事務・実務におわらぬメールの「表現」が可能なのでは、と。
2000年10月17日より大晦日、また2001年元日からの分は
「雁信 2」に、取りまとめ掲載しています。
* 祝「日本ペンクラブ電子
文藝館開館」など。
心よりお慶び申し上げます。お知らせを戴き、
早速、島崎藤村の『嵐』をコピーしてみました。ご苦労を拝察し、本当にありがたい事と感謝しております。タイヘンダッタロウナアなんて、待ってただけのく
せに先ずはほっとして、嬉しいかぎりです。
「親指のマリア」上中下 ディスク送ります。
「勘解由。身をいたわり、相変りなく勤めてくれよ」と家継に言われた時には・・涙が出ました。
ひとのことは言えませんが、転倒は骨折につながり困ります。くれぐれもお気をつけください。 勝
* お月さん 1.11.19
すっかり日が落ちるのが早くなりました。空気が乾燥して澄んでいるのでしょうね。見惚れる程の三日月ですわ。
新聞に子供の発した一言の投書欄ってありますでしょ(今時の子供の名前ってスゴイのがありますわねぇ!)。
花火大会で月の近くに上がっているのを見て、「見とってみィ。お月さんそのうち壊れンでェ!」というのが気に入っています。
* 願いを 1.11.19
こんばんわ。流れ星たくさん見えています。犬が一頭吠え続けています。吉の兆しと思いたい。平和へ。きっとみなが星に願いをかけていることでしょう。
* 月が壊れる 1.11.19
すっかり日が落ちるのが早くなりました。空気が乾燥し澄んでいるのでしょうね。見惚れる程の三日月ですわ。
新聞に子供の発した一言投書欄ってありますでしょ(今時の子供の名前ってスゴイのがありますわねぇ!)。
花火大会で月の近くに上がっているのを見て、「見とってみィ。お月さんそのうち壊れンでェ!」というのが、気に入ってます。
* エヤーバス墜落 1.11.13
今回はテロと関連はないらしいと発表がありましたが、事故の墜落であっても多くの人の命を奪ったことに違いなく、ニューヨークの災難、二度ある事は三度
あるなんてジンクスを、こんな時には思わずにはいられません。わざと軽く躓いたりして、三度目の難を逃れようと、この歳でも子供っぽくすることを思い出し
ました。もう当分、度肝を抜くようなニュースには出会いたくない心境です。
グレーゾーンですか。インシュリンを使っていてその状態ですから、くれぐれもお大事に。
* 殺人 1.11.11
狂牛病による不況も、たぶん原因の重きをなしていたのではないかと察せられて、胸が塞いでいます。
食肉卸業者同士の殺人事件はお聞き及びのことと思いますが、殺した当事者(その場で自殺)が、勤務先の縁者なのです。その方を知っている先輩の同僚は、
いまでも信じられないことだと申しています。温厚で、いつも笑顔の腰の低い方だったと。殺された方は今日、そしてその方は明日のお葬式です。
あらゆる方面に影響が出てくることを覚悟しなければ。流れのままに、とは思いますが、暗く、深いこの激流はいつ変化を見せてくれるのでしょう。
* 時雨のつくば 1.11.9
公園に散り敷いた櫻紅葉をひそひそ時雨がわたっています。
お目が、おくすりでよろしいという程度とうかがって、ほっとしております。わたくしも目医者さんからのおくすりで何とかしのいでいますが、無茶はいけま
せんと言われております。
鏡のお話、月輪観をおもいました。が、鏡になりきられるとおもうと、少し、こわく、少し、さびしい。
観劇のごようすをうかがって、わたくしも国立劇場にゆきたくなりました。秀太郎の「小せん」、よいでしょうね。わたくしがはじめて見た小せんは、門之助
でした。花道を縄を打たれて曳かれてゆくときの、素足のさむさに涙したことを思い出します。
朴落葉の溜めてゐる雨 足裏を濡らしてのがれし遊女もゐにけむ
とほき祖(おや)にあそび女などのゐざりしや湯あがりのにほふ足の爪剪る
香 魚
* 少し安心 1.11.7
眼科の結果が、お薬で、ということですこし安心いたしました。じつは、私ももう三年ほど前からドライアイで眼科にかかっております。先日
も、私の前のひとが、緑内障で手術と医師からいわれたのを控えの席できいたばかりでしたので、案じておりました。今日から冬と暦は告げております。どうぞ
御自愛くださいませ。
* サラマンカより 1.11.7
予定通りスペインに何事もなく到着しました。
今は、毎日スペイン語の語学学校に通っています。授業は全てスペイン語ですが、きちんと理解するまで教えてくれるので、私も一所懸命にやっています。
食事もビールもワインも皆おいしいです。歴史のある教会や大学などの建造物がとても美しいです。もう少し語学の勉強が落ち着いてきたら、市内を色々回っ
てみるつもりです。
昨日の朝、マドリードで、バスク祖国と自由というテロ集団による爆弾テロがあり、警官が一名亡くなったようです。また、南の方では、洪水の被害があるよ
うです。でも、私のいるサラマンカは今の所安全なようです。
先生もお身体にくれぐれも気をつけて下さい。またメールします。
* 冬のはじまり 1.11.5
日曜日、ゆっくり目覚めました。窓を開けると、大きな雪粒がたくさん降っていて、地面は真っ白。初雪。七ヶ月ぶりの雪景色です。あわててスノータイヤを
引っ張りだし、車も冬仕様に衣替え。その雪も午後にはすっかり融けてしまいましたが、半年近く続く冬のはじまりを、少し嬉しく、ちょっぴりおっくうに感じ
ました。
ご不調の様子、どうぞお大切に。講演がスムーズに進みますことをお祈りしています。 maokat
* 弦楽四重奏のコンサートに行ってきました。 1.11.3
22年前の”Rosamunde”にはかなわなかったけれど、弦楽四重奏の、”Rosamunde”のコンサートに行けたことで、充分でした。
ミュンヘン時代に録音したカセットを見つけたら、そこから昔話になり、その後すぐ、夫が、弦楽四重奏のコンサートを探してくれたのでした。
あの当時、私はまだ7歳、千葉もまた田舎の市原市に住んでいました。国鉄に乗るにはその1時間前に家を出て、千葉駅までさらに1時間電車に揺られるとい
う、寂れた工業団地でした。
そんな曇り空の団地生活で、ある日、母が私と兄二人を、クラシック音楽のコンサートへ連れて行ってくれることになったのです。昂揚と緊張で躍る胸を、父
の手前抑えても、まだ、ドキドキしていました。
学校が引けてすぐ出発した私たちは、3時間の旅といえども、コンサート会場である日経ホールに、かなり早く着きました。そこで突然、母が「夕ごはんを食
べましょう」と言い出したのです。生まれて母と一度もレストランで食事をしたことのなかった私は耳を疑い、嬉しいよりも申し訳ない気持ちでいっぱいになり
ました。メニューを前に何をどう見てよいのかわからず、それでも目だけは数字にいってしまう。結局、だれが言うでもなしに、私たちは一番安いビーフシ
チューを食べていました。生まれて初めてのビーフシチュー!そのおいしかったこと!肉が入っていたかなんて、ぜんぜん問題ではありませんでした。
食事の後ホールに入ると、なにやら母は、「演奏者への質問」を書き始めました。演奏の合間に、演奏者への質問コーナーを設けるというのです。司会者が、
集めた質問用紙の中から4、5枚選んで質問し、演奏者に答えてもらう、というものなのですが、選ばれた質問を書いた人はその場で舞台にあがって、演奏者の
サイン入りのカセット(パンフレット?)をもらえるという、すてきなおまけがあるのです。一人一枚ということで、母は、私たち3人と、誘いに応えてやって
きた東京の妹の分4枚を、せっせと書いていました。
この幸運な二人目に選ばれたのは、なんと私の兄でした。内気な兄はなかなか立ち上がらず、私たちをはらはらさせましたが、舞台で演奏者の大男たちと握手
をしたときの兄は、うらやましいより誇らしい兄でした。そして、なんという運でしょう、最後の5人目に当たったのは、母の妹でした。慣れた足取りで舞台に
あがり、堂々と握手をするバイオリン奏者の叔母を、どんなに誇らしく思ったか!
生まれて始めてのコンサート、そうこれは、忘れもしないライプチッヒのゲバントハウス弦楽四重奏団でした。ひげもじゃのゲルマン大男たち(私の映像で
は、なぜか彼らはひげもじゃなのです)が奏でる音色は、重厚でもの悲しく、いまだにあの深い響きは忘れられません。
あのコンサートに、母はどんな思いで私たちを連れて行ったのでしょう。不機嫌極まりない夫を後に、往復6時間もかかるコンサートに、翌日学校のある小さ
な子供二人を連れて行く、狂気!!。あの時の母は、必死以外の何ものでもなかったのだと思います。
文化から断ち切られてしまいそうな自分たちの生活に、切迫していた。必死で自分たちの行けそうな、でも質の良いコンサートを探し、必死で子供たちを連
れ、必死で質問を絞りだして書いた母は、恐らく、楽しむ余裕もなく、必死で演奏を聞いていたに違いありません。
18年間、幾度となくあのとき聴いた曲を思い出しました。メロディーは口ずさめるのに、曲名がわからない。どうにかして知りたい、そんな気持ちを抱き続
け、4年前ドイツ、ミュンヘンにやってきました。図書館に通い、懲りもせず弦楽四重奏のCDを4枚ずつ借りてゆく。そんなことを続けて、とうとう再会した
のは、シューベルトの弦楽四重奏a-moll D804,op.29
Nr.1の”Rosamunde”でした。22年前、母と一緒に聴いた、ゲバントハウス弦楽四重奏団が奏でた曲でした。
今年、バルセロナで最も素晴らしい演奏が聴ける演奏会の、会員になりました。
好きな演奏会に自分で行けるようになったことの意味は、とてもとても大きく、母がここにいたなら、一緒に連れて行きたかった。手紙にそんなことをぽろり
と書いたら、「かわいそうに。あの頃、もっと連れて行ってあげたらよかったね。」と返されたけど、あのひとつの演奏会にあれだけの意味を与えることのでき
た母に、私は感謝の想いしかない。
1年が10年がそして20年が過ぎて、何とはなしに思い出した事柄が、自分にこんなに意味のあるものだったと、ある日突然気づくときの驚きと感慨。一生
懸命すぎて、よく人を疲れさせた母だけど、それでも今は、素直に感謝できます。
久しぶりに、思い出に耽りました。
思い出に耽る理由は、ほかにもあります。
<この人は大学二年生で文学概論に出てきた頃は、毎日のように大学をやめてしまおう
<かと思い詰めていた。
大学を何度もやめようと思ったことは忘れもしないのに、この文章を読んだとき、何だかとてもドキッとし、ああそ
うだったんだ、ああいう時があったんだ、苦しくて妙に懐かしい気持ちに襲われました。毎日が苦しくてたまらなかったけれど、ほんとうに大切な時代だった気
がします。
* * * *
*君は、あの苦しくて大切な時代のすべてでした。おかげさまで、彼のホームページを見ることができ、長年のしこりを少しほぐすことができました。元気で、
自分の好きなことをやっているのが、何より嬉しかった。彼と共にしたものはあまりに大きく、美しく、悲しく、深く、あの闇から抜け出せたのは、アルフレッ
トに逢ってからだった気がします。
今の私の生活は、動揺させられないほど満たされ幸せだから、* *
*君に連絡をとってもいい気がするけれど、彼の幸せな生活を動揺させることにならないか、との思いもあり、まだ連絡していません。なんて思うのは、私の思
い上がりですね。* * *君、どのような感じでしたか?
東工大の想い出に寄せて。
東工大でできた友達、いえ作った友達と言ったほうが適切でしょうか、私にもふたりいました。“唯二の友だち”、一人は私の高校の親友と結婚し、一人は京
大の院へ進みました。* * * * *と*
*、二人とも秦さんの「虫食い」詩歌を熱心に埋めていた学生です。そういえば、恒平さんも覚えていらっしゃるのではないでしょうか?次の話を。
雨模様の朝、人気のない、あれは神護寺だか西明寺だったか、階段を昇っていくと、一人の青年が膝をついてカメラを覗いている。目線を上に追うと、そこに
は母親らしき人が静かにたたずんでいた。なんて母親想いの青年、なんて優しい風景、そっと足を止め息をとめたら、立ち上がった彼がこちらを振り返った。そ
の青年は、なんと* * *ちゃんだった。
その彼が、今年7月14日、京都で亡くなりました。祇園祭の宵山が、ちょうど彼の告別式の日になりました。サイエンスに携わる者にとって一番の成果であり
誇りである、雑誌natureに論文が載った矢先のことだったそうです。肝臓癌とわかり、手術から肝機能不全に至るまで、あっという間だったらしい。
なぜ、あの彼が。と、同時に思い出されるのが、あの風景なのです。息子のまなざしにやさしく応えていたあの母親。一人っ子で両親にすごく可愛がられて
る、と自分でヌカしていたくらいだった。* * *ちゃんの孤独な闘い、死なれた両親の悲しみを思うと、胸が苦しくて、痛い。
前回も、今回も、恒平さんへの言葉もないまま、ひたすら書いてきた気がします。伝えたいことがありすぎて、と言うのはよい言い訳で、ひとは結局、誰かに
聞いてもらいたい、知っておいてもらいたいのですね。井上靖の「猟銃」にもあるように。
秦さんが、東工大の元学生たちと、いまだに膝をつき合わせているのが、とても嬉しいです。
スペインへ行くのが夢だった少年、今ごろスペインに向かっているでしょう。驚嘆、落胆しながらも、満足のいく1年をすごして欲しいです。どこからそうい
う力が湧いてくるのか、こういう話を聞くと、素直にすごいなあ、と思います。 * *子
* Trick or treat 1.11.1
ベランダから川面は見えませんが、川霧かと思う朝の景色。蛇口から出る水がすっかり冷たくなりました。穏やかに晴れた昼下がり、雀は日向ぼっこの誘惑にか
られましたわ。ふさふさの尻尾があったら、くるりんと丸まって、あの日溜まりで日がな一日うっとり過ごしてみたい。
昨夜のような晴れた月夜に黒猫になって歩き回ったら、魔法のひとつも使えそうでしょう? ハロウィーンの夜をいかがお過ごしでらっしゃいましたか。キッ
チンに、食べられることのないままカボチャが転がっていますの。一陽来復を祈って、冬至にふかして食べることにしましょう。
* アルジャジーラ 1.10.30
TVの「素晴らしかったですねぇ」という声に画面を見ると、名古屋からの生中継。慌てて窓に駆け寄ると、夕焼けが燃えるように赤く、つかの間で消えまし
たわ。
さて、CS放送のBBC,CNN契約数が急増しているそうです。NHKニュースはひどい出来だし、一応、民放も少しは見ますが、雀はこのテロ以来、
CNN,BBCを中心に見てましたの。ですが、事件当日からの数日間はともかく、ブッシュ、ブレアのように、仲良し報道になっていては意味がないでしょ
う。アルジャジーラは無理だとしても、中国、ロシアなどのニュース番組を見てみたいわ 。呟雀
* 戦争体験の有無 1.10.30
うまくいえないのですが、戦争と死という極限の状態を経験した人と、平和と衣食住足りた生活にひたっている人は、ものの感じかた、考え方の深さ 厳しさ
が、自ずとちがってくるでしょうね。
満ち足りた半世紀に 今、しっぺがえしが来ようとしている気がします。「唖の娘」のつくりあげた「人間魚雷」にまた載せられるときが迫っているよう
な・・・。
* 葛城の風の森 1.10.30 。 囀雀
寒中にここに一人で立っていたら、あっという間にフリーズドライになりそうな、葛城の「風の森」。
一人、高天彦神社の美しいご神体山を背にして、重なりあう大和の山々を見下ろして、(本当に誰もいない葛城の道でしたわ !) 「全部俺のものだァ
!」なンて、豪族って、こんな気分でいたのかしらと雀は想像しましたの。ですが、同時に、山岳地帯の戦いを熟知したアフガン兵の前、にソ連が撤退し、今
回、米英の「精鋭」部隊も苦戦しているニュースが「土蜘蛛」と重なり、苦い思いがしましたの
* 葛城や 1.10.27
御所(ごせ)駅から葛城の径を三時間歩いてきました。なかなかキツくて顎が上がりましたわ。途中で見つけた菓子屋のお饅頭が、餡たっぷりで形は、大和三
山のようにかわいらしく、道道食べながら雀はゴキゲンでした。人のいない道で、明るい秋の日差しなのに、どこか悲しげでした。
高天彦神社は諦め、土蜘蛛の塚や九品寺、京の上下の賀茂のお宮の総本宮、高鴨神社を訪ねました。日陰にあったお地蔵さんのところにきた瞬間、ひんやりと
別世界に紛れ込みました。藪のなかにひとつ実っていた烏瓜の赤が、目にしみました。囀雀
* ファイアウォール 1.10.27
McAfeeは使ったことがないので、確かなことは言えませんが(また警告が出たのは)やはりかなり危険な状態だと思います。
ファイアーウォールというのは都市を囲む城壁のようなものです。城壁が破られていないかどうか、守備隊が定期的に点検し、ソフトによっては修復してくれ
るものもあるようですが、その定期点検で抜穴が見つかったということでしょう。
潜伏期間ということではなく、穴が開いているという警告ですから、抜穴をふさがない限り、定期点検のたびに警告が出ると思います。
問題は穴がどうしてあいたかです。原因は行儀の悪いソフトが間違って穴を開けた、外からの攻撃、内側からの攻撃という三つのケースがあるでしょう。
外からの攻撃にファイアーウォールが易々と破られるというのは考えにくく、内側からあけられた可能性の方が高いと思います。
内側からというのは、城壁を築く前に、山賊のアジトが都市内部に作られていたか、メールなどでウィルスが忍びこんだかして、出撃のための抜穴を作られた
ケースです。この種の内側からの攻撃手段をトロイの木馬といいます。
山賊が活動する際は、一台のコンピュータを秦さんとネットの向こうの犯罪者が同時に使うことになるわけで、動作が通常よりも重くなることもあるようで
す。
いずれにせよ、なりすましを防ぐために、パスワードを変えるぐらいはやっておいた方がいいです(トロイの木馬なら、変えてもまた盗まれますが)。
御心配なら、テキストだけをバックアップして、ネットワークに繋がったコンピュータ全部を真っ白にし、インストールし直した方がいいでしょう。
不安をあおるだけの結果になってしまったかもしれませんが、あの警告は無視しない方がいいでしょう。
* 今の世 1.10.26
(今)の世を蔑(なみ)するほかにすべ知らぬ、戦後の民のひとりか。われも
蔑(なみ)するべき世は、今の世だ、という判断です。
確かに、今の米国とも違う雰囲気で、過去に戦争へ突き進んだそういう「世」もあり、それこそが、蔑まれてしかるべきかも知れません。しかし、戦後の民で
ある私は、今の世よりも本当に、悪い世だったのか自信を持って言えないのです。戦後とあるので、戦争に絡めてその前をひくのが正論だったのかも、とも思い
ますが。
もう少し言うなら、おそらく私は、戦後の民、ではなく、高度成長期以降の民、あるいはバブルの後のオトナ、かと自覚しています。ここで歌われている戦後
の民、とは、同じ気持ちは持てていないと思います。
* 湖とネットと文学 1.11.25
「私語の刻」を読みますと、秦さんお疲れのごようす、心配です。
秦さんの電子版湖の本や、「e-文庫・湖」は、さらにまた今度の電子文藝館も、優れた文藝に触れるよい機会です。
「ばかなことをしている」だなんて、とんでもない。秦さんの「湖」は拡がっています、わたしのひと雫の加わるのがゆるされるならば。
ネットで小説を読めるようになることは、市場のニーズにかなっていると、わたしは思います。読みたい本を書店に注文すると「品切れです」という回答ばか
り返ってくる昨今ですし、図書館でも、全集の類いは奥に整理されてしまう始末です。本が売れないという現状において(売れないのは本だけではありません
が)、まず人の目に触れることが大事だと思います。それが手許に置きたいという購買欲につながってゆくと思うのです。優れた文藝は消耗品ではありません。
折にふれて味わいたいものですからね。
音楽CDだって、聴いたことのないものは買いません。ラジオでかかっていたり、映画の挿入歌になっていたり、テレビで見たりしたものを、いいな、と思え
ば買います。これって、極めて一般的な消費者の意見だと思うのですが、どうでしょうか。
高史明さんの「いのちの声がきこえますか」は、大きな問題を明晰に明解に論じてあって、わたしにはとても興味深いものでした。わたしがいいと思っても、
人はまた違うということはわかっていますが、あんまり示唆に富んだ論だったので、近しい人に紹介しました。ひとりにはテキストデータで、もうひとりにはプ
リントアウトをして。夏前のことです。未だ何のレスポンスもありませんけれど、彼らが読みたいと言ったわけではなく、わたしが勝手に渡したので、仕方あり
ません。いつかふと思い出して読んだときに、何か感じてくれれば、それでいいかな、と思っています。
それと、こちらは「何か読みたい」と言った友人あてに、秦さんの「蝶の皿」と三原誠さんの「たたかい」、「白い鯉」を送りました。「面白かった」とひと
こと返事がありました。釣り好きのその友人は、「白い鯉」を読んでふつふつと釣り熱がわき、次に開高健を読んだそうです。ま、いいかな、と思っています。
文藝館の岡本かの子は、やはり「老妓抄」でしたか。代表作ならそうでしょうね。わたしは「鮨」という小さな作品が好きです。これを映画にするなら配役は
誰で、フラッシュバックはこんな風にして、などと考えてしまいます。
きのうは「陰陽師」という映画を観ました。原作も漫画もテレビドラマも未見で、予備知識なく観ました。久しぶりに映画館へ行きましたが、さしたることも
なし、野村萬斎さんのいい声と姿勢のよさだけが見どころでした。萬斎さんがジャパンアクションクラブ出身の真田広之さん相手に、機敏な立ち回りを演じたと
ころはなかなかで、萬斎さんを観に行っただけのわたしは満足でした。
平安のお話でしたが、現代劇を観ているようでした。”そこはそういう抑揚で言うんじゃなくって”などと心の中で役者に注文をつけながら、観ていました。
しまいには”顔が平安時代じゃない”とまで(これは無茶かな。でも「L.A.コンフィデンシャル」というアメリカ映画で、キム・ベイシンガーが、1950
年代の顔をしていたという例もありますから)。
鬼やもののけに妖しく怪しい感じはありませんでした。「清経入水」を読んだ者としては、蛇や鬼を描くならば、という気持ちは禁じ得ません。あからさまに
CGを多用して、サイコキネシスエンタテイメントにしたかったのかも知れませんが、過剰なのは、かえって希薄な印象を与えますね。
安倍清明や陰陽道はたいそう人気があり、いろいろなところでとりあげられていますが、あやかしあやかしと、しつこく言われると全然あやしくないですね。
過剰な表現は禁物、と自戒を込めて。
前回のメールで気弱なことを申しましたが、わたしは元気です。できることがあったら、いつでもお手伝いします。デジタルプリプレスの仕事に携わる者のは
しくれとして、校正の難しさは身にしみているので、絶対間違えないとはなかなか申し上げられませんが、こんなわたしでよければ、遠慮なくおっしゃってくだ
さいね。またぽつぽつ書いている文章を見ていただくための余裕を、秦さんにとっておいていただきたい、ということもありますので……。
わたしは秋の花粉にやられていますが、秦さんは大丈夫ですか?
* からすの行水 1.10.24
ご覧になったこと、おありでしょうか。
わたくし、今日はじめて見ました。
近くの公園の端のほう、松やくぬぎなどが、ちょっと森めいた感じに植わっていて小暗いところがあります。そこにできた水溜りで、からすが二羽、水を浴び
ていました。
何度も、浅い水に身体を浸して身体をふるわせては、立ちあがり、羽ばたきをして、ひかるしぶきをあたりに散らしていました。木洩れ日に、濡れたからすの
漆黒が、折々、つやつや玉虫色を帯びてひかり、「髪はからすの濡れ羽色」、それは
それはうつくしい見ものでございました。
そばでいっしょに眺めていたお掃除の老人に、よく見られることかと聞いてみましたところ、「からすの行水っていうけれど、見たのは初めてだ」と言ってい
ましたから、めずらしいことなのかも知れません。諺とはちがって、ていねいなものでございました。
からすの飛び去ったあと、櫻落ち葉の浮いている水溜りのふちを、きじばとやそのほかの小鳥たちが何かをついばんだり、水を飲んだりしていました。
たいへん、お忙しくしていらっしゃる先生に、のんきなおしゃべりをしてしまいました。
やっと、目の調子が少しよくなり、「ぎしねらみ」を読みました。ふたりの少年の心のふるえに、心ふるえました。
ただならぬお仕事の量、ただならぬお疲れのごようす、ただただ、お案じ申しあげるばかりでございます。
* テクニカルの向こうに 1.10.22
秦先生 こんばんは。昨日は鷺宮まで足を運んでいただき、どうもありがとうございました。初めての担当作品で、目の行き届いていない部分もたくさんあ
り、お見せするにはためらわれたのですが、見ていただかなければ助言も得られず、それによる成長もありえないと思い、見ていただくことにしました。
会社の人からの批評はテクニカルなものが多く、「そのテクニカルなものが何を表現するためにあるのか」といった話題には至りません。つまり、ものそのも
のの納まりは評価できても、コンセプトの実体としての建築への納まりの話題にはならない事が多いのです。
私としては「うまく納まっている」ということの向こう側に見える「何か」に、興味を持ちたいし、持ってもらいたいと思っているので、これからも、その
「何か」がもっと見えてくるような努力を続けていきたいと思います。
先生の、色に対する批評が、自分の意図したとおりの指摘であったことは、自分の自信となりました。
今回の色の選択は、素地色を使うというものとしていました。金属であれば素地の銀、塗装済みのものは色あわせをし統一する、建物全体は好き嫌いの出る強
い色を使わず白とする、といったように素地色を選ぶことによって、建物全体が生活の素地となっていくことを意図したのです。また、これらのことが、中庭の
ウッドデッキの木質とゴシキナンテンの緑をより一層ひきたてることになったと思います。
「自然」というものをどう扱うかは難しいですが、今回は、抑制された色が自然との対比を作り出し、より大きな全体の構成を成功に導いたと感じています。
次回の作品においては、より大きな環境にも目をやり、かつ小さなところにも優しさを持ったデザインのできるよう努力していきたいと思っています。
夜の食事もたいへん楽しくいただけました。 本当に、どうもありがとうございました。 柳
* 関心 1.10.22
昨日から雨が降り続いています。午後、友達から電話があって長い時間彼女の人生相談に乗って・・人を元気付けたら、何だか自分がとても疲れてしまいまし
た。テレビの画面はテロ以後のアフガンやパキスタンのことを放映しています。常に関心を持ちながら暮らしています。
お忙しそう、睡眠時間を確保して無理なさいませんように。大切に。
* 老境 1.10.22
今朝は初めてストーブをつけました。
目覚めても、いつもならぬくぬくとお布団から思いきりよく抜け出せない、毎日が日曜日の我が家も、早立ちの人に合わせて六時にとび起きました。
今日は一日私の時間です。
永く永く何人分かの食事の用意が頭から離れる事がなく、まだ食材をやや買いすぎで、嫁いだ子が冷凍室を覗いてびっくりしていますが、それが楽になってく
ると、皮肉なもので体調が比例して退化しています。老化症状(というのは妹が同じ症状で、私は放っていましたが、彼女は医者に看せています。老化で内臓が
痙攣をしているそうです。)に悩ませられます。ホンの十分位ですが、蛇が胃裏でくねくねとのさばっている様で痛みを伴い、呼吸器が押されるのか息苦しく、
あの足の攣れを少し軽くしたような痛さで、なんとも異様な症状です。
忘れた頃に現われていたのが、この処続きました。昨夜中はソレが現れ、落ち込みが重なりました。悲しいかな「老化」と「ナニ」につける薬はないのです
ね。覚悟で付き合います。ドンマイ。馴らされて、苔むしてきました。何時綺麗になるかなと思っています。
夜中の訪問者のおかげで、珍しく朝ご飯はまだなの、お腹が空いてきました。
今晩十一時から「夢伝説」マレーネ・デイートリッヒがあります。
自然に逆らわず、穏やかに流れたく想うこの頃です。あれこれ強がりを言っても、何が起こるか分からない歳と、切実に想うのです。元気にしています。
* 退職 1.10.21
とても涼しくなりました。お変わりありませんか。
わざわざ、メールいただきましてありがとうございました。演奏会は、また是非機会がありましたらご連絡させてください!
仕事は、12月中旬で退職することにしています。
****は、研究所がたくさんある地域ですが、そこで、実験の助手などのアルバイトをたくさん募集しているようです。しばらく主婦を満喫して、4月くら
いから定時で帰れるような仕事を探そうかと思っています。
彼は11月から仕事が始まりますので、引越しや各種手続きに追われていますが、元気にやっています。
****は緑が多くてとてもよいところです。散歩やサイクリングを楽しもうと、今からわくわくしています。
先生も、相変わらずのご活躍のようですね。急にがくんと寒くなるときもありますので、くれぐれもお大切になさってくださ
い。 それでは。
* 秋たけなわ 1.10.21
短い尾を曳いた飛行機雲の消えたあとには、爪のような月。薄い枇杷色からブルーグレーへと暈し染めにした、シルクシフォンのような夕暮れでしたわ。
朝夕の冷え込みがキツくなりましたね。晴れた朝、窓を開けて見る山の景色はそれはもううっとりする程ですけれども。
鼻や喉を痛めないよう、お風邪など召しませんよう、どうかお大切に。
* 越乃寒梅 1.10.20
そんなによろこんで戴いてうれしいかぎりです。新潟出の女房が手に入れてくれました。
月を眺めてひとりで飲む、なんてぇのは、ほんとに羨ましいです。飲める人、尊敬します。
只今「あやつり春風馬堤曲」で、蕪村を尊敬しています。辞書見て地図見て遊んじゃってます。「浦島朋子」さんのようにはいきませんが、おじさんも宿題?
やってみました。座興に提出してみます。酒、まずくなったらごめんなさい。
ウマレタ村ヘ一日ガカリ/ 川ヲ渡ッテ堤ヲ行ッタ/
クニニ帰ルトイフ女/ 後ニナリ先ニナリ/ ハナシモシタ/
姿モイイシ/ ナントモカワユイ/
ソレデナ/ 女ノ気持デ歌ヲツクツタ/
ココハ摂津ノ毛馬村辺リ/ 名付テ春風馬堤曲/
寒くなって、炬燵を入れています。お大事にしてください。
> ---。湖
いいサインですね。
* 雨のち秋日和 1.10.19
きのう、冷たい雨とつよい風の中を、「信濃の一茶」を観てきました。あるグループの企画で、半分おつきあいで行ったのですが、どうということない芝居で
した。
役者ではとぼけた味の島田正吾、新派の女形の藝を見せる英太郎に、心がひかれました。老いても枯れるどころか、俗臭ふんぷんたる一茶を、コミカルな味つ
けで見せようというもののようでしたが、観終えたあと、先生のおことばを借りれば、「ほっこり」した気分には、なれませんでした。
芝居のあと、グループの人たちには失礼して、ひとりで銀座に出、旭屋で『元気に老い・自然に死ぬ』と、『斎藤史歌文集』を求め、プランタンでハーブ
ティーを買って帰ってきました。せめて「先代萩」だけでも観にゆきたいと、先生の歌舞伎座の観劇記をおもいだしながら。
先日、京都にゆきました折り、月輪観の行のときのものらしい、掛物を見つけました。
随心院の、あれは境内の外なのか、はずれなのか、百夜通いの伝説の榧の樹のほとりに、大ぶりの箪笥ほどの、お堂めいたものがありました。中に、神鏡とも
見えるものがくらい光を放っている――。こわごわ、さし覗いてみましたら、壁に、掛けものがかけられていました。縦四十五センチくらい、幅三十センチくら
いで、漆黒といいたい黒い地に、銀箔をおいたのでしょうか、大きな銀の円がにぶくひかっていました。小さなお堂も掛けものも、ごく近年のもののようでし
た。ここで、そうした修行をなさる方が、今もいらっしゃるのでしょうか。
その銀の月をみているうちにふらふらしてしまい、そーっと離れてきました。
「炭疽菌」のこと、恐ろしうございます、飛行機激突テロどころでなく。
足音を殺した忍者のような刺客が、世界中にちらばっている気がいたします。さっきすれ違った、顔も気配も記憶に残らぬ一人の手から炭疽菌が撒かれている
かもしれない――。滅びへの速度がにわかに加速したような。
きのうの雨があがっておだやかな秋日和になりました。プランターに、数珠玉がどっさり稔りました。二年前、廣澤池、遍照寺へまいりましたときに、拾った
幾粒かが増えたものです。
たいへん、お忙しくて、お躯にも無理を重ねていらっしゃるごようす、どうぞ、おたいせつに。
同人の冊子を送らせていただきます。目の調子がよくないのと、つまらぬ雑事にふりまわされ、あげく、何もする気が起こらなくなって、くにゃんとなってい
たりして、だいぶ、遅くなってしまいました。
* スペインから挨拶を 1.10.17
秦恒平さん。 この夏にコンピューターを買い、再びメールが使えるようになりました。
恒平さんが湖の本を送ってくださったこと、母から聞きました。本自体まだ私の手元に届いていませんが、ありがたく読ませていただきます。湖の本をようや
く自分で購入できる身になって初の本、私にとって特別です。郵便が、無事届いてくれますように。
アメリカで起こったこと、想像を絶する出来事でした。にもかかわらず、この地で私たちと周辺がまず思ったのは、
「今起こったことより、これからブッシュがやろうとすることの方が恐ろしい。」
残念ながら、懸念が現実のものになりつつあります。
恐ろしいのは、アメリカの国民の90%以上が、アフガニスタンへの攻撃に賛成し、それを正義のためと考えていること。
正義のために闘っていると信じきっている人間ほど恐ろしいものはない。(アメリカの死刑制度も、もしかしたら、これらの正義に支持されているのかもしれな
い、そう思い到ったら、背筋が寒くなった。)テロリストを正当化する気持ちはさらさらないけれど、恐らく彼らの大半も、彼らの正義のために闘っている、と
信じきっていたのではないだろうか。
世界はいつも、アメリカの都合でまわっている。
武力行使を憲法で禁じている日本に向かって、アメリカのために戦わないと公然と非難する。一昔前、かのビンラディンを軍事支援し、タリバンの勢力増大を
助けたのはアメリカだった。ソ連占拠後のアフガニスタンが、タリバンに政権略奪された結果、アフガニスタンの人々の生活から、自由が、教育が、音楽が、文
化が、極端に奪われ、途方もなく苦しい生活が強いられてきたことを、アメリカという国はどんな正義で言いつくろえるのか。アメリカの国民はタリバンを育て
たのがアメリカだと、まさか知らないわけではないでしょうに。
アメリカはいい。自分たちの大統領を、政府を、自分たちで選べるのだから。アフガニスタンの人たちは、それすらできない。押し付けられた独裁政権の下で
苦しみ、挙句の果ては、「ビンラディンが、タリバンが、いる国」と言う理由で、攻撃される。苦しむのは、いつも弱い市民。理不尽ではないか。
アメリカがこれまでイスラム社会に落としてきた、例えば1ヶ月あたりの爆弾数、それによって失われた無垢な命の数、悲惨な生活にあえぐ人々の姿を、アメ
リカの人々は知らされているのだろうか。それがどんな正当そうな理由のもとに行われても、罪のない人間にとっては、それは理由もなく殺されたことにしかな
らない。マンハッタンで亡くなった人々のように。
ニューヨークのマンハッタンで働いていた人間の命が奪われることは許されず、貧しさで生きていくのが精一杯な人間の命の奪われていることは、知らず知ら
されず、しかも国民としてそれを許してしまうのか。罪なきイスラム教徒の命の奪われるのは、非難しないのか。アメリカは、あまりにもinnocentだ。
自分たちがしていることを、わかっているのだろうか。
世界がテロリストの思惑に落ちている。アメリカの報復は、アメリカへの憎しみを掻き立て、今までそうでなかった人間すらをも過激な思想に導いている。失
うものもないほど貧しい彼らの国が、地が、生活が、(彼らにしては)理由もなく、さらに破壊されてゆくのを前にして、どうして、アメリカに憎しみや反発を
感じ得ないでいられるだろう。
彼らは恐怖におびえ、アメリカをテロリストの国と信じ、復讐を誓う。
アメリカは新たなるテロを警戒し、アメリカ国民はその恐怖に脅かされる。
どこまで走れば、気がすむのだろうか。核兵器を持つパキスタンにクーデターが起き、反アメリカ政権が誕生するのも、時間の問題かもしれない。
この事件では、メディアから受ける影響の恐ろしさを、つくづく感じた。日本、アメリカ、ドイツ、スペイン、フランス、イギリス間ですら、ニュースや新聞
での取り上げ方は異なった。自国の都合の悪いことは触れないにしても、その国その国で、見る角度、注目すること、取り上げ方、知らされる内容が違う。だか
ら、それを受ける国民間にも差が生じるのは、当たり前なのかもしれないけれど、私たちはみな、ほんの「一握り」知らされてきたことを「すべて」と信じ、善
悪を判断してしまうかと思うと、やけに恐ろしかった。
それにしても、アメリカにこんなに気に入られようとしている日本のザマは、嘲笑を誘うほどで、見ていて情けない。
この事件で、あれほど騒がれていた外務省のスキャンダルは、陰に隠れてしまった。会計に携わる現地職員の話からすると、此処は、それ程ひどくないらしい
(つまり、ある)。彼らが時折催す配偶者も含めた食事会は、最近そのレストランの格をワンランク落とし、一人当たりの奨励額7000pts(感覚的に
12000円ほど)ぴったりで済んだ、と感心していた。
彼らの、地に足をつけられず中途半端で退屈な生活を見ていると、外交官にならなくてよかった、こう虚しい生活では、せめて高い給料でももらって贅沢な生
活でもできないとやってられないだろうと、そう思っていたから、給料、待遇の差も大して気にならなかった。でも、こう金銭スキャンダルの内情ばかり聞く
と、満足していた自分がほんとうに馬鹿に見えて、意味のないことと分かっていながらも、自分の給料を円に換算せずにはおれない。
私の年収は130万円に満たない。スペインでの事務職の平均に達するか、ぐらいだ。現地職員の給料の1.2?3倍の住宅手当をもらいながら、文句言い言
い、私たちに家探しをさせる人、何かにつけ「安い!日本じゃ、、、なのに」の話をする人。比較的人間関係がうまくいっているから、「無神経な人たち」ぐら
いで済んできたけれど、それも最近、神経に障りだした。皮肉にも、外務省非難の風に当たるのは、窓口に出る現地職員。外務省改新(改心)アピールのため、
窓口受付時間延長の指令が出れば、そのために働くのは現地職員。仕事は楽しいけれど、ずっと続けていけるものではないな、と思う。
いずれ日本に住むことも、二人でよく話すけれど、目下自分は何をしたくて何ができるか、いつも念頭におきながら、自分に磨きをかけています。
とにかく、よい日々を送っています。恒平さんはいかがですか?インターネットも使えるようになったので、また秦さんのホームページを訪れたいと思ってい
ます。それでは、またすぐ。
* 周りの目 1.10.17
秦先生 秋真っ盛りという感じのお天気ですね。一年で一番好きな季節です。空が高くて、空気がひんやりとしていて、息を吸い込むと鼻の中が冷たさでつー
んとする感じがとても好きです。つい一週間くらい前までは、金木犀の匂いもしましたね。トイレの匂いといって嫌いな人も多いですが、ぼくは大好きです。懐
かしい気持ちになります。
さて、昨日一級建築士の実技の試験がありました。今年で終わりにしようと、かなり頑張りました。模擬試験等も合格圏内にはいっていました。まだ、最終的
な結果はでていませんが。
周りを気にせずゆっくりやろうと思います。ただ、周りを気にせずというのはけっこう難しく、考えてみれば自分は小さいころから、人との比較の中で生きて
きたように思います。自分で決めて、自分の考えで動いているように見えたことも、実はけっこう人との比較の中で決めてたように思います。
組織の中で、周りの目を気にしないでこつこつやっていくことは僕にとってけっこう難しいことに思います。ただ、そういうスタンスも持たないと、このまま
じゃダメになりそうな気がします。周りとの比較でしか物をみれなかったら、とうぜん仕事だって中身のあるものにはならないですよね。
考えてみれば、学生の頃専攻の教授からいわれたこと、以前先生にメールでしかられたことも、結局同じことだったように思います。30に手が届くころに
なっても、結局変わってないんだなあ、と思うと、寂しいです。今はほんとうに考え方を変えて行かないと、自分が苦しいだけだな、と思います。変えていく過
程も苦しいとおもいますが。
とりあえず試験が終わったので、発表まではゆっくりします。
先生から送っていただいた本もちょっとしか目を通していないので、ゆっくり読みたいと思ってます。
* Sold Out 1.10.16
身の回りからだんだんなくなる、「売り切れ」。蕎麦屋、寿司屋、菓子屋などの売り切れ御免、米、味噌など一年に一度しか作れないもの。名残の茶もそうで
しょう?
「在庫にせず品切れにせず」がビジネスでしょうが、いつも消費と供給が一致するはずなく、余った物は? 足りないときは?
と考えると、いつでも同じ物が有って「売り切れのない日々」の不自然さも感じます。自然の産物も、人の手で作るものも、機械で作るものにも、限度というも
ののあるのを忘れて過ごしていますわね。囀雀
* 霜降まぢか 1.10.16
ご機嫌はいかがでしょうか。
今日、名張で「恋重荷」(九郎右衛門、宝生閑)「千鳥」(万作、萬斎)が上演されます。すぐ近くのホールですが、切符があっと思う間に売り切れましたの
よ。見ることができませんの。観阿弥ゆかりの地という事で「移動芸術祭」の会場に選ばれたそうです。
師走、木挽町の「源氏」は、末摘花:勘九郎に、光の君:玉三郎。「妹背山ー道行・御殿ー」は、お三輪:玉三郎、橘姫:福助、求女:勘九郎、入鹿:段四
郎、鱶七:團十郎、豆腐買おむら:猿之助との事。
早いもので霜降も間近。くれぐれもお大切になさって充実のお仕事お続けくださいますよう。囀雀
* 処女作 1.10.15
おはようございます。ホントご無沙汰しております。
まず、湖の本ありがとうございました。もとの本もいただいた覚えがありますが、今回のをまた読み返しております。学生時代に感じなかったことを発見して
います。
もう前になりますが、先生に、「先生と呼ぶことはない」と言われましたが、未だ「先生」と呼んでしまいます。私も既に社会人となり、先生も先生をおやめ
になって長くなりましたので、そろそろと思うのですが、なかなかその気になれません。これは甘え以外の何ものでもないように感じられますが、お許しくださ
い。
ゼネコンでは設計事務所の設計者及び建築家の人々を「先生」と揶揄して呼ぶこともあり、最近の私にとって良いイメージがないのですが、私は彼らにそのよ
うな呼び方はしておりませんし、先生と呼べる人も少なくなってきている私の周辺の状況も含めて、当分の間、先生と呼ばせてください。
さて、私が担当しておりました集合住宅(=マンション)が、9月末に竣工し、建築主の方へ引渡されました。私の初めての竣工した実作となります。法規や
近隣問題、現場とのやり取り、コストなど、学生時代では関係ないようなこと、コンセプトと、現実に立ち上がる空間との差異など、いろいろ学びながら竣工さ
せた思い出深いものとなりました。
つきましては、是非、先生に見ていただいて、感想などをいただきたく思います。私が案内いたしますので、お時間の都合をつけていただければ幸いです。私
の方の都合は、極論をすれば平日でもかまわないのですが、週末のほうがありがたいです。今週末でも来週末でもいつでもかまいません。もっと、わがままを言
えば今週末がいいです。お考えください。
また、先生に話を聞いてもらいたいこともあります。
自分の心がとても騒ぐことがありました。正直に言いまして、恋の悩みです。自分で先生に「相談に乗って欲しい」と書こうとして、「そうではない、話を聞
いてもらいたいだけじゃないか。先生にこの状態の論理的説明をしてもらいたいだけではないか」と感じました。しかし、それでも、聞いて頂きたいのです。い
や、このようなことを書いておきながら、お会いしてそのことを一切お話できないかもしれません。勝手な私をお許しください。
上記二点の件で、是非先生にお会いしたく思っております。よろしくお願いします。
* ハッカーの裏口づくり 1.10.14
>>私の機械にハツカーが入って「裏口」を作ったらしい恐
れありと
ADSL等の常時接続ではよく伺う話ですねえ。
裏口というのはおそらく、ルータのFireWall設定が壊されちゃっ
たってコトだろうと思います。でもひょっとしたら、FireWall(あるいはウイルス感知ソフト)に「謎のファイル」が引っ掛かっただけかも……。
まずはルータのFireWall設定を見直して、何か異常があったら直す
か、もう一度イチから設定し直すのがよろしいかと。(今いろいろ調べてみたんですが、これ!という解消法が捜せなかったので、抽象的なことしか書けなくて
ごめんなさい……)
>>いっそパソコンなんてやめちゃいますかね。
んもぅ先生〜〜!(笑)
こんなのに負けてやめちゃうなんて悔しいですよ。続けましょうよ。私なん
か「もしハッキングされたら逆ハックしてやる!」ぐらいの勢いでネットしてますよ。私だけでなく、教え子さんや機械に詳しい人たちもきっと応援しますか
ら、できることから少しずつ……ね。
* 菊原初子のことども 1.10.13
お元気そうでなによりですわ。お褒めにあずかり囀り雀、恭悦に存じます。
甘いものの分、お酒がお預けになってしまいましたかしら。
三輪明神へ行ったときに「ご神水」へも行ってみましたの。長い道筋はきれ
いに整えられ、新しい灯籠がずらりと両側に並んでいましたわ。見れば大阪の製薬会社各社からの奉納。水と薬。切っても切れない大事なものですものね。道修
町の「しんのうさん」は「神農さん」、ここが元と初めて知りました。菊原初子さんが亡くなったことで、「春琴抄」の時代がまた遠のいてしまったかしら。囀
雀
* 虚仮の現実とのつき合い 1.10.12
つい先日、「いま、表現が危ない」というシンポジウムを、われわれの言論表現委員会主催で開きました。これは「いま、報道が危ない」の意味でつけた題でし
た。報道されていることと、その背後からの別の報道や情報を、幸いにわれわれの委員会や仲間達は、さすがにその筋のプロたちで、かなりえぐり出すようにし
て所有していますし、わたしのような何も知らない仲間にも分かち合ってくれます。いままさに「報道・情報」は、真実という点で「危なく」偏して流布されて
います。程度の差はあれ、いつの時代いつの時点・事件でも、実はそうでしたが。君が、そういう方角から、なにかを考え始めたのを喜んでいます。
その上で、わたしなど、「報道・情報」というものが、如何に表向き、如何
に裏側にわたろうとも、所詮は「正しい正しくない」と謂った議論に耐えられるものでなく、相対化の視線や姿勢でクリティックしなければお話にならぬもの、
割り切って謂えば、信じてしまってはならぬもの、と、久しい「歴史」にも教えられ、冷淡に距離を置くようにしています。所詮は人間のマインド(利害の分
別)が作りだしている「幻影に近い事実」に即した情報であり報道であり、正しいも正しくないも、堆積する時間や時代の中で結局はルーズに「意味を変えてし
まうもの」であるのは、当たり前の話です。少なくも「同時代情報」のもつ頼りなさの例は、歴史的に枚挙にいとまない。その辺を、よく心得てかからないと、
結局は、自分を見失って、「情報(に操作された)ロボット」になってしまう。
本質的には、情報も報道も「まぼろし」です。正しいも正しくないも、本当
も嘘も、つまりは無いこと、まぼろしであったことに、どんなに多く気づかされてきたことか。深く生きる意義に照らして謂うなら、まさに「虚仮」に向き合っ
ているのです、われわれは、日々に。しかも、そうと承知の上で付き合っている、そういう「虚仮の情報」と。便宜的に。
それが、わたしの思いです。
村上龍は現実の人です。現実は、真実をなにほども保証しないと識っている
わたしは、聞いて面白いものは聴きながら、とらわれないでいます。
何が大事か、わたしにとって。やがて人生を幕引きする身にとって、大事な
のは、現実の「我」をきれいに見捨てる、かき消す、ということです。地獄も望まないが天国も望まない。テロも戦争も、芸術も哲学も、虚仮であると思ってい
ます。そのうえで、日々を虚仮に楽しもうと。長く時間をかけた山折哲雄(宗教学)との対談『元気に老い、自然に死ぬ』春秋社が刊行になりました。大いに
語っていますが、それとても虚仮であると分かっています。真実は言葉にすれば途端に真実でなくなる。それこそが、すべて偉大な人の知っていた真実なのです
からね。 秦恒平
* 一面的な情報 1.10.12
先日は『青春短歌大学』を送っていただき、ありがとうございました。リス
トラに毎日怯える、そんな中、しばし、我に返るタイミングを頂きました。
ところで、早速本題に入りますが、ぼくは昨日・今日と非常に興味深い記事
を読みました。それをご紹介したいのです。
それは、国連難民高等弁務官事務所カブール事務所所長
山本芳幸さんという方と、作家の村上龍の対談です。
これは10月1日に行われた対談で、アフガニスタンで長いこと(多分5年
以上)仕事をしてきた人の、今の報道に対する様々なコメント、事実関係の指摘があります。
内容的に、意外なものと言うわけではありません。が、今の日本でこの記事
に匹敵する情報は、得ようにも得られず、
そんな中、テレビで「アフガニスタン国内からレポート」という類の番組の
「現地の人々の声」というものを見聞きしているだけでは、自分で気をつけていても、どうしても一面的な情報ばかり入ってしまいます。記事を読んで、今まで
自分が北部同盟とタリバンを同格に扱っていたことに気づかされました。
さて、記事ですが、無断転載禁止だとのことなので、JMM(村上龍のメー
ルマガジン)のバックナンバーページで、読んでみて下さい。ほかにも見ていただきたいところもありますが、キリがありませんので、上記だけご紹介します。
風邪が流行っています。ぼくもやられました。先生も気をつけてください。
* 牛の忠信 1.10.12
体調のほうはその後いかがでしょうか。血糖値をコントロールするのが快感になって
きていらっしゃるのではと、雀は勝手な想像をしてますの。お健やかな毎日でありますようお祈りしております。
さて、飛騨高山に日本一の太鼓がお目見えというニュースを見て、常々、あ
あいう大太鼓の胴や革はどういう材料なのかしらんと不思議に思っていましたが、カメルーンから樹齢1300年の木を切って運び、このためだけに特別に大き
く育てた和牛の一枚革を張ったと聞きましたわ。
観光のためだけで? ひッど〜い! 囀雀
* 恐怖 1.10.12
「これをやりたかったんだよ」「ペンタゴンを壊し損ねたのは惜しいよなぁ」と言
いながら、オウムは、ニュースを見ているのでしょうか。ニューヨークやワシントンで、どんな報復テロが行われるかという恐れから、交通機関や人の集まる場
所に行くことのできない人々がいるのは、あの頃の東京と同じ。
個人情報を投げ出してでも、危険な人々の潜伏場所が露わになるなら、そう
してほしいという方向に国民の意識は進むでしょうか。
ところで米大リーグに、新庄とイチローという、ともに阪神大震災の経験者
が、二人。野球での活躍と「がんばろうN.Y」が、若い彼らの今後に、いい影響をもたらすと信じています。 呟雀
* 緑内障なら不幸中の幸い 1.10.11
年末に予定しているイタリア旅行も、この世界情勢では難しいかなと、溜め
息まじりに毎日重苦しいニュースを見ております。相変わらず激しいお仕事ぶりのご様子でいらっしゃいますが、どうかご無理なさいませんように。片隅の読者
の切なる願いです。
先日は「私語の刻」のなかで、緑内障の可能性がおありのことと拝見しまし
て、心を痛めますとともに、少し安心もいたしました。緑内障と伺い、厄介でも、闘いようのあるご病気で、ほんとうによかったとほっと胸を撫で下ろしていま
す。 昨年六十枚ほどの短編を書きましたときに、眼の病気の人物を書く必要があって、いろいろな医学書を読みました。そこには遺伝子で決められたものや救
いようのない眼病があまりにたくさんあって、思わず身震いしたことを憶えております。緑内障は完治する病気ではありませんが、進行を抑えることのできる、
将来に希望のある病気ですので、病名がわかりましたことは何よりの幸運でいらしたと思います。
先生のほうが私より遥かにお詳しいことと存じますが、緑内障は四十代以上
の三十人に一人が患う、よくある病気でございます。私のごく親しい関係のなかで、ざっと数えただけでも五、六人はいるでしょうか。私の大学時代からの友人
は二十代から発病していましたし、親から受け継いだという遺伝性の緑内障の秀才の友人もいます。歴史学者の叔父は発見が遅かったので、かなり進行していま
したが、それでも昨年、長年の研究の集大成の本を仕上げて満足していました。それぞれの病人が投薬と眼圧の検査を受けながら、元気で普通に生活を続けてい
ます。
そして私の夫なのですが、今年の会社の健康診断の眼底カメラでひっかかっ
てしまいました。緑内障の疑いがあるということで、視野検査までしました。軽微の所見で近視のせいか、検査に不慣れなのか、病気によるものかは、半年後の
視野検査をしてみないとわからないということでした。今はとりあえず灰色の状態です。
夫の三十分ほどの視野検査を病院の廊下で待っておりましたら、ふらふらに
なったご婦人が検査室から出てきました。視野検査は疲れるもののようですね。
健康に絶対の自信をもっていた夫は、少し落ちこんでいましたが、緑内障を
早期発見できたとしたら、勿怪の幸いと慰めているところです。
先生の「私語の刻」のなかの、こんな文章にとても心うたれました。
「学生たちのことを思ってこう時間を過ごしている間、微塵も緑内障なんて
ことは思いもしなかった。ま、そういう風に生きて行こうと思う、これからも。」
私は先生の自由な心のありかたが羨ましくなりました。ささいなことに心も
生活も乱れて悩みまくる私の精神は、自由とはほど遠いところにあります。病気から無縁でいられる人間はいませんが、そういう重苦しさや失望に縛りつけられ
ることなく、先生のように心静かな、陽のあたる枯野の境地にいたいものだと、つくづくそう思います。
今日インターネットのあるページのなかで、不謹慎ながら、笑える一文を見
つけました。 内容は、ブッシュ大統領はテレビ映りではものすごくウサマ・ビンラディンに負けているから、アフガニスタンの制空権をとることよりも、そっ
ち(見栄え)に気合をいれたらどうか、というものです。先の見えない戦争に突入したブッシュ大統領に対するやけくそのようなコメントで、思わず笑ってしま
いました。テロリストと大国それぞれの「正義」の武力戦争など、不毛でしかありませんが、批判のしかたにもいろいろあるものです。
お見舞いのメールが長くなってしまいましたが、文学史に残るお仕事である
「電子文藝館」の立ち上げでお疲れになりませんように、くれぐれもご自愛くださいませ。
* 転任・転居 1.10.11
突然のメールにて失礼いたします。松山に居りました ***子でございます。
「湖の本」 いつも ありがとうございます。
8月に転勤になり 13年振りの引越しとなりました。早くご連絡をしなけ
ればならなかったのですが、遅くなりすみません。
引き続き 下記の住所まで「湖の本」を送っていただきますよう、よろしく
お願いいたします。もし8月〜の間に「湖の本」の発刊がありましたら、お手数をおかけしますが お送りいただけませんか? 重ねて よろしくお願いいたし
ます。
私事ですが、関東に住むのは始めてです。四国から出るなんて、思ってもみ
なかったのですが、不況だリストラだというご時世、私の勤める会社も雇用確保のため組織の見直しを始めており、その流れの中での転勤となりました。
中学3年生の息子と二人、日本語の通じる所ならどこでも暮らせるさ!!
と、上京した次第です。 (この子は「湖の本」刊行の年昭和61年9月に生まれました。)
何年住むことになるか(もしかしたら定年まで・・・)。でも −住めば都
− と楽しみたく思っています。
* 市民サイドの電子メディア 1.10.10
アメリカの爆撃は、続いています。心配したとおり、一般市民に犠牲者が出
始めています。国連関係の施設も「誤爆」
され、NGOの4人が亡くなりました。
アメリカの攻撃開始を前に、アメリカの治安当局は、「報復をすれば、100%報復テロがある」という状況認識を上に上げていて、ブッシュ大統領らは、それ
を承知で、攻撃に踏み切ったわけです。「暴力の連鎖」は、承知の上という権力者たちの判断です。そして、「誤爆」をふくめて、一般市民の死者です。
政治や戦争を質す(正す)のは、「表現者」の役割でしょう。
ブッシュ大統領は、アメリカのCNNなどのテレビを利用し、一方ビンラ
ディン氏も、「中東のCNN」と言われるテレビ局「アルジャジーラ」を利用して、世界にメッセージを届けるという「メディア合戦」を繰り広げています。今
回の事態は、インターネットもテレビも操っての「メディア合戦」の様相を濃くしています。
世界各国の「表現者」の集まりである、世界ペン、あるいは、日本を含む各
国のペンは、こうした権力者たちの「メディア」合戦が、今後の表現に及ぼす点までふくめて、幅広い人権擁護のために、発言すべきでしょう。
秦さんのメールには、下記のようにありました。「メディアウオッチャー」
のことなど、そのまま電子文藝館の「意見」欄に入れたいぐらいです。ああいう発言が次々に連鎖しながら、「ペンクラブ」の意向を反映して力になって行く、
しかも、また別方角へ自然に話題転移してゆく、そういう付け合わせ「連歌」のような展開に期待したい、と。
権力者のメディア利用ばかりでなく、市民サイドのメディア利用が、秦さん
の言うような方向に展開して、冷静で、落ち着いた世論形成ができるように人類の英知が働かないものかと痛感しています。
* 山辺の道 1.10.10
お忙しくお過ごしのことと存じます。
12月は三宅坂文楽と木挽町で「妹背山」競演との事で、「杉酒屋」「道
行」を思い、大和へ、雀一羽。三輪明神から長岳寺まで歩いて参りました。
季節もよく、昨今のウォーキングブームで、山の辺の道は賑やかです。
誰も居ない玄賓庵の庭で、「三輪」の僧気分で、カミサマを想いながら新米
のおにぎりを食べました。想像の世界に浸る雀のお気に入りのひととき。
午前は国会中継のラジオを聞きながらの人、午後は競馬中継を聞きながらの
人に出会いました。「俗塵を持ち込まないでよぉ」なぁンて、逃げてきた雀が言えたこッちゃないか。
* メディア・ウォッチャー 1.10.9
アメリカの報復戦争が始まりました。この一連の日米関連報道に対する、ア
メリカと日本の「メディア・ウオッチャー」の記事が、新聞に載っていました。とりあえず、私のサイトの「双方向曲輪日記」に書き込みましたが、捜査当局に
よる電話盗聴、インターネット監視の強化に関連する内容もありますので、そのまお伝えします。/倉持光雄
* 以下の内容の記事が、10・6付け東京新聞朝刊に掲載されている。アメリカの報
復攻撃について、アメリカのメディア・ウオッチャー「FAIR」によると、「アメリカの報道では、リポーターが、『兵士』になっている、番組では、戦争を
支持している」という。反テロ法案で、電話の盗聴やインターネット監視に対する捜査当局の権限強化の報道も、アメリカのマスコミでは、殆ど取り上げられて
いないそうだ。
こういう事態をきっかけに、将来に禍根を残す「普遍的な」人権の侵害が行
われるのは、権力の歴史の示すところだが、そういう指摘をしないマスメディアなど、己の存在原理の放棄でしかない。これでは、アメリカも、まるで、日本の
戦前の大政翼賛、大本営発表と変わりがない。
記事によれば、日本のメディア・ウオッチャー「メディアの危機を訴える市
民ネットワーク(略称「メキキ・ネット」)」は、近く「9・11報道に関するジャーナリスト・シンポジウム」を開くという。「メキキ・ネット」の事務局で
は、日本のマスコミの報道姿勢について、大局的な視点が欠けていて、権力へのチェックがおざなりで、充分な確認や検討を経ないまま、情報を垂れ流してい
る。その結果、実質的な改憲の流れを後押ししている。こういう状況を生んだ歴史的な背景や市民として、いまできることをシンポジウムで考えたいという。
「日本ペンクラブ」をふくめて、各国のペンクラブは、今回の事態につい
て、どういう対応をしているのでしょうか。「表現」が、政治や歴史を質すことは、どんな時代にも必要だと思います。
* バーバラ・リー議員の演説
1.10.9
倉持さんの情報を興味深く読みました。本当に傍観してだけではいられない
ことですね。
私は「メディアの危機を訴える市民ネットワーク(略称「メキキ・ネッ
ト」)」のメンバーです。ちょっと長いのですが、あまり報道されないものを入手しましたので、ご参考までに。高橋茅香子
アメリカ連邦議会は9月14日にブッシュ大統領に報復戦争の軍事力を行使する権限 を与える決議を採択しました。上院は全会一致、下院は420対1でした。唯一の反対票を投じたのがバーバラ・リー議員だったことは報道された通りです。彼 女の格調高く真摯な下院での演説は感銘深いもので、その全文を「日本カトリック正義と平和協議会」が訳しました。「転送は歓迎」とのことです。
バーバラ・リー議員の報復戦争反対の議会演説 (和訳文付き 長文)
Statement of Rep. Barbara Lee on the floor of the House of Representatives
Sept. 14, 2001.
Mr. Speaker, I rise today with a heavy heart, one that is filled with sorrow for the families and loved ones who were killed and injured in New York, Virginia, and Pennsylvania. Only the most foolish or the most callous would not understand the grief that has gripped the American people and millions across the world. This unspeakable attack on the United States has forced me to rely on my moral compass, my conscience, and my God for direction.
September 11 changed the world.
Our deepest fears now haunt us. Yet I am convinced that military
action will not prevent further acts of international terrorism
against the United States. I know that this use-of-force
resolution will pass although we all know that the President can wage a
war even without this resolution. However difficult this
vote
may be, some of us must urge the
use of restraint.
There must be some of us who
say, let's step back for a moment and think through the implications of
our actions today--let
us more fully understand its consequences. We are not dealing
with a conventional
war. We cannot respond in a conventional manner. I do not want to
see this
spiral out of control. This crisis involves issues of national
security,
foreign policy, public safety, intelligence gathering, economics, and
murder.
Our response must be equally ulti-faceted.
We must not rush to
judgment. Far too many innocent people have already died. Our
country is in mourning. If
we rush to launch a counter-attack, we run too great a risk that
women, children,
and other non- combatants will be
caught in the crossfire. Nor can
we let our justified anger over these outrageous acts by vicious
murderers inflame
prejudice against all Arab Americans, Muslims, Southeast Asians,
or any
other people because of their race, religion, or ethnicity.
Finally, we must be careful not to embark on an open- ended war with neither an exit strategy nor a focused target. We cannot repeat past mistakes. In 1964, Congress gave President Lyndon Johnson the power to ``take all necessary measures'' to repel attacks and prevent further aggression. In so doing, this House abandoned its own constitutional responsibilities and launched our country into years of undeclared war in Vietnam.
At that time, Senator Wayne Morse, one of two lonely votes against the Tonkin Gulf Resolution, declared, ``I believe that history will record that we have made a grave mistake in subverting and circumventing the Constitution of the United States.........I believe that within the next century, future generations will look with dismay and great appointment upon a Congress which is now about to make such a historic mistake.''
Senator Morse was correct, and
I fear we
make the same mistake today. And I fear the consequences. I have
agonized over this vote. But I came to grips with it in the very
painful yet beautiful memorial service today at the National Cathedral.
As a member of the clergy so eloquently said, ``As we act, let us not
become the evil that we deplore.''
アメリカ下院議会におけるバーバラ・リー下院議員の発言
2001年9月14日
議長、私は今日、ニューヨーク、バージニア、ペンシルベニアで殺され傷つけられた
家族と愛する人々への悲しみでいっぱいになりながら、耐えがたい気持ちで演説に立っています。
アメリカ国民と全世界の何百万もの人々をとらえた悲しみを理解しないの
は、最も愚かな者か最も無神経な者だけでしょう。
アメリカ合衆国に対するこの筆舌に尽くしがたい攻撃のために、私は向かう
べき方向を求めて、自らの道徳指針と良心 と神に頼らざるをえませんでした。
9月11日は世界を変えました。最も深い恐怖が今や私たちの心に付きまとっています。しかしながら、私は、軍事行動はアメリカ合衆国に対する国際的なテロ
リズムの、これ以上の行動を防がないと確信しています。
私は、大統領はこの決議がなくても戦争を行なうことのできることを、私た
ち全員が分かっているにもかかわらず、この武力行使決議が通過するのだということを知っています。
この[反対]投票がどんなに困難なものであろうとも、私たちの何人かが自
制を行使するように説得しければなりません。
しばらく距離を置いてみて今日の私たちの行動のもつ意味を通して考えよう、その結
果をもっと十分に理解しよう、と言う何人かが、私たちの中にいなければなりません。
私たちは従来型の戦争を扱っているのではありません。私たちには従来型の
やり方の対応はできないのです。
私はこの悪循環が制御不能になるのを見たくありません。今回の危機には、
国家の安全や外交政策や社会安全や情報収集や経済や殺人といった諸問題が入っているのです。
私たちの対応はそれと同様に多面的でなければなりませ ん。
私たちはあわてて判定を下してはなりません。
あまりにも多すぎる罪のない人たちが、既に亡くなりました。
アメリカ合衆国は喪に服しています。もしも私たちがあわてて反撃を開始す
れば、女性や子どもやその他の非戦闘員が十字砲火を浴びるという大きすぎる危険な目に遭う恐れがあるのです。
同様に私たちは、残忍な殺人者によるこの狂暴な行為に対する正当な怒りが
あるからと、あらゆるアラブ系のアメリカ人やイスラム教徒や東南アジア出身者や他のどの人々に対しても、人種や宗教や民族を理由として偏見をあおることは
できません。
最後に、私たちは、退場の戦略も焦点を合わせた標的もなしに、無制限の戦争を開始
しないように、注意を払わなければなりません。
私たちは過去の過ちを繰り返すことはできません。
1964年に連邦議会は、リンドン・ジョンソン大統領に、攻撃を撃退しさ
らなる侵略行為を防ぐために、「あらゆる必要な手段をとる」権力を与えました。その決定をした時に、本議会は憲法上の責任を放棄し、長年にわたるベトナム
での宣戦布告なき戦争へと、アメリカ合衆国を送り出したのです。
当時、トンキン湾決議に、ただ二人、反対票を投じたうちの一人であるワイ
ン・モース上院議員は、言明しました。
「歴史は、我々がアメリカ合衆国憲法をくつがえし台無しにするという重大
な過ちを犯したのだということを記録するであろうと、私は信じ
る。……次の世紀のうちに、将来の世代の人々はこのような歴史的な過ちを現に犯そうとしている連邦議会を、落胆と大いなる失望をもって見ることになるだろ
うと、私は信じる。」
モース上院議員は正しかったのです。私は今日、同じ過ちを私たちが犯しているの ではないかと恐れています。
そして私はその結果を恐れています。私はこの投票をするのに思い悩んでき
ました。
しかし私は今日、ナショナル・カテドラルでの、とてもつらいが美しい追悼
会の中で、この投票に正面から取り組むことにしたのです。
牧師の一人が、とても感銘深く、「私たちは行動する際には、自らが深く悔
いる害悪にならないようにしましょう。」と語ったのです。
* 逢ってきました。華岳と薫に。
1.10.8
目がよくないのに、京都へゆく用があり、何必館の予定を見ましたら、華岳
と薫、それに魯山人。
朝、シャッターの開くのを待ってとびこみました。
なんと、しあわせで贅沢な時間――。だーれもいない。
じーんと何かが染みこんでくるような、わたくしというものが透明になって
失せてゆくような。
目をつむっても感じられる気がしました、繪の放っているものが。こまかな
震えに襲われました。
五階の楓は、ほんのわずか、朱の色を帯び初めている枝がありました。
楓に目をあずけているうち、震えはしずかにひいてゆきました。
お目の具合がおもわしくないご様子、どうぞおたいせつに。
目がよくなったら、一番に、「墨牡丹」と「美の回廊」を、読み直してみた
いとおもっております。
* 静かに 1.10.8
もう 静かに見ているしかありませんね。世界情勢のますます緊迫する中、家の小さ
な庭には細い雨が降っています。旅行会社の娘は、仕事が皆キャンセルになってしまったと、少し寂しそうに言っています。今年の賞与は出ないかもしれないわ
よと言うとうなずいていました。あと数日でイタリアから帰る娘の飛行機が無事につくようにと祈る気持ちです。今まで心配したこともなかったのに。ささやか
な庶民の家庭にもテロの影響が少しずつ現れてきています・・・・。
徳田秋声の「或売笑婦の話」を読みました。題名から予想されるものとは異
なり、飾らぬ美しい文章をたんたんと、澄んだ気持ちで読みすすめることができ、最後のシーンが悲しく、哀れに心に響きました。
「電子文藝舘」の校正をする人が必要とのこと。ぜひお役にたちたいと心はは
やるのですが・・・ おそらく生涯で心に残る仕事になると思うのですが・・・ どの程度の分量で、どの程度の速度ですすめられるものなのか、私には、やは
り無理なことなのかと迷っています。
あしたからまた忙しい日々が始まります。そろそろ休みます。おやすみなさ
い。
* サンライズ サンセット。 1.10.7
望月は欠けるものですが、英国の威厳の無さはどうしたことでしょう。政党
交代のせいかしら。アメリカよりずっと以前から深刻なテロを抱えていたはずなのに、喜々として「アメリカに味方しようよ」と欧州を説得して回ってるブレア
首相は、「ボクが米国の一の子分なんだから、忘れないでね」といった、おみごとパシリの顔つき。悔しさも無く。
日本も「忠実な子分だよ」と売り込んでいるようですし、それを要求されても
いますが、政府間だけのこと。国民同志がそう思っているわけではないわ。
*
日本の裏側から 1.10.6
私も同感です。それも、光の速さ(!?)でメールが届きます。※理論上で
すが。私も、旧人の部類です。はっきり言って、ブラジルに来るまで、本当に日本のホームページを読めるとは思いませんでした。驚異を感じます。
それはそうと、閑吟集の秦先生だったら、聞いてくれると思って、書きま
す。
今晩、筆卸なるものを体験しました。
肌を重ねるという行為が、実にいいものだとは感じましたが、別にまぐわう
ことが、いいとは感じませんでした。そういう意味では、半分しか楽しくなかった。
やはり、思いやりのないまぐわいは、意味がない。何と言うか、恋愛小説み
たいなものを期待していたのに。
今度、恋人ができたら、もっと思いやりのあるものをやってみたいです。
やっぱり「恋」がないと(気持ちがこもってないと)、どんなものでも、愛着は湧きません。※仕事も然り。
馬鹿なことを書きました。それでは、失礼します。
* ブラジルの裏側から 1.10.5
A君。なんだかこのメールがブラジルに通じるということが、信じられな
い思いで、君を思い出してもついメールには手が出なかった。きみのこのメールがほんとにブ ラジルから届いているのだとすると、驚異を覚えます。
ま、それぐらい旧人であるわけ、私は。すると、その気なら、わたしのホームページで、「私語の刻」や「e−
文庫・湖」も読めるのかなあ。不思議でならない。 秦
* 「北」の時代=最上徳内。 1.10.5
……いい日本人を、ありがとうございます。これからも、いい日本人を、書いてくだ
さい。
朝顔が小さく涼しくなりました。お大事に。勝田貞夫
* ウシの苦しみ
1.10.5
中秋の名月は見事な姿を見せてくれましたけれど、(牛肉)業界はいよいよ
厳しさを増しています。肉骨粉流通禁止、焼却処分のめどが立たない肉骨粉業者は、残さ(牛の解体でできる)の引き取りができなくなり、そうなると食肉処理
場の機能も停止せざるをえないと。「県内処理場・牛肉流通ほぼ停止」の大見出しで、今朝の新聞は伝えています。買物客の減少に追い討ちをかける、商品不足
の状態に陥りそうです。
先日、経営者がふともらした「もう、店閉めようか」の言葉が、冗談でなく
なりそうです。それほど深刻さを増しているのです。流れに身を任すしかないのですけれど…。
それにしても、国と行政の不手際が次々と露見する様といえば !!
苦々しくも、はがゆい、不安な思いがつのります。
朝からバッドニュースでごめんなさい。御身体どうぞお大事に。
* 戦争の体験の有無 1.10.5
嫁いだ娘が、一泊で沖縄へダイビングに出かけたそうです。基地のあるかの地、観光
客も修学旅行も控え気味の昨今ですが、海はグランブルーに夢のように美しかったと携帯メールが来ていました。
昨日娘に会って、話の続きを、戦争を知らない世代のショックを、聴きまし
た。半日タクシーで観光をして、ひめゆりの塔の傍にある「ひめゆり平和祈念資料館」に入ったそうです。
当時国民学校一、二年生だった私の世代あたり以上は、まともに戦争の被害
がしっかり記憶にあります。もっと大きく影響を受けた世代は既に他界した人の方が多いでしょう。生涯に二度とあのいやな思いをしたくなく、敗戦後、戦争放
棄をした時点で子供なりにホットしたものです。そして、あの朝鮮戦争。あの内乱を私は非常に悲しく同情していました。
現在アフガンでは二十年続く内戦があり、思い出したくもない日本の戦中、
戦後を思い出させます。近くには、多発テロ報復か戦争の勃発かとはらはら案じられるこの日頃です。どんな時代でも女、子供、動員される庶民が被害者です。
娘は、その「資料館」で、ジックリと戦争のリアルな悲惨場面に接して、こ
れほどまでにと喫驚したそうです。この世代はそうなんです。この類のものを眼にしたのはおそらく初めてでしょう。映画で沢山の戦争映画を観ても、それはあ
くまでも絵空事で、実感ではないのです。
今国会で政治家達が討論の武力行使の件、なんとか回避して欲しいもので
す。
* 子どもたちの悲鳴 1.10.4
『青春短歌大学』を、ありがとうございました。今、嫁いだ娘が持ち帰り しっか りと楽しんでいる様子です。
自閉症の子にやりたきをやらせをり( )をとぎ一粒の( )も零さず 真行寺 四郎
この虫食いは、理解できました。
教室の、おなじ子供の正直な悲鳴を聞いてください。
小学1年生、重度の自閉症と診断されている男の子です。
指先に触る感触が好きで、教室に入ってくるなりパソコンのキーを叩きま
す。これは故障すると困るから、触らないでねと言いますと納得してやめることができます。まだ言葉が出てこないので、自分から話すことはなく、嫌なことが
あると、大声で拒絶します。
3週間前頃より非常に気持ちが不安定になり、片時も母親より離れることが
できなくなりました。少しでも姿が見えないと、パニックになり、大騒ぎをしてひっくり返ってしまいます。先週頃はひどくなり、ご飯もおやつも何も食べなく
なってしまって、お母様にしがみついていたそうです。
不安が、長く続くので心配でした、が、その原因が分かりました。
NewYorkのテロ事件のTVの放映です。ひっきりなしに繰り返される、爆破の画面です。戦争へ動いていくための「正義への証明」でしょうか。納得いく
まで繰り返し見せるので
しょうか。その子供の目にどんな恐怖を植えつけたかと思うと、腹立たしいも
のがあリます。
字は読めませんが、アナウンサーの口調で、関連事項だと分かるのです。関
係のニュースが流れると泣き出して大騒ぎになるそうです。言葉で恐怖を語れない子供には、パニックを起こして訴えることしかできないのです。好きなパソコ
ンのキーでも、説明してとめれば触るのを我慢できます。けれど、その子供に「報復」はどう説明できるのでしょう。
子供たちのために平和的解決を望みます。大国の面子も捨ててください。大
国へのへつらいはもっと捨ててください。
命令を出す人たちの安全はプライドは保障されるでしょう。一番弱い子供たち
のところに、途方もないひずみが、しわよせが、行くのです。
「私語」を読ませていただいて、同感したり、溜飲を下げたりはしています
が、余りにも痛ましい子供を見て、もっと大きな声を出したい気持ちです。
* わたしの博士論文 1.10.2
秦さんはお変わりありませんか?先日は湖の本エッセイ23『青春短歌大
学』をお送りいただいて、ありがとうございました。というより、以前より湖の本をお送りいただき、本当にありがとうございます。電車に乗る時間が短くなっ
て、読む時間が細切れになってしまっていますが、わたしの通学の友になっています。特に今回お送りいただいたのは、あのときの授業を思い出して、「挨拶」
に答えてみたり虫食いを埋めてみたりして、つい、電車を乗り過ごしてしまいそうな勢いです。
久しぶりに、あの授業で覚えた自分に向き合う時間を、取り戻した気がしま
す。教室で毎時間の返答はつらかったけど、充実した時間でした。あの時とは自分の周りの環境、人間関係などなど今は異なっているので、まったく違った答え
や読み方、挨拶への返事が出てきます。もう、6年経ってしまいましたから・・・。
ずいぶん前のメールに、「近況を」伝えるようおっしゃっていたのに、ちょ
うど研究室の引越しのごたごたが年明けからあり、メールのマシンの変更で、新しいパソコンに前のアドレス帳を移行せずにいたため、かなりの方と連絡が疎か
になってしまいました。(言い訳ですよね。すみません。)
わたしは、ただいま、博士課程3年。来春の学位取得をめざしています。
データがそろわないため、まだまだ実験をせざるを得ない状況ですが、そろそろ博士論文に本腰を入れようとしているところです。
わたしは「腐食疲労」という現象について研究しています。金属に一度加え
られても壊れない程度の弱い力を、何度も繰返し加えると壊れてしまう現象が、「疲労」といわれています。飛行機の事故や原子力発電所の冷却水漏れの事故の
原因として、名前の出てくる現象です。その「疲労」現象が、水中で、「さび」の発生するような「腐食」と共時に共存すると、とても厄介なことになります。
これまでも、数々の研究がされていますが、
わたしの注目点は、雨が降ったりやんだりする場所に置かれている場合や、結露して薄い水の膜に覆われたり、温度があがって乾燥してしまったりする環境で、
この「腐食疲労現象」がどんなメカニズムで起こるのか、ということです。降雨、結露、乾湿繰返しというのは腐食界(?)では現在注目されている環境のひと
つ「大気腐食環境」として、いろんな研究が盛んに行われています。(そもそもわたしの所属している研究室が、腐食(さび)の研究をしている研究室です。)
金属がさびる(腐食する)とき、溶液にどっぷり浸かっているよりも、表面
に乗っている水溶液の厚さが薄くなるほど、すなわち乾燥していくほど、さびる速さが速くなることが知られています。どんどん早くなって水の厚さがもっと薄
くなると、今度は、さびる速度ががくっと遅くなり、完全に乾ききってしまうと、さびはストップする。これが「疲労」と一緒に起こるとどうなるか?これを調
べているのですが、まだまだ、課題山積みです。
学生生活がやっと終わりそうです、が、先のことはまだ決まっていません。
春頃に大慌てしているかもしれませんが、今は何か無理して行き先を決めようという気がしません。取りあえず、今は、学位取得のみに目標を定めています。
こんなところです。秦さん、お体にお気をつけて。また、メールします。
* 「青春短歌大学」
1.10.2
有難うございます。始めのほうを読み進めていくと、ありあり学生時代を思い起こし、
あの頃の良かったことや、自分の愚かさを、今の自分と比較して感慨にふけっ
てしまいます。そのため、なかなか頁が進みません。
> いよいよですね。着々と、歩一歩を歩んでゆく君なので、実行するであろうと想っていました。
実行するというと聞こえは良いですが、現実ないし日本からの、逃避かもしれませ
ん。今は、そうなってしまう怖さに日々おびえて暮らしている気がしてなりません。
そう考えると、会社勤めを続けるとは、自分が社会の一員であることの証明
と安心感とを求めることでもあるんだと思います。つまり、日本における会社勤めは、欧米社会(だけではないですが、)における、あたかも「教会」のよう
な、宗教的な要素を含んでいるということなのでしょうか…。日本という島国特有の宗教観や社会構造の上でビジネスをしていくには、大きな課題です。
* 緑内障をおそれよと医師の無表情にわれも無表情に眼をあげて「はい」 遠
緑内障は眼の癌のようなものと遠き日に『緑内障』を本に
編集者われは
1.10.2
* いのちの深い願い 高
史明 1.10.2
私たちは、いま何処にいるのでしょう。
二〇〇一年の九月十一日、世界中の人々は、テレビの前にくぎ付けになりま
した。飛行中の旅客機が、ニューヨークの世界貿易センタービルの陰に現れたかと思うと、不意に旋回して、音もなく滑らかな壁面に吸い込まれていったので
す。黒煙が吹き上がりました。まるで、新しいテレビ・ドラマを見るようでした。実際、旅客機が、アメリカ経済の象徴でもあるビルに激突する情景を、誰が現
実のことと信じましょう。
だが、この情景は現実だったのでした。この日、アメリカで同時多発テロが
発生したのです。ハイジャックされた旅客機が、二機同時に世界貿易センタービルに突っ込み、ニューヨーク最高のビルは数千人の人々を呑みこんで崩壊しまし
た。また、ほとんど同時刻に世界最強を誇るアメリカの国防省にも、真っ黒い猛火が吹き上がりました。
この瞬間から、世界中の時計が、かつて誰も聞いたことのない不安な時を刻
み始めています。世界のいたる所に報復の大合唱が起きたのです。
ブッシュ大統領は、このテロを自由と民主主義に対する戦争行為であると規
定したのでした。それとともに十一世紀末、西ヨーロッパに起こった十字軍という言葉が、悪夢のようにマスコミに登場しています。報復のための軍事行動が、
世界的に発動されたのです。いまアフガニスタンのタリバン支配地域は、一触触発の危機にあります。アメリカは、かの地にテロの元凶犯が匿われていると見な
しているのでした。日本も、後方支援という名目でもって、アメリカの報復作戦に参加するために、重火器携帯の自衛隊を出動させようとしています。
現代戦争の特徴は、総力戦だと言われていました。あらゆる場所が戦場にな
り、あらゆる人が戦場に駆り立てられるのです。報復の大合唱とともに重苦しい不安が、世界中に浸透しています。世界中の母親が、思わず愛児の顔を見つめた
ことでありましょう。報復の大合唱は、この合唱に加わらない者もまた、テロリストと見なされかねない勢いなのです。保育の現場でも、無邪気な子どもたちを
前にして、深いため息がもれ出ているのではないでしょうか。
だが、いまこそ、まっすぐに子どもたちを見つめていいのです。怨みに怨み
をもって応えるなら、ついに怨みが止むことはないのです。それがお釈迦さまの教えでした。
そもそも自爆テロに走った若者たちの胸中に渦巻いていたものからして、近
代文明の登場とともに、繰り返し、かの地の人々に強いられてきた積年の血と涙に対する怨みと、恐ろしい貧困下の屈辱と絶望ではなかったでしょうか。報復
は、さらなる報復を生み、世界中に何百万という新しい犠牲者を作りだすことでしょう。
お釈迦さまの教えが、深く思い返されます。「すべての者は暴力におびえ
る。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」テロ根絶のためにも、いのちの原点が見直さ
れていいのです。赤ちゃんが果して報復を考えるでしょうか。最近の新聞にはアメリカでも、怨みに怨みを持って応えるな、という声が起きていると報じていま
した。
長い間イギリスの支配下で苦しんだインドには、世界的な詩人タゴールが生
まれていますが、その詩人のいのちを見る眼差しが思い起こされます。彼は、赤ちゃんから、わたしはどこからきたの、と尋ねられた母親のこころを通して答え
るのです。「あさのひかりと いっしょにうまれた/天からの はじめての いとし子よ/せかいの いのちの 川にうかんで ながれて とうとう わたしの
/こころの きしべに のりあげたのよ!」(はじめ)
母と子の出会いは、いのちといのちの出会いです。この出会いこそが平和の
原点です。また、原点こそが、永遠に変わらない子育ての原点だと言えましょう。
阿弥陀さまは、いま不安の深い私たちをまっすぐに見つめておられます。
二〇〇一年十月二日
* 『青春短歌大学 』を、 1.10.1
ありがとうございました。
タイトルの「青春短歌大学」という文字に、実はとまどっていました。秦さ
んの小説は好きですが、今回だけはちょっと憂鬱でした。「青春」という言葉に、二度と繰り返したくない青臭い自分を思い出し、さらに苦手な「短歌」まで
くっ付いているタイトルですからね。しかし、読んでみて驚きました。短歌は、やはり詩であり、しかも相当に深い心境まで表現できることを教わりました。
「青春短歌大学」というタイトルにも理由があることが判りました。東京工
業大学で、以前「文学」教授をなさっていたことは存じ上げていましたが、その時の講義をまとめたものだったんですね。19歳や20歳の学生に一般教養とし
て短歌を取り上げていたわけですから、「青春」であり「短歌」である必要があったことを理解しました。「虫食い短歌」に私も挑戦してみました。これはハマ
リましたね。正解率は50%ほど、短歌になじみがないとは言いながら、詩らしきものを書いている身としては不本意な結果でした。まだまだ詩が判っていない
のだな、と改めて感じた次第です。ありがとうございました。
* お年のせいと 1.9.30
知り合い曰く「六十五歳を過ぎると、人間がくっと体力が落ちる」ということですので、失礼ながら御不調もあるいは、お年のせいもあるのかと存じます。
(ごめんなさい)サラリーマンでしたら、定年を過ぎてのんびり暮らしているところですのに、宿命で、とても激しい働きかたをなさっているようにお見受けい
たします。どうかご無理をなさらず、やさしい毎日をお過ごしくださいませ。
新しくお送りいただきました『青春短歌大学』に、数日、夢中になっておりました。私の親族はほとんどが短歌か俳句を趣味にしてよく作っておりますが、私
はどちらもただの鑑賞者ですので、苦心惨憺いたしました。うまく言葉がはまるまでの謎解きは、時の経つのを忘れるほどで、挑戦しがいがありました。お選び
になった短歌のなかで、私が昔から好きだった歌、「死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも 斎藤史」を見つけたときは嬉
しくて、得意な気がいたしました。ほんとうに素敵なご本をありがとうございました。
十月の新刊『元気に老い、自然に死ぬ』も書店に注文したいと思っております。
新しいもの、いくつか書いております。そのうちの一つは、七月に亡くなりました父への供養のために書きたいと思っています。絶世の美女と謳われ、その不
吉なまでの美しさゆえに、波乱にみちた人生を送らざるを得なかった私の祖母にあたる人のことを、今、色々調べているところです。
少しまえに、お送りいただきました湖の本はまだ何冊もございますが、惜しみ惜しみ読んでいくつもりでございます。秋が深まるにつれて、読書の喜びも一入
です。今晩も雨の音を聴きながら、赤ワインを少々味わいつつ、『青春短歌大学』の劣等生を挽回とばかりに、『歌って、何!』を読むのは、私には至福のひと
ときです。
* 日曜日 1.9.30
どうしていらっしゃいますか?どんよりとした日曜日。
むしょうに「黒いピン」を抜きたくて、庭に出ました。キンモクセイの香りが一面に漂っていて、胸の奥まですいこむと、ピンが少し抜けていく気持ちがしま
した。雑草を抜いたり、お隣の家にあいさつしている木の枝を刈り込んだりしていますと、もう正午。
今、天使の歌声 といわれるシャルロット チャーチという十代の若い歌手の、オペラのアリア集をきいています。透き通った声は、うるおいや情感にはかけ
るのかもしれませんが、気持ちの底に淀んでいるどろどろしたものを、清冽な流れに変えてくれます。ちょうど能の笛の音のように。
* 坂道 1.9.30
一昨日、親しい人と少し話もしたく、時間を合わせて都内を歩きました。麻布十番は初めてでしたが、一度行けばもういいかな。
乃木坂の地上は初めてで、廃業すると書かれていたレストランは何処かしらとキョロキョロして。六本木まで芋洗い坂を歩き、饂飩坂の案内柱を見て大笑い。
国文出のその人はむろんサラリと読めました。そそのかされて青山一丁目まで歩いていました。
東京に移り住んだ時、坂の多さに驚きましたが、最初に覚えたのは通勤途中の渋谷道玄坂、宮益坂。菊坂は一葉、団子坂は鴎外、無縁坂はお玉さん、暗闇坂、
根津権現坂、谷中のさんさき坂、粋な神楽坂、馬場には漱石縁の夏目坂。二人で、まだまだ沢山の坂を踏破していますが、いつも目指して行くのではなく、ふら
りと出逢ってきます。ちょっと都心の地図を覗いてみても、多くの単純な名の坂が眼に入り面白い。
今、黒柳徹子さんの「アフガン訪問」を観ています。以前は一面のすいか畑だったと謂います。砂漠化した大地、犠牲を強いられる女、子供たちが悲惨です。
* 「同時代」に名付けたら 1.9.30
SF小説の話でごめんなさい。病、老、死のない楽園が地上に実現した話。
地球が養える人数が計算され、「生まれる」人はいないの。地上の世界だから自殺はできて、そういう人がいたら「生む」許可が出るのよ。
やっぱり「生まれる」根本にあるのは、悲しみなんですわ。
「生まれた」時代のネーミングがいろいろあるでしょう。サンパチ組の雀は、自称「化学物質人体実験世代」。
* 一人で唐傘、彦根へ 1.9.30
いかがお過ごしですか。「爪切りもいけません」と旅行会社の人に言われてシンガポールへ発った主人からは、何も言ってきません、一安心。
で、出かけることにしましたの。月夜が続きましたが、潤んだ月になった夜、夢うつつに雨音を聞きました。明け方まで降ったようで、アスファルトがたっぷ
りと濡れたままでしたわ。
♪雨降りお月さん 雲のかげ お嫁に行くときゃ誰とゆく 一人で唐傘さしてゆく
お馬ではなく電車に揺られて。冬に旅した湖東ふたたび。秋もなお、趣き豊か。
彦根で、A席最後の一枚を手に入れ「彦根城能」を堪能しました。「黒塚」(昭世)、先に「鐘の音」(万作)。ご贔屓の亀井広忠さんも出てらっしゃいまし
たわ。
彦根城でつく鐘の時刻に「鐘の音」が始まり、万作さんの声より先に本物の音。昼に城を見に行った時に聞こえてきて、歩いていくと鐘がありました。昔は係
の武士詰め所だったという聴鐘庵でお薄を頂き、眼下に広がる町並みと湖水輝く琵琶湖、向こう岸までの景色を楽しみました。風は微かで見事な晴天。観光地と
は思えない程、どの店もおっとりとした人々がいて、どこを訪ねても秋草がさまざまに活けてありました。
博物館へは昼間見学に行ったのですが、見学順路は能舞台楽屋の前を通っていました。スタッフがシテ方の部屋へ入るところだったので、ドキドキしました。舞
台に向かうドアも開けたままでしたので、幕の内側も見えました。200年前の能舞台を博物館の庭に移築復元したもので、松羽目も雰囲気があります。風も入
り蚊も飛んできます。席は正面中央最後列、といっても、とちりの「り」で一段高くなっていました。
夜の公演なのでカラスが鳴き虫がすだくのが、「黒塚」に合っていました。闇も、といいたいところですが、ビデオ収録のためライトを煌々と点けていたのが
残念です。
能は19:45に終わり、少し歩いて隣の大名庭園へ行きました。「虫の音+観月+庭園と城のライトアップ+箏曲演奏+野点」のイベントが21:00まで
あると聞いて…。池には舟も出て、月が照ったり雲に隠れたり、照明効果抜群でした。
お恥ずかしい事ですが、ちゃかぽんを知らずに彦根へ行きました。直弼公が柳が好きだったという事も知らずに。夜、庭園から埋木舎を通ってひとり歩く松並
木。お堀の水は静まり、空には月。玉男さんの遣う城明け渡しの由良之助のイメージ。歴史好きな父に話してみましょう。
むっとして戻れば庭に柳かな でしたかしら。
帰りは各駅停車の旅。彦根を出て、草津、柘植、亀山、津。ここで近鉄に乗り換えて、伊勢中川から名張へ。乗り換え5回。景色を見たり、考え事したり、
眠ったり、本を読んだり、吊り広告眺めたり、乗降客を観察したり。駅弁にお茶お菓子の電車の旅が大好きですの。今回は居眠りできませんわ。本数の少ない
ローカル線。乗り越したら大変ですもの!
甲賀辺りで雨になりました。少し肌寒い山懐の、いま、柘植駅ホームにいます。
* 目を病みて 1.9.30
『青春短歌大学』をありがとうございます。このご本が出版されたとき、わたくしも秦教授から出された問題に、一所懸命になってとりくんだものでございまし
た。ことばに対する感覚を問われ、語彙の貧しさを問われたご本でございました。
けれど、せっかくの「湖の本」ですのに、目を傷めてしまって、まだ、拝見できません。
目が痛いのでお医者さんにゆきましたら、左の目に傷があるとかで、読書もパソコンも控えるようにと、わたくしにとっては、無理難題でしかないことを言わ
れてしまいました。「e文庫・湖」の三原誠作「ぎしねらみ」も、縦書きにしてプリントさせていただいてありますのに、これもおあずけです。『青春短歌大
学』も、以前、拝見したときを思い出しているだけで、もどかしくて。
目を休めるために、冷たい水を含ませたコットンを目に乗せて横になったりしています。グレン・グールドのゴールドベルグを聴きながら。
目を閉じていても、薄い墨流しのような、けむりのようなものが目先にちらついています。子供のときからそうでしたけれど、もしかしたら、わたくしには、
ものがちゃんと見えていないのかもしれない――。近視に乱視、それも左右の視力がたいそうちがうそうで、人間関係でも、自分の感情でも、バランスをとるの
がへたなのは、この目のせいかもしれません。
こんな状態ですのに、金沢に行く用があり、時間をつくって、鏡花記念館に行ってきました。
うつくしい装幀のご本、紅葉の朱が入っている原稿、それから、鏡花自身の推敲のあとが、こまかに残っている原稿……。目の状態のよいときに見たうござい
ました。
記念館のすぐそば、「照葉狂言」の舞台になったお宮さんにお参りし、浅野川に出ました。先生もこの川面に目を放たれた――。街中の川ですのにきれいな川
を、しばらくながめていました。
近代文学館にもゆきたかったのですが、時間がなくて。
一閑張の箱を買いました。おいしいお菓子も買いました。
帰ってきましたら、ベランダのすすきが、はらり、穂をほどいていました。そのうち、目もよくなりましょう。
* 久闊 1.9.30
秦 先生 大変ご無沙汰しております。東工大の卒業生の*
*です。大変ご無沙汰しております。このたびは,私のWebの掲示板に書き込みしてくださいまして、ありがとうございます。驚き、懐かしく思い、また、イ
ンターネットの威力というものを切に感じました。先生におかれましても、ますます、ご健勝のご様子、嬉しく思います。
実は、先生には文学的なものもさることながら、仕事面においても教えをいただいております。といいますのは、今年の春に駒場の東京大学の大学院を出たの
ですが、はて仕事がない、研究職はない、という状況でした。そのとき、理工系の出版ならば、これまでの研究経験を活かせるのではないかと思い就職いたしま
した。経験を活かせるから、というのは実は表向きの理由で、秦先生も、また私の尊敬している現代詩人の方々の多くも若い頃は編集者をしながら本を書かれて
いた、というのがこの職業を選んだ第一の理由だったのです。狙いどおり、編集者の先輩方は思想的にユニークな方が多く、楽しく仕事させていただきました。
もっとも私の場合、小説や詩を書きたいというよりも、ものを考えたい、できれば自然科学の研究をやりながら考えたい、という思いが強く、結局、今年の九月
から* * *
*研究所という基礎研究所で、物性理論を展開した摩擦の研究をはじめました。それでも、短い間でしたが出版社では、二冊の専門書を企画することができまし
た。一時でも本作りの現場を知ることができたのは、先生のお陰と思っております。また、先生ご指摘の、出版業界の問題点についても、肌身に染みてわかりま
した。この点につきましては、また機会がありますれば..。
話が前後しますが、学部時代の私にとって、秦先生の講義を受けること、そして先生の研究室にお邪魔することは、特殊な、大変に貴重な体験でした。漱石の
こと、谷崎のことをどれだけ理解できたかについては自信はないのですが、友人を交えていろいろなお話ができたのは、まさに一期一会、得がたい時間でありま
した。先生が東工大にいらっしゃってはじめて、私にとって (多分、他の多くの学生にとってもでしょう、)
東工大が単なる専門学校ではなく、大学として存在したといっても過言ではないでしょう。朝に下宿で読んだ小説の著者と昼に対面し、茶道の話や「家畜人ヤ
プー」の話をすることは、科学者になるために必須のことではないかもしれませんが、私が今の私になるためには必須でした。今ごろになって感謝の気持ちをお
伝えすることになり、申し訳なく思っております。
私は三年半前に結婚しました。ときどき、研究室に一緒に伺っていたあの頃の友人たちは、どうしているのだろうと思います。
ところで、今回のテロ問題、先生のご主張の一つ一つに頷いております。
六年ほど前、半年間ほどイスラミックの施設でアラビア語を週二回、習っていたことがあります。サウジアラビアはお金持ちであり、かつ、お金の使い方を
知っているようで、なんと教科書代三千円以外は無料で教えてくれるのです。当時は代々木のモスクが改装中だったためか、その建物には東京中の様々な国籍の
ムスリムの人たちが集まっておりました。どうして、イスラーム的なものに心ひかれたのかわかりません。基本的には、ラテン系の極まったような人たちである
アラブ系の「ノリ」に魅了されたのでありますが、一方、政治、文化、すべてにおいてキリスト教的な考え方に支配されている
(とくにクラシック音楽と自然科学をやっている関係から) 西洋文明を相対化したかったのだと思います。
それはさておき、東京のムスリムの皆さんは、とても親切にしてくれました。別に新新宗教ではないし、宗教の専門家ではなく普通に暮らしている人たちです
ので、冗談も通じるし下品な話にも応じてくれるのですが、その根底にこの私には希薄な、敬虔という態度がありました。私は幼稚園は北米のユダヤ教の幼稚園
に通っていまして、生まれて最初に祈るということを知ったのはヤハウェが相手なのですが、そのときの神聖な感覚を思い出しました。
敬虔という言葉を軸に考えると、イスラームもユダヤもキリストも、とても似たもの同士だと思います。何が言いたいかと申しますと、今回のテロの問題は、
宗教の問題、ましてや「文明の衝突」などという妄想の世界に引きずりこんでは、東京のムスリムの皆さんのように普通に暮らしている人たちが大変迷惑するの
ではいか、ということです。現に、アメリカのムスリムの皆さんには被害が出ているそうです。
タリバーンの語源である「ターリブ」とは「学生」のことである、という知識は今ではすっかり有名になってしまいましたが、私の通っていたアラビア語学校
では、「アナ ターリブ
(私は学生です)」などというように、習いはじめに出てくる基本用語です。タリバーンがアメリカにやられる、ということになったら、クルアーンを一度でも
読んだ人なら、 (アジアのムスリムはクルアーンを通して正統アラビア語を知る。)
「イスラームの同胞がやられる」という想いになることと思われます。そのささやかな気持ちを増幅して、宗教間の対立にしてしまっては、騒乱を望む人たちの
思う壺でしょう。
それから、パキスタンなどの周辺イスラーム国における対米感情についてですが、湾岸戦争と同じことを繰り返すことになるでしょう。
私は、アラビア語を習ったあと、エジプトを一ヶ月ほど旅行しました。在東京エジプト大使館勤務の友達が本国に帰ったので、遊びにいっただけなのですが、
湾岸戦争について、あるいはアラブ諸国の対米感情について、痛いほど知ることになりました。
まず、エジプトは親米とされているのですが、エジプトの外交官たちは日本のようにアメリカに全てを依存するかのような感情は持っていません。イスラエル
という西洋主導の人工国家がすぐ隣にあって、一時はシナイ半島を奪われたことからも容易に想像できます。彼らはね日本に対しては、明治維新をやりとげた立
派な国だという認識を示してくれました。エジプトでも同様の近代革命を起こそうとしたのですが、当時の宗主国イギリスに潰されたという経験があるからで
しょうか。アメリカに対しては、日本は米で、農業国エジプトは麦で、市場開放を迫られている同様の立場であるという認識のようです。スーパー 301
条についてどう思うかと問われ、答えに窮しました。
このような難しい話は外交官だからするのでしょうが、一般の人たちは、湾岸戦争で大きなダメージを受けているようでした。旅をしていて、一番親しくなっ
たルクソールの青年は、湾岸戦争に従軍させられたそうです。エジプトは一万人出兵して、千人亡くなったそうです。これは凄い割合だと思います。同じ村の友
達が戦死したことを、その母親に伝えにいかねばならなかった、という話を聞いたときは、私も涙しました。彼らにとってみると、アメリカのせいで同じアラブ
の同胞と闘う羽目になった、という認識です。同じことが今回も起こらなければ良いのですが。
一方、日本に対しては上流階級とは別の意味で非常に良い印象を持っているようです。彼らの知っている日本語といえば、トヨタでありソニーであり、つまり
工業製品です。子供の頃に見たアニメーションに、「未来少年コナン」というのがありましたが、日本とは、そこに出てくる「インダストリア
(工業国!)」というイメージでしょうか。政治に口を出してこないで、ひたすら壊れない機械をもたらす国、日本。
もう一つ、今度、また西洋に対して戦争をはじめるなら、俺たちも加担してやるぞと激励されました。それではなんだか寂しい気がして、彼らに、名古屋特産
の味噌煮込みうどんを作ってあげました。気味悪そうに食べていましたが、感想を聞くと、「うまい」と言ってくれました。
それはさておき、ある意味、日本は従来のままの工業国という役割以上の役割は、果たしてはいけないのではないかと思います。パキスタンやアフガニスタン
の人たちの、現在の日本に対する感情は、以上に述べたエジプトの人たちの感情と大きく異なるようには思われません。
逆にいうならば、現状では日本は仕方なくアメリカの弟分になっていると認識されている筈ですから、日本がイスラーム過激派のテロの標的になるとは考えに
くいです。日本の国益を考えるなら、今回も、何もしないのが良いと思います。ベトナム戦争のときと同様、日本はアメリカ軍に基地を提供しているのですか
ら、それ以上の何かをする必要はないはずです。当然、いかなる国の人に対してであれ、テロや戦争の犠牲になった人に対しては、最大の哀悼を示すのが人の道
でありますが。
Web
に転載されてある先生へのお手紙で、「強い国にならなくても良い」という意見がありましたが、まさにそのとおりだと思います。願わくば、湯豆腐などという
淡白な食べ物を愛する人びとが東の果てにいる、ということが、もう少し世界に知れても良いのではないかと思いますが。そういえば、「おしん」はアジア・ア
ラブ各国で大人気だったそうですね。そういう国で良い、そういう国が良いと、思います。
大好きなイスラームに係わることだからでしょうか、気がつけば秋の夜長に長々と書いてしまいました。
先生も最近はとくに激務のようでありますが、お体には十分お気をつけください。
* ニューヨーク市長 1.9.29
同時多発テロ事件より以前に、最近のニューヨークの治安が現市長の働きで、大変よくなり地下鉄にも安心して乗れる様になったらしいと、娘から聴いてい
ました。ニューヨークは一度は覗いてみたい所でしたが、非常に犯罪の多い都市であるだけに怖れをなして敬遠していたのです。今回のテロ事件で画面に頻繁に
出る惨事もさることながら、あのごった煮のような都市を風通しよくした市長はと、ことあるごとに注目していました。
昨日(28日)の夕刊の記事でほぼ明らかになり、そう多くもない活字から、グット胸に迫るものがありました。
川村二郎の世間話 (週一のシリーズより抜粋しながら。)
二十三日に東京で開かれた「米国テロ被害者追悼・お見舞いの会」をテレビで見て、楠本定平ニューヨーク日系人会会長の挨拶が心に残った。楠本さんはアメ
リカ ミノルタ社名誉会長、大学の大先輩で、東京に見えるとよくご一緒する、と。
いつもと変わらない穏やかさで、メモなしで淡々とした口調も、いつもと同じだった。しかし、ひとことひとことに、ニューヨークの惨事を体験した人だから
こその重さと、そして暖かさがあった。
昼夜兼行で捜索を続ける警察官と消防士、病をおして陣頭指揮にあたるニューヨークのジュリアーニ市長。楠本さんの言葉から情景が目に浮かび、何度も目頭
が熱くなった。楠本さんからその夜、市長の人となりを改めて聞いた。
検事から市長になるとき、犯罪都市として悪名高かったニューヨークを安全な街にすると公約してその通りにしたこと。
警察官が殉職すると、残された家族と半日を過ごすこと。勇み足をした警察官が訴えられると、敢然と弁護すること。「彼は部下を信用してとことん守る男で
す。警察官も消防士もそれを知っていますから、この人のためならと必死になるんです。意気に感じて働くのはアメリカ人も同じです。市長は間もなく任期が終
わり、待っているのは前立腺癌との闘いです。ニューヨークと市民のために一身をささげること以外、彼は考えていないでしょう。上に立つ者はどうあるべき
か、教えられるところが多いですね。」
楠本さんの言葉を聞きながら、「坂本龍馬の魅力をひとことでいうたら、私心のないことやろな」といった、司馬遼太郎さんの言葉を思い出していた。
そう、結んでありました。今再び読みながらも、又、胸があつくなり、同じ地球にこんな人がいるんだと感動で目頭がうるみます。
*
二度と会えないもの 1.9.29
秦先生 「湖の本」お送りいただきまして、ありがとうございました。お礼が遅くなってしまいましたが、本の方は到着直後の夜に、お気に入りのスプマンテ
をちびちびやりながら、最後まで飲み干して・・・ではなく、読み干してしまいました。ハードでも買わせて頂いたのですけれど、やはりあの手軽なしなやかさ
が、アルコールと相性抜群だったようです。
授業では、見えなかったことが今さらながら見えてくる面白さをしみじみと味わわせて頂きました。あれから、もう9年も経つんですね。早いものです。
実は今日、自分の誕生日で、いよいよ三十路を目前とすることになります。今まで淡々と年齢の階段を上がってきましたが、29というこの年で初めて年齢と
いうものに感慨を覚えました。年を取ることが嫌だとも思いませんけれど、ただ、自分に責任を持たなければ、という年ではありますね。もう無闇に「知らな
い」「できない」を叫べないな、と。歯を食いしばってでも知っているふり、できるふりをしなければならない場面も出てくるだろうな、と。
雲は夏あつけらかんとして空に浮いて悔いなく君を愛してしまへり 柏木 茂
こういう瑞々しく若い歌を、昔は鮮やかに目に浮かぶ情景と共に好んでいました。それは、その時にはこういう情景
を自分のものとして手に入れることが可能であったからだ、と、いま再びこの歌に出会って思うのです。
夫がいて、娘が生まれて、猫がいて。一生打ち込める仕事もある。今の自分は十分豊かな人生を与えられて、そして何よりあの頃よりも、人生を、自分でハン
ドリングできるような感触も掴み始めている。いよいよ生きることの醍醐味を味わえる予感がしています。
でも、この歌と再会して、確実にもう二度と手に入らないものを目の前におかれてしまった、という思いにとらわれました。「あつけらかん」とした「悔いの
ない」愛は、二度と私の目の前には現れないでしょう。私の手持ちの愛は、もっと密度の高い、ときに持ち重りすらする、けれど大事な大事なものです。
そして、もし万が一、今の愛が崩壊してしまって、もう一度夏の雲の下で恋愛することがあっても、それは「あつけらかん」とはしていないでしょう。今の手
持ちの愛の記憶がある限り。
二度と出会えないものがある、という認識は、やはり29という自分の年を痛感するに十分でした。でも、そういうものがある、と認識することが、嫌なわけ
では決してないのです。二度と会えないもの、二度と得られないものが存在する、という思いは人生を慎ましく、より豊かにするようにも感じるものですから。
金木犀が香りはじめましたね。
ロンドンにいる主人に、会社から緊急帰国命令が下りました。世の中は、日本にいて季節を楽しんでいられる私たちが感じているよりもずっと緊迫してきてい
るようです。
長い間かかってこんなに繊細な言葉や文化が築かれた日本の行き先が迷走しないよう、願わずにはいられません。
先生も、お忙しいとは存じますが、どうぞおからだをおいたわり下さいませ。
* なにが自立支援か 1.9.29
政府の有識者会議が、「高齢期を迎える団塊の世代が、社会への貢献を続けられるよう、自立支援を行うように」と報告したらしいです。
政府への貢献って、「医療費使わず、介護・施設の世話にならず、長々年金受け取らず、行政に迷惑かけず、消費はばんばん」って、事かしら? 肩たたきや
リストラ停年がこんなに早く来ると、政府は思ってもなかったでしょ?
当事者はもっとそうよ。年金給付までがこう長くては、景気浮揚に協力したくてもできないの。団塊の世代に生まれた夫は、「人件費が安くて、素直で、体力が
あった20?30代にもてはやされたほかは、たいてい迷惑がられてるよ」ですって。
* 靖国、靖国 1.9.28
小泉さんがアメリカへ呼び出され、見させられた現場と、被害者の家族。あれは、アメリカが見世物として利用してるの。原爆ドームとは全然違うのよ。
「許せないッ!自衛隊は危険を伴ってでも」。
思う壺よ。うそくさい熱血をうまく利用されちゃって。はっきり言って、あの瞬間、日米双方の政権政党、「待ってました!」。テロテロテロで、戦争ができ
る、死の商人に儲けさせてやれる。おこぼれ頂戴。小泉総理の構造改革って、軍需景気期待の下心なですよ、大化けものです。で、留守宅では、高祖議員を辞め
させ、オベッカ法案準備が一気に進んで。アメリカと日本で、「10年前にできなかったことがやれる!」って、嬉々として表舞台へ出てくるヤツらが大勢いる
わ。靖国、靖国、靖国。
* アメリカ独り舞台 1.9.28
おはようございます。昨日のNHK総合の「テントでセッション
ゲスト:澤村藤十郎」が、国会中継で放送されませんでした。紀伊国屋の贔屓まで「敵」にまわしたアメリカは、「多国籍軍で」って言わなくなったの、何で。
単独でやれば、他国の上空通過や基地使用で機密を盗んでおいて、アメリカの機密は漏らさずに、作戦実行も早いわ。11月末迄に勝つつもりじゃないかしら。
テロ後の大量の失業者も個人消費の落ち込みも、クリスマスとアメリカの劇的勝利でお化け景気になるだろ、なんてね。そして「兵糧責め」に凍結してるタリバ
ン資金をみーんな没収すれば、軍事費用を他国や国民に頼らなくて済むのよね。うまい!!。
* 『青春短歌大学』 1.9.27
ありがとうございました。ちょうど虫食い短歌の本が欲しいなあと思っていたところに届いた湖の本でした。秦さんの虫食い短歌のお蔭で、歌が身近なものに
なってきました。慌だしい毎日のさ中、立ち止まり、歌の空欄に入る語を思いめぐらして、切なかったり、悲しかったり、涙したり。
今日が終わると、また明日。時の経つのは早く、わたしは相変わらずです。進歩のない自分から目をそらすことはできず、ちょっとずつでも前へ進もうと、沈
みがちな気持ちをなんとか奮い立たせています。歌が身にしみます。ゆっくり読んでいこうと思います。一語一語に向き合って。
どうか、おからだを大切に。
* 琴光喜のパレード自粛? 1.9.27
辞める辞めない辞められない=星野、野村、長嶋。
おはようございます。昨夜は近鉄戦と中日戦をTV観戦。3点負けてる9回裏。ランナー2人、代打逆転サヨナラ満塁ホームラン、見ました!
近鉄ファンではないけれど、それまで中継を見ていたから、なおのこと感激。諦めない、前向きで元気で、最後は笑顔が弾ける、こういう生中継こそ見たいの
よ。
琴光喜の、優勝パレードの自粛。武蔵丸なら分かるけど、かわいそうだわ。車の上で撮影だけしたと聞いて、もっとかわいそう。愛知県出身力士の優勝は玉の
海以来、もし大関になれば、東海では双羽黒以来と報道され、なンか、前途暗そうで余計かわいそう。囀雀
* USA 1.9.27
「僕の味方しない奴はみんなテロだ」とか、無茶苦茶言って。でもそれが星条旗の波と「USA」の大合唱と、90%の支持率になったンですものね。
だいたい大統領選から胡散臭かったじゃない。支持されたくって「強いアメリカ」ってばかり言って、国際会議でわがまま勝手して。強くなければオトコじゃ
ないなンて、今時ふッる?。お坊ちゃんの見栄とファザコンで戦争すンのよ。大統領の才能も器もないわ。
「味方してくれたらお金をやる。いやだって言ったら苛めるからな」の、小学生並み。ワシントンへ駆け付けた順番と、何をしたかを細かく閻魔帳に書いとい
て、後々、ねちッこォく苛めンのよぉ。呟雀
* 不況と風評被害と 1.9.27
秋らしくなったかと思いましたのに、ここ二・三日は、汗ばむほどです。そのせいかどうか、風邪が流行っているようです。
ご本ありがとうございました。虫食い短歌は愉しいけれど、難しくて、頭を悩ませては、う?ん…。
狂牛病のニュースが毎日報道されて、お客様が激減し、状況は最悪に。不況に追い討ちをかけるような、現状がこのまま続けばどうなるのかと不安になります
が、流れに身をまかせるしかないと。農水省などの確たる報道がなされて欲しいものです。いいかげんな調査、翻る事実に、人々の不安は増すばかり。きちんと
説明するとお客様は安心してくださるのですから。
テロ関係にも、心配は膨らんでいます。二男はいま**の部隊で、調理関係の教育実習中です。修了すれば乗船勤務の可能性もあり、母としてはやはりね。希
望すれば、元の勤務先に復帰もできるらしいとのことで、「帰っておいで!」とコールしています。
小泉発言に対する米国の思惑。日本の考えの甘さは今に始まったことではないけれど、巻き込まれれる渦の大きさを見落としているような気がしてなりません。
機械の調子が悪いとのこと。大事にいたらねばよろしいのですが、そのことでお体に負担が増大するのではと、そのことが心配です。どうぞ、くれぐれもご無
理はなさいませぬように。
* スペインへ 1.9.27
秦先生お元気でお過ごしでしょうか。私の方は、とうとうスペインへの修行を決意しました。
8月末にやっと会社をやめ、現在は留学の手続きとスペイン語、スペイン文化、起業の知識などの勉強中です。
渡西予定としては、11月3日成田発となっております。11月5日からスペイン語学校の授業が始まるので、まずはゆるゆると起業のネタを探してきます。
計画は1年間で、最初の4ヶ月間はマドリードの西200kmほどにある地方都市サラマンカにて滞在、その後は南のアンダルシア地方のどこかの都市(おそ
らくグラナダ、セビーリャ、マラガのどこか)に残りの期間滞在することになるでしょう。
帰ってきてからは、見つかった起業のネタにもよりますが、共同経営者になる人間と、私の資産、知識、ノウハウなどにより、しばらくは関係企業に就職する
可能性が高いと思います。ま、人生どうなるか分かりません。だから楽しいわけですが。
もし、秦先生がスペインに来る機会があれば、ご連絡ください。ホテルの予約と観光案内程度ならできるようになっていると思います。
お身体にはくれぐれもお気を付け下さい。
* from札幌・hatakさん
1.9.26
先週は、前年より17日早く大雪山系に初冠雪、週末は峠にも雪が降りました。今日の札幌は快晴。空気の透明度が高く、スーッと陽が射しこんできます。モ
ントリオール、エジンバラ、高緯度地域に位置する街は、ときおりこういう光景を見せてくれます。
三連休も、実験植物の世話で遠出もままならず、札幌で過ごしていましたが、小さなお茶の会によばれ、一〇三歳立花大亀翁のほのぼのとした横ものに見入っ
たり、峠越えのドライブで高原に半日を遊び、童心に還ったりしておりました。
『青春短歌大学』を玄関先で開封し、ぱらぱら立ち読みしていたら、そのまま小一時間経ってしまいました。時を忘れる本ですね。あぶないあぶない・・・。
湖の本、東工大の講義、このホームページ、そして電子文藝館。次から次へと湧きいずるアイディアと、それを実現される力にただ感嘆するばかり。オリジナ
リティー・
プライオリティーが命の研究者としては、何を食べたらこういう発想が出るのかな?と羨んでしまいます(美味しそうなメニューが闇に言い置かれていることも
ありますが)。
「大規模経営(農・酪・漁)の中で行われている、病気が出ないようにする方法を聞くほうが、よほど食べる気が失せます。アメリカで農薬散布に待ったがか
けられていますが、これで病気や害虫が発生して不作になれば、遺伝子操作が正当化されそう。薬品で燻蒸してても農薬漬けでもいい、大豆やとうもろこしを輸
出してほしいと日本は言うことになるでしょうね。」との、ご意見。植物病理学研究者として傾聴しました。
一番安全な食品はやはり国産ですが、一億人の胃袋を養う農家のほとんどが、高齢者。この足腰の弱さでは、ヨーロッパなどで制度化されている有機栽培など
できません。農業も一番大切なのは人づくりなのですがねぇ・・・。
お礼かたがた、近況お知らせしました。心臓に優しくしてあげてください。 maokat
* すき焼きの季節に慨嘆 1.9.26
松茸が採れ始め、すき焼きの季節になりました。名張のギフトに「松茸&伊賀牛」がありますが、今年は狂牛病と聞いただけで牛肉を食べる気がしなく
なるンですって。
一頭の病気の牛よりも、大規模経営(農・酪・漁)の中で行われている、病気が出ないようにする方法を聞くほうが、よほど食べる気が失せます。
アメリカで農薬散布に待ったがかけられていますが、これで病気や害虫が発生して不作になれば、遺伝子操作が正当化されそう。薬品で燻蒸してても農薬漬け
でもいい、大豆やとうもろこしを輸出してほしいと日本は言うことになるでしょうね。
* 双方同じ 1.9.26
アメリカ映画は、原住民、軍事独裁者、共産主義、金儲けアジアと次々に敵を拵え、ヒーローを生んできました。
「狂信者」相手にアメリカの完全勝利を描く今回のシナリオのラストシーンは、きっと大統領演説。10年前の失敗から、今回の敵は誰も反論できないテロに
設定し、種を蒔き攻撃させる。生中継の衝撃映像が世界の同情と感情の一致を簡単に短時間で得させ、国民の団結と大統領支持も一気に得ます。
「悪い事は全てあいつがやったんだ。俺が退治したんだぞ!」と称賛を浴びたいアメリカは、「泣いた赤鬼」。
アメリカこそが正義であり、力と言う。神の代理という気でいるのは、双方同じ。
* 『青春短歌大学』拝読しております。 1.9.25
谷崎の娘の無心に応える歌が自作の「芦刈」よりも謡曲の「芦刈」をふまえているようで、その妙味に感心したり、毎日いろいろなところを開いては、クイズ
を楽しむように考えております。
人生の経験の中で、作者の心情をたどってゆけば、自然に解ける歌もあれば、それだけでは絶対に解けない歌もところどころにあり、そのたびに巖にぶち当っ
たような気がします。
(例) 起き出でて夜の便器を洗ふなり水冷えて人の( )を流せよ 斎藤 史
どうしても解けず、答を見てそうかと思い、再び「作者」の名を見て、この人ならば、と思いました。
ゆっくりたのしませていただきます。
* 『青春短歌大学』を 1.9.25
読みふけりました。こういう素晴らしいものを読ませていただけることを嬉しく思います。ありがとうございました。
それにしても私はとても「短歌大学」の単位はいただけそうになく、ときに悔しくて、あーっと声をあげたりしました。井上靖さんの詩の音読といい、「表現
の完成」といい、なんという優れた授業をなさったのでしょう。また秦さんの解説がよくて、最後まで一気に(ではなく、実は穴が埋められなくてつっかえつっ
かえ)読みました。
面白い、ということのほかに、これしかない、という激しい一字が表れたときの肅然とした思い、これこそ詩人の魂だと感じる瞬間を幾度も経験できたのは本
当に望外の幸せでした。
たとえば土岐善麿の「ひとりの(名)」。この強さ。(春の夜のともしび消してねむるときひとりの名をば母に告げたり)
面白くて笑ってしまったのは、たとえば柏木茂の、「悔いなく(君)を愛してしまへり」。「人」や「妻」「友」で、秦さんが、「なにを考えているのか」と
おっしゃるのがおかしくて。(雲は夏あつけらかんとして空に浮いて悔いなく君を愛してしまへり)
日本語の奥の深さを改めて思うと同時に、言葉はたくさんあるようで、ときに、どうしてもこれでなくてはならないという場や状況があり、文学は、それを追
求するものでもあろうか、と感じました。
* 口にする・しない言葉 1.9.25
ありがとうございました。ハードカバーでも持っていますが、湖の本で手にすると、また違った思いがします。封を切り、「青春短歌大学」の文字を見たとき
に、ああ、もうそんな昔のことなのか、と、思いました。
本日の私語の刻に、
言うて詮無いことは言わない方がいい。だが、それも、ものにより、ことにより、ひとによる。三猿で済まされぬこともある。言わずに済むことは言わない。
潔い。ぜひ言いたいのなら黙らぬ方がいい。
とあるのを読みました。
最近、同じことを考えていました。ビジネスの現場はわかりませんが、いまだ、多くのシーンでは沈黙は金であろうと思います。でも、伝えたいことは言葉に
しなくてはならない。土曜に見た芝居のテーマは、「語られなくなった言葉」でした。それもあって、口に「する/しない」言葉について、少し考えていまし
た。
* 誰を先ず 1.9.25
松坂市で、給食に牛肉を使うのをやめたそうです。肉で有名な松坂がと驚きました。雪印騒ぎから変わらないパニック。怖い、買わない、食べない、ではなく、
そういう考え方で口に入るものを作っている人こそ、怖い。草食動物を肉食にして、共食いさせる。それも市場に出せない病気の肉や骨を食べさせて…。ペット
に、そんな食事させますか。動物ではなくモノとしか思っていない。こんな事を考えついた人、賛同した人、作った人、売った人、使った人を救う方が先決らし
い。
* 青春短歌大学 1.9.25
さて、今回の湖の本はあの懐かしい「虫食い短歌」ではありませんか!嬉しくて、懐かしくて、主人にも読ませています。「自分が学生の時にこの授業があっ
たら、きっと選択していたなぁ」などと申しておりました。(主人は私より6期先輩なのです。)
現在は、二人で楽しく「補習」を受けているところです。講義料、近々納入いたします。一人分で恐縮ですが…。
そういえば、この3月には* *さんも結婚して* *さんになりました。来年の1月には*
*さんが結婚します。みな、名前が変わっても元気にしています。
夏はあんなに暑かったのに、ちゃんと季節は巡って秋がやってくるのだなぁ、と感心しながら風邪を引きかけています。先生は、どうぞお気を付けくださいま
せ。
* 秋日和 1.9.23
なんて素晴らしいの。この穏やかな透明の蒼空。この天空をのんびりと仰ぎながらも、今世界を巻き込み、始まろうとしている諸々が現実かと胸が痛くなりま
す。
友人からのお便り、海外でご主人の会議中に同時多発テロの報があり、その場にいたジャーナリストから、咄嗟に「日本人のしわざではないのか」と問いかけ
られて、ビクリとしたとの事です。どこの国の、専門が何のジャーナリストかは分かりませんが、多分日本のパールハーバー奇襲攻撃が念頭にあったのではない
かと、私は勝手に想像します、が、これは非常に頭に引っ掛かる言葉です。今、日本の立場を混沌と討論するテレビ放映を観ながらも、目的であるテロリストへ
の攻撃がどんな風に変貌・変質していくのか、先知れずの感があります。
* 『青春短歌大学』拝受。 1.9.23
すこぶる知的刺激のご本をありがとうございます。数編、クイズにチャレンジしましたが、はずれもあって、それよりも「答え」を先に見る、見たい心の急
(せ)きように、いまの自分の魂のふらつきがある気がしております。
テロが起きて、すぐ「報復やむなしと言っていたのに、いまはアフガンの子らが可哀そう、戦争はいけない、ってなあに」と、だいぶ年下の妻に一喝されまし
た。妻は、はなから、暴力否定、戦争否定。ぐうの音もなし。反省しきり。乳飲み子としてかすかに体験した戦火の断片を、それも語り継がれただけのものを後
生大事にひきずってきたのは、何だったのか?
それにしても、やりきれないのは、侵攻作戦のシミュレーションを得意げに熱っぽく語る評論家の多いこと。実戦経験のない、痛みを知らない彼らの発言に、
とてつもなく怖さを憶える。
口先では何とでも言える。団体が出す声明もしかり。腹を据えて考え、何かをしなくてはならない。自戒を込めて。
* 仕方がないハズが無い 1.9.22
ひとつ、とても嬉しいメールがありましたので、お気持ち休めに読んでいた
だきたく、お送りいたします。
いつも貴重な情報をありがとうございます。みなさんの熱い思いが伝わり、とても勇
気づけられます。
今日、友人が戦争反対のビラをまくと言っていたのでついていきました。四
条通の京都外国語大学のあたりでジョンレノン「イマジン」をバックミュー
ジックに、ハンドマイクで「暴力では解決できない。このままでは日本もまきこまれてしまう。世界全面戦争をさけるためには平和憲法を守って、話し合いで解
決を」という内容で、2人でかわりばんこに話しました。「ビラには小泉首相とブッシュ大統領の住所・電話・ファックス番号がかいてあります。そこにあてて
自宅や職場から平和の発信を」と呼びかけると、ほとんどの通行人が話をきいてくれている様子でした。ビラも積極的に受け取ってくれ、車の中から「くださー
い」と要求してくださった人もいました。警備員が近づいてきたので「やばいのかな」と思いきや、なんと丁寧におじぎしてくださいました。
家に帰り夕刊を見ると艦隊がインド洋にむけて出発したとかかれていて、緊
張しました。こんなんではだめです。マスコミがひどいから、街角の人は「なんで戦争しんなんねん。えらいこっちゃ。でも仕方ないのかな」と思っている人が
多いという感触です。「仕方がない」はずがないということをわかってもらい、みんなの声なき声を集めましょう!
本人の了解を得ていないので名前はとりましたが、京都に住む若い女性です。友達と
たった二人で街頭にたつのが、たいしたものだと嬉しくなりました。 高橋茅香子
* 寒いですね。 1.9.22
季節の移ろい。長袖、お布団と、秋は毎年突如入り用となります。朝寝坊を
してしまいます。
今朝観たメール「アフガンの子ら」そのまま私の気持ちです。
昨日、国連大使黒柳徹子の生出演での映像を観ていました。アフガンには三
年雨が降らないと言っていました。あの荒涼とした土地も以前は緑豊かであったらしいです。やせ細り、眼だけが大きく飢餓の特徴を持つ乳児を見るにつけ、産
児制限のすべ、知識もなく子供を産まねばならない女の人、産まれた乳児、歳端のいかない子供たちの軍事訓練と、眼をそむけてはいけないのに、そむけたくな
ります。近くは湾岸戦争、ベトナム戦争そしてあの第二次大戦とエゴの巻き添えを食うのは、女、子供です。
このたび、テロ人種とアメリカとの「確執」の知識は苦々しく世界中に伝
わったことでしょう。根の処の解決がなければ、あくの強い人間のする事、エンドレスです。以前、南米の独裁者の二代に及ぶ復讐劇の映画を観た時、人の恐ろ
しさ、こだわりをひしひしと感じました。
* ピープルズプランの呼びかけ 1.9.22
9月11日、米国の経済・軍事中枢にたいして、何者かが、ハイジャックし
た旅客機を武器とする「道連れ自爆攻撃」を行い、大量の死と破壊をもたらした光景を目の当たりにし、私たちは強い衝撃を受けました。数千にのぼる罪のない
人びとが生命を奪われ、夥しい数の人びとが肉体と精神に深い傷を負いました。暴力のない世界を求める私たちは、実行者の目的が何であれ、この行為を許すこ
とはできません。私たちは、犠牲者とその遺族、縁者の方々に深い哀悼の意を表し、傷ついた方々の回復を心から願うものです。
だが私たちはいま、この事件への「報復」として米国が開始し
た対応にいっそう大きい衝撃を受け、深刻な危機感にとらわれています。
ブッシュ大統領とその政府は、この攻撃をアメリカ合州国への「戦争行為」
であると宣言し、報復のために「テロリスト」にたいして世界中を巻き込んだ「二一世紀最初の戦争」を発動すると決定したのです。今回の「アメリカへの攻
撃」の実行主体をオサマ・ビン・ラディンの率いる「イスラム過激派」と特定した上で、全世界にちらばった
「テロリスト・システム」を殲滅する本格的戦争を開始しつつあるのです。世界最大国家が、国家でない敵に宣戦を布告したのです。
ウオルフォウイッツ国防副長官は、テロリストとそれを庇護する国家にたい
して軍事作戦を行い、「テロ支援国家を終結」させる(〔終結〕はNHKの訳語)ことがこの戦争の目的であると説明しました。
大統領は「戦争は大規模かつ継続的なもの」になると言明し、フライシャー
報道官は、「あらゆる選択肢を排除しない」と発表しました。
アメ
リカの上下両院は、大統領に対して「必要なすべての武力行使の権限」を与える決議を採択し、400億ドルの戦費支出を決めました。
NATOは、同盟国が攻撃されたケースとして集団安保条項を適用し、この
戦争に参戦を決めました。
ブッシュ大統領は、このアメリカの戦争に同盟国ばかりでなく、「国際社
会」全体を巻き込もうと懸命に努力を続けています。
戦争をもってテロに報復する、というのは異常な対応です。一
般市民に対するこのような大量殺戮は、国際犯罪として、人道への罪を構成します。米国国内法とは別に、国連など国際社会が国際刑事法廷を設置して、その実
行者や共犯者を国際法に基づいて公正に訴追し、処罰すべきです。その手続きもなく、アメリカはすでに戦争状態に入りました。当面タリバン支配下のアフガニ
スタンへの軍事侵攻が差し迫っていますが、テロリスト壊滅という戦争目的からして戦場は特定されないのです。
私たちは次のような理由からこの戦争に力を込めて反対し、
ブッシュ政権がこの戦争計画を即時廃棄するよう要求します。
第一に、この戦争が問題の解決をもたらすどころか、世界を暴
力と憎しみの果てしない応酬の連鎖に引き入れることが確実だからです。なにより、国家の正規の軍事行動で、不定形のネットワークを根絶やしにすることなど
は、事柄の性質上、不可能なことです。テロを生み出す社会的土壌があるかぎり、一つの組織を壊滅させても次の組織が生まれるでしょう。そして9月11日の
事件そのものが、今日の「先進国」社会の傷つきやすさを、そしてそれをこの種の攻撃から完全に防衛することなど不可能であることを衝撃的に例示したので
す。米国の報復戦争は、テロと無差別な報復攻撃、そしてさらに規模を拡大したテロと報復攻撃という、いたずらに市民の犠牲のみを伴う出口の見えぬ泥沼の中
に世界を引き入れることが予見されます。それを防ぐためには世界社会の隅々まで、個人の自由とプライヴァシーを奪い民主主義を根底から破壊する完璧な監視
システムを導入するしかないでしょう。この方向への不吉な動きはいま急速に推進されています。
第二に、報復を叫ぶ米国政府と世論のなかに私たちは恐るべき
傲慢と憎悪の響きを聞き取るからです。「文明と野蛮」という植民地時代の露骨な図式が大手を振って復活しています。テロリストから「文明を守る」戦争(パ
ウエル国務長官)、「悪にたいする善の戦い」(ブッシュ大統領)が公言されています。アメリカからの報道はアラブ人への憎悪が掻き立てられている状況を伝
えています。ヨーロッパの世論もこの図式に当然のように同調しているかに見えます。文明をアメリカ・ヨーロッパと等値するこの傲慢さこそが、イスラム世界
を傷つけ、のけものにし、ついにその中から敵対者を作り出すにいたったことの自覚は、そこには一片もないのです。
「ショック、怒り、悲しみはいたるところに満ちている。だ
が、なぜ、人びとが、これほどの残虐行為を、自分の生命を犠牲にして行うところまで追い詰められたか、あるいは、なぜ米国が、アラブやイスラム諸国だけで
なく、途上国のいたるところで、これほどひどく憎まれているのか、という認識はかけらほども存在しない」(シューマン・ミルン『ガーディアン』9月13
日)。
まさにこの認識の欠如にこそ、テロという絶望的な反抗形態が
生み出される根源があります。米国がこれまで、ベトナム戦争や湾岸戦争で、南米やアジアの独裁政権援助で、スーダンや旧ユーゴ爆撃で、そして、何よりパレ
スチナを不法占領し続けるイスラエルを支援することで、直接、間接に今回の犠牲の何百倍、何千倍の数の非戦闘員の人命を奪ってきたことを世界の人びとは記
憶しています。そして、現在アメリカの権力的一極支配は、未曾有のものに達しています。米国は、途方もない貧富の格差や環境破壊を引き起こすグローバル化
を世界の圧倒的多数の人びとに強権的におしつける世界的な権力として振舞っています。とくにブッシュ政権は、「単独行動主義」(ユニラテラリズム)を公言
して、地球温暖化や核拡散や国際刑事裁判所や人種差別反対国際会議などさまざまな国際的取り決めを、「米国の国益」を振りかざして、つぎつぎと一方的に破
壊してきました。
このような米国に対して、世界中の民衆の中に怒りと批判が渦巻いています。米国自身が作り出したこのような世界状況こそが、今回の事件の歴史的な背景に
なっているのです。この意味で、今回のテロで犠牲になった人びとは、米国政府の世界的な権力支配の犠牲者であると私たちは考えます。
小泉首相はいち早く、「日本はアメリカの報復を全面的に支持する」と米国への無条件の忠誠を宣言して私たちを驚かせました。これを受けて、日本政府は、ア
メリカの「報復戦争」にどのように自衛隊を参加させるかを脱法行為から法改正を含めて汲々として探し求めています。
さらにこれを好機とみて、危機管理体制の強化、社会の軍事化を全面的に進
めようとしています。政府与党は、米軍基地を守るための自衛隊法改悪を決定し、有事体制や治安出動を公言しています。
国家主義的な勢力は、米国の報復戦争を、日米ガイドライン体制を発動し
て、米国の軍事行動に協力する好機到来と、戦争のできる国家への試運転を狙っています。
私たちは、米国の報復戦争開始の前夜にあたって、日本のなす
べきことはまったく逆の方向にあると考えます。国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使を国際紛争を解決する手段
として永久に放
棄した日本ならば、日本政府がなすべきことは、アメリカに武力行使を思いとどまらせ、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して問題解決の方策をさぐるよ
う堂々と、自信をもって、説得することでなければならないはずです。そして、今回の事態は、そのような方向のみが悲劇の再発を防ぐ道を切り開くことができ
ることを強く示唆しているのです。
私たちは、日本政府に、日本国憲法の平和主義にしたがって、
報復世界戦争というブッシュの計画への支持を取り消し、参加・協力を拒み、ブッシュ政権に、報復戦争を思いとどまるよう申し入れるよう要求します。
私たちは、日本政府が、この戦争に便乗して、「戦争のできる
一人前の国家」として伸し上ろうなどという企てをはっきり棄てることを要求します。すなわち有事法制、米軍基地の防衛のための自衛隊法改定、ガイドライン
関連法規の脱法的適用などを行わないよう要求します。
私たちは、日本政府が、全世界で社会的緊張と軋轢を耐えがた
いところまで高めているグローバル化政策を根本から再検討し、WTOその他グローバル化推進のための国際機関で地球的規模の社会的緊張、底辺の人びとの排
除、自然の破壊などを和らげるための方向転換を提案するよう要求します。
民衆の安全が問題なら、この方向に歩むことが、アメリカの市
民たち、日本列島に住む人びとも含めて、世界の民衆の安全を高める唯一の道なのです。
いまこそ暴力と憎悪の悪循環を断ち切らなければなりません。
9月11日の悲劇が、そのための出発点になるのか、それとも悪循環の全世界的な拡大の引き金になるのか、それは、アメリカ合州国の目覚めた人びとも含め
て、この戦争の勃発と拡大を阻止する国境を越えたしっかりした結びつきを作り出し、それを力に変えていけるかどうかにかかっています。
私たちは、悲しみに打ちのめされたニューヨークを始め米国の
人びとの間から、
「復讐でなく平和を!」という声が次第に湧き上がっている知らせに励まされています。マンハッタンの惨禍を味わった多くの人びとは、衝撃と悲しみの中か
ら、戦争とは何か、爆撃とは何か、を身に引き付けて感じ取るなかで、圧倒的軍事力で復讐し、アメリカの怖さを見せつけるという姿勢が、悲しみをつぐなうに
そぐわないと感じ始めたようです。米国の平和運動や知識人の間から「報復戦争」に反対する声は次第に高まりつつあります。この声は世界のいたるところで高
まりつつあります。
私たちもこの声に加わり、報復戦争を止めさせ、テロを生まな
い世界をつくるため、ともに行動しましょう。
* 危ない雰囲気 1.9.22
秦さんこんばんは!急に肌寒くなってきましたね。お元気にお過ごしでしょ
うか。
湖の本、届きました。ありがとうございます!
しかし何とも、危ない雰囲気になってきました。
我が家でも、テロ当日、父親がワシントンのホワイトハウス近くに出張して
おり、やはり直後は連絡の取りようもなく、随分と心配しました。幸い先日、ようやく予約の取れた飛行機で帰ってきましたが。
今晩(21日)のニュースステーションに、内閣官房副長官の安倍晋三氏が
出ていました。アメリカとの信頼関係の下で、事実関係を確認する努力さえせず、法改正までして支援するという。しかも、犯罪者の証拠の提示をもとめて検討
すべきではとの意見に対して、G8声明や国連安保理決議に名を連ね、他の国は武力支援さえもしようとしている中で、もはやそのような議論はナンセンスとい
わんばかりの、既成事実を盾にして言論を封じるかのような姿勢です。しかも、武力支援さえするという「他の国」も、アメリカに対して何らの証拠の提示も求
めていないとか。
一種の集団ヒステリーともいえそうな、一気に坂を転がり落ちてゆくかのよ
うな展開に、本能的にも理性的にも、非常に危険なものを感じてしまいます。
もちろん、あのようなテロ行為は許されるものではありませんし、加担した
ものは断固として裁かれるべきと思います。
しかし、ブッシュ大統領の振りかざす「限りなき正義」とやらには、どうし
ようもなく胡散臭さを感じてしまいますし、小泉首相の、アメリカ無条件支援の積極的姿勢にも、深い理念を感じるかわりに、国際社会でのプレゼンス向上のよ
うな意図が見え隠れします。
それに、集結しつつあるらしい途方もない戦力は、一体どこへ向けられるの
でしょう。当の「容疑者」が、のうのうとアフガニスタンに居るとは、私などからみても考えにくい中で。アフガニスタンをスケープゴートにしてしまうので
しょうか。多くの平和と幸せを望む人たちを巻き添えにして。
もしそんなことを、日本が「支援」するのであれば、それは絶対に許される
べきではないでしょう。
テロ撲滅の金科玉条に目くらましされて、それに向けての多少の犠牲はやむ
を得ないなどどなってしまっては、伝え聞く戦争中の社会状況に、ひどく類似しているのではと心配されます。
こんな中で、何が、出来るのでしょうね。
事態の根本的解決には、つまりテロの根絶には、そもそもアメリカを中心と
した市場主義経済の生み出す勝者と敗者、世界的に拡大する一方の貧富の格差、互いの文化に対する無理解などなど、いろんな歪みを無くすことが不可欠です。
現実からは遠すぎて、めまいがしてきそうですけれど。でも、そうしたこと
を目指す「闘い」(無論武力公使の意ではありません。)であれば、長い時間がかかっても、どんなにか実り多いものになるでしょうに。多くの頭脳とお金と熱
意を、武器や戦術や作戦などではなく、そうした方向へ向けさせることは出来ないものなのでしょうか。
まずは、歪みなく現実と本質を見極めようと努めることだけは、と考えてい
ます。それだけではダメなのだ、とも思うのですが。
まだまだ、「(枯野から)帰って」来て下さいね!
そういった姿勢にこそ、何より心励まされます。
それではまた。お元気でお過ごし下さい。
* 青春短歌大学 1.9.21
湖の本エッセイ23
『詩歌の体験 青春短歌大学』届きました。わくわくするほど楽しい本ですし、胸にじんとくるほど深い本ですね。ひとつひとつ味わっていきたいと思います。
* アフガンの子ら 1.9.21
映像で見て、泣いてしまった。空爆や地上作戦が始まれば、やられるのはこういう子どもたちで、かんじんの敵にはなかなか遭遇しないであろうと思うと、
唸ってしまう。ほとほとイヤになります。テロリストは撲滅したい。しかし巻き添えは無くしたい。そんなことの不可能であるのを思うにつけ、無力感に打ちの
めされます。幸いいろんな声をわたしは聴くことが出来、その声の多くが自分と同じであることに励まされたり慰められたりするが、問題はそれだけでは解決し
ない。構造改革の進まないことに小泉総理はいい口実をえたと、脱線に脱線を続けると思います。ブッシュも困りもの、小泉も輪をかけた困りものになってきま
した。
* ペンクラブの存在意義は 1.9.21
ありがとうございました。お手をわずらわせました。小中専務理事の「賛同した」という意味がよくわかりませんが、私のもとへも20ほどの団体の声明文など
が届いています。私は「戦争と女性への暴力」に反対するネットワークのメーリングリストにはいっているため、自ずからいろいろなメールが流れてくるようで
す。いまは10月16日頃にブッシュ大統領が来日(20日から上海で開かれるAPECに出席する途中)するのを機に、さらに声が高まりつつあります。
今朝のブッシュの議会演説を聞いていて気分がわるくなりました。正義と善をふりかざす顔は見たくないものですね。
でも受け止めていただいて、ありがとうございました。ペンクラブが知性あふれる鋭い声明文を出してくれたら本当に嬉しいと思いますが。運動団体などとは
ひと味違う、精神のこもった指針を読みたいと願いつつ。
* 日本ペンクラブ理事 秦 恒平様 1.9.20
アメリカの報復宣言と日本政府の対応について、日本ペンクラブもなんらかの意思表示をするでしょうか。どうか武器よりペンをとることを強硬に主張してほ
しいと思います。
このテロ活動をブッシュ大統領は「戦争」だと言いましたが、これは「犯罪」以外のなにものでもないと思います。旧ユーゴやルワンダの国際刑事法廷が国連
によって設置されたように、中立国に国際刑事法廷を設置してテロの実行者や共犯者を裁くべきであり、報復攻撃は国際法違反です。アフガニスタンはアメリカ
に対して宣戦布告していません。
戦争になれば、それはアメリカが引き起こした戦争になり、それに日本が加担すれば、日本政府も国際法に違反することになります。友好国であれば米国政府
に対して良識ある行動を採るよう求めるべきです。
「米国は善、正義、文明、民主主義と自由を代表しており、テロリストとそれをかくまう国家の悪、不正義、野蛮と闘って勝つ」というブッシュ大統領の宣言
は傲慢としか言えないと思います。
日本は米国の戦争に白紙委任で協力するのではなく、まさに、平和憲法を国際的に適用する独自の姿勢を示してこそ、「国際社会で名誉ある地位を占める」こ
とができるのではないでしょうか。
ペンを持つ手に武器を握ることは決してできません。日本の若い世代に暴力には暴力をもって返せ、とは決して伝えたくありません。 日本ペン
クラブ会員 高橋茅香子
* 老いの花 1.9.20
二本の酔芙蓉が今を盛りと花数多く、この曇り空、この時間でまだ純白のまま、酔えずに素面です。それも上品に、姿美しく、見飽きず、和ませてくれます。
昨日の名残のしぼみかけた花々が赤く色を添えています。はなやかな赤で終わる命がいいですね。人間もこうありたい。
ところが花に見とれていたせいですか、朝から年寄りっぽい「忘れ」をして、落ち込んでいます。具体的には余りにも単純な事で、恥ずかしくて言えません
が。年寄りだと自覚したくないですが、自覚させられました。ある一瞬、ある一刻が記憶の中から消えて真っ白になる自分が恐くなりました。
* 皆様 Dear Friends, 1.9.19
次のような要請が来ました。賛同いただけるかたは、ご協力ください。署名欄は最後にあります。 土井桂子
The following petition came via [Abolition-Japan] mailing list.
I'dappreciate your cooperation. Keiko Doi
生命のために団結?非暴力的制裁にYES!
2001年9月11日にニューヨークとワシントンで起こったテロ行為はひどいものです。
さらなる生命が奪われること、そして同じような悲劇が再び起こることを避けるために、私たちは関係する主要な指導者たちが非暴力的な制裁を選択すること
を要求します。
暴力は、暴力と恐怖をさらに増大させるだけです。恐怖はテロを引き起こします。私たちは、暴力を使って、現在世界を破壊している紛争を解決することはで
きません。アメリカが爆弾を使って報復したら、私たちはどのようにしてさらなるテロ行為が起こるのを避けることができるでしょうか、結束しましょう! 私
たちの運命をその手に握っている指導者たちが、これ以上罪のない命を危険にさらすことにならないような解決法を見つけるように圧力をかけましょう。
人間、そして私たち一人ひとりの中にある人間性は、この平和的な行動を通して地球的な結束を呼びかけます。私たちはそれを私たち自身のために、私たちの
家族のために、そして未来の世代のためにしなければいけません。
この署名を広めましょう。国々が団結して非暴力的な解決法を選び、テロに打ち勝つために、行動しましょう。それは、私たち一人ひとりが生き残れるかどう
かの問題なのです。
* アフガニスタンを嘆く 1.9.19
米国が勝手に始めようとしている戦争の、前線基地となる沖縄米海兵隊基地では、「18日午後、倉庫から水陸両用戦車や軍用トレーラーなどが次々と出され
て整備され、長期遠征に備える兵士の姿が確認
」「キャンプ・ハンセン内の都市型戦闘訓練施設では、数十人の海兵隊員が建物の影に潜む敵との遭遇を想定し、実戦さながらの訓練を実施
」「米本国以外では唯一の第三海兵遠征軍司令部が置かれる具志川市のキャンプ・コートニーでは、長期遠征に備えた装備袋を携えた兵士の姿が多数見られた。
通常は許されている基地従業員らの基地内売店への出入りが禁じられるなど、基地内は緊迫感が漂っている。」
と、地元新聞は伝えています。緊急時に自衛隊が米軍施設を守る法案が出されるとも。
米軍が戦争を始め、日本は米軍施設の警備をする。じゃあ、基地の回りの日本人(沖縄県民)を守ってくれるのは誰?政府は、まず、米軍基地にテロ攻撃が発
生した場合、どのようにして自国民を守るかについてこそ協議を始めるべきなのに、首相は真っ先に米国に可能な限り協力すると言いました。この瞬間、沖縄県
民は、テロの標的になりました。しかし、首相は基地周辺の日本人のことなど全く考えていなかったでしょう。56年前に地上戦が行われた際、日本軍は沖縄県
民を全く守ってくれませんでした。今回もその状況は全く変わっていませんね。浮ついていないで、足下を見てほしいものです。
タリバンの本拠地、アフガニスタンのカンダハールから脱出中に、国連難民高等弁務官カンダハール事務所の千田悦子さんという方が書いた手記に、こんな指
摘が。
「何の捜査もしないうちから、一体何を根拠にこんなにも簡単に、パレスチナやオサマ・ビンラ゛ィンの名前を大々的に報道できるのだろうか。そしてこの軽
率な報道がアフガンの国内に生活をを営む大多数のアフガンの普通市民、人道援助に来ているNGO(非政治組織)NPOや国連職員の生命を脅かしていること
を全く考慮していない。」「それでも、逃げる場所があり、明日避難の見通しの立っている我々外国人は良い。ところがアフガンの人々は一体どこに逃げられる
というのだろうか?」「世界が喪に服している今、思いだしてほしい。世界貿易センターやハイジャック機、ペンタゴンの中で亡くなった人々の家族が心から死
を悼み無念の想いをやり場の無い怒りと共に抱いているように、アフガニスタンにも、たくさんの一般市民が今回の事件に心を砕きながら住んでいる。アフガン
の人々にも嘆き悲しむ家族の人々がいる。」「不運続きのアフガンの人々のことを考えると、心が本当に痛む。どうかこれ以上災難が続かないように、今はただ
祈っている。そしてこうして募る不満をただ紙にぶつけている。」
結局被害を被るのは、人の死に心を痛めている、どこにも逃げられない市民です。これは戦争を仕掛ける側も、仕掛けられる側も、同じです。これから起こる
であろう空爆で、メディアは麗々としたミサイルの軌跡を映し続けることでしょうが、その向こうで確実に人が死んでいることを忘れないつもりです。
なんともやりきれない気分。長々と書いてしまいました。午後は、近左さんの襲名展を覗き、美しい蒔絵で心を洗ってくることにします。
次台風が来ています。お大事に。
* 電子メディアこそ危ない 1.9.18
言論・表現・人権をこのように話題にする際、従来の活字型表現からだけでなく、それ以上に差し迫った危険性も帯びているインフラとして、イン
ターネットにおけるデジタルな表現にも、身を寄せた注意と問題意識を持ってもらいたい。
二十一世紀は、サイバーテロによる破壊戦争、及び、サイバーポリスによる、個人情報占拠・収奪の時代へ傾いています。もはや漢字が足りないとか、風俗が
乱れるとか以上に、大がかりに、国家間的な情報収奪、自国ないし自国の警察権力による、セキュリティーの侵犯傾向が、途方もなく強化されて行きます。
すでに、米国の軍事的な必要に発した、地球規模もの根こそぎ大盗聴機構である「エシュロン」の情報収集が、日本の、三沢基地ですら、非公式の秘密裏に、
大々的に進められている事実は、誰にも否定できない。加えて、此の国の警察は、あの盗聴法に基づくデジタル通信情報の傍受と集積を、警察行為として実施す
る姿勢と方法とを、もう、具体的にウムを言わさず、準備していると報じられています。
実施された際の個人生活や企業活動、また思想的信条や調査活動に及ぼす制約、ないし抑圧・弾圧の危険は、計り知れない。
今、ある人の書いた文章の中に適切に引用されています、元自治大臣・国家公安委員長の白川勝彦氏の発言に、傾聴すべきものがあると思うのです。少なくと
もこの白川発言を、この場で、心新たに聴いておきたいと私は思います。白川氏はこう言っている。
「この法案の本当の狙いは、国中のコンピュータを管理下におくこと、なんです。パソコンを持つ人は、みんな個人情報取扱事業者になるから、『あなたのパソ
コンから、個人情報が漏れているかも』と嫌疑をかけるだけで、警察はそのパソコンを持っていくことができる。 役人たちは、自分たちと無関係なところで、
インターネットが急膨張していくのが、怖いんです。彼らは、自分たちの手の届かないものごとが存在するのが、一番嫌いな人種です。そういう彼らが、なんと
かインターネットを自分たちの手で管理し、取り締まる方法はないかと考え出したのが、この法律なんです」と。
私は、日本ペンクラブの言論表現委員会で、この法律への反対姿勢を打ち出したその瞬間から、これは、個人情報「保護」どころか、コワモテの個人情報「支
配・収奪」法に化けて行く陰険な布石であると、何度か発言してきました。ある人の適切な指摘にありますように、「インターネット空間には、無数の個人情報
が飛び交い、瞬時に検索され、蓄積される。この法案が通れば、政府は、それを一元的に管理し、支配できることになる。政府に批判的な民間団体や個人も、容
易に取り締まることができる」と、まさしく、これが、ここが、大きな問題点であり、闘いを挑むなら、ここだというのが、日々に更新して、18MBというほ
ど巨大なインターネットの文字サイトを展開しつづけている私の、ずうっとずうっと考え続けてきた要点です。
シンポジウム「今、表現が危ない」で、フロアから。秦
* 世界の不安 1.9.18
話はかわりますが、アメリカの行方がますます不安になってきました。戦争に対するエネルギーがマグマのようにたまっていて、今や爆発しそうな予感。
大戦はささいなことから始まった歴史があります。長期戦がいかに地球を破壊していくか、経済も 文化も 人の心も ぼろぼろにして、いくつかの映画に
あったように、放射能に汚染されて廃墟と化した地球にならない保証がどこにありましょう。
アメリカは戦争といえば自国外で行われるという錯覚を持っているのではないでしょうか。
報復という言葉はきらいです。怨念 をもって仕返しをする という感じがして。
株価が下がり、本当のパニックはこれから始まります。アメリカがくしゃみをしても風邪をひいた日本。食料の大部分を頼り、すでにいちごがないとか。タマ
ネギも 大豆も ピーマンも・・・・みなアメリカから来ています。
共に死ぬのは嫌です。大恐慌が起きる予感がします。
今 何をしたらよいのか、きたるべき大パニックに向けて何を準備したらよいのか、大変なことが起きている恐ろしさを感じるのですが・・・
仕事は順調です。今の所。少し自分のお金も蓄えさせてもらおうと思っています。今のうちに。それでしばらく食べられる 生活できる 蓄えをしておきま
しょうか・・・・と。
おいしいワインでも飲みたいですね。
少し悲観的だったかもしれません このメール。
* こほろぎ 1.9.17
かかわりの深いハワイ現地法人旅行社が扱うツーリストの、帰国便の始末がやっと済んだ。11日の事件から1週間。先の予約キャンセルの痛手は相当に大き
いし、見通しも暗い。
昨夜は夜中の3時に目が覚め、何とはなしにFENを聴いた。ふだん、夜更けは音楽番組がほとんどだが、いまは語気の強いニュース、レポートと解説が、延
々と続く。何故かふだんより格別に聴き取りができている分、やや重たくなって、日本の民放DJに切り替えると、平和ボケの他愛無い話ばかりだった。
ラジオを切って耳を済ますと、こほろぎが一心に鳴いていた。日曜の夜、奥多摩の温泉からの帰りしな、電車に一匹のこほろぎが無賃乗車していて、戻りは大
丈夫なのかと見ていたら、向かいの乗客の登山靴で片脚を踏まれ、足をひきずっていた。もう鳴きはしないだろう。
一心に啼くこほろぎと一つ風呂 真下喜太郎
胸がしめつけられたが、仕方ない。秦さんが紹介した虚子の「遠山に日の當りたる枯野かな」も哀しいけど、彼岸がある。
もの置けばそこに生まれぬ秋の陰(かげ) 虚子
予言のような惹起の陰影がただよう。
帰宅後、米国の知人から回ってきた、朝10時にみんなして行う平和祈念のメッセージの代わりに、マタイ福音書の祈りの節句を心して三度繰り返した。今宵
はテレビも見ない、ラジオも聴かない。おねむになったら、お休み、グンナイ、グンナイ。
* アラブやイスラム
1.9.17
アラブやイスラムについて「論じる」ことは、到底出来ません。イスラムの宗教が何かも、私たちには、単に知識としてさえ何も分かっていないに等しい。無
知は罪悪といわれても、それさえ責められようがない状況です。
イスラムは解らないと私が決定的に感じたのは、イスラムの寺院に訪れた時でした。偶像を許さない、ある意味では潔い、潔ぎよすぎる神への垂直的な志向
だったと思います。それは垂直的志向いうより、隔絶された遥かな高さからの絶望的な拒否でもありました。少なくとも私にとっては。
それは十分に予測出来たことでした。神の家・・教会、寺院はその宗教の象徴でもありますから、そこに足を踏み入れた時に感じられるものは、直感的なが
ら、直感だからこそ、確信に近いものでした。良い悪いではなく、ただ平均的な一日本人、私の感想に過ぎないですが。
あらゆるものに仏性、霊が宿ると、曖昧ながら私たちは自分の根を浸しています。私たち日本人は「唯一の神」を求めない民、それどころか、厳密な意味で
は、ほぼ「無神論」の民。逆に、そこに柔軟性を獲得したと、おそらく「錯覚して」もいます。
イスラムにもさまざまな宗派があり、イスラムの国といっても、その社会の在りようは異なりますが、現在問題になっているイスラム原理派の目指すものは、
明らかに反動的だと思います。・・に帰れ、・・に戻れ、と常に現れる動きは、その動機の純粋さは見過ごせないにもかかわらず、反動の種を内部深く抱え込ん
でいます。イスラム原理派の説く社会の中で、女である私は生きたくありません。教育や仕事から遠ざけられることは、閉ざされた屈従の生を意味します。閉じ
込められ窒息して死にます。自由、リヴァテイもフリーダムも全て含めての「自由」を、出来る限り「広範な自由」が欲しいです。
もちろん責任も伴います。許容性のない世界は、前進できません。
今回の同時多発テロ以後、多くが語られ、論じられてきました。更に私が付け加えることなど、あるでしょうか?
今も次々と新たなことが報道されています。
追われたユダヤの民へ、イギリス帝国主義から「贈られた国家」イスラエル、そして「父祖の土地」を追われたパレスチナ・・・中東の憎しみの連鎖を破るこ
と、それが不可能に近いのを痛感します。
収奪され続けてきたさまざまな国の「文明国家」への憎悪、南北問題の深刻さ、「文明国家」内部の矛盾・・・こう書き連ねながら、今回の事態を暗澹たる気
持ちで受け止めます。
テロ、野蛮な行為、いやこれは戦争だ、これに対しては戦う以外有り得ないのだという動き。国家とは、その領土、資源、人、財産を「守る」のが最大の任務
だということも十分に知りながら、アメリカの人たちの多くが、今、ブッシュ政権を支持し、数年にわたる戦争を支持していることに、危惧を感じます。彼らが
支持することの「必然」は半分は理解しながらも。
テロを決して認めたくない。そして戦争も。憎しみの連鎖はさらにその連鎖を増殖していくだけです。悲しみの連鎖も忠実に影を添わせていくのです・・。
私自身は高校生の時、アフガニスタンの人との交流から、アフガニスタンに特別な親近感を持ってきました。ハッダやバーミアンに行きたいと思い続けて、未
だ果たされない夢は夢のまま・・バーミアンの仏さまとはもう会えなくなってしまいました。カブール博物館の多くの仏像も既に破壊されたり、闇のルートから
売られてしまったと聞いています。ソ連軍撤退のあと、平和な国家建設が、ああやっとスタートするのだと感じた、あれも一瞬の夢でした。
暗殺されたマスードを撮り続けてきた日本の写真家長倉弘海氏は今、何を感じておられるでしょうか。アフガニスタンの人と結婚してカブールに暮らした遙子
さん、個人的には全く面識こそありませんが、お会いしたい方の一人です。シリアやヨルダンの地方で、鉛筆やボールペンを欲しいと近寄ってきた少年少女のひ
たすらな眼差し、都会で靴磨きさせてとやってくる少年たち、土産物を売る子供たちを思い起こしながら、怠惰な「お気楽主婦・・片業主婦」はいったい何を語
ればいいのでしょうか?
アメリカの知人は、「ブッシュは狂ってる!」と言っていますが、彼は、自分がアメリカ社会の中で少数者であることを痛いほど分かっています。先の大統領
選挙の微妙な「天の定め」から、いったいアメリカは、世界は、何処に向かうのでしょうか。
先の湾岸戦争直前、アメリカでは多くのホームレスの人を見掛けました。あの後、九十年代、IT産業に支えられて好況
を享受したアメリカがこれから直面する危機は、どのような道を辿るのでしょうか。
アメリカの人たちの多様さ、柔軟さ。唯一の「世界の警察国家」である側面を非常に嫌悪しながら、同時に人々への親しみを込めて、私はあの不思議な国アメ
リカを見続けたいと思っています。無力感の方が大きいですが、せめて目だけはしっかり見開いてものを見なければ!
これは「論」ではありません。きわめて個人的な、とりあえずの、感想です。
* 軍隊でどうなる 1.9.17
日曜の「生活と意見」、この事件を契機に、日本が軍隊を持つべきだなんて言う人がいるんですか。まだ、パニックの渦中なんだと思います。
最近、NHK教育で、再放送ですが、ロシアの、徴兵にゆれる若者たちのドキュメンタリーをやっていました。多くの青年が、徴兵され、チェチェンに送ら
れ、文字通り無駄死にします。徴兵を拒んだ青年は、周囲から、「お前は国を守ろうとしないのか?」と糾弾されます。この言葉は、非常に恐ろしい。そして、
徴兵を拒んだ青年の、「敵は誰?」という疑問は圧殺されます。
仮にラディン一味が今回の主犯だとして、彼らが殺されたとして、そしたら、もう二度と今回のような事件が起きないと思うのでしょうか?
「敵はラディン」で片づけられるのか。
今回のような、数年がかりで自爆しようとする人々のテロは、先生もおっしゃってるように、軍隊でどうこうする筋合いの話ではないと思います。
アフガニスタンの人々が、ソ連、タリバーンに続き、アメリカにも攻撃されることになるのは、あまりにも哀しすぎます。
* テロルと報復 1.9.17
数日前、ニューヨークの事件をお話しになったあと、「こういう時、とびきり美しいものに触れたくなる」とおっしゃって、「初咲きの櫻をみた醍醐の三宝
院」をはじめ、いくつもの佳きものをあげておいででした。
その、ひとつひとつをたどりながら、なぜかそれら佳きものがなつかしくおもわれてきました。わたくしも訪うたことのあるところがあったからではありませ
ん。それらが、はや、失われたもののように感じられたからです。なみだぐんでしまいました。
第三次(「だいさんじ」と打ちましたら「大惨事」と出ました)世界大戦ははじまろうとしているのでしょうか。現在は、すでに、地球の滅ぶ前夜なのでしょ
うか。
テロルは絶対によくない。わるい。ゆるされることではない。そう、わたくしもおもいます。
けれど、テロルでない殺戮はよいのか、「正義」という名のもとに、おそらく地球上最大の富と武力をもつ国が、ベトナムで、中近東でおこなってきた度重な
る大量殺戮は悪ではないのか、とも、おもいます。
たまたま見ましたテレビで、どなたか、「これだけ追いつめられた人たちがいるのだということを改めておもった」というようなことをおっしゃっていまし
た。力づくでねじ伏せられ、肉親や大切なひとたちを殺され、生活もたちゆかぬまでに蹂躙され尽くしたひとたちの怨嗟をおもいました。自分の命すら惜しくな
いというところまで尖鋭化していった「追いつめられた人々」をおもいました。窮鼠猫を噛む挙に出ざるを得なかった心情をおもいました。
繰り返しになりますが、テロルは悪、絶対にゆるされることではありません。
けれど、為政者たちが、何のためらいもなく、そして威丈高に「報復」ということばを口にするのを聞いていて、さむくなりました。彼らからは、知性や理
性、叡智といったものが、かけらほども感じられません。まるで、中世の血に飢えた暴君のお化けがあらわれたよう――。そして、どこかで、死の商人がにんま
り笑っている――。
こんなことをかんがえていますと、小侍従の世界にもなかなか入ってゆけません。彼女も戦乱を体験しています。けれど、彼女はそれらをついに和歌として詠
まなかった。頼政の敗死も、忠度の討死も。
* 日本の道 1.9.16
>私は彼(アメリカの友人)にいいました。 今回のこと(同時多発テロ)で、日本国もしっかりとした軍隊をもたなければいけないのではないか
と・・・、主婦の私ですら痛切に思いました。>
この考え方に、直ちには、わたしは、従いません。
しかも現実に日本は、世界でも有数の軍隊を非合法に保有しています。非合法であるというところに、じつは救われているのです。
ブッシュは力んでいますが、見えない相手に挑む「戦争」はなかなか成功しないで、不幸な犠牲者だけが増えるでしょう。軍隊でなく、世界の「警察力」を
ネットで駆使して、地道にテロリストを追いつめる方法を、地球規模で緻密に拡大すべきなのです。軍隊による軍事行動は、果てしない百年二百年それ以上の世
界戦争へわれわれの暮らしを投げ込むことになる。「痛切」の方角が、ちがうように私には想われる。
「軍隊」に守られて描く「繪」書く「文学」を、わたしたちは望んでいるのですか、それは自己矛盾です。ピカソは、その思いを「ゲルニカ」で示しました。
とは言え、対岸の火事ではなく、日本にも「有事」は予想できます。だから、暗黙に非合法軍隊の存置を容認しているのですが、事態を冷静に見ながら、国
は、国民は、平和的に聡明にいつもこのことを考えていなければ。平和ボケに浮かれていないで。
国と国との友情には、根本では多くは頼れないだろうと思っています。 秦
* 日米 1.9.15
聴いてください。この度(訪米訪問を)予定しているラスベガスの友人から、今回のテロに対するアメリカの「報復」に関して、日本の協力が何も得られない
のはどういうことか。いつの時もそうだ・・・と、すごい剣幕で怒って来ています。日本国は憲法が許していない以上武力の提供こそ出来ないけれど、これまで
も、相当な資金援助をしてきたし、今回も出来るだけのことはすると小泉総理は言っていますと申しても、だめです。他の国は武力をだすのに・・・と。アメリ
カの人は日本のことをこんな風に思っているのかと・・驚きました。
* 日暮れの山 1.9.15
秋の長雨といいますが、残暑と雨が続きます。どうかお健やかに。
先日、夕方過ぎて、ずいぶん蒸し暑くなったかと思うと、夜半バラバラと大きな雨音がし、たっぷり降りました。地震のおまけつきで、睡眠不足。
翌日も、一時でしたが白いカーテンを天から一気に下ろしたような雨が降り、午後になってようやく止み間になりました。何気なく窓の外を見ますと、いつも
と違う遠い山なみに霧が這っています。ひといろと見えていた景色は、いくつもの山が交互に重なってできたシルエットでした。日没を迎える時刻。まさか夕霧
ともいわないでしょう、けれど。
* マイカルの倒産。 1.9.15
何年か前、横浜本牧に時代の先端を行くようなマイカルタウンが出来た時、前身があのニチイとは、夢にも思いませんでした。
京の三条通古川町入り口のあたり、誰だったか忘れましたが、東映の剣豪俳優のお屋敷か別宅跡に、衣料スーパーニチイが出来て、母などは四条まで出る程で
もない買い物に重宝していました。古川町へ食料の買い出しの行き帰りに気軽に入れて、気軽に買えるお値段のお店だったのです。
ごめんやすと、ガラス戸を開けて、一対一で応対されない気安さが、非常気に入ったらしいのです。お布団やシーツががこんなに安いと沢山買い込んだりして
いていましたね。懐かしく思い出しながらも複雑な気持ちです。
この倒産が、バブル景気のツケであるのはたしかで、やはり日本経済の行く先がどうなるのか、好転するのか、停滞するのか、もっと落ち込むのか目先さえも
見えず不安です。専門家の先生方でも、予測が当たらないらしいから。
* トゥ マッチな繁栄 1.9.14
アメリカは何やら報復という名のもとに、世界中を巻き込む正義のための第三次世界大戦も辞さないような気がしますね。恐ろしいことです。
救出活動に軍隊が出動するわけでもなく、本当に全力を挙げているのかしらと、生き埋めになっている多くの人のことを思うと、はがゆい、つらい思いです。
原因究明や報復より、まず命の救出かと思うのですが・・・。
混乱を防ぐためでしょう、アメリカは楽観的な表明をしていますが繁栄のシンボル 世界の経済の心臓部の破壊が、大恐慌の予兆でないことを祈っています。
実際に受けた損害とその保険金は天文学的な数字でしょうし、何日間も金融がまひ状態にあることが、はかり知れぬ影響を与えること必至なのではないでしょう
か。
日本は軍隊派遣に関してはアメリカの作った憲法のおかげでノーと言えるのでしょうが、大戦になれば沖縄を含めいろいろな意味で巻き込まれぬ筈はありませ
ん。不気味な相手を最低限の犠牲で攻撃できればまだよいのですが、テロの影はアメリカ全土に、いやアメリカを支援するすべての国に襲ってくるのでは等と、
言い知れぬ不安を感じています。
トゥ マッチだったのです。アメリカの繁栄は。
不安 恐れは・・・でも突き詰めてみれば、平和な日々にもあり、戦火の中にもあり、世界の情勢がいかなる状況であっても所詮 私の気持ちの中にしかない
ものかもしれないなどと思ったり・・・。こんな日はバグワンが心を鎮めてくれそうです。いま どうしていらっしゃいますか?
* 心配 1.9.14
今週、トルコから帰ってきました。
帰ってから2日後に、イスタンブールで観光してきたその場所でテロがありました。死者も出ており、危ないところでした。各地でテロが続き物騒な世の中で
す。
小泉首相は威勢のいい事を言っていますが、どうなることかと心配しています。
* 水泳 1.9.14
秋雨前線に、今朝、初めてブルッと冷気を感じました。
シニアクラスは六十歳以上なので、最高齢は何歳の方なんでしょうか。二ヶ月の夏休みが終わり、その間一度もプールへも海へも行かなかった程度の私のこ
と、面倒で、面倒で、中止か続行か迷った末、マアもう少しヤッテミッカと気を取り直し、電車に乗って水泳教室に行きました。顔見知りの人達は、揃って元気
に顔を見せていました。お互い再会のご挨拶はオーバーに、
「あなたも、無事に生きてたのネ」
その間ワンポイントレッスンに通い、自称「腕を上げた」人もいました。差がつくヨ。全くの初歩から初めて、一年半、今は、型はともあれ二十五米をクロー
ルで泳げるランクのコースにいます。何年も通ってそのコースの古顔らしい、高齢のご婦人の姿を見かけないのが、ふと気になりました。七十まぢかの手習い、
さて、私はいつまで続くやら。
* 湖北の旅 1.9.13
湖北に行ってまいりました。
HPを必ず読む毎日、とても身近に感じて嬉しいのですが、どうぞお身体おいといくださいませ。そして夜更かしも余りなさいません様に。時にドキドキした
り案じたりしております。
この三日に、先生もご存じのお友達と電話でお話ししていますうちに、二人で、近江に行きたくなりまして、急に、八日九日と、たとえ一泊でもと、行くこと
に決めました。
『みごもりの湖』で知りました湖北菅浦の、隠れ里。今も裸足になって参拝するという須賀神社へ。その奥には淳仁天皇を祭るという船形古墳があるともいい
ます。不便な所ですし、選んで、そこにだけ行くことにいたしました。
湖面にへばりつくような小さな集落には、今も四足門が東西にあって、古さが残り、「惣の掟」が現代になお残っているかのようでした。一回り歩いても直ぐ
に済んでしまうほどの小集落には、まるで時が止まったかのような静かなゆったりとしたものが流れて、お年寄りばかりが、縁台に座って楽しげにお話しをされ
ていました。ぷかりぷかりとタイヤかゴムたらいの一人乗り船を湖面に浮かばせ、のんびりと糸をたらす人も。そぞろ歩いていましても、やはり何となくよそ者
という感じは拭えません。
この夜は、二人して、神社隣の民宿泊まりでした。カランコロンと久々の下駄を履き、ひたひた打ち寄せる湖面のふちを歩いて、四足門外を十分ほどはなれた
お風呂までの道行です。仙人草の花も咲き乱れ、不便さは忘れてゆったりした時の流れに、身も心も解き放たれていました。
翌日は一日に四本というバスに乗って、木之本へ着きましたのが、午前十一時近く。お電話での連絡を入れておいて、菅山寺に入りました。道真公ゆかりのい
ろいろの中に、お顔だけの古い十一面観音様が痛々しく、村の方々に大事に守られていました。胸にしみました。湖北にはこうして信心深い人達に守られておわ
す観音様が多く、思いがけない出会いに恵まれます。
もう一箇所気になっていました、小谷寺へ参りました。ここでも上品なお年を召したご婦人が二人客を待っていてくださいました。お前立ちの仏様を動かされ
て、小さなお厨子を開いてくださると、十五から二十センチほどの、弥勒様、いいえこちらのお寺では如意輪観音様とのこと。渡来仏だそうで、ちょうど広隆寺
や中宮寺の半跏思惟像にも、そっくり。金銅製のそれは素晴らしく美しいお姿で、もう何も言えず、ただただ手を合わせて暫くは離れがたく心奪われておりまし
た。ここには、他にも、あの茶々が父浅井長政を模して納めたと伝えます優しいお顔の小さな木像や、お市の方の念持佛という小さい愛染明王像が安置されてい
て、とても佳いお寺さんでした。
タクシーをここで返してしまっていまして、仕方なく河毛駅まで二十分というのを頼りに、途中道を間違えたりして四十分も歩いてしまいました。所々に気温
は32℃とかいう表示も目に付き、すこし恨めしく、風もない草むす道を黙々と歩いたのでした。
近江でのひととき、いまは、別世界の中の事のように思い出されます。帰りまして翌日から大きな台風、そしてあのニューヨークのテロ騒ぎがつづいて、近江
湖北の旅が遠い夢に漂っている様です。
長くなりました。どうぞお大事にお過ごし下さいませ。
* 湖 1.9.13
本日、お願いしておりました湖の本九冊を頂戴いたしました。お忙しいなか、一冊ずつにご署名までいただきましてほんとうにありがとうございました。友人
にプレゼントする本が惜しくなりそうです。
また、私語の刻でお励ましの短歌をいただきましたこと、大変心慰められました。アメリカのテロで突然父親との別れを強いられた多くの方々のことを思いま
しても、しずかに病床の父を看取ることのできましたことは大変幸せなことであったと思います。
これからしばらくは先生のご本に埋没して、美しい時間を過ごしたいと思っております。
* 野分 1.9.13
午後になって、雨が横にしぶき、篁が身を揉むように揺れに揺れているのを見ているうちに、かきたてられてしまって、外に出ました。膝丈のジーンズにス
ニーカー、骨が十六本ある頑丈な男物の傘という身拵えです。
近くに公園通りといって、いくつかの公園をむすぶ遊歩道があります。公園はわりと木深く、遊歩道も森のなかのような雰囲気のする小径です。
そこを、傘を風にもってゆかれぬように握りしめ、びしょぬれになってあるきました。風に揉みしだかれ、枝や葉をもぎとられている樹々のにほひ、ざわめ
き。うらみ葛の葉が蒼ざめた白をひらめかせ、落ち散らばっている枝が道を走ってゆき、草むらは白いひかりを放って風に乱され――。
桜が一本、根もとが折れたというか、根こぎにされたというか。生木のにほひを著く放っていましたから、倒れてからいくらもしていなかったでしょう。根も
とはごつごつしていましたけれど、太幹はつやつやとしていて、おもわず撫でてしまいました。あはれでした。
もう一本、松。三メートルかそこらのところから折れていました。折れ口がささくれだっていて、いかにも強い力にねじ伏せられたといった感じでした。
人っ子一人通らない嵐の道をあるきながら、今、心臓発作か何かで、ここでふいに、命終るのもわるくないとおもいました。はげしい雨風に洗われて、なまぐ
ささも失せましょう。あるじの手を離れた傘は、樹々にぶっつかったりしながら、森の奥へ、虚空へ飛び去る……。
ところどころ、樹々のいたわりのないところに来ますと、立っていられないくらい。よろめいたり、傘もろとも風にさらわれそうになったりしました。
小一時間、嵐の森をあるいて、ぐっしょり濡れとおりましたが、ふしぎな心地よさにひたされました。
帰ってきて、紅茶を飲みながら、湖のお部屋をお訪ねしました。「野分」というおことばに、あ、「野分」だったと気づきました。
野分のあとの夕日。藍色濃い富士山がながめられました。
罹災した方をおもえば、こんなのんきなこと、申すべきではないとおもいましたが、樹々とともに嵐に巻かれ、濡れとおった感覚、昂りのおもむくまま、お話
し申しあげてしまいました。
* 沖縄の戦争状態 1.9.12
東京を過ぎた台風が、北にも訪れ、あとには深い秋を残していきました。
心身とも消耗戦のような毎日。案じております。ご無理をなさいません様。
南の友人から届いたメールには、「(沖縄の米軍拠点)嘉手納基地では、五段階ある警戒態勢のうち、湾岸戦争中にもなかった最高レベルの警備態勢「デルタ
(D)」になっている」とありました。戦争状態です。「基地従業員といえども、日本人は嘉手納基地に入れない」とのこと。「有事」の際に沖縄県民は基地外
に置き去りにされるということが、はっきりした瞬間でした。
先の台風に追われ、瀬戸内を旅しました。いつか文章をお送りいたします。どうかお元気で。
* えーッ! 1.912
秦先生、こんばんは。
>で、疲れます。お大事に。わたしのホームページは、当分はこのままにしてお
>き、むしろ、どこかでそっと幕をひくことも、すこし頭にあります。 秦
そうですか。
ぼくは先生のHP…正確には、「生活と意見」をよく見ます。「見る」のはほぼ毎日。「読む」のは二日に一度くらい。
読んで、そのまま頭の中で話をします。
いまの生活の中で、例えば、丸谷才一の『笹まくら』を読んだ、ということは誰にも言えません。例の教科書について、意見を持っても、口にすることはあり
ません。意見があるなんて誰にも言えません。ジャンルは違いますが、泉鏡花の名も口にすることはまずありません。
何度思い返しても、誰かに「口を閉ざせ」と言われたわけでもないのに。
でも、これは単に口を閉ざしているだけなんだと思っています。
それでも、先生のHPを読んでいるときだけは、自分が気になっていることについて、会話ができます。
幕をひかれたら残念です。
* 父のこと 1.9.11
この夏、とくに六月と七月は大変な暑さが続きました。その息苦しいような熱と光のなかで、七月の終わりに私の父の命も燃え尽きてしまいました。昨年暮れ
に入院して以来七ヶ月あまりの闘病でしたが、最期はほんとうにあっけないものでした。
父が亡くなりましてからは雑用に追われる毎日ですが、ふとした瞬間に父との思い出が甦り、自分でも予期していなかったほど大きな喪失感にうちのめされて
います。父は何冊かの本を書いた人ですが、文学にはまるで無縁な人でした。そんな、ほとんど意識のない父の病床で、私は先生の『華厳』をよく読んでいまし
た。心の通い合うことの少なかった父と娘ですが、それでも先生のご本のなかから父に一冊選ぶとしたら、この作品だと思っておりました。
本日は湖の本の申し込みをお願いいたしたく。暑さのなかで先生に郵便局までご足労をおかけするのは恐縮でございましたが、少し涼しくなりましてお願いし
やすくなりました。注文のなかの何冊かは友人へのプレゼントです。
創作シリーズ 1.清経入水 3.秘色・三輪山 12.閨秀・絵巻 21.四度の瀧・鷺 36.修羅.七曜 そして37.38.39.親指の
マリア
エッセイ 11.歌って、何!
以上の九冊です。おついでの折りによろしくお願い申し上げます。
* 洋裁 1.9.11
台風十五号は、大雨を降らして去りましたね。どうやら、雨漏りもなく無事でした。
あちこち友人達からのメールは、「元気にいられる時間を大切にしたい」意味の一言が、どこかに入ります。身近に病人や怪我のある人がいると、身に沁み
て。元気にしています。あなたも。
台風通過の間、洋裁をしながらビデオに録った映画を二本みました。二度目でもやっぱり佳くて、感動の涙がまたジワーときました。映画ならではの物語の不
自然さはありますが、これは、これ。機会があったら是非、トム ロビンスとモーガン フリーマンの「ショーシャンクの空に」を。
気がついたら台風が去って、ブラウスが一枚出来上がり。
* 秋の花たち 1.9.10
台風もまだその影響をみせずに、静かな秋の夜です。
帰りに駅の売店で、小さな萩 紫式部 ふじばかまの苗を、ついつい求めてしまいました。帰りを急ぐ人でこみ合う電車の中で、ふじばかまの素朴な花を見つ
めていると懐かしく 涙が出るほど優しい気持ちになれ心和みました。田園の思い出が心の底に眠っているのかも知れません。
* ピンの話 1.9.10
何やら台風待ちの昨日今日、何があろうと自然には逆らえないと、ぼんやり空を仰いでいます。
それでも、気候の落ち着いた頃には、恒例のミニ同期会を開くべく、電話やメールで連絡し合って、「元気に老い」の元気印といきたいもにです。何はともあ
れ、旅行は気の置けない学友達とが、何より楽し。幸いメンバーにまだ脱落者はなく、この頃は一年一年を大事にと想うようになりました。
十日ほど前の「天声人語」ですが、あまり似ているので、長いですが、そのまま送ります。
以前、たまたま手に取った雑誌に、こんな母親の告白が出ていて驚いたことがある。彼女は、自分の子どもが可愛く
ないという。好きになれないという、それどころか憎らしいとさえ思う、と。
事件をめぐる談話というのではなく、日常生活でのことで、母親はそのことを悩んで、相談を持ちかけていた。虐待をはじめ、子供の受難が続いている。背後
には、先きの母親のような悩みが広くあるのだろうか。
泣きやまない幼い子どもの話から始まるアランの『幸福論』を思い浮かべた。乳母は子どもの性格や好き嫌いなどいろいろ考えるが、そのうちピンを見つけて
すべての原因はそこにあったことがわかる。
名馬ブケフアロスを献上されたアレクサンドロス大王の話が続く。暴れ馬でだれも乗りこなすことができなかったが、大王はピンを見つけた。名馬は自分の影
におびえていた。大王は馬を太陽の方に向け、落ち着かせた。
アランはこういう。「苛立ちだの、不機嫌だのは、往々にして、あまり長いあいだ立ちどうしでいたことから生ずる。そういう時には・・・・・・道理を説い
たりせずに、椅子をさし出してやることだ。」
そして、「人間の性格はこうだなどと言ってはならぬ。ピンをさがすことだ」
このフランスの哲学者のように、できれば、実際的に考えたい。母親達に椅子をさし出してやるべきか、あるいは、どこかに刺さっているかもしれないピンを
さがすのがいいか。 しかし、目に見えないピンがこの社会に刺さっていると、事態は容易ではない。
* テレビで対面 1.9.10
8日の『日本語にっぽん事情』(湖の本エッセイ21)ブックレビュウを観ました。
元気そうな顔で写っていましたけれども、少し前の写真ですね。
本は好評で良かったですね。
10月に、また行きます。その時にお会いしましょう。
飲みすぎないように。
迪子さんによろしく。
* ハタワン 1.9.10
「罪はわが前に」「ある折臂翁」「秦恒平における美の原質 笠原伸夫」「事実と小説 対談林富士夫」「『罪はわが前に』をめぐって 対談笠原伸夫」「作
品の後に」(のスキャン分)です。ぼんやり暮らしてきたおじさんは、いっしょ懸命読みました。口はばったいですが、よく書かれました。書かれぬところを、
ほんとによく書かれました。近江八幡へ貞子を送って行き、タクシーの中から見せて貰えた「姉さん」の姿は、おじさんにも見えました、ありがとうございまし
た。
「ある折臂翁」は、西澤書店版『雲隠れの巻』に好きな「廬山」や「少女」達と載っているのを持ってます。も一度「少女」を読みました。
バグワンを読んでるハタワンも読んでます。長くなるのでこれでおやすみなさい。いろいろご多忙のご様子、くれぐれもお大事にして下さい。
* ポンペイ 1.9.9
勉強したことも、ガイドの本を読んだ事もない、さして関心もなかったのです。興味を持つものが沢山有りすぎて、別世界でした。メールの文章がわりになる
かと書いた内で、一句でもお目に留まるものがあったなんて、感激です。
娼館の壁面を飾っているわりには、汚く醜い画ではなく、むしろ共感を呼ぶ、明るくおおらかな壁画です。絵は小さいです。その手の絵は好まない女の私に
も、そんな場面をきらりと想像させました。ポンペイ当地でのそんな館の入り口に面して、道路に、文盲にも一目で分かるそれむき出しのモザイク画の看板があ
り、照れ臭くて凝視は出来ないまでも、ホウと、ローマ時代のおおらかさを思い、印象深いものでした。
当時の壁画はフレスコ画ではなかったのに、泥土に深くうもれて、酸化をまぬかれ、運よくタイムカプセルを抜け出て、当時の色そのままに観る事ができたの
よと、友人に教わりました。
* 秋咲きのばらに隠れよ 睦みの絵 愛子
夢うつつ あひを重ねて虫時雨 1.9.8
* 回顧的に甲府から 1.9.6
9日の日曜日は、地元の人たちと御坂山地(富士五湖地方と甲府盆地を区切る山塊)にある「節刀(せっとう)ヶ岳」という1700メートルほどの山に登っ
てきます。甲府盆地から見ると綺麗な三角錐の山頂が見える山で、天気が良ければ、登山途中で富士山が見えるはずです。10日の月曜日は、会議が、いくつか
ある曜日で、身動きできません。
さて、秦さんが、上司小剣の名前の読み方を知らなかったと知って、なにか微笑ましくなりました。「弘法も筆の誤り」という感じです。
私は、高校生から大学生になる時期、60年代には、「大阪」をテーマにした小説を読みあさっていました。織田作之助、上司小剣、水上滝太郎など。ほかに
も読みましたが、いまは、思い出せません。
織田と上司は、新聞記者出身ではなかったでしょうか。織田の作品のうち、「青春の逆説」でしたか、あれは、新聞社の採用試験の場面があったような気がし
ます。いま、手元に作品がないので、確認できませんが・・・・。新聞記者の印象は、作品の上だけだったでしょうか。水上滝太郎は、サラリーマン重役でした
か。東京生まれで、出張だか、赴任だかの生活をテーマに「大阪」「大阪の宿」などという作品を書いています。
藤本義一、田辺聖子、野坂昭如、和辻哲郎なども「関西」という括りで読んでいました。秦さんの作品も、そういう関係で読み出したのではないでしょうか。
ですから、上司小剣は、若い頃から親しみがありました。それを、電子文藝館に入れて下さると聞いて、嬉しくなりました。
NHKに入り、記者として、地方に赴任する際にも、「第一希望」を、大阪としたのも、そういう縁でした。そして、本当に大阪赴任となりました。大阪の4
年間の最初は、休日には、「織田作」の作品の舞台を訪れました。新世界、じゃんじゃん横丁、夕陽が丘など。やがて、京都、奈良、神戸など、大阪以外にも関
西の魅力に浸り、関西生活を楽しみました(その割には、大阪勤務は、4年間で終わり、東京の報道局社会部勤務となってしまいました。そして、警視庁の所轄
署廻り=いわゆる、「察廻り」時代に、ロッキード事件の発覚です。最若手の社会部記者たちは、田中角栄、小佐野賢治、児玉誉士夫宅などの張り番でした。大
阪時代の最後は、金大中事件関連、朴大統領狙撃事件関連などでした)。
上司小剣の名前から、余計なことを想い出してしまいました。では、またの拝眉を愉しみに。
* 長生きのボーナス 1.9.6
秋が厭きの掛詞なんて、私の辞書にはありません。あの酷暑から解放されて、朝夕人並みの心地がして、夜は虫の音と合奏する両のキーン、キーンの耳鳴りに
も挫けず深い眠りに誘われます。ゴクラク ゴクラク。
数年前、お歳を忘れての過労から耳の病に罹り、後遺症として激しい耳鳴りに襲われました。暫くは不眠症、心身症に罹り奈落の底でした。処方は入眠剤の服
用以外にないのですから。
ある日ある時、耳鼻科の女医先生のアドバイスを受けて、自分の気持ちを180度転換出来ました。耳鳴りは老化現象、その歳まで生きられたのは、ボーナ
ス、神からのプレゼントと思いなさいと。
発想の転換を身をもって経験しました。途切れず響く耳鳴りとは、今ではとても仲良しです。
と、余談が長くなりましたが、余談つづきに、四季の中では一番いいな、秋。暑からず寒からず、収穫多く、新米、秋刀魚もよし、ずあい蟹のとれとれも美味
しく。空は高く、月見もいい。ススキもいい。紫の花がいい。氏神様の秋祭り、冬への梯、冬祭りが懐かしく、佳かった。
夢の旅にも出たい。食欲も満たしたい。生きている証に。長生きのボーナスを戴きに。
* 長野から 1.9.5
こんばんは。今、長野にいます。出張中(&仕事中)です。ここはずいぶんと寒いです。
一月程前に、先生にメールを送った直後に、会社の事業改革の一貫で、ぼくの所属する課が潰れました。製品を10年間造り続けて行きましたが、最期はあっ
という間。
それから一月あまり、感慨にふけるわけでもなく、仕事があるようなないような、ぼんやりとした日々が過ぎて行きました。
最近ようやく他課の支援が始まったと思ったら、またも連日深夜までの仕事の日々です。失笑。
半月程まえ、通りすがりの本屋の店頭にあった、丸谷才一の「笹まくら」が目にとまり、読みました。徴兵忌避者、という、意外にも想像したことのなかった
言葉に興味を持ったからです。(タイトルにもひかれました。)
作品が書かれたのは70年代、戦争が終って30年ちかく過ぎなのに、徴兵忌避者である主人公は、おびえ続け(というよりおびえ始め)ていきます。そのこ
とに驚きました。
というよりも、、、戦争は、一人の人間の中で終ることがあるのだろうか?という疑問が沸きました。戦時中の体験(=殺人)を決して語ろうとしない元兵士
がいると聞きます。終らないのでしょう。
昨今の騒動の背後にも、終らないからこそ、が有るのでしょうか。
けれど、ぼくらの世代は傍観者以外にはなりえないのではないか、と、時々感じます。その無力感のようなものに不安を感じます。明日自分が火事で焼け死ぬ
と決して想像せず不安にならない火事場の野次馬。
ADSLですか。ネットワークの高速化・拡大化が目指すものは、「全体との一体化」なので、恐くて使う気にはなれません。(それこそコードレッドなどの
ワームやエシュロン機関の格好の餌食です。)
それから、先生のホームページは、確かに、巷のHPと比べたら不便ですが、先生が作られているのは、新聞記事のような単なるデータベースではないのです
から、無理に変えることはないと思います。親切=コンビニ、ですよ。世の中がコンビニだらけになるとは思わないし、思いたくもありません。(新婚旅行で
ヨーロッパ各国を周りましたが、本当に日本はコンビニが多すぎると思います。)
ただ、先生が不便ならば、あるいは、先生がHPについて、展望を持っていれば、言ってもらえればアドバイスくらいはすぐにできます。
HPは、基本的に会社に依らない言語(HTML)を使って書かれているので、実質的にはネットスケープのシェアのことなど心配は無用です。いつ何が起き
てもいように、全ページを、ご自分のMOに保管することだけは、常にお忘れなく。そうすればいつ何時たとえniftyが潰れても、すぐに移管できます。
(保管用のMOは保管時以外は器械から外しておきましょう!最近の悪いウイルスは、器械に繋がっているディスク等も潰すことがあるので。)
(器械の話ならこれだけ熱弁振るえるんですが、それだけでは、情けない。)
またメールします。それでは。
* なにごとも「馬耳東風」と言う人に、 1.9.5
秋風や不称念仏馬の耳 遠
* 修羅 1.9.4
昨日、新宿のデパートを経由のついでに、たいした寄り道ではないので、あの惨事の場所に立ち寄りました。野次馬と想わないでください。歓楽街の事故とはい
え、四十四人の犠牲者には、自然と頭を下げ冥福を祈ってきました。それに、仕事とはいえ救助作業に携わった救急隊の方々の気持ち察するに余りあります。テ
レビの映像にあるように、外観はあの入り口のビニールシートを取れば、三日前に多くの命を奪ったビルとは思えないほど異常なく、それだけ煙がビル内を充満
していた様子を想像させます。昔、赤坂のホテル ニュー ジャパンの火災の後、永らく放置されていて幾度も眼にしているあの大きな敷地の残骸、それよりも
犠牲者が多いなんて、修羅場の様子を想像するだけでも、肌に粟が立ちます。若い人達だけに、さぞかし無念だったでしょう。
* 甲府より 1.9.3
電子文藝館、良い形になりそうですね。加藤さんのご苦労を多とします。
メーリングリストでも書きましたが、「秦・加藤論争」は、とても大事なことだと思います。
文藝館のお手伝いも、ままならず、電メ研の会合にも、なかなか出られず、すみません。
8月は、20日の夜に東京に帰り、21日は、歌舞伎座で納涼歌舞伎の第1部、第2部(第2部は、妻と一
緒)を拝見したところで、「台風11号が、甲府方面にも近づいている、終夜放送をしたい」という放送部長の連絡を受け、急遽、21日の内に歌舞伎座から甲
府に直行。局長が不在でしたので、そのまま、泊まり込みで対応。雨に弱い甲府盆地(大小の河川と扇状地でできている)であり、台風11号が、速度の遅い、
長時間雨を降らせるタイプの台風でしたので、テレビ・ラジオの放送のほかに、インターネット版災害報道も、甲府局としては、初めて実施しました。
(大兄も、台風と京都で遭遇され、大変でしたね。でも、金沢廻りで帰郷などという優雅な旅も実現できて
羨ましいです)
さて、溜まっていた大兄のホームページの「私語の刻」を、失礼ながら駆け足で拝見していて気が付いたこ
とを書きます。
1)マウスの調子が悪い、動かないとのこと。なかのボールにゴミが付いていませんか。アルコールを含ま
せた脱脂綿でボールを綺麗にふき取ると、機嫌良く回転してくれますよ。
2)「私語の刻」の「8/8(つづき)」のところで、「散り花」についての、私のメールが引用されてい
ましたが、「新口村」は、「梅川忠兵衛」で、「お染久松」ではありません。「お染久松」は「野崎村」です。
私も、息子も甲府の教習所を8月中に無事卒業(息子は、30日卒業)、私は、24日に免許証まで戴き
ました(夏休みの教習所は、息子のような年頃の男女ばかりで、おじさんは、私一人でした)。
老人夫婦が、過疎地に住む場合、買い物、診療所などに通うのに車は必要ですし、車がないと田舎では自立
した生活ができないと言うことで、長年、車公害反対の報道をしてきた立場上、免許証を取らないと言ってきたのに、節を曲げて免許証を取得しました。但し、
車の使用は、地域限定で、生活に必要な最小限度にしようと思っています。
では、拝眉の機会を楽しみにしております。 倉持光雄
* 美術と火災 1.9.1
日曜美術館のビデオテープを久しぶりに観ました。
何年前でしょうか。我が家では最初のビデオデッキ β だけの頃です。「洛中洛外図の時代」のタイトル
で、真野響子さんの司会です。ホウと声が出ます。ほっぺからおとがいにかけて、ふくよかに揺れています。相当雑音が入りますが、これは永久保存版としま
しょう。冒頭祇園祭の場面から、なんとも郷愁を誘います。
早朝、涼しくていい気持ちの処へ、テレビのニュースは今朝未明の歌舞伎町雑居ビル爆発火災を告げていま
す。二十一人の死亡者が出る大事故です。西武新宿線の新宿駅の傍、半年程前にも、その近辺のなんとか横町が全焼の大きな火災に出くわしていますが、何時ふ
りかかる事故とも言えず、新宿族としては、何やら不気味です。
* オンデマンド出版について、 1.8.30
秦さんのご意見はうなずけるものです。
大雑把に書きますけれど、大きな(あるいは必然の)流れがあります。
オンデマンドは、もとは、印刷世界で言われていたPOD(プリント・オンデマンド)から出た言葉で、元
は、ITすべてに先行してきた米国の語。オンデマンド印刷、オンデマンド出版は、訳語ということです。
大きな(あるいは必然の)流れというのは、21世紀を迎える数年前から始まったIT時代の幕開けに、す
でに、生き残りをかけた印刷市場の戦いが始まっていた、ということです。出版社主導で、下請けと共同作業をする出版印刷も例外ではありません。
いま、全国多くの中小印刷会社は(ぶらさがっている家内生産的な製本会社も)、必死に、生き残りをか
け、自前で、自宅で、街で、会社で、役所で、必要なときに必要な量だけプリント、コピー(簡易製本を含む)できる=オンデマンド・プリント形態になれてき
た顧客(ユーザー)にたいする、営業・販売戦略に取り組んでいます。出版はやや別物ですが、印刷を中心にとらえれば、同床にあるといえましょう。
オンデマンド印刷の市場は、「縫合市場」といわれるように、カウンタービジネス(米国資本のキンコーズ
など)、複写業、印刷業、インハウス(企業が自前で行うオンデマンド印刷・製本)、官公庁、学校群、と大きな棲みわけがありましたが、ここに、新たに、出
版社、書店、取次ぎ店、人材派遣業などなどが、参入してきております。
大型コピー機メーカーの雄は、米国のゼロックス社(日本では、富士ゼッロクス社)で、一台、1千万〜2
千万円台のオンデマンド処理(印刷・簡易製本。データ処理)可能な大型コピー機を、すさまじい勢いで販売しております。日本のメーカーも手を変え、品を変
え、競争に大変です。新製品開発・販売の連続で、2〜3年で古くなるといわれる中古のオンデマンド用大型コピー機がだぶつきはじめております。
いま、全国の中小印刷業は、数千万〜億単位で資本投下したオフセット印刷機のローンに苦しみ、その中か
ら、少部数、短納期の「オンデマンド」の要求にこたえられる、新しい(大型オフセット機より安い)大型コピー機の導入検討を迫られております。たとえば、
いままで入っていた会社や役所などから、「必要な部数だけ、早く安く納品してほしい。あとは、追加で、データを少し直して、いつでも印刷・製本できるよう
にしてほしい」と求められます。コストの高い大中オフセット印刷機で印刷、そして製本を外注していては、間尺に合わないものの、泣き泣きコスト割れで受け
ているのです。
従来のまとまった部数の受注でかろうじて単価をおさえてきた中小印刷業は、少部数、短納期に対応できな
い大中オフセット印刷機処理のコストパフォーマンスに悩んでいます。手間がかかりコストも高い大中オフセット印刷の需要が落ち込み、オンデマンドのニーズ
が増える一方。それに加え、自前でオンデマンド処理できるユーザーが増えつつあるならば、どうしたらいいのか?といったところです。
印刷業の泣き言を代弁するように聞こえるかも知れませんが、やはり、大きな流れとしては、オンデマンド
でしょう。
出版についても、大量に印刷・出版して単価を抑えてきたものの、無駄もかぎりなく多く、これからは、何
らかの「オンデマンド」あるいは「電子出版」に漸次移行せざるを得なくなると考えます。最大手印刷会社ならば、戦略的に、いかなるケースにも対応できる、
つまり顧客を拾いまくる手立てがあります。むろん、オンデマンドも電子出版も、あるいはその先も読んで、対応を十分に進めております。
オンデマンド出版については、大手の出版社といえども、大きなくくりでは、IT革命先行の大手印刷業、
大手コピー機メーカーの戦略の中から脱して、単独でことを進める体力はまだまだ持たないでしょう。その中で、出版社がコンテンツ業を死守するか、紙の出版
にこだわり続けるか、先述した「縫合市場」あるいは「電子競争」に取り込まれるかは見えてきません。
キーワードとして付け加えるなら、やはり「アウトソーシング」だと思います。リストラで失業者がちまた
にあふれていく。企業はさらにスリム化を迫られ、何らかの部分で低コストの外注をせざるを得ない、と考えます。その中にオンデマンドが含まれるかどうか?
いまは、オンデマンドは「紙」への出力を対象にした「軽印刷・製本」の域を脱しておりませんが、その先
に何があるか、来るか、なかなか読めないのが実状でしょうか。
* 「闇」が好きです。 1.8.29
闇の中に 深く深く漂うときに
私は すべてを取り去った私になり 闇の中でしか 聞こえないもの 見えないものを 感じます。
ときどき 闇の世界に戻らないと 何かを失ってしまうような 不安にかられます。
人は闇から 生まれ 闇に戻っていくものだからでしょうか。
ADSL はまだよくわかりませんが、インターネットで囲碁の対局も楽しめるのでしょうか?
電話代がかからないで インターネット サーフィンが楽しめるようなものなのかと・・・想像しています。
今、三島の「禁色」をはじめて読んでいます。ちょっと露骨で汚い感じです・・・。
* 崇福寺 1.8.29
お忙しいなかを 私のために 署名までしていただきまして感激です。昨日着きまして 私の時間に、『秘
色』からと、御本を開きました。書き出しの4月5日と読んだときの、私のひとりよがりなのですが、驚きというか、不思議さにまたまた舞いあがっています。
私の誕生日なのです。
崇福寺跡には 7年ぐらい前に どうしても行きたくて一人で行きました。そのあと古典の旅でもたずねま
した。思い出しながら読ませて頂きます。手元に電子辞書をおきながらです。
* オンデマンド 1.8.29
「私語の刻」にある「オンデマンド出版」を拝見しました。「三方得なし」について一言。
以前、オンデマンド印刷(オンデマンド出版も含まれる)の勉強会に少しかかわった経緯から、しいて
「得」や「利」が奈辺にありやと考えれば、コピー機メーカーだとは言えましょうか。
彼らの側からすると、オンデマンド印刷・出版は、(時代の趨勢はあるものの)、少部数、短納期を旗印に
した中小軽印刷会社、一般企業、出版社、プロダクション向けの大型コピー機の大セールス戦略であります。オンデマンドの特徴は、旧来の大型印刷・製本機に
かけなくても、ほどほどの見栄えで出来上がる軽印刷であるということです。コピー機で本ができる、というキャッチなのです。重厚長大型の、足腰の重い印
刷・出版が時代についていけなくなってきた、ということでもありましょうか。
でも、最近、この流行語(あえて流行語と言わせていただきますが)は少し色あせてきた感がありますね。
オンデマンド出版の現況はよくわかりませんが、軽便なオンデマンド印刷はかなりサービス網が増えてはいるものの、飽きっぽくて新しもの好きの消費者向け
の、新しい合言葉(流行語)は、ADSLなどを含めた「ブロードバンド」にとって替わられたようです。
オンデマンドが業者誘導の発想であるのに対して、ブロードバンドはユーザーの利便が最優先されていまし
す、出入力のコンセプトの違いもあります。ブロードバンドというのはつかみどころのない言葉ですが、自分のPC,ITシステムを超速で構築する、わかり易
くいうと、各種端末でインターネットや情報入手をできるだけ早く広く便利に使えるようにする、ということです(通信料に反映する基本的な通信インフラの整
備はままだまですが)。
オンデマンド、ブロードバンドにしろ、米国からの輸入語、そして、仕掛けはいつも、ハード、OS、ソフ
トのメーカー、通信会社ですね。まず、モノを大量に売る。仏に魂を入れる、遣い勝手をよくするかどうかは、かかって利用者にありましょう。書斎や茶の間で
かなりのことが出来る時代がやってきました。これは実にありがたいことです。
でも、足るを知らぬココロの行く末、いつも便利で新しいモノに追いかけられる、急かされる、という怖れ
はありますね。置いてけぼりもかなわないなあ、というのが正直なところです。
* 蝶の舌 1.8.27
屋根の上の・・・は、森繁久弥がまだ溌剌としていた初演の舞台で観ています。「サンライズ、サンセッ
ト」のテーマ曲がすてきによかった。当時はユダヤ人のこと、独特の風習、習慣を分かっていなくて、今いま観ればもう少しは理解できるかなと、テレビの放映
はビデオに撮ってあります。すぐにも観たいし、楽しみです。
今日は日本橋から銀座へ出て、ひとり、都内で一館封切りの「蝶の舌」を観てきました。気になって上映館
へ行ってみると、運よく入れ替えの時間でした。吸い込まれるように、シニア料金で観てきました。
観たかった映画が観られて、今日は満足。映画館で一人で観るのは初体験かも。七十にして自立のハシリで
しょうか。平日なのに、いい映画は大入りです。
映画は、1936年のスペイン内乱が始まった時点で「END」マークになります。七、八歳位の男の子の
精神的な成長を描いてゆくのですが、子供が主人公なのに、しっかり成人向きの映画です。この世の儚いこと、人間のしょせんは孤独なこと、それに「蝶の舌」
など自然の不思議。初めて教わる数々に導かれ、心の繋がったかと思える老教師との微妙な交流。光美しい風景、情緒豊かなお話。ホノボノと、ほっこりと、穏
やかに、時には、眼が潤み、共鳴しながら観ていましたのに、最後に母親から仕掛けられて発する少年のショッキングな言葉。その少年の顔のアップで終わりま
す。
その言葉は・・・
スペイン内乱は重いテーマとしてたくさんな映画になっていますが、ピカソのゲルニカを識っている程度で
はとてもとても不足ですね。
* もう秋 1.8.27
めまぐるしく動き廻り、騒がしくじゃれ合うチビッコ ギャング達。ソフアーの部屋は遊びの陣地になって
ムチャクチャ様代わりしています。健康に育っていて、友達扱いのオババとしては何より嬉しい。少々疲れましたが、一晩ぐっすり休んで回復しました。こんな
のを三人育てていた頃を懐かしく、想い出します。
息子は多忙で昨日の内に帰阪、台風は今日、葛飾区の嫁の実家へと去ります。
今朝は、暖かい緑茶が懐かしく。
もう秋。
* 宇治十帖のことなど 1.8.27
ひさびさに、夜更かしです。 めずらしく、涼しい一日でした。
台風の影響か、週のはじめにけっこう雨が降りました。金・土は例によってかんかん照りでしたが、夏は少
しずつ過ぎていくようです。
今年は桃が美味しい。猛暑のおかげなんだそうで。あたりはずれのある果物ですが、今のところ裏切られて
いません。この暑さもちょっとは許してやれそうです。
勉強半分でもありますが、古典が面白くなってきました。「源氏物語」、今日「総角」に入ったところで
す。少しずつしか読めないので、「匂宮」から始めました。とりあえず「夢の浮橋」まで、秋のうちに渡っておきたくて。
音読で進めています。時間も負担もかかりますが、原文で読むことに馴れていないので、眼で字面を追うだ
けでは、どうも身が入らない。それでも岩波文庫版は丁寧に主格目的格が示されているから、なんとか大意を汲み取れています。細かい部分はどうしてもわから
なくて、そのまま読みきってしまいます。
与謝野晶子訳で読んでいたのとは、やはり違いますね。なぜか情景が現代語訳よりも鮮明に浮かんでくるん
です。それから、言葉の響き、文体の流れが本当に美しい。秦さんの文章に近いものを感じます。
古典に「親しむ」というにはまだまだですが、受験勉強だからといって身構える癖はなくなりました。少し
シンドイ思いをしながら、楽しんでいます。
晩年のエジソンは「発明は1%の才能と99%の努力である」と語ったそうです…このことについて、或る
人がこんなことを言っていました。
…自分は中学生の頃に英語の授業でその言葉を先生から教わった。その先生は、要するに努力が一番大切な
んだというようなことを話していた。しかし、本当に努力が何よりも大切なら、エジソンは「発明は100%の努力である」と言ったのではないか。なぜ「1%
の才能」と敢えて言ったのか。…
英語では、「1%の"inspiration"」と表現されていたそうです。それを、日本の人たちは
「才能」あるいは「ひらめき」と訳してきた。
…しかし、そもそも"inspire"という動詞は、「鼓舞する」という意味を持っている。つまり、こ
の"inspiration"は、自分をかきたてるもの、動機、のことを言っているのではないか。確固たるモチベーションこそが、99%の努力にあと1%
欠かせない、最も大切なものなんだと、エジソンは言いたかったのではないか。…
その人の話を聞きながら、これは秦さんのことだ、と僕は思っていました。
少しずつですが、自分の触れたもの感じたこと、誰かの言葉、作品…いろいろな物事が繋がって、僕の中に
何かを残していってくれます。その残ってくれた「何か」を糧にして、僕も何かを残していきたい。
またちょっと長くなってしまいましたね。
本当はもっと書きたいし、もっとたくさん送りたいのだけれど…それは来年の話ですね。でも、去年よりは
時間の使い方が上手くなったのかなと思います。
僕も秦建日子さんの「救命病棟24時」見ましたよ。ドラマそのものを初回から見ているんですが、設定に
自信があるのか、毎回脚本家を替えているようです。(最近のテレビの中では)それなりのキャストが揃っているだけに、脚本によって出来に差のあるドラマで
す。建日子さんの回は、キャストを使い切れていなかった印象を受けました。秦さんの戯曲「こころ」のような脚本を書ける人になってほしいなと思います。
迪子さんともどもお元気でいてください。僕も頑張ります。
* 風雨 1.8.24
二十一日、「天神さまの美術」を見にゆきました。駅から平成館までのわずかな距離でしたのに、ジーンズ
の裾がじっとり濡れてしまいました。しかし、不快な気分を忘れさせてくれるものが、ひしめいていました。地獄めぐりのおびただしいのに、だいぶ、消耗しま
したけれど。
こうした大勢のひとのあつまるところに出かけたのは、ほんとうに久しぶり、そう、歌右衛門の亡くなった
雪月花の照りあった日以来でございます。少し、人に酔うたようでした。
帰り、なまあたたかい強い風と横降りの雨に、奇妙なかきたてられようをしました。
元気を出して、もう少し、小侍従さんとのおつきあいを続けたい、深めたい。そうした気持ちになっていま
した。香魚
* 恐風 1.8.24
台風より怖く、秋風より寒い風、リストラ風が主人の首筋に吹きました。49才で出向したまま退職です、53才で。よい声で囀れない雀のメールが続くかもし
れませんが、聞いていて頂けますか。
* 北澤さんのこと 1.8.23
秦様、台風をかいくぐっての京都への往き来、お疲れさまでした。奥様との京都歩きに、後ろから私も付き
従うような感じで「私語の刻」を読ませていただき、楽しんでいたのですが、途中であらまあ……と。北澤式文さんの名前がでてきて驚きました。
「薬剤の北澤さん」としておぼえている先輩です。北澤さんとは研究室が異なったので、先の富士谷あつ子さ
んの夫・憲徳(元京都薬大教授)さんとのようにいつもお喋りしていたというようなことはないのですが、存じています。北澤さんは京大ではなく慶応の医学部
の薬剤部が長く、そちらの教授でしたから、ずっと、今も、東京(ご自宅は船橋市)です。きっとお盆にわざわざ墓参をなさったのでしょう。
夫の兄が同じ薬学で、北澤さんの一年上で、いっとき慶応の薬剤にもいたことがあるので、恐らく親しいと
思います。いろいろ不思議な縁で繋がっているものですね。
数年前、大正製薬で結構偉くなっていた私達の同級生が肝臓癌で急死し、その葬儀が田無の護国寺であり、
そのとき北澤さんをお久しぶりにお見かけいたしました。まあ、そんなくらいのことで、どうということもないのですが。
私はこのところずっと京都にご無沙汰して、お墓も参らず、申し訳ないと、西の方向いてあやまっていま
す。7月12日の父の命日も、8月のお盆も、私の怪しげなお経を家であげて勘弁して貰いました。でも正因寺の万年ご住職は「そうやっておうちの方がお参り
下さるのが一番でございます」と言って下さるので有り難いことです。
大文字も過ぎ、高校野球も終わり、もう秋が近いと感じます。残暑の候、お身お大切にお過ごし下さいま
せ。お陰様で私達夫婦は元気にやっております。2001/8/23
* 熱暑 1.8.20
西風が運ぶ浪速の37度。秋まで、彼岸へ避難して、仮死で、夏期を過ごしたい。西の暑さに耐えかねて、雪国育ちの雀が飛んだ、先は西方、バケ雀。ビル火災
で、救援がそこまで見えているのに、熱さに堪えきれず窓から飛び降りる。その気持ちがわかります。ヒートアイランド大阪の熱を連れてくる西風が原因らしい
のですが、25度ー35度の日が殆ど休みなく、しかも今年は長丁場。熱中症にもなりかけましたし、西日本の暑さに降参、疲れた、眠い…。台風の風になって
きました。備えをしておかなければ。雀
* 地蔵盆 1.8.18
もう、全快で元気モリモリですか。
痛みの状態がどうなのかは、分かりませんが、一般的には、男性はお産の経験がないので、痛みに弱いと聴
きます。経験のある私でも、脹ら脛が長時間(と言っても数分らしい)攣れたときは、あまりの痛さに脂汗を出します。わりと頻繁にやってきます。マア、だま
しだまし付き合っています。
昨日、桜木町の商店街をお買い物の自転車でサーと通り抜ける私を、大声で呼び止めてくれた人は、二十年
も前にアルバイト先で一緒に働いていた十歳は若い奥さん。その後二度ばかりスーパーなどで、彼女から見つけてくれて立ち話をしていますが、今回は五、六年
ぶりの再会。
自画自賛になりそうですが、私にとっては、とても嬉しい事なので、「ジコチュウ」の汚名返上の為に
と・・・
「あなた、よく分かったわね」から始まり、殆ど忘れかけている私に嬉々として話すので、聴いてみると、
少し後輩だった彼女達にとても親切だったから、逢えたのが嬉しくて、と、言ってくれるのです。寝耳に水とはこの事です。
(余談ですが、昨日の夕刊に、「寝耳に水が入る」か、「寝耳に鉄砲水などの大きな音が聞こえる」か、語
源の選択は難しいと結んだコラムがありました。)
主婦向けに何時でも休めるメリットがあり、私は数年勤めましたが、半日でキャンセルする人もいた程に人
使いの荒い、厳しい職場だったので、目立たない、何気なくの心づかいがきっと好印象を与えて、親しんでくれたのでしょうね。横一列の女性ばかりが八割の仕
事場では、良くも悪しくも多くを体験しました。
ネ、見直してくださいネ。かわいいでしょう。
このまま秋が来るかしら。まだ、無理ね。京都はそろそろ地蔵盆だから、涼風がたってると、身体が楽です
ね。天然クーラーに勝るものなし。
* 送り火 1.8.17
庭の隅に 小さな野草園を作ろうとしています。小田急の各駅停車の乗り場の入り口に「野草」を取り扱っ
ているお店があります。今日は「ほととぎす」を二種類、「おみなえし」それから赤いききょうなど五種類ほど求めましたら、「あしたば」をおまけにそえてく
れました。水をたっぷりとあげないと、この季節、なかなか根づいてくれないかもしれません。朝の仕事が増えました。田舎で育ったせいか、野の草や花に手を
触れていると心和みます。もうひとつの小さな花壇は紫サルビアと黄色い花、玄関の鉢植えも洋花なのですが・・・。
昨日京都は五山の送り火。幼かった三人の娘達と昔 出町柳のあたりの賀茂川べりで眺めました。ただただ
美しいもの・・・ と。今は、亡くなった人にとらわれ過ぎないように、魂をそっとあの世に送り返す火なのかと・・・思います。
* 黒いピン 1.8.17
お躯の変調、お案じ申しています。ご無理が積もり、夏の疲れも積もってのことでしょうか。どうぞ、おた
いせつに。
わたくしの黒いピン、気づかせていただいて、抜いた、抜けたつもりでしたが、抜けていません。
どうしてこんなに騒がしいのか、そう、おもっていました。どうして、いつも心落ち着かず、充足感がない
のか、さびしいのか。そう、おもっていました。黒いピンの存在に気づきもせず。
子供のころ、乳歯がなかなか抜けなくて、歯医者さんに抜いてもらいました。麻酔注射をされ、それでも痛
くて痛くて。
黒いピンは独りで抜かねばなりません。耐えられますかどうか。
今日、ひぐらしを聞きました。七階のわが部屋に、昨夜は、翅の先が茶色のとんぼが泊まってくれました。
わが心の騒がしいのはわが心から。
ヒットラーもどきの総理大臣や都知事の言動は、騒がしいでは済まされぬこと。隣り街にある私立学校は、
例の歴史教科書の採用をきめました。
* 黒いピン 1.8.16
私は黒いピンをはずすと 物足りないどころか 不安になります。落ち込みさえします。ゆったりとしたあ
りのままの世界に身を置くことができないのです。黒いピンを刺して 約束事 を果たし、課題 をこなし、役割 を演じる ゆっさゆっさとしたせわしない時
間にいるときのほうが、気持ちが安定するのです。まさに マインド のかたまりですね。
黒いピンを抜いて 静かにたゆとう世界に身を置いたときに 気持ちが楽になれるようになりたいのです。
いつとはわかりませんが幼い頃 黒いピンをそっとつけられた思いがします。ああ、私の周りに何人も、黒
いピンを、そうとはしらずにつけている人たちがいます・・・。あなたのお話でそれに気づきました。黒いピンを 意識して時々はずしてみることにします。
* 思うままには取り外しできない、その存在に自覚的に気づきもしていない、のが「黒いピン」のようです。ある時
期まで、抜こうにも抜けないのが「黒いピン」のようです。まして抜けたらかえって不安になる人には。しかし、あなたはとにかく一つの視点を持ったのではな
いでしょうか。ドンマイ(don't mind
!)を呪文のようにとなえてでも、マインドまみれの多忙な日々を少しでも軽く明るくしたいもの。深い楽しみをもてることも大切かと。秦
* カナダから 1.8.14
元気でおります、恒平さん、
久しくメールが途絶えて心配をおかけしたようです。年齢相応の故障はありますが、ま、贅沢は言いますまい。いよいよペンショナーと呼ばれるようになりまし
たが、身も口も達者な方だと思っています。
5月から10月までの観光シーズンは、その口を生かして終日観光バスのマイクを握っています。ガイドは一種のエンタテイナーとでもいいますか、、、笑いを
とりながら客をケムに巻くおしゃべりも楽しいもので、、、。その間を縫ってカナダの新聞と日本の雑誌への定期的な寄稿といった、気楽なセミリタイヤメント
なのです。
ホームページは拝見していますから、恒平さんの近況はよく伝わっています。一方通行になってしまい、これも”片便り”というのでしょうか。
湖の本も読ませてもらっています。そのわりに読後感といった個人的な反応を書き送らないのは失礼な気もするのですが、それは32年の昔、太宰賞受賞の
ニュースを聞いたあの時の感懐につながるのかもしれません。友人がいよいよ世に出て、文学のプロ、アマを問わず不特定多数の読者に恵まれた執筆生活に入
る、、、失敬をかえりみずに言えば作家としての”巣立ち”だと思ったのです。もう自分などが見当はずれの批評を書き送らなくても、、、という気持ち。期待
通りその才能が世に認められ、旧友のひとりとして我が意を得た思いであったあの時のことが記憶に甦ります。
現在はユニークな出版形態の中で”特定多数”のすばらしい読者の支持を受ける数少ない幸せな作家だという認識です。
2年前に初めてHPを開いてビックリ仰天の思いだったことが、一つあります。私の知る恒平さんは、常に
時の流れに超然として”我が道をゆく”おもむきがあり、そんな世離れしたところに秦作品の特徴があるのだと解釈していたものですから、「生活と意見」のよ
うにドロドロした時流に棹さす時評には「へえー」という気がしたものです。いや、それがどうこうというのではありません。「フムフム」と頷きながら呼んで
ますからね。
ところで、新首相の小泉さんとやらにも困ったものです(海外居住者にも選挙権がありますので、すこしは
悪態をつく権利はあるでしょう)。靖国13日参拝などと、足して2で割ったようなのはお笑い種です。強行か、止めるか2つに1つであるべきでしょう
に、、、。
わたしの岳父は57年経った今も南海トラック島沖の、みな底に眠ったままです。かりに遺骨が収容されて
も靖国の社とやらへは帰らないでしょう。実のところ、そんな神社が東京のどこにあるのかさえ私どもは知らないのです(知りたくもなし)。初めての子を宿し
た新妻を残して散った人の無念が晴れることはないでしょう。そのお社を肉親の霊の鎮まる所と信じる人達を誹謗する気はありませんが、遺族などという言葉で
ひとくくりにしないでほしいものです。
* 電子文藝館 只今は足元を 1.8.14
電子文藝館が、ペンの財源になるかどうかは、考えること自体が時期尚早で、今は、悲観的に予測不能とむ
しろ考えていていいことです。今から皮算用に走る必要はありません。目下は、ひたすら、無事に美しく「開館」することです。喜ばしきサイトを、豊かなコン
テンツを、これは電メ研全員の仕事であり、それも無償の仕事だということです。電子文藝館という発想も運営も、電メ研の非営利の仕事。将来財源になるなら
それは結構なことぐらいに、事務局長の胸に今は預けて置くつもりです。事務局の能力も労力も、あまり今はアテにしない方が秋尾さんたちに親切です。「新館
建設」という難事を事務局は抱えていますから。
ペン会員から電子文藝館へ何らかの寄付を募るようなことは一切致しません。
電子文藝館が理事会で承認された一つのメリットは、他の事業に比して経済的に、つまり金があまりかから
ずに実現しそうだという点に有りました。電子メディアの工夫のしどころとして、金より頭を使えるだけ使おう、簡素・簡略な便法も生かそう、最初から金をか
けて贅沢な完璧主義になど走らず、のちのち手間をかけても、ゆるやかな時間的経過の中で、より良いリニューアルを重ねようというわけです。
発案者の秦には、白状しますと、私の「e-文庫・湖」の立ち上げの際に、この「日本ペン電子文藝館」が
あったのです。自分のサイトで実験してみたいと。少なくもコンテンツという面からは、行けると確信したので提案しました。基本的には、
だから「e-文庫・湖」の「日本ペン版」が出来る、結局はそうなる、それしかあり得ないだろうと予想して
います。サイトの構造や使い勝手の工夫は別にしてですがね。
秦の頭に、無事の「開館」には、基本が、二つ。
万人がアクセスして、「差別も支障もなく適切に読めるサイト」、日本ペンが謙虚に、しかも誇りをもって
世に送り出せる「優れた文藝・文章」の収集。
余のことは、その先に自然に起きてくる問題で、その時の対処で足りると思っています。
サイトの方で、倉持さんから、「化ける」という報告、これを気にしています。「化けない」ことを不動の
原則に。また、ディスク等で原稿を受け取るとき、その原稿に手を加えることは、よくよくでないと出来ません。一度校正を出すにしても。そのためにも、寄稿
者全員に簡単に理解可能な「手順・方法」の提示が前もって必要。ルビなど、うしろに括弧して入れるなど、簡単明瞭な指示がやはり統一可能で、有効ではない
かと、今も思います。誰もが正確に、首をひねらずにすぐ出来ることですから。届いたディスクをすべて点検し、こちらで書き換えるなど、事実問題として不可
能ですから。オドリも、「いろいろ」「たまたま」でいいですよと事前に告げておく方が、やはり遙かに簡明です。寄稿者は、みな「機械の初心者」であるとい
う認識をあえて「根」に置いておきたい。
コンテンツの方ですが、著作権の切れた方の作品選びをしますので、スキャンと校正の出来る方、スキャン
は出来ないが校正の出来る方、図書館等でコピーの頼める方、ここ暫くの期間、幾つか担任していただくことになります。動き始めたいと思います。
座長 秦
* 光る秋 1.8.12
今朝の札幌は晴天。目が覚めて窓を開けたら、無数の光るものが飛んでいました。朝日を受け、南から北
へ、輝いていたものは、とんぼ。すいすいではなく、流星のように、まっしぐらに、次から次へと、飛び去っていきました。
夕刻。友人を送った帰りに、北の空を見ると、手稲山の稜線が金色に輝いて、刷いたような雲が茜色に。澄
んだ景色に運転の手をとめてしばし見入りました。
秋はきた、と感じました。
立秋を過ぎ、関東はしのぎやすくなりましたか?お大事に。 maokat
* 小中専務理事 秋尾事務局長 殿
1.8.12 午前
小泉首相の「熟慮」中の今こそ、「靖国」問題で日本ペンは、「首相の靖国参拝」は、いかなる形ででも実
施すべきでないと「緊急声明」し、態度を鮮明にすべきだと思います。執行部で緊急に善処して欲しいと正式に一理事として提案要
請します。
組織を割りたくないと、梅原会長は石原都知事の名をあげて躊躇の弁を先日の集会でも述べられたが、可笑
しいのではないか。二千人近い会員の一致した意見など、核でも環境でも人権でもあり得ようわけがなく、そこはその時点での役員・理事の多数意見でよいは
ず。「戦争を考える会」では、出席役員・理事の一人として会長の靖国参拝反対意見に不同調の人はいなかった、その強固な事実を現時点では考慮すべきだと思
います。十日の菊、六日のあやめにならぬようにと。 理事 秦 恒平
* とらわれ 1.8.12
どうして過ぎてきた過去にいつまでもとらわれているのか。
両親の結婚の失敗はあなたに無関係です。あなたの結婚の蹉跌は、あなたの親にも子にも無関係です。子の結婚にもし何かがあろうと、あなたの失敗ではない。
あなたは無用に親や子に手を出し過ぎ・抱え過ぎなのでは。それは愛ではなく、一種の思い上がりです。落としてしまうべきです。
あなたはこれからも自分一人で生きて死んでゆく。あなただけでなく、誰もがそうです。そのなかで、なにが自分か、自分は誰なのか。孤独に自身と直面して、
毅然と生きなくては。献身しているようで、じつは甚だ自己中心的に自分をいい子にしているかも知れない。
きついことを言うようですが、だれも言っては呉れないでしょう
* 秦先生、お久しぶりです。 1.8.10
ホントにお久しぶりです。
今日は上司の歓送迎会で一旦外に出てお酒を飲んで職場に帰ってきました。4月以降様々な、本当に様々な
案件が転がり込んで来て、心の余裕無く過ごして参りました。今日はお酒が入っているせいか、この様にホントに久し振りにメールを書く気分になっておりま
す。今日は、多少は早く家に帰れるでしょうかね。
先生からは色々と期待されている事を知りつつ、また友人知人達からも色々と期待を受けている事は知りつ
つ、日々の生活に埋没してしまっています。“期待されている”と思う事で自分を奮い立たせる日が何日も続きました。これが良いこととは決して思いません
が。
『ディアコノス』読みました。靖国問題や教科書問題にも大きな関心を寄せています。小泉首相は、大丈夫
でしょうか。やはり、私は田中大臣より扇大臣の方が、信頼出来ると思います。
世の中には様々な関心事があります。それら対して妻とは意見を闘わせますが、外に対して発せられませ
ん。妻も教育問題に大きな関心を持っています。日本は大丈夫でしょうか。無性にこの仕事を放り出したい気分に捕らわれる時があります。何を偉そうに、と言
わないで下さい。自分が居なくては、とでも思わないとまわりの人間と戦う事も出来ませ
ん。戦わなければ何も変わりません。でも、本当に戦わなければいけないことの1%も戦っていない自分がこ
こに居ます。
愚痴になってしまいました。書きたい事の少しも書けていませんが、そろそろ終わりにします。こうやって
時間が経って結局、何も言葉を発せずに引き出しにしまわれてしまう事柄がありますが、24時間という限られた時間の中で、社会生活を送るには仕方の無いこ
と、と割り切らざるを得ません。最後に“仕事で”某業界紙に寄稿するべく書いた原稿を送らせて下さい。年末年始に新婚旅行に行ったイタリアの事を書いてい
ます。思いを風化させないうちに、と振り絞って書いた一つです。
以上です。酔っぱらいの文章で申し訳ありません。
「まちづくりの視点」
だいぶ前になるが、機会に恵まれ、ローマの街を訪れた。学生時代に何度か、といっても二,三度、好んで
足を運んだ都市である。就職後初めての今回の訪問でも、ローマは相変わらずローマであり、二千年の時を経てなお、生活に溶け込んで生き生きとした市街は健
在であった。
デコボコの道やまがりくねった道、(あれッ美空ひばりみたい。)見通しの悪い交差点に加え、段差だらけ
の歩道。それなりに贅沢したつもりの四つ星ホテルに泊まったのに、今にも止まりそうなエレベーター、そして重たい窓とドア。その一方で、寒空のもと、街に
は花が溢れ、行き交う人々の元気な声、街角の広場に開かれたお祭りさわぎの市場に並ぶ色鮮やかな野菜の数々、どのどこの店先もの目をみはる美しい色使いな
ど、ローマを彩る色彩・空気・もの音の織りなす景観のなにもかもが楽しくて、あっと言う間に(白状します、新婚の旅の)滞在期間は過ぎてしまっていた。
もちろん日本にも、長い歴史の街や住人の旺盛な声溢れる街など、心惹かれる都市・市街は沢山ある。身近
な日本の内だからこそ、興味も持ち理解も得たくてそれらの街々を見てきたつもりだ。人の暮らしに添い寄りながらじっくりと熟成されたような街、四季に応じ
て景観も階調も静かに変えてゆく繊細な表情の街など。
どちらが良いというわけでなく、だが、ローマの街と日本の街には根のところで大きな何かの違いがある。
ローマ人(という概念があるのかどうかは別として・・)は、街に存在するむろん植物も、人工の建物でさ
えも“自然のもの”と見ているのではないだろうか。これが、私の辿り着いた結論である。ある土地や、そこに植生し生息する植物動物は、私たち日本人も“自
然”として見ている。だが建物やそれに付属するもの、つまり人間の手が作り出したものは“自然”とは見ていない。
ローマ人は家具や壁紙などのインテリアを替えることで、古い建物も自分のものに機能させている。単に壊
れにくい建物だから、あるいは古い物を大切にしている文化だから、と言えばそれまでかもしれないが、山さえ切り崩し、土地を意のままに造成することも厭わ
ない日本人の私たちにしてみると、彼らとのこの違いを、根本的な思想の違いと考えた方が、私には理解しやすい。
日本では“親に貰った体を自分で傷つけるなんて”と批判する。ローマの人々には、土地も植生も、そして
建物ですら全て神様から授かったもので、軽々しく変更し変容することは、×では無いが、何でも○というわけでは無い。“神様に戴いたものを人間が傷つける
なんて”というわけだ。むろん手続き(どの様な手続きかは分からないが)を踏んで、本当に必要なものだけを神から賜った土地の上に作らせて貰うという、厳
かな、もしくは敬虔な思いがあれば話は別なのだろう。木々や緑が特段多いとも思わないが、イタリアの街を歩いていると、様々なモノに対するイタリア人のそ
んな思いが満ち溢れているようにしか思えない。
省みて、我々にもこの思いがあるかと考えると、答えに窮してしまう。実際には、ただ政策的な意義や経済
効率などを一生懸命説明しつつ、色々なものを作りまた壊していはしないか。
先日、以前に行って気に入ったレストランを久しぶりに訪れてみたら、更地になっていた。久しぶりとは言
え三ヶ月ほどのことであった。レストランの潰れるのは経営の問題でもあろうから仕方無いとしても、建物まで壊さなくてもねぇ、と思う。この世に永遠に存在
しうる何一つ無いのは百も承知の上だが、二千年の時を経て未だ生き生きした街が世の中にはあると考えると、心強くあるのとともに、余りに早い街の変貌や改
造には、どこか人の思いの軽さも感じざるを得ない。地に足をつけた謙虚な「まちづくり」をこそ、この(爛熟気味の)成熟社会は心がけて行くべきではないの
か、という思いを強くした。
* たましいを研ぐ 1.8.9
秦先生。8月に入り、暑さも少し休んでいるようで、しのぎやすい日が続いておりますが、いかがお過ごし
ですか。私もやや夏バテ気味でしたので、この涼しさで生き返る心持ちです。もっとも、立秋とは名ばかりのようで、週末にはまた暑さがぶり返すそうですけれ
ど。
一昨日、わが家のポストにちらしが入り、流しの砥ぎ屋さんが近所に来る、と言うことでしたので、かつお
節削りの刃を持って出かけました。他の刃物については、お世話になっている砥ぎ屋さんがあるのですが、そこは預ける日数が少し必要で、毎日使うかつお節削
りはなかなか出せずにいたものですから、その場で砥いでくれる流しの砥ぎ屋さんなら有り難い、と出かけたわけです。幼い頃は、こうした砥ぎ屋さんが時折来
て、その場で砥石を使って鮮やかに砥いでくれたものですが、最近は全く来てくれることはなくなっており、久しぶりだな、と思いつつ出かけたのです。
しかし結果は惨澹たるものでした。世間知らずな私は、電動の砥ぎ機というものがあることなど知る由もな
く、預けたとたんに発電機をまわしはじめた砥ぎ屋さんを訝しく思いつつ見ていたところ、なんと物凄い勢いで回転する円形の砥石様のもの(?)
刃を当てているではありませんか。今さらやめてくれ、とは言えず、仕上がったかつおぶしの鉋と2本の包丁は、持ち主にとっては胃がきりきりするような状態
になっていました。
言うまでもないことですが、包丁が爽やかな切れ味を保つには、刃の端が鋭くなっているだけではなく、面
が平滑になっている必要があります。電動の砥ぎ機で、旋盤のように砥がれてしまった包丁は、刃こそ鋭いものの、刃の横面はムラになっているのが反射の加減
でよくわかります。手で触って感じる程度ではないのですけれども。
包丁というのはそもそも何層かの鋼で構成されていますが、この各層は反射率が異なり、故に平滑に砥ぎ上
がった包丁は刃の際に内側の層が一直線にあらわれて、すうっと一筋の縁がついたように仕上がるものなのです。ところが、今回砥ぎ上がった包丁は、これらの
層がわらわらといった感じに現れており、見ただけでも感覚的に、これは切れまい、と思わせるものになっているのです。
この包丁で試しに胡瓜を切ったところ、案の定、刃はきれいに入るものの、滑りがどことなく悪く、するっ
と下までおとせない。もちろん、切れはするのですが、切りおろす際になんとなく軽い摩擦を感じるのです。気にする私が神経質すぎるのかもしれないのですけ
れど。
胸の中をなんとも重く湿っぽいものが漂います。この砥ぎ屋さんが意図を持って、つまり、手軽に稼ごうと
して刃物には悪いとわかっていながら、こういうことをしているのならまだ救われる気もするのです。ところが、この砥ぎ屋さんは親切な方で、かつお節削りの
刃を乗せる台が、少し緩んでいるから、紙か何かを噛ませた方がいい、とか、きれいにかくためには、かつお節を濡れぶきんで包むといい、とか、いろいろと教
えてくれるのです。そこまで知っている人が、なぜこんな砥ぎ方をするのか・・・最も、プロであるべき人が、そのプロフェッショナルをどぶに捨てるような方
法で商売をしていて、本人は哀しくないのでしょうか。
話はまだ続きがあるのです。家に帰ってきて、削り台からの刃の出方を調整しようと、木槌でこんこんやっ
ていたところ、砥ぎ屋さんのいう通り、台の空き方と刃の大きさが微妙にずれている。原因は、刃をおさめるべき場所の切り口が荒れているからでした。切り口
は、恐らく3回にわけて台から引いたと思われ、その息継ぎ部分がそのまま荒れているのです。ほんの少しやすりをかければ、あるいはやすりをかけて減る分を
計算して木を引けばよいだけですのに。このかつお節削りを買った時は、結婚したばかり。一番お金がない時期で、お店の中から一番安いものを買ってきたので
すが、値段の違いはこういう部分にあらわれるのでしょう。安かろう悪かろう、は納得できるような気もしますが、やはり気鬱になるのは、こういう品を作った
職人さんの心です。木材を扱うプロでありながら、木の切り口の始末もしない・・・これは、料理人が鍋を洗わずにそのまま次の料理を仕込むようなものではな
いでしょうか。こんな作業は大した手間でもなく、そしてプロならば「そうしないと気がすまない」というこだわりがあるはず。このような心の荒れ方は、私に
は全く理解できないものです。
吉川英治の「宮本武蔵」に、「御たましい研ぎどころ」と看板を出す研屋が出てきますね。なまくら武士と
なまくら刀ばかりが増えている昨今の世があまりにもひどいので、自分は「刀」ではなく「御たましい」を研いでいるのだ、と敢えて看板を出している。職人さ
んというものは自分の領分にそのくらいプライドを持っているのではないでしょうか。だからこそ、私は職人さんというものに昔からとても敬意を払い、払い過
ぎるが故にそれが高じてかつて「東京職工学校」であった大学に入り、今も職人さんと直接関わる仕事をする次第とまでなったのですけれども。
職人さんだけでなく、プロというものは普く自分の持ち場に関して、譲れない自らの基準を持っているもの
だと思うのです。常に「たましいを研いで」いるとでも言いましょうか。けれども、最近はそういう心の持ちようをしてくれるプロが少なくなっているのかもし
れません。それがあまりにも哀しく、私の心を重くするので思わず、これこそが今の日本の病み方を表しているなどとまで感じてしまいます。
お忙しい中、長いメールで失礼いたしました。天候がなかなか安定せず、夏風邪も流行っております。どう
ぞお身体をおいたわり下さいませ。
* 腰痛 1.8.9
八、九年も前ですか、介護中の決して体重の軽くはなかった母を中腰で抱き上げようとして、初めて腰を痛め、整形外科で検査を受けましたが、診断は老化に依
る椎間板のクッションの摩滅でした。骨密度の方は素晴らしいとお墨付きを戴きましたが。右腰は過労になると痛みます、が、ヘルニアではないので、手当とし
ては熱をとる冷シップ以外になく、まあその程度のものなんでしょう。痛みの度合いにも依りますが、怖れて安静にしているよりも、筋肉を作る為によく動く方
がいいようです。これは膝痛にも言えます。
姉妹三人+一人で参加の、北アルプス白馬方面の短いツアー旅行でしたが、それぞれの体力に合わせてト
レッキングをして、楽しみました。まだまだ、多くの高山植物が咲き乱れて、歓声を挙げました。腰痛で医者通いの老人の行動ではないですよね。分かっていま
す。山の魅力はその比ではないのです。
リフト、ロープウエイを乗り継ぎ、降りた処が標高千八百*米。午後の事もあり、蒼空には程遠かったけれ
ど、ほぼ三千メートル級の幾つものピークを眼前に望み、もう腰の痛みを忘れて、妹とガレ場の急坂をカモシカの如く、四十分ばかり登りつめて、神秘の八方池
に辿り着きました。永年恋いこがれた池との出逢いです。感激で、このまま天空に吸い込まれてもいい、と、大仰な事を想いました。ウソではないのです。ちま
ちました雑念はすべて空に霧散しました。
自然に帰す。
人間すべて原点に戻れば、世の中の些細ないざこざは皆無でしょう。大自然はそう想わせます。
主婦仲間と、紅葉の頃に再度訪れるプランもあります。
* 陽気なリズム 1.8.9
暑中お見舞い申し上げます。猛暑の毎日ですがいかがお過ごしでしょうか。私はカビ臭いレコードをパソコ
ンでせっせとCDに化かして暑さを凌いでおります。
月に何度かは河原町界隈に出掛けますが毎月2日曜日の1時からは四条木屋町上るニュー・トレッカビル
2Fのメキシコ料理店「マリアッチ」での月例レコード・コンサートに出て二次会でテキーラを飲んでおります。
7月に創立50年を迎える「京都中南米音楽研究会」のメンバーになって40年、よくもまぁ飽きずにと我
ながら呆れております。
アルゼンチンタンゴ狂徒ですが、きょうは手持ちの音源の中からラテン、フォルクーレ、フラメンコなど取
り混ぜて一枚作ってみましたのでどうかご試聴ください。市販の復刻盤CDと違い無修正のため針音やノイズが耳障りな曲が殆どですが録音年代に免じてお許し
のほど。
暑中見舞いのつもりが独断と偏見の選曲CDで却って酷暑に輪を掛けるのではといささか案じております。
何はともあれ時節柄くれぐれもご自愛ください。不一 2001年盛夏
* 散り花 1.8.8
お申し越しの件ですが、歌舞伎座に確認したところ、「散り花」と言うそうです。
かっては、三角形、いまは、四角形の紙で作られた雪は、例えばお染久松の「新口村」などでは、舞台天井
の「葡萄棚」に仕掛けられた数個の「雪籠」から落ちてきます。
これが、「金閣寺」になると、雪の替わりに、花弁形に造られた紙が落ちてきますが、その場合も、花弁を
散らすのは、やはり、「雪籠」です。
しかし、ときどき、舞台と関係なく雪や花弁が落ちてくることもあります。それは、前の演目で使用したも
のが、なにかの弾みで落ちてくるという場合もあります。
* 立秋 1.8.8
暦のうえでは秋。「暑中見舞い」は変かしらと思いつつ、この暑さですもの、まだ夏本番としか言いようが
ないですね。阿波踊りが終われば、吹く風にも少し秋を感じられる気がしてきます。さほど変わらない気温なのでしょうが、不思議とそう思ってしまうのですか
ら、人の感覚っていいかげんなものかもしれません。でも、この「いいかげん」な感覚こそ、季節の移ろいを身近に感じるには大切なもののように、私は思って
いますの。東京は少し気温が下がったようですけれど、まだまだ暑さには油断なさいませぬよう、御身お大切に。お肉を少しばかりですが、暑気払いにどうぞ。
花籠
* アルジャーノンに花束を 1.8.5
やっと娘のイベント(結婚式)から開放されました。安堵と共に良いお芝居を見たい「アルジャーノンに花
束を」を見ようと。盛大な拍手をされてきたと「私語の刻」
で読ませていただいてから、ずいぶん日が経っているようで心配しましたが、取り敢えず、三百人劇場へ問い合わせました。嬉しい事にまだ公演していました。
開場前に並び、補助席で見ることができました。楽日二日前でしたのに好評らしく、階段に座布団席も出ていました。
チャーリイを演じた平田さんは静かに、超高知能を手に入れた青年の寂しさを訴えてくれました。「いろん
な事を話せるようになったら友達ができるようになると思っていた」との言葉は、辛すぎるものがありました。母さんの悲しみを通して、チャーリイの置かれた
立場が理解できます。生徒のお母様の悲しみや辛さがダブって見えてきます。
原作が立派ですが、脚本演出がが良くて、スピディな舞台運びで、一つ一つ自然体に心に響いて伝わってき
ました。
良い舞台を紹介していただきありがとうございました。
原作は昨年キイス文庫で読んで以来、心にひっかるものが有り、時折思い出して考えていました。そしてこ
の間の湖の本45『ディアコノス=寒いテラス』を読んだときには、二つの作品が重なリ迫ってくるように感じて読んでいました。
映画「レナードの朝も、このアルジャーノンによく似たテーマでしたが、科学の発達にやりきれない思いが
したことを覚えています。
もう一作、4.5年前でしょうか ジョディ・フォスター主演の映画「ネル」を見ました。記憶のあいまい
なところも有りますが、周知の「アベロンの野生児」をリメイクした作品だとの事でした。少年を社会復帰させる努力をしたイタール博士を映画では、医師が、
野生に育った少女の言葉を理解し心を通じ合わせていくのです。我々の言葉を教え込むのでなく、文明社会に連れ戻すのでなく、彼女の純粋さに医師の方が心を
開いていく。もとの美しい森や湖の自然に帰って生活をする事ができるようにする。その人、その人そのものを大切にしていくことができる社会が本当の文明社
会なのだろうと思わせられた映画でした。
「人並みでない」その事への強い拘りを持つことが、違う人に対しての差別を生み出し、我々と同化させる事
が親切のように思い込んでしまいがちになるのです。
「アルジャーノンに花束を」も40年も前に発表された作品ですし、「レナードの朝」も「ネル」もずいぶん
以前の作品です。アメリカでは前からこのようなことを、ともあれ論じあう事ができたのですね。日本でも、もっと多く「自然に」考え話し合っていかなければ
ならないことだと思います。
『ディアコノス』を仲間の先生たちに読んでもらい感想を聞きたいと思いながらも、人選で躊躇したりして、
ぐずぐずしています。「自然に」が難しいのです。
石原都知事は特集学級を減らし、先生の配置を少なくするとの策を取りだしたとの事。障害児も普通学級で
一緒に勉強できる事は良い事で、期待したいところですが、そのための何の思索=施策もなく、人員の増加も無いのでは、子どもたちがどうなるかは目に見えま
す。経済効率だけが先行していいのでしょうか。人を大切にする事の次元が余りに違いすぎると、貧困さに悲しくなります。
まとまらない文ですが、舞台の余韻が消えないうちにメールさせていただきます。「私語の刻」を読ませて
いただき、世界を広く見、考える事もでき感謝しています。
* アルジャーノンに花束を 1.8.3
7月の暑さは無茶苦茶でしたが、ここへ来てたまに涼しい日もあって一息ついております。ご様子はHPよ
り拝察させていただき、お元気でなによりです。
遅ればせながら「アルジャーノンに花束を」を観て参りました。
7/17の「私語の刻」に批評のあったときから気になっていたのですが、その数日後、劇団の関係者から
是非観てくださいとの連絡が私達ミュージカルの仲間にありました。その方は私達(*
*大養護学校の卒業生を中心としたミュージカル公演活動)の舞台監督をして下さっていて、仲間なのです。お願いするようになったあとから分かったことなの
ですが、この方にも知的障害のあるご家族が居られるそうで、それもあって「アルジャーノンに花束を」へは格別の思い入れがあり、とても大切にしている作
品、と言ってられます。
私は読書家ではないので「アルジャーノンに花束を」の原作は読んだことがなく、話のあらすじも知らな
かったのです。
観ていろいろの感想を持ち、いろいろと考えさせられました。
原作はかなり以前に書かれているにもかかわらず、むしろ当時以上に科学のあり方や、知的能力と情緒との
関係などに現代的な問題提起をしていて、作者の慧眼に感心しました。
観劇後にアンケート記入を始めたら、唐突に私は息子がなつかしく、いとおしく、早く家に帰って会いたく
なりました。
「ああ、彼は大丈夫、”彼のまま”で居てくれてる」ほっとしました。
知的な能力を改善しようとする試みは絶えません。それは今やSFの世界を抜け出して、現実味を帯びてい
ます。
医学(薬)や訓練である程度改善され知能が高くなったとしても、それは人為的なもの。普通の人はなにも
しなくても初めからそのレベル。どこかで無理した分ひずみが出るのをどうするか---これに近い問題(弊害)は現実に私の近くで起こっています。
そこまでして知的能力にこだわる意味は何なのだろう? 知的障害のある子どもの親にいつも突きつけられ
ている問題なのです。(私は最初からあまりこだわっていない少数派でしたけれども。)
毎日知的障害のある息子と暮らしていると(私はIQ嫌いなので、彼のIQ値を正確には知らないのです
が、50以下であるのは確か。)テストで計れるような能力以外の大切なものを沢山教えられます。だからといって一般論としての知的能力の重要性を否定はし
ませんけれども。
今原作を読んでいます。みなさんが読みにくいと言われる最初の文章も私は息子の文章や会話で慣れている
のでお茶の子さいさいです。
京都の夏を思い出しつつ--- 2001/8/3
* ドラマ 1.7.31
今年は花火も見ることなく過ぎてしまいました。例年になく暑い夏は、人員削減で、暑さも倍増です。体力負けしないようにと思っていますけれど。
久しぶりにテレビドラマ「救急病棟24時」を見ていました。
「…しか、ない」ではなく、「…も、ある」という、可能性を含んだ言葉は好きです。このドラマでは手術
に要する時間のことを言っていましたけれど。とても気持ちが和みました。
それがなんと、建日子さんの脚本だったのですから、驚いてしまいました。ご活躍なさっていらっしゃるこ
とを、なんだかわがことのように嬉しく思い、またそのような気持ちになれる不思議をも、喜んでいるわたしです。
* もどろき 1.7.30
今朝、黒川さんの「もどろき」を読み終えたところです。読みやすい文章だったので短時間で読み終えたの
ですが、お父様、お母様、お兄様に関することだけに、とても複雑な気持ちでした。あなたがこれまで書かれていないこと、お兄様との交渉、黒川さんの目を通
して見たさまざまなこと、などなど。そして同時に創作としての「読み方」をも頭の片隅に置きながら・・。
p74の父の文章・・「だが、同時に生まれることはなべて不用意ではないのか・・私の社会主義も革命も
この決着のつかぬものの悲哀を排除しない。私たちはいかなるプログラム、いかなる歓喜の中にあっても無限に悲しい。」、それに続く父の活動と逮捕、p79
のお母様の短歌、p80「私は幽霊となる道を選んだ」・・活動を続けた人がなおそう書かずにはおれなかった、その意味の重さ、切実さ!・・、最後の
p159のバシュラールからの焔の話、などが心に残りました。
* 寂しいといえば寂しい 1.7.30
私の夏は大体怠け者の夏、というパターンです。
昨年ここに越してきて、油絵の教室もないし、あれもなしこれもなしと、どこにも参加しませんでした。今
年は少しだけ積極的?に、自転車で出かけられる範囲で可能なことをと、中国語と日本画の教室に行き始めました。それなりに楽しんでいます。毎週あるといい
のですが。
中国語は30年以上前、学生の頃を思い出しながら、ただし漢文ばかり読んでいただけに、とにかく耳で聴
くこと、正しい発音が習得できるかどうかの二つが、課題です。参加することにしたのは、講師が中国人の同じくらいの女性だったから。そして最近の中国の急
激な変化に関心をもっているからです。
日本画は、結局は絵を描くという行為自体油絵とも同じという、単純な言い訳をしながら、でも楽しんで出
かけています。なんと薔薇を描いているのですが・・。
それ以外は相変わらずの「読書」と、辞書と首引きのフランス語、イタリア語。
外出する以外、ここではほとんど毎日人と顔を合わせることもありません。選挙期間中も選挙の車に行き
合ったこともなく、夕方買い物に出かけても途中で人に会うことも殆どありません。家の前に新しく家が建てられていて工事していますが、作業する数人の姿を
見掛けるばかり。寂しいといえば寂しい・・。
* 「えらい暑おすな」 1.7.26
「ほんまに暑おすな」「ほな、おきばりやして」「へえ、おおきに」と、こんな挨拶、まだ町中で聴けるのでしょうね。母のよく言っていたこの手の挨拶、記憶
にあります。「おきばりやす」が単に「頑張ってください」かと思っていながら、この暑い時に、ナンで気張るのかと、何か違和感がありました。先だって読ん
だ京都のお年寄り(あなたではありません)の言葉で納得。「お気を張って」の意味だったのですね。
大体祇園祭の頃から旧暦お盆の頃までは高温多湿で、食中毒など、身体に気を張って暮らしていたのです
ね。
そして又、母が毎年同じ事を言っていました。大文字のあたりからボチボチ涼風がたって、夜は楽になり始
め、地蔵盆になったら、もう暑さも和らぐから、一ケ月の辛抱や、と。
京都の夏は暑いと私も含めて皆さん敬遠しますが、今や、日本列島の大半に有り難くないお株のお裾分けと
なる昨今です。
* 繰り返し 1.7.26
過去の負の体験や状況を、あなたは、繰り返し繰り返し復唱=おさらえでもするように繰り返し
ますが、そういう甘い蜜への自己のすり込みを繰り返すことで、自分を「不幸・薄幸の見本」のように仕立てて、まるで自分を慰めるか持ち上げるかでもしてい
るようです。
しづかなる悲哀のごときものあれどわれをかかるものの餌食となさず 石川不二子
こういう、あたかも自分自身を悲哀の前へ「餌食」として差し出している人は、多い、少なくない、のを知っています。一種の逃避型です。正の要素や、恵まれ
ていたのかも知れない部分から目を背けてそれをこそげ落とし、不幸色だけで塗り上げてしまう。
子は子の責任で生きて行けばよいのです。そういう年齢です。もっと、さめた眼でただ見ていればいい。それ以上の何が出来るというのか。
あなたは、今の自分自身と、これからの自分自身を、きちっと自律・自立させて悔いなく生きればそれでいい。過去の、言葉はわるいが、亡霊にいつまで殉じる
のですか、揺すられているのですか。捨ててしまいなさい。落としてしまいなさい。過去を恨んで生きるなんて、なさけない負け犬の姿勢です。なにも始まらな
い。なにも生まれない。あなたに自伝を薦めるのは、「直視して落せ」という勧めです。
幸い社会的な使命感の持てる仕事をしている、その幸運を自分の「子として創作として」幸福感に満たされて育てればいい。子は子の努力と責任で幸せを自分の
手でつかめばよく、掴めなくても、親は見ててやればいいのです。親の愛としてそれで、それだけでいいのです。時には、あんたダメねぇと冷やかしてやるぐら
いでいいのです。
あなたの繰り返し型は、悪い方へ間違っていると思います。過去の囚人になっている。いやだった過去は、もう無いと思うことです。自分を鍛えた育てたと思え
る過去だけを財産にすべきです。
* 少々、頓珍漢な感想ですが、一言。 森 秀樹
1.7.25
本と紙と自然保護について。あまり、こういう議論がありませんので。
本日(三年以前のハナシです。)某大学の「先住民と環境保護」についてのセッションに参加しましたが、
そこでは、ペルーほか南米の熱帯雨林の環境破壊の報告がありました。毎年、(これは主に焼畑農業、伐採の結果
ですが)、四国に相当する面積の密林が消滅しているというのです。今から10年以上前に、世界の「熱帯雨林保護」の国際NGOに参加していましたが、問題
のターゲットは、日本が圧倒的に伐採、輸入しているアジアの熱帯雨林の保護でした。今も状況はほとんど改善されていないでしょう。
そのころ、同会の一般説明会では毎回、こういう話が披露されました。「新聞の紙を少なくするだけで」、
毎日数万本の木を切らずに済むと。紙などの資源として、無尽蔵に木が切られ、そして、かなり再生されずに遺棄されている現実があります。リサイクルの実効
はまだまだ十分ではありません。結果 、地球の温暖化が進んでいることもありましょう。
返本率6割などとうわさされる出版の実情について、地球の「生きとし生けるものすべて」の大切な共有財
産である「紙の資源」、「本と紙」(新聞や広告チラシなどの紙の媒体についても)を一考すべきではないでしょうか。紙に代わる本の情報媒体が発展するので
あれば、百年大計の「地球規模の環境保護」を前向きに検討すべきです。紙の消費を少なくする道も一考すべきでしょう。これは、「本が大きく変わる」「ゆく
へ定めぬ
本の道かな」とかいう、一種のセンチメンタリズムとは、一線を画す論議であると思います。情報の伝達は、文字を持たなかった時代から、常に「目に見えぬも
の」が動いていたような気がしています。
たまたま「紙」が伝達の使命を大きく担うようになった。それが今は「電子」にとってかわられるように
なってきた、ということではないでしょうか。
話がそれますが、著作者(ここではライター)の「著作権」についても今は、「紙に写
された字」だけではなく、瞬時に地球をかけめぐる、目に見えない、不眠不休の、多分枯渇しない資源による、極めて経済的で生産的な無体の存在が対象になり
つつあると、認識すべきではないでしょうか。
* 「暑い暑いも聞き飽きて」と 1.7.25
思っていたら、hatakさんから、タイミングよく「暑い暑いも言い飽きて」とメールありました。
一昨夜の暑気払いの集いで、'You might on my head,today's hot
fish'
(言ふまいと思へど今日の暑さかな)の語呂合わせを披露したら、同年輩の誰も知りませんでした。昔からの駄洒落でしょうか。「煩悩」を何やら言いえて妙で
すが。
新宿御苑の森が、深夜、周囲90Mの範囲に2-3度の冷却気を放散しているという記事がありました。都
会の木々や森もたいへんにご苦労なことですが、森や植樹、街路樹群がもっともっと都会にあれば、とつくづく思います。
むかし、山奥の雑木林を一山もらって、毎夏の緑陰生活を楽しんでおりました。やがて、養鶏場用地に売ら
れ、そして、見返りに、東京郊外に、庭木もわずかな小さな家が一軒建ちました。元の山がその後どうなったか、雑木林が一つ無くなったことは確かです。そん
なことが日本のいたるところで続いてきました。元には戻りません。山には、手入れの行きとどかない、杉・檜の殖林の痕跡ばかりが目だちます。殖産、興産、
開発の名のもとに、つい10年ぐらいまで日本の山々から、川辺から、雑木林が消え続けていきました。世界では今でも伐採が進んでいます。その付けの一端の
一端が、四十度の酷暑としたら?
木々や森との共生・共存は人間だけのものではありません。生きとし生けるもの、みな、今の日本(地球)
は熱い、と感じているはずです。三年ぶりに来日したインド人も、昨夜、電話口で、’Japan, very hot!’
と言っていました(インディアン嘘つかない)。
ひとつだけ、確実に涼しくなる方法を。出かけるときに、麦わら帽子をかぶり、濡れタオルを首に巻くか、
ランニングを濡らす。少しは持ちます。ただ、みんなががそうすると回りに熱が放散され、かえって暑くなるでしょう。
みてくれも なりふりもなき 暑さかな
子供の頃、都電にのると、ステテコ、団扇姿のオジサンも珍しくはなかった、ような。
どなたか、納涼のメール、それも、懐かしい、縁台での夕涼みといった、日本の夏の涼味をお届けいただけ
ないでしょうか。
* 『ディアコノス=寒いテラス』 1.7.24
なんという重いテーマの作品を柔らかくお書きになったことか、という嘆息とともに、即座には出せなかった読後感をしたためさせていただきます。
読んでいる間にふつふつと心に湧くのは、登場する誰彼に似た自分の知り合いであり、ああ同じだと思い当
たる自分の体験です。読者の多くはそのように作品に接することでしょう。その感覚が読後感をもっとも強く占めますが、この作品は、そのように読者に自己と
重ね合わさせるものを非常に多く投げかけます。投げかけられた読者は、自分の体験をもう一度体験し、さて、どうしよう、どう考えたらいいのだろう、と悩み
ます。その深さと広さを満々とたたえた、この作品が、未発表であったということに肅然とした思いをもつのです。内容が時機にかなうかどうかということは、
論じる必要はないでしょう。作者がお出しにならなかった、理由がなんであれ、その事実が、もうひとつの深さをこの作品に与えている気がします。
社会における弱者とはだれで、強者とはだれなのか。弱者といわれる身体的、精神的に「欠陥」がある人に
も「強さ」はあるのか。さまざまな問いを投げかけられていますね。すごい作品だと思います。見事な人間設定がなされていると思います。もっとも印象深く
残っているのは、
「どうか妙子ちゃんを叱ってあげないで下さいましね」と何度も申しました。
という部分です。この部分で、淡路夫人と淡路一家と妙子ちゃんと妙子ちゃんの両親のありようがくっきりとわかりま
す。作者はなんという言葉を書くのだろうと思いました。
さて日本の社会は、いまどこまで成熟したでしょうか。たとえば身障者に石を投げるような残酷さはなく
なったでしょう。でも身障者はお気の毒と考える段階からは逸していず、一方で、身障者に十分な保護を与えてもいない、といったところでしょうか。
知的あるいは身体的に障害のある人にはもっともっと保護を、そのうえで、身障者をかわいそうと思わず、
まったく同等に、つまり身障者に危害を加えられたら何の遠慮もなく反駁する社会をつくりたいと思うばかりです。
どうかそういう論議をわかすうえでも、この作品が多くの人に読まれますように願っています。その意味で
は、いま世に問う御作品であると信じます。
ここから先はお笑いぐさのこぼれ話です。私がたまに参加する人権を問う集会には、よく右翼の人たちが妨
害にきます。このごろは手がこんでいて、一般人と同じそぶりで一人また一人と会場にはいり、ある段階でひどい野次をとばして妨害します。そのなかに、車椅
子の人がいることが最近、有名になりました。知らない主催者だと、車椅子ということで親切に押して会場にいれ、ゆったりとした場所をとってあげます。とこ
ろがその人が一番汚い言葉を投げ付けるのです。つい親切にしてしまう、その度合いが試されている段階かもしれませんね、日本は。
すごい御作品を読ませてくださってありがとうございました。これから娘にも廻すつもりです。
* どの時代が 1.7.24
週末あたりから、ほんの少しだけ気温が下がると予報官の話ですが、如何なものでしょう。草木は微動だにしません。
景気低迷で、デフレの傾向。百円均一の店、ユニクロ(あなたは行った事がないでしょう。それが、バカに
した物じゃないのです)の繁盛する昨今ですが、程々のお値段で、実用的でない、お洒落で、楽しい品物が、全く姿を消していました。生活に関係ないお店はど
んどん姿を消していると我が家の情報通は言っています。
痛みの伴う改革が打ち出され、混沌として、先行き不安を抱えた昨日は株価が大きく下がり、地球上で現実
に高揚しているのは、気温だけ。これまで生きてきて、どの時代が住みよかったかと問われれば、これまた返事に窮しますが、老いも若きも良かったと言える二
十一世紀になるのでしょうか。
* 札幌も大暑で 1.7.23
確かに暑いのですが、それでも東京の大暑に較べれば、涼やかなものです。
論文も、実験も、何もかもが止まり、胸の中で、黒い糸を絡ませたりほぐしたりしながら日を過ごしていま
した。
まだ心は上の空ですが、手は動き、文書を作ったり、ルーティンな仕事をこなしています。恩師の思い出
を、先日文章にしました。この方は、先に亡くなられた上司の指導教官でもあり、仲人でもあった人で、葬儀には札幌まで来られ、私と一緒に骨を拾ってきまし
た。こういう巡り合わせは予想だにしませんでした。
そちらは異常なほど暑く、南の方では潮位が高まっているそうです。例年の異常気象ですが、何事も無くと
祈るばかりです。お大事に。お元気で。メールありがとうございました。
「聴松」という名の「泪の茶杓」
一九八八年三月、茨城県つくば市の研究所の暗室で、私は上司のT室長と電子顕微鏡を使って植物ウイルス
の観察をしていました。翌月に、私は沖縄県にある日本最南端の研究所に一人で赴任、T室長は研究所を退いて大学へ移られることが決まっていて、仕事の始末
や引っ越しの準備に慌ただしい毎日でしたが、真っ暗な広い部屋で蛍光色の画像を見入っているときだけは、静寂な心地で研究に集中することができました。
「君はお茶を習っているんだよね。お茶の道具は何が好きかね?」
暗い部屋に突然、室長の声が響きました。私は口数の少ない室長がめずらしいと思いつつ、前年の冬、十日
間ほど家元を訪れ、それまで魅力を覚えなかった茶杓に、多彩な個性を発見し、深く魅せられたことを話しました。ひとしきり家元での稽古や、雪の京都の話を
しましたが、観察が終わって暗室を出るなり、私はそんな話をしたことなどすっかり忘れて、また忙しく実験に取りかかりました。
私が沖縄に、T室長が大学に赴く日が近づきました。春雨の降る土曜の午後、人気のない研究室で実験をし
ていた私に、荷物の整理をしていた室長が、「餞別をあげよう」と、書棚の奥から小さな包みを出してきました。
「君はこれから沖縄で、おそらく何度も壁に突き当たるだろう。それを一人で解決するのは、決して楽では
ないが、そんな時には、まあこれでも見てがんばりなさい。」という言葉を聞きながら、包みを開けると、桐の小箱から先代家元の茶杓が現れました。中の詰筒
には、太さの揃った特徴的な手で、「聴松」と、銘が。
T室長の母上は、岐阜で千家流をなさり家元の稽古にも通われていた方で、茶杓は、母上のお形見の品で
あったとい
うことを知ったのは、ずっと後のことです。お茶杓一本を胸に沖縄へ赴任した私は、十二年を過ごして札幌へ
転勤しまし
た。T室長は東京大学を定年退官され、現在は茨城県で後進の指導に当たっておられます。お茶というもの
は、お茶席
の中にだけあるのではなくて、時として思わぬところから、忘れ得ぬ体験をさせてくれるものです。私は、一
本のお茶杓あったがゆえに、仕事も稽古も続いてきたのかもしれないと、時々思っています。 maokat
* ドイツ .1.7.22
明朝でも良かったもですが。すぐに書きたくて。
NHKを聴きながら、山瀬ひとみさんの「ドイツエレジー」を読みついでいましたが、また時間切れにな
り、さーと最後までどんな題材かと眼を通していると、なんと私が思った様に、この方もイタリアで、心を癒されているではないですか。私はゲーテがイタリア
紀行で「君しるや南の国」と賛美したフレーズが頭にあって今朝のメールを書いたのですが、矢張りそうだったのですね。
ドイツ人然り、イギリス人も然り、「眺めのいい部屋」なんていう、フィレンツエへ長期のバカンス出発か
ら始まるいいイギリス映画もあります。
異常なお掃除好きも、台所を使いたがらないのも、流言ではない、と。
* 夏バテしないで 1.7.22
ご訂正有り難う。(コペンハーゲンの海と日本の海とを比較してはいけない。)正確にはそうです。比較す
るときの基本でしょうね。対象を同程度にしないと比較にはなりませんから。感情の感覚での比較かしら?
日本も他はしらないし、デンマークも広くて、それほど他に行っているわけではないし、正確にはコペン
ハーゲン近郊の海岸でいいのかな? それとロシアの黒海やアゾフ海の水も海岸もきれいでした。ロシアには5度ほど行って滞在しているけれど、ドン川は澄ん
でなくて濁っていたので、泳がなかったわ。
黒海やアゾフ海も静かできれいでした。一晩バスに乗って、山を越えていきましたね。途中は、空から見る
と一本の線にしか見えない、巨大な街路樹で、延々とその中を通っていきました。夜中、星だけが見える幻想的な広野をドライブしていきます。遠くに一点の明
かりが見え出すと、それがだんだん近く大きくなり、やがて猛スピードですれ違っていきます。戦争の時はここを軍隊や戦車が行軍したのかと、変な想像をして
いました。
水がきれいと言うよりは海岸がきれいというのか、人が少ないというのか?日本にもマナーのきちんとした
閑かな海水浴場はたくさんあるでしょう。でも、この近くにはないのです。
国外でしらないうちに写っている、広い海岸でぼーっと海を見ている後ろ姿は、自分ではなく、何かの写真
集のような感じに見えます。
ホームページは見ております。いつもお仲間とたのしくお忙しそうで、と、拝見しております。私も今年の
夏は元気です。仕事の間を縫ってぼんやりとしに、ふらりとドライブしてきます。遠距離を考えているけれど人を誘うのはうるさいから一人で行きます。これで
何かあるとみんなにびっくりされるでしょうが、私はそれでいつでもいいのです。
夏ばてしないで、お元気で、おいしいもの召し上がって!
* 高校時代の世界史は、 1.7.22
何を習ったのか記憶になく、殆ど映画から、彼方の欧米を美化して憧れていました。その後は何十年間の子
育て、貧しい生活に追われ、そんな事は頭の片隅にもなく、子供を午後三時に昼寝をするようにし向けて、テレビの「ヒッチコック劇場」を観る、至福の時空間
でした。内容は忘れてしまいましたが、オープニングの音楽は、今もウキウキと思い出せます。
子育てしながら、学ぶ人はいますが、私には目先しかなかったようです。今になって悔やんでも後の祭。
聖書にある「バベルの塔」 全能の神が、神の領分を侵そうとした人間への報いとして、国々の言語を統一
しなかったとか。宗教、人種、言語、侵略、風習、芸術、土地が繋がっている為のヨーロッパの複雑な歴史、こんなものに目覚めて注目したのは、そう遠くでは
ありません。今、関心のある一つであるのは、確かです。
脈絡なく、読みやすい物をボチボチと本を読んでいます。すぐに、眠くなりますが。
* 小泉総理のマガジンなんて 1.7.21
読む筈がありません。読むのはあなたの「マガジン」です。
山瀬さんの「ドイツエレジー」は途中までよんで、時間切れになりまだ残っています。読むのに時間がかか
るので、改めてゆっくりと。興味があります。私がドイツを、行きたい国の高位にあげないワケが、潜んでいそうです。
ドイツ系の薬品会社にお勤めのご主人に同行して、当地のお宅に招かれた友人の話に依りますと、台所が汚
れるので、自宅でのお食事接待はなく、レストランへ行き、お宅では帰ってからお茶を戴くとか。隣家の台所にまで、汚れていますよと口をはさむとか。よく聴
く話ですが、本当らしいです。イギリスと並んで、美味しくないお料理は周知の事です。
清潔、綺麗な町並みは悪くはないけれど、私には、旅行者としても、興味が湧かない国です。単なる偏見か
もしれませんが。ドイツ人がイタリアに憧れるのが分かる気がします。
* 電子文藝館 1.7.21
画期的なお仕事ですね。楽しみにしています。
面接した20代に、「最近読んだ本は何ですか?」と聞いたら、「インターネットで何でも調べるの
で・・・最近は読んでいません」と。図書館はもちろん、本屋にも足を運ばない本離れをした「e-young」たちが、文学の世界に入る一つの「門」にもな
るかもしれませんね。
「湖」文庫もますます充実していますね。最近の目精二さんの「花連歌」、すごみのある作品で、ひきこま
れるように読みました。
さるすべり むくげ のうぜんかずら が家に咲いていますが、今年は花が少ないようです。はなみずきが
枯れそうになってきたので、あわてて朝晩水やりをしています。にっこうきすげとほととぎすを買ってきて、植えました。「花連歌」とはかけ離れた世界です
が・・・。
* 大洗 1.7.20
海開きで明日から海は賑やかになりそうなので(夏休みになるでしょうし)、今日は友人と大洗に行ってみ
ました。人も少なくて、曇っていて、日焼けの心配もなくて好都合でした。駐車場もまだ無料でした。海の家も閑散としていました。明日からはこうは行かない
だろうと思います。
海水はかなり冷たくて、磯遊びして、「しったか」という貝を捕っていました。おいしい貝です。こんなと
ころが女の所帯臭さでしょうか?波をかぶったのをきっかけに海に浸かってきました。
* 「寒いテラス」で 1.7.19
あなたが一番言いたかったことは、明確なようでもあり・・でも読者として断言しきれないところもあります。ぐんぐん読めて、登場人物の設定など虚と現実を
ダブらせて、作者の掌中の手法。ホームページで既に多くの人が述べている感想はよくわかります。ストーカー行為こそ受けたことはありませんが、知恵遅
れ・・そう言って適切かどうか・・の子に頼られたこともあります、身近でダウン症や自閉症の子を抱えている人も知っています。妹は大阪で養護学級や、精薄
の学校で長年仕事してきました。昨年は高校生に突き倒されて怪我をしてかなりの期間仕事を休みました。が,今も頑張っています。
誰もが引っかかるものを意識の中に持っている問題だと思います。あなたがそれを小説に書くキッカケは何
だったのでしょうか?
山瀬ひとみさんの「ドイツエレジー」の文章は、文学に入るのでしょうが、微妙?ただし言いたいことは良
く分かります。私自身似た体験もあります。が、理解の底がまだこれから、といった感もあります。ナチの問題はつらいし簡単に近付けない感じさえします。ド
イツ人の潔癖さと一般的に言われますが、そんなに単純に言い切れませんし・・。ドイツ語を学びながら、本当に今は遠ざかりました。ドイツ的なものが自分に
は合わないのかもしれません。
説明が長すぎるとの編輯者の指摘も分かります。
最後のIch liebe
Dichの解釈、理解は、キリスト教徒でない私には保留せざるを得ません。キリストの言う「愛」はそれだけでもう理解に余りますし・・。信ずるにはある種
の飛躍を必要として、私には出来ません。宗教、信仰に対する姿勢はこれはあなたと同じです。バグワンにさえ一定の距離を置いている私です。中途半端な感想
ですが許して下さい。書きたいことを書ききれません。
* 熱暑 1.7.17
草花が涼風に揺れて、これからまだ本物の夏が来るの?
信じられない程に、どんどん気温が上昇して、冷房の放熱が拍車をかける悪循環。人が作った地球環境に人
が慌てふためいている。私は「バベルの塔」を想い浮かべます。大半の人間は浅はかです。戦争もいやだけれど、これは文明と引き替えの恐ろしい危機です。
* 祇園祭に 1.7.16
ディアコノス、そして山瀬さんの作品、読みました。感想は改めて書きます。
今日は祇園祭りに出かけます。まだ時差のせいか睡眠が不規則でつらく、眠れぬ夜が明けました。が、気力
は充実しています。毎年、済ませないと落着かないことがいくつかありますが、祇園祭りに行くこともその一つ。
* 蛍 1.7.16
おだやかな休日を過ごせました。
五日市のログハウスは、秋川渓流を眼下にのぞみ、真下のとなりやの斜面の敷地に、月見草が群生してい
る。ぜいたくな借景。いえ、誰のものでもない自然。人の手が加わらない山里の景観はいい。
「月見草 はらりと地球 うらがえる」(鷹女)
夕闇よせて、山の方の養沢に、蛍を見に行った。禅寺の境内から、川筋をおりて、蛍の二つ三つほのかに見
える。待つこと楽し。
寺では、静かな読経が続く。
「すっときて ついと流るる ほたるかな」(舎羅)
むかし、父親が蚊帳のなかに入れてくれた蛍が懐かしい。冷光が幽玄の涼味を運ぶ。
でも、雨がほしい。夕立が恋しい。慈雨を待つ、干天の唐黍、トマト。実りも小ぶり。トンボが群れるま
で、まだまだ。
「向日葵の 背を向くほどの いまの夏」(拙句)
帰りしなの、粗びき蕎麦がうまかった。蕎麦麦酒の薬味のような刺激も喉にここちよい。
帰宅すると、香港から帰化して商いをする友人から、「むかしは、7月にコートを着ていたよ」と電話が
あった。そんなこともあったかなあ。冷夏の記憶も薄い。
* いろいろなこと 1.7.15
若い時はいろいろなことに関心をもちました 邦楽にはあまりご縁がありませんでしたが 子供の頃から音
楽は好きでした 20代には労音に入会し毎月有名人の演奏を聴いたり バレーを見たりしました 歌舞伎は兄によく連れてもらいました 松竹新喜劇も、文楽
も好きでした お能もそのうちにはいりますが回数は少なかったと思います スポーツは小学生時代は運動会が大好きでしたが、他は努力して出来るものと出来
ないものがあり 最も出来ないのが登り棒でした 水泳も好きでしたが、卓球は高校時代チーム戦の補欠で東京まで行きました
お相撲は祖父の代からのフアンで 今も応援する力士がいます 野球は昔中日フアンでしたが今は高校野球
です
しかしこれらの記述とはうらはらに 実は持久力のない虚弱児でした それなのに人並に頑張ろうとし続け
たので、いまでは全く虚弱おばあちゃんになりました そして5年ほど前に大たい骨骨折、人工関節(左)の状態になってから大方は夫の車で、一時間ほどの所
だけ出かけます 京都へは気候のよい時の法事だけいきます でも昔も今もいつも良い友に恵まれ 楽しめるものが沢山あり、心豊かに過ごせるのは幸です
5月はじめからの風邪がこの頃やっと少し良くなってきたかの状態で失礼いたしました 涼風一日千秋の思
い切なるこの頃どうぞお大切になさってくださいませ
* おじさんはつらい 1.7.15
ホームページについての『親切懇切』な解説のメールを貰えて、本当にありがたい事ですね。試しに、
「ページのソース」(表示→ページのソース)を見てみたら、確かに『ご指摘』の通りになっていますね。HTML
を知らないおじさんには、よくわかりませんが、秦さん『なんとかスルゾー』で直せましたか?わかってる人には何でもないことなのでしょうが、おじさんは辛
いですね。『東工大の方々』もお忙しいでしょうし、秦さんもお忙しそうですし。少し夏休みだあーってぇのがあるといいですね。ご健闘ご成就をお祈りしてお
ります。猛暑にもくれぐれもお大事にしてください。
* 秦さんのホームページ 1.7.15
毎日、秦さんのHPを楽しみにしておりますが、専門文芸誌から全国紙?ジャーナルへ、個人商店からスーパーへ、タイトル、テーマ、品数増えつづけ、千客万
来、インタラクティヴ傾向益々顕著、これを独力・一手引き受けでは、うれしい悲鳴を通り越して、と、いささか気がかりです。
いかな、博覧強記、思想堅固、闊達自在、人間アーカイヴ秦恒平でも、おのがじし、身を処しうるかどう
か。オープンな「場」について、「私語の刻」だけではもう難しいかも知れませんね。ここはもともと「闇に言い置く」ひとりごとの頁だったはずかも知れませ
んし。
秦さんのHPが繁盛する理由:
1)動きがある(変化に富んだ話題が、早いテンポで展開する、つまり、回答の書き込みが早い)
2)新しい(人はとかく「野次馬根性」が強く、新鮮な話題に飛びつく)
3)身近に感じるものが並ぶ(自分(読者)に関係あるものが増えれば、当然、反応も増えていく)。ただ
し、落ち着いた感じの「e-文藝」への反応は少なく、もっぱら、ジャーナルな「私語の刻」に集中している。
4)親近感を感じればこそ(もとより、秦氏独断の投げかけではあるが、共通性、普遍性が多いというか、
掘り起こしているというか)
5)具体的な内容(抽象的なモノより、日々のカレント・トピック、それも具体的な各論、総論が増えてき
た)
6)気がかりなもの(各人が抱えている問題や悩みが掘り起こされれば、当然、リアクションも増えてい
く)
7)対立するもの(人は、結果のはっきりしているものより、拮抗しているものに興味を示す。寝た子を起
こすこともよくあ
る)
8)ユーモアのあるもの(楽しいもの、うれしいものには、ひとりでに興味がわく。硬軟とりまぜて)
9)欲求に訴えている(話を聞いてくれる(聞き上手)、返事がある、というのは、相手の欲求を満たす度
合いが強い)
これ、「お客の心を開かせるセールス・トークの秘訣」なり(坂上肇『ひとをひきつけるセールス・トー
ク』より)。
身近な「現代(作家)のスター不在」があるやも知れませんね。微風・順風をよしとせず?「風穴をあけつ
づける」作家・思想家は、「風通しをよくしたい」と願う筋からあまたの支持を得、期待をになうことになりましょう。ひっきょう、結果のいかんにかかわら
ず、衆愚(そして、お客、弱者、善男善女)の代言者となる。そしてスターともなりうる。「衆愚」とは片腹いたきことはなはだしくも、逆説的には、アテナイ
の民主主義を愚弄した暴言と思えばスッキリしましょうか。
好みで言うと、「古典」「文藝」「美学」の兄貴分たる秦さんには、その方面をきっちり確保し、続けてほ
しい。新芽を育む責任もありましょう。カレント・トピックのインタラクティブな「場」については、二つ三つテーマ分けしてはいかがでしょうか。間口が広
がっても、少し整理されましょう。そして、「闇に言い置く」の「闇」が「あらゆるものをとりまき、呑みこむ闇」なら、これからも、「ぐつぐつ煮えたぎる大
釜」の底を覗いてまいります。あとは、御身大事にと願うばかりです。
* 暑いより熱い日。 1.7.14
階下のクーラーは来客のない限り、身体の為にと、午後四時頃から就寝までつける事にしています。
昨日のあの熱気に負けまいと、まるで暑さの我慢大会の如く、変な処で頑張り、ほとぼり出る汗をシャワー
で流し、扇風機の暑い風を受けながら、さすがにショートキュロットでソファーに座り、久しぶりに読書とビデオ三昧の一日でした。夏場の家事は、早い時間に
済ませておかないと、老年には堪えます。
処で、夢は睡眠に浅くなった明け方に観るのでしょうか。この四、五日 はっきり覚えている佳い夢を観ま
す。醒めないでと想いたいほど。
今日も暑くなります。フウーーー
* 草も揺るがず。 1.7.14
暑中お見舞い申し上げます。
秦さんのストレス性胃痛?の原因が、自分以外にあるというのも気になりますが、何という、国の、地球の
喘ぎざまでしょうか。警鐘は鳴り続ける。どこへ漂着するというのだろうか。ガイア号は。
いまはただ暑さと鬱陶しさを避けて、沈思黙考したい、いや、心と頭を空っぽにしたい。緑陰で。
秦さんの<バグワン>もずーっと先から気にかかっております。
いま、ヘッセの『シッタルダ』の世界にいざなわれ、久方ぶりに深くゆっくり読んでおりますが、樹の下陰
での瞑想に心を馳せる。 やはり、覚者(ブッダ)に触れ、近づくしかないのだろうか。暑さと鬱陶しさを払底、自覚・体得しうるのは。
昨日は、朝から、金まみれの話、不景気な話ばかりで、うんざり気味。ランチは新宿角筈の中村屋で、熱く
てちょっぴり辛いインドカリーを、夕餉は、近くの冷房のきかない中華ソバヤで、熱いネギ中華に三斗の汗を流した。これ、ただ、先亡の夏バテ防止の智慧な
り。インドカレーは、ことのほか夏の胃にやさしいという。夜は松田優作『それから』を鑑た。優作演じる代作(代助)の眼に、シッタルダの懊悩をほぼ完全に
とらえることができた。
明日は、五日市のログハウス・アシュラムで第三回目のヨガ・瞑想の伝授を受ける。アメリカで「和尚」に
会ったこともある義弟のヨガは、呼吸法、瞑想をまぶし、<抱っこしあって揺れている、双子の枇杷のように>やさしい、どこまでも無理がない。
声は静謐、眼に濁りはない。
いま、バグワンの目を見つめる。深い、深い、どこまでも深く(哀しく)大きい。バグワンの双眸は一点を
見つめるかのようで、さにあらず。収斂にあらず。収縮にあらず。青山を茫洋ととらえ離さない、達人の放散。
壁にかけ、あかず朝の目礼を交す、ラマナ・マハリシの温容(写真)は、微笑みを絶やぬ。眼はどこまでも
奥が深い。足裏は仏足のやわらかさを保つ。ホンモノの裸足のヨギやサドゥーの足裏は柔らかいという。
クリシュナムルティの声はあくまでも静かで低く深い。
タゴールの眸にも何かを感じる。ミラレパにも。
2年前に教えを受けた、シュリシュリ・ラヴィシャンカルの眼にも吸い込まれそうになった。
そろそろ、四十五年におよぶ、似非精神生活に答えを見出す時期かも知れない。子供のころから、断続的に
真似事名を繰り返してきた、ヨガや瞑想や呼吸法に、「形」を捨て、「中味」をとりださなくては。
心底から、もの静かな「男たち」の語り口に耳を傾けたい。
一つ年上の義弟は、「2時間のヨガや瞑想より、半時間のハンモックのまどろみの方が、ずっと心地いいで
しょう」と静かに微笑んだ。明日もまた、ハンモックに揺られたい。かつて若き日の父が蓬莱島で揺られ揺られたように。
シッダルタ・秦恒平は、57の夏に何を想い何を書いたのだろうか。いま、覚者へ近づいているのだろう
か。孤独の行者として。
私も何か書かなくては、そろそろ。
御身大切に。また、どこかでお目にかかりましょう。一期一会もさらによし。
平成13年、太陽暦・文月のある朝。57歳の一読者より。
追伸:出版関連の人と話していたら、「街の本屋が、ブックオフで、見た目完璧な新本を半額以下で買って
きて、在庫扱いで返本しているのも、大いに問題(つまり、出版・流通経路より、ブックオフ仕入の方が儲かる)。伝票も何もあったものではない」と嘆いてお
りました。
* 神戸も暑いです。 1.7.14
学期末で忙しくしておりました。
さて、日本ペンクラブが「著作者の権利への理解を求める声明」を出したようですが、少し感想を。
新古本のブックオフと図書館を同一視するのが、まずもって理解し難いです。
私など最近本を出した者は、経験不足であるのかも知れませんし、また文芸作品とハウツウ本では差がある
ことを考慮しても、図書館は著者の権利を侵害するというより、図書館問題研究会が指摘しているように、むしろショーウインドウ的役割を果たしていると思っ
てきました。
読者はまず図書館で本に触れ、手元においておきたいとなれば多少の不便は承知で新規に購入してくれるこ
とに繋がると、そう思ってきました。だから、実際WOPACで図書館の蔵書を検索して、北海道やその他の地方の図書館に備えてくれていることを発見した時
には、正直嬉しかったです。また地元の兵庫県立図書館から寄贈の要請があったときに
も、快く応じてきました。
でも、執筆を生業とし、またその経験が長くなると「著作者の権利への理解を求める声明」のようになるの
かなあと、そう感じております。
図書館問題研究会の以下の提言には耳を傾けるべきと思います。
「図書館は著作権者の敵ではない。共に、豊かな出版文化を創造していくパートナーであると、われわれは
認識している。今後は、著作権者の権利と図書館利用者の権利の双方を保障していくことをめざして、当研究会としても積極的に取り組んでいきたい。全自治体
のおよそ半分におよぶ図書館未設置自治体の存在など、多くの問題を抱える図書館への理解を求めるとともに、共に、図書館設置促進と図書館資料費の増額に取
り組みたい。」
以上、執筆経験の浅い私の感想です。何かの参考になれば幸いです。この猛暑、ご自愛ください。
* 帰国。 日本に戻ってきました。 1.7.11
10日、朝7時フィレンツ発、ボローニャに立ち寄りウイーンへ。ここで5時間近く待ち日本へ、いつもな
がら長い道中で、帰ってくるまで前の日からほぼ2日間、あまり眠っていません。家に辿り着いてさて、洗面所やそのほか、とにかくこれから掃除しないと・・
眠いのですが。早速、ホームページの最近の文を読みました。お元気そうで安心しました。
* 図書館問題 1.7.12
昨晩、図書館問題研究会の全国大会(高松市)から帰りました。
大会の全体会でも分科会でも、ペンクラブ声明のことは重要討議事項の一つで、急遽、それに対する図書館問題研究会からの声明を出すことになりました。近日
中に日本図書館協会を通じてペンクラブの事務局に提出すると思います。
図書館問題研究会の事務局には、文藝家協会に対しても何らかのお願いをしておいたほうがよいと伝えまし
た。そして、これを好機に、作家や編集者の方々と懇談の機会をもったり、意見交換が出来るメーリングリストを立ち上げることも提案しておきました。私のほ
うでは、関西で著述家・編集者・書店・読者の方々と図書館員とがつながりをもてる方策を模索したいと思っています。
作家や出版社の方々だって、ただ自分たちの本が売れてお金が入りさえすればよいと考えている人ばかりで
はないはず。金銭のことよりもまず自分の表現活動の場を守り、一人でも多くの読者にその機会を提供することに腐心していらっしゃる方もたくさんあるはずだ
と思います。そういう方々には、公共図書館が果たす役割の大切さや、公共図書館が「無料」であることの持つ意味も理解してもらえるはずだと信じています。
取り急ぎ、大会で検討した素案を郵便でお送りします。(すみません、スキャナーを持ってないものですか
ら。)事務局から成案が届いたら、またメール添付で送ります。鳥取市民図書館司書 西尾肇
* 何といっても、お互いに話し合うことなく、いきなり声明で抗議というのは、国家権力など、また
は重大な人権侵害などでならとにかく、粗忽に過ぎると感じていました。声明でお応えになることは、この際適切な措置と思います。 秦生
* 社会的弱者という武器 1.7.11
例年より随分と早く、梅雨明けとか。ついこのまえに黒南風を見たばかりのような気がしますけれど。で
も、これほどお天気つづきですと、改めて梅雨明けを実感するにはあまりにも拍子抜けですね。
「ディアコノス=寒いテラス」を、読ませて頂きました。最近、まとまった時間がなく、ようやく手にとる
ことができ一気に読み上げてしまいました。もう山ほどの御感想をお受けしていらっしゃると思いますが、最近私の身に起こったことも考えあわせて、余分かも
しれませんが少し感想を送らせて頂きます。
(中略)
先生、人間、何が卑怯と言って「死ぬ」あるいは「殺す」というほど卑怯なことはないと思いませんか?
「死ぬ」と言われて何もしなければ、「ひどい人」「残酷な人」です。「死ぬ」とさえ言えば周りは言うことを聞いてくれます。こんな便利な台詞は他にないで
すよね。
(中略)
「妙子ちゃん」に甘く記事を書くマスコミに、私は現代のパラドックスを見ます。今、この時代、弱者であ
ることは「武器」です。「弱者だから、何してもいい」が許される。この論理は、最近の痴漢ぬれぎぬでも現れていますね。社会的弱者であるはずの「女性」が
訴えているのだからキミは犯人だ、と。これを逆手にとって、サラリーマンを弄ぶ少女が増えているそうですが。
「妙子ちゃん」を最後にならなければつきはなせなかった「淡路」一家も「弱者の武器」による被害者なので
しょう。「妙子ちゃん」という社会的弱者、加えて「死ぬ」「死のう」という脅し。これほどの脅威はありません。「強者」であることはそんなに罪ですか?私
が「淡路」家の人間だったら、そうやって居直るでしょう。「強者」は「強者」であるために必死で戦って来た。少なくとも、私はそうでした。父も母も出戻り
の姉も最近自殺しかけた姪も、みな鬱の我が家の中で、唯一逃げ出さずに、そして病まずに残った唯一人でした。言うのも口幅ったいことですが、そうなるまで
に、たくさん悩んだし、たくさん考えたし、たくさん泣いた。それのどこが悪い、と、今会ったら、私は姪に言い返してしまうかもしれません。
もちろん、努力してもそうできない人もいます。「妙子ちゃん」も自分で望んで障害者に生まれたわけでは
ないですから。姪も、豊かな感受性を持ちながらその制御の能力がない、という点で気の毒ではあるのです。
だからと言って、無条件に「弱者」を受け入れていいものでしょうか。
「社会的弱者」だから「言うことを聞いてあげねば」という論理がこのまま増長していけば、この国は、そ
の論理によって自己崩壊を来たすでしょう。20年も前に、福祉拡充がようやく言われはじめたばかりの頃に、このパラドックスに気づいていらした先生のご慧
眼に心服しております。
「弱者」がそれだけで力を持ち過ぎた現在、その規制を本気で考える時期なのではないでしょうか。それ
は、行政や法制度だけではなく、一人一人が、「弱者」への距離を考えなければできないことのように思えます。「『強者』であることはそんなに悪か?」とい
う口惜しさを持って生きて来ている人たちは少なくないはず。現に、私の周りにもたくさんいますから。
個人的には、まず最初に、マスコミ(某新聞や某テレビ局を中心に)にね「弱者」であるというだけで持ち
上げる姿勢を改めてほしいですけど。この姿勢が改まる、いえ、弱まるだけでも「淡路」家はあれほど悩み、苦しまなくてもよかったのではないでしょうか。
長い長いメールとなってしまいました。暑さの上にお忙しくていらっしゃるところへ、さらに暑苦しいメー
ルで失礼いたしました。前半の私の家の話は、読み終わられましたら、単なる前ふりとしてどうぞお忘れ下さいませ。
少しお疲れのご様子。どうぞ、お身体をおいとい下さいませ。
* ディアコノス 1.7.8
秦さん、こんばんは!暑い日が続きますが、お元気ですか?でも今日は夜になって、ぐっと涼しくなりましたね。
こちらは元気に過ごしています。楽しく、それなりに充実した毎日です。(職場全体では、かなり厳しい状
況なのですが。)ただ、社会人生活にも慣れてきたせいか、ともすると日々がちょっと惰性になりがちかもしれません。
送って頂きました「ディアコノス=寒いテラス」、興味深く拝読しました。人と人との出逢いは、一歩間違
うと、やはり怖いものだな、という考えが頭に浮かびました。時には人を大きく変え、良い方へ導くことも有れば、時には人を破滅へ導いてしまうこともある。
インターネットで出会った末の殺人事件などをみても、いつもその裏腹な怖さを思っています。どんな人でも、その渦中に巻き込まれる可能性があるのだと、そ
れも、被害者としてとは限らず、加害者としても。
節子や彼女の家族の対応には、はがゆさを感じてしまいました。障害者と健常者との関係ゆえの難しさ、拒
絶への罪悪感、後ろめたさは、確かにあるのでしょう。
ですがそれでも、やはり人間と人間とのことですし、相手が誰であれ、自分に照らしてどうしても許容でき
ないことは、断固拒絶する正当な権利がある、のではないでしょうか。その上でも、やりきれなさ、後ろめたさは付きまとうのでしょうけれども。
きっと当時だと、合法的に妙子ちゃんの訪問を禁ずる手だてがなかったのでしょうね。今ならきっと、ス
トーカー防止法の適用がされそうです。
読後かなしく、考えさせられる作品でした。
またお時間のある時にぜひお会いしたいです!それではどうぞお体を大切に下さい。
* 玉三郎の鷺娘 1.7.8
お元気ですか。毎日暑いですね。わたしの職場は冷房の効きが悪いので、冷房病の心配のない夏です。
今日は玉三郎さんの舞踊公演に行ってきました。地唄の「雪」と長唄の「羽衣」、「鷺娘」でした。300
人くらい入る劇場でした。地唄を踊るにはぎりぎりの規模だったのではないかと思います。わたしは後ろから二列目でしたから、地唄のときは遠めがねを使いま
した。
何といっても「鷺娘」に期待していました。ビデオで幾度も見たはずなのに、泣けました。生の力はすごい
ですね。踊りとしては、しっとりした地唄や、長唄といっても能がかりの「羽衣」に比べ、歌舞伎舞踊ならではの見るものを飽きさせない趣向に富んだ「鷺娘」
は、うわべの派手さゆえに底の浅い感があるのではないかと思っていたのですが、どうして、からっと飛躍する世界が、見る側の解釈を自由にしてくれます。玉
三郎さんも、雰囲気を大事に踊ってくれています。
踊りを見ていて、わたしの「さぎむすめ」、最後のところをもうちょっと直したいなと思いました。話の中
で路子が「鷺娘」を踊りますが、ほんとうは引き抜きやぶっかえりのある演目を踊れるはずないし、そうとわかって書くならば、もっともっと幻想のリアリティーを突き詰めなければならないと思っています。でも、それを書いて伝えるには精進が足
りません。いやはや、そうそう思うようにはならないものです。
清潔な文章のことをいつも考えています。今はまだ実体がつかめません。いつか腑に落ちるときが来るので
しょうか。
川端康成は通俗な内容を美しく書いているなと思っていましたが、改めて読んでみると、その文章はあまり
お
手本にならない気がしてきました。ガラス細工をつなぎあわせたような文章は、安易にこちらへ持って来ようとすると、ばりんと割れてしまいそうです。
「書くことは泥を吐くこと」、身にしみる言葉です。わたしはまだまだ泥を吐ききれていない。
日本の少女がヘッセのもとに、いつもあなたがわたしを見てくれていると信じています、という手紙を送っ
たそうですが、わたしは秦さんに同じことを申し上げます。1.7.8
* 『死なれて・死なせて』 1.7.8
小さな宝物箱に、また一冊本が増えてしまい、苦しそうだ。
何かもう少し大きな箱はないかな?と思い家の中をうろうろしている。
その一冊の本が秦恒平さんの『死なれて・死なせて』のエッセイである。
物を整理整頓出来ない私は大切なものも、すぐに無くしてしまう。情けない事に、毎日無くした物探しを、
している。
見るに見かねて、「本当に大切のものは、この箱の中にしまいなさい。」と、夫が黒い箱を私にくれた。私
はそれを宝物箱と名づけ、力量のある作家が魂を削って書いた、生きている本をしまっている。
箱の中には聖書、太宰治単行本すべて、太宰治の写真集、ヘルマンヘッセ『車輪の下』、有島武郎『一房の
葡萄』、夏目漱石『坊っちゃん』、『こころ』、秦恒平『死なれて・死なせて』である。
魂の宿っている本は、本を開いた瞬間に語り掛けてくる。本を読むと言うより、作者と読者の魂のキャッチ
ボールをしている気分になる。
おだやかな魂のふれあい…私は、生きている本を心から愛している。『死なれて・死なせて』も、私にとっ
て生きている本である。
このエッセイは私に、生きるものの生涯が、死なせてしまう側にもなるし、死なれる側にもなると優しく教
えてくれた。そして二十歳で死んだ、従兄(お兄ちゃん)のことを鮮明に想い出した。幼い時から白痴と呼ばれ、いじめられていじめられたあげく、二十歳の時
に、シャボン玉のように、パチッと消え、この世を去った。若くして死んだ事を、みな悲しみ「これからが人生だと言うのに、早すぎる。」と、言い涙していた
ことを覚えている。
でも私は違った。死んだ従兄に手を合わせ、心の中で「お兄ちゃん、よかったね、やっと死ねたね…」「神
様、どうかお兄ちゃんを安らかに眠らせてあげてください…」と呪文のように何度も唱えた。
私には解っていた。お兄ちゃんがこの世で「生きにくい草」だと…、影が薄すぎた。人間は動物。強者と弱
者がいる。純真無垢な子供の世界でも、強者が自然に嗅ぎ付けて、弱者をいじめる。いじめを見るたびに、残酷な動物の本能を感じる。
小学生の頃、金魚が好きだった私は、大きな水槽に、たくさんの金魚を飼っていた。一匹だけ、どうも弱そ
うで影が薄いなーと感じていたら、やはり強者の金魚にいつも突付かれ、どの金魚よりも早く死んでしまった。死んだ金魚の体には、無数に突付かれた跡があ
り、哀れな姿だった。その時初めて、幼いながら弱肉強食に、うっすらと触れた。
従兄は、二十年の人生は哀れに写ったかもしれないが、きっとそれだけではない…、友達が出来ずいじめら
れ続け、深すぎるほどの悲しみを知り、その悲しみが在るからこそ、普通の人は感じないような些細な事にきっと喜び涙したこともあったのだろう…、あの時私
は「早すぎる」と語った人たちは、この世を生きぬく強い草で、きっと弱者の気持が理解できないのだと思った。無学で白痴と呼ばれ、人間関係では、必ずいじ
めに合ってしまう従兄が、これから先、どう生きていけようか?遺書さえ、残すことも出来なかったのに…、二十年の人生で80年分くらいの心の傷を負ったに
違いない。
従兄と二度とあえなくなる悲しみはあったけど、この死は従兄にくれた神様の思いやりだと私は思った。こ
れが私の中で一番心に残る、「死なれて死なせ」てである。
生きるものの生涯において、必ず、加害者にもなり被害者にもなり、「死なれて死なせて」があると思いま
す。この純で、弱者の従兄でさえ加害者になりうる。勉強が出来ないため親を悩ませ、悪い子にお金をせびられ、親の金をこそこそ盗んでいた。どれだけ親を心
配させたことか…そのあげくあっさり死んでしまった。
親や親族はもちろん「悲哀の仕事」をした。
しかし、芸術には、「死なれて死なせて」がない…作家が死んでも、魂の宿った芸術は生き続けているから
です。
太宰治を読んだ時、本が魂を揺さぶることを肌で感じた。私の中で太宰は生きている。だって本が話しかけ
てくるんだから…
太宰をもっと知りたくなり、野原一夫『回想、太宰治』を読んだ時、最後に太宰の死にざまがリアルに書か
れてあった。私は、わんわん声を立てて泣き、そして泣きじゃくった。今でも文章が生きているからこそ、太宰の死を完全に認めたくない…二度と、この本を読
むまいと思い、ごみ箱に投げ捨てた。もう太宰に関して調べるのはよそう。きっと書簡集や作家の研究書は絶対に死に着いて触れているだろう…二度と触れま
い…私の中でこの作品たちが生きているのだからそれでいい…。
心底愛せる作品しか、私の宝物箱に、けっして入れない。
秦さんの『死なれて・死なせて』は生きている本として宝物箱に入っています。これから何10回も何10
回もこのエッセイを開くだろう…この本がぼろぼろになっても…。
生きている本との出会いをうれしく思っています。この作品との出会いの心の喜びを上手に伝えたいのです
が、文章を余り書けない私はうまく伝えることが出来ません。もどかしい思いです。
秦さん本当にありがとう。
* 美しい東京弁を 1.7.8
話ことばは難しいです。私の場合、関西では関西の子どものことばで話し、東京に来て東京の子どもの少し
乱暴なことばに合わせることで早くなじみました。「ことばは、相手に合わせて話すもの」という幼児体験が作られてしまったようです。北関東の県できちんと
しつけられて育った夫には、語感の違いでずいぶん怒られました。東京の友人と「おはよ
う」といいかわしていたのを「おはようございます」でなければ失礼だ(確かにそうですね)、タクシーの運
転手さんに「ご苦労様でした」を不遜だ(それから「お疲れさまでした」と直しました)。一方、夫の家で「お母さま、めしあがりますか?」「私もいただいて
よろしいですか?」「そうさせていただきます」は、みな、丁寧過ぎて、へん。「お母さま、お食べになりますか?」「わたしも食べていいですか?」「そうし
ます」でよい。夫の母からも「いただかせていただきますわ」と、からかわれました。20歳ころのことです。
その後地方生活が長く、東京弁は「お高い」と言われて、少しずつ鳥取の「どうしんさっただか?」という
敬語や、岐阜の土地ことば、北海道のまったく敬語のないことば(しかも、「こんにちはァ」というと、もうリビングに、社宅のおむかいの奥さんが入り込んで
きているのです)、そして京都・・・(ここでは東京弁を崩さなくてすみました。) 地方勤務の長い転勤族の妻は、東京弁を崩さなければとうてい近所づきあ
いがスムーズにできなかったのです。
朝のテレビドラマが東京のときはほっとして、なまりのある(関西以外の)ときは、きくのも嫌でした。美
しい東京弁を思い切り話したい・・・ という思いにかられて。
相手によってことばをかえる ことが、自然になってしまったような気がします。
ただし、仕事の縁の人で、岡山出の人が「よう げんきかあ?」といったとき、「うん、元気だよお」とい
う東京の女性は「おう、のりが ええなあ」といわれます、が、私は「ええ、元気ですよ」ときちんと話します。これが私の、その人との距離です。
* 歯がゆい 1.7.8
暑い日が続きますが、お元気ですか?でもゆうべは、夜になって、ぐっと涼しくなりましたね。こちらは元
気に過ごしています。楽しく、それなりに充実した毎日です。(職場全体では、かなり厳しい状況なのですが。。)ただ、社会人生活にも慣れてきたせいか、と
もすると、日々がちょっと惰性になりがちかもしれません。
送って頂きました「ディアコノス=寒いテラス」、興味深く拝読しました。人と人との出逢いは、一歩間違
うと、やはり怖いものだな、という考えが頭に浮かびました。時には人を大きく変え、良い方へ導くことも有れば、時には人を破滅へ導いてしまうこともある。
インターネットで出会った末の殺人事件などをみても、いつもその裏腹な怖さを思っています。どんな人でも、その渦中に巻き込まれる可能性があるのだと、そ
れも、被害者としてとは限らず、加害者としても。
節子や彼女の家族の対応には、はがゆさを感じてしまいました。障害者と健常者との関係ゆえの難しさ、拒
絶への罪悪感、後ろめたさは、確かにあるのでしょう。ですが、それでも、やはり人間と人間とのことですし、相手が誰であれ、自分に照らしてどうしても許容
できないことは、断固拒絶する正当な権利がある、のではないでしょうか。その上でも、やりきれなさ、後ろめたさは付きまとうのでしょうけれども。
きっと当時だと、合法的に妙子ちゃんの訪問を禁ずる手だてがなかったのでしょうね。今ならきっと、ス
トーカー防止法の適用がされそうです。
読後かなしく、考えさせられる作品でした。
またお時間のある時にぜひお会いしたいです!
* 組織 1.7.7
亡父は、終始、目立たない宗教的・政治的世直し活動のなかで、「無銘道」を提唱し、個の修行者として
ネームレスをつらぬき、まわりのすすめにもかわらず、宗教集団が金儲けに堕することをおそれ、群れを好まず、「宗団」を立ち上げませんでした。これは、私
の父への評価の一つであります。
小生のいわば親爺のような存在の、元外交官のHさんは、今年85歳。退官されたあと、一切の天下りを断
り、唯一、私がかかわっていた、非法人格・非営利の文化団体の会長役をお引受けいただき、私財も投じられました。Hさんの現役当時からのあだ名は「頑鉄」
(頑固一徹な無私の直言居士。鉄は名前の頭文字)だったそうです。こういう生き方も大好きです。
これは、「組織の経営戦略」「もとより力をたのみとすることで、何らかの力を行使することにつながるか、つなげる群れの習性」といったこととは別の、「望
ましい組織のありようと、個々の組織とのスタンス」にもつながる個の好み(思想)の問題でありましょうが、組織は、まず「全体経営あっての組織」が現実の
命題。ただし、人事・組織の刷新なく、偏りがあり、政治力学に終始すれば、やがて力劣え、改変・解体されていくのは世の常でもありま
す。総意を反映することの難しさを克服する有効な手立ては、ひとりひとりの組織への積極的・実質的参加
と、権利と義務の行使・履行しかありませんが、その前に、「まずミッションありき」、かつ参加への均等な機会が与えれるようにするのが肝要です。
* 日本ペンクラブによる図書館への抗議声明
1.7.7
は本当に残念でした。
確かに、大都市圏の図書館の複本購入には、私たちから見ても、ちょっと度が過ぎるのではないかと思うよ
うなところもあります。でもそれは、それぞれの図書館が、それぞれの図書館の資料費や利用者からのリクエストを勘案しながら主体的に判断されておられるこ
となのだから、他の自治体の図書館員が口をはさむことではないと思っています。住民代表である図書館協議会の方々(あるいは教育委員の皆さん)がもっと関
心を持って論議されるべき問題だと思います。ご自分たちの税金で、ご自分たちの「知る権利」の保障を図書館に付託されているのですから。
ちなみに私の勤務する図書館の図書購入費は約2000万円ですが、複本については予約者の方を3カ月お
待たせしない(1人の方が2週間借りられるとして)というのを基準に、しかし最大7冊までと決めています。これが多いか少ないかは、それぞれの図書館の地
域事情や図書購入費との兼ね合いによると思います。(私の勤める図書館では、移動図書館が市内37ヵ所のポイントを2週間おきに巡回し、50ヵ所以上の公
民館や老人ホームなどに団体貸出の本を届けていますので、本来ならばベストセラーの本は80冊でも買って、すべてのサービスポイントの人に公平に読書の機
会を提供して差し上げたいところなのですが・・・。本県の方々はたいへん奥ゆかしくて、リクエストの本がすぐに読めなくても、文句もおっしゃらず、自分の
順番が来るのを待ってくださって・・・本当に申し訳なく思うことが多々あります。
日本ペンクラブの方々をはじめ、著作権者の方々に対しては、私個人としては保証金を払っていくことにや
ぶさかでありません。コピーの問題同様、財産権としての著作権に関わることに対しては、図書館における資料の貸与には何らかの金銭的保障措置が講じられて
もよいだろうと思っています。ビデオ映画については、すでに保証金を支払っているのですから。
ただ、ペンクラブの方々に申し上げたいのは、公共図書館は無料で、しかもリクエストに積極的に応えよう
という姿勢があって複本も購入しているからこそ、これだけ利用が伸びているのであって、じゃあ図書館が複本を購入しなかったらこの利用者の方々がすべて書
店に走って行ってその本を買われたかといえば、私は疑問だと思います。むしろ、図書館
は(特に書店のないような地域では)宣伝効果を高めるうえで大きな効果をあげていると思うのです
が・・・。
特に林望さんの本なんて、全国の図書館員が書誌学者としての林さんに親近感を覚えて、出る本、出る本、
買い続けていったおかげであんなに知名度が上がったのに(と、私は推測しているのですが)、「文藝春秋」であんなこと書かれるものだから、今や総スカン。
売上げも落ちているんじゃないでしょうか。(笑)
それはともかく、図書館員の専門性を否定するような人事異動や民間委託、非常勤職員に依存した職員体制
等によって、図書館員の選書能力が落ちていることは確かです。複本問題をあげつらうなら、同じように図書館司書の専門性や資料費の確保についても問題提起
していただきたかったと思います。米百俵じゃないですが、目先のことにとらわれて、もっと大切な「知る権利」や「表現の自由」、さらに言えば民主主義と地
方自治の土台たる公共図書館の生命線ともいうべき職員問題を見落としてしまわれたら、日本の文化そのものの危機を招くことになると思います。
著作権料の問題だけでなく、もっともっと現実的な運営や政策の問題についても、作家の方々に、一緒に図
書館の問題に取り組んでいただきたいと思います。秦さんのような方がいてくださるのは、まことに心強いです。
全国ネットで、意見交換や情報伝達の出来る図書館員のサイトというのは、個人レベルでは色々あるようで
すが、それぞれ個性が強すぎて私にはついて行きづらいところがあります。明日から、高松で開かれる図書館問題研究会の全国大会に参加してきますので、面白
いサイトがないか、各地の図書館員に聞いてみます。
* 日常会話には 1.7.7
私は人との距離によって言葉を使い分けています。ざっくばらんな、ぞんざいなことばは一番親しい身内に
だけ使うことば。家族だけです。おさななじみでも、この年になれば少しよそ行きのことばで話します。
会社の中では「です」「ます」を崩したことはなく、社員にものをたのむときも「・・・してくれる?」と
か「・・・してくれない?」とは決して言わずに「・・・していただけますか?」といいます。これが女ばかりの職場の規律になっています。「丁寧語」「尊敬
語」「謙譲語」を正しく話すように、自ら率先しています。これがうちの会社のスタッフやお客様への姿勢の表れと思っています。
女ことばは余り得意ではありませんが、身内以外の親しい方とお話することばは人並みに使えると思ってい
ます。
* 東京の女ことば 1.7.7
現代の(東京の)女性言葉についての問題提起、とても興味があります。わたしのまわりには、とくに、年
配のご婦人で美しい言葉を十分に残しておられる方もいらっしゃいます。四五十代でも人によっては。
いわゆる日常丁寧語の境界・枠組みが不明瞭になったことが、「乱れてきた」「なくなってきた」原因の一
つかも知れませんね。
口語はもとより双方向ですから、一人で美しい言葉を守るのも至難ですが、(若いひとと同じように)けっ
こうTPOで遣い分けしているのでは、と思います。ただ、身近なお手本がないと、うまくいかないかもしれません。行儀作法と似て非なる、とも考えます。
記憶にあった「話のネタ」を繰ってみました。ひとつのヒントとして。
「「いいわ」「だめよ」の「わ」や「よ」は、文末の語に続けて、軽い詠嘆や念押しを表しますが、江戸時
代以前では、一種の甘えの幼児語で、とくに、庶民階級の子供に限られた。武士の子供には無縁であった。明治に入って、だいぶ変わってきたが、『吾輩は猫で
ある』で、クシャミ先生の姪の雪江に「よくッてよ知らないわ」と言わせたのは、女学生らしい感じを出そうと工夫したといわれる。」(毎日新聞社『話のネ
タ』PHP文庫。「「いいわ」の「わ」はどこからきたか)
* 東京の女ことば 1.7.7
おそらく私たちの(五十歳)世代では、女ことばはほとんど使われなくなった気がします。子供たちの世代、それよりもっと若い世代はさらにちがうことばを
使っています。発音も発声も「それ、どうぇー」というようになまっています。そういえば「そうだよ」「したよ」というもの言いを、子どものころ祖母にたし
なめられたことをふと思い出しました。友だちとの間で「そうなのよ」「したのよ」という会話は不自然なものとなり、大人になっても友人同士「そうですの
よ」「しましたの」という会話は不自然なものとなっています。どちらかといえば上流階級 と思われる美智子妃殿下ご学友や外交官夫人との会話も「どうして
いらっしゃいます?」「忙しくて大変です」といった調子で、「どうしていらっしゃいますの?」「忙しくてたいへんですのよ」とはなりません。どんな方が、
どんな時に美しい東京の女ことばを話していらっしゃるのでしょうか。
戦後、ぞんざいに話すことで戦前にあった階級をあえてなくしていったような気もいたします。京ことばは
今でも、話す人の立場、話す状況によって余りにもデリケートに使い分けがされていて、よそ者には到底使えないむずかしいことばですが、東京弁は地方ことば
に凌駕されて、本当に美しいものが消えていくような気もいたします。東京の中流家庭の女ことば は、母の世代でほとんど終わってしまったのかも知れませ
ん。今の私には、たとえばお隣の奥様と「暑くて嫌ですわねえ。」「これから庭の草取りでもしようかと思っていますのよ」などと、口に出すのも面はゆく、何
か外国語を話す気がいたします。せめて「暑くて嫌ですね」「これから庭の草取りでもしようかと思っています」とはきはきとお話できるようにしたい
と・・・。ことばを美しく話すためには、発音、語彙、表情などを大切にしていかなければいけないのですね。さらに、何を伝えたいかと言うことに意識をきっ
ぱり置くことも必要なのですね。はなしべたにとっては大きな課題です。
* 「通盛」 1.7.7
月様 昨夜の月食、ご覧になられましたか?欠け始めはきれいに見えていたのですが、食が最大の時間
帯には、雨が降っていました。連日の猛暑も、これで少し和らぐといいのだけれど。
平家物語に出てくる阿波の国の能は、「通盛」が唯一とか。河村晴道さん(「晴嵐会」主宰・同志社女子大
学嘱託講師)の解説は、ユーモアもまじえられてとてもわかりやすく、仕舞のみということも、初めてのわたしにとっては幸せだったのかもしれませんわね。装
束を着けて、というのはこの勉強会にはなさそうです。ほんとうに小さな会でしたもの。
「十六」には逢えなかったけれど、お供はお役目をしっかり果たしてくれて、有意義な時間となりました。
この鑑賞会も今回の講演会が三十回目とか。十月には通盛の装束を鑑賞。来年の三月は能「通盛」の舞囃子
が開催されるようです。
出演者は、「河村晴道・味方團・味方玄・田茂井廣道」さんたちでした。 花籠
* 夢と現の世界「平家物語と能」 1.7.5
月様
「暑いですね」 が、挨拶言葉になってしまいましたね。昨年の夏のことを思い出すと、ため息が出ます。苦手ではないのですが、辛抱のいる
暑さです。
「通盛」「敦盛」ら平家の武将が登場しそれぞれの立場や境遇を語り舞う。
新聞の見出しに、こんなふうに書かれていたのに惹かれて、徳島能楽鑑賞会に参加を申しこみました。小さ
な会のようですが、仕事を終えてから、今宵は暑さを忘れてのひとときを楽しめそうです。初めてふれる能の世界ですが、なんだか身近に感じられるのも、秦恒
平の「能の平家物語」(湖の本と朝日ソノラマ版)が下地にあってのこと。もちろん力強いこの子たちをお供に、ですわ。
雲ひとつない青空。今日も暑くなりそうですよ。お体お大切に、ご自愛なされてくださりませ。 花籠
* 権利とエゴ 1.7.3
マンガ喫茶や図書館の多部数購入問題は、学生など若い人にききますと、関係著作者たちの認識はずれてい
るそうです。これらの方法で利用する人は、これらの方法がなくなれば自分でマンガや本を買うかといえば、全くそうではなく、買わない、読まない、となるだ
けだそうです。著作者は文化を云々するなら、普及するだけでも効果を認めるべし、そうでないと、印税ばかり問題にするエゴだと思われるよ──と。
話は変わりますが、マスコミないし言論だけを守ろうとしてもだめで、人権機構構想全体を国民の視点で批
判しなければと思っています。
* 楽しみに 1.7.3
毎日HPを読むのが楽しみで。先生を身近に感じられます事が、又とても張り合いになっております。球体
の客室にそうっと私もお尋ね出来そうに思います。
思えば思うほど、読者の声を聞いてくださる作者はそうはいらっしゃらず、又読者の方も聞いて下さるとは
思ってもおりませんでした。昭和も60年、初めてお返事を頂きました時の飛びあがるほどの興奮を思い出します。独自に大変な「湖の本」出版を続けられてい
る強い意志に、並々ならぬおもいを改めて噛み締めております。どうぞどうぞ末永くありますように!楽しみにしております。
「デアコノス=寒いテラス」の巻を友人にプレゼントしたいのですが。近江生れ、京都育ち、横浜在住。感性
の豊かな方でございます。一昨年は祇園会につれていっていただきました。
暑さのなか、どうぞ御からだおいといくださいませ。
* こんばんは。 1.7.2
けぇろけろ、遠くで蛙が鳴いています。少し淋しそう。
6月は雨がよく降りました。ですが、意外と梅雨時の蒸し暑さには悩まされず。
僕はちょっと異常なくらいの痩せ型で、半袖の服がやや苦手なので、この時期もけっこう長袖でねばりま
す。今年の初夏は思ったより涼しく、気持ちよく過ごせました。そろそろ暑さは本腰を据えてきそうです。上着を買う時は、おとなしく半袖の服を選ぶことにし
ます。
今夜はちょっと蒸しますが、夏らしい夜気も静かにやってきています。
夜気は、昔から好きです。夏休みになると、夜でもふらっと外に出ることがよくあります。幼い頃に住んで
いた田舎町の夏祭りを、懐かしく思い出します。
家族で祭りに遊んだ記憶はありません。よく可愛がってもらっていた近所の女の人に手を引かれて、ただも
う歩き回ってばかりいたのを、よく憶えています。
その田舎町に、家の墓があります。父と母はお盆にお参りに行くようですが、僕はちょっと都合が合わなそ
うです。残暑の頃に軽い一人旅で行ってこようかなと母に話しました。母も頷いていました。
片づけるものを早めに片づけて、「情熱大陸」を見ました。諏訪内晶子さん。僕はクラシック音楽をとんと理解でき
ないので、彼女を「好き」とは言えませんが、心から「尊敬」しています。素晴らしい演奏で、世界中の人々を魅了してほしい。
僕は「音楽好き」ではありません。ただ、或るロックバンドを、心底「愛して」いるだけです。文学でも美
術でもない、はたから見ればただの俗なる「ジャパニーズ・ポップス」ですが、僕にとっては何にも替えがたい真の「藝術」です。
ひさびさに秦さんの小説を読み返していました。
秦さんの小説は、とにかく疲れます。よくよく腰を据えてとりかからないと、文脈をあっというまに見失っ
てしまう。30分も経つと、僕の集中力はいっぱいいっぱいになります。
ですが、のめりこみすぎないので、かえってけじめはつくとも言える。たとえば石川淳の長編などを読み始
めると、まさしく虜になってしまい、これはこれで大変な思いをします。20分と時間を決めて本を読み、風呂に入り、そして眠りに就く。読書は僕の生活には
大切なものですが、「今」は最優先すべきことではないので、よくよく気をつけながら付き合っています。
「絵巻」から始めて、短編をいくつか読み継ぎ、「ディアコノス」で息を呑みました。ちょっと間を置いて、この半
月ほどは「慈子」「罪はわが前に」「みごもりの湖」の黄金コース(と勝手に名づけています)を辿り、昨夜読み切りました。
自分でも呆れるくらい、何度も何度も同じ場面で涙がぽろぽろこぼれました。「みごもりの湖」の最後を読
み終えて、思わず「ありがとうございました」と呟きました。素晴らしい作品を読む悦び、幸せに、感謝しました。
特に「みごもりの湖」は、前にもメールで書いたと思いますが、文句なく秦さんの最高傑作、日本現代文学
の名作です。難解さも群を抜いており、そこがまたかえってそそられますね。秦さんの思うツボでしょうか。
短編・中編では「初恋」と「或る雲隠れ考」を「清経入水」なみによく読んでいたのですが、今回あらためて感じ
入ったのは、「青井戸」「隠沼」、それから「祗園の子」の「義子」、そして「華厳」と「絵巻」。
「華厳」は、冒頭のシーンからもう眼が霞んで、読み終えるのに一苦労でした。「絵巻」の方は、ヒロイン
がとても素敵で、こちらは涙よりも鱗が落ちる思いです。珠玉の短編群の中で、「華厳」と「絵巻」は、秦さんの<美しい小説>の間違いない双璧
です。華岳も松園も好きですが、楊徳領と藤原璋子の名前も、忘れずにいたい。
黄金コースの三作では、いつもヒロインよりも迪子さんに肩を持ってしまいます。いや、ヒロインはもちろん魅力的
なのですが…負けず劣らず、迪子さんも素敵だなと。ヒロインの前に立ちはだかる迪子さんを、時に怕いとすら思います。
すぐ傍にいる女性(ひと)の情念は、すごいものがありました。年上の人だったのですが…お酒が入ると、
文字通り「豹変」しました。
秦さんの小説に描かれる迪子さんを読むつど、この「情念」のことを考えます。
慈子に向かって振り向こうとする…芳江さんからの電話を「お受けしたくないわ」とうったえる…槇子に
「余呉の旅は、ありえなかった」と手紙を書く…ふっと、怕くなります。
そして、この<怕さ>を心底畏れる慈子や槇子に、胸をうたれます。たまらなく愛しくなりま
す。頼りなく当尾の姿を探し求める慈子に、また、幸田に「姉は、赤ちゃんを」と言葉を呑む槇子に。
迪子さんの存在が、秦さんの小説にしびれるほどの魅力を添えていると思います。
他にも書きたいことはいっぱいあるのですが、ちょっと多すぎて、まとまりません。ほどほどにしておかないと、と
んでもない夜更かしをしてしまいそうなので…。
「生活と意見」、毎日読んでいます。ときどき「朝日子」の文字を眼にすると、ぐっと胸がつかえます。朝
日子さん、どうしているのだろう…秦さんのもとへ戻ってほしい、と余計なことを考えてしまいます。ごめんなさい。
東京はものすごく暑かったと聞きます。季節の変わり目、体調など崩さぬよう、迪子さんともどもお元気で
いてください。
* お能とお謡 1.7.1
いつのまにかお祭になりました お能を題名にするほどなにも知りませんのに お能を見ながら、舞ってい
る人が恒平さんなのか、隣で眠っている人が舞人の仮りの姿なのか、眠っている恒平さんの夢の中に本当の舞人がいるのだろうか などと思ってみたりしていま
した 河村先生に仕舞を習っていた友人はとてもじようずで何度も見せてもらいました 薪能にも何度か行きました お謡は元日に本家で鶴亀を聞くのが恒例
でした 母からほんの少し、学校でもほんの少し習いましたが長続きしませんでした そんな私でもラジオ屋さんのおじさんのお謡が聞こえてくると じょうず
やなあ 舞台にいる人みたいやなあ といつも思いました
* 賀茂川の夕涼み 1.7.1
なんて、お好みではないですか。こう暑いと、三条や四条の橋の上の夕涼み、どちらかと言えば、通りすが
りの四条大橋での涼風が、とてもとても懐かしく。あのあたりから、白川沿いに歩いて家に帰るのが、程よい散歩道だったなあと。祇園祭の神事が始まったとの
ニュースを観たので、ふと京の夢へさそいました。だからと言って今は、夏の京都は用事のない限り、行く気がないけれど。
* 政治 1.7.1
昨夜、どうして政治討論を面白く聴けたのか、あなたの「自分の仕事として発言している」で、そうなんだと、納得しました。体験上での旧体制の与党への批
判、又は展望に実感が籠もっていて、聴かせてくれたのでしょう。
最近は、内部から暴かれて具体的に知る悪習慣、悪体質に、国民はただただ呆れて、批判の眼を向けていま
すが、少し若返って、剪定された、風通しのよい政治をと、期待を持って見守るしかないのですね。
若者達、政治家をミーハー的に見ないで、政治にもっと関心を持って欲しいですね。
* 「無明」 1.7.1
は、そのままを全て掲載なさいましたの?あとがきを読まなくても、かなり参ってらした様子が窺えて胸が潰
れましたわ。モヤモヤ、イライラ、ヘトヘト、ドロドロを、多分、正直にお書きになってらっしゃる。
ですが、迸った、馬を思わせる荒々しい力任せの官能が、若々しくて、魅力的でしたの。coolに洗練さ
れ、美的に抑制された、力強い陽のエロスと、深いところに沈んでいる、野性的な、整理しきれない陰の情熱とが相まっての、秦さんのセクシィさに、改めて惹
かれ、「だからこそ」と目指してらっしゃる世界も、強く迫りましたの。
* ジャック・レモン 1.6.28
七時のニュースで、ジャック レモンの訃報を。
昨日の「私語」メールによると、お腹をユサユサと揺らして大笑いしたとか。観ていない映画で、ビデオに
撮り忘れて、残念に想っていたところでした。
面白くて、ペーソスのある映画で、楽しませてくれた、好きな俳優さん、寂しいですね。「お暑いのが、お
好き」「アパートの鍵貸します」なんて、名作でしたね。
* ogenkidesuka? 1.6.27
France no tabikara modottekimashita. France deha
ju-suukasho no kyoukai wo otozure subarashii tokiwo sugoshimashita.
Europe ha vacance season ga hajimatte umiya
yamano resort chi ha dokomo ippaidesu. atsuinode ie de yukkurishite
karadawo yasumerunoga ichiban no zeitakudesu.
taisetsuni
* 群れない鴉 1.6.27
毎日、ポレミックなご発言を読ませていただいております。先端情報としても、とても有難いものです。
(国際討議の)
英訳文も拝見しました。タイトル(Publishing without
Publisher)はうまい訳だと思いました。秦さんのように、本丸がしっかりしていて、なお、攻めにも転じられるような若い力があれば、と思います。
昨日の私語で、「群れを好まず」というご発言は、同感です。私もそういう生き方をしてきたつもりです。
ふと、群雀のこと、ひばりのこと、カラスのことが頭をよぎりました。
いま、朝6時ころ。ハシブト鴉の胴間声に、今朝の異変は感じておりません。チュンチュン雀の百羽、千
羽。高く高くひとり天まで上る「ひばり」。東京の鴉(ハシブト、ハシボソ合わせ)は、15年前は数千、いまは、二万羽弱ほどとか。衆寡を敵せず、一千万の
ニンゲンどもに臆せず、堂々と戦う鴉は「アッパレ」ではないでしょうか。何らかの数のサポートは欠かせないものの、徒党を組まない「独立自尊」の強い生き
方でこそ真のリーダーシップが発揮されるでしょう。都会の鴉がそうであるかどうかはともかく、私は、数種の声音の使い分けで、ときおり、きらわれ鴉と交信
しておりますが、あの胴間声だけで、東都ネットワークを仕切れるのですから、インターネット網どころの話ではないと思います。「一声、数里」やがて万里と
なりましょう。鴉は海を渡りませんが、渡り専門の鳥仲間は多くおります。”Free as a bird".
* 言葉のこと 1.6.27
秦さま。先日の「私語の刻」にあった、某出版社からの依頼の「京都学企画」に「京言葉」への視点が欠け
ていた、うんぬんは、同感です。少なくとも、秦さまのこしかたの大半と大方の創作(推察)が、「京ことば」へのこだわりの延長線上にあるからだと思いま
す。こだわりは、うらやましくもあります。
私は、幼児時の疎開体験、トータル2年間ほどの外国旅行・移動時間をのぞけば、ほぼ東京的な言葉のみ。
あげく、ものたらず、ポリリングイスティックな、ごちゃまぜのコトタマとなりました。元は、関西風と名古屋弁あたりがルーツらしいのですが。
あらえびす、にも、「みやび」とは違う鄙びの趣があります。そういったことを含めて、ごちゃまぜの言語
生活(=ニンゲン生活)に、つい三十年前には、日本のいたるところで生き生きとしていた伝統的な「方言」文化(書きことばにも通じる)が、いつのまにか、
迷子になったことが、大問題かも知れませんね。みんなが、横並びの「標準語=普通語(プートンホア)」「TVことば」「ネットことば」「グローバル・アメ
リカ英語化ことば」になっていくのは、空恐ろしくもあります。いかに、いまの「ことば」こそが、いまの「言語文化」であると受容しても。
「ことば」はまず、「話しことば」が元。文藝の世界でも、しかり。好みの問題もありますが、言文一致に
こそ、楽しみを
見出せるというものです。昨夜は、久しぶりに、対訳「ロミオとジュリエット」をめくりました。何と、話こ
とばが、時代の方言が息づいていることか。
こだわりを持ちつづけてください。秦さんしか書けない「はなしことば」のような「はんなりe-文藝」を
期待しております。一ファンより。
* 百号 1.6.26
お元気ですか?お忙しくお過しのことと存じます。
毎日暑くてむして・・つらいシーズンとなりました。
私は今F100号をまえに悪戦苦闘を続けております。まだ構成の段階ですが・・・いかにモチーフをしっ
かりと描ききれるかを課題に、頑張っています。
昨年の今ごろはスペインにいたなー・・・とか、つまらないことなども・・ときおり想いながら・・・また
湖の本のことなども想いながら・・・。
では澄んだ目で頑張ります。
いつの日かお逢いできますように・・
* 『ディアコノス=寒いテラス』 1.6.26
感想が出尽くしたとは、決して思わないでください。百人百様の想いがありましょう。ご返事申し上げずに
はおれないたかぶりとあわせ、言葉を綴れないもどかしさがございます。言葉にしたとて詮無い、という気持ちもございます。
一気に読んだあと、読後感をお寄せするとしたら、作者の万倍の言葉をもって批評・評論をモノすか、太田
道灌の故事を真似。。。。腰折れ一首を添えて、懸崖に咲く野の白百合一輪を手折り、「妙子」に差し出すしかないと思いました。されど、かの凛とした野の白
百合を誰が手折ることができましょう。それは、妙子こそが「野の白百合」にほかならないからです。あとは、妙子自身か、うちに「妙子」を寄生される人か、
あるいはディアコニッセとしての妙子を実感・体験しうる人が、ご返事申し上げるのが、一番いいと思いました。私には、この三条件をほぼ共有・所有している
非公開のプライヴァシーがあることだけを、こっそりお伝えしておきます。「マタイ伝6:5」にある、「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくど述
べてはならない」という一句が心境に近いともいえましょうか。
「私語の刻」に紹介されたうちでは、文学としてとらえた感想にやや共感を覚えましたが、『親指のマリ
ア』登場の不確定な前触れ・予言であろうとも、それは、いわゆる「事後予言」であるやも知れず、20年の刻を待って顕らかにした作者の秘密メッセージを、
作者の「文学思潮」として批評し、「作者の漂泊の旅路」を追跡しないのでは、片手落ちのような印象を持ちました。作者の万倍の言葉をもってしても、叶うか
どうかは定かではありませんが。
揚言すれば、誰もが、程度の差、自覚の差こそあれ、ひとしく、うちなるディアコノスとディアコニッセで
在るということではありましょうが、健常者対知的障害者、あるいは「差別問題」といった、ステロタイプ観念にはまりやすい、一方向の「奉仕」「被奉仕」で
はなく、さわりがあっても、奉仕し奉仕される「あるがまま」にこそ、「人間」の業がある。いな、(とどのつまり)、妙子こそが「ディアコニッセ」、つまり
「親指のマリア」であろうか、という大疑問符付きの、私自身の、これまた、ステロタイプの自問自答ではあります。
二十歳過ぎまで、自閉だの、足りないだの、変わり者だの、小学生の学力・国語力しかないと言われ続けて
きた「うちの妙子」。どうしてか、過去、ただの一冊読破した?ヘッセの「車輪の下」がいいとだけ繰り返し、映画「べティブルー」「ポンヌフの恋人」やラン
ボーの映画のことしか興味なかった「うちの妙子」。二十歳を過ぎて、ここ最近、小三国語ドリルから復習はじめ、英語を習いはじめ、猛烈に、太宰や、安吾、
ドストエフスキー、漱石、トリイ・へイデン、聖書や、なにやらかにやら、濫読しはじめ、あげく毎日、毎夜、私に、レゾンデテール、アイデンテティ、死と生
の対峙について、また、藝術とは何ぞや、という論戦をしかけてきてひるむことがない。「私の妙子」を受け止められれば、楽しき哉(セラヴィ)、また、教え
られることが多い毎日でもあります。
「文学」に何かを気づかされた、というのでしょうか。「文学」「創作」のもとより秘めたる力に、われ知
らず目覚めたのでしょうか。読むだけでなく、詩やらエッセイ、コラージュの絵日記やら、あかずモノしております。枕もとに詰まれた『湖の本』のことが気に
なるようで、秦恒平に触れるいい機会と思い『ディアコノス=寒いテラス』をすすめると、機嫌よく一晩で読んだようで、感想を尋ねると「流れるような文体
で、すらすら読めた。面白かった」と言っておりました。
「うちの妙子」は自称・隠れ切支丹でもあるようで、夜な夜な、前述の「マタイ伝6:5」の次の言葉を、
祈りの日課としております。なかば強制的に合掌につきあわされ、イエスの真実の言葉に最も近いとされるマタイ伝のロゴスが、何となく分るような気がしてま
いりました。。。
「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天に行われると
おり、地にも行われますように。私たちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をも
お許しください。わたしたちを試みにあわせないで、悪しき者からお救いください。」(日本聖書協会・口語訳聖書)。
「うちの妙子」が作中の「その後の妙子」であるような気もいたしております。H.13.6.26 一読
者より。
* 京ことば 1.6.25
蒸し暑くってしんどいしんどいと言いつつ、どたどたと歩いている
今日この頃の私で御座います。
寒いテラスの感想以来、なんとなく気になってちょいちょいと私語
の刻を拝見しているのですが、思いがけず富士谷あつ子さんの名前が出てきたので、秦さんにメールを送る気になりました。たいした事ではありませんが。
富士谷さんの旦那様は私の薬学の同じ研究室の先輩で、私が大学院の頃はドク
ターコースに居られ、いろいろお世話になりました。
あつ子さんとお目にかかったのは、京大の女子学生の追跡調査をして居られた
25年ほど前が初めてでしたが、それ以前からお名前は良く知っていました。いつのまにか”評論家”になって居られてびっくりし、そう申しましたら、「評論
家になるのに資格は何も要らないのよ」と、”評論家になる方法”を伝授してくださいました。
薬学の富士谷先輩は徳島の出身ですが、あつ子さんはれっきとした京都の方。
府一の最後の卒業生だっかと思います。
秦さんがおっしゃるように”言葉”を抜きにして京都は語れません。秦さんの
忠告にきっと”痛いところをつかれた”と思ってられるでしょう。
ちょっとしたきっかけで、最近チェスタートンの推理小説にこっています。そ
の中に、主人公の”もってまわった言い回し”を3人の女性が自分に関心のあるところだけ記憶していて、3様の証言をして(いずれも正しいが)混乱を招く-
--と言うところがあり、そこに”正しい英国紳士は単純な物言いはしないものだ”との意が誇らしげに書いてあって、面白かったです。
イギリス人と京都人には似たところがあるように思います。どちらも長く都だ
からでしょうね。
お身体お大切に。
* 秋尾事務局長殿 1.6.25
暑くなってきました、お大事に。
さて先日理事会で討議されました「蝋山・力石・木島」三氏から要望の件ですが、討議の結末に関して、案
の定、三氏宛てに何の挨拶ないし返事もなさっていないと、漏れ聞きました。
かりにも社会的な立場と肩書きを明記して、きちんと会長宛に要望され理事会でも検討したことに、採否は
ともあれ、団体として、社会人として、返事一つしないままというのは、非常識な、恥ずかしいことではないでしょうか。こういう押
えを秋尾さんには折り目正しくして戴きたい。意見の相違とは別の次元の、礼儀の問題ですから。専務理事と
もご相談の上、よしなに。秦理事
* 作品『ディアコノス』のお母様に 1.6.25
創刊15年記念の輝かしい作品が、「ディアコノス」。感動でもあり、辛くも読ませていただきました。一
気に。と言うより途中では恐ろしくて、読み止めることができませんでした。
作者のお気持ちしっかりと受け止めなければと思いますが、「ディアコノス」が、「妙子ちゃん」の昔の担
任の「薫先生」宛てになっていて戸惑っています。テーマーが大きくなっていったこと、一「淡路家」の問題でない事、問いかけが世間へとなっていったこと、
知的障害児の大勢の方と現に関わっている私自身の不遜さ、気付かない傲慢さが、どれだけの人を傷つけていったのかと、考えさせられます。自分自身の気持ち
も、こと確かなものとはならない日を過ごしています。
息苦しいまま、作中語り手の「淡路家の奥様=節子さんのお母様」宛て、私が日々仕事から感じていること
などお話しし、聞いていただこうと、お手紙させていただきます。
「妙子ちゃん」の不意の出没からの数年間、どれほど心を痛められながら、日々をお過ごしでいらっしゃっ
たたかとお察し致します。遅ればせながらお見舞いいたします。
一番に、貴女のご家庭の愛が、薫先生の愛より薄かったとは、決して思いません。
皆様が妙子ちゃんに良かれとどれだけのことを尽くされたか、それでも世間は承知できないのでしょうか。
いえ、知らなさ過ぎるのではないでしょうか。
私は、(申せば塾経営の中で)知的障害を持っている子どもたちに、他の子どもたちと同じように学習して
欲しい、する権利があると思い、個人別の学習をしています。世間では、彼らには知的学習は必要が無いとされる事も多々あります。その人なりのできるものを
見つけ、根気よく続けることで、できるものが増えていきます。できる喜びを見出して、自分に自信をつけていき、生涯をより、豊かなものにできればと思って
います。フランチャイズ式学習塾での1教室の限度はありますが。
その子どもたちに関わりだして20年余り。子どもたちの個性は強く、なまじの好意や指導者同士の体験か
らの事例交換だけで理解できないことが多くありました。確かな知識も欲しいと、放送大学で発達心理学など周辺事項を学び、卒論には、『母子分離不安が及ぼ
す言語障害』をテーマーにしました。話がそれますが、乳児の発達に母子相互作用が及ぼす影響の大きさを知っていく事は、私自身の出生、育ちを見つめ直す自
己探求にも深く関わって、避けて通れないものでした。
子どもたちの生来の1次的障害に加えて、2次的障害が、障害を重くしていく事があります。それを多少な
りとも防止したり、軽減できる事の一つに、母子関係を援助する事があると思います。子どもが何かできていく体験を、母親も遠慮することなく喜び合える事
は、子どもの意欲を育て、心を安らかなものにしてくれると思いました。母親が安心して子どもと学習できる専門教室を希望しました。
商業ベースの塾のことですから、会社の良心にあたる部分をくすぐり『障害児指導は教育の原点である』な
どと実しやかなことを言い、又、私自身も信じて許可してもらいました。10年を経て、地域の父兄にも、公的な福祉関係者からも預かって欲しいと委託される
ようになり、今、50人近い生徒と学習をしています。
誰でもが知りたい、勉強をしたい、大きくなりたい欲求は持っていると思います。それを叶えるためには、
一人だけの大きな力が必要なのでなく、周りからの少しの支えと理解があれば、子供たちは伸びていく事ができます。そのために、少しづつ力を出し合って欲し
いと願ってしまいます。少しでも子どもたちのことを知る人が周りに増えていけば、学習しやすくなり、認めてくれる人が増えれば、子どもたちの意欲を増す事
ができると思っています。つい多くの人たちに協力を得る事で、知って欲しいと願ってしまいます。「薫先生」も同じだったと思うのです。
子どもたちの思春期のエネルギーは、爆発的です。「妙子ちゃん」とて例外でなく、真っ直ぐなだけ、エネ
ルギーは大きかったことでしょう。観念的な言葉を操れるだけに、周りは翻弄された事でしょう。
我田引水的に持っていけば、それまでに、エネルギーの配分ができるように、ストレスが発散できる術を持
てるように、社会の人たちと共有できる趣味を持たせてやりたかった。絵本であり、スポーツであってよいのです。学習を継続させる事は辛抱を養い、コント
ロールする力をつけます。
「淡路家」がマスコミに叩かれますが、1部でも多く売らんがための商業誌の『世論の正義』は、容易に暴
力に変わるのですね。「節子」さんのように理不尽な事で、世間から石礫を投げつけられることが起こらないためにも、多くの人が少しずつでよいのです、「妙
子ちゃん」のことを知り、社会が、ご家庭を支えるすべを持つことができれば、と。障害を持った人たちが、成人して、自分の事を発表されるようになり、「妙
子ちゃん」のような高次機能障害者の事も、ずいぶん分かってきました。
傷ついた「節子」さんを癒してくれるのは、支えてくれるのは、誰であり何であるのでしょう。世間が、障
害を持った子どもたちを少しでも知っていること、が、「節子」さんの気持ちをも理解してくれる事になる、のではないでしょうか。まだ甘い淡い希望をもち続
けていることは、私自身が被害者になっていないから言えることだとは思いますが。
そう。もう一つ。子どもたちが成長していくために、社会とは、「人々の幸せのための社会であるべき」で
は、ということが言いたいのです。反対に、社会のための人づくり、社会の枠の中に当てはめるための教育、はまずいと。特に弱者にとっては。自分の子育てだ
けでは気付けなかった、社会の、行政の、あり方や仕組み。教育の組織作りや、方向性。大人はなんと身勝手な状況を子供たちに押し付けているかと思います。
大変な状況に置かれたご家庭の苦しさを、何分の一も分からないで申し上げるのは辛いのですが。子どもた
ちが何か成し遂げたときの眼の輝きに、体全体で喜んでいる姿に、私は勇気付けられ励まされる事が多くあって、その喜びを多くの皆さんに知ってもらいたいと
望んでしまうのです。
「節子」さんも、ご家族の皆様も、今までの事を決して後悔なさらないように。きっと「妙子ちゃん」の気
持ちを満足させる事は多く有ったのでしょうから。
くどくどと、自分の事ばかり話してしまいゴメンなさい。「淡路家」ご家族の皆様のご健康を心よりお祈り
致します。
* 怕い小説 1.6.23
いま生のままもたらされる情報のなかで、おそろしさも麻痺し、白けてゆく日常です。
『ディアコノス=寒いテラス』は、怕い小説ですけれど、力みとか断じたりする嫌みがなくて、読者に性急
な答を促さず、迷路の彼方をあけてあり、考えさせてくれます。たとえば、湖の底から人知れず湧き上がる清冽な湧水のような、読者のこころの泥を洗ってくれ
るような──。十五年、六十七冊、ほんとうにありがとうございます。
* 「ディアコノス」などと 1.6.23
難しい題が付いて、どんな内容だろうと思っていました。すぐ読んでしまったのですが、感想なんてとても言
えないと思いました。
多動で精神発達遅滞というのでしょうか、そんな人に関わって、何かを得たのか失ったのか、主人公はいっ
たい誰なのか等、精神障害児に対する考え方や扱いのまずさがよく描かれているなと感じました。語り手の、話の宛先が少女たちの「担任教師」であるところ
に、問題を隠してあるのでしょうか?
* ディアコノス感想 1.6.22
お元気ですか。湖の本十五周年おめでとうございます。
「ディアコノス」について、私語の刻にたくさんの感想が紹介されていますので、今さら申し上げることな
どないのですが、普段、障害者と接することのほとんど無い者の考えとして、ひとつお聞きいただければと存じます。
まず、よくお書きになったなあ、ということです。発表を躊躇われたのも頷けます。それほどデリケートな
問題です。日本人のほとんどが、差別はいけないと言いながら、いざ自分が関わらざるをえなくなると差別をしてしまうそうです。偽善の姿、と思います。
わたしは偽善に陥りたくありません。かといって偽善から解き放たれているという自信はありません、情け
なくも。うわべだけの”ディアコニッセ”になりたくなく、福祉などとは距離を置いてしまっています。
差別は、未解放部落、女性、在日外国人、など悔しいほど多々存在します。それぞれの歴史があり、事情も
異なるので一口にどうと言えない複雑な、やりきれない問題です。
「ディアコノス」に描かれているのは、やはり特有の問題をはらむ障害者差別についてですが、作品は、障
害者差別に限らず、差別の根っこのところにある闇を、真正面から捉えているなと思いました。偽善、同情、憐れみは、もっとも排すべきと思っています。
学生のとき、差別問題を考える演習の授業を履修したことがありました。そこで、自分の無知と、「自分な
らどうする」などという次元で差別問題を考えているだけでは、先へ進まないことを知りました。授業中、ある女生徒の言った、「自分が何者であるのかわから
ないと、生きて行くのが難しい」という言葉を、今でも忘れられません。彼女は、日本人でも、韓国人でもない、在日韓国人でした。
差別問題と向かい合うとき、偽善の仮面をかぶっていないか、いつも自分自身に問いかけています。答えは
なかなか出せません。やりきれない、まとまらないわたしの思いに似たものを、よくぞ書いてくださった、という思いでいっぱいです。
また、「無明」は、むむ、なるほど、と唸りながらたのしく読みました。
* 『湖(うみ)の本』45を拝見 1.6.20
して、満ち足りた気分でいます。正確には、文学的には満ち足りているが生活者としては考え込んでいる、と
いうところでしょうか。6/10にいただきましたが、今日まで読めないでいました。ある予感があって、じっくり読める日を待っていました。大変なことが書
かれているに違いないという予感は、当っていました。
「無明」の、書けないときでもご自分に義務付けてお書きなったとの件りは、プロの作家としては当然かも
しれませんが、原稿用紙4枚にきっちり収めて書くことなど、なかなかできないことだと思います。それはそれで魅力ある作品が多いのですが、やはり私は
「ディアコノス=寒いテラス」に胸を打たれました。
おだやかな、敬語をきちんと使える女性という設定も、書簡という形式も、この作品では成功していると思
います。そして、教育とは何か、奉仕とは何か、正義とは何か、心障者をどう受けとめて行動するのがよいのか、非常に問題の多い小説だとも思います。秦さん
は20年前にこの作品を書き上げ、上梓を勧められてもいたようですが、結局、今になって湖(うみ)の本で発表したとのことですね。20年前に発表してもよ
かったのではないかと今だにお迷いのようですけど、私はこの時代でよかったと思っています。ようやく総合的なモノの見方が出来つつある今でなければ、この
作品の価値は埋もれてしまったかもしれません。
私にもこの作品に近い経験があります。小・中学校を同じにした軽度の知恵遅れの同級生がいて、いじめに
遭った時に庇ったのを機に近づいてきました。私がバスケット部の主将をやった時に、一緒に試合に出たいと入部してきました。運動神経はよかった方です。中
卒で大工になって、私の家を建てたいと言っていました。私が家を離れて就職したあとも、私の実家には出入りしていたようでした。20年ぶりぐらいで同窓会
で会った時、もう一度昔の仲間とバスケットをやりたい、と言っていました。おお、やるか!と応えましたが、その1年後に屋根から落ちて死んだと知らされま
した。もちろん御作とは似て非なることですが、彼に接した私の態度は、今だに信用できないものがあると思っています。御作を拝見して、その思いをさらに強
くしているところです。
心障者とは何か、と私には明確に答えられる知識も感性もありません。この作品を人文学的・医学的にも応
えられる術も持ちません。それでもなおかつ、人間とはなんだろうと考え込んでしまいます。文学的には誰も書いていない分野を書いているという羨望はありま
す。しかし、そんな羨望は自分の小ささを曝け出しているだけだと思います。作家の本来の力を感じるだけで、人間の理不尽・不可解さを考えて小さくなってい
ます。
* 桜桃忌は記念日 1.6.19
桜桃忌の今日が湖の本記念日でした。おめでとうございます。
メールを送らせていただいて、又、HPをいろいろに読ませていただきました。15年前とは格段の違いで読者とのつながりがありまして、
これはお手紙を書くのとは又違う、身近なものを感じます。
先生とのご縁が復活できましてより、私はずうっと興奮状態で御座います。丁度1年前からパソコンをやり始めましたが、今回ほどやっておいて良かったと思っ
たことはございません。世界が大きく開けた気分で御座います。
湖の本45の50ページに創刊の時の事が書かれて居りました。途中お休み致しましたのが、とても心苦しく、辛い思いを致しました。以後私がどうにかなりま
すまでは、どうぞ末永くお付き合いくださいます様にとお願い申し上げます。
開かれております文学サロン、平安の頃のサロンを思い浮かべましてロマンチックな気分で居りました。こうしたサロンがありますことは、素人でも書いてみよ
うかなと嬉しく夢が持てます。初めてのことですが、私も投稿してみようと思っております。
又、創作シリーズ44「早春」を頂きたく、よろしくお願い致します。
明日からは又しとしと雨のようで御座います、どうぞ御身お大切になさってくださいませ。
* 『ディアコノス=寒いテラス』を読んで 1.6.18
「私語の刻」へむけて、多くの方々が、『ディアコノス』へのずしりと重たい感想が寄せられております。
大変共感する部分もあり、新しい発見もございました。今さら僣越ではございますが、こんな読み方をした読者もいるということで、感想を書かせていただきた
いと存じます。
『ディアコノス』はこれまでの秦先生の世界とは少し異なる題材を扱っていますが、素晴らしい完成度を
もった作品で、取り憑かれたように一気に読んでしまいました。
実を申しますと、私はこの作品に登場する「妙子ちゃん」の知的障害にさほど重きをおかずに読んでおりま
した。知的障害を世の中に存在する多くの「異常性」の一例と捉えたのです。知的障害を精神障害や痴呆や他の身体的障害におき変えても、この作品の根幹は充
分に成り立つと考えました。『ディアコノス』は、何かが大きく欠落した人間との関わりを余儀なくされて、破綻に向かう一家の物語と読めるのです。
『ディアコノス』は侵入者への、しだいに増殖していく恐怖を描いた物語として、類稀な名品だと思いまし
た。母親の一人称で、書簡体形式という限定された視点で描かれることによって、崖っぷちに追いつめられていく淡路一家の状況が息もつけないように迫ってき
ました。読み進むにつれて、正直私は震えあがってしまいました。
この作品を読んで、私が感じたと同じような恐怖や嫌悪を追体験する読者は多いと確信します。簡単に言う
と「妙子ちゃん」は知的障害の衣をまとったストーカーでしょうか。人は誰でも程度の差こそあれストーカーに出会います。作家にはストーカーがつきやすいと
いう話を聞いたことがございますが、先生がこの作品を書かれたきっかけも、先生なり身近なかたの経験が反映しているようにも感じられます。それほど『ディ
アコノス』の恐怖は生々しいものでした。
小説を自分の個人的体験と引き比べて読むのは邪道だとは思うのですが、『ディアコノス』に限ってはそう
いう読み方をせずにはいられませんでした。ある意味で私はこの作品に対する偏った読者と言えます。どうしても「妙子ちゃん」やその家族の立場には立てませ
んでした。私には『ディアコノス』は他人ごとの物語ではないのです。個人的なことを申し上げるのは恐縮ですが、私自身もこの設定にどこか似通う異常性との
関わり、二回のストーカー体験がございました。
最初は小学校の四年生のときで、相手は五年生の男の子でした。当時はもちろんストーカーという言葉すら
存在していませんでしたが、彼がしていたことは今振り返っても立派なストーカーでした。仲良しの女の子の近所に住んでいた男の子から、突然好きだと言われ
たその日から悪夢が始まりました。
学校の休み時間のたびに、五年生の教室から四年生の私のクラスに現れる。トイレの前で待ち伏せる。帰り
道についてくるなどさんざんつきまとわれました。いじめられたというのならば、教師や親に訴えるという方法もあったのでしょうが、好きだと迫るだけで指一
本触れてこない相手を排除する方法が、十歳の少女にはわかりませんでした。拒絶しても無視してもつきまとう男の子を前にして、ただ途方にくれていました。
リカちゃん人形でおままごとをしていた平凡な少女は、一学年しかちがわないとはいえずっと大柄な男の子
に「好きだ」と言われるたびに、得体のしれない恐怖感に胸がしめつけられるようでした。「好きだ」という言葉の見返りに彼が求めているものが何かはわかり
ませんでしたが、それが忌まわしいものであることは子供であっても本能的に知っていました。節子が妙子ちゃんに「一緒に寝たい」と言われて感じたであろう
鳥肌の立つような怯えに近いものに苛まれたのだと思います。
幸いなことに、次の学期に私の一家は引っ越しをして転校することができ、私はようやく彼から解放されま
した。その後私は私立の女子校に進学しましたが、男の子につきまとわれる心配のない環境がどんなに嬉しいものだったかは言うまでもありません。
今ではその男の子の顔すら思い出すことはできません。ただ『ディアコノス』を読んでいるうちに、ふと彼
の口元、もっと正確に言うと好きだと言ったときの唇だけが映像として甦ってきて、背筋が寒くなりました。
二度めのストーカーは、まだ記憶に新しい最近のことです。相手は女性なのですが、これは処置なしのス
トーカーでした。異性のストーカーより同性のストーカーの方がずっと不気味だということを骨身にしみて悟りました。男のストーカーが女に求めるものは相手
の肉体とか命といったもので、これはこれで当然怖いのですが、行動を予測できないこともありません。しかし、女のストーカーが対象の女に望むものは、ひと
言で言えば相手の「不幸」とか「不幸への苦しみの過程」でしょうか。
彼女はある難病を患っていまして、いつ死ぬかわからないと訴えながら迫ってきました。自分は病気なのだ
から、自分の言うことをすべてきいて欲しい。愛してほしい。私の幸福を投げ出して、自分と同じように不幸になってほしい。誠に身勝手な要求なのですが、彼
女は執拗でした。毎日のように投函される支離滅裂の長い手紙。そのうちの何通かは消印がなく、明らかに自分の手でわが家のポストに入れたものでした。彼女
がすぐ近くまで来ているというのは、耐えがたい恐怖を呼び起こしました。
それでも、彼女の異常さにたいしてなかなかとどめのひと言が言えなかったのは、難病を楯にされたからだ
と思います。妙子ちゃんの知的障害ゆえに、厳しい対応がとれなかった淡路家と同様に、私は気の毒な病人に反撃することが困難でした。男のストーカーであれ
ば警察沙汰にもできるのでしょうが、女で病人のストーカーを取り締まるすべはありません。彼女が私に与えているのは心理的圧迫だけなのです。ですから私が
彼女を拒絶すれば、世間は私が弱いものいじめをしたとしか思わないでしょう。
なまじ変な想像力があるために、手紙に毒が塗られていないかとか、盗聴器の心配をしたり、小包を警戒し
たり、一歩玄関を出るたびに周囲を見回したりする日々が半年ほど続きました。疲れはてたときに、見かねて間に入ってくれた方がいまして相当烈しい怒り方を
してくださいました。そのおかげで、今のところ私はストーカーから解放されて安らかな日常生活にもどることができています。多分このまま落ち着くだろうと
は思います。それでも頭の片隅に彼女の影がちらついて眠れぬ夜を過ごすこともあるのです。
長々とつまらぬことを書いてしまいましたが、『ディアコノス』は私にとりまして現在進行形の恐怖の物語
であることを、先生に知っていただきたく思いました。先生の意図とはかけ離れた読み方なのかもしれませんが、『ディアコノス』は私のような経験のある読者
には、非常に恐ろしい作品なのです。
『ディアコノス』は長い間公表を差し控えられた作品とのことですが、とても今日的な社会の病理をえぐり
出しているとも言えるのではないでしょうか。私はこの作品から、理不尽な存在に向き合わされた淡路一家の悲鳴を聞くのです。
『ディアコノス』には知的障害者が登場する作品につきものの偽善がありません。障害などの異常性の問題
を突きつめていけば、必ず立ちはだかる容赦のない真実が、大変衝撃的なかたちで描かれています。解決のつかない問題が読者の喉元に突きつけられます。
しかしその冷徹な展開に耐えられず、なまぬるい解決を求めるのが現在の日本の公式見解のように思いま
す。未だに出版社が『五体不満足』のようなかたちでしか障害を扱うことができないとしたら、障害と差別の問題は改善される見込みはなく、空虚な正論だけが
一人歩きすることになります。 私の読み方は特殊としても、先生が『ディアコノス』に込められた覚悟と誠意ある問題提起は重く受けとめなくてはなりませ
ん。
大きく欠落した人間の受容が可能なのは、先生が作品のなかで語られる奉仕女ディアコニッセの愛だけで
しょうが、そのような愛はほとんどの人間には不可能なものです。
薫先生、今こそあなたにこう申します。節子に愛がなく私どもに
愛が無かった。あなたにはそれが有る、と仰有いますかと。
この小説の最後の一文は痛烈な一撃です。私を含めた「愛のない」人間、「愛のない」ことさえ気づかな
かった鈍感な人間は反論の余地もなく、深い溜め息とともにこの本を閉じるしかないでしょう。
掌説『無明』は先生の独壇場で、詩を読むように魅惑の時間を味わうものでした。前の手紙に、先生のご本
のなかには、この世の美しいものすべてがあると書きましたが、外国のある詩人の言葉を少し変えてこう言ったほうが正しいかもしれません。
秦恒平のような真の作家が選んだもの、書きしるしたものだけが、美しいものとしていつまでも生き続け
る。
片隅の読者ではございますが、湖の本の世界がさらに清らかに澄んでいかれますことを心よりお祈り申し上
げます。
先生が桜桃忌の定期検診を無事終えられ、お好きなものを充分召し上がることができますことも、切にお祈
りいたしております。
* 秦恒平様 小説「デイアコノス=寒いテラス」を読みました。 1.6.18
簡単に感想を書きます。私には、どうしても秦さんの小説に、迪っちゃんの家族が重なってしまって、普通
には読めないのです。これは以前からそうなんですが、今回も勝手に感情移入があって、かなり辛い小説でした。
でもこの小説は、(語り手に迪っちゃん的な立場の主婦が出てくる、そういう家族の状況をのぞけば、)非
常に引き込まれる力のある小説でした。
どこにも悪意というものがないのに、身障者というほんの少しの非日常がごく普通の少女を、その家庭を巻
き込んでいく様子が、見事に描かれていると思いました。語り手を通して、インテリ家庭らしい用心深さや、正義感や、本来の優しさが、その率直なリアリティ
を通して伝わってきます。
世の中には様々な恐怖というものがあると思うのですが、この場合も理不尽と思える底のない恐怖が、読者
にも伝わってきました。(何故か夢にも恐怖感が出てきました。) 「愛」というオールマイティのはずの言葉が、観念の上をすべっていく感覚、「愛とは何
か」をひとりひとりの心に問いかけてくる小説でもあると思いました。「妙子ちゃん」は、とにかく無垢に「愛」しているわけですよね。
また一体「普通とは何か」という問題も提供しています。語り手と同一線上に立つ私は自分を健常者ととら
えていることそのものが、ひとつの差別なのかも知れないと思ったりしました。
一方、もし私が身障者側の家族だったら、この小説を読んでどのように感じるのだろうかとも考えさせられ
ました。私にも身障者の友人がいるのですが、私はいつも彼女に何故か「申し訳ない」という気持ちを持っていて、その気持ちが重くのしかかるのです。つまり
は、相手が私に何もしていないのに、その存在だけで、私は勝手に「被害者」になってしまうのです。つまり大袈裟に言えば、「お前は、ディアコニツセになら
ねばならぬ」という圧迫を無言のうちに感じてしまうのですね。
身障者とは、それほどまでに力を持つ存在なのだと、いつも思います。(それがこちらの勝手な思い込みだ
としても……)
私にとっては、そういう様々な諸々を感じさせてくれる小説でした。
余り上手に感想を述べられなかったように思いますが、非常にインパクトの強い小説であることは確かだと
思います。簡単ですが、お許し下さい。どうぞお身体を大切に、これからもいい作品を書いていかれますように。 * * 子
* 「無明・ディアコノス=寒いテラス」拝読しました。 1.6.16
これは、つらい、です。仰有るように、答えは、出ない、と思います。たとえ、上手に論考しても、取り返
しはつきません。もしも、「淡路一家」の人たちが目の前に現れて、相談されたら、これからの事を考えることにする、と思います。この国のどこかで、世界中
でおきていると思います。つらい、です。
梅雨冷えで、炬燵をつけたりしています。益々ご多忙のご様子、くれぐれもご自愛ください。
* ディアコニッセ 1.6.15
メールに。 レストランの洗い場で働かれている息子さん。指導されるパートのAさん。状況が目にみえ
ます。まだこの息子さんは途中で帰宅することはないようですね。
受け持っていた(夫婦二組、二軒のグループホーム)、Kさんは突然帰宅することがありました。聞けば、
「もう、帰り(なさい)」と言われた、とか。会社に連絡を入れると、奥さんが、「いわれたように仕事をせずに、納品の時間に間が会わないと、段取りをして
いるBさんが怒ったようで、怒られたことに腹立てて帰ったようです。」
Kさんは「わしが仕事しよんのに、邪魔ばっかりするんじゃ」と。
話を聞き、文句を言う彼に、「仕事を教えてくれているのだからBさんは先生なんよ。先生のゆうことは
ちゃんと聞かないかんよ。」と言い聞かせ、翌日は付き添ってあやまりに。
体格もあり、力の強い彼は、仏壇製作所で梱包の荷解きと、簡単な初期の組み立てをしていました。そのと
きは、荷を解き、本体と台座を組み合わせていく仕事だったようです。ところが彼は、荷解きばかりしていたようで、Bさんが何度言っても聞かないので、叱っ
たらしいのです。それを彼は、自分が仕事をしているのに邪魔をした、というのです。
ここも、息子さんの勤務先と同じで、社長や奥さんは理解してくれていましたが、従業員の方々には不満が
あったようです。差別を言うわけではないのですが、「あの子は普通と違うのだから」と、奥さんはよく従業員のかたに言っていたようです。そうしないと錯覚
してしまうほど、彼は、わたしたちとかわらないのでした、理解と判断ができない以外は。
彼女や彼らが起こす出来事や不始末には、事件がらみもあります。夜中まで走り回り、警察に引き取りに
行った世話人さんもいました。ただ、他人に殺傷などの危害を加えての事件ではないのが救いでしたけれど。
母体である援助支援センターとの連携も重要なことでした。全国大会などへの参加や、グループホームへ
ホームステイに来られる方々との交流は、色んな苦労や事情を分かち合えて、「自分たちだけ」の枠を取り払ってくれました。
退職後(私)は一切の連絡は絶っています。支援センターとか、元同僚たちとは交流はありますが。
或る前任者が、「(自分は仕事を)辞めて(から)も、なんでも相談にのるから」と、お別れ会のときに
言っていたようで、それを眞に受けた本人たちは、頻繁に電話したり、(退職者の)家に(訪ねて)行ったようです。迷惑を感じた前任者から突然私の宅へ電話
が入り、「もう電話せんように言ってください。迷惑していますので」と。その方とは面識もありませんでした。迷惑ならば、自分が本人たちに直接言えばいい
ものをと思いました。そんな経過がありましたので、冷たいようですが、(私の退職するときはいろんな経緯も)ズバッと切り離しました。それでもときおり訪
ねてきたときがありましたが、玄関外での応対で家に入れることはありませんでした。冷たいようでも、厳しく線を引くことがお互いにベストなのではと思って
います。
* 障害児の親 1.6.15
私のような母親を悲しませたくなくて----とのお気持ちが発表をためらわせたとありますが、そんなご
心配は要りません。親と言っても我が子が迷惑至極に思われるときもあり、そんなに立派に生きているわけではありません。障害者にとって親はすでに社会の一
端、差別も偏見も、生まれてすぐに親から始まっています。
親は確かに心の奥に悲しみの固まりを沈めているようなところはありますけれど、普段はあっけらかんと普
通にくらしていることが多いので、周囲から腫れ物にさわられるようにいたわられるのも、ひねくれているようですが、気持ち悪いものです。
それに”障害児の親”といっても、千差万別。大概は、その子を持つまでは”普通の人”だったのですか
ら。社会の中である日突然別のグループに席替えさせられたようなもの、当事者にしてみれば「殆どの部分で昨日までの私と何も変わっていないのに、どうして
障害児の親らしく変わることを求められるの?」という居心地の悪さがあります。
同じく障害児を持って、もともと障害者に偏見のあった人ほど「自分は差別される」と心配し、逆に障害者
に違和感がなかった人は「どうにかなるさ」と楽観的なのは、興味深いところです。
だから、社会全体の障害者観の底上げが大切ですし、そのためにはきれいごと、美談の世界から、当事者も
一般の人も共に、真実自分の心の底まで見つめる必要があるのです。それ故このような辛口の物語は必要なのだ、と私は思います。
もっと面白い話をいたしましょう。
秦さんが女性の慇懃な語り口を用いられたのは大成功だと思います。
知的障害のあるひとにとって、持って回った丁寧な物言いほど、わかりにくく、混乱するものはありませ
ん。この女性の対応は、きっと「妙子ちゃん」を混乱させ、事態がちっとも解決しなかった原因になったと言えます。何故かというと---
夕べ、はたと! 思い出しました。
私の母は京都で「ええおひと」「ええとこのおくさん」と言われ、またそうあることこそ正しい自分のあり
方と思っていた人なので、京都式の、まず自分を安全な場所に置いて婉曲に意見・希望を述べるという会話の達人でした。もう、そのような物言いしか出来ない
人。
私も夫も京都育ちだから、そんなもんやと思ってええかげんに聞いて、エッセンスをくみ取る術を持ってい
るのですが、孫達はそうはいきません。なかでも、知恵遅れの息子には”理解しがたい言いよう”なのです。
例えば、何々をしては困る、というのに、母は「私はかまへんけど、したらあかん」と言うわけです。子ど
もにしてみれば、かまうのか、かまわないのか、してよいのか、悪いのか----結局この注意は何の効果も発揮しません。そこで母は私に「いうてもきかへん
から、あんたからおこって」と、こう来る。
でも”お巡りさんにおこられるから駄目”式のしかり方は私はやりたくないし、第一、知恵遅れの子どもは
現行犯でその場で言われた事・人でないと理解が出来ません。よく母子で言い争いました。それこそ、私は切なかったです。
京都式の持って回ったいい方は、さすがは千年の都のいいまわし、高度な文化、かなり知的水準が高くない
と理解するのは無理です。
そんな京都のややこしさがきらいで、きらいで東京に住み着いた私ですが、やっぱり京都が好き。もう一度
住もうとは思わないけれど恋しい。死んだらお墓は絶対京都や!と夫と言っています。幸い私の引き継いだ墓が円山公園の横、絶妙の地にあるのでそこにしよう
と。でも、正面に”* *家代々の墓”と書いてあるのを何としよう!! お寺さん(例の弥栄中の*
*先生です)は南無阿弥陀仏にすればよい、と教えてくださいましたけれど。
お陰様で夫は元気に相変わらず* * *の仕事をしています。
「私語の刻」に何か反響がでるか、これからも楽しみにしながらのぞかせていただきます。いつ
も脱線を重ねるメールですみません。
* 寒いテラス・読後に 1.6.14
秦恒平様、湖の本お送りいただき有難うございます。
早速に「寒いテラス」を読みました。批判するどころではなく、身につまされ、考えさせられてしまいまし
た。
ご承知頂いて居ますように私にとっては決して珍しくないテーマであるが故に、主人公「淡路」家の方達の
やるせなさも、「妙子ちゃん」の両親の立場も良くわかり、そう言う意味でとても冷静な読者ではあり得ません。
異常な体験をした家族の物語として読めば、とても良く描かれていて人の心の不気味さが迫って参ります。
また障害者の受容という”正義”の前に、人々が言いにくくなってしまっているものを、よくぞ書いてくださった、という感想もあります。
また”統合教育こそ理想の姿”と言われる中にひそむ問題点、これも言いにくい事を言って下さったと。
ある人が統合教育における学級の障害児は「教室の金魚」状態になりやすいと言ったのを思い出しました。
「節子」さんの役目は「金魚係」。一見スムーズに運営されているクラス。薫先生。美しいノーマライゼーションの眺め。
その他、自閉症と思われる「妙子ちゃん」への対応は適切だったのか、とか、小説というよりも、障害児へ
の受容や対応を学ぶ症例、としての読み方もあると思いました。
しかし、私にとってショックだったのは、私自身が、自分の知らぬところで”淡路さん一家”を作っている
のではないか?
という恐怖感に襲われたことです。
私の物語---を聞いて下さいませ。
私方の息子はあるファミリーレストランの洗い場で、もう8年以上働かせて頂いております。法定雇用率・納付金制
度に後押しされ、レストラン本社の障害者雇用への熱心な取り組みのお陰です。店長は本社人事から教育を受けて積極的に知的障害者の理解に努め、それは店長
自身の人事評価にも繋がっています。
けれども実際に洗い場で毎日息子と顔を合わし仕事を教えてくれたのは、パートのおばさんなのです。この
おばさん達にしてみれば、どうして自分がその役を振られたか納得出来ているとは言い難く、不満があり、それももっともな事と、私だって思います。
息子に仕事を教えてくれたAさんは、とても仕事の出来る”職人肌”のパートさんで、このおばさんの”し
ごき”のお陰で、息子は何とか使い物になるレベルまで仕事をおぼえられたのだと、私達は感謝しています。
けれども、Aさんにとっては、いつまでたっても息子を好きにはなれない、いくら言っても覚えが悪いくせ
にいっぱしの口答えをする、ボロクソにしかっても、さしてこたえた様子でもなく、「僕はこの仕事が大好きです」と言って、しかられても、しかられても翌日
は元気に仕事場に現れる。
仕事場へ行けばいやな相手と働かねばならず、かといっておばさんには生活がかかっているから、そんな理
由でやめるわけには勿論行かない。店長は(障害者雇用の推進側だから)言っても取り合ってくれない。
そこでおばさんは、1年に一度位(何故か冬の寒い時期に)”大爆発!”
苦情電話を我が家へかけてくる。そこで延々と電話で私がしかられる。「お母さんはわかって居るんですか!」って。
Aさんの苦情にもいちいちもっともなところもあるのですが、理不尽な部分もあります。いずれにしても、そこが知的障害の障害たるところでもあり「申し訳あ
りません。お世話かけます。」と謝るしか言いようがありません。そこで親が遠慮して店を辞めさせでもしてしまったら、本人の働きたい気持ちはどうなる。こ
れまでの努力はどうなる。あやまったり、主張したり、本社に、店長に、言ってくれと逃げたり。
ぐったりくたびれ、がっくり落ち込んで-----でも、毎日もっとボロクソにいわれても、私達に訴える
こともしないでいる
息子の事を思うと、「なんのこれしき」って元気が出てくる。はたの人から見れば、開き直りに見えるかもし
れません。
障害者と一般社会の接点では、いろいろな難しさがあります。
私達障害者の親サイドには、このくらいは大目に見て貰って当然、の甘えが生じやすく、また健常者といわ
れる人達は、傍観者でいられる間は、正義の味方、弱者にやさしくといえても、実際毎日のように接するとなれば、生理的にいや、嫌いという感情を持つことも
あり、それを無理に抑えることも難しいでしょう。障害者とでなくとも、そういうのってありますもの。
障害者の親同士だって、他家の障害児を好きになれないことはあります。
障害児はみんな”かわいい”なんてことはありません。”かわいげのない奴”もいます。いろんな性格が
あって当然だのに、障害者なら、かわいいはず、正直なはず、素直なはず、それは健常者といわれる人達のまちがった思い込みです。
息子と「妙子ちゃん」が違うところは、息子もAさんが苦手で、今日はAさんが休みだという日は、いつに
もまして機嫌良く出勤して行くので、苦笑してしまいます。職場に自分と合う人合わぬ人がいるのは普通のことだし、店長や他の人とは
うまくいっているようなので、こうして長く続いているのだとは思います。
でも、Aさんにとってはどうなんだろう? それは私達一家の責任かなのか? 「寒いテラス」を読んで、
急に気になってしまった、という次第です。
息子が一方的に、お店で働いている女性に好意を持った事もありました。既婚で子供さんもあることを知っ
ても「デートしたい」と言うところは、やっぱり---という感じ。「行く場所も知らない貴男には、無理でしょう」くらいの忠告で諦められる淡さで、ほっと
しました。テレビの長嶋美奈さんとか、ゴルフの不動有理さんを「可愛い----」って言っている分にはご愛敬で。
でも知的障害の人が一方的に誰かを好きになり妄想の世界に入る事はそう珍しくなく、火事と一緒で、初期
消火を誤ると面倒になるようです。
次に、秦さんがこの作品の発表を20年もためらわれたことについて考えました。その結果がどうのこうの
でなく、その間の、知的障害者を取り囲む環境の変化を思い起こしました。丁度日本の障害者施策や障害者観の転換ポイントと言われている「国際障害者年から
の20年」と重なっています。20年前に発表されるよりも、今の方が、作品のテーマを正しく理解できる人が増えていると思います。統合教育も、あの当時よ
りかなり定着し成熟しています。
むしろそれ故、各地に”薫先生”や”節子さん”は沢山出現していますし、”淡路家”も存在していると思
います。当時よりは、そのような困った事態への対処の知恵も蓄積されているやもしれません、が、おそらく今もって新しい問題点でしょう。入所施設近辺で
は、開所当初は入所者も落ち着かず、施設を出て近隣の家に上がり込む例が多いそうです、よりにもよって施設建設に最後まで反対だった家に上がり込む、と話
して下さった施設長は、笑っていました。地域の人も不慣れで、この珍客に困惑しながらもねお菓子をだしたり----そのうちに地域の人も対処方法に慣れ
て、良い形で地域との共存が出来てくるようになってくるのですが。
栃木県に在るある有名な施設の初期の頃、近隣の農家に上がり込み勝手に飲食するのはざら、あげく納屋に
火をつけ燃やしてしまったこともあったそうです。この挿話を、創設者(この世界ではビッグな人です)が、”にこやかに”話されると、私などでも、やはり釈
然としません。近くに住んでいる人にとってはすごい恐怖だったろうと思います。
障害者をありのまま受容するために、周囲はどこまでのリスクを受容しなければならないのか----。折
しも池田の附属小での殺傷事件が起こり、今、社会全体で同じような問題が関心を集めています。
本質的ではないことなのですが、用語についてね秦さんの意図をお訊ねします。
現在「精神薄弱・精薄」は法律用語を除いては使わない風潮にあり、「白痴」も余程のことがないと使わな
くなっています。20年前お書きになった時には、まだ、それ程用語は批判の対象になっていなかったと思いますが。意図して(薫先生や節子さんの母親の障害
者観を現すものとして)お使いなのか、単に当時の用語そのままになっているのか-----、僭越ですが、ふと気になりました。
思いがこみ上げるままに書き連ね、一体何が言いたいのか、感想にも批判にもまとまりが着いていません
が、お許し下さい。もっと、もっと、いろいろあるのですが----今日はこのくらいに致します。 2001/6/14 雨の日に
* 橋本博英氏 1.6.14
回顧展が青山で開かれてますね。秦さんのホームページも拝見し、講演録も読みました。
個人的なことを話せば、私の祖父も画家で、中学の美術教師をしながら絵を描いていました。
橋本氏の絵は以前に画集で見て、知っていましたが、初めて観たとき、本当にびっくりしました。祖父の絵
にそっくりでした。題材も橋本氏は丹沢、祖父は八ヶ岳にアトリエをかまえ、画布を外に持ち出して制作する姿勢も、タッチも本当によく似ているのです。
祖父は私が高校の頃になくなりました。私が美術部に入って、油絵を描きはじめたのを知ってとても喜んで
くれました。
もっといろいろ話したいと思っていた矢先に死んでしまったような気がします。
橋本氏の絵は正直、それほど上手いとは思いません。(生意気ながら)上手いだけの人ならもっとたくさん
いると思います。まず、素人が風景画を描こうとすると、あのような画風に近いものができると思います。
しかし、私はそこが肝要なところで、橋本氏は絵を描きはじめた人の素朴で、純粋に対象を視る目をずっと
変わることなく持ち続けた人なんだと思います。印象派とよばれた画家達から時代が下るにつれ、自然のなかで光のうつろいや空気の質感を表現しようという本
来の目的が、点描のような分析的手法にすりかわっていったという絵画の歴史もありますが、絵を生業とすればその世界での評価を得るため、意識しないうちに
絵のための絵を描いてしまうことが多々あるのではないかと思います。
私がいちばん感動したのは、橋本氏のスタイルがぶれない、筋の通ったところです。失礼ながら不器用にも
おもえるほど...。
後半、丹沢にアトリエをかまえてからの、山の小道を描いた作品などは対象物との間にしっとりした空気、
水蒸気のようなもの、空気の質感ともいえるものが感じられてきます。風景を描く人であれば誰でもみな、この境地を一つの目標にしているような気がします。
見えない空気が描けたら...。
画集にみるところ春や新緑といった、新しいはじまりが感じられるような季節を好んで描いたようですが、
個人的には秋や落ち葉の積もった林道も見てみたかった....。
講演録も読みました。カンテラの例え話が好きです。
絵そのままの、静かで、誠実な人柄が伝わってきます。
* 仕事のことなど 1.6.14
すみませんご心配おかけして。暗い話ばかりでもありません。だいじょうぶです。
仕事が辛いのには明らかな理由が幾つかあるんです。去年異動して以来、上司に恵まれないこともその一
つ。いつもどこか重苦しい雰囲気が漂っていて。理不尽なことを言われたり、感情的に高圧的に。
プライベートでは、中学以来の友人が複数の病気を抱え、その医療費支援のために貯金が底をついてしまい
ました。
どうしようもなく制度のはざまで。他に頼る先がなくて。毎日大変な状況へ耳を傾けることが心労となってい
ます。辛い思いをして働いても、蓄えが残らないことも悔しくて。(もちろん彼女の孤独と辛さとは比較にならないのですが)。
仕事のつてで、医療ソーシャルワーカーに相談したり、公的な窓口に相談したりしてもらちが明かず、つい
先頃、トップクラスのソーシャルワーカーさんにつなぐことができ、今少しホッとしているところです。
一番気にかかっていることを、ちょっと吐き出しました。
すごくお目にかかりたいです。でもお忙しいことでしょう??ご都合のよい場所、日にちに合わせます。
* 湖の十五年 1.6.14
懐かしい御本を有難う御座いました。
お懐かしい秦先生の字をポストに見つけまして、えっ!湖の本だわ!と大変驚きました。
15周年記念本当におめでとう御座います。「湖の本」の出版についてお話をお聞きしましたのも、15年前の事でしたのね。
途中長い事中断しておりました。これからはまた購読申込みさせていただきます。
この間は本当にいろんなことが御座いました。私自身入院や苦しい抗癌剤との闘い、死をも覚悟した時期も御座いました。
明るく前向きに考える事によって、其の時は其の時に考えようビクビクしない事に決めました。
何気ない日常の景色がこれほどもありがたく、いとおしく新鮮な思いで見られたことはございませんでした。
桜の花に迎えられる様な時に退院致しましたので直ぐに、「細雪」の桜の場面を思い出しまして、初めてその大切さ、
くりかえしの素晴らしい事を教えて下さいました秦先生の言葉を思い出しておりました。それからは”一期一会”の言葉が実感できる様になりました。
又24年間も尊敬し、我が師と崇め慕って教えを受けておりました*
*先生との永遠の別れが2年前にありました。お子様のいらしゃらなかった先生を最後まで看取らせて頂いて、この時ほど”死なれて”しまったと哀しい、かな
しい心持でむなしく空をながめたことはございませんでした。秦先生の素晴らしさを心をこめて教えてくださったのも*
*先生でした。隠れた秦先生のファンでした。古事記、日本書紀、万葉集、源氏物語、和泉式部日記、紫式部日記、平家物語、伊勢物語、徒然草、奥の細道、と
随分教えていただき導いてくださいました。
その先生を失いまして、路頭に迷っております。
唯一つ読書会だけは今も自分たちだけで続けております.
こんな私事を永く書いてしまいまして先生にメールいたしますことお許しくださいませ。
長雨の”ながむこころのロマン”を思いつつこの季節を過ごしていきます。どうぞお大切にお過ごし下さいませ。
お話が出来まして感激でございます。早速のご返信ありがとうございました。
お便りをしておりました時も、即お返事くださいましたので、いつもお仕事のお邪魔をしているのではと、心にかかっておりました。とても筆まめでいらしゃい
ましたのに・・・
本当にメールですとお手紙よりも気楽にお便りできてしまいますので、度々気軽に先生にお便りさせていただきそうで、よりご迷惑をお掛けするかもしれませ
ん。
「ディアコノス=寒いテラス」を頂いて直ぐに読みました。どう言う意味かしら?と思いまして、引きずり込まれる様に一気に読みました。ずうっと心に引っか
かってしまって、どの様に対したら良いのでしょう、と、重い宿題のように感じております。又感想はゆっくりと書いてみたいと思います。多くの人と話し合っ
ても見るつもりで御座います。私の中でも抱えてまいります。
* 降りますね。 1.6.14
「十五年」も昔、近くの小学校の生け垣から、「ごめんね」と無断で頂戴して挿し木した二種類の紫陽花が、今では狭い庭を占領して、この雨に満足そうです。
梅雨時は、この花が咲いてこそ鬱陶しさも緩和されます。毎年梅雨が明けると一度は…と思い、でもやっぱり根こそぎにするのは踏み留まっています。
物識りの友人から、水揚げの悪い切り花は、すっぽりと水に一日浸けるといいのよ、と聴き、今は部屋の中
でも、活き活きと咲いています。紫陽花の花言葉は戴けませんが、好きな花の一つです。明日も雨です。
そう、「湖の本」を発行するおはなしを聴いたのは、「こころ」上演の頃でしたでしょうか。「十五年」と
一口に言っても、赤ちゃんが十五歳の少年にまで成長するのと置き換えますと、それはそれは永い年月です。立派な事業です。ご苦労様でした。今後も元気で、
持ち前の意欲、満々と、次の節目を目出度く迎えられますように。
昨日の井戸端ならぬ、喫茶会議でのお仲間の話。
友人は小泉総理のホームページマガジンに登録すると言い、今日のニュースでは、八十七万人が登録したと
か。登録しましたか。明るい話題だけれども、私はそれ程入り込めません。
鬱なんて本当は大嫌い。昔から、鬱状態の人は嫌いだった。陽気で明るいのが好き。
* 奇遇 1.6.13
句を置いて、助けてもらうつもりだったのに、逆効果とは残念です。
昨日は、館山へ出かけました。窓から海の見える夕日海岸ホテルに、二百余名の人たちが集まりました。
実はそこで、蜂須賀和子さんとお知り合いになったのです。
一泊して、今日は午前中、里見城址や高田敏子詩碑などの見学会でしたが、私はまっすぐ帰るつもりで、皆
さんの出発したあとから一人ぽつんと朝食の席についておりました。そこへ入っていらしたのが蜂須賀さんでした。
初対面の御挨拶から話が進んでどういう拍子にか秦先生を知っている、湖の本も読んでいる、とおっしゃっ
たのには大変驚き、いっぺんに親しみを覚えました。館山駅から千葉駅でお別れするまで二時間近くの車中も、たのしい会話の途切れることはありませんでし
た。それにしてもこういう偶然ってあるのですね。
蜂須賀さんは詩のほかに小説も書いていらっしゃるとのこと。後日作品を送ると約束してくださいましたの
で、楽しみに待っているところです。前夜は、和服姿で、嵯峨信之の詩を朗読なさったのが彼女でした。
私の指は、まだ完治しておりませんが、気長にリハビリに励んでゆこうと思っております。お心遣いほんと
うに嬉しゅうございます。ありがとうございます。蜂須賀さんからもどうぞよろしくとのことでございました。取り急ぎ御報告まで。お元気で。
* ディアコニッセ 1.6.13
元勤務先は、先生がたのいらっしゃる大きな「施設」ではなく、(世話を受ける)人たちが外部で仕事を得て、その収入と年金で暮らす「通勤寮」と、そこから
地域に居を構え、数人が一緒に暮らす「グループホーム」でした。障害は重複している人もいましたが、軽度のうちにはいると思います。ただここに入寮できる
人の人数は限られていて、養護学校や施設からの希望で、体験学習を経てからになります。スポーツや旅行などの行事を通じて交流するときには、仕事に支障を
きたさない限り、全員が集います。百人近くにもなるでしょうか。障害(の種類や程度も)もそれだけ異なっていたということです。ダウン症も、自閉症も、言
語障害、身体に障害ある人も、障害者同士で結婚した人もいますし、子供を持った人もいます。親も障害者で庇護を受けられなかったり、捨てられた人もいま
す。
熱心に子供たちの将来を心配している親たちの団体もあります。本当に、本人を取り巻く環境も千差万別なのです。
ノーマライゼーションがいいだされてから、全国的な「世話人会議」も開催されました。そこで、「世話
人」の待遇の悪さも問題にされました。交替要員がいなくて休みが取れないとか、世話人が同居で、家族全員で丸抱えの状態にあるとか。社会保険の完備されて
いないところもあり、行政からの援助、補助も、その県により、大差がありました。障害者の高齢化と、世話人の高齢化も大きな問題でした。本人の高齢化にと
もなって、働けなくなったときの収入も心配されます。不景気は、一番に弱者を切り捨てていきます。そのために小規模作業所や、パン製造販売や、それに類す
る仕事場を作り、将来にそなえているようです。
* ディアコノス 1.6.12
あじさいが美しい色を楽しませてくれます。玄関にいけた花も、元気。
ディアコノス いろいろな意見が寄せられて興味深く拝見しています。
ある方の「精神障害」「知的障害」の定義は、ちょっとちがうかと・・・。この方の「知的障害」はダウン
症のことをおっしゃっているようですが、染色体異常もほんとうにいろいろあってダウン症ばかりでなく、知的に遅滞のないものもあるのです。ここで、「妙子
ちゃん」をどんな障害かと断定する必要はないでしょうし、私は、知的障害と思春期に始まった精神障害の混じったものでは、と、思っていました。「結婚した
い」という情動が異常に高ぶったことや「死」への願望のあったことが、「節子」とその家族を特に困惑させたので、そのことが問題だったのですから。
それから、セロテープ 排水溝の方は、「心の病」と思われます。(全く同じことを見聞きしたことがあり
ます、「お茶」のけいこにだけは、最後までかよっていたところまで・・・。)難しいですね。早期治療でよくなる可能性もあるものを、家族がすべて背負って
いるのですね。
* 「ディアコノス」読みました。 1.6.12
満15年、おめでとうございます!
ディアコノス…正直、キツかったです。「淡路」家がマスコミに叩かれるラストが、あまりにも生々しく
て。小説としての面白さに惹き込まれたものの、「面白かった」ではすまされない重さが、まず残りました。「生活と意見」に載っていた読者の方々の意見を読
み、ますます重さが募りました。どうすればいいのか…考えることはできても、言葉にすると安直な物言いに成り下がってしまいそうで…。今は、ただ読み、深
く息をついています。
個人的に印象に残ったのが、「節子」でした。ちょっとごてごてした理屈っぽさと、まるで相反するような
不安定さ。自身に跳ね返ってくるところが多くあり、身近に感じました。身近といってもあまりいい意味でなく、むしろ「痛いところを突かれたな」という感覚
です。それこそ自分をかこつのはやけに達者なのに、いざとなると周りがまるで見えなくなり、自分独りの不幸不安と思い込んでしまう。ここからして顧るとこ
ろがありました。
作中にあった通り、第三者からの批判とは、あくまで第三者のものに過ぎず、当事者にしてみれば時に腹立
たしくさえあるものだと思います。「誰かを批判するのであれば、自分も血を流さなければならない」と言っていた人がいました。「絶対に無害で安全な場所か
らの発言」…一番したくない行為の一つです。しかし、今までやってこなかったと言えるかどうか。僕自身、血を流さずには許されないことを、重ねてきたよう
な気がします。
「精神障害者を差別しない」と言い切ることは、僕にはできません。実際に触れ合ったことがないというの
もありますが、例えば罪を犯し報道された人物を見て、単純に「ああいう人でなくてよかった」と思うからです。(ただ、精神障害者も同じように罰するべきだ
という意味では、けっして差別しない考えです)。五体満足で精神も健康である自分の幸せを改めて実感することはあっても、そうではない人たちの幸せについ
て考えることは、確かにあまりしてきませんでした。
もし実際に関わることになった時、「あるがままに、自然体で」接することなどできるのだろうか…。まず
自分自身、あるがままに自然体に生きているとは言いがたく、甘えも媚びも下心も絶えてなくなるということがありません。いやだなあと思う一方、我が身可愛
さも背中合わせに潜んでいます。だから、僕は表立ってボランティアだとか平等だとか、怖くて言えないです。そんなことを言う前に自分はどうなんだと。そし
て、例えば今日「ディアコノス」を読み、読者の意見を読み、ますます自分の恥ずかしさを感じるばかりです。
…少し長くなってしまいました。今回の「ディアコノス」では、いろいろと考えました。実は、秦さんの短
編作品について、ちょっと書こうと思っていたのです。だけど今日は「ディアコノス」に完全に寄り切られてしまったようです。秦さんのおっ
しゃっていた「時代と切り結ぶ批評」、ひしひしと伝わりました。小説を書きたいという願望はあっても、何
を書こうという動機はそもそも根づいているのか。時間をかけて自分に問いかけたいと思います。
予想していたよりもずっと気分よく、じっくりと毎日を過ごしています。余計に増える知人関係との付き合
いが減ったかわり、秦さんの言葉や文章に前よりもわりと近く接しているような気がします。また大好きな「慈子」「罪はわが前に」「みごもりの湖」にも逢い
たくなってきました。ゆっくりのんびり読み返してみようかな。迪子さんともどもお元気なようで、僕もなんとなく嬉しいです。それではまた。
* 少し、鬱状態かなと。 1.6.12
気候も相まって、一つ二つ胸の内を占める不安なものがあり。私はこんなに神経質だったかなと思ったり。
まあ、明日は明日の風が吹くでしょう。
昨日、友人とおしゃべりをして聴いた話、以前から少しは耳にしてはいましたが、私もよく知っている彼女
の仲良しが、ここ五、六年の間にじょじょに神経を病み、今は脅迫観念に捕らわれて、異常な行動だというのです。
日中から耳栓をし、セロテープで押さえ、シンクの排水溝から誰かに侵入されるとその都度塞ぎ、ある時は
水栓を閉め忘れて、団地の階下に大量に漏水して、私の友人も含めて大迷惑をかけたり、痩せているからと無理に食事をするので、食べたものは通過するだけか
骸骨の様にやせ細り、それでも家族は神経内科には診せたくなく、友人もそこまで立ち入るのは憚れて、やきもきしていると言います。
勿論買い物にも殆ど出ないようで、良かれと思い無理にも毎週のお稽古に声を掛けると、やっと出てきて、
作法通りにお手前は出来るのですが、それでも窓際には襲われるからと怖がって座れない。気の毒と思いながらも、手を差し伸べるすべもないのよと。
身近かにあるこの話は、ご本人にはお気の毒ですが、立派な反面教師です。
その後べつの友人の家にも立ち寄り、そこでは孫の話で盛り上がり、明るくなって帰りました。
* 混同されがちな、精神障害と知的障害。 1.6.11
前者は投薬・治療で病状はよくなることもありますが、後者は、教育・訓練で、知能の発達や運動機能が身
についたとしても、生まれながらの染色体の数を増やすことは出来ないのです。ただ、この言葉は好きではないのですが、「普通」といわれるひとにも出来ない
ことってありますよね。金銭感覚がないとか、通常の道理が通らない、常識がないこと、仕事を怠けるなど。傍目でみるかぎり、そう差はないようなことをして
いても「障害者」のレッテル(このいいかたも嫌いですが)を貼られたばかりに差別を受けています。好きなこと、興味のあることには一途で、スポーツや文芸・絵画・職能に才能を花開かせる人もいます。「妙子ちゃん」が一途に思いさだ
めたのが「節子」だったのでしょう。時間の経過は、十分後、1時間後、一日後、1週間、…と比較して理解しますよね。積み重ねることができなければ、比較
もできない。十日後も、一年後も昨日となんら、変わることはないのです。痴呆症であった母(亡)の世界がそうであったように。そのことを納得したうえで、
付き合わなければ振り回されてしまいます。常識では計り知れない行動をすることを念頭に置かねばなりませんでした。
職場から、(世話をしていた当人が)遅刻をするとの連絡がはいり、職員のかたと相談して、自転車の彼に
付き添うてバイクを走らせ、数週間通ったことも。慣れたと思って安心して気をぬくと、もとに戻ってしまいます。腕時計をして時間をみているからわかってい
る・いるかといえば、そうじゃない。わかる人もいます。遅れないようにきちんと行ける人もいます。個々の人格がそうであるように、障害も十人十色なので
す。世間では一様にとらまえて批判をしますが、それは大きな誤りだということを知って欲しいと。
「ゆうても、ゆうても、きかんのよ。出来んのよ」と、愚痴る世話人さんもいましたが、履き違えていませ
んか?
「それが出来るんだったら世話人や、いらんでぇ、出来んからいるんとちがうん?」。
そうですよね。
* ホスゲン 1.6.11
昨日、ニュースを聞くともなく聞き流していましたら、ポリウレタン工場でホスゲンが漏れて何人かが中毒
症状、という言葉が耳に入り、「うわ、恐いね」と言いかけ、相手を探して口の中で言葉が空転しました。主人は同じ東工大ですが、情報系専攻のため、化学物
質の名前を出してもさほどはわからないのです。職場に行っても、説明抜きでこの話を「やれやれ」と話せる相手は同じ専門の上司、一人だけです。普段は、異
分野ばかりの中で働くことを楽しんでいても、突然
惻々と寂しさがわき上がるのはこういうときです。山歩きの景色を楽しんでいて、ふと足元を見たら、あまり
の高度にひるんでしまった感じと言いましょうか。
ホスゲンは、化学兵器にも使われる毒ガスですが、シンプルな化学構造とその反応性の高さのため、プラン
トの中ではしばしば使われるものです。解毒剤もあるので、早めに処置すればほぼ問題はないので、今回の工場でもそのような処置が行われたと思いますが、以
前に、某大学で卒研の学生が死んだことがある程度には、毒性のあるものです。
そこまで説明すると、一応は理系の主人は「ああ、第一次大戦でドイツが使ったやつね」と理解してくれま
したが。
もちろん、今はメールという文明の利器がありますから、この件について話したければ、学生時代の仲間に
メールを出せばいいのですけれど、同じ空気の中で、さらっと流す程度の話を同じ土台で話せる相手がいないのは、やはりちょっぴりさみしいものですね。いつ
もは気にならない、むしろ、わかりあえない程の発想の違いが楽しいものなのですが。心が弱っている時には、少しばかり心もとなくなるようです。
先生には叱られてしまいそうな気の弱いメールですが、異分野との交流を楽しんで下さっていた先生だから
こそ、こういう小さな心のささくれにもご興味をお持ちいただけるかも、と思い書いております。
相変わらず、ご多忙とのこと。どうぞご自愛下さいますよう。
* レブンアツモリソウ 1.6.11
お土産は要らないと言っても、差し上げます。さてナンでしょう。
利尻富士とレブンアツモリソウを含めた高山植物群を観るのが、今回旅行の目的でしたし、ツアーのタイト
ルもそうでした。いつもの事ながら、詳細にお勉強もしないで無造作に出かける私、大半はものぐさから、少しは初対面の感動を大切に、との思いがあります。
利尻富士はどっしりとと言うより、可愛く、さながら富士山のお孫さん。残雪が幾筋かの山襞にあり、蒼空
に終日全容を見せてくれました。前日までは雨風の強い寒い悪天候だったとか。
里はボタン桜が満開の最北の晩春でした。
夜には、点描画の様な満月が水平線上に。こんな月を観るのは初めてです。
さて、お土産ですよ。
旅行前には、そんなワケで、「レブンアツモリソウ」の写真も観ていませんでした。レブンの付かない「ア
ツモリソウ」は正式には分かりませんが、多分包皮と呼ばれる部分は赤紫で、「レブン・・・」よりは小振りの親戚同士の感じ。これは他の土地でも観られるの
でしょう。
「レブンアツモリソウ」 もうお気付きでしょう。あの平敦盛が兜を付けた姿(顔)になぞらえた命名なの
です。記憶にある「清経入水」を持ち出し、「能の平家物語」のその部分を読み返しました。熊谷次郎直実に組み敷かれて、見上げた、あなたのペンになる少年
敦盛の顔のイメージそのままの花です。よくぞ名付けたと言いたい。微かにクリームがかった色白の平家の公達、「レブンアツモリソウ」兜に隠し持った「小
枝」と言われる笛らしき物は、残念ながらそう都合よく見あたりません。世界で、この礼文のこの一角にしか群生しない花らしく、大事に大事に保護され、盗掘
にも気配っています。
このまま学名だそうです。風や雨に弱く、すぐに赤茶けてしまい、花を付けるのに四年はかかり、花の時期
は短く、五月半ばから、六月半ば位と聴きました。相当神経過敏な花です。遠路はるばる、最高の天候に恵まれ、素敵なお花に出会えてよかった、よかった、の
旅でした。
今、何してるの。相変わらず活字に蹲っていますか。元気にしていますか。永い間アッテいない感じ。帰っ
てからスーと気が抜けたみたいです。又、メールをください。
* ディアゴノス=寒いテラス 1.6.10
過去に、知的障害者が地域で普通に生活する、その援助者「世話人」という仕事をした経験をふまえて。
…もし今後も今日のような現れかたをしたら、「絶対に」お家には入れないで下さい、上へはあげないでド
アを閉めて下さい。…大きい声で叱って下さるのが一番利きますので、どうぞ。…
聞きようによっては、そんなにしなくてもと思われますが、けっしてそうではありません。障害の度合いに
もよりますが、会話も言葉も一見、普通に感じとられるのが、彼女や彼らの「不幸」といえましょう。一度めはよくて、なぜ二度目はだめなのか?それがわから
ないのです。ダメなことは、ダメなことと、それを通すことで、体験的に覚えてもらう。言い聞かせて、その場は納得しても、その納得は叱られないでいるため
の納得であり、生きていくため、身を守るための術なのです。「笑って」ゆるせば、その甘さを敏感に感じとってしまいます。行動を起こして相手の反応を見て
いるようなところもあります。声高に威嚇して相手が怯めば、その力関係は継続され、脅してきます。力に屈しない態度でいれば、こちらの言うことをきいてく
れます。
本心からか、うわべだけのものか、相手を見ぬく力量は本当にすごいと思いました。個対個の付き合いが重
要であり、人格を認めたうえでの叱咤が必要なのです。
今日は出来ても、明日はわかりません。積み重ねは大切ですが、それを過信すれば落とし穴に落ちます。日
々が新たなのであり、一日(朝、昼、夜)が新たなのです。そのことに気付くのに半年かかりました。悩み悩んでの半年でもありました。書き文字では言い表す
ことができないもどかしさを、はがゆく思います。
「淡路」一家の、「妙子ちゃん」に対する哀れみと甘さが生んだ悲劇。
ホームページで読ませてもらっていたので、題名を見たときに、「きっとそうかもしれないわ」と思ってい
ましたの。でも「奥様」の言葉で語られている、この御本のほうがより考えさせられます。
何を基準にして「普通」と言うのか。「かわいそう」と言わせる自分のなかに差別はないか?
「してあげている」ことの優越感から生じるものは?自分に問いかけ、問いかけての答えは…。
あるがままに、気負わず自然体で。ようやく肩の力が抜けました。
* 寒いテラス 1.6.10
昨日届き、昨夜から今朝にかけて一気に読み、もう一度読み直しています。
「妙子」の様子が手に取るように 目に浮かぶように伝わってきました。「節子」とその家族の当惑も。教
育的配慮というより、ただ楽だからと、安直に「妙子ちゃん係り」にさせられ、「ディアコノス」にさせられた節子を、どうして責められましょう。今は、この
ようなお子様を普通学級に入れる場合、公的に担当する人員を補充したり<、家族の負担で私的サービスによる人を同行させています。1年生の節子ひと
りで背負うには、はるかに重い「係り」だったのです。
私の通った小学校には、場面緘黙症の「* * 子ちゃん」がいました。「* *
子ちゃん係り」を自発的に行う女子生徒がいて、なんとなく私たちは彼女が「* *
子ちゃん係り」のように思っていました。彼女は押さないと歩かないし、ひとこともしゃべらず、教室で不可解な笑いを浮かべてただすわっていました。時に押
してあげると、ざっくり切ったおかっぱの後ろ髪がゆらゆらゆれていたのを思い出します。彼女の場合家庭では話すことができ、結婚して子どもを産み、そのあ
と亡くなったということです。担任の先生とは2年おきのクラス会であいますが、「ぼくとして、もっと何かできなかったかという思いがつねにあるなあ」と
おっしゃいます。しかし60人のクラス、みんなであたたかく「* *
子ちゃん」を6年の卒業の日まで見守れたと言うことでよかったのではと思っています。
困ったのは、その後、「結婚したい」「一緒に死にたい」という対象に「節子」がなっていったことです
ね。
結論から言えば、今回の大阪の付属小学校の地獄のような事件、パンダのぼうしの男の事件・・・などもふ
くめて、重大事件を起こしたような精神障害者を、治療施設に入所させるべきではないかと思うのです。「人権侵害」にあたる、精神障害者の差別にあたるとし
て、この問題は、浮上しては消えてきたようです。
「心身喪失と判断されれば不起訴 無罪」という現在の法律によれば、上記の男たちが再び社会に出てきて、
しかし適応できるわけではなく、悲惨な犯罪を繰り返す可能性があります。むしろ、必要な収容をしないばかりに、未来ある命が奪われ・・・。節子の場合も、
家族の配慮がなければ、いずれは力づくで死への旅への同行者にされていたにちがいありません・・・それが、収容の必要のない精神障害者への差別にも、か
えって、つながると思うのです。真の平等は精神障害者であっても罪を犯したものは罰し、罪を犯さなくても社会に適応できず、他の人に迷惑を及ぼす場合
は・・・対象が1人であっても・・・ ケアの施設に入所できる体制を作るべきだと思うのです。
妙子ちゃんの家族も、どんなにか困り果て、最後には疲れ果てていたことかと思います。ケアの施設があ
り、入所させ得られていれば、どんなに安心できたでしょう。
ケアの施設はばら色のものであって欲しい。精神障害のある人の心が和むものであって欲しい。鉄格子の着
いた薬臭い病院ではなくて、光や音楽やそのほか美しいもののあふれた施設であって欲しい。その中で生き甲斐となる作業の行えるような・・・。
私は、精神障害者を差別していません。精神障害者や精神障害者を持つ家族の真の幸せについて真剣に考え
ている者です。
私の娘は精神障害者でした。人に危害を及ぼす精神障害者ではなく常に外界を恐れる障害者でした。クラ
シックや文学を好み、自然破壊を憂慮するほんとうに優しい娘でした。そして誰をまきこむこともなく「たくさんの楽しいおもいでをありがとう」のことばを家
族全員に言い残して、「これでらくになれます」と23歳で自死しました。
家族だけでは、支えきれなかった。ばら色のケアの施設があれば、もっと生きながらえたかもしれないと無
念の思いでいっぱいです。
追加します。
ケアの施設は現在もないわけではありませんし、一口でばら色の施設と言っても、従事者の立場から考えればなかなか難しいものでしょう。むしろ通所施設で
あっても良いと思うのです。「寒いテラス」の「妙子」や、私の娘の場合は、通所施設で十分だったと思います。
「がんで死にました」は人の同情をうけます。ハンセン氏病がやっと偏見の呪縛から抜け出したことに大き
な拍手を送っています。エイズについては偏見をなくす方向で運動が進められていますし、遺伝もありません。しかし心の病については、よく知られていないの
が実情です。
* 立待月 1.6.10
夏の訪れの近いことを感じさせる晴天でしたが、お変わりなくお過ごしですか。
先日、新聞の家庭欄で、76歳の男性が、「老いても妻は家庭の花だ。夫婦は二世というけれど、来世より
も今、この時をいたわり合い、大切にしなければと思う。」と書いてらした。こう言ってもらえる奥様に、愚かものは言葉もありません。
暑さと貧血にノビています。満月がすこぅし欠けてきました。夜風と月明かりに誘われて、眠れない夜など
は、散歩したくなりますが、夜2時では、lunatic。
ご本に、たくさんの反響がおありのことでしょう。お幸せな日が続きますように。
* 言葉 1.6.8
先日と言ってもいつになりますでしょうか?
メールをいただいておきながら、返事を出せずにおりました。どうもすみません。
先生のほうは、HPを見せていただいている限りではお元気そうで何よりです。私のほうはと言いますと、
「元気」です。(笑)
今日メールを送れるのは、この火曜で、一ヵ月半ほど続けてやっていた二つのコンペが一段落したからで
す。この一ヵ月半、ほとんどの日を終電で帰るというサイクルで過ごしていました。まぁ、その前も他の物件で、それにこれからもそうなんですがね。(笑)
たまには「仕事」がイヤにもなりますが、概して楽しんで仕事をしています。
このような状況は新聞等にも載っていますのでご存知かと思われますが、マンションブームと言いますか、
住宅ブームと言いますか、住建物建設ラッシュによるものです。つまり私の部署の仕事は山のようにあるのです。
こんな中で自分で納得するものはなかなかできないのですが、今は勉強と思ってやっています。この勉強に
おぼれ、目的を失わないようにするのが大変ですが、何とか今までは切り抜けてきています。そろそろ次のステップとも考えていますが、一歩体を動かすまでの
余裕に、まだまだの状況です。
最近感じることです、が、語りたいことは山ほどあるのに、言葉を失いつつある気がします。語る言葉を自
分の中で探しているようで、実は自分と外部との関係の中に探しているのではないかなぁ、とふっと思いました。最近そういう脳みそ搾り出すような議論と言い
ますか、触媒作用のある関係をもてていないと言いますか、、、まぁ、あまり欲張らず、自分自身を楽しんで行こう!と、思っている今日この頃です。では。
* 一安心 1.6.8
いいメールがとどき、今日は良い日です。いまどき、きみがヒマでは困るわけで、忙しさとうまく付き合ってくれていることと想像していました。元気、なによ
りです。こういうときはむしろ好機、言葉を外向きにむなしく模索するよりも、自身の内側へ思いを沈透(しず)かせ、自身を深く問う方を勧めます。わたしも
元気。湖の本の第六十七冊、創刊満十五年記念の巻を発送作業中です。
静かに酒が飲みたくなったら声をかけてください。日比谷辺で逢いましょう。
* 「湖の本」の創刊15年 1.6.8
心からお祝い申し上げます。おめでとうございます。どんなにか深い想いをかみしめておいでのことでござ
いましょう。私の書架にも67巻の「湖の本」が静かにいま並びました。
明日は久しぶりに新幹線に乗ります。車中で届いたばかりの67巻目を拝読させていただくのを楽しみに。
ここ半月ほどパソコンの具合が悪く、このメールも届くかどうか心配なのですが、急いでお祝いを申しあげ
たくて・・・。
* 梅雨入り 1.6.8
雨戸をあけると日曜日に植えたコスモスの花が、思いがけず明るくおおらかに咲いていました。小さな鉢に根っこをちぢめて咲いていたのが、小さな花壇でも、
土にのびのびと根を張ったからかもしれません。根っこが縮まっていては大輪の花を咲かせることは無理・・・ と、自分にも言い聞かせました。
クリとトマト おもしろい比較ですね。私はどちらも好き。あおい栗の実をいただいて、余りの美しさにス
ケッチをして日本画にしあげ、たしか四条烏丸の銀行に飾られたことがあります。たった一度人様に見ていただいた絵でした。
クリは歯ごたえがあって、噛みしめるほどにまろやかに甘い。トマトは冷やしてまるかじりするのが好き。
ぷちっと表皮の歯ごたえがあって、甘酸っぱい味と香りがじわっと口に広がります。でも今スーパーで売っているトマトは、味もかおりもありません。
クリのような人は、あこがれ。針もあるし、殻もある。せめることも守ることもできます。
トマトは針もないし、殻もない。つっつかれるとつぶれてしまう。
あなたはなすもトマトもお嫌いでしたね。トマトにはなりたくないと思いながら、さあ、今日も。
* 栗花落 1.6.5
「栗花落」で、「つゆり」と読ませる苗字があるそうですが、私はその名の方にまだお会いした事はありません。字面はとても綺麗で、よく出来た当て字です。
近隣に広がる畑には栗の木が多く、この時期あまり心地良くないにおいが家の中にまで漂い、鼻をついて梅
雨入り間近いわと、毎年覚悟させられます。梅雨さなかは、もっと濃厚になります。今朝もその匂いで、眼が醒めました。花も匂いも姿も実も何もかもイイワネ
とは言い難く、ままならないものです。人間様も然り。マロングラッセも栗ご飯も大好きなのに。
* ブラジルの夢 1.6.3
本メールは、BCCにて多数の方に同時発信しています。
向暑のみぎり、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。・・・という、堅苦しい挨拶は抜きとして、
皆様、お変わりありませんでしょうか。本年は、年賀状も出さずに申し訳ありませんでした。
一部の方には、すでにお知らせしていますが、私、本日(6/3)より、ブラジルへ旅立ちます。
というのも、ブラジル・***社が新しく開発するリージョナルジェット旅客機、「ERJ-190」の開
発に参画するためです。滞在予定は半年。さらに伸びる可能性は大きいです。
ブラジルはこれから冬になるので、「冬→春→冬→春」という風に、夏を経験しない一年になりそうです。
しかし、開発としては、計画の一番最初から携わることができ、滅多にないチャンスであり、期待でいっぱ
いです。
「この機体のこの部分は、俺が作ったんだ!」といえますしね。
少し、補足します。
今回開発するERJ-190は、現在流行しているリージョナルジェット機(ハブ空港を経由しなくても、
ダイレクトに地方空港に行くことのできる、地域間旅客機)で、約100人乗りです。当社(******)は、数年前からブラジルの***社とリスクシェア
パートナーとしてこのタイプの飛行機の開発に携わっています。
さらに補足します。
***社は、リージョナルジェット機の市場では、カナダのボンバルディア社に次いで第2位のシェアを誇っています。
入社当初より、現在まで先人が築いてきた作品(T-4)の耐用命数(寿命)設定・IRAN点
検間隔設定見直しといった、人間でいうところの「主治医(人間ドック等)」の仕事を担当してきましたが、今回は文字通り、飛行機の「父・母」として、産み
の苦しみを味わいにいってまいります。
まだ3年目で、経験不足、力不足は否めませんが、皆様が安心して乗ることのできる飛行機を目
指して、がんばって設計・解析をしてきます。
主担当の仕事は、主翼の損傷許容性解析、疲労強度解析といった、「飛行機が、ちゃんと規定の運用寿命間、安全に飛べることを保証する」解析作業となりま
す。
今回設計する飛行機が日本の空を飛ぶようになるには長くかかること(十数年後?)になると思います。アメリカではもっと早くに飛ぶと思いますので、気長に
待っていてください。
それでは、皆様の益々のご発展とご活躍をお祈りしつつ、私の出発の挨拶とさせていただきます。
* 大きな山が三つ 1.6.1
戴いたメールを何度も読んでいます。
わたしは物語を作っているのだな、と思いました。筋の運びにばかり気をとられ、かんじんの動機を埋没さ
せてしまったのかもしれません。
例にあげて下さったラストの展開は、あんまり見事なのでそのまま頂きたいところですが、自分なりによく
考えてみます。
敢えて読まずにおいた秦さんの「鷺」を、やはり読んでよかった。物語の奇想なだけが幻想ではなく、幻想
のようで現実、現実のようで幻想、そのどちらとつかないのが幻想……。すぐに真似できる芸当ではないけれど、懐の引き出しにしっかりしまっておきます。
表現の推敲と、筋の運びの練り直しと、動機をほりかえす作業。大きな山が三つあります。ひとつひとつ向
かってゆくしかありません。この繰り返しこそが大切と思いながら。
川端康成の「片腕」という短編を最近読みました。深く印象に残りました。
* 価値観 1.6.1
掲載、ありがとうございます。「作者がいい距離をあけている」と言ってもらえたのが、何より嬉しいことでした。二稿を送ります。秦さんが直してくださった
ところはそのままうつしています。最後の一文、…。「だんだん赤く変わっていった」。これだけで、がらっと変わるものですね。
祖母と母とのことについては、僕自身、冷静に見ることができないでいます。祖母の死んだあとにもいろい
ろなことがあって、そういうことが余計に思い出されてくるというのもあります。事実をありのままの事実として書き表してしまうと、かえって自分の思い込み
が行間を敷き詰めてしまうような感じがして、重苦しくなりました。祖母のこと、母のこと、僕には当分書けないと思います。
昨日(5/31)で19才になりました。あっという間にもうすぐ大人という感じですが、振り返ってみる
と、いろいろことを吸収してきたんだなあと思います。それこそ、季節の変わるたびに違う自分になっているかのよう。二ヶ月ほど前は、これから一年間どうな
るんだろうとばかり考えていましたが、過ごしてみると、ほんの二ヶ月でこんなに自分の価値観って変わるものかと、驚くぐらいです。きっと去年もそうだっ
た、一昨年もそうだったはずです。来年も驚いている自分が見えるようです。もっともっと、吸収していきたい。
先日、インターネットを使って、「絵巻」「罪はわが前に」そして「慈子」の豪華限定本を、大阪の古本屋
さんから買いました。インターネットで買い物をしたのはこれが初めてではないですが、届いてから手にしたものへの驚きは、今までの比ではありませんでし
た。来年終の棲家を建てる父と母の、素敵な宝物になります。
* 髪を結う 1.5.31
伸びた髪をくくりながら覗いた鏡に、過去に迷い込んだ雨の朝。十七の頃、放ったらかしの雀の髪を、母
が、登校の朝、カーラーで巻いて、カールを崩さないように、ポニー・テールに結わえてくれた事が、何日かありました。母は、独身の頃、職場であらぬ噂を立
てられ、悩んだ末に、高田馬場に住む伯母を頼り、数年間、東京で一人暮らしをしたそうですの。雀の髪にリボンを結びながら、上京を決めた母に、祖母が何日
も、こうして髪を結ってくれたと話してくれました。雀の髪は、あの頃の長さ。囀雀
* ホタル 1.5.31
梅雨のはしり。もう、好天の日は運のもの。しとしと雨は可愛いけれど、じゃあじゃあ雨は、いややわ。今
日はそんな日。気が重い。想い。
気候の温暖化で、ふるさとでは、ホタルが早くも蒼い線を描いていると、便り。柳にせせらぎ、懐かしい風
景。私もホタルに。
映画「ホタル」は、特攻隊で散った魂がホタルとなって戻ってきます。ありきたりの平凡な表現法だけれど
も、これ以外にはないでしょうね。在日韓国人の特攻隊員をテーマにしたのが、深みを増しましたか。戦争経験者だけの回顧に終わりそうで、日本映画は若者の
観客動員が少なくて、気の毒です。いっしょに観た娘は結構感動していましたが。
この二日ほどスポーツによく活躍して、筋肉痛、片腰痛に。運動過剰? もう、これ以上歳を重ねたくない
ヨ。年寄りなんてわびしい。せめて気持ちは二十年は若く持ちたいもの。ナンの事はない、長男の歳じゃないの。アツカマシイ。
多忙な日々が続くようですね。運動も怠りなく。
少し余裕の時間が出来るので、『マガジン』をじっくり読んでいきます。
* 月見座頭 1.5.31
雨 湿った日が続いて、気持ちも少し鬱状態。これほど気持ちが沈んで自信がなくて後ろ向きになるの
は、鬱状態なのだなあ、と客観的に思えるようになったときから、少しずつ浮かび始めています。
この月曜日には、新宿スペースゼロで、野村万作・萬斎らの狂言をオフィスのスタッフ3人とみました。徒
歩2分。仕事が終わってからでも十分行かれる距離。出し物は「キツネ塚」と「月見座頭」でした。
キツネ塚は、少し睡魔に襲われつつの鑑賞でしたが、月見座頭は狂言にしては異色のテーマかと思われまし
た。
満月が正面のスクリーンに映し出されたり、舞台の始まる前に虫の音が座席後方から聞こえたり、いろんな
手法を取り入れた演出がされていました。
客席は一瞬漆黒の闇に包まれます。座頭の世界です。万作の演じる座頭が、近くの野辺に月見にいきます。
座頭ですから、虫の音に耳を傾ける月見です。
そこへ都からきた若い男が声をかけ、酒宴が始まります。歌を歌うなど座頭に取っては思いもかけない至福
の時もおわり、二人は別れを告げます。
ところが、幸せな気持ちに酔って虫の音に余韻を味わっている座頭を、先ほどの若い男が打ちのめします。
座頭は別人と思い、観客には同じ男の仕業であることが分かっています。投げ出された杖を探し出し、とぼとぼと帰っていく座頭・・・。
4人そろって新宿の雑踏に戻ると、気のせいか、秋風のような涼しい風が吹いていました。少しの時間、秋
の夜を楽しんできました。
* 新生活 1.5.30
こんにちは。イチローです。
失礼だなんて、とんでもありません。あの日は、先生の声を聞いたとき、初めて自分の結婚式なんだという
実感が沸きました。
新生活は、以前の生活に比べて、会社に近くなった分時間が増え、家事をする分時間が減り、合計で時間が
マイナスになりました。どうしても連絡がおろそかになってしまいます。
時間はマイナスですが、中身はモノクロからカラーになりました。
* 四度の瀧・鷺 1.6.24
「私語の刻」を拝見しますと、お忙しいようすが伝わってきます。近くにおりましたならば、湖の本の発送作業のお手伝いをしたいところです。真夏のようかと
思えば急に涼しくなったり、おかしなこの頃です、ご無理をなさらずに。
ところで、藤田理史さんの「牡丹」(作業頁に仮掲載)を読みました。どのように推敲がすすむのか楽しみ
です(などと言っていられる立場ではありませんが)。
e-magの創作欄のはじめの方に、藤田さんの書いたものがありますね。あれを読んでいるとき、わたし
の祖母の話であるような錯覚を何度も起こしました。
わたしの母方の祖母の場合は藤田さんの(作中少年の)おばあさまほどのブルジョワではないのですけれ
ど、むかし、韓国併合当時のソウルに住んでいて、医者であった祖母の父は李の王様の診察をしたとかしないとかで、ま、そこそこのお嬢様だったようです。子
供のときより敗戦で引き揚げて来るまで朝鮮にいましたから、選民意識もあったろうし、それがひいては個人としての優越感をより強くしたのかもしれません。
おまけに生来の負けず嫌い、女学校では顔にできたおできが膿んで長く休んだとき以外、常に一番であったと、本人の口から聞いたことがあります。結婚も「軍
人さんとしたかった」とのたまっておりました。祖父は職業軍人でした。
これは実は大変な計算ちがいで、終戦ですっかり没落しました。それはそれは貧乏、貧乏の日々(こちらは
今日まで順調に継続しております、はい)。祖父がどこだったか、外国で拘留されているあいだ、祖母は見知らぬ土地でひとり生きる術を身につけなければなら
なかったのでしょう、でもどこか学び間違えた。ごみを捨てない、溜める、とっておく。これまた藤田さんのおばあさまと酷似しています。もののない時代を
知っているから、という理由は祖母の場合少し違うように見えます。整理整頓が極度にできない、要は面倒くさがりなのだと思います。
こういった話はどこの家庭にもありそうですね。
「牡丹」の今後を楽しみに思っています。
この間、何冊かまとめて注文いたしました湖の本、まず、「四度の瀧・鷺」を読みました。
「四度の瀧」は伊勢崎から水戸まで、知っている土地が舞台で、身近に読みました。
水戸にも二、三度行ったことがあります。茨城県に住んでいたこともあるのです。偕楽園には梅の季節に行
きました。もう、六年くらい前のことです。花粉症の薬を飲んでいて、普段の生活は支障なく、呑気に見ごろの梅を愉しんで帰った翌日、ひどい目に遭いまし
た。そういえば杉だらけだったような気がしました。「ああ、もう、二度とは行かない、四度などとんでもない」という苦い思い出があります。
「鷺」は、もうわくわく、わたしの知る中では「蝶の皿」にちかい作品だと思いました。
ところで、川端康成についての講演はいつなさるのですか?
* ジャンヌ・ダルク 1.5.23
私も感動した映画でした。暗い暗い映画なのに、画面に引き込まれました。「グランブルー」と同じ監督リュック・ベッソンの作品と知っていましたか。全くタ
イプの違うあの「タクシー1」「タクシー2」もそうです。
つい先日、日本を舞台に、広末涼子、ジャン・レノ主演で映画を撮ると、三人揃っての記者会見を観まし
た。
もし、次回、何を選ぶか迷われた時は、
「オールアバウト マイマザー」
「エリザベス」
「恋に落ちたシエクスピアー」
を、是非にとお勧めです。
昔、「紳士協定」というユダヤ人差別問題を扱った佳い映画がありました。
* お祝いをしましょう。 1.5.22
桜桃忌には一ヶ月弱早いけれど。昨日は息子の十九才の誕生でしたの。相変わらず元気なわたし
の「オーラ」は、バランスがよく、とても強いらしいのですって。ホントかな?
でも、嬉しいな、ということで。月様もご一緒に祝ってほしいな、と。お肉を少しばかりお送りしました。今回は、脂が少なめでシャブシャブ用に薄切りにした
ものと、霜降りのスキヤキ用とを、セットしてみました。食べくらべてみてくださいね。体力増強?で、暑さと、控えているお仕事を乗りきってください。病い
にはご油断なさいませぬように。くれぐれもご自愛を。ご本、楽しみにお待ち申しあげております。花籠
* エゾリスとタンポポ 1.5.22
hatakさん。昨年末急逝した上司の、残された家族が故郷の宮崎に帰られることになり、今日は官舎の
引越でした。雪の中で通夜をした家も、今は花盛り。天気良く、暖かく、荷物はあっという間にトラックに積まれて行ってしまいました。がらんとした家で、車
座になってお茶を飲み、六花亭の菓子などつまんでいると、窓の外にエゾリスが。向こうの芝生にはタンポポが群生して、風が吹くたびダンスのようにゆらぎま
す。花も「たくさん」が好きだった故人を思いました。
フォントサイズが大きくなりましたね。読みやすくなりました。HPをひらくと、文字がダダダッと、溢れ
出てくるようです。間欠泉のようです。はじめて見る人は、すこし恐いかも。
ご講演、稔りありますようお祈りしてます。
* 美しい五月 1.5.21
ご無沙汰しております。御元気ですか?
ベビーが家にきております。ママは腱鞘炎になり、通院したり、私も躯が持つだろうかと思いながら、目新
しいのと、あまりにも可愛いので、そんなことも忘れながら、元気にババちゃんというのをやっております。6月7日に帰国します。御元気で。
* 旅立ち 1.5.21
24日木曜日11時、関空からイタリアに向けて旅立ちます。今回はオーストリア経由。
イタリアはそろそろかなり夏らしくなってきていますので、その暑さ、乾燥の程度にどれだけ順応できるか
分かりませんが、多分最初にシチリアに行きます。これまで南イタリアは行ったことがありませんので、小さな町や村を丹念に廻ってみたい。ひょっとしてギリ
シアに・・?とも思っています。その後、フィレンツエで暫く小休止してフランスのロマネスクの教会、巡礼の道に・・。
私の健康と意欲次第で、無理せず旅を過ごすつもりです。
この一年を振り返って・・何と慌ただしい・・文字どおり、心、荒れている一年だったのかもしれないと感
じています。荒れているのは旅から得たものを整理しきれていないので、それらが雑然と積み重なりつつあるということです。その時その時、せめてもう少しで
も整理しなければ、そして立ちどまらなければと反省しきりです。
もう少し旅を集中的にしたら、いちど「閉じこもりたい」心境になるでしょう。
昨日、初めて石本正さんの『絵をかくよろこび』新潮社刊を読んでいましたら、イタリア、ロマネスクと、
あまりに好みが一致!?しているのに、驚きました。
7月11日、日本に戻ります。帰ってきたら祇園祭りに行きたい。元気に行ってきます。
大切に、大切に。
* 気をつけて。南イタリアを舐めないように、かなりの荒さと聞いていますから。無事の帰国を祈ります。
旅に目的を持ちすぎたり、旅の整理が過度に必要に、また負担に感じられたりするのは、一種の衰弱です。
自分一人の中で黙然と消化すればよろしい、他人は、私的な纏めにも整理にも特別の期待はしていないし、期待するのもおかしい。一枚の澄んだ「鏡」になりき
り、写ったものは写し、去るものは去らせて忘れ、それで、よろしい。「旅」を過度に意味づけるのはおかしいし、楽しんで帰ってくれば、それでよいのではな
いか。ドンマイです、マインドの塊りサン。
帰国すると、わたしの、読んだことのない小説が「十五年記念」で届いていますよ。凄まじい掌説集もね。
* メール嬉しく読みました。今から本を楽しみにしています。とても楽しみにしています。旅には「花と風」を携え
て行こうと思っています。外国ばかり行きながら、さて日本回帰?みたいでしょうが、一緒に持っていくことじたいが、自分にとって意味あり、そして離れたと
ころにいると、いっそう日本を考えるものですから、心強いヒントをあらためて本から、あなたから受けられるでしょう。また、マインドの塊だなんて言わない
で下さいね。
これまでの旅の整理がついていないと嘆くのは、衰弱か・・一瞬、そして今もなかば以上は理解できていな
いのですが、そうか、そういう指摘も有り得るんだ、と考えることにします。ただしそれ以上に私が怠け者で、というのが単純な原因・・これは心の衰弱ではな
く、なんだろう。ただの怠けで流れるままなら、私は達人?なんだけれど。
* あなたが、カソリックの国の方角へ向かうのだということを、意識しています。シチリアなどと聞くと、どうし
てもシドッチ神父が懐かしい。それにこの二三日、コンピュータで、DVD映画「ジャンヌ・ダーク」を観てしびれています。
わたしが、フランスやイギリスやカソリック教会に、そして信仰の問題にふれた、生まれて初めての体験
は、大戦争以上に、戦後の中学時代に見せられた天然色映画「ジャンヌ・ダーク」でした。イングリット・バーグマンでした。今度観たのはバーグマンとはまる
でべつのミラ・ジョボヴィッチ主演ですが、ダスティン・ホフマンが共演していて、優れた作品になっています。国会の討論にも目も耳も向けていますが、そう
いう関心が白濁してしまい、映画のさしむけてくる問題の方にクリアな、リアルな実在感を覚えています。王位や教会による肉体や精神の支配をきつく嫌い厭う
気持ちは、この映画で芽生えました。
わたしは、多くの儀式や装飾を身にまとって拝跪と服従を強いる、宗教というよりも権威宗団を信用し
ない。仏教は釈迦をはなれ、カソリックはイエスを裏切っています。日本には法然や親鸞やのようにありがたい導師がいて優れた抱き
柱を与えてくれました、が、バグワン・シュリ・ラジニーシを介してわたしは禅ないしは「静かな心」に惹か
れています。
* 茶ノ道 1.5.16
今年からお茶の会の地方ブロック青年部長をやることになり、週末に総会と呈茶席を持ちました。この時季
の札幌は花が次々と咲いて、何を使うか迷うほどでした。藤原雄さんの小さな蹲(うずくまる)に、風車、カタクリ、山荷葉を入れてみました。
「遠山無限碧層々」の色紙は、高い境地を表していましたが、実際は幽玄の境地ではないですね。初対面の
私に、ご熱心にいろいろ吹き込んでくれる、子分を連れて肩で風を切って歩く、いろんな人がいるものです。全国どこでもそうなん
ですねぇ。やれやれ。
翌日は、職場の花見で公園へ。桜ではなく梅の花です。北海道は梅前線が桜前線に抜かれてしまうようで
す。満開の白梅と七分咲きの紅梅の下で、仕出しのお弁当を広げ、朱杯で大吟醸をつぎ回り、柳桜園のお茶をササッと点てました。茶碗の中に花びらも舞い込
み、お茶に全く縁のない研究者たちが「おいしいー」といってお代わりをしてくれました。
「お茶の世界」以外の人が純粋にお茶を楽しんでくれる。茶ノ道廃ルベシです。
* 楽屋話 1.5.14
お変わりありませんか。雀は元気に遊び、歌舞伎座で久し振りに会った女友達と、芝居がはねてから、少し
話をして、ホテルへ帰ってきました。例の田之助さんの連載より、〜戦前楽屋で流行した投扇興は、行司も装束をつけ、呼び出しは、たっつけ袴をつけた大掛か
りなものだったそうです。歌右衛門さんは<魁>、七代目幸四郎は<へるくみ>(照国がご贔屓だったため)、六代目は<音羽
山>というしこ名だったそうですわ。
今月、夜の部で、音羽屋は、二度死ぬ。江戸の芝居がない、上方言葉での團菊祭は、なんだか変な感じがし
ます。囀雀
* 日本語で考え話すこと 1.5.14
ニュージーランドは本当に素晴らしいところです.こんなに心休まる旅行はありませんでした.食事,中で
もワインは最高です.料理は非常にシンプルなのですが,味付けがアメリカなどとは違いとてもおいしいです.
最高峰マウントクックの写真を添付しますのでご覧下さい.
今年になってからウクライナ人と香港人が研究所に来まして,いろいろと文化の違いを感じています.二人
とも私より若いのですが,日本の文化と言っても都会の文化に興味を示していまして,宗教や神社やお寺の話にはあまりなりません.彼らにとっては珍しい建物
といったぐらいの認識のようです.ウクライナ人からは、なぜ六本木で遊ばないの?と言われましたが、関心のないものはしょうがありません.
それでも熱田神宮へ連れて行って,鳥居は何かと聞かれて,神社の門だとしか説明出来ないのは自分でも恥
ずかしいと思います.それにこういったことを英語でしゃべるのは非常に大変です.英語力も磨かなくてはならないし,日本のことも知らなくてはと言うこと
で、最近はテレビ,ラジオの講座をこまめにチェックしています.また最近は便利な本がありまして,日本の文化について左のページに日本語で,右のページに
英語書かれてある本がありまして、読んでいます.
それでもいろいろな人が言っているように、やはり頭の中でまとまっていないことをいくらしゃべろうとし
ても、それは無理ですね.
日本語で考え、話すこと,これはいつもしっかり出来なくてはと思っています.
* 神田祭 1.5.13
今日は神田祭で賑やかな一日でした。時代行列と呼ぶそうなのですが、都内の道路を馬車がパカパカ歩く姿
は異様な感じがして、何度見ても面白いです。明日は神輿宮入なので今日以上の賑わいになると思います。
とうとう機械を組み立てたということですが、その後の調子はいかがでしょうか。ゴールデンウィーク中に
声をかけていただければ遊びにいくこともできたのですが。機会があれば是非見にいきたいと思います。
ところで、ADSLですが先生のお宅でもサービスを受けられるようになったようです。(会社によっては
6月からです。)
http:
//www.biglobe.ne.jp/service/adsl/acca/index.html
にbiglobeでのADSLの情報が載っています。月々5800円になっています。一度ご覧になっては
いかがでしょうか。
DSLとは簡単に説明すると、今ある電話回線で高速にインターネットを接続できる技術となります。将来
的には、各家庭に光ファイバをつなげることになると思いますが、それまでのつなぎとしての技術と私は考えています。
DSLにはいくつか種類があり、家庭用としてはADSLという種類の技術が使われています。
どのくらい速いのかといいますと、現在の約24倍になります。この値はサービス提供会社により若干異な
ります。
ただ、(今年の二月半ばの話であるが、注)サービス開始からまだ日が浅いため、サービス提供地域が非常
に限定されています。先生のお宅はまだの開始されていませんでした。
このサービスの利点は、高速にインターネットにつなげられるということと、24時間つなぎっぱなしにし
ても月々5?6千円しかかからないということです。24時間、高速にインターネットにつながる環境があると、生活ががらっと変わるかもしれません。
もし、先生のお宅の地域でサービスが始まったら検討する余地は十分あると思います。
* 芝桜 1.5.13
ずいぶんとご無沙汰をいたしておりましたが、わたしもようやく風邪をなだめることが出来たようです。約
一ヶ月かかりましたの。ゴールデンウィークの忙しさにも、今年は不況で増員が望めず、治りを長引かせていたようです。不況の風はまた一段と厳しさを増し、
店長会議のときに、経営者から、社会保険の解除や人員削減などの案が提示されたとのこと。きつくなりそうですが、気分的に落ち込まないようにと思ってはい
ますのよ。
先日の休日。友人と花三昧の半日を過ごしました。新聞やテレビでも報道されていた、民家に趣味で植えら
れているシバザクラを観に行ってきました。絨毯を広げたか、あるいは友禅を流したような風に見事なくらいに植えられているのですよ。たくさんの人が訪れて
は感嘆の声をあげておりました。もちろん、わたしたちもです。
その後、蘭の栽培で有名な河野メリクロンへ。「プリンセス雅子」と命名された蘭もありますの。蘭のお蕎
麦をいただきました。美味しかったですよ。帰りに、高越山(親しみをこめて、「おこうっつあん」と呼んでいます)へ。千メートル級の山ですが、その頂上に
記念物に指定されている船窪のイワツツジの群生があるのです。
裾野では木の葉は大きくひらいて緑も濃いのに、登るにつれて、葉はかぼそくなり、芽生えたばかりのよう
に柔らかに、風景は早春に戻っていくのです。お好きな藤が、垂る房も見事なほどに咲いているかと思えば、谷川沿いに植えられている桐の花が天に向かい、負
けじと咲き誇っていました。紫女(花)の競演です。
「ツツジ」で想像されるのは?たぶん、低木を思われていらっしゃるのではないかしら。ところが、びっく
りです。二メートル以上もあるかと思われる大木が群生しているのです。まだ少し時期には早くて、四、五本しか咲いていませんでしたが、ツツジの間にはアセ
ビ(馬酔木)もあり、それは満開で甘い香りがしていました。ツツジも、花が咲いていたからこそ認識出来たようなものですのよ。花の無い時期に一度訪れてい
たはずの彼女なのに、冬木のような、それを見ながら「あの木は何の木ぃえ?」と、問い掛けてきたのですから。
時期には早くて、平日ということもあり、人影も見当たらない静かな山を、二人で満喫して来ました。イタ
ドリを見つけて、ポキンと手折って食べてきました。懐かしい味に、山野が遊び場だった子供の頃を思い出しました。感覚が似通っていて、同じものを見ていら
れる。そんな友人がいてくれることの幸せをうれしく思った半日でした。
* 歴史の授業で詩を教えるということ 1.5.8
少しご無沙汰してしまいした。
先日先生にメールしました後の4月初旬、日暮れ後に自転車を漕ぎながらふと山際を見上げると、やわらか
なサーモンピンクの大きな月があり
蕪村の「のっと」という表現はこういう月をいうものなのだ、と納得しつつも句の全体を思い出せず、「先生
に伺わなくちゃ」と思いながらもこんなに日が経ってしまいました。
もう月ものっと出る季節ではなくなってしまいましたが・・・。しかも、今日は雨でせっかくの満月も見え
ないようです。ただ、鮮やかな色とりどりの新緑に雨のかかる様は瑞々しくて私の大好きな景色でもあります。
そう言えば、娘の生まれたのも満月の夜でした。
人もただの一生物だなぁ、と痛感させられるほど、その夜は病院でも出産が次から次へ続いていたのを思い
出します。月の満ちる夜に新しい命が誕生するのは、不思議なほど生き物全体の共通点ですね。
ところで、「のっと」出る月の句はなんと言いましたっけ?
先生のホームページで、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を取り上げられておりましたが、私は中
学・高校を通して、この詩を何回も習いました。国語でも歴史でも。
異常に感じるのは、この頻度です。
芸術として完成度の高いものであることは疑いようもありません。ですから、国語で習うのは納得はいきま
す。けれど、ただでさえ近現代史を教える時間がない、と言われている今の歴史教科書の中で、例えばリットン調査団の記述すら消えてしまっているような教科
書の中ですら、中学でも高校でもくり返しこの詩を教えること自体に、私は疑問を感じるのです。
歴史の教科書の中で、他に詩を取り上げていた記憶はほとんどありません。それ故に、今までの教科書で
は、ある種の意図が働いて、この詩を取り上げてきていたという感触を覚えております。
与謝野晶子は素晴らしい詩人だったと思います。
彼女のあの詩を発表することは、あの時点では、かなり勇気を必要とするものだったと思われます。世の中
は、「お国のため」にロシアに戦いを挑むことが大きな流れになっていたのは事実だったはずです。そのあたりの流れを「坂の上の雲」ではしっかりと描いてあ
りますよね。
そんな中で、彼女の詩を発表することは、相当に気力が必要だったでしょう。
しかし、従来の(少なくとも私の習った教科書では)日露戦争に関しては反戦的な取り上げられ方ばかり
で、戦いに向かう大きな事実経緯を詳細に
書いてなかったように思えるのです。
すると、与謝野晶子のこの詩は、普く流布している反戦ムードの中での単なるファッションに見えてしま
う。これでは、与謝野晶子に対しても失礼ではないでしょうか。
彼女は、詩を発表する、それも時流に抵抗するような詩を発表する、その「発表」という事実の中で、激し
く生きた人だったと思うのです。そして、こういう「詩」にかける情熱は、国語の中で教えることこそが相応しい。歴史の教科書の中で、それも安っぽい反戦
ファッションとして取り上げるべきではないはずです。
かといって、この新しい教科書でのとりあげ方が正しいとも思えませんが、彼女の詩を逆のとりあげ方をし
て、日露戦争へ向かう時代背景を教えたくなってしまった「つくる会」の意図もあながち否定すべきものとは思えないのです。
私としては、基本的には、歴史の教科書の中でいたずらに詩などをとりあげるべきではない、ましてや安っ
ぽく取り上げるべきではないと考えています。
(古代の叙事詩など、史料となるのならば別ですが)
そして、今までの教科書がそういう作りだったからこそ、反動でここまで書いた教科書が登場してきた理由
もわかるような気がするのです。ただちょっとあまりにも極端ですけれど。
でも、与謝野晶子を題材にして、この時代の価値観自体が今と異なっており、その中での、彼女のこの行動
だったのだ、と言いたかったのでは、と
解釈しております。
ここまで書かなくても、とは思いますけれど。
またしても長くなってしまいました。
明日の「細雪」が見ごたえのあるものでありますように。
やわらかな雨音を聞きながら・・・
* 連休明け 1.57
お元気ですか?
連休が終わってほっとしています。長い連休と言っても主婦は一年中が連休のような、仕事日のようなもの
ですが・・・わたしはよほど一人でいる時間の欲しい人らしい。
もっと早く帰国報告をしなければなりませんのに遅れてしまいました。
旅のことがもうかなり遠く感じられる・・。途中で体調を崩したり大変なこともありましたが、気力は大い
に充実した良い旅でした。これまでトルコやイタリア、スペインで見たローマ時代の建築物に加えて代表的なものをかなり見ることが出来ました。パルミラ、
パールベック、ジェラシュ、ペトラなどなど今思い返しても心が躍ります。日の出前にパルミラの遺跡に出かけて歩き回ったこと、気力だけでペトラの長い道を
歩き続けたことが、私にとっての旅のハイライトでした。アラビアのロレンスに出てきたワデイラムの砂漠に行けなかったことが心残りでした。砂漠にどうして
心惹かれるのか、説明は
出来ませんが我が心ながら不思議なものです。同時に以前シルクロードを旅した時のような、さまざまなこと
も再び痛感しました。
オランダ経由の帰りのアムステルダムでは、フライト待ちの時間を利用して美術館に行きレンブラントや
フェルメールの絵も見ました。ゴッホ美術館に行けなかったのは残念ですが、いつかそんな機会もあるでしょう。
オランダは以前、と言ってももう20年近く前ですが、ライデン、ハーグ、デルフト、ロッテルダムなど
回っていたのにアムステルダムは駅を通過しただけだったのです。家並みの美しい静かそうな良い町でした。
桜から若葉の季節へ。私の庭の牡丹も散って、今は薔薇が見事に咲き始めています。マーガレット、ラヴェ
ンダーも。連休中に山に行って楓の彦生えを採り、庭に植えました。
逃げているような、大地に根のつかないような日々かもしれませんが、それもまた私の現在の日々。少しづ
つ前に進みます。
こちらの美術館で「親指のマリア」の絵葉書を売っていました。早速部屋に飾りました。
良き日々をお過ごし下さい。大切に。
* 与謝野晶子 1.5.6
ご意見あるいはご感想を伺いたいことがございます。いま主として日本と戦争の関わり方の記述で論争をよ
んでいる「あたらしい歴史教科書をつくる会」の中学校歴史教科書についてです。
この教科書は全体的に極端な国家主義、戦争美化にかたよっているものですが、人物コラムで与謝野晶子を
とりあげ、家制度の支持者として描いています。
[情熱の歌人晶子] 与謝野晶子(1878ー1942)は、歌集『みだれ髪」(1901年)で一躍有名になっ
た。そこには、例えば、「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」という歌のように、みずみずしい新鮮な情感が歌い込まれていた。晶子
の歌は、明治という時代の、自由な新しい感情表現の試みであり、それまでの形式を脱した新しい短歌の可能性を開いた。そうした歌人としての活動と、与謝野
鉄幹とのはげしい恋愛の末の結婚が話題となり、晶子は奔放な女性だというイメージが広がった。
さて、日露戦争のさい、晶子は旅順攻略戦に加わっていた弟のことを思い、「あゝをとうとよ君を泣く、君
死にたまふことなかれ」という節で始まる有名な歌を発表した。この歌は当時、愛国心に欠けるとの非難を浴びた。しかし、晶子にとってそうした非難は心外で
あった。
というのも、晶子は戦争そのものに反対したというより、弟が製菓業をいとなむ自分の実家の跡取りである
ことから、その身を案じていたのだった。それだけ晶子は家の存続を重く心に留めていた女性であった。実際、晶子は、大正期の平塚らいてふらの婦人運動を当
初支持したが、晶子の人生観や思想そのものは、家や家族を重んじる着実なものであった。晶子自身は歌人として活動を続けながら、大家族の主婦として、妻や
母としてのつとめを果たし続けた。夫であり、12人の子の父であり、文学上の同志であった鉄幹の死を、晶子は万感の思いを込めて次のように歌った。
平らかに今三とせほど
十とせほど二十年(はたとせ)ほども
いまさましかば
(原文には随所にふりがな)
晶子は種々の文章で、家のなかでの男性・女性の役割分担に反対していましたし、「子どもは物でも道具でもない。
一個の自立独立した人格者である。子どもは子ども自身のもの」としています。弟を家存続の存在として考えて「君死にたまふことなかれ」と歌ったはずはない
と思うのです。子どもの自立性の点で「平塚さんのように社会のもの、国家のものとは決して考えない」と言っているように、この点では平塚らいてふと考え方
を異にしたようです。
このことをどのようにお感じになるか伺わせていただきたいのです。
私は晶子をゆがんでとらえていると思うし、文学者をこのように勝手に解釈して(もちろんどういう解釈も
勝手かもしれませんが)若い人を教育するのは許せないと思っています。
それにしても家族や家の仕事を愛することと、古い家制度を温存することとを切り離すにはどうしたらいい
のでしょうか。愛を基盤とする宗教を持たないためのジレンマでしょうか。
* 晶子のこと 1.5.7 私語の刻
「あゝをとうとよ君を泣く、君死にたまふことなかれ」と始まる与謝野晶子の詩が、何を歌ったかと考える
のは読者の自由であり、自然、人により読みの力点の置き方が散らばってくるのも、道理であろう。反戦歌だと読む人も、上一人の御稜威と軍の自儘を諷し嫌悪
したと読む人も、即ち肉親への情愛と読む人もあろう。どれかに限定はできず、深く絡み合っていて、どれも否定できはしない。だが鑑賞にはおのずと作の動機
に触れねばならない。
発表当時に激しい非難をあびたのは事実で、晶子の陳弁につとめたのも事実と謂える。非難の声があがり、
非難の当否はべつとして、当時の世情としてだれもそれを異とせずに観てきたは、即ちこの作品が、御稜威の名における兵役を厭悪した反戦歌と広く読まれた
か、読まれやすかったかを明らかに示している。内心で作者の気持ちに賛同していたか、声高に非難を浴びせたか、いずれにしても当初の印象も読みも、そこを
大きく逸れていたわけがない。
だが、作者のやむにやまれずそう歌ったのが肉親の情に発していたのも自然当然で、否定できることではな
い。むしろ作の動機は、弟の(無道な)兵役と出征とにあったのは明らかである。晶子の陳弁が自然肉親愛に添うように行われたのも、根拠になる動機がもとも
とあったればこそで、これまた頭から否認できる話ではなかった。だが、それもより深く先行して厭戦の情とお上への怨嗟があった、表現したかったのはそれ
だったろうと言われれば、作者も胸の内では頷いていたに違いなく、しかし口に出しては国体の意思に真っ向からは非難を浴びせはしなかった。当然である。図
式的に動機や思想を分離し対立させて考える方がおかしいのである。ものの表裏である。その上でわたしは、明らかに弟よ戦場にむなしく死ぬなと歌った、痛切
な皇軍批判の厭戦歌であると読む。しかも晶子の、人として芸術家として国を愛した気持ちを疑ったこともない。戦争して負けないだけが愛国心であるわけもな
い。
それにしても、教科書本文の、「この歌は当時、愛国心に欠けるとの非難を浴びた。しかし、晶子にとって
そうした非難は心外であった。
/ というのも、晶子は戦争そのものに反対したというより、弟が製菓業をいとなむ自分の実家の跡取りであることから、その身を案じていたのだった。それだ
け晶子は家の存続を重く心に留めていた女性であった。」という行分は論旨の寸があまりに短く、短絡ということの代表的作文のように思われる。観念的に戦争
そのものに反対したのではなかったが、無辜の若き男子を戦地へ追いやるいわば「仕組み」への強い怨嗟の声になっている。直接には弟を歌っているが、その歌
声は同じような無数の悲嘆を優に代弁得ていたから、あれだけの訴求力を持った。「弟が製菓業をいとなむ自分の実家の跡取りであることから、その身を案じて
いたのだ」と文章を繋ぐのは、むしろ後段の主張を導きたいタメにする論法で、この叫ぶように丈高い詩は、一実家内のプライベートにとどまる表現ではなかっ
た。作者の背には目には見えなくても耳には届いてくる民の声の、あるいは女の声と謂うもいいが、そういう後押しが働いていた。だからあれだけの表現になっ
た。だが教科書はこの優れた詩を、一鳳家の家内感情に矮小化させつつ、「家の(保守的な)存続」をこそ与謝野晶子は大事に考えた人であったと、まるで見当
はずれなある魂胆に協力させようとしてくる。与謝野晶子は奔放な愛欲に目覚めた詩人であったといわれてきたが、事実は、子として姉として、また妻として母
として、まことに家庭と家族と家の存続とをなにより大切に考えて生きた人であった、と、先ずは評価の重点を移動しようというのである。だが、それが終点で
はない。それほどに「家の存続」は人間の生き方を左右する基本的に重い大事だと、つまりは晶子をダシに、そこへ教育の方向と結論とが設定されいるのであ
る。
与謝野晶子がみごとな芸術家であったこと、奔放な愛に身を賭して生き得た人であったこと、じつに優
れた業績を残していること、は、否定できない。が、同時に子として姉として、また妻として母として、まことに愛情豊かにみごとに生きた人であったのも、ま
ぎれもない事実である。晶子には、これは対立する矛盾ではなかった。両立させた自然であった。だが、この自然から、「家の存続を重く心に留めた」と論旨を
導くのは、批評が足りていない。日本語では、家庭・家族と、家とは、そう軽々と同じ範疇かのように認めることはできない。家が家屋を意味する場合は家庭・
家族ともナミに扱えるが、家門・家名の意味になってくると問題は急に難しく複雑になり、情愛の範囲内に落ち着いていない。教科書は、都合よく「家」と「家
族」を一掴みにして「晶子の人生観や思想そのものは、家や家族を重んじる着実なものであった」と断定したが、家族への愛は溢れていても家には拘泥しない
「人生観や思想」の人は、幾らもいる。与謝野晶子の場合がどうであったか、少なくも検証の必要が有ろうが、最後に上げられている夫鉄幹の死を嘆く名歌に
は、「家の存続」という人生観や思想は微塵も受け取れずに、まさに妻の夫への愛・恋の情に溢れている。そして、それは与謝野晶子の生涯をみごとに証しする
ものでこそあれ、その人と芸術との指さすところが「家の存続」に重きを成していたなどと、教科書に特筆できる証跡は感じ取れなかった。思うに、この教科書
編纂の後ろ向きな思想と意向が「家の存続」に在るのを、与謝野晶子に間違って代弁させようとしたに過ぎないのではないか。魂胆とわたしが指摘したのはそこ
である。
かの「きみ死にたまふことなかれ」に立ち返って謂えば、あの詩批判に満ちた視線は、そもそもどこへ向い
ていたか。「家の存続」思想の根拠のような、或るやんごとなき一家一族にではなかったのか。
* 超漢字 1.5.6
毎日、ホームページを拝見していると、ちっともご無沙汰しているよう気がしませんが、ご無沙汰しました。
「湖」の発信局改造のご様子、すごいと思いました。あの方はきっと神さまです。
「風の奏で─平家寂光一上」(スキャン原稿)お送りします。おじさんには知らないことだらけで、立止っ
てばかりいて捗りませんが、いちばん楽しい時間です。
「超漢字3」は、いいです。電源を入れて20秒で立上がります。(わたしのMac
G3は1分25秒かかります)厖大な漢字はともかく、ハイパーテキストの機能で、註が付けられ、註のまた註といくらでも関連事項をその場に付け加えられる
のが何より魅力です。これで「平家物語」や「湖の本」を遊べる!とほくそ笑んでいます。
緑が精一杯の色をして、いい季節になりました。お元気でお過ごしください。
* VAIOで 1.5.5
大分・湯布院温泉に金鱗湖という小さな湖がある。湖畔に森を抱いた良い宿があり、湖の汀に移築した古い民家で、「天井桟敷」という喫茶店を営んでいる。湖
から緑匂う庭を抜け、二階の扉を押して店に入ると、ひんやりとして、外のにぎわいが遠ざかる。高天井の豊かな空間には「グレゴリオ聖歌」。珈琲の香りに満
ちている。奥の八角の大テーブルに座り、珈琲をたのむ。テーブル中央に大きく花が盛られ、心楽しい。白いカバー付きの応接椅子に深く腰掛け、深煎の珈琲を
飲む。由布岳を象ったケーキの甘みもよい。窓の外から、春の日のテーブルなかばまで斜めに射し込み、暖かく、まぶしく、眠い。ふっと、寝入りそうになった
とき、「八角磨盤空裏走」という禅語が浮かび、眠気が一気に晴れた。窓には、五月晴れの由布岳。空を飛べそうな春である。(by maokat)
* 所変われば 1.5.5
VAIOは、SONYのパソコンです。CIXFという小型のもので、サイズは15×25cm。鞄に入れ
てどこにでも持っていけます。ハードディスクは10Gあり、出先にプロジェクターがあれば、プレゼンテーションにも使えます。前の職場で、海外出張用に持
たされていたのですが、気に入って自分で買いました。喫茶店などでキーボードをたたいている人って、ひんしゅくかなぁ、と思いつつ、外で書くことが多いこ
のごろです。
札幌は晴天が続いていますが、夜はまだ3℃ぐらいになります。温室の植物の管理が難しい季節です。白樺
の芽吹きがはじまり、白い樹皮に淡い緑の若葉が映えて、しばしうっとりします。花見の名所、円山公園では連日花見客がジンギスカンをして、「朝から晩まで
ラムの焼けるにおいでたまらない」と近所に住む友人が言ってました。所変われば、花見もかわりますね。
* 行く春やおもき頭をもたげぬる 1.5.4
蕪村のこの句さながら、ものうくて、プランターに培う著莪の花殻を摘み捨てたりして、ぼんやりしている
うちに、五月になってしまいました。
大阪へゆくことがありますと、時間さえゆるせば立ち寄っていましたのが、中ノ島にある東洋陶磁器博物館
でした。
好きなもののひとつに白磁の梅瓶がありました。なぜか、やさしくなだめられ、魂まるごと抱きかかえられる
ような心地がしました。もう、五、六年も逢っていません。
つらいお別れをなさったのですね。そのおひとも、あの梅瓶のようにと申すのは失礼ですが、一人の目利き
に見出された逸材でいらっしゃるのでしょう。にもかかわらず、「悲運の連続」に見舞われたそのおひとをおもう先生のお心に、また、「空間を描くことで人物
でもモノでも深々と捉えてゆく」そのおひとに、ふと、あの梅瓶が重なるようです。少し、さびしいひかりをまとうて。
「浜松中納言物語」、おもしろいですよ、と、メールでおっしゃってでしたけれど、わたくし、まだ、読ん
でおりません。「浜松の女人達は、尼姫君も唐后も吉野の姫君も、ひたすらいとおしい魅力の持ち主である。この作者の女人造形には心を惹かれる。蜻蛉の夫人
も紫式部や清少納言ですらも、どこか鬱陶しい。だが、架空の女人はいいものである。」
このおことばに、「浜松」の女人たちを想像し、先生の書かれた、いえ、つくられた女人をおもっていま
す。
「どこか鬱陶しい」とおっしゃる蜻蛉の君や紫式部。どなたでしたか、「可愛いげがない」とおっしゃって
いたのを思い出しました。清少納言も「架空の女人」と比較すれば「鬱陶しい」ということなのでございましょうか。
とすると小侍従も。どうしましょう。鬱陶しくないひとなど、現実には存在しないとおもってしまうのは、
ちょっと、つらいことですもの。
こんな、とりとめもなことをつづっていますうちに、「おもき頭」に、すこし、風が通い出したようです。
* 甲府便り 1.5.2
秦さん。お元気で、何よりです。
山梨は、林檎の花が咲き始めました。
白木蓮、花水木は、散っていますが、春が始まったと思ったら、いろいろな花が咲き始め、その後も途切れる
ことなく、なにかの花が咲いています。
また、新緑は、さまざまな緑に山を染め、緑色がこれほど豊かに多彩な色だと改めて痛感させられます。ま
さに、「山笑う」です。
甲府の我が家の玄関の上にある通風孔の上に、燕の巣があります。去年見送った燕かどうか判りませんが、
今年も「戻って」きて、出入りを繰り返して巣作りをしていたと思っていたら、数日前から、巣に籠もってじっとしています。卵を温めているのでしょう。雛が
孵れば、また、雛に餌を与えるために、忙(せわ)しなく出入りを繰り返すでしょうね。
そういえば、私の甲府勤番生活も、今月末で、1年になります。
いま、「新府城と武田勝頼」という本を読んでいます。網野善彦さん(この人は、私の高校時代の新聞部の
顧問で、日本史を教えていました。私の授業では、日本史は別の人でしたが)によれば、甲斐の人は、富士川から太平洋に出て、南部氏は、駿河湾から伊豆半島
を廻り、太平洋沿岸を北上し、陸奥の南部から下北、果ては、十三湊の安東氏を追いだし、津軽氏になりました。また、武田氏は、安芸の守護となり、同じよう
に、富士川から海に出て、紀伊半島を廻り、瀬戸内海に入り、安芸と人と物の交流をし、さらに、後には、若狭の守護にもなり、安芸、若狭、甲斐という三角形
で交流を深めたそうです。その上、若狭の武田氏は、日本海を北上し、津軽海峡を越えて、北海道に渡り、武田信広のとき
に、松前の蠣崎氏になったということです。富士川などの川湊で船の操縦術を覚え、山のない国だけに、海へ
の憧れを高度な航海術にまで高めたのでしょうね。さらに、信玄に象徴されるような攻略術にも長けていたのかも知れません。
あすからの連休には、家族らが甲府に参ります。私も久しぶりに、甲府で休日や週末を過ごす予定です。甲
府の湯村温泉という信玄が長期滞在した、かっての「志摩(島)の湯」の、老舗の旅館に泊まります。
当分、週末都会暮らしを楽しみたいと思っております。では、お元気でお過ごし下さい。 倉持光雄
* 理系と文系 1.5.2
新しいパソコンのセットアップは、大がかりだったようですね。環境を拡張すればするほど、思いもしなかったトラブルが発生します。こればっかりはひとつひ
とつ立ち向かっていくしかありませんよね。「こうしたからこんなエラーが出た
んじゃないかな」と、勘をはたらかせながらあれこれ試して、そのうち器械に馴染んでゆく。何となく加減が
わかってくる。「相性が悪い」などと言ってみたりもします。同じメーカーのパソコンでも、OSのバージョンの違い、スペックの違いでエラーの起こり方もさ
まざま、器械といいつつも、膚で触れて感じるものだなあと思います。
かく言うわたし個人のパソコンは、ネットワークを組んでいるわけではなく、知っているのは会社の小さな
小さなネットワークのみです。マッキントッシュのパソコンと、フィルム出力機、A0・B0タイプのインクジェットプリンタ、あとはA3サイズのレーザープ
リンタ、スキャナ、など、ささやかなデジタルプリプレスの現場です。
この仕事をはじめて、二年近くになります。以前は経理の仕事をしていました。大学を卒業して、北関東・
東北に店鋪展開をしているロードサイド型のドラッグストアに就職しました。そこで、*市にあります本部の経理課に配属されました。簿記の知識は皆無でした
が、先輩たちの指導もあって何とかやっておりました。その会社、なかなか給料がよくて、一年目の冬のボーナスでノート型のマッキントッシュを購入しまし
た。会社では専らウインドウズを使用していましたが、友人のマックを触らせてもらい、そのメーカーの遊び心に惹かれて迷わずマックを選びました。とても高
価でしたがフンパツして。
それからぼちぼちやっているうちに、現在の仕事(大きく括ればデスクトップパブリッシングとでも申しま
しょうか、デジ
タル組版とでも申しましょうか、ただ、わたしの勤務している会社の扱う印刷物はラベルやパッケージが主で
す)のようなことをしたいと考えるようになって、ドラッグストアは辞め、また実家にやっかいになりはじめました。
それこそ朝から晩までモニタの前に座りっぱなしですが、パソコンのない生活は考えられない、というほど
にはなっていません。それほど依存するつもりもないし、実際、そこまで依存できる器量はわたしには無いかもしれません。パソコンは、あれば便利ですが、わ
たしの中でも無かった時代の方が遥かに長いのです。秦さんのおっしゃるように、無かった時代にいつでも戻れる覚悟は持っていたいと思います。
今回のニューマシンのセットアップでも、元東工大生が大活躍ですね。
秦さんのお話の中に東工大の学生さんが出てくると、わたしの理系の友人たちのことを思います。わたしの
行った大学は総合大学でした。そこでわたしは何を思ったか軽音楽のサークルに入ったんですね。音楽は、もうずっと好きだったのですが、まさか自分で演ると
は。楽器は結局ちっともうまくなりませんでしたけれど。
それで、週一回のミーティングに行くと、いました、いました、理系の輩がわんさと。純文系で培養されて
きたわたしにとって、異種族である理系の彼らとの出会いは、この上なく新鮮なものでした。
あるとき友人の部屋に行き、床に転がっている抵抗を見て、「何これ」と訊ねたら、びっくりされました。
「抵抗を知らない女の子がいた!」と。何しろ、入学当時のわたしは練習スタジオに入っても、楽器とアンプを繋ぐためのシールドのどちら側をインプットに差
してどちら側をアウトプットに差せばいいのかすらもわからなかったのですから。
ライブとなれば、自分と年齢の変わらぬ彼らが、スピーカーからアンプからミキサーからマイクからエフェ
クターから何から何まで、ちゃっちゃと繋いで、場所と機材の具合を見ながらできうる限りのよい音づくりをするのです。彼らは誰に教わったわけでもなく、
やっているんですね。役に立たぬわたしは看板を作ったり、弁当を買いに走ったり、椅子を並べたりするくらいしか能はありませんでした。
わたしなどは勿論見たこともなければ何のことだか想像もつかない数式を、さらっと解いてしまう数学専攻
の先輩や(この人、四月から*市の私立高校で数学の教師になりました。酒が燃料のような人で、共学の高校に就職と聞いて皆が**の心配をしてしまうような
人でしたが)、今は*大の医学部で遺伝子の研究に勤しむ先輩など(昨年会ったときの話がとても興味深かったです。蠅は雄のみが求愛行動をとるのだそうで
す。そこで雌っぽい雄をつくるとどうなるか。雄は雄なのだから従来どおり雌に求愛行動をとるか、もしくは雌のように求愛行動をしなくなるのなら納得がいく
のですが、予想に反して、雌っぽい雄は雄に対して求愛行動をとるのだそうです。こは如何に)、いろいろいて、それはもう興味津々です。
その一方で、ある物理専攻の先輩は、エレキギターを弾く際使用するエフェクター(これを介すると様々な
音の表現が可能になります)という機材を、使いこなせないと言って、一番単純なタイプのエフェクターをいつまでも使っていました。音はサイン波の集合なの
で、大の得意かと思いきや、彼は特に秀才のようでしたが、それとこれとは違うのかしらんと不思議でした。またある後輩は、いざ就職活動、という時期になっ
て、何を言い出すかと思ったら「パソコン使えないんですよう、不利ですよね」。研究室で使ってるでしょ、と言うと、「あんなの、一秒間に原子核の周りを電
子が何回まわったか、とか、そんな計算しかしてないんですよ」。嘆きまでも微笑ましく、そういう一面もまた魅力的でした。
居酒屋で焼そば食べて、「うーん、肉率が低い」と言っちゃう彼らに対するわたしの気持ちと、秦さんの東
工大生に対するお気持ちとは、ひょっとして似ているのではないかと勝手に想っています。
* この粘り 1.5.1
たいしたものです。それは今に始まったものでもないと私は思いますヨ。惹かれるもの(関心のあるもの)
に対しての粘りは人並み以上にスゴイと。
白状すれば、そこが又、私の惹かれるところデス。マジメニ ホント。
まずは メールの送受信再開がクリアー出来ておめでとう。
もう あなたはパソコンのない老後は考えられなくなっていますね。
先日
頻繁にメール交換をしている同年輩の友人(彼女とは毎週新宿で会うんですよ)が、息子から譲り受けの器械が壊れてしまい、パソコンのない日は
我慢出来ないと即刻高価だけれども新品を購入したと言っていました。遠くに住む初孫の情報や、写真にかかせないらしい。そんな時代になりましたね。
* 投稿 1.5.1
「生活と意見」、いつも覗いています。秦さんの文章は勿論ですが、最近とくに秦さんを慕う読者の方々の
言葉や文章に、とても感心させられています。いろんなところに、いろんな人がいるもんだなあ、と、当たり前のことを、とても強く実感しています。
吉田優子さんの「さぎむすめ」を読みました。なんだか、この吉田さんという方に会いたくなってきまし
た。<面白かった>なんてモンじゃない、モロに感動しました。ときどき、言葉(単語、語句の範疇)がきらきらしすぎて、文章の流れから少し浮
き気味になっているところもあったように見受けられました。しかし、路子さんのなんと美しいこと。最後の場面、思わず作者に頼みたくなりました、「ああど
うか消えてしまわないで!」と。これからもぜひ書き継いでいってほしいと思います。
ものの見事に僕も触発されました。習作とも呼べないようなものですが、投稿させてください。高校時代に
書き溜めたうちの、一番最後のものです。今までの自分をまとめて出す、という心積もりで送ります。お忙しいこととは思いますが、よろしくお願いします。
* 掲載 感謝 1.4.27
ご批評ありがとうございました。
これまでにいただいた助言の数々、推敲を重ねているうちに、そうか、そういうことか、と納得してきまし
た。これは、書くという作業なしでは理解しえなかっただろうなと思います。理屈はわかったつもりでいても。
そしてまた新たなご指摘、「清潔な文章の力でよごれを清拭」するということも、一人で書いていたらそこ
に思い当たるまでにどれほどの時間を要したことかと、あるいは思い当たらぬままに終わったのではないかと、学べるうれしさ、ありがたさを噛みしめておりま
す。
「清潔な文章の力でよごれを清拭」と読んでまず思い浮かんだのは、秦さんは勿論ですが、川端康成でし
た。川端康成の作品には、物語だけを追えば通俗小説ともとれそうなほど奇想に展開するものがあります(小説を読むとき、物語を愉しむという姿勢が、どうや
らわたしにはあるようです)。おそらく、文学全集にのっかっているような純文学の小説のどれにも、物語はあると思います。アンチロマンでさえも、何かしら
筋はあると。
では、なぜ川端康成なのかというと、湖面のように静かに澄んでいてうつくしいあの文章から立ち昇ってく
るどうしようもない個の寂しさに、わたしは惹かれているのではないかと思うのです。「眠れる美女」は、老人が少女を玩弄する話、とえげつない言い方もでき
るものですが、清らかに読ませるのは、筆力というものでしょうか。「みづうみ」は今でいうストーキング以外の何物でもありませんが、劣等感と孤独が哀しく
響いてくる作品です。確か「たんぽぽ」という未完の作では、人だけが見えなくなるという奇病に冒された女性の登場に驚かされましたが、人だけが見えない、
ということの根の奥に思いをめぐらしてみれば、抱き締めてくれる人の存在さえも疑わざるをえない、何と心細い個であるかと、胸の中がしんと静まります。し
かしそれらは決して胸蓋ぐものではありません。
人は、多少の境遇の差こそあれ、生来孤独を抱えて生きていると思います。であるからこそ、秦さんのおっ
しゃる「身内」を求めてやまないのだと思うのです。そういう希求が、彼の作品からはもどかしいながらも、伝わって来るのです。
文章は、一朝一夕によくなるものではないと、これは悠長に構えているわけではなく、思っています。何しろ
勉強が足りない、修業が足りないのですから、こつこつやるしかありません。でも、もう二十七歳です。川端康成なら「伊豆の踊り子」を書いてる歳です。川端
康成を引きあいに出すのもなんですが、せめて思っていることを書いて表現できるようになりたい、その一心で臨んでおります。同じ道を、と言うとおこがまし
い限りですが、書くことを志した大先達の秦さんの助言は、具体的なことからその意気にいたるまで、的確にして尤もで、深く考えさせられます。
ともかくも、文章の清らかさを見つめ直してみようと思います。
ああ、もう二時半を過ぎました。明日も会社です。
* 連想ゲーム 1.4.25
白は湯豆腐か障紙 赤い神宮の鳥居 緑久しい常磐の松 きれいな人の髪の色 路地の奥にも立派な師匠
正月初釜 まめに磨いたろいろより
真塗りのおなつめ、また台子、 水面に映える金閣より むかしむかしの仏さん むかしむかしの金蒔絵。 絵に書いた桜は 誰のがええやろか、 かく言うわ
たしが桜なら、きれいなうちに塩にまぶせばよかったのに。
* 名古屋の四人組 1.4.25
昨日は、御園座「小笠原騒動」の千龝楽。今回、雀は見ませんでしたが、南座初演を一緒に見た二人の女友達が、二人とも点が辛い。橋(之助) &
染(五郎)やり過ぎ、役者だけで遊び過ぎ、と。舞台も、外も、仲良しこよし。雀は、そういうの、いや。
TV
で、伊東四朗・小松政夫の舞台ドキュメントを見ましたが、アドリブに見えても、本当に良く稽古され、練られた動きと、絶妙の間。雀の見たいのはそういう喜
劇、体を動かす笑いなの。贔屓の翫雀さんには、汗をかいて絞ってほしい、身体も芸も。狐の化身が狸に見えるんですもの
(ご本人が、狐より狸が好きとの事)。囀雀
* マブイ 1.4.22
木曜日に雪が降ったためか、風邪を引き、金曜の午後からずっと寝ています。今はだいぶよくなりました。
先ほど目覚めるまで、ふわふわと石垣島を浮遊していたようです。元職場で実験をしたり、珊瑚礁の海で泳
いだり、飛行場へ行って「でも帰ろうかなぁ」などと思ったり。自由にさまよっていました。熱で理性のタガが緩んだ分、魂の一番行きたいところへ飛んでいっ
たものでしょうか。また、「マブイ(魂)」が抜けてしまいました。もう一日養生して、科学者に戻らなければ・・・。
hatakさんもお大事に。体型「も」スマートになってください。maokat
* 晴れ晴れと 1.4.21
林丈雄君 明日になりましたね、明日は晴れ晴れとした日和で、今日の雨降って堅固に地は堅まるでしょ
う。遅れないように、教わったとおりに、時間早め早めに、心からのお祝いに式場へ向かいます。 秦恒平
* 柝 1.4.19
おはようございます。
「演劇界」誌に、田之助さんの連載が始まり、ファンの女友達が毎号コピーしてくれますの。
第二回は大好きなお相撲の話。武蔵山の引退で男女ノ川が横綱になった事や、安芸ノ海が双葉山を倒した時、
桟敷で見ていた事。出羽海、高砂、双葉山、羽黒山、平幕優勝の出羽湊…そう言えば、函入りの「羽黒山」と書かれた本が実家にあります。父も昭和ヒトケタ生
まれですから、同様に熱中していたのでしょうね。雀が柝の音好きなのは、子供の頃、TVの大相撲中継がつけっ放しだったからだわ、きっと。囀雀
* 河内屋 1.4.17
「関西にも、佳い役者が」とおっしゃる筆頭の壽海も、先代の富十郎、先代の仁左衛門、先々代の三津五郎
も、わたくしは観ていません。辛うじて、先代の鴈治郎と延若くらいでしょうか、その舞台に間に合いましたのは。
拙い見手ながら、延若にふしぎな魅力を感じていました。いかにも上方風のこっくりした味、国崩しなどに
見せた悪の魅力。かと思えば品格ある覚寿を見せてくれました。先代仁左衛門の菅丞相、立田の前が秀太郎、宿禰太郎が富十郎で、……。と、このへんでやめま
せんと、とんだ長メールになってしまいます。
吉行淳之介の、というより、文章のことをおっしゃっての今日の湖のお部屋、怖くなったと申しますのはお
ろかなことでございましょう。
* 切れる事件 1.4.15
今日起き抜けのショッキングなニュースは、小学六年生が母親を刺し死なせた事件です。引っ越しで学校が
変わり、以前の友達との別れがつらいので自殺しようとし、留めて叱った母親が逆に刺されたと。
転校して友達のいない寂しさは、身に染みて覚えがあります。
国民学校二年生で父は出征しました。
あのころ、先ず学童を強制疎開しましたね。姉は当時病身で休学中。学童は私一人でした。集団疎開はいややと頑張りまして、当時の大阪市郊外に住む母方祖母
と、半年ばかり二人だけで暮しました。寂しかったし 永く永く思えた日月でした。大阪市内に
、夜は花火の様にバラバラと爆弾の落ちるのをボーと見ていた記憶があります。人見知りが激しく、内向で
友達は作れず、偶に祖母の処へ来る伯父や姉からの便りだけを待つ日々でした。寂しかった。まだ 七歳でしたね。
その後家族たちも疎開する事になり、今度は淡路島の父の実家の離れで、父を待ちながら終戦を迎えまし
た。
終戦の日、強い日差しを受け、色とりどりの松葉ぼたんが咲き、そして雑音の多いラジオ放送は、何だか
さっぱり分からず、説明をしてもらって「敗戦らしい」と理解した、あの天皇の玉音放送。
母に付いてリュックを背中に買い出しもしました。やはり友達は出来ず、只々苦い思い出ばかりです。父が
復員するまで 一年半ばかり住みましたか。
元に戻りまして。寂しさは充分に理解できます。それにしても「切れる」年齢がこうも低くなるのは、何が
問題なのかという事です。あの「十七歳たち」が次々に「切れる」事件を起こしていた頃が、もう昔のことかと錯覚しそうですね。
* 伊賀上野 1.4.14
晴れてはいても、ひんやりした一日でした。上野市へ出かけましたの。芭蕉と荒木又右衛門の生誕地。鍵屋の辻。最近は、榊莫山さんで有名。別名白鳳城の上野
城、俳聖殿、高石垣からの眺め、満開の桜。あちこちに見かけるカラフルな忍者は、観光スタッフですの。電車に、くの一がペインティングされ、循環バスの屋
根に忍者人形が伏せています。4月は、NINJAフェスタ。1日の辞令交付式の市長、先日の市議会も、忍者の扮装で行われたそうですの。古い店構えの和菓
子店の奥から、「は〜い。」と出てきたのは、くの一。いい和菓子がありました。そうそうポスターをみかけましたの。「桂文枝
チャリティー寄席」5月24日(木)18:30〜上野市蕉門ホール。名張への終電、21:58に間に合う、21時終演とお聞きしたので、伺うつもりです
の。囀雀
* 歌右衛門 1.4.14
三十一日の午後、わたくしは東京に出ていました。二十八階の窓から東京の櫻に舞う雪を、雪にかすむ櫻を見ていました。
夜、隅田川添いの高架道を走るバスから、隅田公園の花を見おろして、時の間、夜櫻をたのしみました。雪
がやんで春の月とおもえぬ冴えた半月がてりわたりました。昼間、雪に濡れた花にかがやいて、まさに雪月花の一日でした。
そのときは知らなかったのですが、この日、わたくしがビルから花と雪を見ていたころ、一代の名女形の歌
右衛門が、あちら側に旅立っていったのでした。
現身をはなれたばかりの歌右衛門のたましひが、ながめていたのですね、この日の櫻を雪を月を。一代の名
女形の最期のためだったのですね、この日の花も雪も月も。
先生が、にほふやうな若女形時代をおっしゃるのを、身のほど知らずに、羨み申しあげ、妬ましく存じあげ
たりしておりました、わたくし。
最後の舞台は、吉右衛門が相手役でお静の方でしたが、それを観られたのをしあわせにおもいます。
先生の「繪巻」の待賢門院、歌右衛門で観とうございました。
「二ノ矢をのこしてはいけません」
頭の中に、むねに、いま、このおことばが、しーんとひびいています。
歌右衛門のあのほそい手に、二ノ矢は、一度たりとも残されたことはなかった。おもわず、わが手をぎゅっ
とにぎりしめてしまいました。
* 源氏と平家 1.4.14
子供の頃、公達あはれの平家よりも、鹿も四つ足の源氏の方が好きだったり 義経や八幡太郎義家の物語や
お芝居を又見たいと思ったりしました でも学校で白いはちまきになるのはいやで六年生まで赤になりました ご先祖様のあまり遠くない人の名に頼と付く人
がいたからかもしれません 私の中では講談社の絵本で終わっているのをよしとしているようです
こんなメールを・・・と思いましたが
子供の頃しかお付き合いさせていただいておりませんので そのうえ子供っぽい性格ですので 子供番組を見ているとでも思ってくださいませ。
*
お話相手ができるなら、こんなに嬉しいことはありません。むかしでも、ただあこがれていただけで、ろくにお話ができたわけでなく。長生きして、こんな器械
にも触れるようになったおかげです。
白、朱、緑、黒それに黄金(きん)色。中国でもそうでしたが、京都で育ち、自然や文物にふれてきましたので、やはり、色彩は、この五色が日本的だなあと感
じています。祇園さんの御神輿の色は美しいなと思っていました。松緑、白砂、なぜか神子さんの朱の袴、そして照った黒楽茶碗。
桜色がぬけていました。わたしは桜が好きです。**さんは桜いろの人でしたよ。お声も好きでした。銀の
糸のひびくように感じていました。丹波に疎開してからも、耳にありました。
東京の桜もことしはおわりましたね。 お大事に。いつでもお話ししたい。