかかり、花の時期は短く、五月半ばから、六月半ば位と聴きました。相当神経過敏な花です。遠路はるばる、最高の天候に恵まれ、素敵なお花に 出会えてよかった、よかった、の旅でした。
 今、何してるの。相変わらず活字に蹲っていますか。元気にしています か。永い間アッテいない感じ。帰ってからスーと気が抜けたみたいです。又、メールをください。
 

* ディアゴノス=寒いテラス  1.6.10
 過去に、知的障害者が地域で普通に生活する、その援助者「世話人」とい う仕事をした経験をふまえて。
 …もし今後も今日のような現れかたをしたら、「絶対に」お家には入れな いで下さい、上へはあげないでドアを閉めて下さい。…大きい声で叱って下さるのが一番利きますので、どうぞ。…
  聞きようによっては、そんなにしなくてもと思われますが、けっしてそうではありません。障害の度合いにもよりますが、会話も言葉も一見、普通に感じとられ るのが、彼女や彼らの「不幸」といえましょう。一度めはよくて、なぜ二度目はだめなのか?それがわからないのです。ダメなことは、ダメなことと、それを通 すことで、体験的に覚えてもらう。言い聞かせて、その場は納得しても、その納得は叱られないでいるための納得であり、生きていくため、身を守るための術な のです。「笑って」ゆるせば、その甘さを敏感に感じとってしまいます。行動を起こして相手の反応を見ているようなところもあります。声高に威嚇して相手が 怯めば、その力関係は継続され、脅してきます。力に屈しない態度でいれば、こちらの言うことをきいてくれます。
 本心からか、うわべだけのものか、相手を見ぬく力量は本当にすごいと思 いました。個対個の付き合いが重要であり、人格を認めたうえでの叱咤が必要なのです。
  今日は出来ても、明日はわかりません。積み重ねは大切ですが、それを過信すれば落とし穴に落ちます。日々が新たなのであり、一日(朝、昼、夜)が新たなの です。そのことに気付くのに半年かかりました。悩み悩んでの半年でもありました。書き文字では言い表すことができないもどかしさを、はがゆく思います。
 「淡路」一家の、「妙子ちゃん」に対する哀れみと甘さが生んだ悲劇。
 ホームページで読ませてもらっていたので、題名を見たときに、「きっと そうかもしれないわ」と思っていましたの。でも「奥様」の言葉で語られている、この御本のほうがより考えさせられます。
 何を基準にして「普通」と言うのか。「かわいそう」と言わせる自分のな かに差別はないか?
 「してあげている」ことの優越感から生じるものは?自分に問いかけ、問 いかけての答えは…。
 あるがままに、気負わず自然体で。ようやく肩の力が抜けました。
 

* 寒いテラス  1.6.10
  昨日届き、昨夜から今朝にかけて一気に読み、もう一度読み直しています。
  「妙子」の様子が手に取るように 目に浮かぶように伝わってきました。「節子」とその家族の当惑も。教育的配慮というより、ただ楽だからと、安直に「妙子 ちゃん係り」にさせられ、「ディアコノス」にさせられた節子を、どうして責められましょう。今は、このようなお子様を普通学級に入れる場合、公的に担当す る人員を補充したり<、家族の負担で私的サービスによる人を同行させています。1年生の節子ひとりで背負うには、はるかに重い「係り」だったので す。
 私の通った小学校には、場面緘黙症の「* * 子ちゃん」がいました。「* * 子ちゃん係り」を自発的に行う女子生徒がいて、なんとなく私たちは彼女が「* * 子ちゃん係り」のように思っていました。彼女は押さないと歩かないし、ひとこともしゃべらず、教室で不可解な笑いを浮かべてただすわっていました。時に押 してあげると、ざっくり切ったおかっぱの後ろ髪がゆらゆらゆれていたのを思い出します。彼女の場合家庭では話すことができ、結婚して子どもを産み、そのあ と亡くなったということです。担任の先生とは2年おきのクラス会であいますが、「ぼくとして、もっと何かできなかったかという思いがつねにあるなあ」と おっしゃいます。しかし60人のクラス、みんなであたたかく「* * 子ちゃん」を6年の卒業の日まで見守れたと言うことでよかったのではと思っています。 
 困ったのは、その後、「結婚したい」「一緒に死にたい」という対象に 「節子」がなっていったことですね。
  結論から言えば、今回の大阪の付属小学校の地獄のような事件、パンダのぼうしの男の事件・・・などもふくめて、重大事件を起こしたような精神障害者を、治 療施設に入所させるべきではないかと思うのです。「人権侵害」にあたる、精神障害者の差別にあたるとして、この問題は、浮上しては消えてきたようです。
「心身喪失と判断されれば不起訴 無罪」という現在の法律によれば、上記 の男たちが再 び社会に出てきて、しかし適応できるわけではなく、悲惨な犯罪を繰り返す可能性があります。むしろ、必要な収容をしないばかりに、未来ある命が奪わ れ・・・。節子の場合も、家族の配慮がなければ、いずれは力づくで死への旅への同行者にされていたにちがいありません・・・それが、収容の必要のない精神 障害者への差別にも、かえって、つながると思うのです。真の平等は精神障害者であっても罪を犯したものは罰し、罪を犯さなくても社会に適応できず、他の人 に迷惑を及ぼす場合は・・・対象が1人であっても・・・ ケアの施設に入所できる体制を作るべきだと思うのです。
 妙子ちゃんの家族も、どんなにか困り果て、最後には疲れ果てていたこと かと思います。ケアの施設があり、入所させ得られていれば、どんなに安心できたでしょう。
 ケアの施設はばら色のものであって欲しい。精神障害のある人の心が和む ものであって欲しい。鉄格子の着いた薬臭い病院ではなくて、光や音楽やそのほか美しいもののあふれた施設であって欲しい。その中で生き甲斐となる作業の行 えるような・・・。
 私は、精神障害者を差別していません。精神障害者や精神障害者を持つ家 族の真の幸せについて真剣に考えている者です。
  私の娘は精神障害者でした。人に危害を及ぼす精神障害者ではなく常に外界を恐れる障害者でした。クラシックや文学を好み、自然破壊を憂慮するほんとうに優 しい娘でした。そして誰をまきこむこともなく「たくさんの楽しいおもいでをありがとう」のことばを家族全員に言い残して、「これでらくになれます」と23 歳で自死しました。
 家族だけでは、支えきれなかった。ばら色のケアの施設があれば、もっと 生きながらえたかもしれないと無念の思いでいっぱいです。
  追加します。   ケアの施設は現在もないわけではありませんし、一口でばら色の施設と言っても、従事者の立場から考えればなかなか難しいものでしょう。むしろ通所施設で あっても良いと思うのです。「寒いテラス」の「妙子」や、私の娘の場合は、通所施設で十分だったと思います。
 「がんで死にました」は人の同情をうけます。ハンセン氏病がやっと偏見 の呪縛から抜け出したことに大きな拍手を送っています。エイズについては偏見をなくす方向で運動が進められていますし、遺伝もありません。しかし心の病に ついては、よく知られていないのが実情です。
 

* 立待月   1.6.10
 夏の訪れの近いことを感じさせる晴天でしたが、お変わりなくお過ごしで すか。
 先日、新聞の家庭欄で、76歳の男性が、「老いても妻は家庭の花だ。夫 婦は二世というけれど、来世よりも今、この時をいたわり合い、大切にしなければと思う。」と書いてらした。こう言ってもらえる奥様に、愚かものは言葉もあ りません。
 暑さと貧血にノビています。満月がすこぅし欠けてきました。夜風と月明 かりに誘われて、眠れない夜などは、散歩したくなりますが、夜2時では、lunatic。
 ご本に、たくさんの反響がおありのことでしょう。お幸せな日が続きます ように。
 

* 言葉   1.6.8
 先日と言ってもいつになりますでしょうか? メールをいただいておきながら、返事を出せずにおりました。どうもすみません。
 先生のほうは、HPを見せていただいている限りではお元気そうで何より です。私のほうはと言いますと、「元気」です。(笑)
  今日メールを送れるのは、この火曜で、一ヵ月半ほど続けてやっていた二つのコンペが一段落したからです。この一ヵ月半、ほとんどの日を終電で帰るというサ イクルで過ごしていました。まぁ、その前も他の物件で、それにこれからもそうなんですがね。(笑) たまには「仕事」がイヤにもなりますが、概して楽しん で仕事をしています。
 このような状況は新聞等にも載っていますのでご存知かと思われますが、 マンションブームと言いますか、住宅ブームと言いますか、住建物建設ラッシュによるものです。つまり私の部署の仕事は山のようにあるのです。
  こんな中で自分で納得するものはなかなかできないのですが、今は勉強と思ってやっています。この勉強におぼれ、目的を失わないようにするのが大変ですが、 何とか今までは切り抜けてきています。そろそろ次のステップとも考えていますが、一歩体を動かすまでの余裕に、まだまだの状況です。
 最近感じることです、が、語りたいことは山ほどあるのに、言葉を失いつ つある気が します。語る言葉を自分の中で探しているようで、実は自分と外部との関係の中に探しているのではないかなぁ、とふっと思いました。最近そういう脳みそ搾り 出すような議論と言いますか、触媒作用のある関係をもてていないと言いますか、、、まぁ、あまり欲張らず、自分自身を楽しんで行こう!と、思っている今日 この頃です。では。

* 一安心   1.6.8
  いいメールがとどき、今日は良い日です。いまどき、きみがヒマでは困るわけで、忙しさとうまく付き合ってくれていることと想像していました。元気、なによ りです。こういうときはむしろ好機、言葉を外向きにむなしく模索するよりも、自身の内側へ思いを沈透(しず)かせ、自身を深く問う方を勧めます。わたしも 元気。湖の本の第六十七冊、創刊満十五年記念の巻を発送作業中です。
 静かに酒が飲みたくなったら声をかけてください。日比谷辺で逢いましょ う。
 

* 「湖の本」の創刊15年  1.6.8
 心からお祝い申し上げます。おめでとうございます。どんなにか深い想い をかみしめておいでのことでございましょう。私の書架にも67巻の「湖の本」が静かにいま並びました。
 明日は久しぶりに新幹線に乗ります。車中で届いたばかりの67巻目を拝 読させていただくのを楽しみに。
 ここ半月ほどパソコンの具合が悪く、このメールも届くかどうか心配なの ですが、急いでお祝いを申しあげたくて・・・。
 

* 梅雨入り  1.6.8
  雨戸をあけると日曜日に植えたコスモスの花が、思いがけず明るくおおらかに咲いていました。小さな鉢に根っこをちぢめて咲いていたのが、小さな花壇でも、 土にのびのびと根を張ったからかもしれません。根っこが縮まっていては大輪の花を咲かせることは無理・・・ と、自分にも言い聞かせました。
 クリとトマト おもしろい比較ですね。私はどちらも好き。あおい栗の実 をいただいて、余りの美しさにスケッチをして日本画にしあげ、たしか四条烏丸の銀行に飾られたことがあります。たった一度人様に見ていただいた絵でした。
 クリは歯ごたえがあって、噛みしめるほどにまろやかに甘い。トマトは冷 やしてまるかじりするのが好き。ぷちっと表皮の歯ごたえがあって、甘酸っぱい味と香りがじわっと口に広がります。でも今スーパーで売っているトマトは、味 もかおりもありません。
 クリのような人は、あこがれ。針もあるし、殻もある。せめることも守る こともできます。
 トマトは針もないし、殻もない。つっつかれるとつぶれてしまう。
 あなたはなすもトマトもお嫌いでしたね。トマトにはなりたくないと思い ながら、さあ、今日も。
 

* 栗花落   1.6.5
  「栗花落」で、「つゆり」と読ませる苗字があるそうですが、私はその名の方にまだお会いした事はありません。字面はとても綺麗で、よく出来た当て字です。
  近隣に広がる畑には栗の木が多く、この時期あまり心地良くないにおいが家の中にまで漂い、鼻をついて梅雨入り間近いわと、毎年覚悟させられます。梅雨さな かは、もっと濃厚になります。今朝もその匂いで、眼が醒めました。花も匂いも姿も実も何もかもイイワネとは言い難く、ままならないものです。人間様も然 り。マロングラッセも栗ご飯も大好きなのに。
 

* ブラジルの夢   1.6.3  
 本メールは、BCCにて多数の方に同時発信しています。
 向暑のみぎり、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。・・・とい う、堅苦しい挨拶は抜きとして、皆様、お変わりありませんでしょうか。本年は、年賀状も出さずに申し訳ありませんでした。
 一部の方には、すでにお知らせしていますが、私、本日(6/3)より、 ブラジルへ旅立ちます。
 というのも、ブラジル・***社が新しく開発するリージョナルジェット 旅客機、「ERJ-190」の開発に参画するためです。滞在予定は半年。さらに伸びる可能性は大きいです。
 ブラジルはこれから冬になるので、「冬→春→冬→春」という風に、夏を 経験しない一年になりそうです。
 しかし、開発としては、計画の一番最初から携わることができ、滅多にな いチャンスであり、期待でいっぱいです。
 「この機体のこの部分は、俺が作ったんだ!」といえますしね。
 少し、補足します。
  今回開発するERJ-190は、現在流行しているリージョナルジェット機(ハブ空港を経由しなくても、ダイレクトに地方空港に行くことのできる、地域間旅 客機)で、約100人乗りです。当社(******)は、数年前からブラジルの***社とリスクシェアパートナーとしてこのタイプの飛行機の開発に携わっ ています。
  さらに補足します。
  ***社は、リージョナルジェット機の市場では、カナダのボンバルディア社に次いで第2位のシェアを誇っています。
  入社当初より、現在まで先人が築いてきた作品(T-4)の耐用命数(寿命)設定・IRAN点検間隔設定見直しといった、人間でいうところの「主治医(人間 ドック等)」の仕事を担当してきましたが、今回は文字通り、飛行機の「父・母」として、産みの苦しみを味わいにいってまいります。
 まだ3年目で、経験不足、力不足は否めませんが、皆様が安心 して乗ることのできる飛行機を目指して、がんばって設計・解析をしてきます。
  主担当の仕事は、主翼の損傷許容性解析、疲労強度解析といった、「飛行機が、ちゃんと規定の運用寿命間、安全に飛べることを保証する」解析作業となりま す。
  今回設計する飛行機が日本の空を飛ぶようになるには長くかかること(十数年後?)になると思います。アメリカではもっと早くに飛ぶと思いますので、気長に 待っていてください。
 それでは、皆様の益々のご発展とご活躍をお祈りしつつ、私の出発の挨拶 とさせていただきます。
 

* 大きな山が三つ  1.6.1
 戴いたメールを何度も読んでいます。
 わたしは物語を作っているのだな、と思いました。筋の運びにばかり気を とられ、かんじんの動機を埋没させてしまったのかもしれません。
 例にあげて下さったラストの展開は、あんまり見事なのでそのまま頂きた いところですが、自分なりによく考えてみます。
 敢えて読まずにおいた秦さんの「鷺」を、やはり読んでよかった。物語の 奇想なだけが幻想ではなく、幻想のようで現実、現実のようで幻想、そのどちらとつかないのが幻想……。すぐに真似できる芸当ではないけれど、懐の引き出し にしっかりしまっておきます。
 表現の推敲と、筋の運びの練り直しと、動機をほりかえす作業。大きな山 が三つあります。ひとつひとつ向かってゆくしかありません。この繰り返しこそが大切と思いながら。
 川端康成の「片腕」という短編を最近読みました。深く印象に残りまし た。
 

* 価値観  1.6.1
  掲載、ありがとうございます。「作者がいい距離をあけている」と言ってもらえたのが、何より嬉しいことでした。二稿を送ります。秦さんが直してくださった ところはそのままうつしています。最後の一文、…。「だんだん赤く変わっていった」。これだけで、がらっと変わるものですね。
 祖母と母とのことについては、僕自身、冷静に見ることができないでいま す。祖母の 死んだあとにもいろいろなことがあって、そういうことが余計に思い出されてくるというのもあります。事実をありのままの事実として書き表してしまうと、か えって自分の思い込みが行間を敷き詰めてしまうような感じがして、重苦しくなりました。祖母のこと、母のこと、僕には当分書けないと思います。
 昨日(5/31)で19才になりました。あっという間にもうすぐ大人と いう感じで すが、振り返ってみると、いろいろことを吸収してきたんだなあと思います。それこそ、季節の変わるたびに違う自分になっているかのよう。二ヶ月ほど前は、 これから一年間どうなるんだろうとばかり考えていましたが、過ごしてみると、ほんの二ヶ月でこんなに自分の価値観って変わるものかと、驚くぐらいです。 きっと去年もそうだった、一昨年もそうだったはずです。来年も驚いている自分が見えるようです。もっともっと、吸収していきたい。
 先日、インターネットを使って、「絵巻」「罪はわが前に」そして「慈 子」の豪華限 定本を、大阪の古本屋さんから買いました。インターネットで買い物をしたのはこれが初めてではないですが、届いてから手にしたものへの驚きは、今までの比 ではありませんでした。来年終の棲家を建てる父と母の、素敵な宝物になります。
 

* 髪を結う   1.5.31
  伸びた髪をくくりながら覗いた鏡に、過去に迷い込んだ雨の朝。十七の頃、放ったらかしの雀の髪を、母が、登校の朝、カーラーで巻いて、カールを崩さないよ うに、ポニー・テールに結わえてくれた事が、何日かありました。母は、独身の頃、職場であらぬ噂を立てられ、悩んだ末に、高田馬場に住む伯母を頼り、数年 間、東京で一人暮らしをしたそうですの。雀の髪にリボンを結びながら、上京を決めた母に、祖母が何日も、こうして髪を結ってくれたと話してくれました。雀 の髪は、あの頃の長さ。囀雀
 

* ホタル   1.5.31
 梅雨のはしり。もう、好天の日は運のもの。しとしと雨は可愛いけれど、 じゃあじゃあ雨は、いややわ。今日はそんな日。気が重い。想い。
 気候の温暖化で、ふるさとでは、ホタルが早くも蒼い線を描いていると、 便り。柳にせせらぎ、懐かしい風景。私もホタルに。
  映画「ホタル」は、特攻隊で散った魂がホタルとなって戻ってきます。ありきたりの平凡な表現法だけれども、これ以外にはないでしょうね。在日韓国人の特攻 隊員をテーマにしたのが、深みを増しましたか。戦争経験者だけの回顧に終わりそうで、日本映画は若者の観客動員が少なくて、気の毒です。いっしょに観た娘 は結構感動していましたが。
 この二日ほどスポーツによく活躍して、筋肉痛、片腰痛に。運動過剰?  もう、これ以上歳を重ねたくないヨ。年寄りなんてわびしい。せめて気持ちは二十年は若く持ちたいもの。ナンの事はない、長男の歳じゃないの。アツカマシ イ。
 多忙な日々が続くようですね。運動も怠りなく。
 少し余裕の時間が出来るので、『マガジン』をじっくり読んでいきます。
 

* 月見座頭  1.5.31
 雨  湿った日が続いて、気持ちも少し鬱状態。これほど気持ちが沈んで 自信がなくて後ろ向きになるのは、鬱状態なのだなあ、と客観的に思えるようになったときから、少しずつ浮かび始めています。
 この月曜日には、新宿スペースゼロで、野村万作・萬斎らの狂言をオフィ スのスタッフ3人とみました。徒歩2分。仕事が終わってからでも十分行かれる距離。出し物は「キツネ塚」と「月見座頭」でした。
 キツネ塚は、少し睡魔に襲われつつの鑑賞でしたが、月見座頭は狂言にし ては異色のテーマかと思われました。
 満月が正面のスクリーンに映し出されたり、舞台の始まる前に虫の音が座 席後方から聞こえたり、いろんな手法を取り入れた演出がされていました。
 客席は一瞬漆黒の闇に包まれます。座頭の世界です。万作の演じる座頭 が、近くの野辺に月見にいきます。座頭ですから、虫の音に耳を傾ける月見です。
 そこへ都からきた若い男が声をかけ、酒宴が始まります。歌を歌うなど座 頭に取っては思いもかけない至福の時もおわり、二人は別れを告げます。
 ところが、幸せな気持ちに酔って虫の音に余韻を味わっている座頭を、先 ほどの若い男が打ちのめします。座頭は別人と思い、観客には同じ男の仕業であることが分かっています。投げ出された杖を探し出し、とぼとぼと帰っていく座 頭・・・。
 4人そろって新宿の雑踏に戻ると、気のせいか、秋風のような涼しい風が 吹いていました。少しの時間、秋の夜を楽しんできました。
 

* 新生活  1.5.30
  こんにちは。イチローです。
 失礼だなんて、とんでもありません。あの日は、先生の声を聞いたとき、 初めて自分の結婚式なんだという実感が沸きました。
 新生活は、以前の生活に比べて、会社に近くなった分時間が増え、家事を する分時間が減り、合計で時間がマイナスになりました。どうしても連絡がおろそかになってしまいます。
 時間はマイナスですが、中身はモノクロからカラーになりました。
 

* 四度の瀧・鷺  1.6.24
  「私語の刻」を拝見しますと、お忙しいようすが伝わってきます。近くにおりましたならば、湖の本の発送作業のお手伝いをしたいところです。真夏のようかと 思えば急に涼しくなったり、おかしなこの頃です、ご無理をなさらずに。
 ところで、藤田理史さんの「牡丹」(作業頁に仮掲載)を読みました。ど のように推敲がすすむのか楽しみです(などと言っていられる立場ではありませんが)。
 e-magの創作欄のはじめの方に、藤田さんの書いたものがあります ね。あれを読んでいるとき、わたしの祖母の話であるような錯覚を何度も起こしました。
  わたしの母方の祖母の場合は藤田さんの(作中少年の)おばあさまほどのブルジョワではないのですけれど、むかし、韓国併合当時のソウルに住んでいて、医者 であった祖母の父は李の王様の診察をしたとかしないとかで、ま、そこそこのお嬢様だったようです。子供のときより敗戦で引き揚げて来るまで朝鮮にいました から、選民意識もあったろうし、それがひいては個人としての優越感をより強くしたのかもしれません。おまけに生来の負けず嫌い、女学校では顔にできたおで きが膿んで長く休んだとき以外、常に一番であったと、本人の口から聞いたことがあります。結婚も「軍人さんとしたかった」とのたまっておりました。祖父は 職業軍人でした。
 これは実は大変な計算ちがいで、終戦ですっかり没落しました。それはそ れは貧乏、 貧乏の日々(こちらは今日まで順調に継続しております、はい)。祖父がどこだったか、外国で拘留されているあいだ、祖母は見知らぬ土地でひとり生きる術を 身につけなければならなかったのでしょう、でもどこか学び間違えた。ごみを捨てない、溜める、とっておく。これまた藤田さんのおばあさまと酷似していま す。もののない時代を知っているから、という理由は祖母の場合少し違うように見えます。整理整頓が極度にできない、要は面倒くさがりなのだと思います。
 こういった話はどこの家庭にもありそうですね。
 「牡丹」の今後を楽しみに思っています。
 この間、何冊かまとめて注文いたしました湖の本、まず、「四度の瀧・ 鷺」を読みました。
 「四度の瀧」は伊勢崎から水戸まで、知っている土地が舞台で、身近に読 みました。
  水戸にも二、三度行ったことがあります。茨城県に住んでいたこともあるのです。偕楽園には梅の季節に行きました。もう、六年くらい前のことです。花粉症の 薬を飲んでいて、普段の生活は支障なく、呑気に見ごろの梅を愉しんで帰った翌日、ひどい目に遭いました。そういえば杉だらけだったような気がしました。 「ああ、もう、二度とは行かない、四度などとんでもない」という苦い思い出があります。
 「鷺」は、もうわくわく、わたしの知る中では「蝶の皿」にちかい作品だ と思いました。
 ところで、川端康成についての講演はいつなさるのですか?
 

* ジャンヌ・ダルク     1.5.23
  私も感動した映画でした。暗い暗い映画なのに、画面に引き込まれました。「グランブルー」と同じ監督リュック・ベッソンの作品と知っていましたか。全くタ イプの違うあの「タクシー1」「タクシー2」もそうです。
 つい先日、日本を舞台に、広末涼子、ジャン・レノ主演で映画を撮ると、 三人揃っての記者会見を観ました。
 もし、次回、何を選ぶか迷われた時は、
「オールアバウト マイマザー」
「エリザベス」
「恋に落ちたシエクスピアー」
を、是非にとお勧めです。
 昔、「紳士協定」というユダヤ人差別問題を扱った佳い映画がありまし た。
 

*  お祝いをしましょう。 1.5.22
  桜桃忌には一ヶ月弱早いけれど。昨日は息子の十九才の誕生でしたの。相変わらず元気なわたしの「オーラ」は、バランスがよく、とても強いらしいのですっ て。ホントかな? でも、嬉しいな、ということで。月様もご一緒に祝ってほしいな、と。お肉を少しばかりお送りしました。今回は、脂が少なめでシャブシャブ用に薄切りにした ものと、霜降りのスキヤキ用とを、セットしてみました。食べくらべてみてくださいね。体力増強?で、暑さと、控えているお仕事を乗りきってください。病い にはご油断なさいませぬように。くれぐれもご自愛を。ご本、楽しみにお待ち申しあげております。花籠
 

* エゾリスとタンポポ  1.5.22
  hatakさん。昨年末急逝した上司の、残された家族が故郷の宮崎に帰られることになり、今日は官舎の引越でした。雪の中で通夜をした家も、今は花盛り。 天気良く、暖かく、荷物はあっという間にトラックに積まれて行ってしまいました。がらんとした家で、車座になってお茶を飲み、六花亭の菓子などつまんでい ると、窓の外にエゾリスが。向こうの芝生にはタンポポが群生して、風が吹くたびダンスのようにゆらぎます。花も「たくさん」が好きだった故人を思いまし た。
 フォントサイズが大きくなりましたね。読みやすくなりました。HPをひ らくと、文字がダダダッと、溢れ出てくるようです。間欠泉のようです。はじめて見る人は、すこし恐いかも。
 ご講演、稔りありますようお祈りしてます。
 

* 美しい五月  1.5.21
  ご無沙汰しております。御元気ですか?
 ベビーが家にきております。ママは腱鞘炎になり、通院したり、私も躯が 持つだろうかと思いながら、目新しいのと、あまりにも可愛いので、そんなことも忘れながら、元気にババちゃんというのをやっております。6月7日に帰国し ます。御元気で。
 

*  旅立ち   1.5.21
 24日木曜日11時、関空からイタリアに向けて旅立ちます。今回はオー ストリア経由。
  イタリアはそろそろかなり夏らしくなってきていますので、その暑さ、乾燥の程度にどれだけ順応できるか分かりませんが、多分最初にシチリアに行きます。こ れまで南イタリアは行ったことがありませんので、小さな町や村を丹念に廻ってみたい。ひょっとしてギリシアに・・?とも思っています。その後、フィレンツ エで暫く小休止してフランスのロマネスクの教会、巡礼の道に・・。
 私の健康と意欲次第で、無理せず旅を過ごすつもりです。
  この一年を振り返って・・何と慌ただしい・・文字どおり、心、荒れている一年だったのかもしれないと感じています。荒れているのは旅から得たものを整理し きれていないので、それらが雑然と積み重なりつつあるということです。その時その時、せめてもう少しでも整理しなければ、そして立ちどまらなければと反省 しきりです。
 もう少し旅を集中的にしたら、いちど「閉じこもりたい」心境になるで しょう。
 昨日、初めて石本正さんの『絵をかくよろこび』新潮社刊を読んでいまし たら、イタリア、ロマネスクと、あまりに好みが一致!?しているのに、驚きました。
 7月11日、日本に戻ります。帰ってきたら祇園祭りに行きたい。元気に 行ってきます。
 大切に、大切に。

* 気をつけて。南イタリアを舐めないように、かなりの荒さと聞いていますから。無 事の帰国を祈ります。
  旅に目的を持ちすぎたり、旅の整理が過度に必要に、また負担に感じられたりするのは、一種の衰弱です。自分一人の中で黙然と消化すればよろしい、他人は、 私的な纏めにも整理にも特別の期待はしていないし、期待するのもおかしい。一枚の澄んだ「鏡」になりきり、写ったものは写し、去るものは去らせて忘れ、そ れで、よろしい。「旅」を過度に意味づけるのはおかしいし、楽しんで帰ってくれば、それでよいのではないか。ドンマイです、マインドの塊りサン。
 帰国すると、わたしの、読んだことのない小説が「十五年記念」で届いて いますよ。凄まじい掌説集もね。

* メール嬉しく読みました。今から本を楽しみにしています。とても楽しみにしてい ます。旅には「花と風」を携え て行こうと思っています。外国ばかり行きながら、さて日本回帰?みたいでしょうが、一緒に持っていくことじたいが、自分にとって意味あり、そして離れたと ころにいると、いっそう日本を考えるものですから、心強いヒントをあらためて本から、あなたから受けられるでしょう。また、マインドの塊だなんて言わない で下さいね。
 これまでの旅の整理がついていないと嘆くのは、衰弱か・・一瞬、そして 今もなかば 以上は理解できていないのですが、そうか、そういう指摘も有り得るんだ、と考えることにします。ただしそれ以上に私が怠け者で、というのが単純な原因・・ これは心の衰弱ではなく、なんだろう。ただの怠けで流れるままなら、私は達人?なんだけれど。

*  あなたが、カソリックの国の方角へ向かうのだということを、意識しています。 シチリアなどと聞くと、どうしてもシドッチ神父が懐かしい。それにこの二三日、コンピュータで、DVD映画「ジャンヌ・ダーク」を観てしびれています。
  わたしが、フランスやイギリスやカソリック教会に、そして信仰の問題にふれた、生まれて初めての体験は、大戦争以上に、戦後の中学時代に見せられた天然色 映画「ジャンヌ・ダーク」でした。イングリット・バーグマンでした。今度観たのはバーグマンとはまるでべつのミラ・ジョボヴィッチ主演ですが、ダスティ ン・ホフマンが共演していて、優れた作品になっています。国会の討論にも目も耳も向けていますが、そういう関心が白濁してしまい、映画のさしむけてくる問 題の方にクリアな、リアルな実在感を覚えています。王位や教会による肉体や精神の支配をきつく嫌い厭う気持ちは、この映画で芽生えました。
 わたしは、多くの儀式や装飾を身にまとって拝跪と服従を強いる、宗 教というよりも権威宗団を信用しない。仏教は釈迦をはなれ、カソリックはイエスを裏切っています。日本には法然や親鸞やのようにありがたい導師がいて優れ た抱き
柱を与えてくれました、が、バグワン・シュリ・ラジニーシを介してわたし は禅ないしは「静かな心」に惹かれています。
 

* 茶ノ道   1.5.16 
 今年からお茶の会の地方ブロック青年部長をやることになり、週末に総会 と呈茶席を持ちました。この時季の札幌は花が次々と咲いて、何を使うか迷うほどでした。藤原雄さんの小さな蹲(うずくまる)に、風車、カタクリ、山荷葉を 入れてみました。
 「遠山無限碧層々」の色紙は、高い境地を表していましたが、実際は幽玄 の境地ではないですね。初対面の私に、ご熱心にいろいろ吹き込んでくれる、子分を連れて肩で風を切って歩く、いろんな人がいるものです。全国どこでもそう なん
ですねぇ。やれやれ。
  翌日は、職場の花見で公園へ。桜ではなく梅の花です。北海道は梅前線が桜前線に抜かれてしまうようです。満開の白梅と七分咲きの紅梅の下で、仕出しのお弁 当を広げ、朱杯で大吟醸をつぎ回り、柳桜園のお茶をササッと点てました。茶碗の中に花びらも舞い込み、お茶に全く縁のない研究者たちが「おいしいー」と いってお代わりをしてくれました。
 「お茶の世界」以外の人が純粋にお茶を楽しんでくれる。茶ノ道廃ルベシ です。
 

* 楽屋話   1.5.14
  お変わりありませんか。雀は元気に遊び、歌舞伎座で久し振りに会った女友達と、芝居がはねてから、少し話をして、ホテルへ帰ってきました。例の田之助さん の連載より、〜戦前楽屋で流行した投扇興は、行司も装束をつけ、呼び出しは、たっつけ袴をつけた大掛かりなものだったそうです。歌右衛門さんは<魁 >、七代目幸四郎は<へるくみ>(照国がご贔屓だったため)、六代目は<音羽山>というしこ名だったそうですわ。
 今月、夜の部で、音羽屋は、二度死ぬ。江戸の芝居がない、上方言葉での 團菊祭は、なんだか変な感じがします。囀雀
 

* 日本語で考え話すこと   1.5.14
 ニュージーランドは本当に素晴らしいところです.こんなに心休まる旅行 はありませんでした.食事,中でもワインは最高です.料理は非常にシンプルなのですが,味付けがアメリカなどとは違いとてもおいしいです.
 最高峰マウントクックの写真を添付しますのでご覧下さい.
  今年になってからウクライナ人と香港人が研究所に来まして,いろいろと文化の違いを感じています.二人とも私より若いのですが,日本の文化と言っても都会 の文化に興味を示していまして,宗教や神社やお寺の話にはあまりなりません.彼らにとっては珍しい建物といったぐらいの認識のようです.ウクライナ人から は、なぜ六本木で遊ばないの?と言われましたが、関心のないものはしょうがありません.
 それでも熱田神宮へ連れて行って,鳥居は何かと聞かれて,神社の門だと しか説明出 来ないのは自分でも恥ずかしいと思います.それにこういったことを英語でしゃべるのは非常に大変です.英語力も磨かなくてはならないし,日本のことも知ら なくてはと言うことで、最近はテレビ,ラジオの講座をこまめにチェックしています.また最近は便利な本がありまして,日本の文化について左のページに日本 語で,右のページに英語書かれてある本がありまして、読んでいます.
 それでもいろいろな人が言っているように、やはり頭の中でまとまってい ないことをいくらしゃべろうとしても、それは無理ですね.
 日本語で考え、話すこと,これはいつもしっかり出来なくてはと思ってい ます.
 

* 神田祭   1.5.13
 今日は神田祭で賑やかな一日でした。時代行列と呼ぶそうなのですが、都 内の道路を馬車がパカパカ歩く姿は異様な感じがして、何度見ても面白いです。明日は神輿宮入なので今日以上の賑わいになると思います。
 とうとう機械を組み立てたということですが、その後の調子はいかがで しょうか。ゴールデンウィーク中に声をかけていただければ遊びにいくこともできたのですが。機会があれば是非見にいきたいと思います。
 ところで、ADSLですが先生のお宅でもサービスを受けられるように なったようです。(会社によっては6月からです。)
 http: //www.biglobe.ne.jp/service/adsl/acca/index.html
にbiglobeでのADSLの情報が載っています。月々5800円に なっています。一度ご覧になってはいかがでしょうか。
 DSLとは簡単に説明すると、今ある電話回線で高速にインターネットを 接続できる技術となります。将来的には、各家庭に光ファイバをつなげることになると思いますが、それまでのつなぎとしての技術と私は考えています。
 DSLにはいくつか種類があり、家庭用としてはADSLという種類の技 術が使われています。
 どのくらい速いのかといいますと、現在の約24倍になります。この値は サービス提供会社により若干異なります。
 ただ、(今年の二月半ばの話であるが、注)サービス開始からまだ日が浅 いため、サービス提供地域が非常に限定されています。先生のお宅はまだの開始されていませんでした。
 このサービスの利点は、高速にインターネットにつなげられるということ と、24時間つなぎっぱなしにしても月々5?6千円しかかからないということです。24時間、高速にインターネットにつながる環境があると、生活ががらっ と変わるかもしれません。
 もし、先生のお宅の地域でサービスが始まったら検討する余地は十分ある と思います。
 

* 芝桜  1.5.13
 ずい ぶんとご無沙汰をいたしておりましたが、わたしもようやく風邪をなだめることが出来たようです。約一ヶ月かかりましたの。ゴールデンウィークの忙しさに も、今年は不況で増員が望めず、治りを長引かせていたようです。不況の風はまた一段と厳しさを増し、店長会議のときに、経営者から、社会保険の解除や人員 削減などの案が提示されたとのこと。きつくなりそうですが、気分的に落ち込まないようにと思ってはいますのよ。
 先日の休日。友人と花三昧の半日を過ごしました。新聞やテレビでも報道 されてい た、民家に趣味で植えられているシバザクラを観に行ってきました。絨毯を広げたか、あるいは友禅を流したような風に見事なくらいに植えられているのです よ。たくさんの人が訪れては感嘆の声をあげておりました。もちろん、わたしたちもです。
 その後、蘭の栽培で有名な河野メリクロンへ。「プリンセス雅子」と命名 された蘭も ありますの。蘭のお蕎麦をいただきました。美味しかったですよ。帰りに、高越山(親しみをこめて、「おこうっつあん」と呼んでいます)へ。千メートル級の 山ですが、その頂上に記念物に指定されている船窪のイワツツジの群生があるのです。
 裾野では木の葉は大きくひらいて緑も濃いのに、登るにつれて、葉はかぼ そくなり、 芽生えたばかりのように柔らかに、風景は早春に戻っていくのです。お好きな藤が、垂る房も見事なほどに咲いているかと思えば、谷川沿いに植えられている桐 の花が天に向かい、負けじと咲き誇っていました。紫女(花)の競演です。
 「ツツジ」で想像されるのは?たぶん、低木を思われていらっしゃるので はないかし ら。ところが、びっくりです。二メートル以上もあるかと思われる大木が群生しているのです。まだ少し時期には早くて、四、五本しか咲いていませんでした が、ツツジの間にはアセビ(馬酔木)もあり、それは満開で甘い香りがしていました。ツツジも、花が咲いていたからこそ認識出来たようなものですのよ。花の 無い時期に一度訪れていたはずの彼女なのに、冬木のような、それを見ながら「あの木は何の木ぃえ?」と、問い掛けてきたのですから。
 時期には早くて、平日ということもあり、人影も見当たらない静かな山 を、二人で満 喫して来ました。イタドリを見つけて、ポキンと手折って食べてきました。懐かしい味に、山野が遊び場だった子供の頃を思い出しました。感覚が似通ってい て、同じものを見ていられる。そんな友人がいてくれることの幸せをうれしく思った半日でした。
 

* 歴史の授業で詩を教えるということ   1.5.8
   少しご無沙汰してしまいした。
 先日先生にメールしました後の4月初旬、日暮れ後に自転車を漕ぎながら ふと山際を見上げると、やわらかなサーモンピンクの大きな月があり
蕪村の「のっと」という表現はこういう月をいうものなのだ、と納得しつつ も句の全体を思い出せず、「先生に伺わなくちゃ」と思いながらもこんなに日が経ってしまいました。
 もう月ものっと出る季節ではなくなってしまいましたが・・・。しかも、 今日は雨でせっかくの満月も見えないようです。ただ、鮮やかな色とりどりの新緑に雨のかかる様は瑞々しくて私の大好きな景色でもあります。
 そう言えば、娘の生まれたのも満月の夜でした。
 人もただの一生物だなぁ、と痛感させられるほど、その夜は病院でも出産 が次から次へ続いていたのを思い出します。月の満ちる夜に新しい命が誕生するのは、不思議なほど生き物全体の共通点ですね。
 ところで、「のっと」出る月の句はなんと言いましたっけ?
 先生のホームページで、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を取り 上げられておりましたが、私は中学・高校を通して、この詩を何回も習いました。国語でも歴史でも。
 異常に感じるのは、この頻度です。
  芸術として完成度の高いものであることは疑いようもありません。ですから、国語で習うのは納得はいきます。けれど、ただでさえ近現代史を教える時間がな い、と言われている今の歴史教科書の中で、例えばリットン調査団の記述すら消えてしまっているような教科書の中ですら、中学でも高校でもくり返しこの詩を 教えること自体に、私は疑問を感じるのです。
 歴史の教科書の中で、他に詩を取り上げていた記憶はほとんどありませ ん。それ故に、今までの教科書では、ある種の意図が働いて、この詩を取り上げてきていたという感触を覚えております。
 与謝野晶子は素晴らしい詩人だったと思います。
 彼女のあの詩を発表することは、あの時点では、かなり勇気を必要とする ものだったと思われます。世の中は、「お国のため」にロシアに戦いを挑むことが大きな流れになっていたのは事実だったはずです。そのあたりの流れを「坂の 上の雲」ではしっかりと描いてありますよね。
 そんな中で、彼女の詩を発表することは、相当に気力が必要だったでしょ う。
 しかし、従来の(少なくとも私の習った教科書では)日露戦争に関しては 反戦的な取り上げられ方ばかりで、戦いに向かう大きな事実経緯を詳細に
書いてなかったように思えるのです。
 すると、与謝野晶子のこの詩は、普く流布している反戦ムードの中での単 なるファッションに見えてしまう。これでは、与謝野晶子に対しても失礼ではないでしょうか。
  彼女は、詩を発表する、それも時流に抵抗するような詩を発表する、その「発表」という事実の中で、激しく生きた人だったと思うのです。そして、こういう 「詩」にかける情熱は、国語の中で教えることこそが相応しい。歴史の教科書の中で、それも安っぽい反戦ファッションとして取り上げるべきではないはずで す。
 かといって、この新しい教科書でのとりあげ方が正しいとも思えません が、彼女の詩を逆のとりあげ方をして、日露戦争へ向かう時代背景を教えたくなってしまった「つくる会」の意図もあながち否定すべきものとは思えないので す。
 私としては、基本的には、歴史の教科書の中でいたずらに詩などをとりあ げるべきではない、ましてや安っぽく取り上げるべきではないと考えています。
(古代の叙事詩など、史料となるのならば別ですが)
 そして、今までの教科書がそういう作りだったからこそ、反動でここまで 書いた教科書が登場してきた理由もわかるような気がするのです。ただちょっとあまりにも極端ですけれど。
 でも、与謝野晶子を題材にして、この時代の価値観自体が今と異なってお り、その中での、彼女のこの行動だったのだ、と言いたかったのでは、と
解釈しております。
 ここまで書かなくても、とは思いますけれど。
 またしても長くなってしまいました。
 明日の「細雪」が見ごたえのあるものでありますように。
 やわらかな雨音を聞きながら・・・
 

* 連休明け  1.57
 お元気ですか?
 連休が終わってほっとしています。長い連休と言っても主婦は一年中が連 休のような、仕事日のようなものですが・・・わたしはよほど一人でいる時間の欲しい人らしい。
 もっと早く帰国報告をしなければなりませんのに遅れてしまいました。
  旅のことがもうかなり遠く感じられる・・。途中で体調を崩したり大変なこともありましたが、気力は大いに充実した良い旅でした。これまでトルコやイタリ ア、スペインで見たローマ時代の建築物に加えて代表的なものをかなり見ることが出来ました。パルミラ、パールベック、ジェラシュ、ペトラなどなど今思い返 しても心が躍ります。日の出前にパルミラの遺跡に出かけて歩き回ったこと、気力だけでペトラの長い道を歩き続けたことが、私にとっての旅のハイライトでし た。アラビアのロレンスに出てきたワデイラムの砂漠に行けなかったことが心残りでした。砂漠にどうして心惹かれるのか、説明は
出来ませんが我が心ながら不思議なものです。同時に以前シルクロードを旅 した時のような、さまざまなことも再び痛感しました。
 オランダ経由の帰りのアムステルダムでは、フライト待ちの時間を利用し て美術館に行きレンブラントやフェルメールの絵も見ました。ゴッホ美術館に行けなかったのは残念ですが、いつかそんな機会もあるでしょう。
 オランダは以前、と言ってももう20年近く前ですが、ライデン、ハー グ、デルフト、ロッテルダムなど回っていたのにアムステルダムは駅を通過しただけだったのです。家並みの美しい静かそうな良い町でした。
 桜から若葉の季節へ。私の庭の牡丹も散って、今は薔薇が見事に咲き始め ています。マーガレット、ラヴェンダーも。連休中に山に行って楓の彦生えを採り、庭に植えました。
 逃げているような、大地に根のつかないような日々かもしれませんが、そ れもまた私の現在の日々。少しづつ前に進みます。
 こちらの美術館で「親指のマリア」の絵葉書を売っていました。早速部屋 に飾りました。
 良き日々をお過ごし下さい。大切に。
 

* 与謝野晶子   1.5.6 
 ご意見あるいはご感想を伺いたいことがございます。いま主として日本と 戦争の関わり方の記述で論争をよんでいる「あたらしい歴史教科書をつくる会」の中学校歴史教科書についてです。
 この教科書は全体的に極端な国家主義、戦争美化にかたよっているもので すが、人物コラムで与謝野晶子をとりあげ、家制度の支持者として描いています。

 [情熱の歌人晶子] 与謝野晶子(1878ー1942)は、歌集『みだれ髪」 (1901年)で一躍有名になっ た。そこには、例えば、「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」という歌のように、みずみずしい新鮮な情感が歌い込まれていた。晶子 の歌は、明治という時代の、自由な新しい感情表現の試みであり、それまでの形式を脱した新しい短歌の可能性を開いた。そうした歌人としての活動と、与謝野 鉄幹とのはげしい恋愛の末の結婚が話題となり、晶子は奔放な女性だというイメージが広がった。
 さて、日露戦争のさい、晶子は旅順攻略戦に加わっていた弟のことを思 い、「あゝをとうとよ君を泣く、君死にたまふことなかれ」という節で始まる有名な歌を発表した。この歌は当時、愛国心に欠けるとの非難を浴びた。しかし、 晶子にとってそうした非難は心外であった。
  というのも、晶子は戦争そのものに反対したというより、弟が製菓業をいとなむ自分の実家の跡取りであることから、その身を案じていたのだった。それだけ晶 子は家の存続を重く心に留めていた女性であった。実際、晶子は、大正期の平塚らいてふらの婦人運動を当初支持したが、晶子の人生観や思想そのものは、家や 家族を重んじる着実なものであった。晶子自身は歌人として活動を続けながら、大家族の主婦として、妻や母としてのつとめを果たし続けた。夫であり、12人 の子の父であり、文学上の同志であった鉄幹の死を、晶子は万感の思いを込めて次のように歌った。
 平らかに今三とせほど
 十とせほど二十年(はたとせ)ほども
 いまさましかば
(原文には随所にふりがな)

 晶子は種々の文章で、家のなかでの男性・女性の役割分担に反対していましたし、 「子どもは物でも道具でもない。 一個の自立独立した人格者である。子どもは子ども自身のもの」としています。弟を家存続の存在として考えて「君死にたまふことなかれ」と歌ったはずはない と思うのです。子どもの自立性の点で「平塚さんのように社会のもの、国家のものとは決して考えない」と言っているように、この点では平塚らいてふと考え方 を異にしたようです。
 このことをどのようにお感じになるか伺わせていただきたいのです。
 私は晶子をゆがんでとらえていると思うし、文学者をこのように勝手に解 釈して(もちろんどういう解釈も勝手かもしれませんが)若い人を教育するのは許せないと思っています。
 それにしても家族や家の仕事を愛することと、古い家制度を温存すること とを切り離すにはどうしたらいいのでしょうか。愛を基盤とする宗教を持たないためのジレンマでしょうか。
 

* 晶子のこと  1.5.7 私語の刻 
  「あゝをとうとよ君を泣く、君死にたまふことなかれ」と始まる与謝野晶子の詩が、何を歌ったかと考えるのは読者の自由であり、自然、人により読みの力点の 置き方が散らばってくるのも、道理であろう。反戦歌だと読む人も、上一人の御稜威と軍の自儘を諷し嫌悪したと読む人も、即ち肉親への情愛と読む人もあろ う。どれかに限定はできず、深く絡み合っていて、どれも否定できはしない。だが鑑賞にはおのずと作の動機に触れねばならない。
 発表当時に激しい非難をあびたのは事実で、晶子の陳弁につとめたのも事 実と謂え る。非難の声があがり、非難の当否はべつとして、当時の世情としてだれもそれを異とせずに観てきたは、即ちこの作品が、御稜威の名における兵役を厭悪した 反戦歌と広く読まれたか、読まれやすかったかを明らかに示している。内心で作者の気持ちに賛同していたか、声高に非難を浴びせたか、いずれにしても当初の 印象も読みも、そこを大きく逸れていたわけがない。
 だが、作者のやむにやまれずそう歌ったのが肉親の情に発していたのも自 然当然で、 否定できることではない。むしろ作の動機は、弟の(無道な)兵役と出征とにあったのは明らかである。晶子の陳弁が自然肉親愛に添うように行われたのも、根 拠になる動機がもともとあったればこそで、これまた頭から否認できる話ではなかった。だが、それもより深く先行して厭戦の情とお上への怨嗟があった、表現 したかったのはそれだったろうと言われれば、作者も胸の内では頷いていたに違いなく、しかし口に出しては国体の意思に真っ向からは非難を浴びせはしなかっ た。当然である。図式的に動機や思想を分離し対立させて考える方がおかしいのである。ものの表裏である。その上でわたしは、明らかに弟よ戦場にむなしく死 ぬなと歌った、痛切な皇軍批判の厭戦歌であると読む。しかも晶子の、人として芸術家として国を愛した気持ちを疑ったこともない。戦争して負けないだけが愛 国心であるわけもない。
 それにしても、教科書本文の、「この歌は当時、愛国心に欠けるとの非難 を浴びた。 しかし、晶子にとってそうした非難は心外であった。 / というのも、晶子は戦争そのものに反対したというより、弟が製菓業をいとなむ自分の実家の跡取りであることから、その身を案じていたのだった。それだ け晶子は家の存続を重く心に留めていた女性であった。」という行分は論旨の寸があまりに短く、短絡ということの代表的作文のように思われる。観念的に戦争 そのものに反対したのではなかったが、無辜の若き男子を戦地へ追いやるいわば「仕組み」への強い怨嗟の声になっている。直接には弟を歌っているが、その歌 声は同じような無数の悲嘆を優に代弁得ていたから、あれだけの訴求力を持った。「弟が製菓業をいとなむ自分の実家の跡取りであることから、その身を案じて いたのだ」と文章を繋ぐのは、むしろ後段の主張を導きたいタメにする論法で、この叫ぶように丈高い詩は、一実家内のプライベートにとどまる表現ではなかっ た。作者の背には目には見えなくても耳には届いてくる民の声の、あるいは女の声と謂うもいいが、そういう後押しが働いていた。だからあれだけの表現になっ た。だが教科書はこの優れた詩を、一鳳家の家内感情に矮小化させつつ、「家の(保守的な)存続」をこそ与謝野晶子は大事に考えた人であったと、まるで見当 はずれなある魂胆に協力させようとしてくる。与謝野晶子は奔放な愛欲に目覚めた詩人であったといわれてきたが、事実は、子として姉として、また妻として母 として、まことに家庭と家族と家の存続とをなにより大切に考えて生きた人であった、と、先ずは評価の重点を移動しようというのである。だが、それが終点で はない。それほどに「家の存続」は人間の生き方を左右する基本的に重い大事だと、つまりは晶子をダシに、そこへ教育の方向と結論とが設定されいるのであ る。
  与謝野晶子がみごとな芸術家であったこと、奔放な愛に身を賭して生き得た人であったこと、じつに優れた業績を残していること、は、否定できない。が、同時 に子として姉として、また妻として母として、まことに愛情豊かにみごとに生きた人であったのも、まぎれもない事実である。晶子には、これは対立する矛盾で はなかった。両立させた自然であった。だが、この自然から、「家の存続を重く心に留めた」と論旨を導くのは、批評が足りていない。日本語では、家庭・家族 と、家とは、そう軽々と同じ範疇かのように認めることはできない。家が家屋を意味する場合は家庭・家族ともナミに扱えるが、家門・家名の意味になってくる と問題は急に難しく複雑になり、情愛の範囲内に落ち着いていない。教科書は、都合よく「家」と「家族」を一掴みにして「晶子の人生観や思想そのものは、家 や家族を重んじる着実なものであった」と断定したが、家族への愛は溢れていても家には拘泥しない「人生観や思想」の人は、幾らもいる。与謝野晶子の場合が どうであったか、少なくも検証の必要が有ろうが、最後に上げられている夫鉄幹の死を嘆く名歌には、「家の存続」という人生観や思想は微塵も受け取れずに、 まさに妻の夫への愛・恋の情に溢れている。そして、それは与謝野晶子の生涯をみごとに証しするものでこそあれ、その人と芸術との指さすところが「家の存 続」に重きを成していたなどと、教科書に特筆できる証跡は感じ取れなかった。思うに、この教科書編纂の後ろ向きな思想と意向が「家の存続」に在るのを、与 謝野晶子に間違って代弁させようとしたに過ぎないのではないか。魂胆とわたしが指摘したのはそこである。
 かの「きみ死にたまふことなかれ」に立ち返って謂えば、あの詩批判に満 ちた視線は、そもそもどこへ向いていたか。「家の存続」思想の根拠のような、或るやんごとなき一家一族にではなかったのか。
 

* 超漢字    1.5.6 
   毎日、ホームページを拝見していると、ちっともご無沙汰しているよう気がしませんが、ご無沙汰しました。
 「湖」の発信局改造のご様子、すごいと思いました。あの方はきっと神さ まです。
 「風の奏で─平家寂光一上」(スキャン原稿)お送りします。おじさんに は知らないことだらけで、立止ってばかりいて捗りませんが、いちばん楽しい時間です。
  「超漢字3」は、いいです。電源を入れて20秒で立上がります。(わたしのMac G3は1分25秒かかります)厖大な漢字はともかく、ハイパーテキストの機能で、註が付けられ、註のまた註といくらでも関連事項をその場に付け加えられる のが何より魅力です。これで「平家物語」や「湖の本」を遊べる!とほくそ笑んでいます。
 緑が精一杯の色をして、いい季節になりました。お元気でお過ごしくださ い。
 

* VAIOで   1.5.5 
  大分・湯布院温泉に金鱗湖という小さな湖がある。湖畔に森を抱いた良い宿があり、湖の汀に移築した古い民家で、「天井桟敷」という喫茶店を営んでいる。湖 から緑匂う庭を抜け、二階の扉を押して店に入ると、ひんやりとして、外のにぎわいが遠ざかる。高天井の豊かな空間には「グレゴリオ聖歌」。珈琲の香りに満 ちている。奥の八角の大テーブルに座り、珈琲をたのむ。テーブル中央に大きく花が盛られ、心楽しい。白いカバー付きの応接椅子に深く腰掛け、深煎の珈琲を 飲む。由布岳を象ったケーキの甘みもよい。窓の外から、春の日のテーブルなかばまで斜めに射し込み、暖かく、まぶしく、眠い。ふっと、寝入りそうになった とき、「八角磨盤空裏走」という禅語が浮かび、眠気が一気に晴れた。窓には、五月晴れの由布岳。空を飛べそうな春である。(by maokat)
 

* 所変われば  1.5.5 
  VAIOは、SONYのパソコンです。CIXFという小型のもので、サイズは15×25cm。鞄に入れてどこにでも持っていけます。ハードディスクは 10Gあり、出先にプロジェクターがあれば、プレゼンテーションにも使えます。前の職場で、海外出張用に持たされていたのですが、気に入って自分で買いま した。喫茶店などでキーボードをたたいている人って、ひんしゅくかなぁ、と思いつつ、外で書くことが多いこのごろです。
 札幌は晴天が続いていますが、夜はまだ3℃ぐらいになります。温室の植 物の管理が 難しい季節です。白樺の芽吹きがはじまり、白い樹皮に淡い緑の若葉が映えて、しばしうっとりします。花見の名所、円山公園では連日花見客がジンギスカンを して、「朝から晩までラムの焼けるにおいでたまらない」と近所に住む友人が言ってました。所変われば、花見もかわりますね。
 

* 行く春やおもき頭をもたげぬる     1.5.4  
 蕪村のこの句さながら、ものうくて、プランターに培う著莪の花殻を摘み 捨てたりして、ぼんやりしているうちに、五月になってしまいました。
 大阪へゆくことがありますと、時間さえゆるせば立ち寄っていましたの が、中ノ島にある東洋陶磁器博物館でした。
好きなもののひとつに白磁の梅瓶がありました。なぜか、やさしくなだめら れ、魂まるごと抱きかかえられるような心地がしました。もう、五、六年も逢っていません。
  つらいお別れをなさったのですね。そのおひとも、あの梅瓶のようにと申すのは失礼ですが、一人の目利きに見出された逸材でいらっしゃるのでしょう。にもか かわらず、「悲運の連続」に見舞われたそのおひとをおもう先生のお心に、また、「空間を描くことで人物でもモノでも深々と捉えてゆく」そのおひとに、ふ と、あの梅瓶が重なるようです。少し、さびしいひかりをまとうて。
 「浜松中納言物語」、おもしろいですよ、と、メールでおっしゃってでし たけれど、 わたくし、まだ、読んでおりません。「浜松の女人達は、尼姫君も唐后も吉野の姫君も、ひたすらいとおしい魅力の持ち主である。この作者の女人造形には心を 惹かれる。蜻蛉の夫人も紫式部や清少納言ですらも、どこか鬱陶しい。だが、架空の女人はいいものである。」
 このおことばに、「浜松」の女人たちを想像し、先生の書かれた、いえ、 つくられた女人をおもっています。
 「どこか鬱陶しい」とおっしゃる蜻蛉の君や紫式部。どなたでしたか、 「可愛いげがない」とおっしゃっていたのを思い出しました。清少納言も「架空の女人」と比較すれば「鬱陶しい」ということなのでございましょうか。
 とすると小侍従も。どうしましょう。鬱陶しくないひとなど、現実には存 在しないとおもってしまうのは、ちょっと、つらいことですもの。
 こんな、とりとめもなことをつづっていますうちに、「おもき頭」に、す こし、風が通い出したようです。
 

* 甲府便り  1.5.2
   秦さん。お元気で、何よりです。
 山梨は、林檎の花が咲き始めました。
白木蓮、花水木は、散っていますが、春が始まったと思ったら、いろいろな 花が咲き始め、その後も途切れることなく、なにかの花が咲いています。
 また、新緑は、さまざまな緑に山を染め、緑色がこれほど豊かに多彩な色 だと改めて痛感させられます。まさに、「山笑う」です。
  甲府の我が家の玄関の上にある通風孔の上に、燕の巣があります。去年見送った燕かどうか判りませんが、今年も「戻って」きて、出入りを繰り返して巣作りを していたと思っていたら、数日前から、巣に籠もってじっとしています。卵を温めているのでしょう。雛が孵れば、また、雛に餌を与えるために、忙(せわ)し なく出入りを繰り返すでしょうね。
 そういえば、私の甲府勤番生活も、今月末で、1年になります。
  いま、「新府城と武田勝頼」という本を読んでいます。網野善彦さん(この人は、私の高校時代の新聞部の顧問で、日本史を教えていました。私の授業では、日 本史は別の人でしたが)によれば、甲斐の人は、富士川から太平洋に出て、南部氏は、駿河湾から伊豆半島を廻り、太平洋沿岸を北上し、陸奥の南部から下北、 果ては、十三湊の安東氏を追いだし、津軽氏になりました。また、武田氏は、安芸の守護となり、同じように、富士川から海に出て、紀伊半島を廻り、瀬戸内海 に入り、安芸と人と物の交流をし、さらに、後には、若狭の守護にもなり、安芸、若狭、甲斐という三角形で交流を深めたそうです。その上、若狭の武田氏は、 日本海を北上し、津軽海峡を越えて、北海道に渡り、武田信広のとき
に、松前の蠣崎氏になったということです。富士川などの川湊で船の操縦術 を覚え、山のない国だけに、海への憧れを高度な航海術にまで高めたのでしょうね。さらに、信玄に象徴されるような攻略術にも長けていたのかも知れません。
 あすからの連休には、家族らが甲府に参ります。私も久しぶりに、甲府で 休日や週末を過ごす予定です。甲府の湯村温泉という信玄が長期滞在した、かっての「志摩(島)の湯」の、老舗の旅館に泊まります。
 当分、週末都会暮らしを楽しみたいと思っております。では、お元気でお 過ごし下さい。 倉持光雄
 

* 理系と文系   1.5.2  
  新しいパソコンのセットアップは、大がかりだったようですね。環境を拡張すればするほど、思いもしなかったトラブルが発生します。こればっかりはひとつひ とつ立ち向かっていくしかありませんよね。「こうしたからこんなエラーが出た
ん じゃないかな」と、勘をはたらかせながらあれこれ試して、そのうち器械に馴染んでゆく。何となく加減がわかってくる。「相性が悪い」などと言ってみたりも します。同じメーカーのパソコンでも、OSのバージョンの違い、スペックの違いでエラーの起こり方もさまざま、器械といいつつも、膚で触れて感じるものだ なあと思います。
 かく言うわたし個人のパソコンは、ネットワークを組んでいるわけではな く、知って いるのは会社の小さな小さなネットワークのみです。マッキントッシュのパソコンと、フィルム出力機、A0・B0タイプのインクジェットプリンタ、あとは A3サイズのレーザープリンタ、スキャナ、など、ささやかなデジタルプリプレスの現場です。
 この仕事をはじめて、二年近くになります。以前は経理の仕事をしていま した。大学 を卒業して、北関東・東北に店鋪展開をしているロードサイド型のドラッグストアに就職しました。そこで、*市にあります本部の経理課に配属されました。簿 記の知識は皆無でしたが、先輩たちの指導もあって何とかやっておりました。その会社、なかなか給料がよくて、一年目の冬のボーナスでノート型のマッキン トッシュを購入しました。会社では専らウインドウズを使用していましたが、友人のマックを触らせてもらい、そのメーカーの遊び心に惹かれて迷わずマックを 選びました。とても高価でしたがフンパツして。
 それからぼちぼちやっているうちに、現在の仕事(大きく括ればデスク トップパブリッシングとでも申しましょうか、デジ
タル組版とでも申しましょうか、ただ、わたしの勤務している会社の扱う印 刷物はラベルやパッケージが主です)のようなことをしたいと考えるようになって、ドラッグストアは辞め、また実家にやっかいになりはじめました。
  それこそ朝から晩までモニタの前に座りっぱなしですが、パソコンのない生活は考えられない、というほどにはなっていません。それほど依存するつもりもない し、実際、そこまで依存できる器量はわたしには無いかもしれません。パソコンは、あれば便利ですが、わたしの中でも無かった時代の方が遥かに長いのです。 秦さんのおっしゃるように、無かった時代にいつでも戻れる覚悟は持っていたいと思います。
 今回のニューマシンのセットアップでも、元東工大生が大活躍ですね。
  秦さんのお話の中に東工大の学生さんが出てくると、わたしの理系の友人たちのことを思います。わたしの行った大学は総合大学でした。そこでわたしは何を 思ったか軽音楽のサークルに入ったんですね。音楽は、もうずっと好きだったのですが、まさか自分で演るとは。楽器は結局ちっともうまくなりませんでしたけ れど。
 それで、週一回のミーティングに行くと、いました、いました、理系の輩 がわんさと。純文系で培養されてきたわたしにとって、異種族である理系の彼らとの出会いは、この上なく新鮮なものでした。
  あるとき友人の部屋に行き、床に転がっている抵抗を見て、「何これ」と訊ねたら、びっくりされました。「抵抗を知らない女の子がいた!」と。何しろ、入学 当時のわたしは練習スタジオに入っても、楽器とアンプを繋ぐためのシールドのどちら側をインプットに差してどちら側をアウトプットに差せばいいのかすらも わからなかったのですから。
 ライブとなれば、自分と年齢の変わらぬ彼らが、スピーカーからアンプか らミキサー からマイクからエフェクターから何から何まで、ちゃっちゃと繋いで、場所と機材の具合を見ながらできうる限りのよい音づくりをするのです。彼らは誰に教 わったわけでもなく、やっているんですね。役に立たぬわたしは看板を作ったり、弁当を買いに走ったり、椅子を並べたりするくらいしか能はありませんでし た。
 わたしなどは勿論見たこともなければ何のことだか想像もつかない数式 を、さらっと 解いてしまう数学専攻の先輩や(この人、四月から*市の私立高校で数学の教師になりました。酒が燃料のような人で、共学の高校に就職と聞いて皆が**の心 配をしてしまうような人でしたが)、今は*大の医学部で遺伝子の研究に勤しむ先輩など(昨年会ったときの話がとても興味深かったです。蠅は雄のみが求愛行 動をとるのだそうです。そこで雌っぽい雄をつくるとどうなるか。雄は雄なのだから従来どおり雌に求愛行動をとるか、もしくは雌のように求愛行動をしなくな るのなら納得がいくのですが、予想に反して、雌っぽい雄は雄に対して求愛行動をとるのだそうです。こは如何に)、いろいろいて、それはもう興味津々です。
 その一方で、ある物理専攻の先輩は、エレキギターを弾く際使用するエ フェクター(こ れを介すると様々な音の表現が可能になります)という機材を、使いこなせないと言って、一番単純なタイプのエフェクターをいつまでも使っていました。音は サイン波の集合なので、大の得意かと思いきや、彼は特に秀才のようでしたが、それとこれとは違うのかしらんと不思議でした。またある後輩は、いざ就職活 動、という時期になって、何を言い出すかと思ったら「パソコン使えないんですよう、不利ですよね」。研究室で使ってるでしょ、と言うと、「あんなの、一秒 間に原子核の周りを電子が何回まわったか、とか、そんな計算しかしてないんですよ」。嘆きまでも微笑ましく、そういう一面もまた魅力的でした。
 居酒屋で焼そば食べて、「うーん、肉率が低い」と言っちゃう彼らに対す るわたしの気持ちと、秦さんの東工大生に対するお気持ちとは、ひょっとして似ているのではないかと勝手に想っています。
 

* この粘り     1.5.1
 たいしたものです。それは今に始まったものでもないと私は思いますヨ。 惹かれるもの(関心のあるもの)に対しての粘りは人並み以上にスゴイと。
 白状すれば、そこが又、私の惹かれるところデス。マジメニ ホント。
 まずは メールの送受信再開がクリアー出来ておめでとう。
 もう あなたはパソコンのない老後は考えられなくなっていますね。
 先日 頻繁にメール交換をしている同年輩の友人(彼女とは毎週新宿で会うんですよ)が、息子から譲り受けの器械が壊れてしまい、パソコンのない日は 我慢出来ないと即刻高価だけれども新品を購入したと言っていました。遠くに住む初孫の情報や、写真にかかせないらしい。そんな時代になりましたね。
 

* 投稿   1.5.1 
 「生活と意見」、いつも覗いています。秦さんの文章は勿論ですが、最近 とくに秦さんを慕う読者の方々の言葉や文章に、とても感心させられています。いろんなところに、いろんな人がいるもんだなあ、と、当たり前のことを、とて も強く実感しています。
  吉田優子さんの「さぎむすめ」を読みました。なんだか、この吉田さんという方に会いたくなってきました。<面白かった>なんてモンじゃない、 モロに感動しました。ときどき、言葉(単語、語句の範疇)がきらきらしすぎて、文章の流れから少し浮き気味になっているところもあったように見受けられま した。しかし、路子さんのなんと美しいこと。最後の場面、思わず作者に頼みたくなりました、「ああどうか消えてしまわないで!」と。これからもぜひ書き継 いでいってほしいと思います。
 ものの見事に僕も触発されました。習作とも呼べないようなものですが、 投稿させてください。高校時代に書き溜めたうちの、一番最後のものです。今までの自分をまとめて出す、という心積もりで送ります。お忙しいこととは思いま すが、よろしくお願いします。
 

* 掲載 感謝     1.4.27
 ご批評ありがとうございました。
 これまでにいただいた助言の数々、推敲を重ねているうちに、そうか、そ ういうことか、と納得してきました。これは、書くという作業なしでは理解しえなかっただろうなと思います。理屈はわかったつもりでいても。
 そしてまた新たなご指摘、「清潔な文章の力でよごれを清拭」するという ことも、一人で書いていたらそこに思い当たるまでにどれほどの時間を要したことかと、あるいは思い当たらぬままに終わったのではないかと、学べるうれし さ、ありがたさを噛みしめております。
  「清潔な文章の力でよごれを清拭」と読んでまず思い浮かんだのは、秦さんは勿論ですが、川端康成でした。川端康成の作品には、物語だけを追えば通俗小説と もとれそうなほど奇想に展開するものがあります(小説を読むとき、物語を愉しむという姿勢が、どうやらわたしにはあるようです)。おそらく、文学全集に のっかっているような純文学の小説のどれにも、物語はあると思います。アンチロマンでさえも、何かしら筋はあると。
 では、なぜ川端康成なのかというと、湖面のように静かに澄んでいてうつ くしいあの 文章から立ち昇ってくるどうしようもない個の寂しさに、わたしは惹かれているのではないかと思うのです。「眠れる美女」は、老人が少女を玩弄する話、とえ げつない言い方もできるものですが、清らかに読ませるのは、筆力というものでしょうか。「みづうみ」は今でいうストーキング以外の何物でもありませんが、 劣等感と孤独が哀しく響いてくる作品です。確か「たんぽぽ」という未完の作では、人だけが見えなくなるという奇病に冒された女性の登場に驚かされました が、人だけが見えない、ということの根の奥に思いをめぐらしてみれば、抱き締めてくれる人の存在さえも疑わざるをえない、何と心細い個であるかと、胸の中 がしんと静まります。しかしそれらは決して胸蓋ぐものではありません。
 人は、多少の境遇の差こそあれ、生来孤独を抱えて生きていると思いま す。であるからこそ、秦さんのおっしゃる「身内」を求めてやまないのだと思うのです。そういう希求が、彼の作品からはもどかしいながらも、伝わって来るの です。
文 章は、一朝一夕によくなるものではないと、これは悠長に構えているわけではなく、思っています。何しろ勉強が足りない、修業が足りないのですから、こつこ つやるしかありません。でも、もう二十七歳です。川端康成なら「伊豆の踊り子」を書いてる歳です。川端康成を引きあいに出すのもなんですが、せめて思って いることを書いて表現できるようになりたい、その一心で臨んでおります。同じ道を、と言うとおこがましい限りですが、書くことを志した大先達の秦さんの助 言は、具体的なことからその意気にいたるまで、的確にして尤もで、深く考えさせられます。
 ともかくも、文章の清らかさを見つめ直してみようと思います。
 ああ、もう二時半を過ぎました。明日も会社です。
 

* 連想ゲーム  1.4.25
 白は湯豆腐か障紙 赤い神宮の鳥居 緑久しい常磐の松 きれいな人の髪 の色 路地の奥にも立派な師匠 正月初釜 まめに磨いたろいろより  真塗りのおなつめ、また台子、 水面に映える金閣より むかしむかしの仏さん むかしむかしの金蒔絵。 絵に書いた桜は 誰のがええやろか、 かく言うわ たしが桜なら、きれいなうちに塩にまぶせばよかったのに。
 

* 名古屋の四人組    1.4.25
  昨日は、御園座「小笠原騒動」の千龝楽。今回、雀は見ませんでしたが、南座初演を一緒に見た二人の女友達が、二人とも点が辛い。橋(之助) & 染(五郎)やり過ぎ、役者だけで遊び過ぎ、と。舞台も、外も、仲良しこよし。雀は、そういうの、いや。
  TV で、伊東四朗・小松政夫の舞台ドキュメントを見ましたが、アドリブに見えても、本当に良く稽古され、練られた動きと、絶妙の間。雀の見たいのはそういう喜 劇、体を動かす笑いなの。贔屓の翫雀さんには、汗をかいて絞ってほしい、身体も芸も。狐の化身が狸に見えるんですもの (ご本人が、狐より狸が好きとの事)。囀雀
 

*  マブイ  1.4.22
 木曜日に雪が降ったためか、風邪を引き、金曜の午後からずっと寝ていま す。今はだいぶよくなりました。
 先ほど目覚めるまで、ふわふわと石垣島を浮遊していたようです。元職場 で実験をしたり、 珊瑚礁の海で泳いだり、飛行場へ行って「でも帰ろうかなぁ」などと思ったり。自由にさまよっていました。熱で理性のタガが緩んだ分、魂の一番行きたいとこ ろへ飛んでいったものでしょうか。また、「マブイ(魂)」が抜けてしまいました。もう一日養生して、科学者に戻らなければ・・・。
 hatakさんもお大事に。体型「も」スマートになってください。 maokat
 

* 晴れ晴れと  1.4.21
 林丈雄君 明日になりましたね、明日は晴れ晴れとした日和で、今日の雨 降って堅固に地は堅まるでしょう。遅れないように、教わったとおりに、時間早め早めに、心からのお祝いに式場へ向かいます。 秦恒平
 

    1.4.19
 おはようございます。
 「演劇界」誌に、田之助さんの連載が始まり、ファンの女友達が毎号コ ピーしてくれますの。
第 二回は大好きなお相撲の話。武蔵山の引退で男女ノ川が横綱になった事や、安芸ノ海が双葉山を倒した時、桟敷で見ていた事。出羽海、高砂、双葉山、羽黒山、 平幕優勝の出羽湊…そう言えば、函入りの「羽黒山」と書かれた本が実家にあります。父も昭和ヒトケタ生まれですから、同様に熱中していたのでしょうね。雀 が柝の音好きなのは、子供の頃、TVの大相撲中継がつけっ放しだったからだわ、きっと。囀雀
 

* 河内屋    1.4.17
 「関西にも、佳い役者が」とおっしゃる筆頭の壽海も、先代の富十郎、先 代の仁左衛門、先々代の三津五郎も、わたくしは観ていません。辛うじて、先代の鴈治郎と延若くらいでしょうか、その舞台に間に合いましたのは。
  拙い見手ながら、延若にふしぎな魅力を感じていました。いかにも上方風のこっくりした味、国崩しなどに見せた悪の魅力。かと思えば品格ある覚寿を見せてく れました。先代仁左衛門の菅丞相、立田の前が秀太郎、宿禰太郎が富十郎で、……。と、このへんでやめませんと、とんだ長メールになってしまいます。
 吉行淳之介の、というより、文章のことをおっしゃっての今日の湖のお部 屋、怖くなったと申しますのはおろかなことでございましょう。
 

*  切れる事件  1.4.15
 今日起き抜けのショッキングなニュースは、小学六年生が母親を刺し死な せた事件です。引っ越しで学校が変わり、以前の友達との別れがつらいので自殺しようとし、留めて叱った母親が逆に刺されたと。
  転校して友達のいない寂しさは、身に染みて覚えがあります。
  国民学校二年生で父は出征しました。 あのころ、先ず学童を強制疎開しましたね。姉は当時病身で休学中。学童は私一人でした。集団疎開はいややと頑張りまして、当時の大阪市郊外に住む母方祖母 と、半年ばかり二人だけで暮しました。寂しかったし 永く永く思えた日月でした。大阪市内に 、夜は花火の様にバラバラと爆弾の落ちるのをボーと見ていた記憶があります。人見知りが激しく、内向で 友達は作れず、偶に祖母の処へ来る伯父や姉からの便りだけを待つ日々でした。寂しかった。まだ 七歳でしたね。
 その後家族たちも疎開する事になり、今度は淡路島の父の実家の離れで、 父を待ちながら終戦を迎えました。
 終戦の日、強い日差しを受け、色とりどりの松葉ぼたんが咲き、そして雑 音の多いラジオ放送は、何だかさっぱり分からず、説明をしてもらって「敗戦らしい」と理解した、あの天皇の玉音放送。
 母に付いてリュックを背中に買い出しもしました。やはり友達は出来ず、 只々苦い思い出ばかりです。父が復員するまで 一年半ばかり住みましたか。
 元に戻りまして。寂しさは充分に理解できます。それにしても「切れる」 年齢がこうも低くなるのは、何が問題なのかという事です。あの「十七歳たち」が次々に「切れる」事件を起こしていた頃が、もう昔のことかと錯覚しそうです ね。
 

* 伊賀上野     1.4.14
  晴れてはいても、ひんやりした一日でした。上野市へ出かけましたの。芭蕉と荒木又右衛門の生誕地。鍵屋の辻。最近は、榊莫山さんで有名。別名白鳳城の上野 城、俳聖殿、高石垣からの眺め、満開の桜。あちこちに見かけるカラフルな忍者は、観光スタッフですの。電車に、くの一がペインティングされ、循環バスの屋 根に忍者人形が伏せています。4月は、NINJAフェスタ。1日の辞令交付式の市長、先日の市議会も、忍者の扮装で行われたそうですの。古い店構えの和菓 子店の奥から、「は〜い。」と出てきたのは、くの一。いい和菓子がありました。そうそうポスターをみかけましたの。「桂文枝 チャリティー寄席」5月24日(木)18:30〜上野市蕉門ホール。名張への終電、21:58に間に合う、21時終演とお聞きしたので、伺うつもりです の。囀雀
 

* 歌右衛門   1.4.14
   三十一日の午後、わたくしは東京に出ていました。二十八階の窓から東京の櫻に舞う雪を、雪にかすむ櫻を見ていました。
 夜、隅田川添いの高架道を走るバスから、隅田公園の花を見おろして、時 の間、夜櫻をたのしみました。雪がやんで春の月とおもえぬ冴えた半月がてりわたりました。昼間、雪に濡れた花にかがやいて、まさに雪月花の一日でした。
 そのときは知らなかったのですが、この日、わたくしがビルから花と雪を 見ていたころ、一代の名女形の歌右衛門が、あちら側に旅立っていったのでした。
 現身をはなれたばかりの歌右衛門のたましひが、ながめていたのですね、 この日の櫻を雪を月を。一代の名女形の最期のためだったのですね、この日の花も雪も月も。
 先生が、にほふやうな若女形時代をおっしゃるのを、身のほど知らずに、 羨み申しあげ、妬ましく存じあげたりしておりました、わたくし。
 最後の舞台は、吉右衛門が相手役でお静の方でしたが、それを観られたの をしあわせにおもいます。
 先生の「繪巻」の待賢門院、歌右衛門で観とうございました。
 「二ノ矢をのこしてはいけません」
 頭の中に、むねに、いま、このおことばが、しーんとひびいています。
 歌右衛門のあのほそい手に、二ノ矢は、一度たりとも残されたことはな かった。おもわず、わが手をぎゅっとにぎりしめてしまいました。
 

* 源氏と平家  1.4.14
  子供の頃、公達あはれの平家よりも、鹿も四つ足の源氏の方が好きだったり 義経や八幡太郎義家の物語や お芝居を又見たいと思ったりしました でも学校で 白いはちまきになるのはいやで六年生まで赤になりました ご先祖様のあまり遠くない人の名に頼と付く人がいたからかもしれません 私の中では講談社の絵本 で終わっているのをよしとしているようです
 こんなメールを・・・と思いましたが 子供の頃しかお付き合いさせていただいておりませんので そのうえ子供っぽい性格ですので 子供番組を見ているとでも思ってくださいませ。 

*  お話相手ができるなら、こんなに嬉しいことはありません。むかしでも、ただあこがれていただけで、ろくにお話ができたわけでなく。長生きして、こんな器械 にも触れるようになったおかげです。
  白、朱、緑、黒それに黄金(きん)色。中国でもそうでしたが、京都で育ち、自然や文物にふれてきましたので、やはり、色彩は、この五色が日本的だなあと感 じています。祇園さんの御神輿の色は美しいなと思っていました。松緑、白砂、なぜか神子さんの朱の袴、そして照った黒楽茶碗。
 桜色がぬけていました。わたしは桜が好きです。**さんは桜いろの人で したよ。お声も好きでした。銀の糸のひびくように感じていました。丹波に疎開してからも、耳にありました。
 東京の桜もことしはおわりましたね。 お大事に。いつ でもお話ししたい。 
 






*  花の父母   
 1.4.12
 花吹雪が水面を染めております。
 市民公園沿いの五キロほどの放水路の両岸に、約千本のソメイヨシノの並木があり、毎年幾度も訪ねますが、この春は、とりわけあでやかな花の姿でございま した。
 七十年ほど前、放水路の完成にあわせて、一人の人によって植えられたこのさくらは、今では、その人の名を冠して呼ばれ、「日本桜の名所百選」の一つにも なっておりますが、私には、亡き父母をしのぶ大切なよすがでもあるのです。 亡くなります一月あまり前、父は、折りから満開のこのさくらへと、母を伴い病室を抜け出しました。私は二十代半ばでしたが、ふたりが一緒にでかけるのをみ たのは、それがはじめてのことでした。命の終わりを悟って、最期に父は、母にふたりだけでこのさくらを観ようと誘い、母もまた、黙ってあとに従ったのでし た。
 咲き盛る花を仰ぎながら、そのときふたりの胸中をよぎったものは何であったろうと、私の想いはいつも、ここで止まります。何故か母に訊く事もためらわれ ているうち、四年余り前に母も旅立ってしまいました。
 今年のことのほかの花粉症と、思うようにはかどらぬ体調に疲れて、お見舞いのお礼の遅くなりましたことを、心からお詫び申し上げます。ありがとうござい ました。
 

*  二度読む   1.4.11
 本を続けて二度読む。時間がたっぷりあった子供の頃でさえしてこなかったし、今はもっと、時間を家事を言い訳にしています。「清経入水」は、読み終わっ てすぐもう一度読みたい本ですの。再確認したい、読み戻りたい、世界に浸っていたい。言葉のひとつひとつが、独善的でなく選びぬかれ、伸びやかで、気爽や かな透明感と重量感の並立は、今なかなかお目にかかれません。謎解きを確認するだけの二度読みとは、明らかに違いますの。構造がしっかりと巧みな、読めば 読むほど心が奪われる幻。覚めたくない夢です。
 

* 札幌にも遅い春が     1.4.11
 フィリピンから戻り、すぐに学会を二つこなして、日曜に札幌に戻ってきました。
 年度が変わり、私たちの研究所も「独立行政法人」になりましたが、将来大きな波にぶちあたると予想しています。その時に、船と一緒に沈むか、自分で泳い でいけるか、これからの気の持ちようにかかっていると思っています。行政改革の名のもとに、今回バッサリと切られてしまった分野の中には、採算は合わない が国の存続のためには必要不可欠なものが多く含まれています。文化、医療、科学技術、トカゲのしっぽを切ってトカゲが倒れないといいのですが・・・。
 三年前にお送りした紀行文を、プリントアウトして持ち歩き、空いた時間に手を入れてきました。初稿のプリントアウトは、修正で真っ赤になりました。二稿 は説明不足が目立ち、書き加えを随所にしました。三稿では、助詞の「が」を他に置き換えるなど、整文に配慮してみたつもりです。推敲を通じ、この三年間で 文章のスタイルにやや変化が出てきたことに気づいています。前に書いた文を改めて読み返してみると、装飾過多で、句点が頻用されているのです。前者は過剰 なサービス精神、後者は当時並行して書いていた学位論文の影響です。しかし、これをすべて直してしまうと、別物になってしまいそうな気がして、なんとか折 り合いをつけてみましたのが、この原稿です。
 もう少し手を入れてみた方がいいのか、判断に迷っています。ご助言をいただけますようお願いいたします。
 雪の下から、黒い土が顔を出しました。畑ではトラクターがウォーミングアップをはじめ、街を歩く女性たちは、待ちきれずに半袖を着ています。札幌にも遅 い春が来ています。
 

* お歳   1.4.11
 暖かくなり、明け方、お布団の中で猫の様にのびをして、ふくらはぎがつれたりで寝過ごしました。まだ 少し痛いので、今日のバド(ミントン)はパスばかりでしょう。 ハイ  お歳です。
 

*  仕事   1.4.9 
 今夜のきみのメールは、アイサツは、少なくもわたしには、まさに期待した通りのものです。日々の大半の時間をそれに注ぎ込む「仕事」が、面白くも楽しく もなるほど、いろんな意味で生産的で健康で力になるものは、無いはずなのです。それでこそ、いいのです。
 わたしは、狂気のように忙しい勤務の時期を永く体験していましたが、会社環境はとにかくとして、いつも仕事には満足し、たとえ不満に始まった仕事も、工 夫して、自分なりに面白い満たされたものに作り替えてゆくようにしていました。だから、創作にも打ち込めたのです。仕事の不満の埋め合わせとして創作へ逃 げたのではなかっのです。編集者として評価されていたそのことか創作者への力になってくれました。きみのいまの心境を、嬉しいなと読みました。元気で。健 康にだけは留意してください。いつでも声をかけてください。
 

*  手応え   1.4.8
 秦さん、ご無沙汰しております。だいぶ暖かくなってきましたね。今日などは外を歩いていて汗ばむほどでした。お元気にお過ごしでしょうか?
 年度も替わり、またあらたに後輩もむかえ、いつの間にやら社会人4年目になってしまいました。
 仕事上は、まあまあ順調だと思います。まだまだ身につけるべき事、勉強すべき事は多いですが、それもまた、目的がはっきりしているためか、楽しく感じま す。
 学生の頃、仕事とは生活してゆくための必要と、社会の中で生きて行く条件としてするものであり、人間としての本来の生活や、生きる意味は、それとは別の ところにあると考えていました。(あくまで自分自身においては、ですが。)
 でも、現在の自分の目には、日々に立ち現れる様々なこと、それと関わってゆくことが、実は、人間として生きることの、重要な大きな部分なのではないかと 映るのです。
 生きる意味とは別のものであると捉えていた仕事の中での、一見些細なこととの関わりもまた、紛れもなく生きていることの一部なのだと。
 逃げの心理なのかも知れません。
 この世界の真の姿を、ただ深く追い求めることこそが、生きるということ、という思いも、ごまかし難くあります。
 それでも、日々の生活の中での様々なことを、関われば関わるほどに確かに返ってくる手応えを、実はただ意味のないこととである、とも言い切れないので す。
 詰まらないことを考えているのかもしれません。。
 でも、そんなことを考えながら、今は良いけれど、ほんとにずっとこうやって生きていくのかな?などと、正体不明の焦りのようなものも、時に感じてしまい ます。
 それでは、どうぞお元気でお過ごし下さい!
 

* 日本の文字    1.4.4
 創作シリーズ17「加賀小納言」「或る雲隠れ考」「源氏物語の本筋」お送りします。
 お蔭様でゆっくり読めます。どこまで読めているのかわかりませんが、面白いです。「かげ」小納言とは、さすが紫おばさんてぇのは、やるもんですね。田舎 のおじさんは、他では味わえない満足をしています。いつもながら感謝で一杯です。
 「電脳社会」の文字のこと、本当にごくろうさまです。
 素人考えで叱られそうですが、コンピュータを文字に合わせるべきで、文字をコンピュタに合わせてはいけません。
 日本の文字が、世界中の文字が、大切にされるよう祈っています。
 BTRONのOS「超漢字3」の講習会というのへ行ってきました。空いていて、講師1対受講者1でした。とろい生徒に親切に教えてくれて、これはよかっ たです。
 桜に雪、地震も近づいているようで不気味です。お大事にしてください。
 

*  湖の本    1.4.3
 桜と雪がいっしょに舞った日に、お送りいただきました『湖の本』エッセイ22「能の平家物語」を読みおわりました。ためいきと共に。
 ずっと遠ざかっていた、というよりは正しくは一度もきちんと対峙したことのない世界に呼びいれていただき、心の底に沈んでいた無数の小石の間にじわっと きれいな水がしみいった気がしました。「十六」の面の写真の見事なこと! 面といえば、中学生のときに演劇コンクールで岡本綺堂『修善寺物語』を出すにあ たり、面をつくる仕事場を訪ねたことを思い出しました。私は妹のかえでの役を演じたのです。
 そんな他愛もない個人的な思い出をふいに浮かびあがらせてくれたのは、エッセイ全体に流れる筆者の息遣いでしょう。小督や巴に再会できたのも嬉しいこと でした。
 「私語の刻」で、ほっと息をつき、『pain』について触れられているのが、ことのほか嬉しく、ああ、このように書けるのだと感じいりました。舞台は好 きで、脈絡なく観ていますが、なかで『pain』は忘れられないものを残してくれています。
 数日前にフィレンツェ歌劇場の『トゥランドット』を観て、次にチケットを買ってあるのが山海塾であり黒テントです。
 来週は17年ごしで自宅近くのコミュニティ会館に演奏家をおよびして開いてきた「タウンコンサート」で、今回は田口真理子さんという若いピアニストの演 奏です。900円で本格的な(こういう言葉は好きではありませんが)リサイタルを地元で聴いてもらおうというもの。こういう流れに身をまかせていると『湖 の本』は、確かなもの、絶対に必要なものへの憧憬を思い起こさせてくれます。
 ありがとうございました。
 

*  かわり目     1.4.3
  小雪が舞ったかと思えば、ぽかぽかの日和。桜も少し驚いているのでは、と思うような日が続いています。でも、そろそろ花粉症も治まる頃ではないでしょう か。
 昨日、所属する国立研究所が独立行政法人に移行し(正確には一昨日ですが、)研究所の名称から一斉に「国立」が外されました。ほかの研究所は独法化して も「国立」を名乗れるにも拘わらず、文化財を扱うという、およそ世の中の研究所の中でもっとも「国」の信用を借りなければならないこの研究所に限って、唯 一「国立」の称号をはく奪される事態には首をかしげてしまいますが、これがいわゆる「とかげのしっぽ切り」というものなのでしょう。それに相応しい、弱小 の研究所ですし。
 育児休業中ですが、辞令を受け取りに久しぶりに顔を出した職場では、新しい人的体制が整備されつつあり、覚悟の休業だったもののこの状況の中に身をおけ なかったのは、少しばかり口惜しいような気もいたしました。
 新しい業務内容に関する公式文書等にざっと目を通しても、研究所内の攻防、合併することになった相手研究所との攻防、ひいては所属庁との攻防と、さまざ まなものが読み取れ、平安の昔からお役人が一字のために身を削っていた歴史が、もはや文化となって沁み通っているのが感じられて、当事者としては、それで 煮え湯を飲まされてむっとしながらも、この歴史的諧謔を少しばかり笑ってもしまうのです。
 正確には覚えていないのですが、藤原道隆が病に倒れ、息子の伊周が文書内覧許可をもぎ取った際、お役人が「関白の病中の間」と書こうとすると、そばから 伊周派の高階信順が「関白の病の替」と書かせようとして失敗する、という有名な話がありますよね。当節のお役人はそんなに根性はないため、気がつくと高階 の子孫(?)の言葉通りに宣旨が変わっていることがままあります。してやられた!と。
 こういう楽しさを味わえなかったのが、すこしばかり残念ですね。
 あとは、業務内容は当面かわりませんし、休業することに大した心配もしていないのですけれど。
 それよりも、こんなときに休んでいる人間が出て、周囲には申し訳ないなぁと、そればかりが身の竦む思いです。
 職場が上野で、ちょうど満開のときに行ったわけですけど、なぜか山のように積もっていた業務や雑用をこなしていると、預けてきた母乳のストックが底をつ いた、という連絡が入って飛んで帰ってきてしまったため、花見は来年までお預けになりそうです。昨年の花見の季節は海外出張中で、ポトマック川のほとりの 桜を見ていました。
 今年は鎌倉で、窓から山々の桜を眺めていられる幸せを堪能しています。
 なじみがあるせいか、染井吉野よりも山桜のほうが、私にとっては愛着があります。耽美的な染井吉野より、野趣があるせいでしょうか。山桜の下には、屍体 は埋まっていなさそうですものね。
 いずれにしても、この風ではすぐに散ってしまいそうですね。寂しい限りです。
 書き始めると、まだまだ長くなってしまいそうです。このあたりで、失礼させていただきたいと存じます。どうぞよい春をお過ごし下さいませ。
 

*  名残の茶   1.4.2
 今日はお酒でなく、お茶の話です。4月は私にとって名残の茶の時期ですの。5月に新茶ができると、静岡の茶園から、煎茶と紅茶を一年分一括購入します。 すぐ売り切れてしまうので。
 人に差し上げたり、自宅で振舞ったりしたあと、100gずつの袋になっているのを、大きな密閉容器に入れておきます。
春、容器の底が見えてくると、新茶の頃とは違い、みごとな吝嗇雀になり、大事に大事に喫んでいます。
 

*  天平の甍    1.4.2
 今日は寒い中、桜が満開でした。先生は花見にお出になりましたか?ぼくは、用事の合間に少し、桜並木を歩きました。けれど、こうも寒いと桜を見ても春に なった気がしません。 とはいえ、、もう4月なのですね・・・。
 ぼくは、先日体調を崩し、仕事もますます厳しくなってゆき、心身とも参っています。
 ある日、もう駄目だと思い、短編小説を購入し、半年ぶりに読書をしました。
 裏表紙のあらすじに魅かれ、購入したのは、「天平の甍」。実はこれが初めての井上靖の作品です。
 単純な言葉でしかいいあらわせませんが、登場する留学僧各々(日本に鑒真を連れてきた僧、膨大な経典を写経した僧、中国全土を放浪した僧、そして、還俗 妻帯して家庭を築いた僧も含めて)のシンプルでストレートな人生に圧倒されました。
 作中、栄叡という僧について、「瑜伽唯識を業となす。」という記述があり、瑜伽唯識という言葉への脚注に、瑜伽(主観客観の合致した境地)、唯識(天地 の実在は心からであって、すべて客観的なものは空であるとする唯心論)とありました。
 こういう思想を以って彼・彼らが生きていたということ(その結果栄叡が鑒真の人生を実際に動かしたこと)に対して、時代の違い以上に、ロマンチシズムを 感じさせられました。案外、人生を歩むには、こっちの思想の方が、より適しているのでは?(ロマンチシズムなんて言っているから、ぼくは、いつまでたって も甘ちゃんを脱却できないのですが、24時間サラリーマン生活を続けるうちに、いつしか「行動」という言葉に疎くなり、そういう感想が出てきてしまいまし た。)
 筆が収まらなくなりそうなので、この辺で失礼します。それでは。
 

*  来む春   1.4.1
 御褒詞有難く拝見いたしました。励みとなります。
 櫻を見に行こうと思う気持ちと、その隙に雑事を一つでも多く片付けたいという気持ちが重なっています。
 「熊野」の主人公になったつもりで、「花は春あらば今に限るべからず」と思い、「また来む春には」と身を慰めておりますが、さて、また来む春があるかど うか心許ないかぎり、やはり花は一期一会、見たいときに見ておくべきかも知れません。ただし、この寒さで、東京と違って佐倉の櫻は、来週にずれ込みそうで す。
 

* 一期一会   1.3.31
 とうとう三月も終わりになりました。宿題が大変遅くなって申し訳ありません。たったこれだけのものを纏めるのに一ヶ月近くもかかってしまいました。
  纏めながら、高等学校で美術の専門教育として、如何してもしなければならないことは何か?を考えつづけていました。そして、やはり「写生だ」と思いまし た。「観察し、忠実に写しとる」これを繰り返し行うことで「観る力を養い、造形の力を培う」ことが何より重要な基本だと言えそうです。大学でだって同じで すね。
  しかし、実際には毎日毎日写生の繰り返しをするのは退屈なものです。ここで秦さんがたびたびエッセイで言っておられる「一期一会」の精神が重要になるので すね。
 

* 初便り    1.3.31 
 こんにちは。いつも「湖の本」を楽しみにしております。北海道の*です。昨日エッセイ22が届きました。いつも見返しへの辞をいただき、有り難く、お礼 申し上げます。
 こちらはようやく春らしい風が吹くようになりましたが、まだまだ雪も多く、朝には気温が零下に下がります。桜が見られるのは5月下旬、それも色の薄い蝦 夷寒桜(山桜)です。
 御地では花見の盛りでしょうか。上野や墨田川沿いが賑わう様子と、青いテント住まいの人々との対比が思い浮かびます。
 なかなかHPを拝見する機会を得られなかったのですが、ようやく辿り着きました。盛りだくさんにトップページが膨らんで、どこから読み始めたら良いの か、少々迷ってしまいました。それにしても遠大な目標を掲げられたことと驚くばかりです。
 私の住んでいる町は北海道でも一番の山奥、人口1,900人余と静かなところです。
 古書店はおろか、雑誌でさえ購う事がままなりません。もっぱら通販と出張時の纏め買いの繰り返しです。最近はインターネットで色々な事を楽しむ事もでき るようになりましたが、やはり活字は、画面ではなく、紙で読みたいというのが正直なところです。
 「湖の本」も、書架の一隅にその存在を確かにして納まっています。本の背を眺めながら、こんな状況でも本を読むことのできる幸せをしみじみと感じていま す。
 これからは時折このHPを覗かせていただきます。
 思いつくまま書きましたがお許しのほどを。ご自愛ください。
 

* 十六   1.3.30 
 「仕事は遅いほうではない」というようなこと、おっしゃってでしたけれど、まあ、びっくりいたしました。さっそく、お目を通してくださり、身に過ぎたお ことばを添えて、「のぞみ」並みの早さで、「e文庫-湖」に掲載してくださいました。うれしうございます。
 「十六」という題に、はっと、胸をつかれ、そして、なんという佳い題をくだされたものかと、目頭があつくなりました。永遠に十六歳であるおとうとへの何 よりの賜りものでございます。
 『修羅』の箱、そして、このたびの「湖」の扉の、あの「十六」、それから舞台の敦盛や経政をおもった、わが思いあがり、おゆるしいただきとうございま す。一所懸命生きた少年ということで。
 幾箇所かに、ふりがなをつけてくださいましたお心配りも、かたじけないことでございます。
 いま、「絵本」を、縦書きにしてプリントさせていただき、読んだところでございます。 「セキツイカリエス」ということばを、わたくしも少女のとき、知りました。長女であった母の末の弟、叔父さんというには若過ぎて、みき-おにいちゃんと呼 んでいましたが、それを病んでいました。『「世の中」というところ』へ出てゆく間なく、あの世というところへ行ってしまいました。
 おとぎばなしめかせているけれど、こわれそうなうつくしさと浮游感、その裏にうっすら刷かれている酷薄。繊細な少女の目がとらえた、かの日かの時かのと ころ。もう、地上のどこにもない──。
 忘れていた記憶を呼びさまされ、わたくしが、亡きひとに捧げ得なかったことばのくさぐさに思いいたったりしました。はては、「小さな木の寝台」に少女の わたしがすわっていたり……。
 かなしくてうつくしい刻を分かち与えていただきました。
 ねむりにくい夜になりそう。しずかにおもうことにいたしまょう。この詩を、わが亡き人たちを。
 

* 出逢い   1.3.30 
   じれったい私の作品のために、大変御面倒をおかけし、心より御礼申し上げます。
 中学生の時にビートルズに出会い、音楽に傾倒してから、30数年聞き続け、今も音楽を中心にしたお店で働いております。音楽は私にとってただの趣味では なく、生き方そのものであり、また、はやり廃りとは関係なく、詩や音作りに思想や哲学を持ったものに惹かれてまいりました。そこがうまく書けないのです が。
  私の若い頃は、人生の模範にしたい人が見当たりませんでした。芸術に貴賎があると思っている一部の中には、ろくに教育を受けていない4人の若者が(ビート ルズ)大きな才能を持ち高い評価を受けていることに耐えられない人もいました。しかし彼等は、国を超え言語の壁を破り、世界中の若者を熱狂させ、あらゆる 決まりごとや権威主義を破壊しました。
 作中のグレイトフル・デッドは、その詩がビートニクの流れを受け、オリジナリテイ溢れる音楽で多くの若者をやはり熱狂させました。かれらの音楽からは、 激しく鳴らせば強い気持ちが伝わるものではないと、むしろ研ぎすまされたやさしい音のほうが、ときには強い気持ちを伝えることができると、教えられまし た。音楽を集中して聴くことは、自分以外のすべてのものを見ることだとも。日本人のなかにはただのヒッピーバンドと捉える人もいるようですが、かれらは多 様な音楽的実験を試み、他のバンドに先駆けてインターネットで世界中のフアンに情報を発信していました。ほとんどのロックが巨大音楽産業に飲み込まれて行 く中、決して自分たちのやりかたを変えることなく全米ナンバー1ヒットも飛ばし、95年のリーダーの死をもって、30年の活動に終止符をうちました。
 音楽以外では、70年代の激しい時代のうねり、映画やアートに強い影響を受けました。
 

* 戦争映画   1.3.28 
   世に映画の種は尽きじとツクヅク思います。試写で観た映画「スターリングラード」は、全シーン、その地でのロシアとナチスドイツとの歴史に残る実質ドイツ 敗退の壮烈な戦いで、狙撃の名手であるヒーローも、実在の人であったそうです。
 最初から何か変だと思い、すぐ気付きました。アメリカの戦争映画は常にアメリカ兵が主役なのです。この映画はロシア兵が主役です。時々錯覚しそうになり ました、時代は少し変わったようです。対立の政治状況で、第二次大戦中の物も含めソ連を良しと描いた映画を観た記憶が、私にはありません。
 観客の大半を占めていた若い人の実感を聴いてみたかった。子どもの時ながら戦争の被害も多少受けた私など、悲惨な戦争は未来永劫映画の中だけで結構だと ツクヅク思いました。
 「グラデイエイター」もビデオで観ました。さすがに今年のアカデミー賞を取るだけの観ごたえがあり、昔のハリウッド大スペクタル映画「以上」の何かを彷 彿させました。
 

* 今日、色々と考えたこと    1.3.26
 ご無沙汰しております。
 今日、来年度予算が成立しました。私自身は、昨年6月くらいから、約10ヶ月間を経ての成立です。予備費や経済対策、補正予算など色々紆余曲折がありま したが。
 いずれにしても、予算が成立したことにはほっとしております。審議がしっかり行われたのか、とか、そんなに沢山のお金を使って何をやるのか!等々付随す る批判は幾らでもあるでしょうし、我々自身に正直に回答出来ない問いも多々あるのは事実です。
 最近、特に思うのは、世の中には色々な事があるんだなぁ、という事です。良いこと(私が“良い”と思うこと)、悪いこと(私が“悪い”と思うこと)、ど うでもよいこと(私が“どうでもいい”と思うこと)、一つの物事を中心に渦巻く周辺事項は、世の中の人の興味を掻き立てるのに充分です。
 物わかりが良いつもりも無いけれど、世の中で批判されている事(つまり新聞紙上で批判されていること)であっても、いわれのない批判を受けていて、かわ いそうだなぁと思う事も多くあります。逆に、何でもっと批判しないのだろう、ということも。
 情報の公開は、今後どんどん進んで行くでしょう。しかし、全ての情報を全て無色透明の状態で享受する事は100%あり得ません。
 私も含め、人々の心底からの“思い”がとても重要だと思います。誰であっても、そういった人々の心底からの“思い”を、批判したり中傷したり無視したり することは避けなければ、いけないと思います。そうでなければ、人々が“思い”を持つこと自体を、止めてしまうかもしれないからです。悲しいかな、未だ我 々の国では、このようにでもして、そもそもの“思い”を持つ行動自体を、暖かく保護してあげなければいけないのだと、思います。
 そういった意味で、独断的な行政は、人々のやる気を失わせるだけで無く、無用な対立と緊張を生み、効率的な行政を阻害します。自らの“思い”は、まずそ の“思い”と反する“思い”を持つ人間に対して向けられるべきだと思います。そこでの対立は、“無用な”対立ではあり得ないと思います。昔からやられてい る(?)根回しとは、正にこのことかもしれませんね。根回しも、公開でやれば、素晴らしい討論となる(かもしれない)でしょう。
 少しずつ、人々の“思い”が目に見える様になってきました。この動きはとても、とても大事にしなければいけないと思います。そして、我々自身も自らの “思い”と他人の“思い”をぶつけ合い、新たな“思い”を作り上げる事に慣れなければいけないと思います。そのようにして作り上げられた“思い”は、何よ りもこの国、あるいは我々の町の行く末を託すのに充分な“思い”となっているはずです。
 何を言っているのかよく分かりませんが、色々な情報が私の頭の中を駆けめぐって、こんな文章になってしまいました。予算成立のけじめの文章を書くつもり だったのに・・・です。
 思い出したように、こんなメールを先生に出したくなりました。先生の“思い”と反する部分もあるかと思います。
 また、思い出したようにメールをさせて下さい。
 それでは、お体に気を付けてお過ごし下さい。
 

*   十六    1.3.25
   能のことはまったく判りませんが、口絵の「十六」という能面の写真には驚かされました。能面の写真は何度か見たことがあります。しかし、このような角度、 照明での写真は記憶になく、なにかご本のただならぬ内容を暗示しているようで、一気に拝読しました。
 平家物語とは、異本群のいわば総称であるというご指摘も興味深く思います。浅学の故でもありますが、平家物語はひとつとばかり思っていました。そういう 文学・芸能を受け継ぐ下地がわが同胞にはあったのかと、改めて感じ入っている次第です。能・歌舞伎が延々と続いている今日を考えれば、それは当然の見方か もしれませんが、それすらも忘れかけている現実の生活に恥じ入るばかりです。四十の手習いならぬ五十の手習いになりますが、ご本に刺激されて勉強してみよ うという気になっています。和歌もよく知らずに育った世代で、どこまで源平の世界を理解できるか心もとないところはありますが、日本人の精神の故里も知ら ずにものの書けるわけがない、とも思うようになってきました。
 

* 日曜日     1.3.25
   朝、目覚めて家事を済ませた後 テレビ朝日で、田中長野県知事の明快なお話に、一つ一つうなずきながら聴き入っていました。「権限」を尽くして地方行政を あるべき方向に迅速に動かしているので、「権威」はいらない、と。拍手したい思いでした。
 庭のゆきやなぎはほのしろい線をさまざまに交差させて揺れています。木蓮はもう白い花びらを惜しげもなく一面に散らしてしまいました。また春が通り過ぎ ていくのかと、ぼんやり庭をながめています。
 今日は安息日。少し家事をして、夕方は近くに住む母達と夕食しようかと思っています。
 

* 雨の日曜日    1.3.25
 如何お過ごしですか? 急速に暖かくなったので、暖かいのは嬉しいのですが、逆に体調の狂いそうな感じがします。
 昨日は中国、四国で地震。普段より長い揺れを感じました。神戸の時よりは、やや揺れは少なく物が倒れたりはしませんでした。
 梅、桃、桜をいっしょに楽しめるこの日々・・・最近お母さんを看取った友人と、泣き笑いしながら花を楽しもうと話しています。年に一度日本に帰ってくる 友人と会う約束もあり、この半月は忙しい・・。そして4月12日、シリアやヨルダンへの旅に出ます。
 

* 生きている     1.3.25
 やさしい春の雨です。
 光の中、レンギョウの咲きこぼれている様も大好きですが、けむったような衣張山を遠景に、柳の新芽に雨のふる様も大好きです。春眠暁を覚えず、とは縁が なく、春はいつでも早起きになります。もしかしたら、春になると冬眠から起き出す動物に近いのかもしれませんね。
 あたたかな知らせも次々に舞い込みます。恋愛がうまくいきはじめた、赤ちゃんができた、結婚するよ・・・。幸せの知らせは、寒い日にシチューをお腹に入 れたときのように、体の中から、私をあたためてくれます。シチューが人をあたためるのは、煮込んだ時間までも溶けこんでいるからという話を聞いたことがあ ります。幸せの知らせも、それを培った時間を溶かしこんで舞い降りてくるのかもしれません。
 先日の話題で、何のために生きるのか、について拝読しました。お答えが、私の思いに近いもので、なんだかとても安心してしまいました。
 今ではタフなおばさんになりつつある私でも、繊細な思春期には「なんのために生きてるんだろう」なんて思ったこともありました。そのころ、国語の教科書 に谷川俊太郎の「いきる」という詩が載っていました。記憶が定かでないので「生きる」だったかもしれません。全てを覚えてはいないのですが、生きていると 出会う小さなほろほろとした日常をひとつひとつすくいあげていったものだったように思います。
 その中の一行に「生きるとは 木もれびが明るいと思うこと」とあったように思います。
 これを読んだとき、本当に木々の間から光がこぼれ落ちてきた気がして、「ああ、こういうものを拾い上げていくことが幸せの一つなんだ」と思った記憶があ ります。
 人間は「生きる」ものではなくて、「生きている」だけのもののように思います。
 以前にお送りしたメールの中で、生意気にも、いつでも「見る」べきものは「見」た気がしてしまう、と書きましたが、「この世」という壮麗なオーケストラ に一員として加えてもらい、かつ、その奏でる音楽を毎日楽しませてもらっている身には、いつ「この世」のオーケストラからお払い箱になっても、「もう十分 に楽しませてもらった」と感謝して立ち去っていかれる気がするのです。もちろん、私はこのオーケストラのすべてを理解したわけでもなく、すべてを見せても らったわけでもないのですが、お裾分けでも十二分すぎるほどすばらしかった、という気分です。
 そして、そんな「この世」に立ち会わせてもらえたのは、「生きている」からだと思うのです。決して、能動的に「生きる」からではなく、「生きている」か ら。
 春というのは特に、人生のお買い得感を募らせる時期ですね。
 この雨が花粉を洗い流してくれるといいのですが・・・。御多忙とのこと、先生には長生きしていただかないと流麗なオーケストラの構成が崩れてしまいま す。どうぞ、ご自愛下さいませ
 

*  ご縁    1.3.24
   お手間をおかけいたしました。
 早速サイトを訪問いたしました。一つの項目を設けて掲載して下さったことに驚いております。文学作品の並ぶ中にあって、いかにも堅物な文章ですが、居心 地のよい部屋をあてがっていただいたようで、御礼申し上げます。いずれ同室に沢山お仲間が登場するであろうと、楽しみに待ちます。「メディア論」とやらは 最近の流行だとか。私はただ、自分が日々繰り返すパソコンを通じての書く作業、そしてパソコンを通じての人との出会いの「実感」を作文いたしました。お目 に止まった幸運を心から喜んでおります。
 段落の間を一行空けて下さいなどと、厚かましいお願いをいたしました。その願いも叶えて下さいまして、どうもありがとうございます。URLは、無くても 一向構いません。もし何かのことで興味を持って下さる方がおありになれば、きっとブラウザーの検索エンジンで探し当てて下さるでしょう。キーワードは読み 手が挙げて下さるはず。そのパズルのようなクイズのようなゲームのようなプロセスも、また興味深いものです。時々、思いがけない方から、「サイトを見まし た」とのお便りを頂きます。その方の興味と私のことばがどこかでカチリと合致することがあるのでしょう。特に海外から飛び込むメールには「一体どの様にし て?」と、このインターネットの仕組みの面白さを再認識させられます。もしもどこかにURLを入れて下さるのなら、私の文章の末尾にでも
  http://www.kitada.com/~keiko
とお書き添え下さい。この魔法の文字には思わぬ効用があります。
  > むかし、あなたの詩をはじめてみてイタズラのフリをしましたね。
  >あの、あなたの 詩を欲しいなと思いますが。
 あれは「イタズラのフリ」だったのですか(笑)。大変印象深いイタズラでした。でも、あれらの詩が秦様のサイトに並ぶ詩歌の列に加われるようなものでな いことは、私自身が一番よく心得ているつもりです。
 あの頃、私は表現したい思いだけに突き動かされて文を綴っておりました。パソコン・インターネット・ウェッブサイトという「道具と場」を得て興奮してい ました。たまたま読んでくれた知人から、痛烈に批判され、何度ももう止めようと思いながら今日まで来ました。
 私の工夫の一つは、「日記」であれ、「短歌」であれ、「これは英訳可能だろうか」と自分に問い、日英併記にすることです。海外の読者を求めているのでも あり、自分の書く日本語から「独りよがり」なところを削る意味もあります。その英語は単純なものですが、コンスタントに読んでくれる友人もいて、ありがた く思っています。それにしても、「毎日書く」だけが文章修行であるというのも、進歩がないように思えることがあります。もっと読書に時間とエネルギーを振 り向けたいと思います。これもなかなか思うようには参りません。勉強いたします。
 「書籍」が縁結びをしてくれたことに、やはり意味深いものを感じます。どうか御身お大切にお過ごし下さいませ。
 

*  いま絶望は早い   1.3.23 
   いま、妹尾河童原作の「少年H」を、妻と二人で見ていました。戦中戦後の旧制中学生の青春でした。いのちからがら戦火の下で必死に生きて、生き抜いた人も 有れば、不幸不運に死んだ人もいました、生きたかったのに。意味があり理由があって生きるのではなく、生きたことで意味を生みだしてゆく。そう受け入れ て、元気に、ねばりづよく生きて欲しい。音楽なら、ベートーベンやモーツアルトやバッハを超えたろうかと思い、文学なら、シェークスピアやトルストイや チェーホフを超えたろうかと思って、やすく妥協しないでねばりづよく進みましょう。この年で、わたしはまだ生きてきたと胸を張れない。きみは、まだ生き始 めてもいないようなものです。いま絶望するなんて、投げ出すなんて、とんでもない。せめて五十年後に絶望するなら仕方ないが。元気で。
 

*  生きる理由    1.3.22
   最近とみに思うことは「人はどうして生きているのか?」ということです。最近、僕は人生について深く考えます。  
 人は皆、どうして生きているのでしょうか。 生きていてもそれ自体が哀しいことではありませんか? なんで生きているのか分からなくなります。 別に欲 しいものなんてないし、あると言えば山奥に土地を買うことぐらいでしょうか。誰にも邪魔されず自給自足で暮らしたいと思っています。 もう人生というもの がなんのためにあるのかわからなくなっています。 お叱りを承知の上で先生にお聞きしたいです。「先生はなんのために生きているのですか?」 教えてくだ さい。

* お返事   1.3.22
  今回の質問には、あまり関心がありません。その理由を言います。
 「生きる意味」「なぜ生きるのか」と、若い人たちから何度も同じ質問を受けてきた気がしています。わたしも昔はそうだったろうか。正直のところ、そうい うふうにはあまり考えなかった。
 あらゆる質問の中で、答えにくいというよりも、答える必要のない、答えるのが無意味にちかい質問が、これだと、わたしは考えてきました。
 日々を生きるのに意味などありません。意味を問うて、どんな答えがあると予測しているのか分からないが、どんな答えもありえて、だから、そんな答えに意 味も意義も乏しいのです。人それぞれでしょう。人は意味を求め、意味が分かって生きているのではない。どう生きているかで、人それぞれの意味が日々に垢の ように生じているに過ぎません。そんな問いにわずらわされて四苦八苦するのはつまりません。相応の苦しみと、また相応の自覚と努力とで永い歳月を日々生き てきたと思うし、その積み上げが、わたしの人生です。積み上げないうちから意味を求めても無意味です。たとえて謂えば、相撲を取りもしないで、もし優勝し たらどうしよう、いや、優勝できなかったらどうしようと夢想し危惧しているようなものです。小説など一行も書かない人が、芥川賞を取ったらどうしよう、い や、取れなかったらどうしようと苦悶しているようなものです。へたをすれば、自分の怠け心をただ甘やかしたいために、深刻げにそんなことを「問う」てみる だけのハナシになりかねない。どう問うても、出るはずのない答えなのだから。
 「生きた」結果として優れた意味や価値の生じることは仮にあり得ても、日々を「生きる」こと自体に即意味のあろうわけはないのです。意味は、人が歩んで 創るのです。人それぞれの器量と努力により創られる「意味」が、甚だしく質も量も異なって来ることも甚だ自然なことです。寿命もものを言うでしょう。そこ に、終点の見えにくい道程がひらかれて在る。
 山奥でひとり暮らしたいなら、暮らしてみればいい。それにも用意が、努力が要る。真剣にそれを努めればいいでしょう。
 生きる意味を問うなんて、日を背に負うて、自分の影を踏もうとするぐらい、無意味です。わたしは、そう考えています。
 よけいな詮索に煩わされずに、一期一会の気持ちで日々生きて行けば「意味」はあとからついてくるし、しかも、そんな意味は、死ぬまで、死んでからでも、 そうそう誰にも評価できるというものでない。だから無意味なのです、生きる意味がではなく、それを「問う」ことが。生きてもいないで「問う」ことが。
 以上です。無意味な「意味問い」に心労するのはおよしなさい。
 

* 宿題    1.3.22
 相変わらずのトンチンカン、ご海容下さい。 今後も「表現者」「人文学の読者」という立場で発言させていただきます。  第2ステージまでの間に持ちましたのは、先ず、化け文字に出会うことの減った実感、及び撞着するようですが、相変わらず器械上ですうっとは再現できない 漢字のいっぱい有った実感、です。ATOK14ほど、ま、ポピュラーなものを使っていて、文字皿で目当ての文字は嬉しいほど見つかるけれど、貼り付けてみ ると、情けなく「?」としか出ない漢字が山ほどあります。文字セットにいくら漢字を山盛りしてもらっても、小判が木の葉に化けるみたいで役立てにくい。日 々に、今も、それを不満として痛感しています。送信した場合、向こうでどう受信されているのか、気がかりは減っていません。
 10646で康煕字典は殆ど全て、0213で地名・人名は殆ど入ったと聞いています。たくさんたくさんな漢字が、もう十分なほど標準化のために採字され ているこの事実と、器械上で、簡便な実用のために実装(と謂うのでしょうか)されていない事実との落差に、絵に描いた餅を睨んで、相変わらず困惑していま す。私の無知なのかも知れません。
 難しい話も話で必要でしょうが、文字コードをもう与えられたか、与えられる予定になっているか、の漢字群を、「?」でなく、一字でも多く、一日も早く、 いつでも、だれでも、どこででも、どんな器械ででも、文字そのものとして「使える」ようにならないものかというのが、文字コード問題の素人の、相変わらず の目下の希望です。前進して欲しいのはこれだというのが実感です。順序で謂えば、これが一番先です。
 日常使用頻度の高い95%の漢字は、すでに実装されている感覚でいます。正確な数字ではありませんが。しかし図式的に謂えば、その95%は、漢字全体 の、よく見て1 %ほどかと思われます。10000字を仮にいま器械の上で自在に利用可能としても、残る99%、よほど少なく見積もって、99万字が、器械の内部ではまだ 行方不明であるわけです。
 これだけの数の文字を、ひょいひょいと取り纏めようとすればするほど、作業は絶望的に投げやりな、無方針・無方法なものに陥るでしょう。大河の砂漠の底 へ吸い込まれているのを汲み出そうというのですから。しかし、漢字文化と文化財の、未来にわたる享受と研究とにとって、誰もこれを放擲して済むといえる権 能はもたぬ以上、根気よく汲み出す作業と努力は、文字を拾い出しては文字コードを与え実装する必要は続くと謂うことです。
 超漢字や文字鏡の、また多くの過去の字典の積み上げで、全体を百万字と仮定すれば、すでに十数パーセントほどは文字の姿が見えています。おそらく、さら に15%も積み上がれば、つまり30万字、ぜんたいの70%水準まで引き算したあたりへ第1目処を置いて進むのが、しかも途中に的確な通過目標を刻んで進 むのか、甚だ上等の姿勢ではないかと考えます。
 世代を越えて根気の要る仕事なのだと大きな腹をくくるのが、肝要の原則です。居催促めく取り込みを煽り立てるのは、むしろ、ぶちこわしになりかねませ ん。必要なのは、そのもう15%を、1%ずつでも減らしてゆくのだという気概と、何よりその方法ではないでしょうか。「コンピュータ時代」の、これは国家 的な、時世的な、器械上の大漢字編輯事業であり、一委員会の手作業でなどとても不可能、全国の国語と人文学系、各大学、研究施設・研究者、ないしは各界表 現者たちの、年度で節づけながら多年にわたる協力に期待し、委員会は、送り込まれる相当量の重複の予測される文字情報を「束ねる」機関として長期に機能出 来るよう国家的な対策を期待すべきだと思います。そのための知恵を絞り手
段を構えることが出来て関係省庁の理解と協力が得られる道、それを模索できないでしょうか。
 何故かなら、一定短期間にむやみに集中して漢字を拾い上げてゆくなどという方法は適していないからです。どの文献・テキストのどの漢字が現に器械で使え ないか、あるいは字典にも出ていないかは、それらに従事している人を通してしか見つかり難いものだと思うからです。
 一朝一夕の仕事ではない。むやみと拾い出せるものでなく、極めて見つけにくいとも、しかも無数にあるとも、両方謂えることですから、簡単に短期間にどう にか成ると考える方がおかしい。短兵急に姑息な結果を求める前に、息の長い、持続の利く段取りを固めることです。
 たいへんなようだけれど、第1ステージでも何度か言いましたが、基本的な文献や資料の一つ一つを、「これは大丈夫です」と点検し続ける作業から入ってゆ くのが、急がばまわれだと思う。拾う文字の重複は出ても、確実で安心が利くし、施設や人の関心により、具体的に分担精査を依頼しやすい。
 作業に大事なのは、文字コードで無条件に現に再現できる文字例を、ユーザーのだれでも利用できるハンディな文字表にして配布普及し、さらに、実装はされ ていないが文字コードをすでに与えられている漢字についても、誰もが見やすい文字表を作って置かないと、ロスが多くなりすぎます。これは日頃の実感です。
 漢字を可能な限り全部文字コード化することは、出来るか出来ないかの問題ではない、成すべき国民的な事業なのであり、出来ない理由付けなどはしなくて良 い。出来るもの、成すべきものとして、さ、いつまでにかと、ここで居催促気味に煽るのは、繰り返しますが、「やらないでおこう」と唆しているのと似たこと になる。そう感じます。コンピューターの能力は百万漢字に堪えないというのなら話は別ですが。
 日本の古典文芸、現代文芸、漢文日記・漢詩、古文書・抄物、祖師等の仏教著述、日本の正史、その他歴史的文献、代表的な仏典、四書五経、代表的な中国史 籍・詩文、中国朝鮮の人名・地名等にまず適切に大分けし、然るべく精査照合の「分担」の依頼できる道筋をつけてゆくことは強ち不可能ではないと思われます し、迂遠なようで最も基本的基礎的な精査の作業として、一度はこういう方法で通過しなくてはいけないものと、個人的には想い続けてきたことを、繰り返しま た申し上げて、今回の答えに替えたいものです。まるで見当違いかも知れぬと懼れながら。この余は、思いつけば会議で申します。

* 凍み渡り   1.3.20
 おはようございます。「凍み渡り」とは、積雪の表面の凍った上を歩くことを言います。放射冷却の朝、またはしんしんと冷え込む夜道を歩く時の、楽しい寄 り道。新雪に足跡をつけることと並んで、子供の頃の(いえ大人になってもですわ)遊び。
 土産物店に、新潟方言の番付手拭が出ていました。地方が違い、知らないものもありましたが、雀の両親でさえ懐かしがる、古い言い回しを、いくつも思い出 させてくれました。
 今年は、苺の新品種ができて、只今売出中。「越後の苺、越後姫」といいます。「い」と「え」の区別しにくい越後人にとっては難しい早口言葉です。
 

ミンダナオから      1.3.19
  hatakさん  フィリピン・ミンダナオ島のダバオにいます。札幌を出る時は−10℃。ここは+30℃なので気温差40度です。体がびっくりしていま す。
 今朝は午前3時に起きてマニラから国内線に乗り、朝7時にダバオの空港に到着。それからすぐに調査を始めました。途中昼食をはさんだだけで、午後7時ま で、ずっと畑を回っていました。こうしてパソコンに向かっていても眠くて瞼がくっつきそうですが、メールを書いてから寝ることにします。
 調査を終えて山奥の畑から道なき道をジープで下ってくるころ、ちょうど日が沈んできました。空が紫色になり、太陽に暖められていた大気が少し冷えて、あ たりにうっすらと靄がかかりました。やがてすべてが黒いシルエットになりまし た。闇を切り開いてジープがようやくコンクリートの道に出、街の光がぼんやりと見えてきた時の感じを、どのようにお伝えしたらいいでしょう。不思議な気持 ちでした。「郷愁」と言う言葉が最も近い感じだと思います。幼い頃の感覚が一瞬だけ強烈によみがえりました。街に戻るまでそんな心持ちでジープの窓から外 を眺めていました。路端の粗末な家の縁側に家族が揃って暗闇でモノクロのテレビを見ている光景、家に帰るところなのか真っ暗闇の中を歩いている人々、車の ヘッドライトの先に浮かんでくるのはほんの一部の光景で、その向こうに広がる闇の大きさ深さを怖いほど感じました。昼間はどんなに太陽が輝いていようと も、ミンダナオの夜はまだ闇が支配しているのです。
 この感覚をどうしても今お伝えしておきたかったのです。これが北田敬子さんがご指摘された、「メールはいわば生きたままやり取りされる鮮魚」、メールの 効能なのでしょう。
 明日は6時に出発です。4時間のドライブをして、島を西海岸まで縦断します。
 電話がつながりましたら、またメールします。  maokat
 

* 窓越しの対話 電子メール   1.3.18
 随分のご無沙汰の上に、突然拙い本などお送りいたしましたご無礼をお詫び申し上げなくてはと思っておりましたのに、「私語の刻」でも触れていただきまし たこと、何と御礼申し上げたらよいでしょう。秦様の元には数々のご本が送られて来るに違いありません。見つけてお読み下さったことに重ねて深く感謝いたし ます。

> 御本の巻頭論文、さっそく拝見しました。こういう検討がいろいろに始まってゆかねばならぬ時期と考えていました。わたくしの電子メディア研究会でも、その 方へ関心を振り向けようとしています。

 秦様のご紹介下さる数々のメールを拝読しておりますと、メールそのものが貴重な作品である場合のとても多いことにあらためて驚きます。元学生さん とおぼしき若々しい文体、長く深く読書と思索を続けてこられたに違いない達意の文章、軽妙洒脱な含蓄ある短信など、「雁信」のページはおことば通りさまざ まな表現のショーケースのようです。全く書き手のことを知らなくても、文が自ずと語る場合のいかに多いことか。それが手紙ではなくメールだから可能になっ たのではないかと思えてなりません。少なくともああして公開され、不特定多数の人々に共有されることで幾度も新たな命を与えられることになる文章は、イン ターネット時代の申し子といえましょう。「書簡集」として大仰な装丁を施され書店に並ばなくとも、余程多くの読み手との出会いに恵まれるに違いありませ ん。
 皮肉なことに、最近メールのやり取りや日記、雑文などをそのまま活字にして出版する風潮も出始めています。私は店頭でそれらを立ち読みしますが、まず買 うことはありません。紙の上に印字されたとたんに、オンラインではさぞ生き生きしていたであろうことばが、平坦な駄文の羅列に見えることが多いからです。 メールはいわば生きたままやり取りされる鮮魚のようなところがあります。こちらの海からそちらの海へ。あるいは湖から湖へ。その泳ぐ様をモニター上で知ら ぬ者同士も自由に眺める贅沢をする。それが秦様の「雁信」のページと、私は感じております。
 想像いたしますに、それでも公開されない文章の方がずっと多いのではないでしょうか。書かれた文脈を外れると意味をなさないものや、プライバシーに関わ ることを多く含むものなど、個人から個人に手渡されて役目を全うするメールは数限りないと思います。そうして人の目に触れずに幾千万の文章が、日々綴られ ラインを行き来していると思うだけでも圧倒されます。これまでも手紙の行き来は無数にありました。しかし、これほどまでに個人が自由に書く時代は嘗て無 かったのではないでしょうか。消えるには惜しい文章がネット上を行き交うとしたら、その実践の上に、表でひらく精華もあるはずと期待できるかも知れませ ん。
 「権威」が印刷され出版されるものだけを認知する時代は、そう長く続かないようにも思います。

> ホームページの試みも、いろんな方の電子メールをあえて取り纏めて公開させていただいているのも、いくらかはその資料を提示したいからで。どのように「表 現」が質を変えるのか変えないのか、新しい書き手の登場にむすびつくものかどうかと、「e-文庫・湖umi」はいま呼び水・誘い水を一心に用意していま す。

 新聞紙上でも秦様の試みが取り上げられているのを拝読いたしました。高揚した面もちでその切り抜きを手渡してくれたのは、パソコンともインター ネットとも無縁の暮らしをしている私の母です。母は目が悪いので、今からモニターと格闘するのは無理でしょう。強いるつもりもありません。私でさえ長くモ ニターばかり睨んでいると目がショボショボしてきて、頭痛にも襲われます。
 やはり電子本の普及には、画面上での読みやすさが最大の課題ではないでしょうか。縦書きや、エキスバンドブック形式など、様々な試みも進んでいますが、 未だ幾つものステップを踏まないと読みやすい表示に辿り着かないのが少々辛いところです。
 秦様のサイトにお伺いして私がいつも思うのも、この点です。誠に不躾な物言いをお許し願いたいのですが、「e-文庫・湖」にある作品の配列、レイアウ ト、目次、リンクなどが、今少し整備されたら、読者はさらに増えるに違いありません。ウェッブデザインという分野と文学とは、歩み寄り、手を携えて進んで いくものではないかと期待しております。私もこのことに関心とエネルギーを注ぎながら数年暮らしております。
 ある長さを持って初めて意味をなし感興を呼ぶ文学特品に相応しい表示(アウトプット)を考案していくのは是非若い人々の進出し開拓する分野として発展し て欲しいものです。特に、女性はこの分野に適性を持つ人が多いように思います。私事になりますが、自分の個人サイトの「新・三行日記」というものの背景画 像を、私はあるときから小学六年生の娘に任せてみました。毎月変わります。彼女は誰にも教わらずに体得した画像ソフトを自在に使いこなして、その月に相応 しい背景を提供してくれます。書き手である母親の注文にも耳を傾けて、工夫をしてくれます。彼女自身も自分のサイトの主催者ですから、親子とは言え私たち は同志、あるいはライバルでもあります。この切磋琢磨を楽しみつつ、私は次の世代の動向に注目しているところです。
 捨てたものではありません。比べるのは余りにもおこがましいと十分自覚しつつ、秦様がご子息の舞台に感じていらっしゃるであろうことに少し似ているか な、とも想像しております。

> あなたの巻頭論文などもこう新刊でなければすぐにも頂戴したいぐらいです。おゆるしがあれば、嬉しいことです。

 掲載して下さるのですか。(それとも私の読み違いでしょうか。)もし掲載していただけるのなら、光栄です。手元のテキストファイルを整備し直し、 近日中にメールに添付してお送りいたします。また、私自身のサイトにも同文の掲載を予定しておりましたが、それでも構わないでしょうか。
 ネット上に散らばる幾多のサイトが呼応し緩やかに連携を保ちつつ、新たな言語表現の地平を切り開いていくものなら、この時代に生まれた幸運を祝ってもよ いような気がして参ります。本日お送りいただきましたメッセージに強い励ましをいただきましたこと、あらためて深く御礼申し上げます。
 春未だ浅い日々、何卒ご自愛専一にお過ごし下さいませ。 
 

* ものの見方    1.3.18 
 湖の本の新刊お送りくださいましてありがとうございます。まだ読みはじめですが、興味深くて。
 平家物語は、中学の古典の教科書にあった部分を読んだ程度ですが、傍系には多少なりとも触れていたと思います。  高校生のときに読んだ三島由紀夫の「近代能楽集」に確か「熊野」があって、同じ頃、NHKで歌舞伎の熊野を見ました。当代の歌右衛門さんだったと思いま す。当時のわたしは物語の表面だけ受け止めていたなあと思い出しました。今は、というと、秦さんのエッセイの熊野のくだりを読んで、深く頷いた次第です。 物語は見方によるなあと。
 例えば「ローマの休日」。
 秦さんも映画がお好きなようですが、わたしがこの映画を初めて見たのは中学二年生のときでした。友人から、見せてあげると言われて。そのときわたしは 「ローマの休日」はもちろん、オードリー・ヘップバーンさえも知りませんでした。なんだかわからない映画をむりやり見せられて、正直言って筋も頭に入りま せんでした。しかし、人気のある映画ですので、テレビ放映も多く、何度か見ているうちに、今ではすかっりお気に入りの映画のひとつとなっています。なぜ多 くの人の支持を得ているのか理解できます。自分が変わっているせいなんだろうなと思います。
 源氏と平氏の物語の全体を知らなくとも、源平の合戦にまつわるあれこれは、小さいときから絵本やドラマ、ときには教訓めいた話の中で聞いたものです。牛 若丸と弁慶、富士川の戦い、義経の八艘飛び、壇ノ浦の戦い、など、ぽつぽつと思い起こすことができます。
 能は実はあまり興味を持てないでいますが、歌舞伎は好きで、そうなると、勧進帳をはじめ、義経千本桜、俊寛、熊谷陣屋、船弁慶などありますから、平家物 語はわたしにとってきっとおもしろい読み物になるのではと思います。古典を読むと、時代や習慣は違えども、人の気持ちの変わらないのに感慨を覚えます。今 回、秦さんのエッセイをよすがに平家物語を読んでみようと思いました。また、お能も然りです。
 湖の本ですが、継続して購読したいと思います。過去のものも、リストを見て追々注文させていただこうと思っています。 
 

*     1.3.18 
  今号は、なんと、能尽くし。うれしく楽しく拝読いたしました。
 ・女面について、小面のツレに恋をしてしまったとのお話。まさに私も同様の思いをした経験があります。「松風」で、妹の村雨が新しい真白な小面で現わ れ、古い面をかけた姉に比べて、あまりに初々しく清らかでしたので、「ぼくなら妹をとるよ」などと不謹慎な思いをもって観ていたような次第です。
 ・「清経」の「清」の字へのあこがれのことですが、今から10年ほど前、京都観世能楽堂で、清和師の「清経」を観たことがありました。お幕から、音もな く、いと涼しげに出て来た時、思わず息をのみました。その袖から出た手の指先の、武士のそれではない、極めて貴族的なほっそりとした清い美しさにうたれた のでした。「清経は清和に限る」などと思って観ていました。
 ・今年の「翁」は、銕仙会でした。三番三は山本則直師。農耕的にどっしりとしていて、いかにも地の霊を鎮めるという重心のしっかりかかった舞でした。う れしくて、思わず涙ぐんでしまったほどです。最近の若い狂言師の、気負いすぎてバッタのように飛び跳ねる鈴の段など論外です。
・「玉鬘」は、ちゃん付けで呼びたいほど好きな人です。
 ・・・・などなど、秦先生のお好みのお話に、つい膝を乗り出してしまいました。おゆるしください。
 「e-文庫」へのお誘い、誠にありがとうございます。拙作のうち、捨て難いと思う愛しい掌編がございます。ご批評のほどよろしくお願い申し上げます。
 

* 十六    1.3.18 
  五月の文楽は「一谷嫩軍記」の通し。
 花粉症は出ますか? お健やかにお過ごしでしょうか。
 「十六」のお写真を見つめていると、暗がりで、刃をかざし、その光で、血の色が映える喉の白さを、のけぞらせて見てみたい気持ちになり、すぐ頁を繰って しまうの。いけない大人の世界を覗き見た、思春期の胸の轟きが、痛みと共に蘇った気がしました。
 明け方の波打ち際で、美しい彼に、覆い被さってくちづける、秦さんのお姿が浮かび、<自分の視線は、共犯の目>と思うと、その官能に搦め捕 られました。知ってしまった秘密のエロティシズムに、心は震え、これからそれを抱えて生きていくのですわ。
 

*  バーミヤンの仏像破壊    1.3.16 
  花粉症如何ですか? 暖かくなったので恐らく悩まれてることと思います。が、あまりひどい状況でないことを願うばかりです。
 一昨日、本が届きました。15年を迎えようとしている!!15年、一口に言って納まらない、十分に重い歳月です。
 3月もまた足早に過ぎようとしています。世の中のこと、あまたあれど・・そうですね、最近のニュースのなかではアフガニスタンのバーミヤンの仏像破壊が わたしにとっては一番でした。実際に行ってもう見ることは叶わなくなってしまいましたが・・アフガニスタンは高校時代からご縁が、意識の上ですが、あった 国。外国の勢力を追い出していよいよ国が落ち着いていくかと思えた時から、なんと一転して国内ゲリラ同士の争いへ・・・その国の現在の状況は本当に辛いも のがあります。宗教は人を救うといいながら、なんと人を傷付け、憎しみあわせるものでもあるか、と思います。イスラムの教えの何が正当か、異端か・・別と して、自由について、女性の生き方をどう見るかにおいて・・わたしはタリバンの、イスラムの支配は嫌です。
 先のメールでわたしは「ロマネスクに疲れたらしい」というような意味のことを書いたと思うのですが・・・そんな単純な結論は出せるはずもなく、今月に 入ってからの自分の迷いや疲れは、ひたすら「眠る」ことで宥めて暮らしてきました。もう少し元気が出たら、きっと勢いづいて旅に出るでしょう! 但し、や はり桜を心いくまで楽しんでからです、そうしないと出発できません。
 元気にお過ごし下さい。大切に。
 

感歎   1.3.16 
このたびは『平家物語』を基底とする御本なので、わたくしの「知つてゐながら通じなかつた」点を多く学ぶことができまして、狭い眼界を拡げていだきまし た。周知の事実を採りあげながらも、それらのもつ「本当の意味」へ掘り下げてゆかれる鮮やかさ──感歎のほかありません。
 

* ダイヤモンド・ダスト  1.3.15
 ご本をありがとうございます。
 一度に読んでしまうのが惜しくて、一篇づつ、たのしみたのしみ拝読しました『能の平家物語』でございましたが、こたびはもう一篇の「死生の藝」というタ イトルに、と胸をつかれました。
 「蝉丸・逆髪」、いつもながら先生の「読み」に、魂のどこかが、ざわめき、「清経」の「あああの清経に自分が化ってみたい」に、わたくしにもあった 「化ってみたかった」ひとを久しぶりに思い出したりしました。恒平少年とは大ちがい、子ども子どもした焦がれの対象でございましたが……。
 二日ほど前、こちらは春の風花が舞いました。早春のひかりにきらめいて、ダイヤモンド・ダストという雪は、こんなかしらと見とれました。
 松篁さまが逝かれましたね。松柏美術館にゆきましたときのことを思い出します。おさびしく、偲んでおいででございましょう。
 木の芽どきは、気持ちがふらふらしがちで、しっかりしないと、歌舞伎座も、鑑真和上にも、逢いそびれてしまいそうで。
 

* 能面十六・雪の家   1.3.15 
 hatakさん。 湖の本66巻、新住所の方へ無事到着しました。発送作業のお忙しいときに住所変更をして、お手を煩わせてしまいましたね。
 あとがき「私語の刻」で、一度は諦めたカラー版口絵写真、「十六」にしばらく見入りました。学会誌にカラー図版を一枚載せると掲載料がいくら跳ね上るか 経験しておりますので、大サービスにただただ感謝あるのみです。
 三月三日『桃の節句』に、新築の四階へ転宅しました。窓からは職場が見え、古いサイロが見え、また札幌の街の灯も見えます。旧居の一階は半地下の駐車場 でしたが、雪が積もると車が入らなくなって、雪かきに難儀しました。新居も同様な構造ですが、こちらは床が路面より僅かに高く造られていて、どんなに雪が 降っても車はスムーズに出し入れできます。一年暮らして雪に降られ、北の家造りの工夫を知りました。引越代が良い授業料になりました。
 週末からフィリピンへ、調査に出かけます。ミンダナオ島の奥地へ入ります。夜灯があれば「能の平家物語」読んでみましょう。 maokat
 

* 「平家物語」は誰にでも    1.3.15
 「自分にとっての『平家』」のある作品のような気がします。好みの人物、好みの逸話、好みの台詞・・・目玉焼きの食べ方と同じで、誰でも一言は自分なり の意見を言いたくなる話ですね。
 私個人としては、知盛のファンです。
 「見るべきほどのものをば見つ」
 この台詞は、読む本によって異なることが多いですね。「見るべきものは見つ」や「見るべきほどのものは見つ」など。
浅学のため、信頼すべきものがどれなのか存じませんが・・・人は、いつでもどんなときでも、「見るべきほどのもの」を「見」終えているような気がしてなり ません。人生に恵まれている私の感傷かもしれませんが。
 毎日、「よく生きさせてもらった」という思いがどこかでたゆとうています。
 先週あたりから、家の裏で鶯が鳴きはじめました。
 まだきれいに「ほーほけきょ」と声が出ず「けきょ、ほけきょ」などとやっています。もうすぐ春本番ですね。わが家の食卓にも、新若布やあおやぎなどが登 場しています。
 桜が咲けば、杉花粉も少しはおさまると思います。どうぞご自愛下さいませ。
 

* 清い・静か    1.3.14
   昨日思いがけず、ポストに湖の本が届いているのを見つけました。前のメールで申し上げましたように、私は読書によって家族を飢えさせる名人ですので、本の 読み方に注意しています。とくに、秦先生のご本はいけません。ですから、湖の本はあえて継続して申し込みというかたちは避けておりました。
 先生の「私語の刻」で新しいご本を発送という記述を目にして、密かに「どんなご本かしら?」と羨ましくてしようがありませんでした。昨年末お送りいただ いた湖の本六冊は一度目を読み終わったところですし、秦先生のファンとしては新しい本を読みたいという欲求を抑えるのは大変なことです。しかし、家庭の平 和のために次の申し込みは五月の連休のころまで我慢しなくてはと思っておりました。
 ところが、湖の本の新刊が届いたのですね。これは私の願望が先生の無意識に届いたのか? ただ先生のお間違えか、それとも先生の家庭崩壊の企みか? (笑)とにかく私は嬉しくてなりませんでした。『能の平家物語』という題名だけで、本の頁をめくった先に広がる世界が想像されて、秦文学の世界に酔いしれ る気分です。
 「清い」と「静か」と、それが能の、また日本の美の真髄であると感じていた──。
 本のはじめにあるたった一行の文に魅せられました。数年前にドイツ滞在時の経験をもとにして、三百枚ほどの書簡体小説のような、エッセイのようなドイツ 文化論を書いてみたことがあります。ドイツの姿を描くことで、同時に日本の姿も書けたらと、身のほど知らずにも思いました。ドイツの一面を描くことはでき たかもしれませんが、日本の真髄に言葉を届かせることは難しいのでした。それを先生の天才はひと言で見事に、美しく表現なさってしまいます。ため息がでま した。「清い」「清まはる」というのはたしかに、日本を日本たらしめる、得がたい美質です。ドイツは静寂の国ではありますが、それは「静か」とはずいぶん 違います。ドイツの静寂の底にあるのは、硬質な、骨の髄まで人を蝕む孤独ですが、日本の「静か」はにじむようなやさしい、さびしい色合いをしています。
 先生のすべての作品のなかに「清い」「静か」な日本の美が流れていて、だからこそこんなにも私の心をひきつけるのでしょう。『能の平家物語』、この死な れ、死なせた人たちの不思議な稀有の世界に誘われていきたいと思います。
 この度は、ご送本いただき本当にありがとうございました。
 

* 少女と犬と海老フライ   1.3.13 
 お元気にお忙しそうで、何よりとお慶び申し上げます。
 いいご本が出来て、快調にお送りいただいて、受け取った人たちが、嬉しくて、楽しんで、こんないい話はありません。ありがとうございます。美しい製本を されている職人さんにも人のつながりを感じ、心より敬意を捧げます。
 ご無沙汰致しておりますが、こちらはほぼ毎日ホームページを拝見して、ウム、ウム、ウーム、と勝手につながっているような気になっていて、ずるいかなぁ と思ったりしています。
 先日、友人に秦さんの話をしたら、読んでみたいというので、郵便為替で「湖の本-贈りもの」注文書をお送りします。よろしくご高配ください。
 創作シリーズ13、14、15、16.txt」送信します。
 「みごもりの湖」ゆっくり読めました。
 「少女」もいいです。ポケットにねじこんだ海老フライは、きっと、あの老いた犬と半分づつ食べながら、また何か話をしたのだろうと、あの頃の本郷の町並 みを思い浮かべました。
 春になるのに、花粉には困ったものです。遠ざかっているのが一番ですが。
 そのほかも、くれぐれもお大事にしてください。
 

* 急に書きたく    1.3.13 
   ちょっと急に一筆書きたくなりました。というのも、会社から帰ってテレビをつけていたところ、画面は見ていなかったのですが,非常に共感する意見をおっ しゃっている方がいました.
 その方は,
 @ IT革命を米国の物真似で行うのではなく,真似るならその精神「率先して挑戦する」を真似よ。
 A ブロードバンド(高速インターネット回線)も良いが、それよりも前に,役所の書類のフォーマットを全てネットから引き出せるとか、漢字の問題といったこと を先に行うべき。
 B 日本は携帯電話を生かした「日本型IT革命」を行うべき。
というようなことをおっしゃっていました。あまりに興味深かったので最後に名前を見ると,その方こそ「坂村 健」さん
でした。
 それとは別にもう一つ、経済専門家のリチャード・クーさんが次のことをおっしゃっていました。
 「バブルの時も今も,日本人の貯蓄率(給料から貯蓄に回す金額)は変わっていない、これはもう遺伝子に組み込まれているとしか言いようがない」と。
 その後、森首相の経済政策は間違っていない、もっと税金投入を行うべきだとも。
 クーさんの「遺伝子発言」には共感しますが、仮に税金投入が必要だとするならば、もはや資本主義の限界,拡大再生産の限界のような気すらします、(資本 主義の権化のような会社に勤めていて何ですが)。株価もバブル以降最低を記録したとかニュースでは騒いでいますが、はっきり言って、実質とは乖離した雰囲 気に左右されるだけの相場に何の価値があるのでしょうか? (今日の12000円割れは、PCの心臓部CPUを作っているインテル社の業績が悪化したせいらしいですが、高々PCの一部に全経済を動かす力なんてあり ません !!)。
 最後に。
 仕事の方は来週末で落ち着きそうです。よろしければ、新しいノートPCの件も含め、いろいろお話しできれば、と思っています。先生の24,25日のご都 合はどうでしょうか?
 それでは,花粉症お大事にしてください。
 

* 雪虫  1.3.13  
  おはようございます。昨晩は返信を頂き嬉しかった。個対個のネット通信といっても多くの皆さんにお返事を出されるのは大変なことでしょう。ありがとうござ いました。
 昨日は湖の本と一緒に早々にベットにもぐりこんで、平家物語というギャラクシーの壮麗なきらめきを飛びながら見たような気がしたところで、眠りというブ ラックホールの重力に落ちてしまったようです。日月の白拍子やら公達の群星の瞬き、能装束の海が花畑、といった素敵な夢を観ていました。絵巻物の時間は横 方向に流れますが、平家物語が星雲であるという秦先生の作が、とてもとても気に入っています。
 山中で年老いた白拍子にあうような、ゾッとする様な孤独で美しい時の堆積を感じます。静寂が闇ではなく光の渦のように凄い力で押し寄せてくる・・まだ読 み始めたばかりなのに。
 私がこの本を手にしなければ知らなかった事、幻視していただけの世界が生き生きとして開けてきます。シンクロするってきっとこんな感じなんでしょう!心 地よく「水」を感じています。素敵なご本をありがとうございます。
 > 東京へみえる機会がふえそうですね。
 同じように慰めてくださいますね。
 風花まで舞いました・・青森では雪虫、と言っていたように憶えています。御身体大事に。鍼灸をお薦めします。
 アカウントネームが変った事 お気付きだったでしょうか。親しい人の勤める会社は、国内大手企業の中では社員の個人メールを管理しない数少ない会社だそ うです。私用メールチェックソフトは多く出ていて、利用している企業側の言い分はヘッドハンティングや機密漏洩の防止だそうですが。以前から気になってい て、せめてアカウント名を・・と変えた ところ『外人みたいでいい』と喜んでくれました。私のメールは漢字名で出てくるので、とても目立っていたようです。
 

* 松篁さん   1.3.12 
 上村松篁さんの訃報を夕刊で知りました。一度もお会いしたことはございませんでした。奈良、松伯美術館のビデオの映像にお会いしただけのご縁ですが、絵 にふれる機会は意外と多くありました。花鳥風月に描かれた、品格のある、柔らかく優しい絵でありながら、あの凛とした「目」に惹かれていましたの。せつな いですね。 ご冥福をお祈り申し上げます。
 

* 木蓮の帯   1.3.12 
 御無沙汰している間にすっかり春がやってきていました。時折意地の悪い寒気がやって来ては心身を引き締めていってくれますが、御身体は大丈夫でしょう か? 先日の静岡出張の朝は、自宅から見える家々の屋根が白く、息も凍っておりました。
 湖の本を受取りました。いつもありがとうございます。ちょうど読みたいなぁ・・と思っていたところ。
 今春は娘もいよいよ進学先を決めねばならず、さりとて希望どおりにはとうとう合格出来ませんでした。結局、去年と同じ東京の大学をもう一度受験しなおし て、いよいよ一人暮らしの運びとなりました。 とうとう1年間予備校に通わせて、地元の大学の学費も払い続けた親バカを残して行ってしまいます。ゆくもの あれば来るものもあり、いつまでも寂しがっていることもないでしょうが。
 2月3月はそんな事で おおわらわだったのです。28日、1日と上京し不動産屋巡りをしてきました。東京の、といっても娘の学部は神奈川になるのです が、住宅事情は驚異的です。特にこの時期だからかどうか・・くたくたに疲れて最後の最後で決めたマンションは少し予算オーバーでしたが、なんの要求もせ ず、私にお任せの娘には「せめてこのくらいは」という気持ちになってしまったようです。安全で健康にと、親の願いは何処も同じでしょう。日本も安全とは言 えなくなってしまいましたが。当地など、このところ毎日のように恐ろしい殺人事件の記事があり、とても嫌な気持ちになります。
 話はかわりますが、以前松江の近くに暮らしていた事もあって、小泉八雲が好きなんです。宍道湖に漁に出かける村びとたちが、昇ってくる朝日に柏手を打つ 姿を見て、八雲は『美しい日本人』と表現しましたが、そんな『美しい日本人』を見かけることが少なくなりました。
 それでも私的には、青年のはにかんだ微笑みや高齢者といわれる老婦人の立ち姿に『私的美しい日本人』を見つけることがしばしばあって、優雅な気持ちにな れる一時があります。そういう日は ◎ の日です。秦先生のお話にも『私的美しい日本人』が沢山出てきて・・それでご本を読むと ◎ の日になれるんです。
  今日、愛犬と散歩に出かけましたら、産毛の木蓮が膨らみ、沈丁花が咲いていました。白木蓮、沈丁花、大好きな花です。恥ずかしながら、娘がまだ幼い時に野 中の白木蓮があんまり綺麗で花盗人をしようとしたことがあります。その時、幼い娘が半べそをかきながら「お母さん、やめようよ〜、とっても悪い事をしてい る気分がする」といって私を叱ってくれました。春になって木蓮を見る度に思い出しますが 彼女は憶えているかしらん。
 そうそう、木蓮にはもう一つ、思い出が。小学校の参観日に、着物を着た母が木蓮の帯を絞めて来たのが子供心に誇らしかったのを憶えています。家に帰って すぐ衣桁に母の着物を見つけると、木蓮の帯を探したものです。
「私はこの花が大好きなの」
 これが新しい帯を買った父への言訳でした。(まだ、母がおさげ髪で、体重を気にしていた頃のお話。)
 母の実家にも大きな白木蓮の木があって、これがお婆さんの家の目印のようなものだったのですが、こちらは「花が咲いとらん時は大きいばっかでしょうもな い」という可哀想な理由で伐られてしまいました。一年中咲く花がよければ、造花で良いでしょうに。
 まぁ、なんてだらだらと長いメールに! 湖の本の発送を終えてお庭の梅でもご覧になっておられるのだとよろしいのですが、きっと忙しくお過ごしの事と思 います。おゆるしくださいね。ご本ありがとうございました。
 

* 飲むほどに、また、飲める   1.3.12 
 こんにちわ。タイミングの良さに驚きましたわ。先程[湖の本]が届きました。明日、早朝(故郷)に発ちますの。早速鞄に入れます。今回はややハードに、 「迷走」(上下)を友に、と考えておりましたの。決心はもろくも春風に蕩けて、秦さんの能の世界を、亀井広忠・大倉源次郎の、ハンサムな舞台姿を思いつ つ、楽しみますわ。
 「丹波」からの三部作も、読み返すと、以前と違う箇所が、心に語りかけてきます。「飲むほどに満足。そして、また、飲める。」これは、昨晩飲んだ、[澤 の井]のラベルに書かれたキャッチコピーですが、秦さんのお作も、同じですわ。お疲れが残りませんように。
 

* 京で囃子   1.3.8 
   先生、メールありがとうございました。文章の本当はわかりませんが、日頃、言葉づかいに気をつけるようなりました。話すことと囃すことは「仲間」と思い、 ともに勉強してゆこうと思います。
 〓京都にいくだけで、その空気にふれるだけで、時の流れがゆっくりになります。浅草ではできない新しく古風な囃子ができそうです。
 〓いつもそうですが、建日子さんのお芝居を観せていただくと涙がでます。心の奥の方、人には言えない部分からだと思います。今回もでした。冬と春の隙 間、過去をもう一度考え直しました。今後の活動目前の私の背中をおす舞台でした。感謝です。
 

* 黄砂   1.3.7 
   大陸からの便りはすごいです。今日は雪が降るかもしれないとの天気予報でしたのに。白い舞姫の姿はみえなくて、黄色いマントをひるがえした春告げの騎士団 登場です。山も街も淡いセピア色に霞んでしまいました。天がこぼした少しの涙は、騎士たちの足跡をそこかしこに残していきました。遠来からの来訪者、黄 砂。花の春、間近を喜びたいけれど、外に洗濯物が干せなくなってしまうの、ほんとにコマッタちゃんだわ。西東京へはお伺いしたのかしら?
 

* あほかいな   1.3.7 
 昨日、ぬくいな思たら、なンや今日はえらい冷えて。降るしよぉ。
 今ぁ、ニュース見ててンけど、黄砂やってンてぇ? 小学生の頃なァ、グラウンドが空中ごと濁ったようになってンさ。「中国から砂が渡ってくるんや」テ、 センセ教えてくれてん。
[ひゃぁ、あんな遠くから、海越えて来ンねンなぁ]思て、教室の窓から、外、見ててん。家帰ったら、洗濯もンやり直してンやんか、おかはん。でもなァ、 [うちら、大陸に向いとるンやな]テ、大きい気ィなったン覚えてますわ。
 太田(大阪)府知事、まだ、あんな事言ゥとる、あほかいな。おなごにでけんことあんねんで。ようさん。
 

* こころ   1.3.7
  はじめまして。 ホームページを愛読しています。毎日、膨大な量の更新と、またその文章の迫力に圧倒されています。
 『こころ』の講義録が、とても印象に残りました。
 また、日記の中で、表現のマグマを溜める必要性を述べられたときには、私自身のホームページをどうしようか、悩みました。
 『こころ』の講義録を読み、じっさいに『こころ』を再読したくなり、今朝読み終えて、ホームページに文章を綴りましたので、お時間があるときに目を通し ていただけるとありがたいです。
 なお、私は、少し前までの秦先生と同業者で、東京経済大学で教職課程を担当しています。新米で4年間終えたところです。『東工大「文学」教授の幸福』を 読み、深み・厚みには遙かな差がありますが、私と同じ地平を見つめて、実践されている方が存在することに、喜びを覚えました。今後とも、どうぞよろしくお 願いいたします。
 秦先生の日記にありました小森健太朗さんは、大学院での私の一年先輩です。但し、私には、小森さんのような文才はありませんが。
 それでは、花粉症にお気をつけて。失礼いたしました。
 

* 『最上徳内=北の時代』、上巻     1.3.6
 読み終えました。はなから、著者の誘導・誘惑にうなることしきり。膝をうち、ひとりごちするばかりで、とんと先へ進みません。あげく、脱線につぐ脱線。 時間をかけてじっくり賞鑑するしかありません。
 まず、冒頭の導入部の巧みさに感心し、プロットの心地よさに先へ進みかけては、タイミングよく挿入されるエピソード・アネクドートに引き戻され、ゆきつ もどりつ、これは実にちぢに心を乱される「問題書」であります。
 たとえば、楯岡(村山)は、むかし、体を鍛えていたころ、居合道の始祖・林崎甚助神社にお参りしたとか、友人の結婚式に呼ばれて、筍狩りをしたとか、思 い出が蘇ります。松前については、以前読みかけた明治期の地方(じかた)文書をひっぱりだすとか。
 私淑する森銑三先生、太田直次郎とか、『傷寒論』がでれば、トクホン本舗の祖にして、現代中医研究家から評価を受けている永田徳本の『傷寒論』に想いを 馳せるとか、でるわでるわ、とつおいつ、縦横に楽しく思い悩んでおります。
 誘導の主因は、飽かず「車窓」を楽しめる、駅弁を楽しめる鈍行の各駅停車、そして時に高速のタイムスリップの旅の企画と旅程管理の面白さ。車中で靴をぬ ぎ痒いところをボリボリ掻ける、といった感じもたまりません。
 もう一つ。誘導の手並みは、やはり、言文一致の「方法」の妙ではないかと、つらつら考えます。江戸の言葉が、庄内弁が、まったく生きているようです。と くに、江戸弁がいい。そして、語り部(ナレーター)のいまようの憑依の語り口が。そして、この時代に、果たして「普通語」(共通語)がどのようにありえた のか、あったのか。武家、公家、知識階級の共通語たる、主にリテラシイ(読み書き)を中心にした文語と、その延長線上のフォーマルな口語というべき「みや こ言葉とそのボキャブラリ」とは別に、地方には地方の口語(いま、謂うところの方言)があり、江戸には江戸弁があり、それが渾然と「はなしことばの日本 語」を成していたのか?想像は尽きません。
 中、下の巻に進む前に、一言感想を申し上げました。読後、あらためて一筆したためます。
 まずは、「二人同行」の御案内方、御礼を。
 ホームページの大字のフォント、だいぶ読みやすくなりました。拡充、慶賀に存じます。
 

* かしこ・ごめんくださいませ     1.3.5
 秦先生 「の」の用い方、お教え頂きましてありがとうございます。ほんの一文字ですのに、ずいぶんと文章がやわらかくなりますね。こういうことを、ご指 導いただける自分の幸せを感じております。以前のホームページでもこのことに触れていらっしゃいましたが、少しだけ「国語の先生」の俵万智さんの言い分を 肩代わりすれば、(個人的に思い入れの深い歌人ではないのですが。)確か、私の習った小学校の国語の授業では「主語を表す助詞」には「は・が」が挙げられ ており、「の」は含まれていなかったように思います。また、翻訳調の学術論文では、原因と結果を明確にするために「が」を多用する傾向もあります。ですの で、学童期には教えられず、文章をものする人たちが多いインテリ層(?)では「が」が使われやすいために、「の」の存在感が日本語の中でかなり希薄になっ てきているのではないでしょうか。自戒をこめて。
 日本語のやわらかさについてもう少し連想すると、手紙で「かしこ」を書く時に、肩のあたりがやわらかくなります。
 仕事上での手紙の末尾には性別を出さないように、との考えから「敬具」を書き記す常識がありますよね。キーボードで「敬具」と打ち込むのではなく、「か しこ」と手書きで記す手紙を書く時は私個人の手紙であり、それがどんなに気張った内容であっても「かしこ」を書く時に、背負うものが自分だけである身の軽 さを感じます。
 業務書簡は、たとえ添え状であっても肩の張る部分があります。
 もう一つ、電話の最後の「ごめんくださいませ」も同じ優しさを持ちますね。職場では電話を「失礼いたします」と切ります。実は最近まで、個人の電話でも 目上の方にはそう言っていました。
 ですが、先日年輩の女性から電話を頂き、最後に「ごめんくださいませ」と声の聞こえた時、そのやわらかさに息を飲みました。
 思えば、先生と同じ年齢の母は、道端で人と別れる時も「ごめんください」と言っていたように思えます。横にいて何度も聞いていたはずなのに、学習能力の 低い私は、他の方から直接にその言葉を向けていただくまで、全く身につかなかったようです。
 「かしこ」
 「ごめんくださいませ」
 この二つは、女が個人に還るときにだけ用いることのできる、やわらかい言葉。この二つを用いることの小さいけれどあたたかい感動は、本当はこうして文章 に綴るよりも、短歌にでもすべきもののようでもありますね。もちろん、私にはその能力はないのですけれど。
 風が強く吹き荒れていますが、光は力を持って春の訪れを告げています。本棚の上から私の手先を見つめていたミケ猫が膝にのってきました。そろそろお昼ご 飯の時間のようです。
 この風の強さです。花粉症、ひどくならぬよう、お労り下さい。
 

* つまむ   1.3.4 
 今日は天候の変化が激しく、雨も小休止でしょうか。曇って寒いですね。
 朝から先ほどまで、トリプルAからダブルAに格下げされた日本国債と株価値下がりに関連の政治責任を追求したテレビに釘づけでした。結局のところ、各専 門家の話から光の見える展望もなく、カオスとはこんな状態をいうのでしょう。責任の擦り合い。
 こんな「絵」 覚えていますか。
 娘に話しましたら、即刻、これでしょうと図録を持ってきました。
 やはりルーブルにあり、作者は不明、フオンテーヌブロー派、そんなに大きくない板絵です。なんとも面白い構図で、裸婦なのに劇場の桟敷にいる貴婦人にも 見え、無理して見れば、お風呂に入っているようにもみえます。一人が相手の乳首をつまんでいる図はなんとも滑稽なのですが、二人共しごく真面目な表情でこ ちらを向いています。背景にはキチッとした服装の婦人が暖炉の傍で、縫い物をしているのです。こんな絵をみると芸術的評価は無視しても、作者のドラマを推 測させて印象に残ります。
夢の中?
 

* 雛の日      1.3.3
 今日は娘の初節句です。明日から主人が海外出張で留守にするため、旧暦で祝うつもりで何も準備しておりませんでしたが、姉が小さなケーキを持って来てく れました。ケーキを前に、今晩はささやかなお祝いをします。
 雛人形は、母の、昭和初期のものを譲ってもらえるとのことで、買わないつもりだったのですが、小さな事情が生じて、先日デパートに買いに出かけました。
 そこでつくづくと感じたことは、私のような貧乏人が目だけ肥えてしまうと(と、いうほど目利きでもないのです。商売柄否応なく目につくことはついてしま う程度です)本当に哀しくなる、ということでした。
 「衣装着のお雛様」と謂われる、いわゆる首師と衣装師の分かれたタイプのお顔は、今年のメイキャップの流行を反映してか、なんと、お内裏様の下まつげが しっかりと描き込まれて、なんとも品のないものばかり。辛うじてこれならば、と思ったお内裏様も、紺地に白い兎の柄の着物を着ているのです。空いた口のふ さがらない私に、売り場の年輩の女性は、 「江戸小紋ですのよ」。
 なぜ、天子さまが江戸の、それも「小紋」など身につけねばならないのかっ、と頭に血が上りかけ、抑えるのに苦労しました。まだまだ未熟な私です。
 もう少しなんとかならないものか、と、呟く私は我ながら相当にイヤな客で、売り場の主任と思しき女性が代わりに出て来て、
 「今、原物はありませんが」
と言いながら、パンフレットで100万もするお雛様を見せてくれました。本当にものがよければ、一生ものですし、算段して清水の舞台から飛び下りてもよい がと覗き込んで、
 「この塗りのところは、漆ですよね」
 「いえ、カシューです」
 カシューは、漆とよく似た成分を含んでいて代用漆として用いられていますが、写真をよく見ると、カシューにしても光り方が妙なのです。言わない方がと思 いつつ、口にどうしても歯止めがかからず、
 「これ、カシュー100%じゃないですね、ウレタンが入っていますね」
 ああ、自分が店員だったらこんな客には絶対に来て欲しくない。
 そのときふと、横の写真に品のいい立ち雛があるのに気付き、その私の視線を感じたのか、店員も、
 「あら、それよろしいんじゃないですか」
と勧めて下さり、私もこれなら100万出してもいいかもしれない、と思ったのですが、すかさず横から男性の店員が、
 「お客さま、それは今年はもう売れてしまいました。ちなみにお値段は550万円でしたが」
 もう何も言えずに、その場で一番品のいい木目込み人形を買って貧乏人は早々に退散いたしました。本当は木目込みでなくて、衣装着のお人形がよかったので すが、ふっくらとしたその木目込みの引き目おたふく顔が、その場では一番うるわしく見えたのです。台は、もちろんウレタン入りのカシューですが、お値段は 薄給公務員にちょうどいい程度でしたし。
 ところで、延々と書き連ねてきたのは、私の愚痴ではなく(そう思われても仕方ないですが、)こういう部分から、伝統や文化が崩壊していくのでは、という 懸念です。
 子供は、自分の持ったものを基準にものを考えはじめます。ウレタン入りのカシュー塗りしか知らない子に、漆の質感を、その魅力などを書いた文芸作品をよ く鑑賞できるでしょうか。小紋を着るお内裏様を見て、西陣というロケーションに思いを馳せられるでしょうか。お台のすべてを漆で塗るのがコスト的に不可能 なら、木地枠でいいではありませんか。そして、枠のほんの一部、熟練職人でなくても容易く塗れる部分に、中国産でもいい、ほんものの漆を塗ることがどうし て考えられないのでしょうか。
 織りの着物が不可能なら、色無地でも、いい生地のものを着せればいいではありませんか。なぜ、品のない柄のそれも小紋を着せなければならないのでしょう か。
 私の仕事は、古いものを保存することですが、本当に保存しなければならないのは、もの自体ではなく、それを創りだす技術なのではとの思いが、日々強まっ ております。ものだけを後生大事にしていても、今、それをもう創りだせなければ空しいなあ、と、並んでいた下まつげの長いお内裏様に、なんとも言い様のな い思いを抱きました。
 伊勢などの「遷宮」という、あれは、技術のみの伝承の最たるものなのではないでしょうか。
 そんな中で、一つの方向性を示してくれる事象にも出会いました。
 先日、着物の展示会をやるので出てらっしゃいよ、と姉の友人が声をかけてくれたので、
 「冷やかしだけになっちゃいますけど」
と、出かけました。毎日家にこもりきりの私のために、主人も子守りを引き受けてくれましたし、場所も自転車で5分ほどでしたので。会場が、近くとはいえ古 い邸宅街の中に、昭和初期に建てられた能舞台まであるお屋敷、というのにも心惹かれたのは確かです。
 そのお宅は、今はお年を召したおばあさまが、お手伝いさんと一緒に住んでいらっしゃるだけですが、昔は、お能ばかりでなくこういう展示会も盛んに催され たそうです。ご親戚の方の「売ってマンションにしなさいよ」との言葉に耳を貸さず、死後には市に寄贈すると決めておいでのおばあさまも、見事な方ですよ ね。
 展示されていたのは京都の中堅作家の作品で、冷やかしで行った私でも丁重に扱って下さるあたり、「京都」を感じました。文化財保存という仕事柄、京都の 業者さん・・・という無骨な謂い方は似つかわしくありませんが、いわゆる「中京」との付き合いは多少ありまして、その方も「京都」独特の、やわらかく、一 見あたたかく、そして芯の骨太を感じる方でした。
 作品について質問すると親切にいろいろ教えて下さり、少しも私に知識があるとみてとると、
 「なんでそんなに知ってはるんですか」
と、こちらをいい気持ちにさせて下さり、私の勤め先などを知人から聞いて取ると、今度は、
 「なんであの頃はああいうもの使いはじめたんですか」(これがやわらかな京言葉なので実に耳に気持ちよいのです)と、接着剤について強烈な質問をぶつけ てこられる、勉強熱心。久々に、「ああ、京都だ」と雰囲気を堪能しました。
 少し話が脱線しました。
 その方が、私の気に入った月下美人の訪問着を見ながら、こんな話をされたのです。
 「十五で私の先生に弟子入りした時、先生に私は聞きました。『こんなに町で着物を着る人を見かけなくなっている今、着物を作る意味はあるんでしょうか』 と。先生は言われました、『家に畳の部屋のある限り、着物の廃れることはありません』」(京言葉を使われないように話して下さっているんですね。)
 なるほどと深く相づちを打つと、
 「でも、いまマンションには畳の部屋のないとこが多くなっているんです。」
 「・・・・・」
 「この訪問着も、正座の時でなくて、立っている時に美しいように考えたものなんです」
 地紋は大きな変わり市松で、深い紫紺の中に大きな白い月下美人を染め出してあるものなのですが、この花が、膝より少し下にある。正座をすると隠れてしま う位置ですが、立っていると白い足袋とのバランスが素晴らしくいい。
 「着物も少しづつ変わっていかないと」
 それはそれは微妙に心打たれる話でした。
 でも、新しく変わる着物を支えているのは、鮮やかでしっかりとした色数の多い染めを、きちんとこなせる技術なのです。そういう着物を、気骨ある女主人の 住む古い家で展示する。文化財というのは美術品的な世界ですが、生活の中に溶け込んだこういう文化の伝承の仕方が、一番エレガントな気がしてなりません。
 「文化財保存」という言葉の、なんと曲のないことでしょうか。
 随分と長くなってしまいました。またしても「えらい」メールですが、先生の「メールを下さい」のお言葉に甘えて出させて頂きます。今後とも、どうぞおつ きあいいただければ幸いです。
 

*     1.3.3
 雛の宵は、雨降りになりそうです。予報画面には、雪ダルママークがあちこちに。寒くなりそう。お大切に。
 昨夜の映画は、大好きな役者が、珍しくブルース・ウィリスを吹き替えていましたの。声を聴きたさに、ラスト40分程度を見ましたが、思った通り声が似合 わなかったわ。内容もつまらないし、映像の美も無い、小林恭二さんの声の聞けただけが、幸せ。睡眠時間が減った上に、心のコップに、濁った絵の具が流され たわ。これを掃除するの、大変なんだから。
 白酒は召されたか♪
 主人は仕事の後、飲み会だそうで、雀は一羽。鮎正宗に塩せんべいと、ハードに飲んでおります。
 作家A氏の、舞台朗読に相応しい作品の条件を書いた文章を読みました。
 [そんなに、こ難しいこと ? 秦さんのお作は、『七曜』をはじめ、心の中で朗読して、心底美しく、気分良く酔えるわ。]
と思いましたわ。
 塩田ミチルさんが、お嬢さんをもらいたいと言う男性に、「同じ重さだけチョコレートをちょうだいね」と言ったほど、チョコ好きなことも知りましたわ。
 [銀座百点]を読みながら、今度、銀座を歩くのはいつかしらん、と、ウキウキ雀。お幸せに。良い夜を。
 

* ドンマイ   1.3.2
 おとといは花粉が舞い、昨日は雨、今雪が霧雨に。
 MIND  と  HEARTとは同義かな、英語のニュアンスは少し違うなとか、心を落すとは、執着しない事かな、と、二 三日 これが頭を離れません。スポーツのゲーム中にミスをしたパートナーに、しばしば「ドンマイ」と言葉を掛け合いますね。

* マインド    1.3.2 
   ドンマイは、たぶん、ドント マインド 気に掛けるな、気にするなでしょうね。それが、深く謂えば心=マインド を「落とす」意味とみてよく、たんにゲームでの失策やエラー程度でなく、「生」の全面において言われているのが、バグワンの教えです。マインドはコント ロールでき、裏返せばつまりコントロールされてしまうものです。そこに、あらゆる「トラワレ」が、執着が、欲が、怒りが、妬みが、つけ入ってくる。おかげ で、人間は安心の状態、無心の状態に入れぬまま、ジダバタともがき生きて、死んでゆく。
 バグワンに出逢って、ほぼ七八年か、わたしは、とてもラクに、かなりラクになっています。気にしない、気にかけない。そしてハートフルに生きられるよう に。聖典にとらわれなくなり、ことさらに祈らなくなったし、理屈よりも、感情よりも、それらを忘れる方へ方へ自然に意識をふりむけて。
 鏡は、自分から出向いていってものを映さない。しかし自分の前を通ってゆくものは、明瞭に映しとる。しかし何一つにもとらわれず、所有しようともしな い。去る者はきれいに忘れてしまい、気に掛けない。来るものはきれいに映して、そして、ただ見ている。
 無心。マインドに毒されない、ハート。
 知識、理屈、執着はマインドの特質、だからわたしは心=マインドこそ諸悪の根源だとおもい、その辺の理解浅いままに世をあげて「心」とさえ言うていれば 済むような、いいかげんなマスコミの宣伝や識者の煽動を信用しないで、眺めているのです。ドンマイ。
 

* 残念   1.2.28   
 お目に掛れなかったのはしごく残念でしたが・・・よくぞお出かけ下さいました。有難うございます。感謝いたします。
 お当番を終えて先ほど帰ってきました。玉上さんからも聞きましたしメールも読みました。私にとっては過大評価を賜りました。開きなおって描いたぶんが少 しは良かったのかとかと思っています。あまり納得できなくて出品しましたので
意外な気もしております。
 色に関しては今回は随分と神経を使いました。
 呑みやさんへお連れできなかったのは、これも、残念でした。村井正之さん(洋画家)に連れていっていただいたところで、あそこ(画廊)からすぐなんで す。
 

* 樫田村遠望   1.2.27   
  昭子、ひろ子姉妹(秦の異母妹)から連絡をうけ、おじいさんの古時計についてのテレビ番組を拝見しました。娘と孫の一人の愛唱歌で、私ですら多少は歌える くらいです。一層の愛着を感じます。
 ご子息のご活躍、まことに素晴らしいことで心からお慶び申し上げます。ただTV作品自体にはまだちゃんとお目にかかっていません。普段老人くさい番組し か視聴しないためでしょう。そのうちには、ああこれかという発見に至ることでしょう。
 少し古い話となりますが、小説「丹波」の中の記述が、ほぼ60年も昔の私の青少年期の、埋もれていた記憶を想い出させてくれました。
 昭和16年(1941)の8月、私は当時中学5年生で、毎日高校受験準備で机にかじりついていましたが、暑い夏の一日無性に歩き回りたくなり、朝早くか ら弁当と水筒だけを持って近郊ハイキングに出かけました。自宅周辺は歩き尽くしたと考え、高槻の次の摂津富田駅から、当時摂津耶馬渓と宣伝されていた景勝 地へと歩きました。
 1〜2時間も歩くと景勝の渓谷の終点に着きました。そこからすぐ帰るのでは今ひとつ歩き足りない。見ると未舗装ながら道幅も平坦さもしっかりした立派な 道がずっと北の方角へと続いています。
 この道はどこに通じるのか、そこまでの距離(km)あるいは歩行所要時間、さらには途中の道路の状況などを道行く人、路傍の人に尋ねても知らぬと言う人 ばかり。
 そこからずっと北上して山陰線のどこかの駅まで歩いて行けないか、途中で道が無くなったり、険しい山中に入ったり、選択しにくい分岐点があるのではない か、などの情報が知りたいのですが、かみ合う応対をしてくれる人はいませんでした。
 ままよとどんどん歩いてその内に良い人にめぐり会えるだろう期待したのですが、会う人もまばらで、また集落のような所にも到達しなかったと思います。
  歩いても歩いても前方道路状況はつかめません。そのうち午後の2時とか3時になりました。そこまでの所要時間から、そこからなら明るい中に出発点の摂 津富田駅に引き返せます。これ以上進んだらもう前進あるのみ、イチかバチかでバチの場合は山中の野宿、暗夜の彷徨、あるいはどこかの民家に救いを求めるし かない。当時の農村への食糧買い出しの横行の実状から、民家に軽々しく救いを求めるのはどうかと思いました。確かにこんな事まで考えてイチかバチかはやめ ました。
 引き返した地点がどこだったか、何か目印になるような物がなかったか、今では全く記憶がありません。
  昭和16年の暮れには大東亜戦争も始まり、このことを私はすっかり忘れてしまっていました。小説「丹波」の中に記載された、「京都府南桑田郡椎名村字 田布施」から「大阪府大槻市」へ通じるトラック道というのが、私が高槻方面から歩いていった道ではないかと想像しています。椎名村はその後大槻市に合併さ れたと記されており、私は椎名村のごく近くまで歩いていったのではないかと思います。
 今私の持っている高槻市の地図は、最新のものではありませんが、その中にある地名と小説「丹波」の中の地名の対応は、次のようで、良いでしょうか。
実名  亀岡  高槻  田能    樫田   中畑   外畑   杉生
小説  亀山  大槻  田布施   神田   本畑   遠畑   国木

 上記の道も今は車が頻繁に往来するにぎやかな道に変容しているのではないかと思われますが、今一度歩いてみたり、あるいは車で通ってみたい気もし ています。
  以上 御無音をお詫びして。  ますますのご健勝とご活躍を。
 

* もどろき    1.2.25
 春寒料峭の候、いかがお過ごしですか。ときどき「生活と意見」を拝読して、ときどき接近したところにいるなと思っています。先日は秦さんが歌舞伎座にい かれたその3日後に、やはり襲名披露を見てきました。ただし夜の部だけですが、「め組の喧嘩」は思いのほか堪能しました。歌舞伎はその昔は誰でもが楽しめ る大衆演劇だったのだなと思いました。そういうものがだんだん少なくなってきています。
 「生活と意見」を読みながら、ある危惧をおぼえておりました。こんなに何もかも書いてしまっていいものか。ただし、それについては秦さんご自身が2月9 日にある覚悟を述べておられますので、先刻ご承知のことと安堵いたしました。2月23日、「もどろき」を読んでみようかとおっしゃっておられるのを、興深 く読みました。
 じつは、昨年の十一月末、あるひょんなきっかけから、某文芸誌の編集長に食事をご馳走になる機会があり、そのとき「もどろき」の話をしました。この数ヶ 月の雑誌の中でもっとも感動した作品として、私が取り上げたのですが、たぶんそれはお作を通して、あの作家が扱っている題材について知っていたからかもし れません。バシュラールはともかく、ドナルド・キーンが戦争中に戦死した兵士の日記から、日本文学に近づいていったことを記した父の手紙を面白いと思いま した。「日記・手紙・和歌」この三つの要素の上に、日本の文学は立っており、これを無視すれば、何も語れないからです。
 ただし、この小説は題材から、いちぢるしく父の側に偏っていますが、実はキーは母なのではないか、と思いました。谷崎潤一郎はいうに及ばず、志賀直哉で すら母恋いの文学で、これを無視すると、日本の文学は語れなくなるからです。また、一般に戦後の日本の教育がだめになったのは、父親が不在なせいだ、と、 きいたようなことをいう手合いがいっぱいいますが、私は母親が母親でなくなったせいだと思っています。
 そんなことを話しているうちに、秦さんのことになり、すでに黒川創君と秦さんのご関係を、むこうが知っていると思ったのに、何も知らないのでこれには びっくりし、余計なことですが私が知るかぎりのことは話してしまいました。お許しください。
 あの作品が芥川賞候補になったとき、私は多分受賞は「聖水」と「もどろき」だろうと勝手に決めていました。あのふたつが群を抜いている。しかしふたを開 けてみると、「聖水」は取りましたが、「もどろき」の代わりに私がたったひとつ読み残した作品が入っていました。歌舞伎座で、4時間ならぶ間(というのは 私の券は新聞販売店の招待で、そのくらい並ばぬと切符がもらえぬからです)出たばかりの「文芸春秋」を買い、読み残した受賞作と選考委員の選評を読みまし た。秦さんが「或る小倉日記伝」のことに触れて、芥川賞の受賞作を読んでみようかとおっしゃっているのをこれも興味をもって読みました。読んだらぜひ「生 活と意見」で感想をお聞かせください。
 黒川創氏はおそらくもう一、二回候補になれば賞をとると思います。もう一作ぐらい読んだら、私も感想を述べるつもりです。
 私がまったく買わなかった「熊の敷石」を推している選考委員とそうでない選考委員の顔ぶれを見ていたら、その人たちの作風ではっきり色分けできるのに気 がつきました。これは森敦がよく言っていた「密閉」ということを理解しているかどうかの違いなのです。どんなに小さな世界でも、それが密閉された時全宇宙 と等価になるというので、近代日本文学でもっとも密閉に成功した作品は「蓼喰ふ蟲」ではないかと私は思っているのですが、そんなことを考えました。
 例の書き物はここのところ、意識して休んでいます。言葉がほんとうに内から出なくなってきている危機感を持っています。昨年の半ば過ぎからいろいろ付き 合いが拡がってきてしまったためでしょう。気を取り直して、やっていきたいと思っています。(二月二十五日)
 

*  そうか 魔法の粉だったのか。    1.2.25 
 昨夜七時半からのNHK TV、 新三津五郎をかこんでの歌舞伎入門的な番組の中で、水谷八重子が、玉三郎や母である初代八重子のことをこう表現してい るのをききました。
 「あの人たちは、舞台に現れたとたん、観客の頭上に魔法の粉をふりかけるのだ。」
 あまりにひとのほめそやすものはつい敬遠しがちな悪い性分でして、たまさかの歌舞伎見物にも玉三郎だけは避けていたのですが、仁左衛門の襲名興行だけは 致し方もなく、(なにしろ朝から晩まで電話をかけつづけてようやく手に
入れた切符でした。憧れの仁左衛門でした。)期待に胸躍らせて舞台をみつめる私の眼に、揚巻に扮した玉三郎が登場したとたん、他の一切の人物がスーッと色 あせ遠のいてゆきました。並んで立った白玉の福助はいうまでもなく、お目当ての助六仁左衛門その人までもがーー。
 それは呼吸するのを忘れるようなひとときでした。
 したたかに酔わされました。
 依怙地にそっぽを向いていた狭量を恥じると共に、天分、精進、華などの言葉でもとうてい言いつくせない、あの圧倒的な魅力のことは、以来ずっと胸から消 え去ることはありませんでしたが、なるほど「魔法の粉」だったのかと、妙に頷けるものがあったのです。
 あの瞬間、私もまた玉三郎の魔法の粉を浴びて、しばし夢の世界をさまよっていたのでありましょう。そして、それこそが、客の舞台に求めるものでもあるの でしょう。
 わかりきった芝居を、この役者ならどう演ずるか、どう楽しませてくれるかと期待に胸をときめかせて幕の開くのをじっとまつーー。そういう想いは、何も芝 居だけではなく、文芸でもと、けさの朝日紙上では、長谷川櫂氏の文章にも教えられました。
 誰もが知っている題材をどう詠むかどう捌くかこそが、成否にかかわるのだ、と。
 「この世界に新しいことなど一つもありはしない。何かを新しいと賛美するのは、その人が無知で傲慢なだけである。文芸とはどれもそうした諦念の賜物だろ う。」という文章を読みながら、三寒の日曜日を過ごしております。
 

* 歌舞伎   1.2.25 
 NHKの土曜特集で「ようこそ歌舞伎の世界・華麗に襲名十代目坂東三津五郎」というのがあり、湯上りにゆっくりと楽しみました。
 初心者が親しむためには、贔屓の役者を持ち、その所作を楽しむことから始めては、と。一度来ていただければ、けっして離さない。それだけの力量(演技 力)は発揮している、と。
 稽古の風景なども放映されていましたが、語る一言、一言が静かな口調のなかにも迫力があって、う〜ん!と肯きながら目の保養をさせてもらいました。
 実物にはとうていお目にかかれないでしょうけれど、月様の観劇感をも重ね合わせて(テレビ内容だけではなく)楽しんでいます。お抱え専属案内人?をもっ ているって、なんて素敵。  花籠
 

* 近況及び「生活と意見」を読んで   1.2.25
 秦恒平さま
 春寒料峭の候、いかがお過ごしですか。ときどき「生活と意見」を拝読して、ときどき接近したところにいるなと思っています。先日は秦さんが歌舞伎座にい かれたその3日後に、やはり襲名披露を見てきました。ただし夜の部だけですが、「め組の喧嘩」は思いのほか堪能しました。歌舞伎はその昔は誰でもが楽しめ る大衆演劇だったのだなと思いました。そういうものがだんだん少なくなってきています。
 「生活と意見」を読みながら、ある危惧をおぼえておりました。こんなに何もかも書いてしまっていいものか。ただし、それについては秦さんご自身が2月9 日にある覚悟を述べておられますので、先刻ご承知のことと安堵いたしました。2月23日、「もどろき」を読んでみようかとおっしゃっておられるのを、興深 く読みました。
 じつは、昨年の十一月末、あるひょんなきっかけから、某文芸誌の編集長に食事をご馳走になる機会があり、そのとき「もどろき」の話をしました。この数ヶ 月の雑誌の中でもっとも感動した作品として、私が取り上げたのですが、たぶんそれはお作を通して、あの作家が扱っている題材について知っていたからかもし れません。バシュラールはともかく、ドナルド・キーンが戦争中に戦死した兵士の日記から、日本文学に近づいていったことを記した父の手紙を面白いと思いま した。「日記・手紙・和歌」この三つの要素の上に、日本の文学は立っており、これを無視すれば、何も語れないからです。
 ただし、この小説は題材から、いちぢるしく父の側に偏っていますが、実はキーは母なのではないか、と思いました。谷崎潤一郎はいうに及ばず、志賀直哉で すら母恋いの文学で、これを無視すると、日本の文学は語れなくなるからです。また、一般に戦後の日本の教育がだめになったのは、父親が不在なせいだ、と、 きいたようなことをいう手合いがいっぱいいますが、私は母親が母親でなくなったせいだと思っています。
 そんなことを話しているうちに、秦さんのことになり、すでに黒川創君と秦さんのご関係を、むこうが知っていると思ったのに、何も知らないのでこれには びっくりし、余計なことですが私が知るかぎりのことは話してしまいました。お許しください。
 あの作品が芥川賞候補になったとき、私は多分受賞は「聖水」と「もどろき」だろうと勝手に決めていました。あのふたつが群を抜いている。しかしふたを開 けてみると、「聖水」は取りましたが、「もどろき」の代わりに私がたったひとつ読み残した作品が入っていました。歌舞伎座で、4時間ならぶ間(というのは 私の券は新聞販売店の招待で、そのくらい並ばぬと切符がもらえぬからです)出たばかりの「文芸春秋」を買い、読み残した受賞作と選考委員の選評を読みまし た。秦さんが「或る小倉日記伝」のことに触れて、芥川賞の受賞作を読んでみようかとおっしゃっているのをこれも興味をもって読みました。読んだらぜひ「生 活と意見」で感想をお聞かせください。
 黒川創氏はおそらくもう一、二回候補になれば賞をとると思います。もう一作ぐらい読んだら、私も感想を述べるつもりです。
 私がまったく買わなかった「熊の敷石」を推している選考委員とそうでない選考委員の顔ぶれを見ていたら、その人たちの作風ではっきり色分けできるのに気 がつきました。これは森敦がよく言っていた「密閉」ということを理解しているかどうかの違いなのです。どんなに小さな世界でも、それが密閉された時全宇宙 と等価になるというので、近代日本文学でもっとも密閉に成功した作品は「蓼喰ふ蟲」ではないかと私は思っているのですが、そんなことを考えました。
 例の書き物はここのところ、意識して休んでいます。言葉がほんとうに内から出なくなってきている危機感を持っています。昨年の半ば過ぎからいろいろ付き 合いが拡がってきてしまったためでしょう。気を取り直して、やっていきたいと思っています。(二月二十五日)
 

* エントロピー   1.2.23 
   ご無沙汰しております 秦先生。
 ずいぶんと長い間ご無沙汰しておりました。ご無沙汰しておりましたものの、お送り頂いている「湖の本」やHPを読みながら、先生に、「あ、そうですよ ね」とか、「私はこう思いますが」とか話しかけているつもりになってしまい、なんだか直接にご連絡差し上げていないことを忘れてしまい、こんなに長らく失 礼してしまいました。
 実は、昨年の師走に娘が生まれました。平成12年12月12日という、なんだか誂えたような誕生日ですが、予定日より二週間遅れの出生でした。
 仕事が三年目でようやく軌道に乗り、自分でも「仕事をしている」感じを掴みはじめたところだったので、残念には思ったのですが、思いきって1年間育児休 業に入りました。できれば、近くの実家に預けて働き続けたいと思っておりますので、親の年を考えますと、そうそう出産を遅くするわけにいかないなぁ、との 思いもありましたので。
 仕事は本当にやりがいがあり、主に文化財保存の有機物関係の業務です。地味でも、そのモノが「自分に語りかけてくれてる」という実感は、感動的です。
 もちろん寡黙な相手の場合もありますが、時折、饒舌に、「これこれの時期にね、こういう考えから、こういう風に、手を入れた人がいるの」(修復履歴の検 証をしていると、こういう感じになります。)と、話してくれる相手の時もあり、これが醍醐味となっています。
 もちろん、モノだけの相手をしていればすむわけではなく、モノが文化財だけに、人との折衝やぶつかりが大きい職場でもありますが。
 それでも今は毎日家にいて、家の窓から夕日の見られる幸せを、実感しております。
 鎌倉に戻ってきて一年少し。
 風にも春の匂いがし、空の湿度の含み方や飛んでくる鳥の姿などから、家の中でも四季の感じられる場所で子供を育てられる幸運を、感謝している毎日です。 専業主婦も悪くないなと思いつつ、専業主婦をするのに少しばかり恐怖を抱きはじめている自分もいます。
 先生は「エントロピー」という概念をご存知でしょうか?
 簡単にいうと「乱雑さ」を表す概念で、エントロピーが大きいと乱雑さが大きいことになります。熱力学で、いかに効率よく熱を仕事に変換するかを追求する 中で生まれた概念で、この概念を一躍普遍化した法則が、「エントロピーは増大する」というものです。つまり、放っておくと乱雑さというのは大きくなってい くものであるぞ、というものです。私など、自分の部屋の散らかりようを考えると、えらく納得いきますが。
 実は、この法則は閉じた系の中においてのみ有効なので、こういうたとえは厳密にはふさわしくないのです、が、この法則がいかに人の心を掴んだかは、これ を転用して、情報のエントロピー増大(内緒話は広がるのです)を計算する学問的分野の確立されてしまったことからもわかると思います。
 前ふりが長くなりました。
 ところで、広いキャベツ畑や大規模プランテーションは、一種類の作物しかないため、エントロピーは小さい状態にありますが、こういう畑は、とても病虫害 に弱いそうです。そして雑木林のようなエントロピーの大きい植物群は、とても丈夫で変化に強い。
 つまり、専業主婦にとして家にいると、精神状態はシンプルでとてもエントロピーの小さい状態になります。エントロピーの小さい状態は、工業的には非常に 望ましい状態で、そのものの有効活用をするために、いかにエントロピーを小さくするかを追求するのは、とても重要な課題になっているくらいです。(部屋 だって片付いている方がいいわけですし、雑種の畑より大規模プランテーションの方が便利だし、内緒話は内緒だから価値がある。)
 ですが、この状態は外界からの影響に弱いわけです。
 実際、家にいると些細なことにくよくよしやすくなり、この状態を続けていくには、かなり精神力が必要だなぁと痛感しています。結局、専業主婦に憧れつつ も(家で毎日夕日を見られるのは本当に魅力的)、自分は、外で働くくらいしか能がないのだろうなぁ、としみじみ思っています。
 近況報告を書くつもりが、なんだか随分長く、まわりくどく、なってしまいました。
 先生には、ついつい学生気分の甘えが出てしまうようです。無沙汰の失礼とともに、長文の失礼についてもお詫びいたします。
 季節の変わり目、どうぞご自愛下さいませ。
 

* 「e -文庫・湖umi」に、ご寄稿お願い     1.2.23
 昨年暮れに創刊の、電子文庫「湖」には、僅か三ヶ月で、七十編を越すさまざまなジャンルの文芸作品がすでに掲載され、毎日新聞をはじめ各方面の注目を浴 びて、順調に、多くの読者・識者に見守られています。
 高校生の少年から九十過ぎた老婦人まで、また著名な学者・作家・詩歌人・随筆家等の、充実した文芸・文章・研究で、文字どおり多彩な「e -文庫・湖」を成しています。
 どうぞ、ご参加下さいますように。
 一つには「湖の本」を支えて下さる方々が、いい読み手であるだけでなく、いい書き手でもあられることを、十五年のお付き合いでかなりよく存じ上げていま した。
 一つには、優れた文芸・文章を「e-文庫・湖」に満載することで、新世紀「電子文芸」の若い才能登場に呼び水となっていただきたいのです。
 どうぞ、ご寄稿下さいますように。
 営利目的でなく「原稿料」は出せません。むろん「掲載料」も無用です。まさしく世界へ開かれた広大な電子の「広場」に、お気に入りの、あるいはお心残り の過去のお作やご文章をお分かち下さいますよう、重ね重ねお願い申し上げます。
  * 初期以来のご自撰の短歌・俳句(五十作品)を戴かせて下さい。
  * 詩作品を数編、戴かせて下さい。
  * エッセイ・紀行・講演録・論考・批評・評論を戴かせて下さい。
 申し訳ありませんが、取捨・編集は、編輯者にお任せ下さい。(このお願いは湖の本読者の皆様へのものですが、他の方へのお願いにも使わせて戴きます。お 許し下さい。)「e-文庫・湖 umi」責任編輯 秦 恒平
 

* 御礼とお詫び  1.2.21
  年の始めには結構なお歌をお送りくださいまして有り難うございました 昔 お正月を迎えた時の感じを思い起こしたことでした 近ごろは息子宅の子育てヘル パーで行ったり戻ったりの日々にて落ち着く間のなく御礼が今頃となりお詫び申し上げます  大好きな二月を留めておきたい此の頃です  さほ
 

 嵐峡館   1.2.20 
  女ばかり六人で、冬の嵐山に行ってきました。
 嵐峡館別館で、雪で遅れた札幌からの人の着くのを待って、宿までの船に乗りました。座席の四十人分もある屋根のついた船でしたが、乗ったのは、私たちの 一行と、一組のカップルだけで、「慈子たち」とは逆に、夕方の日差しののこる河を溯っていきました。
 暖房のしっかりきいた船内から見ると、岸辺の木々の枝は真冬のきりっとした線条ではなくて、つのぐむ木の芽のやわらかな、けぶったようなシルエットをう かべていました。
 船着き場から降り、嵐峡館入口とある坂道を上がって、眼下にすぐ川の見える小さな部屋に案内されました。「慈子たち」の向き合ったお部屋だったかもしれ ないし、そうではなかったかもしれません。飾り気のない和室でした。
 会議の後の食事や、女風呂が、もうひとつだったのは、ここが団体の会議で使う宿ではなく、船に乗り合わせていた二人のように ひっそりと訪れるのに似つ かわしい宿だからかもしれませんね。「慈子たち」の嵐峡館 があまりに鮮烈なイメージを残しているからかもしれません。
 夜は連れだって来たそれぞれの女性たちのたどったドラマ、進行中のドラマなどを、夜更けまでたくさん聴きました。・・・わたしは、もっぱら聴き役で。
 朝食は本館で。
 明治時代に建てられたという風情のあるつくりでした。
 桜の花のころ、紅葉のころ、雪のころ、いつかまた訪れられますように。
 

* 政治   1.2.20 
 お忙しい中(ビデオテープ)ご覧頂き、ありがとうございました。奥様にもご覧頂いたとのことで、恥ずかしく、退屈されたと思いますが、お許し頂ければ、 と願います。
 正直、政治というのは自分が最も苦手な世界だと思っておりました。(実際、大学で受講した政治学の授業は、38点でした。)私が育った時代は、政治に無 関心であることを「おかしい」と思わなくても平気な時代なのかも知れません。それは、日本が高度経済成長を遂げ、「裕福」になったこともひとつの要因だと 思いますが、本質を突き詰めれば「生活の中で”戦争”を感じないから」ということなのかな、と思います。
 秦先生や、私の父親が育った時代は、決してそうではなかったと思います。こういった「時の流れ」を何かをモチーフとして、近い将来具現化させたいと思っ ております。
 今後は、更に頑張ります。
 先生にお話を伺いたいと思っているのは、いま申し上げた内容についての率直なご感想がまず第一点、もうひとつは「電子本」のことです。電メ研でのやりと りを精読させて頂いていないため、どの作家がどのような考えをもってらっしゃるかということについてすら私は理解できてないのですが、
これはニュースとしても紹介させていただくべき事項と捉えております。
 
 

* 定期便です     1.2.20
 今日やっと30号のを仕上げました。会心の作では決してございませんが筆をおいたというところです。
 思ったようにはいきませんでしたが、今回は先輩{日展}のアドバイスに納得して、少し変えてみました。
 色の配合なども・・・・いままでいかにマイペースばかりだったか と、思いあたりました。
 メールをいれれば何かお会いしているような錯覚に陥ります。 うるさいことでしょうが。 
 

* 難しく  1.2.19 
 まだ描いています。
 なかなか難しく 苦労しています。
 搬入は23日です。まだ10号が描けていません。アネモネとカサブランカ のどちらかにしようかと。
 描きはじめていますが・・・・やはりよくありません。
 お元気で・・・。上野へ行きたいです。
 

 感謝!です   1.2.19
 メ-ル有り難く拝見しました。
 ホ-ムペ-ジは、ほぼ毎日、楽しみに、身を引き締めながら拝見しています。
 わたしのブックマ-クは、40〜50ありますが、秦さまのホ-ムペ-ジをトップにマ-クしています。(けっして、ヨイショではありません)
 

* 恒平様、京都の秦です。  1.2.18
 久しぶりのお便り、大変うれしく拝見しました。
 今日の京都は、珍しく暖かな日曜日でした。休日の朝には、自宅から軽いジョギングに出て、土曜日は出町から南へ荒神橋まで、日曜日は北へ向かって出雲路 橋を折り返して帰ってくるのがいつものコ−スです。昨日のNHKの番組で鴨川のユリカモメの生態を紹介していましたので、今朝は改めて興味をもちながら、 彼らがちょっと飛び上がって一気のダイビングで小魚を漁る様子などを見せてもらいました。しかし、一方では近いうちに京都の左京土木が鴨川の中州の一斉除 草作業をするとかで、野鳥や蛍の保護を願う団体から反対運動のメ−ルが私のところへも舞い込んできたりしています。
 年度末が過ぎて、ゴ−ルデンウイ−クが近づくまでは我々の業界は最も忙しい季節です。
 ストレス対策として趣味も細々と続けていますが、HPの更新は去年の11月から怠けています。アクセス数もあまり伸びないので、もう少し気合を入れて取 り組まねばとも思っているのですが。また、率直な感想を頂けると幸いです。
  http://www4.justnet.ne.jp/~tunhata/
 どうぞお元気で。
 

* 湖の本『死なれて死なせて』  1.2.17
 大変お忙しい日々の中、送付、お手数をお掛けしました。ありがとうございます。先方よりのメ-ルを、先程受け取りました。
 一週間ほど前より、梅の開花に気付きました。今日もオオイヌノフグリをみつけたのですが、カタクリやアマナ咲く春は、すぐそこです。
 お心安らかに、よい日々を、お過ごし下さい。ありがとうございました。  福生市より

 
* トマト  1.2.16  
  お元気でお過ごしのことと思います。
 このたび、当社で販売しております無農薬トマト「トマッチー」が最終段階に入り、出荷先にも、最後まで何ケース出せるかの確約が出せないため、少なめに していたところ、やはり本日(15日で最終収穫日でした)は最後の最後で、30ケースほど、余ってしまい、社内の限られた人で、購入することになりまし た。
 とは言え、ここのところは、社員で買いたくても、社外からの要望が口コミで広がり、買えなかったのが実情です。そこで、今回、やっと最後に私でも購入で きまして、秦先生に送ることができました。おそらく、本日の便で送っているので、明日か明後日には到着すると思います。本当に美味しいトマトだと思います ので、是非ご賞味いただければと思います。
 ところで、私は、今年の8月には、今の会社を辞めスペインへ留学して、ベンチャーを起こすためのネタを探そうと思っています。1年ぐらい行こうと思って います。
 

* さきがけ   1.2.16
 何度もメールを書こうとしたのですが、こちらの「気」が十分でないように感じ、タイミングを逃してしまいました。
 今回は「もっと早く」お伝えすべきことばかりを記させていただきます。どうかお許し下さい。
 まず、私、去年の夏に引っ越しを致しました。大学卒業後住み慣れた大阪・福島をあとにして、現在はより会社に近い大阪・北区で暮らしております。福島の 部屋はとても気に入っておりましたが、ピッキングの被害に遭ったことや、契約期間満了の時期が近づいていたことから思い切って引っ越しました。(ピッキン グはパスポートと商品券のみの被害でした。不幸中の幸いと思っております。)
 次に仕事のことです。
 去年夏に撮った「さきがけと武村ー政治を震わせた7年ー」というドキュメンタリー番組で、「関西ディレクター大賞新人賞」を頂きました。この賞は藤本義 一先生を審査委員長として、関西に住む放送作家の先生方が選考してくださるものです。
 去年の総選挙で落選した武村正義氏が率いた「さきがけ」が志半ばにして終焉を迎えようとしている現実を検証することで、現在の政治の閉塞状況について考 えようという内容のものです。テープを送らせて頂いてもよろしいでしょうか。
 現在は、早朝の天気番組を担当しております。3月で番組が終了するため、4月からは記者業務に戻る予定です。6月までには、次の一本に取り掛かりたい、 と思っております。先生にも引き続きご指導頂ければ、と願います。
 先生は近く関西にいらっしゃるご予定はございませんか?
 あるいは、私のほうが東京に伺える機会があれば、またぜひ一度ご教授頂きたいことが幾つかございます。決して急く内容ではございませんので、ご心配なさ らないでください。)
 秦建日子さんのご活躍、関西でも耳にさせていただいております。私も、同じテレビに携わるものとして、もっともっと頑張りたいと思っております。
 少しづつ、陽射しも暖かくなっているようにも感じますがまだまだ寒い日が続きます。お風邪など召されませんよう、ご自愛のほど。
 

* 爽展   1.2.15
 今日も一日描きました。
 見て頂けるような絵が なかなか描けません。
 精一杯描いています。
 案内状を出させていただきますが くれぐれもおついでで結構ですので・・・
 26日と28日は当番ですが そのほかでも行きますので・・・・お元気で。 
 

* 銀世界   1.2.15 
  昨夜、湯豆腐に地酒の夕食を摂っていると、パラパラと小さな音がし始めました。
 今朝は雪景色。晴れ。空気が、気持ち良く冴えています。武蔵野はいかがですか。
 雑誌で、筝曲「銀世界」が紹介されていました。
  同じ色 重ね重ねて白妙の げに麗しや飛石に 草履の跡も面白く
  そと打ち払ふ 数寄屋笠 待ちに待ちたる 鐘の音の 静かに響く四畳半
  寒さ忘るる炭手前 つもる話も打ちとけて 茶の湯の友の冬籠り
  豊かにもるる釜の煮え 開く小窓や庭先の 眺め尽きせぬ銀世界
 お風邪など召しませんように。
 

* すてき 御茶屋御殿考    1.2.13
 眞岡さんの文章はいつも温かくて、一気に読ませられてしまいます。
  茶室建築の知識は皆無にちかいのに、それでも京都の曼殊院などを思い出しては、もしかしたらこんな感じだったのかなぁと、想像を重ねていました。建築専門 家の元学生さんたちであれば、この検証だけで図面が描けてしまうのでは?と思ってしまうほど、読み手に親切な描写を有り難く嬉しく拝読しました。沖縄県の 茶人さんたちにとって、この論考はとても貴重なものと思い
ますよ。沖縄を愛しむ眞岡さんならではと、深く感じ入っています。
 

* 琉球の御茶屋御殿   1.2.13 
  仕事で書いている論文の推敲がだいぶ進み、投稿間近になってなってきた勢いに乗じ、中野(智行)さんの気持ちの良い文章にも触発され、ずっと抱えていた テーマの一つを、この連休でまとめてみました。
 この原稿を書きたかった最も大きな理由は、沖縄でお茶を習っている人たちが、(教えている先生の多くも)、茶道は戦後になってようやく本土からやってき た外来文化で、本来沖縄とは無縁のものだと思ってしまっていることでした。
確かに、沖縄には京都のように利休さんが作った茶室もありませんし、九州のように古い流派も残ってはいません。そのせいか、地域に根を張ったような安定感 がなく、みんな何となく頼りない心持ちでお茶をしているように、私には見受けられました。できるだけ沢山の人に、少なくとも17世紀の琉球に、忘筌のよう ないいお茶室があったことを知ってほしい、できればそれを復元して、胸を張って「沖縄自慢の茶室」で茶会をしてみたい、そういう気持ちで書いてみたもので
す。
 沖縄に十二年住んでいて、琉球文化の層の厚さ、沖縄学という学問の領域があることに驚きました。しかし、すべての分野を網羅していると思われた沖縄学 も、意外と手が回っていないところもあり、この原稿で扱ってみた琉球王朝の茶の湯に関しては、沖縄県立芸術大学の、文化受容史が専門のホルスト・ヘンネマ ンさんというドイツ人教授が一人で、細々と研究をしている現状です。日本で茶の湯という文化が形作られていく過程で、琉球を要にした交易ルートが果たした 役割は大きく、物の流通と共に、茶の湯自体も、早くに琉球に招来されていたことはあまり知られていません。 今回は、琉球王朝の茶の湯自体には深く触れ ず、「御茶屋御殿」という建物にテーマを絞ってみました。機会があれば、琉球王朝と千家のつながりを軸に、王朝の茶道文化についても書いてみたいと思いま す。
 理系の学術論文と違って、文系の論考を書く場合は、ある程度テーマへの導入部として、落語のまくらのようなものがあっていいのか、小見出しが必要か、重 要なポイントを繰り返して強調してもいいのか(私はよくこのポイントのだめ押しをして、同じことを二度書くな、と上司に怒られます)などわからないことば かりですが、我流のスタイルで書いてしまいました。謝辞、参考文献についても同様です。また、御茶屋御殿の周辺にある、琉球文化の背景をどの程度書き込む べきかもよくわかりませんでした。
 最も重要なのは、このテーマが、「e-文庫・湖umi」のカテゴリーに収まるものであるかどうかです。なんだか、『畜生塚』に出てくる、「オトギヤロ」 の香合の名誉挽回にムキになっている道具屋さんのようなことをしているのかなぁ、など
と自信がなくなってきました。慣れない分野の書き物はしない方がいいのかも知れませんが、あの道具屋さんと同様、御茶屋御殿の茶室については胸を張って世 に出したいとフンガイしてもいるのです。
 いずれにせよ、まず秦さんに「琉球版忘筌」の存在を知っていただければ、とりあえずは満足です。よろしくご指導お願いいたします。
 

* 二重丸   1.2.13
  新宿Space107 へ行って、「Pain」を観てきました。二重丸です。四十年ぶりで、若い人達のいい演劇集団を目の当たりにして、元演劇部員のおじさんはとてもうれしい気 分になれました。親切に気を使ってくれた入口のお兄さんも、会場整理のお姉さん達も、体に気を付けて頑張って欲しいと思いながら帰ってきました。
 余計なことですが、機会があったら、母親役を、岸田今日子あたりにオールド・ジャパニーズ風にざっくり着物を着せてやって貰うといいかなぁと思いまし た。惚けてる人と付き合っていて、それなりに風格を感じていますので。(今回のお母さんは、あれでいいと思いますが。)
 ラーメンのおねえさんよかったですね。引っ込みが良かったです。(そばで見ていました。)・・みんな、元気をくれてありがとう!です。
 秋葉原のラオックスへ行って、「超漢字3」も見てきました。OCR 不能、現在使えている漢字以外は送信も無理(方法はあるようですが)のようなので、残念ですが、しかしOSとしては軽くて、ハイパーリンクで、日本製で、 魅力は十分、いじってみようかと思っています。去年の今頃は、縦書きもまだ出来なくて見合わせていました。さて、DOS/Vマシンを何にしようかと迷って います。
 梅は咲いていますが、まだまだ寒いです。くれぐれもお大事にしてください。
 

*  千秋楽   1.2.12 
 つくり手の心、エネルギイが、こちらにじかにひびいて来、登場人物のひとりびとりが抱えているPainが、忘れていた、いえ、忘れたがっているわたくし のPainを、揺りうごかす。ちょっとつらい時間でした。けれど、こうした刺戟に身をさらすことは、必要なことでございましょう。
 最初、大音響とはげしく動く光線に、終りまでこちらが持ちこたえられるかと不安になりましたが、それは導入部だけでした。その導入部に、数人の登場人物 が、天井からの光の条をふりあおぐ感じで静止する瞬間がありました。うつくしく、かなしい絵、とおもいました。あれは、あのドラマをシンボライズしたも の。あとになって、そうおもいました。
 どんどん、もってゆかれました。
 主人公の最後の長いモノローグ、役者の力量の問われるところでしょうか。もう少し、と、生意気なことを感じましたが、照明が落とされたとたん、涙があふ れました。
 早く整理券を、とお教えいただきましたので、前日、電話でチケットの予約はしてあったのですが、早起きして、何と11時20分に会場に着きました。16 番。高いところをとおっしゃってでしたので、関係者席のすぐ前、それも中央からちょっと上手より、よい席が取れました。
 佳い時間、佳い刺戟をありがとうございました。

   階段まであふれて飾られゐる花のやつれてにほふ千秋楽けふは

 あまり、おめでたいうたでなくて。
 

* 書いてみました   1.2.12
 こんにちわ。お元気でしょうか。最近は忙しくて、連休も返上です。残念ですが、お芝居もちょっと無理そうです。次ぎの機会を楽しみにしてます。
 ところで先日、ふりはた君と八ヶ岳にいってきました。以前から山に行くたびに、なんとかその山行で思ったこと、感動したことを表現できないかと考えてい ました。写真やスケッチ、版画など下手の横好きで、のそのそとやっています。ところが、ふと、実は文章が一番表現できるんじゃないか?と最近思いだしまし た。
 昔から作文とかはわりと好きでした。
 しかしまとまった文章となるとほとんど書くことがありません。最近では学生時代の論文ぐらいです。
 とにかく書いてみたくなったので先日の山行記をつくってみました。
 書いてみて、なんて文章って難しいんだろう、と改めて思いました。これだけの文章で、かれこれ3週間ぐらい書き続けています。会社の昼休みとか残業の合 間とかにこそこそ書いたりしてるのが、結構楽しかったです。
 なんとかまとまってきたのですが、すこし誰かに見てもらいたくなってきました。そこでメールにして出した次第です。
 とにかく素直に書こうと心掛けて書いたつもりです。よかったら感想をいただけないでしょうか。
 

*  待てば叶うか   1.2.12
 若者らしい演出によるオープニングに先ず引き込まれました。テンポの速いいくつかのショットが一つずつしっかりと決まっていました。
 売れっ子カメラマンと編集者のやりとり、これが実はとても微妙なニュアンスを含んでいたのですね。
 「PAINを感じなければ、生きるのは楽だ」と言うせりふがありましたが、いつの間にか、私の心の奥底のPAINをすっかりむき出しにされていました。
 編集者の鈴木が自らの痛みを、山田一郎の稚拙そうな一枚の写真に見当てた感動から始まる二人の格闘。その痛みが強く強くうずきました。人の心の痛みが優 れた作品を通して初めて実感できるということ・・・・。
 作品のモデルとなった「家族=妻願望」の女性は、話し方や動作など押しつけがましいと感じさせたのが、役どころとして、あれで、うまかったのだろうか… と思います。
 実母の哀しみは余り伝わってきませんでした。
 むしろ 待って 待って 待っていれば 必ず叶うことを楽しんでいるような、幸せなような・・・。狂ってしまって あちらの世界にいる感じはよく出てい たと思います。
 地雷を越えて母に近づけなかった山田はセーターを持ったときに、本当にぼろぼろ泣いていました。まるで秦さんの分身のように・・・。
 待って 待って 待っていれば 必ず叶う……か。どうなのでしょうか。
 編集者とカメラマンの絶妙なやり取りに本当に引きこまれ、PAINをむき出しにされて、ぼろぼろ泣いてしまい、外に出ると喧騒の新宿はまだ真っ昼間でし た。休日の思いがけない時間を本当に有り難うございました。
 建日子さんの優れた感性や磨かれた才能がこれからもさらに良い作品を見せてくださるのを楽しみにしています。
 

* 待ち得て   1.2.12
 ありがとう。作中の「待つ」は、作品によって「偽り」のものと否定されているのですが、十一日の「私語」の最後に二行ほど書き添えたように、母と子との 間には、「待ち得て」回復し確立された「愛」が残ったのかなと読みとりたい気がしています。わたし自身はといえば、あのような生母への感傷はありません。 もっと薄情で冷淡な乾いたもののままで永訣しました。   湖
 

* 春芝居   1.2.12
 春芝居というのは、やはり、睦月のうちのことでございましょう。いま話題のひきこもり症候群ではありませんが、春芝居も観ないで、二月になってしまいま した。かくてはならじ、陰暦でしたら睦月のうち、明日、春芝居を観にまいります。演しものは、「Pain」でございます。
 谷崎の「恐怖時代」、これもずっとずっと前、観ました。若衆姿の菊五郎が表情も変えず、というより、無表情で、つぎつぎ人を殺めてゆくのが、こわいとい うより無気味でした。血をぬぐった刀に自分の顔をうつして髪を撫でつけたりして。
 「十五夜物語」も、雀右衛門と梅玉、それに松江のを、これも十年くらい前でしょうか、観ました。雀右衛門の妻がとてもよかった。苦界に身を置いた女らし いくずれ、やつれと、われとわが身わが心にじれているさまが、ほんとうにあわれでした。
 月のひかりがよい感じに扱われていたのを、覚えています。
 たしか、観世栄夫の演出だったとおもいます。
 帰ってから戯曲を読み、夫役は孝夫、妹役は、などとかんがえたりいたしました。「恐怖時代」のときは、戯曲を読もうなどとおもいもしませんでした。忘れ たいとさえおもいました。
 今、文楽が国立劇場でかかっていますので、これも観たい、先生の観劇記を拝見しますと、今月の歌舞伎座も観たいとおもいますし、きれいな絵にも逢いた い……。
 いま、読んでいますのは、齋藤史先生の『風翩翻』。
 「源氏」は、やっと「少女」でございます。秋好中宮や朝顔斎院への振舞いが、以前はとてもいやで納得できなかったのですが、今、読み直してみますと、藤 壺に死なれたあとのどうしようもない心のうつろを抱いての彷徨と、ふっと、なみだぐまれます。
 亡きひとと読むご本に「源氏」を選んでよかったとおもいます。「源氏」とおもいましたきっかけは、先生の「桐壺更衣と宇治中君」でした。
 今晩は早寝でございます。あす、よい状態で、舞台に逢いとうございますから。
 

* センス   1.2.12
 お芝居 昨日は、以前早めに出て整理券を、と知らせて戴いていましたので、はやく出掛けました。お陰で、二十三番の若い番号をとり最高に佳い場所に座り ました。
 「PAIN」を一言で感想を表わすとしたら、センスのとてもよいお芝居でした。
 同じテーマの寸劇が写真のフラッシュをたくように、幾つか組み込まれた形式を観たのは、初めての経験でした。多分この試みはそうなのではと想いますが。 流れに何の違和感も無かったのは、大したものです。
 時々笑い声が上がりながらも、しっかりした台詞を一言も聞き漏らすまいとする二百人の観客が、一人しかいないのではないかと錯覚する程に、静かに舞台に 集中していた気がしました。
 二枚目の銀之丞さんは初めて観ましたが、迫力十分で、これは感激ものでした。終幕では、この俳優が溢れる涙で、歌舞伎さながらの大見得をきるところで は、ホロリとさせられましたし、目を拭っていた観客もいたようです。
 見ごたえがありました。

* あるでないで      1.2.11 
 同僚にクシャミの兆候が出てきましたから、そろそろ苦手な花粉症の時期になりはじめたのではと、心配しています。対策は早めになさってくださいね。
 「母」を書いてから、不思議と阿波弁が口をついて出るようになりました。こちらへ帰って十四年余りにもなるのだからといえばそれまでなのでしょうが、そ れでも、地元の人ではないでしょうと、おしゃべりの後でへんに確信?を持って言われていましたの。ふる〜い方言を思わず知らず使っていて、「この意味わか る?」と。沖縄出身の店長の反応に笑いころげています。ああ、笑い皺が…。
 今夕七時、教育テレビの「日本の言葉」で徳島県が。時間に間にあえば見ようと思っています。
 「あるでないで?」 有るのか、無いのか、判断に苦しみそうな方言だけれど、京都にもよく似たニュアンスの言葉ってありましたよね。
 

* 立春過ぎて  1.2.8
 しばらくご無沙汰しておりました。ご多分に洩れず風邪を引き、先週はついに仕事を一日休みました。ウイルスの研究者が、なぜこれほど簡単に、我が身へウ イルスの侵入を許してしまうのか。アカザ(Chenopodium amaranticolor)という雑草がウイルスに罹りやすいため、よく実験に使いますが、今の私はまるで「動くアカザ」になった気分です。
 札幌では雪祭りがはじまり、あいかわらず真冬日が続いています。節分の日に、風邪をおして茶の稽古に出かけ、お多福が枡を持って鬼を追う「福来者有智 (フクハウチ)」の軸を見、初釜に使った嶋台でたっぷりと濃茶をいただいて来
たら、風邪が治りました。
 立春の朝は、雪がやみ日が射しました。窓の外に雀のつがいがとまり、羽毛をいっぱいにふくらましてさえずるのを、ふくふくと聴きました。そういえば日も 長くなったような。冬も折り返し点を超えたようです。
 「弓をたしなみ、池波正太郎の小説が好きで、その縁でだろう、中村吉右衛門が好きだと言っていた。あの大學で歌舞伎役者の名前を口にする学生はさすがに 珍しかった」。池波氏の小説を地でいくような人がいるのですねぇ。池波正太郎を料理にたとえるなら、ざっくりと切ったふろふき大根。藤沢周平は、きめのこ まかい「かぶらむし」。どちらも冬の夜には暖まります。まおかっと
 

*  PAIN      1.2.8
  昨日はどうもありがとうございました。メールにて失礼致します。でも早くお礼を申し上げたくて・・。
 お会いできて本当に嬉しかったです。
 帰りにご挨拶をして帰ろうと思ったのですが、もうお帰りになった後でした。気が付かず、失礼を致しました。
 受付でお世話になった女性にはお礼を申し上げたのですが建日子さんはお忙しそうでしたので、お邪魔をせずに帰って参りました。建日子さんにもよろしくお 伝えくださいませ。
 pain、良かったです。扱っている題材は重いものだったと思うのですが、それを感じさせすぎずに、でも考えさせるというような絶妙な運びに、”やられ た!”という感じでした。
 どう言えば的確に表現できるのかは分かりませんが、好きでした。また来ようね、と、2人で話をしました。とても魅力あるお芝居だったと思います。建日子 さんの中に、秦先生の血が流れているのだなあ、と感じました。うまく言えないのですけど。
 場面転換や台詞のテンポのよさもあって、1時間半のお芝居も長くは感じませんでした。良い席を取っていただいたお陰でもあります。何から何まで本当にあ りがとうございました。先生がいらっしゃらなかったら入れなかったかもしれません。本当にいろいろとありがとうございました。また、お会いできる日を楽し みにしています。
 昨日は会社の研修で随分落ち込んだりもしましたが、先生にお会いできたり、良いお芝居を見られたりで、心が落ち着きました。頑張ろうと言う気に改めてな りました。
 たくさんの感謝を込めて。。。
 P.S. 歌舞伎はいかがでしたか?
 

* 楽しみました   1.2.8
  pain、 教えていただいて、本当によかったと思っています。
 とても楽しみました。きちっと構成されていて、あぶなげなく、途中で飽きることなく、どきどきもして。
 最後は、筋としても舞台としても、私は「ずいぶん渋い終わりかただなあ」と思いましたが、いっしょにいった友人(たぶん40代後半)は、ぽろぽろ泣いて いましたから、きっとよかったのでしょう。
 サウンドやライトの使いかたも好きでした。作者・演出家は最後に舞台にあがられるかと思っていましたのに、残念。
 山崎銀之丞さんと大森ヒロシさんの演技もよかったですね。
 好きな人の子どもをひとりで生んで、育てるというのは、そんなたいしたことじゃないと、ちょっと醒めてみていたのかもしれません。
 私は待たない人間ですが、あんなふうにぼけるのも悪くないですね。 と、いささかは感情移入して観て楽しみました。ありがとうございました。
 

* お芝居   1.2.8
   多分知っている所です。若者がよく並んでいます。あした開演時間を確かめてきます。ぜひ拝見したいので。
 下の娘は今日から南フランスへ、ハムスターは昨日突然天国に行ってしまいました。小さななきがらを今朝娘と二人で雪の庭のサルスベリの木の下に大好きな ひまわりのたねと一緒に泣きながら深く深くうずめました。
 また暫く一人。ちょっと寂しい夜です。
 ミマン 買ってきました。難しいです。今月も。おやすみなさい。
 

* 才能   1.2.7
 初めて、才能の蕾がふくらんで見えたという気がした。今回は、ほとんど苦情をいうところ、ありません。よく出来ていた。主演銀之丞と友情出演氏の安定感 のあるさすがの芝居に、全体によく盛り上げられた。しかし彼らの演技を引き出し導いている脚本の力も随所に感じ、とてもいい勝負でした。脚本と俳優との競 演が初めて観られた。感想のおおかたはホームページに書きました。ありがとう。よく、やった。満員の盛況もおめでとう。
 あさってには二人で行きます。母さんも楽しみにしています。券は、頼んで置いた分、はぐれぬように確保して置いて呉れよ。千秋楽まで。お客さんには、親 切に。
 まゆみさんも、ごくろうさん。
 

* 建日子サンの視聴率   1.2.7
  HEROの視聴率がでました。今回はキムタクとマツタカの恋愛感情の芽生え?に目が離せなかったのか、34.9%とという最高視聴率となったようです。 と、これはテレビ解説の受け売りですけれど。 なりそでならないもどかしさに、次回への期待がもたれます。
 目的に向かって一直線、恋を枠の外に置いてしまっているため、男の気持ちに鈍感な彼女の心の片隅に芽生えはじめた感情。「夢」というかたちで表現されて いましたが、それを自分で認識するのはいつ?
  軽妙なやりとりや、ジョークが通じないことで巻き起こる伏線も楽しみの一つになっていますの。 最後まで目が離せない気分です。
 

* 雪のえべっさん   1.2.7
  こんばんわ。明日は、名張の八日戎。必ず雪になる祭りだとか。
  まさか、という暖かさ、穏やかな薄曇りの朝でしたが、昼から降り始めた雨は、優美な春雨ではなく、雨音も増し、日が落ちてからは、冷え込んできましたわ。 山と海の物産交換の名残、[はまぐり市]が立ちますの。そちらも、寒暖の差が大きいようですわね。お大切に。
 

* 届きました   1.2.7
  湖の本届きました。ありがとうございました。代金振り込みましたのでご確認ください。
 扱い易く、収まり易く、そして、なにか懐かしい感じのする本ですね。
 著者の方から直接届くというのも嬉しいものです。
 私は、HPで初めて秦さんの小説を読んだ不勉強者ですが (ですが、ですが、秦さんのHPは、私のような読者を確実に生み出している!)、「清経入水」の書き出しで吃驚して、「蝶の皿」でまた吃驚。自分の中で漠 としていたイメージが、文体から物語まで、形を成してそこにあったから……。
 

* ただいまあ!   1.2.6
 HEROを見たくて、急いで帰ってきました。
 建日子さんの脚本だったんですね。しっとりと落ち着いてみることができました。このドラマのいいところは、死人がいないこと。殺伐としていなくて、人間 性の機微に、妙に嬉しくなってしまうのですよ、私は。木村拓哉さんと松たか子さんのコンビもいいですね。彼の演技は自然体で、しかも花(色気)があります もの。見ているこちらもついニンマリしてしまい、われながら可笑しくなりますの。高視聴率だというのも肯けます。
 牡丹鍋はとても美味しかったですよ。八丁味噌と胡麻の風味がよくきいていて、おなか一杯食べてしまいました。イノシシ年生まれの誰かサンも、美味しいか も?
 

* 注文   1.2.1 
  秦さんのホームページは内容濃く、膨大で、なかなかすみずみまで目をとおしきれませんが、そんな中でも、映画「グランブルー」についてや、電子空間の 「闇」に書く、や、機器と文学、などなど、頷くことしきりです。ふむふむと読んでいたら、秦さん、お体の具合が芳しくないご様子。とても心配で
す。どうぞ無理をなさらずに。
 ところで、「蝶の皿」はまだ残ってますでしょうか。だいぶ前に、残り数十部とあったので、どうかな、と思ったのですが、もしあれば欲しいです。残ってい ましたらお手数ですがご連絡ください。送金いたします。
 湖の本の事、拝見しました。はてさて、どこから手をつけていいものやら。
 「畜生塚」という作品にも興味があります。題名を見ただけで読みたくなってしまうではありませんか。
 秦さんの読者としてはかけだしの私ですが、「佳い読者」になりたいと思っています。
 手元に置いておきたい本はいろいろあって、でもそれが現在あるとは限らない。あったとしても結構なお値段だったりする昨今、秦さんがなさっていることは とても意味があると思います。ただ先駆的なだけではなく、成果が伴っていると思います。まずは作品のよさがあってのことなのでしょうが。
 ときどき古本屋に行きます。わたしは旧仮名の表記が好きなので、文庫本より全集だなと思っています。最近、全国展開の古本屋が躍進めざましいですが、あ あいったところでは、文学全集の類は数は少ないのですが最も安く、一冊100円、50円です。これって嬉しいような、寂しいような・・・。
 今、またぽつりぽつりと書いています。あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、むむむと貧弱な頭を悩ませています。書くほどにわからなくなります。
また秦さんのところに送信できますように。
 欲なく、てらわず、佳い文章を・・・。そして何より先に「佳い読者」でありたいと、思っています。
 

* 感謝をこめて   1.2.1
  1月28日の私語の刻で、雪のメールについてお誉めいただいて恐縮でございます。日頃は思春期の娘の教育に格闘しておりまして、やさしい母親とはほど遠い 「鬼のような」母親をやっておりますので、先生の「温かい」という思いがけない表現を拝見して、私のほうが感激してしまいました。心にぽっと灯がともりま した。たった一言だけなのに、こんなに心が嬉しくなるなんて、先生の言葉は魔法の呪文のようです。
 一昨日には、帝国ホテルにいらしたようですね。偶然ですが私もその日帝国ホテルにおりました。私はお酒が飲めないのでバーに行くことはないのですが、 「ユーリカ」のパンケーキが好きで時々無性に食べたくなってしまいます。昼過ぎに妹と五歳の姪と一緒に、いつものようにおいしいパンケーキを食べたあと、 地下のアーケードなどを見ていました。ロビーでは井上ひさしさんをお見かけしました。そのとき私は秦先生も帝国ホテルをお使いになることを思っていまし た。井上ひさしさんは新聞やテレビで知るとおりの雰囲気の方でしたので、先生が歩いていらしても、写真でしか存じあげないけれど、一瞬でわかる気がいたし ました。作家と読者の関係では片方だけが顔を知られているので、不公平な気がいたします。もし帝国ホテルで、先生とすれ違うような場合がございましても、 けっしてそうと気づかれぬ視線をはしらせてすれ違います。そして、後で興奮して階段を踏みはずしたりしないように充分気をつけたいと思っています。
 

* 源氏がきらひ   1.2.1
 ご無沙汰いたしました。
 せっかく先生から、「萬福聚来 平安を」と、言祝いでいただきましたのに、風邪をひいたり、気持ちのふさぐことがあったりして、春芝居どころでなく、鬱 々と時をゆかせていました。器械にもさわらず、ぼんやりしていました。
 先生がメールをくださったのにも、気づかないなんて、何ということ。とんだ失礼をいたしました。
 それでも、『源氏物語』を亡きひとたちと読むのは、どうやらこうやら、続けています。やっと、「薄雲」になりました。

  亡きひとに聴かすと夜ごとこゑに読む「源氏」こよひの源氏はきらひ

 先生のメールに元気が出そうです。元気を出して、うたを見ていただけるようにとおもいます。けれど、一首一首の出来もさりながら、五十首が、一つ の作品としての結構をとおもいますと、むつかしくて。
 「恋を知るころ」、先頃亡くなった宗十郎の娘の役を覚えています。もうずっとずっと前のことで、手代役は誰でしたでしょう。田之助が母親役でした。あと に残ったいやな感じを、いま、思い出しました。
  「かすかに芯のところで頭痛がする」とおっしゃってなのが、気にかかります。おたいせつに。
 

* 如何?   1.2.1
  2月になりました。30日の検診は如何でしたか?
 定期的に検診をなさっていれば大丈夫でしょう?
 節分になれば随分春が近いように感じますが、まだまだ寒いです。忙しすぎても暇でも、結局は寂しい感じがいたしますね。
 何をしていたのか分からないのですが。一日ぼんやりと家にいました。朝からすぐ夜になってしまいました。こんなことをしているとだんだん馬鹿になるよう な気がしました。元々賢くは無いけれど。 御元気で。
 

幸福    1.1.28
   昨日の大雪は如何おすごしでいらっしゃいましたか。
  私は吹きぶりの一番激しい時間帯に娘を連れて買い物に出かけていました。港区というのはやたらに坂の多い区で、大きな坂道を転げ落ちそうになりながら普段 の倍の時間もかかって、歩いていました。「きゃー雪が目に入っちゃう」などと騒いでいる娘を見ながら、もう十年以上昔、ドイツに住んでいたころをふと思い 出しました。
 当時二歳の娘に下着やセーターを何枚も重ね着させて、帽子に、毛足の長いブーツまで履かせて万全の態勢で雪のなかに連れ出した瞬間、娘は「お顔が寒い」 と泣きじゃくったのです。お顔ばかりは服を着せるわけにもいかないので、娘をドイツの厳しい寒さに慣らすのには本当に苦労しました。あのころは、泣きなが らも母親の手をしっかり握りしめてけなげについてきていた娘が、今は生意気に、「帽子なんてダサいものはかぶらないから」などと宣言し、「また荷物持ちな の?」と文句を言いつつ、ついてきます。それでも娘は雪のなかを歩くのが結構楽しそうに見えました。格好だけはおしゃれで大人にちかづいても、まだ充分子 供なのだと感じて、私は少し幸福に浸りました。
 

* こちらもすごい雪です   1.1.28
 また、大雪になってしまいました。でも、車のタイヤをスタッドレスに換えて少し安心です。
 建日子さんのお芝居の情報、ありがとうございました。
 新しいお芝居、おもしろそうですね。
 秦さんのエッセイに、建日子さんがつかこうへいさんのもとで修業しているという文面を見つけたとき、わぁ、と思いました。
 つかこうへいさんは、わたしにとって特別な劇作家、演出家です。小学生のとき、初めてつかさんの「二代目はクリスチャン」という小説を読んでか
ら、つかさんのエッセイ、戯曲、小説を次々と読みました。
 わたしが中学生の頃にはもう、つかさんは劇団を解散してしまっていました。風間杜夫、平田満、石丸謙二郎、三浦洋一、根岸季衣、岡本麗……。
皆、テレビで見られる役者さんだったので、むかしの戯曲の公演当時の配役を見ながら、役者さんたちの動く姿を想像しながら読んだものです。
 今でも、むかしのつかさんのお芝居に出ていた役者さんがテレビに出ていると、つい見てしまいます。自分が見ることのできなかった舞台の幻を追いかけてい るような気がします。
 この前も、新宿のシアタートップスという小さな劇場で、風間杜夫さんの一人芝居を見ました。前から6列めの中央で、風間さんと目が合いそうで、
思わず視線をそらしてしまいましたが。
 山崎銀之丞さんは、3、4年前にシアターコクーンで「幕末純情伝」を見たときに、土方歳三の役をやっていました。つかさんのお芝居だと思って見に行った のですが、演出は誰か別の人だったと記憶しています。
 つかさんのお弟子さんの建日子さんのお芝居、とても興味があります。2月は歌舞伎座に行く予定があるので、むむむ、といった感じですが、これから建日子 さんの公演予定をチェックしようと思います。
 お伝えしたいこと、まだまだあるのですが、次の機会に……。 
 

* お元気なご様子      1.1.27
   何よりと喜んでおります。
 息子さんのお知らせ、ありがとうございました。いつでしたか、秦建日子作『孫』をテレビで拝見した後、専門家のおやじさんは厳しいんだなぁと「私語の 刻」を読んでおりました。『孫』の中で、車椅子に乗った息子が、いかりや長介の父親に向かって、「おやじ、ありがと・・」と言った場面一つで、田舎のおじ さんには充分満足でした。
 『pain』を、見てみたいと思います。
 創作シリーズ11、12、13、お送りします。一つ読んではホーッとし、すぐ次を読んではもったいないような気がして、ゆっくりやっています。それぞれ に浸ることが出来、いいのですが、『閨秀』の中で、姉のこまが嫁ぐ日母にしがみついて「おおきにどしたな、お母ちゃんおおきにどしたな」と繰返し泣いた場 面が忘れられません。
 『電脳社会の日本語』(加藤弘一著)読みました。著者に敬意を表します。e-old には、益々わからなくなりましたが。
 「身分的周縁シリーズ」手に入れました。神道者、神子、三昧聖・・面白いですね。素人にはすこしくどいですが、読んでみる気になってます。
 いつもいろいろ、本当にありがとうございます。
 今年もご多忙と思いますが、くれぐれもお大事に、ご健勝をお祈りしております。
 

* 衣料品の緊急輸入制限   1.1.25
 おはようございます。
 安い輸入衣料品を、買う雀ですが、アジアンブームの刺繍や手編みに、肌も、心も、チクッときますの。
 最近まで日本女性は、織・染・編・縫などの手仕事に携わり、楽しみ、反面、忙殺されてもきました。
 今は、アジアの女性が、安い賃金で作る手仕事品を、現金を稼いで買っています。流行が終わったら、飽きたら、多分簡単に捨てられるモノに、[手のぬくも り][人のあたたかさ]などの言葉がついて、売られる事に、身をよじる雀ですわ。
 フェアー・トレードはまだまだ少数。
 雀自身、日常にあった多くの手仕事を、次々にやめて、[買う]生活をしています。囀雀
 

* 月様      1.1.25
 今日は一日、冷たい雨が降り続いていますよ。風邪のウィルスが苦手する湿度のあるのはありがたいけれど、肌寒いのは…ン?
 用心、用心、ご用心。先手必勝とばかりに、転ばぬ先の杖ならぬ葛根湯のお世話になりながら、どうにか今年はまだ風邪の洗礼は受けずに過ごせています。寒 中見舞いにお肉を少しばかりお送りいたしました。風邪につけこまれないように、力を蓄えてくださいね。
 朝、テレビで放映されていた、中国の旧正月の祝い事を見ながら、お正月を旧暦でお祝いしていたのは、いつのころまでだったかなあと、思いだしていまし た。(小学校の中学年かな?)
 自然の四季を愛で、宇宙の彼方の星めぐりに夢を馳せることができていたのも、旧暦に生きていた昔人の風流に習っていたからでしょうね。桃の花の咲かぬ時 季の雛祭り。七夕だって、天の川は見えないことが多いんだものね。なんだか味気ない気がしてなりませんのよ、新暦は。でも破壊が進んでいる現在の自然環境 では、サイクル自体に変調をきたしていることを見過ごしてはならないと思っています。                  
 節分のころには寒さも一段と増すことでしょう。寒い辛抱はなさらず、暖かくお過ごしなされてくださいませ。ご用心、ご用心!ですよ。  花籠
 

* 『親指のマリア』    1.1.23
 とくと楽しませていただきました。
 とても一言では形容しがたく、いずれ、感想を。闇の中から浮かび上がる心象のマリア像を、網膜に焼き付けました。
父(パードレ)のおよび(親指)をはみだす、あおの聖衣は、間違いなく、シチリアの母(マードレ)なるアズッロ(紺碧と藍)の海と直感しました。
 殉教の章「彼は、見た目はぼろぼろに衰えながら、胸の底の一点だけは清々しく洗いあげて、ほうっと芯から明るんだ長助の目に心ひかれた。魂にも色があ る。その色が似ているからか、容貌も体格もまるで別でいてヨワンと長助に通いあうもの、優しい感じ、があった。」
 美しい、じつに美しい「生まれ清まはる」ような、はっと胸をうつ言葉です。白石、ヨワン、長助のトリニダードを、読みての私に仮託、具現した一瞬かと、 錯覚したほどです。
 時代考証はもとより、正確、懇切丁寧で、歴史観・歴史認識、東西の文明交流など、作者と種々のテーマを有難く共有することができました。
 今冬はことのほか冷えます。御身大切に。
 次は『最上徳内』を読んでみます。
 

  継続   1.1.19
  おはようございます。
 先日、BBCを見ていたところ、より収益を上げる為、葡萄は売れる品種を、土壌を無視して植え、機械も製法も、流行の画一的なものになっているという、 ワインのリポートがありましたわ。
 [コシヒカリみたいだわ]クイシンボ雀は、少し考え雀になりますの。
 良心的な農業・漁業の継続には、雀でも関われるような、手近な小さな事もあり、それより遥かに多く、時間も人手も知恵も要る、深遠な事柄があります。
 ワインも米も、そして、湖の本も、雀が生きていくのには必要なものです。
 [注文1]を続ける事しかできないけれど。囀雀

 
* 木と截金   1.1.18 
 さっき帰ってきました。いい展覧会でした。
 日本画の堂本元次、きりがねの江里佐代子、写真の井上隆雄の三人に、彫刻の清水九兵衛、日本画の石本正、染色の三浦景生三選者も賛助出品していました。 堂本さんの中国の風景に取材した灰色を基調にした大作の数点、見応えがありました。小品は、今ひとつでしたが。江里さんは、わたしが推しました。期待通り に美しいものを並べてくれました。伝統の技法で新しい分野へ切り込んで行く真摯な姿勢は、はやくに、この人をまだ知らなかった昔に、小説「畜生塚」で期待 していたそのものでした。ご主人が仏師で、夫婦相和し、いい仕事を続けられています。写真の井上さんも、わたしが推しました。木を主題にした写真はみごと な芸術品でした。現在だけを決定的瞬間で切り取る写真が、そうではなく、過去を呼び未来を引き込んだ「息づく現在」となって、時間も空間も、一枚一枚の写 真の中で生き生きと増殖し呼吸しているのを感じました。すてきでした。  湖
 

* 翁で新年を寿ぎます   1.1.15
  今日は、矢来の能楽堂でも 九皐会の『翁』が演じられました。
 今までは、翁の舞しか印象が無かったのですが、今日は、善竹十郎氏の三番三(流儀で字が違うのでしょうか)の揉ノ段の激しさに圧倒されました。
嫌な事の多い厳しい世相には あれだけ激しい舞でなければ、新世紀も新年も迎える事ができないのではないかと思わされました。
 天下泰平の祈願を込めて、翁を通して遅まきながら秦様に新春の賀を祝します。
 能は観世喜之先生の『鉢木』でした。雪深い村での、寂しさ、人をもてなす暖かさ。直面で、志気高い武士の世界を作り出していかれる姿に、先生の芸への精 進を見た思いです。
 

「私 ? ゴミ。」    1.1.14  
 雪景色の朝 お目覚めいかがですか。
 子供の頃、水道が凍って、大慌てで、ヤカンの汲みおき水を沸かし、走り回る朝が、何度もありましたわ。
 今は、朝の氷も風物詩程度に、快適な生活になりましたが、雀は、毎年、霜焼けになりますの。
 今週は、可燃・不燃ゴミに加え、空びん・空缶、スプレー缶、古新聞・古雑誌・段ボール、布製品と、毎朝テンテコマイ。
 着飾ったおばさま方と、今一番興味ある事について、お喋りしていた時、旅行、宝石、ファッション、お芝居などと華やかな中に、最後まで黙っていた婦人 が、周囲から尋ねられ、「私 ? ゴミ。」と答えたのを覚えています。7年前の事。囀雀
 

*  朝の月      1.1.11
 今朝、起きたら月夜でした。満月です。日の出は 7:01。
 明るくなってみると、車も家も、屋根が真っ白になっています。霜かしら。
 朝御飯の、茹で卵の殻が、珍しくつるりとむけました。福で明けた朝です。
 

* プラスに。    1.1.11
 hatakさん。 やっつけ仕事を終えて、帰宅する前にちょっと書いていきます。
 村上泰子さんの「サロマ湖から」読みました。    
 北海道の冬の天候を「今日の天気は、パイ生地のようにグレーの雲が重なった下に、水色のクリームが一層はさまっているという風。」とは。住んでいるだけ によく分かり、唸りました。その後の、「ざくざく」もパイに効いているし。
 さらに、「哀しみは時が癒すと言いますが、悲しみは心の底に静かにしずんでいるだけで、また雨が降ったり風が吹いたり木の葉が落ちれば、池の水のように 悲しみ色に戻ってしまいます。」には、今澱が沈んで行きつつあるところだけ
に、こういう表現が良くできるなぁと感心しました。
 いろいろな人の文章を読むのは楽しいですね。次に何がでてくるのか、楽しみにです。
 台湾に申請していた特許が受理されました。漢字ばかりの特許証が送られてきました。
 特許→専利、ウイルス→病毒、知的所有権?→智慧財産。なんとなく類推できます。
 日中は幾日かぶりに気温がプラスになり、雪が解けて水たまりが出来ました。今はまたかちんかちんに凍ってしまいましたが・・・。これから、その上を車 で、スケートのように滑って帰ります。  maokat

 
 初春の阿波路を走る   1.1.7
 県内十三郡市のチームが健脚を競う、徳島駅伝。箱根駅伝も素晴らしいデットヒートを見せてくれましたが、こちらもそれに負けないものですのよ。なんて いったって、阿波路を三日間をかけて駆け抜けるのですから。最終日はラジオで完全実況中継をしてくれましたので、仕事をしながら楽しむことができました。
 オリンピック出場の犬伏孝行選手や、箱根駅伝に出場していた選手たちの顔もあり、沿道の応援にも力が入っていました。
 長丁場になるこの駅伝では、同じ選手が異なる区間を再度走ることもあります。今年は犬伏選手が出身地の麻植郡コースと、アンカー直前のコースの二回を走 り、おおいに沸きました。もちろん総合優勝は麻植郡チームでしたが、なんと、郡部の優勝は、一九六一年の第七回大会以来、四十年ぶりとのことでした。
 中学生の区間や女子の区間が特別にもうけられていて、親子や姉妹、兄弟で出場ということも。今回の出場選手たちの中には、都道府県対抗女子駅伝の選抜選 手もいて、期待がおおいにもてそうです。弘山晴美さんや市橋有里さんたちを目標に、さらなる飛躍を誓う彼女たちの活躍を祈りたいと思います。 
 明日には雪模様になりそうな東京だそうです。寒気にはご用心ご用心!御身ご大切に、暖かくなされてお過ごしくださいませ。
 

* 音楽と仲間   1.1.4
  新世紀の日の出は音楽仲間と見ました。蒲郡という、豊橋にほど近いところなのですが、海からの日の出が見えます。
 こちら名古屋でも友人が増えつつあり,楽しい正月を過ごしています.
 12月末に、近くの長久手市というところのフェスティバルに出演してきました。管楽器(フルート,オーボエ,クラリネット,ホルン,ファゴット)とのア ンサンブルそしてピアノソロを演奏してきました。今回の仲間はみんなうまく、結構良い演奏ができたので、先生にお聴かせできなかったのが残念です。
また今回のメンバーでピアノ課を卒業していて、趣味のオーボエでアマチュアと楽しんでいるという珍しい人がいまして、いろいろ教えてもらいましたので、私 自身もレベルの高い演奏ができました。今度、ピアノの連弾でも遊ぶ予定です。
 また,人づてでピアノの先生も紹介してもらい、その先生に良い演奏会を紹介してもらったり、今回のフェスティバルにも聴きに来てもらったりしました。
 新しい仲間が増えると、それぞれの人が独自の興味深い世界を持っているのに驚きますし、そういった人たちと話せるのは楽しいひとときです。名古屋に来な ければこれほどどん欲に友人を捜し回ることはしなかったでしょうし、今は新しい友人に出逢うのが本当に楽しみです.
 ここ数年の成果をお聴かせするということで、3月の演奏会に力をいれています。恵比寿の会場まで是非いらしてください。
 

* ご無沙汰しております。  1.1.4
 秦さんの出来の悪い教え子だった、**です。
 年末年始は実家の向島におりましたが、部屋の整理をしていて見つけた秦さんの『東工大「 文学」教授の幸福』を読み耽っておりました。あの頃は
ずいぶん多感な時期だったと、懐かしい思いがしました。派手な時代に潜む寂しさを改めて認識しました。
  2年前の海外赴任時にすったもんだがありまして、私はまだ、父にも夫にもなれておりません。今年私も30歳になりますので、もうそういう勉強をすべき 時期に来たように思えます。その時はご連絡します。
 また息子さんのお芝居にお誘い下さい。月に1、2度は実家に戻っておりますので、都合をつけて是非自分を見つめる機会を持ちたいものです。
 お体に気をつけて、頑張って下さい。
 

* レトロな年明け   1.1.3
 hatakさん  あっという間に21世紀になってしまいましたね。
 淡々と新世紀をお迎えになられたご様子、「生活と意見」で拝見しました。わが家も仰々しい飾りはせず、根引きの松に見立てた松が枝に爪紅の奉書を巻いて 水引で結び、扉の外に飾り付けただけで、あとは普段の週末とあまり変わりなく、年を越しました。
 湖の本『日本語にっぽん事情』昼前に届きました。年末のお忙しいところ、二度手間になってしまい申し訳ありませんでした。なんだか、お年玉をもらったよ うな、ちょっといい気分でぱらぱらと頁をめくっています。
 年末年始恒例の論文書きは、あまり進んでいません。休み中は暖房がなく、研究室が寒くて凍えそうです。家でやろうと思って、仕事を持ち帰っても、ついつ い本を読んでしまったり。この幾日かは、図書館で借りてきた太公望(宮城谷昌光著)全三巻を読んでしまって、やれやれというところです。
 外気が−10℃を下がり、どうも肺の辺りがすぅーっとして気分悪いので、昨夜は家から5分の丘の上にある「緑の湯」という温泉に行きました。温泉といっ ても、銭湯に毛の生えたようなものですが、800円で、露天風呂もあり、ちょっとしたお出掛け気分が味わえます。夜の9時前でしたが、たいそう混み合って いまして、北海道ですからさしずめ、ジャガイモを洗っているような状況とでも言いましょうか・・・。少しだけ鉱物の匂いがする湯船につかって、のびのびと 手足を伸ばしました。辺りは濛々とした湯気に包まれ、湯船と洗い場の境界も定かではないところに、人型のシルエットがぼぉと浮かんでは消え、湯船の中には 黒い胸像のようなものが、あちこちに朧気に点在しています。そういう夢の中のような空間に長い時間を過ごし、とてもよく暖まって、お湯をでました。
  脱衣場で体を乾かしてロッカーに戻ると、あったはずの小銭がない!!早速現実の世界に引き戻されました。湯上がりの裸体でロッカーを開けてタオルを出し、 脱衣場へ行って戻るまで、ほんの一二分です。いいカモだなぁ、油断したなぁ、すっごい手並みだなぁ、とんだお年玉だなぁ、いろいろ考えつつ、ロッカールー ムを後に出来たのも、貴重品を持たず、車のキーが無事だったせいでしょう。
 「緑の湯」には、番台の奥に休憩コーナーがあって、ソファー、テレビ、ゲーム機、自販機、あんま機などなどが狭いところに並び、売店では、紙蓋付きの コーヒー牛乳などを売っていたりして、これはもしかして、意図的にレトロな雰囲気を演出しているのかな、と思ってしまいます。私は小銭を盗られて100円 しかなかったので、飲みたかった紙蓋付きのコーヒー牛乳が飲めませんでしたが、100円で飲めるものを捜し、紙コップのカルピスを飲みました。カルピスを 飲むなんて、小学校以来でした。火照った体に冷たいカルピスが美味でした。
 駐車場に戻り、車を運転しながら丘を下っても、ぼーっとした気分が抜けなかったのは、湯に漬かりすぎたためか、レトロな雰囲気にあてられてしまったもの か、どちらだったのでしょう。
 面白い年明けになりました。
 ミュンヘンに滞在中の友達が、狂牛病の再発を懸念するヨーロッパ諸国の様子を年賀のメールで伝えてきてくれました。アメリカの元同僚からは、癌の手術が 無事終わり、化学療法を始めるぞ、というメールも来ました。いろいろ問題はありますが、悩んでばかりいてもしようがありません。皆々無事であれと願うばか りです。
 遅ればせながら、新年のメールありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。 maokat
 
 

* 歴史と洞察    1.1.3
  お手数おかけしました。舌足らずの旧稿を丸投げしたようで、気がかりでした。ご説のとおり、この問題は軽いジャブ(当時は、やや勇み足の感もありました) ではすまなくなる恐れは大でしょう。革命家・日蓮の思想と行動は、共鳴する部分が多いのですが、つい先ごろまでの近現代日本、そしていまの政教のありよう にも深くかかわってきましょうか。
 いまも残る差別については、ゆめ、おろそかにしたくはなくとも、さりとて軽率に、寝た子を起こしたり、また、深追いできぬことも承知しております。た だ、真実をを知りたい、平たく言って「大釜の底をのぞきたい」というのが率直な気持ちかもしれませんが。(法華宗に深くかかわる京や周辺の歴史的背景も多 少は知っております。江戸期の法華神道についても。)
 差別の歴史的洞察は、半島や大陸との関係史も巨視、微視しなくてはならないでしょう。日本の王権、天皇のなりたちも含め。
 旧稿をまとめたころは、ご近所に有識の人もおられ、地元の歴史的な差別の名残について私見を交換したこともありました。網野善彦先生の著述などに触れ、 啓発されたこともありましたが、自分なりに資史料を渉猟し、フィールドワークの中から認識をもち、ゆるぎない視座をすえなくてはならないことは確かです。 おのおの、スタンスは違いますので。
 母方は越前の山の民です。平家のおちうど伝説、白山信仰、六代前の若狭・渡来南蛮人祖先説など、無名のレジェンドが私に伝わっております。
古神道、言霊(コトタマ)、神代文字を研究していた亡父の影響から、門前の小僧なんとかで、三角寛の本をめくっておりましたし、丹波の酒天童子伝説、八瀬 童子、琵琶湖の菅浦のはなしなど耳にしておりました。
 「誠実な用意の必要な底知れぬ問題」というご指摘ありがとうございました。肝に銘じます。
 いずれ、自前の資料で、少しやんわりまとめる機会があるやもしれません。秦さんの著述についても、まだまだこれから読ませていただきます。
 別途、何か肩のこらないものを用意して、また、ご検討いただきたく存じます。今後ともよろしくご教示のほど御願い申し上げます。
 お忙しいところ、ありがとうございました。
 

*       1.1.3
 新世紀とともに、益々の御発展と健康をお祈り申し上げます。
 今年の年始は唯二人きり、娘と過しました。 e年賀はとても嬉しかった・・暖かく頂戴いたしました。
 私は、どなたにも年始の御挨拶状を出すことなく、とおしております。故に正月に届く年賀は誠に少ない・・
 少ないからこそ、葉書1枚にもドラマがあります。思わず笑ってしまうもの、届いてかえって寂しさをさそうもの。
 「お幸せに」と願うばかりで、笑い顔も泣き顔も見せないつもりが、想いは、初夢の泉のように溢れて涌き続けるものなのですね。声を出してないてみまし た。
 まだまだ、命があるのを感じます。
 

*  賀正      1.1.2
 正月休みということで、今夜はちょっとお喋りします。
 湖の本の最新刊、学ぶところ多く、特に「書かで言ふぞ」には、のけぞりました。毎晩、受験勉強を片づけた後で「生活と意見」を覗いています。むうッと 唸ったり、ええッと驚いたり、あァーと感動したり。時々ぶわっと長い文章が載っていると、ずるずる睡眠時間が削られてしまいますが、さすがにナポレオンほ どではありません。寧ろ身体がウズウズしてくるぐらいです。今はじっくり我慢して、あと二ヶ月のマラソンに全力を注ごうと思います。
 先日、八重洲の大きな本屋に行きました。大学の下見に行った帰り、新幹線の乗り継ぎに東京駅で降りて。カルチャーショックを受けました。新潟では如何せ ん読みたい本が手に入らなくて、街に一軒しかない古書店でさんざん買いあさったけれど、まだ足りません。京都では、古本屋などもきっと僕の街なんかよりは ずっと充実していることでしょう。大学の正門から時計台を見上げて、俺はこの学び舎に通うんだと自分に言い聞かせました。
 そうそう、同志社大学が地下鉄駅のすぐ近くにあって、たたずまいの品の佳さに思わず声を上げました。秦さんが迪子さんと出逢った頃とは装いを異にしてい たのかもしれませんが、幸田康之と品部迪子と、そして絵屋菊子と槙子と、魅力溢れるキャストに相応しい舞台だなと納得しました。
 それにしても昨年は競馬がつまらなくて、却って受験生にはよかったかもしれません。今年は名馬と名手が演出す
る素晴らしい興奮を、淀のターフにこっそり忍び込んで味わいたいものです。さて、これからいつものように覗きにいきますね。春には桜が咲いたと報告できる ように頑張ります。秦さんも「湖」の開拓に励んでください。迪子さんともども、お身体には気をつけて。
 

* あらたまの   1.1.1
 新しい年、新しい世紀になりました。おすこやかに、佳き年でありますようにと、お祈り申しあげます。また、今年も佳いお話を、湖のお部屋でお聴かせいた だけますよう、おねがい申しあげます。
  友人が「第九」のコーラスのバスのパートに出るから聴きに来てというので、何か、お定まりという感じですが、大歳の夜を、「第九」を聴きにゆき、今、 帰ってきたところでございます。
 こちらに力がないとき、ベートーベンはちょっとつらいのですが、さいわいにあまり、重厚という感じでない演奏でしたので助かりました。
 筑波はさきほどから、ぽつぽつ雨が落ちてきて、あたたかなしっとりした空気が快く、心静かにあたらしい年を迎えることができました。
 これから、『源氏物語』を亡きひとたちといっしょに読んで、寝ることにいたします。なかなかはかどらず、やっと、「須磨」の冬の夜の物思いのところでご ざいます。わたくしは『源氏物語』の冬に、とても心惹かれます。小侍従にも、冬に佳いうたが多いものですから、小侍従は、『源氏物語』のよい読み手であっ たかなどと、想像したりしています。
 湖のお部屋に、「お身体に楽をさせて」というお便りを寄せられた方がいらっしゃいました。ご健康のことで、きついことをおっしゃったおひともいらっしゃ いました。わたくしも同じ思い。どうぞどうぞ、おたいせつになさって、ご無理をなされませぬよう。
 あらたまのとしのはじめのよごとのつもりが、まあ、くだくだと。ワインの酔いが残っているようでございます。お許しを。
 佳い年でありますように。
 

* 迎春     1.1.1
 静かで平安な新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。
 イタリアのミラノも、新しい世紀に遭遇する晴れやかさに満ちています。
 イタリア語でおめでとうは、 auguri。街のあちらこちらでこの言葉を、イルミネーションで、はり紙で、目にします。残り雪のある商店街を歩いていましたら、前方から来た若い女性 が、店のなかにいて声の届かない人に、大きく口をあけて「あ・う・ぐ・り」と形にし、楽しそうに手を振りました。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 

* 一陽来復     1.1.1 
  新しい世紀を機にまことの萬象維新を庶幾う。
 

* あけましておめでとうございます。     1.1.1
 湖の本エッセイ21、124ページ志賀直哉のこと同感。
 志賀直哉はソシュールの言語学でいう parole(個人的な言葉)を lanngue(民族や国に固有の言語体系)にまで高めた人、いまはlanngueもなければ、paroleもないめちゃめちゃな状態になっています。
 個人的希望としては、私は秦さんには、今年はいい短篇をひとつ書いて欲しいと思っています。川端康成賞だって、むかし永井龍男さんが『秋』でおとりに なった頃とくらべて、ひどくレベルが落ちている。ご健筆を祈ります。
 

* 新世紀を迎えて      1.1.1
 昨夜、研究室で秦さんの短歌のメールを読みました。
 確かに新年は静かに何事もなかったかのようにおとずれました。"大いなるもの"も、きっと訪れ来ていると思います。
 今年は卒業、就職、そして留学と、私にとって大きな転機となる年です。あせらず、大きな気持ちでこの新しい年を迎えたいと思います。
 ただし、修士論文の締め切りまで後わずか! ちょっとあせっています・・・
  秦さんも、ますますのご健闘、お祈りいたします。
 

*  ファン      1.1.1
 [湖の本]創刊からのお付き合いでないのが残念ですが、十数年の間、届くご本の「私語の刻」で、その時々の、お考えやご生活を垣間見ながら、お作を読ん できて、本当によかった。作品世界も、お人柄も。充実が深まり、現実が濃厚にありながら、透明感が増して。変化はしても、変質してはいない、秦さんの、魅 力的な世界に、十数年経って、ようやく気が付きました。「It's a wonderful world」
 評価の定まってしまった過去の人ではない作家秦さんのファンは、今、ともに、ここで、同じ時を生きて、毎日、互いの息を感じているのが、心身に大きな宝 物。
 今年も、これからも、解らないながら、読み続ける(それしかできない)ファンでいます。
 

* 元旦は寝正月       1.1.1
 ゆっくり目覚め、遅めのお雑煮をいただき、一息ついているところへ、今年が年男の二男が、お年玉を持って新年
の挨拶に来てくれました。専門学校を卒業して就職した翌年のお正月から、彼はこの母にお年玉をくれ続けています。息子にもらうお年玉、なんて嬉しいものな んでしょう!ぷっくら膨らんだポチ袋に、の優しさがいっぱい込められていて、母冥利につきます。
 「おばあちゃんはな、お年寄りやし、もう仕事もしてないから、お年玉をあげような」。
 長男と二男がまだ幼い頃、お正月に実家に行く時は、少ないお小遣いを貯めたなかから、祖母へお年玉をあげようと子供たちに提案していました。五百円にも 満たないお年玉でしたが、母(祖母)はとてもうれしそうに、大事に懐に入れていました。
 子供心にもうれしい出来事として記憶されていたのかもしれないと、手にあるポチ袋を眺めながら、二十年も昔のことを懐かしく思い出しています。
 出かけることもなく、夕刻に三男が帰宅するまで「寝正月」の元旦となりました。
 四日からの仕事に向けて、今日からは体も始動させねばね。なにをいっても体が資本ですものね。元気に過ごせるように自己管理は重要課題ですよ。ご自愛な されてくださいませね。
 



 
 
電子書簡往来 2000年
 
 
 

 雁 信

      
      この頁には、折々の電子メールや、消息往来を(おゆるしを得て)
      掲載します。不徳ナレドモ孤デハナシ。日付の新しいものを上へ
      上へ積んで行きます。署名は、時に、省きます。

      事務・実務におわらぬメールの「表現」が可能なのでは、と。

      



 

題名 : 二十世紀を送る大晦日     2000.12.31

 買い物にも出掛けず、一日中台所に立ち、もう年越しそばも食べ終えて、大晦日の仕事が全部終わりました。
 二日間、とても心配していました。もう体調は落ち着いた様子と安心しています。多分寒い間は予断を許さないでしょうね。まず実行出来る事、なるべく就寝 時間を速めにね。
 何かこの年末から年始にかけて、想えば想うほど、寂しくてしょうがないのです。
 父をなくしたのが、大きいようです。1907年生から2000年のほぼ1世紀を生きた人です。ガチガチの頑固で真面目な父で、若い頃は何回造反を起こし たか分からないのに、長じては、家族への愛情一杯だった人と気付き、今また涙がこぼれます。
 孫達が来られないのも、その一因でしょうか。
 三条白川橋での大晦日は情緒がありました。知恩院や青蓮院の鐘が聴こえてきて、おけら参りなんてホンの一足。大通りは一晩中ザワザワと人が歩き、そのま ま、元旦にかけては平安神宮から祇園さんへの初詣の人波が途絶えず、今のこの地のいつもと変わらない静けさとえらい違いヤワ。あの雰囲気はもうわれながら 異様なほど懐かしい。
 さあ、もうすぐ二十一世紀です。あなたのご健康を切に願って。
  新年を、お互い、佳い歳にしましょうね。
 
 

題名 : あと八時間も、ないわ     2000.12.31

  はぁい!雀は、神田明神で、甘酒を頂いています。
 湯島交差点にある、つる瀬。この店の豆板・餅菓子はおすすめです。さて、そろそろホテルに戻ろうかしら。雨の予報ですね。
 初日の出に合わせて、九十九里で連獅子の、勘九郎親子は大丈夫?
 一年中賑やかな囀りメールにお付き合い頂き、ありがとうございました。お疲れの出ませんように。神田から、延寿甘酒とともに、雀の愛と感謝を込めて。
 よいお年を。囀雀
 
 

題名 : 世紀の最後にご挨拶    0.12.31

  こんばんは、竹村史子です。21世紀初めての太陽が昇るのも、あと30時間後ぐらいですね。
  新年の挨拶を、本当は申し上げたかったのですが、元旦はネットが混みそうなので、年末の挨拶にかえさせて下さい。
 私は今年、秦さんにお会いしてから、日本の文学作品を今までになく読んだような気が致します。また京都市内のお寺をまわったり、雅楽を習ったりもして、 日本の歴史や文化に好んで触れた1年でした。今になってみると、これまでとは異なった志向が自分の中に存在するのを、若干ですが感じます。まだ、どこまで も抽象的なそれが、でもやがて、だんだんしっかりとした輪郭となってゆくのかな、なってゆきそうだな、そんな気が今致しております。楽しみです。
 秦さんも、ネット上で新しい試みを行われるなど、その緊張感と期待感は世紀の境を関係無く続きそうですね。その発言するサイトは、今は私もまだ読者に徹 しておりますが、いずれ投稿できたら、と思っております。その時はまたご指導のほどをよろしくお願い致します。
 それでは、21世紀の最初の年が、秦様にとりまして素敵なお年になりますよう、心よりお祈り申し上げます。
 
 

題名 : ホッとしました    0.12.30

 よかったです。ほんとにホーーッとしました。
 心配しすぎて、笑い話で済めばいいのですが、うっかり頑張らないでください。救急車にならないでください。撃ちてし止まむ、はお止めください。きっとお 願いします。
 バグワン・シュリ・ラジニーシ、読んでみたいと思っているのですが、未だ巡り会えずにいます。インターネットで、髭のおじさんの写真を手に入れて、とっ てあります。
 家ん中ぐちゃぐちゃ、ご同様です。これは、くらべっこしても負けないと思います。まっいいか、で過ごしております。
 「白味噌と蛤を買いに池袋へ」、目に浮かぶようです。とにかくよかったです。でも、でも、くれぐれもお気をつけてください。お大事にしてください。
 chiba e-old
 
 

題名 : 心身の休息を    0.12.30

 「…ひさしぶりに残っていた舌下錠剤を二粒口に含んだ。…」!!
 初発はいつ頃からなのかわかりませんが、その前も「胸がつまる」と拝見して、そうでなければいいがと祈っておりました。
 重々ご承知のことですが、寒いのはまずいです。寒い所へ出るのも、そこで運動してしまうのも。つまり、血管を収縮させ、心臓に負担をかけるのは厳禁で す。
 取急ぎ、取りあえず、
 (1)舌下錠をすぐ使えるように身につけておいてください。(私は財布に入れてます)
 (2)なさっていればいいのですが、聖路加の主治医にご連絡ください。聖路加に加えて、近くにも主治医をお作りください。年末年始(もうそうですが)、 受診できないと困ります。少なくとも、舌下錠剤を充分用意しておいてください。
 (3)暖かくして、お休みください。心身共にお休みください。
 (4)風呂、排便、食べ過ぎ、などなどきっかけを作るようなことにお気をつけください。大袈裟に言えば、入院させられたとお思いください。
どうか、どうか、お大切にしてください。勝田貞夫
 

題名 :   0.12.30

  お寒くなりました。おからだ如何ですか。よい作品集まっていますか。
 喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます。本年は、早春に夫が、初冬に兄が旅立ちました。大正の末に生まれ、青年期を戦争に巻き込まれたこの人たち は、その後の人生を組織に属することなく強く生き抜きました。人には、限りなくやさしく。
 私は、今年ほどコンサートに足を運んだことはありません。これが私のブリーフワークなのです。
 21世紀には何を夢みようかと考え中です。
 くれぐれもご自愛ください。ご家族の皆様とよいお年をお迎えくださいませ。
 
 

題名 : 未来    0.12.29

  おはようございます。
 一昨日、会って、すべて話しました。前にメールにかいたこと全て、きちんと、真面目に話してきました。向こうもそれなりに受け止めてくれたようです。い ろいろと迷ってるところはあるようです。ぐっと、距離をおかれて退かれてしまうことも覚悟してましたが、まったくそんなことはありませんでした。
 彼女は僕のことを根はまっすぐで、誠実な人と見てくれていました。そんなこと言われるのは始めてで、先生も?とお思いになると思いますが、僕の字と文章 が大好きみたいです。(ほんとよくわからん)
 なんでもいいけど、嬉しいことです。
 いろいろとありがとうございました。
 年も近い友人と話すと、とかく駆け引き的な話になってしまうところはあります。「誠実に、思いを伝えておくべき」と言ってもらうことはありませんでし た。でも、これがすべての基本なんだと思いました。
 彼女とはどうなるのか全く今はわかりません。彼女自身もそのようです。待つつもりだよ、とは伝えました。もしよろしければ、今度建日子さんのお芝居があ るときにでも、会ってもらえないでしょうか。
 今年もほんと切羽詰まってきましたね。あまり21世紀だからという意識は、なぜか無いですね。アポロ計画が中止にならなかったら、新しい年は「2001 年 宇宙の旅」のように人類は木星まで有人飛行していたのだろうか?「ブレードランナー」で描かれた酸性雨の降る、暗く、猥雑な都市像も少し外れていた (いや当たっているのか?)。そんなことをたまに考えたりしてます。
 ほんとうにありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。
 
 

題名 : 赤い花   0.12.28

 穏やかに晴れました。雪も僅かに解けたようです。
 書き終われば落ち着くと思いましたが、全然落ち着いてはおりません。もう少しこの机に座って、花を見ていようと思います。チューリップは、ヨーロッパ世 界にはじめて植物ウイルスの存在を知らしめた、植物ウイルス学を専攻するものにとっては特別な植物です。赤い花が室長の机にとても似合っています。
 秦さん、大型の暖房器具をぜひともお備えください。FF式と言って、屋外の空気を給排気し、火の見えない安全な物があります。費用はそこそこかさみます が、お体にはかえられないのではないでしょうか。「耐えて忍べば済す有りと」は、別のところで。お体には楽をさせてあげてください。お願いします。心配で す。
 私の書いたものを読んでくれる方がいる、好きだと言ってくれる。嬉しいことです。論文を評価されるのとはまた違った感慨があります。また書こうと思いま す。
 今年は風邪を引いて第九には行けなかったので、フルトヴェングラーのCDを聞いています。
 解けた雪がまた氷り、星が輝きはじめました。明日も寒くなりそうです。
 
 

題名 : みづうみ   0.12.28

 いただいたメールの最後に置かれている「みづうみ」という字を見ていますと、いろいろな湖が浮かんできます。そのときそのときの心でながめた水の 色、物語り、お作にあった湖、それから、遠い記憶のものとも、夢ともまぼろしとも分かず、たちあらわれ、ひたひたと足首を濡らす冷たい水。このまま冷たい 水に抱かれて湖底にやすらぎたい。そうおもったこともありました。思いつづけていますと、涙ぐまれてきます。

   銅鏡のごとき水面を見あげゐつ水に棲むともなほさびしくて

 ずっと以前にこんなうたを詠んだことなど思い出されて。
 ちょっと、つらいことがありまして、閉じ籠っていました。器械もいっしょに働かなくなってしまい、ひとりで寒がっていました。お送りいただいた『日本語 にっぽん事情』のお礼も申しあげませず。
 器械の不調は、わたくしの扱いの不手際からだったようで、理由もわからず、ふと、もとにもどり、何やら化かされたような気分でございます。
 けれど、久しぶりに訪うた湖のお部屋のあるじの、ご健康が気づかわれます。お医者さまのお目のとどていることは存じていますけれど、案じられてなりませ ん。どうぞどうぞ、おたいせつに。
 夕方は茜の空に黒紫の富士がうつくしうございました。そして、今は、こぼれるような星空。わたくしの鬱も少しづつ、薄らいでゆくようで。
 
 

題名 : バグワン    0.12.27

 先日は、突然私の出したメールにご丁寧にお返事をいただきましてありがとうございました。今日何気なく日本経済新聞の夕刊(12月27日)を見て おりましたら、一面に古館晋氏(大阪ガスCEL研究所顧問)という方か、バグワンのことを語っているのを見つけました。次のような文章です。
>>>
インドのガンジーやネルーが精神的な巨人であることには多くの賛同が得られるであろう。宗教家や思想家にも注目すべき人が多い。例えば、ラジニーシはイン ドの思想だけでなく、老子(書名、TAO永遠の大河)を語り、一休禅師(一休道歌)を語っている。日本人による一休伝は細部は正しいが、本質に迫っていな い。ラジニーシの一休道歌は細部に間違いはあるが、一休禅の本質をとらえている。すばらしい洞察力である。
>>>
 ラジニーシの理解者がいてくれたのを発見して嬉しく思いましたので、メールさせていただきました。
寒い季節になりました。くれぐれもご自愛ください。
 
 

題名 : 寒いですね    0.12.27

 私が住んでいるのは群馬県の小さな田舎町です。生粋の山育ちです。
 群馬には上毛三山というのがございます。妙義山、赤城山、榛名山が望めます。浅間山もはっきりと見え、雪など冠ればとてもきれいで、小さいとき「富士山 だよ」という母のいたづらを真に受けていました。
 私の住む辺りからいちばん近いのは妙義山です。妙義の子供たちは運動に長けています。私の通っていた中学校のサッカー部は、郡大会で妙義中のサッカー部 に一度も勝てませんでした。郡内にサッカー部のある中学は2校だけだったのですが・・・。山また山の土地うちでも、山のていどで足腰に差が出ると思うの は、負け惜しみでしょうか。
 小さいときは、近所の子たちと駆け回って遊んだものです。神社にある、幹の中が空洞になってしまった枯大木に潜り込んだり、鬼ごっこをしていて、苔むし た土の上で滑って転んだり、椿の花びらを集めて水に浸してしぼり、団子をつくったりしました。自然児ですね。学校からの帰りしな、たんぼ道でシロツメクサ を摘んで首飾りをつくったり、甘い桑の実を食べては脣をむらさきにするわ、蛇いちごを食べると蛇になる、などと言いながらも、
そっと汁を吸ってみたり。きりもなく思い出されます。
 秦さんのふるさとは京都、しかも花街の近くとか。お茶に触れ、歌に触れてすごされてきた秦さんの風雅な少年時代に比べれば、変哲のない田舎の子供時代で したが、思い出すと、こころがみずみずしさに浸されます。
 現在の仕事は、当世流行のパソコンのオペレータです。パッケージ印刷用の版をつくっている小さな会社に勤めています。毎日マッキントッシュというパソコ ンをいじっています。主に使用するのは描画ソフトやレタッチソフトです。今風の言葉で、デジタルプリプレスというやつです。
 東京方面へもたまに行きます。芝居見物が好きで(エッセイからすると秦さんもお好きなのでは?)、ここのところちょこちょこと、月に一本くらい見ていま す。いつまでもつか、お小遣い。
 歌舞伎が好きです(詳しいことはよくわかりません、ただ好きなのです)。二月の歌舞伎座に我當さんが出ます(秀太郎さんも出ますが)。秦さんは我當さん と同窓でいらっしゃるとか。秦さんのエッセイで、我當さんが仁左衛門を襲名しなくて残念、という文面がありましたね。私も仁左衛門は我當さんが継ぐのが自 然に思いました。芸云々というのではなく、なんとなくです。孝夫さんは孝夫さんでしかないような気がしていました。孝夫さんが仁左衛門。文句があろうはず もありませんが、仁左衛門という名には、十三代目の老優のイメージがありましたので、すぐにはきりかえにくかったです。漸く最近、今度の仁左衛門は先代と は違う仁左衛門なのだと思えるようになりましたけれど。その仁左衛門さん、三月の歌舞伎座に出演予定があります。是非見たいものです。
 そんなわけで、この正月は、NHKでやる歌舞伎や、玉三郎さんの舞踊のビデオでも見ながら、家でおとなしくしていようと思います。秦さんも、どうぞよい お年をお迎えください。
 
 

題名 : 仕事   0.12.27

  メールを、ありがとうございます。すっかりご無沙汰しまして、私のことはお忘れかとも思っていました。
 日々充実してゆくホームページへは、ちょくちょくお邪魔しています。
 会社は本日までで、明日からしばらく休めます。世紀越えですが、いつもと変わらず、暖かい陽が射して、すこし風の強い正月を迎えたいと思います。
 ずいぶん前に、日記だからといって、Webで書くものの内容に、自信と責任がもてないようでは困るということを、書かれてはいませんでしたか。それを読 んだとき、確かにそうだと感じ、署名で記事を書いている自分にも、もう少し自身と責任の裏づけになるものが欲しいと強く思いました。その鍛錬はまだまだこ れから続けていく必要があるのですが、11月の末から、日記をはじめました。秦さんには笑われるかもしれませんが、私は宿題以外に日記を書いたことがあり ません。どれだけ続くかわかりませんが、1ヶ月、続いています。もっとも身近な筆記具であるパソコンで書いて、誰かが読むかもしれないWebにアップす る、という作業が、私に続けさせているのかもしれません。
 でも、これにも意味があると思っています。ひとつは、自由に楽しく書けているということです。文字数制限や、読者の興味よりも、自分の書きたいことを優 先できる楽しさ。
 書く仕事につく前は、これが適職とも思っていましたが、今の仕事は、書くのなんて最後の1割の勢いでやっつけるようなもので、それ以前の下準備に時間が かかります。それも、書くための準備ではなく、それ以外のものです。こうなってくると、自由に書く楽しさ、というものを、新たに近くにおいておきたい気持 ちにもなります。
 ようやく時間もとれるようになってきました。まずは日々の記録からはじめ、そこからどこかへ展開させてゆきたいです。新世紀の抱負があるとしたら、これ です。
 短歌について。少しブームのようですね。私の中では、今はお休みしています。泳ぎのようなものかもしれません。泳げなくなったわけではないけれどなんと なくプールから遠ざかって生活しているような。
 1月6日からの連休のうち、いくらかお時間をいただけるなら、お会いしてお話したいと思います。もちろん、パソコンの話ばかりではないです。
 私もずいぶん食が細くなりましたので、同じくらいの量、いっしょに食事ができるといいですね。
 
 

題名 : 無理しないで   0.12.27

 拝復 仰有る通り「いろいろ気をつけて暮らさねばならん」のであります。残念ながら、日常のいろいろ不愉快な症状も、ひっくるめて、年齢的な現 象、現実なのであります。ヒトは、その認識が遅れがちだと思います。
 数週間前、突然友人の奥さんが脳出血で倒れ、あたふたしておりました。元気印そのもののような人でした。老人ホームにも同じ様な人がたくさんいます。つ まり、お互い、そうゆうとしなのであり、そう差がないのであります。
 診療所に通って来ていたお年寄りに、「きんのは、なんだか具合え悪くて、出掛けて来なかっただよ」と云われたことがあります。ちょっとへんな話ですが、 その方が、むしろ賢いと思います。大学教授よりも、偉いです。(実際に、それを無理して会議に出掛け、亡くなった医学部の教授の方がいます。)
 それで、「今日は何だか気が向かねぇ」というサインを、もっと大事にしなければならないのであります。
 とかなんとか。今日はいい天気なのに、家でごろごろしています。秦さんは、どうかくれぐれもお大事にしてください。
 
 

題名 : 墨牡丹  0.12.27 

 『墨牡丹上下.txt』お送りします。これも又、好きになりました。「…真の美は名匠の作る芸術の中に宿る」というのが、わかったような気がして います。入江波光、榊原紫峰、土田麦遷、小野竹喬、石川利治、みんなの絵もいつか見られるといいな、と思います。ありがとうございました。
 私語の刻の「自分の中で爆発を待つマグマのあるのを、じっと感じている。だが急がない。急がない。 」にあやかって、来る新世紀は、うそでもいいから元気出して暮そうと思っています。
 いいお年をお迎えください。どうぞお大事にしてください。
 
 

題名 : 歳末  0.12.26

 ここ数日の舞い上がった日々を日記風に。
 12月24日   夫が出張のおみやげで買ってきた赤福もちを食べながらのんびりと、秦先生のホームページ「私語の刻」を見ていた私は、驚きのあまり赤 福もちを喉につまらせそうになる。23日の記述のなかに自分のメールが紹介
されているではないか。今までいろいろな読者のメールが紹介されていたのは知っていたが、まさか自分の書いたものがそういうことになるとは想像もしていな かった。自分のつたない文章が電波にのっていることが恥ずかしくて、穴があったら入りたいと思う。しかし、私のメールを一瞬でも喜んでくださったと思う と、光栄で。うれしい。
 12月25日   朝、夫を会社に送り出し、洗濯をすませると娘を連れて映画に行く。有楽町で「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観る。十時半はじまりで はあるが、ほぼ満席状態。泣ける映画ではあったが、あまりに救いがなく人にはすすめられない。盲目の主人公が空想のなかで歌い、踊る場面はすばらしい。あ ちらの歌手は歌うときにこれが人生最後の歌だと感じて全身全霊で歌うから、日本の歌手とは気迫がちがう。娘は「疲れた」と感想をもらす。映画がすんだので 銀座で食事でもと思っていると、母から携帯に電話が入る。父が動けなくなって、母ひとりの力では動かせないので手伝いに来てほしいとのこと。急遽実家へ向 かう。父は長く患っているが、この一年はとくに進行して時々動けなくなる。実家につくと母と私と娘の三人で床に倒れている父親を起こしておしめを替える。 ずしりと重く、絶対に動こうとする意志のない身体を支えていると、ほんとうにこれぞ重荷であることを痛感する。母を助けた帰り道に郵便局により、湖の本の 振込をすませる。帰宅して秦先生のメールを見る。
 12月26日   午後四時頃、湖の本が届く。なんとやさしい本だろう。読む人間のことを一番に考えてくださった本だ。いつも身近に置けてどこにでも連 れていける大きさで、読みやすく、眼に気持のよい活字です。すっかり有頂天になる。誘惑に負けて、ほんの少しの時間のつもりで一冊を手にとって読みはじ め、はっと気づくと外はもう真っ暗。夕飯の支度を忘れました。あわてまくって料理をつくり、いつもより一時間おくれの夕食となる。この調子でいくと、年末 の大掃除が予定どおり実行されるかどうか、はなはだ微妙な情勢である。
 
 

題名 : 国語   0.12.26

 ご無沙汰しております。e-magazine湖(umi) に投稿するべく、書いてみました。「日々多忙の中から、発言できることが有れば、利用して下さい」という言葉に励まされ、書いてはみたものの、こんなに大 変だとは思いもしませんでした。
私は「文学」を学んだわけでもないので、紀行くらいなら書けるかなと思ったのですが、書き始めてすぐ、簡単ではないことに気付きました。
 e-magazine湖(umi)は、「文学・文藝サロン」であって、「文学表現」の場とのこと。旅行記ということで、今年の三月に大学同期の友人と卒 業旅行にカンボジアに行った様子を記そうと思ったのですが、ついつい、写真を掲載した方がよっぽどわかりやすのではと思ってしまいます。実際、そういう ホームページも多いと思います。でも、先生はそれを文字だけで「文学表現」しろとおっしゃる。私の拙い文章で、私の言いたいことが本当に相手に伝わるのだ ろうか、と何度も書き直して読んでみても、納得がいかないのです。私の感じた気持ちが、どういう方法であれ伝えられないのはもどかしい限りです。今頃に なってようやく「国語」をきちんと学ぶべきだったと思いました。
 もしよろしければ、先生の御批評が頂ければと思い、勝手ながらメールで全文を送信させていただきました。お忙しいところ、お手数をおかけしますがよろし くお取りはからいのほどお願いします。
 P. S. ホームページを拝見させていただきました。全部目を通したわけではありませんが、真岡哲夫さんの文章がわかりやすくて良いです。あのような文章が書けたら と、うらやましいです。勉強になります。
 
 

題名 : 詩歌     0.12.26

  クリスマスを、おだやかにお過ごしになられたようで、日記を読みながら嬉しく思っておりました。
 e-umi も拝見しております。他のところも読まなければと思いつつ、どうしても詩歌のページばかり開いてしまいますが……。
 清沢冽太さんの『浄土やさしきか』が一番好きです。いきものの持つ二律背反性を見通す目、そのことを17音で教えて頂いたような気がしました。秦先生 の、「句の気合いに、禅機を感じている」には、大納得です。
 山中以都子さんの『歌』は、何度読んでも涙がこぼれます。「ちいさくて丸い、なにがなし幼さの残る筆跡」のところで、盛岡の駅舎に掲げられた「もりお か」というはかなげな字が思い出されるのです。(私は啄木に憧れて、節子の出た盛岡第二高等学校へ入学した女です。)
 辻下淑子さんの「娶りしと風の便りに聞きしよりわが還るべき原野は失せぬ」。自分が生き続けてゆくためにこれだけはどうしても認識したくない、って現実 がありますよね。それを言っちゃあおしまいよ、というべき現実が……。私の場合のそれ、まさにこの歌に詠まれているのです。哀しいというより、もうチカラ が抜けた。先生が以前「通すべき私など、どれほどのものか」というようなことを日記に書いていらっしゃいましたが、本当ですね。あーあ。
 先生にお声を掛けて頂いたのが嬉しくて、歌か句を書かせて頂きたいと思っていますが、どうしたものか、なかなか出てきません。気負い過ぎてるのかな あ……。
 最近の大きなトピックスは、(あまりいい話ではないですが……)女子職員に言葉でセクハラをする上司がおり、私も何年も前から被害に遭ってい
たのですが、思い切って先月の中旬、取締役へそのことを直訴しました。具体的には「セクハラによる神経障害」という診断書を会社へ提出したのです。それか ら何度か取締役と面談を重ねた結果、セクハラ上司は退職と決まりました。少しスッキリしています。
 最後に、物を知らなくて本当に恥ずかしいのですが……バグワンという方の本で、まず最初に読むべきは何という本でしょうか。お話が出てくるたびに、強く 興味をかき立てられて、ぜひ読んでみたいのです。どうか、お教えください。
 マゴちゃんはお風邪だったのかな……。おちゅうしゃだったら、いたいいたいね。
 空気が乾いています。先生も、奥様も、くれぐれもご自愛くださいませ。
 またお便りさせて頂きます。どうもありがとうございました。
 
 

題名 :     0.12.25

 クリスマスは何が何でもクリスマスするのだ・・・と、朝からりきんで、さぼっています。
 19歳になる娘は、勿論もうサンタクロースを信じてはいません。けれどこの時期になると決まって二人の話題になるのが、娘がまだ幼稚園児だった時にやっ て来たサンタさんのことです。
 『あの事だけは、いまだに不思議やなぁ』と娘は言います。
 当時、実家には樅の木がありました。私が小学校の一年か二年のクリスマスに 亡くなった父が買って来てくれたものです。何年かは12月になると庭から掘 り出して、家の中に鉢植えのように置かれて飾られておりましたが、やがて家に入りきらなくなり、庭の片隅で成長しつづけました。
 その年は、12月に入って父の命日も近くなり、急に樅の木が恋しくて、幼い娘にプレゼントしたくて、屋根にも届く樅の木に梯子をかけて飾り付けをしたの です。
 田舎の事ですし、まだ洒落てイルミネーションで飾るお宅も無かったので目立ったのでしょう。
 25日の朝、新聞をとろうと庭に出てびっくり致しました。ツリーにプレゼントがぶら下がっているではありませんか。『手袋を買いに』という絵本でした。 メッセージカードには、「長い間このツリーでみんなを楽しませてくれて有難う!おか
げでおじさんの仕事も大変楽でした」と書かれていました。
 幼い娘にとって、その不思議が余程嬉しかったのでしょう。無垢な心に受けた感動が、大人になった今も(あれは、どこのおじさんがした事なのかしらん)と いう思考へは向かないようですから・・・。あの時、私の母は、『この町にも粋な事をする人がいる・捨てたもんじゃないわねぇ』などと言い、私はというと、 明け方に塀や門を越えて、見咎められれば家宅侵入の危険を犯してまで『夢』をプレゼントしてくれた「おじさん」が気になり、随分と心当たりを訊ねてみたの ですが、結局解らず終いでした。
 ですので、『時に魔法は成功するものなのだ』という夢を、未だに持っていられるわけです。
 名古屋は午前中は雨が降っておりました。夜にはもしや雪?の期待もありましたが、さっぱりとお昼からはとびきりの晴天となりました。東京も素晴らしく晴 れたクリスマスだったようですね。マゴの風邪、悪く無いと良いですね。小さい生き物は愛おしいです。
 
 

題名 : 幸福   0.12.23

  初めてメールを送らせていただきます。
 まだ学生の頃、従兄から『慈子』と『みごもりの湖』をプレゼントされて以来、二十年にわたってお作を読むことを何よりの幸福として過ごしてまいりまし た。お名前のある本が目につくたびに買いそろえ、銀座の松屋の古書市でご署名入りの本を見つけたときには、大変嬉しく三冊全部買い占めてしまいました。宝 でございます。
 湖の本の存在は以前から存じあげておりましたが、どのように申し込んだらよいのかわからず、欲しくて絶版になってしまっている本は古本屋で捜すようなこ とを続けていました。しかしインターネットという便利なものができて、先月から機械オンチの私も先生のホームページを見ることができるようになりました。 そこで、早速湖の本の購入を申し込ませていただきたいと思います。第六巻、第十一巻、第三十二、三十三、三十四巻の計五冊をお願いいたします。土日が入っ てしまいますので、来週中にも郵便局から振り込ませていただきます。(消費税や送料が必要だったり、計算が不足していた場合のみお教えくださいませ。)振 込は年内にいたしますが、当然のことながらご送本いただくのは、先生や奥様のお正月のお疲れがとれてからのことでお願いいたします。
  尚、湖の本の送付について現在のところ継続は希望いたしません。理由を申し上げますと、秦文学の熱い読者すぎて本に夢中になってしまうことを自制して いるのです。昔から適度にとかほどほどということができなくて、私は激しい本の読み方しかしてきませんでした。小学生のころ、友達の家に遊びに行って新し い本を見つけたら最後、友達をほったらかしにしてその本を読み終えるまで、てこでも動かない子供でした。友達は私が来るときには、新しい本を必ず隠したも のです。結婚して子供が生まれても相変わらずで、乳母車に乗せられた娘は本屋を見ると瞬間的に泣くようになりました。母親が本を手にとると、長時間ほって おかれることが赤ん坊でもわかったのでしょう。私が本を読みだすと、外界の音がいっさい遮断されてしまい、夫や子供が何を言っても全然聞こえなくなってし まいます。今まで家庭が壊れなかったのが不思議なくらいですね。ですから、次々に湖の本に埋もれてしまうと、文字通り寝食を忘れてしまいそうで、家族がお 腹をすかせることになりかねません。
 第二の現実的な理由は、秦先生の作品は繰り返し熟読しなければならないということです。秦文学は巨大な山のようなもので、私の力では一度では読みきれま せん。丁寧にゆっくり味わいながら、一冊一冊心に刻んで読んでいきたいと思っています。継続というかたちではなく、自分のペースにあわせて、お送りいただ いた作品を読み尽くしてから、次の本を注文する方法にしたいと考えています。身勝手を申しますが、私の命の続くかぎり、お作の熱烈な支持者であることは間 違いございません。よろしくお願い申し上げます。
 日記を拝見し、十二月二十一日に六十五歳になられたことを知りました。心よりお喜び申し上げます。先生は「世にときめきたいとは思わない」というような ことを書いていらっしゃいましたが、秦恒平という文学者の輝きは動かしがたいものです。ひとの心を貫くのは大砲の轟音ではなく、静かな祈りの声ではないで しょうか。
 先日、ある会合で流行作家として世にときめめいた方とお話しする機会がありました。先生よりほんの少しだけ年上で、今でも月四百枚は発表している方で す。私はその作家を、昔自分の正義と信じる作品を命の危険を承知で発表したという点で尊敬していますが、こんなことをおっしゃいました。
 「僕の作品は、僕が死んだら終わりだよ」
 さらりと口になさった一言に、まわりにいたやさしい方々は、「そんなことありませんよ。先生の本はどんな田舎の本屋にもおいてあるじゃないですか」と応 えていましたが、ご本人はそれを軽く受け流しておられました。真実はご自身が一番よくご存じなのです。五十年後に自分の作品を読む人間
はいないという苦い認識と諦念を前にして、私は「世にときめく」ことの虚しさをしみじみと感じていました。現世に望みうる最高の成功を手にした作家でさ え、文学のミューズは微笑んではくれないのです。多くの作家の死屍累々のあとに残るのはほんの数人の真実の作家です。秦先生がその数少ない栄光を手にした 作家であることは疑いようもありません。先生はご自分が死んだあとのことなど関心をお持ちでないかもしれませんが、ご自身の作品が「死んだら終わり」でな いことはよく知っていらっしゃるはずです。
 秦恒平という作家と同時代に生きて、このようなメールを送ることのできる私も大変しあわせだと思います。先生の六十五歳がお病気にわずらわされることな く、美しいものにみちた素晴らしい一年でありますことを、心よりお祈り申し上げます。
 
 

題名 : 能・葛城   0.12.22

 昨晩は「葛城」をみてきました。
 疲れていて忙しくてどうしようかと思ったのですが、なにか「癒されるもの」に惹かれて、会社を早く出て6時につきました。
 梅若万紀夫さんのシテ役 神様になってからの舞いが美しく、うっとりと、しばし夢の世界にひきこまれる気持ちでした。
 笛の音がすきです。
 頭のてっぺんから悩みもどろどろしたものも、みな、すーっと、ぬけていきます。
 もうひとつ「融」をみると終演時間が9時とあったので、体力的にまだつらく、残念ですが一番だけで、今年の見納めにしました。
 25日はサントリーホールで、恒例の「第九」を聴いてきます。
 
 

題名 : 愛情と淋しさと     0.12.22

 おめでとう御座いました。21日は、記念日でもあり、ご誕生日でもあり、よい一日をお過ごしになられたと思います。心より、御元気でいらしゃるこ とをお喜びしております。
 おしゃべりしたいことは沢山あったのですが、そのうちお目にかかってとか、こんなこと別にとか、思っているうちに一年が終わってしまいました。一年、本 当に速かったと思っています。
 でも、今年は、いい年でした。40年間待っていた人にも会えました。仕事も一生懸命しました。
 褒めては戴けないと思いますが、違った方面の仕事をしました。
 ご興味はないと思いますが、例えば、2日前は、乳児院の赤ちゃんを、抱いてみました。
 2歳になるのに、まだ9ヶ月の発達しか、していない子どもでした。人の目を見ない子どもです。
 子守歌を歌って、ゆっくり抱いていると、じっと目を見て、そのうち胸に顔を埋めて、また時々じっと目を見て、ということをするようになり、観察者をびっ くりさせていました。
 何故、そういうことをするかと言いますと、保育者への教育からです。接し方の、具体的な方法の実践です。
 こんな小さな未発達な子どもでも、自傷行為をしなければならないほど、愛情に飢えているということを、乳児院の担当者に理解してもらわなければ、ならな いわけです。知的障害児ではなく、情緒障害による発達の遅れを理解してもらったわけです。
 でも仕事は仕事として、ゆったり抱っこしていると私自身も幸せな気分で、仕事だということを、一瞬忘れます。見ていた一人が、うらやましい、自分もそん な風に抱っこしてもらいたいと言っていました。みんなお母さんが恋しくて、どんな年になっても、郷愁があるのです。私からはみんな寂しいのだろう、という 理解になりますが。
 愛情と淋しさはいつも一緒なのでしょう。
 これはほんのひとつ。頼まれた仕事でした。いつもこんな風に、日常を書いては、くだらないことと消去してしまいます。今日は、このまま送ります。
 お風邪をひかないように。
 
 

題名 : 東寺・終い弘法   0.12.21 

  早々に湖の本、通算65号を頂いておりながら、文字通り師走の日々で振込みも今日になってしまいました。気が付けば、あと10日ほどで21世紀なんです ね。65回目の誕生日を迎えられた秦先生には感慨深いかと思います。
 また、今日は東寺の「終い弘法」なんですね。朝5時からの開門とかで、正月用品を買い求める人でにぎわったと、asahi,com が伝えています。
  さて、この一ヶ月、二冊目の I T 関連の本の執筆に没頭しておりました。執筆期間一ヶ月ということで、今日脱稿できました。出版社にはその都度メールで原稿を送っていますが、先ほどMOに 図版やら全てを入れて、出版社宛に宅配便で出しました。今回もインターネットで情報を集めて書きましたが、私は随分とその恩恵を受けています。
 いいお誕生日をお過ごしください。
 
 

題名 : お祝い      0.12.21

 お誕生日おめでとうございます。
 札幌は大粒の雪が、静かに、厚く降り積もっています。
 今月になって身辺がにわかに慌ただしくなり、しんどい毎日です。親しくお世話になった方と突然お別れし、海外から励まし続けてくれた友人が急遽入院手 術、心身共に参ってしまいましたが、仕事は休む暇を与えてはくれません。今もとっくに締め切りが過ぎた書類を疲れた頭で考え考え、作っています。
 また一年、秦さんの言葉に接し、瀑布のように音たてて流れ落ちる膨大な文章に打たれて、清らかになっていきたい、と思っています。また何かを紡ぎだした いとも
 
 

題名 : お元気ですか    0.12.21   

 秦先生。 大変ご無沙汰しております。 『軽気球』プリントアウトしました。読んでみます。
 以前、e-magazine湖umi のお知らせをいただいて、すぐ、奥様と朝日子さんの作品を読ませていただきました。「編集王」も何度か拝見しました。
 私のここ一〜二年は、まだ先も見えない中、生活と仕事でもがいている、という感じでした。まだ、もうしばらくは、それがつづきそうです。
 いつも、何も協力せず、ごめんなさい。
 
 

題名 : 書く難しさ    0.12.21

  以前に拙い文をメールでお送りした者でございます。その節はご意見をいただきまして、ありがとうございました。

 秦さんのエッセイの中にこんな文章がありますね。

 四年間に、そんな学生に三万五千枚の「泥」を吐かせ、一心に読んで応えてきた私には分かるが、何を考えているのやらと嘆かれている学生たちの殆ど が、内なる思いを発信したくて機会を、聞き手を、渇くように求めている。そういう青春に、「自分の言葉」を見つけさせ、「実感」をせめて書いて表現させ、 噴出させてみたかった。個性的な研究や創造の発想も構想も、そこから得させたいではないか。遠回りのように見えて、もっとも健全な文学教授の「道」の一筋 がそこに望めるのではなかろうかと思ってきた。

 なんとやさしい言葉、と、じんとしました。東工大で教鞭をとられていたそうですが、わたしももぐりこみたかった!

 「小説を評価するのに書いたものの年齢は関係ない」などと、どこかで読みかじった小説家の言葉がひっかかっていて、秦さんにお送りしたメールに名 前から察せられる性別以外の素性を明記しませんでした。直接相対さないネット上のやりとりにおいて、どこの某かわからない者からのメール、
怪しまれたことと思います。失礼いたしました。わたしは群馬県に住む26歳です。会社員です。……これといって名乗るほどのものではありませんでしたね、 はい。

 考えるに、わたしも「内なる思いを発信したくて機会を、聞き手を、渇くように求めている」のかもしれません。なぜ書きたいのか。理由をひとことで 表すのはムツカシイです。ただ、「内なる思いを発信したくて機会を、聞き手を、渇くように求めている」というのは、ひとつ、あると思います。内なる思いを 発信する手段は、実はあまたあると思います。けれど、自分がどれを選択するかとなると、やはり「書く」ことかなと思ってしまいます。ひとり、紙、あるいは モニタに向かうのが性に合っているかもしれない、と。そして、性には合っているかもしれないが、能力はまた別のはなし、とも。

 書いたものを読んで頂いたのは秦さんが初めてでした。ご指摘、真摯に受け止めました。こういうことに慣れないせいか、秦さんからのメールは一度読 んだきりで、いまだ読み返せないでいます。もし身近な誰かが同じことを言っても、秦さんと同じ説得力はなかっただろうと思います。想像力がすみずみにまで いきわたっていない、書き手の動機がみえない、推敲不足……。
 大きくてぶ厚いウロコが、目からぼろりと落ちました。明瞭な言葉で、もやもやとしていたものがすっきり晴れた思いでした。ひとりよがりだったのです、よ うするに。メカニカルに組み立てなければ、などといっちょまえに頭では考えていても、実際はわけのわからないものが出来上がっていたのです。(自分にはわ けがわかっているんですけどね)。
 書くことの難しさをひしひしと感じました。

 秦さんの『蝶の皿』を読んで、文章表現の可能性に思いを馳せました。こんな文章を書きたい、などと、おこがましくも思ってしまいました。
 このごろ、書くことが、いつも傍にあれば、と思うのです。これからもずっと傍にあれば、と。
 まずは、文章から手をつけねば。秦さんのおっしゃる、佳い文章、をこころがけます。蝸牛の歩みになるやもしれません。能力はまた別、ですから。

 長くなりましたが、秦さんのエッセイを読んで、お人柄、恣に想像し、おたよりいたしました。
 
 

題名 : メ−ル、うれしく       0.12.19

  ありがとうございました。
 おかげさまで、元気がでてまいりました。
 思いがけない怪我から、ちょうど1ヶ月がたちました。抜糸はできましたが、骨折の方はまだプレートで固定されたまま、包帯がまかれていまして、ペンを持 つことも不自由な状態でございます。
 「湖の本」第65巻のお礼も、心にかかりながら今日までのびのびになりましたことを、どうかおゆるしくださいませ。ずいぶんやわらぎましたものの、まだ ぴりぴりとした痛みがあり、いたって弱虫でございますので、この1ヶ月はすっかり気落ちして、何もできず、ただぼんやりと日をおくってしまいました。
 でも、毎朝必ず湖のお部屋をお訪ねし、第65巻もはやくに読ませていただきました。
 湖のお部屋からは、わたしはいつも元気をいただいております。先生の,強靭な精神力に触れることで、よし、今日もしゃんとするぞ、と自分を励ますことが できるのです。
 怪我がなおりましたら、なにかみていただきたいとおもっております。
 新しい世紀には、お会いする機会があるでしょうか。
 
 

題名 : 遠くから   0.12.13

wakari-mashita.tabi no owarimade tanosimi-masu.
huan o idaki-nagara-demo sikkari sono kimochi o toozakete kudasai. taisetuni taisetuni.
 
 

題名 : 雪、顔見世、鰊そば、智積院      0.12.12

 南座の「対面」、ツケがいい間なの。気分良く11:30に[松葉]で鰊そばと日本酒。
 メールで教えていただき、ありがとう。
 智積院の庭を独り占め。立ち去りがたいこと !!
  あさっての義士祭準備中の、法住寺で、色々とお話を聞かせて頂きました。
  養源院の血天井は怖い。宗達の「松」の襖は、いいですねぇ。
 後白河陵に真っ赤な紅葉が一本、羨ましい墓守をお持ちですわ。
 三十三間堂は残念ながら駆け足。
 この一帯は、静かで美しくて、「みな、しあわせでいて。」とおっしゃるのは、後白川法皇と秦さんね。
 嬉しくて、ありがたくて、ちょっぴり涙ぐんだ雀。末富のみそせんべいを買って帰ります。囀雀
 
 

題名: こんにちは。      0.12.11

 ちょうど2週間前に帰国しました。帰国後は仕事漬けです。寝る暇もありません。
 旅日記は書けそうにありません。
 12/10の朝日新聞の、折々のうたに、面白い短歌が載っていました。ちゃんとは覚えていませんが、、、人が死ぬと、その人の中にいた何人もの死者が、 永遠に死んでしまう、、、そんな歌です。(平成12年の歌だということに驚きました。)
 旅行に行く度に、色々な人と出会います。そしていつも「この人とはもう一生会わないんだなあ」と思いつつ、わずかな時間をともにします。別れは、永遠の 別れです。
 今回の旅行で、すばらしい出逢いがありました。望んでも叶う出逢いではありません。本当に幸運でした。
 そして、もう逢わない、逢えないと知っていても、ただその嬉しさだけが残っています。ぼくが生き続ける間ずっと残っています。
 何かに感謝したくて仕方がありません。
 
 

題名 : くじけず   0.12.11

  くじけてはいませんが、もっと、自分のやむにやまれぬ感情を見つめてみたいと思います。生い立ちからくる今の私の弱さ、汚さ、ごまかしを検証しなくては、 と。
 とても(勤務に)疲れるので、おっくうでなかなか手がつけられないのですが、泥沼のような(ある意味でそうなんです)今の状態から抜け出るには必要なこ と、と感じています。
 私には「家の呪縛」のようなものがあります。感性を育まれ、価値観を養われた家、家庭をとても誇りに思い、大好きなのですが、実家にいると見えないなに かで心身をからめられて、何もできなくなってしまうのです。ぬくもりにホッとしながらも、強迫的な観念がおそってくるのです。家を出た今もなお、それから 逃れることができずにいます。
 その正体を見極めたいと。
 両親へのコンプレックス、兄の存在、ストイックな人道主義を自分で理論立てて課してきたこと・・・、いろいろあります。
 人の目にふれる何かを書くにはまだ早い気がいたします。
 やむにやまれぬ内面のものを見つめるなかで、絞り出さずにはいられないものを表す努力をしてみます。私にとってよい訓練であり、「呪縛」から解かれるす べになるかもしれません。そのなかで、こそっと秦さんに送らせてください。打ち明け話、いいえ懺悔に近いものかもしれません。「耳のついた壁」とのお言葉 に甘えて。
 
 

題名 : 甲府    0.12.11

 秦さん。ご無沙汰しています。
 65歳で、湖の本、65冊刊行。おめでとうございます。また、ホームページのアクセス数、先ほど、私のヒットで20002になりました。これも、おめで とうございます。後発の私の方も、まもなく10000になりそうです。
 さて、甲府は、天気の良い日が続いています。朝の冷え込みが厳しくなりました。一日の最高気温は、東京より1,2度低めですが、最低気温が大分違いま す。このところ、連日氷点下です。しかし、日中は陽射しもあり、暖かです。室内にいると、暖房に加えて、窓からの陽射しで暑いほどです。そういう気温の変 化の激しい気候のせいか、上空は青空が拡がり、雲一つない日でも、盆地を囲む南アルプスや富士山の手前の御坂山地などは、地表からの靄で、山塊が影絵のよ うに、儚げに見えることが多いようです。
 「ペンの日」のエピソードや理事会、電メ研その他、大兄のホームページで拝見しています。
 
 

題名 : 20000        0.12.11

 帰宅して「湖」の部屋を訪ねると、これは奇跡ですよ。カウントが「20000」の数を示しているではありませんか! 以前の「10000」のときも偶然にキイを叩き、今回もです。
  4月15日が一万回で、12月11日の今日が二万回。八ヶ月間で達成ですよ。
  そうです!俯いている暇?なんてありませんよ。まおかっとさん(と思っている)のおっしゃるように、よく食べ、よく眠り、よく飲んで? 元気印でいらしてくださいね。

             

題名 : 徹夜中ですが    0.12.11

 土曜に後炭の点前を稽古し、充分に休養して体力気力を漲らせ、今日は依頼原稿の仕上げをしています。徹夜も辞せずでこの時間まで続いていますが、 「兆している鬱に、どうにかして抵抗したい」の言葉に思わず立ち止まりました。
 朝起きて、パソコンを開き、「私語の刻」を読んでから一日を始める、という生活がすっかり定着しました。もう2年以上も続いているんだなぁと、今改めて 思っています。もし「生活と意見」がなくなったら、「秦 恒平の文学と生活」が更新されなくなったら、なんと味気ない毎日になることでしょう。そう思っている読者はきっと沢山いるはずです。
 アメリカの大学で、ふらふらになって一緒に仕事をした共同研究者は、メールの最後に、必ず「働きすぎるな、よく食べ、よく眠れ」と書いてきます。時差の 関係で夜中にそんなメールが来ると、ほんとうにうれしく、励まされます。オフィスの机で交互に仮眠をとりながら実験を続けた仲間だけに、言葉に重みがあっ て身にしみます。
 さ、私は朝までがんばります。秦さんも抵抗を続けてください。よく食べ、よく眠ってください。秦さんには「よく飲め」も、おまけにつけときましょう。 
 
 

題名 : 軽気球      0.12.11  

 夜中にふと目覚めて「湖」をのぞき込みました。
 若い日の鈴木栄先生訳 ラーゲルレーブ作「軽気球」を一息に読みました。
 結末に、涙があふれています。
 どんな境遇でも諦めなかった少年達。
 努力して努力して夢をもち続けた少年達。
 しかしついに挫折と絶望に襲われます。
 そのときに現れた彼らの夢のすべてである、大きな美しい気球・・・。
 この時代、この少年達を救うのは、こんな方法しかなかったのでしょうか。
 若い日の鈴木先生はこの作品をどんな気持ちで翻訳されたのでしょうか。
 今も少年達は、世界中のたくさんの家庭にいるのかもしれません。
 
 

題名 : 軽気球を読んで。     0.12.11  

 今でいえば幼児虐待の類にはいりましょうか。自分たちでは親を選べない年齢ゆえの、裁判による悲哀は、いまもある。扶養義務の放棄は、作品のこの 時代よりもひどくなっている。虐待死というかたちで。想いを馳せれば、哀切に、思わず涙し、怒りも込み上げてくる。
 やりきれないのは、このアクシデントが親子双方にとって悪気のない出来事であったということ。空に浮かんだ気球は、彼らにはこの現実から連れ出してくれ る天使に見えたかもしれない。追いかけることで、叶えられるかもしれない夢と。キラキラ輝いている顔を思い描くと、涙が溢れました。
 内容的には少し違いますが、「フランダースの犬」の、主人公ネロのことを思い出していました。あれも切なかったですね。もう少しもう少し、幸せの足音が もうそこに来ていたと言うのに。涙、涙で見ていました。
 離婚は子供にとっては、とても割り切れるものではありません。  
 
 

題名 : 雪の便り       0.12.11

  お元気ですか。
  今、郷里の女友達から「さっき、(越後の)高田は白いものが降って、[妙高ー信濃間はチェーン必要]となってました。米山も一週間ほど前に白くなりまし た。」というFAXが届きました。
 先達て、頼みたい用があって、同級生二人に葉書を出しましたら、折り返し電話がありましたの。卒業以来かという懐かしい声。「妙高(山)、真っ白だで ね!」などと、方言一杯なのも、楽しかったですわ。傍の家族に呆れられる程、互いにseven teenに戻りましたのよ。三人共仕事を続けて、お嫁さん兼お母さんをしっかりやっている 37歳ですわ。友のある嬉しさ。
 
 

題名: 天与の病休日   0.12.9

 冬の明るい日差しのあたる庭を、昼間にゆっくり見るのは、何年ぶりのことでしょうか。一日がゆっくりと過ぎていきます。穏やかに騒がしくなく過ぎ ればよいのですが、何度も(会社からの)電話の甲高いベルの音に飛び上がります。現実に戻る瞬間です。
 こうして、家の中にいるとふだん気づかなかったこと、ふだん見えないいろいろなものが、見えてきます。
 今、神経も多少過敏になっているのかもしれません。バグワンのいう本当の「リラックス」ができるといいのですが。マインドをできるかぎり無くし て・・・。
 「日本語 にっぽん事情」 楽しく拝見しています。
 「春は あけぼの」これは京ことばで読まなければいけませんね。アクセントも発声も。京文化は日本文化 そうなのだなあと思います。
 もう一つ、「親指のマリア」を読み始めました。少しずつ、じっくりと・・・。
 今回の大臣に、中学時代のクラスメイトが一人います。森派なのですが。紅顔の(美 はつかない?)少年だった友人も、すっかり政治家の顔になりました。 よい教育改革を実践してくれることを願っています。
 お誕生日も近づきましたね。
 
 

題名 : まちびときたらず      0.12.9

  昨日は、朝、窓から見える屋根が、一体に真っ白に凍っていました。陽が高くなるとともに、眩しいほどの日差しが、部屋の奥まで射しこんで、穏やかに晴れ て、風のない日でしたの。
  暖かさにつられ、窓辺で片付け物を始めて、収拾のつかないまま、夕方になってしまいました。毎年、師走に一度はやらかす失敗。子供の頃から変わらないの。
  ところで、[待老期]がいいですね。
 「待ってるんだけどねぇ、来ないんだよ。」  または、
 「えっ、来てたの? ごめんごめん。気がつかなくって。」と、おっしゃって。
 

 
題名 : ドルチの繪    0.12.8

 ogenki desu ka? kesaha Pittide DORCI no 11ten no e wo mite-kimasita. sasugani tukare-masita.
 iroiro nayamu-koto mo arimasuga ato sukosino Itaria no hibi wo tanosinde kaeri-masu.
 ogenkide.
 
 

題名 : 乾杯!     0.12.8

 記念すべき、湖の本第六十五巻めの発刊と、十日あまり早いけれど、六十五歳のお誕生日をお祝いして、お肉をすこしお送りしました。明日にはお手元 に届くと思いますが、バクバクとお召し上がりになられても、もう心配しなくても大丈夫ですよね?

 荒れる手で風の冷たさ知るけれど冬も好きだわ子犬みたいに

 北風がヒュッと吹けば、ピッと血を噴く情けない手ですが、母によく似た手です。火鉢の炭火で膏薬を温めて、あかぎれの手に貼っていた母。火鉢を囲 み、痛々しい手をのぞきこみながら、膏薬の裏紙を剥がすのを役目のようにしていたことを、この季節になると懐かしく思いだします。
 冷えは大敵、万病の元。暖かくお過ごしなされてくださいませ。
 
 

題名 : 豪州葡萄酒       0.12.5

 hatakさん  豪州から札幌に戻った私を迎えたのは豪雪。しゃれにもなりません。
 シドニーの空港売店で、淡い緑の豪州ワインをみつけました。味のほどはわかりませんが、細いシャンパングラスに注ぐと、きっと見栄えがするはずです。ス マートな一本をお送りしましたので、ご賞味(ご鑑賞かな?)下さい。ちょっと
早いバースデープレゼントです。
 今日から当分は机の上の書類の山と格闘の予定。簾ならぬブラインドを巻き上げて、藻岩山を望みながら「雪見仕事」としゃれてみます。  maokat

 

題名 : 映画       0.12.5

 今日は娘が休暇で家にいましたので、前から観たかった「恋に落ちたシエクスピア」をビデオやから借りてきました。シエクスピア自身の恋が、「ロミ オとジュリエット」の脚本が出来て上演されてゆくプロセスに重なるお話で、一昨年のアカデミー賞のころ話題になっただけあって、飽きずに入り込め、コス チューム物の好きな私にはこたえられない作品でした。これで助演演技賞を取った、出演時間が短く何分かというエリザベス女王(名前が分からない)役の存在 感は、出色。テレビ放映は二、三年先でしょうね。
 「グッドウイルハンテイング」は、私も、佳くて二回観ました。主演はマット デイモン。友達で出演していた、ベン アフレックと若い二人が大学時代に書いた脚本で、何かに一位入選した脚本という記憶があります。そのベン アフレックが「恋に落ちた」にも出演していましたので、ついでに。
  最近の洋画は、似たような登場人物が多いと顔が覚えられず、したがって話が理解しきれず、もう一度繰り返して観て分かるなど、負うた子に蔑みの目で教えら れています。ほとんどが、映画好きの娘の受け売りです。マアこんなものでしょう。
 元気にしています。とても。
 
 

題名 :    0.12.3

 「湖の本」エッセイ21『日本語にっぽん事情』拝掌致しました。配送作業、お二人でさぞかし大変だろうなあと改めて敬意を表します。しかも65回 も。十数年も。繰返し、続けて。これは、恐らく誰にも真似のできない、本当に、誇るべきこと、幸せなことだと思います。どうかお体に気を付けて、今後とも 読者を楽しませてください。
 佳箋「人生適意」、感謝。どうぞ良き65歳の誕生日と新世紀をお迎えください。
 「創4・糸瓜と木魚.txt」「創5・隠沼.txt」「創6・華厳・マウドガリヤーヤナの旅.txt」(スキャン原稿)お送りします。
 『糸瓜と木魚』では、根岸の人たちが、ぐっと身近になりました。千葉県立美術館に建っている、浅井忠の銅像に会いに行ってきました。どれも、いいのです が、『華厳』が大好きになりました。辞書を引き引き読みました。師の傳山や、程毅やアクタカはその後どうしたろうか? 高仲雍に抱かれて南へ行った揚子昭はどう成長し何をしているのだろうか…?人も世代を繰返し、華厳。
  おまえの命天から授かる 天はおまえに何させる。
 
 

題名 : 神楽岡   0.12.3

  御創刊第65巻目の、記念すべき新しい湖の本をお送りいただきましてありがとうございました。
 おめでとうございます。
 図書館より借出して読ませていただきましたものを、手元に置いて再び勉強できますことは、大変ありがたい です。 たくさんの友人達が、先生のホーム ページの奥深さにまず驚き、「神楽岡」をプリントして読んでくれています。
 そしてさまざまな感想をくれます。
 そのほとんどが暖かい励ましです。
 一時は疲れ果て、もう手伝うのを止めようとしたお店のお客様からさえ、激励を受けました。(他の職業を探し、面接に
行きましたが、見事に落っこちてしまいました。)
 次作品、次々作品完成に向けて努力中です。よろしくお願い致します。
 「平静に」というお言葉が今常に思い出され、強く胸に滲みます。
 ありがとうございました。       高橋由美子 
 
 

題名 :    0.12.3

 関口深志です。
 先日、腸にポリープが2つ発見されて、11日に手術を行うことになりました。一日で簡単に終わるそうなので、特に自分としては心配していません。逆に入 院で何か自分の感性に役立つ経験を得られたらいいな、などと思っています。
 最近、対人関係も上手になりました。
 所属事務所の社長とも、前はただ一方的に言われてうなずくだけの関係だったのに、今では自分の過去も含めて、色々話せるようになりました。仕事が入るか どうかは別の問題であって、「仲間意識」が芽生えてきたなという感じです。
 色々な気持ちを抱えて『渚』を書いています。僕自身の経験が元になっているので、つたない文章力で読者の方にちゃんと内容がご理解されているかどうかわ かりませんが、書きたい事は書いて行きたいと思っています。
がんばります。
 
 

題名 : 同感です   0.12.3

 こんにちわ。御無沙汰してます。先生の日記を拝見していて、まさに同感と思ったことがあったので、メールします。29日の分にあった、映画「バト ルロワイヤル」のことです。
 僕もニュース見ていて、これほんと? こんな映画が公開されちゃうの? と思いました。キャスターの筑紫さんは、良いものであれば残るし、できが悪けれ ば淘汰されるというようなコメントで、暗に、淘汰されることを期待する口調だったように僕は思いました。詳しく内容はしらないけど、まったく呆れました。
 最近立て続けにハリウッドの出来のいい映画をみていたせいか、なんか日本映画はどうかしちゃってる気すらします。ちなみにそれらは、黒人ボクサーの冤罪 を扱った「ザ ハリケーン」、ユートピア幻想とそれが崩壊する様をブラックに描いた「ビーチ」、それにアカデミー作品賞を取った「アメリカンビュー ティー」です。中でも「ハリケーン」はよかった。機会があったら御覧になって下さい。
 最近本も読み出しました。(発作的に読み出すことがあるのです。)遅ればせながら『ワイルドスワン』を読んで、中国に興味もって、今、『大地』を読んで ます。
 昨日は代休を使って天竜市の秋野不矩さんの美術館にいってきました。絵はもちろんですが、建物もまた絵の雰囲気にあっていて、とてもよかったです。
 明日は友人の誘いで、絵画館で行われる茶会に顔を出してきます。茶会なんて行ったことないので、愉しみです。
 では。またお会いできること、愉しみにしています。     ともゆき
 

Subject : how are you ?      0.12.3

kyouto wa ikaga deshita ka?
watashi wa Venice ni itte-ori mashita.
shotou no shougogoro Venice dewa jiban no hikui tokoro wa kansui shite ita no ue o aruki-mashita.
Firenze dewa kita-koro wa Arno-gawa ga zousui shite-imashita ga ima wa shizuka-ni nagarete kanu- ya boat o tanoshinde-iru-hito ga imasu.
genki-de osugoshi kudasai.
 

題名 :    0.12.2

 又ご無沙汰いたしてしまいました。
 なぜか気後れしてしまい、なかなかメールが打てません・・・・・私などのつたないメールはおくれません。・・それでも、少しの愚痴を聞いてくださいま せ・・・・。
 最近の私の繪はよくありません。自己嫌悪におちいっています。* * 会以来の自信喪失なのです。
  反して、お教室のほうは増えるばかりで、辞める機を失っています。人間改革をしないとだめですね。いつも言っていますね。もうあきあきでしょう・・・・。
 来週から岡山と京都へいってきます。大原美術館の70周年記念展を鑑賞してきます。
 どうぞご活躍くださいませ。またいい展覧会へいきたい・・・ご一緒に・・・・。
 

題名 : ケアンズから    0.12.2

 hatakさん  オーストラリアは異常気象らしく、ケアンズは例年より一月ほど早くモンスーンの時期に入ってしまったようです。毎日曇天、小雨 が繰り返し、たまに晴れ間がのぞいたかと思えば、強い季節風が吹いています。
 ケアンズでの国際シンポジウムも6日目、ようやく全日程が終わりました。国際学会に出席していつも思うのは、出席者のずば抜けた気力体力です。朝8時過 ぎからずっと講演を聞き、会場内に用意された昼食を食べながらディスカッションをし、また午後いっぱい講演を聞いて、講演が終わるとその足で街へ繰り出 し、5時間6時間、夜が更けるまで食べ飲み話します。これを6日間続けて、彼らはびくともしない。また、6日間しゃべり続けて話題が尽きない。びっくりし ます。
 今回のシンポジウムでは、私の仕事についてコメントをしてくれる発表者がいて、座長から発言を求められたり、私のポスター発表にも関心を持ってくれる人 が結構いたので、満足感がありました。
 ようやく今日は少し暇が出来ましたので、ここに来る前に寄った石垣島のことを書いてみました。
 沖縄に関しては、長く住んでいたこともあり、まだまだ書かねばならないことが沢山あるように思います。自分の中にある沖縄という名のポケットをまさぐっ てみて、何が取り出せるか予想もつかないような状態です。また暇をみて少しず
つ書き加えていけたらと考えています。
 ケアンズのことについては、また日を改めてふれてみます。今日はこれにて。
 東京は寒いそうですが、お風邪をひかれませんよう。
 あたたかいものを召し上がってください。  maokat
 

* 高史明様   秦恒平    0.11.30
  このような回路でお話が出来るようになったのを、嬉しく思っています。実務的な手紙 のほかに、ずいぶん話し合えるメールです。ホームページでも、闇に言い置く感じでい ろいろと書いています。書ける場がこのように手に入ったことも、私の場合は天佑の思 いでした。
 自分ひとりで書いているだけでは惜しくなり、広場を持とうと思いましたが、掲示板のようなむやみな書きっ放し ではいけないと思いました。こういう場が、少しでも文藝を培うに足る畑となれるならばと。
 ときどき、襲われるように不安になります。安心が得たいと戸惑っている自分をもてあますことがあります。育て てくれました母の享年まで生きられるなら、なお三十一年。言葉を喪います。「今」の重みを担うしかないなと思います。お導き下さいますように。
  寒くなりました。お大切に。
 
 

題名 : 湖へ      0.11.30

   秦恒平様 この度、「湖」にかかわるメッセージを拝受致しました。長い間、様々に考えさせられ、また楽しませていただき、感謝してきましたが、さらなる展 開の気配に驚き、励まされる思いがしています。
   過日は、北沢(恒彦=亡兄)さんの訃報に際して、深く心に響く言葉を読ませて頂いたことでした。感動し、突然のことに間誤付きもして、きちんと受け止める ことが出来ず、失礼致しました。愛別離苦は世の習いとはいえ、ご兄弟の交流になんとも言えない共鳴音を覚えていた者として、ここに改めて合掌させて頂きま す。
   この度の秦さんの構想にも、共通する通低音が流れているでしょうか。新しい試みの発展をこころから願っています。それもあって、こうして発信しています。 これが無事にお手元にとどくように!     高史明
 
 

題名 : 忘年会はどこへやら      0.11.30

 お疲れ様です。
 メールのやりとりを何の返答も出来ず、ただ数時間遅れで確認するのみであったことをお許し下さい。
 現在、私は(建築)確認申請提出中で、、月曜に区役所に行き、その訂正を持って木曜にもう一度行くといった図面の訂正を週二回の締め切りペースで行って おる毎日です。建築は思想だけでは建たず、技術もしくは法律で建つのかと、ほとほと感じている毎日です。
 さらに、今日は、私の課は忘年会で、強羅にあるうちの会社の厚生施設へ泊りで行っており、会社に残っているのは私がひとりぼっちです。オオ、哀しいで す。私も行く予定でしたが、役所対応のために、今日も泊りを覚悟で仕事しているところなのです。
 しかし、私の担当している物件なので、自分が納得できていないうちは忘年会も楽しくはなく、これで良いかとも思っています。自分で自分の生活をコント ロールできるように、様々な意味での「技術」を身につけていきたいと思います。言葉は悪く自分では気に入っておりませんが、上の人は「技術がなければ負け る」とよく言います。私も、勝ち負けではないですが、ゆとり(対応力と謂った方がいいかもしれません)を持って、物事に対応できるよう努力していきたいで す。
 ○は、お寿司を食べたのですか。。。。
 わたしは社食で。。。オオ哀しいので、この先は言いません。
 では、次回御会いできるのは新年のご挨拶に伺う時になるかもしれません。21世紀への準備はゼンゼンできている様には思いませんが、大きな夢を持って新 しい世界を作りたいなぁ、などと思っています。
 少々疲れていることによる、支離滅裂な文章をお許し下さい。では   柳博通
 
 

題名 : 心    0.11.28

 こんにちわ。 11月27日「つづき」を、「そうそう・・」なんて同じ気持ちで拝見いたしました。
 「心」がそんなにも頼れる確かなものであるのなら・・の言葉にふと、日々の心遊びの事を考えました。「心遊び」などと書くと、何やらお叱りを受けそうな 気のひける思いが無いでもありません。
 私にも当然のことながら、自由になるものとならぬものがあり、また自由になるのだけれど敢えて自由にしない事もありますし、逆にそうされる事もありま す。自分がされると「いけず」と思ったりしますけれどね。
先日「俗に謂う赤い糸の人」と交わした会話で、『あんまり凛としててもなぁ』という人に、『凛ってどんなん?』と尋ねたところ、『着物を着た女の人が座っ てはる』という応えがありました。
 『私はね、障子があってはんなりした光が透過している中で、向側を観ている事、開けばあかる、倒せば壊れる間仕切りなのに、敢えて開けぬ事』と申しまし た。『そうか、そうか』と、うなづかれました。
 心というのは、この「間仕切り」を自由に行ったり来たり出来るもののようで、遊びほうけて頼りにもならず、捕らえ所がないから、決して確かなものではあ りませんね。
 以前、二人で「魂の色」についても話したことがあります。魂がどんなものなのかも解らないままに、ただこれは感じるものなんだよ・・という事で終りまし たが、近頃、それだけでは無い、触れも出来、見も出来るものなのだと話し合うようになりました。
 古人がいう魂の緒を繋げて枕元に立つような不思議を、互いに経験しているからです。
 ですので、秦先生の主旨からは随分と逸脱している、ごく私的な見解ではありますが、「体」を通してものに触れものに通じる中で、心の健康・・は、私なり に受け止めさせて頂いたつもりなのです。自由になれるすべを知らない心は、遊びもならず、病気になってしまうでしょう。「体」を通してものを感じる事を子 供に限らず知ってもらいたいと思いました。
 
 

題名 : 読むたのしみ    0.11.27

 友人の本の校正を手伝いに荻窪までゆき、遅い夕食をのんびりとって、はるばるもどってきましたら、十二時過ぎていました。女にあるまじいことと、 母がおりましたら叱りましたでしょう。叱ってくれるひとが、年々、あちら側に行ってしまって、さびしいかぎり……。
 今宵も寝る前に、湖のお部屋を訪ねました。
 「これまでに読んだ書物を死ぬまでにもう一度ぜんぶ読んでみるということ」というおことばに近いことを、わたくしもかんがえたことがございます。
 若いころぺーじを繰り、読めたつもりでいた本、本当は読めていなかったにちがいない本を、読み返したい、と。
 挙げていらっしゃるご本に、そうそうとうなづき、それを読んだ少女時代を思い出しましたが、書名だけしか知らないご本、そういう書物があるとも知らない ご本も、ありました。どんなにたくさんのご本を読まれたことでございましょう。
 「懐かしい本」というおことばは、胸にひびきます。なみだぐむほど。
 旅もそうでございます。まだ見ぬ土地へのあこがれも強うございますけれど、心惹かれて幾たびかというところも多くて。

  こまごまと散りゐる萩の花踏みて生きてある身のはかなきすさび
  墓石にまゐらす水もたちまちに吸はれて久しく逢ひに来ざりし
  鎮まりてゐるやさまよふ夜のなきや手をおけば古き塚のふくらか
  黄泉還りの水にかつがつよみがへり逢ひにゆきにき愛しみあひにき
  黄泉還りの泉の底にもつれあふ陽と水のかげ もうかへり来ぬ
  からつぽのわれを誘(おび)きて少しづつ遠のく鳥が音 いま山ふところ
  忘れ来し扇手草にしてゐむか塚より出でてあそびてゐむか
  水引草(みずひき)をもてあそぶ風のありしことにほふ言の葉聴きたりしこと
  人間(ひと)として在るは束の間拾ひたる櫻紅葉を散らしなどして
  黄泉還りの水を浴びたる躯(み)の冷えてゆめとおもへばゆめにてありけむ

 放恣な想像、お気に障りましたら、おゆるしくださいませ。お能がうたに詠めないのと同じ、お作をうたにはできなくて。それでも、『冬祭り』の女人 の跡訪うたときのこと、試みたくて、四苦八苦しております。
 お読みの『源氏物語への招待』の出版社、お教えいただきとうございます。新刊で手に入れるのが無理ならば、古書店にたのみたいと存じますので。
 肩に来るひとたちに読む『源氏物語』、やっと、「紅葉賀」になりました。藤壺宮との源氏は、とても好きですけれど、これから読む源典侍との源氏は、いた ずらが過ぎるようにおもっていますが、読み返してみたら、違うでしょうか。読み返すたのしみは、こういうところにもありますのでしょうね。
 「e-m湖umi」も、縦書きにプリントして、読むたのしみにひたっています。お骨折りを思いつつ。
 どうぞ、お身、お大切に。
 
 

題名 : おはようございます     0.11.27

 昨日は思いのほか暖かな日でした。
 久しぶりに庭に出るとすっかり荒れ果てていて愕然!
 積もったはなみずきやさるすべりやイチジクの葉をかき集め、伸びたノウゼンカズラの枝を切り雑草をとり、庭のかたすみを耕して、娘と二人でチューリップ の球根を植えました。
 木の葉や土にふれると、わたしの中の自然もよみがえる気がします。
 
 

題名 : 枯淡   0.11.26

  飲酒運転が増える時期ですから、どうか、自転車も、外歩きも、お気をつけて。
 枯れ葉が、地面を覆い尽くすように降ります。
 春、桜が咲いて、風が吹いて、そして、地面いっぱいに散った花びらに、雨。
 風に散り敷く、落葉の最後にも、やはり雨。
 花のあとには実り、落葉のあとには、新芽。
 「枯淡」…純粋に、誉め言葉でしょうか。秦さんは枯淡ですか? お若いから、違いますわね…。
 「老いてきれいに枯れる。」なんて、いや。
 
 

題名 : 昨日から今日への出来事   0.11.21

 結局、元の状態に戻ったのでしょうか? 先週末に突然始まった大きな政界再編の波かと思われた動きは、結局のところ何事も無かったように元の状態 に戻ってしまったのでしょうか。
 昨日の夜から、今日の朝にかけての一連の動きを注意深く見ていました。
 加藤(紘一・元自民党幹事長)さんの発言を、心底信じて、時が来るのを待つべきだと、そう思います。
 自民党の主流派と言われる人々の、えげつない、なりふり構わない行動は、目に余るものだったのでしょう。私は、確かに、加藤・山崎両名をはじめとする賛 成票によって(野党提出の不信任案が)“可決”されることを望んでいました。しかしながら、彼らの賛成票にも関わらず否決され、自民党が賛成票を投じた人 間を切り捨て、何も変わらない旧態依然とした悪行を続けるのは、最悪のシナリオであるとも思います。自らの職を懸けて、自民党を離れるだけの気概のある人 間は多くなかったとのことでしょうが、我々国民の真意を知り、何らかの行動を起こすべきであると考えている人間の多いことは、今回の政変(もどき?)によ る自民党内の慌てぶりを見てもよく分かります。彼らを見捨ててはいけないと思いました。
 省みて、今回の不信任案騒動の際、我々国民は、地に足を付けた議論で、全面的に不信任案可決を望んでいると声を大にして言ったでしょうか? 加藤さんが どんな政策をもって、森内閣を不信任としようとしているか、知っていたでしょうか。補正予算、来年度予算、省庁再編等を控えて、経済界をはじめとした各界 は、不信任案の可決に及び腰ではなかったでしょうか。各界のそういう見方も、また正しいのでしょうね。
 予算委員会での扇(建設)大臣の発言は、確かにその通りであり、世論の軽はずみな“不信任”風潮に一石を投じているように思えてなりませんでした。有珠 山、東海豪雨、鳥取西部地震、伊豆諸島地震・火山等の災害対策を考えたとき、確かに補正予算は不可欠であり、補正予算の成立の可否に、地域の方々の生活が かかっている、という認識を彼女は持っていたのでしょう。
 更に、不信任案の本会議審議の際の与党答弁は、内閣への“信任”主旨説明では無かったように思います。今国会での、補正予算成立や重要法案等の緊急性か ら、“今”、不信任案を信任するわけにはいかない、との論調では無かったでしょうか。これは、森内閣への信任説明にはなり得ません。
 もしかしたら、加藤さんは動くべき時期を誤ったのかもしれませんね。
 時を待つべきだと思います。加藤さんのあの苦渋の表情を、今は信じて待つべきでは無いでしょうか。
 自民党が、今回の改革の芽を摘まない事を、心底願います。そのためにも、私たちは今回の一件により、更なる政治離れを起こしてしまう事を食い止めなけれ ばいけません。自民党の中にいる、加藤さんや山崎さんをはじめとする“彼ら”をじっくり待とうではありませんか? 私たちの声がきちんと彼らに届くよう に、地に足を付けた議論をしていくべきでは無いかと思います。
 
 

題名 : なんじゃ、こりゃ   0.11.21
 
 不信任案否決のニュースを聞いた、第一声。 「国会を、おもちゃにしてあそぶんじゃねえ!」 
 情けないねえ、三流芝居より下手な今回の騒動。
 あれだけ大口を叩いていた加藤さん。「天に向かって吐いた唾は呑み込めない」はずなのに、まあ、なんとみごとに呑みこんだことか。これが日本を動かして いく人たちかと思うと、ほんまに情けなやなあ。こんなアホなことばかりを、国民の税金を、それも高額の給料をもらいながらやっているんだから。
 この不況時に、こんな不祥事を引き起こしたら、一般の会社なら、リストラか減給もんだぞ。国民が審査して、リストラ名簿に載せちゃうぞ! 
 岡に上がってしまった日本丸。 ため息はついても、あきらめてはいない。怒りも忘れない。
 

 
題名 : 串田歌舞伎      0.11.19

 お寒くなりましたね。ようやく風邪が治りましたのに、引き添えに要注意のイエローカードです。
 日曜日の楽しみは、新日曜美術館・N響アワーなどですが、美術館のほうは、夕食の時間と重なってしまい、チャンネル権は息子が。国宝紫式部日記絵巻の宮 中の様子をチラッ。紫式部がいたたまれずに、逃げ出したという、男女入り混じりての情景が描かれていました。いまでいう乱交パーティかも、かな?
  あとは、ロートレック展の案内で、生き生きと描かれていた馬が印象的でした。
 そして今宵の、芸術劇場では「アーティスト インタビュー」に「法界坊」を演出された、演出家・串田和美さんに、演劇評論家の松岡和子さんがインタ ビュー。平成中村座「法界坊」の面白さにいたるまでの稽古風景の一端も見ることができましたのよ。勘太郎さんが若いころの勘九郎さんにそっくりになってき ているのに驚きました。宙づりで客席に取りついていくなんてお茶目だねえ、見物客が大喜びしたのもわかりますよ。あ〜あ、金毘羅歌舞伎にきて興行してくだ さらないかしらねえ。
 いま、舞踊「公卿悪道成寺」を見ています。このあと、歌舞伎「本朝二十四孝」から、鴈治郎さんの、「謙信館十種香の場、奥庭狐火の場」も見ようと思って います。時間ですので、これで失礼しますね。
 
 

題名 : 京都の「若冲展」は諦めようかな。   0.11.19

 こんにちわ。
 四日市の「近衛家と陽明文庫の至宝展」に行きましたの。友人の情報で、美味しい蕎麦屋へも寄って。
 墨の色、濃淡。線の強弱、流れの自在さ。料紙、表具…。伝わってくる、広々と爽やかな気。涙ぐむほどの素晴らしさ、セクシィさでした。 
 しかも、量が多く、目眩がしそうでした。でも、倒れても、支えてくれる人もない空き具合で、しっかり踏ん張っていましたわ。
 最後に、銀細工のミニチュアが展示されていて、雀の頭はヒート・アップ。本当に、行って良かった。
 京都博の「良寛展」には、是非行きたい。来週、名古屋へ「紫色部日記」を見に行くつもりです。囀雀
 
 

題名 : 均衡点   0.11.13

 秦さん、こんばんは。
 寒くなってきましたが、お元気でしょうか?
 HP、新たな趣向で驚きました。
 自分には、なかなかちょっと書けそうもありませんが、とても面白いこころみだと思います。
 外へ外へと動くほどに、みずからの肌理が粗くなってゆく感覚が拭えません。
 といって、内へ内へとみつめる視線を追い続けると、実生活を生きることに、非常なエネルギーを要するようになります。
 そのちょうど良い、心地よい均衡点を見つけるのは、難しいことですね。
 それとも、不動の点などは無いのかもしれません。いつもあっちへフラフラ、こっちへフラフラとしています。
 これからますます寒くなります。お体を大切になさって下さい。 TU
 
 

題名 : お大切に   0.11.13

 面映ゆいですね。どう形容したらいいのかな。以前ホームページを作ったらといわれて、でも頑としてしませんでしたし、それ以前の段階で、私は表現 者としてはいささか失格・・・性格が弱い??
 でも、私が表現者として背中をそっと押し出されるのが、あなたによってなら、それもまた計らいとして静かに素直に受け止めます。が、それも忘れて、ただ 自分の心に浮かんでくるものを、気負いもなく書いていくのが私らしいと思います。限られた少数の人だけに、数人の人に読んでもらう・・もっともそれだけで も、意識するのは私には負担です・・。何かの覚悟をしなければ表現者にはなれないのではないでしょうか、恐らく・・。
 病院で1月あまりの分の薬をもらい、あと少ないながら旅の仕度を再点検。明日の昼頃、関空から出発。PARIS、POITIEなど短期間ですがフラン ス。18日はFIRENZE。冬のVENEZIAを娘と楽しむこと、そして私の余力があればGREECEに。
 自分のことばかり書き連ねましたが許して下さい。
 ホームページの中にも書かれていましたが、ある種の重苦しいものにあなたが現在取り込められていることも、十分に察しています。私に書いてきたように 「しゃっとせんかい!」と言葉を返したら、それで終われるものならいいけれど、そうはいきませんね。猪瀬氏との語らいが、気分転換になりますように。そし てなによりも、あなた御自身の「書く作業」にエネルギーを使いますように。その観点からすると、「読者」の文を書き込むことにわずらわせては本当にすまな いな、と思うしかありません。
 これから寒くなります、くれぐれもお体、大切に。
 
 

題名 : 京都も寒くなりました。   0.11.12

 秦 恒平様
 北山や比叡山も急に紅くなり始めました。もう一週間もすれば、街もすっかり色づくことでしょう。糺の森の河合神社の境内にある銀杏の大木からは毎年とて もきれいな落ち葉が降そそいで、あたり一面が黄色に染まります。
 昨日、ホ−ムペ−ジの更新を行いましたのでご案内します。
 この春に開設して以来二回目の更新ですが、要領を忘れてしまって、またマニュアル繰っているような次第で、これではなかなかグレ−ドアップは望めそうも ありません。
 お風邪など引かれませぬように。お元気で。           秦 恒夫
 
 

題名 : 車中の囀り   0.11.11

* 「余霞楼」を読むのが、少し楽になりましたの。京ことばに、気を取られる割合が減り、その分、怖さが増しました。妻が、娘が、あのまま「幸せに 暮らしました、とさ」では、終わらないでしょう。フランスの古城に置き換えた、ミステリーができそう。既に、腕のある、女流作家の手で、書かれている気も しますわ。
 怖いのは、全く駄目。ホラー、サスペンス、怪談。いいえ、もっと、ちっぽけな事が、何度でもフラッシュ・バックするの。記憶力がいいのは、こういうとき だけです。

* 車中です。隣では、二人の少女が、面接試験のリハーサル中。18歳。暗記してきた棒読みの標準語と、生き生きとした、私語の関西弁。
「今、一番関心があるのは、ゴミ問題です。母も『これはどこに捨てるのか』と言っています。」
「何で、お母ちゃんが、標準語やねん!」
「どない言うたらええのンか、分からん。」
「最近の事件で、あなたが思うことは。」
「えっ! 事件? 事件テどんなン。」
「よゥけあるやン、捏造とか、大統領選とか、森内閣の支持率のこととか。」
「あ〜。それやったら捏造にしよ。」
「突っ込まれたらどないするン? 名前知っとンのかァ? 」
「う〜。」
  可愛い首、傾げて悩んでいます。

* 晴天。静岡の空気、贈ります。富士山が見えています。
 先日、文雀さんが、「あぁンな『小栗判官』がおもろかったンかぁ。」とおっしゃるの。「あれじゃ、説教節にならん。浪速節の元やで。あんた、のぞきから くりテ見たことないかぁ?」と、実演して下さいました。「あぁいう泥臭ァいもンは、国立では無理なンや。」
「金丸座は? 」
「あかン。中座みたいな、こやが、ええンや。」
  工場の、水耕栽培で作られたトマトを「清潔で、キレイ」だと、喜んで食べていたの。同じトマトの、昔の"ほんまもん"を、「キタナイ」と見るようには、 なったらいけない。
 秦さんのお書きになる"芸能"の事、これからも考え続けますわ。囀雀
 
 

題名 : もう春のセンバツの予選   0.11.10

 雨が降ると、少し肌寒くなりました。本来であればそうも思わないのですが、暖かい小春日和というより暑すぎた秋でありましたゆえ、少しの寒さがと ても身にこたえます。三週間も前の風邪がいまだ治らずにいます。
 今日は、春の選抜高校野球への予選、四国大会が高知の春野球場で始まりました。
 野球にはそれほど関心のない私ですが、気になる高校が出ているのです。その鳴門第一高校が、高知東と対戦。8対3で準決勝に進みました。どうぞ決勝まで 駒を進めて、代表の座を獲得し、甲子園へ行って欲しいものです。
 鳴門第一高校の前身、鳴門商業高校が春の甲子園に行ったのは長男が三年生の、平成四年度のときのこと。平成五年「鳴商」最後の名乗りでした。PTAの役 員として寄付集めに走ったことも今では楽しい思い出の一つになっています。
 長男も甲子園に行きましたの。といっても、これは応援団としてなのですけれど。実務の先生と交渉し、単位獲得というおまけつき。ガクランに白い鉢巻姿も りりしく、一番前で奮闘。
 仕事で行けない私の代わりに、大阪にいる姉二人が応援にかけつけてくれました。姉いわく、「応援団の応援にいってくるさかいな。ジャニーズ系の男前の応 援でもしてくるわ」ですって。阪神タイガースの熱いフアンでもある二人ですの。残念ながら、延長戦の健闘もむなしく負けてしまいましたが、とてもよい試合 内容でした。その時以来の代表権獲得試合なのですから、力が入るのは当然ですよ。がんばって!
 話はかわりますが、ホームページを友人に紹介させてもらいました。感想は?とメールを入れておいたところ、
 
 早速覗いてみました。いっぱい書いてあって、どこから読んだらいいの?
 まず、ホームページの窓へ行ってみました。うわー!いっぱいあるー!お気に入りに入れて、ぼちぼち読むことにしました。
 秦恒平さんの本は、母の本棚に「茶の道廃るベシ」が一冊あります。1978年に、父が母にプレゼントした本だとか。ちなみに私は読んでいません。これも 読んでみよう。

 秦文学をきっと楽しんでくださることと思いますよ。徳島新聞の夕刊、「ちょっとええ話」が取り持つ縁のお友達です。島倉千代子さんをふっくらさせ た笑顔が素敵な美人さんですのよ。
 
 

題名 : 雪のち晴れ      0.11.10

  hatak さま
 札幌は三日間小雪がちらつき、職場から見える羊ヶ丘の畑もうっすらと雪に覆われました。
 このところ、朝起きてカーテンを開ける時、少しどきどきします。まだ雪になれていない私は、吹雪や積雪を見ると胸が重くなり、恐怖を感じるのです。まだ まだ冬の風情を楽しめる心境ではありません。
 寝るときにはけっこう大降りだった雪もやんだとみえ、幸い今朝は快晴で、道路に張っていた氷もすぐに解けてしまいました。まぶしい朝日をあびて、いい気 分で出勤できました。
 来週中に業界紙の依頼原稿を仕上げ、オーストラリアの学会で発表する資料を準備しなければなりません。特許出願の書類書きも残っており、忙しくなりま す。
 海外出張から帰るともう年末です。雪の中でどう年を越したらいいのか想像もつきませんが、その様子をお知らせすることで気を紛らわせていきたいと思いま す。
 次は根雪の便りになりますか・・・
 武蔵野はまだ秋ですよね。食の誘惑も多いはず。体にも気をつかって下さい。 maokat
 
 

題名 : 平成中村座   0.11.6

 こんばんわ
  平成中村座「法界坊 隅田川続俤=すみだがわごにちのおもかげ」 なんだか、このところ「ごにち」ものばかり続けてみましたが。理屈抜きに、むちゃくちゃ 楽しんできました。 待乳山聖天の目の下に仮設された劇場でした。浅草のあの辺まで行ったのは初めてで、「待乳山聖天」といい「今戸橋」の橋標といい「花川戸」の地名といい、 なんだか江戸に踏み込む嬉しさでした。
 顔と顔とがくつつくぐらいまで宙乗りの化け物勘九郎がきて、じゃれて行ったり、膝の触れるところまで福助、扇雀、勘太郎らが来て芝居をしたり、平戸間 「松」の席のおもしろい経験をしました。芝居は趣向、趣向に加えて、勘九郎法界坊のしたい放題で、それが隅田川べりの小屋にピタリはまって、爆笑また爆笑 の渦という、繪のようなカブキ、カブキでした。割れんばかりの拍手喝采と俗に申しますが、それがそのままでした。そういう俗のよろしさにむろんわたしも大 浮かれで渦に巻かれておりました。
 聖天の法界坊のような、途方もないキャラクターを生んだ江戸のはずれ、所も待乳山聖天下でという興業じたいが、大きな趣向で、昔の中村座にも近くてごく 自然な企画と言え、これは当たったなと納得しました。芝居そのものも、同じ吉田家ものでも「桜姫東文章」などのように陰惨でなく、勘九郎は、藝ともみせぬ 地の藝まじりに大はしゃぎの達者なものでした。父勘三郎とはちがった当代のイキを通わせた法界坊で、根が中村屋大フアンのわたしたちには、少々早い時間に 保谷から遠くはせ参じても、是非にも楽しみたい狂言でした。理屈ぬき、それに徹していられる歌舞伎は、肩になにの荷もなくて、しんからくつろげます。ばか ばかしさが、そのまま面白い文化なんですね。
 扇雀丈も関西から参加して、例の律義な芝居でヒロインを熱演。贔屓の美吉屋吉弥もうまく加わり、いうまでもなく成駒屋の福助、橋之助兄弟も義兄をもりた てて大活躍でした。とりわけ中村勘太郎が、いいところで大化け物で奮闘これつとめ、客の大勢が父勘九郎に相違無しと思って手に汗していたところ、さにあら ず、綺麗にだまされましての、終幕の口上には、袖から、はれやかに綺麗な勘九郎があらわれて、やられました。
 座布団でもゆっくり座れて、多かった花道芝居へ自在に姿勢が変えられます。思ったより身動きはラクな席で、儲けものの平戸間でした。役者ときゃくとが入 り混じりに、芝居小屋全体が芝居に取り込まれ、活気と風情に溢れました。歌舞伎座や国立劇場の大歌舞伎が、ある種の冷えた変質を余儀なくされていることが よく分かります。幕間が短くて、とんとことんとこと芝居が運び、時間の経つのがもったいないと妻は申しました。小屋の上を飛行機がブンブン飛ぶ音のするの も面白いものでした。
 大満足でハネてのち、道の向かいの聖天さんにお参りしました。お芝居の書き割りのなかへ紛れ込んだような懐かしいところです。円生の人情噺などて、何度 も聞いた待乳山。今戸、花川戸。向島、言問橋。なんと嬉しい佳い地名でしょうか。ここらから吉原界隈への不思議に人臭くも人懐かしくもある歴史の遠景が脳 裡にさまざまに再現されてきます。 以前から浅草に小さい家が欲しいなと空想していたのが、色濃くなりそうな気分でした。
 浅草の境内をぬけて、喫茶店で一休みした真向かいが、「地元」で人気の鰻の店。たまりかねて、早めの夕食に銚子一本、それも、けっこうでした。小屋での 弁当もおいしかったのですが。
 よく遊んでいるなとわらわないで下さい。できるときに、したいことをし、みたいものもみ、思いをよく養っていたいのです。  湖
 

題名 : SCver6a.mid   0.11.6

  こんばんは、Nです.
 今日も穏やかな過ごしやすい秋の日でした.こういう日が続くといいですね.
 励ましのお言葉どうもありがとうございました.おっしゃるとおり,凝った趣向に走りすぎないよう気をつけます.
 今度の12月に当市の隣のN市でのフェスティバルに、木管とピアノの6重奏で参加します.
 最近友人もどんどん増えて来ました.今度演奏するメンバーも他のオーケストラのメンバーが何名か加わっています.
 それに珍しいことにメンバーがわたしをのぞいてすべて女性という、和やか雰囲気の中で演奏しております.
 アンサンブルを本格的にやりだしたのは今年に入ってからですが、個々のメンバーの個性と協調性のバランスをとるのが、とても面白く感じております.他人 の陰に隠れることができないが、個性ばかり発揮していてもまとまらないのが室内楽で、仲の良いメンバーで集まって演奏するのは幸せな時間です.
 実は今回の演奏会のために、初めてオーケストラの曲を編曲しました.MIDIというファイル形式で添付してお送りします.Windows98なら問題な く聞けると思いますが、できないときにはご連絡下さい.
 それでは,またお便りを送ります.
 
 

題名 : いばらき     0.11.3

 お仕事、いかがお進みですか。
 結城で、機織りをしている女友達が、「一度いらっしゃいよ。」と誘ってくれています。
 烏山、大子、益子、笠間、那珂湊、水戸、牛久など、2度も旅していながら、結城は未だですの。
 鹿島や日立に、仕事の縁があった主人にくっついて、小川芋銭の河童を、訪ねたりしました。
 竜ヶ崎に住む版画家に、[蔵書票]の世界を教わり、ナガ、ナーガ、ナカの説明を受けながら、周囲を案内してもらったこともありました。
 北関東の、懐かしくも、どこか寂し気な風景。温かで素朴な人たち。訛り…。さまざま、風情がありますわ。秋は特に人恋しい、囀雀
 
 

題名 : シャコンヌ      0.10.31

 hatakさん
 竹久源造という盲目のチェンバロ奏者をご存じですか?
 彼が参加している古楽器奏者のコンサートに行って来ました。
 今夜はJ.S.バッハの室内楽やオルガン曲を、ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロックヴィオラ、チェンバロ、小オルガンのために編曲して合奏するという趣向で した。
 スペインのギターに起源を持ち、膝で抱え込んで弾くヴィオラ・ダ・ガンバという楽器と、日本のオルガンメーカーが製作した小さなオルガンが、鼻濁音のよ うな、ふるえるいい音を出していました。
 圧巻は竹久源造編のシャコンヌ。同じ高い音でも、ヴァイオリンのように鋭くなく、チェンバロの華麗な音が心地よく耳に響きました。
 彼のCDは沢山出ているようで、休憩時間にロビーの販売コーナーを探してみましたが、残念ながらシャコンヌはまだCD化されていないようです。秦サンに お贈りしたかったのに残念です。
 今年はバッハイヤーということもあって、古楽器演奏は何度か聴きましたが、今日ほど満足できたことはありませんでした。トン・コープマン率いるオランダ バロックアンサンブルでさえ、こんなもんか、と内心がっかりしていました。
 今日の演奏を聴いてその理由に思い当たりました。原因は奏者にあるのではなく、おそらくホールにあるのです。お客が入るからといって、大ホールでやって は、あの繊細な音は客席まで届かないのです。トン・コープマンさんがいくらがんばっても、大ホールのチェンバロの音は、茶筅すすぎのサラサラ音にしか聞こ えませんでした。
 バッハの古楽は小ホールに限る、です。
 28日の院生さんのメール、気持ちがよくわかります。思いつきでやった実験がうまく行ったときの喜び、競争者との駆け引き、論文を書く苦しみ。研究が 「絵を描いたり或いは小説を書いたり」するのに近いというのも実感できます。付け加えていうならば、実験が一回でうまく行ったときの気持ちは、墨痕鮮やか に書を書き上げたような気分がします。
 「常陸」を読みました。谷崎源氏を何度も読んでいるはずですが、常陸の、ネガティブなイメージには全く気がつきませんでした。面白いなぁと思います。
 「ねこ」は昨日読んで、昨日一日悲しい気持ちでした。
 つぎは何だろう?楽しみにしています。
 その常陸の国筑波で国際シンポジウムがあり、あと三時間ほどで出張に出かけなければなりません。
 書き出すと止まらなくなってしまいます。ここで筆を措きます。
 残念ながら、東京は素通りです。   maokat
 
 

題名 : 未来   0.10.30

東工大OG YNです。

  メールいただきありがとうございました。
  お元気でいらっしゃいますか?
  
  ホームページも日に日に充実している様子ですね。
  会社からなので滅多には見に行くことは出来ないのですが、
  時々行くと様子が変わっていて驚きます。
  そろそろ寮の部屋にもインターネットを導入しようかとも思っておりますが
  なかなか思い切れないところです。
  大分パソコンも安くなっているのですが、
  9月に待望のチェロのハードケースを購入したので、
  高額品はしばし我慢のときです。

  最近は気が付くと一ヶ月終わっているというような生活を送っております。
  人生そんなに長くはないのに、
  もう少し味わいながら過ごしたいと思いつつ
  終わらない仕事に追われ、休日は目が覚めると昼過ぎであったり(・・・)
  もう少し生活の質を上げたいと、もがいています。
  その結果、この間から下諏訪のオルゴール博物館に行って諏訪湖を見たり
  メソポタミア展でハムラビ法典を見たりしました。
  砧公園はとてもよいところですね。

  「いつまで(今の会社で)仕事できるのかわからないんだから
   頑張ってやっておかなければね」と彼には言われ、
  今の(社会人)生活がずっと続いていくのではないことを感じます。
  結婚、出産、子育てと、新しい出来事に
  今後ぶつかっていくのかなあと思っているところです。
  自分が「母」になる姿は、やはりまだ想像できませんが。

  みなさんに読んでいただけるようなものはとても書けませんが、
  時々時間を作ってホームページを見に行こうと思います。
  楽しみにしております。良い読者を目指します。

  それでは、長くなりました。
  ようやくカレンダーどおりの寒さになってまいりましたので、
  風邪等ひかれませんように。
 
 

題名 : 福井から   0.10.30

 秦 君
 大きな、おもしろいことを始めましたね。ローマにあるFAO(国連機関)からの20頁ものの「E.Mail ニュース」は、初号からすでに100号を越 えていますが、私に取りましては、日本では初めてです。私が遅れているのかな?
 昔々、東芝の初期のワープロについて、君に尋ねたことがありましたね。PCによる分野内部情報の手元出版(4から5頁くらい)は今も続けていて、55号 になりますが、その程度でもなかなか大変です。それでも画像を入れてがんばっています。
 Major Supporter にはなれないでしょうが、ファンの一人が福井にもいるとご理解ください。  天野 悦夫
 
 

題名 : ねこ   0.10.30

 朝日子さんの作品、一気に読みました。
 一気に読み進めたい気持ちを抑えられぬほどの、情感にあふれた作品でした。
 朝日子さんの目から見た「ねこ」「ご家族」は、同じ被写体を秦さんと別の角度から写した映像であり、けれどもそれらがぴったりと重なり合って、さらに立 体的に見えたような、そんな想いがいたしました。
 ぴったりと息の合った幸せなご家族だったのでしょうと・・・。
 朝日子さん どんな想いを持って日々をおすごしなのでしょうか。
 でも、お幸せならば お元気ならば 生きていらっしゃるのであれば、それでよいのではと、決して還ることのない娘を想い、慰め事ではなくて心から想うの です。
 日曜日は、ハローウインパーテイでした。
 にぎやかに過ぎ、あすからまた忙しい日々が始まります。 AN
 
 

題名 : 不況風      0.10.30

   十五年ぶりという大売出しも効果なく、不況の風が厳しさを増している現実を思い知ることに。
 月一の特売日が定着していること。新聞の折込チラシに目を通す人は少なく、現に私も見ずに、折りたたんだまま片付けてしまうから。
 購買力も合理的に。安いからと、衝動買いはしなくなった。必要なもののみに、それも必要な量を。月様の、最中の1個買いによく似た感じ
かな。近辺の住宅環境の変化も見逃せないところ。個人用や小家族用のマンションが増え、学生や単身赴任者の多く住む環境に。
 本店の位置する地域は、環境の変化があまり無く、その差異が把握できていなかったのか。リサーチもなく、準備期間や宣伝方法の工夫も足りなかったよう。 木工業界の不振も購買力の低下の一因となっている。今回の企画を提出した人は、以前この支店にいて、その昔の盛況振りを体験。いまいちどの花は咲かなかっ た。
 この風をもろに受けたのは、私。売り出し日の二日間は応援がきたけれど、それまでの準備(仕込み)が大仕事。平常の日課だけで精一杯の(本店に一名出向 中)現状では、早朝出勤や残業でこなすしかない。過労は風邪を引きつれて。薬漬けでどうにか保たせて、無事終了。後遺症は風邪のみでなく、冬のボーナスに 影響か?というところも、痛いかも。
 1年生のときに中途退学を匂わせやきもきさせられた息子も、専門学校の情報システム学科マルチメディアコースに進学が決まり、ホッ! これから3年間、 まだすねをかじられることになろうけれど、その間に、この不況風も少しおさまってくれることを。政治家に願うのは無理か? 花籠
 
 

題名 : 土曜日、京都に。   0.10.30

 芝田です。
 土曜日、京都ノートルダム女子大学の公開講座に参加しました。
 京都駅から地下鉄に乗り換え、松ケ崎で下車。途中、四条、五条という駅名を聞くと、おおここは京の都だと言う気がしますね。
 公開講座は「広がるIT、変る家庭・女性・こども・教育・学校〜インターネット時代の家庭や学校の変化と教育を考える〜」と題するものでしたが、それな りに有意義でした。
 生憎の雨のため、京見物とはいきませんでしたが、次回の楽しみとして取っておきます。
 湖の本のホームページの目次、新しいものを拝見しました。
 エクスプローラーでの表示を確認しましたが、気になっていた点が解消されました。これで違和感なく見ることが出来ます。
 ありがとうございます。ではまた。
 
 

題名 : 似顔絵   0.10.30

 先生の想像どおり (?) 先々週から、一週間ちょっと風邪をひいていました。
 月曜日からひき始めたので、最初の週はひどくつらい一週間でした。
 丁度、忙しくなり始めた時期で休むに休めず、社会人って大変だなぁとも思った一週間でした。
 やっと、調子が戻ってきた感じがします。
 そんな病み上がりの身体で、ゴルフの練習に初めて行ってきました。
 今週に行う、職場のゴルフ大会に強引に誘われてしまったのです。
 ゴルフなんてクラブを振るだけで、どこがスポーツなんだろうと思っていたのですが、2時間ぐらい練習しただけで、マメはできるし筋肉痛でもう大変です。
 ところで「生活と意見」の似顔絵ですが、豆粒大になってしまったのは直ったみたいですが、こんどは横に太ってしまってますね。
 これは、iken.htmの似顔絵表示部分が、
<B>   <IMG SRC="boku.GIF" ALT="" HEIGHT=120 WIDTH=110>    ーー 
となっているのが原因で、
<B>   <IMG SRC="boku.GIF" ALT="" HEIGHT=150 WIDTH=110>    ーー 
が、正解です。HEIGHT=の部分が異なっています。   TANK
 
 

題名 : 潔く   0.10.29

 こんにちわ。 丁寧なご案内を賜りありがとうございました。
 メールは久しぶりではありますが、「生活と意見」を拝見しては、世界の広さ、みぢかさに感じ入っております。京都のこと、マゴの事、頬ばってゆかれたお 菓子の事など。近所の桜葉の赤いのがこのところの雨に濡れて光るのと同じように見えて、パソコンの前で、熱いお茶など啜りたくなります。この季節は天候も こんな具合で、何だか全体が灰色に煙っているようですが、時々、赤い実を見つけると獣のように嬉しい。そんな気持ちです。
 時々こうしてお便りさせていただいては応援したいと考えております。
 昨日の勝田氏の観音様の話(=般若心経の私訳。10.18 )は 心に触れるものがありました。たしか特別養護老人施設を看ておられるとおっしゃる方ではなかったでしょうか。
  最初にこの方のお話を読ませていただいた折に、私も設計の仕事の一つとしてケアセンターにボランティアというかたちで実情を学びに行った時の事を考えまし た。
 (ボランティアというのは複雑です。私にはこの言葉はあまりよい印象を与えません)
 奉仕とは何かを人に問うつもりはありませんが、「奉仕をする人間の資質」によっては狂気を引き起こさせる事もあるのです。自分と他者との問題について突 き詰めて考える事が出来なければ、軽々しくボランティアなどするものでない・・キリスト教の女学校に通っていた娘は、かなり点数の稼げる「社会奉仕授業」 にはいつも反発していました。
 私は思うのです。自分は、「灰色の中に赤い実を見つけては獣のように喜ぶ」という施しを受けて、今迄生きて来たのではなかったか、と。わが娘も年を経て 多くの出合いを重ねれば、自分が他者に何を与え、何を施されて来たのかを考える日もあるでしょう。
 父が亡くなってからこれ迄、思い出したように、母も般若心経を書き写している時期がありました。書き溜めたものを確か比叡山の阪本まで納めにいったこと もあったようです。私はというと、母に薦められはしたものの渾身の?1枚2枚を書いただけで墨をおろす事もありません。母と自分の似た様な下手くそな字を 見ると哀しくなります。父は達筆でしたが・・母の遺伝のようです。(ただの手習い不足ですよ。)
 こんな有り様で、私にはやっぱり観音様の有り難い教えも、娑婆が空に見えるのも程遠く 探し物をしてはせつながっているような生き方をしてきたようで す。
 想いは届くと確かに感じても その感じている事さえ本当は無いものだとはどうしても思い切れないのですが、『潔い』という姿勢だけは、この心とは対峙す る場所に据えておきたいものです。
 ただ思い付いたことを連ねただけの便りとなりましたが 懲りずにまたメールにてお便りしても宜しいでしょうか。
 遅く迄お仕事をされているご様子。はや、夜の空気は冷え冷えと致しますが、お散歩は賛成です。今度の京都旅行は目の保養に「やすめ」でしょうか? お楽 しみくださいね。
 私も2日夜より三重から奈良への県境にある薄の高原に立ち寄って後、奈良に入ります。お月見が楽しみの初日です。   NK
 
 

題名 : 直哉のことなど   0.10.29

 電子本への案内、有難うございました。
 阿川弘之「志賀直哉」は読まれましたか? まだでしたら、差し上げるわけには行きま
せんが、お貸しすることはできます。おついでのときにお返し願えれば結構です。
  最近、戦後の志賀直哉についてもう一遍読み直す必要が起き、下巻だけまた卆読しました。阿川さんのお仕事はすべてそうなのですが、トリビアルなことを積み 重ねてゆく書き方にいいものがあります。海軍提督ものでさえそうなのですが、「志賀直哉」は特にその傾向が強い。近代文学研究家には貴重な資料でしょう。 ただし、志賀直哉という独特の大きなスケールの人間の全体像を捉えるにはどうでしょうか。
 私見では、(直哉は)作品より人間のスケールの方がはるかに大きかった人という印象を受けます。外国人でいえば、ポール・ヴァレリーのような人。資質は 大分違うが。
 秦さんと違って、私は志賀直哉で文学に目覚めました。高校1年生の三省堂の国語教科書で「城の崎にて」を読み、友人の古屋健三の書棚から借りてきた新潮 文庫で、随筆「リズム」と、「大山」という題で載っていた「暗夜行路」の最後の部分を読み、小説のおもしろさを知りました。
 高校を卒業してしばらく勤めているときに、「懸崖」という詩集を持っている菱山修三という詩人に、あるフランス語の講座で、ジッドの小説を習い、そのと き菱山さんが日本の小説の話をして、日本の小説は、夏目漱石からまったく進歩していない、ということを志賀さんを例に話すのをきいて、あるショックを受け たことがあります。
 阿川さんの本に、誰かの言として、志賀直哉の小説は、絵でなく、書として読めばよい、というのがあり、なるほどと思いました。
 私は、これまでの諸家の評価では、「もうあがってしまった」作家のものとして評価される「暗夜行路」以降のものが好きです。「馬と木賊」という文章な ど、あの短い枚数でよくあれだけのものが書けるなと感心してしまいます。戦後のものでは「鈴木貫太郎」という文章が好きです。最近、阿川さんの講演を聴い て大変おもしろかったので、お礼の手紙かたがた、なぜあなたは「米内光政」のあと、「鈴木貫太郎」に行かないで、「井上成美」へ行ってしまったのか、とい う無礼な質問をしておきました。
 志賀直哉という人物を、そのあとの世代に及ぼした絶大な影響と共に、これからの文藝の人は極めるべきだ、そうしないと日本の文藝の衰亡は救えない、編集 者はそういう企画を建てるべきだ。そのために「私小説特集」をやれと、私は或る編集者に書きました。やるつもりだ、という言質を得ています。
 「文藝批評家」が「文藝批評家」になっていない、というご説、同感です。「文藝」がわかるとかわからないではなく、批評家として一番大事なプリンシプル がないような気がします。そのことに尽きると思っています。
 長々と書きました。
 御闘病大変だと思いますが、がんばってください。食事と運動、これだけだと思います。私は43歳から50歳まで苦しみ、なんとか拡大をくいとめました。 いまは血糖値110以下です。
 あわせてご健筆を。阿川さんの本は、御必要ならばメールでご連絡下さい。   田 欣一
 

題名 : 恥をかいても   0.10.29

 志のあるメールをいただき有り難うございました。執筆締め切りに追われて疲れている頭に、清々しさが戻ったようです。

>   この「e-湖」は、広くはならなくてもいい、深くありたい。
>  こういう「e-文藝」の「場」が、世間でも、これから次々に生まれてくると思います。この「e-magazine湖(umi)」は、理念としても実践と しても、魁の意義をもつでしょう。電子メディアを場にして生まれくべき新世紀の若々しい文学・文藝のためには、こういう、きちっとした「場」が必要です。 落書きに過ぎない野放しの垂れ流しの文章が、いくら無数の「掲示板」に満載されても、「文学・文藝」の表現にいい土壌を培っているとは言えません。わたし が名伯楽であれるとは思っていませんが。
  幸いこのホームページのビジターには、作家・芸術家・編集者・研究者・学者・教師・大学生そして「湖の本」の読者たちが、つまり優れた読み手も書き手 もが、相当数含まれています。「e-湖」は、そういう「いい読者」にはじめから恵まれているとも言えなくはなく、これは大きなメリットです。編輯者自身 も、かなりウルサイ読み手です。逆にいえば、寄稿者に少なくも恥はかかせないつもりでいます。

 本当にそうですね。現在はほとんど発信だけで、鍛え合う「場」が無きに等しいと思います。その意味でまさに魁でしょう。是非とも表現をめざして 「寄稿して修行させていただこう」と考えます。
 確かに優れた読み手と書き手の方々が含まれているでしょうから、できれば、「恥をかいてもいいから鍛えてもらえる」というレベルのディレクトリがあって 欲しいとも思いますが・・・欲張りですね。
 とりあえずは読むことの楽しみがひとつ増えたことを喜んでいます。ではひとまず。
 
 

題名 :  雨の朝寂しく       0.10.29

 どんよりと暗く、冴えない朝です。お元気ですか。
 今日は七 五 三のお祝いで、孫に逢います。これで、すぐに息子たちは転勤で大阪へ旅発ち、孫に逢う機会が、これまでよりも、もっと少なくなるようです。二人とも、今が 一番可愛く、無邪気な時期だけに、とっても寂しいですよ。何時帰れるのか、定年までかも、なんて、言っています。スピードの時代とはいえ、矢張り、関西は 遠くにあり、です。  CE
 
 

題名 :     0.10.29

 寂しい気持ち、よく分かる。パリまで送り出した昔のことを、思い出しました。
 寂しいのは、人生なるものの基調のようです、それを、どうかこうかいろいろに盛り上げて行かねばならない。上京も、結婚も、就職も、育児も、仕事も、創 作も、受賞も、退社も、家も、猫たちも、大学も、理事も、湖の本も、またパソコンも、今度の「e-湖」創刊も、みな、意識し自覚して自分の道の寂びしみを 薄めようとしているのです、それが喜びをもたらす。安住していると、寂しさばかり濃く深まります。それは、つらい。逢いたい人がいつでもいる、それも大切 な、生きる励みです。
 こう冷えてくると、いじけます。それだけ老体になっているのかな。昨日も、出かけずじまいに、器械の前にいつづけました。おかげで原稿もたくさん書いた し、娘の、むかしの文章を読み直してもやれました。
 雑誌に、反響が入ってきています。未知の人の長い小説も。生活に、また新たな要素が加算されて、日々、新しい。 遠
 
 

題名 : 玄奘三蔵訳「摩訶般若波羅密多心経」そのまた訳?     0.10.28  

  この世を見渡す観音さまは どしたらいいかと修行をされた この世はすべて空だと見抜き 一切の苦厄をのり越えられた
 
 これおまえ ものみな空にほかならず 空がものに他ならない 形あるもの即ち空 空が即ち色なのだ ひとの心のはたらきも これまた同じく空である よ いかおまえ あらゆるものが空なのだから 生もなければ滅もない 空のこころにものなどなく 喜び悲しみ欲分別も 目鼻手足も心もなく  姿形も想いも無 い 見るもの聞くもの十八界も 心の奥まで無に等しい 三世の因縁や迷いもないが 迷いがなくなるわけではない ほれあの猫は老死を悩まぬが 老死がなく なるわけではない 苦もその元もそれから逃れる道などもない 人の知恵など悟りが何だ 取るには足らぬものなのだ

 菩薩さまは そこんところがよくおわかりだから 心にわだかまりがない わだかまりがないから 恐れもないし 考えちがいも邪念もなく こころが 安らぎ涅槃におられるのだ 三世の仏さまも ここんところを身につけなさり 正しい悟りを得られたのだ だから般若波羅密多は 計り知れない言葉だし あ まねく照らす言葉だし この上もない言葉だし 比ぶべきない言葉だし 必ずかならず苦しみをとる 真実うそではないのだぞ

 そこで言葉を教えよう

 即ちその言葉とは ガテー ガテー パーラガテー パラサンガテー ボーディー スヴァー ハー
 

* こんなのが、対象になるのかどうかわかりません。「文藝」にはほど遠い私にまで、「e-magazine湖(umi)」のお誘いを戴き、ほんと に恐縮の極みです。以下言い訳け:
 実は、煎餅屋の母が仕事を止め、90才で亡くなるまでに、7万巻(枚)余の「般若心経」をせっせと書いていました。実家へ行った時、私も一枚書いてやる と、とても喜んでいました。帰り道、小学生だった娘に「おばあちゃんは、わかって書いているのかしら?」と聞かれました。「ありがたいと思って書いている のだから、いいのさ。」と答えて、その場は逃げたのですが、何か、うしろめたさが残っていました。小学卆の両親に、上の学校まで出して貰ったのだから、何 とかしなければと思い、訳してみました。母に見せたら、「ふーん」と言っただけでした。その、お袋のお経は、2万巻たまると、好きなお寺に納めていまし た。芝の増上寺、那智山青岸渡寺などに、今でも小さな碑が建っています。(筈です。)
 どんどん寒くなって来ます。お大事にしてください。   勝田 貞夫
 
 

題名 : ご挨拶   0.10.28

 秦先生 その後お体の具合はいかがですか?
 私の方は、幸いかねてから取り組んできた研究も学術雑誌に投稿するのに充分なデータが一通り揃い、最終的な詰めをしてから近日中に投稿するつもりです。 これが受理され次第(投稿してから受理されるまでにはスムーズに運んだ場合で約2カ月くらいかかります)、博士論文の審査が再開されるので、あまりのんび りはしていられず、かなり急ピッチで仕上げなくてはなりません。
 しかも、今年度の始めあたりに、ふと思いつきでやった実験が当たって、なかなか良い内容の研究になりつつあるのですが、こちらは最近アメリカのグループ が同じようなデータを得ていることがわかり、急遽、途中まででも速報という形で纏めようとしています。こちらの方が一日を争う状況となっているため、こち らを先に纏めることになります。いずれにせよどちらも近日中に仕上げなくてはならないのですが、改めて英語力の貧弱さや基礎知識の欠如に頭を痛めておりま す。
 しかし、今回研究を纏める上で痛感していることですが、研究は一つ分かればその先が知りたくなるのが人情ですので、どこで区切りを入れるかというのが非 常に難しいです。本当はもっとここまでやればよりよい研究になるのになあと思いながらも、どこかで線を引かなければいけないわけで、引き際を見誤るとライ バルに先を越されかねません。もう少し手を入れたらより良くなるのではないかという点で頭を悩ませるという点では、絵を描いたり或いは小説を書いたりする のと非常に近いのかもしれません。
 またいずれ仕事が纏まりました際に、またご連絡差し上げます。どうぞお体に気をつけて。    HI
 
 

題名 : 常陸       0.10.26

 和泉さん
 「『源氏物語』と常陸」はあれで、十分といっていいほど書き尽くされましたが、「常陸」そのものは、まだ、そうではなく、「常陸国風土記」という大きな ものも控え、「常陸」の問題は、他の分野にまで跨れば、正面からまだ説かれていない、踏み込まれていない、めずらしい興味深いことが沢山あります、「ひの もと」の問題としても。「ひたち」の問題としても。
 今回の「源氏」ほどの一区切りずつで新鮮な切り口をみつけ、古今にわたる、いいえ、やはり歴史時代における「常陸」をもっと追究して置かれると、なにか しら大きな或る足場が出来る気がします。地元の利を活かしながら、肩に力をいれず追いかけてみられては、と、薦めたいですね。新井白石にも常陸の論があり ましたよ。  秦生

 

題名 :  ドナドナ      0.10.25

 おはようございます。
 雪印も、火薬工場も、ずさんな管理。「たまんないなぁ。」
 酪農家に見学に行ったことがあります。
 雌の子牛が"女"になるまでの数年間に掛かった経費を、回収するのに、すぐに妊娠させるか、成熟を待つか。続けざま産ませるか、体力回復の後、産ませる か。酪農家の経営方針で違ってきます。
 子を産むから、乳が出ます。生まれた子が雌ならば、そのまま育て、雄ならすぐに売ります。"国産牛"として食肉にするそうで、買い叩かれると聞きまし た。
 人の生命を支えているのは、機械や工場ではない、生命。「いただきます」は、重い言葉です。 囀雀
 
 

題名 : やがて冬ごもり    0.10.24

 恒平さんのホームページに出てくる、その昔の先生方の名前に思い出が甦ります。
 信ケ原綾先生とは多分旧姓木平(このひら)先生のことでしょうね。ご健在なのかどうか、この50年近く音信もなく、、、。 当時、団クンなどと一緒に編集していた弥栄中新聞の顧問教師で、下鴨松ケ崎のお宅にうかがったこともあります。恒平さんはこの先生の印象を ”ちょうちょうなんなん、とはああいう感じをゆうんやね”といったことがあります。おしゃべりする時の様子に特徴がありました。卒業記念号に掲載された” 古い顔、新しい顔”という見出しのコラムで秦恒平と佐藤勝彦の人物評を書いたのは私でしたが、その企画は木平先生のものでした.
 いつだったか、すごい達筆の本間伸子先生からの私信にふれた一文がありましたっけ。間違いなく旧姓宮崎先生のことだとわかりました。あの頃いただいた年 賀状の見事だったこと、、、。お正月に東山七条に近い妙法院前のお住まいに行きましたが、大勢の姉妹の長女らしい、しっとりとしたお姉さんぶりが今も記憶 に残っています。
 どの先生も、学校という公の場を離れた自宅でお会いすると、印象が異なり、なにか,気恥ずかしいような、懐かしいような、そん気がしたものです。現今の 子供たちには、なんとも説明できませんが。
 恒平さんも私も好きだった水谷(佐々木]葉子先生は性格のにじみ出た男性的な筆跡で、今もよく覚えています。住所がわからず,不本意ながらコンタクトが ありません。
 この冬も、京都で冬ごもりです。今度は逢う機会があるでしょうか。
 ご自愛を。   田中 勉
 
 

題名 : 霧に  0.10.24
 
 先日、石清水八幡宮にゆきましたとき、見晴台の「蘆刈」の碑のあたりに、漆黒の仔ねこ2ひき、雪のような仔が2ひき、いました。何かのお使いかも知れま せん。写真を撮ったのですが、よく撮れませんでした。
 数日前、友人から、かわいがっていたねこの命日をパートナーと二人だけで過ごすのはつらい、遊びにきて、と言われ、びんにねこのシールをいくつも貼った 「ねこワイン」と称するワインを持ってゆきました。
 そのねこが今まさにいのち終ろうとするとき、いっしょに飼われているもう一ひきのねこが、一所懸命、死にゆくねこを舐めてやったと聞いて、なぐさめるつ もりのわたくしのほうが、泣いてしまい…。
 冷たい雨が、…霧に。   A
 

      
題名 : 起って、前へ   0.10.24

* 最近は体調も良くなって、病院も月2回になりましたし、睡眠の時、よく見ていた悪夢もなくなってきています。頂いている薬と自分の相性が良かっ たのかもしれません。まだ無理は出来ませんが。お体の具合はどうですか?
 ところで、僕は大学の通信教育部の本科生に合格しました。僕は、98年10月からこの大学の通信教育部の「特修生」という立場でした。中卒の僕が特定の 単位を取得するまで「本科生」にはなれなかったのですが、今年必要な単位試験にすべて合格し、晴れて本科生の入学資格を手に入れることが出来ました。認定 証を見たら通算46人目。実際、大変で結局まる2年かかりましたが、なんとか自分で成し遂げられたことがうれしいです。もう中卒という肩書きを背負わなく ていいというのが正直な感想です。ではまた。  慈 

 

題名 : ありがとうございます   0.10.23

  お久し振りです、びっくりしました。元気にしています。書きたい気持ちをじっくりと溜め込んでいます。
 『早春』面白く読みました。いろいろな作品に出てきたヒロイン達の姿が浮かんできて、思わず昔の短編などを読み返してしまったぐらいです。さすがに余裕 がなくてサイトを覗うことはできずにいますが、次の「湖の本」ではどんなものが届くか、愉しみにしています。
 目指す(大学受験の=)道はますます険しさを増した感がありますが、突き抜けられる手応えはつかめています。頑張ります。秦さんも、迪子さんともどもお 身体には気をつけてください。短く返事のみにて失礼します。   藤田 理史
 
 

題名 :小侍従のこと  0.10.21

「小侍従のこと」 あまり、手を入れぬようにとおっしゃってですので、いかにも不手際というところをなおしてと、思っております。
 ずっと以前、地元の新聞に「『源氏物語』と常陸」という小エッセイを書いたことがあり、書き改めたものがありますので、それを「湖」に採用していただけ るか、お手もとにと、かんがえておりました。小侍従のこと、あんな長いものはと、あきらめていました。うれしくありがたいことでございます。

 「きよつね」、佳いものに逢いました。とても、佳い時間を与えられました。
 ワキがいかにも篤実という感じがして、ツレよりも心惹かれました。彼(粟津三郎)はきっと清経の乳母子、そんな気がしました。そう思いますと、「かひな きいのちたすかりて」は痛切なことばだったと、あとで気づかされました。
 「今様朗詠し」の今様はどの曲だったかしら。能楽堂を出て、暗い坂道をくだりながら、かんがえていました。  香 魚
 
 

題名 :湖=海   0.10.21

 はたっく さん
 今日は札幌も晴天になりました。気温も14℃ほどになり、暖かく感じます。
 大学との共同研究はとてもうまくいき、目当ての植物ウイルスの塩基配列すべて解読できました。前任地でし残した仕事のケジメがきっちりとつけられたの で、実験の成功もさることながら、長く肩に背負っていた重荷を下ろしたような、晴れ晴れとした達成感があります。
 今は特許出願のための書類作りをしています。いざ特許という段になって、研究費をカットし、この研究テーマを一方的にうち切ってしまった前の研究所が、 特許の帰属先を今の研究所から奪ってしまいました。国の研究機関は来年4月から独立行政法人に移行するため、一つでも多くの特許を保有しておきたいので す。今の職場の上司に黙認してもらって仕事を続けてきた私としては立つ瀬がありません。そんなに特許がほしいのなら、もう少し辛抱して前任地で研究を続け させてくれれば良かったのにとあきれています。

 ホームページが変わり、新しい何かが始まりそうな予感がしています。投稿のお誘いありがたく、「e-magazine湖(umi)」の黎明期に関 与できるならば大きな喜びです。私にとっては、大きな容量を蔵してまだ空欄になっている「e-magazine湖(umi)」の巻が大海原に見え、生まれ て初めて海を見てその広さ大きさに呆然としているような心境です。
 思い切って大海原に飛び込んでみようと思います。溺れてしまうかも知れませんが。  まおかっと
 
 

題名 : きみの小説処女作   0.10.18

 建日子
 出版社から本が出るための「社内」手続きは、一般に、編集・営業・広告等の幹部と、その上との企画会議が「正式企画」として担当者提出の企画書を承認 し、著者に「正式依頼」ないし「契約」している場合が、本道です。この場合は、著者がきちんと作品を書けば、まず、本にはなる。
 しかし、たいていの場合は、まず個々の編集者が、日常活動の範囲内で、目をつけた作者予備軍に非公式に「小当たり=接触打診」している段階です。ツバを つけて歩くわけで、そこからモノに成るものは成るし、成らなくても構わないのです。「社の企画」にならない限りは、出版は約束されたわけではないのです。 現実にはこの後者のケースで、一心に頑張っている書き手が多いはずです。きみの場合がどちらであるかは、メールでは分かりませんでしたが。
 どちらにしても、編集者と接点があり、プランもあるのは、いわばチャンスであることに間違いなく、そのかわり、そこでいい加減なことをやると、見放され て、回復不能のミスチャンスになるだけです。編集者はそういう例をいやほど体験していますから、逆に言うと、その話が潰れても流れても勘定に入っていま す。ま、平気です。むしろ、なんとか作品が出来たのに、会社や上が「社の企画」として承認してくれないときが、板挟みで、編集者には一番辛いことになる。 それを避けたくて、編集者は書き手に対し、あまり堅い約束をしたがらないこともあります。「とにかくお書きなさい」と、だけ。
 しかし、書いた方がいいのです。書けば少なくも作品が残るから。しかし、イージーなのはだめ。処女作には作者の根性と個性と誠意と熱意とが結晶してい る。それが普通です。そうあらねばウソです。だからこそ後々まで処女作を越えるのはなかなか難しいと言われる。そういう処女作なら成功への展望が開ける し、逆にやっつけ仕事であれば単に才能無しと見限られて、二度の機会には容易に出逢い難い。そういうものです。それで泣いた新
人は無数です。
 結論として、編集者に誠意と好意とが感じられるのなら、せいいっぱい酬いた方が身のためでもある。どの程度に温度の高い話なのか分からないので、あのレ ジメなみの作品といえども、わたしがわたしの「e-magazine」で触るのは、やめておきます。
 作品に、日限を切られているか、それが、一つのメドです。日限無しでの「書いてみないか」は、まず単なる「ツバつけ」に過ぎないから、作者が作品を見せ るまでは、向こうは全く責任など感じていません。それを感じさせるには、一にも二にも、まともな作品を見せて突き動かすしかないのです。それさえも、しか し、与えられた「チャンス」なのであり、ふつうの作家予備軍には、そんな簡単な接触(コネ)すら無いのです、編集者との間で。
 以上です。向うも日を切らず、きみも、ま、いつか書くよと放っておくのであれば、この「はなし」は、ふつう一年間で事実上消滅です。何らかの具体的な接 触が継続していないと、自然に時効が発効して、白紙に戻っているのと同じです。
 だから、きみが長編小説を、やむにやまれぬ強い動機で、書きたくて書きたくて溜まらないなら、自分に鞭打って、自分できっちり日限も決めて、ただもう 「書く」しかないのです。それは、事情によりなにかの片手間でもいいのです、が、ただし、道楽気分の、小手先の才気や安易さからは、きちっと我が身を引き 離してかからないと、とてもまともに長編小説など書けるわけはありません。
 処女作こそは、真剣勝負です。若い同世代のすでに名を成している作家たちの、真剣な姿勢と精進とを、少し見聞しておくのもいいかも知れない。
しかし、書く内容は、けっして真似ても、追随しても、いけない。自分自身を追究してやまないこと。
 いずれにしても、わたしの「e-m・湖umi」には、むしろ、シナリオか戯曲の自信作をくれると有り難い。きみ自身の自己主張のためにも。  父
 
 

題名 : 雪の朝  0.10.18

 秦さん
 目が覚めてカーテンを開けると、外は雪景色。
 今年の初雪です。
 職場に来るまでに、吹雪、細雪、晴天がめまぐるしく変わりました。
 今は晴れていますが、強い風が吹いています。
 昨夜電話で話した沖縄の友人は、クーラーをかけ半袖で過ごしていたというのに、
 札幌は秋を飛び越して早くも冬の到来です。
 まおかっと
 
 

題名: 初時雨   0.10.18

 とうとう冬型の気圧配置です。
 隣の伊賀上野市で、毎年10月に芭蕉祭が行われるそうです。
 「猿も小蓑を・・・」の垂れ幕が、市役所に下がりました。
 15日は、本当に冷たい雨の降る一日で、体育祭を、半日で切り上げたところもあったそうです。
 今朝も雨。カーディガンを羽織りました。
 秋は何かとお忙しいことでしょうね。どうか、暖かくなさって、お出かけを。  囀雀
 
 

題名 :京で拝眉・拝見   0.10.17

 中村扇雀さん。
 南座公演を、おかげで、家内といっしょに楽しみました。いい席をご用意下さり、舞台の上と下とで初対面のごあいさつが叶った気がしています。河原町の京 都ホテルにおりました。
 以下の旅日記は、十五日に帰宅後、ホームページの「私語の刻」に書き入れたものです。お笑いぐさに。失礼の段はご容赦を。
 また十一月、平成中村座に参ります。
 この間は、歌舞伎座を昼・夜通して観てきました。先月もあなたがたの舞台を、昼・夜観ました。なんだか歌舞伎爺婆めいて可笑しいですが。
 いろんなことを、いろいろ、やっています。ホームページの中に、作家である私が責任編輯の電子雑誌「湖=umi」も、スタートさせるところです。短い文 章でけっこうです、過去にお書きのお気に入りのもの、一つ頂戴できると(メールで送っていただけると)幸いです。原稿料は差し上げられません、どなたに も。ただ、読者には、各界のいい読み手が大勢おられまして、わるくない「場」と、自負しています。どうぞよろしく。    秦  恒平

* 十三日の金曜日午後  新幹線ののぞみで、うたたねしているうちに京都についた。出がけは小雨の気さえあったのに、京都は快晴でまばゆいほど。
 河原町の京都ホテルに入り、すぐ、車で、萩を刈ったばかりの出町の菩提寺へ。墓地も日盛りのまばゆさで、墓に水をたっぷりかけて、香華を供え、念仏。住 職としばらく玄関で話し、辞去。
 地下鉄で四条まで走り、花見小路の「小西」で、紙と木と金との作品展に、中学時代の恩師で歌人でもある信ヶ原綾先生のご子息が、興味深い金属造形を出品 されているのを観た。蓮を造形した自在な金属の扱いなど、興趣に富み、感心した。「小西」はもともと祇園甲部の御茶屋であり、その家を開放して各室に展示 がしてあり、そのまま京の数寄屋造りの間取りや壺庭などが観られて、それもまた展示効果を粋に挙げていた。懐かしいものがあった。祇園町の小路をぬけて縄 手へ出るまでも、建仁寺の風情と色町のそれとがにじみあうように面白く、縄手へ出ればまた広くもない通りに商家がにぎにぎしく軒を並べている。子どもの頃 父に言いつかって牛肉を五十匁の百匁のと買いに行った店も、昔のままの間口としつらえで残っている。京都へ帰っている、ここは祇園ゃ、縄手ゃと、思うまで もなく呼吸しているだけで、心もち良く落ち着いてしまう。妻も楽しんでいる。

* 南座があいて、前から四列の真中央の席にならんだ。扇雀丈の女番頭さんに、来月の平成中村座「法界坊」二人分も含めて支払いをし、礼を言い、花 形歌舞伎「鏡山縁勇繪=かがみやまゆかりのおとこえ」通し狂言を観る。
  中村翫雀、扇雀の兄弟、中村橋之助、市川染五郎、それに吉弥や高麗蔵らがワキを固めた、本当に若手花形だけの舞台だが、それが活気をうみ、また台本がばか に面白くて幕間はごく短いというテンポのよさ。もう頭っからの歌舞伎・歌舞伎なのだが、歌舞伎の根の趣向だけでなく、岩藤の骨寄せや尊像の宙浮きには現代 の超魔術テクニックを借用するなど、盛りだくさんにけれんと手管を嫌みにならぬ鮮やかさで連発したから、ただもう、引き込まれて面白がっていられた。お おッと手に汗もしたし、蝶の乱舞する演出など、なかなかやるなと感心もした。
 常の舞台でなら、年季の入った大幹部の俳優たちに立ち交じって、若い生きのいい芝居をみせる若手四人が、此処では互いに競い合って一芝居を支え合う活気 と協調。気持ちよく、若い芝居が若く元気に盛り上がり、終始いやみなく成功していたのは、大いにめでたかった。見栄えもした。「男岩藤」という趣向を掘り 起こして存分に新脚色した意欲も利いた。「こんなのも、いいな」と思わせてくれた。
 橋之助の由縁之丞が、女役、若衆役、本悪まで多彩に元気いっぱいに、なんだかとても楽しそうに演じ分ける。扇雀も、まずは滅多に見られない、老職の武士 役と、絢爛の花魁や世話の女房を演じ分けながら、自害までしてみせるから、ご苦労であったし、しどころも有った。フアンは喜ぶ。
 なにしろ四列目のまん中にこっちはいるので、橋とも扇ともしっかり目があい、ひょんな初対面の按配なのも、とても面白かった。すくなくも扇雀はわれわれ が東京からわざわざ来ていることは知っているのだろう。こっちも一心に見るし、舞台の上でもうんうんと確認しているような按配。それほど近いところにいた ので、よけい面白かった。
 座頭格の翫雀も、大名と二枚目とを彼らしく颯爽と演じて父親の鴈治郎に生き写しなら、扇雀は母親の建設大臣に瓜二つというところ。立ち役にもはまるいい 顔立ちをしていて、妻など、そっちの方もすてきねと、痺れていた。染五郎にはまだヒレがないが、これまた随所に高麗屋の芝居ぶりが出て、父松本幸四郎にそ れはよく似ているからおかしかった。そんなことを言えば「歌舞伎さん」(寛子夫人の婚約の頃の表現)こと橋之助が、また若き日のお父さん芝翫丈にそっくり だ。「若手花形」とは、名実ともに偽り無き看板であった。たいして期待しないで来た分、大トクをしたほど面白い芝居見物が懐かしい南座で出来て、夫婦し て、いたく満足。

* 芝居がはねて八時過ぎ、きわどいなと思いつつ、すぐ東の「千花」の暖簾を分けた、と言いたいが、もう灯を落としかけている間際だった。顔を見 て、とくべつに中へ入れてくれた。
 つい先頃にも、淡交社の本で、「京で呑んで食べるなら此の店」と一文を書いていた。もう古い馴染みで、同じような機会にはためらわずにいつも「千花」と 書いてきた。それほど好きな店であるから、ぎりぎり間にあって有り難かった。二人で京都へ、の一つのお目当てであったから。間に合わせてもらえて、もう誰 も客の来ないまま、しみじみと佳い京料理の粋を、堪能した。
「一品として、どこかよそでもこれは出るわねというお料理が無く、ぜんぶが新鮮で珍しいお料理なのねぇ」と、妻は舌をまく。この店は、食べ物に趣向があ り、じつに佳い器での、ものの出し入れがやすらかに美しくて、店の行儀もいいのである。酒をうまく呑みたければ、超一級の食べ物で、酒を、いっそう美味く してくれる。
 老主人が枯れた西行さんのように、また、佳い。この人に逢えると逢えないのとでは、味がちがうだろうなと思う。美味かった。幸せな気分だった。老主人や 店の若い人に四条通で永く見送ってもらい、佳い気持ちで四条大橋を西へ越えた。
 ホテルはもうそこだったが、河原町三条の六曜社でコーヒーをのみながら、のんびり妻とおしゃべりした。(以下・略 e-magazine湖(umi)= 秦恒平編輯 の第八頁をご覧下さい。)